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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
202
:
SAKURA
:2012/07/13(金) 21:48:28 ID:V.pKl3yA
<つづく> No.2
>>201
続き投稿です…。
―――――― 悪夢 ――――――
偶発的心霊事実の中でも、最も普通なのは、悪夢でありましょう。悪夢とは、つまり
立派につじつまの合った夢、いわゆる正夢です。近年精神分析学者をはじめとし、夢に
ついて研究をした人たちは、なかなか多いのですが、霊媒師をヌキにしては、まだ充分
夢を解決したとは言われないようです。
悪夢の中で、最も普通に起るのは、人の死の前後に起こる予兆的悪夢です。これは、
大ていの家庭で一つや二つは心当たりのある事柄ですから、とりたててその事例を
挙げるまでもないでしょう。「心霊と人生」誌上にあげた心霊資料の中にも、この種の
正夢の記録はすでに百以上あります。故フラマリオンの『ランコンヌ−』の中にも、
七十六ほど予兆的悪夢の実例がのせてあります。その他にも、数えあげればきりが
ありません。
時には、予兆的悪夢の中に国家の重大問題に関するものもあります。私自身が直接
当人の口からきかされた話ですので、特に忘れられないのは、日本海海戦の際に、
故秋山真之海軍中将のみた悪夢です。中将は当時まだ中佐で、東郷大将の幕僚の一人
でしたが、五月二十四日の明け方、連日の軍務に疲れ切った身体を士官室の安楽いすに
横たえて、うとうとしていますと、突然閉じた眼の中に、対馬東水道の全景が現れ、
そこにはバルチック艦隊がやや不規則な二縦隊を作り、北にむかって進んでいるのでした。
「ふむ、敵はあんな隊形で東水道へやってくるのだナ。よし、味方はこの手でむかえ撃とう。」
そう考えた瞬間、夢はたちまち消えうせました。それまでにも中将は、霊夢の形式で
戦略上の示唆に接した経験があるので、心の中でかたく、この霊夢を信じました。
果たせるかな、あの記念すべき五月二十七日の大海戦の日、対馬東水道でバルチック
艦隊と遭遇してみると、その地点、隊形などが、三日前の霊夢と全く相違がないのでした。
米国心霊家ハドソン・タットルがあげている実例の中にも、大変興味深いのがあります。
ある女性は、生来の盲人でしたが、ただ夢の中では、きわめて明瞭に人物や物体を認める
ことができるのでした。彼女の死後、その遺体を解剖しましたが、その視神経は全然破壊
されていたといいます。
音楽家の中には、夢の中で作曲した実例が相当あります。ド・リイフドというオランダ人は、
夢の中で「ヘヴン」「ゼ・ソング・オブ・ブラインド」の二小曲を作りました。
サリヴァンの生涯にも同じ様なことが起りました。『ゼ・ロスト・コルド』という名曲が
それで、惜しいかな、その一部分が彼の記憶から消えたため、永久に未完成で残っています。
フランスの有名な数学者ボアンカレにも、おもしろい事実があります。彼は
すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限り知能を絞って
いました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、
数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます。
文学者の中にも夢の中にも夢の中の創作の実例は少なくないです。
たとえば、イギリスの文蒙コールリッジの名作『クリスタベル』『クブラ・カン』の二篇などは
熱睡中に書かれたものだと言われてます。
次は――――幽霊および幽霊屋敷――― です〜〜〜。
<つづく>
■■【夢判断】でしょう〜〜〜か???
『お正月の2日』皆様も御存じでしょうか??
此の日…『正夢??』とか言いますが〜〜〜〜〜これも【夢判断…】と捉えて良いのでしょうか?
【夢…】も、潜在意識に繋がっていますから、掘り下げていきますと〜〜〜ルンルン〜〜〜♫
【霊界】にはいっているのです〜〜〜ョネ!!この頃の私は
【夢…】を見ませんが??【夢 判 断】は多少はあるのです〜〜〜ョネ!!
なるべく「ボディティブ思考」になりますと【悪夢も良い夢判断…】になれる〜〜〜カモ?
私の後ろにいる【守護霊は表裏一体!!】なのですから〜〜
いつも〜いつも〜後ろの『百太郎の伝言…メッセ−ジ』かしら〜〜〜ン??
再合掌
203
:
さくら
:2012/07/14(土) 01:09:34 ID:iQUTZPUE
初心者さま
…わたしは、初心者さまのおかげで、雅春先生の教えがいかにすばらしいか、再認識できて、感謝していますよ。
今まで、生長の家の現状にがっかりして、
なぜか、こうして、初心者さまに話しかけて頂いたおかげで、雅春先生のお悟りの素晴らしさを再認識できた気がします、
初心者さまこそ、ほんとに生長の家がお好きなのだとおもいますよ、
これほど、生長の家について考え、そして真理について深く追求しようとしてる方なのですから…。
…「真の生長の家」「偽物の生長の家」というような考えには、わたしは、どうしてもなれません。
たとえば、違う宗教を信じていたり、考えが違っていたとしても、この地上に生きるものはみんな同じように学びの最中だと思いますし、必ずすべてが神の愛の中の出来事だと、信じます。
どこからでも、学びはあるはずですし、
生長の家は、万教帰一の広大の慈門ですから、ほんらい、全てを包んで余りある、愛の教えだと信じてます。
わたしも、現状にとらわれすぎず、学びの実践を大切にしようとおもいます。
真理を人や物事を見る価値判断の基準にせず、
…大切に祈りを込められると思う時にこそ、ことばを人に届けていこうと、おもいます。
こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
204
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 06:14:48 ID:uuNh/pjs
>>200
:初心者:2012/07/13(金) 21:45:04 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>ですから、科学の馬鹿馬鹿しさについて語っていただきたいと、この
>>ようにいっておるのです。光速度不変の法則について、それがいかに
>>馬鹿馬鹿しいかということを具体的に語っていただくことには非常な
>>興味があります。具体的に語らずに、ただ馬鹿馬鹿しいといわれて、
>>いったい誰が納得いたしますでしょう。
だから、
>>199
で言っているでしょう。
科学をいくら勉強しても運命が好転することもなく、病気が治るわけで
もありません。霊界では世界では科学などは何の役にも立たず、返って
障害になると言うことです。
夢のストーリーは自分の心の欲望が造ったので、有意義なものは夢の造
られる原理(真理)のみであって、夢の中を研究しても有意義なものは
ありません。
例えば、私は昔、土を掘っていたら、硬貨がざくざくと出てきた夢を見
たことがあります。そのとき、『この硬貨は誰が埋めたとか、その硬貨
の造られた年代を測定しても』それが何の意味がありますか?馬鹿馬鹿
しいとは思いませんか?
確かに私も30年ぐらい前にシュタイナーの『神智学』は読みましたよ。
たしか、アストラル体とかエーテル体とかに分かれた五〜六冊組の本だ
ったと記憶しています。しかし、何か超能力的なことばかりで、あまり
有意義でなく、印象がないのでほとんど忘れてしまいました。
どちらかというと、20年間も霊界と行き来したスエデンボルグの霊界日
記に興味があります。全部で九冊になっています。初心者さんや生長の
家の信徒に読んでもらいたい本のひとつです。
205
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 06:30:23 ID:uuNh/pjs
>>204
のつづきです。
**********************************************
彼らの中の一人は地上の事柄に非常に学問があって、人々から尊重され
ていた。その彼の信仰が私に伝えられた。それは、私が霊的な方法で認
めるところでは、全く皆無である。といったものであった。なぜなら信
仰は地的な科学により全く窒息しており、それで彼は死後の生命を、霊
たちの存在を、ましてや天界を信じはしなかった。かくて彼の信仰は科
学の中に埋められてしまっていた。
私は彼らと生活上の科学の必要について論じた。すなわち、ただ必要な
ものは真の信仰に属したもので在るということであって、他のものは助
けになるものの、単に粗末なものに過ぎない、一切のものがそれに依存
しなくてはならないわけではない、と。
さらに私はいかような種類の生命が彼らを待っているかを彼らに話すこ
とを許された、すなわち、彼らは先ず、他生に入って間もない霊魂たち
を喜んで迎える善良な霊たちの交わりの中へ迎えられはするが、その信
仰の転倒した秩序のために彼らとは一致することができない時は、彼ら
からおのづから分離してしまうのである。
彼らは再び他の霊たちの交わりの中へ迎えられるが、彼らと一致してい
ないときは、彼らからもまた斥けられてしまう。その後で善良でない霊
たちと交わるが、これらの者からも斥けられる時は処罰と刑罰を加えら
れる。その後彼らは置き去りにされ、かくて彼らは家から家へ歩いて行
き、迎えられることができる所を求め、ついには食物と暖とを乞い求め
るようになる。
彼らはそのようにして迎えられ、身体の生命の中に在った時のように、
他の者より卓越して、さらに尊敬されたい、と願うと、その時は、他の
者たちの財産を求めるなら、それを持ち去ってしまわないわけにはいか
なくなる。こうした者らは身体の生命の中で罰しられるからには、彼ら
は今や更に厳しく罰しられて、放逐されてしまう。
その後彼らは破れた着物を着て独りになってぶらつき回って、乞食とな
り、そのことが彼らの誇りが、または他の者らよりも遙かに卓越しよう
とする思いが捨て去られるまでも、または他の者の財産を取り去ってし
まおうとする欲望がなくなってしまうまでも続くのである。
このようにして彼らはついには剥奪され、彼らと一致しているような霊
らの交わりの中へ入れられるのである。このことは時として非常に長い
年月を要するのである。・・・・数百年、数千年も要する、と言われて
いる・・・・なぜなら剥奪には長い時がかかる者がいるからである。
(スエデンボルグの霊界日記)
**********************************************
霊界で必要なものは、信仰(真理)のみが支配する世界なのです。
シュタイナーの言うように才能ゼロとして生まれるばかりでなく、地上
の科学をもって死んだ者は霊界では地獄によって精算されることになる
のです。
206
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 07:41:27 ID:uuNh/pjs
生長の家の言うように『この現象世界は無い』のです。
空間も無く、時間も無いのです。だだ、心から外へは一歩も出ていない
のです。無い現象を研究しているのが科学者です。
アインシュタインの説が宗教と科学の中間のような考え方だと言ったの
は次の論理からです。
光は直進します。しかし、空間は重力によって歪みます。
したがって、例えば高速ロケットがあるとして、真っ直ぐ上に進んだと
ます。どんどん進むと、地球の下に到着します。
この距離が宇宙の直径です。
ここでもう少し、自分を中心に考えてみます。真っ直ぐ上方を見ること
が出来れば、自分の足の裏が見えます。今度は、正面を見ます。すると
自分の背中が見えます。こうして、東西南北をぐるりと見渡したとき、
宇宙は自分の身体の皮膚に包まれていることになります。
宗教では宇宙は自分の中にある。という真理と一致します。
次に、昔は天動説を真剣に考えていました。地球が停止していて、宇宙
が自分を回っていると信じていたわけです。バカですねえ。今では、す
べてのクリスチャンは地動説を信じています。
しかし、アインシュタインはもし、地球が自転していると証明するなら、
宇宙の静止している場所を特定しなければなりません。
ただ、地球が自転していると言うだけでは証明にならないのです。
宇宙には静止している場所はありません。
そこでアインシュタインは相対性理論を提唱したのです。
宇宙で停止している場所は観測者です。
だから地球は回転していないのです。また、太陽が観測者を回っている
のです。このようにアインシュタインの説をとれば、天動説が正しいこ
とになるのです。
夢の中では太陽は東から昇り西に沈みます。
これが宗教的な考え方です。
だからアインシュタインの相対性理論は科学と宗教の中間のような学説
だと言っているのです。
207
:
初心者
:2012/07/14(土) 08:03:17 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
えええー、どーゆーこと?意味わからん。ちゃんと説明して。
208
:
初心者
:2012/07/14(土) 08:15:08 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないといって
おられるのでしょう。
科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢で
あります。
スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという夢の世界
で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられているだけなのです。
神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するという夢な
のです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。夢の世界を研究
する科学者の夢を見させられているのです。
209
:
さくら
:2012/07/14(土) 09:08:35 ID:iQUTZPUE
初心者さま
科学や物理の証明ならともかく…
宗教において、真の生長の家と言われたり、どちらが正しい、邪説だという証明には、
…わたしは、しょうじき、こころが動きません。
真理を知って、なにをするか、そのことです…。
いくら生命の實相を知っても、他を虚説ということや、
それでなにか「真の生長の家」といわれることが「復活」したとしても、本流などの姿をみてきて、
これからの生長の家がなにをするかにも、いまは信頼がおけません。
210
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 09:32:54 ID:uuNh/pjs
>>208
:初心者:2012/07/14(土) 08:15:08 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないと
>>いっておられるのでしょう。
>>科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
>>神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢であります。
それは違います。
何度も言いますが、『実相世界』『神』は夢ではなく、現実世界です。
そこで、神がこの世界という夢を見ているのです。
>>スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという
>>夢の世界で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられてい
>>るだけなのです。
もちろんそうです。
ただ、科学者や唯物論者はこの世界を実在する世界だと確信して、研究
に没頭するので、夢が覚めた世界では、その唯物論が頭にこびりついて
いるので、それを剥奪されるまで何百年も苦しむよ。といっているので
すよ。この世界が『物質や現象は心の映像である』という真理を知って
いる生長の家の信徒は、心に唯物論が無いため剥奪されることはない。
といっているのです。
>>神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するとい
>>う夢なのです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。
>>夢の世界を研究する科学者の夢を見させられているのです。
そうではなく『この世界が神の夢』なのであって、神だけが実在すると
いうのです。だから、この世界に神が居るわけではないのです。
前に何度も言いましたが、神がいなければ夢の世界だけが単体で存在す
ることは出来ないのです。
211
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:43:08 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
ジジェクがいうように、真理とは共生を学ぶべき堪えがたい真理であるのかも
しれません。自分にとって心地よいものだけを真理と考える人は、快不快の原則に
したがって、心地のよい言説ばかりを集めて、不快な言説を遠ざけようとします。
そうやって集めた言説によって真理は成り立っていると考えます。
そのような人に、「共生を学ぶべき堪えがたい真理」の発想はありません。心地の
よい言説に囲まれたその人は、その心地よさゆえに、そうした言説のみをもって
絶対的真理と見なすようになり、そうすることで不快な言説をさらに遠ざけること
に成功します。ようするに、それを読んだりなしたりすることでドーパミンが出るか
どうか、これが真理かどうかの判断基準であるということです。
212
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:47:34 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」といって
おられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる夢とは別の夢を見て
おられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、「これは夢ではない」と感じ
られるのです。
213
:
初心者
:2012/07/14(土) 09:53:31 ID:TfQ0e6RA
光速度不変の法則は、夢が夢でありつづけるための必須の法則なのですよ。
光を追い越してしまうと、人は夢を見ることができなくなります。そのために、光は
つねに先回りして、夢の映像をつくりつづけているのですよ。これがバカバカしい
ことなのかどうか、わたしにはわかりませんけどね。
214
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:04:05 ID:uuNh/pjs
>>212
:初心者:2012/07/14(土) 09:47:34 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」
>>といっておられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる
