生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
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いま見て気がつきましたが、
「生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3」
貴重な2000をさくらのどうでも良い書き込みが踏みまして、
すみません。
そして、このNO.4の、貴重な2を踏んでしまいまして、
どうも、申し訳ありません。
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スターダスト様
生長の家(宗教)における
エーテル体は
肉体、零体があって、エーテル体があるという事だったと思います!
物理学に
光の媒体物質のエーテル体なら、初心者様が解説されている様に今の物理学では否定されてます!
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>>3 :Kジロウ:2012/07/06(金) 00:13:51 ID:VJun9unU
**********************************************
さて順序として、この霊妙不可見なエーテルという存在について科学
者が最近の研究により結論をくだしたところを平易に紹介することにい
たします。第一、エーテルは絶対不可分に少しの間隙もなしに続いてい
るのであります。これをエーテルの連続性と申しまして物質には見られ
ない性質であります。
『生命の実相第一巻より』
**********************************************
光は光子としての性質と波形としての性質を持っていますが、波形は振
動する媒体が無ければ発生しないと思うのですが、それが宇宙に充満し
ているヒッグ粒子のことではないですか?
当時はヒッグ粒子が発見されていないのでエーテルといっていたのでは
ないですか?
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>>4の訂正
ヒッグ粒子→ヒッグス粒子
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ポスティング ジョイにこんな投稿がありました。
この投稿、どうなるのでしょうねえ。
「新編 生命の實相」を手にして思うこと
登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記 登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?
0
http://postingjoy.com/users/75110612171920/diary/show/106143
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誰もお詫びをアワダさんに言わないみたいなので、ヒラ会員のトキが、生長の家教団の偉い人と学ぶ会の偉い人の
代わりにお詫びします。
「申し訳ありません。私達の努力が足りないため、和解に至って居ません。」
靖国見真会参加者様や山ちゃん1952様から、お叱りを受けていますが、懲りずに和解に精進いたします。
ちなみに、和解=総裁援護ではありません。本流掲示板の皆様、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
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>>1964
Kジロウさま
まえに、「利己的な遺伝子」のこと、書いておられたのは、
Kジロウさまだったでしょうか・。
生物の生態で、一見いわゆる「利他的行為」に見える行為がありますが、この「利己的な遺伝子」的な視点で見てしまえば、
種の保存、という、結局は、「利己的目的」に説明できる、というようなことにもなってしまいますね、
Kジロウさまが書かれていた、ネズミの「自殺」の現象も、種の保存のプログラムなのかも知れません。
でも、この「種の保存」の進化の過程も、わたしには面白く感じられます。
「種の存続」のために、したたかにニッチを求めて進化する生物の遺伝子に組み込まれた生命力なども、やっぱりわたしは感動してしまいます。
あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。
といっても、人間の場合の利他行動には、遺伝子プログラム以上のものが存在しますから、
こういう分野は、宗教や哲学ですかね。
村上和雄先生が仰っている、人間の思考に影響を受けるという、遺伝子のON、OFFのシステムについても、科学的な解明がもっとなされたら、面白いですけど。
>人間の場合は、先進国では、長寿で安定しているので基本は『少子化』(産んでも2人ちょい)となってますが、
個体で考えると、栄養失調ぎみになると、攻撃性、性欲が増す様です!
かつて、アメリカで大停電が起きる等、不安要素があると、生理周期を無視した形で卵子の排卵する事もあるそうです!
最近だと、アメリカのテロ9・11事件の直後に結婚が増えました!
こうした現象は、遺伝子の複雑な計算式のプログラムの関係というより、ホルモンバランスや、心理学の方に、関係がありそうですね。
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>>1965>>1968
初心者さま
>イメージ的に考えて、質量とは「動くまいとする力」であるということがいえ
ませんかね?質量のあるものは、たしかに動きたがらないですよね。質量とは
動くまいとする力である。
ヒッグス粒子の説明をちょっとだけ聞いて、質量の正体は、初心者さまが書かれているように、動かなくさせられた状態のようですね。その「動かすまいとさせる働き」をするのが、ヒッグス粒子みたいです。ヒッグス粒子に反応する素粒子が、質量を持つということなのでしょうか。
ヒッグス粒子の正体がわかったことで、いままで理論でしか証明不可能だった物質の様々な法則が明らかになるのですか。
500年たっても証明されるかどうかわからないといわれてた超弦理論、(これが、超ひも理論のことですね?)の証明には、なにか前進するものがあるんですかね、?
そうだとしたら物理学者にとっては、悲願の実証だということですね。
・・物理学の基礎知識もないわたしにはまったくその意義がわかりませんが、
やっぱり、ただ単に、驚きたいのです、笑。
>脳や自然が高度な計算を瞬時におこなっているというのは、にわかには信じられ
ないことでしょうけども、脳も自然も宇宙ホログラムであることを考えれば、これ
も考えられないことではありませんね。脳や自然に高速計算力があるとすれば、
それは「本物の宇宙力」であると考えます。
初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。
>それとトキ様は、「ビッグバンがはじまって宇宙は収縮する」と語っておられますが、
ダークエネルギーの増大は宇宙定数の値を増大させますので、予想されるのは、
ビッグクラッシュではなくビッグリップ、つまりは陽子までもが、ダークエネルギー
によって生じた斥力によってバラバラに分解され、銀河はもとより、あらゆる
原子が、素粒子にまで分離されて、宇宙は無限の拡散をつづけることになる、
というシナリオですね。
先日書いた、東京大学国際高等研究所の村山斉教授も、いままで収縮していくと考えられていた宇宙の、ビッグリップ現象を、「天動説から地動説に変わって以来の大変革期に来ている」いうくらい、予想していた宇宙観を変えることだったと言っていたようでした。
そして、結局、何もわかっていなかったということがわかったということです。
たしかに、物理的な探求というのは、限界があり、これによって、どこにたどり着くかなんて、もしかしたら、霊的真相からみたら、たかが知れているのかも知れません。
それでも、こうした科学や物理の探究に於いても、人間が「叡智」の片鱗をみることは、無駄なことではないとわたしはかんじています。
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初心者さま
>信仰と科学の立ち位置については、まだ宿題だと思います。
トキ様がそう書いていただいて、安心しました。
物理や科学的な真理を探究する好奇心が、信仰心と矛盾して脅かすとは、
わたしは考えてはいないし、むしろ、真摯に歩み寄る姿勢も大切だと思っていたので、
宗教的には科学からの探求は危険だとトキ様が例に出していたのなら、こういう好奇心は迷惑かなとおもったので・。
>ミンデルは、「数式は変性意識状態である」といっていますね。数式をながめる
ときの科学者は、覚醒した変性意識状態にあり、常人ではとても見ることのでき
ないヴィジョンを見ているということですね。
ただ科学者には、そうしたヴィジョンを反証可能な形で語らなければならないと
いう制約が課せられていますね。宗教的ヴィジョンとの違いは、案外この程度で
あるのかもしれません。
したがって、ふつうの人々が科学的成果の説明を受けたときに、そこで語られて
いること以上のヴィジョンをふたたび覚醒させることは可能であり、それは各人
の自由な判断にまかせられているといえますね。
抽象概念というのは、頭脳知だけのように思われがちですけれど、
純化された思考は、リアリティがあるようですね。
数式などは、純粋思考の最たるものといえるかもしれないですね。
ある地球物理学者が、ビックバンを証明する数式をといて、わたしはビックバンをこの目で見て恐ろしかった・・と言ったというのを読みましたが、これは、ちょっと、素人には理解できないのですが・・
抽象概念のリアリティとは、バカに出来ないどころか、実現化にとって、やっぱり欠かせない能力だということは、わたしはおもっています。
>この宇宙に存在するすべての電子の電荷と質量はおなじだと考えられている
ようです。このことから、ノーベル物理学者ファインマンは、「電子は1個しかない」
と、ついに禁句を口走ってしまいました。言ったあとで、きっと「しまった!」と後悔
したことでしょう。でも言いたくて仕方がなかったんですね。
これは先ほどもいったように、物理学の基礎もないわたしなので、
なんのことだか、わかりません。
電子の電荷と質量が同じだと、なぜ、電子は一個しか存在しないといえるのでしょうか。
そして、電子が一つしか存在しないことの意味ってなんでしょうか。
同時に一つのものしか、ぞんざいしない。というのは、概念的には、哲学的で、宗教的真理に繋がることのようにも思えますが・・
物理的な真理においては、どんなことをしめしているのでしょう。
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注)
上記
>>1964Kジロウさま
>>1965>>1968初心者さま
これは、生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3においての
ものです。
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さくらちゃんへ
「電子の電荷と質量がおなじ」というのは、電荷イコール質量というのではなく、
どの電子をとってみても、その電荷はおなじであり、どの電子もおなじ重さで
あると考えられている、ということですね。
考えてみればですよ、宇宙には数えきれない電子があるわけですから、たとえば
質量にしても、ある程度のバラつきはあってもよいはずですね。重いのもあれば、
軽いのもある。これがふつうの状態ではないか、ともいえますよね。
じっさいに「すべての電子の電荷と質量がおなじ」であるのかどうか、それは
わかりませんけども、仮におなじだとすればこれはどういうことなのだろう、
ということですよね。なぜどの電子もおなじ重さなのか。こういう疑問ですよね。
これはうろおぼえの話ですけど、マックスウェルの電磁方程式でしたか、なんで
あったか忘れましたが、ある方程式を解くと、「遅行波」と「先進波」のふたつの
波が答えとして出てくるようです。「遅行波」とは過去に向かって進む波ですね。
波が過去に向かって進む。こういうことです。
おそらく「遅行波」と関係があるとおもうのですが、ファインマンは、電子は
過去に向かって進むということをいっていましたね。もちろん、未来に向って
も進むということです。1個の電子が過去と未来を行ったり来たりしながら、
あちらこちらに姿をあらわしている。だから1個しかないはずの電子が、無数に
あるように見えているのだと、「なぜだろう?」と考えたファインマンは、こんな
答えを思い浮かべたようです。
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>>6 やっぱり、削除されてしまいました・・・・。
あと、大聖典がオークションに出品されているとの連絡を頂戴しました。
出品者は大阪らしいです。複雑な気持ちです。
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w76362631
私はオークションはしませんが、教えてくれた人の話では、
安くて30万、普通は軽く100万円を越すとか。
以前は300万円というケースもあったみたいです。
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>>4
スターダスト様
真空中(素粒子はあり)の光の速さは一定
ニュートン力学の例外で
マイケルソン・モーリーの実験結果を
アインシュタインが数式で、
エーテルは関係なく証明
光子自体が振動しているので波の性質もあります
ヒッグス粒子は質量があるので、ジャマになる事は、あっても光媒体になる事はないです!
今のところ、何かを媒体にしているとは、なってないと思います
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>>9
さくら様
「利己的な遺伝子」書来ました
>あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。<
本当にそうですね
後、
物理学の概念(真理)は
誰がやっても、何処でやっても、いつやっても結果が同じ
(あるモノはある!ないモノはない)
ここには残念ながら、精神や心が入り込む余地はない様です!
トキ様は、この事を危惧されていると思われます!
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ちょっとひと言わせて。
この掲示板で総裁先生の評判を落してるのはあたしなの。
そのあたしが、なんで総裁先生と同一人物でなけりゃならないのよ。
この掲示板で、「生命の實相を護れ!」の機運を盛り上げてるのは、あたしなの。
そのあたしが、なんで総裁だといわれなきゃなんないのよ。
あたしは、さくらちゃんと「しっぽり」したくてここに来たの。
なのに、あてつけがましい真似をされてカチンときたから、ちょっと暴れてみただけ。
あたしはさくらちゃんと「しっぽり」したいの。
邪魔だけはしないでね。
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さくらちゃんへ
>初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。
あらゆる現象というのは、本物の宇宙による夢見、つまりはドリーミングによって
起きているとする考え方がありますが、すでに述べたように、ドリーミングには、
偉大な存在者の、たとえばこれを北米イディアンは「グレートスピリット」と呼んで
いるようですが、そうした存在者の叡智が含まれていると考えるのがふつうで
あるようです。
そうした叡智が、自然科学や物理学の分野にあらわれたとしても、なんの不思議で
もありませんね。合気道や能楽、茶の湯が重んじる身体の動作となってあらわれる
ということもありますね。
さくらちゃんがいっておられるように、このことを「超越項」をもちいずに語りたい
とする思いに、どうやらわたしは取りつかれているようでもありますね。
イメージの領域のフロンティアは際限もなく広がっていますが、そうしたイメージ
世界を「超越項」をもちいずして語ろうとすると、どうしても貧弱で貧相な言葉
づかいに終始してしまいます。
こうした「言葉づかい」をもってわたしの全思想と見なす人たちが、みずからの
豊かなイメージ世界と比較して、「初心者はなにもわかっていない」と決めつけて
おられるのが実情のようです。豊かなイメージ世界と、言葉によって語られた世界
とを比較することじたい、まったく意味のないことでありますね。
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さくらちゃんへ
宗教と科学の関係ということでいえば、宗教が科学を弾圧してきたという
歴史がありますね。そうした弾圧の歴史は今も続いていて、科学にたいして
厳しい見方をする宗教関係者が少なからずいるものです。この掲示板でも、
あたしのような主張をすれば、厳しい弾圧がまっています。
宗教が科学に脅威を感じてきた。これは事実でしょう。科学の発展によってみず
からの信仰が脅かされることを、宗教にかかわる人たちは極端におそれてきた
ということがいえるはずですからね。
しかしですね、今という時代は、宗教のそうした懸念がいよいよ現実のものに
なりつつある時代だということがいえそうなのです。ジジェクは、こうした事態を
「ポジティヴな知」という言葉で語ります。「純粋な信仰がポジティヴな知によって
脅かされている」。こうした表現で、宗教人が抱いてきた懸念がいよいよ現実の
ものになりつつある事態を、ジジェクはなぜか告発気味に語っているのですね。
ジジェクにとって「純粋な信仰」とは、無根拠の決断による信仰ですね。根拠は
ないがそれを信じる。これが、ジジェクのいう「純粋な信仰」です。「純粋な信仰」
とは、いってみれば「内なる良心の呼び声」にしたがうということでもあるようです。
このような意味で、「純粋な信仰」とは個人の心のありようでなければなら
ない、ということがいえそうです。「内なる良心の呼び声」が聞こえるのはその人
自身ですから、信仰は、どうしても個人の心のありようによってしか語られることは
ないといえます。
ですけども、「真理」はすでに、個人の心のありようでは語れない時代になって
きているということがいえるのですね。なぜなら「真理」は、今の時代、無根拠には
語りにくくなっているからなのです。なにごとにも根拠を求めたがる現代人の心性
は、「真理」にたいしても根拠を求めずにはおれなくなっているのですね。この意味
で、ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。
このあたりの事情を、たとえば現代仏教について、ジジェクはつぎのように
語っています。
○(現代の仏教)では、多くの科学者が「現代物理学の道(タオ)」のモチーフ
を振り回し、現実を揺れ動く出来事の非物質的な流動と見なす現代の科学は、
古代の仏教の存在論を確証したとされる。
このように、現代仏教においてさえも、現代科学の考え方に根拠を見いだすこと
でその思想の正しさと関連づけようとする傾向があるということを、ジジェクは
いっているのですね。
これは仏教にかぎっているわけではありませんが、ジジェクは、「彼らには、自分の
宗教と科学の最新の発見を合体させようとする傾向が見られる。彼らにとって
宗教的声明と科学的声明とは、ポジティヴな知の同じ側面に属している」といった
物言いで、現代宗教の一部に見られる「ポジティヴな知」を重んずる傾向を告発し
ようとしているのですね。
ジジェクのいう「ポジティヴな知」によって、現代人が、科学的声明にたいしてそう
であるように、宗教的声明にたいしても根拠を要求するようになってきたという
現実がありそうです。これこそが、宗教界がこれまでずっと怖れてきた事態なの
ですね。そうした事態が、すでに現実のものになったということです。
「ポジティヴな知」を標榜する現代人は、「真理」にたいして根拠を求め、それを
じかに知ろうと欲します。無根拠な決断による信仰によって信じられてきた「真理」
を、無価値なものとして否定しようとする傾向を持つようになります。「純粋な信仰
がポジティヴな知によって脅かされている」とするジジェクの見方は真実を語って
いるとおもわれます。
人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。
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さくらちゃんへ
宇宙がふたたび収縮へと転じて消滅する現象は、「ビッグクラッシュ」では
なく、「ビッグクランチ」と呼ばれているのかもしれません。記憶があいまいです。
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トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ
>>6>>15拝読させていただきまして
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■「 ポスティング ジョイ」に“投稿…”されています文章…拝読させて頂きました。
信者の“素直な言葉”と私も受け止めています…。
■■「 生 長 の 家 …大 調 和 !!」此の事から“始まり”が〜〜><
今回の“経過”は、余りにも“悲惨な出来事”です…。【分派…お家騒動】
そして、私も「トキ様」と同感の思いなのです…。
■■それにしても〜〜〜><
今回の【トキ様の投稿…】時間の“タイム制限??”ビックリ・マークで〜〜〜す。
一時間も??もたなかった様です〜〜〜〜〜ネ?やっぱり『奥殿…入り』
■話はブレイクしますが…
【ヤフ− オ−クション!!】拝見させて頂きました…。これもまた?“ビックリ・マ−ク”
言葉になりませんが〜〜〜><
そして、余談なのですが……
【FUKの「栄える会」…】に、ある時「古物商…」の方が会員になられまして??(現在も)
その方の“言葉…”から〜〜
■「年配の会員の方が、多く亡くなっているみたい??なのでしょうか〜〜〜??
生長の家の【書籍】【実相の掛け軸(自筆)】【古い機関紙…etc】沢山手元にあります〜〜〜ョ!
“二束三文”で〜〜〜売りますが〜〜〜??」
昭和初期のモノとか??かなり古いものの様で ><この“言葉”を〜〜
そうです〜〜〜ネ!2年以上前に聞きましたが…><
■■この頃思いますが〜〜〜【物…崇拝ではなく!】
やはり最後は…
【 真 理 −−>全ては心でつくる世界−−>人生は心で支配!】なのではないでしょうかと?
この事を、しっかり認識いたしませんと、
次なる世界【霊界…】にて??かしら〜〜〜ン!この様に思った次第ですが〜〜〜。
■ ■ 人間は永遠に“死”を見ない!自分は永遠の生き通しであるのである。 ■ ■
「雅春先生の言葉より」
再合掌
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初心者様
少し前2000になって書き込めなかったので、別のところに書き込みましたが、今、書き込めるように
なっていたので、別のところに書いたものを貼り付けます。
名前:質問者 投稿日: 2012/07/06(金) 06:17:06 ID:/3nxKE2Q
初心者様
初心者様が色々お教えくださっていた場所が2000になって書き込めませんでしたので、
この場所に書かせていただきます。
多面的視点で、日々新しい境地への努力に敬意を表している者です。
雅春先生の教えを手放した時、自由な世界に出られたお話はとても新鮮でした。
とすると招神歌も手放した方がよいのでしょうか? もっと今の時代にあったものが
あるのでしょうか? おたずねします。
-
横レスお許し下さい。
>>23
「招神歌」ですが、私が親しくしている講師の方で、霊眼が開けた人がいます。
その方の話では、神想観をしている人の回りに、たまにですが、浮遊霊などが取り巻いて
いるが、霊的な“バリア”があるため、神想観を実修している人に取り付けない光景を見る
そうです。なまじ霊的な力がある人が、自分の力を過信して瞑想をし、霊に取り憑かれて
悲惨な状況にあることもあり、「招神歌」は必須である、いうことです。
病院や墓地の近くなど、“霊的”な雰囲気が悪い場所の近くで神想観をする場合は、特に
要注意だそうです。
せっかくの対話を邪魔して、申し訳ありませんが、私もその講師の話には賛成していま
す。もちろん、時代の変化に伴い、変化させなければならない部分はありますが、「招神歌」
については、慎重な対応が必要だと思います。
合掌 ありがとうございます
-
追伸です。
「招神歌」を唱える事で、霊的な“バリア”がはられる(何か、アニメみたいですが)という事でした。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――身体的用意――――
身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。
第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。
第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。
第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???
PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きでしたが……
■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。
此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。
再合掌
-
質問者様
わたしは、ひと様から問いかけていただけるほどの偉い生き物ではありません。
たとえ回答できたとしても、信頼性を保証するものではありません。とりあえず
はお答えいたしますが、あまり信用はなさらないでください。
「我が業は我がなすにあらず」というのが『招神歌』ですね。わたしは唱える
ことはありませんが、これはタオイズムの「無為自然」につうずる考え方で
ありますので、ご自身にあっているとおもわれるのであれば、そして唱える
ことで何らかの実感が得られるのであれば、唱えられたほうがよいのかも
しれません。
ご存じかもしれませんが、わたしは生長の家の会員ではありません。『神想観』は
ずいぶん前にやめました。誌友会などにも参加することはありません。したがって
『招神歌』は長らく唱えたことがありません。わたし自身はこのようなありさまです。
今の時代にあっているものということでいえば、ミンデルの思想を学ぶ過程で、
あるべき心境には自然と近づいて行っているような気がいたします。ここでいう
あるべき心境とは、これを唯物的に語れば、アドレナリンやドーパミンに依存する
状態ではなくセロトニンに依存する状態ではないかと考えます。
人間の脳は麻薬依存体質から抜け出ることはできないともいわれているようです
ね。であれば、少しでも上質な麻薬に依存したほうがよいにきまっていると考える
次第です。セロトニンがどれほど上質であるかは、はっきりとは存じ上げておりま
せん。まだどうすればセロトニン依存体質が実現できるのか、それも存じ上げて
おりませんが、悟りの心境とセロトニンには密接なつながりがあるという気がして
なりません。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
-
初心者さま
さくらちゃん・・という言葉が、ほとんど、いじめに感じるくらい、
・・申し訳ないのですが、初心者さまのいうことの全てを、よく、理解ができていません、笑。見当違いのお返事なら、お許し下さい。
現代の宗教と科学の関係が、ジジェクが語るところによると、
「純粋な信仰が「ポジティヴな知」といわれる、根拠の明らかな真理によって脅かされている」状態であるということですね。
・・わたしにとっては、「純粋な信仰」とは、根拠のないものに従う、というより、
「内なる良心の呼び声」にしたがうという、こちらの方が、近い感覚です。
良心というのは、いざというときに普段の自分のそのままを反映する気がします。
普段、良心を麻痺させるような生活や考え方をすれば、良心はどんどん劣化しますし、
普段、良心に恥じない生活や考えをすれば、自分の意志にはあがなえないと思われるほど、強く働くことがあるとおもうのです。
どうしても、そうせざるを得ない、そんな感覚です。
わたしはですが・・信仰を持つことで、自分の意識がある偉大な精神性に繋がると、やはり信じていています。
良心でいえば、信仰を持つことで、普通の社会的良心(常識を守って人に迷惑をかけないなどの基本)から、
信仰の良心、(と自分では呼んでいるのですが)というものにそだっていくのではないか、と感じているんです。
この信仰の良心は、「根拠のない」自信を、わたしに与えてくれることがあります。
「根拠のない」ものの方が、時には強かったり、確かだったりすることが、明らかにあります。
・・これを言っても、たしかに何の根拠もありませんけれど。
でも、根拠がなんだ、っていうくらい、強く確かなことがあるので、仕方ありません、、。
>ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。
初心者さまは、先の発言で、反証不可能なことばでは語りたくない、と書かれていましたが、やはり、相当、「現代人の心性」におかされていますね、笑。
>人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。
たしかに、真理は変わらなくても、時代による、人類意識の変化は、宗教にとっても課題になり考えていくべき事だとおもいます。
このことに無関心な宗教団体では、社会に対しての貢献度が低くなって当然です。
結局は言葉だけ大きなことを言っても上滑りしてしまい、現実的な対応がなにも実現されない事になってしまいます。
それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。論理がいくら正しくつじつまがあっても、
>>24
>>28
横レスになってしまいますが、コリンウィルソンの本にも、悟りとセロトニンの関係が書いてありましたね。
わたしも自己流の瞑想は、危険だと思っています。前に経験があるので、実感していますし・・。
神想観は、他比べても、良心的で安全な瞑想法ですね。
あと、わたしは、自分に没頭する「動的な瞑想」と(自分では呼んでいます)いえるものも、同じように大切だと思っています。こうしたときは、自我の意識を超えて、物事が自然に上手く動いていくことがありますね。
あとで、なんでこんな事ができたのだろうと、びっくりしたりします。
・そういえば、自分の感覚でわかる、イメージできることを人の言葉を借りずに、
自分の思いを伝えようとすると、貧弱になるのはわかります、よく。
-
上の文章は、途中で送ってしまってました、すみません。
>それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。
論理がいくら正しくつじつまがあっても、何もなしていないか、
結果が裏目にでることは、やはり、意識がずれている結果だと思います。
衰退していくのも、感覚がずれているという、当然の結果だとおもいます。
-
面白いサイトを発見しました!o(^-^)o
生長の家の御教や行と関わりがある事も、ちょいとズレている事もあります!
総裁が喜びそうなネタですが、総裁と逆の意見もあります
↓
脳内麻薬の作り方
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://light.kakiko.com/sionta/MayakuSakusei.htm&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E8%84%B3%E5%86%85%E9%BA%BB%E8%96%AC%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E6%96%B9&guid=on
-
さくらちゃんへ
ジジェクは、純粋な信仰を「事実にもとづかない信仰」といっていますね。
極悪非道ともいえる人間にも善性を見ようとする態度を、ジジェクは「純粋な
信仰」と呼んでいるようです。
アンネ・フランクの例をあげて、「彼女はナチスの堕落を目の当たりにして、
『不合理ゆえに我信ず』を地でいくように、どんなに堕落していようとも、
すべての人間の中には善性の神々しい火花があるという確信を書き綴っている」
と述べています。
「ポジティヴな知」が、こうした確信に意味や価値を見いだすことはありません。
どこまでも事実のなかに真理を見いだそうとします。本物の宇宙が事実であれば、
「ボジティヴな知」はそれに人生を賭けることができます。
問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。
ところでさきほど、マックスウェルの電磁方程式で、過去へと進む波を「遅行波」
と書きましたが、「先進波」が過去へと進む波であるようです。また「遅行波」は
「遅延波」とするのが正しいようです。うろおぼえの記憶で書いてしまいました。
申し訳ありません。どちらにしても、詳しいことはなにも存じ上げておりません。
それと、たとえ真理が不変であったにしても、人類意識が変化すれば、真理との
かかわり方がおのずと変わってくるというのは、たしかですね。いつまでもおなじ
やり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると
考えます。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――身体的用意――――
身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。
第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。
第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。
第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???
PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きでしたが……
■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。
此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。
再合掌
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>34>>35投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
-
アワダ様のPJでの書き込み、お二人のコメントもアップさせていただきます。
「新編 生命の實相」を手にして思うこと
登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記
登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?
****************以下コメントです***************
●おばちゃんさん
2012/07/06 07:02 (GMT+09:00)
ありがとうございます。
私も昨年の暮に、毎月会費をお世話をしていただいている方より、
「今年いっぱいで、お世話を辞めさせていただきます。」
っと言って、長々と悪口を聞かされ、会費を持って帰りました。
困ったものだと思って、近所にいる知り合いに相談しましたら、
隣町にいるお姉さんを紹介していただいて、無事会費を納めることが
出来ました。こんなことって、他でもあると思います。
私は、たまたまいい方との出会いがありましたけど、
信徒の事は・・・・と思いました(*^_^*)
●団塊の元気さん
2012/07/05 23:29 (GMT+09:00)
かつての友が、悪態をついて出ていきました。でも、私は、それらの人をも、
神性を見ることで、行ってらっしゃい、と。
でも、話を聞くと、もはやシンリから反れて、我流に。
大聖師らをも、コテンパンに。これでは、本物とは言えず。
でも、このようなことは、親鸞聖人と法然の時代にも、誤解がありました。
シンリは不変。姿形に見えないだけに、誤解されやすい。
いつのときにも。とにかく、振り惑わされぬよう、祈り、神想観を続ける本物を。
****************コメント終わり***************
現教団を辞めていかれる方は、悪口を言わないほうがいいと思いました。
>かつての友が、悪態をついて出ていきました。
というコメントについて、シンリを知っておられるわりにはショッキングなお言葉だと思いました。
-
「神想観」は、シュタイナーのいうイマギナツィオンの行に似ているような
気がいたします。イマギナツィオンは、「神想観」と「進化した日時計主義」を
組み合わせたような行ともいえそうです(「日時計主義」じたいは無意味で
あると考えます。このことは、2、3年前にも、「初心者」のHNで、生長の家関連の
ブログか掲示板のどちらかに書き込んだことがあります)。
イマギナツィオンは、エーテル体に関係する行でもあるようです。エーテル体
は、通常は物質世界と結びついておりますので、物質的な体験にどうしても
引きつけられてしまうようです。物質世界に引きつけられてしまいがちなエーテル
体に霊的な体験をさせるというのがイマギナツィオンの目的ではないかと考えます。
イマギナツィオンの行を積み重ねることで、エーテル体が物質世界と結びつい
ていたときには体験できなかった、超現実的ともいえる霊的世界を、霊的自我が、
エーテル体の助けを借りて体験できるようになり、それまでとはちがった「第2の
現実」に目覚めるという現象が起きてくるようです。
ところがシュタイナーは、イマギナツィオンの行によって得られた霊的世界の体験
はすべて消し去らねばならないといっていますね。せっかく手にした体験をすべて
捨て去ったときに、霊的世界からの啓示がはじめて得られるということを、
シュタイナーはいっているようなのです。
イマギナツィオンを捨て去ることで得られる体験を、シュタイナーはインスピラツィ
オンと呼んでいるようです。シュタイナーによれば、インスピラツィオンとは、宇宙
意識を体験することでもあったといいます。宇宙意識の体験は、イマギナツィオン
の行を納め、それを解き放つことによって得られるというのがシュタイナーの
考え方であったようです。
イマギナツィオンとインスピラツィオンの体験を経て最終的に得られる体験、これを
シュタイナーは「宇宙自我との一体化の体験」と捉えていたようです。
ただここで問題となるのがアストラル体です。アストラル体は、その名のとおり、
はるか彼方の天体によってさえも影響を受けてしまうといわれるほどに、きわめて
不安定な存在なのですね。このアストラル体が、「宇宙自我との一体化」という
強烈な体験に耐えられるのかということが問題になってきます。耐えられなけ
れば、「プシコーゼ」とユングが呼んだ精神の異常を抱え込むことにもなりかね
ません。
こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。
「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。
-
初心者様
ご回答有難うございます。
今後はセロトニンについて勉強したいと思います。
有難うございました。
-
本流宣言掲示板に霊界からのメッセージが届きましたね。
*********以下抜粋させていただきます*********
純子も白鳩総裁には相応しい魂の持ち主ではないのじゃ、
過去は無いといえども嘘つきで世間体や地位や体裁ばかりを
意識している幼き魂で霊界なぞさほど信じてはおらんぞ、
雅宣とは似たもの夫婦なのじゃ、
そんな幼い魂にこの宇宙の家(生長の家)を任せるわけには
いかぬのじゃ!!
四代目なぞ期待していては、もっと駄目の皮じゃ、
今以上に駄目になる可能性は高いであろう、
霊界の高級霊団は今誰を真総裁にしたら善いかを考えている、
名前が上っているいるのは、やはり身内だが・・・
雅宣の実姉長女佳代子の長男光靖とやらの名があがっているが、
今のところ一番青年会活動の経験もあり頭脳明晰で心身ともに
善しとされているでのう・・・
地上の生長の家の心ある幹部達の実相顕現と
真の生長の家奪還運動を起こされんことを期待し、
霊界から応援しているぞ、
*********抜粋終わり********
これを読むと、いつかは雅宣現総裁も純子現白鳩総裁も
生長の家からお引越しされることになりそうですね。
ちょっと安心しました。
-
「日時計主義」を無意味と考える理由。
「日時計主義」はたんなる「表象」の問題でしかありません。まったくの
無意味と考えます。
-
中国バレーボールチームが自国開催の為に、肉食が出来ずに敗退
実に考えさせられる
テーマです!
千日ブログ 〜雑学とニュース〜 ベジタリアンのアスリートの方が優秀説と中国バレーの敗退
http://1000nichi.blog73.fc2.com/?mode=m&no=1932&cr=94fc5deeaa26feaf78e2f43d6f7d58da
さて、かつての日本では、仏教の教えで
『殺生』を禁止しておりましたが
ウサギを1羽、2羽…と数え、鳥の仲間だから『殺生』はしてない
クジラは、海にいて、脚がないから魚の仲間
また、皇室においては伝統行事として、
『猪狩り』を続けておりました。(仏教の教えでは殺生)
又、猪肉を
『山クジラ』という方便表記にしておりました
人類は、馬や牛、猿の様に植物だけを食べて、動物性たんぱく質に替える腸内細菌はありません
(※例外として、アフリカ原住民で一部の種族にはあります)
自然と身体に必要な食べ物を選んでいるのだと思われます!
-
〜シュナイターの超感覚的認識に関する考察〜
シュナイターのことば
「イマギナツィオン」ー準備段階にあたり、意識を研ぎすますことにより心性(魂)の領域を知覚する「霊視的認識」をいう。
「インスピラツィオン」ー「悟りを開く」段階。
そして、最高の段階が
「イントゥイツィオン」ー(霊的合一)。より高次の霊的(精神的)世界の本質を認識できるという。
このようにして得た、日常的の経験的世界の認識と異なる 「高次の霊的認」であり、そして、「超感覚的認識」は、本来の言葉で表現し得ない次元の内容であるが、
東洋の思想の無分節のゼロ・ポイントと対応すると考えることは不自然ではないと思われる。
人は完全に高次の真理内容と1つにならねばならない。単にそれを知るだけでなく、飲んだり食べたりするのと、同じ生きた行為の中で、まったく自然に
血肉化しなければならない。
真理内容そのものが行となり、習慣となり、性向とならなければならない。
その内容が、人間そのものとして表現され、身体の循環機能のように、人間の中を流れていなければならない。
このように、シュナイターは「超感覚的認識」を完全に内面化しなければならないという。
それは、超越的な意識の世界に隠遁(いんとん)するのではなく、むしろ、超越的な視座を保ちつつ、しかも同時に、世俗に生きることを説くものである。
-
×高次の霊的認
○高次の霊的認識
-
シュナイターは、1910.6.17に、オスロで語った。
〜「霊学」について〜
霊学とは、私たち自身の中で生きながら、しかも、私たちのためではなく、
すべての人のために生きること。そのことが、真の霊学的寛容なのです。
〜「現代科学と霊学」について〜
霊学は、普遍的な性格を持っている。
数学は、近代にいたって大変な進歩を遂げましたが、少なくとも、その精神のありように関しては、
古代以来変化していないのです。
近代科学は、ここ数十年の間、大発見をし続けてきました。そのことを霊学の光の下で見てみますと、
霊学の解釈は、それらの発見とぴったり一致していますが、今日まで構築されてきた科学理論は、数十年来知られるように
なった諸事実と一致していないことがわかるのです。
唯物論という一面的な観点から、繰り返して同じ誤謬がなされてきているのです。
私が強調したいのは、ここ数年間に物理・化学がなしとげた業績が示しているように、物質は、人間の単なる表象にすぎず、
実験の下では崩壊してしまう。
すべての運動、すべてのエネルギーを超えて、物理・化学は,今,物質が、その基礎に存する霊的作用に直面しつつある。
ということなのです。
今日の物理・化学の事実世界は、すでに霊的な基礎を求めるところまで来ているのです。
私が,今述べたような諸事実を示唆しようと思ったのは、科学理論とは別のところでも、外的感覚的な事実世界を霊的なものに
導き入れようとする必要が、いたるところにあらわれている、と、言いたかったからなのです。
とはいえ、現代の科学によって世界の全体像が提供されている限りは、そこからの一種の諦めをぬぐいさることはできません。
哲学の分野にも、この諦めを見ることができるのです。今日、アメリカのウィリアム・ジェームスやイギリスのF・C・シラーなどの
影響の下に、一つの注目すべき理論が通用しています。
それは、本来、諸事実が、霊を志向しているという事実から生じたものなのです。
-
さくらちゃんへ
なぜみんな、それが「完全なる実相世界」でなければならないと決めつける
のだろう。なぜみんな、それが「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つと
と想定される本物の宇宙」であってはならないと考えるのだろう。
じっさいにも、多くの人たちが本物の宇宙について考えてきた。本物の宇宙とは
こんなものだろうと考えてきた。もちろん、その考えがちがっていることもある。
ちがっていれば直せばよい。それがどんなものであるかというのは、たしかに重要
な問題ではあっても、本当に重要なのは、本物の宇宙はまちがいなく存在すると
いう事実なのだから。
アラン・ワッツの『タブーの書』が戻ってきた。久しぶりにページを開いた。「孤独だと
か、宇宙のかりそめの過客であるというこの感情は、人に関するあらゆる科学の
あらゆる認識と完全に矛盾するものだ。わたしたちはこの世界に生まれ落ちた
のではない。私たちは、樹から木の葉が萌え出るように、そのなかから出てきた
のだ。大洋が波打つように、宇宙は生起する。どんな個人も、自然界全体のひとつ
の表現、全宇宙のユニークなふるまいだ」とワッツは熱っぽく語ってくれている。
訳者あとがきに、「(ワッツは)組織に属することを拒み、快楽を愛し、酒を飲み、
LSDで神秘体験を味わった」とある。一方にとどまるのではなく、闇と光のあいだ
を往来する。「イロニー」のこうした考え方を、ワッツは身をもって実践していた。
『タブーの書』が書かれたのは、1966年、フラワームーブメントの全盛期だそうだ。
フラワームーブメントといえば、スコット・マッケジーが『花のサンフランシスコ』で
歌った、あの世界だ。あたしは知らないけれども、ビートニクスよりも少し遅れて
やってきて、フラワージェネレーションと呼ばれるようになった若者たちが、「反戦」
を旗印に既存の価値観の破壊をはじめたあの時代に、『タブーの書』は書かれた。
あとがきには、「現代科学が明らかにしつつある、ひとつの全体の一部なのだ、
という宇宙像」とある。「木から葉が生じるように、私たちは宇宙から生じ、宇宙
と不可分に結びついている」とある。
「現代科学」といったところで、これはずいぶんと古い「現代科学」にはちがい
ない。なんといっても『タブーの書』は、フラワームーブメントの時代に書かれた
のだから。
それでもあとにつづく台詞がいい。「雨のしずくが海に落ちて雲となり、ふたたび
雨のしずくとなるように、あらわれては消えていく。そこにはとくに意味などない。
〈それ〉を楽しんでいる〈それ〉があるだけだ」。
ワッツはタオイストであったと記憶している。それがそれをなしているだけ。
たぶんこれが真実なのだ。
それからひと言。ワッツは「私たちが、今日知るに至った宇宙や、習ったことの
多くが卒業式の当日にはすでに時代遅れになってしまうほど激変してゆく
人間世界」と、現代という時代を楽しく揶揄してくれている。これは「変わらなく
てもいい」という話ではない。それがそれをなすにも、時代の作法があるって
ことだ。今の時代に、フラワームーブメントはけっして流行りはしないってことだ。
-
さくらちゃんへ
コリン・ウィルソンは、『フランケンシュタインの城』で、「右脳の仕事は意味を伝える
ことなのだ」といってるんだけど、これはたしかに本当だろう。ウィルソンによれば、
右脳は、ほっておけば、際限もなく意味を供給しつづける。こうした事態を防ぐ
のが、左脳を中心にした治安維持部隊というのがウィルソンの考え方であるように
もおもえるのだけど、なんらかの理由で治安維持部隊の活動が弱まると、右脳から
の、とどまることを知らぬ意味の供給がはじまるってことを、ウィルソンは言って
るようにもおもえる。
こうした供給が限度を超えてなされることで、世界は意味に満たされ、あの、至高
体験をさえも突き抜けたとおもわれんばかりの、極上の世界へのトリップがはじま
り、日常生活とはしばしのおさらばとなる。ウィルソンが言うように、「すべての人が
右脳意識の状態で平安にその日暮らしを送ろうものなら、文明は崩壊する」に
きまってる。
文明の恩恵を享受したいのであれば、「右脳意識で平安にその日暮らしを送る」と
いう自然状態には、いまさら戻れないってこと。結論として、治安維持部隊の活動
はどうしても必要ってことになるんだけど、部隊の力があまりに強まってしまうと、
意味の供給が途絶えて人生から意味の感覚が消え去る。「人生は虚しい」ってこと
になる。
ではどうすればいいのだ、って話。このことについて、ウィルソンはなんて言って
るんだろう。治安維持部隊の活動を適正にたもてればいいのだろうけど、それが
できないから、人は「幸せいっぱい」か「人生は虚しい」のどちらかの世界に投げ
込まれる。
「心が開かれているときだけ世界は美しい」といった人がいる。たしかに、見なれた
風景を美しいと感じる瞬間はある。この瞬間は、たいていは、大きな悩みから解放
されたときにやってくる。
問題は、世界はなぜ美しく感じられたのかということだ。考えられる答えは、世界は
美しいということだ。ふだんはそうした世界を見ることはできないが、世界はある
がままに美しいのだ。そうした美しさを、特別な瞬間にだけ見ることができるって
ことだ。ウィルソンが問題にするのは、どうすれば、特別な瞬間にではなく、気が
向いたときに、いつでもどこでも、どんなときにでも、そうした美しき世界を見る
ことができるのかってこと。
右脳意識が優勢であれば、内なる世界はあまりにも美しく感じられる。世界が
美しくなければ、この美しき内的世界にくらべて、外の世界のなんと穢きことかと、
人はついつい厭世的な気分へと誘われてしまう。
ウィルソンが問題にしたのはこのことだ。内なる世界の美しさにばかりひたって
いると、人は外の世界の穢さに耐えられなくなる。このことをウィルソンは問題にした。
解決策はある。内も外も美しければよいということだ。外の世界を、気が向けば、
いつでもどこにいても美しいと感じられるのであれば、内なる世界の美しさに
人は耐えられる。
ウィルソンは、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」は、いつでもどこでも
実現できると考えていたはずだ。しかもウィルソンは、こうした事態を実現できる
のは、右脳ではなく左脳と考えていたふしがある。左脳がこの能力をはばまれる
のは、治安の維持をその他の部隊に左脳がまかせっきりにするからだとも、たぶん
このように考えていた。治安の維持を常時その支配下においておくという努力を
左脳が怠らずつづけるかぎりにおいて、左脳はその能力を開花させることが
できるとも、たぶんこのように考えていた。
左脳よ、覚醒せよ!
ウィルソンが望んでいたのは、おそらくこのことだ。左脳が覚醒したときに何が
起きるのか。左脳の覚醒は、「幸せいっぱい」と「人生は虚しい」のあいだをさま
よいつづける人類を、はたして救えるのか。左脳の覚醒という、人類にとって
前代未聞ともいえる大イベントを、たぶんウィルソンは企画している。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――精神的用意―――――
精神的用意としては、・・・・・
第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。
第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。
第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだり
しますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。
最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
<つづく> 再合掌
PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<
自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。
-
初心者さま
・・えっと、
さくら、なにを答えたら、よいんですか、これ、笑。
先日、大好きな、バンドのライブに行ってきて、ずっと、あたまから、
その曲が離れないんです、
しかもですよ、そのバンドのメンバーの一人が、さくらのこと、覚えててくれて、
これがここのところ、思い出すたび舞い上がってしまい、・・
だから、初心者さまの言葉も、なかなか頭の中に、入ってこなくて、ごめんなさい、・・微笑。
つまり、さくらの名を使って、初心者さまが、言いたいことを言ってるのですね、笑。
ところで、初心者さまは、まず、「純粋な信仰」を軽視、あるいは軽蔑されておられるように感じられますが、違いますか。
わたしは、「ポジティヴな知」も尊重しますが、
それと共に、時には、それ以上に、「純粋な信仰」というものを、尊重しています。
>問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。
ただ、初心者さまがこのように書いておられることも、良く解ります。
純粋な信仰というものは、もっとも、真摯な姿勢を必要とするものだと思っていますし、ほんとうは、そう簡単に、言葉で語ろうとすることも出来ないものだとかんじます。
ただ、それは、反証不可能であっても、あがないようもない想いとして、あるということです。
でも、自分の中に確かにあるとわたしがいくら言葉を尽くして語ったとしても、
残念ながら、初心者さまとは、共有できませんね・・
信仰は、わたしと、神との間のこと、だからです。わたしの道はわたしが歩いたときだけ、出来るものですので。
初心者さまには、初心者さまが感じられる、真理の世界があるようです。
-
初心者さま
>いつまでもおなじやり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると考えます。
初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
>>38
>こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。
「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。
人間に、ソフィアの働きを持たせるのは、「畏敬の行」とシュタイナーは言っているのですね。、やっぱりそうなのですね。
では、古来からの森が育んできた自然霊への信仰は、ソフィアの働きだったといえますか?
・・それにしても、まず、女性原理としてのソフィアの働きって、なんですか?
>「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つとと想定される本物の宇宙」
先日、訊け商業さまとのやりとりの中で、訊け商業さまから、「これは倉田百三の寂光論ではないか」という問いかけがあったとおもうのですが、わたしも、近いものを感じたのですが・・この辺はどうでしょう。
さくらにウィルソンを語ってくださるのは、
さくらに、内なる美しさと、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」を
感じさせてくださるということですか、笑。
では、いじわるばかりしないで、笑、
もっと単純に、このことをさくらにも感じさせてください、。
初心者さまのコメントを読んでばかりで、ウィルソンの本が疎かになっております、微笑。
初心者さまのところは、今日は雨でしたか?
・・七夕って、毎年、雨ですね。
おやすみなさい。
-
初心者さま
>初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
曖昧な聞き方でしたね。
ほんとうは、生長の家の活動は、どう変わった方がよいと思うのか、、
初心者さまのお考えをお聞きしたいと思いました。
ちなみに、わたしは、生政連の活動の復活には反対です。
政治活動が有志で独立してあるのはよいですが、生長の家として活動するのは、あり得ないと思っています。
これからの時代にはもうないだろうとは思いますが、望む声があるようなら、反対します。
かといって、環境問題偏狭な活動も、ありえませんが。
これから、さくらは、お風呂です・・
こんどこそ、おやすみなさい。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――― 精神統一の理論 ―――――
最後に、精神統一の基本的理論の重要なポイントだけを、簡単に説明してこの章を
終わろうと思います。私たちは、すでに、人類が自我表現の機関として肉体、幽体、霊体、本体の
四媒体をもっていることを知りました。同時にまた私たちは、人間の置かれている環境が物質界、
幽界、神界の四大領域に分かれていることも知りました。小宇宙である人間と、これをとりまく大宇宙
とが、このように同一組織で出来ている以上、もし私たちが適当な方法を論じさえすれば、相互の間に、
それぞれ交通感応もできるはずですから、精神統一のねらいも、結局のところその点にあるのです。
すなわち人間が、欲望に支配されている場合は、その肉体をもって物質界に通じ、
感情に支配される場合は、その幽体をもって幽界に通じ、
理性に支配される場合は、その霊体をもって霊界に通じ、
英知に支配される場合は、その本体をもって神界に通ずるので、
ちょうど無線電話の場合と同じで、大体パイプレーションの原理に基づくものであろうと考えられます。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
これに関して、物理学界の権威クルックス卿は、すでに今から三十余年も前(明治三十年)
こう喝破しています――――
『私の考えるところでは、光の原理の中に思想伝達現象の秘密があり、さらにこれを推しすすめること
によって、従来解けなかった心霊現象の秘密の多くを解決できる、有力なカギが見い出されるとおもいます。非常に高い振動律をもっと推定される思念の波は、おそらく霊媒の頭脳に進入して、その神経中枢が、
これらの光波を使用するのは、おそらく声帯がいろいろの音波を使用するのと同じに違いないでしょう。
……霊媒というのは、要するに異常に発達した発信用または受信用の神経中枢機関の保有者で、これは
天分もあるでしょうが、同時に不断の練習の結果、高律の振動に感じやすくなったものであろうと思います。とにかく、この仮説をもってすれば、心霊現象というものは物理学の法則といささかも食い違ったもの
でなく、この点わざわざ超自然的な、または神秘的な要素をもってきて、心霊現象の説明にこじつけたり
する必要はなくなるのです……。』
すでに述べました通り、以上は精神統一の根本原則に過ぎません。実際問題となれば、まだ数多くの
予備的知識が必要でしょうが、それらについては読者の皆さんが、ひと通り心霊事実に親しんでから、
改めて講述することにいたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■■ 【第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法】
【霊媒の種類】 【精神統一の目標】 【身体的用意】 【精神的用意】…を
知りまして、近年の「霊媒師」を見分ける事が、出来るような感じです〜〜〜ネ!!
更に!【奥に入って〜〜】行きます…。そして「祈り方」も、よく似てますが〜〜〜??
勿論「雅春先生」自身も【生命の実相…】の中に、書かれていますが〜〜〜
此処に出入りされていた様ですから〜〜〜♫〜〜〜
■今の【生長の家…祈り方】は、「正しい祈り…」になりますから〜〜〜
正しい“理念”を持って…正しい“法則”を持つ事になりまして…
それは【神の叡智を受信…出来る!!】ように思えます…!!
そして「総裁雅宣先生」の後ろの【霊…】はやはり【神想観で実証…】ですので〜〜〜
勿論!「正しい神からの“メッセ−ジ”の様に~~~♫〜〜〜」に、思えますが〜〜〜
PS:
トキ様へ
今回の【 祈 り 】について、どのように思われましたでしょうか〜〜〜???
再合掌
-
さくらちゃんへ
>初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
現代人の意識は、なにごとにたいしても根拠を求めるようになったということ
です。当然のごとく、真理にたいしても求めるようになりました。
こうした変化は、以前だと提示が困難であったことがらにたいしても、科学の
理論を借りて根拠らしきものが示せるようになったがゆえに起きたともいえます。
ニーチェは、認識以前の世界をカオスであると考えました。言語学も、ニーチェの
この考え方を踏襲して、人間がカオスに、言語の力を借りながら働きかけることで
コスモスをつくりだしていると考えます。コスモスとはつまり、混沌としたカオス的
世界に言語を作用させ、秩序をつくり出すことによって得られた世界ということ
になります。
問題は「カオスとはなにか」ということです。この問題が言語学者を悩ませてきま
した。カオスにしても、けっきょくは人間がつくりだしたのではないか。カオスじたい
も言語の働きなのではないか。こうしたことが、いろいろと考えられてきました。
カオスという考え方があっても、根拠が提示できなかったのですね。科学が発達し
てDブレーンが数学的に発見され、それがホログラムでありうるとする理論も登場
しました。
ホログラム映像を映し出す乾板は、干渉縞が描かれただけの、文字どおりのカオス
でしかありません。そこには秩序だった何者も存在してはいないのですね。カオス
をDブレーンと結びつけることで、言語学者たちを悩ませてきた「カオスとはなに
か」の問いかけに答えることができます。それは仮説でしかありませんが、まがり
なりにも、いくつかの問いかけにたいして、科学的な根拠を示しながら答えること
ができる時代になってきているのは間違いありません。
新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。
ちなみに、Dブレーンとカオスを結びつけようとしているのは、わたしの知るかぎ
りでは、今のところわたしだけです。
-
さくらちゃんへ
>ところで、初心者さまは、まず、「純粋な信仰」を軽視、あるいは軽蔑されておられるように感じられますが、違いますか。
「純粋な信仰」は「不合理ゆえに我信ず」と断言できる精神の形から生まれてくる
ものであるともいえます。この意味で、信仰とは純粋に個人的なものです。個人の
信仰を軽視するような真似は誰にもできないと考えます。
信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」
という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければなら
ないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。
-
さくらちゃんへ
>人間に、ソフィアの働きを持たせるのは、「畏敬の行」とシュタイナーは言っているのですね。、やっぱりそうなのですね。
では、古来からの森が育んできた自然霊への信仰は、ソフィアの働きだったといえますか?
・・それにしても、まず、女性原理としてのソフィアの働きって、なんですか?
「自然霊への信仰」は、シャーマニズムともいえそうですね。シャーマニズムは
数千年の歴史があるともいわれていますが、その信仰形態が発見されたのは
ごく最近のことであったようです。いちど発見されてみれば、世界中のあちら
こちらにそうした信仰形態が深く根をおろしているということがわかってきました。
「シャーマニズム」という言葉がつくられたことで、それまでどこにもあるとは
考えられていなかったシャーマニズムが、世界中のいたるところに出現してきた
のですね。「シャーマニズム」という言葉の作用で、カオスでしかなかった信仰形態
が、シャーマニズムという名のコスモスとして現象化したということです。
シャーマニズムの特徴は、それが「畏敬の行」そのものであるということです。
シャーマンは、なにをなすにも精霊にうかがいをたて、承認を得ようとしますね。
そうでないシャーマンもいるのかもしれませんが、たいていのシャーマンはそう
するでしょうね。これは、精霊にたいする畏敬の念がなければできないことです。
「ソフィアの働き」とはドリーミングであるともいえます。森には森のドリーミングが
あります。ドリーミングによって森はつくられているということですね。「自然霊
への信仰」は、この意味でドリーミングへの信仰であるともいえそうです。「自然霊
への信仰」は「ソフィアの働き」であるということがいえるのではないでしょうか。
「女性原理」とは、雅春先生が説いておられるように「受ける」という働きをいい
ますね。シュタイナーは、「受ける」という働きを、聖なる杯である「聖杯」という
言葉で語ります。「女性原理としてのソフィア」とは、シュタイナーの言葉でいえば、
「聖杯」ということになります。
ではなにを「受ける」のかといえば、宇宙意識を受けるということです。宇宙意識
を受け取ることで、宇宙と自分との一体化を図ろうということですね。受け取る
ためになにが必要かといえば、シュタイナーにとってそれはアストラル体を受け皿
にするということであったのですね。
アストラル体を「聖杯」へと変えること。これがシュタイナーにとっての「女性原理と
してのソフィア」の実現であると考えます。
-
さくらちゃんへ
>つまり、さくらの名を使って、初心者さまが、言いたいことを言ってるのですね、笑。
#55の書き込みを見てますと、たしかに初心者は、さくらちゃんの質問の意図を
無視して、自分の言いたいことだけを言っているようにも見えますね。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまのところは、今日は雨でしたか?
・・七夕って、毎年、雨ですね。
七夕の7月7日とは、旧暦の7月7日のことですね。旧暦の7日の夜は、上弦の月と
呼ばれる半月の夜になります。聞くところによると、半月と天の川の明るさは
ほとんどおなじであるようです。そして旧暦の7月には、半月の位置が、ちょうど
天の川にかかって、月の明るさで天の川が消えるみたいですね。
天の川は消えても、彦星である、わし座のアルタイルと、織姫である琴座のベガ
は消えずに見えています。年に1度、旧暦の7月7日にふたりはめでたく出会える
ということですね。
こう見えてもわたしは、かつては天文少年であり、とある天文愛好グループに
属していて、月に1度の支部の例会にはかかさず参加していました。ですけども、
参加者はいつも男ばかり。たとえ七夕の夜でも、女子と出会うことはできません
でした〜。
-
さくらちゃんへ
>先日、訊け商業さまとのやりとりの中で、訊け商業さまから、「これは倉田百三の寂光論ではないか」という問いかけがあったとおもうのですが、わたしも、近いものを感じたのですが・・この辺はどうでしょう。
倉田百三氏が本物の宇宙について語っておられたのなら、「寂光」は本物の宇宙
ということになります。
倉田百三氏が語っておられたのが本物の宇宙であれば、雅春先生はそれを論破
なされたのであるから、本物の宇宙の問題は解決済み、との論法になるのでしょう
けれども、雅春先生が論破なされたというのはほんとうなのでしょうか。「超越項」
や「霊的直観」を持ち出さずに、論理だけで論破なされたのでしょうか。
あの論争で、雅春先生は「そのあたりの信仰」という言葉を使っておられたはず
です。倉田百三氏の「寂光」を信仰の問題とされたのですね。それが信仰であれ
ば、それなりの論破の仕方があるのでありましょうけども、これをわたしは、信仰
ではなく真理の追究と捉えておりますので、雅春先生がもしも反証不可能な
「超越項」や「霊的直観」を持ち出しておられたのであれば、論破は無効と考える
次第です。
-
さくらちゃんへ
言葉とシャーマニズムの関係、ご理解はいただけましたでしょうか。
それがいつのことだかは知りませんが、シャーマニズムが発見されたのは、
シベリアにおいてだったとおもいます。シベリアに他とは異なる信仰形態が
あって、それが「シャーマニズム」と名づけられたのが事の発端であったと
おもいます。
いったん「シャーマニズム」という言葉ができあがると、世界のいたる場所で、
続々とシャーマニズムが見出されるようになります。それまでは、たんに「他とは
異なる信仰形態」と見なされていたものが、シャーマニズムと見なされるように
なったのですね。
以上のことから何がわかるかといえば、シャーマニズムとでもいうべき意味や概念
が最初にあって、これを「シャーマニズム」と名づけたのではない、ということで
す。シベリア以前には、シャーマニズムに相当するような意味や概念はどこにも
ありませんでした。だからこそ人々は、今日シャーマニズムと呼ばれている信仰
形態を、「他とは異なる信仰形態」というように、ほかとの「差異」でしか認識でき
ずにいたのです。
言葉以前に人間が認識できるのは「差異」だけです。この「差異」に名称をつける
ことで意味や概念の感覚があたえられ、人々はそれが何であるかを知ります。言葉
以前に、人はそれが何であるのかを知ることはできないのですね。言葉以前に
意味や概念があって、あとからそれに名称をつけたとする考え方は成り立たない
ということがわかります。
以上がソシュールの説明になるかと存じます。ソシュールの影響がいかに甚大で
あり、ロゴスを自明のものとして打ち立てられていたそれまでの思想や哲学が、
どれほどまでに壊滅的な打撃を受けたかということが、これでご理解いただけた
ものと考えます。
-
>>46:初心者様が、
アラン・ワッツ著「タブーの書」が返って来たと書かれていたので、
アランワッツに、ついて調べてみました。
彼は、若い頃、飲んだくれだったし、迷いの中にいたが、牧師になったが、すぐに辞職したが、思想の追求には怠らなかった。
彼は、初心者様が言われる様に、
タオピストであり、人間と自然とを同一に考える老荘思想のタオイズムを西洋に広めた禅思想の先駆けの人だった。
かれは、16才にして『the spirit of zen』(禅の精神)を出版している。
彼の動画も観ました。自然も宇宙も自分自身だと、彼は動画の中で話していました。
それは、雅春先生が、
「自然も宇宙も自分と同じいのちであり、同じいのちに生かされている存在である。
自然も光であり、自分も光であるとお説き下さった思想と、同じではないか」と、私には、思えてなりません。
下記は、アランワッツの言葉が、入っていましたので、貼りました。
http://blog.goo.ne.jp/eunice14/e/c611668f7080746ff3bdfb7a6481e953
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〜左脳、右脳についての幾つかの意見〜
コリンウイルソンの意見も、含まれていました。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1103/hirameki-cyokkann-unou.htm
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つい四日前、観世音菩薩讃歌を読んで感動しておられた方が、
感動も覚めやらぬうちに次のような不安をいだかれた投稿をされています。
今の教えが間違っていることに早く目覚めてほしいです。
***************以下PostingJoyより転載****************
ベジタリアンについて考える
登録日:2012/07/08 12:15 (GMT+09:00) / カテゴリ:ノーミート料理
登録者:さらささん
今回は、ノーミート料理のご紹介では無く。
ベジタリアンについて考えている事を少し吐き出させていただきたいと思います。
個人的にノーミート(ベジ)については、否定もしませんし肯定もしません。
人様に「お母さんノーミートにしましょう」とは勧めません。
理由は簡単、環境問題=ノーミートだけでは社会生活上支障が多すぎるからです。
主人がアレルギーな上に、虚弱体質で。
色々な食事療法を、試して彷徨いました。
現在、命の危険があるほどのアレルギーは完治し。
体質も、改善され痩せすぎている以外は(笑)
何も問題が無い状態です。
ハッキリ言います、ベジでは治りませんでした。
マクロビもやりましたが、悪くなる一方でした。
しかも、マクロビを厳密にやればやるほど太っていくという
一般的な常識と反対も体験しています。
(決して、マクロビを否定するわけでは無いです。
体質に合わなかったということですね。それぞれの体質に合う方法で良いと思います。)
我が家では、別の食事法を指導していただき私の化学物質過敏症と
主人の重度の蕎麦アレルギーが完治です。
極端な事をすれば、まだ日本では出る釘は打たれます。
ベジをしていたときも、マクロビの時もお付き合いはほぼ無理でした。
そりゃ、人様とお付き合いするときは緩めるという方は思想上の
問題で実行されている方ですから大丈夫でしょうけれど。
健康上の理由で、体質改善をしているので1つも食事法を外さず。
厳密に行う場合、外食は一切不可能です。
人様との会食は無理だと思った方が無難でしょう。
1人だけ食べない、残すではその場の空気をダメにします。
そして、お酒が入れば興味本位で総攻撃に遭います。
大人であっても、普通の会社員なら良いですが。
警察や、自衛隊、海上保安官、消防官など。
集団生活で、同じ食事を取る必要がある職業の方は食事法は無理でしょう。
また、営業職の方でお得意様と会食などが多い方は。
相手方の気分を害する可能性もあると思います。
あまり、食事に固執した場合。
宗教的な理由で・・・と話した場合、どうでしょう。
若い方は納得されるかも知れませんが、年配の方は難しいでしょう。
「結局の所、偏食の言い訳」くらいにしか思われないかと。←経験上。
それが切っ掛けで、話しは弾み・・・良い商談に進む可能性もありますが。
逆の可能性もありますね、多分無難に済ませようとすれば全ての
食べ物に箸を付けることになると思います。
敬けんな信者であれば、これだけでも罪悪感を感じたり。
凹む理由にもなりかねないと思うのですが。
この点、まだ自分の中で合点が行かない部分です。
***************(中略)****************
あと、環境問題でというのは理解できるのですが。
雅春先生の食物について書かれた書物には、甘い物についても
色々と書かれていますが・・・最近は、糖に対する中毒といえそうなほど
糖が無いとダメな方がいらっしゃいますよね。
誰も、どんな食事も否定しない。
否定することで、争いが産まれるという意味ではノーミートを主張しません。
やりたい方がやれば良い。
ただ、ノーミートの素晴らしさを伝える事は素晴らしい事だと思います。
その辺り、押しの強さを前面に出してしまわないよう。
拒絶されないように、柔らかくやっていきたいと思っております。
***************以上転載おわり****************
-
> 雅宣氏は逆にこのようにした 投稿者:事情通
ああ紅の血は燃ゆる 様。反応して注意喚起していただき心から感謝いたします。
雅宣氏がご兄弟にお金をあたえたというデマ・憶測に対して、
事実に基づいた反論をしておきたいと思います。
「宮澤 潔先生の場合」
宮澤先生は慶応義塾大学出身でその英語力は雅春先生の認められるものであったそうです。実際、北米出版局長時代は多くの人達を英語で個人指導されて特に非日系人の集まりではカリスマ的な存在になられていました。そんな時に雅宣氏の講演会が北米で開かれ(雅宣氏は手直しされた英語原稿を棒読み講演する程度)、その原稿を後に英文神誌に全文掲載するように指示しました。
しかし、当時の出版責任者であった宮澤先生は「全文掲載すると雅春先生の文章を減らすことになる」と反対。連載も内容が論文なので「小冊子」にして単独で頒布することを提案されました。
すると雅宣氏は激怒。当時の国際部長に「彼を私の見えるところからはずしなさい」と指示。苦慮した国際部長でしたが当時オーストラリアで宮澤先生を熱望していた講師達があり、オーストラリアの責任者としての移動を提案。受理されました。
その後の宮澤講師の活躍はめざましく、何も無い場所から牧場を整備され、作業小屋を手直ししながらついには道場を作られて練成会を開催するに至られました。池を掘り、木を植林し、畑を作り、動物を飼育してこられました。ほとんどがご家族と奉仕の人達で行われました。その評判は日本やアメリカにも伝わり、そこからの練成参加者も現れたほどでした。ところが・・・ある日突然の人事異動が雅宣氏の指示で決定され、それは福岡ゆには道場の担当講師という役職のない人事でありました。その決定を受けて宮澤先生は本部に電話して、雅宣副総裁にその理由を尋ねようとしたところ雅宣氏より居留守を使われた上で秘書から
「あなたと話し合う必要はなにもないと申されておられます」との伝言を聞き、そこまでされるのならばと辞意を固められました。その事実をオーストラリア生長の家幹事会に発表されると、幹事全員が猛烈に反発。そして日本本部との包括関係を切り独立することを幹事全員の議決により決定することになったのが、「オーストラリア生長の家」独立事件であります。そしてそこから延々と裁判が続きましたが、雅宣氏の指示で宮澤講師の本部職員依願退職を懲戒免職に切り替えて、不当な弾圧により退職金を払わない決定がなされました。
これに対して、宮澤先生は不当解雇として提訴され、判決は宮澤先生の提訴どおり懲戒解雇による退職金不払いは違法と判決が下されました。
ココにおきましても、宮澤先生に対する雅宣氏の態度と姿勢は冷酷非道であり、また独立宣言を無効とする裁判をその後延々と続け、5億以上の弁護士費用を使って宮澤先生を追い詰めようとしました。(教団側が勝訴すれば裁判費用は当然宮澤先生側が支払うことになるので宮澤先生を完全に破産させる意図もここから想像できます)
この裁判は結局教団側が不利になる判決が予想されるために和解なり、結局雅宣氏の宮澤先生排撃に信徒の浄財が無駄に5億以上(弁護士費用として)払われることになったわけです。
この雅宣氏が宮澤先生にお金を配るというトンチはどこから来るのでしょうか。まさに、事実を知らない部外者の作り話だということがハッキリすると思います。<
こう言う事実を知っておられる元幹部の方の投稿を希望します。
私の周囲の白鳩さん達、お孫さまにそのようなことが有るはずがないと言ってますからね。
総裁のありのままの姿を知って、そこから出発です。
-
>>63
ご投稿、ありがとうございました。他の掲示板なので自重しておりましたが、ご紹介下さり感謝申し上げます。
教団内部にいるので、いろいろな噂を聞きます。しかし、谷口雅宣先生が、ご兄弟をお金で工作をしたとは、聞いた
事がありません。だいいち、普通に考えたら、事実無根であると断言できます。
正直、教団側のお金については、よくない噂も聞きます。本流掲示板の投稿者は残念がるだろうけど
あえて書いておりません。(かかないだけで、知ってはいますよ〜(笑))
そんな事を書いても、意味がないからです。
ましてや、宮澤先生ご夫妻については、清廉な姿勢で、教団側の人間からも尊敬を集めています。そんな人の
誹謗中傷など、もっての他であると思います。
この誹謗中傷を書いた人が、生長の家ではない可能性は高いと思っています。
残念なことです。
-
初心者さま
>新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。
現代人の意識の変化に対応した宗教も変化が必要であるということは、
わたしも同感です。
宗教には、信仰の核となる、変わらないものは確かにありますが、
意識の変化の対応が必要でしょう。
これは、いま世界的な仏教やキリスト教でも、対応をしている事だと思います。
宗教として、現代の問題にどう向き合っていくか、何が出来るか、ということを
たえず、敏感に考えていくことは大切です、これを感じ取る、肌感覚のようなものが必要だと思っています。とらわれがあれば、方向性を間違えますね。
この点の論理では、雅宣総裁は評価は出来ると思いますが、
でも、その活動では、宗教組織としては失敗をしたということですね。
生長の家の「真理の城塞」にひきこもる状態とは、
初心者さまは、具体的にどんなことを指しておられますか?
-
初心者さま
>ちなみに、Dブレーンとカオスを結びつけようとしているのは、わたしの知るかぎ
りでは、今のところわたしだけです。
初心者さまは、宇宙のホログラムやDブレーンを通して、「カオス」(これが、初心者さまが示している本物のうちゅう、なのでしょうか)を説明し、理解しようとしておられるのですね。
わたしは先日も書いたように、物理学にはまったく、疎くて、初心者さまがいう、カオスとか、本物のうちゅうというようなものを、自然科学的なものや有機的なものに感じることの方に、興味があるのかも知れません。
たとえば、粘菌の生物的な不可思議な生態を研究して、密教的なマンダラをつかって生命観宇宙観を説明しようとした、南方熊楠に興味がありますね。
ちなみに、南方マンダラには、宇宙観を顕したものが書いてあるのですが、それが、脳の構造に似ているのが面白いです。
南方熊楠の生命観は、すごくダイナミミックで、西洋的な分類的生物学を遙かに超越して東洋的な思想との融合を果たして、独自の世界観を見出しているのですね。
この方は、初心者さまがいっている、ほんもののうちゅう的なものを縦横無尽な才能で把握されていた、まれな人物なのではないでしょうか。
植物学者でもあった昭和天皇は、こんな歌を残されています。
「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
昭和天皇にもふかく愛された、学者でした。
-
初心者さま
熊楠は、日本最初のエコロジスト、と言われているんですが、自然の生態系の全体性を心身から、実感していて、森を守ることを訴えたんですよね。
生態学的にももちろんですが、熊楠は心霊的にも実感していたのではないかとかんじられます。神社合一に反対運動を起こしたのも、森がダメになれば、日本人の大切な信仰心を奪われるようなおもいだったのではないでしょうか。
精霊にたいする畏敬の念、これは、信仰の原点のようだとおもいます。
空海の思想も、仏教の密教的な世界と、神道的自然への畏敬的な信仰が融合させたのは、
日本の「森」が育んだことが大きいですね。
前にお話しされていた、「ソフィア」とは、女性原理の、受けるという働きをする、それは、宇宙意識を受けるということなのですか。
なぜ、アストラル体がこの宇宙意識を受け入れる、聖杯になりうるのでしょうね・・。
これが人間と宇宙をつなげる秘密なのかな・・?
シュタイナーはなんと説明しているのですか?
