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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

278うのはな:2012/07/18(水) 17:54:56 ID:gTn97m6I
   『次世代への決断』の著者に聞く 観世音菩薩の教えとは?
 昨年三月十一日に発生した東日本大震災につおいて、「この大地震は神の怒りではなく、
観世音菩薩の教えである。その教えを正しく把握するには、われわれの内側からの、本性の声を
聴かなくてはならない」と説かれていますが、その意味を分りやすく説明してください。

谷口 観世音菩薩とは、世の中の響き(音)を観じ、その姿を通して何かを教えてくれるものすべてを指します。
ですから、「観世音菩薩の教え」というのは、どこにでもあるのです。観音経に三十三身に身を変じて衆生を救うと
説かれている通り、ありとあらゆるものが観世音菩薩の役割を果たすのです。
東日本大震災だけではなく、われわれの目の前にあるすべてのものが「観世音菩薩の教え」である。
ただ、それを聴く気持ちに人々がなるかどうかが重要です。
大震災のようなショッキングな出来事が起きると、みんな「なぜ、あれだけ多くの人が死んでしまったのだろう?」などと、深刻に考えます。
そのように何かの出来事を通して深く、真剣に考えるということが、言い換えると、「観世音菩薩の教え」を聴く契機になるのです。

 宗教にもいろんな考え方があって、天災についても、それを神罰であるとか、天罰であるという説き方をすることがあります。東日本大震災のときも、
「あれは天罰だ!」と言って物議を醸した政治家もいましたが、それがポピュラーな考え方なのかもしれません。
しかし、生長の家では「神罰を与える神」というのは信じておらず、それは「観世音菩薩の教え」であると考えます。
さらにその観世音菩薩とは自分自身、自分の本性であると説くのです。
われわれは自分の本性と異質のものと対面したときに、一種の“拒絶反応”を起こしますが、生長の家では、それを「観世音菩薩の教え」として聴くのです。
この悲惨で、無情な出来事は間違っている。二度と繰り返してはならない。そのためには、どうすべきか....と考えるのです。
その真剣な反省の中に“仏”としての人間の真性が現れてくる。
言わば“自分が自分を教える”のです。それが「観世音菩薩の教え」です。
生長の家では、そういう人間の本性を観世音菩薩として礼拝します。

谷口雅宣 生長の家総裁 『いのちの環』2012/8 生長の家本部編集


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