>>夢とは別の夢を見ておられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、
>>「これは夢ではない」と感じられるのです。
意味がよく分かりませんが、『スターダストはこれは夢ではないとは言
っていませんよ。』スターダストを含め、この世にいる人はすべて夢を
見ている人ですよ。
だから、先ほどから言っているのですよ。
夢の世界は単体で存在できないのですよ。
たとえば、初心者さんが夢を見ています。
ベッドの中の夢でない実在の初心者さんがいなくては、夢の世界は出来
ないでしょう。
また、ベッドの中の実在の初心者さんが目を覚ませば、一瞬にして夢の
世界は消えて無くなりますよね。
この実在の初心者さんのことを『神』とい名で呼び、この実在の世界を
『実相の世界』という名で呼んでいるのです。
だから、神がいなければ、一瞬にして宇宙は消え去ると言っているのです。
215
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:15:58 ID:TfQ0e6RA
ですから、実相世界も夢なのですよ。
216
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:22:07 ID:TfQ0e6RA
神も実相世界も夢でしょう。夢のなかで、神や実相世界が実在する夢を
見ているのです。
217
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:25:27 ID:TfQ0e6RA
夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかでいくら
考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはないでしょう。
218
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:35:10 ID:uuNh/pjs
>>215
:初心者:2012/07/14(土) 10:15:58 ID:TfQ0e6RA
>>ですから、実相世界も夢なのですよ。
だから、夢は単体では存在できないといっているのですよ。
地球も霊界も天界も夢ですが、その一番上の世界を実相世界と言ってい
るのです。もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
219
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 10:39:28 ID:uuNh/pjs
>>217
:初心者:2012/07/14(土) 10:25:27 ID:TfQ0e6RA
>>夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかで
>>いくら考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはな
>>いでしょう。
そうです。初心者さんから見れば夢見手は初心者さんひとりです。
だから、初心者さんを『神の子』というのです。
実相世界で夢を見ているのは神の子だからです。
周りに色々な人々がいますが、すべて初心者さんの心から出た映像です。
220
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:41:51 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
>もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
ですから、夢見手はひとり、と申しております。ただしはその夢見手は、
スターダスト様がいっておられる「神」や「実相世界」とは無関係という
ことです。
221
:
初心者
:2012/07/14(土) 10:46:15 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様
わたしのいっている意味がわかっておられないようですね。スターダスト様が
いっておられる「もうひとつ上の世界」こそが夢見手であるということです。
その夢見手は、スターダスト様がいっておられる、神とも、実相世界とも、生長の家
とも無関係、ということです。
222
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 11:10:56 ID:0rrCWYas
スターダストさんと
初心者さんのやりとり、非常に興味深く読ませてもらっています。
スターダストさんの言葉
〉だから、神がいなければ、一瞬にして 宇宙は消え去ると言っているのです。
これは、まったくそのとおりだと思うのですが、
私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったのか、これがわからないのですね。
それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続いていくでしょう。
「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がないのではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。笑い
夢の議論も非常に面白いです。
なかなか、こんな根本の議論は、ふだんやりませんからね。
223
:
スターダスト
:2012/07/14(土) 11:54:05 ID:uuNh/pjs
>>222
:アクエリアン:2012/07/14(土) 11:10:56 ID:0rrCWYas
>>私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったの
>>か、これがわからないのですね。
>>それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続い
>>ていくでしょう。
>>「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がない
>>のではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。
確かに、『絶対無』でもいいですよね。
これはスターダストの個人的な意見ですが。
神は生命である。
神は愛である。
神は智慧である。
これらが神の条件になっていますが。
人間に生命はないから神が生命であり、
人間に愛がないから神が愛であり、
人間に知恵がないから神が智慧である。
そこで、仮に人間に生命があったら。
人間に愛があったら。
人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、
神は愛を必要とせず、
神は智慧を必要としなくなって『絶対無』になるのではないかと思います。
また、同時に人間も『絶対無』になって消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ存在できないように思うのです。
つまり電池のプラスマイナスのような仕組みではないかと。
224
:
初心者
:2012/07/14(土) 11:57:48 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
神はなぜこの世界をおつくりになられたのか。わたしは、非常に拙いものでは
ありますが、ひとつの仮説を立てております。こちらでも以前、役行者様との
あいだでそれをテーマとしたやりとりがありましたが、神は自分の姿をお知りに
なりたかったというのが世界創造の理由だと、そのときのやとりで述べたことが
あります。
神がゆいいつの存在であるとすれば、それは無に等しいということですら、神に
はとうぜんのことに「自分」という概念すらないということになります(自他とは
相対的な概念ですから)。そんな神が、あるときそのことにちょっとした違和感を
お持ちになった。そのときの「違和感」こそが世界創造の原因になったと考えて
おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿をお知りになりたいとする衝動でもあったので
すが、神といえども自分の姿をご存じではないので、たやすくその似姿をつくりだ
すことはできません。そこでその衝動は、無限の数ともいえる宇宙をつくり出す
大インフレーションとして現象化することになります。神は、無限の数ともいえる
宇宙が独自の生成発展を遂げていく過程を観察されながら、自分の姿にもっとも
近いとおもえる宇宙の出現を期待しておられるのではないかと考えます。
大インフレーションは、おそらく一元論では説明がつきません。はじめに、神と神を
とりまく無があった。とりあえずはこのように考えることにしております。
わたしが主張しております本物の宇宙はこうした仮説にもとづいたものであります
が、大インフレーションの仕組みはきわめて複雑なものと想像されます。たとえば
チベット仏教には、キルコルと呼ばれる曼荼羅の思想があるようですが、複雑きわ
まりないキルコルの仕組みは、本物の宇宙の生成発展の仕組みを解くカギになる
やもしれぬとか、シュタイナーの思想はどう結びつくのかとか、宇宙はオートポイエ
ーシスではないのかとか、さまざまなことを夢想しつつ、永遠にかなわないであろ
う、世界創造の仕組みの解明を楽しんでいるといったところであります。
225
:
さくら
:2012/07/14(土) 12:42:24 ID:iQUTZPUE
初心者さまのほんものの宇宙の探求は、
生命システムを探求する南方熊楠の考えにつうじますね、
生命のオートポイエーシス的な働きと、曼荼羅の思想の融合…など、
ほんもののうちゅうの正体とは、、おおきな生命システムなのですか?
226
:
初心者
:2012/07/14(土) 13:13:03 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
宇宙システムと生命システムには相似の関係があるのかもしれませんね。
それが 単純でないだけに、宇宙にしろ、生命にしろ、その探究には持続性が
あって、飽きずに楽しめるというものです。熊楠が現代に生まれていたと
すれば、現代風の宇宙システムの探究にも、多少の関心を持ってもらえた
かもしれませんね。
227
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:25:25 ID:5QLoZKNI
スターダスト様
レスありがとうございます。
〉そこで、仮に人間に生命があったら。 人間に愛があったら。 人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、 神は愛を必要とせず、 神は智慧を必要としなくなって『絶対 無』になるのではないかと思います。 また、同時に人間も『絶対無』になっ て消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ 存在できないように思うのです。 つまり電池のプラスマイナスのような 仕組みではないかと。
ーーーーーー
このご意見、共鳴できる部分が、かなりあります。
ある人の本に、
この全宇宙の有情の全生命が解脱したら、一瞬にして、全宇宙は消え失せるのだ、と書いていて、なるほどと思ったものです。
絶対無という、考えに、スターダストさんが、そういう考えもあってもいいのではと書いてくれて、私の問題意識もそんなにおかしいことではないと知ってちょっと安心しているところです。
228
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:42:47 ID:P46naudc
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
229
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 13:52:39 ID:3vWBqT4M
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
この考え方は、非常に、インド哲学的ですね。
この世界を、神のリーラ、遊戯、遊び心の展開として捉える考え方、面白いです。
230
:
初心者
:2012/07/14(土) 15:33:22 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
そうですか。インド哲学的ですか。それにたいするイメージはあるものの、インド
哲学には知識らしい知識を持ってはいません。それについて語ることもできま
せん。ですが、高嶺の花に恋い焦がれるとでもいうべき憧れはありますね。
それとは知らず、インド哲学的な何事かを語り得たとすれば、たとえそれがどんな
に稚拙であろうとも、自己満足程度の満足感は得られるというものです。ただ宇宙
誕生のいきさつは、「遊び」というよりも「神の狂気」ととらえるべきではないかと
考えます。
やにわに生じた「ちょっとした違和感」は、神にとっての純然たる異物であったはず
です。それは、神のなかにありながら、神ならざる異物であったはずです。「ちょっと
した違和感」は、「排出」という形で神の外部に放出されます。これにより、神ならざ
るものが、神の内部より排出されます。
それは大インフレーションとなって現象化します。「絶対無」という言葉が出てきま
したが、自己も非自己もない「絶対無」の状態にあった神は、非自己が現象化した
ことで、無から有の状態へと引きだされます。それは、神ご自身が無から有へと
引きだされた瞬間であったという意味でも、無限の数の非自己を誕生させたと
いう意味でも、何もあってはならないところに、あってはならないものを生じさせ
たという意味でも、その出来事は、神にとっての狂気の沙汰であったと考えます。
しかもこの狂気によって、神は存在に入ることができたともいえます。
スターダスト様やアクエリアン様が語っておられますように、非自己は自己へと
回帰すべきものであるのかもしれません。なんにしても、あることないこと様々に
想像いたしますので、道をはずれたときにはご指導いただけますように。
231
:
アクエリアン
:2012/07/14(土) 19:07:10 ID:2fq82x1o
初心者様
宇宙誕生のいきさつを、神の狂気と捉えるということですが、やはり、インド哲学的に思えます。
マーヤーという考え方に似ているのはないかと思えるのですね。
世界大百科事典の解説
〈幻影〉を意味する語でイン ド哲学の術語の一つ。早くも 《リグ・ベーダ》において用 いられ,おもに〈神の驚異 的・神秘的創造力〉を意味し た。この用法はウパニシャッ ドに継承されているが,〈宇 宙的幻影〉の意味にも用いら れている。
ーーーーー
神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
そして、この世界という存在は、神の狂気の沙汰であり、非自己なのだから、本来、あってはならないものなのだから、あるべき位置に戻してやることこそ、人間の仕事ではないのか。
こういう考え方、興味深いです。
233
:
SAKURA
:2012/07/15(日) 05:20:34 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 ―――――
――――――幽霊および幽霊屋敷―――――
霊夢についてはこの辺で切りあげ、今度は偶発的心霊事実中の大関ともいうべき、
幽霊および幽霊屋敷について述べます。
一部の人は、幽霊ときいて単なる冷笑をもって迎えるかも知れませんが、それは
あまりにも軽率です。英国心霊協会が組織されたのは一八八二年(明治十五年)ですが、
同会で着手した最初の事業の一つは、実に幽霊に関する調査で、約三万件にのぼる報告を
集めて比較研究の結果、委員長のシジウイック博士は統計的にこう断定しました。
「ある人の死と、その幽霊との間には、何らかの関係があり、これを単なる偶然と考える
ことはできない。私はこれを、実証された事実と認めます」。これは冷静着実な学会の
報告で、一々正確な証拠資料で裏書きされていますから、これを独断的に否定してしまう
ことはできません。真に研究的良心のある人なら、事実の否定よりは、むしろ事実に
対する学術的解釈に進むことがあるいは正当なのではないでしょうか。
幽霊屋敷の記録も、なかなか豊富で、日本にも西洋にも、その実例はたくさんあります。
なかには、平凡でボンヤリした幽霊が、単に出没するだけのものもありますが、なかには、
騒々しく、石が降ったり、家具が飛んだりするのもあります。西洋では此の現象を、
「騷々しい幽霊(ポルタ−ガイスト)」などと呼んでいます。
近頃は次第に、この種の現象は減ってきていますが、大正十三年の九月から同十一月にかけ、
四十八日間、一種の怪奇現象がひきつづいて南満州の南国嶺駅付近に起こったことがありました。
南国嶺駅から西北に約六キロ程行ったところに両井屯字茶葉溝という小さな部落があり、
そこに揚培蓮という農夫が住んでいました。怪現象はその家で起こったのです。
最初五日間は、ただ窓をたたくような騒音が聞こえただけでしたが、六日目の午後
三時頃、突然こぶし大の石が落ちてきたのをきっかけに、一昼夜に十数回から五、六十回
ずつ、こぶし大から頭大の石が降ってきました。時には、石に混じって自分の家には
埋蔵していない栗やトウモロコシが降ることもありました。旧十一月一日には、室内に
置いてあった古着の袋から、突然発火し、幸いそれは消しとめましたが、庭のすみに
積んであった枯草は、全部自然発火して燃えてしまいました。
ある時食卓がひっくり返ったり、またある時は食卓がひっくり返ったり、またある時は、
三人の男女の幽霊が家の人の眼の前に現われたりしました。南関嶺の駐在巡査、大須賀与助、
大連本署の川辺警部補、その他が幾度も出張して調査しましたが、そういう時にも、大石はいぜん
として彼らの足元に落下し、どうしても石の出所が不明だったというのです。
詳細は「南関嶺の怪現象」と題した記事(「心霊と人生」昭和元年二月号)にあります。
他にも、この種の怪現象はたくさんあります。あのメソジスト派の創立者、ジョン・ウェスレ−が
幽霊屋敷に住んでいたなどは、有名な話です。
<つづく>
PS:トキ様へ
私どもは「幽霊…」と申しますとどうしても?怪奇現象をつい連想してしまいます…。
実は〜〜〜今振り返りますと〜〜〜私も【怪奇現象…】体験していま〜〜〜す。
後日【独り言…】にて“投稿”させて頂きます…。
尚!此の【書物…抜粋投稿】は、当時「雅春先生」がこの心霊研究会に出入りをなされ、
かなりの影響を受けられたものと思います…。
最後に…書籍の【題名…】を、記載させて頂きますが〜〜〜?
トキ様は?此の「怪奇現象?幽霊…」に関しまして、何か体験がございますでしょうか???
再合掌
234
:
さくら
:2012/07/15(日) 07:15:20 ID:m9pb1kx2
>>226
初心者さま
初心者さまのうちゅう観は、ホログラムやDブレーンで、
説明されていたので、わたしにはすごく物理的で無機的で感覚的に遠いかんじがしていました。
宇宙が、オートポイエーシス的なシステムで、キルコルの曼荼羅に本質を観るような世界観があると思われるのですね?