-
初心者さま
七夕って、天体的に、本当に天の河が消えて、
星があらわれる意味があったのですね・・
それを美しい物語にして伝えられているって、すてきです。
七夕の日はいつも雨だし、なぜか、さくらには寂しい想いが多かったような気がしますが、笑、これからは、初心者さまが書いて下さった話を、思い出すことにいたします。
天体少年だった初心者さまは、きっと、ロマンティックな心をお持ちだったのでしょうね。
夜空のうちゅうを見ていて、・・そのうちに本物のうちゅうの探求に目覚めたわけですか?
・・シュタイナーの言葉の理解は、また。
さくらから、曲のプレゼント。
http://youtu.be/j7CDb610Bg0
眠くて、くらくらする・・おやすみなさい。
-
トキさま
雅宣総裁先生のご兄弟に関する事で、とんでもないガセネタの、ありえない悪い情報を流した人がいて、
私も、すごくむかついておりましたが、
早速に、幾つもの 正しい情報が流れたので、安堵しました。
トキ様も、誹謗中傷だ、もってのほかだと、おっしゃってくださったので、ガセネタに必殺で、
とどめをさしました。とてもうれしく存じました。
今夜は、おもわず、トキ様が、藤田まことに見えました。(笑)
-
・・シュタイナーの言葉の理解
・・ソシュール、
の間違え、
-
>>57
初心者様
横スレ失礼
>彦星である、わし座のアルタイルと、織姫である琴座のベガ
は消えずに見えています。年に1度、旧暦の7月7日にふたりはめでたく出会える
ということですね。
こう見えてもわたしは、かつては天文少年であり、とある天文愛好グループに
属していて、月に1度の支部の例会にはかかさず参加していました。ですけども、
参加者はいつも男ばかり。たとえ七夕の夜でも、女子と出会うことはできません
でした〜。<
彦星と織り姫は恋人同士ではありません
夫婦なのです
今どきの言葉なら、単身赴任で年に1度家族と逢えるという事になるでしょうか
恋人ならば、年に1度しか逢えないはつづきませんが、夫婦ならソレでもいいという事なんでしょう!
-
>>65 :さくら:2012/07/09(月) 00:29:37 ID:vxm3Yqkc
>>初心者さま
>>新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
>>しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
>>科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
>>なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
>>なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。
生長の家の真理はそういうものではありません。
科学者はこの世界の現象を研究し信じています。
それを科学的な法則を真理と考えています。
そして、それを証拠としています。
しかし、仏教・キリスト教・生長の家などの宗教は、『この世は実在す
る世界ではなく。あなたの夢だ。』と言っているのです。
夢の中の現象を調べても何も出てきませんよ。
夢の中の物質や現象は『心の映像であり、物質もなく、現象も有りませ
んよ。』と言っているのです。
夢の世の中を現実だと思って、物理的に科学的に考えるから、病気の本
当の原因も、事故の本当の原因も災害の本当の原因も分からないので、
不幸の充満している夢になっているのです。
『この世は夢の世界である。』これが真理なのです。
真理は原理なので、閉塞することはありません。
科学者は科学的な証拠を求めますが、それなら『この世が夢ではない』
という証拠を発見する必要があるのです。
-
>>72 のつづき。
>>科学者はこの世界の現象を研究し信じています。
>>それを科学的な法則を真理と考えています。
>>そして、それを証拠としています。
こういう考えを仏教では『無明(無知)』といっています。
この無知によって、人間はこの世に生まれる。といいます。
生まれると言うより、この世の夢がはじまると言うことです。
つまり『無明縁起』です。
では人間界の夢を造る無明とは何か。
**************************************
■無明(無知)とは
①前世について知らない。後世について知らない。前世と後世との関係
を知らない。
②また、「空」を知らないから、自分の実体を知らない。外界の実体も
知らない。
③業(ごう)というものを知らない。報を知らない。業報を知らない。
④仏(如来)を知らない。法則(真理)を知らない。その法則を教える
人(法師)を知らない。
⑤苦しみの世界の中に於いて、苦しみを認識しない。
⑥苦しみの原因を知らない。したがって、苦しみの解消法を知らない。
⑦現象の原因を知らず、原因と結果の関係を知らない。
⑧本当の善悪を知らず、本当の有罪無罪を知らない。
⑨煩悩の有無を知らない。
⑩誰が勝っている人か、誰が劣っている人かも知らない。
⑪汚れも清浄も、善悪の分別も十二因縁の法則も皆ことごとく知らない。
五官と心によって真実を知覚していない。真実を求めようとせず、見よ
うともせず、永久に無知の闇に覆われている。これが無明である。
(阿含経より)
**************************************
これらを知らないことが『唯物論者の無知』ということです。
-
さくらちゃんへ
曲のプレゼント、ありがとう。
天体観測ということでいえば、中学生のときに使っていたのが、ビクセンと
いうメーカーの口径6センチの屈折式天体望遠鏡でした。焦点距離は、たしか
900ミリだったような。赤道儀はついてなかったので、星の日周運動を
追うことはできませんでした。
天体写真も撮っていましたが、カメラを望遠鏡につなげるアダプターは、
さすがに市販のものはなく、なじみのカメラ店の特注品でした。でもね、
カメラはミラーアップできる機種ではなく、さすがにマウントと呼ばれる部材も
脆弱ですので、たとえレリーズを用いて慎重にシャッターを押したとしても、
100倍を超える倍率では、撮れたのはブレブレの写真ばかりでした。マニアックな
話になりますが、使っていたフィルムは、コダックのハイスピードエクタクロームと
いうリバーサルフィルムか、モノクロの高感度フィルムでした(このあたり、マニア
を気取って自慢げに語る者がおります。おろかなあたしは、風景写真やスナップ
写真にも、ハイスピードエクタクロームを無意味に用いておりました)。
ビクセンのつぎに使ったアストロ光学製の反射式望遠鏡には、ちゃんと赤道儀が
ついていましたよ。でもね、色気づいたあたしは、男だけの世界にはさすがに
嫌気がさして、じきに足を洗いました。
-
さくらちゃんへ
>生長の家の「真理の城塞」にひきこもる状態とは、
初心者さまは、具体的にどんなことを指しておられますか?
現状がすべてを物語っているようにおもわれます。
>初心者さまは、宇宙のホログラムやDブレーンを通して、「カオス」(これが、初心者さまが示している本物のうちゅう、なのでしょうか)を説明し、理解しようとしておられるのですね。
真理といっても、最終的には「実感」だとおもいます。それがいかにリアルに実感
されるかが、問題になるとおもいます。実感のない真理をいくら語っても、そのこと
に意味はないと考えます。ただし、カオスが本物の宇宙のすべてということでは
ないでしょうね。言語以前の世界は人間にとってカオスでしかない、というのは
いえるかもしれません。
>熊楠は、日本最初のエコロジスト、と言われているんですが、自然の生態系の全体性を心身から、実感していて、森を守ることを訴えたんですよね。
生態学的にももちろんですが、熊楠は心霊的にも実感していたのではないかとかんじられます。
南方熊楠という人は、面白いことをいっていたようですね。幽霊のようなものが
見えていたようですが、それが本物の幽霊か幻覚であるかを見分ける方法として、
自分の向きを変えてみるということをいっていたようです。
本物の幽霊であれば、向きを変えても、幽霊はおなじ場所に立っている。それが
幻覚であれば、向きを変えても、幽霊はつねに自分の正面に立っている。こんな
ようなことを、公衆浴場などで長談義しながら真剣に語っていたといいますから、
たしかに見えていたのでしょうね。
植物や粘菌の研究は、自身の天才ぶりを持て余していた熊楠にとって精神安定剤
の役割を果たしていたようですね。森がなければ生きてはゆけぬ人であったようです。
-
Kジロウ様
夫婦だったのですか。それは知りませんでした。純情な天文少年に
とって、すべての女子は「異星人」でしかありませんでした。
-
スターダスト様
「唯物論者の無知」といわれるのであれば、こちらで語られるのも
結構でありますが、それよりも、大学や研究機関に乗り込んで、
科学者たちと直談判なされたほうがよいのではないでしょうか。
救われるべきは、この世界が夢であることに同意しているわたしよりも、
夢を現実と信じてうたがおうともしない研究者たちなのですから。
身近なところでいえば、人間を物質体としてのみ見る医学は「唯物論者の
無知」の代表格のようなものでありましょう。わたしは滅多に病院にいく
ことはありませんが、やむを得ず通院した場合でも、さすがに直談判は
いたしませんが、医師のいうことも聞きません。
わたしがあまりにいうことを聞かないものですから、とある大病院では「あなた
のような患者ははじめてだ。もう来ないでくれ」といわれたことがあります。むろん
医師の指導にしたがって通院はやめました。スターダスト様は、たとえ病院にいか
れたとしても、まさか医師の言いなりになっておられるということはありませんよね。
スターダスト様のことですから、どのような身体的不都合が生じようとも、
それを夢のなかの出来事として、平然としておられることでしょう。そもそも
身体症状という夢をご覧になることもないのでしょう。
唯物論を否定するにあたっては、それなりの覚悟が必要と考えます。現実問題と
して、ときに覚悟がゆらぐこともありますが。
-
>>77 :初心者
>>身近なところでいえば、人間を物質体としてのみ見る医学は「唯物論者の
>>無知」の代表格のようなものでありましょう。わたしは滅多に病院にいく
>>ことはありませんが、やむを得ず通院した場合でも、さすがに直談判は
>>いたしませんが、医師のいうことも聞きません。
>>わたしがあまりにいうことを聞かないものですから、とある大病院では「あなた
>>のような患者ははじめてだ。もう来ないでくれ」といわれたことがあります。むろん
>>医師の指導にしたがって通院はやめました。スターダスト様は、たとえ病院にいか
>>れたとしても、まさか医師の言いなりになっておられるということはありませんよね。
そうではありません。
『唯物論者の無知』というのは私が言っているのではなく、仏陀の言葉
です。前にもいいましたが、私自身が科学に反対しているわけではあり
ません。ただ、科学は限定された真理であるということです。
次のイエスキリストの言葉に注目して下さい。
**********************************************
『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、
疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけ
でなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言っても、
そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何で
も与えられます。』(新約聖書)
**********************************************
このイエスキリストの言葉のように、『信じて疑わなければ』必ず、願
いは叶うのです。なぜなら、この世界が夢の世界だからです。
これを病気に置き換えてみましょう。『病気は治ると信じるだけで直る
でしょう。』もちろん『信じて疑わなければ』の話です。
しかし、私たち人間は『病気は医師が治す』と『信じて疑わない』ので、
医師の指導で病気は治るのです。もちろん私自身も例外ではないので、
医師の診断に従います。つまり、病人は病気になった夢を見、医師に治
してもらった夢を見ているに過ぎないのです。『つまり、この世は夢で
ある。』これが生長の家・仏教・キリスト教の真理の真髄なのです。
**********************************************
汝ら感覚にてみとむる物質を
實在となすこと勿れ。
物質はものの實質に非ず、
生命に非ず、
眞理にあらず、
物質そのものには知性なく
感覚なし。
物質は畢竟『無』にしてそれ自身の性質あることなし。
これに性質を與ふるものは『心』にほかならず。
『心』に健康を思へば健康を生じ、
『心』に病を思へば病を生ず。
**********************************************
この『甘露の法雨』のあるように、『心』に健康を思って健康を生じさ
せることができないので『医師の指示に従っていれば健康になる』とい
う過程を通して、『健康を思い』を実現して病気を治していると言うこ
とです。
『つまり、医師が病気を治すのではなく、医師が病気を治してくれると
いう信念が病気を治すのです。』
-
仏陀は『人間がこの世に生まれるのは無知』だといいました。
だから『十二因縁』という仏教の法則の最初に『無明(無知)』がある
のです。無知とは唯物論者のことです。
もちろん、この世に生まれた者は『無知』です。もちろん、私も含みま
す。もし、私自身が無知でなければこの世に生まれることはないのです。
しかし、この世に生まれてきた以上、智慧を求めて、死後には再びこの
地上世界に生まれないようにしなければなりません。
『この世で修行して智慧を獲得し再び地上に生まれることがないように
永遠の寿命である天界に生まれなさい』これが仏教・キリスト教の目的
なのです。
『この世界は夢の世界である。』これが真理であり法則なので、夢の中
の物質を調べても意味はないということです。すべて病気の原因は戒め
を守らないことで起きるのです。だからイエスキリストは次のようにい
っているのです。
**********************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
(新約聖書)
**********************************************
病気はこの戒めを守らないことによって起きているのです。
-
スターダスト様
>夢の中の現象を調べても何も出てきませんよ。
夢の中の物質や現象は『心の映像であり、物質もなく、現象も有りませ
んよ。』と言っているのです。
>『唯物論者の無知』というのは私が言っているのではなく、仏陀の言葉
です。前にもいいましたが、私自身が科学に反対しているわけではあり
ません。ただ、科学は限定された真理であるということです。
この二つの発言は、同一人物による発言と考えてよいのでしょうか。
-
スターダスト様は断定口調で語られますので、対抗上、こちらも断定的に
語る必要が出てまいりますが、そうすると本流掲示板でなんやかんやと
騒がれてしまいます。結果として総裁先生に迷惑がおよぶことになります。
断定口調にたいして、非断定的に対抗するのは容易ではありません。
-
>>80 :初心者:2012/07/09(月) 10:07:33 ID:TfQ0e6RA
>>この二つの発言は、同一人物による発言と考えてよいのでしょうか。
矛盾していると思われるのですか?少しも矛盾していませんよ。
ある人がいいました。
自動車は科学者が一生懸命に発明したものである。
あなたは、現象を否定しているが、自動車を使わないのか?
私はいいました。遠くに行くのに、便利な方法はないのか。という、祈
りが神に通じて、自動車は出現したのであると考えていますよ。科学者
のように自動車の構造は知らないが、運転はできますよ。と。
もし、私が唯物論を超越できれば、イエスキリストのように、引力を超
越して、水の上を歩き、嵐を『黙れ静まれ』の一言で静めることができ
るでしょうね。これができない人はすべて唯物論を信じているのです。
もちろん私を含めてね。
『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』
分かりにくかったら、本当の夢について考えてみて下さい。
あるときこんな夢を見た『ライオンに追いかけられていた。その時、運
良くハンターの車に乗せてもらって助かった』
このとき、この車は誰が発明したのか。構造はどうなっているかについ
て考えても仕方がないでしょう。そこにハンターの車はあったのだから、
ただ、本当は夢だからライオンも無く、車もなく、ハンターもいなかっ
たのです。もし、この夢の中の物理的な現象を超越した人がいたら、『ラ
イオンよ消えよ』と言うだけで消えてしまうのです。これが唯物論を超
越したイエスキリストなのです。
-
スターダスト様
あまり深く考えるのはよしましょう。
>『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』
まったく理解はできておりませんが、ホログラフィック理論の提唱者である
マルダセナは、重力の法則によって物が落下するように見えるのは、2次元
ホログラムがそのような映像を映し出すからだ、といったようなことを述べ
ていたようにおもいます。
「引力の法則」にしても、その他の法則にしても、科学は宗教よりもさらに先へと
進んでいるのかもしれませんね。
2次元ホログラムがどのような映像でもつくり出せるのであれば、人が水の上を
歩いているように見える映像も、嵐が鎮まるように見える映像も、山が海へと移動
するがごとく見える映像も、それなりの臨場感でつくり出すことができるという
ことでしょうね。宗教がいっているのは、このことだとおもいます。
ただし、ひも理論では「重力子」にあたるものを想定しているようです。通常、ひも
は、両端が切れていて、Dブレーンに固定されるか、Dブレーン上の移動を余儀なく
されているようです。「重力子」にあたるひもは、両端がつながっていて輪ゴムの
ようになっているので、Dブレーンに固定されることなく、あちらの世界もこちらの
世界も自由に移動できると考えられているようです。
以上のひも理論の考え方と、マルダセナの説にどのような整合性があるのか、
それはまったくわかりません。
-
>>72
スターダストさま
ありがとうございます。
スターダストさまが、引用されているご文章には、わたしは、意義はありませんが、
ただ、先日よりスターダストさまのお考えと、異なることがあると思われます。
科学や物理的法則が、原罪だ、と称されていたことなどもそうです。
わたしは、罪があるとすれば、科学や物理の法則自体ではなく、そのとらえ方が、罪を生むのだとかんじております。
いわゆる左脳自我の増大によって、この法則の全体性が捕らえられなくなったことの方が、問題だということです。
科学の法則も、宇宙の叡智の一側面とは、いえないでしょうか。その法則に添うことによって、見えない叡智に「リアリティ」を感じるものがあると、おもいます。
スターダストさまが、「夢」だと引用される部分については、意味は把握しておりますが、
だからこそ、この夢を生きるのに、リアリティを求めること自体を否定することではないともかんじています。これは、生きる実感に大切なことと捉えています。
科学の法則を、宗教的世界観と対立するものだと、単純に二元論的にはだけ言えないのではないかともおもっています。
たとえば、先に挙げた南方熊楠は、生物学について、西欧のシステム論的な分類学に収まることをしませんでした。生命に現れるありのままの不可思議な現象、熊楠独自の生命観で捉えています。それは、マンダラ、という仏教の密議に通じるような、哲学にまで体系づけたようなのですね。
熊楠は、既存の生命システム的な論理で捉えることの出来ない生命観を、ニルヴィーナマンダラ、としてアジア的な哲学を折り込み、それは、大日如来の人知で捉えることの出来ない不可思議な働きを、表現されていると語っているようです。
一観察者としての主体客体や、生命と死、右脳的把握と左脳的把握、こちらの世界とあちらの世界・・・熊楠は、そういう境さえも、縦横無尽に行き来できるような、特異な魂の持ち主だったとは思いますが・・
やはり、科学や物理も分類学の枠を越えて、生命の全体的な把握を目指すことがあればと感じます。
科学的アプローチが、必ずしも宗教的な真理にたどり着くものではないと思っておりますし、お互いに、利用するような方向にあっては、たいへん危険があり避けるべきですが、
純粋な探求心による、歩み寄りの姿勢は、わたしは大切と考えております。
-
>>71
Kジロウさま
ありがとうございます。
・・そうか、恋人ではなく、夫婦ですね。
ほんと、恋人なら、耐えられないけれど、
夫婦なら、この距離感は、快適なのでしょう、笑。
・・つまり、遠距離恋愛の女子、がんばれ!・・です。笑。(さくらもがんばれ!笑)
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初心者さま
初心者さまは、望遠鏡のこと詳しいのですね。
さくらは、天体観測はしないのですが、バードウォッチングに目覚めそうなんですよ。
先日、すごく楽しくて、そのための双眼鏡を買いたいとおもっているのです。
オススメされたのは、ビクセンやニコンということですが、
スワロフスキーで出してるのは、おしゃれでよいな、って思ったんですよね、
でも、観察初心者には高い・・。
野鳥の会のおじさまと親しくなって、買ってもらおうかな、笑。
やっぱりさくらは、自然観察系が好きです。
-
>>84 :さくら:2012/07/09(月) 11:29:54 ID:vxm3Yqkc
>>純粋な探求心による、歩み寄りの姿勢は、わたしは大切と考えております。
それは無理でしょう。唯物論と唯心論は考え方がまったく逆だからです。
唯物論者曰く『人間は脳によって思考します。』
唯心論者曰く『脳も幻であって存在しません。右脳左脳は心によって造られているのです。』
このように考え方がまったく正反対なのです。
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>>83 :初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
>>「引力の法則」にしても、その他の法則にしても、科学は宗教よりもさらに先へと
>>進んでいるのかもしれませんね。
そうではなく、宗教が無明により限定された法則が科学なのです。
だから宗教の法則である真理を破ることはできませんが、イエスキリス
トのように科学の法則は破ることができるのです。
『水の上を歩く』『嵐を一喝で静める』などです。
『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』
-
人間は死んだら霊界に行きます。行くというより目を覚ますといった方
が正しいでしょう。つまり、この地上世界は霊界で見ている夢なのです。
深く自然科学や唯物論に囚われていた者は霊界では苦痛を伴うのです。
この文章は他の掲示板に投稿したものですが、参考になればと思います。
**********************************************
■他生に初めて入ってくる際は、個々のものの記憶は、そこから派生し
てくる誇りと共に、苦痛を与える。
誰でもその者が身体の生命の中で得た自然的な気質を他生へ携えて行き、
かくて広般な記憶をもっていてそのことを誇り、そのことを見せびらか
そうと願っている者らはその記憶をもって行くのである。このようにふ
くれ上がったこの記憶は外にくっついている、いわば、固いたこのよう
なものであって、時の経過につれて柔らかくされなくてはならないので
ある。しかし、その間それは、恰も頭の皮膚がむしり取られているかの
ように、頭に苦痛を引き起こすのである。
**********************************************
他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たないのです。
-
>>87
スターダストさま
そうですか、
スターダストさまにかかってしまうと、
ダライラマ14世の科学者との熱心な対話の取り組みも、
無駄なことになってしまいますね・。
無理だ、と考えている宗教観があっても、これは、仕方ありません。
自分の世界観を崩されることは、たいへん不快なことですから。
たいへんなのは、よく理解しています。
ただ、引用の箇所は、ご丁寧にありがとうございます。
所々の、引用の文には、ご賛同いたしておりますよ。
ところで、
>>82
ある人がいいました。
自動車は科学者が一生懸命に発明したものである。
あなたは、現象を否定しているが、自動車を使わないのか?
私はいいました。遠くに行くのに、便利な方法はないのか。という、祈
りが神に通じて、自動車は出現したのであると考えていますよ。科学者
のように自動車の構造は知らないが、運転はできますよ。と。
もし、私が唯物論を超越できれば、イエスキリストのように、引力を超
越して、水の上を歩き、嵐を『黙れ静まれ』の一言で静めることができ
るでしょうね。これができない人はすべて唯物論を信じているのです。
もちろん私を含めてね。
この世界観も、わたしには興味深かったです、笑。
わたしは、引力の法則を超越して水の上を歩きたいなどとは思わずに、
ただ、科学の進歩にも感謝して自動車に乗ることも、信仰だと思っていたので、
・・水の上を歩けないものがすべて「唯物論」信仰だ、とは、思っておりませんでした。
ありがとうございました。拝
-
スターダスト様
>それは無理でしょう。唯物論と唯心論は考え方がまったく逆だからです。
唯物論者曰く『人間は脳によって思考します。』
唯心論者曰く『脳も幻であって存在しません。右脳左脳は心によって造られているのです。』
そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
いっていますよ。
なにが「無理」で、なにが「逆だ」といっておられるのでしょう。
>そうではなく、宗教が無明により限定された法則が科学なのです。
だから宗教の法則である真理を破ることはできませんが、イエスキリス
トのように科学の法則は破ることができるのです。
『水の上を歩く』『嵐を一喝で静める』などです。
ですから、「水の上を歩く」や「嵐が鎮まる」は科学で説明できる、といっている
のですよ。説明されてしまったにもかかわらず(あくまでも可能性ですが)、
いまだに科学を「無明」といっておられるのであれば、それは時代錯誤です。
>他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たないのです。
あの世とこの世とでは用いられるアルゴリズムが異なっているだけなのかも
しれませんよ。なぜ科学が役立たないと言いきれるのでしょう。
-
>>90 :さくら:2012/07/09(月) 12:09:31 ID:vxm3Yqkc
>>そうですか、
>>スターダストさまにかかってしまうと、
>>ダライラマ14世の科学者との熱心な対話の取り組みも、
>>無駄なことになってしまいますね・。
>>無理だ、と考えている宗教観があっても、これは、仕方ありません。
>>自分の世界観を崩されることは、たいへん不快なことですから。
>>たいへんなのは、よく理解しています。
これは、自分の世界観を述べているのではありません。
生長の家の世界観を述べているのです。もし、この世界観に反対の人が
いれば、生長の家の真理を理解しているとは思われません。
ダライラマも本当の仏教を理解しているとは思えません。仏教やキリス
ト教を本当の意味で理解しているのは『生命の実相』だと思います。
-
>ダライラマも本当の仏教を理解しているとは思えません。
…!
あの…、
スターダストさま…もうこれ以上、さくらは、
あなたの世界観を、邪魔しません。
引用の箇所は、勉強になり感謝しております。
科学や物理を探求するものは、みな唯物者として迷ってるの者だと、
哀れんで祈ってください、
ありがとうございます。拝
-
唯物者→唯物論者
-
>>91 :初心者:2012/07/09(月) 12:21:25 ID:TfQ0e6RA
>>そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
>>カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
>>いっていますよ。
>>なにが「無理」で、なにが「逆だ」といっておられるのでしょう。
唯物論者=物質有り、現象有り、人有り。
唯心論=物質無し、現象無し、人無し。
このように考え方が『逆』なのです。
無いものを有ると考えることが『無理』なのです。
>>そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
>>カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
>>いっていますよ。
霊界・天界・神を宇宙というなら、正しい見解です。しかし、この現象
の宇宙は夢であり、存在しません。ただし、その場合宇宙そのものが心
です。こころが無ければ考えることはできません。しかし、脳も心も無
いという人が大脳科学者ととはどういう意味ですか?大脳は無いので
は?
-
>>あの…、
>>スターダストさま…もうこれ以上、さくらは、
>>あなたの世界観を、邪魔しません。
>>引用の箇所は、勉強になり感謝しております。
>>科学や物理を探求するものは、みな唯物者として迷ってるの者だと、
>>哀れんで祈ってください、
だから、私の世界観ではなく、生長の家・仏教・キリスト教の世界観だ
と言っているのです。
-
**********************************************
無明はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。
眞相を知らざるを迷と云ふ。
快苦は本来物質の内に在らざるに、
物質の内に快苦ありとなして、
或は之を追ひ求め、
或は之より逃げまどふ、
かかる顛倒妄想を迷と云ふ。
生命は本来物質のうちにあらざるに
物質の内に生命ありとなす妄想を迷と云ふ。
本来物質は心の内にあり。
心は物質の主にして、
物質の性質形態はことごと心の造るところなるにもかかはらず、
心をもつて物質に支配さるるものと誤信し
物質の変化に従つて
憂苦し懊悩し、
われとわが生命の圓満完全なる實相を悟ることを得ざるを迷と云ふ。
迷は眞實の反對なるが故に無明なり。
(甘露の法雨)
**********************************************
つまり、こういうことです。
-
スターダスト様
>唯物論者=物質有り、現象有り、人有り。
唯心論=物質無し、現象無し、人無し。
ですから、現代物理学は「物質あり」、「現象あり」とは考えていません。
もういちど言いますよ。現代物理学は「物質あり」、「現象あり」とは考えて
いません。
「物質なし」、「現象なし」を反証可能な形で語っているのが現代物理学
なのです。
>霊界・天界・神を宇宙というなら、正しい見解です。しかし、この現象
の宇宙は夢であり、存在しません。ただし、その場合宇宙そのものが心
です。こころが無ければ考えることはできません。しかし、脳も心も無
いという人が大脳科学者ととはどういう意味ですか?大脳は無いので
は?
このような問いかけじたいが、あなたのいう唯物論的思考なのですよ。
従来の唯物論的思考では、プリブラムは理解できません。自分で自分を
見る。宇宙とはそういうシステムなのですよ。脳は、宇宙が自分で自分を
見るためのシステムに組み込まれています。
人間の脳がDブレーンを発見したのではありません。DブレーンがDブレーン
を発見したのです。それがそれを発見したのです。
すべての科学者は唯物論者である。したがって、唯物論者である科学者が
「脳も心もない」と発言することはあり得ないと、あなたはこのように考えて
おられるのですね。この考え方じたいがすでに時代遅れなのですよ。
-
>>98 :初心者:2012/07/09(月) 13:44:46 ID:TfQ0e6RA
物質無しと言うのはそういう意味の物質無しではないのです。
物質はエネルギーだとか物質は振動だから無いというような意味では無いのです。
この世は夢だといっているのです。
だからいくら夢の中を分析しても意味はなく、夢の世界から目覚めた世界を見ることは不可能なのです。
>>このような問いかけじたいが、あなたのいう唯物論的思考なのですよ。
>>従来の唯物論的思考では、プリブラムは理解できません。自分で自分を
>>見る。宇宙とはそういうシステムなのですよ。脳は、宇宙が自分で自分を
>>見るためのシステムに組み込まれています。
だから、脳は夢の産物だから無いといっているのです。だから脳には何も組み込むことはできないのです。
-
イエスキリストは数々の科学を否定する奇跡を行いました。
空中から6000人分のパンを取りだし、物質不滅の法則を否定した。
盲目を治し、中風を治し医学を否定した。
水の上を歩いて万有引力の法則を否定した。
嵐を一喝で静め、気象学を否定した。
イチジクの木を一言で枯らして、生物学を否定した。
水を葡萄酒に変えて、化学を否定した。
これは、物理的な科学の法則は真実(真理)ではないということを意味
しているのです。つまり、夢の世界は何でも有りの世界なのです。
我々人間は唯物論の法則を信じて疑わないために、空中からパンを取り
出せないのです。そこでパンの取り合いがはじまり、それが戦争の基本
的な原理です。だから、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は人間の
唯物論から起きているのです。
-
スターダスト様
>物質無しと言うのはそういう意味の物質無しではないのです。
物質はエネルギーだとか物質は振動だから無いというような意味では無いのです。
物質が、エネルギーに形を変え、振動や粒子として観測されることがあるにして
も、その正体は映像です。映像だからこそ、さまざまな形をとることができるのです。
>だから、脳は夢の産物だから無いといっているのです。だから脳には何も組み込むことはできないのです。
ですから、「脳はない」といっております。脳は、夢のなかで夢見られることで
夢見ているのです。以上です。
-
>>101 :初心者:2012/07/09(月) 14:53:37 ID:TfQ0e6RA
>>物質が、エネルギーに形を変え、振動や粒子として観測されることがあるにして
>>も、その正体は映像です。映像だからこそ、さまざまな形をとることができるのです。
>>ですから、「脳はない」といっております。脳は、夢のなかで夢見られることで
>>夢見ているのです。以上です。
な〜んだ。だったら生長の家と同じ考えではないですか。
-
異端とみなされるのは、つねに真の信者です。
-
>な〜んだ。だったら生長の家と同じ考えではないですか。
…宗教と科学、和解せいりつ…
?
-
さくら訂正→(ただの)さくら
-
>>88
スターダスト様
>『水の上を歩く』<これは、無理です!
但し、『そこなし沼を2、3歩走る』くらいなら可能です!
なんかのTV番組でやっていたのは、小麦粉と水を混ぜた半液体(お好み焼きの生地をイメージして下さい)
プールの上を3段跳びの要領で、向こう側に渡る事にチャレンジ!
3歩目は靴が脱げながらも無事に向こう側に渡る事が出来ました!
これは水と小麦粉の粒子が大きさが、違う為に、強い力が加わると、一瞬硬くなる性質を利用したモノ!
体験したかったら、今度、家でお好み焼きを作る時に、焼く前に生地をビニール袋に入れて、
軽く握れば、勿論
ムニュムニュって、感じですが、
思いっきりグーパンチをすれば、『いた〜い』(泣)(T_T)
…となります!
ケガをされない様に
お気をつけ下さい
-
「人間は水の上を歩くのは、可能か」で、検索しました。
何人も、水の上を歩いている人がいるのですが、これは、マジックなのかしら。わかりません。
http://www.youtube.com/watch?v=sBQLq2VmZcA&feature=related
-
discoveryで、、、
まゆつばですが(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=NugCjIXJIic&feature=related
-
>>88
スターダスト様
『嵐を一喝で静める』色んな解釈はありますが、
簡単に説明するなら
嵐(困難)に直面した時、神を信じて冷静に対処しなさい!
そうすれば、良い結果が得られる!
自分の見解としては、
生長の家で中高生にいうなら、『困難に戯れよう』
だけど、大人向に
更に
heavyバージョンという様に解釈しました!いくつかの教会の見解載せておきます
<講釈>嵐を静める - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/7cb3cb1f976a088c8265bb854f5c3609&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E5%B5%90%0A%E9%9D%99%E3%82%81%E3%82%8B%0A%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99&guid=on
『嵐を静めるキリスト』マタイ8章230 27節 - 郡山キリスト共同教会へようこそ
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://www.kyoudou-ch.com/2011/04/16/%25E5%25B5%2590%25E3%2582%2592%25E9%259D%2599%25E3%2582%2581%25E3%2582%258B%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588-%25E3%2583%259E%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25A48%25E7%25AB%25A0-23-27%25E7%25
-
>>107
志恩様
画像みましたが
.youtube.は
インチキポイ気がします!
-
>>111
追加
参考
本音で語る聖書のメッセージ-Holy Hope Project
http://holyhope.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=255343589&_=lvZC
-
『水上歩行』で検索
自分の言っていたモノではないですが、
近い感覚の画像です!
↓
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3Df2XQ97XHjVw&v=f2XQ97XHjVw&gl=JP
-
Kジロウさま
これなんか、ちゃんと、水の上を歩いていますよね。あと、下の方の動画で、50㍍プールの水の上を
軽々と歩いて渡っている人がいますが、
この人は、普段は、スタントマンの仕事にしていると書いてありました。
いかにも身のこなしが、プロフェッショナル。
水すまし みたいな人間が、世の中には いるものですね。
これを見ますと、きっと、イエスキリストも、、、と信じられそうな気がしてきました。
-
30年も昔の話ですが、『ヒマラヤの聖者』という本を読んだことがあります。
その中の一節で、三人の聖者と二人の探検隊が密林の中をあるいていました。
**********************************************
五人が河にさしかかったとき、一人の男が河岸にいました。そして彼は
『見て下さい。ここで三年かかってついに水の上を歩くことができるよ
うになりました。』といいました。
すると聖者の一人が『三年もかかってたったそれだけのことしかできな
かったのか。』と言い残して、三人はすたすたと水の上を歩いて河を渡
っていきました。
**********************************************
こんな記述のあったことを思い出しました。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48投稿の続きです…。
■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――
―――――― 精神統一の理論 ―――――
最後に、精神統一の基本的理論の重要なポイントだけを、簡単に説明してこの章を
終わろうと思います。私たちは、すでに、人類が自我表現の機関として肉体、幽体、霊体、本体の
四媒体をもっていることを知りました。同時にまた私たちは、人間の置かれている環境が物質界、
幽界、神界の四大領域に分かれていることも知りました。小宇宙である人間と、これをとりまく大宇宙
とが、このように同一組織で出来ている以上、もし私たちが適当な方法を論じさえすれば、相互の間に、
それぞれ交通感応もできるはずですから、精神統一のねらいも、結局のところその点にあるのです。
すなわち人間が、欲望に支配されている場合は、その肉体をもって物質界に通じ、
感情に支配される場合は、その幽体をもって幽界に通じ、
理性に支配される場合は、その霊体をもって霊界に通じ、
英知に支配される場合は、その本体をもって神界に通ずるので、
ちょうど無線電話の場合と同じで、大体パイプレーションの原理に基づくものであろうと考えられます。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
これに関して、物理学界の権威クルックス卿は、すでに今から三十余年も前(明治三十年)
こう喝破しています――――
『私の考えるところでは、光の原理の中に思想伝達現象の秘密があり、さらにこれを推しすすめる
ことによって、従来解けなかった心霊現象の秘密の多くを解決できる、有力なカギが見い出されると
おもいます。非常に高い振動律をもっと推定される思念の波は、おそらく霊媒の頭脳に進入して、
その神経中枢が、これらの光波を使用するのは、おそらく声帯がいろいろの音波を使用するのと
同じに違いないでしょう。
……霊媒というのは、要するに異常に発達した発信用または受信用の神経中枢機関の保有者で、
これは天分もあるでしょうが、同時に不断の練習の結果、高律の振動に感じやすくなったもので
あろうと思います。とにかく、この仮説をもってすれば、心霊現象というものは物理学の法則と
いささかも食い違ったものでなく、この点わざわざ超自然的な、または神秘的な要素をもってきて、
心霊現象の説明にこじつけたりする必要はなくなるのです……。』
すでに述べました通り、以上は精神統一の根本原則に過ぎません。実際問題となれば、まだ数多くの
予備的知識が必要でしょうが、それらについては読者の皆さんが、ひと通り心霊事実に親しんでから、
改めて講述することにいたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■■ 【第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法】
【霊媒の種類】 【精神統一の目標】 【身体的用意】 【精神的用意】…を
知りまして、近年の「霊媒師」を見分ける事が、出来るような感じです〜〜〜ネ!!
更に!【奥に入って〜〜】行きます…。そして「祈り方」も、よく似てますが〜〜〜??
勿論「雅春先生」自身も【生命の実相…】の中に、書かれていますが〜〜〜
此処に出入りされていた様ですから〜〜〜♫〜〜〜
■今の【生長の家…祈り方】は、「正しい祈り…」になりますから〜〜〜
正しい“理念”を持って…正しい“法則”を持つ事になりまして…
それは【神の叡智を受信…出来る!!】ように思えます…!!
そして「総裁雅宣先生」の後ろの【霊…】はやはり【神想観で実証…】ですので〜〜〜
勿論!「正しい神からの“メッセ−ジ”の様に~~~♫〜〜〜」に、思えますが〜〜〜
PS:
トキ様へ
今回の【 祈 り 】について、どのように思われましたでしょうか〜〜〜???
再合掌
-
>>117
ご投稿、ありがとうございました。
総裁も、分派の方々も、教団と日本の事を真剣に思い、祈っておられる
から、きっと和解が成立するでしょう。その日は近いと思います。
合掌 ありがとうございます
-
こんばんは、
志恩様、スターダスト様
水の上を歩くなら トルストイの「隠者」ですよねっ。
-
初心者さま
・・しつこくて、申し訳ないのですが、寂光論からの続きです。
やはり初心者さまが示している「本物のうちゅう」のことが、
どういうことを指しているのか、よくつかめません。
もちろん、簡単に分かるものではないと思ってますが。
わたしとしては、それは、大宇宙の叡智のようなものではないか、
と感じていると書きました。
これは、自然の法則などに現れるものと同時に、
捉えどころがないのない、なにか・・妙なる生命力のようなものではないかな、と。
数学者、科学者が証明の道筋に、常になぜか、美というものを基準にすることがあるようです、
美しい理論、美しい定理・・結局それが真実へ導くものとなることを、真髄を知る数学者ほど、よく理解が出来るみたいですね。
偉大な哲学者であり数学者でもあったヘルマンワイル(初心者さまはご存じかも知れませんが、)は、
常々、「真善美は同じ一つのものの三つの側面に過ぎない」と強調していたそうです。
これは、宇宙の叡智が、自然の法則という形になって現れたとき、美をあらわすということなのではないでしょうか。この「善」とは、人間の社会通念的一般常識としての善ではなく、自然の法則の美にかなった、「善」ですが・すべてが絶妙なバランスを取って、調和している状態のことではないかとわたしは思っています。
あるべきように、ある状態というか。
初心者さまは、雅春先生のお悟りの部分を、「反証不可能」ということから否定されておられるようですが、
雅春先生の直感的把握の実在世界は、妙なる豊かな美しいものです。
そして、例えそれが、反証不可能だとしても、実際生活を改善し豊かにしている実証があり、そのことは、易々とは軽視できないことではないでしょうか。
もちろん、簡単に、生活や身体が改善したからそれが真理だ、と言うつもりはないのです。ただ、反証不可能、ということだけで、雅春先生の直感的把握の世界を否定されることは出来ないのではないかと感じます。
雅春先生でも、本物の宇宙のことは、言及されていない、ということを書いておられましたが、そのことは、実際どういった問題を引き起こしているとお考えですか?
宗教的に言えば、雅春先生が実際生活に及ぼしてきた真善美の実現、救いの実現を善だとすることも、初心者さまは、反証不可能として否定されますでしょうか。
初心者さまが、「善」と考えるのは、どのような状態なのでしょうか。
-
さくらちゃんへ
>やはり初心者さまが示している「本物のうちゅう」のことが、
どういうことを指しているのか、よくつかめません。
もちろん、簡単に分かるものではないと思ってますが。
この「見えている宇宙」は見せかけであって本物ではない、というのは明らかです
ね。これが本物でないとすれば、どこかに本物があるはずです。「本物の宇宙」と
は、それが「あるか、ないか」の問題ではなく、「それはどこにあるのか」、「それは
何であるのか」の問題なのです。
したがってこれは信仰の問題ではありませんね。信じるとか信じないとか、そう
いう問題ではないということです。
前にも書きましたが、「寂光論争」は信仰の問題であったはずです。雅春先生が
問題にされたのは、「寂光世界」がどうこういうのではなく、そうした世界を信じ
ようとする倉田百三氏の心的な傾向を、「そのようなものを信じているあいだは
まだまだですね」ということで、問題にされたのだとおもいます。
倉田百三氏にしても、それが「わかっている」というのではなく「信じている」と
いう状況でした。ですけども、わたしのいう「本物の宇宙」は、それが実在する
と信じられているのではなく、それが実在であるのはすでに明白であるので、
「それがどこにあり、何であるのか」ということだけを問題にするということです。
「それが何であるのか」をさぐるために、現代物理学や心理学、言語学などに
かんしての生半可な知識を駆使してみようということですね。わたしもまだまだ、
「それが何であるか」を理解しているというわけではありませんが、以前にも申し
ましたように、真理とは、それを知ることよりも、知ろうとする過程が楽しい、という
ことですね。
本物の宇宙とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であり、したがって
「寂光論争」とは無関係であると考えます。
>偉大な哲学者であり数学者でもあったヘルマンワイル(初心者さまはご存じかも知れませんが、)は、
常々、「真善美は同じ一つのものの三つの側面に過ぎない」と強調していたそうです。
ヘルマンワイル?知りません。じつはわたし、数学者の名前はほとんど知らないの
ですね。一般の人たちと話をしていても、数学者の名前がでることがありますね。
たいていは日本の数学者なのですが、「知っているか」と聞かれて、いつも「知らな
い」と答えております。
じっさい知らないのですね。数学者の名前は知らないばかりか、数学関係の書籍
を、たとえそれが一般の人向けにわかりやすく書かれたものであったとしても、
手にして読むということはまずありません。やはりあの「挫折経験」がトラウマに
なっているものとおもわれます。
ちなみにDブレーンの正式名称は「ディリクレ・メンブレーン」であるようです。
「ディリクレ」は19世紀に活躍した数学者であったようです。
-
さくらちゃんへ
>雅春先生でも、本物の宇宙のことは、言及されていない、ということを書いておられましたが、そのことは、実際どういった問題を引き起こしているとお考えですか?
生長の家では「現象はない」といいますが、これは「ないとされる現象とは何か」
の問題をどうしても引き起こします。本物の宇宙にかんしても「ない」といえるの
か、という問題を引き起こしますね。
「現象はない」といっても、これは非常にあいまいな表現なのです。なにをもって
現象というのか、ということが何も語られずに、「現象はない」ということが、一方
的に宣言せられたのですね。
その結果、現象は「ない」のであるから、それは定義できないし、定義する必要も
ない、という話になりましたが、これは順序として逆なのですね。「現象」という
言葉を使うからには、それが何であるかをまずはじめに説明すべきであるのです
が、それをせずに、一方的に「現象はない」と宣言して、「現象はないのであるから
説明の必要もない」という話になっているのです。これでは順序がまったく逆で
ありますので、このような問題が引き起こされているともいえます。
-
>>122 :初心者:2012/07/10(火) 08:35:27 ID:TfQ0e6RA
>>雅春先生でも、本物の宇宙のことは、言及されていない、ということ
>>を書いておられましたが、そのことは、実際どういった問題を引き起
>>こしているとお考えですか?
>>生長の家では「現象はない」といいますが、これは「ないとされる現
>>象とは何か」の問題をどうしても引き起こします。本物の宇宙にかん
>>しても「ない」といえるのか、という問題を引き起こしますね。
生長の家の『現象は無い』という真理は一般的に『五感にかかる現象』
のことです。つまりこの世の現象についてです。したがって、この物質
世界の現象は『心の映像』であるため、空間さえ無いという意味になる
のです。
しかし、仏陀は死後の世界に行ったとしても、そこの現象もないと説い
ています。つまり、『幽界・霊界・天界』の現象も無いというのです。
生長の家も同様です。なぜなら、生長の家の真理は『実相の世界』のみ
が唯一の実在する世界だといっているからです。
初心者さんのいわれる『本物の宇宙』とは『実相世界』のことだと思い
ます。そうであれば、それは実在の世界ということになります。
>>その結果、現象は「ない」のであるから、それは定義できないし、定
>>義する必要もない、という話になりましたが、これは順序として逆な
>>のですね。「現象」という言葉を使うからには、それが何であるかをま
>>ずはじめに説明すべきであるのですが、それをせずに、一方的に「現
>>象はない」と宣言して、「現象はないのであるから説明の必要もない」
>>という話になっているのです。これでは順序がまったく逆であります
ので、このような問題が引き起こされているともいえます。
『現象は無いのであるから説明する必要はない』ということではありま
せん。この現象はなぜ起きたかという現象の研究は必要です。それが『因
果応報の法則』です。しかし、生長の家の教えでは、あまり因果応報に
囚われると、現象の不幸などから完全には逃れられないというのです。
汚れた水の中(因縁)にいて、汚れた体を洗っても、汚れた水以上に体
はきれいにならないから、一旦そこから出て、きれいな水の中(実相)
に入りなさい。それが『神想観』であり『実相顕現』なのです。
-
スターダスト様
雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、
その性質があまりにも異なっています。現状では、本物の宇宙を実相世界と
みなすことはできません。
また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、実相世界がつくられた過程とは、
あまりにそれは異なったものであるということがいえます。
-
スターダスト様
>『現象は無いのであるから説明する必要はない』ということではありま
せん。この現象はなぜ起きたかという現象の研究は必要です。それが『因
果応報の法則』です。しかし、生長の家の教えでは、あまり因果応報に
囚われると、現象の不幸などから完全には逃れられないというのです。
汚れた水の中(因縁)にいて、汚れた体を洗っても、汚れた水以上に体
はきれいにならないから、一旦そこから出て、きれいな水の中(実相)
に入りなさい。それが『神想観』であり『実相顕現』なのです。
おっしゃっておられることに同意いたします。
-
>>124 :初心者:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA
>>また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、実相世界がつくられた
>>過程とは、あまりにそれは異なったものであるということがいえます。
本物の宇宙はどのようなものか、どのように成立したのかを分かりやす
く説明してもらえると有り難いですが。
-
初心者さま
「寂光論争」は、信仰上の問題であって、「本物の宇宙」の真理を探究するのには、
無関係と言うことですね・。
たしかに、真理の探究に於いては、「信じる、信じない」の問題に終始してしまうことは、
その目をくらませることにも繋がります。
「本物の宇宙」が、「それはどこにあるのか」、「それは何であるのか」そのことこそ、問題になるというのは、
いままで、初心者さまが現代物理学や心理学、言語学などの見地から、真摯に探求されてきたことをうかがい知ることができ、
いままで知らなかった世界を知ることが出来て、とても勉強になっています。
「現象無し」ということは、この探求を軽視することとは、わたしはおもっていません。
わたしは、生長の家の「根本になる真理」というのは、信仰上の問題とともに、哲学であり科学であり、心理学の見地からも、検証にたえられるものであると思ってきました。
ですから、初心者さまの様々な知識からの探求に、興味を持っているのです。
初心者さまが書いておられたように、現代人の意識の変化というのは、免れません。
だから、根底に不変なものを残しながらも、もっと、自由な探求、新しい見地からの検証は、必要なことで、ひじょうに重要ではないかとかんじています。
このような検証にたえられない真理であれば、自然淘汰されるだけです。
その意味でも、初心者さまが指摘される問題点も、理解したいと思っています。
しかし、一方では、そこには、生長の家で求められている、
信仰の問題や宗教的救いの観点が、かけているのでは、と感じることがあるのです。
たしかに、前に、初心者さまは、そのことには関心がない、とお書きだったと思います。
それに、信仰とはなにか、宗教的救いとはなにか、ということを扱えば、
それはすごく奥が深く、一概に言えない問題とも思いますが・・
でも、やはり、宗教において言及するなら、避けて通れない問題ではないでしょうか。
この点では、雅春先生のお悟りされた世界観や、実際生活にあらわれた体験の数々は、
それは否定しようもない、宗教的な救いがあると思っています。
雅春先生は、人の生活や人生に、・・それは、宇宙の本質的なものであると思われる、
「真善美」の現れることを、それは愛深く教えを説かれて実践されておられました。
この「救い」の点については、初心者さまはどう感じられますか?
やはり、「超越項」として否定されますでしょうか。
実際に現れている、病気治癒や生活の改善は、簡単に「真理のあらわれ」とはいえない、ということは分かっています。
でも、こうした体験もまた、あるべきものがあらわれた結果としての、
実証として、軽んじられない一面だと感じるのです。
奇蹟をよし、としているわけではないのです。
でも、実際生活に、信仰の、しみじみとした実感が表れることは、
宗教の救いにはとても大切なことだと感じます。
・・信仰のことをこのように、扱うのは、とても難しいことです・・。
でも、わたしにとっても、内なる宇宙という、大切な世界であるのです。
>その結果、現象は「ない」のであるから、それは定義できないし、定義する必要も
ない、という話になりましたが、これは順序として逆なのですね。「現象」という
言葉を使うからには、それが何であるかをまずはじめに説明すべきであるのです
が、それをせずに、一方的に「現象はない」と宣言して、「現象はないのであるから
説明の必要もない」という話になっているのです。これでは順序がまったく逆で
ありますので、このような問題が引き起こされているともいえます。
現象無しの、この現象とはどこまで、いうのか、ということは、真理の探究する視点では、
当然求められるものですね。
初心者さまが予想される本物の宇宙は、反証可能な方法でそれが、たしかにある、ということが言えるのだとおもいます。
その「本物の宇宙」とは、人間に、なにをもたらすとかんがえられますか?
ところで、ヘルマンワイスのことは、わたしも知りません、
「20世紀の巨星」、と書いてあったので、博学の初心者さまにお話しするのには、
ちょっと知ってる体で書いただけです、笑。
-
さくらちゃんへ
>宗教的に言えば、雅春先生が実際生活に及ぼしてきた真善美の実現、救いの実現を善だとすることも、初心者さまは、反証不可能として否定されますでしょうか。
真善美とは何かということですね。とくに、救済を善であると考えることに問題が
あるのかということですが、これは、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」とも密に
かかわってくる問題でもあると考えます。今回、ウィルソンを取り上げたのも、じつ
はこのあたりの問題を突き詰めてみたいと考えたがゆえなのです。
コリン・ウィルソンは、『フランケンシュタインの城』で、アウトサイダーを「周囲の社会
から自分は切り離されているのだと感じ、ほとんどの人間は自己欺瞞の奴隷となっ
ていると考えている人、それが『アウトサイダー』である」と、このように定義して
います。
さすがにウィルソンです。たった2行の定義ですべてを語っています。ウィルソンの
試みを「左脳革命」と名づけるなら、ウィルソンは、たった2行の定義を示すことで、
左脳革命が、アウトサイダーが実現しようとする「自己欺瞞の奴隷状態からの
解放」よりもすぐれた価値を実現しようとしているということを、暗示的に示し、
語っているということがいえるのですね。
「死の欲動」は、みずからが置かれている奴隷状態からみずからを救いだすため
に、アウトサイダーが用いることのできる最終の手段と関係があります。アウトサイ
ダーにとって、みずからを奴隷状態から解放し、自己の本来あるべき宇宙的起源へ
と回帰することは至上の価値なのです。その価値の実現のために、アウトサイダー
は、自己の奴隷性を否定するという手段に訴えます。絶えまなくつづく自己否定へ
の傾斜が、「死の欲動」となってあらわれるものと考えます。
ウィルソンは、左脳革命が、アウトサイダーが希求する宇宙的起源への回帰よりも
すぐれた価値を実現できると考え、それを示そうとしているはずです。そうする
ことが、「死の欲動」にとりつかれたアウトサイダーの救済につながるとも考えて
いるはずです。
ウィルソンが問われているのは、宇宙的起源への回帰にまさる価値を実現するもの
として、どれほどの革命的思想をかかげることができるのかということであると
考えます。
わたしが雅春先生の教えを批判するわけも、以上のこととつながっています。
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放して
きたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいもの
へと変えただけであるような気がいたします。雅春先生の教えに問題があると
いうのではなく、生長の家の方々の現状を見るにつけ、つくづくそう思わせられる
ということです。
いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられて
きたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。生長の家に
たいする批判は、こうしたことへの批判でもあり、ただたんに、救済が反証不能な
形で真理へと結びつけられていることへの批判ではないということです。
>初心者さまが、「善」と考えるのは、どのような状態なのでしょうか。
たとえば、身体症状が奇跡的に治癒したときに、ふつうはこれをもって善である
と考えるはずです。ここで立ち止まって、この出来事ははたして本当に善であるの
かということを考え抜いたあげくに、それでもそれが善であると認めることを
承認できれば、それは善であるといってよいものと考えます。
-
スターダスト様
>本物の宇宙はどのようなものか、どのように成立したのかを分かりやす
く説明してもらえると有り難いですが。
これは、ビッグバン以前にあったとされる、無限ともいえる数の宇宙の誕生と
関係しています。このあたりのやりとりが、当掲示板の初期のころに、役行者様と
のあいだでかわされたことがあります。ただあのときは、雅春先生の教えに
もとづいて説明するというスタンスでありましたので、役行者様に突っ込まれて、
返答に窮したという経験があります。二元論を採用すれば、スムーズな説明が
可能となります。ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分が
どうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定は
ありません。
-
>>84 :さくら:2012/07/09(月) 11:29:54 ID:vxm3Yqkc
>>科学や物理的法則が、原罪だ、と称されていたことなどもそうです。
>>わたしは、罪があるとすれば、科学や物理の法則自体ではなく、その
>>とらえ方が、罪を生むのだとかんじております。
>>いわゆる左脳自我の増大によって、この法則の全体性が捕らえられな
>>くなったことの方が、問題だということです。
>>科学の法則も、宇宙の叡智の一側面とは、いえないでしょうか。その
>>法則に添うことによって、見えない叡智に「リアリティ」を感じるも
>>のがあると、おもいます。
科学者に罪があるのではなく、唯物論を信じてしまった人間に罪がある
のです。どのような罪かというと。例えば現在は、パソコンや携帯電話
などで意志の疎通が行われています。しかし、唯物論以前の世界(霊界)
では、その人を考えるだけで、その人が目の前に現れるのです。新幹線
も車もいらなかったのです。また、暑いときのために、科学者によって
クーラーが発明されました。しかし、『神様涼しくしてください。』と神
に祈るだけで涼しくなったのです。だから、霊の世界では科学はいらな
いし、唯物論的な考えは役に立たないのです。
しかし、人間は自然を動かし難い真理と考えたため唯物論の世界が展開
したのです。しかし、唯物論的な法則が支配している現在でも、神の祈
りは通じるのです。
そういうわけで、『人間神の子』を信じ、人間神の子を自覚し、『神想観』
などを行うと、今でも時として唯物論の法則を超越したような現象が起
きるのです。これが『実相顕現』です。
-
以前にいってた
水(酸水素)で走る車
画像発見しました
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&rl=yes&v=6Ts8CQNnjMw
YouTube - 【日本の技術】水から生まれた新燃料 酸水素ガス
-
>>131:Kジロウ様
【日本の技術】水から生まれた新燃料 酸水素ガスの動画、見ました。
有害な排ガスは、発生しないっていうし、このテクノロジーは、本当に凄いですね。
-
>>132
志恩様
131の続きの情報です
YouTube - 酸・水素ガス(OHMASA-GAS)
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&rl=yes&v=pqY7VC6Vq_A
後半部分では、
LPガスと混合にすると更に驚きの結果が得られました!
<(`^´)> エッヘン
実用性はあると思います!
分子構造から安全性もわかっています
後はインフラを整える事が出来るか?
-
さくらちゃんへ
>わたしは、生長の家の「根本になる真理」というのは、信仰上の問題とともに、哲学であり科学であり、心理学の見地からも、検証にたえられるものであると思ってきました。
「検証」といってもですね、生長の家からは、現象世界がなぜ今あるように見えて
いるのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な声明はなにも発表されて
いませんね。
あいまいな表現で語られることはあるにしても、具体的で詳細な説明は避けて
通っているというのが実情であると考えます。具体的な説明をすれば、それが
理論的、あるいは論理的な矛盾をはらむという事態が予想されますね。そうした
事態を避けるには、具体的な声明はいっさい避けて、どのようにでも解釈できる
あいまいな表現で通すのが、もっとも確実な安全策ということになります。
たしかに宗教には、こうした安全策が許されているとはいえますね。そのために、
科学とはちがって、いつまでも変わらないでいられるという特典を、宗教は享受し
てきたということがいえます。ですけども、わたしもさくらちゃんとおなじように、
生長の家にだけは、こうした特典を享受してほしくないと考えます。
-
>>134 :初心者:2012/07/10(火) 19:39:27 ID:TfQ0e6RA
>>「検証」といってもですね、生長の家からは、現象世界がなぜ今ある
>>ように見えているのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な
>>声明はなにも発表されていませんね。
>>あいまいな表現で語られることはあるにしても、具体的で詳細な説明
>>は避けて通っているというのが実情であると考えます。具体的な説明
>>をすれば、それが理論的、あるいは論理的な矛盾をはらむという事態
>>が予想されますね。そうした事態を避けるには、具体的な声明はいっ
>>さい避けて、どのようにでも解釈できるあいまいな表現で通すのが、
>>もっとも確実な安全策ということになります。
具体的な声明はありますよ。また、宗教は具体的で詳細な説明もありま
す。しかし、詳細な説明は論理であって論理が人を救うことがなく、論
理にこだわりすぎると返って障害になるから言わないのです。
例えば、病気の詳細を説明すると、恐怖が生じ、病気が重くなるのと同
じです。
なぜ、現象が今あるように見えているかは、人間の罪がを犯した結果な
のです。フロイトは『夢はなぜ見るか』について『夢の原因は欲望であ
る』といっています。
今、見えている世界の現象も『人間の欲望の結果なのです。』では欲望
がどうして、苦しみの多い世界を展開するのか。
人間の欲望は、はじめから罪なのです。
欲望が強まると『殺す。姦淫する。盗む。嘘をつく。親不孝をする。隣
人を憎む。』これらの行いが、病気など色々な不幸を造っているのです。
つまり、悪い考えは悪夢を見るのと同じです。
『一切の不幸の原因は心の中にある。』
だから、肉体(物質)に病気などの原因を探しても見つからないのです。
『家庭の医学』を読んだことがあるでしょうか。
病気の原因の箇所を見て下さい。『今のところ、この病気の原因は分か
っていません。』と書かれています。
『病気の原因が分からないのに、治療できるのは不思議です。』
-
スターダスト様
生長の家では「念のレンズ」との言葉が使われておりますが、「具体的な声明」
は、これをどのように説明しているのでしょう。「念のレンズのゆがみ」といった
表現が見られるとおもいますが、「具体的な声明」は「ゆがみ」はどのようして
生じると説明しているのでしょうか。
-
>>128
初心者さま
アウトサイダーが言っている「ほとんどの人が、「奴隷状態」におかれている」
というのは、これは、意識の問題だとおもうのですが、これは、どのような背景があるのでしょうか。
・その「奴隷状態」からの解放の手段であるのが、
「宇宙的起源への回帰」を至上の価値、とすることだと。
それが、「死の欲動」となってあらわれてくる・・そういうことでしょうか。
「死の欲動」とはなんでしょう?
前に言っていた、利休が、究極の「わびざび」の境地を求めて、切腹したことも、
その死の欲動のひとつなのでしょうか、。
「アウトサイダー」の、時に破壊的な生活や、メランコリーに陥るような生き方や思考性のことですか?
そして、ウィルソンは、「左脳革命」を唱えることで、「死の欲動」さえも、救済することを試みている、のですか・・
では、初心者さまは、「左脳革命」といわれるものに、救いを見出している、ということでしょうか。
この辺は、アクエリアンさまは、ウィルソン信望者であられ、お詳しそうですね。
>生長の家が、実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。
生長の家の救済が、この状態だとお感じになるのですね。
・・失礼かも知れませんが、初心者さまは、おそらく、しみじみとした、
信仰のよろこびから、遠い生活をされていたのではないかと、お察しいたします。
救済は、ただの、生活改善、ではありません。
深く、味わい深い信仰の境地もあるかと思っております。
おそらく自身に、なにか、少しであっても、この境地に覚えがなければ、
生長の家にあらわれるどんな体験談をきいても、共感し、心に寄り添うことは出来ないものと思われます。
真理を知ることで、むしろ批判的になったり、自分の考えと違うものを排斥するような気持ちをもつとしたら、おそらく、この信仰の境地に身に覚えのないことからできるのだな・・とわたしはかんじております。わたしも、批判精神がたくましいので、こういうときは、自分の心が、かたく貧しい状態になっているのを自覚しています。
・・そのときには、自分の信仰の原点を思い出すと、心が広く、深くなる感覚を取り戻すのです。
>たとえば、身体症状が奇跡的に治癒したときに、ふつうはこれをもって善である
と考えるはずです。ここで立ち止まって、この出来事ははたして本当に善であるの
かということを考え抜いたあげくに、それでもそれが善であると認めることを
承認できれば、それは善であるといってよいものと考えます。
たしかに、霊的な力などを使って、無条件に病気が治りました、というようなことを、
わたしも、善の状態だとは思いません。
それが、あるべき状態としてふさわしいときに、身体の治癒も起こるはずだと思います。
それが、宇宙の法則に適う、善の実現ということだとおもいます。
そのことは、生長の家の神癒ということでも、充分あらわれていることがあります。
>雅春先生の教えに問題があると
いうのではなく、生長の家の方々の現状を見るにつけ、つくづくそう思わせられる
ということです。
いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられて
きたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。生長の家に
たいする批判は、こうしたことへの批判でもあり、ただたんに、救済が反証不能な
形で真理へと結びつけられていることへの批判ではないということです。
では、初心者さまが仰りたいのは、雅春先生の教えに、問題がある、ということではないのですね。
「生長の家の現状」、初心者さまが問題にされておられるのは、このことなのですね。
救済とは、救済を必要としなくなる状態だ、と初心者さまは書いておられました。
この救済は、どのような形になるのでしょうか。
-
上の、>>137文は、
ひらがな、さくらで、ございました。
-
>>130
スターダストさま
>科学者に罪があるのではなく、唯物論を信じてしまった人間に罪がある
のです。
わかりました。では、物質の世界の法則を原罪といった前言を、撤回する、ということですね。
>どのような罪かというと。例えば現在は、パソコンや携帯電話
などで意志の疎通が行われています。しかし、唯物論以前の世界(霊界)
では、その人を考えるだけで、その人が目の前に現れるのです。新幹線
も車もいらなかったのです。また、暑いときのために、科学者によって
クーラーが発明されました。しかし、『神様涼しくしてください。』と神
に祈るだけで涼しくなったのです。だから、霊の世界では科学はいらな
いし、唯物論的な考えは役に立たないのです。
しかし、人間は自然を動かし難い真理と考えたため唯物論の世界が展開
したのです。しかし、唯物論的な法則が支配している現在でも、神の祈
りは通じるのです。
そういうわけで、『人間神の子』を信じ、人間神の子を自覚し、『神想観』
などを行うと、今でも時として唯物論の法則を超越したような現象が起
きるのです。これが『実相顕現』です。
・・スターダストさまの真の祈りは、霊の世界の奇跡的な現象が現れることで、物質の法則を越えて、それを起こすことなのでしょうか。
それが、スターダストさまの「実相顕現」だと考えておられるのですか?
そして、その祈りを実現できないのが、物質の法則を信じている人間の罪であるとおかんがえなのですか。
・・お答えのお手間は、気になさらなくて、大丈夫です。
引用されているご文章で、スターダストさまが、意図されたいことは伝わっております。
スターダストさまの言葉の中で、・・ちょっと、受け取れるニュアンスがちがっているので、やりとりに、食い違いが出るものと感じております。
スターダストさまの言いたいことは、引用のご文章で、伝わっておりますので、あまり、お気になさらないでくださいますように・・。
ありがとうございました。
-
スターダスト様
スターダスト様は、以前「人間神の子は不変の真理である」と発言なされました。
これに関連して、いくつか質問させていただきます。
雅春先生は、「実相世界には神の子としての人間がいる」と、たしかこのように
説いておられたと記憶しています。もしそうであれば、わたしはこれを、「実相世界
には変身した神がいる」とこのように言い換えたいとおもいます。実相世界といえ
ども、それは神が変身した姿です。神がかりにそのような姿に形を変えておられる
ということです。
「人間神の子」が永遠不変の真理であるというのは、神は永遠に変身をつづけ、
人間の姿で居つづけられるということなのでしょうか。このことをもって、
「不変の真理」と言っておられるのでしょうか。
それと、実相世界が永遠不滅というのは、神が永遠に実相世界への変身をつづけ
られることへの信頼を語ったものなのでしょうか。
これとはべつに、実相世界を「流出」ととらえる考え方があるかと存じます。覆水
盆に帰らずで、ひとたび流出したものは元にはもどれないと、このように考える
こともできます。ただし、どこへ流出したのか、これが問題になります。
あとは「排出」という考え方もありますが、これは無明縁起説につながります。
実相世界の起源が、変身、流出、排出でないとすれば、あとはどのように考える
ことができますでしょうか。起源なしの不生不滅。これでしょうか。
以上、いくつか質問いたしましたが、さくらちゃんの問いかけにお答えになられた
あとでお答えいただければ、ありがたく存じます。
ちなみに、本物の宇宙論では、実相世界がやがていつかは完成されることも
考えますが、これは神がつくられるのではなく、自動生成という意味での
「オートポイエーシス」のようなものだろうと考えます。
-
140の投稿で、「本物の宇宙論では、実相世界がやがていつかは完成されることも
考えます」と書きましたが、「本物の宇宙論では、実相世界らしき世界がやがていつ
かは完成されることも考えます」に訂正いたします。
-
さくらちゃんへ
>アウトサイダーが言っている「ほとんどの人が、「奴隷状態」におかれている」
というのは、これは、意識の問題だとおもうのですが、これは、どのような背景があるのでしょうか。
これは大きな問題ですね。背景にあるのは「死の恐怖」です。死にたくないがゆえ
に奴隷状態に甘んずる。人類の歴史とは、死の恐怖ゆえに奴隷状態に甘んじて
きた歴史であるともいえます。
戦(いくさ)に負けるなどして奴隷状態やそれに近い状況に置かれた人々は、命を
守るのと引き換えに厳しい労働を強いられることになりましたね。強制的ともいえ
る労働のなかで、作業の効率を考えた人々は、さまざまな工夫を重ねることになり
ます。厳しい労働から少しでも解放されるために、あるいは支配階級へのアピール
のために、知恵をしぼる必要にもせまられます。
智恵をしぼりつづけたことで、奴隷状態にあった人々の知恵は飛躍的に向上したと
考えられます。その知恵はやがて、支配階級の武力に対抗できるほどまでに進化し
ます。その「進化した知恵」が結実したものこそが、現代人の心性のいちぶとも
なっている理性や知性なのですね。現代人を含めた、近代や中世の人類の意識
は、奴隷状態に置かれた人々の努力の結晶であるということがいえそうです。
奴隷状態に置かれた人々が最優先に考えることは「いかに生き延びるか」という
ことです。さまほど申しました人類の歴史とは、いかに生き延びるかということに
知恵を振り絞ってきた歴史でもあるということがいえるはずです。
このために、現代人の心性においても、「いかに生き延びるか」ということが最優先
の課題になっています。現代人の意識を支える理性や知性は奴隷状態の延長線上
にあるわけですから、自由を得たとされる現代にいたっても、奴隷時代の発想や
意識状態から抜け出すことはできなくなっているということなのです。
アウトサイダーは、このことに気づいています。なりふりかまわず生き延びようと
する心性は自己欺瞞の奴隷意識にほかならず、それは自己本来の宇宙的起源へ
と回帰する方向とは逆向きであると考えています。
-
>>136 :初心者:2012/07/11(水) 09:32:29 ID:TfQ0e6R
>>生長の家では「念のレンズ」との言葉が使われておりますが、「具体的
>>な声明」は、これをどのように説明しているのでしょう。「念のレンズ
>>のゆがみ」といった表現が見られるとおもいますが、「具体的な声明」
>>は「ゆがみ」はどのようして生じると説明しているのでしょうか。
前にも述べましたように、この世界は映しの世界です。
だから、この世界が映る基の世界がなければなりません。その世界を『実
相世界』といいます。つまり神の世界です。神の世界が直接、そのまま
映れば、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は存在しないのです。
しかし、この世界は夢の世界ですから、実相世界がそのまま夢となるこ
とはなく、人間の性質つまり『人間の欲望』という『レンズを通して』
この世界が形成されるため、そのレンズのゆがみによって、いろいろな
苦しみのある世界になっているという意味です。
-
スターダスト様
>前にも述べましたように、この世界は映しの世界です。
だから、この世界が映る基の世界がなければなりません。その世界を『実
相世界』といいます。つまり神の世界です。神の世界が直接、そのまま
映れば、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は存在しないのです。
しかし、この世界は夢の世界ですから、実相世界がそのまま夢となるこ
とはなく、人間の性質つまり『人間の欲望』という『レンズを通して』
この世界が形成されるため、そのレンズのゆがみによって、いろいろな
苦しみのある世界になっているという意味です。
これが、スターダスト様のいわれる「具体的な声明」ということですね。
わかりました。
ところで、プラトンのイデア論は、この世界はイデア界の秩序が反映した
ものであると考えるようです。イデア論では、内側の世界にイデア界が
あって、この内なるイデア界の秩序が外の世界に反映さていると考えるはず
ですが、生長の家の考え方もこれとおなじであると考えてよろしいのでしょうか。
それとも、これとは逆に、外の世界に完全なる秩序があって、これが内なる
世界に取り込まれるさいに、念のレンズによるゆがみが生じるということ
なのでしょうか。
あまりにも初歩的な問いかけですが、以前から疑問におもっていたことです。
-
>>139 :さくら:2012/07/11(水) 11:39:53 ID:vxm3Yqkc
>>・・スターダストさまの真の祈りは、霊の世界の奇跡的な現象が現れ
>>ることで、物質の法則を越えて、それを起こすことなのでしょうか。
>>それが、スターダストさまの「実相顕現」だと考えておられるのですか?
