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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

230初心者:2012/07/14(土) 15:33:22 ID:TfQ0e6RA
アクエリアン様

そうですか。インド哲学的ですか。それにたいするイメージはあるものの、インド
哲学には知識らしい知識を持ってはいません。それについて語ることもできま
せん。ですが、高嶺の花に恋い焦がれるとでもいうべき憧れはありますね。

それとは知らず、インド哲学的な何事かを語り得たとすれば、たとえそれがどんな
に稚拙であろうとも、自己満足程度の満足感は得られるというものです。ただ宇宙
誕生のいきさつは、「遊び」というよりも「神の狂気」ととらえるべきではないかと
考えます。

やにわに生じた「ちょっとした違和感」は、神にとっての純然たる異物であったはず
です。それは、神のなかにありながら、神ならざる異物であったはずです。「ちょっと
した違和感」は、「排出」という形で神の外部に放出されます。これにより、神ならざ
るものが、神の内部より排出されます。

それは大インフレーションとなって現象化します。「絶対無」という言葉が出てきま
したが、自己も非自己もない「絶対無」の状態にあった神は、非自己が現象化した
ことで、無から有の状態へと引きだされます。それは、神ご自身が無から有へと
引きだされた瞬間であったという意味でも、無限の数の非自己を誕生させたと
いう意味でも、何もあってはならないところに、あってはならないものを生じさせ
たという意味でも、その出来事は、神にとっての狂気の沙汰であったと考えます。
しかもこの狂気によって、神は存在に入ることができたともいえます。

スターダスト様やアクエリアン様が語っておられますように、非自己は自己へと
回帰すべきものであるのかもしれません。なんにしても、あることないこと様々に
想像いたしますので、道をはずれたときにはご指導いただけますように。


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