熊楠は粘菌の生態のなかに、宇宙の秘密を観るのですが、それは、粘菌の顕れか美しい姿を見せるほどに、その内部は死の過程を辿っている、つまり、「神」が奥へ奥へとと隠れて行く過程を観ていたようなのです。
逆に、粘菌が生命の原形に近いアメーバのような姿でいる時に、つまり、無に近づくほど、霊的な命の本質、「神」に近くなることも、とらえた感じです。
西洋的生命観では無に近づけば、それはただ単に死を意味するだけなんですが、熊楠は、さらにその奥にある生命の霊的な本質をみて、もっと奥深い生命システムをうちたてていたんですね。
これは、東洋的な、日本人的な精神のあらわれた生命観なのかもしれませんね、
わたしが親和を感じる有機的な宇宙観と、通じるものがあり、うれしいです。
235
:
初心者
:2012/07/15(日) 11:34:58 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様
>神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
生長の家は、すべてを知る全知全能の神が、神ご自身を表現するために、実相世界
と呼ばれる世界を創造なされたと考えますね。神は全知全能であるから、非自己と
の比較なくして自己が自己であることを知り、非自己を鏡とせずとも自己の姿を
神は知りうる、とする立場に生長の家は立っているということが、以上のことから
わかります。
わたしは、こうした立場をとる生長の家に異議を唱えます。非自己なくしてなぜ
自己という観念が生じるのか。非自己との比較なくして、神はなぜ自己の姿を知る
ことができるのか。こうした問いかけにたいして、「それは神が全知全能だから」と
しか答えようとしない生長の家に異議を唱えます。
「全知全能」と答えつつも、生長の家が、神の全知全能を証明したというわけでは
ありません。全知全能とはどういうものかを説明したというわけでもありません。
「神の全知全能」を錦の御旗のごとくかかげることでやっとこさ成り立っている、
生長の家の天地創造説を受け入れるのは、わたしにとってたやすくはないという
ことです。
「神の全知全能」という考え方にたいして、神は自己を認識しうるが、非自己という
鏡がなければ、神は神ご自身の姿を知ることはできないとする考え方があります。
こうした考え方にもとづけば、神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために、
鏡となるべき非自己を創造されたとする立場に立つことができます。
わたしもこうした立場に近いものを持ってはおりますが、神がどのようにして、比較
対照すべき非自己もなしに自己を自己として認識なされたのかとの問いに答える
のは困難です。しかも、「神が自己の姿を知りたいと欲せられた」とする発想じたい
あまりに人間的でありすぎるのも難点です。
このようなことをつらつらと考えておりますと、こちらで語られておりますよう
な、人間にはとうてい理解がおよばぬ「絶対無」が神にはお似合いなのだとする
発想に、どうしても傾きがちになります。「ちょっとした違和感の排出」。こうした
発想で、ちょっとだけ斜めから見た世界創造のいきさつを、どうしても語りたく
なってしまいます。
236
:
初心者
:2012/07/15(日) 12:44:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
Dブレーンやホログラムによって語られる本物の宇宙は、夢も希望もある青春の
まっただなかにおられる女子青年からすれば、いかにも無機的と感じられるので
しょうね。ですけども、本物の宇宙にしたところで、「全体」からみれば、そのごく
一部を語っているにずきないということがいえるはずです。
昨日あたりから、自己と非自己ということをいっておりますが、非自己が本来の
自己にもどろうとすることを、生長の家では「実相があらわれる」と表現して
いるのですね(非自己といっても、その実体は神でありますので、自己が非自己
の姿として仮にあらわれているということです)。
したがって、本物の宇宙についても、それを非自己が自己へともどる過程として
語ることで、そのぬぐいがたき無機質性をおおいかくす必要が出てまいりますが、
そのための奥の手のひとつとして期待されるのが、チベット仏教のキルコル曼荼羅
なのですよ。
キルコルの思想では、たとえば慈悲の心が、天上界から本物の宇宙へと降臨する
までの有機的なつらなりが、立体的な模式図によっても示されているようです。
慈悲の心ひとつとってみても、キルコル的には複雑な仕組みが隠されていそうで
すけども、こうした複雑性を本物の宇宙ふうにひと言でまとめれば、慈悲の心は、
非自己を自己へともどそうとする力として本物の宇宙に降臨してくる、ということ
できまりのようです。
愛とは何か。これは人類永遠の問いであるともいえますが、これを慈悲にならう
なら、愛とは、本物の宇宙に降臨しつつある、非自己を自己へともどそうとする
衝動である、ともいえそうです。ですから、いっけん無機質とも見える本物の宇宙
は、非自己を自己へともどそうとする慈悲の心や愛の心で満ちあふれているとも
いえるのです。キルコルが本物の宇宙に組み込まれることで、愛と慈悲の降臨が
約束されるのです。おわかりいただけましたでしょうか。
話は続きます。
真理を追究するという立場からすれば、愛の衝動を、非自己を自己へともどそうと
するプロセスに還元して究明することがひとつのカギになるはずです。雅春先生
は、こうしたプロセスを語ろうとされたのではありませんね。雅春先生は、じっさい
に愛の行動によって、非自己を自己へともどそうとなされたのですね。
ならば、わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相
が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲーム
セットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせ
たくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手の
ロールゲームを演じ続けるしかないのです。
こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、
生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。
237
:
役行者
:2012/07/15(日) 13:30:22 ID:v.d0vAWE
初心者さま
お久しぶりです。なかなか、話に入る隙がなかったのと、いま、増税反対のための資料づくりに力を注いでいるため、遠くで眺めさせていただいておりました。
早速、失礼します。
>「神の全知全能」という考え方にたいして、神は自己を認識しうるが、非自己という
鏡がなければ、神は神ご自身の姿を知ることはできないとする考え方があります。
こうした考え方にもとづけば、神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために、
鏡となるべき非自己を創造されたとする立場に立つことができます。<
以前、初心者さまが私役行者の返答に、お書きになった内容です。
>神は、神ご自身の姿を見るための鏡をおこしらえになった。
これが第一創造でありましょう。
その鏡こそがこの宇宙なのでは?
宇宙を鏡として、神は神ご自身の姿を見てみようとなされた。<
この内容はごく自然に発想できる認識だと思います。
ですから、少なくとも私は、
>わたしもこうした立場に近いものを持ってはおりますが、神がどのようにして、比較
対照すべき非自己もなしに自己を自己として認識なされたのかとの問いに答える
のは困難です。
しかも、「神が自己の姿を知りたいと欲せられた」とする発想じたいあまりに人間的でありすぎるのも難点です。<
>このようなことをつらつらと考えておりますと、こちらで語られておりますよう
な、人間にはとうてい理解がおよばぬ「絶対無」が神にはお似合いなのだとする
発想に、どうしても傾きがちになります。「ちょっとした違和感の排出」。こうした
発想で、ちょっとだけ斜めから見た世界創造のいきさつを、どうしても語りたく
なってしまいます。<
この気持ちがわかります。
つまり、以前、初心者さまがお書きになった下記内容が腑に落ちるのです。
>神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれるというのでありましょうか。
神は人間をプログラムミスなさった。
それで人間に逃げられた。
こちらのほうが、わたくしとしてはよっぽど腑に落ちるのであります。
人間として生まれてこれでよかったと思えるのであります。
あたえられた自由ではなく、自分で勝ち取った自由。
それが本物の自由だという気がするのであります。<
人間は、神の子です。人間には、制約された、与えられた自由でなく、本物の自由を与えられていると思うのです。
神イコール人間とするなら、人間の意識深く探求すれば、自ずと神の領域も理解出来るのではと思うのです。つまり、初心者さまの発想はごく自然の発想と私には思われます。
いま、地球の現状を観てみると、とてもではないですが実相顕現とは云えません。ではこの現状は人間の為した責任と片付けることができるのでしょうか、神イコール人間なら神の責任でもあると思うのです。「人間の心の法則により」というのは、「神の心の法則により」と言い換えられないでしょうか?
話は随分昔に戻しますが、137億年前のビッグバン当初から心の法則は発動していたと思われます。言い方を変えれば、このような現状になるのはビックバン当初からその芽はあったと思うのです。
このような話を私がしたとき、初心者さまは、「実在宇宙」の話で私を説得して下さいました。生命の神秘、生命の営み、真実を、何事にも縛られず捕らわれず、自由な発想で探求することも大切なことと私は思ってます。
238
:
役行者
:2012/07/15(日) 16:29:28 ID:v.d0vAWE
ちょうど一年前、初心者さまは下記コメントを記述されました。
◆「実在宇宙」という言葉が出てきた理由
なんで急に「実在宇宙」という言葉が出てきたのかと、
いぶかしく感じておられる方が、きっとおられると思いますので、
これまでの流れを、ざっとですが説明しておきます。
すべての発端は、役行者様からの「ビッグバンは、なぜ、生じたのか」の問いかけでした。
この問いかけに答えられなければ真理は終わる、とわたくしは考えました。
この問いかけがなぜそれほどに重要かといえば、現象世界の誕生が
ビッグバンに関係しているのは、ほぼ明らかだからであります。
生長の家では、現象世界は、人間の心の迷いで生じたと説明されています。
であるとすれば、ビッグバンは、人間の迷いが起こしたということにも
なってしまいかねません。
役行者様は、「人間にそれほどの力があるのか」という点を突いてこられたのだと
わたくしは考えました。
たしかに、ビッグバンは、人間が誕生するはるか以前の出来事であります。
人間が介在した可能性は、かぎりなくゼロに近いはずです。
ここで「ビッグバンは、なぜ、生じたのか」という問いが出てくることになります。
ビッグバンは、はたして誰が何のために起こしたのでしょうか。
現象世界をつくり出すためだったのでしょうか。
わたくしには、ビッグバンという世紀の大イベントが、
現象世界をつくり出すために起きたとはとても思えませんでした。
ビッグバンは、神による創造行為であったとしか思えなかったのです。
すると、この宇宙は神がつくったということになってしまいます。
しかしこの宇宙はどう見ても、パースペクティブと差延の問題をかかえた
不完全な宇宙なのです。現実には存在しない、偽りの宇宙なのです。
ここで、神の行為としか思えないビッグバンと、それによってつくられたとはとても思えない、不完全な偽りの宇宙とを結びつけなくてはならないという
大きな問題を抱え込むことになったのです。
その問題を解決するための切り札が、「今の宇宙」という発想でした。
ビッグバンと偽りの宇宙のあいだに「今の宇宙」を介在させることで
この難問は解決できると考えたのです。
その結果がEPRパラドックスによって説明される実在宇宙です。
実在宇宙であれば、ビッグバンによって神が創造したと考えることができます。
実在宇宙にはパースペクティブや差延の問題はありません。
実在宇宙は、あなたがわたしであり、わたしがあなたでもあるという世界なのです。
それは、「ワシが」というエゴのない世界です。
すべての存在者が、他のすべての存在者を包みこんでいるような世界なのです。
ですからわたくしは、実在宇宙は、完全とはいえないにしても、
神によって創造された宇宙であると考えてもさしつかえないのではないかと
思うようになったのであります。
以上が、実在宇宙にいたるまでの大雑把な流れです。
ビッグバンはとても大きな出来事です。
神の第一念といってもよいような大きな出来事です。
ビッグバンは、なぜ、生じたのか。
生長の家ではどのように語られているのでありましょうか。
239
:
初心者
:2012/07/15(日) 18:05:04 ID:TfQ0e6RA
役行者様
むかし書いた文面を見てますと、かつてのやりとりがなつかしく思いだされます。
雅春先生の教えにもとづいて持論を展開しようとしていたころの話ですね。
つい最近、ある本が手元にもどってまいりまして、出版は昭和60年ということです
が、どうやら「宇宙プログラム」を主題として書かれた本であるようです。
著者は、もともとは道元の悟りを自分のものにしたいと考えていたようですが、
どうにも手に負える代物ではないので、コンピュータープログラムとの類似性から
宇宙プログラムの存在を推定し、そのプラグラムを知ることこそが悟りである、
というところに最後は落ち着かれたようです。
肝心の宇宙にプログラムミスがあったとすれば、それを知ったところで悟りとは
いえなくなる可能性がありますが、世間のみなさま方も、いろんなことを考えて
悟りをわがものになさろうとしておられるのですね。
ところで「絶対観念」の用語ですが、これは非自己とかかわりのなかで獲得する
観念を相対観念とすれば、まったくのかかわりなしに、絶対的なものとしてはじめ
から備わっているとされる、とくに自己を自己として認識するさいに必要とされ
る観念のことですね。
自分とは他者である。これがラカンの公式です。オオカミに育てられた人間は
オオカミという他者になります。シャーマンに育てられた子供はシャーマンと
いう他者なる可能性があります。ニューヨークで生まれ育てば、ニューヨーカー
という他者になるのかもしれません。
人は他者となることで自分となる。これは真実だろうと考えます。非自己という
他者とのかかわりを持たない神にとっての自己とは何なのでしょう。神はどうやれ
ば自己となることができるのでしょう。神がたとえ自己を自己と知り、その姿を
お知りになりたいとおもわれたとしても、その自己は、人間がそうだとおもって
いる自己とは大きく異なったものであるにちがいありません。
神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために宇宙を創造されたとする考えを、
「絶対観念」を持ち出さずに説明するのは、たしかに困難であったと考えます。
それにいたしましても、1年前のわたくしはずいぶんと純情でありましたね。
240
:
さくら
:2012/07/16(月) 22:59:24 ID:EwqdvcHg
初心者さま。
ご丁寧なお返事頂いてたのですね…
しばらく出かけてたりパタパタして、読めずにすみません、、
夢も希望もある花の盛り?の女子青年じゃなくとも、宇宙を無機的なシステムで語るだけでは、つまらなくなりませんか?笑
真理は決して女子の夢に都合のよいものばかりではないとわかってますが、
歴代の聖人が大悟したのは、なにも、聖典や瞑想や苦行だけではなかったとおもいましたが、
いかがなのでしょうね…。
今日は、ほんとうに精魂つくしてしまって、
したのように、あらぬことを書いてもいけませんので、
今日は、これで失礼いたします。
ではまた。
241
:
SAKURA
:2012/07/16(月) 23:55:48 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
>>233
投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
偶発的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
242
:
初心者
:2012/07/17(火) 10:53:25 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
生長の家の神想観ですが、どう思います?神想観がエーテル体と関係している
のは、ほぼあきらかですね。エーテル体は、学習能力があり、持続力もあるといわ
れてますよね。人が、行と称して特定のイメージを念じ続けていると、エーテル体
は、それに見合ったイメージをこしらてその人に見せることができるようになります。
しかもエーテル体は、シュタイナーのいう太陽紀に誕生したという、非常に古い霊
的器官ですから、相当な進化を遂げているのは間違いありません。完成された高度
なイメージを、それを見たいとおもっている人に提供することなど、エーテル体に
してみれば造作もないことといえるでしょうね。
神想観の行によって学習訓練を受けたエーテル体は、霊的世界や、あるいはそれ
をさえも超えているおもえる「超感覚的世界のイメージ」を提供できるようになり
ます。このことはほぼ間違いないと考えます。
神想観をやっていないものに何がわかるか、との反論は成り立ちます。しかし世の
中には、やっているからこそわからない、やっていないからこそわかる、という現象
が意外に多く見受けられます。
たとえば株式相場で、よくあんな銘柄を持ち続けていられるものだというような
銘柄を持ち続けている人がいます。相場の心理としては、自分が選んだ銘柄は、
自分が選んだがゆえに価値あるものだと思いたがる、という傾向が働きやすい
のですね。そのために、客観的に見てそれは「持つべきでない銘柄」であるにも
かかわらず、それを保有する本人にしてみれば、自分が選んだがゆえに価値ある
銘柄として、保有するに値する銘柄になってしまいがちなのですね。
株式相場のみならず、人には、自分がやっていることには価値を見いだしたがると
いう傾向があります。こうした傾向ゆえに、かえってそれをやっている人にかぎっ
て真実から遠ざかるということが起きてきます。将棋や囲碁にも似たようなところ
がありそうですね。
神想観をやっているがゆえに神想観がよくわかる、ということがはたしていえるの
でしょうか。自分の行為や選択に価値を置きたがるがゆえに、かえって真実から
遠ざるということはないのでしょうか。むしろ客観的に評価している側に真実が
あるという現象が起きてきても不思議ではないという気がいたします。
神想観は、シュタイナーのいうイマギナツィオンに近いものであると考えられます。
イマギナツィオンによって得られたイメージはけっして真実を語るものではないの
でそれを捨てよ、とシュタイナーはいっているはずです。
訓練されたエーテル体は、確信をともなった超越的な体験を提供してはくれるで
しょうし、それが実際の奇跡的体験や実感をともなった真理観にむすびつくことは
あるにしても、だからといって、そうした体験がいかなる真実性をも保証するもの
ではないということは知っておくべきことと考えます。
243
:
初心者
:2012/07/17(火) 11:36:03 ID:TfQ0e6RA
真理は理屈ではない。わかりきったことです。こちらで述べておりますことは、
わたしのなかにある広大な真理の領域のなかで、理屈で語れるところだけを
書いております。この広大な領域のすべてを語ることなど、とうていできるもの
ではありません。
理屈で語れる部分での真理。いかにして真理を理屈で語るか。こうしたニュアンス
で、みなさま方が信じておられる真理を語っていただきたいものであります。自分
は語らずして、語る相手を心のなかで批判することなど、誰にでもできることであります。
244
:
さくら
:2012/07/17(火) 11:54:05 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
おはようございます。
ところで、初心者さま、
ここには、ただしい生長の家を知る大先輩がたくさんおられるのですから、
生長の家の真理については、わたしでないものに聞いた方が、絶対によいですよね?