>>そして、その祈りを実現できないのが、物質の法則を信じている人間
>>の罪であるとおかんがえなのですか。
『実相顕現』とは、実相の世界がそのまま歪むことなく、現象界に現れ
ることです。たとえば、実相世界には病気はありません。病気は心のレ
ンズの歪みを通したので、現れた現象です。
そこで、『生命の実相』を読む『甘露の法雨』を信じる。『神の子』の自
覚、『神想観』などによって、この世に唯物論を超越して実相を顕現す
る。その時、病気のみでなく、あらゆる不幸が消滅するのです。
人間は自然発生説という唯物論を信じる以前は、『すべての現象は神が
行っている。』『すべての現象は人間の祈り(願い)によって、神から与
えられている。』これが存在の法則だったのです。今の世であっても、
この法則が正しい法則でです。
**********************************************
『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、
疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけ
でなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言っても、
そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何で
も与えられます。』
(新約聖書)
**********************************************
これは、イエスキリストの言葉であり『真理』なのです。
イエスキリストのいうように『信仰を持ち、疑わなければ』誰にでもで
きるというのです。
『あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。』
これが真の法則なのです。
したがって、不幸から逃れるだけでなく、イエスキリストのように奇跡
を起こすことができるのです。
**********************************************
『六千人が満腹する量のパンを空中から取り出す』
『一喝で嵐を静める』
『水の上を歩く』
『一喝でイチジクの木を枯らす』
『生まれつき盲目の人の目を開かせる』
『中風の人治す』
『死者を甦らせる』
**********************************************
これらはイエスキリストが行った奇跡ですが。
我々人間にもこれらの奇跡は起こせる。ということです。
ただし、『信じて疑わなければ』です。
『世の中は自然現象で物理的にできているので、絶対にこんなことは起
きない。』この考えが『祈り(願い)』となってしまっているので、それ
が神によって叶えられているのです。
-
>>140 :初心者:2012/07/11(水) 14:02:38 ID:TfQ0e6RA
>>「人間神の子」が永遠不変の真理であるというのは、神は永遠に変身
>>をつづけ、人間の姿で居つづけられるということなのでしょうか。こ
>>のことをもって、「不変の真理」と言っておられるのでしょうか。
神ははじめから実相世界にいるのです。
また、神の子も実相世界にいるのです。
人間が変身して神の子になったのではなく、神の子が変身して人間にな
ったのです。
極端にいうと神の子が実相世界で眠ってしまい、人間の世界の夢を見て
いると考えるとわかりやすいと思います。
では人間の世界の夢が覚めたら、実相世界で目を覚ますのかといえば、
そうではありません。欲望がある限りまち、例えば人間として生まれて
しまうのです。これが輪廻転生です。
例えば人間が天界に生まれようと、霊界や幽界に生まれようと、人間の
本体は神の子であり、実相世界にいるのです。
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>>144 :初心者:2012/07/11(水) 16:29:57 ID:TfQ0e6RA
>>ところで、プラトンのイデア論は、この世界はイデア界の秩序が反映
>>したものであると考えるようです。イデア論では、内側の世界にイデ
>>ア界があって、この内なるイデア界の秩序が外の世界に反映さている
>>と考えるはずですが、生長の家の考え方もこれとおなじであると考え
>>てよろしいのでしょうか。
このプラトンの生長の家の考え方は同じだと思います。
-
スターダスト様
つまり、「人間神の子は不変の真理」とは、神が変身をおやめになることは
ないということですね。
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>>148 :初心者:2012/07/11(水) 18:47:39 ID:TfQ0e6RA
>>つまり、「人間神の子は不変の真理」とは、神が変身をおやめになるこ
>>とはないということですね。
その通りですが。神は変身しません。はじめから神です。ただ宇宙を造っている方です。もし、神が居なくなったらすべての宇宙は消滅します。
もし、自分が夢の世界にいるときに、夢を見ているベッドの中の自分が
死んだらどうなりますか?夢の世界は一瞬にして消えて無くなります。
これと同じ理屈です。
『つまり、神こそ唯一の生命なのです。』
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さくらちゃんへ
われらがジジェクは、ドイツ観念論の再活性化を目論んでいながら、ドイツ観念論は
自然状態から文化的状態への移行にあまりにもとらわれ過ぎていることに言及す
る。ジジェクによれば、デカルトが何をしたかというと、それは文化的状態への
ひきこもりの宣言であったらしい。この宣言に呼応して、ドイツ観念論は「ひきこも
り」の問題を取り上げた。その取り上げ方が尋常ではないと、ジジェクは見ている
ようだ。
そんなジジェクにとっての文化的状態とは、「気づかないふりをすること」である
らしい。隣人が何かをしでかしたとしても「気づかないふりすること」が、文化的
状態を生きる人々が守るべき態度だってことを、ジジェクがどこかで言っていた。
気づかないふりをすること。これがジジェクによれば、文化的状態を生きる人間の
処世術ってことだ。これが本当だとすれば、明らかに奴隷的な生き方だ。誇り高き
支配層であれば、何か気にくわないことがあれば、それは「捨ておけぬ」とばかり
に、即座に、そしてそれはときに命がけの注文をつけるだろう。奴隷状態に置かれ
ている人々にそのような真似はできない。生き延びたければ、相手が誰であれ、
見て見ぬふりをするしかない。
ジジェクが「気づかないふりをすること」と定義する文化的状態は、あきらかに
奴隷意識によってつくられたものだ。しかも問題は、現代人でさえもが、たがい
に気づかぬふりをしあっていると、ジジェクは見ているということだ。
人々がこぞって気づかないふりをしはじめた問題にとりつかれたのがドイツ観念論
だ。フィヒテやヘーゲルは、まやかしの文化的状態からの離脱を図り、長びく奴隷
意識によってすっかり覆いくらまされてしまった宇宙的起源への回帰を模索しはじ
めた。それは、哲学というには、異常なまでに霊的な取り組みであったのだ。
さらに、ドイツロマン派の詩人たちが、ドイツ観念論に呼応するかのように、奴隷状態
に置かれたみじめな現実を離れようと、宇宙に直接つながっているはずの内的
世界を、美しくも厭世的に語りはじめたのだ(コリン・ウィルソンはこのことを問題に
している)。そんな彼らは、誰もがアウトサイダーであったのだ。
20世紀の思想家にアウトサイダーを見いだすとすれば、それはジュルジュ・バタイ
ユをおいてほかにはいないだろう。バタイユは、現代の経済構造や消費構造が、
人々から「真の生きるよろこびを奪っている」と考えている。なぜかといえば、現代
の経済構造や消費構造は、奴隷状態に置かれた人々のそれを模倣したものである
からだ。
とにかく働くこと、蓄えること、このことが奨励される。これに反する生き方、それ
はたとえば、働きもせず、蓄えもせず、享楽を追い求める生き方は、あってはなら
ぬものとして排除の対象となる。
働きもせず享楽を追い求める生き方は支配階級のそれだ。奴隷状態に置かれた
人々にとって、それは『呪われた部分』でしかない。バタイユは、人生の真のよろこ
びは、この『呪われた部分』にこそあると考える。
生き延びるために、見て見ぬふりをし、遮二無二に働き、老後の蓄えばかりを気に
して真の享楽を追おうともしない現代人の生き方は、アウトサイダーであるバタイ
ユから見れば、真の自己を覆い隠し、自分で自分をあざむきつづけることしか知ら
ぬ奴隷状態に置かれた人々のそれなのだ。
過酷な奴隷状態に置かれた人々であれば、人生によろこびを求めるのはあきらめ
なければならないともいえる。その必要はないにもかかわらず、労働と生産と
老後の備えのために、実現可能な享楽を排除し、バタイユのいう「人生の真のよろ
こび(それはつまり、自分の命でさえも使いきること)」を味わえずにいる多くの
現代人は、現代のアウトサイダーが考えているように、たしかに自己欺瞞の奴隷
状態に置かれた人々、ということがいえるだろう。
バタイユの『呪われた部分』は、つい最近、ある人物に紹介されて、はじめて知った。
-
さくらちゃんへ
>・その「奴隷状態」からの解放の手段であるのが、
「宇宙的起源への回帰」を至上の価値、とすることだと。
それが、「死の欲動」となってあらわれてくる・・そういうことでしょうか。
「死の欲動」とはなんでしょう?
宇宙的起源への回帰が奴隷状態からの解放の手段と見なされることもあれば、
逆に、奴隷状態から離脱することが、自己本来の宇宙的起源に回帰するきっかけ
になることもある。
回帰が先か、解放が先か、どうなのでしょう。もしその人にとって、宇宙的起源が
自明のものであれば、回帰を実現することで解放へつなげようとするだろうし、
自明でなければ、死の欲動に身をまかせた解放の実現を契機として、結果的に
回帰に結びつくこともあるってことだ。
死の欲動とは、「自分は生きているのか死んでいるのか」の問いかけだろうと
おもうけど、これはつまり、奴隷状態にいる自分ははたして生きているといえる
のかの問いかけといえるかもしれない。
死の欲動については、いろんな考え方があるとおもうけど、それは「こんなん
じゃとても生きているとはいえない」と、たいていの人が無意識的にでも考えて
いるってことを暗示している気がする。
-
さくらちゃんへ
>前に言っていた、利休が、究極の「わびざび」の境地を求めて、切腹したことも、
その死の欲動のひとつなのでしょうか、。
「アウトサイダー」の、時に破壊的な生活や、メランコリーに陥るような生き方や思考性のことですか?
わびさびの根底にはバサラ的な生き方がありそうだ。バサラ的な生き方とは、何
があろうと気づかぬふりをして保身に汲々とするのではなく、それが財産であれ、
才能であれ、持てるものはすべて散じ尽し、使いきろうとする生き方だ。切腹を命じ
られたら、その場で命を使い尽くすのがバサラ的快楽といえるのかもしれない。
自己憐憫や厭世観にひたることで「破壊的な生活」や「メランコリー」を実現して
しまうアウトサイダーはバサラではない。バサラは金剛童子の武器であり、既存の
価値観や秩序は、バサラによって徹底的に破壊される。バサラを生きる人とは、
破壊のなかにあっても、思うがままに、生きたいように生きようとする人たちをいう。
バサラは、バカバカしいこと、それをやって何になるというようなことを好んで
なそうとする。生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえ
どんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことで
も、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。
奴隷状態にある人々がなしたがるのは、保身に役立つことばかりだ。奴隷状態に
ある人々のご利益とは、病気が治り、経済が立ち直り、人間関係がよりスムーズに
運ばれるようになるといったような、小市民的な願い事の実現なのだ。信仰の
ご利益によって、バカバカしいことや「それをやって何の役に立つ」というような、
それこそがもしかしたら、自己のあるべき宇宙的起源につながるやもしれぬ
バサラ的快楽を実現したがるものなど、ただのひとりとして出てこない。
ひょっとして、あの「百万運動」は、うまくやれば生長の家におけるバサラになり得
た可能性がある。何かの役に立てようとしたことが間違いなのだ。マネーであれ、
ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす。あの
運動でなすべきことはこれだったのだ。
-
さくらちゃんへ
>そして、ウィルソンは、「左脳革命」を唱えることで、「死の欲動」さえも、救済することを試みている、のですか・・
では、初心者さまは、「左脳革命」といわれるものに、救いを見出している、ということでしょうか。
これが問題なのだよ。バサラはどう見ても左脳の働きとしか考えられない。バサラ
の背景には下克上がある。南北朝時代から戦国時代へとつづく下克上の風潮の
なかで、バサラ的気分が、武士だけでなく一般庶民のあいだにも広がっていったのだ。
狂え、使い尽くせ。合理性をたっとぶ左脳にはおよそ似つかわしくない指令が、
バサラにあっては左脳から出されると、あたしは考えている。なぜなのだろう。
あたしの予想はこうだ。下剋上という、誰にもわかりやすい革命心理が、左脳の
革命を実現したということだ。そう、下克上にわきたつ時代の風潮にあって、左脳
は、つかの間ではあっても奴隷状態から解放されたのだ。その結果が、武士から
庶民にいたるまで、全員参加の狂乱のバサラであったのだ。
ウィルソンの左脳革命がどんなものかは、あたしにもまだわからない。救済につな
がるとも、つながらないとも、どちらともいえない。ただひとつはっきりとわかるの
は、ウィルソンが実現しようとしているのが小市民的救済の実現であるとすれば、
ウィルソンの左脳革命はバサラを超えられないってことだ。
-
さくらちゃんへ
あたしは、宇宙はオートポイエーシスだとおもっているの。よくわかんないんだ
けど、オートポイエーシスというのは、自と他の境界を示せて、自分で自分を維持
できて、しかも自分自身に言及できるってシロモノらしい。でもその最大の特徴は
外部からの入力も、外部への出力もない、ってことなの。
だからさ、宇宙はまったくのオートポイエーシスなのよ。だけど、宇宙をオートポイ
エーシスと言ってしまうと、宗教用語では、これは無明縁起ということになる。
「なんだよ、ただの無明縁起説じゃん」ってことになる。宗教的意識は単語でできて
るとあたしはおもう。
-
オートポイエーシスの続き
ずいぶん前に、自分のブログでオートポイエーシスを取り上げたことがあったの
ね。まずは、オートポイエーシスとは何かってことを、自分で理解できた範囲で
説明して、オートポイエーシスは閉鎖系だから外部からは隔離されているって
書いたの。
そしたら、オートポイエーシスの研究者という人がコメントを残してくれて、「オート
ポイエーシスは外部からは隔離されていない」って注意してくれたの。
オートポイエーシスには「カップリング」と呼ばれる現象があることは知っていた
ので、研究者のコメントは理解できた。オートポイエーシスはたしかに閉鎖系なんだ
けど、カップリングと呼ばれる現象で、外部からの影響は受けるのよね。
それでさっき、「宇宙はオートポイエーシスだ」といってしまったんだけど、宇宙は
たしかに外部からの影響は受けているのよね。こちらでも書いたことがあるけど、
Dブレーンは1枚とはかぎらない。ほかのDブレーンの影響を受けることは、十分に
考えられる。
その影響のひとつが「暗黒エネルギー」だとおもうの。Dブレーンは複数枚あって、
たがいに影響しあっているはず。そうなると、Dブレーンのあいだで情報のやりとり
があるのかってことが問題になってくる。やりとりがあるとすれば、宇宙は閉鎖系
ではなくなって、オートポイエーシスとはいえなくなってくる。情報のやりとりが
なければ、宇宙は閉鎖系だといえるわけだし、その影響は「カップリング」で説明できる。
暗黒エネルギーがなぜ「暗黒」かといえば、それがちょくせつには観測できない
エネルギーだからなの。観測できないってことは、あちらからの情報はぜんぜん
入ってきてないってこと。「これ」という情報がなんにも入ってこないから、影響は
受けても観測はできずにいると考えられるのよね。
これでわかったでしょ。暗黒エネルギーは、情報のやりとりなしで影響だけを及ぼし
あうとされる「カップリング」で説明できる。いつぞやは、トキ様が、宇宙の秘密は
「神のみぞ知る」っておっしゃっておられたけど、「カップリング」と呼ばれる現象で
ちゃんと説明できてしまうの。
宇宙はやっぱりオートポイエーシスなのよ。だけどさ、こんなことを言ってるのは、
あたしの知るかぎりではあたしだけなの。専門的には問題大ありってとこでしょうね。
なんにしても、宇宙がオートポイエーシスだなんて考えても、誰もワクワクしないの
かな?保身にしか興味はないってことなのかな?
-
さくらちゃんへ
>・・失礼かも知れませんが、初心者さまは、おそらく、しみじみとした、
信仰のよろこびから、遠い生活をされていたのではないかと、お察しいたします。
救済は、ただの、生活改善、ではありません。
深く、味わい深い信仰の境地もあるかと思っております。
おそらく自身に、なにか、少しであっても、この境地に覚えがなければ、
生長の家にあらわれるどんな体験談をきいても、共感し、心に寄り添うことは出来ないものと思われます。
あのね、だからさ、さくらちゃん、生長の家に「しみじみとした、信仰のよろこび」や
「深く、味わい深い信仰の境地」はなかったってことが、今やこのような形で露呈さ
れてきてるの。わかるでしょ。
「しみじみとした、信仰のよろこび」や「深く、味わい深い信仰の境地」にひたってた
人たちが、本流を名乗り、あのように悪しざまに人の悪口を書きなぐるというよう
な真似などできるはずがないでしょ。
木のよしあしは成れる実を見よ、っていうけど、成れる実を見るかぎり、「よき実は
どこにもなかった」っていうしかないじゃない。あたしになかったとしても、それは
当然なのよ。だって、どこにもないんだから。
>真理を知ることで、むしろ批判的になったり、自分の考えと違うものを排斥するような気持ちをもつとしたら、おそらく、この信仰の境地に身に覚えのないことからできるのだな・・とわたしはかんじております。わたしも、批判精神がたくましいので、こういうときは、自分の心が、かたく貧しい状態になっているのを自覚しています。
・・そのときには、自分の信仰の原点を思い出すと、心が広く、深くなる感覚を取り戻すのです。
つれないことはおっしゃらないで、「これだ!」と思える真理を、「しっぽり」と
語っていきましょうよ。批判するなら真理を語れ!これでいきましょうよ。
「しっぽり」やってれば、信仰の境地なんてあとからついてくるわよ。
-
さくらちゃんへ
>では、初心者さまが仰りたいのは、雅春先生の教えに、問題がある、ということではないのですね。
「生長の家の現状」、初心者さまが問題にされておられるのは、このことなのですね。
語り口がどなたかに似てません?
問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教え
が理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョン
が打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういう
ことだ、って話ですね。
壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、
日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたの
かって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって
話です。
>救済とは、救済を必要としなくなる状態だ、と初心者さまは書いておられました。
この救済は、どのような形になるのでしょうか。
個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは
救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?
わかるまでは、紆余曲折があって楽ではないですけどね。
-
初心者さま
こんにちは。生長の家のアウトサイダー、初心者神の子さま
精力的な書き込みに、他をどん引き・・あ、いえ、圧倒されておられますね、笑。
こちら、金剛不壊の完全円満神の子、さくらです。
(・・現象的には、体力ダウンのさくらですが、実相を直視してください、笑。)
・・ということで、完全円満のさくらでも、きょうは、たくさん返事できません、、
初心者さま、ちょっと、話が逸れることでありますし、
厳密な科学的などの話ではないのですが、
自分なりの理解の話ですが、「法則」というのは、二つの側面があると、
とらえています。
一つは、自然界の法則、
それから、もう一つは、愛の法則、というようなことです。
わたしの中では、人間が生きる上で、どちらの法則も疎かには出来ないのではないものだと思っているのです。
この世の物理的法則もまた、神の作られた法則の一側面であり、その法則に正しく則ってこそ、この世で生きるものは、リアルな表現の世界を満喫する恩恵を与えてもらっているのだととおもいます。
愛の法則といったのは、これは、祈りや神癒の観点から、結果的に、物質の法則を越えて、
人間に、奇跡的な側面を見せることがあるからです。
愛からの行いによって、たしかに物理的法則を超越して人に働きかけ、いわいる「奇跡」を起こすことが出来、救いがあらわれる、
人間には、愛という高い精神性でもまた、この世で学ぶ自由が与えられていますね。
たとえ結果がどうであったとしても、人のためにおこした愛の心は、
理論や理屈を越えた、味わいの深い世界がありますし、
そのことこそ、宗教の本質の部分であるともいえるのではないでしょうか。
(ただ、水の上を歩くとか、たんに霊的な奇跡を起こすような、物理的法則を越えるということをもって、これを、実相が顕れたということではないと、わたしは思っていますが、。)
やっぱり・・わたしにはどちらも、軽視し合うことができないとおもうのです。
奇蹟が、どんな理論で説明可能だとしても、
人が愛の心で、誰かの無事や幸福を心から祈り、そして、結果があらわれたとき、
ともによろこび一体となる心を、否定できるでしょうか。
愛の心がなければ、どんな正しい理論だとしても、
心に届かないし、結局、人や世の中を変えることなんて、できないのではないですか。
ですから、宗教こそ、このことを疎かに考えてほしくないのですね。
わたしは、宗教的な愛からの行動が、組織団体の理論になると、軽視されることになるのかな、と感じました。
それは、たとえりっぱな大義名分を掲げない、つたないものであったとしても、
純粋な信仰の良心による行動の発露を、見失ってはいけないのではないかな、と。
まず、自分の思うような世界が実現することからの運動、よりも、
隣人の悲しみや喜びを考えられるということを、大切に思いたい、というきもちです。
・・こんなこと、初心者さまは、ひょくも承知だと思っておりますが、
これは、いままで、生長の家にいるときにも、ときどき、りっぱに話される真理が、心を離れて、遠いところで話されていることを感じることがあったので。
何のための真理なのだろう、と、考えてしまうことがあるのです。
妥協を許さない真理の探究の、初心者さまの姿勢は、とても尊敬しています。
ただそのことによって、人の愛による行いを、軽視して頂きたくはないとかんじましたので。
失礼いたしました。
-
初心者さま
>文化的状態とは、「気づかないふりをすること」である
・・そういえば、このことは、今回の原発の問題でも、実感したことでした。
今の生活の快適さを享受している、その背景にあるものに「気づかないふり」をしていたのではないかな、とわたし自身は考えさせられました、
「原発は絶対に安全である」、と言われれば、快適な生活を手放したくなかったり、
何かあるまでは、その仕組みやどんなリスクがあるのかも考えようともしていなかったですから、。
たいてい問題の背後には、この「気づかないふり」というのは、おおきい鴨知れないですね。
(生長の家の問題だって、結局そういうことが大きいのではないでしょうか。)
いかに、いまの経済構造や消費構造に、じぶんたちの意識が支配されていることがあるのは、よくわかります。
その「社会の構造」に支配されている意識の状態を、バタイユは「奴隷状態」に模したものと、言ったのですね。
>バタイユは、人生の真のよろこびは、この『呪われた部分』にこそあると考える。
「真のよろこび」、とは、どう考えるかですね・・
「呪われた部分」という表現と、「宇宙回帰への願望」、ということをさすのでしょうか。
たしかに、こうした「社会的な奴隷状態」に反して、自己の内部から突き上げる欲求に突き進んでいくことは、ある喜びがあるのだとおもいます。
社会的な重圧にしばられない、自身の感性のままに個性を発揮して追い求める、ということ願望は、多かれ少なかれ、あるかもしれません。
「真のよろこび」、といえば、前にも掲示板に書いた話なんですが、
オスカーワイルドの、改心の話があります。
オスカーワイルドも、耽美主義的な芸術観で、実生活でも放蕩快楽の限りを尽くして、その美を味わい尽くすことこそ、まさに人生の喜びとしていたのですが、
獄中で、何気ないちいさな深切を人に与えることで、自己に宿るキリストの愛の精神こそが、美の究極であるとして、キリストの愛の精神に目覚めていきます。
ずっと、この話が心に残っているのは、
この気持ちが、わたしにもたしょう分かるからです。
人間に罪がない、ということが分からないほどに、人間の究極の美が、愛にあるなんて、じぶんには分からなかったですから。
でも、このことが実感できると、他のことは色あせてしまうほど、
真のよろこびとするに、ふさわしいものであると思っています。
愛の行いによって、人間の精神の、究極の真善美の、真の喜びを見出すことができると、
わたしはおもっていますが。
宗教が世の中を変えるとしたら、その観点の軽視はあり得ないのではないですか。
わたしは、宗教がどんな立派な大義名分も、一見どんなただしい理屈理論も、
この観点がかけている実際の運動や団体の実態があれば、信用できないとかんじてます。
>問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教え
が理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョン
が打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういう
ことだ、って話ですね。
壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、
日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたの
かって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって
話です。
これは、そうかもしれませんね・・
生長の家で、実現性というのは、どういうことなのかは、あまり、じっくりと、語られてはしない域がしてます。
宗教としてなにができるのか、他の宗教との相互協力や理解は、どう実現するのか
生長の家の、「日本国実相顕現」の運動が、
結局政治運動や憲法改正になるというのは、どう云う目的の運動なのかも、考え直してほしいとはかんじています。
-
おおきい鴨→おおきいかも。
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域がしてます→い気がしてます。
-
初心者さま
ほんと、まったく関係ない話ですが、
いわゆる、人情、と、信仰的な愛って、
端的に、どのような違いがあると表現できますか?
-
さくらちゃんへ
なんか、さくらちゃんと「愛」の話ができるなんて、なんとなく「おつ」な感じだね。
でもさ、バサラ、わびさびはどうなんのさ。コリン・ウィルソンはバサラを超えら
れるか、なんて話は無理にしても、バタイユだってまだまだ中途半端なんだし。
ところで、人情と信仰的な愛はどうちがうんだって話だけど、これはようするに、
アストラル体がいかに安定しているかって問題なのだ。アストラル体とエーテル体
がいかに結びついているかって問題なのだ。
-
おはようございます、初心者さま
きのうからの、ちえねつ?が冷めやらぬ、完全円満なさくらです。
…ということで相変わらず、あたまがまわりません、、
初心者さまも、愛について語れる、乙なおじさまだったのですね…、笑。
ところで、バサラといえば、宗教的愛も、バサラに通じるものがあると、
感じるところがありませんか?
初心者さまにとって、バサラの実現とはなんですか?
アストラル体の安定とはどんな状態ですか?
-
さくらちゃんへ
信仰で病気が治ったからといって、「これは真理だ」と言っちゃダメ。
こんなこと言ってたんじゃ、体験がエーテル体に結びつかない。
病気が治った、ありがたい。自分とおなじように苦しんでいる人たち
を助けたいとおもったときに、アストラル体とエーテル体が結びついて、
ただの人情だったものが信仰的な愛へと変っていくのだよ。
-
>>165
確かにそうですね。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまにとって、バサラの実現とはなんですか?
バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできない
ことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。
森にオフィスをつくる。これはバサラだな。後世に残るバサラだな。生長の家は
これまで、後世に残るようなものは何も残していない。奴隷根性では何も残せな
いってことだ。
-
>>165>>166
たしかにそうですね。
バサラの精神が昇華、洗練されたものが、芸術や宗教的精神に、
高められるということが、あるとおもうのですが。
宗教的愛の根底は、、初心者さまがいうような、「奴隷意識」や、小市民的願望を
越えたものですから。
…宗教組織的な対応は、自分を守ることでいっぱいだったりしますから、
その体質はわたしは、苦手です。
-
うーん、森のオフィスがバサラ…!
-
初心者様曰く『森のオフィスが.バサラ!! 後世に残るバサラ (=雅宣総裁先生が、生長の家として後世に残すもの)』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ということですので、
【バサラ(婆娑羅)】の意味を調べてみました。
”南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、
華美な服装で飾り立てた伊達(だて)な風体。
はでで勝手気ままな 遠慮のない 常識はずれの ふるまい。 また、そのようす を表す。”””
http://100.yahoo.co.jp/detail/婆娑羅/
-
さくらちゃんへ
バサラとは奴隷状態からの解放だ。和歌の「花実相応」とは宇宙的起源への
回帰だ。このふたつが結びいて生まれたのがわびさびの精神なのだ。
-
《バサラ》については,もう少し調べてみますと
『遠慮なく 暴れさしてもらいますぜ!』という意味も 込められていました。
-
一般的な普通の国語辞典の解釈と、初心者様の、脳内辞書の解釈とは、ちがうのですか。
「戦国BASARA」も、知られているようですが。
あれは、おもいきり暴れるのです。
-
総裁へ 総裁を支持される信者の皆様へ
「天地一切のものと和解したときに神は現れる。」
はたして「観世音菩薩讃歌」をお書きに成られたとき、
総裁先生は天地一切のものと和解されていらっしゃったでしょうか?
「まず汝の兄弟と和せよ。」です。
「まず」と神は仰ってます。
自然を讃えるのはそれができてからです。
兄弟と和解されていない方のご文章には「神」は現れずそこにいらっしゃいません。
これは総裁に対する批判でも侮辱でも悪口でもなんでもありません。
「真理」です。
どうか神の声に耳を傾けてください。
名前: 信徒代表
本当におっしゃる通りです。
天地一切の者と和解せよ、天地一切の者との和解が成立したとき
そこに神が現われる・・・
というのですからね、
今の生長の家教団には神は現われていないという証拠です ! !
-
『生命の實相』著作権帰属裁判の本質
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2664
-
神があらわれているとかいないとか、しかもそれが「真理」であるかどうかと
いうことを、軽々しく口にしてよいものなのでしょうか。
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」との発言にたいして、ニールス・ボー
アは、「なにをなすべきかを神に指図するな」と応じました。こうしたから神があら
われるというのは、神への指図であるのかもしれませんね。
神の名によって物事の正邪をきめようとすることが、いかに大きな問題を引き起こ
すかは、歴史が証明するところであると考えます。神にかんしての発言は慎重であ
るべきかと考えます。
-
本流掲示板では、初心者さまが雅宣総裁などの噂があったりしてますが、それはともかく、生長の家が批判されるような書き込みをしているのに、単語には反応するようですが、誰も、内容で反論しない人がいるところをみると、初心者さまが仰ってることには、ここをみている生長の家では意義なし、ということでしょうか。
…生長の家の信徒は、みなかしこいですから、人間知は、相手にしないのですね、きっと、笑。
初心者さまは、「真の生長の家」ってどんなことを指しているとおもいますか?
…因みに、わたしはこの言葉は、はじめてききましたが。
生長の家でやるべきことは、ほんとに、
「バサラ」の実現だと初心者さまはおもうのですか?
宗教組織って、なにをするところですか?
-
>>176 :初心者:2012/07/13(金) 15:44:27 ID:TfQ0e6RA
>>神があらわれているとかいないとか、しかもそれが「真理」であるか
>>どうかということを、軽々しく口にしてよいものなのでしょうか。
まず、神の本質を知ることです。
神が誰だか分からない中は、神を語る資格もなく、真理を語る資格もな
いのです。
前にも言いましたが、神が居なければ宇宙は存在できないのです。
なぜなら、この宇宙は神のことば(神の催眠術)で造られた『神の夢の
世界』だからです。
先ほども言いましたが、夢の中の宇宙は夢を見ている『本物の自分の心』
が造っているのです。もし、夢を見ている本物の自分が死んだら、夢の
世界だけが単独で存在することはできません。
>>アインシュタインの「神はサイコロを振らない」との発言にたいして、
>>ニールス・ボーアは、「なにをなすべきかを神に指図するな」と応じま
>>した。こうしたから神があらわれるというのは、神への指図であるの
>>かもしれませんね。
アインシュタインやニールス・ボーアなどいくら有名な科学者でも、こ
の世界を実在の世界だと思い込んで、夢の研究をしても何の意味もあり
ません。有名だから正しいという考え方がおかしいのです。
>>神の名によって物事の正邪をきめようとすることが、いかに大きな問
>>題を引き起こすかは、歴史が証明するところであると考えます。神に
>>かんしての発言は慎重であるべきかと考えます。
神の名によって善悪を考えないから、色々な不幸が起きるのです。
早急に大きな問題を起こしているのは、自然発生的な考え・唯物論的な
考えであることに目覚めなければならないのです。
これは天理教の教祖の言葉です。『学者・金持ち後回し。』
つまり、真理が理解できない者は『学者と金持ち』だと言っているので
す。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまは、「真の生長の家」ってどんなことを指しているとおもいますか?
…因みに、わたしはこの言葉は、はじめてききましたが。
わたしも、これまでいろいろな方と接してきましたが、「真の生長の家」といった
人はいませんね。「真の生長の家」があるとすれば、それ以外は「真の生長の家
にはあらず」となって、排除の対象とはなっても、オルグの対象にはなりません
からね。少なくとも、組織活動においては、「真の生長の家」という発想はあり得な
かったとおもいます。
生長の家はカルト化しつつあるのでしょうか。好悪の情にしたがい、自分たちだけ
を「真なる宗教」として他を排斥しようとするは、カルトの発想のはずですからね。
かつての生長の家にはあり得なかった発想ですね。
-
スターダスト様
どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
アインシュタインとボーアの議論は理解しておられないようですね。
これは「有名だから正しい」とか、そういう問題ではありません。
-
生長の家は、実際に、なにを、実現するところだとお考えですか?
本に書いてあることではなく、実際の具体的なあり方を、
教えてくださいませんか?
-
初心者さまは、生長の家の実現の実態とは、
奴隷意識の抜ききれない小市民的願望の実現と書かれました。
-
>>180 :初心者:2012/07/13(金) 17:53:08 ID:TfQ0e6RA
>>どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
>>アインシュタインとボーアの議論は理解しておられないようですね。
>>これは「有名だから正しい」とか、そういう問題ではありません。
今から37年ほど前に、アインシュタインの特殊相対性原理と素粒子の世
界の書物がブームになったことがあります。当時は猪俣なんとかという
物理学者が執筆していました。大体20冊ほど読んだと思います。
だから、ボーアについてもその本に載っていましたので覚えています。
また、霧箱とか泡箱で素粒子の性質を調べていると言うことも覚えてい
ます。しかし、そんなことを覚えても何の得にもならないと考えたので、
今ではすっかり忘れてしまいました。
しかし、アインシュタインの特殊相対性原理は宗教の真理と科学の中間
のような説なので、今でも大体覚えています。
当時は一生懸命読みましたが、今考えると、若いときは馬鹿馬鹿しい本
を喜んで読んだ物だと思っています。ちょうど子供の頃読んだ桃太郎の
本が今では、つまらないストーリーだと思うのと同じです。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■ ■ 【SAKURA の 独り言!!】
【初心様】に対して何も「総裁??」と思った事はありませんモノ???
ましては「総裁雅宣先生の文章タッチ」は、まだ『その文章の中に“知識の宝庫”が…』
此処の掲示板の皆様の【 流 行 語 】よくつかわれています“言葉”
――>【頭のいい文章 】――>誰に対してですかと???
どう見ましても「文章形態」は〜〜〜〜全く!「現総裁雅宣先生」違う様にも思えますが??
■更に“投稿文章内容”果たして?「現総裁雅宣先生…」が取り上げられます項目・内容詳細…
異なると判断しております…。例えば…前回“討論されていました『ひも論理…?』…
正直申しまして「具体論」・「詳細事項」が〜〜〜腑に落ちない点が〜〜〜?
『 哲 学 的 な 発 想 』も、また異なるようにお見受け致します…。
ここで“勘違い?”なさらないように〜〜〜と“投稿”させて頂きました次第ですが。
再合掌
-
>>180 :初心者:2012/07/13(金) 17:53:08 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>どうかこれからも、神の名で善悪を判断しつづけてください。
多分、唯物論者から見たら、本当の善悪は知らないと思います。
**********************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
(新約聖書)
**********************************************
これが、神の善です。
『殺す。姦淫する。盗む。嘘をつく。親不孝をする。隣人を憎む。』
これが、神の悪です。
この神の悪を犯すことによって『病気事故災害戦争飢餓』が起きている
のです。
この真理は唯物論からは絶対に導き出されることはありません。
なぜなら、一切の不幸は唯物論から発しているからです。
-
さくらちゃんへ
>生長の家でやるべきことは、ほんとに、
「バサラ」の実現だと初心者さまはおもうのですか?
宗教組織って、なにをするところですか?
奴隷意識の枠組みで教えを理解したところで、小市民的な願望の充足に
終始するしかありませんね。コリン・ウィルソンに洞察はあったようですが、
生長の家の方々に果たしてその洞察はあるのでしょうか。それがまずは
問題ですね。
-
スターダスト様
生長の家では、和解によって神があらわれると説かれているようですね。
たとえば、雅春先生の書かれたご文章には神があらわれていると考えられて
いるようです。ふつうの人々においても、調和において神があらわれるとも。
これは夢のなかにも神があらわれるということなのでしょうか。
-
スターダスト様
アインシュタインとボーアの議論ということでいえば、科学論争を問題にしている
のではなく、「神に指図するな」といったボーアの発言を問題にしております。
この発言じたい、有名人の発言であるかどうかは問題ではないということを
申し上げております。
ところで、「馬鹿馬鹿しい本を喜んで読んだ」といっておられますが、光速度
不変の法則について、夢のなかであのような現象があらわれることの馬鹿馬鹿
しさについて、なにか有意義なご教示をいただけますでしょうか。
-
スターダスト様
わたしは、相対性理論にかんしては、中学生のときにブルーバックスを読んだ
だけで、以来まったく勉強しておりません。むろんそれが馬鹿馬鹿しいという
ことも理解できておりません。自信満々に馬鹿馬鹿しいと豪語しておられるから
には、それなりの理解はなさっておられるものと、ふつうは考えます。このよう
に考えてよろしいのですね。
-
>>188 :初心者:2012/07/13(金) 19:24:29 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>アインシュタインとボーアの議論ということでいえば、科学論争を問
>>題にしているのではなく、「神に指図するな」といったボーアの発言を
>>問題にしております。この発言じたい、有名人の発言であるかどうか
>>は問題ではないということを申し上げております。
だったら、隣の中学生が『神なんかいない』といっていると言った方が
話が早いのではないですか?何もボーアやアインシュタインを引き合いに出すことはありませんね。
>>ところで、「馬鹿馬鹿しい本を喜んで読んだ」といっておられますが、
>>光速度不変の法則について、夢のなかであのような現象があらわれる
>>ことの馬鹿馬鹿しさについて、なにか有意義なご教示をいただけます
>>でしょうか。
夢のストーリーは自分の心の欲望が造ったので、有意義なものは夢の造
られる原理のみであって、夢の中にはありません。
例えば、私は昔、土を掘っていたら、硬貨がざくざくと出てきた夢を見
たことがあります。そのとき、この硬貨は誰が埋めたとか、その硬貨の
造られた年代を測定してもそれが何の役に立ちますか?
また、その硬貨を埋めた人間が現れても現れなくても、ただの夢の中の
現象であって、何の意味もないのです。
-
スターダスト様
となりの中学生が何をいっていたか、残念ながら存じておりません。
-
>>189 :初心者:2012/07/13(金) 19:39:12 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>わたしは、相対性理論にかんしては、中学生のときにブルーバックス
>>を読んだだけで、以来まったく勉強しておりません。むろんそれが馬
>>鹿馬鹿しいということも理解できておりません。自信満々に馬鹿馬鹿
>>しいと豪語しておられるからには、それなりの理解はなさっておられ
るものと、ふつうは考えます。このように考えてよろしいのですね。
だから、相対性理論は宗教と科学の中間のような説なので、今でも大体
は覚えていると言ったはずです。
-
スターダスト様
たとえ夢のなかの出来事であっても、その馬鹿馬鹿しさについては
語れるものです。
-
スターダスト様
夢の世界ではなく実相世界についておたずねいたします。
実相世界には光に相当するものがあるのでしょうか。
あるとすれば、それはどのような性質なのでしょう。
夢の世界では、「同時」という概念は存在しないようですが、実相世界には、
夢の世界で言う「同時」という概念に近いものはあるのでしょうか。
夢の世界には、時間空間という形式があるようですが、実相世界に
おいては、それはどのようなものであると考えられるのでしょうか。
-
スターダスト様
夢の世界の馬鹿馬鹿しさについても語っていただきましょうか。
夢の世界がいかに馬鹿馬鹿しいかということを語るのも、対機説法
としては必要でしょう。光速度不変の法則がどれほどまでに馬鹿馬鹿しい
ことなのか、ぜひとも語っていただきたいものです。
-
初心者さま
上に復興Gさまの生命の実相一部の抜粋にも、
生長の家の救済に関しての、お答えが書かれています。
よろしければ、誌友会にもご参加してくださいね、笑。
-
さくらちゃんへ
「上に」ってなに?わからんもんね。
ところで、夢の世界に神や実相があらわれるとは、どういうことなんだ。
それも夢ってことなのか。
-
>>195 :初心者:2012/07/13(金) 20:23:23 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>夢の世界の馬鹿馬鹿しさについても語っていただきましょうか。
>>夢の世界がいかに馬鹿馬鹿しいかということを語るのも、対機説法
>>としては必要でしょう。光速度不変の法則がどれほどまでに馬鹿馬鹿
>>しいことなのか、ぜひとも語っていただきたいものです。
科学をいくら勉強しても運命が好転することもなく、病気が治るわけで
もありません。それだけではなく、人間は死ぬと(この世から目覚める
と)霊界でめを覚まします。霊界についてはスエデンボルグに聞くとい
いです。
**********************************************
■他生に初めて入ってくる際は、個々のものの記憶は、そこから派生し
てくる誇りと共に、苦痛を与える。
誰でもその者が身体の生命の中で得た自然的な気質を他生へ携えて行き、
かくて広般な記憶をもっていてそのことを誇り、そのことを見せびらか
そうと願っている者らはその記憶をもって行くのである。このようにふ
くれ上がったこの記憶は外にくっついている、いわば、固いたこのよう
なものであって、時の経過につれて柔らかくされなくてはならないので
ある。しかし、その間それは、恰も頭の皮膚がむしり取られているかの
ように、頭に苦痛を引き起こすのである。
**********************************************
他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たず、返って障害になると言うことです。
このことについては、すでに何度も述べていますよ。
-
スターダスト様
ですから、科学の馬鹿馬鹿しさについて語っていただきたいと、このように
いっておるのです。光速度不変の法則について、それがいかに馬鹿馬鹿しい
かということを具体的に語っていただくことには非常な興味があります。
具体的に語らずに、ただ馬鹿馬鹿しいといわれて、いったい誰が納得いたします
でしょう。
ところでシュタイナーによれば、今生で物理学者であったものは、来世では、
物理学の才能はほとんどゼロの人間として生まれてくるそうです。せっかく
輪廻転生しても、おなじような経験では意味ガないということなのでしょう。
知識はあの世に持っていけない。これはたしかなようです。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 ―――――
近代心霊研究は、言うまでもなく実験室内における、極度に厳密な科学的実験の上に
基礎を置くものです。しかし近代心霊研究の先駆となった、数多くの偶発的異常現象が、
その数、種類において、想像以上に東西各地にさかんに出現しつつあったことを忘れて
はなりません。この数十年来、日本人は物質文明の輸入に追い立てられ、ひたすら馬車馬の
ように物質世界の軌道を駆け続けてきて、それらの問題をふり返ってみたことも
ありませんでした。が、いつまでもそんなまねばかりしてはいられません。
私は、それらの中で、顕箸なものだけでも、ひととおり教えあげておきたいと思います。
<つづく> No.1
-
<つづく> No.2
>>201続き投稿です…。
―――――― 悪夢 ――――――
偶発的心霊事実の中でも、最も普通なのは、悪夢でありましょう。悪夢とは、つまり
立派につじつまの合った夢、いわゆる正夢です。近年精神分析学者をはじめとし、夢に
ついて研究をした人たちは、なかなか多いのですが、霊媒師をヌキにしては、まだ充分
夢を解決したとは言われないようです。
悪夢の中で、最も普通に起るのは、人の死の前後に起こる予兆的悪夢です。これは、
大ていの家庭で一つや二つは心当たりのある事柄ですから、とりたててその事例を
挙げるまでもないでしょう。「心霊と人生」誌上にあげた心霊資料の中にも、この種の
正夢の記録はすでに百以上あります。故フラマリオンの『ランコンヌ−』の中にも、
七十六ほど予兆的悪夢の実例がのせてあります。その他にも、数えあげればきりが
ありません。
時には、予兆的悪夢の中に国家の重大問題に関するものもあります。私自身が直接
当人の口からきかされた話ですので、特に忘れられないのは、日本海海戦の際に、
故秋山真之海軍中将のみた悪夢です。中将は当時まだ中佐で、東郷大将の幕僚の一人
でしたが、五月二十四日の明け方、連日の軍務に疲れ切った身体を士官室の安楽いすに
横たえて、うとうとしていますと、突然閉じた眼の中に、対馬東水道の全景が現れ、
そこにはバルチック艦隊がやや不規則な二縦隊を作り、北にむかって進んでいるのでした。
「ふむ、敵はあんな隊形で東水道へやってくるのだナ。よし、味方はこの手でむかえ撃とう。」
そう考えた瞬間、夢はたちまち消えうせました。それまでにも中将は、霊夢の形式で
戦略上の示唆に接した経験があるので、心の中でかたく、この霊夢を信じました。
果たせるかな、あの記念すべき五月二十七日の大海戦の日、対馬東水道でバルチック
艦隊と遭遇してみると、その地点、隊形などが、三日前の霊夢と全く相違がないのでした。
米国心霊家ハドソン・タットルがあげている実例の中にも、大変興味深いのがあります。
ある女性は、生来の盲人でしたが、ただ夢の中では、きわめて明瞭に人物や物体を認める
ことができるのでした。彼女の死後、その遺体を解剖しましたが、その視神経は全然破壊
されていたといいます。
音楽家の中には、夢の中で作曲した実例が相当あります。ド・リイフドというオランダ人は、
夢の中で「ヘヴン」「ゼ・ソング・オブ・ブラインド」の二小曲を作りました。
サリヴァンの生涯にも同じ様なことが起りました。『ゼ・ロスト・コルド』という名曲が
それで、惜しいかな、その一部分が彼の記憶から消えたため、永久に未完成で残っています。
フランスの有名な数学者ボアンカレにも、おもしろい事実があります。彼は
すべての方程式を解くべき一般法則を発見しようとして連日あらん限り知能を絞って
いました。ある夜もその問題を散々考えた後、眠りにつきましたが、翌朝目を覚ますと、
数枚の紙にその問題の完全な解式が書かれてあったといいます。
文学者の中にも夢の中にも夢の中の創作の実例は少なくないです。
たとえば、イギリスの文蒙コールリッジの名作『クリスタベル』『クブラ・カン』の二篇などは
熱睡中に書かれたものだと言われてます。
次は――――幽霊および幽霊屋敷――― です〜〜〜。
<つづく>
■■【夢判断】でしょう〜〜〜か???
『お正月の2日』皆様も御存じでしょうか??
此の日…『正夢??』とか言いますが〜〜〜〜〜これも【夢判断…】と捉えて良いのでしょうか?
【夢…】も、潜在意識に繋がっていますから、掘り下げていきますと〜〜〜ルンルン〜〜〜♫
【霊界】にはいっているのです〜〜〜ョネ!!この頃の私は
【夢…】を見ませんが??【夢 判 断】は多少はあるのです〜〜〜ョネ!!
なるべく「ボディティブ思考」になりますと【悪夢も良い夢判断…】になれる〜〜〜カモ?
私の後ろにいる【守護霊は表裏一体!!】なのですから〜〜
いつも〜いつも〜後ろの『百太郎の伝言…メッセ−ジ』かしら〜〜〜ン??
再合掌
-
初心者さま
…わたしは、初心者さまのおかげで、雅春先生の教えがいかにすばらしいか、再認識できて、感謝していますよ。
今まで、生長の家の現状にがっかりして、
なぜか、こうして、初心者さまに話しかけて頂いたおかげで、雅春先生のお悟りの素晴らしさを再認識できた気がします、
初心者さまこそ、ほんとに生長の家がお好きなのだとおもいますよ、
これほど、生長の家について考え、そして真理について深く追求しようとしてる方なのですから…。
…「真の生長の家」「偽物の生長の家」というような考えには、わたしは、どうしてもなれません。
たとえば、違う宗教を信じていたり、考えが違っていたとしても、この地上に生きるものはみんな同じように学びの最中だと思いますし、必ずすべてが神の愛の中の出来事だと、信じます。
どこからでも、学びはあるはずですし、
生長の家は、万教帰一の広大の慈門ですから、ほんらい、全てを包んで余りある、愛の教えだと信じてます。
わたしも、現状にとらわれすぎず、学びの実践を大切にしようとおもいます。
真理を人や物事を見る価値判断の基準にせず、
…大切に祈りを込められると思う時にこそ、ことばを人に届けていこうと、おもいます。
こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
-
>>200 :初心者:2012/07/13(金) 21:45:04 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>ですから、科学の馬鹿馬鹿しさについて語っていただきたいと、この
>>ようにいっておるのです。光速度不変の法則について、それがいかに
>>馬鹿馬鹿しいかということを具体的に語っていただくことには非常な
>>興味があります。具体的に語らずに、ただ馬鹿馬鹿しいといわれて、
>>いったい誰が納得いたしますでしょう。
だから、>>199で言っているでしょう。
科学をいくら勉強しても運命が好転することもなく、病気が治るわけで
もありません。霊界では世界では科学などは何の役にも立たず、返って
障害になると言うことです。
夢のストーリーは自分の心の欲望が造ったので、有意義なものは夢の造
られる原理(真理)のみであって、夢の中を研究しても有意義なものは
ありません。
例えば、私は昔、土を掘っていたら、硬貨がざくざくと出てきた夢を見
たことがあります。そのとき、『この硬貨は誰が埋めたとか、その硬貨
の造られた年代を測定しても』それが何の意味がありますか?馬鹿馬鹿
しいとは思いませんか?
確かに私も30年ぐらい前にシュタイナーの『神智学』は読みましたよ。
たしか、アストラル体とかエーテル体とかに分かれた五〜六冊組の本だ
ったと記憶しています。しかし、何か超能力的なことばかりで、あまり
有意義でなく、印象がないのでほとんど忘れてしまいました。
どちらかというと、20年間も霊界と行き来したスエデンボルグの霊界日
記に興味があります。全部で九冊になっています。初心者さんや生長の
家の信徒に読んでもらいたい本のひとつです。
-
>>204のつづきです。
**********************************************
彼らの中の一人は地上の事柄に非常に学問があって、人々から尊重され
ていた。その彼の信仰が私に伝えられた。それは、私が霊的な方法で認
めるところでは、全く皆無である。といったものであった。なぜなら信
仰は地的な科学により全く窒息しており、それで彼は死後の生命を、霊
たちの存在を、ましてや天界を信じはしなかった。かくて彼の信仰は科
学の中に埋められてしまっていた。
私は彼らと生活上の科学の必要について論じた。すなわち、ただ必要な
ものは真の信仰に属したもので在るということであって、他のものは助
けになるものの、単に粗末なものに過ぎない、一切のものがそれに依存
しなくてはならないわけではない、と。
さらに私はいかような種類の生命が彼らを待っているかを彼らに話すこ
とを許された、すなわち、彼らは先ず、他生に入って間もない霊魂たち
を喜んで迎える善良な霊たちの交わりの中へ迎えられはするが、その信
仰の転倒した秩序のために彼らとは一致することができない時は、彼ら
からおのづから分離してしまうのである。
彼らは再び他の霊たちの交わりの中へ迎えられるが、彼らと一致してい
ないときは、彼らからもまた斥けられてしまう。その後で善良でない霊
たちと交わるが、これらの者からも斥けられる時は処罰と刑罰を加えら
れる。その後彼らは置き去りにされ、かくて彼らは家から家へ歩いて行
き、迎えられることができる所を求め、ついには食物と暖とを乞い求め
るようになる。
彼らはそのようにして迎えられ、身体の生命の中に在った時のように、
他の者より卓越して、さらに尊敬されたい、と願うと、その時は、他の
者たちの財産を求めるなら、それを持ち去ってしまわないわけにはいか
なくなる。こうした者らは身体の生命の中で罰しられるからには、彼ら
は今や更に厳しく罰しられて、放逐されてしまう。
その後彼らは破れた着物を着て独りになってぶらつき回って、乞食とな
り、そのことが彼らの誇りが、または他の者らよりも遙かに卓越しよう
とする思いが捨て去られるまでも、または他の者の財産を取り去ってし
まおうとする欲望がなくなってしまうまでも続くのである。
このようにして彼らはついには剥奪され、彼らと一致しているような霊
らの交わりの中へ入れられるのである。このことは時として非常に長い
年月を要するのである。・・・・数百年、数千年も要する、と言われて
いる・・・・なぜなら剥奪には長い時がかかる者がいるからである。
(スエデンボルグの霊界日記)
**********************************************
霊界で必要なものは、信仰(真理)のみが支配する世界なのです。
シュタイナーの言うように才能ゼロとして生まれるばかりでなく、地上
の科学をもって死んだ者は霊界では地獄によって精算されることになる
のです。
-
生長の家の言うように『この現象世界は無い』のです。
空間も無く、時間も無いのです。だだ、心から外へは一歩も出ていない
のです。無い現象を研究しているのが科学者です。
アインシュタインの説が宗教と科学の中間のような考え方だと言ったの
は次の論理からです。
光は直進します。しかし、空間は重力によって歪みます。
したがって、例えば高速ロケットがあるとして、真っ直ぐ上に進んだと
ます。どんどん進むと、地球の下に到着します。
この距離が宇宙の直径です。
ここでもう少し、自分を中心に考えてみます。真っ直ぐ上方を見ること
が出来れば、自分の足の裏が見えます。今度は、正面を見ます。すると
自分の背中が見えます。こうして、東西南北をぐるりと見渡したとき、
宇宙は自分の身体の皮膚に包まれていることになります。
宗教では宇宙は自分の中にある。という真理と一致します。
次に、昔は天動説を真剣に考えていました。地球が停止していて、宇宙
が自分を回っていると信じていたわけです。バカですねえ。今では、す
べてのクリスチャンは地動説を信じています。
しかし、アインシュタインはもし、地球が自転していると証明するなら、
宇宙の静止している場所を特定しなければなりません。
ただ、地球が自転していると言うだけでは証明にならないのです。
宇宙には静止している場所はありません。
そこでアインシュタインは相対性理論を提唱したのです。
宇宙で停止している場所は観測者です。
だから地球は回転していないのです。また、太陽が観測者を回っている
のです。このようにアインシュタインの説をとれば、天動説が正しいこ
とになるのです。
夢の中では太陽は東から昇り西に沈みます。
これが宗教的な考え方です。
だからアインシュタインの相対性理論は科学と宗教の中間のような学説
だと言っているのです。
-
さくらちゃんへ
>こんな無知なさくらにいつも、お話くださって、ありがとうございます。
初心者さまの学びをこころから祈ります。
えええー、どーゆーこと?意味わからん。ちゃんと説明して。
-
スターダスト様
スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないといって
おられるのでしょう。
科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢で
あります。
スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという夢の世界
で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられているだけなのです。
神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するという夢な
のです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。夢の世界を研究
する科学者の夢を見させられているのです。
-
初心者さま
科学や物理の証明ならともかく…
宗教において、真の生長の家と言われたり、どちらが正しい、邪説だという証明には、
…わたしは、しょうじき、こころが動きません。
真理を知って、なにをするか、そのことです…。
いくら生命の實相を知っても、他を虚説ということや、
それでなにか「真の生長の家」といわれることが「復活」したとしても、本流などの姿をみてきて、
これからの生長の家がなにをするかにも、いまは信頼がおけません。
-
>>208 :初心者:2012/07/14(土) 08:15:08 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様は、どこからどこまでが夢で、どこからが夢でないと
>>いっておられるのでしょう。
>>科学者が見ているのが夢であれば、宗教家が見ているのも夢であります。
>>神も実相も神の子も、すべてが夢であります。生長の家も雅春先生も夢であります。
それは違います。
何度も言いますが、『実相世界』『神』は夢ではなく、現実世界です。
そこで、神がこの世界という夢を見ているのです。
>>スターダスト様は、夢のなかで本を読まされ、インターネットという
>>夢の世界で、夢で見た本の内容を引用するという夢を見させられてい
>>るだけなのです。
もちろんそうです。
ただ、科学者や唯物論者はこの世界を実在する世界だと確信して、研究
に没頭するので、夢が覚めた世界では、その唯物論が頭にこびりついて
いるので、それを剥奪されるまで何百年も苦しむよ。といっているので
すよ。この世界が『物質や現象は心の映像である』という真理を知って
いる生長の家の信徒は、心に唯物論が無いため剥奪されることはない。
といっているのです。
>>神が存在すると考えておられるようですが、それは神が存在するとい
>>う夢なのです。科学者が夢の世界を研究しているのではありません。
>>夢の世界を研究する科学者の夢を見させられているのです。
そうではなく『この世界が神の夢』なのであって、神だけが実在すると
いうのです。だから、この世界に神が居るわけではないのです。
前に何度も言いましたが、神がいなければ夢の世界だけが単体で存在す
ることは出来ないのです。
-
さくらちゃんへ
ジジェクがいうように、真理とは共生を学ぶべき堪えがたい真理であるのかも
しれません。自分にとって心地よいものだけを真理と考える人は、快不快の原則に
したがって、心地のよい言説ばかりを集めて、不快な言説を遠ざけようとします。
そうやって集めた言説によって真理は成り立っていると考えます。
そのような人に、「共生を学ぶべき堪えがたい真理」の発想はありません。心地の
よい言説に囲まれたその人は、その心地よさゆえに、そうした言説のみをもって
絶対的真理と見なすようになり、そうすることで不快な言説をさらに遠ざけること
に成功します。ようするに、それを読んだりなしたりすることでドーパミンが出るか
どうか、これが真理かどうかの判断基準であるということです。
-
スターダスト様
すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」といって
おられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる夢とは別の夢を見て
おられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、「これは夢ではない」と感じ
られるのです。
-
光速度不変の法則は、夢が夢でありつづけるための必須の法則なのですよ。
光を追い越してしまうと、人は夢を見ることができなくなります。そのために、光は
つねに先回りして、夢の映像をつくりつづけているのですよ。これがバカバカしい
ことなのかどうか、わたしにはわかりませんけどね。
-
>>212 :初心者:2012/07/14(土) 09:47:34 ID:TfQ0e6RA
>>スターダスト様
>>すべて夢ですよ。スターダスト様は、夢のなかで、「これは夢ではない」
>>といっておられるのですよ。夢のなかで、科学者が見ているとされる
>>夢とは別の夢を見ておられるのですよ。それが別の夢であるがゆえに、
>>「これは夢ではない」と感じられるのです。
意味がよく分かりませんが、『スターダストはこれは夢ではないとは言
っていませんよ。』スターダストを含め、この世にいる人はすべて夢を
見ている人ですよ。
だから、先ほどから言っているのですよ。
夢の世界は単体で存在できないのですよ。
たとえば、初心者さんが夢を見ています。
ベッドの中の夢でない実在の初心者さんがいなくては、夢の世界は出来
ないでしょう。
また、ベッドの中の実在の初心者さんが目を覚ませば、一瞬にして夢の
世界は消えて無くなりますよね。
この実在の初心者さんのことを『神』とい名で呼び、この実在の世界を
『実相の世界』という名で呼んでいるのです。
だから、神がいなければ、一瞬にして宇宙は消え去ると言っているのです。
-
ですから、実相世界も夢なのですよ。
-
神も実相世界も夢でしょう。夢のなかで、神や実相世界が実在する夢を
見ているのです。
-
夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかでいくら
考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはないでしょう。
-
>>215 :初心者:2012/07/14(土) 10:15:58 ID:TfQ0e6RA
>>ですから、実相世界も夢なのですよ。
だから、夢は単体では存在できないといっているのですよ。
地球も霊界も天界も夢ですが、その一番上の世界を実相世界と言ってい
るのです。もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
-
>>217 :初心者:2012/07/14(土) 10:25:27 ID:TfQ0e6RA
>>夢見手はたぶんひとりだけです。その夢見手が誰なのか、夢のなかで
>>いくら考えても、どんな夢を見させられても、永遠にわかることはな
>>いでしょう。
そうです。初心者さんから見れば夢見手は初心者さんひとりです。
だから、初心者さんを『神の子』というのです。
実相世界で夢を見ているのは神の子だからです。
周りに色々な人々がいますが、すべて初心者さんの心から出た映像です。
-
スターダスト様
>もし、実相世界が夢であったら、もう一つ上の世界が存在す
ることになるのです。
ですから、夢見手はひとり、と申しております。ただしはその夢見手は、
スターダスト様がいっておられる「神」や「実相世界」とは無関係という
ことです。
-
スターダスト様
わたしのいっている意味がわかっておられないようですね。スターダスト様が
いっておられる「もうひとつ上の世界」こそが夢見手であるということです。
その夢見手は、スターダスト様がいっておられる、神とも、実相世界とも、生長の家
とも無関係、ということです。
-
スターダストさんと
初心者さんのやりとり、非常に興味深く読ませてもらっています。
スターダストさんの言葉
〉だから、神がいなければ、一瞬にして 宇宙は消え去ると言っているのです。
これは、まったくそのとおりだと思うのですが、
私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったのか、これがわからないのですね。
それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続いていくでしょう。
「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がないのではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。笑い
夢の議論も非常に面白いです。
なかなか、こんな根本の議論は、ふだんやりませんからね。
-
>>222 :アクエリアン:2012/07/14(土) 11:10:56 ID:0rrCWYas
>>私の昔からの、根本の疑問、では、「何故」神は、この宇宙を作ったの
>>か、これがわからないのですね。
>>それでいろいろ読んでいるのですが、まあ、この探求は、ずっと続い
>>ていくでしょう。
>>「絶対無」というのか、そもそも、存在がなくても、何も問題がない
>>のではないか、これは昔からの変わらない私の探求のテーマなのです。
確かに、『絶対無』でもいいですよね。
これはスターダストの個人的な意見ですが。
神は生命である。
神は愛である。
神は智慧である。
これらが神の条件になっていますが。
人間に生命はないから神が生命であり、
人間に愛がないから神が愛であり、
人間に知恵がないから神が智慧である。
そこで、仮に人間に生命があったら。
人間に愛があったら。
人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、
神は愛を必要とせず、
神は智慧を必要としなくなって『絶対無』になるのではないかと思います。
また、同時に人間も『絶対無』になって消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ存在できないように思うのです。
つまり電池のプラスマイナスのような仕組みではないかと。
-
アクエリアン様
神はなぜこの世界をおつくりになられたのか。わたしは、非常に拙いものでは
ありますが、ひとつの仮説を立てております。こちらでも以前、役行者様との
あいだでそれをテーマとしたやりとりがありましたが、神は自分の姿をお知りに
なりたかったというのが世界創造の理由だと、そのときのやとりで述べたことが
あります。
神がゆいいつの存在であるとすれば、それは無に等しいということですら、神に
はとうぜんのことに「自分」という概念すらないということになります(自他とは
相対的な概念ですから)。そんな神が、あるときそのことにちょっとした違和感を
お持ちになった。そのときの「違和感」こそが世界創造の原因になったと考えて
おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿をお知りになりたいとする衝動でもあったので
すが、神といえども自分の姿をご存じではないので、たやすくその似姿をつくりだ
すことはできません。そこでその衝動は、無限の数ともいえる宇宙をつくり出す
大インフレーションとして現象化することになります。神は、無限の数ともいえる
宇宙が独自の生成発展を遂げていく過程を観察されながら、自分の姿にもっとも
近いとおもえる宇宙の出現を期待しておられるのではないかと考えます。
大インフレーションは、おそらく一元論では説明がつきません。はじめに、神と神を
とりまく無があった。とりあえずはこのように考えることにしております。
わたしが主張しております本物の宇宙はこうした仮説にもとづいたものであります
が、大インフレーションの仕組みはきわめて複雑なものと想像されます。たとえば
チベット仏教には、キルコルと呼ばれる曼荼羅の思想があるようですが、複雑きわ
まりないキルコルの仕組みは、本物の宇宙の生成発展の仕組みを解くカギになる
やもしれぬとか、シュタイナーの思想はどう結びつくのかとか、宇宙はオートポイエ
ーシスではないのかとか、さまざまなことを夢想しつつ、永遠にかなわないであろ
う、世界創造の仕組みの解明を楽しんでいるといったところであります。
-
初心者さまのほんものの宇宙の探求は、
生命システムを探求する南方熊楠の考えにつうじますね、
生命のオートポイエーシス的な働きと、曼荼羅の思想の融合…など、
ほんもののうちゅうの正体とは、、おおきな生命システムなのですか?
-
さくらちゃんへ
宇宙システムと生命システムには相似の関係があるのかもしれませんね。
それが 単純でないだけに、宇宙にしろ、生命にしろ、その探究には持続性が
あって、飽きずに楽しめるというものです。熊楠が現代に生まれていたと
すれば、現代風の宇宙システムの探究にも、多少の関心を持ってもらえた
かもしれませんね。
-
スターダスト様
レスありがとうございます。
〉そこで、仮に人間に生命があったら。 人間に愛があったら。 人間に知恵があったら。
神は生命を必要とせず、 神は愛を必要とせず、 神は智慧を必要としなくなって『絶対 無』になるのではないかと思います。 また、同時に人間も『絶対無』になっ て消え去るように思います。
世界にはたとえ僅かでも悪がなければ 存在できないように思うのです。 つまり電池のプラスマイナスのような 仕組みではないかと。
ーーーーーー
このご意見、共鳴できる部分が、かなりあります。
ある人の本に、
この全宇宙の有情の全生命が解脱したら、一瞬にして、全宇宙は消え失せるのだ、と書いていて、なるほどと思ったものです。
絶対無という、考えに、スターダストさんが、そういう考えもあってもいいのではと書いてくれて、私の問題意識もそんなにおかしいことではないと知ってちょっと安心しているところです。
-
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
-
初心者様
レスありがとうございます。
〉神がゆいいつの存在であるとすれば、 それは無に等しいということですら、 神に はとうぜんのことに「自分」という概 念すらないということになります(自 他とは 相対的な概念ですから)。そんな神 が、あるときそのことにちょっとした 違和感を お持ちになった。そのときの「違和 感」こそが世界創造の原因になったと 考えて おります。
その「違和感」とは、神が自分の姿を お知りになりたいとする衝動でもあっ たので すが、神といえども自分の姿をご存じ ではないので、たやすくその似姿をつ くりだ すことはできません。そこでその衝動 は、無限の数ともいえる宇宙をつくり
ーーーーー
この考え方は、非常に、インド哲学的ですね。
この世界を、神のリーラ、遊戯、遊び心の展開として捉える考え方、面白いです。
-
アクエリアン様
そうですか。インド哲学的ですか。それにたいするイメージはあるものの、インド
哲学には知識らしい知識を持ってはいません。それについて語ることもできま
せん。ですが、高嶺の花に恋い焦がれるとでもいうべき憧れはありますね。
それとは知らず、インド哲学的な何事かを語り得たとすれば、たとえそれがどんな
に稚拙であろうとも、自己満足程度の満足感は得られるというものです。ただ宇宙
誕生のいきさつは、「遊び」というよりも「神の狂気」ととらえるべきではないかと
考えます。
やにわに生じた「ちょっとした違和感」は、神にとっての純然たる異物であったはず
です。それは、神のなかにありながら、神ならざる異物であったはずです。「ちょっと
した違和感」は、「排出」という形で神の外部に放出されます。これにより、神ならざ
るものが、神の内部より排出されます。
それは大インフレーションとなって現象化します。「絶対無」という言葉が出てきま
したが、自己も非自己もない「絶対無」の状態にあった神は、非自己が現象化した
ことで、無から有の状態へと引きだされます。それは、神ご自身が無から有へと
引きだされた瞬間であったという意味でも、無限の数の非自己を誕生させたと
いう意味でも、何もあってはならないところに、あってはならないものを生じさせ
たという意味でも、その出来事は、神にとっての狂気の沙汰であったと考えます。
しかもこの狂気によって、神は存在に入ることができたともいえます。
スターダスト様やアクエリアン様が語っておられますように、非自己は自己へと
回帰すべきものであるのかもしれません。なんにしても、あることないこと様々に
想像いたしますので、道をはずれたときにはご指導いただけますように。
-
初心者様
宇宙誕生のいきさつを、神の狂気と捉えるということですが、やはり、インド哲学的に思えます。
マーヤーという考え方に似ているのはないかと思えるのですね。
世界大百科事典の解説
〈幻影〉を意味する語でイン ド哲学の術語の一つ。早くも 《リグ・ベーダ》において用 いられ,おもに〈神の驚異 的・神秘的創造力〉を意味し た。この用法はウパニシャッ ドに継承されているが,〈宇 宙的幻影〉の意味にも用いら れている。
ーーーーー
神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
そして、この世界という存在は、神の狂気の沙汰であり、非自己なのだから、本来、あってはならないものなのだから、あるべき位置に戻してやることこそ、人間の仕事ではないのか。
こういう考え方、興味深いです。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 ―――――
――――――幽霊および幽霊屋敷―――――
霊夢についてはこの辺で切りあげ、今度は偶発的心霊事実中の大関ともいうべき、
幽霊および幽霊屋敷について述べます。
一部の人は、幽霊ときいて単なる冷笑をもって迎えるかも知れませんが、それは
あまりにも軽率です。英国心霊協会が組織されたのは一八八二年(明治十五年)ですが、
同会で着手した最初の事業の一つは、実に幽霊に関する調査で、約三万件にのぼる報告を
集めて比較研究の結果、委員長のシジウイック博士は統計的にこう断定しました。
「ある人の死と、その幽霊との間には、何らかの関係があり、これを単なる偶然と考える
ことはできない。私はこれを、実証された事実と認めます」。これは冷静着実な学会の
報告で、一々正確な証拠資料で裏書きされていますから、これを独断的に否定してしまう
ことはできません。真に研究的良心のある人なら、事実の否定よりは、むしろ事実に
対する学術的解釈に進むことがあるいは正当なのではないでしょうか。
幽霊屋敷の記録も、なかなか豊富で、日本にも西洋にも、その実例はたくさんあります。
なかには、平凡でボンヤリした幽霊が、単に出没するだけのものもありますが、なかには、
騒々しく、石が降ったり、家具が飛んだりするのもあります。西洋では此の現象を、
「騷々しい幽霊(ポルタ−ガイスト)」などと呼んでいます。
近頃は次第に、この種の現象は減ってきていますが、大正十三年の九月から同十一月にかけ、
四十八日間、一種の怪奇現象がひきつづいて南満州の南国嶺駅付近に起こったことがありました。
南国嶺駅から西北に約六キロ程行ったところに両井屯字茶葉溝という小さな部落があり、
そこに揚培蓮という農夫が住んでいました。怪現象はその家で起こったのです。
最初五日間は、ただ窓をたたくような騒音が聞こえただけでしたが、六日目の午後
三時頃、突然こぶし大の石が落ちてきたのをきっかけに、一昼夜に十数回から五、六十回
ずつ、こぶし大から頭大の石が降ってきました。時には、石に混じって自分の家には
埋蔵していない栗やトウモロコシが降ることもありました。旧十一月一日には、室内に
置いてあった古着の袋から、突然発火し、幸いそれは消しとめましたが、庭のすみに
積んであった枯草は、全部自然発火して燃えてしまいました。
ある時食卓がひっくり返ったり、またある時は食卓がひっくり返ったり、またある時は、
三人の男女の幽霊が家の人の眼の前に現われたりしました。南関嶺の駐在巡査、大須賀与助、
大連本署の川辺警部補、その他が幾度も出張して調査しましたが、そういう時にも、大石はいぜん
として彼らの足元に落下し、どうしても石の出所が不明だったというのです。
詳細は「南関嶺の怪現象」と題した記事(「心霊と人生」昭和元年二月号)にあります。
他にも、この種の怪現象はたくさんあります。あのメソジスト派の創立者、ジョン・ウェスレ−が
幽霊屋敷に住んでいたなどは、有名な話です。
<つづく>
PS:トキ様へ
私どもは「幽霊…」と申しますとどうしても?怪奇現象をつい連想してしまいます…。
実は〜〜〜今振り返りますと〜〜〜私も【怪奇現象…】体験していま〜〜〜す。
後日【独り言…】にて“投稿”させて頂きます…。
尚!此の【書物…抜粋投稿】は、当時「雅春先生」がこの心霊研究会に出入りをなされ、
かなりの影響を受けられたものと思います…。
最後に…書籍の【題名…】を、記載させて頂きますが〜〜〜?
トキ様は?此の「怪奇現象?幽霊…」に関しまして、何か体験がございますでしょうか???
再合掌
-
>>226
初心者さま
初心者さまのうちゅう観は、ホログラムやDブレーンで、
説明されていたので、わたしにはすごく物理的で無機的で感覚的に遠いかんじがしていました。
宇宙が、オートポイエーシス的なシステムで、キルコルの曼荼羅に本質を観るような世界観があると思われるのですね?
熊楠は粘菌の生態のなかに、宇宙の秘密を観るのですが、それは、粘菌の顕れか美しい姿を見せるほどに、その内部は死の過程を辿っている、つまり、「神」が奥へ奥へとと隠れて行く過程を観ていたようなのです。
逆に、粘菌が生命の原形に近いアメーバのような姿でいる時に、つまり、無に近づくほど、霊的な命の本質、「神」に近くなることも、とらえた感じです。
西洋的生命観では無に近づけば、それはただ単に死を意味するだけなんですが、熊楠は、さらにその奥にある生命の霊的な本質をみて、もっと奥深い生命システムをうちたてていたんですね。
これは、東洋的な、日本人的な精神のあらわれた生命観なのかもしれませんね、
わたしが親和を感じる有機的な宇宙観と、通じるものがあり、うれしいです。
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アクエリアン様
>神の違和感、神の中の異物の排出としての宇宙の誕生、そして、展開。
これは、結局、この世界は、神の違和感、を原因としているのだから、どうしても、人間の目からは、不調和極まりない世界に映るのだ、という、はなはだ悲観的な哲学になりますね。
初心者さんの思想を間違って捉えているかもしれませんが、その場合は、ご容赦を。
生長の家は、すべてを知る全知全能の神が、神ご自身を表現するために、実相世界
と呼ばれる世界を創造なされたと考えますね。神は全知全能であるから、非自己と
の比較なくして自己が自己であることを知り、非自己を鏡とせずとも自己の姿を
神は知りうる、とする立場に生長の家は立っているということが、以上のことから
わかります。
わたしは、こうした立場をとる生長の家に異議を唱えます。非自己なくしてなぜ
自己という観念が生じるのか。非自己との比較なくして、神はなぜ自己の姿を知る
ことができるのか。こうした問いかけにたいして、「それは神が全知全能だから」と
しか答えようとしない生長の家に異議を唱えます。
「全知全能」と答えつつも、生長の家が、神の全知全能を証明したというわけでは
ありません。全知全能とはどういうものかを説明したというわけでもありません。
「神の全知全能」を錦の御旗のごとくかかげることでやっとこさ成り立っている、
生長の家の天地創造説を受け入れるのは、わたしにとってたやすくはないという
ことです。
「神の全知全能」という考え方にたいして、神は自己を認識しうるが、非自己という
鏡がなければ、神は神ご自身の姿を知ることはできないとする考え方があります。
こうした考え方にもとづけば、神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために、
鏡となるべき非自己を創造されたとする立場に立つことができます。
わたしもこうした立場に近いものを持ってはおりますが、神がどのようにして、比較
対照すべき非自己もなしに自己を自己として認識なされたのかとの問いに答える
のは困難です。しかも、「神が自己の姿を知りたいと欲せられた」とする発想じたい
あまりに人間的でありすぎるのも難点です。
このようなことをつらつらと考えておりますと、こちらで語られておりますよう
な、人間にはとうてい理解がおよばぬ「絶対無」が神にはお似合いなのだとする
発想に、どうしても傾きがちになります。「ちょっとした違和感の排出」。こうした
発想で、ちょっとだけ斜めから見た世界創造のいきさつを、どうしても語りたく
なってしまいます。
-
さくらちゃんへ
Dブレーンやホログラムによって語られる本物の宇宙は、夢も希望もある青春の
まっただなかにおられる女子青年からすれば、いかにも無機的と感じられるので
しょうね。ですけども、本物の宇宙にしたところで、「全体」からみれば、そのごく
一部を語っているにずきないということがいえるはずです。
昨日あたりから、自己と非自己ということをいっておりますが、非自己が本来の
自己にもどろうとすることを、生長の家では「実相があらわれる」と表現して
いるのですね(非自己といっても、その実体は神でありますので、自己が非自己
の姿として仮にあらわれているということです)。
したがって、本物の宇宙についても、それを非自己が自己へともどる過程として
語ることで、そのぬぐいがたき無機質性をおおいかくす必要が出てまいりますが、
そのための奥の手のひとつとして期待されるのが、チベット仏教のキルコル曼荼羅
なのですよ。
キルコルの思想では、たとえば慈悲の心が、天上界から本物の宇宙へと降臨する
までの有機的なつらなりが、立体的な模式図によっても示されているようです。
慈悲の心ひとつとってみても、キルコル的には複雑な仕組みが隠されていそうで
すけども、こうした複雑性を本物の宇宙ふうにひと言でまとめれば、慈悲の心は、
非自己を自己へともどそうとする力として本物の宇宙に降臨してくる、ということ
できまりのようです。
愛とは何か。これは人類永遠の問いであるともいえますが、これを慈悲にならう
なら、愛とは、本物の宇宙に降臨しつつある、非自己を自己へともどそうとする
衝動である、ともいえそうです。ですから、いっけん無機質とも見える本物の宇宙
は、非自己を自己へともどそうとする慈悲の心や愛の心で満ちあふれているとも
いえるのです。キルコルが本物の宇宙に組み込まれることで、愛と慈悲の降臨が
約束されるのです。おわかりいただけましたでしょうか。
話は続きます。
真理を追究するという立場からすれば、愛の衝動を、非自己を自己へともどそうと
するプロセスに還元して究明することがひとつのカギになるはずです。雅春先生
は、こうしたプロセスを語ろうとされたのではありませんね。雅春先生は、じっさい
に愛の行動によって、非自己を自己へともどそうとなされたのですね。
ならば、わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相
が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲーム
セットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせ
たくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手の
ロールゲームを演じ続けるしかないのです。
こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、
生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。
-
初心者さま
お久しぶりです。なかなか、話に入る隙がなかったのと、いま、増税反対のための資料づくりに力を注いでいるため、遠くで眺めさせていただいておりました。
早速、失礼します。
>「神の全知全能」という考え方にたいして、神は自己を認識しうるが、非自己という
鏡がなければ、神は神ご自身の姿を知ることはできないとする考え方があります。
こうした考え方にもとづけば、神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために、
鏡となるべき非自己を創造されたとする立場に立つことができます。<
以前、初心者さまが私役行者の返答に、お書きになった内容です。
>神は、神ご自身の姿を見るための鏡をおこしらえになった。
これが第一創造でありましょう。
その鏡こそがこの宇宙なのでは?
宇宙を鏡として、神は神ご自身の姿を見てみようとなされた。<
この内容はごく自然に発想できる認識だと思います。
ですから、少なくとも私は、
>わたしもこうした立場に近いものを持ってはおりますが、神がどのようにして、比較
対照すべき非自己もなしに自己を自己として認識なされたのかとの問いに答える
のは困難です。
しかも、「神が自己の姿を知りたいと欲せられた」とする発想じたいあまりに人間的でありすぎるのも難点です。<
>このようなことをつらつらと考えておりますと、こちらで語られておりますよう
な、人間にはとうてい理解がおよばぬ「絶対無」が神にはお似合いなのだとする
発想に、どうしても傾きがちになります。「ちょっとした違和感の排出」。こうした
発想で、ちょっとだけ斜めから見た世界創造のいきさつを、どうしても語りたく
なってしまいます。<
この気持ちがわかります。
つまり、以前、初心者さまがお書きになった下記内容が腑に落ちるのです。
>神は、絶対観念、あるいは純粋観念を表現するために
実相世界を創造されたわけでありますよね。
だとすれば、人間はただその絶対観念や純粋観念を鑑賞すればよいのであります。
それですべて「こと足れり」であります。
人間に自由なる意思をあたえることで、
いったい何が生まれるというのでしょう。
絶対観念や純粋観念を超える、何か新しい価値が生まれるというのでありましょうか。
神は人間をプログラムミスなさった。
それで人間に逃げられた。
こちらのほうが、わたくしとしてはよっぽど腑に落ちるのであります。
人間として生まれてこれでよかったと思えるのであります。
あたえられた自由ではなく、自分で勝ち取った自由。
それが本物の自由だという気がするのであります。<
人間は、神の子です。人間には、制約された、与えられた自由でなく、本物の自由を与えられていると思うのです。
神イコール人間とするなら、人間の意識深く探求すれば、自ずと神の領域も理解出来るのではと思うのです。つまり、初心者さまの発想はごく自然の発想と私には思われます。
いま、地球の現状を観てみると、とてもではないですが実相顕現とは云えません。ではこの現状は人間の為した責任と片付けることができるのでしょうか、神イコール人間なら神の責任でもあると思うのです。「人間の心の法則により」というのは、「神の心の法則により」と言い換えられないでしょうか?
話は随分昔に戻しますが、137億年前のビッグバン当初から心の法則は発動していたと思われます。言い方を変えれば、このような現状になるのはビックバン当初からその芽はあったと思うのです。
このような話を私がしたとき、初心者さまは、「実在宇宙」の話で私を説得して下さいました。生命の神秘、生命の営み、真実を、何事にも縛られず捕らわれず、自由な発想で探求することも大切なことと私は思ってます。
-
ちょうど一年前、初心者さまは下記コメントを記述されました。
◆「実在宇宙」という言葉が出てきた理由
なんで急に「実在宇宙」という言葉が出てきたのかと、
いぶかしく感じておられる方が、きっとおられると思いますので、
これまでの流れを、ざっとですが説明しておきます。
すべての発端は、役行者様からの「ビッグバンは、なぜ、生じたのか」の問いかけでした。
この問いかけに答えられなければ真理は終わる、とわたくしは考えました。
この問いかけがなぜそれほどに重要かといえば、現象世界の誕生が
ビッグバンに関係しているのは、ほぼ明らかだからであります。
生長の家では、現象世界は、人間の心の迷いで生じたと説明されています。
であるとすれば、ビッグバンは、人間の迷いが起こしたということにも
なってしまいかねません。
役行者様は、「人間にそれほどの力があるのか」という点を突いてこられたのだと
わたくしは考えました。
たしかに、ビッグバンは、人間が誕生するはるか以前の出来事であります。
人間が介在した可能性は、かぎりなくゼロに近いはずです。
ここで「ビッグバンは、なぜ、生じたのか」という問いが出てくることになります。
ビッグバンは、はたして誰が何のために起こしたのでしょうか。
現象世界をつくり出すためだったのでしょうか。
わたくしには、ビッグバンという世紀の大イベントが、
現象世界をつくり出すために起きたとはとても思えませんでした。
ビッグバンは、神による創造行為であったとしか思えなかったのです。
すると、この宇宙は神がつくったということになってしまいます。
しかしこの宇宙はどう見ても、パースペクティブと差延の問題をかかえた
不完全な宇宙なのです。現実には存在しない、偽りの宇宙なのです。
ここで、神の行為としか思えないビッグバンと、それによってつくられたとはとても思えない、不完全な偽りの宇宙とを結びつけなくてはならないという
大きな問題を抱え込むことになったのです。
その問題を解決するための切り札が、「今の宇宙」という発想でした。
ビッグバンと偽りの宇宙のあいだに「今の宇宙」を介在させることで
この難問は解決できると考えたのです。
その結果がEPRパラドックスによって説明される実在宇宙です。
実在宇宙であれば、ビッグバンによって神が創造したと考えることができます。
実在宇宙にはパースペクティブや差延の問題はありません。
実在宇宙は、あなたがわたしであり、わたしがあなたでもあるという世界なのです。
それは、「ワシが」というエゴのない世界です。
すべての存在者が、他のすべての存在者を包みこんでいるような世界なのです。
ですからわたくしは、実在宇宙は、完全とはいえないにしても、
神によって創造された宇宙であると考えてもさしつかえないのではないかと
思うようになったのであります。
以上が、実在宇宙にいたるまでの大雑把な流れです。
ビッグバンはとても大きな出来事です。
神の第一念といってもよいような大きな出来事です。
ビッグバンは、なぜ、生じたのか。
生長の家ではどのように語られているのでありましょうか。
-
役行者様
むかし書いた文面を見てますと、かつてのやりとりがなつかしく思いだされます。
雅春先生の教えにもとづいて持論を展開しようとしていたころの話ですね。
つい最近、ある本が手元にもどってまいりまして、出版は昭和60年ということです
が、どうやら「宇宙プログラム」を主題として書かれた本であるようです。
著者は、もともとは道元の悟りを自分のものにしたいと考えていたようですが、
どうにも手に負える代物ではないので、コンピュータープログラムとの類似性から
宇宙プログラムの存在を推定し、そのプラグラムを知ることこそが悟りである、
というところに最後は落ち着かれたようです。
肝心の宇宙にプログラムミスがあったとすれば、それを知ったところで悟りとは
いえなくなる可能性がありますが、世間のみなさま方も、いろんなことを考えて
悟りをわがものになさろうとしておられるのですね。
ところで「絶対観念」の用語ですが、これは非自己とかかわりのなかで獲得する
観念を相対観念とすれば、まったくのかかわりなしに、絶対的なものとしてはじめ
から備わっているとされる、とくに自己を自己として認識するさいに必要とされ
る観念のことですね。
自分とは他者である。これがラカンの公式です。オオカミに育てられた人間は
オオカミという他者になります。シャーマンに育てられた子供はシャーマンと
いう他者なる可能性があります。ニューヨークで生まれ育てば、ニューヨーカー
という他者になるのかもしれません。
人は他者となることで自分となる。これは真実だろうと考えます。非自己という
他者とのかかわりを持たない神にとっての自己とは何なのでしょう。神はどうやれ
ば自己となることができるのでしょう。神がたとえ自己を自己と知り、その姿を
お知りになりたいとおもわれたとしても、その自己は、人間がそうだとおもって
いる自己とは大きく異なったものであるにちがいありません。
神は神ご自身の姿をお知りになりたいがために宇宙を創造されたとする考えを、
「絶対観念」を持ち出さずに説明するのは、たしかに困難であったと考えます。
それにいたしましても、1年前のわたくしはずいぶんと純情でありましたね。
-
初心者さま。
ご丁寧なお返事頂いてたのですね…
しばらく出かけてたりパタパタして、読めずにすみません、、
夢も希望もある花の盛り?の女子青年じゃなくとも、宇宙を無機的なシステムで語るだけでは、つまらなくなりませんか?笑
真理は決して女子の夢に都合のよいものばかりではないとわかってますが、
歴代の聖人が大悟したのは、なにも、聖典や瞑想や苦行だけではなかったとおもいましたが、
いかがなのでしょうね…。
今日は、ほんとうに精魂つくしてしまって、
したのように、あらぬことを書いてもいけませんので、
今日は、これで失礼いたします。
ではまた。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
偶発的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
-
さくらちゃんへ
生長の家の神想観ですが、どう思います?神想観がエーテル体と関係している
のは、ほぼあきらかですね。エーテル体は、学習能力があり、持続力もあるといわ
れてますよね。人が、行と称して特定のイメージを念じ続けていると、エーテル体
は、それに見合ったイメージをこしらてその人に見せることができるようになります。
しかもエーテル体は、シュタイナーのいう太陽紀に誕生したという、非常に古い霊
的器官ですから、相当な進化を遂げているのは間違いありません。完成された高度
なイメージを、それを見たいとおもっている人に提供することなど、エーテル体に
してみれば造作もないことといえるでしょうね。
神想観の行によって学習訓練を受けたエーテル体は、霊的世界や、あるいはそれ
をさえも超えているおもえる「超感覚的世界のイメージ」を提供できるようになり
ます。このことはほぼ間違いないと考えます。
神想観をやっていないものに何がわかるか、との反論は成り立ちます。しかし世の
中には、やっているからこそわからない、やっていないからこそわかる、という現象
が意外に多く見受けられます。
たとえば株式相場で、よくあんな銘柄を持ち続けていられるものだというような
銘柄を持ち続けている人がいます。相場の心理としては、自分が選んだ銘柄は、
自分が選んだがゆえに価値あるものだと思いたがる、という傾向が働きやすい
のですね。そのために、客観的に見てそれは「持つべきでない銘柄」であるにも
かかわらず、それを保有する本人にしてみれば、自分が選んだがゆえに価値ある
銘柄として、保有するに値する銘柄になってしまいがちなのですね。
株式相場のみならず、人には、自分がやっていることには価値を見いだしたがると
いう傾向があります。こうした傾向ゆえに、かえってそれをやっている人にかぎっ
て真実から遠ざかるということが起きてきます。将棋や囲碁にも似たようなところ
がありそうですね。
神想観をやっているがゆえに神想観がよくわかる、ということがはたしていえるの
でしょうか。自分の行為や選択に価値を置きたがるがゆえに、かえって真実から
遠ざるということはないのでしょうか。むしろ客観的に評価している側に真実が
あるという現象が起きてきても不思議ではないという気がいたします。
神想観は、シュタイナーのいうイマギナツィオンに近いものであると考えられます。
イマギナツィオンによって得られたイメージはけっして真実を語るものではないの
でそれを捨てよ、とシュタイナーはいっているはずです。
訓練されたエーテル体は、確信をともなった超越的な体験を提供してはくれるで
しょうし、それが実際の奇跡的体験や実感をともなった真理観にむすびつくことは
あるにしても、だからといって、そうした体験がいかなる真実性をも保証するもの
ではないということは知っておくべきことと考えます。
-
真理は理屈ではない。わかりきったことです。こちらで述べておりますことは、
わたしのなかにある広大な真理の領域のなかで、理屈で語れるところだけを
書いております。この広大な領域のすべてを語ることなど、とうていできるもの
ではありません。
理屈で語れる部分での真理。いかにして真理を理屈で語るか。こうしたニュアンス
で、みなさま方が信じておられる真理を語っていただきたいものであります。自分
は語らずして、語る相手を心のなかで批判することなど、誰にでもできることであります。
-
初心者さま
おはようございます。
ところで、初心者さま、
ここには、ただしい生長の家を知る大先輩がたくさんおられるのですから、
生長の家の真理については、わたしでないものに聞いた方が、絶対によいですよね?
・・あいかわらず、言いたいことのために、さくらの名を利用するのですね?笑。
なにかを「真の生長の家」ときめるのも、なにかを「邪説」と決めるのかも、わたしには興味がないですよ。
いくら理屈で正しいことが証明されても、それが、ひとのすくいにつながるか、といえば、
そうではないですからね・・。
わたしも、初心者さまが仰るように、厳然たる真理の探究と、信仰の生活は、別なのだと、
さらに確認するような気持ちになっています。
神想観についてたずねられたので、個人の感想は述べます。
幾多の瞑想法が世の中にはある中で、
わたしは、どのよう部類の瞑想がどの程度あるのか、全体把握しておりませんが、
その中で、雅春先生が生長の家に残してくださった神想観は、
万人が安全に出来る、すぐれた瞑想法だと、かんじております。
これは、生長の家ひいきでいうわけではないと思っておりますよ。
祈りに始まり祈りに終わる大安心の心境は、これは・・個人の信仰の領域ですね、。
正しさや理屈を証明せよ、と言われても、わたしは困りますが、祈りの科学というものも、あるでしょうね。
脳に働きかけたり、人の念が外界に影響を与える構造があるのかも知れませんね。
エーテル体の働きにも影響があるのでしょう。
実感とすると、祈りによって、まるで自分の前に光の道が出来ているように、スムーズに事が運び、導かれることを体験すると、ただ、生かされている、ということをほんとうにかんじます。
わたしには、神想観は別にエーテル体が見せるイメージ映像がどうこうの問題ではないですね。
わたしのなかでは、祈りがあるのとないのとでは、・・そうですね、
二次元と、三次元を生きるくらいのちがいがあるのではないかな、と感じることがあります。
時間内ので、取り急ぎの返信で、すみません、。
-
以前の生長の家には、わたしなどではとうてい理解がおよばぬ高度な理屈を
展開される方々が数多くおられました。いまや、わたしのごとき小理屈をこね
まわすしか能のない輩は、孤影悄然としたありさまで、だだっ広き荒野に立ち
つくすばかりであります。かつての生長の家はどこへ行ってしまったのでしょう。
物言わぬ冷笑者の集団に成り果ててしまったのでしょうか。
-
あ、243読まずに書きました。
・・時間ないんで、ごめんなさい、
真理の半分は、バファリンにみたいに、愛で出来てると、いいな〜、笑。
-
さくらちゃんへ
神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどう
やって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。こうしたこと
を追究することも真理の追究のひとつと考えます。たしかに、救済や信仰とは別
次元の話です。混同は避けなければなりませんね。
それにしても、実相世界の存在はどのようにして確認されたのでしょう。それは
映像によってではなかったのでしょうか。もしも映像であったとすれば、それが
つくり出される仕組みを知る必要があります。
-
さくらちゃん、は、枕詞か…笑、
-
さくらちゃんへ
>さくらちゃん、は、枕詞か…笑、
そうかもね、枕詞になってるかもね。
じつはあたしも、個人的にいろいろと情報をあつめていて、聞くところにると、
自分は何も書かずして、「初心者はたいしたことを言っていない」と批判する
連中がいることを知ったのだよ。だからさ、批判するなら書いてからにしろ、って
あたしは言いたの。書いてくれたら、こっちにだって反論の機会があるわけだけど、
書かずに批判されても、反論のしようがない。どこが「初心者はたいしたことない
のか」、それを具体的に語ってもらえれば、弁解のしようがあるけど、語られなけれ
ば何もいえない。語らずして、陰で批判するというのは、とっても卑怯だよね。
あたしを批判するなら、出てきて堂々と批判しろといいたいのよね。その批判に
理があれば、もちろん受け入れるしかないでしょう。
そんなこんなでむしゃくしゃしてるから、さくらちゃんを枕詞にしてしまったのかも
しれない。この掲示板で、まともに自分の言葉で自分の考えを伝えているのは、
さくらちゃんだけだよね。あとは、自分の言葉ではなにも語れなくて、どこかから
借りてきた言葉で語ることしかできない連中ばかり。でもさ、うのちゃんとか
今の住人さんは自分の言葉で語ってるって気がする。引用しか能のない人もいる。
-
この掲示板では、引用しか能のない人が、自分の言葉で語る人よりも高く
評価される。「真の生長の家」だといわれる。引用の得意な人が「真の生長の家」
で、自分の言葉で語る人はそうではないらしい。
-
>>247
初心者様
>神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどう
やって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。<
神想観のやり方は、目を閉じて行います
人間の五官からの情報は80%は視覚です!
この状態にある時、通常の脳の情報処理能力は、余裕のある状態と言えます
1つの使い道は、他の四官が鋭くなる!
→Kジロウも日常で、小さなビスを止める時は、目を瞑って、手先に神経を集中した方がうまくいきます!
(視覚障害者の方が音を聞き分ける感覚が鋭くなるのも同様だと思います)
2つ目は、映像を観る機能のところに、夢(幻影)を思い浮かべる事もあると思います!
こういった考え方を
雅宣総裁が言われてる脳で神を感じる原理だと推測します!
では、ここで
Kジロウが
神の声が聞こえた時の体験談を語ります!
競馬場でパドックで馬をみていた時です!
『この馬いいな〜』と思って、0・1秒後に
当時既に他界されていた
競馬の神様こと、大川慶次郎の声でハッキリ
『バカに良く見えますね』
こう聞こえました!
勿論、馬券はあたりましたo(^-^)o
この場合は
現在意識が先で、
潜在意識が後でした
だから、どっち道、馬券は買ってますけど…
何かを極めていこうという姿勢が、神をみたり、聞いたりする事もあるのだと思います!
以上、ハンネの由来も含めたKジロウの考えです
大川慶次郎 - Wikipedia
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A4%25A7%25E5%25B7%259D%25E6%2585%25B6%25E6%25AC%25A1%25E9%2583%258E&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E6%85%B6%E6%AC%A1%E9%83%8E&guid=on
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
偶発的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
PS:トキ様 へ
長南年恵さんは(憑依現象)なのです〜〜ネ!
彼女の奇現象は、日本でも中世に起きた“魔女狩り”を、連想しました…。
当時の時代背景で「霊界通信」が、さかんな時代に、一般の人は「怪奇現象」としてですが、
当時は、捉えていましたのでしょうか???
これを「魔女…」として、扱われた時代は、西欧では有名ですが〜〜〜?
日本での「魔女狩り」は、長南さんが「裁判…」に、かけられまして、しかも!面前で実証されて、
無罪なのですが〜〜〜><このような方達の、前例を見ましても、
「雅春先生の自動書記」も、【霊界通信…】です〜〜〜ョネ!!
この様に、長南さんと同様?何か【霊界からのメッセ−ジ=使命】があり、
一つの“連絡パイプ”だったのでしょう〜〜〜か??彼女は“43歳”で亡くなりましたが、
その間、多くの人々を、救済された様ですが、そして、死亡原因は?ある所では「結核??」と…
しかしながら、最終的には「死亡原因」も、不明だそうですが……?もしかしますと、
これも当時の時代背景に於けます【日本のイジメ!…魔女狩り?】の始まりでしょうか…?
此の「長南年恵さん」の事に関しまして、どの様な印象を受けられましたでしょうか??
再合掌
-
Kジロウ様
神想観では姿勢が問題になりますね。呼吸も関係があるといいますから、
神想観と身体性はつながっています。しかも、呼吸法にはリズムが関係して
いるようにおもえます。エーテル体はリズムを好みます。
エーテル体は脳にたいする支配力を持つとも考えられますので、脳に働きかけて
なんらかのイメージを見せるのは可能かと存じます。たしかなことはいえません
が、神想観とエーテル体にはつながりがあるという気がしてなりません。
-
さくらちゃんへ
>ここには、ただしい生長の家を知る大先輩がたくさんおられるのですから、
生長の家の真理については、わたしでないものに聞いた方が、絶対によいですよね?
・・あいかわらず、言いたいことのために、さくらの名を利用するのですね?笑。
「ただしい生長の家」があるのですか?あるとすれば、それはいつの時代ですか?
あたしの知るかぎり、そんなものはどこにもありゃしませんよ。前にも書きました
けど、某教区の教化部にて、世界中がここの教化部のようになれば世界は救われ
るのかと考えたときに、それはさらなる地獄でしかないと確信しましたよ。「成れる
果を見よ」といいますが、成れる果を見るかぎり、生長の家は失敗であったとしか
おもえないんですけどね。
イメージの世界では、いまだに生長の家の教えは世界最高の教えなんでしょうけ
ど、現実を見るかぎり、それはどうなんでしょう。失敗の原因を総裁先生ひとりに
押しつけて、自分たちはイメージの世界にひきこもって、生長の家はなおも世界
最高の宗教だとおもい続けたいってところでしょう。
人類光明化や日本国実相顕現が失敗であったのはもちろんのこと、それが何で
あるかを言語化することさえできていない。けっきょくのところは、かけ声ばかり
で、何をやってよいのかさえわからなかったってこと。さしあたってできるのは
『生命の實相』を護るって運動だから、それを声高に叫ぶことで、価値ある状況に
身を置いてるってことを実感したいだけのこと。もしも「ただしい生長の家」が
あったとすれば、こんなことにはなってないとおもうんですけどね。
こんなこと、いつまで言いつづけたところで、しょうもないことですね。でもね、
言わなきゃわからない人たちばかりだから、言いつづけるしかない。自分で考えて
わかれよ、って言いたいですけどね。
もっと有意義な話、したいですね。信仰とは何か、そういう世界の話をしましょう
ね。それとも、「ただしい信仰」の話がよいですか?こういうことを問題にしだす
と、たいていは失敗につながりますけどね。
-
初心者さま
申し訳ないですが、さくらの名を利用されるのは、ほどほどになさってくださいますか?
万が一、ほんとうにさくらに話かけたいときだけ、さくらに話しかけてください。
そんなことが、あったらですが。
さくらは、少し悲しくなりました。
初心者さまとは、おはなししたいことが、ありますが…
「青二才」でも、、やはり、傷つくこともあるのです。
-
>>253
初心者様
自分の体験談は、目は開いていたし、精神状態はニュートラルだったので、
神想観は、直接関係ないと思います!
呼吸につきましては、日常でテンパった時にシンプルに深呼吸はします!
そうすると落着きを取り戻せますね!
>エーテル体はリズムを好みます。
エーテル体は脳にたいする支配力を持つとも考えられますので、脳に働きかけて
なんらかのイメージを見せるのは可能かと存じます。<
以前、金沢の兼六園にあるヤマトタケルの銅像に、鉛、ひ素が丁度良い分量で混じった為に鳥が嫌う周波数を出していて、鳥が寄付かないという事を書いた事がありますが、
鳥にしたら、ヤマトタケル像が魔物に見えているかも、しれませんね
心霊スポットや人里離れた山奥とかに入ると、薄気味が悪く感じる事があるのも
リズムとか周波数とかいったモノが、関係している可能性は高いと思います!
-
>>252
私はそれほど霊格は高くないですが、知り合いの地方講師に結構、インスピレーションがある人がいます。
その人の話では、霊の話は人格的ですが、啓示みたいなのが降りる時には、一瞬、電気が走るみたいな
状態みたいです。その人自身、自分は谷口雅春先生の足元にも及ばないと言っていますが、同時に、神様
からの啓示は、たぶん、霊の交信とは別のものではないか、と話していました。
あと、エドガー ケーシーもそうですが、人助けとは言え、無理に霊的な能力を使うと、寿命を短く
してしまうみたいです。この点は気をつけるべき点だと思います。
-
さくらちゃんへ
>申し訳ないですが、さくらの名を利用されるのは、ほどほどになさってくださいますか?
万が一、ほんとうにさくらに話かけたいときだけ、さくらに話しかけてください。
そんなことが、あったらですが。
さくらちゃんへ、ってどうしても書きたくなるの。ごめんね。さくらちゃんとお話
できれば、それだけでいいのよ。しっぽりしましょ。余計なことは書かないように
します。だから許して。
-
えらそーーな御託述べている初心者さんへ
あんたストーカーか? ひとの嫌がる行為をして偉そうな御託のべるなよ。
-
神の子様
>えらそーーな御託述べている初心者さんへ
あんたストーカーか? ひとの嫌がる行為をして偉そうな御託のべるなよ。
偉そうな御託にたいする有効なる反論を期待いたします。
いくらなんでも、たったこれだけのことを言うために出てこられたわけでは
ありませんよね。生長の家の名に恥じぬ大論陣を張っていただきますことを
期待いたしております。
-
初心者さま
失礼なことをいいまして、申し訳ありませんでした。
…正直、わたしは初心者さまが生長の家の現状にイライラされる気持ちが分からないわけではありません。
今まで、初心者さまが、生長の家に起こっている現状に誰よりも、ふかい見地からメスを入れ、指摘されてこられたことを読んできて、生長の家に対して、根本的改善を成して欲しいと思ってらっしゃる真意を感じてきました。
(正直、わたしは、自分の中に抱えていた違和感も、整理できたことが、たくさんあります。)
それなのに、結局は、なにも変わろうともしない、なんにも響いてもこない……そのことに対する、やりきれない気持ちも、おありかとおもいます。
(…わたしも、期待はすまい、と思っても、生長の家には、失望感を拭いきれないことをかんじたりしますので…。)
個人的感慨ですが、
…やはり、自分ではなく、環境や相手を、「変えよう」とするのは、政治のような大きなことでも、ちいさな個人の問題であっても、結局、自分もまた、そのドロの沼に足を入れることなのだな、とつくづく感じてます。
たとえ、それが自分の考える、どんな、善であっても、正義であっても。
…わたしは生長の家がこれから、信仰とはなにか、信仰運動とはなにか、なにができるかを、もっと考えてほしいな、とは思っています。
一部の考えをみると、生長の家の復活も、間違えを繰り返すのではないか、とかんじます。
そのことについては、なぜか、なんにも、見えてきませんし。
でも、まずは、自分が実践だとおもってます。
初心者さまの独自の真理の探求も、すべて理解はできないまでも…興味をそそられる内容があり、お聞きしたいこともあります。
また、機会があれば、よろしくお願いします。
-
…え、?初心者さまが、ストーカー呼ばわり?
…初心者さま、ごめんなさい、、笑。
あ、笑ってませんよ、
笑、
-
嫌味たらしく、コソコソ、こんな事を書いてる人には言われたくアリマセンよね。
250:初心者
12/07/17(火) 13:58:48 ID:TfQ0e6RA
この掲示板では、引用しか能のない人が、自分の言葉で語る人よりも高く
評価される。「真の生長の家」だといわれる。引用の得意な人が「真の生長の家」
で、自分の言葉で語る人はそうではないらしい。
-
偉そうな御託を垂れる君に1つだけ言ってあげます。
本物の宇宙を雅春先生が説かれてない云々、
、それは雅春先生の時代には分かっていない科学的理論ですよね?
そもそも、君の理屈っていつも後だしジャンケンしかやってないですw
フェアじゃないし、君の投稿って一般人の人が読んでもさっぱりワカリマセンw
そんな人の土俵に誰が上がれるのですかw
君は誰も上がる気を無くさせた土俵の上で御託を述べてるだけなんですよww
王様の耳はロバの耳〜w
-
さくらちゃんへ
>…正直、わたしは初心者さまが生長の家の現状にイライラされる気持ちが分からないわけではありません。
今まで、初心者さまが、生長の家に起こっている現状に誰よりも、ふかい見地からメスを入れ、指摘されてこられたことを読んできて、生長の家に対して、根本的改善を成して欲しいと思ってらっしゃる真意を感じてきました。
(正直、わたしは、自分の中に抱えていた違和感も、整理できたことが、たくさんあります。)
現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげる
よりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さ
な器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収ま
りきるような話ではないでしょうね。
>それなのに、結局は、なにも変わろうともしない、なんにも響いてもこない……そのことに対する、やりきれない気持ちも、おありかとおもいます。
(…わたしも、期待はすまい、と思っても、生長の家には、失望感を拭いきれないことをかんじたりしますので…。)
器が小さいから変われないのでしょう。小さな器でしかないのに、大きな器だと
思い込んでいるがゆえに、それに収まろうとしない相手に問題があるとしか
おもえず、自分を変える必要はないと思い込んでしまうのですね。対立を呑み込む
に足る大きな器を用意するよりほかに問題解決の道はないはずなんですけど。
>個人的感慨ですが、
…やはり、自分ではなく、環境や相手を、「変えよう」とするのは、政治のような大きなことでも、ちいさな個人の問題であっても、結局、自分もまた、そのドロの沼に足を入れることなのだな、とつくづく感じてます。
たとえ、それが自分の考える、どんな、善であっても、正義であっても。
ドロをかぶれるような人物がいますでしょうかね。ドロになりきっている人なら
大勢いるにちがいありませんが、ドロに足を突っ込み前進していけるような人材
が、はたして今の生長の家に残っているのでしょうか。
いまさら生長の家のためにドロをかぶろうという気にはとてもなれるものでは
ありませんが(なったところで何もできませんけど)、個人的なことをいえば、ドロを
かぶる覚悟に欠けていることを痛感いたしております。
-
神の子様
>嫌味たらしく、コソコソ、こんな事を書いてる人には言われたくアリマセンよね。
はっきりと申し上げましょう。
アラン・ワッツは、宗教は「救われた人」を「呪われた人」に分類すると言っていま
すね。この意味がおわかりでしょうか。宗教が必要とするのは、「救われた人」で
はなく「救いを欲する人々」であるということです。
文字はパルマコンですね。依存者をつくりだすパルマコンです。救いを欲する
人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字という
パルマコンを供給しつづけます。救いを欲する人々がパルマコンの供給を受け
つづけるかぎり、自己の内部に救いの源泉を見いだすことはできないものと
考えます。
それと本物の宇宙の存在は、たとえばアンドロメダ星雲が230万光年のかなたに
あるらしいとわかった時点で想像は可能です。それを想像するのに、現代物理学の
助けを借りる必要はありません。本物の宇宙は、たとえ100年以前であろうとも
想定すべき存在でありました。
あとだしジャンケンとはどういう意味なのでしょう。あの時代、天文学の知識が
なかったということなのでしょうか。
それに、「1つだけ」といわず、いくらでもどうぞ。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…! ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
偶発>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233投稿の続きです…。
■【第四章 偶発性の諸異常現象】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
―――――― その他の異常現象 ―――――
的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは、いわゆる憑依(ひょうい)現象です。
キツネ、タヌキ、天狗、亡霊、または神様などと称する者が人体にのり移って、
別人格を発揮し、いろいろな言動をするものをいいます。
多くは、玉石混交、真偽不明で、学問的には、あまり参考にもなりませんが、
時には、すばらしく内容価値のあるものもあります。
西洋のものでは、二重とか三重人格現象が特に興味をひきます。
日本のものでは、天狗にとらわれた話がなかなか多いようです。
しかし、世界の心霊史上、断然光っているのは、時代も新しく、出所も正確な、
長南年恵に現われた奇現象でしょう。
彼女は、文字どおり絶食絶飲の状態を十四年間もつづけました。彼女には、大小の排せつ、
生理などの一切の生理作用が全くありませんでした。彼女が数分間、黙とうすると、
数十本のビンに、さまざまな霊薬がいっぺんに満たされました。
彼女は本来無学でしたが、入神状態になると非凡な書画を作成しました。
彼女は、詐術の罪で、何度も投獄されましたが、これらの現象は獄内でも、起こり、
現に神戸地方裁判所での判延では、裁判官の命令で、厳密に封をした一合ビンの中に、
一種の霊薬を引きよせました。
偶発性の心理現象でも、ここまでゆくと、へたな心霊実験よりは、
かえって人を動かす力があります。
次は(異常現象の解釈) に入って行きます
<つづく>
PS:トキ様 へ
長南年恵さんは(憑依現象)なのです〜〜ネ!
彼女の奇現象は、日本でも中世に起きた“魔女狩り”を、連想しました…。
当時の時代背景で「霊界通信」が、さかんな時代に、一般の人は「怪奇現象」としてですが、
当時は、捉えていましたのでしょうか???
これを「魔女…」として、扱われた時代は、西欧では有名ですが〜〜〜?
日本での「魔女狩り」は、長南さんが「裁判…」に、かけられまして、しかも!面前で実証されて、
無罪なのですが〜〜〜><このような方達の、前例を見ましても、
「雅春先生の自動書記」も、【霊界通信…】です〜〜〜ョネ!!
この様に、長南さんと同様?何か【霊界からのメッセ−ジ=使命】があり、
一つの“連絡パイプ”だったのでしょう〜〜〜か??彼女は“43歳”で亡くなりましたが、
その間、多くの人々を、救済された様ですが、そして、死亡原因は?ある所では「結核??」と…
しかしながら、最終的には「死亡原因」も、不明だそうですが……?もしかしますと、
これも当時の時代背景に於けます【日本のイジメ!…魔女狩り?】の始まりでしょうか…?
此の「長南年恵さん」の事に関しまして、どの様な印象を受けられましたでしょうか??
再合掌
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神の子様
それとあとひとつ。あなたは正しいことを言っておられます。たとえ雅春先生で
あろうとも科学的知識の欠如には勝てないということを、あなたは認めておられ
ます。これは正しい認識です。
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君はそうやって人を平気で裁いているけど、それにどんな意味があるのですか?
(ソモソモ、君の投稿はさっぱりワカリマセンがw)
雅春先生の時代に本物の宇宙という発想、それそのものが想定出来たという確定出来るのですか?
まず、君がしなければならないのは、そのソースを出す事ではアリマセンか?
後世から過去を裁くのは簡単です。
しかし過去を裁くには過去の常識の上でしかデキマセン、やってはイケマセン。
また生長の家を君は勝手に真理を追求する集団と定義していますが、
その定義を勝手に決めて、その上で生長の家を語っています。
そんな事を平然と出来る君はナンデスカ?
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雅春先生が科学的知見には勝てなかったとありますが、
それとは逆から雅春先生は真理を説かれておられました。
それなので、科学的知見に拘る必要性はアリマセン。
またもし科学的知見を予見されていたとしても君みたいに人にはワカラナイ内容で
真理を話したとして、どれだけの人を光明化出来るのですか?
人類光明化運動が唯神実相哲学を説かれた雅春先生の願いであり、生長の家の定義でアリマス。
本物の宇宙など人類光明化運動に君の主張は本末転倒で必要アリマセンw
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>>269
神の子さん
横から失礼
>本物の宇宙という発想、<
の前に
1881年マイケルソン・モーリーの実験で光(電磁波)はエーテルを媒体とする理論を否定この事で
1907年にノーベル賞を授賞
しかし、雅春先生は
生命の実相(確か39巻)で
百三氏との手紙のやり取りの中で
光の媒体のエーテルの様なモノと記述があります
これは、当時の物理学の中で十分にわかる事であります!
雅春先生はアリストテレスの知識しかなかったと思われます
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神の子様
>雅春先生の時代に本物の宇宙という発想、それそのものが想定出来たという確定出来るのですか?
まず、君がしなければならないのは、そのソースを出す事ではアリマセンか?
あなたは面白い人ですね。ふつう問題にされるのは、雅春先生の霊的直観力と
いうことになりますね。なぜ霊的直観力にすぐれた雅春先生が本物の宇宙の
存在に気づかれなかったのかということが問題になるはずです。あなたは、その
時代の科学レベルで雅春先生がそれを知り得たかどうかを問題にしておられます。
しかもソースまで出せと。面白い人です。
ニュートンが、その力学を構築するにあたって前提にしたのが絶対空間、絶対時間
と呼ばれるものですね。ニュートン自身、自分の力学が絶対空間や絶対時間の
なかでしか成り立たないことにおそらく気づいていたはずです。
ニュートンの発見とされるニュートンリングを高校の物理で習いました。ニュートン
は光の性質についてどこまで知っていたのでしょうね。少なくとも、情報伝達に
光が介在するということは知っていたでありましょうから、この世界に絶対空間や
絶対時間が存在しないことは百も承知していたことでありましょうね。
存在しないはずの絶対空間や絶対時間を前提に構築されたニュートン力学は、
根本的な欠陥をかかえていたということです。しかしここで本物の宇宙につい
て考えてみますと、本物の宇宙には絶対空間や絶対時間が存在するともいえ
るのですね。ニュートンが想定した絶対空間や絶対時間とは、見えている宇宙に
ついて想定されたものではなく、今この瞬間に存在する宇宙、実在する宇宙、本物
の宇宙について想定されたものであったということがいえなくもないということです。
ニュートン力学は、本物の宇宙において機能させることを前提に構築された力学
体系であったのかもしれませんね。とかく唯物論に見なされがちなニュートン力学
ですが、見方を変えれば立派な形而上学であるともいえそうです。
ニュートンが絶対空間や絶対時間の用語を用いていたとすれば、ニュートンは本物
の宇宙の存在に少なくとも連想的には気づいていたということがいえなくはない
ですね。なぜなら、絶対空間や絶対時間が存在する可能性があるのは、物理学に
かぎっていえば、今この瞬間に存在すると考えられる本物の宇宙だけのはずですから。
雅春先生も、絶対空間や絶対時間の用語を用いておられましたね。どのような
意味、どのような意図で用いておられたのかは存じておりませんが、こうした
用語を用いておられたということは、本物の宇宙の存在に気つけるチャンスは
あったといってよいのではないですか。絶対空間や絶対時間についていくらか
でも思索すれば、じきに本物の宇宙の発想にたどりつくことはできたと考えられます。
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神の子様
>後世から過去を裁くのは簡単です。
しかし過去を裁くには過去の常識の上でしかデキマセン、やってはイケマセン。
よいですか、雅春先生は不変の真理を語られたとされているのですよ。その「語り」
がその時代の常識や科学レベルによって左右されたと考えてよいのですか。その
時代の常識にそって考えたことを「不変の真理」といってよいのですか。
不変の真理を語る以上は、時代の常識や科学レベルにしばられてはならないはず
です。常識や科学を超えていなければならないはずです。あなたのように、過去の
時代の常識や科学レベルを問題にすることこそ、やってはならないことなのです。
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神の子様
>また生長の家を君は勝手に真理を追求する集団と定義していますが、
その定義を勝手に決めて、その上で生長の家を語っています。
そんな事を平然と出来る君はナンデスカ?
あなたはまた正しいことを言われました。生長の家と真理の追究は無関係です。
このことを知っていただくために、逆説的な手法として、生長の家と真理の追求と
を結びつけようとしています。すべては、これまでの生長の家と真理の追求とが
無関係であったことを知っていただくためです。「これは真理だ」とは気安く
言って欲しくはないということです。どうやらあなたは、無関係であることに
気づいておられるようですね。
さまほどは、不変の真理を語るからには、その時代の常識や科学を問題にしては
ならないと書きましたが、あなたの場合は問題になさったほうがよろしいように
感じます。あなたは、ほかの方々にくらべて、よりいっそう真実に近づいておられる
ように見受けられますから。
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>>271:Kジロウ様
私は、「エーテル」については調べて、次のようにWEB誌友会板の方に書きました。
>>「エーテル」は、存在が否定されていたが、
ローレンツ特殊相対性理論により、「エーテル」の存在については、再び議論されることになり、《エーテルを、捨て去っていいかどうかの結論は、
まだ出ていない。》…(というのが、現代の物理学の現状です)<<
そして、271:Kジロウ様のコメントにあるマイケルソンについてですが、再度、エーテルについて、しらべてみました。
あなたがご指摘のマイケルソン=モーリーの実験結果が出されて、エーテルの存在が、否定されたのは
1881年、ノーベル賞を授与されたのが、1907年。
しかし、この当時だったからかどうか知りませんが、物理学も定まっておらず、、、とあり、この続きがあるのです。
マイケルソン=モーリーの、このエーテル否定説 後
1892年、ローレンツとフィッツジェラルドは「エーテルは実際は存在する。物体はエーテル方向に収縮しているので、観測できなかっただけだ」
という仮設を提案しました。
1900年、アンリ・ポアンカレは、ローレンツの局所時間時間を《素晴らしい発明》だとし、複数の移動する座標系にある時計が互いに時間合わせ
するんい光の信号を交換するという例を挙げ、どの座標系から見ても、光の速度は、同じだと仮定した。1904年の論文出は、光速に近い速度で移動する
物体の慣性質量が、増加するという点についても、詳細に論じている。
1905年、アインシュタインは、それらの概念や数学的手法や、ローレンツの考察を利用し、”elektrodynamik”(電気力学)と題した論文を書き、
これが、後に、特殊相対性理論 とよばれるようになった。
★アインシュタインの成果は、ローレンツの成果にもとづいているため、もともとは「ローレンツーアインシュタイン理論」と呼ばれていた。
【これは、物理学の問題である為、決着は、ついていない。従って、エーテルの実在性は、完全に否定されているわけではない》
そうして、その後、
1932年(昭和7年)、「生命の實相」の初版が、出版されたわけです。
http://www.treeman9621.com/Theoretical_model_of_MM_experiment_was_wrong_Japanese.html
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朝の忙しい時間帯に、大急ぎで書き込みをし、読み直さないまま、投稿しました。
誤字が、多く、すみません。
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>>275:志恩の文の中の誤字、訂正します。
×時間合わせするんい光の…
○時間合わせをするのに光の…
×1904年の論文出
○1904年の論文で
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『次世代への決断』の著者に聞く 観世音菩薩の教えとは?
昨年三月十一日に発生した東日本大震災につおいて、「この大地震は神の怒りではなく、
観世音菩薩の教えである。その教えを正しく把握するには、われわれの内側からの、本性の声を
聴かなくてはならない」と説かれていますが、その意味を分りやすく説明してください。
谷口 観世音菩薩とは、世の中の響き(音)を観じ、その姿を通して何かを教えてくれるものすべてを指します。
ですから、「観世音菩薩の教え」というのは、どこにでもあるのです。観音経に三十三身に身を変じて衆生を救うと
説かれている通り、ありとあらゆるものが観世音菩薩の役割を果たすのです。
東日本大震災だけではなく、われわれの目の前にあるすべてのものが「観世音菩薩の教え」である。
ただ、それを聴く気持ちに人々がなるかどうかが重要です。
大震災のようなショッキングな出来事が起きると、みんな「なぜ、あれだけ多くの人が死んでしまったのだろう?」などと、深刻に考えます。
そのように何かの出来事を通して深く、真剣に考えるということが、言い換えると、「観世音菩薩の教え」を聴く契機になるのです。
宗教にもいろんな考え方があって、天災についても、それを神罰であるとか、天罰であるという説き方をすることがあります。東日本大震災のときも、
「あれは天罰だ!」と言って物議を醸した政治家もいましたが、それがポピュラーな考え方なのかもしれません。
しかし、生長の家では「神罰を与える神」というのは信じておらず、それは「観世音菩薩の教え」であると考えます。
さらにその観世音菩薩とは自分自身、自分の本性であると説くのです。
われわれは自分の本性と異質のものと対面したときに、一種の“拒絶反応”を起こしますが、生長の家では、それを「観世音菩薩の教え」として聴くのです。
この悲惨で、無情な出来事は間違っている。二度と繰り返してはならない。そのためには、どうすべきか....と考えるのです。
その真剣な反省の中に“仏”としての人間の真性が現れてくる。
言わば“自分が自分を教える”のです。それが「観世音菩薩の教え」です。
生長の家では、そういう人間の本性を観世音菩薩として礼拝します。
谷口雅宣 生長の家総裁 『いのちの環』2012/8 生長の家本部編集
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>>275
志恩様
「エーテル」について鋭い突っ込みありがとう御座いますm(_ _)m
>>「エーテル」は、存在が否定されていたが、
ローレンツ特殊相対性理論により、「エーテル」の存在については、再び議論されることになり、《エーテルを、捨て去っていいかどうかの結論は、
まだ出ていない。》…(というのが、現代の物理学の現状です)<<
真空の概念は、素粒子はあるというモノでの空間ですから、まだ理論上ですら、全く予測も出来ない暗黒物質も70%以上あるとされてます
その中に光の媒体するモノもある可能性も十分考えられます
さて、本題に戻るならば、
政春先生が光の媒体としてエーテルという言葉を使ったのか?
誤解を避ける為ならば、音を伝達する為の大気(空気)の方が本来良かったのしょう
光明思想の説明だから、敢えて光で説明したのかもしれませんね
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初心者さま
ふたたび、「統一性がない」と評されるのは、いやなので、
わたしの考えを少し整理して述べます。
まず、雅春先生のお悟りや説かれている「根本的な教え」は、信じております。
が、現状をみると、どうしても生長の家の組織や、信仰のあり方には、根本的変化が求められるとかんじています。
その二つの想いがある、ということです。
ただ、初心者さまの独自の探究で得た真理を、興味深く聞く反面、
あまり一般的とは言えない難解な言葉で、
雅春先生の教えを否定されるようなことには、とまどうことがあり、
さくらの名で、批難されておられたので、あのような書き方をして、
初心者さまが誤解を受けるようなことになってたらすみませんでした。
でもそれも、
>現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげる
よりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さ
な器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収ま
りきるような話ではないでしょうね。
初心者さまには、このような想いがあるからだということも、分かりました。
初心者さまは、生長の家に、「真理の探究」を求めて、失望されておられるのでしょうか・。
わたしは、生長の家に、わたしの素朴な信仰をもとめて、そして、正直、大いに失望を感じました。
純粋な信仰とは、集団組織にはなりえない、この想いはいまも変わりません。
ですから、初心者さまがおっしゃるように、信仰と、真理の探究、救済は、べつの分野としてかんがえることが適切なのではないかというのは、大いにあり、だと思っています。
生長の家のなかでは、雅春先生が説かれた不変に流れる根本真理、時代背景があってこそ発言されたご意志、宗教組織として試行錯誤されてきた活動の歴史、そして、愛を貫いて生きられ慕われた人望など、・・想いが色々あって、ずれが生じるようにも感じています。
-
初心者さまは、たとえば、「言葉は、パルマコンである」という話をされましたね。
言葉の問題にしても、ソシュールの言語学が、それまでロゴスを自明のものとして打ち立てられていた思想や哲学に壊滅的な打撃を受けたかということも考慮されなければならないことは、教えを言葉で伝えていく宗教でも、たいへん重要な指摘だと思いました。
「本流」などを知ったときにも、生長の家の実情に、この問題があると納得しました。
ですから、言葉によって人を明るくしたり希望を与えたり、まさしく人を生かす力を、わたしは信じていますが、言葉=絶対真理とすることが信仰とすることは、危険なことだとわかります。
初心者さまは、そうしたパルマコン的性質として考えたときの言葉によって、たえずアドレナリンを分泌されなければならない、そのようなことは、「真の救済の状態ではない」、とお考えなのですね。
たしかに、信仰の世界とは、自分が都合のいい言葉だけを「真の教え」だとして他を排斥したり、自分の波長や感情が合う気持ちの良いもののみを真理とするような・・言葉は悪いですけど、似非スピリテュアルみたいな発想とは、相容れないものだとわたしはおもっています。
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■ 訃報ですが…【コヴィ−博士が、亡くなられました…。今年79歳…】
まだ?ハッキリした詳細な“情報”は、分かりかねますが〜〜〜??
『心 よ り … 御 冥 福 を お 祈 り 申 し 上 げ ま す … 。』
私は【コヴィ−博士】を、知りましたのは、もう10年以上前になりますでしょうか…
『☆の王子様…』が、当時!この書籍を薦めて下さいました事からの、始まりなのです…。
当時の“私の脳細胞回路”は、カチカチ山の〜〜〜「生長の家」が、一番!!
そう!思っていましたので、当時の私は【コヴィ−博士】の捉え方は、正直な話?
“チンプン?間?脳?”でしたが〜〜〜♫それでも、当時の私は“一生懸命”読みまして、
『時間管理的な事…』を、現象的にて、多少の理解はしていたつもりなのですが〜〜〜><
その“書籍本”を、いつしか“本棚の奥の方”にしまい込んで「生命の実相…」ばかり、
目を通しての“私”でした…。
その後、十数年の時間経過が過ぎまして“パソコン”と云う便利な“機器”が〜〜〜!
ある時!「ある教化部長先生のサイトプログ」より〜〜〜此処からが
【デイリ−インスプレ−ション】を、知りまして、そこに“無料メルマガ”が〜〜〜
更に!購読します様になりましてからでしょうか〜〜〜しらン??
【哲学…】と言う“海外版の考え方”から、新たなる“知識”を得るようになりまして、
更に!私なりの“理解”を、し始め出した頃でしょうか〜〜〜???
その後!しばらくしまして、代表者「小川忠洋」さんの所から〜〜〜そうなので〜〜〜す。
■【 コ ビ ィ − 博 士 先 生 の「七 つ の 習 慣 」…】が〜〜〜?
その後、色々な“メルマガ配信”を頂きまして、私は「本棚の奥にあるその書籍」を思い出し、
そこからが、又!新たに【哲 学…真 理】新しい思考として、目覚め始めました私です。!!
それからの私は、もう“柔軟的なモノの考え方”に移行していますが…。
【一昨年・去年と2回程】日本に来日講演に、来て下さいまして、此の時は“参加”できませんでしたが?
配信メルマガにて、その一部…又!昨年度の「東北・関東大地震」の時にも“メッセ−ジ”を、
今年こそは…と?思っていた矢先です…。
私に取りまして、大事な「思考哲学を学ぶ上での師」となる方が、又!お一人この世を去られ…
■今日は【コヴィ−先生の文章】の一部“投稿”させて頂きます…。
■>子供に“翼”を与えるということは、今まで引き継できた悪い脚本を乗り越える力を与える
ことである。それは、私の友人であるテリ−・ワ−ナ−博士のいう【流れを変える人】になる
ことだと思う。今までの悪い脚本をそのまま次の世代に引き継ぐのではなく、
その脚本を変えるのである。そして脚本を通して、さらにお互いの関係が強められるのである。<
「我々は探究をやめてはならない。そして、我々のすべての探究の最後は、初めにいた場所に
戻ることであり、その場所を初めて知ることである」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
今回の『生長の家…分派論争』神の御心に反すると思います。
生長の家…根本理念【大 調 和 の 世 界】心から“祈り”に徹したく思います…。
再合掌
PS:トキ様へ
「コヴィ−博士」の「七つの習慣」御存じでいらっしゃいますでしょうか???
余談ですが…無意識に【知人にこの書籍】を、今日!一生懸命“話”をしていましたのですが?
何となく“不思議な気分”になりました次第です…。
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さくらちゃんへ
>初心者さまは、生長の家に、「真理の探究」を求めて、失望されておられるのでしょうか・。
わたしは、生長の家に、わたしの素朴な信仰をもとめて、そして、正直、大いに失望を感じました。
純粋な信仰とは、集団組織にはなりえない、この想いはいまも変わりません。
ですから、初心者さまがおっしゃるように、信仰と、真理の探究、救済は、べつの分野としてかんがえることが適切なのではないかというのは、大いにあり、だと思っています。
生長の家にたいする特別な思い入れがあったのは事実です。生長の家は、他の
宗教に抜きんでた高度な論理や理論を展開できる唯一無二の集団であると思い
込んでおりました。
じっさいにも、かつての生長の家にはすぐれた人材が多くおられました。そうした
人々との再会を期待して書き込みをつづけてきました。しかしすべては幻想で
あったのでしょう。期待した人々はあらわれず、まるでそうした期待をあざ笑うか
のように、低レベルの言説が横行しています。
真の生長の家。本当の生長の家。なんでしょうか、これは。生長の家の言論は地に
堕ちましたね。信仰の幼児化が着々と進行しています。「実相独在」に見合った、
長期的、具体的なヴィジョンなどどこにもありませんね。その場その場でもっとも
心地よいとされる言葉が選択され、反復され、再利用されつづけるのみ。これが
現状です。
かつてこの国にも、自虐史観が隆盛をきわめていた時代がありました。日本のあま
りにひどすぎる荒廃ぶりを嘆き、その惨状に耐えられない人々が、「日本よ、しっか
りせよ」とムチ打つ姿こそが自虐史観の真実なのだと雅春先生は説いておられま
した。
いまさら「生長の家よ、しっかりせよ」といってみたところで何も変わるものでは
ありません。それほどまでに言語空間の劣化が進んでいます。ムチ打つべきもの
があるとすれば、それは生長の家を最高の真理追究集団と信じて疑うことが
できずにいた自分の愚かさだけなのでしょうね。
すべてはないものねだりの愚痴でしたね。さくらちゃんにたいして、そんなこんな
の愚痴を語ってきた自分の愚かさを恥じ入るばかりです。愚痴を引き受けるべき
は、さくらちゃんではなくわたし自身でありました。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまは、たとえば、「言葉は、パルマコンである」という話をされましたね。
言葉の問題にしても、ソシュールの言語学が、それまでロゴスを自明のものとして打ち立てられていた思想や哲学に壊滅的な打撃を受けたかということも考慮されなければならないことは、教えを言葉で伝えていく宗教でも、たいへん重要な指摘だと思いました。
雅春先生の思想がロゴスを自明のものとして打ち立てられているのは明らかです
ね。実相と現象、善と悪、霊性と物質性、光と闇というように、2つの対立する項を
立てて、それら2項を優越項と従属項に区分けする手法で雅春先生の思想は組み
立てられているはずです。
2項対立をもちいる手法が正当なものであることを保証するのがロゴスです。
これにたいしてソシュールは、2項対立が本来的にあり得ないことを示しました。
実相と現象ということでいえば、実相は現象との差異によってしか語ることが
できず、現象もまた実相との差異によってしか語ることができない、というように。
ソシュールの主張が示すのは、少なくとも言葉のうえでは、実相は「現象ではない
もの」という意味しか持たず、現象は「実相ではないもの」の意味しか持っていない
ということですね。この2つのを縮めていえば、実相は「実相ではないものでは
ないもの」の意味しか持たないということになりますね。
ロゴスは、2項対立をたしかなものとして保証します。2項対立をもちいて説明され
た思想の正当性を保証します。しかしソシュール的には、実相の例で示したように、
2項対立そのものが成り立ちません。成り立たない2項対立をもちいて説明された
思想の正当性を保証するものは何もない、ということになります。
雅春先生の思想がロゴスを自明のものとし、2項対立に依存することで語られて
いるとすれば、ソシュール的には、雅春先生の思想の正当性を保証するものは何も
ないということになります。
たとえばですね、「実相は神様がおつくりになられた完全なる実体である」と説明
したとします。この場合、一見すると、実相を、現象との差異としてではなく、実相を
実相として語っているようにみえますが、「完全」という言葉じたいが「不完全では
ないもの」との意味しか持たず、「実体」にしても、「虚ではないもの」の意味しか
持たないということからもわかるように、実相をどのように説明したとしても、その
説明のなかには現象の影がかならず入り込んでいるということがわかります。
「実相直視だ」といってみたところで、こうした表現のなかにも現象の影が入り
込んでいます。
-
「お前の言葉は心に響かない」とよく言われる。中身を吟味するでもなく、心に響く
かどうかで言葉の価値を判断しようとする人たちが少なくはないってことだろう。
人類光明化という言葉はたしかに心に響くのだろう。中身は問題ではなく、心に
響きさえすればよいというのであれば、人類光明化はたしかに上等な言葉だ。
心に響く言葉を毎日のように集めて聞いたり見たりしていれば、それだけで救われ
た気にはなるってものだ。だけども、そういう言葉に中身はないのが通例であるの
で、救われた気分は一時のものであり、救いの効果が薄まれば、またぞろ心に響く
言葉を求めて、当たりをつけた文献や引用文等をあさらなくてはならなくなる。
心に響く文字を見て、それで束の間の救いを得て、効果が薄まればまたべつの
文字をさがしにでかける。けっきょくはこれのくり返しなのだ。これでは心の平安が
得られる日は永遠にこない。心に響く文字を求めて、いつまでもさまよいつづける
ことになる。
じつのところ、これこそが宗教の狙いなのだ。医者が病人を必要とするように、
宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいない
ように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。
いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に
響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、
人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。
迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に
依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえら
れた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の
供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマ
コンであることを宗教は熟知しているからだ。
-
>>283:
初心者様は、”生長の家に、『真理の探求』を求めて、失望した。”
さくら様は、”生長の家に、『素朴な信仰』を求めて、大いに失望した。”
と、しっぽりと、語り合っておられますけれど、
お二人は、いわゆる「失望・コンビ」で、おられるのでしょうか?
おまけに、初心者様は、ソシュール説と、雅春先生説を、比べて、相変わらず、ソシュールより、雅春先生を低い位置に置かれている。
尚、おまけに、雅春先生の説かれた教えを信じて、ここまで来ているわれわれ信徒のことまで、未だに バカにしておられる。
朝から、そういうふうに言われて、なんだかなぁと思ってしまいます。
お二人に反して、
私たちは、生長の家の教えには、失望、していません。
私たちが失望しているのは、生長の家の最高の教えを 未だに理解できない初心者様に対してです。
私たちは、どういわれようとも、
生長の家の教えで、大安心のの境地を得て、おかげさまで、心やすらかな心境で生きることが出来てきました。
今も尚、周り人達にも 優しくできますし、輝いて生きています。
真理の探求も、哲学の探求もご自由ですが、
どうして、生長の家の掲示板へいらして、生長の家を卑下されることばかり、言われるのか、理解に苦しむところです。
-
さくらちゃんが、失望しているのは、教えに対してではなく、主に組織に
対してだという事は、理解しています。
信仰と真理の探求、救済は、別の分野で考えることが、適切だと、思っておられるのですよね。
-
初心者様は、「かっての生長の家には、すぐれた人材がいた。
しかし、今は、居ない。それで、そういう人達との再会をしていて書き込みを続けていたけれど、
それは、幻想だった。そういうすぐれた人材は、現われなかった。」と、おっしゃいますが、
1年間以上も、すぐれた青い鳥が、現われるのを待っていらした。
トキ様という名の 青い鳥は、すぐ近くにおられましたのに、見えなかっただけじゃないの!と思えてしまいますが、、
初心者様は、さくらちゃんだけが、そういうご自分の気持ちを分ってくれる人だから、前から
「さくらちゃん、さくらちゃん、さくらちゃん、さくらちゃん…」と連呼されて、書き込まれておられたのですか。
初心者様は、すぐお近くに そういうことを語り合うことができる すぐれた人材が、いらっしゃらない、というわけで、
その点は、おきのどくに思っております。さくらちゃんと、しっぽり語り合われる事については、決して批判しているのではありません。
もしも、そのように、とられましたら、ちがいますからね。これからも、どうぞ、なさってくださいませ。
-
×再会をしていて
○再会を期待して
-
ソシュールの思想をもとに雅春先生の思想を批判することじたいに問題はまったく
ありません。雅春先生の思想が完璧であると信じておられるのなら、批判にたいし
て、それがたとえどのように稚拙な批判に見えようとも、堂々と立ち向かうべきで
あります。
総裁先生の問題にしてもおなじです。総裁先生が雅春先生の教えをどのように
批判しておられるのかは存じませんが、総裁先生の思想に問題があるとお考えで
あれば、堂々と批判なさればよいだけの話ではないですか。それがどうでしょう。
なされていることといえば、総裁先生の人格や行状をあげつらうばかりで、聞くに
堪えるような批判は皆無といった有り様ではないですか。
相手の思想に問題があると考えるのであれば批判すればよいのですよ。批判され
れば、反論すればよいのですよ。批判にたいして反論せずに、批判するなというの
であれば、新興宗教の思想はいつまでたっても鍛えられることはないということ
です。伝統的宗教は、批判に耐えてきたがゆえに伝統になりえたと考えます。
-
それでは、初心者様にお尋ねします。
あなたは、「実在宇宙」とよく言われますが、
「宇宙の起源」をどのようの捉えておられるのですか。
ホーキング博士の理論を読みますと、あなたが支持しておられる「ヒモ理論であるM理論が、アインシュタインが発見しようとした統一理論だ」と言ってます。
「物理学が全ての理論、自然の全ての特性を完全に説明できる1つの枠組みを構成するに至っている。」とも言っています。
つまり、スティーブン・ホーキング博士は、「宇宙は神が設計していない、自己創造したのだ」と、言っていますが。そして、地球のような惑星だけでなく、別の
宇宙も存在する可能性もあることも、強調しています。
初心者様のお考えを読みますと、「宇宙は誰が造ったか」にたいしては、神の行為というより、物理学的な偶発的な出来事からできた、それが「実在宇宙」であると言いたいように
聞こえるのですが、違いますか?