・・あいかわらず、言いたいことのために、さくらの名を利用するのですね?笑。
なにかを「真の生長の家」ときめるのも、なにかを「邪説」と決めるのかも、わたしには興味がないですよ。
いくら理屈で正しいことが証明されても、それが、ひとのすくいにつながるか、といえば、
そうではないですからね・・。
わたしも、初心者さまが仰るように、厳然たる真理の探究と、信仰の生活は、別なのだと、
さらに確認するような気持ちになっています。
神想観についてたずねられたので、個人の感想は述べます。
幾多の瞑想法が世の中にはある中で、
わたしは、どのよう部類の瞑想がどの程度あるのか、全体把握しておりませんが、
その中で、雅春先生が生長の家に残してくださった神想観は、
万人が安全に出来る、すぐれた瞑想法だと、かんじております。
これは、生長の家ひいきでいうわけではないと思っておりますよ。
祈りに始まり祈りに終わる大安心の心境は、これは・・個人の信仰の領域ですね、。
正しさや理屈を証明せよ、と言われても、わたしは困りますが、祈りの科学というものも、あるでしょうね。
脳に働きかけたり、人の念が外界に影響を与える構造があるのかも知れませんね。
エーテル体の働きにも影響があるのでしょう。
実感とすると、祈りによって、まるで自分の前に光の道が出来ているように、スムーズに事が運び、導かれることを体験すると、ただ、生かされている、ということをほんとうにかんじます。
わたしには、神想観は別にエーテル体が見せるイメージ映像がどうこうの問題ではないですね。
わたしのなかでは、祈りがあるのとないのとでは、・・そうですね、
二次元と、三次元を生きるくらいのちがいがあるのではないかな、と感じることがあります。
時間内ので、取り急ぎの返信で、すみません、。
245
:
初心者
:2012/07/17(火) 11:54:19 ID:TfQ0e6RA
以前の生長の家には、わたしなどではとうてい理解がおよばぬ高度な理屈を
展開される方々が数多くおられました。いまや、わたしのごとき小理屈をこね
まわすしか能のない輩は、孤影悄然としたありさまで、だだっ広き荒野に立ち
つくすばかりであります。かつての生長の家はどこへ行ってしまったのでしょう。
物言わぬ冷笑者の集団に成り果ててしまったのでしょうか。
246
:
さくら
:2012/07/17(火) 11:55:48 ID:vxm3Yqkc
あ、243読まずに書きました。
・・時間ないんで、ごめんなさい、
真理の半分は、バファリンにみたいに、愛で出来てると、いいな〜、笑。
247
:
初心者
:2012/07/17(火) 12:05:41 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどう
やって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。こうしたこと
を追究することも真理の追究のひとつと考えます。たしかに、救済や信仰とは別
次元の話です。混同は避けなければなりませんね。
それにしても、実相世界の存在はどのようにして確認されたのでしょう。それは
映像によってではなかったのでしょうか。もしも映像であったとすれば、それが
つくり出される仕組みを知る必要があります。
248
:
さくら
:2012/07/17(火) 12:14:18 ID:kySfCW0U
さくらちゃん、は、枕詞か…笑、
249
:
初心者
:2012/07/17(火) 13:49:08 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>さくらちゃん、は、枕詞か…笑、
そうかもね、枕詞になってるかもね。
じつはあたしも、個人的にいろいろと情報をあつめていて、聞くところにると、
自分は何も書かずして、「初心者はたいしたことを言っていない」と批判する
連中がいることを知ったのだよ。だからさ、批判するなら書いてからにしろ、って
あたしは言いたの。書いてくれたら、こっちにだって反論の機会があるわけだけど、
書かずに批判されても、反論のしようがない。どこが「初心者はたいしたことない
のか」、それを具体的に語ってもらえれば、弁解のしようがあるけど、語られなけれ
ば何もいえない。語らずして、陰で批判するというのは、とっても卑怯だよね。
あたしを批判するなら、出てきて堂々と批判しろといいたいのよね。その批判に
理があれば、もちろん受け入れるしかないでしょう。
そんなこんなでむしゃくしゃしてるから、さくらちゃんを枕詞にしてしまったのかも
しれない。この掲示板で、まともに自分の言葉で自分の考えを伝えているのは、
さくらちゃんだけだよね。あとは、自分の言葉ではなにも語れなくて、どこかから
借りてきた言葉で語ることしかできない連中ばかり。でもさ、うのちゃんとか
今の住人さんは自分の言葉で語ってるって気がする。引用しか能のない人もいる。
250
:
初心者
:2012/07/17(火) 13:58:48 ID:TfQ0e6RA
この掲示板では、引用しか能のない人が、自分の言葉で語る人よりも高く
評価される。「真の生長の家」だといわれる。引用の得意な人が「真の生長の家」
で、自分の言葉で語る人はそうではないらしい。
251
:
偽者のさくらです(笑)Kジロウかも…
:2012/07/17(火) 16:02:40 ID:VJun9unU
>>247
初心者様
>神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどう
やって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。<
神想観のやり方は、目を閉じて行います
人間の五官からの情報は80%は視覚です!
この状態にある時、通常の脳の情報処理能力は、余裕のある状態と言えます
1つの使い道は、他の四官が鋭くなる!
→Kジロウも日常で、小さなビスを止める時は、目を瞑って、手先に神経を集中した方がうまくいきます!
(視覚障害者の方が音を聞き分ける感覚が鋭くなるのも同様だと思います)
2つ目は、映像を観る機能のところに、夢(幻影)を思い浮かべる事もあると思います!
こういった考え方を
雅宣総裁が言われてる脳で神を感じる原理だと推測します!
では、ここで
Kジロウが
神の声が聞こえた時の体験談を語ります!
競馬場でパドックで馬をみていた時です!
『この馬いいな〜』と思って、0・1秒後に
当時既に他界されていた
競馬の神様こと、大川慶次郎の声でハッキリ
『バカに良く見えますね』
こう聞こえました!
勿論、馬券はあたりましたo(^-^)o
この場合は
現在意識が先で、
潜在意識が後でした
だから、どっち道、馬券は買ってますけど…
何かを極めていこうという姿勢が、神をみたり、聞いたりする事もあるのだと思います!
以上、ハンネの由来も含めたKジロウの考えです
大川慶次郎 - Wikipedia
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A4%25A7%25E5%25B7%259D%25E6%2585%25B6%25E6%25AC%25A1%25E9%2583%258E&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E6%85%B6%E6%AC%A1%E9%83%8E&guid=on
252
:
SAKURA
:2012/07/17(火) 16:05:15 ID:M1PpZ6LU
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
>>233
投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
偶発的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
PS:トキ様 へ
長南年恵さんは(憑依現象)なのです〜〜ネ!
彼女の奇現象は、日本でも中世に起きた“魔女狩り”を、連想しました…。
当時の時代背景で「霊界通信」が、さかんな時代に、一般の人は「怪奇現象」としてですが、
当時は、捉えていましたのでしょうか???
これを「魔女…」として、扱われた時代は、西欧では有名ですが〜〜〜?
日本での「魔女狩り」は、長南さんが「裁判…」に、かけられまして、しかも!面前で実証されて、
無罪なのですが〜〜〜><このような方達の、前例を見ましても、
「雅春先生の自動書記」も、【霊界通信…】です〜〜〜ョネ!!
この様に、長南さんと同様?何か【霊界からのメッセ−ジ=使命】があり、
一つの“連絡パイプ”だったのでしょう〜〜〜か??彼女は“43歳”で亡くなりましたが、
その間、多くの人々を、救済された様ですが、そして、死亡原因は?ある所では「結核??」と…
しかしながら、最終的には「死亡原因」も、不明だそうですが……?もしかしますと、
これも当時の時代背景に於けます【日本のイジメ!…魔女狩り?】の始まりでしょうか…?
此の「長南年恵さん」の事に関しまして、どの様な印象を受けられましたでしょうか??
再合掌
253
:
初心者
:2012/07/17(火) 18:22:40 ID:TfQ0e6RA
Kジロウ様
神想観では姿勢が問題になりますね。呼吸も関係があるといいますから、
神想観と身体性はつながっています。しかも、呼吸法にはリズムが関係して
いるようにおもえます。エーテル体はリズムを好みます。
エーテル体は脳にたいする支配力を持つとも考えられますので、脳に働きかけて
なんらかのイメージを見せるのは可能かと存じます。たしかなことはいえません
が、神想観とエーテル体にはつながりがあるという気がしてなりません。
254
:
初心者
:2012/07/17(火) 19:38:35 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>ここには、ただしい生長の家を知る大先輩がたくさんおられるのですから、
生長の家の真理については、わたしでないものに聞いた方が、絶対によいですよね?
・・あいかわらず、言いたいことのために、さくらの名を利用するのですね?笑。
「ただしい生長の家」があるのですか?あるとすれば、それはいつの時代ですか?
あたしの知るかぎり、そんなものはどこにもありゃしませんよ。前にも書きました
けど、某教区の教化部にて、世界中がここの教化部のようになれば世界は救われ
るのかと考えたときに、それはさらなる地獄でしかないと確信しましたよ。「成れる
果を見よ」といいますが、成れる果を見るかぎり、生長の家は失敗であったとしか
おもえないんですけどね。
イメージの世界では、いまだに生長の家の教えは世界最高の教えなんでしょうけ
ど、現実を見るかぎり、それはどうなんでしょう。失敗の原因を総裁先生ひとりに
押しつけて、自分たちはイメージの世界にひきこもって、生長の家はなおも世界
最高の宗教だとおもい続けたいってところでしょう。
人類光明化や日本国実相顕現が失敗であったのはもちろんのこと、それが何で
あるかを言語化することさえできていない。けっきょくのところは、かけ声ばかり
で、何をやってよいのかさえわからなかったってこと。さしあたってできるのは
『生命の實相』を護るって運動だから、それを声高に叫ぶことで、価値ある状況に
身を置いてるってことを実感したいだけのこと。もしも「ただしい生長の家」が
あったとすれば、こんなことにはなってないとおもうんですけどね。
こんなこと、いつまで言いつづけたところで、しょうもないことですね。でもね、
言わなきゃわからない人たちばかりだから、言いつづけるしかない。自分で考えて
わかれよ、って言いたいですけどね。
もっと有意義な話、したいですね。信仰とは何か、そういう世界の話をしましょう
ね。それとも、「ただしい信仰」の話がよいですか?こういうことを問題にしだす
と、たいていは失敗につながりますけどね。
255
:
さくら
:2012/07/17(火) 20:01:02 ID:kySfCW0U
初心者さま
申し訳ないですが、さくらの名を利用されるのは、ほどほどになさってくださいますか?
万が一、ほんとうにさくらに話かけたいときだけ、さくらに話しかけてください。
そんなことが、あったらですが。
さくらは、少し悲しくなりました。
初心者さまとは、おはなししたいことが、ありますが…
「青二才」でも、、やはり、傷つくこともあるのです。
256
:
Kジロウ
:2012/07/17(火) 20:15:44 ID:VJun9unU
>>253
初心者様
自分の体験談は、目は開いていたし、精神状態はニュートラルだったので、
神想観は、直接関係ないと思います!
呼吸につきましては、日常でテンパった時にシンプルに深呼吸はします!
そうすると落着きを取り戻せますね!
>エーテル体はリズムを好みます。
エーテル体は脳にたいする支配力を持つとも考えられますので、脳に働きかけて
なんらかのイメージを見せるのは可能かと存じます。<
以前、金沢の兼六園にあるヤマトタケルの銅像に、鉛、ひ素が丁度良い分量で混じった為に鳥が嫌う周波数を出していて、鳥が寄付かないという事を書いた事がありますが、
鳥にしたら、ヤマトタケル像が魔物に見えているかも、しれませんね
心霊スポットや人里離れた山奥とかに入ると、薄気味が悪く感じる事があるのも
リズムとか周波数とかいったモノが、関係している可能性は高いと思います!