-
宇宙は神が設計していないのはたしかでしょう。宇宙は偶発的につくられたもので
す。ではなぜ偶発的につくられたのか。それは、神が神ご自身の姿をご存じでなか
ったからです。ご存じであれば、神はご自身の姿に似せて宇宙をつくることもでき
たでしょうし、そもそも似姿をつくる必要さえなかったといえます。
神は神ご自身の姿をご存じでなかった。それがゆえに、無限ともいえる数の宇宙を
こしらえて、そのなかから神ご自身の姿に似たものを見ようとなさっておられると
いうことです。これは、神をあまりにも擬人化した見方ではありますが、ひとつの
説明として成り立っていると考えます。
神が神ご自身に似せて世界をつくられたとする考え方では、その考え方を現代の
宇宙論に結びつけることはおそらくできないでしょう。宇宙論を全面的に否定する
よりほかに、みずからの正当性を主張することはできないでしょう。
雅春先生の思想で現代の宇宙論を説明できるのでしょうか。雅春先生の思想は、
おそらくは、宇宙論を全面的に否定することでしか成り立たないものと考えます。
もちろん成り立つとお考えであれば、その考え方を示していただければよいと
いうことになります。
-
これから自治会のことで、でかけます。
初心者さま、さくらちゃんと話し合われてください。
夏になりましたら、夜、この地区に痴漢が出没するようになりました。
それで、もっと、地区を明るくしなければ、ということになりまして、希望の各班に、手始めに、2つずつという割当で、
外灯を、昔からの電球から、明るいLED蛍光灯(ものすごく明るいのです)に替えて行く運動を実施中です。
それで、どこへつけるか、となりの班のことで、希望を聞いて、立ち会わなければなりません。
そのような雑用ですが、今日は、それで、出かけます。
-
すみません。
私も、最近、宇宙の起源に興味があり、いろいろと、読んでいます。
夜、また書かせていただきます。
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 異常現象の解釈 ―――――
権限がないので、この辺で打ち切りますが、こういったさまざまな異常現象を私たちはどう解釈
したらよいのか、ということをここで一応考えておきたいとおもいます。
現在、世の中で最も幅をきかすのは、いわゆる詐術説です。「この文明の世の中に、そんなバカな
話があるものか――」といった考えから、全部を否定してしまうのです。
つまり”人を見れば泥棒と思え”式に、最初からてんで相手にしないのです。この詐術説の発生は、
詐欺師だらけの現代の世相からみれば、全く無理もないことです。
ことわざにも、”君子危うき近寄らず””触らぬ神に祟りなし”で、心霊事実の一切を詐術あつかいに
して、敬遠してしまえば、まことに世話はありません。少なくとも、世間に害毒を流している悪質な
祈とう者、売らんかな式の霊術家、低級愚劣な占師、などの魔手から逃れるだけの効果はあります。
詐術説は、たしかに今の世の存在する意義があると、私も認めます。
他方では、またこの詐術説に一層油をそそぐ職業があります。それは手品です。手品師は、いわば
詐術でめしをくっている人たちですから、この為にずいぶん知恵をしぼり、錬磨に錬磨を重ね、
工夫に工夫を加え、しろうとには、とても手品だと見破れない程、立派に仕上げています。ふだん、
これに接している一般の人々が、心霊事実を一つの手品と考えたがるのは、全く無理のないことです。
ことに手品師自身は、一種の自衛心理からか、どんな心霊現象に対しても、まっさきにケチをつけ
たがるようです。アメリカの大手品師フ−ジ二がそうでした。日本の素人手品師阿部某もそうでした。
彼らは、霊媒を自分の親のかたきとでも思っているらしいのです。しかし、全部の人間が泥棒で
ないかもしRないように、全部の心霊現象が皆詐術であるとは限りません。そこで厳密な調査が必要に
なるのです。詐術と真正の心霊現象との何よりの相違点は、前者が常に、用具、場所、人物の配置、
などに関して何らかの条件を必要とするのに対し、後者には、全然それがないことです。
このこと一つだけでも、両者を識別するのに十分なのです。現在では詐術説もよいが、それだけでは、
到底心霊事実を解釈することができない、ということになってしまいました。
詐術の次に有力なのは、いわゆる幻錯覚説です。これは、幽霊などというものは、皆単なる
主観性のもの、いわゆる暗示のうみだしたものに過ぎないとするのです。この説もたしかに、
存在の意義はあります。新聞の三面記事などにある不思議な話の多くも、当人の疑心暗鬼に基づいた、
単なる幻錯覚の産物に過ぎないことでしょう。それらは、できる限りこの説で解決をつけるべきです。
でも、いかに解決しようにも、どうしても解決つかない数多くの心霊事実が後に残ることも、また否定
することもできません。現に長南年恵唯一人に起こった事実に対しても、この幻錯覚説は
ほとんど無力です。だから、幻錯覚説は結構だけどそれだけでは甚だ不充分だということに
なってしまったのです。
<つづく> NO.1
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<つづく> NO.2
異常現象の解釈の>>295投稿の続きです
そこで、一部の学者によって提出されたのが、いわゆる精神説です。精神説というのは、
心霊現象その他、一切の事実がことごとく人間にそなわる、ある不思議な能力の所産で
あるという説で、つまり極端な自力説です。あの神秘切や、思想伝達切、潜在意識切だのと
いうのも、皆多少異なりますが、要するにこの流れを汲んだもので、結局人間に備わる不思議な
能力の運用だけで、すべてを解釈してしまおうというのです。
この精神説にも、むろん半面の真理はあります。人間には、その肉体の他に、幽体もあり、
霊体もあり、また本体もあるので、内面に向かって、深くこれを掘りさげてゆけばゆく程、
微妙で不思議な働きを発揮し、時には、とても人間とは思われないようなまねもやりかねません。
が、精神説の無理な点は、強いて外界にむかって眼をつぶってしまおうとすることで、極端に
これを押しすすめると、結局、人間と万能の神とは同格になり、宇宙間に存在すべてのものは、
ことごとく人間の精神力の所産だということになってしまうのです。
精神説は、あの人間の努力を無視する他力一点ばりの迷信を打ち破るためには、おあつらえ向きの
対症薬ではありますが、しかし、余りにこれのみにこだわると、かえって弊害が多いのです。
従って、この精神説のみで一切の心霊事実を解釈しようとすると、非常に無理がでてきます。
この点については、後の章で、機会もみて、もっと詳しく説明します。
詐術説、幻錯覚説、精神説―――これらのいずれもが、到底正しく説明出来ない心霊事実
があった時、たった一つの後に残るのが交霊説です。これは、死者の霊魂やその他超現象世界の
独立的存在物との交渉連絡を認める、一種の他力説です。現代人、中でも学者といわれる人々
の多くは、この説の撲滅に全力をあげていますが、心霊事実の厳正な批判の結果、どうしても
この説を肯定しなければならないのです。これについても、わたしはあらゆる機会をとらえて、
重ねて説明しようとおもいます。
要するに、私たち心霊学徒の態度は、あくまでも、公平無私であり、断じて単なる部分的
真理の主張にかたよってはいけません。主義をうちたてることに興味がない訳でもありませんが、
真理をあきらかにしてゆくことは、更に更にたいせつです。私たちは、詐術説で砕けるものは
詐術説で砕きましょう。幻錯覚説で破れるものは幻錯覚説で破ってしまいましょう。
精神説も使えるだけつかいましょう。それでも、どうあっても間に合わない時に、交霊説を
持ち出すのに、何の遠慮がいりましょうか。
自由な立場の厳守、純真な心境の開拓―――これが心霊学院の、まっさきにこころがけて
進むべき道であります。
第四章 偶発性の諸異常現象のなか・・
(悪夢・幽霊および幽霊屋敷・その他の異常現象・異常現象の解釈)を終わりました・・
<つづく>
次は(■第 五章 叩音および物質化現象)に入って行きます
PS:トキ様 へ
更に!人間は「肉体」の他に「幽体」・「霊体」・更に「本体」もありますから…潜在意識を、
深く掘り下げてゆくほど神通力が出るのです〜〜〜ネ!これは人間は「神の子」ということが、
私なりに、分かりました!!もっと潜在意識を、強く奥深く掘り下げていけば・・・
【無限の力】が、出てくのです〜〜ネ!私も前以上に「神想観」で深く潜在意識に到達できる訓練を?
心霊…私達「心霊学徒」は、
【真理を明らかにする上では??】ケース・バイ・ケースという事でしょうか? 但し、
「自由な立場の厳守、純真な心境の開拓――」これが心掛けでしょうか?
この書籍を拝読しますと【霊界世界…】が、身近に関します。
しかし!今回の「詐欺説」「幻錯覚説」「精神説」…この分類の説明面白く受け止めましたが、
この事に関しまして、何か御感想があられますでしょうか??
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>>296
かって、立花隆さんが、臨死体験という分厚い本を書いて、この問題を考察しましたが、
結論としては「わからない」というものでした。それ以上に分かる必要もない、という趣旨
も書いていました。
青年の書の中で、谷口雅春先生が、青年が過度に心霊現象に興味を持つのは
良くない、と御指導をされていますが、私達は、心霊現象があり、それが人間
の及ばない力を持っている、と信じる事が大事で、現象的に追求する事は限界が
あるとは思います。
が、そういう世界がある、と知る事はとても大事ですから、その意味では、
ご投稿は貴重だと思います。このあたりのバランスが難しいですね。
ご投稿に深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
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>>292:
初心者様は、スティーブン・ホーキンス同様に、宇宙は、偶発的につくられたもの、神が設計していないのはたしかです。と答えられました。
【宇宙は】
❶神が創造した
❷偶発的にうまれた
起源については、この2つの考え方が存在し、勿論、現在も、結果は出ていませんけれど、
私は、生長の家なので、雅春先生が大宇宙に触れられた言葉を先に書きます。
〜❶神が創造した〜
雅春先生は、神が宇宙を創ったとは、わざわざは、おっしゃいませんが、「新天新地の神示」には、生長の家は宇宙を貫く生命であり、法則であり、
絶対の愛であると説いています。つまり、宇宙のはじめから、宇宙には、神の生命・法則・愛が充満しているし、いたのだと、言われているのです。
日本神道の『古事記』の冒頭には「天地のはじめのとき高天原に…」と唱えており、生長の家では、高天原とは、宇宙であると説いていますが、日本の
神道では、(高天原=)宇宙全体に神が充満している。。。と、そして、キリスト教では「宇宙に神は遍在である」。。と教えています。
このように、宗教世界の宇宙に対する見解は、遠回しな言い方で、
宇宙は、神が創造したのであり、その宇宙にも、神が充満しているのだ、と説いています。
「宇宙」とは、「宇(空間)」と「宙(時間)」のこと。
生長の家で説く神は、第一義、第二義、第三義と分かれておりますが、宇宙に遍在する神は、一即多の真理の展開として、その多様性を
宇宙と自然界に現している神です。
物理学的な立場から見るのではなく、唯神的立場から見て、宇宙も生命体、地球も生命体と捉えていて、
宇宙も、全て神・仏の生命の現れであるとする宗教的信念を教示しているのです。神が創造したとする説だからです。
つづく
-
❷偶発的にうまれた
言うまでもなく、
宇宙の起源について、最近の科学では、宇宙は「ビッグ バン」説と呼ばれる大爆発によって始まった、そして、それは量子論的に”無”から
宇宙が、偶発的に生まれたのだと言われています。
しかし、偉大な科学者達は、それは果たして、”神による宇宙の創造”という考えを否定するものだろうかと自らに問い、
アインシュタイン博士も、
「私は、神の天地創造の”足跡”を探して行く人間である」と語ったと伝えられています。彼にとっても、宇宙について、また自然界について研究することは、
「神」をより深く知ろうとする心の現れでした。
その他、偉大な科学者のなかには、創造者なる神を信じていた人々が、たくさんいます。ケプラー、コペルニクス、ガリレイ、ファラデー、ケルビン、
マクスウェル、パスツール、リンネ、ファーブル、パスカル、ボイル、フレミング、ドーソン、ウイルヒョウ、コンプトン、ミリカ、プランクなどをはじめ、
科学史上に名だたる人々の多くが、創造者なる神を信じる科学者でした。
彼らは、みな熱心な創造論者であり、創造者なる神の存在を信じていたのです。科学史上に残された彼らの業績は、「神が創造された世界について、もっと
よくしりたい」という探究心からうまれ出たものだと、科学史家は述べています。
なぜでしょう。
宇宙は、きわめて美しく整った物理法則、科学法則のもとに、秩序正しく運行しており、宇宙の理を究めようとする者は、誰でも美しさと荘厳さに、
魅了されるからです。「宇宙は、なぜ、これほどまでに うまくできているのか。宇宙の法則は、数学的美しさを持っている」と、アインシュタインは語りました。
イギリスの数学者で偉大な理論物理学者であるディラックは、『サイエンティフィック・アメリカン』誌の中に、「神は、非常にすぐれた数学者であられ、
宇宙を造る際に、極めて高度な数学を用いた」と書いています。
アメリカの科学者でノーベル賞受賞者のコンプトンも、電気素量や宇宙線の研究に貢献して、ノーベル賞をうけた物理学者ミリカンも、確信を持って、宇宙の
背後の存在する超越者を「偉大なる建築者」とよび、そして「純粋な唯物論は、私にとっては考えにくいものだ」と語りました(まだまだ、誰々がと続きますので省略)
宇宙を創造したものが神だと信じることは、非科学的なことでも、非常識なことでもなく、むしろ、きわめて理にかなったことであり、また人間として非常に自然なことなのです。
じつに宇宙は「無」から「有」を生じさせる力を持つ全能の神により、その遠大なご計画のもとに創造されたと信じる人が多いのも、自然なことです。(「創造科学」より)
つづく
-
以前、私は、藤原敏之先生のご講話を拝聴して、その内容に笑いころげたことがあります。
藤原先生は、大真面目な顔で超傑作な話をされる先生でした。
それは、顔のなかの目と鼻の 配置に ついて でした。
「みなさん、もしも、鼻が目の上についていたら、どうされます? うどんを食べる時だって、じつに難儀ですよ。目の上に鼻があるんですから、匂いを
嗅ぐとき、いちいち、目の上に、うどんを持ってこなくちゃいけないのよ。」てな具合で、うどんを食べるゼスチャーいりでした。
想像しましたが、目にうどんの汁が、いちいち飛び散って、どれだけうっとうしいかしれません。
このように、われわれの顔の中の 配置1つとってみましても、計算しつくされた配置になってると思います。
宇宙の話ですが、次は、物理学的な立場から話します。
ビックバン説が、事実だとして、宇宙は偶発的にうまれたとして…宇宙はなぜ これほどまでに うまくできているか。
例えば、自然定数を考えると、それが現在の値よりもわずかにちがっていれば、宇宙創造後、地球もできなかったし、炭素原子もできなかったそうです。
すると、人間のような知的生命体も造れなかったそうです。
宇宙物理学的事実を踏まえますと、我々の地球は、いまから46億年前に出来ました。つまり、宇宙ができて約90億年後。
地球は、原始太陽系星雲の中にあるチリから造られたと言われています。そのチリを形成する主要な元素は、ケイ素である。また、地球を形成する主要な
元素は、鉄、酸素、ケイ素、マグネシウム、ニッケルなどである。人間を形成する主要な元素は、水に含まれる水素を別とすれば、酸素、炭素などである。
宇宙物理学では、水素とヘリウム以外の元素を重元素と呼ぶ。ビックバン宇宙論によれば、宇宙の初期にできた元素は、水素とヘリウムである。
それ以外の重元素は後に星の中の核融合反応で、あるいは、星の超新星爆発の際につくられた。宇宙の始めに生まれた初代星には、水素とヘリウムしか存在しないので、重元素がなく、
したがって、惑星はつくることができない。(現在の宇宙の年齢は、137億年)
更に、驚くのは、空間が3次元である理由も説明できる。もし空間が2次元であれば、あまりに簡単過ぎて、知的生命体のような複雑な存在はつくれない。しかし、空間が4次元以上になると、
どんな複雑な構造もつくれるように思われるが、空間が4次元だと仮定して、シュレーディンガー方程式を解いて見ると、水素の束縛状態が存在しない。つまり原子がつくれないのだ。
神は、さらに進んで、全く新しい宇宙を創造するかもしれない。数学原理を使って。 (「人間原理と数学原理」より)
-
たしかにこの宇宙はよくできています。ビッグバンの爆発の速度があとほんの
少しでも速いか遅いかしていれば、星は誕生できなかったのでしょう。さまざま
な物理定数が、たしかに生命の誕生に都合よくできています。
しかしここで考えなくてはならないのは、宇宙創成のはじめに無限の数の宇宙
が誕生したと考えられているということです。無限の数の宇宙がじっさいに誕生
したとすれば、そのほとんどは、星も誕生できず、もちろん生命も誕生できない
宇宙です。なかには物質すら存在しえない宇宙もあるということです。
無限の数の宇宙がつくられて、そのほとんどは役立たずの出来のよくない宇宙
なのですね。神が宇宙をつくられたのだとすれば、なぜおびただしい数の不良
宇宙をつくられたのか、という疑問が出てまいります。
無限の数の宇宙が誕生して、そのなかに生命が誕生できたほんの数個の宇宙が
あり、その1つが、わたしたちが住むこの宇宙であるのかもしれません。
この宇宙は大変によくできていますが、それはまったくの偶然だとはいえないで
しょうか。無限の宇宙をつくれば、そのなかに、わたしたちが住む宇宙のような、
大変によく出来た「よい宇宙」が誕生したとしても何も不思議なことではない、と
いえるのではないでしょうか。
もしも宇宙を神の創造説で説明するのであれば、おびただしい数の不良宇宙が
なぜつくられたのか、その理由を説明しなければなりません。その理由を説明せず
において、たまたま偶然にできた1個の「よい宇宙」だけを見て、それをもって
宇宙は神が創造されたものだと結論づけることができるのでしょうか。
なんらかの理由によって無限の宇宙がつくられ、まったくの偶然で1個の「よい
宇宙」が生まれて、その宇宙に生命が誕生した。今の時点でいえるのは、このこと
だけではないかと考えます。
ところでトキ様は、無限の数の宇宙がつくられたことにかんして、「宇宙の創造には
大変に多くのエネルギーがもちいられた」とだけいっておられます。トキ様は、この
ひと言で、神の宇宙創造説の暗示的効果を狙っておられるようです。生長の家で
はたしかに、こうしたひと言が絶大な効果を持つといえます。
-
神がもしも宇宙を創造されたのだとすれば、なぜこれほどまでにリスキーな宇宙
を創造されたのか、という疑問を、ずっと以前にとある掲示板で投げかけたことが
あります。
たとえば宇宙定数ですが、これは小数点以下120桁という非常に小さな値なので
すね。ところがこの数字があと少しずれていて、小数点以下119桁や118桁であった
とすれば、宇宙に物質は存在し得なかったということが計算上、示されています。
本当に「かろうじて」というしかありません。小数点以下120桁というとてつもなく
小さな数字が、1桁か2桁ずれていただけでも物質は存在し得なかったのですから、
これほどのリスキーな宇宙はないということがいえるはずです。
もちろん宇宙定数だけでなく、ほかにも「かろうじて」としかいいようのない物理
定数や現象が、この宇宙にはいくつもあるようです。神がもしも宇宙を創造された
のだとすれば、なぜこれほどまでに多くの「かろうじて」を連発されたのか、という
ことが疑問として出てまいります。
なぜこれほどまでにリスキーで危険な宇宙を神は創造されたのでしょう。なぜ
もっと安全確実な宇宙を、神は創造されなかったのでしょうか。
神が全知全能の無限能力者であるとすれば、もっとマシな宇宙を創造されても
よかったのではないかと考えます。雅春先生も、ショーペンハウエルを引き合いに
だして、この問題を論じておられたとおもいます。みなさま方は、この問題をどの
ように理解しておられるのでしょうか。
-
宇宙は、私たちが住む宇宙だけとは、限らない、という数多くの多宇宙説の本も出ています。
多宇宙説の他に、並行宇宙説もありますよね。
オックスフォード大学の研究者は、宇宙人が存在する可能性のある星は、存在すると言っています。
銀河系は、無数にあるのですから、地球のような星も同様に存在してもおかしくないのでは、ないでしょうか。
われわれ地球人より、意識の高い、もっともっと、精神的にも高く、科学も進歩させている宇宙人がいるという本も、
ありますし、
初心者さまは、「もちろん宇宙定数だけでなく、ほかにも「かろうじて」としかいいようのない
物理定数や現象が、この宇宙にはいくつもあるようです。神がもしも宇宙を創造されたのならば、なぜこれほどまでに多くの
「かろうじて」を連発されたのか……」とおっしゃってますが、
果たして「かろうじて」だけでしょうか。
もっと進んだべつの宇宙は、我々が、知らないだけで、宇宙の外側に、既に いくつも存在している可能性は,否定できないそうですよ。
神秘の宇宙世界は、無限に存在するとう専門家たちの説は、多くあります。
-
かって哲学者ライプニッツは、この宇宙世界は、考えられる限り最善の世界であると考えました。
1方、ショーペンハウエルは、この世界は、可能な限り最悪な世界であると考えました。
このような哲学的議論は、考える人の立場でどうにでもなり、根拠や証拠は、ありません。
ところがこの種の哲学的議論が、現代宇宙論で、再び議論されているそうです。
人間が存在するからだといいます。
例えば自然定数を考えると、それが現在の値よりもわずかに違っておれば、
地球はできなかったり、炭素原子ができなかったりして、人間のような知的生命体が生まれないと考える。
知的生命体が存在しない宇宙は、観測されないので、存在しないと同然であるのです。
唯物論的に考えれば、
宇宙を観測されるために、人間のような知的生命体のような存在が、必要だったのか、
または、人間を存在可能にするために叡智をつくした宇宙の存在が必要だったのか、
持ちつ持たれつ、みたいな関係なのかもしれません。
初心者様とさくら様の間柄みたいなものでしょうか、しっぽりとした間柄。
-
わたしも、あれもこれもと一度に多くのことを書こうとしておりますので、論点の
整理ができておりません。「かろうじて」というのは、仮に宇宙が1個しかなかった
場合の話として聞いていただければとおもいます。読み手の方々に余計な混乱を
あたえておりますことは、お詫び申し上げます。
無限の数の宇宙論。1個の宇宙しかない宇宙論。その中間の宇宙論。いくつもの宇宙
論があるかと存じます。わたしは、このどれか1つに決定しようとは考えておりませ
ん。それぞれのケースで想定される「宇宙創成の秘密」を想像しつつ楽しめればと
考えております。
「不変の真理」を主張する生長の家に、「宇宙創成の秘密」を想像して楽しむという
ような真似は許されません。「不変の真理」を主張する立場にあるものは、どれか
1つの宇宙論に決定する責務を負っているものと考えます。
生長の家は、いくつも考えられる宇宙論のどれを支持し、どの立場から神の創造説
を論じているのでしょうか。それとも、「どの立場にも立たない」という特権的な
立場から論じていると考えればよいのでしょうか。
生長の家では、宇宙創成はじっさいにどのように捉えられているのでしょう。これを
明確にしていただく必要があるのではないでしょうか。
-
なぜ宇宙はかくもよくできているのか、これはじっさいのところ大問題なのです。
これはいってみれば、宇宙は生まれたときから大人であったということです。
生まれたときからすでに大人であったとされるのがキリストです。宇宙もキリストと
おなじように、なぜか大人として生まれてきました。なぜはじめから大人なのかと
いうのは、たしかに大問題なのです。
この謎を解くカギがビッグバン以前にあったとされる、宇宙の大インフレーション
です。いってみれば、この大インフレーションの時代が宇宙の子供時代なのです。
この時代に宇宙は成長し、ビッグバンによって大人となった宇宙が現象化したと
考えれば、ツジツマのあった説明が見事に完成いたします。
-
初心者さま
宇宙論をお話ししている中で割り込んですみません。
「失望」したと、わたしが表現したのは、「期待をしなくなった」、程の意味です。
・・初心者さまが「失望コンビ」の一員などと、また誤解されたら、
再びご迷惑をおかけして、たいへん申し訳ありませんでした、笑(笑ってません、)
信仰を、なにか外の、・・組織のようなものに求めたことが愚かだったということがよく理解できたので、わたし個人ではよい勉強になりました。
わたしの中の、信仰の想いは、むしろ、組織を離れたことで安定し、
組織の方針に振り回されない分、自分の信仰の良心に自由な行動できますし、
信仰の喜びは、変わらずふつふつとわたしの中で生きています。
わたしの内なる世界は、今も変わらず、生かされている大安心の境地です。
信仰の大安心の境地と、現状に対して問題意識を見つけて取り組むという想いは、
わたしは、矛盾したことだとは思っていません。
初心者さまは、言語学的な立場から、雅春先生の思想が、二項対立的なロゴスで語られていると、分析されておられるのですね。
雅春先生の思想が、二項対立のロゴスに依存することで語られているとしたら、
それが、ソシュールの言語学的な見地からしたら、その正当性が保証されなくなる、
と考えておられるということだと思います。
教えが言葉で表現されていることから、言葉で理解しなければならないという、
どうしても、その表現される「ことば」に支配を受けざるを得ない側面を、仰っているのだと思います。
だから、ことばに過剰に反応する、或いは、真理と称する言葉の乱用によって、
人の感情や欲求があまりに支配されることがある、ということを、
危惧されてのご指摘だと理解していますが、違いますでしょうか。
>迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に
依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえら
れた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の
供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマ
コンであることを宗教は熟知しているからだ。
宗教に於いてことばやイメージなど宗教的象徴が、パルマコンとして人の感情に訴えて、扇動することに使われることがあります。
ですから、言葉に反応して、「真の教え」「邪説」と判断することを、
わたしは、宗教の危険な兆候の一つであると思っています。
クリシュナムルティも、この宗教の「麻薬」的要素としての、言葉やイメージの乱用や常習性を指摘していましたので、初心者さまもこのことを指しておられるのだと思います。
でも、わたしにとっては、これを越える世界が、信仰の世界、だと思っています。
信仰は、なにか外に対象があって、それを絶対のものだと信じる、ということでもなく、
その信じる外の対象の正しさを証明するため、外へ外へ向かうものでもなく、
内へ内へ、向かうものだとかんじます。
そして、言葉の性質を越えて、行や、愛の行動になっていくものだと思っています。
真理の言葉も、人を説得させたり、人を裁いたりするためではなく、
自分を振り返り、自分の行動の糧にしたり、人を生かすときに心に届くものだと、
思います。
初心者さまの指摘されることは、ある面でとても真実ですが、
雅春先生の教えの信仰の世界の部分は、認めておられないのでしょうか。
・・まあ、生長の家の現状の姿を、ご指摘なのだと思うのですが。
-
わたしはむしろ、・・できれば「生命の實相」だって、組織を離れるほうがよいのではないかとさえ感じます。
その方が、「生命の實相」をほんとうに必要とされる方に、先入観なく読んでいただけたり、
社会の中で、時代に関係のない良書と判断されれば、宗教をこえて、世の中でずっと大切にされるはずなんですから、
宗教組織内部の争いの種になっていることなど、あまりに・・愚かしく感じることがあります。
ほんとうに伝えたいと思うなら、社会や自分の身の回りで、真理の言葉を自分が実行することだけなのではないかな、と思うことがあります。
それが自然な伝道ではないでしょうか。
-
ライプニッツにかんしては、詳しくは存じませんが、その予定調和説の根底に
あるのがモナドロジーの思想ですね。神の粒子が実在するとすれば、それは
ライプニッツが想像したモナドである必要があるのかもしれません。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまの指摘されることは、ある面でとても真実ですが、
雅春先生の教えの信仰の世界の部分は、認めておられないのでしょうか。
・・まあ、生長の家の現状の姿を、ご指摘なのだと思うのですが。
さくらちゃんがこれまで語ってこられことが何ひとつとして取り上げられもせず、
論じられもしないということが、すでに組織の病理を証明しています。
「月を見よ」と指さしたとしても、子供は月を見ずに指先を見ると言いますね。これ
とおなじことが起きています。雅春先生の語られた言葉が絶対化されていますね。
雅春先生はこのように言われた。こうした表現が幅を効かせていることからもわか
るように、雅春先生の言葉が絶対化されています。
かねてよりこちらで主張しておりますように、言葉に意味はありません。言葉とは、
いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらい
まったく関係がないものです。
言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。
ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。その方向
にほんとうに真理があるのかどうか、それはわかりませんが、少なくとも言葉じた
いに意味がないのはたしかです。
言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の
不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。
>教えが言葉で表現されていることから、言葉で理解しなければならないという、
どうしても、その表現される「ことば」に支配を受けざるを得ない側面を、仰っているのだと思います。
だから、ことばに過剰に反応する、或いは、真理と称する言葉の乱用によって、
人の感情や欲求があまりに支配されることがある、ということを、
危惧されてのご指摘だと理解していますが、違いますでしょうか。
わたしが言いたいことをわかりやすく語ってくださってます。真理は汝を自由なら
しめん、といわれていますが、真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられると
いう現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。
こうした現象が起きています。
すべての問題は、言葉は見つめるべき方向を指し示しているにすぎないのに、言葉
こそが真理だと思い込むことによって引き起こされています。真理の不在を埋め
るためのシニフィアンの暴走がつづいています。
「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は
「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、
言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。
-
>>310:初心者様曰く
>>「月を見よ」と指さしたのに、子供は月を見ずに、指先を見るといいますね。
これとおなじことが起きています。雅春先生の語られた言葉が絶対化されていますね。
雅春先生はこのように言われた。こうした表現が幅を効かせていることからもわかるように、
雅春先生の言葉が絶対化されています<<
それで、「言葉には、意味がありません」といわれる初心者様の、われわれを批判する なにやら意味のある言葉は、つづいていますが、
われわれ信徒は、言葉といいましても、いつも、言葉と言葉の行間を読んでいるのです.
月を見よ、と言われたら、指先を、見ている様な、子供みたいな信徒は、なにせ、我々は修行中の身ですから、
絶対に、居ないとは言い切れませんけれど、そんなには、居ないと思います。
それから、人間として大人のようなイエスキリスト、仏陀が生まれて来るのは、なぜでしょうということですが、
それについては、キリスト教でも仏教でも教えていることですが、生長の家でも説いています。
第一義、第二義、第三義の神があると、説いてます。
第一義の神とは、宇宙に遍満する久遠の生命である神(絶対神」、宇宙を貫く生命ー実相の神です。
第二義の神が、初心者様がご指摘のキリスト教のイエスキリスト、ミカエル天使、仏教のブッダ、観世音菩薩、また白髪の老翁の姿をして現われた住吉の大神のような、第一義の神の応現神だといいます。
スエーデンボルグ、ラマクシュナ−、シルバーバーチその他、ニューソート系の本にも、第二義の神が、地上に現れる意義が書かれています。人生学校の指導者的役割を担って、高い霊界から
使命を戴いて、降臨された教えられています。
第三義の神というのは、霊魂(みたま)の神であり、靖国神社などに神としてお祀りしてあって、神格を得ておられる人間の霊魂の神です。
広い意味で、霊魂の神も神の中に入っていますが、宇宙に遍在する第一義の神ではありません。しかし、宇宙に偏在する神の1つの表現として、それぞれの働きをもって個性的にあらわれているので、大生命の
多様性が表現されている。。。。
-
信徒は、麻薬のように言葉を読むと言われますが、生長の家の本は、人生学校における聖なる教科書のような本でありまして、
その人、その人が、人生修行の段階で、本を開いて読みますと、ふしぎなことに、そのときに、ふさわしいピッタリの
生きる事をはげましてもらえるような言葉に出会うことができるのです。
それを、言葉のみを求めて、やむことなく麻薬のように、アヘンのように言葉を求めるという捉え方をする人は、
いるのでしょうね。
麻薬は、入れる程、心身がぽろぼろに犯されて人間失格なりますが、良書の言葉には、心身ともに元気をもらえて
輝いて生きて行ける良書です。
もっとも、相性というのがありまして、合わない者には、合わないのです。
-
「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」と
もいいます。
「行間を読む」とわざわざことわりをいれられるまでもなく、人は行間を読むこと
でしか文章にアクセスできないとするのが、現代風の考え方です。つまり、行間を
読んだからといって、それは特別なことでもなんでもなく、そのことによって、行間
を読まずしては知れないことが知れるということにもなりません。
いうまでもないことですが、文章の構造にアクセスするにあたって問われるのは
読み手の技量です。読み手の技量の不足はとうぜんのごとくあります。技量不足
をおぎなう手段が、文章にたいする情緒的反応です。
読み手の技量不足を熟知しておられた雅春先生は、情緒的反応に文章の力点を
置かれたはずです。その結果、多くの奇跡を生みだすことには成功なされました
が、その反動として、読み手がほんらいアクセスすべき領域は遠ざけられました。
人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。人々に
できることといえば、この言葉に情緒的に反応するか、アクセスすべき領域を
さがすかのどちらかしかありません。これまでなされてきたのは、情緒的反応
が主であったと考えます。
アクセスすべき領域をさがそうとするものが必要とするのは思想の深化と多様性
ですので、総裁先生の思想がただちにさまたげになるということはありません。
情緒的に反応してきた人々は、総裁先生の思想に情緒的に同調できないがゆえに、
これを「さまたげ」ととらえます。
-
さくらちゃんへ
>初心者さまは、言語学的な立場から、雅春先生の思想が、二項対立的なロゴスで語られていると、分析されておられるのですね。
雅春先生の思想が、二項対立のロゴスに依存することで語られているとしたら、
それが、ソシュールの言語学的な見地からしたら、その正当性が保証されなくなる、
と考えておられるということだと思います。
ふつうはソシュールがどうしたとか、言語学がどうしたとか、問題にする必要は
ないのですが、「不変の真理」とか「絶対的真理」とかの話になってくると、厳密な
批判なり分析なりが必要になってきますね。
今の生長の家では、雅春先生の教えを信奉する人たちを「原理主義者」と総称して
いるようですが、わたしなら、そうはいわずに「ロゴス中心主義者」と呼びます。
不変の真理をうたい文句にしながら、旧態依然としたロゴス中心主義的な言説を
展開しているにすぎないということを批判します。もっといえば、ロゴス中心主義
的発想や言葉づかいで不変の真理が語れるのか、との素朴な疑問を表明します
(実際は批判ではなくゆさぶりをかけるだけです。うっかり批判などすれば、こちら
もロゴス中心主義のワナにはまる可能性があるからです)。
不変の真理をうたうのであれば、ソシュールには向き合うべきとも考えます。ソシュ
ールを問題にするでもなく、乗り越えようとするふうでもなく、みずからの内に
取り込もうとするでもなく、それを完全にパスして語られる思想は、おそらく現代に
おいては無価値と判断されるはずです。
無価値と判断されたくなければ、いったんはソシュールと向き合い、ロゴスを中心と
した言説の正当性を論理的に主張すべきですね。そうでなければ、「不変の真理」
の看板をおろすしかありません。
-
こちらの掲示板でも、自分にとって心地よいかどうかで、それが真理であるかどう
かを決定しておられる方がいらっしゃるようです。自分とって心地よければ、それを
真理だとして個人的に信仰されるのならともかく、その方は、快不快の原則で決定
された真理を、誰もが服従すべき絶対的真理と主張され、それに反するものはすべ
て虚説であるといっておられます。
極端な例におもわれるかもしれませんが、生長の家の方々はたいていはこの方と
似たりよったりだという気がいたします。たとえば「心に響かない」ということが
よく言われます。どんな思想でも、それを地道に積み重ねていけば、やがて精神的
な豊かさにむすびつくこともあるわけですが、「心に響かない」といっておられる
方々は、どうやら即効性を求めておられるようで、いますぐ感動させろ、心を豊か
にさせろと、このようなことを言っておられるわけです。
ようするに、1年後に効くかもしれない言葉ではなく今すぐ効く言葉を出せと、
いやそれ以上に、効きそもうない言葉はいらぬ、とにかく今すぐ効く言葉を出せ
と、こうした方々は言っておられるわけですが、これが生長の家での、言葉にたい
する一般的な反応の仕方ではないかと考えます。今すぐ心に響いて感動できる
言葉を、生長の家の方々が求めておられるのはたしかだろうと考えます。
なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の
価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方であるということが
いえそうです。即効性を求めておられるという意味で、生長の家の方々が言葉に
麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252投稿の続きです…。
■第四章 偶発性の諸異常現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 異常現象の解釈 ―――――
権限がないので、この辺で打ち切りますが、こういったさまざまな異常現象を私たちはどう解釈
したらよいのか、ということをここで一応考えておきたいとおもいます。
現在、世の中で最も幅をきかすのは、いわゆる詐術説です。「この文明の世の中に、そんなバカな
話があるものか――」といった考えから、全部を否定してしまうのです。
つまり”人を見れば泥棒と思え”式に、最初からてんで相手にしないのです。この詐術説の発生は、
詐欺師だらけの現代の世相からみれば、全く無理もないことです。
ことわざにも、”君子危うき近寄らず””触らぬ神に祟りなし”で、心霊事実の一切を詐術あつかいに
して、敬遠してしまえば、まことに世話はありません。少なくとも、世間に害毒を流している
悪質な祈とう者、売らんかな式の霊術家、低級愚劣な占師、などの魔手から逃れるだけの効果は
あります。詐術説は、たしかに今の世の存在する意義があると、私も認めます。
他方では、またこの詐術説に一層油をそそぐ職業があります。それは手品です。手品師は、
いわば詐術でめしをくっている人たちですから、この為にずいぶん知恵をしぼり、錬磨に錬磨を
重ね、工夫に工夫を加え、しろうとには、とても手品だと見破れない程、立派に仕上げています。
ふだん、これに接している一般の人々が、心霊事実を一つの手品と考えたがるのは、全く無理の
ないことです。ことに手品師自身は、一種の自衛心理からか、どんな心霊現象に対しても、
まっさきにケチをつけたがるようです。アメリカの大手品師フ−ジ二がそうでした。日本の素人
手品師阿部某もそうでした。彼らは、霊媒を自分の親のかたきとでも思っているらしいのです。
しかし、全部の人間が泥棒でないかもしれないように、全部の心霊現象が皆詐術であるとは
限りません。そこで厳密な調査が必要になるのです。詐術と真正の心霊現象との何よりの相違点は、
前者が常に、用具、場所、人物の配置、などに関して何らかの条件を必要とするのに対し、
後者には、全然それがないことです。このこと一つだけでも、両者を識別するのに十分なのです。
現在では詐術説もよいが、それだけでは、到底心霊事実を解釈することができない、
ということになってしまいました。
詐術の次に有力なのは、いわゆる幻錯覚説です。これは、幽霊などというものは、皆単なる
主観性のもの、いわゆる暗示のうみだしたものに過ぎないとするのです。この説もたしかに、
存在の意義はあります。新聞の三面記事などにある不思議な話の多くも、当人の疑心暗鬼に
基づいた、単なる幻錯覚の産物に過ぎないことでしょう。それらは、できる限りこの説で解決を
つけるべきです。でも、いかに解決しようにも、どうしても解決つかない数多くの心霊事実が後に
残ることも、また否定することもできません。現に長南年恵唯一人に起こった事実に対しても、
この幻錯覚説はほとんど無力です。だから、幻錯覚説は結構だけどそれだけでは甚だ不充分だと
いうことになってしまったのです。
<つづく> NO.1
-
<つづく> NO.2
異常現象の解釈の>>295投稿の続きです
そこで、一部の学者によって提出されたのが、いわゆる精神説です。精神説というのは、
心霊現象その他、一切の事実がことごとく人間にそなわる、ある不思議な能力の所産で
あるという説で、つまり極端な自力説です。あの神秘切や、思想伝達切、潜在意識切だのと
いうのも、皆多少異なりますが、要するにこの流れを汲んだもので、結局人間に備わる不思議な
能力の運用だけで、すべてを解釈してしまおうというのです。
この精神説にも、むろん半面の真理はあります。人間には、その肉体の他に、幽体もあり、
霊体もあり、また本体もあるので、内面に向かって、深くこれを掘りさげてゆけばゆく程、
微妙で不思議な働きを発揮し、時には、とても人間とは思われないようなまねもやりかねません。
が、精神説の無理な点は、強いて外界にむかって眼をつぶってしまおうとすることで、極端に
これを押しすすめると、結局、人間と万能の神とは同格になり、宇宙間に存在すべてのものは、
ことごとく人間の精神力の所産だということになってしまうのです。
精神説は、あの人間の努力を無視する他力一点ばりの迷信を打ち破るためには、
おあつらえ向きの対症薬ではありますが、しかし、余りにこれのみにこだわると、かえって
弊害が多いのです。従って、この精神説のみで一切の心霊事実を解釈しようとすると、非常に
無理がでてきます。この点については、後の章で、機会もみて、もっと詳しく説明します。
詐術説、幻錯覚説、精神説―――これらのいずれもが、到底正しく説明出来ない心霊事実
があった時、たった一つの後に残るのが交霊説です。これは、死者の霊魂やその他超現象世界の
独立的存在物との交渉連絡を認める、一種の他力説です。現代人、中でも学者といわれる人々
の多くは、この説の撲滅に全力をあげていますが、心霊事実の厳正な批判の結果、どうしても
この説を肯定しなければならないのです。これについても、わたしはあらゆる機会をとらえて、
重ねて説明しようとおもいます。
要するに、私たち心霊学徒の態度は、あくまでも、公平無私であり、断じて単なる部分的
真理の主張にかたよってはいけません。主義をうちたてることに興味がない訳でもありませんが、
真理をあきらかにしてゆくことは、更に更にたいせつです。私たちは、詐術説で砕けるものは
詐術説で砕きましょう。幻錯覚説で破れるものは幻錯覚説で破ってしまいましょう。
精神説も使えるだけつかいましょう。それでも、どうあっても間に合わない時に、交霊説を
持ち出すのに、何の遠慮がいりましょうか。
自由な立場の厳守、純真な心境の開拓―――これが心霊学院の、まっさきにこころがけて
進むべき道であります。
第四章 偶発性の諸異常現象のなか・・
(悪夢・幽霊および幽霊屋敷・その他の異常現象・異常現象の解釈)を終わりました・・
<つづく>
次は(■第 五章 叩音および物質化現象)に入って行きます
PS:トキ様 へ
更に!人間は「肉体」の他に「幽体」・「霊体」・更に「本体」もありますから…潜在意識を、
深く掘り下げてゆくほど神通力が出るのです〜〜〜ネ!これは人間は「神の子」ということが、
私なりに、分かりました!!もっと潜在意識を、強く奥深く掘り下げていけば・・・
【無限の力】が、出てくのです〜ネ!私も前以上に「神想観」で深く潜在意識に到達できる訓練を?
心霊…私達「心霊学徒」は、
【真理を明らかにする上では??】ケース・バイ・ケースという事でしょうか? 但し、
「自由な立場の厳守、純真な心境の開拓――」これが心掛けでしょうか?
この書籍を拝読しますと【霊界世界…】が、身近に関します。
しかし!今回の「詐欺説」「幻錯覚説」「精神説」…この分類の説明面白く受け止めましたが、
この事に関しまして、何か御感想があられますでしょうか??
-
トキ様 へ
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こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――客観と主観、 二種類の心霊現象 ―――――――
さて、いよいよ近代心霊現象の講述を試みることになりますが、私はなるべく、歴史的
順序を守り、近代に入って各種各様の現象が、次第に発展していった経路をたどっていこう
と思います。学術的にみれば、その性質によって一切の心霊現象を、客観的と主観的の
二種類に分ける方が、むしろ適当かと思います。しかし、それでは初心の方にとって、
かえって入りにくい点ができるかと思うので、しばらくは前記の方式でいきます。
ただし、読者の方々は、あらかじめ、心霊現象中に主として客観性のものと、主観性のものと、
二つの種類があることを、しっかり心にとめ、覚えておいて下さい。
前者は客観性のものですから、五感の所有者なら誰でも判ります。従って、啓もう運動には
何よりこれが必要です。その代表的なのは、叩音現象、物質化現象、心霊写真現象、
直接談話現象、卓上浮揚現象、物品移動現象などです。
後者は、主として霊媒の主観にのみ起こる現象ですいから、研究者はもっぱら、その内容
や実質の検討によって価値を判断しなければなりません。従って、あまり手っ取り早い仕
事になりませんが、しかし深みのあるものはことごとく、この種のものに見い出されます。
その代表的なのは、霊言現象、霊視現象、自動書記現象などです。
<次回… 投稿続く>
■トキ様へ
「霊の世界」が、よく分かり・・・しかし、ごまかされない事では。。。
やはり「浅野先生」は、すごい〜〜〜ですネ???「明治の人間の探求心」
改めて“意志”の強さに、驚くばかりですが、私の母も“意志”が強いですが・・・?
昭和戦前の方も、更に!明治・大正・昭和の戦前までは?本当に“意志”の強さは〜〜〜
その後でしょうか?段々と“意志”は、弱くなっている様にも、見受けしますが?
今は、一つの「知識」として勉強中なのです。
「浅野和三郎先生の本」ですが〜〜?【霊界が詳しく・・・オモシロイ!】です〜〜〜ネ!!
私も教会で【心霊の物品移動現象を、当時はまだ“耳”が良い時に、体験済み?なのですが><
当時!怖かったのです〜〜〜? 当に「エクソシスト…映画並み」ですモノ〜〜☆】
では次に・・・♫
-
少し関係のない話題を。初心者様の投稿を拝見して、全然関係のない事を感じました。
失礼をお許し下さい。
教区での活動は結構、地味です。基本的には人生相談とかお世話活動が多くなります。
今は景気が悪くて、お金がない人とか、あとは子供が引きこもりだとか、親がガンだとか
失業をした、とか、いわば個人の悩みで活動の大半が終わります。
例えば、子供の引きこもりなどは、今の日本ではカウンセラーも少ないし、いてもお金
がかかります。そういう場面で、宗教団体というものが果たす役割りは決して少なくないと
痛感します。今、夫婦問題が起こって、真面目に話を聞いてくれて、解決に協力してくれる
人は同じ宗教法人の人しかいないと思うのです。
悪名高い創価学会なんか、楠に書いた文字を拝むなんて原始的な信仰だと思うのですが、
何であんなに人気があるかと言うと、いわば人間関係の濃密さが違うみたいです。会員が
引っ越しをすると聞くと、周囲の会員がみんなで手伝いに来る、という話は聞きます。別に
それを肯定する訳ではないのですが、宗教の組織が宗教の信仰とは別の存在になっているの
は痛感します。
その中で中心になる幹部とか講師、職員は、もちろん信仰というものが大事ですが、同時に
人間というものを考えないといけないと感じます。マザーテレサが、「死を待つ人の家」で
亡くなる人に、ヒンズーを信じる人には聖なるガンジスの水を与え、仏教とにはお経の一節を
イスラム教の人にはコーランの一節を読み上げる、という話を聞いた事があります。その
意図はよく理解できます。私自身、お世話活動をしていると、共産党の人も創価学会の人
も出会います。その時、彼らの価値観を尊敬する事も大事だと思っています。ある意味では
とんでもない生長の家の信徒かもしれませんが、私に取って自分の信仰が大事なように、
他人に取っては,その人の信仰や信念は大事なのです。
21世紀を迎えて、これからどういう社会になるか、信仰になるか、分かりません。
ただ、吉本隆明が「親鸞が1000年前に言った事は今でも通用する」と言ったように
社会が変化しても、人間の本質が変化するとは思えません。だとしたら、基本的な悩み
も同じだと思います。
高い高い悟りは必要ですが、同時に、救済というものをどう考えるか。それが、これから
の生長の家を含む宗教のあり方の宿題だと思います。
-
いま、時間ないのですが、わたしもトキさまの意見に共感します!
-
>>319:のトキ様のご意見に、さくらさまも同意されるそうですが、私も 同じ気持ちです。
-
でも、さくらさまが、ご自分の意見を述べられたら、それとは、微妙な づれは、あるかもしれませんけれど。
-
トキ様
じっさいはどうなのでしょう。青年会時代、わたしは組織活動に雅春先生の教えと
は異なる救済理論を導入しようといたしましたが、一部の人の支持を得ることは
できたものの、信仰に理論は必要ないとの理由で、その意義を省みられることも
なく、導入は却下となりました。
不支持を表明なされた上層部の意向等はすべて無視して、支持をいただいた人
たちとともに理論を活動に応用し、当初に想定していた以上の成果をあげることが
できましたが、造反組ができることといえば、このあたりが限界であったといえます。
トキ様のお考えは、わたしがこちらで主張しておりますことと一致しているように
おもえるのですが、それは、こちらでわたしが批判をくり返しております生長の家
の実態とは大きくへだたった考え方でもあります。
トキ様が、「とんでもない生長の家の信徒かもしれない」といっておられますよう
に、雅春先生の教えにもとづかない救済は、「人間知である」としてことごとく否定
されるというのが、わたしが経験的に知り得た生長の家の実態です。
321の投稿で同意を表明しておられるお方の真意が読みかねております。この方は
生長の家の実態をどのように理解しておられるのでしょうか。
わたしはこちらで、雅春先生の教え以外の思想を認めようとはしない「生長の家の
実態」批判を展開しておるつもりです。みなさま方は、生長の家の実態をどのよう
に理解しておられのでありましょうか。
救済に手段は選ばぬ。これが、組織上層部等によってことごとく反対意見を表明さ
れた、わたしの青年会時代の発想であったと考えております。今もわたしは、雅春
先生の教えにはまったくもとづかないと考えられる救済理論を研究しております。
研究の成果がでるかどうか、それもまったく未定です。
-
初心者様
ご丁寧なお返事、深く感謝申し上げます。
初心者様の御経験は青年会時代の事だと拝察しますが、救済についてはそれほど組織が硬直して
拒絶反応を示した経験は自分の場合はなかったです。もちろん青年会は教区ごとに特色が違う組織
ですから、初心者様の所属された教区はかなり統制が厳しい教区だったのかもしれません。私の場合
はかなり裁量を認めたもらった記憶があります。今以上に中央部の締め付けは厳しかったですが、結局
自分が動くのだから、他人様に一々指示される覚えはない、と開き直りました。
救済活動と言っても、それほど大きな内容ではなくて、先ずは、他人の悩みを聞いて上げる事から始め
ました。小さな事から始めるのが大事だと思ったのです。自分のキャリアが増え、経験もできてくると
出来る事が大きくなります。結局は無理をしない事が大事である、と思いました。
生長の家は基本的には宗教法人ですから、人助けをしていて、それで問題になった事は自分の場合は
記憶にありませんでした。確かに、数合わせの運動につきあわされた記憶はありますが、それも説明をし
たら、先輩には納得していただきました。
結局、自分が居直る事が大事かと思っています。別に賞状もいらないし、出世するつもりもない。ただ
地道に自分の納得する事をする。自分と接した人が困っていたなら、お世話活動をさせていただく。
そういう居直りをしております。
そういうつまらない事を考えている次第です。
合掌 ありがとうございます
-
それと、”救済活動”ですが、外部の人達だけでなく、内部の人達にもどんどんしました。
例えば、先輩が困っている事があったら、その人のお手伝いをしました。専門知識があ
ったので、その分野でも出来るだけお手伝いをしました。
そういう事をしていると、部内でも、結構、認知されたのも事実です。
-
トキ様
青年会の上層部では、わたしの考えは受け入れられておりました。ただ
教区の上層部からの「ご意見」を頂戴したという次第です。
-
初心者様
教区の上層部が、どういう理由で初心者様の試みを拒絶したのか、そのあたりが興味がありますね。
だいたい、つまらない理由が多いと思います。そういう狭量な幹部は私の教区にもいました。
ただ、ある程度の年月、組織にいると、存在が認知され、自分の発言権も大きくなりますから、
あとは力関係になると思います。こういう部分は、真理とか信仰というよりも、何か人間関係み
たいです。そういう不合理な経験をした事は組織活動はもちろん、自分の人生経験にもプラスに
なったとは思います。今度、自分が後輩とか部下を持つ時に、どういう態度を取れば良いか、という
反面教師になったと思います。
-
トキ様
理論が理解できた人は賛成して、理解できない人は反対する。こうした構図が
あったようにおもいます。
-
初心者様
そうでしたか。初心者様は頭がよい人ですから、他の人は付いて行けなかったのかもしれませんね。
新しい事をしようと思ったら、自分が先ず実験して、正しい事を示さないといけないと思います。
単位組織とか、あるいは専門部の責任者になったら、それが可能ですから、あとは必死に実践して
みんなを納得させるとか。ただ,あの頃の青年会は今以上に義理と人情の世界でしたから、あんま
り新しい事をしたら、それ自体で拒絶反応を示す人はいました。
一般論として、やはり生長の家は、もっと柔軟性のある組織活動ができるようになれば良いと
思いますね。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 叩音現象 ――――――――――
さて、近代心霊研究の起源は、ふつう一般的に、一八四八年(嘉永元年)ということに
なっていますが、それはこの年の三月に、アメリカのニューヨーク州のハイズヴィルという
小さな村で、例のフォッツクス家の幽霊事件がおこったからです。そしてその時の主要な異
常現象は、不思議な叩音の連発にほかなりませんでした。
当時のフォックス一家は、夫婦のほかに姉のマァガレット(十ニ歳)、妹のケ―と(九
歳)のニ少女(注、一説ではマァガレット十五歳、ケーと十二歳『近代神霊主義百年史』アーネスト・
トンプソン箸、桑原啓善訳、コスモ・テン・パプリケーション刊)がいました。後で判明したこと
ですが、この少女こそ、実は霊媒素質の所有者で、この二人のいる場所に限り、バタバ
タという出所不明の不思議な叩音が、連続的に起こるのでした。だんだんそれが問題とな
り、試みにその叩音を記号にして、イエス、ノ−ノ質問を重ね、まだそれを使ってA B C
をつづらせてみると、何と、右の叩音の発信人は一人の死者の霊媒であることがわかった
のでした。そして彼は、頭文字がC ・Rという人で、五年前、金を奪う目的で、この家で 殺
されその音は地下室の一部に埋められている、というようなことを通信したのでした。
問題のきっかけは、本当にちょっとしたところにあるもので、この事件以来、心霊熱
はアメリカ全土はもとより、海をこえてイギリスにも波及し、大小種々の異常能力者が、
つぎつぎにいたるところに発生し、ここに近代心霊運動が、猛然として世界をゆり動かす
至ったのです。それはちょうど、アメリカの一小艦隊がペリーに率いられて、浦賀に現
れたのによく似ています。超物質界との交流と、海外諸国との通商とでは、だいぶ問題の
性質が違いますが、それが人類の生活史上の一つの大きな導火線となったことだけは共通
しています。
ところで右の叩音ですが、これは物理的心霊現象中、きわめて普通なもので、しばしば
たの現象の付録として起こります。その音は、二本の指をはじく程度の小さな音から。大
きな金づちで床をたたく程度、あるいはそれ以上にまで達し、すでにレコードにも録音さ
れています。その最大の特色は、それが通例、無意味な音ではなく、こちらの質問に応じ
た返事として、使われることです。叩音発生の実例は無数にあります。日本でも、寺社や
教会のような場所で、よく起こるようです。亀井霊媒の実験会では、いつもこの叩音がつ
きもので、しばしばそれが通信に利用されます。
次回は(物質化現象)へと…
<つづく>
PS:トキ様
私も“叩音”は、高校時代にて、はやりましたでしょうか??
ご存じでしょうか「コックリさん」ですが…?あれも、似たようなモノです〜〜ネ!
言葉を、紙面上に書きまして、一円玉の上に指を置き、思念しますと、そのまま勝手に移動します。
…が?本当なのでしょうか?手品なの?一応は応えてくれますが、私は、見る方でした。
ただ「物品移動」および「叩音」は、体験があります。当時教会の中に、
事務所を設けていましたから、この時の“お話”かと、今!変に当時の現象を、納得しています。
(後日、記してみますが〜〜〜?)「トキ様」は、体験談があられますでしょうか???
≪宇治錬成道場ではキツネ騒動?≫が多いようでしたが〜〜〜???
(実は、以前の事なのですが!講師の方から「キツネのお話」を聞きましたが…?)
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 物質化現象 ――――――――――
物質化現象とは、つまり幽霊現象のことです。これは、物理的心霊現象中の圧巻きで、
しかもその発生は大変古く、それが現在にまで及んでいます。ただ、ひとくちに物質化と
いっても、その濃度、性質はいろいろ分かれてます。
(一) 気体化―― これはいかにも幽霊らしい幽霊で、かろうじて肉眼にその形態が
見える程度。
(二) 部分的物質化――これは手首とか、頭部とか、つまり身体の一部だけが物質化
するもの。ただし、物質化した部分は、相当に濃厚で、単に肉眼で見えるばかりで
なく、立派に握手したり、物体を持ちあげたりする。
(三) 全物質化――これになると、ちっとも幽霊らしくなく、ほとんど人間そっくりの
行動をとる。握手もすれば、だきしめたり、キスさえする。
◆ ◆ ケーティ・キング ◆ ◆
全物質化現象の代表として、まず最初に、イギリスのフロレンス・タック嬢をあげねば
ならないでしょう。クック嬢自身が、まれにみる大霊媒であったばかりでなく、彼女を
通じて出現する幽霊は、ケーティ・キングと称する絶世の美女だったのです。おまけに、
これを徹底的に研究しつくしたのが、近代物理学界の権威ウイリアム・クルックス卿です。
これほど三拍子そろった事件は、そうめったに起こるものではありません。まさに近代心
霊学会の偉観といえましょう。
クック嬢が、はじめてこの異常脳力を発揮したのは、一八七ニ年(明治5年)で、当時
彼女は十五歳の少女でした。以来その現象は回を重ねることに、次第に完成の域進み、
ついに一八七四に至り、いよいよクルックス卿の研究材料として役立つこととなったの
です。クルックス卿の実態は、細心の注意が行き届いており、非難される一分のすきもあ
りませんでした。その実態記録から要点を列記してみます。
(一) クルックス卿は自分の書斎を実験室にし、霊媒は何一つ道具を持参してこなかった。
(二) 霊媒は一週間もクルックス家に滞在し、その間いつもその家族と雑談し、ぜったい
詐術を施す余裕を与えられなかった。
(三) 霊媒のクック嬢と、幽霊のケーティングとが電灯の中に並んでいる所をしばしば目撃し
たばかりでなく、これを何枚もの写真に収めた。二人はたしかに別個の独立的存在物
であった。
(四) ケーティの脈拍は七十五で、強くうっているのに、クック嬢の脈拍は九十で、はる
かに微弱であった。
(五) クック嬢の頭髪は、真っ黒で、絹糸のように柔らかく、ケーティのは荒くて、黄金
色であった。
(六) クック嬢は美人ではなく、ごく普通の顔立ちだが、、ケーティは絶世の美人であった。
(七) ケーティの姿は赤灯下ではきちんと形態をたもっているが、白灯をつけるとみるみる
うちに溶解しはじめ、ちょうど、熱でろう人形が溶けるのに似ていた。この実験は、
たびたび行われた。
<つづく> No.1
-
<つづく> NO.2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>331投稿の続きです
(八) 霊媒のクック嬢の体重は普通の状態では、約八ストーンであったが、ケーティの物
質化が完成した時測ってみると、わずかにその半分の四ストーンしかなかった。
ところで、このケーティ・キングと称する幽霊は、一体何者でしょうか?幽霊自身の
告白するところによれば、地上生活時代は、アンニイ・オウエンス・モルガンといい、
ある海賊の妻であったといいます。その真偽は不明ですが、彼女は、その後しばしば
各地の霊媒を通じて出現し、最近には一九三十年(昭和五年)十一月十二日、カナダの
ウインニぺック市での心霊実験会に現れ、その美ぼうを写真に残しています。
ふっくりと丸味のついた両ほほとあご、すんなりとした鼻、かわいい口元、つぶらなひとみ、
それらがほどよく調和した顔立ちの気品の高い美しさは、現実にも芸術作品の中にも
なかなか見い出せません。が、これが六十年前に、クルックス卿によって撮影された
ケーティと、同一存在であるかどうかは、両方の写真を比較してみても明確にはわかりません。
もちろん、そこにはある程度の類似点はあります。どちらの顔も面長であること、
どちらの眼も大きいこと、どちらの下あごも、やや張り気味であること、などが争われない点です。が、どういうものか、今度ケーティの方が、はるかに若々しいのです。で、当時の写真よりも、
むしろ当時のクルックス卿の文筆の描写の方が、かえって有力な手がかりになります。
「写真でも彼女の目鼻だちはわかる。が、彼女の顔色の光りかがやく純潔さ、また彼女の
容ぼうに現れる絶え間ない変化……たとえば、遠い過去のつらい経験を語りだす時の、
うれいにみちた面もち、身近に私の子供たちを集めて、インドでの冒険談にふける時の
無邪気な微笑、これらは、とても写真にはうつしだせないものであった。」
また、同現象の実験者の一人であった、女流作家のマリアット女史も次のように描いてます。
「私は眼を転じて、自分の抱えているケーティの顔を見て驚きました。それは、
すてきな美人――つぶらな、灰色がかった緑の眼、まっしろな肌、長い黄金の髪、
まるで太陽のように美しい……。」こういう描写は、往年のケーティの写真よりも、むしろ
今度のケーティの写真に、そっくりあてはまるようです。
次回は (エステルとフランクリン)進みます。
<つづく>
PS:トキ様…へ
「幽霊現象」も、色々あるのです〜〜〜ネ!…「ケーティ・キング」の写真を見ました。
本当に可愛くて綺麗な方でした。今風でも、充分通る“美人タイプの女性”なのです。
…が、肉眼でみても分らない位、物質化出来るんです〜〜〜ネ!
…私も小学校三年頃「幽霊」を、見た感じですが?これもまた、後日に記しますが、
「トキ様」も、この様な「ケーティ・キングの幽霊」を信じますか??
更に「霊媒」も、正しい神に向けた考え方で行きますと、当然のことですが【霊界通信】も、
道徳性を重んじるようになるモノと思えます。今回考えながら…「生長の家」での事で、
「谷口雅春先生」も、霊界の世界から、此処現象(現実)世界に出てこないかしら〜〜〜ン!
との思いが、切実に思えてなりません。…が?更に!今回「フエスブックに写真投稿」を、
してみようかなと思いますが…?時間の調整で、おおよそ先になりそうですが…
その時に見て頂ければ幸いです。本当に“ビックリ…美人”です〜〜〜ョネ!
見ても【妖精…】にも見えてしまうぐらい“素敵な女性”…幽霊も“心”なんです〜〜ネ!
-
美人の幽霊なら歓迎! でも、美人の幽霊に入れ込まれて
自分も霊界に行った人はいますから、考えものですねえ。
まあ、信じますが、でも、深入りは恐いです。
-
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>333拝読させて頂きまして…
■ 美 人 の 幽 霊
美人って〜〜♫〜〜見ないと?分らないのでは?
でも本当に“素敵な〜〜〜女性”なのです〜〜〜ョネ!
しかも、脈拍を測って!その光景の“写真…ワンショット” ウフフ
確か?日本では「怪談…版」と言いますでしょうか?…怖〜〜〜いですモノ〜〜〜ネ!
(再合掌)
:
-
黒澤明の映画に「生きる」というのがあります。平凡な公務員が、自分がガンである事を知り、人生の意義を考え、
公園を作るという作品です。
私の学校時代の先生も、ガンになりましたが、それで自分の人生の意味を知り、残る人生を充実して生きておられました。
その先生に言わせれば、ガンになろうが、なるまいが、人生の意味や意義を考える必要があるのだが、残る人生の
時間が限られて、初めて人は人生の意義を考えると言います。
ただ、何を遺すかが問題ですね。
亡くなった後に、後々まで慕われるか、すぐに忘れ去られるか。
とても大事な問題だと思います。
-
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
「トキ」様…?>>335拝読させて頂きまして
私が20歳の頃でしょうかしら〜〜〜ン??まだ「聴力」も、いい頃でしたが…><
知り合いの母親なのですが?“ガンが発見”されてから、精神面が『ネガティブ感情』が強くなり
更に!病気の進行が進み、当時の医学では、治る事自体が、難しいと医者からも見放されていました。
それでも、友人の母親は、がんに挑んで【夢…】でありました「アクセサリ−ショップ」を、
オ−プンしまして、一番の【夢…】でしたのでしょう〜〜〜ネ!
お店を、オ−プンしまして、その後、精一杯【今!生きぬく事!】に全力を注がれました〜〜のです。
あるお客様の御主人は、当時同じように医者からも見放されまして、その時の「お客様」の
取りました行動は〜〜〜【食事療法…】なのです…。当時はまだ若い私で?そうです〜〜〜ネ!
永遠に“6時間”位でしょうか?【食事療法…】を話て下さいましたが〜〜〜その後!
7年ぐらいでしたか?延命となり、その「お客様」の言葉は、あの時が一番楽しかった?
「思い出」かしら〜〜〜ンと、その様な事を、話して下さった記憶があります…。
きっと「お客様」も【今!その瞬間を生き抜く】その事に意識集中でしょうか?
“死”は私にとっても、いずれ必ず迎えるべきけれどしょうが、私に出来る事とは?
【今を活かす事】でしょうか?それは、当然【自分も活かすし更に、他人もを活かす事】にも、
つながります〜〜〜ョネ!
私は、星に願いを込めて、今でも「☆の王子様」を思っていますが?
これは【相手を思う事も…永遠性】の様にも思えますし、もし「☆の王子様」と?西海にて?
これも「雅春先生」ではありませんが〜〜ウフフ
【ノアの箱舟?】に一緒に乗れます事を〜〜〜ルンルン〜〜〜「イメ−ジ」中なのです…。
昨日!私も色々?考え込んでしましましたかと〜〜〜【霊界世界…】
今日は「ネガティブ的なトキ様〜〜」ですかしら〜〜ン?変ですョ〜〜〜ネ!
こういう時は、楽しく?楽?な気分(リラックス)が〜〜〜いいのでは?
でも“ネガティブな感情の”根”は?はびこらせないで〜〜〜♫〜〜〜(微笑)
【ポジティブ感??】如何でしょうか〜〜〜
その方が【霊界世界】も…素敵な部屋へ…行くのでは?ないのでしょうか???
■「生長の家」…“病 な し”ではないでしょうか???
再合掌
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 物質化現象 ――――――――――
◆ ◆ エステルとフランクリン ◆ ◆
このケ−ティ・キングの物質化現象ほど、心霊学術で盛んに言いはやされはしませんで
したが、しかし、その実質において、全くそん色のないのが他に一つあります。それは、
エステル・リヴァモ―アと称する女性の物質化で、これに使われた霊媒は、あのフォっク
ス事件のケ−と・フォックスでした。年代からいえば、この方法がだいぶ古く、一八六一年
(文久元年)から足かけ五年にわたり、実験回数は何と三百八十八回にもなりました。
実験の動機は、ニュ−ヨ−ク市の有名な銀行家チャ−ルズ・F・リヴァモ−ア氏が、愛
妻エステルを亡くしたことに始まります。最初はただ、叩音などによって亡妻と不完全な
通信を行うだけでしたが、一八六一年四月十五日の実験をきっかけとして、それまで例を
みない物質化現象が連続的に起こりました。次にその要領を抄録します。
(一) 幽霊の容ぼう、態度、服装などは、生前のエステルそっくりで、室内を自由に歩き
まわったが、ただほとんど一度も言葉を発しなかった。通信はいつも、物質化した
手に鉛筆を握り、すらすらと書いた。
(二) 通信の文句は、しばしば彼女が生前得意としたフランス語でつづられた。
霊媒のケ−トは全然フランス語をしらなかった。
(三) 暗い室内には、大小さまざまの光球が自然に出現するので、幽霊の姿をはじめ、
室内の器物もよく認められた。ある場合には、幽霊の姿が鏡に映った。
(四) 幽霊は人間味たっぷりで、腕を夫の首に巻きつけたり、キスをしたりした。そうし
た際には、彼女のふさふさした前髪が、夫の顔や胸に垂れかかった。
(五) 実験中は、大小さまざまの叩音が起こり、しばしば通信用にもしようされた。
(六) この現象の背後にはたくさんの擁護団があり、その中の主要人物は、ペンジャミ
・フランクリンと名告るもので、しばしば完全に物質化した姿を現した。その姿は、
今日残っているフランクリンの容ぼう風さいとまったく違いがなかった。
<つづく> No.1
-
<つづく> No.2
>>337続き投稿です…。
(七) これらの実験中、霊媒はいつも通常意識のままで残り、立会人たちと共に、現象を
見物していた。
何しろ堅実な常識家が、念入りにやった実験だけあって、これに対する用意は周倒を
きわめ、記録はあくまでもまじめに撤しています。しかし、フランクリンと亡妻とが同時に
現れた時には、さすがに、よほど感激したらしい様子がみえます。「光球はまもとにフラ
ンクリン博士の顔を照らし出しましたが、それが本人に間違いないことは、まったく疑い
の余地がありませんでした。私はかれの肖像の原画をよく知っているので、どこで見ても、
これがフランクリンであるとすぐわかったにちがいありません。しかし、特にはっきりわ
かる点は、彼の人格がよく現れていることで、こればかりはどんな肖像画にも描き現せそ
うもないのです。彼は白の首飾りと、古風なかば色の上衣をつけていて、その頭部は非常
に大きく、耳のうしろに白髪が残っていました。満面に慈愛と知能と気品とがあふれてい
ました。妻の顔は見れば、これはまた天使のような美しさにかがやき、おちつきと幸福
とにみちた気高さの結晶でした。フランクリンの顔は、まさに知性と円満さの極致とでも
言いましょうか、いかにも威厳に満ち、長者らしい親切さがそなわり、誰もが信頼を感じ、
愛着を感じないわけにはいかないところがありました。彼はくり返し十二、三度も現れ、
一、 二度は、まともに私と視線を合わせました。亡妻は、三度ほど現れましたが、いつも
白衣を着て、花に包まれていました。」
次回は【その他の実例】に入って行きます。
再合掌
<つづく>
PS・トキ様 へ
『霊界編』の事を、拝読して行きますと
…そうです〜〜〜ョネ!「霊媒師も〜〜ピン・キリ」が、ある様ですネ??
今回“本を読んで行く内に【正しい認識】を得まして、それを身につけます方が良いと、
思えるようになりました。
それに関して、振り回される事も、最少限は“キ−プ”出るのではと思いますが??
此処で…私の「体験談…初めての幽霊さん」
幽霊さんとは、忘れもしませんが、当時「小学校3・4年頃」でしょうか〜〜〜?
お盆の頃のことです。父方の親せきの墓参りに行きまして、その場所は遠方ですから、
車でその場所に到着しましたのが、夜中の4時頃との記憶がありました。。。
両親が「お墓掃除」に…残された私・姉・妹3人姉妹は、車中です…。
両親が、戻って来るまで、妹はぐっすり眠っています。私と姉は、起きていまして、
周囲の光景を見ながら〜〜♫ その姉は、丁度中3でしたでしょうか?
私は、外の光景を見ながら、両親が戻ってきますのを、ひたすら待っていました。
霊園入口(駐車場)ですので、傍に“花屋”がありまして…
電気が光光とついていたのです?いつの間にか?今になって、よく考えますと〜〜
その電気が“提灯”に代わり〜〜〜><
姉は、一人で騒ぎだしましたのです〜〜〜ョネ!その時なのですが〜〜〜?
遠くから二人連れの男女が、提灯を下げて来ます。そして、車の私達に近づきまして、
「??家(私の姓の墓)が?何処にありますか?」聞きますので、私は窓を開けて向側に、
あります〜〜〜ョ!真直ぐ行かれて下さい。今!両親が行きましたので〜ちょっと前
ですから間に合うはずですので〜〜〜」と言いますと、姉も、更に付け加えて道を、
詳しく教えてあげまして…そうしますと、「この幽霊さん」は、きちんとお辞儀をされ…
「いつも、毎年有り難うございます…」と、言って向こうに行きましたのです。…が?
両親が、車に戻ってきたのが、朝方5時過ぎの記憶があります…。
それからの姉は、その後!父との車でのドライブは、全く行かなくなりましたが?
この「記憶」がありますのです〜〜〜ョネ!ですから……「幽霊さん」は、
やはり「白の衣装」なんですかしら〜〜〜ンネ??
更に、日本の場合は“提灯”は必ずと、付き物なのでしょうか??時代の背景かしら〜ン?