257
:
トキ
:2012/07/17(火) 20:51:37 ID:j/ZVl8aw
>>252
私はそれほど霊格は高くないですが、知り合いの地方講師に結構、インスピレーションがある人がいます。
その人の話では、霊の話は人格的ですが、啓示みたいなのが降りる時には、一瞬、電気が走るみたいな
状態みたいです。その人自身、自分は谷口雅春先生の足元にも及ばないと言っていますが、同時に、神様
からの啓示は、たぶん、霊の交信とは別のものではないか、と話していました。
あと、エドガー ケーシーもそうですが、人助けとは言え、無理に霊的な能力を使うと、寿命を短く
してしまうみたいです。この点は気をつけるべき点だと思います。
258
:
初心者
:2012/07/17(火) 20:59:38 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>申し訳ないですが、さくらの名を利用されるのは、ほどほどになさってくださいますか?
万が一、ほんとうにさくらに話かけたいときだけ、さくらに話しかけてください。
そんなことが、あったらですが。
さくらちゃんへ、ってどうしても書きたくなるの。ごめんね。さくらちゃんとお話
できれば、それだけでいいのよ。しっぽりしましょ。余計なことは書かないように
します。だから許して。
259
:
神の子さん
:2012/07/17(火) 22:03:27 ID:???
えらそーーな御託述べている初心者さんへ
あんたストーカーか? ひとの嫌がる行為をして偉そうな御託のべるなよ。
260
:
初心者
:2012/07/17(火) 22:13:38 ID:TfQ0e6RA
神の子様
>えらそーーな御託述べている初心者さんへ
あんたストーカーか? ひとの嫌がる行為をして偉そうな御託のべるなよ。
偉そうな御託にたいする有効なる反論を期待いたします。
いくらなんでも、たったこれだけのことを言うために出てこられたわけでは
ありませんよね。生長の家の名に恥じぬ大論陣を張っていただきますことを
期待いたしております。
261
:
さくら
:2012/07/17(火) 22:24:32 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
失礼なことをいいまして、申し訳ありませんでした。
…正直、わたしは初心者さまが生長の家の現状にイライラされる気持ちが分からないわけではありません。
今まで、初心者さまが、生長の家に起こっている現状に誰よりも、ふかい見地からメスを入れ、指摘されてこられたことを読んできて、生長の家に対して、根本的改善を成して欲しいと思ってらっしゃる真意を感じてきました。
(正直、わたしは、自分の中に抱えていた違和感も、整理できたことが、たくさんあります。)
それなのに、結局は、なにも変わろうともしない、なんにも響いてもこない……そのことに対する、やりきれない気持ちも、おありかとおもいます。
(…わたしも、期待はすまい、と思っても、生長の家には、失望感を拭いきれないことをかんじたりしますので…。)
個人的感慨ですが、
…やはり、自分ではなく、環境や相手を、「変えよう」とするのは、政治のような大きなことでも、ちいさな個人の問題であっても、結局、自分もまた、そのドロの沼に足を入れることなのだな、とつくづく感じてます。
たとえ、それが自分の考える、どんな、善であっても、正義であっても。
…わたしは生長の家がこれから、信仰とはなにか、信仰運動とはなにか、なにができるかを、もっと考えてほしいな、とは思っています。
一部の考えをみると、生長の家の復活も、間違えを繰り返すのではないか、とかんじます。
そのことについては、なぜか、なんにも、見えてきませんし。
でも、まずは、自分が実践だとおもってます。
初心者さまの独自の真理の探求も、すべて理解はできないまでも…興味をそそられる内容があり、お聞きしたいこともあります。
また、機会があれば、よろしくお願いします。
262
:
さくら
:2012/07/17(火) 22:26:48 ID:vxm3Yqkc
…え、?初心者さまが、ストーカー呼ばわり?
…初心者さま、ごめんなさい、、笑。
あ、笑ってませんよ、
笑、
263
:
神の子さん
:2012/07/17(火) 22:36:05 ID:4zxhCVMo
嫌味たらしく、コソコソ、こんな事を書いてる人には言われたくアリマセンよね。
250:初心者
12/07/17(火) 13:58:48 ID:TfQ0e6RA
この掲示板では、引用しか能のない人が、自分の言葉で語る人よりも高く
評価される。「真の生長の家」だといわれる。引用の得意な人が「真の生長の家」
で、自分の言葉で語る人はそうではないらしい。
264
:
神の子さん
:2012/07/17(火) 22:52:20 ID:t7uNALzY
偉そうな御託を垂れる君に1つだけ言ってあげます。
本物の宇宙を雅春先生が説かれてない云々、
、それは雅春先生の時代には分かっていない科学的理論ですよね?
そもそも、君の理屈っていつも後だしジャンケンしかやってないですw
フェアじゃないし、君の投稿って一般人の人が読んでもさっぱりワカリマセンw
そんな人の土俵に誰が上がれるのですかw
君は誰も上がる気を無くさせた土俵の上で御託を述べてるだけなんですよww
王様の耳はロバの耳〜w
265
:
初心者
:2012/07/17(火) 23:18:43 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>…正直、わたしは初心者さまが生長の家の現状にイライラされる気持ちが分からないわけではありません。
今まで、初心者さまが、生長の家に起こっている現状に誰よりも、ふかい見地からメスを入れ、指摘されてこられたことを読んできて、生長の家に対して、根本的改善を成して欲しいと思ってらっしゃる真意を感じてきました。
(正直、わたしは、自分の中に抱えていた違和感も、整理できたことが、たくさんあります。)
現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげる
よりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さ
な器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収ま
りきるような話ではないでしょうね。
>それなのに、結局は、なにも変わろうともしない、なんにも響いてもこない……そのことに対する、やりきれない気持ちも、おありかとおもいます。
(…わたしも、期待はすまい、と思っても、生長の家には、失望感を拭いきれないことをかんじたりしますので…。)
器が小さいから変われないのでしょう。小さな器でしかないのに、大きな器だと
思い込んでいるがゆえに、それに収まろうとしない相手に問題があるとしか
おもえず、自分を変える必要はないと思い込んでしまうのですね。対立を呑み込む
に足る大きな器を用意するよりほかに問題解決の道はないはずなんですけど。
>個人的感慨ですが、
…やはり、自分ではなく、環境や相手を、「変えよう」とするのは、政治のような大きなことでも、ちいさな個人の問題であっても、結局、自分もまた、そのドロの沼に足を入れることなのだな、とつくづく感じてます。
たとえ、それが自分の考える、どんな、善であっても、正義であっても。
ドロをかぶれるような人物がいますでしょうかね。ドロになりきっている人なら
大勢いるにちがいありませんが、ドロに足を突っ込み前進していけるような人材
が、はたして今の生長の家に残っているのでしょうか。
いまさら生長の家のためにドロをかぶろうという気にはとてもなれるものでは
ありませんが(なったところで何もできませんけど)、個人的なことをいえば、ドロを
かぶる覚悟に欠けていることを痛感いたしております。
266
:
初心者
:2012/07/17(火) 23:32:11 ID:TfQ0e6RA
神の子様
>嫌味たらしく、コソコソ、こんな事を書いてる人には言われたくアリマセンよね。
はっきりと申し上げましょう。
アラン・ワッツは、宗教は「救われた人」を「呪われた人」に分類すると言っていま
すね。この意味がおわかりでしょうか。宗教が必要とするのは、「救われた人」で
はなく「救いを欲する人々」であるということです。
文字はパルマコンですね。依存者をつくりだすパルマコンです。救いを欲する
人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字という
パルマコンを供給しつづけます。救いを欲する人々がパルマコンの供給を受け
つづけるかぎり、自己の内部に救いの源泉を見いだすことはできないものと
考えます。
それと本物の宇宙の存在は、たとえばアンドロメダ星雲が230万光年のかなたに
あるらしいとわかった時点で想像は可能です。それを想像するのに、現代物理学の
助けを借りる必要はありません。本物の宇宙は、たとえ100年以前であろうとも
想定すべき存在でありました。
あとだしジャンケンとはどういう意味なのでしょう。あの時代、天文学の知識が
なかったということなのでしょうか。
それに、「1つだけ」といわず、いくらでもどうぞ。
267
:
SAKURA
:2012/07/17(火) 23:33:18 ID:tB36Kte6
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
偶発
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
>>233
投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
PS:トキ様 へ
長南年恵さんは(憑依現象)なのです〜〜ネ!
彼女の奇現象は、日本でも中世に起きた“魔女狩り”を、連想しました…。
当時の時代背景で「霊界通信」が、さかんな時代に、一般の人は「怪奇現象」としてですが、
当時は、捉えていましたのでしょうか???
これを「魔女…」として、扱われた時代は、西欧では有名ですが〜〜〜?
日本での「魔女狩り」は、長南さんが「裁判…」に、かけられまして、しかも!面前で実証されて、
無罪なのですが〜〜〜><このような方達の、前例を見ましても、
「雅春先生の自動書記」も、【霊界通信…】です〜〜〜ョネ!!
この様に、長南さんと同様?何か【霊界からのメッセ−ジ=使命】があり、
一つの“連絡パイプ”だったのでしょう〜〜〜か??彼女は“43歳”で亡くなりましたが、
その間、多くの人々を、救済された様ですが、そして、死亡原因は?ある所では「結核??」と…
しかしながら、最終的には「死亡原因」も、不明だそうですが……?もしかしますと、
これも当時の時代背景に於けます【日本のイジメ!…魔女狩り?】の始まりでしょうか…?
此の「長南年恵さん」の事に関しまして、どの様な印象を受けられましたでしょうか??
再合掌
268
:
初心者
:2012/07/17(火) 23:42:18 ID:TfQ0e6RA
神の子様
それとあとひとつ。あなたは正しいことを言っておられます。たとえ雅春先生で
あろうとも科学的知識の欠如には勝てないということを、あなたは認めておられ
ます。これは正しい認識です。
269
:
神の子さん
:2012/07/17(火) 23:44:58 ID:BQRq2aXg
君はそうやって人を平気で裁いているけど、それにどんな意味があるのですか?
(ソモソモ、君の投稿はさっぱりワカリマセンがw)
雅春先生の時代に本物の宇宙という発想、それそのものが想定出来たという確定出来るのですか?
まず、君がしなければならないのは、そのソースを出す事ではアリマセンか?
後世から過去を裁くのは簡単です。
しかし過去を裁くには過去の常識の上でしかデキマセン、やってはイケマセン。
また生長の家を君は勝手に真理を追求する集団と定義していますが、
その定義を勝手に決めて、その上で生長の家を語っています。
そんな事を平然と出来る君はナンデスカ?
270
:
神の子さん
:2012/07/18(水) 00:36:14 ID:9RN.ET9U
雅春先生が科学的知見には勝てなかったとありますが、
それとは逆から雅春先生は真理を説かれておられました。
それなので、科学的知見に拘る必要性はアリマセン。
またもし科学的知見を予見されていたとしても君みたいに人にはワカラナイ内容で
真理を話したとして、どれだけの人を光明化出来るのですか?
人類光明化運動が唯神実相哲学を説かれた雅春先生の願いであり、生長の家の定義でアリマス。
本物の宇宙など人類光明化運動に君の主張は本末転倒で必要アリマセンw
271
:
Kジロウ
:2012/07/18(水) 00:59:22 ID:VJun9unU
>>269
神の子さん
横から失礼
>本物の宇宙という発想、<
の前に
1881年マイケルソン・モーリーの実験で光(電磁波)はエーテルを媒体とする理論を否定この事で
1907年にノーベル賞を授賞
しかし、雅春先生は
生命の実相(確か39巻)で
百三氏との手紙のやり取りの中で
光の媒体のエーテルの様なモノと記述があります
これは、当時の物理学の中で十分にわかる事であります!
雅春先生はアリストテレスの知識しかなかったと思われます
272
:
初心者
:2012/07/18(水) 07:35:33 ID:TfQ0e6RA
神の子様
>雅春先生の時代に本物の宇宙という発想、それそのものが想定出来たという確定出来るのですか?
まず、君がしなければならないのは、そのソースを出す事ではアリマセンか?
あなたは面白い人ですね。ふつう問題にされるのは、雅春先生の霊的直観力と
いうことになりますね。なぜ霊的直観力にすぐれた雅春先生が本物の宇宙の
存在に気づかれなかったのかということが問題になるはずです。あなたは、その
時代の科学レベルで雅春先生がそれを知り得たかどうかを問題にしておられます。
しかもソースまで出せと。面白い人です。
ニュートンが、その力学を構築するにあたって前提にしたのが絶対空間、絶対時間
と呼ばれるものですね。ニュートン自身、自分の力学が絶対空間や絶対時間の
なかでしか成り立たないことにおそらく気づいていたはずです。
ニュートンの発見とされるニュートンリングを高校の物理で習いました。ニュートン
は光の性質についてどこまで知っていたのでしょうね。少なくとも、情報伝達に
光が介在するということは知っていたでありましょうから、この世界に絶対空間や
絶対時間が存在しないことは百も承知していたことでありましょうね。
存在しないはずの絶対空間や絶対時間を前提に構築されたニュートン力学は、
根本的な欠陥をかかえていたということです。しかしここで本物の宇宙につい
て考えてみますと、本物の宇宙には絶対空間や絶対時間が存在するともいえ
るのですね。ニュートンが想定した絶対空間や絶対時間とは、見えている宇宙に
ついて想定されたものではなく、今この瞬間に存在する宇宙、実在する宇宙、本物
の宇宙について想定されたものであったということがいえなくもないということです。
ニュートン力学は、本物の宇宙において機能させることを前提に構築された力学
体系であったのかもしれませんね。とかく唯物論に見なされがちなニュートン力学
ですが、見方を変えれば立派な形而上学であるともいえそうです。
ニュートンが絶対空間や絶対時間の用語を用いていたとすれば、ニュートンは本物
の宇宙の存在に少なくとも連想的には気づいていたということがいえなくはない
ですね。なぜなら、絶対空間や絶対時間が存在する可能性があるのは、物理学に
かぎっていえば、今この瞬間に存在すると考えられる本物の宇宙だけのはずですから。
雅春先生も、絶対空間や絶対時間の用語を用いておられましたね。どのような
意味、どのような意図で用いておられたのかは存じておりませんが、こうした
用語を用いておられたということは、本物の宇宙の存在に気つけるチャンスは
あったといってよいのではないですか。絶対空間や絶対時間についていくらか
でも思索すれば、じきに本物の宇宙の発想にたどりつくことはできたと考えられます。
273
:
初心者
:2012/07/18(水) 07:49:57 ID:TfQ0e6RA
神の子様
>後世から過去を裁くのは簡単です。
しかし過去を裁くには過去の常識の上でしかデキマセン、やってはイケマセン。
よいですか、雅春先生は不変の真理を語られたとされているのですよ。その「語り」
がその時代の常識や科学レベルによって左右されたと考えてよいのですか。その
時代の常識にそって考えたことを「不変の真理」といってよいのですか。
不変の真理を語る以上は、時代の常識や科学レベルにしばられてはならないはず
です。常識や科学を超えていなければならないはずです。あなたのように、過去の
時代の常識や科学レベルを問題にすることこそ、やってはならないことなのです。
274
:
初心者
:2012/07/18(水) 08:03:20 ID:TfQ0e6RA
神の子様
>また生長の家を君は勝手に真理を追求する集団と定義していますが、
その定義を勝手に決めて、その上で生長の家を語っています。
そんな事を平然と出来る君はナンデスカ?