【幽霊…との初めての出会い…】でしょうか?それから【頭に??なのです〜〜ョネ?】
余談ですが…その後、姉の「墓参りの時間」は、日中もしくは夕方なのです〜〜今でも!
トキ様は、体験がおありでしょうか??
-
>>335
トキ様
実際に取引先の方でガンになった方のお話しをさせて頂きます
今のところ再発はないのですが
その方は
仕事はそこそこでいいから、家族を大切にしないと言われてました
1度ガンになると、色んな意味で人生の意義を考える様になるのだと思います!
-
『今こそ自然から学ぼう』のP196の終りから3行目に
肉体の健康維新にたんぱく質が有用だというだけで、肉食にふけってはならないと
書いてあるが、
これを平たく言えば、
健康の為には肉食はイイ!
って、言ってます!
反対論者である雅宣総裁が述べているだけで、何人も疑わざるなり
因みにアルゼンチンでは、離乳食でヒレ肉を与えるそうです
↓
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k.kashimura/72-rabeizakkan-003.htm&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3+%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB&guid=on
ウナギの値段がウナギ上りなので、
スタミナつけるのは、胃にも財布にもやさしい
焼肉なんて如何ですか?
-
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>340の投稿を拝読っせて頂きまして…
そうです〜〜〜ョネ!「もうすぐ…土用うなぎ」スタミナとしましては良いですモノ!
確かに…高騰気味?でしょうかしら〜〜ン!
人それぞれの捉え方でしょうか?
■■「生長の家」は、以前より環境問題も含めまして『肉食…』に関しましては
■『谷口雅春先生』の時代からさか登りますのです〜〜〜ョ!■
「生長の家…信者」でしたら、この事はお存じではなかったかしら〜〜〜ン!
此処で「谷口雅春先生」の著書の中から一部抜粋投稿…させて頂きます。
実に“オモシロイ文章”なのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■人間はその食べる食物に似てくる
「類をもって集まる」ということは、その生物の住んでいる周囲に自然に生産する
食物を適食とするという類似のほかに、人間はその食べる食物によって、その容貌が変化してくると
いうことであります。肉食をすると肉食動物に似た容貌に、だんだんなってくるということであります。肉食を汚れたる食物として、主として植物食たべていた時代の日本人の容貌は、
たとえば浮世絵の描かれた元禄時代の美人のように、細おもての面長の容貌をしていたのであります。
ところが明治開国以来、外国的な食習慣が輸入されることになりまして、肉食が珍重せられるように
なり、さらにそれが日常の食物となってくるにつれまして、日本人の容貌は、
近代型のマルポチャ美人が多くなってきたのであります。これはその本人の発育期における食物も
関係いたしますけれども、両親の食物も胎児にある遺伝子的影響を与えるものであり、代をかさねて
肉食すればするほど人間の容貌は丸顔になりやすいのであります。
大体、丸顔というのは、上下の顎骨(あごほね)の蝶番(ちょうつがい)の支点から、食物を
噛みくだく重点(噛みくだくための重味のかかるところ)となる歯までの距離が短ければ短いほど、
重点に加わる力が強くなるのでありまして、肉を咬み切ったり、骨をかみ砕いたりする必要がある
肉食動物においては、噛み砕く重点の力の入りやすいように、虎やライオンのごとく顎の前方に
つき出る寸法を短くしてあげるのでります。
ところが、草食または穀物動物においては、肉をかみ切ったり、骨を咬みくだいたりする必要はなく
柔らかい野菜を咬み切ったり、穀物を咬みくだければよいのですから、割合、歯にかかる力は
軽くてすむものでありますから、歯と蝶番(ちょうつがい)との距離は長く伸びすぎても
さしつかえがないので、自然にその顔が長くなるのであります。
したがって、牛や馬や羊のような草食動物は面長な容貌をしているのであります。そして
そのような草食動物の性格は温和であって非戦闘的なのであります。人間でも植物食を主として
摂る者はその性格が温和であります。もっとも植物食を摂る人間でも動物でも喧嘩や戦争を
しないことはりません。
しかし、喧嘩や戦争にまで駆り立てられるほど興奮状態になることは、よほど忍耐をしてから
はじまるのが、植物食をする動物の常態であって、いったん戦闘を始めると、その持久力は
植物食の動物の方が持久力が強いのであり、アメリカのランニング選手でも、いよいよ競争の日が
近づくと摂生をして、あまり肉食をしないのだと言われています。
ともかく肉食獣は一時的に猛烈な力をだすのではありますが、普段はなまけていて、他のものを
突然襲って奪おうとかしますが、草食動物は、満遍なく平均に力を出してよく働き、なまける
ことが少ないのであります。人間も食物の種類によって、多少これに類似の性格を帯びるに
至るのであります。 (一部抜粋投稿)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■この先生著の中より、抜粋させて頂きましたが…この事は“当たっているかと”思います。
そうです〜〜〜ョネ“人工的な加工をしなくても、先生の分析は当に!納得するモノがあります。
ですから“草食動物的??”になれば、良いのでしょうか?
■最終的には…【顔 も 心 で 形 成】でしょうか?
再合掌
PS:トキ様 ヘ
「雅春先生の分析」どの様にお感じになられましたでしょうか?スゴ〜〜イです〜〜ョネ!
私は、“ビックリ”しました次第です。〜♫
-
>>341
SAKURA様
政春先生は、現代日本人が、アゴが小さくなっている事に全く触れられてません!
本来、親不知は成人には、当然必要な歯ですが、自分の親不知は、歯茎の中で横になって、出て来てないですし、多くの人は抜くでしょう!
白米やハンバーグを始め、今は食べ物がかなり軟らかいのです!
玄米は、硬く何度も噛み砕いて食べなければなりません!
縄文時代では、ドングリ食べていたので、もっと噛む事が大切でした
野生の肉食獣は、確かに、多少の骨も砕く程のアゴが必要ですが、
その論理はそのまま当てはまらないと思います!
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>338
投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 物質化現象 】――――――――――
◆ ◆ その他の実例 ◆ ◆
全物質化のすぐれた霊媒は、他にたくさんいて、一々ここにあげられません。海軍中
将ウスボルン・ム−アという人は、熱心な心霊研究者で、いかにも軍人らしく、細大もら
さず記録していますが、彼が最も力を入れて実験したのは、アメリカのトレ−ド市の霊媒
T・B・ジョンソンでした。中将の父、母、親せきのアイオラと称する少女、妹のカサリイ
ンをはじめ、総計数十人にのぼる幽霊が現れ、中将は、彼らと肩を並べて室内を歩き、亡
妹の幽霊とは、キスまでしました。「私たちは抱き合って、くちびるにキスをしました。
彼女のくちびるはあたたかくて湿り気をおびていました。」と中将は書いています。
十九世紀の末から二十世紀の初頭にかけては、物質化、その他の霊媒としてデスペラン
ス夫人が、大変有名です。夫人の場合は、その支配霊であるヨランドというアラビアの少
女が、完全に物質化して出現し、しばしば夫人と並んで写真に撮られました。イギリスの
ジョ−ジ・スプリッグスが、またなかなか有力な霊媒でした。彼を通じて起る現象は、
自動書記、直接談話、直接書記、物品移動、さまざまでしたが、中でも彼を通じて現れる
幽霊が非常に光に強く、移動することで有名でした。日中でも幽霊は平気で現れ、階段
を上下げしたり、各室を訪ねたりしました。夕方であれば、遺族と手を組んで庭を散歩した
こともあったそうです。イタリアのユ−サピア、フランスのエヴァ・C、ポ−ランドのク
ルスキイなどは学界一流の名士の実験資料となり、大変に有名でした。
現在では、物質化現象にかけては、サンフラシスコのジェ−ムス・ディクソンという
牧師が特に優秀であるらしく、出現する幽霊は、毎回三、四十人から五十人に達すると
のことです。コナン・ドイルだの、ステッドだのの幽霊もここで現れ、一、二分間立会人
たちと話をしたといいます。またイギリスのダンカン夫人が、いろいろ物議はあるものの、
やはりすぐれた物質化現象の名霊媒といえるようです。(つづく)
【 物質化現象 】“次はパラフイン手型と指紋 ”に入って行きます。
■ちょっと此処で“ブレイク”気分を変えたい時〜♫〜やはり「ティータイム」でしょうか?
どんな飲み物でも、美味しくいただこうとしましたら?気をつけなくてはいけないのは〜♫
トキ様・観覧者の皆様……何だと思いますかしら〜〜〜ン?
お湯の温度…ですが〜♫〜あわてて入れたり?忙しいから、早く入れようと?
“熱いお湯”で、入れますと…><たちまち“渋く”なってしまいます〜〜〜ョネ!
そうです〰〜〜ョネ!【ひと呼吸!】おけばいいのに、ついついと、それが出来ないで〜♫〜
入れてしまう時も…?唯!いい加減な判断で、全ての処理をする事は、出来ないモノと改めて、
今日は思いました。
【霊界世界】でも…今の「現象世界」に住んでいます私達は、あわてずに!ゆっくり!
そうなのです〜〜ョネ!丁度「良い温度」で、お湯を入れて、初めて“オイシイお茶”が飲める。
この様に、人生もおおらかに行こうと思います。今日「よい種」を蒔きましたら、
きっと〜〜いつかは“芽=眼”が、出て来るように、あわてずにその「お茶の温度」で、
素敵な香りの「ティ―・タイム」となりますでしょうか?
■せっかく「人間…」に、生まれたのだから【人生は楽しく〜♫・ボディティブに〜♫】でしょう!…と、「亡き母」が、耳元で囁いてくれるような予感がしますモノ!いつの間にか〜♫
「亡き母」を、思い出してしまいました…。今年は「初盆…」ですもの。
PS:
「トキ様」も、他方面に色々負担が多いと思いますが、気分を変えたい時はどうされますか??
素敵な「ティー・タイム」ホット一息〜〜♫〜〜如何でしょうか?
海が〜〜ジャブジャブではなくス〜〜イス〜〜イスイスイと地下鉄に乗って帰りま〜〜す!
-
>>342:Kジロウ様
〜家政婦は、みた!じゃないけれど、縄文人の歯を、手に取って みた!〜
>>縄文時代では、ドングリを食べていたので、もっと噛む事が大切でした。<<
これは、本当の事です。
実は、私は、横浜のある地区の、小高い丘のてっぺんに住んでいますが、、最近になって、私宅が建っているこの地は、
ピンポイントで、古墳だったことを知りました。5世紀の中頃(今から、1500年前)に縄文人〜弥生人が、集落を作って住んでいた古墳跡だったことが。
(ここの古墳は、昭和11年に調査済で、出土品から、高貴な方、2体の入った棺から、慶応大学の考古学教授達が、回収し、
出土品は、1700もあり、重文指定になって、ある場所に、納められているということも、調べて知りました.
その後、整地して、土地を売ったのだそうです。)
それで、話が、後になりましたが、
大部まえのこと、うちに隣接した土地の斜面を、整備のために、深く掘り下げたときがあったのです、すると、「縄文人」のシャレコウベが、いくつも出て来たのです。で、私は、
「縄文人の歯」を手に取って、しっかり、この目で見ましたよ。その歯は、現代人の歯とは、別物に見えました。兎に角、根の部分の長い事といったら、そして、歯の象牙質っていうのかしら、
それはそれは、見た事がないほどの、ものすごく、丈夫そうな強そうな歯だったのです。
これだったら、どんなに堅い物でも、噛み砕けるだろうなと、そのとき痛感したことを覚えています。
古墳は、位の高い人を葬るためのお墓ですから、位の高い人が、納められた2つの棺が、ここの地から発掘されたことは、不思議なことでは、ありません。
なんと、当時の学術調査の結果、わかったことは、ここの長は、20代の麗しき女性だった。一対の男女が、出たのだそうですが、女性が、長だったというのはね。わからないものです。
うちの直ぐ,横にある土地には、たくさんの横穴住宅跡地もあったそうです。(集落跡地。今は、埋め立ててある)
こういう古墳跡は、横浜だけでも、90もあるそうです、でも、2、3は残して、後は整地して、道路か宅地にして、売ってしまっているそうです。
日本全国では、4700も、古墳跡は、あるそうですから、我々は、どこかで血筋が、繋がっているのかもしれないなぁなどと、縄文人の歯も印象的でしたが、ふと、ロマンを感じている今日このごろです。
-
肉食については、
最近、テレビを観て知って、面白いなと思ったことが、あるのです。
きんさん ぎんさん(きんは100歳、ぎんも100歳で有名だった)のうちの、ぎんさんには、
4人の娘がいるのですが、4人とも、90過ぎてて、100歳に近いお年のかたもおられるのですが、
その4人とも揃って、「肉が、大好物だというのです」そして、全員、元気なのです。
あと、日本に90歳のピアニストもいて、まめにビフテキを、元気の元だと言って,食べている人もいるのでした。
私の場合は、たま〜に、肉を食べる程度で、あとは、魚と大豆食品と野菜他を食べていますが、
老齢になってでも、肉ばかり食べてても、元気な人は、元気なんですよ。
-
>>344
志恩様
>〜家政婦は、みた!じゃないけれど、縄文人の歯を、手に取って みた!〜<
ウケタ(笑)(^O^)
個人的な歴史観としては、
元々、縄文人(アイヌ人)が日本の原始人として、まずいて
そこに長江(揚子江)あたりから、移住してきた民族(天照大神の一族)が九州に上陸して、徐々に東に勢力を延ばしていった!
勿論、その過程で『戦』はあったと思います!
最初の一大勢力は
出雲を中心にしたスサノオウノミコトの一族
ここで、重要な事は、領土は抑えたが、その一族を取り潰さずにいた事!
『兄弟なり』と宣言したと思います!
本当の兄弟ではなく、『舎弟』という言葉がピンとくると思います!
これは、白人がアメリカンインデアンを迫害して、西海岸までいった事とは異なる歴史だと思います
近畿まで制圧して、大和朝廷をつくり
東北迄勢力を延ばしたのは、鎌倉時代になってからの事です!
時代もありますが、かなり、ゆっくりと国作りが進んだ事です!
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>>345
志恩様
肉食にフォローのコメントありがとう御座いますm(_ _)m
無理に
『食べろ』
又は『食べれるな』という事が
ストレスを生み出すので、
極端な偏食でなければ、好きなモノを食べたらイイのです!
バイキング形式や惣菜の自由取りで、適当に選んでも、多くの人はバランスが極端に悪くは、ならないって話です!
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 物質化現象 】――――――――――
◆ ◆ パラフイン手型と指紋 ◆ ◆
しかし、近年になって、全身の物質化現象は、次第にその数が減りましたが、部分的な
物質化によって、より精緻な学術研究が行われるようになってきました。物質化した手の
学術研究として代表的なのは、やはり幽霊のパラフイン手型と指紋作業であろうと思い
ます。パラフイン手型というのは、パラフイン溶液中に、幽霊の物質化した手首をつっ込
み、パラフインがやがて薄い膜を作るのを待ち、幽霊はその手首を崩壊させるのです。そ
うすると、後にパラフインの型が残ります。人間の手首は崩壊しませんが、幽霊の手首は
すぐ崩壊するので、こんなことができるのです。これは、物質化現象が幻錯覚によるもの
でないことを証明するのに、何よりも有力な証明法の一つです。この最も早かったのは、
一八七六年、イギリスの名霊媒エグリントンによって作製されたものです。近くは一九二
○年から二二年にかけて、フランスの学者ジェレ−博士とリシェ博士がポーランドの霊媒
クルスキイによって作製したのが最も有名で、単に手首だけでなく、足だの顔だのまでで
きています。左右の両手を交差して作った手型などは、到底人間わざでは出来ないことを、
一層有力に物語っています。もっともパラフイン膜は薄くて、ひしゃげやすいので、一般
にその中に石膏粉をつめて、固めて保存用にします。
次に、幽霊の指紋は、ボストンの医師クランドン博士の夫人マァジャリイによって作製
され、世界の心霊学界の大問題となりました。マァジャリイの背後で、大活動している
支配霊は、その亡兄のウォルタアと名告るもので、彼は二十数年前、汽車の衝突事故のた
めに、カナダで死にました。彼はその当時、わずかに十七歳の青年でしたが、もともと科
学の方向に興味をもっていたためにか、妹を霊媒として心霊現象の作製をする際にも、もっ
ぱら正確な実証をすることに全力をあげました。その結果、いろいろ有益な物理的現象の
出現となり、その中でも彼自身の指紋の作製が学界の注目を集めました。これは、手首だ
けの物質化を行い、歯科医の使う蝋に、そのおやゆびを押し、指紋を残すというもので、
最初にそれが試みられたのは、一九二六年の八月でした。
(つづく) NO・1
-
(つづく) NO・2
ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す
>>348投稿の続きです。…
現在までに作製された指紋は、
もうよほどの数になるでしょう。私は、昭和三年十一月、ロンドンから帰途クランドン
邸の客となり、その際指紋三個をとりました。以下、当時の記録の一部です。――
十八日午後九時から指紋の実験が始まり、約十五分まで終わった。立会人は、私のほか
にブラウン博士ただ一人であった。わたしは番号をしるした蝋のかたまり三個をポケットに
入れ、テーブルの上には蝋をやわらげるための熱湯と、後で蝋を固めるための冷水を準
備し、二個のボールを置いた。赤灯下で、夫人が入神状態に陥ると同時に、ウオルタア
の声が空中に起こり、実際に関する注意を私に与えた。私は言われたとおり、ポケット
から蝋のかたまり一個を出して熱湯のボールに入れた。一分間程で、その蝋が軟化する
のをみはからって、ウオルタア自身が、その物質化した指先でこれを湯の中からテーブ
に引きあげ、ギューッとおやゆびを押しつけた。これが済むと、ウオルタアはまたも
自分の指を使って蝋のかたまりを冷水のボールに入れた。やがて彼は、「もうだいたい
固まったようだ」と独り言をいいながら、自分で蝋をとりだして私に渡した。それらの
状況は、赤灯の光で、はっきり見えた。物質化した指は白かった。こうして同じ作業
を三回くり返したが、最後の時には湯が少し冷めてしまったので、ろうの軟化が充分で
なかった。「こいつは少々固いから、二つ押しておく。」そう言って彼はグイグイと力を
こめて二度ほどおやゆびを押しつけた。すべてがきわめて事務的で、死者の霊魂の作業
というよりか、むしろ一人の気さくな青年の作業と感じられた。この間、私とブラウン
博士とで霊媒の左右の手を固く握っていたことはいうまでもない……。
ところでウオルタアの霊魂によって作製されつつあるこれらの指紋が、生前のウオル
タアの指紋(不完全ながら彼の死の直前に使用したカミソリの柄に残っていた)と一致し
ているというので、一層学界の注目を集めることになりました。とにかく、この指紋作製
がきわめて有力な証明法の」一つであるということに関しては、誰も異存ないところです。
日本には、不幸にして、こういった種類の霊媒が大変とぼしいのですが、ただ一人亀井
三郎氏は、不思議にも多方面の能力者で、叩音はもとより、物質界現象にも相当のうでが
あります。普通起こるのは、気化体程度の希薄な幽体の作製や支配霊モゴールの手首の物
質化で、その指紋はすでに二度ほど作製されました。
(つづく)
【 物質化現象 】―――次は “裏面の意義”―――に入って行きます。
PS:トキ様へ…
海外の心霊学界の物質化現象は、すごいモノですかしら〜〜ン!
俗に言います「幽霊の部分的指紋」これを、知りました時の驚きは?隠せませんでした。
と言います事は、この現象世界…その次なる世界がつまり「霊界世界」が確実にあると、
改めまして認識させて頂きました。そして…「今!」此の意味合いが、深く心く刻み
こまれまして…先日のケーティ−(美人の幽霊?)も含めまして、茫然カとの思いです。
さて!「トキ様」は、思い出しましたが…【支配霊モゴール】のことですが?
「生命の実相」の中に、確か?雅春先生が記載されていましたかと?思いますが…?
如何でしょうか…覚えていらっしょいますか?
-
モゴールですね。覚えています。霊界については、神様の世界ではないですが、
興味のある世界ですね。こういう世界についても、勉強をする必要があると思い
ます。谷口雅春先生が生命の実相であの文章を紹介されたのは、霊界について
の知識も必要である、という事だったと思います。
こういう心霊現象については、なかなか研究が進まないのですが、そろそろ
きちんとした研究が始まる必要があると思っています。
合掌 ありがとうございます
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 物質化現象 】――――――――――
◆ ◆ 裏面の意義 ◆ ◆
不完全ながら、事実の記録はこれ位にして、これから物質化現象の裏面の意義について、
できるだけ簡単に述べます。
この現象の発生中、最も顕著な事柄は、霊媒の体重が一時的に減少することです。これ
までの最高記録で、体重の四分の三強減ったことがあります。これは一八七八年ロンド
ンで霊媒ウイリアムスについて実験した時のことで、七十キログラムであった霊媒の体重
が、三十分間にわたり、たった十五キログラムに減っていたのです。ここで、問題が起こ
るのです。すなわち、このように霊媒の肉体から抽出された物体は、いったいどこに行き、
何の目的に使用されるのか、ということです。
近年フランスの、エヴァ・C、ポーランドのクルスキイについて、フランス、ドイツの
学者達が、苦心して精密な調査をした結果、その疑問はようやくここに解決されたことに
なったのです。すなわち、霊媒の肉体は、この際一つの原料として使用され、その原料は
一種の流動性の半ガス状態となった体内から抽出されるのです。それは普通、肉眼には見
えませんが、しかし明らかに触覚に感じ、いかにも冷たくてヌラヌラしています。これは、
ふつうエクトプラズム(外原形質)と呼ばれますが、そのほか、テレプラズム、イデオブ
ラズム、サイコプラズム、などと呼ばれることもあります。後年、イギリスのクローフォ
―ド博士が卓子浮揚現象を研究するに及んで、このエクトプラズムの性質はより明らかに
なりました。それについて卓子浮揚現象について述べる時に、詳しく説明いたします。
さて、エクトプラズムの最も大きな特性の一つは、それが自由自在に変形することです。
どう見ても、生きていて誰かの指揮命令で動いているとしか思われません。前の瞬間は単
なる濃液だったものが、次の瞬間には、膜や布の形にひろがり、また一瞬のうちに、それ
が集まって手となり、首となり、顔となり、ついには完全に独立した一つの人体の出現と
もなります。
エクトプラズムは、霊媒の指先から出ますが、特に口、鼻、その他粘膜質の個所から
多く出ます。使用後は、再び霊媒の体内に戻るので、体重が元に戻ります。エクトプラズ
ムの成分は、シレンク・ノッツィング博士の分析結果によると、多重の白血球、上皮細胞
などを含んでいて、大体唾液の成分にちかいです。
次に物質化現象の発生中、見過ごせない事は、常に一人または複数の支配霊が、霊媒の
背後にひかえていることです。言わば、それらの支配霊がこの現象の当面の技術者で、霊
媒の単なる道具にすぎません。支配霊がはたして何者か、それは学術上の疑問として、或
いは永久に残るかもしれませんが、しかしそれが何者であろうと、とにかくそういったも
のが霊媒の背後に控えていることだけは疑いのない事実なのです。
<つづく> NO・1
-
<つづく> NO・2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>351投稿の続きです。…
そこで、物質化現象の内面的装置は、大体次のように推定されます。まず、支配霊たち
の指揮で、霊媒の体内、時には列席者の体内からも、実験に必要なだけのエクトプラズム
を抽出します。いよいよ原料が集まると、今度は実験に応じるためにそこに出現している
霊魂たちを助けつつ、右の原料を使って、彼らの生前の姿を、適当に作り上げてやります。
そこには、もちろんいろいろ複数微妙な手続きがあるらしいのですが、大体のすじみちは
こんなところでありましょう。ですから幽霊が出たからと言って、死後の世界が存在する
と、即座に断定することはできません。支配霊たちは、エクトプラズムさえあれば、どん
な幽霊でも勝手に作れるにちがいありません。現にエヴァ・Cの実験には、たった二十セ
ンチメートルほどの人形のような裸体の少女が現れ、霊媒の手のひらの上で、色々な運動
をしたことがあります。こんな現象は、死後個性の在続に対する、何ら直接の証明にはな
りません。が、同時に、すべての物質化現象を単なる観念の産物とみることも乱暴です。
彼らの中には、容ぼう、ことば、態度、服装ばかりでなく、生前そっくりの人格まで、き
わめて完全にそなえている者もあるのです。これらについては、死者の霊媒が、霊媒の背
後に控えている支配霊の援助のもとに、臨時に物質化して、物質の世界に出現した、と解
釈するのがあくまで正当です。
この物質化現象で、一番困るのは、原料が絶え間なく崩壊しかけることで、これを維持
するためには、たとえ暗室内や赤灯下でも、よほどの努力、よほどの念力がいるらしいの
です。もし灯火でも直射したりしたら、どんなにうまくできた物質化像でも、あっという
間に煙のように消えてしまいます。こればかりは、永久にどうしようもありません。
ついでに、即音発生の原理について、ここでひと言のべておきます。これも他の現象と
同じで、その内面装置は必ずしも同一ではありません。霊界通信によれば、最も簡単なや
り方は、エクトプラズムを用いて、ある気泡状のものを作り、それを真空にしておくこと
らしいのです。その気泡を破れば、ちょうど電球の破裂と同じように、大小さまざまの音
を発するわけです。しかし、時にはエクトプラズムの棒状の物を作り、その先で、床、テ
―ブル、その他の物体に衝撃を与える場合もあるようです。
【第五章 叩音および物質化現象】―――は終わりまして―――
次は 【第六章 霊言現象 】 に入って行きます・…
■ ■ 【ブ レ イ ク 談 話】
http://foochan28.at.webry.info/
ウイリアム・クルックス12 (ケーティキング)
ウイリアム・クルックス13 (ケーティキング)
ウイリアム・クルックス14 (ケーティキング)
ウイリアム・クルックス15 (ケーティキング)
ウイリアム・クルックス16 (ケーティ・キング)
ウイリアム・クルックス10 (クック霊媒者)
PS;
「トキ様」 へ…“ネット”で、偶然!友人が見つけてくれましたが??
ケーティキングさんの写真、更に!霊媒師クック嬢を、のせましたが、見られてみませんか〜??
少々…「気持ちが〜〜〜ウフフ」です。…が?
今回!ネットで「幽霊の現象」を、科学的に研究がさかんな時代でしたのでしょうか???
【物資化現象…】を、出すだけでも〜〜〜昨日!友人が“ネット”で見たら〜〜〜と〜♫
言いますから〜〜「検索」しますと、何と【ケーティキングさん】が?
確かに“綺麗な方”です〜〜〜ョネ!今日は、いろんな事を【霊現象?】は…と思いますが?
もし、御覧になられましたならば?如何なる感想を抱かれますでしょうかしら〜〜〜ン!
そして【科学的に霊の世界】を、克明に表示出来るのが?その年代を見ますと…これから「産業革命」
へと行きましたのでしょうか?すごい〜〜〜ですネ!!
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「トキ管理人」のズルサ!NEW (11671)
日時:2012年07月27日 (金) 22時52分
名前:鷹匠
私は、「本流掲示板」「愛国掲示板」それに「トキ掲示板」を毎日見ているものですが、今回の「御神像」保存著名運動には大きな意義を認めるものであります。それを<意味がない>と切り捨てた「トキ」氏にもの申すものであります。
確かに、あなたはズルイですね! 以下、端的に指摘させて頂きます。
① 貴方の今までの文章内容から判断して、本部講師か地方講師そして組織内の上層部の役員をしておられる人と拝察いたします。それなのに「御神像」が雅宣総裁によって破壊される前に“引き取ればよい”と提案されていますが、あなたが中心となって費用を集めて引き取るのですか?
引き取ってどこへ持って行くのですか?この様な具体的内容のない無責任な発言は慎んで頂きたいと思います。
② 雅宣総裁が「御神像」を壊したらレプリカでも造れば良い、と申されていますが、「御神像」が服部仁郎先生によって制作されるまでの霊的経緯を無視してもいいのですか? 製作者の服部仁郎先生の思いや当時の信徒たちの思いについては何も貴方は考えていない、形が同じだけのレプリカで良いとは、貴方は生長の家の霊的思考が出来る信徒ではなく、雅宣総裁と同列の“唯物論的信徒”であります。<別のことを考えたら?>とあなたは言っていますが、具体意的内容はなし、こんな事なら誰だって言えますよ!
③ <事務方はファックスを山の様にもらって困るかもしれませんが、理事や総裁はそんなこと、全然、気にしません。>は、その通りです。雅宣総裁はそんな嘆願書等お構いなしに「御神像」を本部会館ごと売って、買い受けた業者は壊して瓦礫として処理します。その結果、信徒はあきれ果て続々と脱退して行きます。しかし雅宣総裁は信徒の数が減るのをむしろ望んでいるのです。何しろ、蓄積された浄財が莫大にあるから、少ない信徒の方が教団資金は自分のものとしてより一層使いやすくなるからです。貴方はこれくらいのことすら分からないのですか?
④ <本流復活派の人が実名と住所を書いてくれるので、教団にしたら”敵”の情報が入手できてラッキーという程度ですよ。> 貴方はこのように書いていますが、「ひまわり」氏が書かれているように、今回の「御神像」保護運動には信徒一人一人が自分のこれまでの信仰生活の“生命”を賭けてでも教祖反逆の雅宣総裁に対決する姿勢が必要なのですよ、それでもあなたは“生長の家の講師”と言えますか? 自分の名前が雅宣総裁の知る所となる事をなにも怖れることなんかないですよ、知れたっていいじゃありませんか? そんなに雅宣総裁や原宿本部、ゴマスリ教化部長が恐いのですか?
本当にこの「御神像」問題は信徒一人一人の日頃の信仰がホンモノであったかの鼎の軽重が問われているのですよ。これが分からない講師は講師を返上すべきです。「御神像」保存運動は信徒としては、何のやましい所のない正々堂々の運動であります。自分の名前を堂々と出してすべきで、名前が知れても雅宣総裁は一般信徒には何も報復処置はして来ませんよ。貴方はこれくらいのことが分からないのですか?
-
⑤ 貴方はいつも片手では雅宣総裁を擁護し、片手では雅宣総裁の間違いの部分を指摘して、“ええ恰好”をしています。中途半端な“股座膏薬”または“梟”的な人ですね。一度だって総裁室に直談判をしにいったことがありますか?ないでしょう! <教団上層部に申し上げる>というのであれば、実際に原宿本部に乗り込んで直言する勇気を持っていなければ駄目ですよ。
⑥ 今まで貴方は、再三再四何かにつけて「和解せよ」「和解せよ」と「本流復活」側に提示してこられましたね。それに対して「本流復活」側から具体的和解内容が提示されても、貴方は無視して来ております。更に、あなたの考える具体的和解内容を示すよう言われても、いつもスルーして真正面からの回答を避けてきていますね、この点は本当にズルイと思いますよ。
⑦ それから、「トキ掲示板」の規約によれば、「『谷口雅春先生』や『生長の家』を批判する投稿はご遠慮下さい」としながら、「初心者」という人物の雅春先生の説かれた『御教え』批判は何時までも続けさせる、この矛盾をいかに説明するのですか?
「初心者」とは雅宣総裁であると考えるとこの疑問は一挙に解かれるのですが、貴方はどう説明しますか?「初心者」の所説は本来の『御教え』を否定する所が極めて多く、却って信徒の信仰心をぐらつかせる結果となっています。「初心者」が雅宣総裁であろうとなかろうと、もうそろそろ「初心者」には退場を申し渡すべきですよ! このままでは益々、あなたのズルサが衆目の的になっていくのですよ。まあ、この位にして置きましょうか。
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>>353
お褒めにあずかって、光栄です。
-
>>353
鷹匠さんはどうしてトキ掲示板に書き込みをされないのでしょうか?
-
初心者様が生長の家の真理を古いとおっしゃるのは、「聖書が古い、陳腐だ」と、いわれているのと
同じだと思っております。真理は、古くなりませんから。(例えが、古いだけで…)
時代が移り変わって、古いからとおっしゃって、総裁先生は、もともとの【神の子人間】の真理を、現代風の例え話に変えて話されるのならともかくも、
もとからちがう思想に変えてしまって、現総裁先生は説いておられるのです。【罪の子人間】の教えにすり替わっているのです。大自然を破壊した罪多き人間どもよ、になっているのです。
初心者さまが、総裁先生だとしましたら、初心者様の数々の書き込みをご覧になれば、そのような総裁先生のお考えが、ここの掲示板上で 浮き彫りにされるわけですから、
総裁先生は、生長の家のお方でない、ということが鮮明にわかることに なるのでは、ないでしょうか。
初心者さまの発言がなければ、総裁先生が、なにを考えておられるか、本だけでは、初心者さまの素のお考えを、知ることは、出来ません。
初心者さまは、所説は、確かに,鷹匠さまのおっしゃる通り、本来の【教え】を否定するところが,極めて多いです。しかし、これを読まれた方々が、信仰をぐらつかせるでしょうか?
私は、これを読まれた方は、総裁先生への信は、ぐらつかせますが、信仰への信をぐらつかせる人は、極めて少数派では、ないかと推察しています。
現総裁先生擁護派の代表の人は、ご自分でも言われていますが、ここでは、SAKURAさまです、そのあとにつづくお方は、元・春さま、、まだまだおられるでしょうけれど、少ないと思います。
-
トキ管理人批判を展開すれば本流復活できるとでも思っているんでしょうか?
そんなヒマがあれば、目の前の悩んでいる人や迷っている人に手を差しのべてやればいいのに。
痛すぎます。
-
>>358
チェスト!!!!
拜
-
>>358
いえいえ、私は実態はつまらない小物ですから、総裁と並んで攻撃をされていると自分が大物になったような
錯覚を覚えて恍惚を覚えるのです。少しマゾの傾向があるのかも・・・・。(笑)
ところで、本部会館ですが、今、組織内で流れている噂では、まだ詳細が決まっていないという話です。生長の家
教団は、本部会館以外にも都内に結構、沢山土地や不動産を持っています。これは職員寮などですが、本部が山梨に
移転したら職員寮などは不要になるので、先ずはこれから売り出す、という話です。何せ都内ですし、数もあるので
お金にはなるみたいです。それが事実なら、本部会館の処分は今の段階では楽観視できるかもしれません。
まあ、生長の家の現役会員として言わせてもらえば、辞めた人は「部外者」という発想を組織はします。現役時代に
どんなに上の立場にいても、それは同じです。そして、教団は原則、「部外者」の意見は歯牙にもかけない、というの
が方針です。ですから、部内の人間が発言をしたら聞きますが、「部外者」がいくらファックスを送っても無視するで
しょう。例えば、世界聖典普及協会が存続になったのは、部内の人間が一致団結して、理詰めで説得したからです。
こういう衆を頼んで自分の意見を押し通す発想は、逆に、総裁や教団上層部は反発を覚えるでしょう。
しかし、本部会館の今後についての説明がない点、特にご神像についての説明がない点は本部の姿勢は間違って
いると思います。こういう騒動になったのは、本部にも大いに問題があるので、改めていただきたいです。
あと、本部については、私のような小物のところにも、不都合な情報がいくつも入ってきます。中には、本流復活派
が聞いたら大喜びするような内容もあります。しかし、最近、本流掲示板では私の事をクソミソに貶しているので、
臍を曲げたということで、封印をしておきます。(笑)。もっとも、私のところに入って来るぐらいですから、
本流復活派の耳に入るのも時間の問題かもしれません。そう考えると、やはり和解は早い方が良いと思います。
では、今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
-
お返事、ありがとうございました。ご心配をおかけして、すみません。
総裁援護派は、今、教団内部でもどんどん減少しております。どんな屁理屈を並べて説得しても、現実に
組織はボロボロになるので、少し考える人は「おかしい」と気がつきだしています。ただ、最近は、総裁の
評判が落ちて来て、郵便ポストが赤いのも総裁が悪い、という人まで出てきましたから、少し彼も気の毒だ
な、と思います。
もともと彼も、自分なりの理想を持っていた訳で、何とか社会をよくしようと思っていたとは思うのです。
こう書くと、本流掲示板でまた攻撃されるのですが、今の結果が惨憺たるものだという点では異存はあり
ません。ただ、本流復活派は、彼は「故意だ」と主張しますが、私は「過失犯だ」と思っています。
でも、谷口雅春先生の教えを修正しようと思った段階から、すでに自滅への道を歩んでしまったのです。
どうも、ご自分が谷口雅春先生よりも上だと思っておられる節があったと思います。やはり、これは改めて
いただかないと、どうにも解決がつかないと思います。が、最近、総裁は甘露の法雨の歴史を書かれています。
ひょっとしたら、ご自分の認識を改めたのではないか、と少しだけ期待はしています。
最高裁判所の判決が出るまでは、まだ、少し時間があるみたいなので、和解を希望しております。が、楽観
はしていません。最高裁判所の判決内容は容易に予想できます。そうなると、組織は大混乱になります。その時
やはり信徒の立場では、何をすれば良いか、をみんなで考える時期かと思います。一人一人
が本気で勉強し、愛を実践するという立場が大事だと感じます。
今後とも、ご指導、御鞭撻のほど、お願いいたします。
合掌 ありがとうございます
-
本流掲示板より
>解説者さんとは、トキ管理人ご自身?
ってことは、トキ管理人=イソベ理事長=解説者!?
いやぁ、私も偉くなったもんです(笑う)。
私は名も無き一会員ですけど。
本流派でもなければ総裁擁護派でもありません。
同じような立ち位置の人はきっと沢山いることでしょう。
本流派や総裁擁護派の方たちが互いに批判を繰り返せば繰り返すほどドン引きしますなぁ。
鷹匠さん、この掲示板は本流派、総裁擁護派問わず自由に議論できる場ですよ。
なぜ、ここに来て堂々と批判なさらないのでしょう?
安全地帯で言い分を主張するなんて左巻きの人みたいで卑怯極まりないですなぁ。
えっ、お前が本流掲示板に来いって?
だって、本流掲示板は教団同様に自由にものが言えないでしょ(笑う)?
-
>グレート理事長・トキさま
>>363は削除ください。(笑)いやー読み返してみて、余りのバカバカしさに自己嫌悪です(笑)
まあ要件はこれ本流の皆さん、「もう、こちらで語りませんこと?」というものです。そしてもう、「誰が誰だ!!」てな話、いい加減にしませんか?
そんな趣旨なのでございました。
拜
-
日時:2012年07月28日 (土) 13時54分
名前:管理人
大おわびを申しあげます。ファックス番号を言いまちがえました。
昨日、管理人が、「ご神像を守ろう!ファックス運動にご協力ねがいます。 (11660)」を掲示しまして、
>管理人のファックス番号は、「81344965155」です。
と申しましたが、正しい管理人のファックス番号は、
0344965155
です。
「0344965155」が正しいファックス番号です。
複数の方から、「遅れない。」「その番号は使っていないと言われた。」などの質問がありました。すべて管理人の番号打ち込みミスが原因です。まことにお手間とご心配をおかけしました。深くお詫びいたします。
それから、他の掲示板の方らしいのですが、
「事務方はファックスを山の様にもらって困るかもしれませんが…」と言っている方がおられるようです。
その方のお言葉に逆らうようですが、
このアクションは管理人一人が行っていることで、「事務方」という複数メンバーが行っているものではありません。「学ぶ会」や「ときみつる會」は全く無関係です。ご参考までに、「eFax」というサービス会社
http://www.efax.co.jp/
をご覧になればご理解いただけます。
また、そのお方は、
「ご神像像を引き取る」という方法をご提案でもあるようです。
壮大な御殿にお住まいなのでしょう。無限供給の体現者であられます。もしもその方がご神像を引き取ってくださったら、その御殿が生長の家本部となるでしょう。「レプリカ・複製」であっても、その方が引き取って下さる事を期待いたします。
またそれから、「P.孔明 」様が「管理人様へ (11673)」の中で、「管理人にメールを送った」旨のことを掲示しておられるのですが、今のところ管理人のメールボックスには届いておりません。管理人のメールボックスの異常かもしれませんが、「P.孔明 」様には「送信済み」のご確認をもう一度お願いいたします。
管理人多謝
-
さすがわ本流管理人・・・・・(笑)
-
こういう投稿が本流掲示板にありました。
------------------------------------------------------------------------------------------
管理人様へ おまえはバカか?NEW (11702)
日時:2012年07月28日 (土) 16時14分
名前:P.孔明
「ご神像を守ろう!ファックス運動」の即中止を要求します。
私は雅宣派ではありません。
このようなやり方の運動を行うと「本流掲示板」の存続が危ぶまれる危険性があります。
今まで書き込みをされた全ての皆さまの努力が無に帰するのです。
雅宣派は、「ご神像を守ろう!ファックス運動を見てこいつらはバカだと思っているでしょう。
雅宣派は我々の敵なのです。
敵に陳情文や嘆願書や署名などして、法的拘束力があるわけでもなく、敵に頭を下げるバカがどこにいますか?
(以下、省略)
----------------------------------------------------------------------------------------------
・・・・・・コメントは差し控えます。
By トキ
-
>367
結局、トキ管理人さんの警告なさった事を懸念する本流掲示板の投稿者にも出てきたという訳ですか。
本流掲示板投稿者各位は、夏だから頭が沸騰してらっしゃるようにしか見えましたね(笑う)
-
少し真面目にコメントをすると、生長の家の組織で、組織指導の経験がある程度、持っている人間なら、
あんなファックス運動など効果がない事は分かるのです。それを提案するというのは、生長の家の組織に
ついての知識や経験が少ない事を示しています。ご本人だけがやるのなら、放置するのですが、閲覧者さん
に呼びかけるのは行き過ぎだと思います。一応、警告するだけはしたら、暑いためが、あちらこちらで
反撃を喰らいました。
雅宣派は、「ご神像を守ろう!ファックス運動」を見てこいつらはバカだと思っているでしょう。
というのは、私の組織活動の経験から言っても、妥当な推論だと思います。とにかく、警告はしたので、
あとは静観する事にします。
言っておきますが、私は、森のオフィスの移転も支持しませんし、本部の取り壊しにも反対、ご神像
の扱いも慎重にする事を主張しています。本流復活派のみなさま、誤解のないようにお願いします。
合掌 ありがとうございます
-
デモ行進とファクス運動の「高みの見物」したかったな(笑)
-
とにかく、本部に対して、「自分の実名、住所」を明記して、それを知らせるというリスクまでしょって、行う行動は、
我が身に危険が、及ぶ場合が、ありますから、やっては、いけないということだと思います。
そして、そのようなことをしたことにより、こんなにファックスがきたのだからと、反省して
方針を変えようなんて考えを、総裁も上層部も、微塵もお持ちでないということですよね。
総裁も、本部の上層部も、あくまでも、部外者という関係ない人たちからの意見だと、捉える…
ご自分たちで、これで行こうと、判断したことだけを、される。
なんか、すごい封建的。
-
>Fax大作戦
おまけに問い合わせが10件しかなかった。
本流掲示板の管理人への支持もそれくらいしかないのも自分から暴露してる。
閲覧者各位も本流掲示板にはドン引きしている事が見え見え(笑う)
-
>管理人様へ おまえはバカか?NEW (11702)
>日時:2012年07月28日 (土) 16時14分
>名前:P.孔明
こんなこと書いて、P.孔明さんが書き込み停止にならないか心配です。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>351>>352投稿の続きです…。
今!【霊界通信…】に関しまして、投稿させて頂いておりますが」。。。
■此処で「生命の実相」の中の…『霊界編…』の一部抜粋投稿をさせて頂きます。
「生命はいずこより来たり、いずこへゆくかは、心霊現象から材料を得て研究することが出来る。
一つはある人の瞬間に起こった精神交換現象または幻影の現象や、生前に約束した事項を
死後において果たして見える現象や、さらにいっそう客観的な現象としては心霊写真の現象や……
を集収して、そのおのおのの場合において十分な調査を行い、そこにありうべき考え違いや、
詐術等を除きさってのち、純粋に現象を現象としてなんらの偏見なく肯定し、かかる考え違いにも
詐術にもあらざる純粋な現象を数多く集積し、もって現世以外の人間霊魂の生活を肯定せんとする
方法である。この方法は霊魂の死後存続を科学的に立証せんとする多くの心霊学者の採用せる
ところであるが、これは証拠の豊富ということが有力なる立証の要素となるのである。
…云々…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■此処でブレイクします。…が?私自身は、時代背景なのですが〜?
感じました事が、ありますのです〜!それは、
物質化現象としましての「ケ−ティ・キング」に関しまして、たまたま【ある方のブログ】の方の
写真…etcを更に拝見させて頂きながら、今の若い世代…今回特に痛感しました事なのですが、
霊魂の死後存続を科学的に立証して行きます「心霊科学…」この観点から、
死後におけます人間…『死んでから人間はどうなるのでしょう?唯物論者のいうような、ただ、
単なる「灰」になってしまうのでしょうか?』……
■この事は「トキ様」「観覧者の皆様」誰もが一度は考えられた事が、おありではないでしょうか?
<つづく> NO・1
-
<つづく> NO・2
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>374投稿の続きです
単に「灰」になり終わり?これでは「雅春先生」も、おっしゃていますが?
「創造性」「希望」「生きがい」…etc人生が無意味に感じましたり、無軌道な生活だけが…
今回【霊界の世界】は、現代では信ぜねばならにように立証されている事項が出てきております。
これを踏まえた上で、【仏教】でも説かれています。…が?【業 力】
これは、本人の過去の想念・言葉・行為は一種の惰力的な力をもっていて、その人の運命を一定の
方向に導いていこうとする。つまり【心…心の世界】になりますのでは、無いのでしょうか?
表現が難しいのですが?【あなたは??だからダメ人間!ダメ人間…】これはその人の
“潜在意識”の深層部に刻み込まれ…「無軌道な生活」になっていくという運命になって
いきますものと思います…。人間の【心=魂=霊魂】の進化向上に
そうです〜〜ョネ!【高級霊?】の愛撫かき指導・修正によりまして、ある面では「運命」も
霊魂の指導をうけ、種々に導かれ、修正せられるのでは?私は、この事は納得しています。…が?
現代でも、異常現象この事が【迷信】と、捉えがちですが、
この事を科学的に解剖することによりまして、【迷信】によって立つべき根拠が、
覆される様になって来たのではないのでしょうか?単に此の【異常現象…神秘】ととらえ、
ある面は、恐怖感を抱いたり、事実とマジックを混同し、むやみに拒絶したり
子供じみたやり方では、果たして「人間の意味・霊魂の向上」がありますのでしょうか
しかし、今回の【霊の世界】に関しての“正確な情報”を、把握していきだしました「若い世代」は、
【人間の霊―>霊魂の世界】を知る事によりまして、更に「人間の運命」に関しても?
参考になって来るという…この様な考え方に、なってまいるものと思います。…が?
それでは?その「修正」が出来るのではないのでしょうかとも?その様に、考えるようになりますと、
「霊界の世界」の秘密を知らずして、【人間の運命】を、予知・修正することは出来ないのでは?
その様にも、思えるようになりましたので〜〜す。
そして、広範囲に思います事は【人類全体・宇宙全体へと連関】していく事になりますのでは?
無いのでしょうか?つまり【地球と云う天体】まで…
この様な観点から【霊の世界…】に関しまして、“投稿”の形を取らせて頂いております…。
再合掌
PS:トキ様へ
そうです〜〜〜ョネ!洋画にて【オカルト映画】がありますでしょ!
若い頃、単に私の脳裏には、「恐怖心」のみが先行でしたでしょうか?そうしますと、今回此の
“投稿”しております文章から、ある面【迷信…】に関しまして、科学的な証拠にての解剖事実を、
把握しますと、考え方が冷静に正しい方向性へと…この様に、幅が出来てまいりましたのです。
そうしますと、当然【心…捉え方】も変わりますので、
【心で作る世界観】も変化していっていくのでは?その様に思いますのです。…が?
トキ様は、この事に関しまして、如何なるお考えでしょうか??
引き続き「霊の世界」に関し“投稿”させて頂きます…。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375投稿の続きです…。
■第五章 叩音および物質化現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 物質化現象 】――――――――――
◆ ◆ 裏面の意義 ◆ ◆
不完全ながら、事実の記録はこれ位にして、これから物質化現象の裏面の意義について、
できるだけ簡単に述べます。
この現象の発生中、最も顕著な事柄は、霊媒の体重が一時的に減少することです。これ
までの最高記録で、体重の四分の三強減ったことがあります。これは一八七八年ロンド
ンで霊媒ウイリアムスについて実験した時のことで、七十キログラムであった霊媒の体重
が、三十分間にわたり、たった十五キログラムに減っていたのです。ここで、問題が起こ
るのです。すなわち、このように霊媒の肉体から抽出された物体は、いったいどこに行き、
何の目的に使用されるのか、ということです。
近年フランスの、エヴァ・C、ポーランドのクルスキイについて、フランス、ドイツの
学者達が、苦心して精密な調査をした結果、その疑問はようやくここに解決されたことに
なったのです。すなわち、霊媒の肉体は、この際一つの原料として使用され、その原料は
一種の流動性の半ガス状態となった体内から抽出されるのです。それは普通、肉眼には見
えませんが、しかし明らかに触覚に感じ、いかにも冷たくてヌラヌラしています。これは、
ふつうエクトプラズム(外原形質)と呼ばれますが、そのほか、テレプラズム、イデオブ
ラズム、サイコプラズム、などと呼ばれることもあります。後年、イギリスのクローフォ
―ド博士が卓子浮揚現象を研究するに及んで、このエクトプラズムの性質はより明らかに
なりました。それについて卓子浮揚現象について述べる時に、詳しく説明いたします。
さて、エクトプラズムの最も大きな特性の一つは、それが自由自在に変形することです。
どう見ても、生きていて誰かの指揮命令で動いているとしか思われません。前の瞬間は単
なる濃液だったものが、次の瞬間には、膜や布の形にひろがり、また一瞬のうちに、それ
が集まって手となり、首となり、顔となり、ついには完全に独立した一つの人体の出現と
もなります。
エクトプラズムは、霊媒の指先から出ますが、特に口、鼻、その他粘膜質の個所から
多く出ます。使用後は、再び霊媒の体内に戻るので、体重が元に戻ります。エクトプラズ
ムの成分は、シレンク・ノッツィング博士の分析結果によると、多重の白血球、上皮細胞
などを含んでいて、大体唾液の成分にちかいです。
次に物質化現象の発生中、見過ごせない事は、常に一人または複数の支配霊が、霊媒の
背後にひかえていることです。言わば、それらの支配霊がこの現象の当面の技術者で、霊
媒の単なる道具にすぎません。支配霊がはたして何者か、それは学術上の疑問として、或
いは永久に残るかもしれませんが、しかしそれが何者であろうと、とにかくそういったも
のが霊媒の背後に控えていることだけは疑いのない事実なのです。
そこで、物質化現象の内面的装置は、大体次のように推定されます。まず、支配霊たち
の指揮で、霊媒の体内、時には列席者の体内からも、実験に必要なだけのエクトプラズム
を抽出します。いよいよ原料が集まると、今度は実験に応じるためにそこに出現している
霊魂たちを助けつつ、右の原料を使って、彼らの生前の姿を、適当に作り上げてやります。
そこには、もちろんいろいろ複数微妙な手続きがあるらしいのですが、大体のすじみちは
こんなところでありましょう。ですから幽霊が出たからと言って、死後の世界が存在する
と、即座に断定することはできません。支配霊たちは、エクトプラズムさえあれば、どん
な幽霊でも勝手に作れるにちがいありません。現にエヴァ・Cの実験には、たった二十セ
ンチメートルほどの人形のような裸体の少女が現れ、霊媒の手のひらの上で、色々な運動
をしたことがあります。
<つづく> NO・1
-
<つづく> NO・2
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>376投稿の続きです。…
こんな現象は、死後個性の在続に対する、何ら直接の証明にはな
りません。が、同時に、すべての物質化現象を単なる観念の産物とみることも乱暴です。
彼らの中には、容ぼう、ことば、態度、服装ばかりでなく、生前そっくりの人格まで、き
わめて完全にそなえている者もあるのです。これらについては、死者の霊媒が、霊媒の背
後に控えている支配霊の援助のもとに、臨時に物質化して、物質の世界に出現した、と解
釈するのがあくまで正当です。
この物質化現象で、一番困るのは、原料が絶え間なく崩壊しかけることで、これを維持
するためには、たとえ暗室内や赤灯下でも、よほどの努力、よほどの念力がいるらしいの
です。もし灯火でも直射したりしたら、どんなにうまくできた物質化像でも、あっという
間に煙のように消えてしまいます。こればかりは、永久にどうしようもありません。
ついでに、即音発生の原理について、ここでひと言のべておきます。これも他の現象と
同じで、その内面装置は必ずしも同一ではありません。霊界通信によれば、最も簡単なや
り方は、エクトプラズムを用いて、ある気泡状のものを作り、それを真空にしておくこと
らしいのです。その気泡を破れば、ちょうど電球の破裂と同じように、大小さまざまの音
を発するわけです。しかし、時にはエクトプラズムの棒状の物を作り、その先で、床、テ
―ブル、その他の物体に衝撃を与える場合もあるようです。
【第五章 叩音および物質化現象】―――は終わりまして―――
次は 【第六章 霊言現象 】 に入って行きます・…
-
<つづく> NO・3
トキ様 へ ・
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>374>>376>>377投稿の続きです。…
■■「ケ−ティ・キング霊の写真」を、又、新たに下記の【URL】にて参照して頂きますと、こちらの方が、
まだ分かりやすいモノと思います。…が?如何でしょうかしら〜〜〜ン??
「スル―」しまして、行きますと、写真が出て来ますので、ご覧いただけますと幸いです。(かなり下方…)
【霊現象】を、もっと詳しく書いていきますが…
【真実】を、知るだけでも進歩向上に、繋がるモノと、私は思います。
尚、前回投稿しました処の【クルックス博士】に関しましての“エピソ−ド”ですが?
■エクトプラズムの研究の箇所で紹介した、ノーベル生理学賞受賞者でスピリチュアリストであったリシェは、
クルックス博士が心霊現象を肯定する実験結果を公表した時点では、まだスピリチュアリズムに反対する立場を
とっていました。クルックス博士を尊敬していたリシェは、博士が心霊現象を肯定したというニュースを
耳にしたとき、「博士ともあろう方が何ということを……」と嘆いたと言われます。
そしてクルックス博士が物質化したケーティ霊の写真を公表し、しかもその物質化霊には脈拍があったという
報告書を読んだときには、「いかに尊敬申し上げる高名な物理学者とはいえ、私は声を出して笑ってしまった」と
告白しています。
しかし、そのリシェも、一八九二年、イタリア人霊媒ユーサピアによる心霊実験会に委員として出席し、
驚異的な心霊現象を目のあたりにして圧倒されることになります。そしてそのとき彼は、
「神よ、私が間違っていました!」と叫んで、これまでの懐疑的な態度を一変させることになりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【第3章 初期のスピリチュアリズムの歩み】
……驚くべき心霊現象の現出と、近代心霊研究の展開
http://www5e.biglobe.ne.jp/spbook/sp-introduction1/sp-introduction1-1_03.htm
↓
「初期のスピリチュアリズムの歩み/スピリチュアリズム入門」此の文章を再度“クリック”
↓
■上記にて【ケーティキング霊の写真】が閲覧できます。
皆様…【霊の世界…正しい知識】ようこそ〜〜♫〜〜 再合掌
PS;「トキ様」 へ…“ネット”で、偶然!友人が見つけてくれましたが??
ケーティキングさんの写真、更に!霊媒師クック嬢を、のせましたが、見られてみませんか〜??
少々…「気持ちが〜〜〜ウフフ」です。…が?
今回!ネットで「幽霊の現象」を、科学的に研究がさかんな時代でしたのでしょうか???
【物資化現象…】を、出すだけでも〜〜〜昨日!友人が“ネット”で見たら〜〜〜と〜♫
言いますから〜〜「検索」しますと、何と【ケーティキングさん】が?
確かに“綺麗な方”です〜〜〜ョネ!今日は、いろんな事を【霊現象?】は…と思いますが?
もし、御覧になられましたならば?如何なる感想を抱かれますでしょうかしら〜〜〜ン!
そして【科学的に霊の世界】を、克明に表示出来るのが?その年代を見ますと…これから「産業革命」
へと行きましたのでしょうか?すごい〜〜〜ですネ!!
-
「P.孔明」様への回答です。NEW (11720)
日時:2012年07月29日 (日) 02時12分
名前:管理人
「P.孔明」様
「お前は馬鹿か。」という言い方は、建設的な意見の積み重ねを断ち切ってしまう言葉ですよ。よほどの思いがあるのでしょうが、一つご反省ねがいます。
ひごろ熱心に書き込んでくださっているお方のご意見だから時間をかけて拝見しました。それでも理解できない点があるのですが、本管理人の回答を一つづつ掲示いたします。ご反論などがありましたら、「バカ」なしでお願いいたします。
========================================
管理人様へ (11661)
>…私はこの作戦には反対です。理由としては、まず、この掲示板で公表している以上、偽名、偽住所である事が教団側にバレバレであること。(本名を書くともっと危ない、雅宣側に本流側の名簿を渡すようなものです。)
【 管理人からの回答 】
偽名、偽住所ならば、その人に総裁からの危害が加わることはありません。もっとも、実名・実住所を書く人もおられるかもしれませんが、それはその人の判断です。
本管理人は(11660)で、
>事情があってお名前やご住所を本部に知られたくない場合は、ご自身で適当に工夫してください。
と言っています。「ひまわり」様は「実名・実住所を書きましょう」と仰っているようですが、管理人は「適当に工夫して」と書いていることを確認ねがいます。…。どちらにしても、信徒の声を総裁に伝えることは、伝えないことよりも良いのではないでしょうか。
>第2に、文体が雅宣総裁(敵)に対しての陳情文・嘆願書になっていること。
【 管理人からの回答 】
「ご神像を壊すな。破壊することは許さないぞ!!」というような強い文体にしろ、ということでしょうか。それならば強力なメッセージになるでしょうが、反動も大きくなります。また、一般信徒の共鳴・参加を得ることが難しくなります。現・信徒の多数が声を上げる事が総裁への圧力になります。声の数を増やすべきです。
>第3に、このようなファックスを送っても、雅宣総裁には寝耳に水であること。
【 管理人からの回答 】
「寝耳に水」ならば、好都合です。一気にこちらのペースに持ち込めます。ただ、「P.孔明」様は(11707)で、「今…雅宣側は対応を練っています。」と仰っています。この二つのお言葉は矛盾しているのではありませんか。「今…雅宣側は対応を練ってい」るのなら、「寝耳に水」にはならないでしょう。この点は「P.孔明」様のお考えが首尾一貫していないのではないでしょうか。管理人としては、どちらの御言葉を御本心と考えてよいのか苦しみます。…どちらが「P.孔明」様のお考えなのか、お考えを整理願います。
>第4に、神像を保存する代わりに掲示板を閉鎖しろ等の交換条件を出してきたらどうするのか。
【 管理人からの回答 】
そのような交換条件を総裁が出してくるとは思えませんが、かりに出してきたら、
「総裁先生が退陣なさって、本流が満足する人が新総裁に就いたら喜んで掲示板を閉鎖します。ただし貴重な文章が多数あるので『凍結』いたします。」と、返答します。
>そのような手段をとるよりは、この掲示板において、雅宣総裁が神像を壊そうとしている事を、多くの現信徒に広め、雅宣総裁を糾弾した方が効果的かと思います。発起人様、管理人様、ご再考をお願い申し上げます。
【 管理人からの回答 】
このご意見に関しては管理人も同感です。そして、さらにファックスを使って信徒の声を総裁先生に突きつけると、さらに効果的だと考えます。ご理解を願います。
========================================
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379のつづき
管理人様 「気がいたします」ではだめです。(11707)
>…雅宣側が対抗処置をとってきたら、こちら側には打つ手がありません。今、ちんたら「ご神像を守ろう!」ファックス運動を展開しているうちに、雅宣側は対応を練っています。
【 管理人からの回答 】
「雅宣側が対抗処置をとってきたら、こちら側には打つ手がありません。」と、おっしゃっている「対抗処置」の具体的なイメージがつかめないのですが、(11709)でおっしゃっている
>金の力を使って名誉棄損で訴えられる可能性もありますし、暴力団を使って嫌がらせを受ける可能性もあります。
ということでしょうか。
それならば、まず「名誉棄損」は民事・刑事ともに裁判所が受理しません。その理由は「P.孔明」様ご自身が(11702)でおっしゃっているように、「陳情文や嘆願書や署名などして…敵に頭を下げるバカ」な陳情文だからです。これを「名誉棄損」として受理する裁判所はありません。お疑いならばご自分でお調べください。
かえって、「雅宣。雅宣」と呼び捨てにして、
>雅宣という人間は…世間一般常識が通用する相手ではなく、下手をすると何をしてくるかわかりません。…雅宣とは確信犯でありそんな人間なのです。十分注意が必要です。(11702)
と正直に書いておられる「P.孔明」様の方が訴えられる可能性が強いものです。「暴力団を使って嫌がらせを受ける可能性」も同じことです。…余計なお節介かもしれませんが、充分にご注意ください。
=======================================
管理人様へ おまえはバカか?(11702)
>…「ご神像を守ろう!ファックス運動」の即中止を要求します。…このようなやり方の運動を行うと「本流掲示板」の存続が危ぶまれる危険性があります。今まで書き込みをされた全ての皆さまの努力が無に帰するのです。
【 管理人からの回答 】
もしも、「本流掲示板」が潰されたら、「P.孔明」様、あなたが新しく作ってください。貴方様が作らなくても、「バカ」の本管理人よりも賢い人はたくさんいるでしょうから、誰が作っても今よりも良い掲示板になります。そちらの方が総裁には痛手でしょう。
>…どうしても「ファックス運動」をするというのであれば、「雅宣総裁即時退陣運動」に変更するべきです。これは、言葉の力を用いて雅宣総裁を強く糾弾し退陣に追い込むことです。これなら実名・実住所は必要ありません。
【 管理人からの回答 】
本気でそうお考えですか?「雅宣総裁即時退陣運動」は、「ご神像を守ろう運動」と比べると、本掲示板が総裁から攻撃されやすい運動ですよ。はるかに総裁の怒りを買いやすい運動です。裁判・暴力団…。まず、「P.孔明」様が狙われます。…充分にご注意を。
>我々の実名・実住所を書くと、敵に我々の名簿を渡すことになり、こんなバカな事をする人間は世界中どこを探してもいません。
【 管理人からの回答 】
実名・実住所を書くのは覚悟を固めた人だけです。…それにしても、「P.孔明」様は (11661)では、
>まず、この掲示板で公表している以上、偽名、偽住所である事が教団側にバレバレである
と言っておられるのに、ここでは、
「我々の実名・実住所を書くと、敵に我々の名簿を渡すことになり、こんなバカな事をする人間は世界中どこを探してもいません。」と、おっしゃる。仰っている前提がコロコロ変わっているのではありませんか。それでは建設的な議論ができません。首尾一貫した意見を出してください。
>発起人様・管理人様。なんとしてでも「ご神像を守ろう!ファックス運動」を中止して下さい。
【 管理人からの回答 】
本管理人は、なぜ「P.孔明」様がそれほどまでに反対なさるのかが分かりません。実名と実住所は印刷を承認した人の分だけを印刷するのです。そうでない人は初めから仮りの名前と仮りの住所をファックスに記入しています。…管理人が「バカ」だから「P.孔明」様の気持ちが分からないのかもしれませんが、一般閲覧者も同じ思いではないかと思います。
以上、
本来は「P.孔明」様とメールでやりとりをするべきなのかもしれませんが、「P.孔明」様が多数の「バカ」批判文を出されたので本管理人も回答せざるをえなくなり、ここに返答申し上げました。本管理人の意図と気持ちを御理解いただけたら幸いです。
管理人拝
-
>>380
ネットのあり方を考えてしまいます。例えば、大学紀要(大学が出す学術雑誌)のような高尚な内容の
文章をいくら書いても誰も読まないし、逆にあまりにも品性がない文章だと読んでも反発をするだけです。
板の管理人は初めてですが、やはり管理人も書かないと板の投稿や閲覧は減りますし、だといって、
ちょっと変な事を書くと、あちらこちらからお叱りを頂戴します。難しいものです。
この掲示板はのべ20万人がご覧になっていますし、「別板」はマイナーな掲示板ですが、それでも、毎日
100人以上の人がご覧になっています。これも、ひとえばに投稿者様と閲覧者様のおかげと深く感謝もうし
あげます。もっとも、本流掲示板になると、もっと沢山の人がご覧になっています。これもスゴいです。
こういうたくさんの人が見ている板だと、確かに影響力があるので、次の段階になる行動を考えがちです。
確かに、中東のアラブの春のように、ネットの影響で政府すら転覆する時代ですから、理解はできます。
しかし、それはネットだけではなく、いろいろな要因が重なって大きな動きになったのですから、それを
無視してアクションを駆り立てるのは正しいとは思えません。
ネットに期待されるのは、情報を伝える事、議論の場を提供する事、感情を現す事で、アクションを提起する
のは、それらが満たされた、次の段階ではないかと思っています。もし、アクションを提起するとしても、先ず
は議論が先に来るべきだと思います。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378投稿の続きです…。
■第 六章 霊言現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 霊言現象の長所と短所 】
霊言現象というと、何か新しいもののように思われるかもしれませんが、実は、この現
象ほど、その起源が古く、そして月並みなものも少ないのです。日本のいわゆる口寄せ、
神降ろし、天言通などは皆この部類に属します。つまり、霊媒が入神状態において人格転
換をすると同時に、その発声機関が別人格によって占領される現象です。欧米の心霊家は、
普通この種の霊媒を入神霊媒(トランスミディアム)と呼んでいます。
つまり、先の霊媒の分類を試みたところで、
第一にあげた没段式の巫女型霊媒が主としてこれにあてはまります。数多い心霊現象の中
で、これが最も無理が少なく、従って、その用途も非常に多いのですが、何分にも、昔か
ら、インチキ宗教家や霊媒者にさんざん乱用されてきたので、近代の心霊研究者たちは、
一般の誤解をさけるため、なるべくなら他の新しくめずらしい形式、たとえば直接談話と
か、自動書記とかを選ぼうとする傾向があります。これは決して霊言現象が悪いためでは
ありません。これを乱用した者が悪いのです。
入神状態における人格転換では、見過ごせない二種の表現形式があります。
A、霊媒固有の守護霊、または支配霊が表面に現れる場合。
B、霊媒固有の守護霊、支配霊は全然裏面に隠れ、直後他の人格が霊媒の口を使う場合。
守護霊、支配霊については、後の章で詳しく説明しますが、ここしばらく、霊媒と
何らかの因縁関係をもつ他界の居住者と思っていて下さい。従って、それらと霊媒とは、
通例調子が非常によく合っていて、まるで他界の居住者が臨時に物質界に再出現したと思
えるほど、甚だスムーズにいくものが少なくありません。学術的にまたは実用的に真に価値
があるのは、多くはそういう場合に見い出されます。現在、霊言現象の名霊媒として、心
霊学者の間で有名なレオナルド夫人としても、主に出現するのは、支配霊のフイダと称する
女性霊魂で、他の霊界居住者たちより送られる通信は、このフイダが中間に立って取り
ついでくれるのです。小林霊媒の場合には、数年前に帰幽したその愛児、和彦少年が支配
霊として、もっぱらとりつぎをし、北村霊媒の場合には、その守護霊の安藤帯刀、支配霊
の僧月真、その他が主として活動してくれています。
しかし、普通の巫女、口寄せなどでは、多くはこの取り次ぎ式の形式ではなく、千差万
別の霊魂が、直後霊媒の体を占領して、言葉を発するのが多いのです。一方からいえば、
非常に重宝なようですが、とかく憑依霊と霊媒との調子がピタリと合わない場合が多く、
そのため通信内容がひどく貧弱で、当人の性格や当人の思想の一割も現れないといううら
みがあります。
この霊言現象は、ひと口に言ってしまえば、一つの人格転換現象に相違ないのですが、
その内面装置は、案外複雑らしいのです。霊界居住者の間で通信方法は、主として思想
と思想との交換で、空気を媒体とする音韻ではありません。しかし、人間同士の通信法は、
主として音韻です。霊言現象というものは、結局のところ霊界居住者の思想を、人間界の
音声に翻訳する仕事です。そして、これは主として霊媒の背後に控えている守護霊または
支配霊たちの受け持ちになります。従って、霊界通信のうまいへたは、もっぱらそれらを裏
方さんたちの器量次第できまるわけです。いかに霊界の通信者がりっぱな思想人格の所有
者であっても、これを伝達翻訳する適当な守護霊、支配霊がなかったら、首尾よく、とて
も人間世界には届かないのです。
<つづく>
PS:遅くなりまして…
第六章に入り、【 霊言現象の長所と短所 】の中身から【霊界の事…】が、
だんだん深層的に入って行く様ですが・・・・・
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383投稿の続きです…。
■第 六章 霊言現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 霊言現象の長所と短所 】>>383の続編です
この霊言現象は、ひと口に言ってしまえば、一つの人格転換現象に相違ないのですが、
その内面装置は、案外複雑らしいのです。霊界居住者の間での通信方法は、主として思想
と思想との交換で、空気を媒体とする音韻ではありません。しかし、人間同士の通信法は、
主として音韻です。霊言現象というものは、結局のところ霊界居住者の思想を、人間界の
音声に翻訳する仕事です。そして、これは主として霊媒の背後に控えている守護霊または
支配霊たちの受け持ちになります。従って、霊界通信のうまいへたは、もっぱらそれら裏
方さんたちの器量次第できまるわけです。いかに霊界の通信者がりっぱな思想人格の所有
者であっても、これを伝達翻訳する適当な守護霊、支配霊がなかったら、首尾よく、とて
も人間世界には届かないのです。
この様に霊界通信は思想の伝達ですので、特に伝達が難しいと感じられるのは固有名
詞です。なぜなら、固有名詞は、ふつう無意味に近い、一種の記号であって、その中にほ
とんど、何のまとまった思想も含んでいないからです。たとえば、浅野という固有名詞を
伝達するとします。仕方がないので、守護霊たちはまず、「浅」という文字の意味を霊媒
の頭脳に印象するでしょう。これは、英語のいわゆるシァロウ、深い浅いの浅です。幸い
日本語には、この意味の文字がたくさんないので、その放送には成功するかもしれません。
が、「野」にはだいぶん困ると思います。それが、はたして野なのか、それとも原なのか、
誰でも迷ってしまうと思います。その結果、「浅野」と伝える代わりに、「浅原」と伝えて、
とんだ失敗を招くことになるかもしれません。こういうことを知らない人たちが「本人の
姓名さえ伝えられない霊媒はインチキだ」などとけなすのは、少々見当ちがいなのです。
固有名詞の伝達こそ、実は霊界通信が最もにがてとするところなのです。
<つづく>
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こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>384投稿の続きです
なおまた、霊界通信でのがれられない欠点は、肝心の当時者以外の思想が、ややもすれ
ば、ゴッチャになって感応することです。中でも最も多くの混入し易いのは、霊媒自身の潜
在意識で、それがしばしば、さも当時者らしい仮面をかぶり、ひょろひょろにじり出てき
て困るのです。職業的霊媒には、ことにその傾向が多いのです。同時に困るのは、霊界通
信中のある部分が、何らかの障害のために途中で断絶することで、これは電信電話の故障
よりもはるかに大変です。
もう一つ、霊界通信の最大弱点は、霊界居住者自身が、物質界と接触したために、しば
しばその思想がぼやけてしまうことです。彼らは、よくこんな愚痴をこぼします。「私た
ちが霊界にいる間は、記憶も確かで、思慮判断も鋭いのですが、いざ通信となって、鈍重
な物質界の中に入って調子を低めると、あたかも麻薬にでも浸ってしまったように、精神
状態が急にもうろうとなり、つまらない事でも思いだせなくて困ります。もちろん、何度
も何度も練習を重ねているうちに、だんだんそれに打ち勝ってゆくことができますが…。」
以上で霊言現象はじめ、あらゆる霊界通信にともなう長所と短所が、ほぼお判りになっ
たことと思います。霊界通信をすべて無視することは、もちろん非合理的です。なぜなら
ば、たとい不十分でも、それは現在における超現象の世界と物質世界である現世との間に
開かれた唯一の交通路なのですから…。が。霊媒を通じて現れる通信の全部を、そのまま
うのみにしたりすれば、それこそ、とんでもない危険性があります。なぜならば、それに
は不純な夾雑物があり、また肝心なものが抜け落ちている場合があるからです。
「霊言現象の長所と短所 」は終わりました次回は「入神講演」に続きます。…
<つづく>
PS:トキ様 へ
「インチキ…霊媒」の見分け方が、少し理解が出来ます様になりまして、以前テレビにて、
近頃「霊媒者」が、益々?多いように見受けられますが…当時の私は、
ほとんど信じていた様に思います。…が?今にして思えば、実に変ですョネ〜〜〜
更に「霊媒者」自身も、昨今は“ホンモノの方”が、果たしていらっしゃいますのでしょうか?