あなたはまた正しいことを言われました。生長の家と真理の追究は無関係です。
このことを知っていただくために、逆説的な手法として、生長の家と真理の追求と
を結びつけようとしています。すべては、これまでの生長の家と真理の追求とが
無関係であったことを知っていただくためです。「これは真理だ」とは気安く
言って欲しくはないということです。どうやらあなたは、無関係であることに
気づいておられるようですね。
さまほどは、不変の真理を語るからには、その時代の常識や科学を問題にしては
ならないと書きましたが、あなたの場合は問題になさったほうがよろしいように
感じます。あなたは、ほかの方々にくらべて、よりいっそう真実に近づいておられる
ように見受けられますから。
275
:
志恩
:2012/07/18(水) 08:58:31 ID:.QY5jUA6
>>271
:Kジロウ様
私は、「エーテル」については調べて、次のようにWEB誌友会板の方に書きました。
>>「エーテル」は、存在が否定されていたが、
ローレンツ特殊相対性理論により、「エーテル」の存在については、再び議論されることになり、《エーテルを、捨て去っていいかどうかの結論は、
まだ出ていない。》…(というのが、現代の物理学の現状です)<<
そして、271:Kジロウ様のコメントにあるマイケルソンについてですが、再度、エーテルについて、しらべてみました。
あなたがご指摘のマイケルソン=モーリーの実験結果が出されて、エーテルの存在が、否定されたのは
1881年、ノーベル賞を授与されたのが、1907年。
しかし、この当時だったからかどうか知りませんが、物理学も定まっておらず、、、とあり、この続きがあるのです。
マイケルソン=モーリーの、このエーテル否定説 後
1892年、ローレンツとフィッツジェラルドは「エーテルは実際は存在する。物体はエーテル方向に収縮しているので、観測できなかっただけだ」
という仮設を提案しました。
1900年、アンリ・ポアンカレは、ローレンツの局所時間時間を《素晴らしい発明》だとし、複数の移動する座標系にある時計が互いに時間合わせ
するんい光の信号を交換するという例を挙げ、どの座標系から見ても、光の速度は、同じだと仮定した。1904年の論文出は、光速に近い速度で移動する
物体の慣性質量が、増加するという点についても、詳細に論じている。
1905年、アインシュタインは、それらの概念や数学的手法や、ローレンツの考察を利用し、”elektrodynamik”(電気力学)と題した論文を書き、
これが、後に、特殊相対性理論 とよばれるようになった。
★アインシュタインの成果は、ローレンツの成果にもとづいているため、もともとは「ローレンツーアインシュタイン理論」と呼ばれていた。
【これは、物理学の問題である為、決着は、ついていない。従って、エーテルの実在性は、完全に否定されているわけではない》
そうして、その後、
1932年(昭和7年)、「生命の實相」の初版が、出版されたわけです。
http://www.treeman9621.com/Theoretical_model_of_MM_experiment_was_wrong_Japanese.html
276
:
志恩
:2012/07/18(水) 09:01:18 ID:.QY5jUA6
朝の忙しい時間帯に、大急ぎで書き込みをし、読み直さないまま、投稿しました。
誤字が、多く、すみません。
277
:
志恩
:2012/07/18(水) 11:08:25 ID:.QY5jUA6
>>275
:志恩の文の中の誤字、訂正します。
×時間合わせするんい光の…
○時間合わせをするのに光の…
×1904年の論文出
○1904年の論文で
278
:
うのはな
:2012/07/18(水) 17:54:56 ID:gTn97m6I
『次世代への決断』の著者に聞く 観世音菩薩の教えとは?
昨年三月十一日に発生した東日本大震災につおいて、「この大地震は神の怒りではなく、
観世音菩薩の教えである。その教えを正しく把握するには、われわれの内側からの、本性の声を
聴かなくてはならない」と説かれていますが、その意味を分りやすく説明してください。
谷口 観世音菩薩とは、世の中の響き(音)を観じ、その姿を通して何かを教えてくれるものすべてを指します。
ですから、「観世音菩薩の教え」というのは、どこにでもあるのです。観音経に三十三身に身を変じて衆生を救うと
説かれている通り、ありとあらゆるものが観世音菩薩の役割を果たすのです。
東日本大震災だけではなく、われわれの目の前にあるすべてのものが「観世音菩薩の教え」である。
ただ、それを聴く気持ちに人々がなるかどうかが重要です。
大震災のようなショッキングな出来事が起きると、みんな「なぜ、あれだけ多くの人が死んでしまったのだろう?」などと、深刻に考えます。
そのように何かの出来事を通して深く、真剣に考えるということが、言い換えると、「観世音菩薩の教え」を聴く契機になるのです。
宗教にもいろんな考え方があって、天災についても、それを神罰であるとか、天罰であるという説き方をすることがあります。東日本大震災のときも、
「あれは天罰だ!」と言って物議を醸した政治家もいましたが、それがポピュラーな考え方なのかもしれません。
しかし、生長の家では「神罰を与える神」というのは信じておらず、それは「観世音菩薩の教え」であると考えます。
さらにその観世音菩薩とは自分自身、自分の本性であると説くのです。
われわれは自分の本性と異質のものと対面したときに、一種の“拒絶反応”を起こしますが、生長の家では、それを「観世音菩薩の教え」として聴くのです。
この悲惨で、無情な出来事は間違っている。二度と繰り返してはならない。そのためには、どうすべきか....と考えるのです。
その真剣な反省の中に“仏”としての人間の真性が現れてくる。
言わば“自分が自分を教える”のです。それが「観世音菩薩の教え」です。
生長の家では、そういう人間の本性を観世音菩薩として礼拝します。
谷口雅宣 生長の家総裁 『いのちの環』2012/8 生長の家本部編集
279
:
Kジロウ
:2012/07/18(水) 22:16:08 ID:VJun9unU
>>275
志恩様
「エーテル」について鋭い突っ込みありがとう御座いますm(_ _)m
>>「エーテル」は、存在が否定されていたが、
ローレンツ特殊相対性理論により、「エーテル」の存在については、再び議論されることになり、《エーテルを、捨て去っていいかどうかの結論は、
まだ出ていない。》…(というのが、現代の物理学の現状です)<<
真空の概念は、素粒子はあるというモノでの空間ですから、まだ理論上ですら、全く予測も出来ない暗黒物質も70%以上あるとされてます
その中に光の媒体するモノもある可能性も十分考えられます
さて、本題に戻るならば、
政春先生が光の媒体としてエーテルという言葉を使ったのか?
誤解を避ける為ならば、音を伝達する為の大気(空気)の方が本来良かったのしょう
光明思想の説明だから、敢えて光で説明したのかもしれませんね
280
:
さくら
:2012/07/18(水) 23:49:59 ID:vxm3Yqkc
初心者さま
ふたたび、「統一性がない」と評されるのは、いやなので、
わたしの考えを少し整理して述べます。
まず、雅春先生のお悟りや説かれている「根本的な教え」は、信じております。
が、現状をみると、どうしても生長の家の組織や、信仰のあり方には、根本的変化が求められるとかんじています。
その二つの想いがある、ということです。
ただ、初心者さまの独自の探究で得た真理を、興味深く聞く反面、
あまり一般的とは言えない難解な言葉で、
雅春先生の教えを否定されるようなことには、とまどうことがあり、
さくらの名で、批難されておられたので、あのような書き方をして、
初心者さまが誤解を受けるようなことになってたらすみませんでした。
でもそれも、
>現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげる
よりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さ
な器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収ま
りきるような話ではないでしょうね。
初心者さまには、このような想いがあるからだということも、分かりました。
初心者さまは、生長の家に、「真理の探究」を求めて、失望されておられるのでしょうか・。
わたしは、生長の家に、わたしの素朴な信仰をもとめて、そして、正直、大いに失望を感じました。
純粋な信仰とは、集団組織にはなりえない、この想いはいまも変わりません。
ですから、初心者さまがおっしゃるように、信仰と、真理の探究、救済は、べつの分野としてかんがえることが適切なのではないかというのは、大いにあり、だと思っています。
生長の家のなかでは、雅春先生が説かれた不変に流れる根本真理、時代背景があってこそ発言されたご意志、宗教組織として試行錯誤されてきた活動の歴史、そして、愛を貫いて生きられ慕われた人望など、・・想いが色々あって、ずれが生じるようにも感じています。
281
:
さくら
:2012/07/18(水) 23:50:43 ID:vxm3Yqkc
初心者さまは、たとえば、「言葉は、パルマコンである」という話をされましたね。
言葉の問題にしても、ソシュールの言語学が、それまでロゴスを自明のものとして打ち立てられていた思想や哲学に壊滅的な打撃を受けたかということも考慮されなければならないことは、教えを言葉で伝えていく宗教でも、たいへん重要な指摘だと思いました。
「本流」などを知ったときにも、生長の家の実情に、この問題があると納得しました。
ですから、言葉によって人を明るくしたり希望を与えたり、まさしく人を生かす力を、わたしは信じていますが、言葉=絶対真理とすることが信仰とすることは、危険なことだとわかります。
初心者さまは、そうしたパルマコン的性質として考えたときの言葉によって、たえずアドレナリンを分泌されなければならない、そのようなことは、「真の救済の状態ではない」、とお考えなのですね。
たしかに、信仰の世界とは、自分が都合のいい言葉だけを「真の教え」だとして他を排斥したり、自分の波長や感情が合う気持ちの良いもののみを真理とするような・・言葉は悪いですけど、似非スピリテュアルみたいな発想とは、相容れないものだとわたしはおもっています。
282
:
SAKURA
:2012/07/19(木) 03:26:54 ID:ReHMG6M2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■ 訃報ですが…【コヴィ−博士が、亡くなられました…。今年79歳…】
まだ?ハッキリした詳細な“情報”は、分かりかねますが〜〜〜??
『心 よ り … 御 冥 福 を お 祈 り 申 し 上 げ ま す … 。』
私は【コヴィ−博士】を、知りましたのは、もう10年以上前になりますでしょうか…
『☆の王子様…』が、当時!この書籍を薦めて下さいました事からの、始まりなのです…。
当時の“私の脳細胞回路”は、カチカチ山の〜〜〜「生長の家」が、一番!!
そう!思っていましたので、当時の私は【コヴィ−博士】の捉え方は、正直な話?
“チンプン?間?脳?”でしたが〜〜〜♫それでも、当時の私は“一生懸命”読みまして、
『時間管理的な事…』を、現象的にて、多少の理解はしていたつもりなのですが〜〜〜><
その“書籍本”を、いつしか“本棚の奥の方”にしまい込んで「生命の実相…」ばかり、
目を通しての“私”でした…。
その後、十数年の時間経過が過ぎまして“パソコン”と云う便利な“機器”が〜〜〜!
ある時!「ある教化部長先生のサイトプログ」より〜〜〜此処からが
【デイリ−インスプレ−ション】を、知りまして、そこに“無料メルマガ”が〜〜〜
更に!購読します様になりましてからでしょうか〜〜〜しらン??
【哲学…】と言う“海外版の考え方”から、新たなる“知識”を得るようになりまして、
更に!私なりの“理解”を、し始め出した頃でしょうか〜〜〜???
その後!しばらくしまして、代表者「小川忠洋」さんの所から〜〜〜そうなので〜〜〜す。
■【 コ ビ ィ − 博 士 先 生 の「七 つ の 習 慣 」…】が〜〜〜?
その後、色々な“メルマガ配信”を頂きまして、私は「本棚の奥にあるその書籍」を思い出し、
そこからが、又!新たに【哲 学…真 理】新しい思考として、目覚め始めました私です。!!
それからの私は、もう“柔軟的なモノの考え方”に移行していますが…。
【一昨年・去年と2回程】日本に来日講演に、来て下さいまして、此の時は“参加”できませんでしたが?
配信メルマガにて、その一部…又!昨年度の「東北・関東大地震」の時にも“メッセ−ジ”を、
今年こそは…と?思っていた矢先です…。
私に取りまして、大事な「思考哲学を学ぶ上での師」となる方が、又!お一人この世を去られ…
■今日は【コヴィ−先生の文章】の一部“投稿”させて頂きます…。
■>子供に“翼”を与えるということは、今まで引き継できた悪い脚本を乗り越える力を与える
ことである。それは、私の友人であるテリ−・ワ−ナ−博士のいう【流れを変える人】になる
ことだと思う。今までの悪い脚本をそのまま次の世代に引き継ぐのではなく、
その脚本を変えるのである。そして脚本を通して、さらにお互いの関係が強められるのである。<
「我々は探究をやめてはならない。そして、我々のすべての探究の最後は、初めにいた場所に
戻ることであり、その場所を初めて知ることである」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
今回の『生長の家…分派論争』神の御心に反すると思います。
生長の家…根本理念【大 調 和 の 世 界】心から“祈り”に徹したく思います…。
再合掌
PS:トキ様へ
「コヴィ−博士」の「七つの習慣」御存じでいらっしゃいますでしょうか???
余談ですが…無意識に【知人にこの書籍】を、今日!一生懸命“話”をしていましたのですが?
何となく“不思議な気分”になりました次第です…。
283
:
初心者
:2012/07/19(木) 08:04:26 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>初心者さまは、生長の家に、「真理の探究」を求めて、失望されておられるのでしょうか・。
わたしは、生長の家に、わたしの素朴な信仰をもとめて、そして、正直、大いに失望を感じました。
純粋な信仰とは、集団組織にはなりえない、この想いはいまも変わりません。
ですから、初心者さまがおっしゃるように、信仰と、真理の探究、救済は、べつの分野としてかんがえることが適切なのではないかというのは、大いにあり、だと思っています。
生長の家にたいする特別な思い入れがあったのは事実です。生長の家は、他の
宗教に抜きんでた高度な論理や理論を展開できる唯一無二の集団であると思い
込んでおりました。
じっさいにも、かつての生長の家にはすぐれた人材が多くおられました。そうした
人々との再会を期待して書き込みをつづけてきました。しかしすべては幻想で
あったのでしょう。期待した人々はあらわれず、まるでそうした期待をあざ笑うか
のように、低レベルの言説が横行しています。
真の生長の家。本当の生長の家。なんでしょうか、これは。生長の家の言論は地に
堕ちましたね。信仰の幼児化が着々と進行しています。「実相独在」に見合った、
長期的、具体的なヴィジョンなどどこにもありませんね。その場その場でもっとも
心地よいとされる言葉が選択され、反復され、再利用されつづけるのみ。これが
現状です。
かつてこの国にも、自虐史観が隆盛をきわめていた時代がありました。日本のあま
りにひどすぎる荒廃ぶりを嘆き、その惨状に耐えられない人々が、「日本よ、しっか
りせよ」とムチ打つ姿こそが自虐史観の真実なのだと雅春先生は説いておられま
した。
いまさら「生長の家よ、しっかりせよ」といってみたところで何も変わるものでは
ありません。それほどまでに言語空間の劣化が進んでいます。ムチ打つべきもの
があるとすれば、それは生長の家を最高の真理追究集団と信じて疑うことが
できずにいた自分の愚かさだけなのでしょうね。
すべてはないものねだりの愚痴でしたね。さくらちゃんにたいして、そんなこんな
の愚痴を語ってきた自分の愚かさを恥じ入るばかりです。愚痴を引き受けるべき
は、さくらちゃんではなくわたし自身でありました。
284
:
初心者
:2012/07/19(木) 08:06:44 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>初心者さまは、たとえば、「言葉は、パルマコンである」という話をされましたね。
言葉の問題にしても、ソシュールの言語学が、それまでロゴスを自明のものとして打ち立てられていた思想や哲学に壊滅的な打撃を受けたかということも考慮されなければならないことは、教えを言葉で伝えていく宗教でも、たいへん重要な指摘だと思いました。
雅春先生の思想がロゴスを自明のものとして打ち立てられているのは明らかです
ね。実相と現象、善と悪、霊性と物質性、光と闇というように、2つの対立する項を
立てて、それら2項を優越項と従属項に区分けする手法で雅春先生の思想は組み
立てられているはずです。
2項対立をもちいる手法が正当なものであることを保証するのがロゴスです。
これにたいしてソシュールは、2項対立が本来的にあり得ないことを示しました。
実相と現象ということでいえば、実相は現象との差異によってしか語ることが
できず、現象もまた実相との差異によってしか語ることができない、というように。
ソシュールの主張が示すのは、少なくとも言葉のうえでは、実相は「現象ではない
もの」という意味しか持たず、現象は「実相ではないもの」の意味しか持っていない
ということですね。この2つのを縮めていえば、実相は「実相ではないものでは
ないもの」の意味しか持たないということになりますね。
ロゴスは、2項対立をたしかなものとして保証します。2項対立をもちいて説明され
た思想の正当性を保証します。しかしソシュール的には、実相の例で示したように、
2項対立そのものが成り立ちません。成り立たない2項対立をもちいて説明された
思想の正当性を保証するものは何もない、ということになります。
雅春先生の思想がロゴスを自明のものとし、2項対立に依存することで語られて
いるとすれば、ソシュール的には、雅春先生の思想の正当性を保証するものは何も
ないということになります。
たとえばですね、「実相は神様がおつくりになられた完全なる実体である」と説明
したとします。この場合、一見すると、実相を、現象との差異としてではなく、実相を
実相として語っているようにみえますが、「完全」という言葉じたいが「不完全では
ないもの」との意味しか持たず、「実体」にしても、「虚ではないもの」の意味しか
持たないということからもわかるように、実相をどのように説明したとしても、その
説明のなかには現象の影がかならず入り込んでいるということがわかります。
「実相直視だ」といってみたところで、こうした表現のなかにも現象の影が入り
込んでいます。
285
:
初心者
:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA
「お前の言葉は心に響かない」とよく言われる。中身を吟味するでもなく、心に響く
かどうかで言葉の価値を判断しようとする人たちが少なくはないってことだろう。
人類光明化という言葉はたしかに心に響くのだろう。中身は問題ではなく、心に
響きさえすればよいというのであれば、人類光明化はたしかに上等な言葉だ。
心に響く言葉を毎日のように集めて聞いたり見たりしていれば、それだけで救われ
た気にはなるってものだ。だけども、そういう言葉に中身はないのが通例であるの
で、救われた気分は一時のものであり、救いの効果が薄まれば、またぞろ心に響く
言葉を求めて、当たりをつけた文献や引用文等をあさらなくてはならなくなる。
心に響く文字を見て、それで束の間の救いを得て、効果が薄まればまたべつの
文字をさがしにでかける。けっきょくはこれのくり返しなのだ。これでは心の平安が
得られる日は永遠にこない。心に響く文字を求めて、いつまでもさまよいつづける
ことになる。
じつのところ、これこそが宗教の狙いなのだ。医者が病人を必要とするように、
宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいない
ように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。
いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に
響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、
人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。
迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に
依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえら
れた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の
供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマ
コンであることを宗教は熟知しているからだ。
286
:
志恩
:2012/07/19(木) 12:02:28 ID:.QY5jUA6
>>283
:
初心者様は、”生長の家に、『真理の探求』を求めて、失望した。”
さくら様は、”生長の家に、『素朴な信仰』を求めて、大いに失望した。”
と、しっぽりと、語り合っておられますけれど、
お二人は、いわゆる「失望・コンビ」で、おられるのでしょうか?
おまけに、初心者様は、ソシュール説と、雅春先生説を、比べて、相変わらず、ソシュールより、雅春先生を低い位置に置かれている。
尚、おまけに、雅春先生の説かれた教えを信じて、ここまで来ているわれわれ信徒のことまで、未だに バカにしておられる。
朝から、そういうふうに言われて、なんだかなぁと思ってしまいます。
お二人に反して、
私たちは、生長の家の教えには、失望、していません。
私たちが失望しているのは、生長の家の最高の教えを 未だに理解できない初心者様に対してです。
私たちは、どういわれようとも、
生長の家の教えで、大安心のの境地を得て、おかげさまで、心やすらかな心境で生きることが出来てきました。
今も尚、周り人達にも 優しくできますし、輝いて生きています。
真理の探求も、哲学の探求もご自由ですが、
どうして、生長の家の掲示板へいらして、生長の家を卑下されることばかり、言われるのか、理解に苦しむところです。
287
:
志恩
:2012/07/19(木) 12:08:56 ID:.QY5jUA6
さくらちゃんが、失望しているのは、教えに対してではなく、主に組織に
対してだという事は、理解しています。
信仰と真理の探求、救済は、別の分野で考えることが、適切だと、思っておられるのですよね。
288
:
志恩
:2012/07/19(木) 12:22:42 ID:.QY5jUA6
初心者様は、「かっての生長の家には、すぐれた人材がいた。
しかし、今は、居ない。それで、そういう人達との再会をしていて書き込みを続けていたけれど、
それは、幻想だった。そういうすぐれた人材は、現われなかった。」と、おっしゃいますが、
1年間以上も、すぐれた青い鳥が、現われるのを待っていらした。
トキ様という名の 青い鳥は、すぐ近くにおられましたのに、見えなかっただけじゃないの!と思えてしまいますが、、
初心者様は、さくらちゃんだけが、そういうご自分の気持ちを分ってくれる人だから、前から
「さくらちゃん、さくらちゃん、さくらちゃん、さくらちゃん…」と連呼されて、書き込まれておられたのですか。
初心者様は、すぐお近くに そういうことを語り合うことができる すぐれた人材が、いらっしゃらない、というわけで、
その点は、おきのどくに思っております。さくらちゃんと、しっぽり語り合われる事については、決して批判しているのではありません。
もしも、そのように、とられましたら、ちがいますからね。これからも、どうぞ、なさってくださいませ。
289
:
志恩
:2012/07/19(木) 12:25:33 ID:.QY5jUA6
×再会をしていて
○再会を期待して
290
:
初心者
:2012/07/19(木) 13:41:24 ID:TfQ0e6RA
ソシュールの思想をもとに雅春先生の思想を批判することじたいに問題はまったく
ありません。雅春先生の思想が完璧であると信じておられるのなら、批判にたいし
て、それがたとえどのように稚拙な批判に見えようとも、堂々と立ち向かうべきで
あります。
総裁先生の問題にしてもおなじです。総裁先生が雅春先生の教えをどのように
批判しておられるのかは存じませんが、総裁先生の思想に問題があるとお考えで
あれば、堂々と批判なさればよいだけの話ではないですか。それがどうでしょう。
なされていることといえば、総裁先生の人格や行状をあげつらうばかりで、聞くに
堪えるような批判は皆無といった有り様ではないですか。
相手の思想に問題があると考えるのであれば批判すればよいのですよ。批判され
れば、反論すればよいのですよ。批判にたいして反論せずに、批判するなというの
であれば、新興宗教の思想はいつまでたっても鍛えられることはないということ
です。伝統的宗教は、批判に耐えてきたがゆえに伝統になりえたと考えます。
291
:
志恩
:2012/07/19(木) 14:24:20 ID:.QY5jUA6
それでは、初心者様にお尋ねします。
あなたは、「実在宇宙」とよく言われますが、
「宇宙の起源」をどのようの捉えておられるのですか。
ホーキング博士の理論を読みますと、あなたが支持しておられる「ヒモ理論であるM理論が、アインシュタインが発見しようとした統一理論だ」と言ってます。
「物理学が全ての理論、自然の全ての特性を完全に説明できる1つの枠組みを構成するに至っている。」とも言っています。
つまり、スティーブン・ホーキング博士は、「宇宙は神が設計していない、自己創造したのだ」と、言っていますが。そして、地球のような惑星だけでなく、別の
宇宙も存在する可能性もあることも、強調しています。
初心者様のお考えを読みますと、「宇宙は誰が造ったか」にたいしては、神の行為というより、物理学的な偶発的な出来事からできた、それが「実在宇宙」であると言いたいように
聞こえるのですが、違いますか?
292
:
初心者
:2012/07/19(木) 14:40:58 ID:TfQ0e6RA
宇宙は神が設計していないのはたしかでしょう。宇宙は偶発的につくられたもので
す。ではなぜ偶発的につくられたのか。それは、神が神ご自身の姿をご存じでなか
ったからです。ご存じであれば、神はご自身の姿に似せて宇宙をつくることもでき
たでしょうし、そもそも似姿をつくる必要さえなかったといえます。
神は神ご自身の姿をご存じでなかった。それがゆえに、無限ともいえる数の宇宙を
こしらえて、そのなかから神ご自身の姿に似たものを見ようとなさっておられると
いうことです。これは、神をあまりにも擬人化した見方ではありますが、ひとつの
説明として成り立っていると考えます。
神が神ご自身に似せて世界をつくられたとする考え方では、その考え方を現代の
宇宙論に結びつけることはおそらくできないでしょう。宇宙論を全面的に否定する
よりほかに、みずからの正当性を主張することはできないでしょう。
雅春先生の思想で現代の宇宙論を説明できるのでしょうか。雅春先生の思想は、
おそらくは、宇宙論を全面的に否定することでしか成り立たないものと考えます。
もちろん成り立つとお考えであれば、その考え方を示していただければよいと
いうことになります。
293
:
志恩
:2012/07/19(木) 14:51:08 ID:.QY5jUA6
これから自治会のことで、でかけます。
初心者さま、さくらちゃんと話し合われてください。
夏になりましたら、夜、この地区に痴漢が出没するようになりました。
それで、もっと、地区を明るくしなければ、ということになりまして、希望の各班に、手始めに、2つずつという割当で、
外灯を、昔からの電球から、明るいLED蛍光灯(ものすごく明るいのです)に替えて行く運動を実施中です。
それで、どこへつけるか、となりの班のことで、希望を聞いて、立ち会わなければなりません。
そのような雑用ですが、今日は、それで、出かけます。
294
:
志恩
:2012/07/19(木) 14:52:55 ID:.QY5jUA6
すみません。
私も、最近、宇宙の起源に興味があり、いろいろと、読んでいます。
夜、また書かせていただきます。
295
:
SAKURA
:2012/07/19(木) 18:59:58 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26
>>27
>>48
>>117
>>201
>>202
>>233
>>252
投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 異常現象の解釈 ―――――
権限がないので、この辺で打ち切りますが、こういったさまざまな異常現象を私たちはどう解釈
したらよいのか、ということをここで一応考えておきたいとおもいます。
現在、世の中で最も幅をきかすのは、いわゆる詐術説です。「この文明の世の中に、そんなバカな
話があるものか――」といった考えから、全部を否定してしまうのです。
つまり”人を見れば泥棒と思え”式に、最初からてんで相手にしないのです。この詐術説の発生は、
詐欺師だらけの現代の世相からみれば、全く無理もないことです。
ことわざにも、”君子危うき近寄らず””触らぬ神に祟りなし”で、心霊事実の一切を詐術あつかいに
して、敬遠してしまえば、まことに世話はありません。少なくとも、世間に害毒を流している悪質な
祈とう者、売らんかな式の霊術家、低級愚劣な占師、などの魔手から逃れるだけの効果はあります。
詐術説は、たしかに今の世の存在する意義があると、私も認めます。
他方では、またこの詐術説に一層油をそそぐ職業があります。それは手品です。手品師は、いわば
詐術でめしをくっている人たちですから、この為にずいぶん知恵をしぼり、錬磨に錬磨を重ね、
工夫に工夫を加え、しろうとには、とても手品だと見破れない程、立派に仕上げています。ふだん、
これに接している一般の人々が、心霊事実を一つの手品と考えたがるのは、全く無理のないことです。
ことに手品師自身は、一種の自衛心理からか、どんな心霊現象に対しても、まっさきにケチをつけ
たがるようです。アメリカの大手品師フ−ジ二がそうでした。日本の素人手品師阿部某もそうでした。
彼らは、霊媒を自分の親のかたきとでも思っているらしいのです。しかし、全部の人間が泥棒で
ないかもしRないように、全部の心霊現象が皆詐術であるとは限りません。そこで厳密な調査が必要に
なるのです。詐術と真正の心霊現象との何よりの相違点は、前者が常に、用具、場所、人物の配置、
などに関して何らかの条件を必要とするのに対し、後者には、全然それがないことです。
このこと一つだけでも、両者を識別するのに十分なのです。現在では詐術説もよいが、それだけでは、
到底心霊事実を解釈することができない、ということになってしまいました。
詐術の次に有力なのは、いわゆる幻錯覚説です。これは、幽霊などというものは、皆単なる
主観性のもの、いわゆる暗示のうみだしたものに過ぎないとするのです。この説もたしかに、
存在の意義はあります。新聞の三面記事などにある不思議な話の多くも、当人の疑心暗鬼に基づいた、
単なる幻錯覚の産物に過ぎないことでしょう。それらは、できる限りこの説で解決をつけるべきです。
でも、いかに解決しようにも、どうしても解決つかない数多くの心霊事実が後に残ることも、また否定
することもできません。現に長南年恵唯一人に起こった事実に対しても、この幻錯覚説は
ほとんど無力です。だから、幻錯覚説は結構だけどそれだけでは甚だ不充分だということに
なってしまったのです。
<つづく> NO.1
296
:
SAKURA
:2012/07/19(木) 19:02:09 ID:V.pKl3yA
<つづく> NO.2
異常現象の解釈の
>>295
投稿の続きです
そこで、一部の学者によって提出されたのが、いわゆる精神説です。精神説というのは、
心霊現象その他、一切の事実がことごとく人間にそなわる、ある不思議な能力の所産で
あるという説で、つまり極端な自力説です。あの神秘切や、思想伝達切、潜在意識切だのと
いうのも、皆多少異なりますが、要するにこの流れを汲んだもので、結局人間に備わる不思議な
能力の運用だけで、すべてを解釈してしまおうというのです。
この精神説にも、むろん半面の真理はあります。人間には、その肉体の他に、幽体もあり、
霊体もあり、また本体もあるので、内面に向かって、深くこれを掘りさげてゆけばゆく程、
微妙で不思議な働きを発揮し、時には、とても人間とは思われないようなまねもやりかねません。
が、精神説の無理な点は、強いて外界にむかって眼をつぶってしまおうとすることで、極端に
これを押しすすめると、結局、人間と万能の神とは同格になり、宇宙間に存在すべてのものは、
ことごとく人間の精神力の所産だということになってしまうのです。
精神説は、あの人間の努力を無視する他力一点ばりの迷信を打ち破るためには、おあつらえ向きの
対症薬ではありますが、しかし、余りにこれのみにこだわると、かえって弊害が多いのです。
従って、この精神説のみで一切の心霊事実を解釈しようとすると、非常に無理がでてきます。
この点については、後の章で、機会もみて、もっと詳しく説明します。
詐術説、幻錯覚説、精神説―――これらのいずれもが、到底正しく説明出来ない心霊事実
があった時、たった一つの後に残るのが交霊説です。これは、死者の霊魂やその他超現象世界の
独立的存在物との交渉連絡を認める、一種の他力説です。現代人、中でも学者といわれる人々
の多くは、この説の撲滅に全力をあげていますが、心霊事実の厳正な批判の結果、どうしても
この説を肯定しなければならないのです。これについても、わたしはあらゆる機会をとらえて、
重ねて説明しようとおもいます。
要するに、私たち心霊学徒の態度は、あくまでも、公平無私であり、断じて単なる部分的
真理の主張にかたよってはいけません。主義をうちたてることに興味がない訳でもありませんが、
真理をあきらかにしてゆくことは、更に更にたいせつです。私たちは、詐術説で砕けるものは
詐術説で砕きましょう。幻錯覚説で破れるものは幻錯覚説で破ってしまいましょう。
精神説も使えるだけつかいましょう。それでも、どうあっても間に合わない時に、交霊説を
持ち出すのに、何の遠慮がいりましょうか。
自由な立場の厳守、純真な心境の開拓―――これが心霊学院の、まっさきにこころがけて
進むべき道であります。
第四章 偶発性の諸異常現象のなか・・
(悪夢・幽霊および幽霊屋敷・その他の異常現象・異常現象の解釈)を終わりました・・
<つづく>
次は(■第 五章 叩音および物質化現象)に入って行きます
PS:トキ様 へ
更に!人間は「肉体」の他に「幽体」・「霊体」・更に「本体」もありますから…潜在意識を、
深く掘り下げてゆくほど神通力が出るのです〜〜〜ネ!これは人間は「神の子」ということが、
私なりに、分かりました!!もっと潜在意識を、強く奥深く掘り下げていけば・・・
【無限の力】が、出てくのです〜〜ネ!私も前以上に「神想観」で深く潜在意識に到達できる訓練を?