現在!テレビに出ていらっしゃいます「霊媒的な芸能人」が〜〜〜いますが、
何処までの“能力?”かと…この事に関しどの様に、考えられますでしょうか〜〜〜??
-
子どもに、より伝わるのは、言葉ではなく、エネルギー
「子どもが言うことを聞かない」のには理由があります。
子どもは親の「言っていること」を聞いているワケではありません。
子どもは「言葉」の意味を理解して受け取っているのではなく、「言葉」を含めた
エネルギーの方を感じて、そちらを主に受け取っているのです。
親が勉強嫌いで、勉強しても意味がないと思っているとしたら、そんな親から「勉強しなさい」と
言われても、子どもは「どうせ勉強してもしかたないんでしょ。自分だって、勉強は嫌いと言っているクセに...」という
エネルギーをちゃんと受け取っているので、素直に勉強することはありません。
親が「片づけなさい!」と言ったところで、自分が片づけるのが苦手で、整理ができていないとしたら、「片づけることはイヤなこと、
大変なこと」というエネルギーが子どもに伝わってしまうので、その大変でイヤなことを、子どもが進んでするハズもありません。
「子どもが言うことを聞かない」というのは、親の「言っていること」と実際に「やっていること」が矛盾していることの証明なのです。
自分の「言っていること」と「やっていること」が違うのに、その矛盾を解消せず、子どもには「言っていること」の方を強制しようとするから、
子どもは素直に動きませんし、どっちが親の本当に言いたいことなのかがわからなくなって、混乱することになるのです。
子どもは常に親を見ています。特に小さい子どもにとっては、親が、特に母親が世界のすべてといってもいいぐらいの存在です。
そのすべてに等しい母親のやることが、子どもにとってもはすべてなのです。
大人なら、口で説明すれば、なんとかごまかせることであったとしても、子どもは口ではごまかせません。
だって、子どもは言葉よりも先に、波動で...、エネルギーで母親と、ほかの人とコミュニケーションしているのですから...。
子どもにより伝わるのは、言葉ではなく、波動、エネルギーなのです。
あなたが子どもに、「お友達と仲良くしましょうね」といくら言い聞かせても、あなた自身がパートナーと、お姑さんと、ママ友と
仲良くできていなければ、子どもが友達と仲良くできるハズがないのです。
そんな子どもにとって、「仲良く」という言葉は、「陰で悪口を言うこと」と理解しているかもしれません。
子どもは母親としてのあなたの生き方、父親としてのあなたの生き様を見て育つのです。
自分の生き方を言葉でごまかすことはできません。そんなごまかしは子どもには通用しないのです。
親になったら、自分の生き方に責任をもちましょう。言い訳は無用です。
あなたの生き方が、子どもの人生を左右するのです。子どもに伝えたいことがあれば、言葉ではなく、
態度で、生き方で示しましょう。それが子どもに一番、伝わる「最幸の教育」になります。
子どもにとって、本当に大事なことを「背中で語る」、そんなカッコイイ親を目指しましょう。
『子どもに奇蹟を起こす 魔法のルール』 はづき虹映 著
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子どもが親を選んで生まれて来る
子どもが思春期を迎えると、親に反抗するようになります。
親の言うことがイチイチ気に障り、「わかってる!」「うるさい!」「ほっといて!」
などと親に対して、エラソーな口をきくようになったりします。
そこで親の方もカチンと来て、「誰に向かって、そんな口をきいてるの?」
「今まで育ててやって来た親に向かって、なんて口のきき方!」などと言い返すと、
「うるさいな!誰も産んでくれと頼んだ覚えはない!」などと言い返されて、親子ゲンカになることがままあります。
ただ、この「誰も産んでくれと頼んだ覚えはない!」という、よく聞くセリフ...。残念ながら、スピリチュアルな知恵を
学ぶと、この手の発言はできなくなります。あの世は肉体のない世界ですから、あの世からこの世に生まれて来るためには、肉体が
なければなりません。あの世には、この世に生まれて来る順番待ちの魂がたくさんいるといわれています。
あの世から見れば、この世は大変、魅力的な世界のようで、だからこそ、人は死んでも、またすぐに生まれ変わるため、輪廻転生しようと
するのでしょう。
あの世から見れば、この世に生まれることは、三次元という名のテーマパーク行きのプラチナチケットを手に入れたようなものかもしれません。
もう、肉体をもって生まれて来れただけで、本当に大きな幸運に恵まれた魂だといえるのです。
あの世で待機している魂にとって、肉体という名の三次元での乗り物を提供してくれるのが、両親の役割です。
これは本当に大きなギフトであり、この世に生まれたいと願っている魂側にとっては、これ以上のギフトはない....といってもいいほどの、スペシャルな
プレゼントです。ですから、子どもとして産まれて来る魂にとって、親は本当にありがたい存在で、感謝してもし切れない
「肉体を提供してくれた命の恩人?」だといってもいいでしょう。
それ故、小さな子どもにとって、親はまさに神様と同じ存在に見えるのです。両親が肉体を提供してくれたという事実を覚えているからにほかなりません。
生まれる前の子どもの魂からすれば、両親が出会って、愛しあってくれないと、自分が肉体をもってこの世に生まれて来ることができないの
ですから、まさに死活問題です。なので、両親となる男女の出会いを演出し、結びつけようとする「愛のキューピッド」という存在は、実は生まれて来る前の
子どもの魂のこと。
まさしく、私たちも生まれて来る前は、自分の両親の「愛のキューピッド」役を担っていたというワケです。
あの世からの視点でみれば、私たちはそうまでして、この両親のもとに生まれたかったということになります。
この魂のメカニズムが附に落ちると、二度と親に向かって「誰も産んでくれと頼んだ覚えはない!」というセリフは
吐けなくなるハズです。
あなたが子どもとして生まれたということは、自分の意志でこの両親を選んで、どうしてもこの両親のもとに生まれたかったと
いう結果なのです。あなたのもとに子どもが生まれて来たということは、その子どもからあなたたちは選ばれたという証明なのです。
子どもとして生まれて来るのも、子どもを授かるのも、すべてはそれぞれが自分の意志と責任で選んだこと。
誰にも、どこにも、文句のつけるところはありません。
『子どもに奇蹟を起こす 魔法のルール』 はづき虹映 著
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一人一人の「法灯継承」という言葉がありますが、これからは、一人一人が教えを学び、伝えるという覚悟
が必要だと思います。ただ、伝道と言っても、何をどうすれば良いのか、という疑問があります。生命の実相
などを拝読すると大先輩が大活躍をする姿があるので、「自分には、とてもあんな事はできない・・・。」と
思う人もいるかもしれません。また、新興宗教(しかも、総裁が自分の親族や親戚と裁判をしている!)の人間
とわかったら、恥ずかしいと思う人もいるでしょう。
また、機関誌などを見ると、調子の良い事ばかりか居てあり、ウソっぽく見えます。
そこで、気軽に・・・・とは言わないが、普通に生活をしている人が、普通の感覚でできる伝道を考えたいと
思います。これは、教団に在籍する人でも、本流復活派にいる人でも、応用できる内容です。谷口雅春先生のお
しえを遺したい! という人の参考になれば幸いです。多くは、私の失敗談を紹介します。
なお、長い話なので、何回かに分けて、説明をします。そのうち、「伝道板」でも作りたいです。
(失敗談)
青年会に入って、「日本を救うには、生長の家の教えが広まるしかない!」と燃えていた私は、学業や仕事が
終わると、そのまま家庭訪問に行ったものでした。特に行事の前だと、対象者名簿にある人に電話をかけまくり
とにかく行事に来て下さい、と泣き落としや恫喝に近い事をしていました。
ところが、そうなると、逆に、推進をされた人は、引く様になりました。それで、少し参ってしまった私は、
反省すると、要するに、自分のしてきた伝道は、自分の都合だけで伝道をしてきたのである、という事に気が
つきました。相手には相手の都合もあります。そういうのを無視して、行事に来い!というのは傲慢であった
し、相手も感情を害したのです。
それ以後、自分は相手の立場にたって考えるように努力しました。例えば、行事を誘って断られても、笑顔で
対応するようにしました。言い換えれば、信頼関係を重視するようになったのです。それ以後、電話や推進を
しても、嫌がられる事が、だんだんと少なくなりました。
考えると、行事に人を集めるのが目的ではなく、人に教えを伝えるのが目的です。行事はそのための手段に
過ぎません。そのあたりを間違うと、逆に誰かを傷つける事になるのですね。これは私の反省でした。
また、そのうち、続編を書きます。(いつになるやら)
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385投稿の続きです…。
■第 六章 霊言現象 ―――――――――――――――――――――――――
◆ 【 入神講演 】
さて、霊言現象の中で最も派手で、宣伝用として最大の威力を発揮するものといえば、
やはり入神講演でありましょう。これは霊媒が、入神状態において別人格の機関となり、
大衆を相手に講演を行うもので、そうした現象は、ヨ−ロッパ、アメリカでは、かなり多
いのです。入神講演の元祖といえば、アメリカはボストンのコナント夫人でしょう。本人
は、いかにも体が弱く、人並みはずれて内気な性質でしたが、いったん入神すると同時に、
演壇に立ちあがり、堂々と熱意のあふれた雄弁をふるうのでした。その支配霊は、フィッ
シャ−博士と名告り、ボストンの老医だったということです。
最近ではイギリスのモリス夫人が特に有名です。二、三年前からごく最近まで、ロンド
ンのフォルチュ−ン劇場で毎週一回ずつ、とうとうよどみない雄弁をふるって、イギリ
ス中の人々の耳目を引きつけました。支配霊は、パワ−と名告る男性の古代霊でした。
その講演の内容は大衆実質に富んで、大いに傾聴に値するものがあります。
◆【 パイパア夫人 】
ふつうの座談式の霊言霊媒としては、アメリカのパイパア夫人が非常に有名です。彼女の
能力は、一八八五年(明治十八年)から始まり、ごく最近に及んでいます。その間、ジェ
−ムス、ホジソン、ヒスロップ、ロッジ、マイヤ−スなど学界で第一流の学者たちが彼女
を研究材料にとりあげたので、一世の耳目をひくことになったのでした。最初は、ずいぶ
不純性をおびていたらしいのですが、後にフイニット、ベルラムと名告る支配霊たちが
彼女の肉体を占領するようになって、大々的な進境がありました。その中で興味深いのは
ベルラムです。彼は一八九二年二月、落馬のため死亡したごく最近の近代人で、生前には
ある程度心霊問題に興味をもっていました。従って彼は、霊界通信で証拠物件をあげるこ
とに全力をつくし、その点ではこれまでに例をみない好成績を収めました。ある時の実験
会に百五十人の列席者がありました。その中にベルラムの生前の知巳が、三十人いまし
た。ベルラムはパイパア夫人の口を借りて、その三十人を、いとも鮮やかに指摘しただけ
ではなく、そのあいさつぶりは、親しさの度合いにあわせたもので、まるで生前そっくり
だったそうです。そうした実例は、他にもたくさんあります。とにかくパイパア夫人は、
死後個性の在続を証明する上で、まことにぴったり好霊媒であるといえましょう。
PS:トキ様 へ
「霊媒者達の登場」でしょうか〜〜〜???
日本では、全く類の見ない形です〜〜〜ョネ!やはり、日本の場合は、勉強不足でしょうか?
まず【否定論…】からいきますから、“インチキ霊媒者”が多いのでしょうか〜〜〜?
更に、「哲学…」が、白人社会には“根(ネ)”づいていますから〜〜〜♫
こればかりは、いろんな意味で、全て遅れている様に、この頃痛切に思えてなりません。…が?
モット「生長の家…」の本当の意味での【光明化運動〜〜〜】はと?とこの頃思います。
「霊界通信」で、この頃「現象世界」での“魂”が〜〜〜”高尚な魂”が、少なくなりまして、
霊会でも“低級な魂”が多くなっているとの事ですが〜〜〜><
今回の【心霊勉強…】で、モット!何か!今後、更に気づく事が!出て来るのではと思います。
…が?如何でしょうか?
私は、最近!此の様にも思えてなりませんが〜〜〜??? 再合掌
-
>>389
この間、テレビの「アンビリーバブル」という番組を見ました。恐い映像特集で、本当に恐い映像が多かったですね。
幽霊の映像が続々と出て、最後に呪い面というのが出てきました。見た人が死んだり、不幸になるお面です。
ところが、後で、所有者から説明があり、面を見た人でも、何もなかった人はいるみたいです。
要するに、その人の心の持ち方で、不幸を呼び寄せるのです。閑話休題。
実は、神想観をしているうちに、霊能力がつく人もいます。が、それに慢心をして、身を滅ぼした人も実際、知っています。
本当の信仰を持って、その上で、霊について学ぶ事が大事ですね。
>>「霊界通信」で、この頃「現象世界」での“魂”が〜〜〜”高尚な魂”が、少なくなりまして、
>>霊会でも“低級な魂”が多くなっているとの事ですが〜〜〜><
それって、実は、私の事です。(笑)
-
(伝道の話)
私が指導を受けた先達のX先生は、谷口雅春先生の随行をされた事があります。
ある時、谷口雅春先生がお部屋におられると、地元の幹部の方が、ある婦人を連れて来て
「お疲れのところ、申し訳ありませんが、このご婦人の個人指導をお願いします。」
と頼まれたのです。谷口雅春先生は、快く了承されました。随行のX先生は、谷口雅春先生
の個人指導が見られる、というので内心、大喜びをして、そばで聞き耳を建てていました。
さて、そのご夫人が、自分の事を長々と話をされるのですが、その間、谷口雅春先生は、
「ああ、そう」「うん」「ああ、そうですか」と相づちを打たれるだけなのです。そして
先生が講演のために部屋を出る時間になると、そのご夫人に、
「よくわかりました。では、あとは、ここにいるX先生に指導を受けて下さい。
と言われて、すたすたと部屋を出て行かれたのです。
講演が終わってから、部屋に戻られた谷口雅春先生にX先生が、
「先生、先生は、どうして相づちばかりうって、指導をされなかったのですか?」
と質問をすると、谷口雅春先生は、こう言われました。
「あのね、人間は自分の話を聞いてもらえたら、悩みの半分は消えるのですよ。」
この話を聞いてから、私は、話をするよりも、話を聞くほうに時間をとるように
しました。すると、信徒さんから喜ばれ、また聖使命会員などにも入って下さる
人も増えました。
自分の話をするより、先ずは相手の話を聞く事。これが、意外に大事なのだな、
と学ばせていただきました。
合掌 ありがとうございます
-
> 今日は原宿教団の帰りに美女とデートしました。
そういいながらでも、部外者ブログへ行って、うのはなさんに意見するぐらいだから、
トキさんは美女から早めに帰されたようだ。
長年壮年白鳩相手にコツコツとはっさく皮むき愛行を続けてきたトキさんに、
やっと出番が回ってきたんだ!って、わたし心から喜んでおりましたのに
残念でした。
合掌 ありがとうございます。
-
環境(パソコン)は吾が心の影ですな
-
いじめの中で生きるあなたへ 大人から伝えたい「ごめんね」のメッセージ
私の娘、香澄は、心の暴力を受け、死へ追いつめられました。
15才のときでした。香澄の肉体が今、存在していないのは事実でしょう。
でも香澄は、その肉体の代わりに、大切なきっかけを残していってくれました。
それは、人にとっての「心」の存在を考えることです。
『いじめの中で生きるあなたへ』 小森美登里 著
-
395 名前:神の子さん 投稿日: 2012/08/07(火) 16:54:10 ID:???
環境(パソコン)は吾が心の影ですな
それはどう意味かわかりません。次回からは、もっと詳しくお願いします。
っていうか、こないだはパソコン二台と冷蔵庫まで故障して、時計も止まったりして
ポルターガイストかと思うぐらいすごかったですよ。
そして念をかけたら、冷蔵庫が直ったんです。こわかった〜〜〜
-
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/
-
ごめんね。
守りきれなかった天国の子どもたち、そして、今も苦しんでいる子どもたち。
私は心からあやまります。
あなたが苦しんでいるこの社会は、あなたたちつくったんじゃない。
まぎれもなく、私たち大人がつくったのです。
亡くなっていった、数えきれない天国の子どもたちは、みんな心や命の大切さを
知っていたよね。
今、苦しんでいるあなただって、もちろんそれがわかっている。
そのことを、私は知っています。
なのに、「強くなれ」とか「命を大切にしろ」なんて言ってごめんなさい。
心や命の大切さを知らなかったのは、本当はいじめていた子どもたち。
でも、いじめていたあなただって、本当はつらかったはず、悲しかったはず。
そのことに気づいてあげられなくて、ごめんなさい。
その苦しみに寄りそうことができなくて、本当にごめんなさい。
もし自分の苦しみに気づいたら、その苦しみを友だちに与えていた事実に、ぜひ
気づいてください。
私たちもがんばります。
すべての子どもたち、本当にごめんなさい。
そして、生まれてきてくれてありがとう。
『いじめの中で生きるあなたへ』 小森美登里 著
-
>398 の神の子さん
ここで、これを貼ることに何の意味があるの(笑)?
御自愛くださいませ。きょうはあなたのために 聖経 天使の言葉を
誦しましょう。
-
子どもに奇蹟を起こすあなたから父親への「魔法の言葉」。
“私をこの世に誕生させてくださって、ありがとうございます”。
子育てにおいて、父親が果たすべき役割の優先順位の第一位は、「母親のサポート」です。
子どもがある程度の年齢になるまでは、それが父親として最も子育てに貢献することになると、私は想います。
その次に父親に求められる役割とは、何でしょう?
それは「社会の窓」になることだと私は想います。
男性のズボンの前ファスナーのことを「社会の窓」といいますが、これこそ、まさに子育てにおいて、父親に求められている
大事な役割のひとつにほかなりません。
家庭における父親の役割とは、「社会」を映し出す窓の役目。
子どもたちは父親という「窓」を通して、社会という「家庭」とは違う世界を垣間見ることになるのです。
父親が家庭でいつも穏やかで、明るく笑顔で過ごしていれば、その子どもたちにとっては、社会はとても楽しく、
ワクワクするところに見えるでしょうし、父親がいつもイライラして、怒ってばかりいるようだと、その子どもたちにとっての社会は、
ビクビクと怯えながらのぞく、とても怖い世界に映ることになるでしょう。
ただし、先述のとおり、子どもが社会に出るまでの父親の姿を正しく反映しているかどうかは定かではありません。
父親がいくら「社会の窓」として機能しようと頑張ってみても、子どもの関心の大部分は母親に占められているので、母親が父親のことを
「社会の窓」として尊重してあげない限り、子どもが父親を尊敬することはかなり難しい....。
それほど、子育てにおいて、父親は完全に脇役で、ある意味、ほとんど忘れ去られた存在だといっても過言ではありません。
子どもが「社会の窓」として、父親の本当の役割を理解できるようになるのは、子ども自身が社会とのかかわりをもち始めてから.....。
まさに子どもが成人して社会に出て、父親と同じように仕事をし始めた時に初めて、子育てにおける父親の役割の大きさに、子どもは気づくことになるのです。
つまり、子どもにとって、「社会の窓」である父親は、社会との接点である、「仕事」の象徴でもあるのです。
父親がどんな風に家庭で過ごしていたかが、子どもの社会観、仕事観を支配しています。
ですから、子どもがどんな風に仕事をとらえ、社会と関わっていくのか見れば、その父親がどんな風に仕事をとらえ、社会と関わっていたのかも、自ずと映し出されてしまうのです。
昨今「引きこもり」や「ニート」が社会問題化していますが、子どもがそうなる責任の一端は、その父親の働き方、社会とのかかわり合い方にあるといっても過言ではありません。
しかし、だからといって、父親を責めたり、責任転嫁してもしかたありません。それよりも、未熟だった父親をあるがままに受け入れて、許すこと。
それがあなたが仕事を通して、社会的に成功を収めるために欠かせないポイントになるのです。
そのためには、まずこの「魔法の言葉」です。
「私をこの世に誕生させてくださって、ありがとうございます」
あなたが本気で仕事を通して、社会での成功を望むのなら、まずはこの「魔法の言葉」を父親に直接、伝えること。
このミッションをクリアしない限り、あなたの「成幸」はありえません。
『子どもに奇蹟を起こす 魔法のルール』 きこ書房
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人間のオーラはこれで決まる!
江戸時代、サムライ日本人が、まだ見ぬ地アメリカへ初めて乗り込んでいったときのこと。
アメリカ人に、日本人はどう見えたのでしょうか?
1860年、徳川幕府はアメリカに使節団を派遣。
たくさんのアメリカ人が集りました。ブロードウェイを行進する日本人の姿は、ちょんまげに、
正装である紋付き袴で、腰には日本刀.....。
初めて見る日本人に、彼らは非常に上質なものを感じたそうです。
これぞ武士道の結晶!
存在そのものが強烈な発信力を持っている!と称賛を浴びました。
詩人のウォルト・ホイットマンが『ブロードウェーの華麗な行列』というタイトルで、
その感動を詩に現しています。「西の海を越えて遥か日本から渡来した、頬が日焼けし、
刀を二本手挟んだ礼儀正しい使節たち」と記し、「超然」とした彼らの印象、そして、「考え深げな
黙想と真摯な魂と輝く目」に感動したと伝えています。後略。
『ニッポンのココロの教科書』ひすいこたろう・ひたかみひろ 著
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
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■第 六章 霊言現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【レナルド夫人】
現在、世界の霊言霊媒の筆頭としては、前にも述べましたように、何といってもまず、
レナルド夫人をあげなければなりません。私は、昭和三年の秋、彼女の実験会に臨みまし
たが、たしかにその名声にふさわしいことを認めました。
夫人自身の最初の希望は、霊視能力者になることでしたが、その支配霊のフィダは、彼
の意思に反して、とうとう彼女をを入神霊媒に仕上げてしまいました。彼女の自叙伝(現
幽両棲物語)には、そのあたりのことがこう書かれています。――
「…このフィダがその時語ったことです。彼女は私の生まれた時から私の守護をしてい
て、私の霊力が生長して役立つようになるのを期待しながら、そのうちに私を入神状態に
導き、体を利用して限界に働きかける目的であるとの事でした。この無意識状態に入ると
いうことは、私にはあまり愉快なことには思われませんでした。私は普通の霊視能力を発
揮し、彼岸に住む人々の姿をみたり、声をきいたりしたいのが、ずっと以前からの念願で
した。意識を失って、その間に第三者に使われる、つまり支配されるということ、それが
私にはいやなのでした。ですから、フイダの希望をきいた時、私は、どうか他の方法で、
つまり意識を失わない方法で、進めないものかと熱心にたのんだのでした。……。」
これをみても、本人の意識とその守護霊の意識とが、全然別個の存在であることがおわ
かりになるとおもいます。
それはともかく、その後レナルド夫人はすっかりフイダの意志通りに、入神霊媒にされ
てしまったのです。ロンドンの神霊家トマス師は、非常に熱心なレナルド夫人研究者で、
連続的に十何年かをその実験にささげ、同時に父、妹のエッタなどがかわるがわる現れて、
しきりに通信をよこしています。前年私をレナルド夫人に案内し紹介してくれたのも、実
はこのトマス師で、その時師の父親が現れ、約二時間にわたって、じゃんじゃんとまるで
生きているように物語ったのでした。「私の父は、生前全く、あんな男でしたよ」とトマ
ス師が、その時小声で私にささやいたのを記憶しています。これらの通信は、忠実に筆記
され、その一部分はすでに、一冊の書物となって刊行されていますが、私はその中から読
者の皆さんにとって、良い参考になると思われる個所をご紹介することにします。
(問いはトマス師、答えはその父親または支配霊のフイダです)――
問 「なぜ、霊界通信は困難なのですか?」
父 「私が通信を送る時に、フイダはしばしば私の言いたいことがなかなか正確につかめ
ない場合があります。そんな時は、私はある実体を示し…つまり何らかの、具象的方
法で私の意味を伝達しますが、それでもなお、全部通じないことがあります。この仕
事についている間、フィダの意識は霊媒の内部におかれていて、従って霊媒の頭脳を
通じて働くので、その感応に限度があるのです。時には、まるきりこちらの意念、感
情のある部分が消えてしまうこともあります…」
問 「フイダが取り次ぎをする時、通信者は実際フイダの前にいるのですか、それとも単
に思念の放送をやるのですか?」
父 「どちらの場合もあります。フイダの眼に、こちらの姿が見えている場合もあれば、
フイダが単にこちらの思想のみをつかむ場合もあります。いつでも見たり、聴いたり
するというわけではないのです。大体フイダと私たちとの連絡は確実ですが、人間界
との連絡は、それほどうまくいきません。」
問 「あなたがフイダに話しかけるとき、彼女の聴くものは何ですか?」
父 「それは私の言葉……いやむしろ、私の言葉の含んでいる思想の波を捕えるのです。
地上の人と人との間でも思想伝達は可能なのですよ。私たち霊界居住者にとっては、
思想伝達が生命なのです。それは言葉以上に正確です。言葉そのものを送ることも出
来ないことはないのですが、思想を送るより遥かに困難です。」
<つづく>
-
合掌
ある知人からの情報です。
まだ、雅宣氏が副総裁だった頃、
雅春先生と共同で心霊の研究をされていた浅野和三郎さんと言う方の流れをくむ、
「心霊科学協会」の方から聞いた話によると、
雅宣総裁の頭には「私は神だ」と言っている霊が憑いており、
足には蛇の霊が憑いているとの事でした。
また純子女史(女史と言うほどの知性は感じませんが)には動物霊が憑いているみたいです。
「私は神だ」と思っているのは低級霊の証拠で、『甘露の法雨』では「創造の神は五感を超越している、
六感も超越している、・・・・(中略)・・・・・人々の感覚に映ずることなし」
この文章を読めば誰も「私は神だ」とはまっとうな人ならば思うはずはありません。
また、蛇の霊と言うのは傲慢の象徴で雅宣総裁の心境が傲慢そのものである事を現わしています。
そして、動物霊が憑いているという事は、純子女史の境涯が畜生道に落ちている事を現わしています。
知人に聞いたところ、雅宣総裁が結婚相手として雅春先生に純子女史を紹介したところ、
「この女は生長の家を滅ぼす」と雅春先生がおっしゃったと聞いております。
これは親和の法則により雅宣総裁が「生長の家を滅ぼす」境涯の人間であった事を現わしています。
他にも生長の家総裁としてふさわしい方がおられた事を思うと、
清超先生のご判断ミスが悔まれてなりません・・・
再拝合掌
-
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>404拝読させて頂きまして…(目にとまりましたのですが?)
■当時の青年会とは、そうです〜〜〜ョネ!
「現雅宣総裁先生」の頃の“青年部”は、殆ど、私を基準にしますと“10才以上…上が青年”
でしたかしら〜〜〜ン!
例えば、当時「現雅宣総裁先生」が、24歳としますと“平均年齢が35歳前後”が殆ど占めており、
この方々が「青年会会員の時代」ですから〜〜〜
振り返りますと、姉の年代ばかりでしょう〜〜〜。更に、「青年部」が強い頃は、むしろその後の
【ヤオハン…和田一夫氏】の頃ではないでしょうか?その記憶があります。…が?
そうして、考えますと「現総裁選先生の対象の女性の方」は、対象としては難しい社会情勢で
あったものと推測いたします。この様な記憶がありますので〜〜〜?更に、
【当時は大卒の方が、奉職として入ってこられる方が少ない時代でした。…が?><
失礼ながら“マ〜〜〜ッ!志恩様の年代が、当時の青年会が多い時代ではとの、記憶がありますが?
…こうして考えますと「正義さんも話…」が、変わって参りますが?
「奥様」は、自慢できるくらい【健康…健康管理】されていらっしゃる方なのでしょう〜〜ネ!
【病 気 も 無 い!全 く な い 事!更 に “白 内 障”も な い 位…】
さぞ!「健康管理」をなされていらっしゃいますのでしょう!素敵です〜〜〜ョネ!
■人の結婚…云々…事を云いますくらい“お暇〜な方”なのです〜〜〜ョネ!
私の頃の【生高連…】は、皆大学受験と云う事で“勉学”に励んでいましたモノです〜〜ョネ!
この様に考えて参りますと…
「現総裁雅宣先生」が、御縁があって選ばれました方が【純子先生】です〜〜〜ョネ!
本当に、当時の時代背景から申しますと、宜しいのではないでしょうか?
しかも、当時の大学男女は、殆ど“名前”のみでの【活動なし体制時代】ですから〜〜〜?
■■この事の背景には、全てが【三島由紀夫氏…割腹自殺】の影なる影響が多大であったものと
推測いたします。
再合掌
PS:【聖書にも…エデンの園…男女のお話“蛇”が、でてきますでしょ〜“
これで…お二人の“御縁”が〜〜〜でしょうか?
-
>>404
神は霊媒にはかからぬ
管理人からのお願いです。NEW (225)
日時:2012年08月08日 (水) 22時41分
名前:管理人
書き込み人・閲覧者のみなさま、ありがとうございます。
この掲示板を盛り立てるためにご努力くださっていることに感謝申し上げます。
最近、「あの人についている霊はこのような霊だ。あのような霊だ。」、「あの人が蛇に生まれ変わった夢を見た。」というような内容の書き込み文を拝見しますが、このような「霊」「過去世」「来世」に関する書き込みは、くれぐれも慎重にお願いいたします。
その理由は、「霊魂」「過去世」「来世」は一般的に証明も反証もできない内容がほとんどであるからです。簡単にいえば、言ったもの勝ちで終わってしまうことが多いからです。
もしも、「これは重要なことだから、是非言いたい。」という場合は次の2点を必ず踏まえてください。
①
記事の内容が伝聞によるものならば、誰からきいたのか、あるいは何に書いてあったのか、情報源を明示してください。「昔聞いたことだから忘れたが…」というような言い方は無責任な言い方であると判断して、管理人が削除します。
また自分の考えならば、「自分の考えである。」と明示してください。「夢に見た。幻に見た。声を聞いた。」という場合も同じです。
②
「人間は神の子である。どんな人間でも例外はない。また、現象は本来ない。完全円満な神の子と神の世界のみがあるのだ。」という教義の根本から切れていない結論にしてください。
「彼が悪いから、彼に対する批判で終わってもしかたがないのだ。」というような言い方を谷口雅春先生は決してしませんでした。この点をご確認願います。
以上は、「霊魂」「過去世」「来世」について書き込みをなさるときの御注意点ですが、それ以外の内容の書き込みをされるときも「生長の家の教義」から逸れることがないように、ご注意をお願いいたします。
-
>>404
「P.孔明」様。この掲示板の外でご活躍ください。NEW (242)
日時:2012年08月09日 (木) 06時21分
名前:管理人
「P.孔明」様。
(中略)
「P.孔明」様。
他のブログや掲示板で活躍なさるか、ご自分で新たに掲示板をお始めください。この掲示板で発言されるのは活気づいて有り難いのですが、管理人は「P.孔明」様のお言葉と論争態度を信用いたしません。本掲示板上でのご発言をお断り申し上げます。
短い期間でしたが今日までこの掲示板に情熱をそそいでくださったことに感謝申し上げます。
合掌
-
>404
P・孔明氏が投稿されている総裁霊視や雅春先生のお話は真偽も分からず、
また、論議のすり替え、反論者・質問者の方に対して大変失礼な態度、
そして、それは生長の家本流の復活の大義の為と自己正当化・・・彼は生長の家の御教えを信仰していらっしゃるのかと思えてなりません。
生長の家は『現象無し・実相独在・善一元』の真理を説いているのであり、
神は霊媒にかからぬと大調和の神示にあるように、現象の霊に惑わされず、ただ実相を観るものです。
こんなデマを流すのは止めて欲しいです。
-
SAKURAさま
私は、雅宣総裁先生に、おかしな霊がついているかどうか、霊媒の人にみてもらったことは、ありません。
小学校の低学年時代以来、心霊学会へ、足を踏み入れた事も、ありません。
「生命の實相」一筋で、今日まで来た人間です。
正義の使者様もP。孔明様も、私では、ありません。
私は、新しい2つの掲示板へは、まだ一度も、書き込んでいません。
私の言ってる事が、ころころ変わるようなことを、言われてますが、私は、本当のことを書いていますので、
話の内容は、一貫しております。
-
霊媒師という職業をされてない一般の人でも、
霊媒的素質があり、背後霊やオーラが見える人がいます。
私の友人の1人で、自分の前世が、わかり、他人のオーラが見えると 言う人がいます。
でも、背後霊は、見えないそうです。見えるのは、オーラのみだそうです。
しかし、生長の家の熱心な信者さまの中には、人に どんな背後霊がついているか霊視ができる
特殊な能力をお持ちの方もおられるでしょう。
それはそれで、1つの才能ですから、いいことだと思っております。批判する気持ちは、ありません。
私の場合は、霊視は、できません。
-
P・孔明氏の文章へのご反論の引用、ありがとうございました。
P・孔明氏の文章が本流光明掲示板に掲載された時には、内容の荒唐無稽さに仰天したのですが、
他の掲示板の事ですから、あえて触れませんでした。が、こちらの板へ書き込みがあったら、
反応はしないといけないと思っていました。
私は、谷口雅宣先生の現在の信仰指導や組織指導の方針には賛成はできません。しかし、P・孔明氏
の投稿は、信仰的に根拠がなく、総裁を単に侮辱する投稿だと思っています。
あと、P・孔明氏が、最初の掲示板を閉鎖した経過も、自分自身の経験に照らすと、説明には
納得していません。
ただ、これ以上の言及は控えさせていただきます。
合掌 ありがとうございます
-
今忙しいし、光明掲示板も孔明氏の投稿も読んでいないので、詳細はわかりませんが、
トキさんのお母様か誰かが、総裁の背後には生長の家とはちがうものが見えるとかなんとかの
投稿があったように思います。
生長の家ではどちらかといえば、霊とか前世の話はタブーでしょう。
一般社会でもそういう話は話したほうがおかしいといわれがちです。
けれど、神一元といっても、霊供養などの話もすることも事実ですから
むずかしいものだと思います。
ある心霊関係の霊査などするとこに、生長の家の現本部講師も通っていた
話を古参の信徒さんから聞きました。その人自身、どういう事情か霊界通信
できる人で、初対面からわたしの霊視話をされたので驚きましたが、当っていることばかりでした。
そういう能力が或る人がいること自体は否めません。
-
かなり昔のことですが、霊界(霊)のことに関心を持ちいろいろな資料を読みあさっていましたが、
ある時、霊媒と審神者のことで父に質問したことがありました。
父の返事は、雅春先生は「霊界のことは霊界に行ってから学んだらよろしい」と
言われたことがあったと話してくれました。
私はもっともだと思いまして、それ以来関心を持たないようにしてきました。
以下体験談です。
ある日のことですが、会社の会議室で企画についての打ち合わせ中に
ある女性課長が入口付近に人の霊がが立っていると言い出して、
室内が凍りついたようになったことがありました。
霊の雰囲気はどんな感じ?と女性課長に聞くと、普通ですという返事でした。
その会社というのは陶磁器関係のメーカーで、買収した会社でした。
心に思い当たることがありましたので、その霊に私達がお預かりした貴方の会社は
しっかり守ってこれから発展させていきますのでご安心下さい、と話しかけました。
その霊はその時にすっと消えていったそうです。
もちろん私は霊など見えませんが、安心させるた為にみんなには言いませんでした。
見えない人には反論のしようがないですから
「霊界のことは霊界に行ってから」でよろしいのでは?
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>404拝読させて頂きまして…(目にとまりましたのですが?)
■当時の青年会とは、そうです〜〜〜ョネ!
「現雅宣総裁先生」の頃の“青年部”は、殆ど、私を基準にしますと“10才以上…上が青年”
でしたかしら〜〜〜ン!
例えば、当時「現雅宣総裁先生」が、24歳としますと“平均年齢が35歳前後”が殆ど占めており、
この方々が「青年会会員の時代」ですから〜〜〜
振り返りますと、姉の年代ばかりでしょう〜〜〜。更に、「青年部」が強い頃は、むしろその後の
【ヤオハン…和田一夫氏】の頃ではないでしょうか?その記憶があります。…が?
そうして、考えますと「現総裁選先生の対象の女性の方」は、対象としては難しい社会情勢で
あったものと推測いたします。この様な記憶がありますので〜〜〜?更に、
【当時は大卒の方が、奉職として入ってこられる方が少ない時代でした。…が?><
失礼ながら“マ〜〜〜ッ!志恩様の年代が、当時の青年会が多い時代ではとの、記憶がありますが?
…こうして考えますと「正義さんも話…」が、変わって参りますが?
「奥様」は、自慢できるくらい【健康…健康管理】されていらっしゃる方なのでしょう〜〜ネ!
【病 気 も 無 い!全 く な い 事!更 に “白 内 障”も な い 位…】
さぞ!「健康管理」をなされていらっしゃいますのでしょう!素敵です〜〜〜ョネ!
■人の結婚…云々…事を云いますくらい“お暇〜な方”なのです〜〜〜ョネ!
私の頃の【生高連…】は、皆大学受験と云う事で“勉学”に励んでいましたモノです〜〜ョネ!
この様に考えて参りますと…
「現総裁雅宣先生」が、御縁があって選ばれました方が【純子先生】です〜〜〜ョネ!
本当に、当時の時代背景から申しますと、宜しいのではないでしょうか?
しかも、当時の大学男女は、殆ど“名前”のみでの【活動なし体制時代】ですから〜〜〜?
■■この事の背景には、全てが【三島由紀夫氏…割腹自殺】の影なる影響が多大であったものと
推測いたします。
再合掌
PS:【聖書にも…エデンの園…男女のお話“蛇”が、でてきますでしょ〜“
これで…お二人の“御縁”が〜〜〜でしょうか?
-
>>413
ご投稿、ありがとございました。
おしゃる通りですね。霊については、確かに知識は必要ですが、あまり深入りしたり、他人を
誹謗中傷する手段に使うのは、よくないです。
失敗学、もう少し時間を下さい。遅れてすみません。
合掌 ありがとうございます
-
〜心霊科学について〜
トキ様、うのはな様、goro様の 心霊についてのご発言、読ませて頂きました。
またSAKURA様は、様々な心霊関係の著書から引用され、文を書いて下さって、ありがとうございます。
私は、”死後の生命”とか”霊”について知る事は、より真理を深く理解できることだと思っています。
私自身も心霊科学には、興味がある方なので、 気をつけなければと思っているのですが、
雅春先生も「生命の實相」霊界篇、「霊界の妻は語る」他などで、霊界の存在を教えて下さっていますけれど、
心霊科学というものは、トキさまも書かれてますように、、【ある程度の知識を得ましたら、心から放っておく事】が、
大切なようなのです、
なぜかといいますと、霊視が出来る人には、霊が見えるそうですが、この世と重なる様に、幽界はあり、そこには、
唯物主義に陥ったまま、または無神論者のまま、あの世に行き、自分の死に気づかないか 死を認めない(あかの他人の)「低い意識の霊」達が、あちらこちらに、
浮遊霊として、動き回っているそうなんです。
で、人間が、ネガティブな心になったりした時ですけれどね、カール・A・ウィックランド著のスピリチュアル系の本で知りましたが、
「低い意識の霊」から見ると、そういうネガティブな心のバイブレーションは、
「灯り」に見えるそうなのです。
それで、
バイブレーションの波長が合うと、ネガティブ人間に引き寄せられるそうですから、あまり、霊について、考えすぎない方が、
災いとか神経症などの病が、降り掛らないと、聞いております。
神経症や災いが発症するのは、霊だけが、原因ではありませんけれど。
神想観により、神様と直結して、人間神の子の高い意識を持ち、
「甘露の法雨」のような高次のバイブレーションを放つ言葉を称えれば、あの世にいる そのような人達をも救出し、低い意識から解放する事も出来ると教えられていますが。。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本は、昔から
心霊科学に興味を持つ事は、マニアックな好奇心と受け取られ、あからさまに拒絶反応を示す人や、
霊といえば、やみくもに幽霊だ!と思い、背後霊といえば、怖いイメージを想像して、あれ、恐ろしや!と震える人が、多いと聞きます。
ですから、生長の家の教えにより、正しく 霊や、霊界のことを学ぶことにより、なぜ人は生きているのか 基本からわかりますし、特に日本人として、浄化した霊でいるためにも、
正しい知識は、大事であり、自分を生涯守護して下さっている背後霊、守護霊は、だれにでも居ますので、神様、ご先祖様、守護霊様に
感謝することにより、よりよい運命に導いて頂けるのだと思います。
(別の話ですが、世の中、不条理な事が多いですが、「動物、植物を含めた利他愛」の実践と、「前向きに生きること」により、現世が良くなくても、来世で帳尻をとるのだそうです。
生きていることは、魂の修行なので、人から良く思われても、心の中が荒廃していると、ダメなのだそうです。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心霊科学は、日本、アメリカより、ヨーロッパの方が、昔の時代から すすんでいるそうです。
ヨーロッパでは、古くから、大学に、神学の一部 esoterismという古い部門があったり、大きな哲学科、神学科には、
研究機関も専門家もありましたし、確立されていた。
しかし、最近では日本の一部でも、生長の家の教えは、もちろんのこと、スピリチチュアリズム&シルバーバーチ、コリンウイルソン、エドガーケイシーその他のことを学ぶ、
ここの掲示板だけでも、
トキ様、アクエリアン様、うのはな様、SAKURA様、さくら様、その他のみなさま、勉強されていらっしゃいますから、
日本でも、心霊科学を勉強する人が、少しづつ増えてきているのかもしれません。
-
人間だれでも、ネガティブの心になることがありますから、そのときは、
すぐに、明るいチャンネルに、お互いに 切り換えて、爽やかに 生きていきましょう。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>
投稿の続きです…。
■第 六章 霊言現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【レナルド夫人】
問 「フイダは、どんな具合に通信を受けとるのですか?」
フィダ 「通信者は、私に感じさせたり、見せたり、聴かせたり、いろいろの事をします。
私には感ずることが一番やさしいのです。あちらで冷たいと感ずれば、私にも冷たく
感じ、熱いと感ずれば、私にも熱く感じます。つまり催眠術の暗示みたいなものです
…。」
問 「象徴的(シンポリカル)な通信は、正確に受取れますか?」
フィダ「時々わからないで、大失敗をやります。たとえば、先方で十字架の形を示しま
す。現在の私には、それが苦難の象徴であることがわかりますが、最初は何のことだ
か、さっぱりわからないで困りました。現在でも、新しい霊たちが勝手な形を見せる
ことがあるので大変まごつきます。もっとも、経験のある霊たちから、その意味を教
えられて助かることもありますが…」
問 「交霊中にフィダの述べる言葉が、霊界の通信者に通じますか?」
父 「通じる時と通じない時とがあります。自分はいっしんに何を述べるべきかを、考え
込んでいるので、フィダが何を物語っているか、まったく気にとめない場合がありま
す。ですから私の言わんとするところを、はたしてフィダが正確に伝えているか、い
ないか、往々にしてわかりません。だいたい交霊中は、放送者自身も、一種特殊な状
態に入らなければなりません。言わば、自分の調子を下げるのです。この仕事に従事
している間、私たちは普段の自分自身よりも、よほど鈍いものになっています。結局
のところ、すべては波動の調整で、勝手に自分の最高の能力を発揮するわけにはいか
ないのです。記憶も鈍れば、力も薄い、いわば、何だか物に包まれた気分です。霊言
現象で、どうしても必要なものは、霊媒から発する一種の半物質的放射体であって、そ
の渦中にいれば、私たち霊界の住人も、半分人間臭くなってしまうらしいのです…。」
問 「その時の気持ちを、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。」
父 「あなたたちもよく、うつらうつらと半分眠ったような覚めているような状態に陥っ
ていることがあるでしょう。つまり人の話し声は何やら聞こえるが、しかしはっきり
とその意味がききとれない、といった状態です。交霊中、私はちょうど、あんな状態
に陥っています。気持ちは、そんな悪くもない、が、自分の意識はもうろうとしてい
るのです。そこを離れて自分たちのいつもいる世界に戻れば、能力は、すぐ回復しま
す…。だからエッタなどは、記憶をよびおこすため、いったん霊媒の身辺から離れる
こともありますが、戻ってくると、やはり忘れてしまうので困ると言っています…。
もっとも、だんだん練習を加えれば、通信能力が上達することは事実です。」
問 「なぜ、霊界通信は断片的になることがあるのですか?。」
フィダ「それは、一部分しか私に受取れない場合があるからです。もう一度繰り返し
て下さいと、先方にたのみますが、先方では通信中の何の部分が不明なのかがわから
ないので、とんでもない別の個所を再放送したりするので、通信がゴチャゴチャにな
って困ってしまいます。ことに、ある新しい題目に移る時に、まちがいが起れり易い
のです。また、他の霊媒がすぐそばに来ていて、その思想が混入すると、これも通信
をめちゃめちゃにします。」
<つづく>
-
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>418投稿の続きです
問 「霊媒の頭脳に印象するのに、どんな方法をとりますか?」
フィダ「たとえば、りんごを印象しようと思えば、私は強くりんごの念体を作り、それ
を霊媒の頭脳の適当な部分に印象するようにします。どこが適当な場所であるかを発
見するのには、そのりんごの念体を、霊媒の頭脳の上をあちこち持ち歩きます。する
と、どこかしら、ひどく強く引きつける個所があります。いよいよここだ、と思った
時に、手早くキュッと印象するのですが、これはもちろん、私たちがただそう心に思
うだけで、別にりんごを手で持ち運ぶわけではありません。いよいよ頭脳が、りんご
の観念を吸い込んだと感じた時に、私たちはつぎの言葉の伝達に移ります。こんなふ
うに説明すると、大変時間がかかるようにみえますが、実際は、ずっとスピ−ディに
運ばれるのです。一般的に続きものの雑談は印象しやすいですが、ポツリと切り離さ
れた特殊の単語、たとえばりんごとか、みかんとかを印象するのは骨がおれます。」
問 「霊界通信によって、本人の個性の全部が現れますか?」
父 「それは、とてもできません。私たちは、自分の思想、自分の能力のある一部分のみ
を、霊媒の心に印象するのです。どんな人でも決して、同時に、自己の全精神をその
頭脳に注入するものではないのです。順繰りに、その或る一部分ずつ、その或る一局
面ずつを、切り売り式に送り込むしかけにしています。従って人間には、現在意識と
潜在意識との両面が自然に備わるという理屈になります。私たちが霊界通信を送る時
にも、それと同じです。自分は霊媒の心に、自分の心の一小片――いわば分霊を
注入するだけで、他の潜在意識として霊媒の心の外に残してあります。交霊中、この
ように内と外とに分かれている二つの意識は、言わば別個の存在で、両面の連絡は、
ほとんど不可能に近いです。いかに練習を積んだところで、この差別的状態はある程
度まで依然として残り、その結果自分で姓名すら名告れない、というようなことも起
こるのです。……」
以上、いささか全体のバランスを失いはしないかと思える程、長々と紹介をしてしまい
ましたが、交霊現象の内面装置の研究に興味をおもちの方なら、たぶんこの抜粋に対して、
さして不平はおっしゃらないだろうと思います。だが、私は決してこの霊媒通信に盲従せ
よと言うつもりはありません。しかしながら、私のこれまでやってきた実験と照らし合わ
せてみる時に、大体において、ほとんどその全部を承認してよろしいかと信ずるものです。
*これで【第六章 霊言現象】は如何でしたか??
次回は、【第七章 自動書記現象】に入ります
PS:トキ様
今回「霊言現象」を、投稿しましたら、人によりましては、間違った捉え方をしている様に
お見受けされる方が、いましたが?「霊界の世界」でも、やはり一種の”規律制”がある様に、
見受けました。この頃では【今を生かす…更に活かしての行動でしょう】かと思う次第です。
まず!学生時代に勉強不足していますと、もしかして?「霊界世界…?」にいきましたら?
今の私の状態では??蒼白観念が出てきたかしら〜〜〜ン?この様に思いますと、当に、
「言葉一つでも大事」ですネ!!今回、あらためて思いましたし、【先祖供養の孝徳】にも、
益々”愛念”が入り、読誦している現状です。
「霊現象の捉え方」を、いい意味でとらえていらっしゃらない方がいる様ですが、私自身は
「霊界からの何か伝えたい”メッセ−ジ”と、ある面では、解釈しています。…が?「トキ様」も、
これらの「霊現象」は、一つの”伝達通信”では?と捉えるられますでしょうか?それとも否定さ
れる事になりますでしょうか?この点に関し”御自身の考え”を頂きますと幸いです…。
■■ 今回は【WEB 誌友会】開催にて、8月12日までは、投稿が出来ない状況ですので、
その後、こちらに【第7章…」から投稿させて頂きます…。
-
管理人「トキ」様 へ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
しばらくご無沙汰??しておりましたので…
此の【ボ−ド?】使われていないのでしょう〜〜〜か?
再合掌
-
脳科学者たちも意識が何かわからない
脳科学者の茂木健一郎さんからも、このような質問をいただきました。
「実はわれわれ脳科学者はとても大きな問題を抱えています。それは『意識』の
問題です。科学者はこれを全然解明できていないんです。
たとえば、私たちはいま光を感じたり、音を感じたり、あるいは体のだるさや疲れを
感じたりしています。この現象を科学的に解釈すると、脳内にある約百億個の神経細胞や
ニューロンが外部刺激に反応している、ということになるでしょう。
でも、この解釈に従うと、いわゆる『意識』というものは存在していないことになります。
脳のシステムは大変複雑ですが、意識はどこにも見当たらない。神経細胞の内部はさらにたくさんの
分子で構成されていますが、この一つ一つを取り出したところで、どこにも意識は発見できないのです。
たしかに二十世紀は、科学の力でもって脳を全て解明できると思っていました。脳の分子の動きをコンピュータで
シュミレーションすれば、意思や感情といった問題もすべて理解できる、そう信じられてきたのです。
ところが現在、最先端の脳科学をもってしても、『意識』について全然解明できていない。
『意識を持つとはどういうことか』『意識は存在しているのか』、これをどう説明するべきか、どう調べていいのか、
見当すらつかない。全くの無力なんです。
科学的な見地、科学者の立場で言えば、もはや意識は『存在してはいけないもの』なのです。
私は北米神経科学学会に参加していますが、そこにいる三万人以上の脳科学者も、みな意識についてはうまく説明がつかないでしょう。
とはいえ、私たち自身も『意識はある』と認識しています。意識については、これから一番真剣に考えなければいけないことの一つだと
考えています。一方で仏教の方々は、長い伝統の中でずっと意識の研究を重ねています。そこで、仏教では意識をどのようなものと捉えているが、
ぜひお伺いしたい」
『傷ついた日本人へ』 ダライ・ラマ14世 著
-
ご利用者の皆様へ
いつもこの掲示板をご愛用下さり、ありがとうございます。
突然ですが、この掲示板に「教区会員」板(仮称)を作りたいと思います。
現在、教区つまり「現場」では、本部の恣意的な組織指導により、混乱が生じております。そのため、退会者が続出してい
ます。が、その中でも、退会もせずに、教区でがんばっている幹部、講師、信徒も多数おられます。しかし、環境はどんどん
悪化し、将来の見通しもつかないので、悩んでいる人は少なくないです。
「甘露の法雨が入手できない」「絵手紙の誌友会の開催を強要される」「今度なった連合会長が酷すぎる」等等、教区なら
ではの悩みはあると思います。
そこで、同じ教区の会員同士が情報交換し、励まし合う板を作ろうと思います。皆様のご意見も拝聴の上で、特に異論が
なければ、数日後に設置するつもりです。板を増やすのには、利用者の皆様の都合を考えると申し訳ありませんが、よろし
くお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>418>>419
投稿の続きです…。
■第 七章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
自動書記も、前章で述べました霊言と同様に、主として主観性の心霊現象です。ペンを
とって文字を書くというだけでは、外面的にはそこに何の異常性もありません。ただ、そ
の内容を検討した時に、初めてそれが霊的産物であることを発見するのです。言うまでも
なく自動書記という名称は西洋式のもので、いわゆるオ−トマティック・ライティングの
訳語です。日本では、古来この種のものを、お筆先(おふでさき)などと呼んでいました。
【 二様の形式 】
自動書記の形式は、大別して次の二種類に分かれます。
A, 補助的器械を使用する自動書記
最も広く用いられているのは、プランセットで、これは日本にも相当普及しています。
西洋では近年、ウイジャ盤というのが流行っています。盤上にABCの二十六文字と数字
があり、これに三脚の指示器をのせ、霊媒がこの指示器にてをかけると、それが盤上を滑
走して必要な文字を指示する装置です。近頃は他にも「コミュニケ−タア」「ファイノ」
「アッディタア」という器械があります。中国のいわゆる「乱字」(注・日本では天抜と呼ぶ
ことあり)もその一変形です。二尺ばかりの丁字形の棒の両端を二人で握り、下の砂漠に
文字を書く装置です。
B, 霊媒自身の手を使う自動書記
霊媒は、この際、通例無意識の入神状態には入らず、ただ自分自身を受身の状態におい
てペンをとるのです。すると自己の意識、少なくとも自分の顕在意識とは、全然別個の意
識が加わって、手を動かすのです。熟達した霊媒は、しばしば、真暗なところでも平気で
文字を書き、また他人と話をしながらとか、読書をしながら、これを行います。
外面的に観察すれば、自動書記の装置は、このように簡単ですが、その裏面の装置は、
他の心霊現象と同様に、大変複雑微妙です。大方の自動書記が、本人の顕在意識と無関係
であることは明らかですが、だからといって、すぐにこれを交霊作用であるときめつける
のは早まった考えです。私たちは自動書記現象の裏面には、常に次の二種類の意識が、単
読的に、または複合して働いていると考えるべきです。
(イ) 本人の潜在意識
(ロ) 外来の意識
外来の意識という中には、もちろん生者の意識も、また死者の意識も含まれているわけ
で、単に二つの中の一方だけを認めることは非科学的です。何か或る一つの主義主張を樹
立しようとあせる人たちは、どうも自分に都合のいい方だけを認め、都合の悪い方は軽視、
ひどいのは黙殺しようとしますが、これは大変問題です。フロイド一派の精神分析論者
唯物論にたつ医学者などにその傾向が特に強烈です。心霊学者は断じて、そういうことを
してはなりません。常に純白紙の態度で、すべてに臨むことが大切です。
次回は【 モ−ゼスの自動書記 】に入ります。
<つづく>
PS:トキ様
【自動書記…】も、色々ある様ですが、色々な形があり、次回も又!面白い様ですので…
この【自動書記…】そうです〜〜ョネ!「生命の実相」にも記述されていますかと〜〜♫〜〜
-
再々度、山ちゃん様のブログの紹介です。
「原理主義」に対しての自己撞着-3
http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201208240000/
原理主義についての歴史的考察から、現総裁の本流回帰派は原理主義であると
言われる事への徹底的反論を論理的に展開されています。
本流はのみなさんは①②③全てを熟読しましょう。
本流回帰派の論理的な拠り所となるはずです。全員必読をおすすめします。
※ ローマ字のSAKURA様の投稿ですぐに埋まりますのでご注意下さい。
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goro様
山ちゃん1952様のブログを貼付して下さいまして、ありがとうございます。
今回は、「原理主義」に対しての自己撞着−3ですが、先日、1も2も拝読させて頂きました。
私も、山ちゃん様にチェストです。ポイントをついていらっしゃいますよね。
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ある方から、「石川芳次郎翁の生涯」の本の写しを頂戴しました。石川氏は、実業家ですが、また生長の家の発展に多大な貢献をされた方です。
以下、同書のp233を紹介します。
(つづく)
-
石川翁は性格円満、人徳の人であり、調和の人であり、したがって調停の妙手で
あった。
戦前、戦中、終戦直後にかけて同志社大学は内外多事、まことに困難な時代で、
湯浅八郎総長や、当時の常務理事、校友会(男子卒業生の団体)会長だった石川翁
などは苦労のし続けだった。昭和十年から戦後の二十七年まで同志社本部事業部長、
理事会書記長を勤め、石川翁の傘下にあった奥村龍三氏(現神戸市在住)の話によ
ると
軍国主義の波をかぶり、同志社大学の法、経学部の教授陣が上申組、被上申組に別れ、対
立抗争を続け、上申組は警察、憲兵、右翼団体、そして学内配属将校のグループと緒托し、
絶えず被上申組の教授陣をおぴやかし、収拾のつかない状態となり、大学本部は困惑した。
このとき、奥村氏は石川翁と相談、同志社顧問弁護士山下彬磨氏のきも入りで、山下氏の友
人中島今朝吾陸軍中将(当時の憲兵隊長)を学園に招き、仲裁の労をとってもらうこととし、石
川翁の適切な裁きによって一応の落着をみた。
まったく石川翁の手腕と英知のたまものといえよう。
(つづく)
◇
-
◇
戟後の昭和二十三年春、京都市公安委員会ができた。当時の市長は神戸正雄博士、
助役は田畑磐門氏。公安委鼻は石川芳次郎、田畑忍(同志社大学教授)、鎌田敬四
郎(元朝旦屏都支局長)の三氏で、石川氏が委員長だった。自治体警察(市瞥)本
部長にほ当時松江で検事正をしていた永田童一氏(現弁護士)が迎えられた。
永田氏は自治体警察の目鼻がつくまで、という約束で京都に乗り込み、そこで公
安委員長の石川翁と親交を結ぶようになった。
なにしろ日本ではじめての公安委鼻制度なので、最初どういうふうに運営すべき
か、だれにも見当がつかず、委員会は議論百出、容易に結論が出なかった。当時市
警本部長だった永田童一氏の話。
「石川さんの委員長ぶりは実に老練巧妙、多く教えられるところがあった。時々学者肌の田
畑委員が、例の生一本の性格で自説を固持し、石川さんの世なれた妥当な意見も聞き入れ
ず、一歩も譲らない。同席の鎌田敬四郎委員や市警幹部たちもいささかもてあまし気味。石
川委員長がどう裁くかとみな興味半分に見守っていると、石川さんはスッーと席を立って出
て行く。トイレへでも? と思ってしばらく待っていてもなかなか帰って釆ない。
あとで考えると、議論の鼻先をそらすために間をおき、拍子ぬけを食わすためだったよう
だ。席にもどった石川委員長は、前の問題は知らぬ戟をして、次の議題に移り、いつの間に
か全議題をまとめあげてすましている。
こんなことが二度や三度ではなかった。田畑委員が発言して議論がもつれだすと、「石川
委員長がもう立ってトイレへ行くぜ」と、私や内海倫君(当時の保安部長)、小川鍛君(当時
市警本部次長のち本部長)など顔を見合わせてニャッとしたものだ。その当時市警にいた
幹部が毎年一回集まり、山紫会という同窓会を開き、石川翁や私、小川君を招待してくれた
のはありがたかった。むろん生前の石川翁も喜んで出席していられた」
(つづく)
-
こういうところにも、たんに老巧だけですまされぬ石川翁の人柄がしのばれる。
後年、高山市長時代になって、「市長が代ったのだから」とはいえないため、人
事刷新を理由に、この永田市警本部長に勇退を求め、小川次長を本部長に昇進させ
ようとした。これには複雑ないきさつがあって人事問題が紛糾した。しかし、この
ときにも石川翁(市公安委員長は守屋孝蔵氏になっていた)が乗り出して理外の
理″という言葉で永田氏を説得し、円満に局面を収拾した。
◇
さる昭和二十八年、京都ステーションホテル(石束嘉三郎社長)の株を、岡山の
カバ屋キャラメル社長林原氏が大量買い占め、乗っ取りを策しているとのウワサが
立った。ここでも石川翁は京都市を愛し、伝統を重んじる誠心から、調停に乗り出
し、株の買い戻しに成功した。おまけに林原氏の申し出で、同氏所有の嵐山の料亭
(いまの嵐亭) をステーションホテルで買収することにした。
こうした縁故で、石川翁ほ請われて京都ステーションホテルの重役陣に加わっ
た。
-
以上を読むと、生長の家の本質は、大調和にある事が分かると思います。
-
トキ様
石川翁のお働きは大調和の心で
あったことが良くわかりますね。
トキ様の心と同じだと思います。
どうか石川翁をお手本として
原宿と大調和の世界を生み出して下さい。
ければ早いほど多くの人が救われます。
いよいよトキ様の出番のようです。
何卒宜しくお願いいたします。
『トキは今 天が下知る 五月哉』
-
>>431
ご丁寧なお返事、ありがとうございました。
神界で、谷口雅春先生や谷口清超先生、その他の先達が祈っておられると
思います。1日も早い解決を祈るのみです。
合掌 ありがとうございます
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>>432
トキ様は何をなさいますか?
評論家で終わりでしょうか?
-
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>426>>427>>428>>429>>430拝読させて頂きまして…
戦前の方は、【精神面…】は、かなり強いです〜〜〜ョネ!
特に「知識のある方」ほど、その“精神面”に於きまして“穏やかな対処の方”が、多々では〜?思います。
それにしましても、戦後生まれの私達は???と、つい【比較論…】しがちな私が〜〜〜><
昨日「フオ−ク」を、紹介しました時、ふと!きずきましたのです、…が?
改めまして「フォークの世界…」に於きましても…
海外の場合は…“動” 日本の場合は…“静” でしょうか???この点でも、よく“比較”されますが、
【日本人の伝統…静】の部分を多少は、受けついでいるものと思います。…が?
「フオ−ク」の場合、やはり【静・・・】としての日本の“イメージ”なのでしょうか?
“動きがない”ように“イメージ”を受けますが?やはり!【他人を思いやる“心”が調和精神】でしょうか???
■【調 和 は 更 に 真 理 = 光 明 = 知 恵 絶 対 の 愛 ! !】と、改めて思う次第です。
私達も、まだ未熟なりに「雅春先生の調和精神」は【心の法則を駆使する事】なのではと?思います。
今回!いろいろな方から、私自身【現総裁雅宣先生…擁護派】としましては、“中傷”を頂いておりますが?
これも“静”の動きは【日本人本来の精神の伝統】と、改めて思います・・・。
益々【心 の 法 則 】を、勉強中です!!
再合掌
-
>>433
ご愛念、ありがとうございます。
神様から許されるなら、何でもする決意であります。
ただ、未熟者ですから、今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
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トキ管理人殿
ローマ字(大文字)の【SAKURA】さんの件
お願いですから何とかして下さい。
まともな解決をおねがいします。
-
トキ様に何を提案しても、意見を言っても
まともにご返事いただけないのはなにゆえでしょうか?
そういう人なのですか?
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>>437
goro様
2ちゃんねる専用ブラウザの「Jane Style」というソフトを使ってみてください。
http://janesoft.net/janestyle/
表示させたくない名前を登録設定しておくと、
おもしろいことがおこります(笑)
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アボガド様
>>2ちゃんねる専用ブラウザの「Jane Style」というソフトを使ってみてください<<
http://janesoft.net/janestyle/
ありがとうございます。
事の本質は見たいとか見たくないなどの問題ではありませんので
直ちにダウンロードしたいとは思いませんが、他の利用方法については
面白いかもしれませんね。
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トキ様に何を提案しても、意見を言っても
まともにご返事いただけないのはなにゆえでしょうか?
そういう人なのですか?
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goro様
トキ様は「本流対策室/3」の745で述べられていますが、
まだご不満ですか?
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>>441 私がトキ管理人にお尋ねしている内容は >>745だけの問題ではありませんので この件について、アボガド様はご放念下さいませ。
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goro様
お返事、遅れてすみません。所用でまた席を外していました。貴重なご提言、深く感謝申し上げます。
この掲示板では、投稿禁止の処置はしない原則で出発しています。これは、少数意見の発表の場として
この掲示板が発足した経過から、外せない原則であります。申し訳ありませんが、この点はご理解ください。
ただ、投稿者様の投稿が閲覧者様から不評が出た場合、その問題を他の投稿者様と議論をし、解決する
方針を採用しています。今回の【SAKURA】様の問題も、議論により、解決をしたいと思います。
例えば、【SAKURA】様が投稿する板を決めてもらう、という事でも、この点は解決するかと思って
います。
管理人としても、投稿者様同士の表現のあり方についての議論は、正直、簡単に結論が出せないので、
思案をしているところです。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
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トキ様
私がお尋ねした事柄や提言については、言を左右して
真正面からまともにお答えいただけないことは本当にに残念です。
なぜ曖昧なままにして、最後は有耶無耶にされるのか不思議です。
精神分析学的に興味をそそられます。
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goro様
難しい宿題を頂戴し、四苦八苦しております。明智光秀・・・・ではなくて、トキです。
まだ思案しているのですが、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀でも、3日天下でし
たから、軽率な動きをしても、なかなか難しいとは思います。
ただ、ネットの時代になると、不特定多数の人が掲示板を見るようになります。すると、
一人ではできない事が、多数の人には可能だと思います。
例えは悪いですが、義経と弁慶の話に、三井寺の梵鐘を指先一本で動かす話があります。
指先で周期的につき、それが梵鐘の固有周波数とあうと、共鳴して梵鐘がなるようになり
ます。初歩の物理学で習う話ですが、この問題も「心の共鳴」を提起するのが、一番平和的
で、現実的だと思っています。
まだ、考えがまとまらないのですが、少し思いついたまま、書きました。
失礼をお許しください。
合掌 ありがとうございます
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トキ様
もう結構ですよ。アリガトウ!
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goro様管理人のしたらばを作っていただけると解決…ということでもないでしょうか?
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>>447
すみませんが意味がよくわかりません。
ですが、もういいのです。ありがとうございます
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>>443
トキ様
>例えば、【SAKURA】様が投稿する板を決めてもらう、という事でも、この点は解決するかと思って
います。<
私はこれで賛成です。でも、一つの板でしょうか?「全部に書き込みます」と言われたら…><
-
>例えば、【SAKURA】様が投稿する板を決めてもらう、という事でも、この点は解決するかと思って
います。<
うのはなさんにも似たようなことをいわれていましたが、それでどうなったのでしょうか。
別版島を占領しながらも、いまだに部室版に出てきてる人もいるし、これは本人の性格だから
仕方がないのでしょう。
それにしても、今の教団で生き延びようと思ったら、トキさんみたいな処世術を身につけないと
難しいのでしょうね。おつかれさまのことだと思います。
-
うのちゃんーーー廊下とんびに・・・痛烈なヒトコト!ナイス突っ込み!