心霊…私達「心霊学徒」は、
【真理を明らかにする上では??】ケース・バイ・ケースという事でしょうか? 但し、
「自由な立場の厳守、純真な心境の開拓――」これが心掛けでしょうか?
この書籍を拝読しますと【霊界世界…】が、身近に関します。
しかし!今回の「詐欺説」「幻錯覚説」「精神説」…この分類の説明面白く受け止めましたが、
この事に関しまして、何か御感想があられますでしょうか??
297
:
トキ
:2012/07/19(木) 21:13:01 ID:4x7KEY.g
>>296
かって、立花隆さんが、臨死体験という分厚い本を書いて、この問題を考察しましたが、
結論としては「わからない」というものでした。それ以上に分かる必要もない、という趣旨
も書いていました。
青年の書の中で、谷口雅春先生が、青年が過度に心霊現象に興味を持つのは
良くない、と御指導をされていますが、私達は、心霊現象があり、それが人間
の及ばない力を持っている、と信じる事が大事で、現象的に追求する事は限界が
あるとは思います。
が、そういう世界がある、と知る事はとても大事ですから、その意味では、
ご投稿は貴重だと思います。このあたりのバランスが難しいですね。
ご投稿に深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
298
:
志恩
:2012/07/19(木) 22:03:15 ID:.QY5jUA6
>>292
:
初心者様は、スティーブン・ホーキンス同様に、宇宙は、偶発的につくられたもの、神が設計していないのはたしかです。と答えられました。
【宇宙は】
❶神が創造した
❷偶発的にうまれた
起源については、この2つの考え方が存在し、勿論、現在も、結果は出ていませんけれど、
私は、生長の家なので、雅春先生が大宇宙に触れられた言葉を先に書きます。
〜❶神が創造した〜
雅春先生は、神が宇宙を創ったとは、わざわざは、おっしゃいませんが、「新天新地の神示」には、生長の家は宇宙を貫く生命であり、法則であり、
絶対の愛であると説いています。つまり、宇宙のはじめから、宇宙には、神の生命・法則・愛が充満しているし、いたのだと、言われているのです。
日本神道の『古事記』の冒頭には「天地のはじめのとき高天原に…」と唱えており、生長の家では、高天原とは、宇宙であると説いていますが、日本の
神道では、(高天原=)宇宙全体に神が充満している。。。と、そして、キリスト教では「宇宙に神は遍在である」。。と教えています。
このように、宗教世界の宇宙に対する見解は、遠回しな言い方で、
宇宙は、神が創造したのであり、その宇宙にも、神が充満しているのだ、と説いています。
「宇宙」とは、「宇(空間)」と「宙(時間)」のこと。
生長の家で説く神は、第一義、第二義、第三義と分かれておりますが、宇宙に遍在する神は、一即多の真理の展開として、その多様性を
宇宙と自然界に現している神です。
物理学的な立場から見るのではなく、唯神的立場から見て、宇宙も生命体、地球も生命体と捉えていて、
宇宙も、全て神・仏の生命の現れであるとする宗教的信念を教示しているのです。神が創造したとする説だからです。
つづく
299
:
志恩
:2012/07/19(木) 23:03:17 ID:.QY5jUA6
❷偶発的にうまれた
言うまでもなく、
宇宙の起源について、最近の科学では、宇宙は「ビッグ バン」説と呼ばれる大爆発によって始まった、そして、それは量子論的に”無”から
宇宙が、偶発的に生まれたのだと言われています。
しかし、偉大な科学者達は、それは果たして、”神による宇宙の創造”という考えを否定するものだろうかと自らに問い、
アインシュタイン博士も、
「私は、神の天地創造の”足跡”を探して行く人間である」と語ったと伝えられています。彼にとっても、宇宙について、また自然界について研究することは、
「神」をより深く知ろうとする心の現れでした。
その他、偉大な科学者のなかには、創造者なる神を信じていた人々が、たくさんいます。ケプラー、コペルニクス、ガリレイ、ファラデー、ケルビン、
マクスウェル、パスツール、リンネ、ファーブル、パスカル、ボイル、フレミング、ドーソン、ウイルヒョウ、コンプトン、ミリカ、プランクなどをはじめ、
科学史上に名だたる人々の多くが、創造者なる神を信じる科学者でした。
彼らは、みな熱心な創造論者であり、創造者なる神の存在を信じていたのです。科学史上に残された彼らの業績は、「神が創造された世界について、もっと
よくしりたい」という探究心からうまれ出たものだと、科学史家は述べています。
なぜでしょう。
宇宙は、きわめて美しく整った物理法則、科学法則のもとに、秩序正しく運行しており、宇宙の理を究めようとする者は、誰でも美しさと荘厳さに、
魅了されるからです。「宇宙は、なぜ、これほどまでに うまくできているのか。宇宙の法則は、数学的美しさを持っている」と、アインシュタインは語りました。
イギリスの数学者で偉大な理論物理学者であるディラックは、『サイエンティフィック・アメリカン』誌の中に、「神は、非常にすぐれた数学者であられ、
宇宙を造る際に、極めて高度な数学を用いた」と書いています。
アメリカの科学者でノーベル賞受賞者のコンプトンも、電気素量や宇宙線の研究に貢献して、ノーベル賞をうけた物理学者ミリカンも、確信を持って、宇宙の
背後の存在する超越者を「偉大なる建築者」とよび、そして「純粋な唯物論は、私にとっては考えにくいものだ」と語りました(まだまだ、誰々がと続きますので省略)
宇宙を創造したものが神だと信じることは、非科学的なことでも、非常識なことでもなく、むしろ、きわめて理にかなったことであり、また人間として非常に自然なことなのです。
じつに宇宙は「無」から「有」を生じさせる力を持つ全能の神により、その遠大なご計画のもとに創造されたと信じる人が多いのも、自然なことです。(「創造科学」より)
つづく
300
:
志恩
:2012/07/20(金) 00:00:19 ID:.QY5jUA6
以前、私は、藤原敏之先生のご講話を拝聴して、その内容に笑いころげたことがあります。
藤原先生は、大真面目な顔で超傑作な話をされる先生でした。
それは、顔のなかの目と鼻の 配置に ついて でした。
「みなさん、もしも、鼻が目の上についていたら、どうされます? うどんを食べる時だって、じつに難儀ですよ。目の上に鼻があるんですから、匂いを
嗅ぐとき、いちいち、目の上に、うどんを持ってこなくちゃいけないのよ。」てな具合で、うどんを食べるゼスチャーいりでした。
想像しましたが、目にうどんの汁が、いちいち飛び散って、どれだけうっとうしいかしれません。
このように、われわれの顔の中の 配置1つとってみましても、計算しつくされた配置になってると思います。
宇宙の話ですが、次は、物理学的な立場から話します。
ビックバン説が、事実だとして、宇宙は偶発的にうまれたとして…宇宙はなぜ これほどまでに うまくできているか。
例えば、自然定数を考えると、それが現在の値よりもわずかにちがっていれば、宇宙創造後、地球もできなかったし、炭素原子もできなかったそうです。
すると、人間のような知的生命体も造れなかったそうです。
宇宙物理学的事実を踏まえますと、我々の地球は、いまから46億年前に出来ました。つまり、宇宙ができて約90億年後。
地球は、原始太陽系星雲の中にあるチリから造られたと言われています。そのチリを形成する主要な元素は、ケイ素である。また、地球を形成する主要な
元素は、鉄、酸素、ケイ素、マグネシウム、ニッケルなどである。人間を形成する主要な元素は、水に含まれる水素を別とすれば、酸素、炭素などである。
宇宙物理学では、水素とヘリウム以外の元素を重元素と呼ぶ。ビックバン宇宙論によれば、宇宙の初期にできた元素は、水素とヘリウムである。
それ以外の重元素は後に星の中の核融合反応で、あるいは、星の超新星爆発の際につくられた。宇宙の始めに生まれた初代星には、水素とヘリウムしか存在しないので、重元素がなく、
したがって、惑星はつくることができない。(現在の宇宙の年齢は、137億年)
更に、驚くのは、空間が3次元である理由も説明できる。もし空間が2次元であれば、あまりに簡単過ぎて、知的生命体のような複雑な存在はつくれない。しかし、空間が4次元以上になると、
どんな複雑な構造もつくれるように思われるが、空間が4次元だと仮定して、シュレーディンガー方程式を解いて見ると、水素の束縛状態が存在しない。つまり原子がつくれないのだ。
神は、さらに進んで、全く新しい宇宙を創造するかもしれない。数学原理を使って。 (「人間原理と数学原理」より)
301
:
初心者
:2012/07/20(金) 06:02:51 ID:TfQ0e6RA
たしかにこの宇宙はよくできています。ビッグバンの爆発の速度があとほんの
少しでも速いか遅いかしていれば、星は誕生できなかったのでしょう。さまざま
な物理定数が、たしかに生命の誕生に都合よくできています。
しかしここで考えなくてはならないのは、宇宙創成のはじめに無限の数の宇宙
が誕生したと考えられているということです。無限の数の宇宙がじっさいに誕生
したとすれば、そのほとんどは、星も誕生できず、もちろん生命も誕生できない
宇宙です。なかには物質すら存在しえない宇宙もあるということです。
無限の数の宇宙がつくられて、そのほとんどは役立たずの出来のよくない宇宙
なのですね。神が宇宙をつくられたのだとすれば、なぜおびただしい数の不良
宇宙をつくられたのか、という疑問が出てまいります。
無限の数の宇宙が誕生して、そのなかに生命が誕生できたほんの数個の宇宙が
あり、その1つが、わたしたちが住むこの宇宙であるのかもしれません。
この宇宙は大変によくできていますが、それはまったくの偶然だとはいえないで
しょうか。無限の宇宙をつくれば、そのなかに、わたしたちが住む宇宙のような、
大変によく出来た「よい宇宙」が誕生したとしても何も不思議なことではない、と
いえるのではないでしょうか。
もしも宇宙を神の創造説で説明するのであれば、おびただしい数の不良宇宙が
なぜつくられたのか、その理由を説明しなければなりません。その理由を説明せず
において、たまたま偶然にできた1個の「よい宇宙」だけを見て、それをもって
宇宙は神が創造されたものだと結論づけることができるのでしょうか。
なんらかの理由によって無限の宇宙がつくられ、まったくの偶然で1個の「よい
宇宙」が生まれて、その宇宙に生命が誕生した。今の時点でいえるのは、このこと
だけではないかと考えます。
ところでトキ様は、無限の数の宇宙がつくられたことにかんして、「宇宙の創造には
大変に多くのエネルギーがもちいられた」とだけいっておられます。トキ様は、この
ひと言で、神の宇宙創造説の暗示的効果を狙っておられるようです。生長の家で
はたしかに、こうしたひと言が絶大な効果を持つといえます。
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