SAKURAさんって生高連出身なのに創価学会や法の華に入ったと告白してましたが
そのあたりの体験談でも投稿してもらった方が楽しみかな・・・
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>418>>419
>>423投稿の続きです…。
■第 七章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 モーゼスの自動書記 】
理論的方面は、しばらく後まわしにして、まず事実のせんさくを試みます。自動書記
の霊媒として人格、力量共に、断然群を抜いているのは、やはりステイントン・モ−ゼス
(一八三九〜九二年)でありましょう。彼はオックスフオード大学出身の牧師でしたが、
後ロンドンに出て教師となり、今もなお刊行を続けている心霊雑誌「ライト」の最初の主
筆でもありました。彼が霊媒能力を発揮するようになったのは、実に三十三歳の時からで、
それから八年にわたり、ずいぶん豊富な現象が彼を通じて起ったのです。彼は、相当有
力な物理的現象(卓子浮揚、物品引寄、叩音発生、光球出現、直接談話など)の霊媒でも
ありましたが、しかし彼の真価が発揮されたのは、実にその自動書記においてで、それは
現に『スピリット・ティチングス』(霊訓)と、その『続編』として刊行されています。
モ−ゼスの背後で働いている多くの支配霊の中で、最も重要なのは、イムベレエタアと
名告る古代の霊媒で、それが総支配人格です。その他、レクタア、ドクタア、プルュデン
ス、メンデルゾーン、ベートーベン、フランクリンなどたくさんの数にのぼります。その
自動書記内容は、全部で二十四冊のノートに収められており、習字のお手本になる位、
細字できちんときわめて見事に書かれています。現在出版されているのは、それのホンの
一部分に過ぎません。
さすがに、教養の高い霊媒だけあって、その苦心談の中には非常に有益な教訓が含まれ
ています。その一節―――
『私が通信を受ける時の状態は、決していつも同じではありません。通常私は、ただ一
人で特定の一室にこもり、できるだけ自分の精神を受身にします……。こうして現れた通
信中に、私自身の思想観念が混入していないかどうかは、大変重大な問題です。私として
はむろん、その混入を防ぐための最大限の努力をはらいました。最初不なれであった時代
には、字くばりを見つめていることが必要でしたが、そうした場合にも、たしかに私の思
想は混ざっていませんでした。間もなく私の平生の思想とは、全然反対の思想が現れるよ
うになりました。それでも私はまだ安心できず、自動書記を行っている間に、全然他の間
題に精神をむける方法をとろうとして、私はよく、難解な書物を読むことに没頭しました。
それにもかかわらず、通信はわずかな渋滞すらなく、依然進行をつづけ、よくそうした場
合には、かえって雄大で勢いに富んだすばらしい文章が現れるのでした…。発作的な衝動
――それはどうして来るのかわかりませんが、とにかくそれがきた時に、私はいつも席に
ついて、筆記の用意をしました……。』
以上で、いかに慎重な態度か、お察しいただけたと思います。
<つづく> NO・1
-
トキ様 へ NO・2
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>452投稿の続きです
彼の自動書記は門答体になっています。問いはモ−ゼス自身のもの、答えは、いわゆる
イムベレエタア団に属する霊たちです。見本として次に、その一節を妙出します。
問 「悪霊とは何ですか。」
答 「いわゆる悪霊と称するものは、邪悪な人物の霊魂にほかなりません。霊魂はすべて、
生前の性質のまま他界の生活に移ります。その趣味、習慣、愛情などは、元のままで
す。変わるところは、ただ肉体があるかないかということだけです。人格と霊性とが
切り離せない関係なのは、あたかも織物とその繊維とが切り離せないのと同じです。
繊維を離れて織物はありません。中でもこわいのは、生前の習慣です。個性のかなめ
を構成するものは、実にこの習慣です。霊性を忘れて、一度肉体の欲望に服従してし
まうと、遂にはその奴隷となるまで止みません。彼らは帰幽後も、ひたすら酒色にあ
こがれ、その満足を求めます。そうした霊魂が、つまりは神の敵であり、同時にまた、
人類の敵でもある悪霊なのです。彼らは極悪非道の大邪悪霊を首領に、私たちの神聖
な任務を妨害しようと日夜出来る限りのことをやっています。人間界の悪意の発動、
憤怒のぼっ発などは、すべて内面世界の彼らの策動の結果であって、心の卑しい人間
は、みな彼らに捕われ、逃れることはできません。ただし霊界には、あの神学者たち
の造りあげた悪魔のようなものはどこにもいません。善靈も悪霊も、皆すべてを支配
する宇宙神の支配下にあります。」
紙数に制限があるので、妙録はこれだけにしておきますが、これをみてもモ−ゼスの自
動書記がいかに重厚、荘重であるか、そしていかに相当な深みと教訓とを包み込んでい
るかがわかると思います。
次回は、 【ジュリアの通信】入ります…。
PS: トキ様 へ
まるで【エクソシストの復元…】の様に見えますが…人間の“心”の使い方次第では〜〜〜?
【二重人格…ジキルとハイドの映画】でも、この“描写”がかなり浮き彫り化されましたです〜〜〜ョネ!
今回の「生長の家の問題」も、考え方の“相違”になるのでしょう!!
今日、朝から“インターホン”でピン〜ポン〜♫〜マンションンのエントランス…?誰でしょうか?
後程…映像を、繰り返し〜繰り返し〜“再現”してみますと、
ア〜〜〜ッ!映像から女性の写真!何処かで?見たことのある写真〜〜〜??
もしかすると「吸血鬼の女性…」かしら〜〜〜ン!そして、“顔の若返り…再現”を、
見せに来たのかしら〜〜〜ン?今日の言葉より【肉体に服従し・・・その心の奴隷化になる事??】
この事に、当てはまるのでしょうかしら〜〜〜ン!この“比較論”も、同じ様に【今回の問題…】も
私から見ますと【○○派…は悪魔?】に見える事もあるのですかしら〜〜〜ン!
人間“心の捉え方”……次第でしょうか?!!
【悪魔の世界】があるとの事ですから・・・【人格と霊性…】とが、切り離せない関係なのは、あたかも
織物とその繊維とが切り離せないのと同じです。では??はずれたものが【悪魔の奴隷…】なの〜♫〜
■更に【密教は極悪非道の大邪悪霊を首領にすがる祈り…】になるのでしょうか?
向こうサイドの方々に取りましては【イエスマンが悪魔…?】に、解釈されておりますが…
これは“観点の相違”もありますから【悪魔…】この定義は〜〜〜><」
【悪魔…】は???ここでハッキリ言いたいですが???【神様に任せよう〜〜】と思います。
■この頃思うのです〜〜〜ョネ!現代社会での【悪魔…】…とは、いかなるものでしょうか〜〜〜?
これはつまりいいますと【唯物論…】になるのでしょうか??【自我の欲望の追求】でしょうか〜〜〜?
この【悪魔のささやき…】は、人それぞれ?異なるのではと、思います。…が?
【マネー】【肉体欲望…】…etc 如何なる所に【囁く…悪魔】がいるのです〜ネ!
ならば、この【悪魔…】を避けるには、【心の法則…】を使い【善霊…私たちの神聖な任務を遂行】できます
意志力を只今…揺るぎないものにする必要性があるものと思います。・・・が?【心の法則…駆使】!!!
再合掌
-
教勢分析(事実のみ)
白鳩=100
黒鳩=001
若鳩=000.1
あらゆる行事は白鳩を中心として回転している。
法則から外れた運動の結末は「蛭児」「泡島」の誕生です。
法則から外れた数の力は、自己崩壊のエネルギーとして蓄積されるのみ。
古事記神話の予言通り、禊が始まります。
鬩ぎ合い、諍いを中止して各々が清明の気を養いましょう。
各々の清明の気が禊の力になるはずです。
三貴神が誕生を寿ぎましょう。予祝しましょう。
-
訂正
誤 三貴神が誕生
正 三貴神の誕生
-
「教区会員」板で、個人指導について書いたので、番外編で書きます。
個人指導とか、あるいはお世話活動というのは、時間がかかり、労力もいるので、確かに嫌がる人もいます。
特に,偉い大幹部様になると、そんな些細な事は、部下にやらせたら良い、という態度を取る人もいます。ま
あ、本当は、やらない、のではなくて、出来ないのでしょうけど。
ところで、戦前の生長の家の記憶がある「一白鳩会員」に言わせると、生長の家という組織の雰囲気は確かに
変化した、と言います。その要員は多々ありますが、私が思うに、社会の変化にともない、生長の家、という
よりも、宗教団体に求められる内容に変化が生じたのではないか、と思っています。例えば、テレビもインターネット
もない戦前では、宗教団体は信仰の純粋性というのが目的でした。
ところが、戦後になり、街では、人間関係がどんどん希薄になり、「隣は何をする人ぞ」という社会になりました。
個人主義が「善」となり、他人に干渉するのが「悪」という時代になりました。が、社会が高度化しても、
引きこもりとか、不況とか、夫婦間の悩み等は,相変わらず存在します。昔なら、そういう事の相談を近所の
叔父さんやおばさんがしてくれました。が、今では、そんな相談を気軽に引き受けてくれるのは、宗教団体しか
ないのです。個々人が抱える悩みの対応を人は宗教団体に求めると思うのですが、逆に言うと、宗教団体が、こういう
個人の救済を軽視するのなら、その教団は早晩、信徒から見放される運命にあると思います。
私が危惧するのは、今の教団が、こういう個人指導やお世話活動の意味を認識していないのではないか、という
点です。機関誌を見ても、ひたすら総裁を褒めまくる事に終始しています。かって、聖教新聞を見たら、記事の
内容が、ひたすら池田大作を褒める事に終始していたが、それと同じだと感じました。
今、教団がどんどん衰退しているのは、やはり、こういう面を軽視しているからではないか、と感じています。
まあ、教団に指導方針の変化を期待するのは難しいですが、これを読まれた信徒の方々が、自分の行動を変化さ
せるのは期待できます。どうか、こういう地道な活動を大事にして下さい。
合掌 ありがとうございます
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>423投稿の続きです…。
■第 七章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 ジュリアの通信 】
モ−ゼスに次いで、といえばぜひとも、W・T・ステッドをあげなければなりません。
彼は、広く知られているように、生前イギリスの新聞、雑誌、評論界の第一人者として名
声をはせた人で、彼の創立した雑誌「評論の評価」は、今もなお言論界に重要な役割りを
果たしています。同時に彼は、近代心霊研究史上にみのがすことのできない大功労者で、
あれほど多忙の身でありながら、自身プランセットを使って、さかんに自動書記を試み、
『死 後』その他の好著をのこしています。『死後』は一般に『ジュリアの通信』として知
られています。その生前、彼と親交のあったジュリア・エ―ムスという一女性からの死後
の通信で、心霊研究者にとっては必読の良書であるといえます。次にその一節をご紹介し
ましょう。
死の前後の実感についてジュリアは次のように語ります。
『私が幽界に目ざめた場合は、何の苦痛も衝動もなく、ただただ熟睡から覚めた感じで
した。これが最もふつうの現象なのですが、しかし全部が全部、皆そうとは限りません。
くわしく述べますなら、もちろん他にもいろいろの場合があります。しかし大部分は苦痛
のない覚醒――これがふつうで、幽界での第一印象は安易であり、平和であり、休養です。
不慮の死にあった人たちは、いつそんな境遇の大変化が自分をおそったのか知りません。
肉体の苦痛などは、身につけた衣服と同じで、皆後ろにかなぐりすててあります。すべて
は、ただ一場の悪夢から覚めた形です。ただ夢から覚めた時に、自分自身を見い出すのが、
おもいもよらない別世界であるのが普通の夢と違うところですが…。ですから、多くのも
のは最初自分が死んだことを信じようとしません。むろんまた、本当に死というものなど
ないことも事実です。肉体はなくなっても、彼らはその一切の能力をそなえて生きていま
す。彼らは見、聞き、あちこち動き、すべては今まで通りです。彼はいぜんとして彼であ
り、彼女はいぜんとして彼女です。子供は子供として目覚め、老人は老人として目覚めま
す。…』
他界の指導者について、ジュリアはこう通信しています。
『肉体をすてた霊魂が幽界に入った当座は、たいてい途方にくれるものです。彼がふれ
る風物は、どことなく不思議で、ちょっと外国へでも来た感じがします。幽界には幽界の
政庁があって、不断の活動をつづけていますので、だれが孤独に悩んでいるか見つけだし
てくれます。最初、私を見舞ってくれた天使も、やはりこの政庁の一役員でした。どんな
帰幽者も自分に割り当てられている、或る一定の孤独の期間を過ごさなければなりません
が、それが済むと、迎えの天使が近づいて、言葉をかけてくれます。天使には、翼をつけ
た姿も、つけない姿もあります。要するに、帰幽者の観念に応じて、どんな姿でも現して
くれるのです。……生存中、死後の在続を信じなかった人たちは、新世界の新生活に対し
て、しばしば大きな反感をいだき、天使たちのどんな注意や、指導にも応じようとしませ
ん。仕方がないので、それらの人たちは、活きた体験によって自分のまちがいを悟る時ま
で、ほっておかれます。……』
幽界の政庁とは、日本のいわゆる産土制度で、天使とは産土系の神々のことでしょう。
この天使たちが、国民性のちがいに応じて適した姿をとるということは、実に名言で、幼
稚な霊界通信のとうてい追いつけない点です。
<つづく> NO・Ⅰ
-
<つづく> NO・2
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>457投稿の続きです
再生問題について、ジュリアはこう語ります。
『再生の事実は認めますが、しかしそれは部分的再生です。自我の全部が、再び物質界
に降りて生まれ出るということは絶対ありません。自我のほんの一小部分のみの再生です。
自我は出世以前にも立派に存在し、死後も依然として存在します。たとえば、多くの輻を
もつ一つの車輪を想像して下さい。再生とは、その多くの輻の中の一本が物質界に降りる
ことで、自我の中心部は常に超物質界に留まります。つまり車輪は永遠に霊界にあり、た
だ一本の輻だけが時々物質界に移動するのです。再生とは私たちが自我を完成するために
神がはからってくださったみ心の現れです。従ってその仕事はどうしても長い年月にわた
らざるを得ません。私たちは、輻の一本ずつを仕上げて行き、最後に完全な一つの車輪に
まとめられます。時には、ただ一本の輻でも何回も再生するかもしれません。時にはま
た、それはただ一回に限られることもあるでしょう。あるいはまた、自我の本体はすでに
天国にありながら、その輻の一本だけは地獄におちていないとも限りません。更にまた、
同じ車輪に属する多くの輻が、同時に地上に降りている場合も想像できないこともありま
せん。それらの手続きは、ただ神のみが知るところで、私たち霊界の居住者や地上の人間
のあずかり知るところではありません。ただ私たちの自我が、究極において、とうてい不
可分の、たった一つの存在であることだけは確実です。……』
再生問題は思想上、信仰上の重要事項の一つであるので、煩をいとわずこれに関するジ
ュリアの通信を紹介しました。私自身の研究の結果から言っても、ここに引用した部分的
再生説はとうてい動かすことのできない真理であると思います。
(つづく) 次回は【 ウインクフィールド嬢 】に入ります。
PS:トキ様
『霊界…』は厳しいです〜〜〜ネ!今回、私は今の【お家騒動…】を考えながら、
人間の“我”は、果たして“何処〜何処〜までも続くモノ??”とわかり、それは最終的には、
■【心の法則から学びながら、“真理”を把握する事でしょうかと!!】
ここで言います【自我…】??この事が〜〜〜
■哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して
意識される自分。⇔ 非我。?????
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91 (参考資料)
意識を中心にした自己の意味であり……
■自我(エゴ)は意識とは異なるもので、飽くまでも【心の機能や構造から定義された概念】である。そうしますと??
果たして!今回の「社会事業団の行動…」は?どの部類に入るのでしょうか??
つまりは?“意識”?“無意識”?〜〜〜〜
『心…意識』を、完成す事が、本人しか出来ないのでは〜〜と、まだ!おぼろげな解釈論なのです。
…が?今回の“投稿文章…”どの様に、受け止められましたでしょうか???
この点は、もう少し時間をかけまして、考えてみたいモノです〰〜〜ネ!
-
ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】様にも色々と意見を述べてきましたが、
彼女の誰に何を言われても書き続けていきたい心の奥深くを想うと
深く深く切ない願いがあるように感じられます。
よって今後は彼女のありのままを受け入れる事にいたします。
擁護派であるとか本流派であるとかの立場を超えて
人として同等の立場で相対させて頂きます。
-
goro様
随分前の事ですが、私が、横浜アリーナで雅宣総裁先生の講演会を拝聴しに参りました時、
雅宣総裁先生は、ご自分が、宗教家として、個人救済をやめて、環境問題を中心にやろうとされている
ご決意を語られた。
そのとき、
雅宣先生が、思想の柱の1つにされているといわれるマザーテレサの、次の文を読み上げられました。
私は、急いで、めもり、帰宅してから,ネットで調べて、正確な言葉を知りました。
雅宣先生が、環境問題を進めるのに、心の励みにされているマザーテレサの言葉です。
【(前略)
あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく善を行ない続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちをうけるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
あなたは、
あなたで あればいい。】
総裁は、だれがなんといおうと、宗教家は、環境問題をやるのが、いまの
宗教家の使命であると、自分は,思う。
だから、誰が、反対しようが、誰に邪魔されようが、環境問題をやるという
自分の強い信念は、今後曲げる事はない、と宣言されました。
ですから、彼の言い分を受けようとされたり、彼は,彼の考えがあるのだからというふうに、
今の教えを捉えてうけられるなら、,雅春先生の教えを捨てて、雅宣総裁に,ついて行くしかないのです。
どちらを選択するか、過渡期にかかっておりますが、
ベテランの方々が、おっしゃるのは、神は、我がうちにあるのだから、
現象は、現象として、実相は自ら現われるのだから、先ず,自分のうちにある神を対象に,神の子としての自分をいよいよ、研鑽して
生きましょう、と申されております。
新経本は、すでに、練成会で読誦されています。とめようが、なくなっております。
雅宣総裁の思うがままが、継続されるわけです。
雅宣総裁は、自分は、正しいことをやっていると思っておられるのでしょう。
まさに、総裁は、マザーテレサの言葉とおりの信念を貫いて生きておられるのです。
これについては、goro様もそうですが、
復興G様は、どのようにお考えでいらっしゃるのかも、お尋ねしたいところです。
-
goro様が書いて下さったM.キースの祈り「逆説の十ヵ条」を
マザーテレサが、信条とされたのですね、内容は、同じですから。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1219
-
志恩さま
環境保護団体として活動していくという事について、
生長の家の三代目は国家・個人の宗教的救済事業を放棄するという事ですから
完全な方向転換であり、生長の家信徒に対する裏切り行為です。
トキさんの言われる「和解」など不可能です。確信犯なのですから
話せばわかるというレベルのことではありません。
どのような素晴らしい言葉を引用されようとも虚しくなるだけです。
一人よがりの偽物の善を、真理の言葉で纏い強弁することほど卑劣なことはありません。
-
goro様
コメント、ありがとうございます。
「個人救済は、考えていない」と、本来の生長の家の使命を放棄した
雅宣総裁は、生長の家の住吉大神への裏切り者であり、信徒に対する裏切り者なんですよね。
わたしも、そう思います。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>418>>419
>>423>>452>>453>>457>>458投稿の続きです…。
■第 七章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 ウィングフイ−ルド嬢 】
次に、最もつつましやかな一存在、ウィングフイ−ルド嬢の自動書記『他界からの示教』
にふれたいと思います。彼女の背後の支配霊たちは、いずれも人格の高い敬虔な人たちで、
きわめて簡素な文字の中に、しばしばはかりしれない愚意と教訓とを蔵しています。よく
よく味わってお読みいただきたい名品です。見本に「銀の紐」という一章を訳してみまし
ょう。
『人は三筋のより合わせた糸。この三筋をただ一筋の紐にまとめる時、世の中のどんな
荒波にも打ち勝てないことはありません。その反対に、もしその三筋を一筋ずつに引きは
なす時、その力は著しく弱められ、次々にプツリプツリとちぎれ、何の用もなさなくなる
でしょう。』
『三筋とは、体と魂と霊のことです。人がもしこの世にあって、一面では神の栄光の
ために生き、それと共に他の面では現世でのなすべき事にいそしみ励めば、その人こそ三
筋の生活を営む人です。彼にとって何の困難、何の不可能がありましょう。まことに結合
は力です。これに反して、もし三筋の結合をとき、現実世界の事にのみひたり切って、神
の道を忘れ去ることがあれば、それは必ず、破滅への道となります。これと同じに身を現
実の世に置きながら、ひたすら天国にのみあこがれていれば、それもまた必ず、足をふみ
はずすもとになるでしょう。いずれも、三筋の結合をゆるめた、愚かなやり方で、切断の
元となります。』
『人は時折、入神の機会に恵まれるものです。その時、雲は高く地上を離れ、光りまば
ゆい黄金の神様に進み入り、思うままに天地間に満ちた精気を吸入して、そしてまた肉体
に戻るのです。こうして肉体は再び、元気を盛り返します。彼はこうして地上生活の浄化
と完成とに貢献することができるのです。』
<つづく> NO・1
-
<つづく> NO・2
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>464投稿の続きです
訳文ではあまりおもしろくありませんから、熱心な方は、ぜひ原著をご一読下さい。い
たるところで、良い暗示と教訓に接することができるでしょう。ついでにここで、ひと言
のべておきたいのは、右の引用文中に説かれた、体、魂、霊、の三要素の結合説です。こ
れはプラトン以来の古い観念で、通欲的には今なお広く引用されています。体はもちろん
普通の肉体、魂は個々のエーテル体、雲は普遍的実在の意味で、大ざっぱにいえば、人間
はそんな風に出来あがっていると見られないこともありません。この考えは、決して私が
平生から主張している肉体、幽体、霊体、本体の四重説と、本質的に相違している訳では
ありません。相違点は、たた通欲的分類法と学説的分類法との差異にすぎません。初学者
が誤解されないようひと言付け加えさせていただいた次第です。
次回は【その他の自動書記霊媒】に入ります。 (つづく)
PS:トキ様 へ…以前!覚えていらっしゃいましたでしょうか???
『三本の紐…理論』がありましたです〜ョネ!今!今!まさに「答え…」が、載っているでは
ないのでしょうか?私は、あの時『カルチェのリング…三つのリング?』?
この【紐理論…これが“三筋”】なんです〜〜〜ョネ!
■【三筋は“体”・“魂”・“霊”…】が、一体になる事によりまして【三本の紐…】が、
まとめられて■【無限力が発揮できる…】ならば……
『神想観は三筋…』に、入ります。そして、更に【 瞑 想 法 】も入る訳です〜〜〜ョネ!
■ただ【お聖経…】は、【正しい理念に振り向かせる一つの道具!】で、あくまでも
この【三筋に向かせる手引き】でしょうか〜〜〜しらン???
「お聖経…」を読誦しながら、今回の【お家騒動…分派間】は、疑問に見えてしまいます。
■これせねばならない〜〜とか?「生長の家」の大神に反するとか?
【神様は一つ】なのに……まるで一つの“我”のかたまり集団に、映ります。…が?
■■「生長の家」で言いますところの〜♫〜
【 吾 は 神 の 子 と し て … 自 我 に 死 に 切 る べ し!】
この言葉より【体・魂・霊で一体】になれるのは■【瞑想法=神想観】によりまして、
なれる分けです〜〜〜ョネ!こうしますと
本当に【聖 経 は 魂 の 向 上 に 振 り 向 か せ る 事】が?
可能な手引きになりますのでしょうか?
何故なら?どうして“病気”“同じ難問題”が、起きるのでしょうか…?
この件は、「トキ様」は、どの様にお考えでしょうかしら〜〜〜ン?
再合掌
-
>>465
一人として同じ人間がいないように、体験は全て異なります。今起こっている事は、全て
意味がありますから、人間の主観的な感想では捕らえきれない部分はあると思います。
その点も議論をしたいですね。
今、バタバタしていて、お返事が短くなり、ごめんなさい。
-
生長の家のホームページを見たら、生長の家についてあまりにも間違った解釈をしているので驚いています。この文章は誰が書かれたのでしょうか。
**********************************************
生長の家の概要より
本尊 生長の家の本尊は「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」と
は「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または化現の
ことであります。正しい宗教の本尊は、この唯一絶対なる神を別名で呼んでいるも
のであるとして、いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝します。また、生長の家
では、本尊を現す像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一
の真理)を礼拝するため、『實相』と書いた書を掲げています。
>>http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html
**********************************************
生長の家の大神は唯一絶対神の応現でも化現でもありません。
また、『「生長の家の大神」と仮に称している架空のもの』でもありません。
生長の家の大神はれっきとした個神であり天使です。
そのことについては天使の言葉を読めば分かります。
**********************************************
吾は喇叭なり。
汝らよ
吾れ個神を善しと云う事勿れ。
形に現れたる神を讃むること勿れ。
吾に宿る善きものは皆不偏なる神より来る。
汝ら吾が示すところの神を崇めよ。
吾を崇めよと云うに非ず。
吾れはただ天使なり、
(天使の言葉より)
**********************************************
-
**********************************************
唯神実相(ゆいしんじっそう)
「唯神実相」の「実相」とは本当にある世界のことであり、唯一にして絶対の神がつ
くられた世界のことです。実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であ
り、神と自然と人間とは大調和している世界です。つまり本当に存在するものは唯、
神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいま
す。
一方、人間の感覚器官で捉える世界を「現象」と呼んでいます。現象の世界は、全体
の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく
一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。
ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるよう
に見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではな
いと説いています。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html
**********************************************
現象世界の説明は間違っています。
確かにこの人間の世界(現象世界)は実相世界の映しの世界です。
実相世界がそのまま映れば、この世には苦しみや不幸は起きません。幸福な生活が映
し出されます。その時は人間は神の子そのものなのです。
しかし、人間は唯物論を確信しているため、『殺す・姦淫する・盗む・嘘をつく・親
不孝をする・隣人を憎む』という罪を犯すようになりました。
したがって、その心が『現象は心の映像』という真理にしたがって現象として映し出
されたため、『病気事故災害戦争飢餓』など数え切れないほどの不幸・苦しみ・恐怖
の世界になっているのです。
-
**********************************************
唯心所現(ゆいしんしょげん)
「唯心所現」とは、この現象世界は人間の心によって作り出している世界であるとい
う教えを表現しています。
唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、
発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・
口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも
作り上げることが出来るのです。
唯心所現の法則は厳密かつ公平であり、悪いコトバを使えば、悪い世界が現象世界に
現れてしまいます。
従って善い世界を実現させようと思うなら、実相世界の善きコトバ、神様の御徳であ
る、智慧・愛・生命をコトバで表現すればよいことになります。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html
**********************************************
この説明も間違っています。
皆さんは催眠術をご存じですよね。
あなたは今、お花畑の中にいます。と催眠術の先生がいうと、その人の周りはお花畑
になるのです。テレビでご存じだと思います。
この原理と同じで、自分の心の中の想念が『コトバ』となって、自己催眠にかかって
いるのです。つまり人間の人生は心の中の過去の業が催眠術のコトバとなって次々と
運命を造っているというわけです。
確かに身口意の三業と関係がないことはありません。なぜなら、過去に行った身口意
の三業がコトバとなって現象の映像を造っているからです。
つまり、夢の世界ができるメカニズムと同じです。決して口で喋る言葉と混同しては
いけません。
これが『唯心の所現』の意味です。
-
**********************************************
万教帰一(ばんきょうきいつ)
「万教帰一」とは、万(よろず)の教えを一つ(生長の家)にするという意味ではあ
りません。これは後ろから読んで、一つの教えが万の教えとして展開していると説い
ています。宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も
文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身
を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周
縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考
えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周
縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることに
なります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html
**********************************************
この目玉焼き論も間違いです。
宗教というのは真理のことをいいます。真理とは『真実の法則』という意味です。
民族とか時代とはまったく関係ありません。
生長の家の教えには数多くの法則つまり真理があります。しかし、生長の家には説か
れていない真理もあります。
生長の家の真理も生長の家では説かれていない真理もすべての真理の原点は『唯心論』
から発しているので、生長の家以外の教えでも真理である教えは一つですよ。という
わけです。
これが『万教帰一』の意味です。
ただし、宗教とは名ばかりで真理のない宗教を除きます。
-
一つの教えが万の教えとして展開していると説い
ています
多即1ではなく 1即多が生長の家の万教帰一であり、宗派を統合したら生長の家ではなく
生長の家が様々な宗派を展開するということだとしたら、谷口雅春先生は仏教 キリスト教 神道には通じていたが
イスラム ヒンズー ユダヤなどは未開の分野としてこれから解かなくてはならないだろう。
総裁はイスラムに関しては最近はすかりサボり癖がついて説かない。
-
世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周
縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることに
なります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。
万教帰一の生長の家がその役目があるとしたらもっと社交性が必要
総裁は多くの宗教指導者を招いて、多くの交流の場として
生長の家をグローバルに展開しないといけない。
無駄なことに金を使わんでもっと宗教の対立が解消することに使うべきだろう。
-
生長の家のホームページを見たら、生長の家についてあまりにも間違った解釈をしているので驚いています。この文章は誰が書かれたのでしょうか。
雅宣教の解釈をスターダスト教が批判してることはわかった。
-
しつこいから、こっちにも掲載しましょう。訊けブログ仲間ように
訊けさん、訊けさんとこれは恋、と中傷されないようにね!
646 名前:うのはな 投稿日: 2012/09/10(月) 17:28:02 ID:2lPhm8Goしつこいから、こっちにも掲載しましょう。
1331 名前:神の子さん 投稿日: 2012/09/10(月) 16:46:24 ID:dqizEBmE
>>1307←訊け様から「王様の耳はロバの耳様」への文 挨拶版です。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>418>>419
>>423>>452>>453>>457>>458>>464>>465
投稿の続きです…。
■ 第 七 章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 その他の自動書記霊媒 】
以上の他、自動書記の分野には、まだ、たくさんのすぐれた霊媒がおり、とてもそのす
べてをご紹介する余白はありません。ここでは単に代表的な霊媒の名前をあげ、その特色
をひととおりご紹介するにとどめます。
幽界、霊界の生活の描写では、何といっても、J・S・M・ワアド氏をあげなければな
りません。私はロンドン滞在中、三度ワアド氏と会見しましたが、その学識といい、能力
といい、たしかに断然、群を抜いています。ワアド氏の手を通じて現れた『死後の世界』
『 幽 界 行 脚 』の二篇は共に、この界の逸品です。次に、この分野で重要なのは、
何と言っても、ヴェ−ル・オウエン師でしょう。支配霊は、ア−ネルと称する人物を中心
とした一群の霊魂たちです。オウエン師の出身が出身なので、どうしてもキリスト教的神
学臭を脱しきれていませんが、しかし非常に純潔で、まじめで、ある程度は他界の組織
その他の真相を伝えています。また、篇中のところどころに挿入された寓話は、上品でか
ざり気のない大いに愛すべきものであります。
また一方お雄は、トラヴァ−ス・スミス夫人です。
夫人は、有名なシェ−クスピア学者ダウデン教授の娘で、従ってその交霊の区域が、
宗教畑と全く離れているので、おもしろいところがあります。一九二三年には、文蒙と
して、また蕩児とした有名なオスカア・ワイルドの霊魂がかかり、生前のワイルド一流の
名分を書いて学界の大評判となりました。またヨハネスと称する古代の霊魂がよこした通
信にも、なかなかすぐれた個所があります。
(つづく)
-
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>475投稿より続きです。
アメリカでは、ジョン・H・カアラン夫人が、とても有名です。彼女はセント・ルイスに
住む、たいした教養もない婦人ですが、最初はウイジャ盤を使いましたが、後には脳裏に
現れる文字を口伝えして、他人がそれを書き取ることになりました。彼女を使って通信す
るのは、十七世紀頃地上に住んでいたと称する、イギリスの婦人べ−シェンス・ウォ−ス
といい、一種独特の古風でみやびやかな名分を書き、すでにたくさんの書物ができています。
べ−シェンス・ウォ−ス自身の身の上ばなしもあれば、小説、詩、戯曲、たとえ話、論文も
あって、その題目は驚くように広いのです。しかも驚くべきことに、夫人は、はじめから
終わりまで全く意識を失わず、すわって客と自由に談笑し、少しも霊媒臭くなおのです。
たしかに近代心霊界の驚異といえるでしょう。
最近ではロンドンで有名な女流作家ド−ソン・スコット女史がすぐれた自動書記能力を発
揮し、ステッドだの、ウイルソンだのと名告る近代人の霊媒から、さかんに通信を受けて
います。ジェラルディン・カムミンス嬢がまた近来、断然頭覚を現し、ことにその手に成
るマイヤースの通信『 永遠の道 』はこの分野の逸品です。
PS:トキ様 へ
『自動書記…』も色々あるのですネ〜〜!前回「ジュリアの通信」をアマゾンで【検索…】
しますと〜><品切れです。もしくは?もう“改訂版…発売”されていなのでしょうか?
でも今回、ある書籍を読んでいきます内に、本当に【生 命 は 永 遠】という事とは、
「亡き母の御霊…その霊界の世界」此の世界では?
“想念が?そのままの情景として現れる”…まるで【魔法〜♫〜ランプ】みたいに……
このように【霊界通信も、何か使命で、私たちの前に現れている?】のでしょうか?
私も【自動書記…】は、いろいろな方法がある事を学んでいく内に、今回の〜〜
【新・お経…】も、先ず!受け入れる事ができたのでは?その様に感じます次第です。
完全な『霊界からの通信の…“言葉〝』この“現世”に投影されるのは難しいのでしょう ><
不思議に読誦しますと、その後!私にとりましては【元気にピチ!ピチ!リズム】が出て来ます。
まず!認める心…この事からの始まりでしょうか〜〜〜?
【限定論…】では?如何なモノでしょうかしら〜〜〜ン
■【真理は一つ】ですから…【甘露の法雨=大自然讃歌…】神様からの“プレゼント”かと?
再合掌
-
新生長の家大論争掲示板のID:V1vhQNGk 通称・ひとことさんへ
ここは貴方の来る場所ではありませんよ。
自分の掲示板にお帰りくださいwww
-
>>477
それはここの管理人が言うべきこと。君が出しゃばることではない。
-
名前:神の子さん 投稿日: 2012/09/14(金) 00:18:30 ID:??? 新生長の家大論争掲示板のID:V1vhQNGk 通称・ひとことさんへ
ここは貴方の来る場所ではありませんよ。
自分の掲示板にお帰りくださいwww
傍流別版島流し版もおすすめです。
頭のおかしな人に占領されないように。
-
皆が思った↓
某掲示板より
>名前:名無しさん 投稿日: 2012/09/13(木) 21:07:18 夕方5時の民放で、高級マンションで30代の母と5歳の男の子が不審死しているというので、現場が映し出された。父親が2人を殺して自殺すると予告して、車で逃亡しているとか。
どこかで見たことがあるような場所と思っていると、何と生長の家本部と、ご神像が映し出されたではないか。
本部の数メートル先に建てられた3億円もする高級マンションでの事件だそうで、その後も本部とその近くが映りました。
こんな殺人事件の報道の時に、生長の家本部のみか、ご神像まで映されるとは。
全ては心の影。やはり、本部が浄まっていないからではないのかと思え、恥ずかしいような、情けない気持ちになった。信徒として自分自身も申し訳ない気持ちになった。
総本山の職員が殺人事件に巻き込まれバラバラ死体にされたし 宇治では市内は空前の水害が起きている 明治神宮で自殺が起きたし。
原宿の本部周辺も凶悪事件が起きたとは・・・
霊的結界は崩れ唯物論にまみれ集金しか関心の無い教団幹部らの悪想念が悪しき現象を引き寄せていると考えるべきだろう。
-
本部って、今までどれだけの職員横領事件などを処理してきたんでしょう。
本部自体が、なにかの横領組織と疑われてたりしてね。
生長の家との関係が匂わされると、会社取引に損失だという男子まで受け入れるみたいだから
近所で殺人事件なんておこっても驚かないと思いますよ。
それでなくても日時計主義なんだし。
-
社会事業団の帰りに、ぼくはしばらく美人としゃべっていない、うどんは食べても
といったかんじの男性もいれば、原宿教団の帰りに美女とデートするトキさんみたいな
人もいたり、あのあたりは物騒ですね(笑)
-
長らく留守をしておりまして、申し訳ありません。
リアルな世界で、いろいろと相談を受けていました。いや、本当に世間様では悩んでいる人が多い! こうなると、本当に、
生長の家がこんなくだらない争いを始めたのが嫌になります。谷口雅春先生は、「人類の苦悩をみそなわし・・・」とおっしゃら
れたのです。ところが、今の生長の家教団は、自然から学ぼうと言い出して、まるで人間よりも、虫や植物のほうが大事だ、というが
如く言い出します。なんだか、江戸時代、元禄の徳川綱吉みたいな話です。
また、本流復活派も、教団からの引き抜きばかり頑張っていますが、やはり、今は苦しんでいる人が多数いるのですから、
まだ、み教えが伝わっていない人へ、どう伝えるか、という点に力点を置いて欲しいです。
特に、会員の方々には、数集めとか、環境ではなく、真理を純粋に伝える、という点に力を入れて下さい。宜しくお願いします。
-
> リアルな世界で、いろいろと相談を受けていました。いや、本当に世間様では悩んでいる人が多い! こうなると、本当に、
生長の家がこんなくだらない争いを始めたのが嫌になります
ところが以前は、トキ様は裁判を起こした連中には憤りを覚えるといわれていました。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48>>117>>201>>202>>233>>252>>295>>296>>318>>330>>337>>343
>>348>>349>>374>>375>>376>>377>>378>>383>>384>>385>>389>>403>>418>>419
>>423>>452>>453>>457>>458>>464>>465>>475>>476投稿の続きです…。
■ 第 七 章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 内 面 装 置 】
自動書記霊媒の紹介は、しばらく以上で打ち切り、最初に約束したとおり、これからそ
の内面装置について検討を試みることにします。私は自動書記現象の裏腹には、本人の潜
在意識と外来意識との二要素が働く可能性をもっていると述べましたが、厳密に述べるな
らば、その潜在意識はどうあっても全部除き去ることは、とうていできないのです。自動
書記一つに限らず、一切の心霊現象は、結局思念のエーテル波動の感応作用であると解釈
されるのです。従って、その際もし、本人の鋭敏な潜在意識が全く働かなかったとしたら、
霊媒はどうやって外来の意識を受信することができましょう。ですから、潜在意識は霊媒
にとって常に不可欠な要員なのです。
ただ、その潜在意識はあくまで受身の状態におさえつけておかなければなりません。つ
まり、単におとなしく外来の意識を伝達する役目をつとめるにとどまり、積極的に何らか
の自主的行動に出てはいけません。そうでないと、できあがったものが結局霊媒自身の意
識の変態的表現となり、幽明交通の機関としての価値は、ほとんど無くなってしまいます。
私たちが、この種の現象に対して極度に警戒の眼を光らせなければならないのは、そうい
う理由なおです。
さらにまた、外来の意識の中には、生者の意識と、死者の意識とが、含まれる可能性が
あるので、仕事はいっそう複雑化しています。生者の意識が混入することは、思想伝達の
実験が有力に証明しているところです。ですから、自動書記を行うにあたり、周囲の人た
ちは、霊媒にむかって何らかの観念、何らかの示唆をも注入しないよう極力警戒しなけれ
ばなりません。さもないと、せっかくの自動書記も結局何人かの暗示で作りあげた、一つ
のくだらない作文になってしまいます。
何よりも理想的な自動書記とは、極度に受身に保っている霊媒の潜在意識と、ある一人
の他界の居住者から放送される外来意識との合昨――これでないとなりません。こうして
できあがった自動書記の産物は、たいてい内容価値が高く、文体も筆跡も、死者生前のも
のとまったく一致します。トラヴァース・スミス夫人を通じてできた、オスカァ・ワイル
のド自動書記なども、そのとてもよい例です。
くれぐれも、次にあげるような不純な自動書記の産物はしりぞけて下さい。たとえこれ
を一つの参考としてとりあげても、常に疑問を投げかけることをわすれてはなりません。す
なわち―――
(一)ほとんど本人の潜在意識のみでできあがった自動書記。
(二)本人の潜在意識と生者の暗示でできあがった自動書記。
いわゆるお筆先、神様、経文というようなものにも、これがあるので油断できません。
フランスのアラン・カルデックの書いた『霊媒の栞』の中に自動書記について非常に適切
な証明があるので、その要点を抄録します。
<つづく>
-
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>486>投稿の続きです。
『霊媒は決して、霊媒の頭脳からその思想を借りませんが、ただ自己の思想を表現する
のに必要な材料を借りることは事実です。従って、霊媒の提供する材料が豊富であればあ
るほど通信が容易です。もし、霊媒が霊媒の知らない国語を使おうとすれば、その際利用
できるのは、ABCの二十六文字のみですから、丁度書き取りでもするように、一字ずつ
つづらなければなりません。もしまた、霊媒が一字も文字を知らない者であれば、利用す
べき文字さえもないわけですから、その際には、子供に字を教える時のように、霊媒の手
首全体を使用する必要が起こります。それは非常にむずかしいことではありますが、しか
し不可能でもありません。…』
PS:トキ様 へ
今回の【自動書記…】を、読みまして、霊媒者が言葉が知らない場合?
それとも文盲の場合も?…etc
【霊化通信…】はやはり【言葉の表現力】でしょうネ!!今回【甘露の法雨…】に関しましては、
此処の“投稿情報”及び、以前私が“創価学会の幹部の方からお聞きしていました事柄”にて、
【第三者の人間の補修したモノ】であると云う事です…。
また【大自然讃歌・観自在菩薩讃歌】は、個人的な判断ですが『現総裁雅宣先生の自動書記』として、
やはり【言葉の表現…】が、現れていますし、「忠実に表現されている」のではないでしょうか??
更に【大自然讃歌…】を毎日〜毎日〜読んでいますが、【甘露の法雨…の集約】した感じで、
解りやすい“解釈論…”では??そして【霊界の通信…】ではと、思わずにはおれませんが〜〜><、
■私は【言葉による表現は個性…その人の知識による表現と思いますが?“真理は一つ”】で〜〜す。
【聖経…】も色々あるのです、から“その人の心の持ち方”では、ないでしょうか??
さらに【トイレ事件…】ですが、この件は、ツイ!ふき出しましたが、確かに!本部職員の皆様は?
本当に【掃除は〜〜〜><】確かに?されていらっしゃいますのかと?思います。…が?
これは、私も思っている次第ですが〜〜?
このような“目に見える些細な事…”を、発言したくても現状は〜〜〜><
このような“キズキ”を【現原宿教団の方々】が、単に一般信者と見なされるのでしょうか?
それとも…“信者とともに?信者の為に?…”という“根本理念”が?
如何にお考えなのか?お聞きしたいものです〜〜〜ョネ!
今【分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】以前は、この件に関しましては、関与!
つまり…【元理事・元本部職員・元幹部職】 でいらっしゃいました訳ですから、【方針…】はともかくも、考えるべきものが在られるのではないかと思う次第です。…が?
これは【分派…の皆様】でも言える事と思いますが〜〜〜???
“小さなキズキ”今後も発言して参りたいと思います。…が?
【原宿本部…建物】雅春先生の時代のまま、現在に至る訳ですが?確かに“物を大事”にされるのも、
大切と思いますが〜〜〜><「亡き清超先生」もおっしゃいましたが…【建物も…補修しないと】と
言います“言葉”が、印象的で、此処最近の“投稿”にて【現原宿の建物…補修工事】という事が、
正式発表になりますと…【一般信者…】と致しましては感謝の念でいっぱいなのですが〜〜?
再合掌
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トキ様 ヘ
こんばんは…… ロ‐マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>484“トキ様の投稿”されました内容から〜♫〜
■>…今の生長の家教団は、自然から学ぼうと言い出して、まるで人間よりも、
虫や植物のほうが大事だ、というが如く言い出します。なんだか、江戸時代、
元禄の徳川綱吉みたいな話です。
また、本流復活派も、教団からの引き抜きばかり頑張っていますが、やはり、
今は苦しんでいる人が多数いるのですから、まだ、み教えが伝わっていない人へ、
どう伝えるか、という点に力点を置いて欲しいです。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■先ず【分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】の皆様も、
【生長の家…お家騒動】と申しますか〜〜?御自分の【信念にての行動…】を取られましたのでは?
でしたら【現教区。。。に来て云々…】とか…“引き抜き?”・“勧誘?”…etcの行為は、
【根本的に…光明化】を前提として、行動されたのではないのですかしら〜〜〜ン!
そうでない様な【行為…】の場合は、【世間一般・第三者的…】に、見ますと…
【信者の為?人々を救済?】この“根本理念”から遥かにかけ離れたモノと思います…。
複雑化した現在!そして問題が複雑化して迷い・悩み…etcが、以前以上に増えているのでは?
その様に思います。…が?【雅春先生の人類救済〜〜〜】はどこに行ったのでしょうか〜〜〜?
それとも他に何か〜〜〜【根本理念???】が在るのでしょうか〜〜〜と【疑惑…?】
■最終的には【マイナス・メリット…】と思います。…が?
そして、現原宿教団の中に…「トキ様…の投稿より」
■>「自然から学ぼうと言い出して、まるで人間よりも、虫や植物のほうが大事だ、…云々…
(一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■この様な事態も、あらかじめ考えられない事も〜“なきにしも非ず”という思いもあります。…が?
一つ気になります事は【今日の文明…】やはり自然からの“ヒント…”と申しますか?
【自然から学ぶ面…多々あり〜♫〜】それによる探究心から“新しいモノが〜新しい発見〜”…が?
その様に思います。それにて、今日の生活が、この地球上にて営まれる事が出来ているモノと〜♫
この恩恵は、多々であり【感謝…】すべきものと思います…。
ですから【霊界通信…】でも述べられていました事項に【地球との一体】この事も、考慮すべき
であると思います…。果たして、その様な“言葉”をおっしゃいました方の中には、
何処までの“心意…”が、あられますのか?お聞きしたいものですかしら〜〜〜ン!
■【オゾン層…破壊】この事は、次世代の人に“バトンタッチ…”する上では、
現在の私達の“行動”如何によるものと思います…。
■ ■ 【人 間 と 自 然 の 共 存 の 世 界】でしょうか〜♫〜
再合掌
-
SAKURA 様
長文のご投稿、ありがとうございました。
教団では、自然破壊をしていて、それでは人類は危ういから、環境保護をしよう、という方針みたいです。
>>■【オゾン層…破壊】この事は、次世代の人に“バトンタッチ…”する上では、
>>現在の私達の“行動”如何によるものと思います…。
という課題について、興味深い問題なので、少し考えてみます。興味深い課題を与えて下さり、
感謝申し上げます。
(つづく)
-
トキ様 ヘ
こんばんは…… ロ‐マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>484>>489
“トキ様の投稿”されました内容から〜♫〜【他のボ−ド…にての投稿文章…からですが…?】
>>488“SAKURA投稿…”の補足ですが……? (少し…ブレイクします。)
■ “うれし〜〜〜イ!!ニュ−ス”なのです。…が?ありました。
先程「ネット…ニュ−ス」にて、9月16日前に発表されました“ニュ−ス”が目に留まりました。
■http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120915/t10015047241000.html
少し…【オゾン層…】が〜〜〜(微笑)
■話はブレイクしますが…
【自 然 か ら 学 ぼ う】…要するに【観察〜♫〜】しましてそこから“学ぶ…”
同じように…【心 を 学 ぶ】…心の観察と申しますか?
「イマ−ジネ−ション…心でつくる世界…【心の法則】…」この両立が大切なように思います。
自分自身を“マインド・ウォチャ−”しまして〜♫〜【魂の向上…】ヘと……
その様に思えます此処昨今です…。
再合掌
PS:トキ様 ヘ
やはり【人間の心…も大切です。そして自然との調和或る世界……】も、
このバランスでしょうかしら〜〜〜ン! その様に思います…。
-
環境破壊が問題なのは、間違いがありません。谷口雅春先生も公害について、きびしくご指導をされていました。
ですから、今の教団が、環境破壊を論ずるのも、それじたいは間違いではないと思います。
しかし、それなのに、どうしてこんなに会員から不満が出るのでしょうか。
(つづく)
-
徳久克巳先生が、ご自分がタバコを止めたときの体験を話されています。先生は医者でしたが、
タバコが良くない事は十分にご承知でした。しかし、永年、止められませんでした。
ところが、先生が、生命の実相を読まれて、自分が神の子だという自覚を持たれると、自然と
タバコを吸わなくなった、という話をされていました。
かってクレージーキャッツの植木等は、「わかちゃいるけど、やめられない」と歌いました。
彼の父親は僧侶だったそうですが、「人類普遍の真理がうたってある」とほめたそうです。
タバコが悪いのも、環境破壊が悪いのも、小学生でも分かります。でも、それを実行するのは
80歳の老人でも難しい場合があります。誰かの悪い点を捕まえて、それを責めるやり方は、
安易なやり方ですが、実効性があるとは限りません。また、人間には、それぞれ事情があり
ますから、原則の通りにはいかないのです。
例えば、最近、機関誌の生長の家誌の10月号は、虫についての論文がかかれていました。
が、ある講習会に行った時に、谷口雅宣先生は、ご自分の別荘にできた蜂の巣に殺虫剤をまいた
話を言われていました。正直、おいおい、と思いましたが、総裁には総裁の都合があるので、
それを責めるつもりはありません。
これは私の理解ですので、正しいか、どうかはわかりませんが、生長の家の生き方が目指す
のは、環境破壊にしろ、タバコにしろ、悪い事だから止めるのではなくて、自分が自然円満な
存在である事がわかり、自然とタバコも吸わなければ、環境破壊もしない生き方だと思います。
(つづく)
-
>しかし、それなのに、どうしてこんなに会員から不満が出るのでしょうか。
私の考え
1、 雅宣氏が自身を喜んでいない心の影。→ 自分自身を尊んでいない → 自身が生まれて来た事を喜んでいない → 両親に感謝していない → 両親のしている事を喜べない → 偉大なる祖父を否定する。の循環で成り立っている人生だから?
2、 雅宣氏が責任者だから。
3、 環境と真理の講話とのバランスが悪い
それと、100歩譲って総裁は総裁で好きにさせるなら教化部長が頑張って教区を真理づけにさせる位に信徒をリードしなくてはいけないのに、
フォローすべき部長が寝ているのがそもそもの不満の始まりだと思います。
総裁があれなら・・ こりゃいかん!!とおもって教化部長がガンガンに伝道部隊を強化し、 時代に即した話に真理を盛り込んで教区の信徒を喜ばしカリスマ教化部長になる自覚がないから!!!
上記の理由もあると思います。
-
アスリートがスポーツをする場合でも、学者が学問をする場合でも、それぞれ、基礎体力や基礎学力はとても
大事にします。基本的な体力や基本的な学力がなければ、いくら専門的な分野の練習や勉強をしても、とても
伸びないからです。
環境問題や愛国問題も大事ですが、生長の家の場合、やはり大事なのは、基礎的な信仰の力です。
基礎的な信仰が整わないうちに、(かく言う私も、信仰という面ではまだまだです)愛国問題や環境問題に
手を出すのは、ある意味では危険な事かもしれません。
先ずは、谷口雅春先生の説かれた教えを実践する事。それを継続していると、自然と自分が何をしたら
良いかが浮かんで来ると思います。
どうも、偉そうな事を申し上げまして、気分を害されたら、お詫びします。
合掌 ありがとうございます
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トキさん、途中割り込む形になってすみません・・・・
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>>495
いえいえ、もう、終わっていますから、気にしないで下さい。
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トキ様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>491“トキ様”からの【問題提議??】に、関しまして、色々な“捉え方”があるモノと、
思います…。
私事ですが??色々思案して、書き上げましたが〜〜〜><“思案”のすえ……
明日“投稿”させて頂きま〜〜〜す。
再合掌
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『みんなで学ぼう母親教室』 白鳩会中央部 編
母と子のために 人間は霊である
谷口雅春先生は聖経『甘露の法雨』の中で「霊」という字に「コトバ」とふりがなをつけておられます。
「人間」の本体が「霊」であり「霊」が「コトバ」ならば、「人間」は「コトバ」であるということだと思います。
こんな大切な「コトバ」を、私達は果たして正しく使っているでしょうか。
私が家庭裁判所の調停委員をしている頃、或る少年事件の審判に立ち会ったことがありました。
事件を起こしたのは十五歳の少女で罪名は窃盗、暴行でした。少年院に送るかどうかの審判です。
両親も来ていました。私のほかに三十歳位の女性調査員が立ち会い、裁判長は若い判事でした。
私は裁判長に向かって「一ヵ月の観察期間を置いてほしい」と申し出て、彼女は一時家庭に帰されました。
その一ヵ月があと三日で終わる日に、彼女は再び罪を犯しました。シンナーを吸ったのです。
深夜警察から私宛に電話がかかって来ました。彼女は私の名前を言ったのでしょう。
私は電話口で彼女に言いました。「二度とこんなことをしないと誓うなら、判事にはだまっていて上げる」と。
彼女は泣きながら「決してしない」と言いました。しかし私は悩みました。「私がだまっていることによって若し彼女が
これ以上悪の道にズルズルと入っていくようなことになったらもう取り返しがつかない。そうかといって彼女を裏切ることは出来ない」
私が悩んでいるのを見て、私の娘が助け舟を出しました。
「審判の時立ち会った若い女性の調査官にだけ相談したらどうか」というのです。
私は裁判所に行き調査官を呼び出し廊下でこのことを話しました。
審判の日が来ました。この前のときの判事が裁判長として現れました。
「無罪」と判事は告げ、彼女は少年院に送られることなく、家に帰されました。
しかし彼女は自ら希望して成人に達する迄保護司をつけて貰い、保護観察処分になりました。
あれから五年、彼女は既に成人に達しました。その間、二度と罪を犯すことなく、立派に更生したのです。
「無罪」と宣告した裁判長に、あの若い女性調査官はどんな「コトバ」で報告したのか、私は知りません。
-
トキ様 へ
こんばんは…… ロ‐マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>491>>492“トキ様の投稿”から〜♫〜
■>「今の教団が、環境破壊を論ずるのも、それじたいは間違いではないと思います。
しかし、それなのに、どうしてこんなに会員から不満が出るのでしょうか」< (投稿文抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
>>497左記の「SAKURAの投稿」の続きですが……
■何故こんなイ不満が出るのでしょうか??〜〜〜〜この“言葉…”誰でもその胸の内にあるモノでは?
私も「反対…」に、論じていました時に、当時の事ですが?この様な気持ちに、なった事がありました。
此処では、“私の思うまま〜♫〜”を、考えていきますと、(全体的観点から〜♫)
【ネガティブ…言葉…】になりますでしょうかしら〜〜〜ン! >< (ごめんなさい。)
一)
「オゾン層の破壊」を、まだ!深く認識されていない様で、そこまで考えていなかったのでは??
生活面での便利さを優遇…これはどうかしますと「物欲?」に走る事にもなりますかしら〜〜〜ン?
二)
当時の私は、まだ【真理…】が浅く、まず!今の「現状打開策…」のみしか念頭にありませんでした。
なので個人的にも【真理の捉え方…】も今一つで、どうかしますと、その私自身の於かれました環境から、
「犠牲的精神の延長」ではなかったかと、多々思う点もありまして、考え込んでしまいます。…が?
例えば…この方面に関しては“私が、おりれば〜〜><”いいのでしょうとか?
自分自身の意見を明確に発言すべきでなく“だんまり作戦?”昔の封建的な考え方?でしょうか……
この様に【信者の意見…】を、トップであられます「総裁先生…」へ、確実に届くのでしょうか?
途中にての【シャット・ダウン…】或る一部では、その疑問点が〜〜><
取りざたされていましたかしら〜〜〜ン!
三)
【献金…】さえすれば〜“いい方向ヘ…”行くという感じです。ですから【エコー運動】は、
何の意味も持たないのでは??解釈があるかもしらません?
(個人的に思いますには、経済的余裕…も関連しているかもとの思いが在ります…。)
<つづく>
-
こんばんは…… ロ‐マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>499投稿の続きです…。
四)
或る“教区の幹部の情勢のお話”ですが……?(気分を害されましたら、ごめんなさい。)
【純子先生の指導によります“講習会…”が〜〜〜】
当時の事ですが……時間になりますと、確かに“時間厳守”なのでしょうが〜〜〜><【交流は??】
【白鳩会員の不満…】が、殆どの“一般の白鳩会員”も含めまして、あるのではないでしょうか?
唯!【幹部研修の講演…】に、来て頂きまして“講演”をして、直ぐ帰られるのです〜〜〜ョネ!
その時の私の知人は、不満が〜〜〜“増大”です。こういう時こそ、この様な機会が多いわけでも
ありませんから、せめて【その日…一日中だけでも!…交流の場】を〜〜〜
時間を延長の場合も含めまして??考慮して頂きますと幸いに思う部分もありますでしょか〜〜〜?
本心は、【一泊…】といいますか??多少はあるのではないでしょうか?それに、幹部の方々も…
家庭に事情はさて置いて、「救済…」という想い出の活動をされていらっしゃる方も〜〜〜
【人間…白鳩総裁純子先生】その側面を、限られた時間でオープンにされますのは分かります。…が?
何時までも【時間!時間!厳守…】では、果たして、これでは?何時までも【信者との壁…】が〜〜〜
これも【不満…】に繋がるのでは、ないでしょうか??
そうしますと「人間の心理」と致しましては、どうしても【エコ−運動に“熱”が入らない〜〜】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■先ず!!最大の問題は【総裁先生ご夫妻の素顔…】が見えない事では、ないでしょうか???
現在起きています【お家騒動…分派】事件に関しまして、信者なりに“判断”していますが、
【元理事会・元幹部の皆様の中傷】は、一時的には、正直な話ですが?【のせられ組?】…
になりそうな気持にもなりました。…が?そうです〜〜〜ネ!もう一度“ワンクッション”於きまして、
冷静な目で…【笠の眼…】で、見て行く内に【真実…】が、明確に見えてくるのでは、ないでしょうか?
■■私も、今現在…少し【不 安 】があります。
「フエス・ブック」を見ますと……正直な話なのですが“投稿されます方の一部の顔”を見ますと、
まるで〜まるで〜【エリート集団…】の様に映りますかしら〜〜〜ン!この方達の【人間性の魅力】は?
と、考えて参りますと、この様な方達からの“いじめ”もあるのでしょうか〜〜〜??
単に“写真写り…が悪いのかしら〜〜〜ン”と、捉えるべきなのでしょうか><
私も今【分派…】の皆様から世間で言います処の?同じ様な“いじめ”を受けていますので…
潜在意識の中に“いじめ”を、擁護派の中でも???という考えも浮かびます。
拝見していて【一瞬!悪魔の“ささやき”の声…】が、耳もとに・心に伝わりまして、実に!
嫌な気分になりやすくなります。…が?これが見ていきますうちに…
【教区の幹部の皆様・一般信者…】そして【本部内部の職員の皆様…】の接点…この“共有性”が、
何処まで出来るのでしょうか?まずは、以前と同様に“不足”といたる事とならないのか?
この点が非常に“不安材料”の一つとなっております…。
再合掌
PS:トキ様 へ
私自身も“目立ちやすい?パットみ?”ですから……憶測にて、
「トキ様」が、おっしゃる様に“イジメ”も起きるかも〜〜〜しれません。
でも!その“ネガティブ・イメージ”を“ポジティブ・イメージ”に転換しまして…そうなのです〜ョネ!
【私の心…ジギルとハイドの戦い〜♫〜】なのですから、
もっと【天使〜♫〜神様からの“メッセージ”の囁き…】を、強く〜強く〜【受信…】して参りまして、
【不満…ネガティブ感情】を払いのけたく思います…。今!トライ中!
これに関連しました事が、まだありますので…折々“投稿”させて頂きます…。
-
心ができていない宗教団体のトップ
宗教の宗というのは、「ある教義を奉じている信者の一団。宗門。宗派」という
意味があるそうですが、宗門、宗派のリーダー自身が心ができず、我欲の心のままに
教えを説いたり、普及活動をしているとするならば、それは大きな罪です。
それによって、末端の信者達の人生をも誤った方向に導くことになるからです。
私達が仕事をしている「精神世界」と呼ばれる分野では、特に気をつけていかなければ、
知識不足のためにいつまでも「時代遅れ」となり、科学、文化の発達のみが進んで、心が汚れ、
日本の国が乱れるもとになりかねません。
実際に、私が相談を受けた中でこんな事件がありました。
それは、全国に支部を持つ、ある大きな教団のトップリーダーによる不正行為です。
そのトップは、地方の教会が本部に納めるはずの活動資金、つまり全国の信者から集めた会費、
あげくには東北の震災の寄付金まで悪用していたといいます。これは明らかに詐欺行為です。
ところが、それが発覚しかけたことで、そのトップは随行していた職員を何の落ち度もないのに
いきなり解雇処分にして、証拠隠滅をはかったといいます。
そのトップは精神バランスを崩した周囲のスタッフを使ってその職員が何か問題を起こしたかのように
画策したそうです。
突然ありもしないことで解雇されたその職員は、ある日突然収入を絶たれ、家族をかかえたまま路頭に迷い、
親子心中しようとしたものの、死ぬこともできず、無念の中、私のもとを訪れたということでした。
何と悲しいことでしょうか。それとも知らず、借金までして、金を用意する人もいるわけですから、まだまだ宗教界
は襟を正さなければいけない点があるのではないでしょうか。
もちろん、このような不当なことがまかり通っているのは、ごく一部の団体だと思います。
不幸やトラブルの原因を、まったく罪もないご先祖や見えもしない霊のせいにしたり、不幸の原因は「信心が足りないから」だとか、
「もっと教団に奉仕をしなさい」と強要する一部の教団。
信者の方も、家族や親類縁者に迷惑をかけ、本当に縁のある大切な人をないがしろにしていることに気づかず、自分が信じる教団に
お金や労力をせっせとつぎ込み、あげくの果てにさらに不幸のどん底に落ちている...。
これを罪といわずして何というのでしょうか?
謝った信仰、先祖供養や家族に迷惑をかけるような行いは本末顚倒です。
宗教も正しく考えられるなら大切と思います。しかし、心ができず、「頂戴!頂戴!幸せだけ頂戴!」の
頂戴信仰や「我欲信仰」であるなら、関わらない方がむしろ無難といえるのではないでしょうか。
私達のご先祖も、この世で生きていたときの欠点をすべては、直せぬままこの世を旅立ちました。
同じようなカルマを持つはゆえに、それぞれの家に誕生し、嫁ぎ、その似たようなカルマの欠点に苦しみ、
悲しんだり、繰り返し修行しながら気づいて、それを直すことによって、そこの家のご先祖がワンランク上にいくのです。
つまり、自分の欠点を直すことが、ご先祖にとっても、そしてまた自分たちの、子供や孫の幸せにつながるのです。
それを指導していくのが、これからの教団の教えであり、宗教家といわれている人達のお役目だと考えます。
『神様に愛される生き方・考え方』 木村藤子 著
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「靖国訴訟」の実相 徳永信一 弁護士
平成二十四年の今年は、靖国神社を命名した明治天皇の崩御からちょうど百年目になります。
靖国神社には、そこに祀られた英霊とともに歩んできた近代日本の記憶が大切にしまわれていますが、戦後の
誤解と偏見がそれを厳重に封印してきました。
太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦から六十七年がたち、人口統計によれば戦後生まれは日本人全体の八割を占めています。
そして私がかつてそうだったように、戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」の多くは、壮年を迎えた今も靖国神社とどう
向き合ってよいのかわからないまま戸惑っています。その理由は、私たち戦後世代が受けてきた教育にあります。
私たち戦後世代は、戦前の日本は自由も人権もない暗黒の専制国家であり、太平洋戦争は悪しき侵略戦争であり、夜郎自大な軍国主義
によって近隣諸国に多大な迷惑をかけてきたと教えられてきました。そこで語られてきた物語は、敗戦によって平和を愛する国家として生まれ変わり、
国民は皇国史観や国家神道といった誤った迷妄と抑圧から解放されて主権者となったというものです。
日本国憲法はこの物語を宣言する正義の聖典として祭り上げられました。現実の政治では、しばしば戦前の亡霊が蘇り、これに憑依された悪の手先が、日本国憲法
の理想を妨害し、日本をかつての闇に引きずり戻そうとしますが、普遍的な人類愛と理性に目覚めた進歩的な人類愛と理解に目覚めた進歩的な国民は、団結してこの悪しき
企てを撃退しなければならないのです。そこで靖国神社は、非業の死を遂げた戦争の犠牲者たちの怨念が封印された墓所としておどろおどろしく語られてきました。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意をはらう権利と義務がある」
というブルノー・ビッテル神父によるマッカーサーに対する答申によって、靖国神社が焼却から免れたことを教わることはありませんでした。
民族の物語は時代錯誤の迷信だとして排斥され、これに代わる物語とされたのは「階級」と「世代(ジェネレーション)」でした。
私は階級闘争のイデオロギーには懐疑的でしたが、新しい世代がこれからの世界を担っていくのだという時代の雰囲気にどっぷり浸かっていました。
昭和が幕を閉じるのと前後して、戦後の世界を形づくってきた冷戦体制が崩壊し、イデオロギーに封じ込められてきた民族と宗教が再び世界の表舞台で
うごめくようになりました。
『靖国神社』 神社本庁編
-
これは誰に言っているのだろうか?
1121 名前:初心者 投稿日: 2012/09/20(木) 11:48:44 ID:qBrfhCPc このさいですから、みなさん教団にもどられて、「あれは総裁の真の姿ではない」と
宣言されて、自分が正しいとおもえる行動を実行してみられてはいかがでしょう。
数万という信徒が大挙して押し寄せれば流れがわかるやもしれませんでしょう。
「あれは総裁の真の姿ではない」と訴えながら、「真の生長の家を見せてやる」と
の心意気で正しく行動なされるのがよろしいでしょう。
追いだされても追いだされても、真の生長の家を見せるために戻っていくのです。
雅春先生の弟子であれば、なにがあろうとも、こうした行為を果敢に実行できる
はずです。できないとすれば、それは保身です。
-
<削除>
-
>>460 :志恩:2012/09/07(金) 16:54:36 ID:.QY5jUA6
>>goro様
>>随分前の事ですが、私が、横浜アリーナで雅宣総裁先生の講演会を拝聴しに参りま
>>した時、宣総裁先生は、ご自分が、宗教家として、個人救済をやめて、環境問題を
>>中心にやろうとされている
>>ご決意を語られた。
私は環境問題や世界の平和を願うことは、悪いことではないものの宗教家の仕事では
ないと思います。それらは政府の仕事だと思います。
宗教家の目的はあくまで真理を解りやすく述べ伝え、真理によって人々の運命から不
幸を取り除くことにあり、また、死後、少しでも高い霊界に行けるようにこの世に於
いて正しい信仰生活をすることを教えることだと思います。
これ以外のことは如何に善いことであっても宗教家の仕事ではないと思います。
-
スターダスト様
コメント、ありがとうございます。
私も、スターダスト様のご意見に、全く同感です。
本来の生長の家の根本的目的の1つである(国家の救済もそうですが)、個人の救済を
ほっちらけにして、
これは、スターダスト様が、ご指摘の通り
”環境問題や世界平和を願う事は、悪いことではないものの、
宗教家の仕事ではないと思います。それは、政府の仕事だと思います。”ですよね。
これだけ、自殺者が増加しているなか、個人救済は、ほっちらけで、大自然を相手に讃歌するお経を
読誦しても、ますます、自殺者は、増加の一途を辿るばかりですもの。
それで、本来の生長の家の教えに回帰して頂きたいと願って、
諦めず、このように掲示板で、ささやかながら、われわれは、発言をさせて頂いているのですよね。
スターダスト様曰く
”宗教家の目的は、あくまで、真理を分り易く述べ伝え、真理によって、人々の運命から不幸を取り除くことにあり、
また、死後、少しでも高い霊界にいけるように、この世に於いて、正しい信仰生活をすることを教えることだと
思います。
これ以外の事は、如何に善い事であっても、宗教家の仕事ではないと思います。”
全く、その通りだと私も思います。
それから、
スターダスト様は
霊界光明化研究部板に、鬱単日(ウッタラクル)のことを、お書き下さったり、
霊能者のことなども、書いて下さったり、
また、
スターダスト様は、前は、唯物論一辺倒でいらしたのに、『生命の実相』を読まれて衝撃を受けられ、
その当時、販売していた雅春先生の著書を全部、買われて読まれたこと、
それだけでなく、仏教やキリスト教も等も、勉強されましたら、生長の家の真理を、より検証出来た。
と、おっしゃっておられますが、私も、聖書や、哲学関係も読みますが、それらを読みますと、
雅春先生は、天啓を受けられて、それらのエッセンスを説かれておられたことを知る事ができまして、
生長の家の教えは、ほんとうに、すごい教えなのだと感動するばかりです。
合掌、ありがとうございます。
-
本来は別板の運営の板で書くべきですが、少し大きな問題なので、こちらで書きます。お許し下さい。
名誉毀損の問題について、法律に詳しい友人に教えてもらいました。 自分なりの解釈ですので、誤解が
ある場合はお許し下さい。名誉毀損は、刑法でも民法でも問題になります。当然、刑法上の名誉毀損の
ほうが成立が厳しいです。しかし、原則的な仕組みは同じみたいです。
先ず、普通の市民に関する話題の場合は、プライバシーの保護は重たく、その内容が事実であっても、
個人的な事柄や重大な内容ではない場合は、名誉毀損は成立する場合が多いみたいです。ただ、その人が
犯罪を犯した場合やその疑いがある場合、選挙に立候補する場合は、その内容が事実である場合は、個人的な
内容をネットで書いても名誉毀損にはなりません。あとは、芸能人などの場合は、プライバシーが制限される
傾向にあるみたいです。
公益に関する内容の場合も、事実は書いても問題はないとされています。例えば、公務員に関する事案な
どです。しかし、ここで、「公益」と漠然と書かれているのでは、漠然すぎてわかりません。そこで、今までの最高裁判所
の判決が参考になります。特に、宗教法人の指導者への名誉毀損については、以下のものが重要だと言われています。
かって、創価学会の月刊ペン事件というものがありました。
これは、月刊ペンという月刊誌が創価学会の池田大作会長(当時)の女性問題を特集したものです。内容は
池田氏には複数の愛人がいて、そのうちの一人を公明党の国会議員にしている、というものでした。激怒した
池田氏は、公明党を通じて警視庁に圧力をかけて、編集長を名誉毀損で逮捕させました。さて、裁判になったの
ですが、最高裁判所は、「池田氏は宗教法人の指導者である。宗教法人の指導者は、公人に准ずる存在である。
そういう人の私生活も論じる価値はあるから、公益性はある。ただ、内容は立証されていないので、その点、
事実とまでは認められない。」という理由で、名誉毀損は認めましたが、軽い判決を下しました。
余談ですが、この愛人とされた国会議員は元は共産党党員でしたが、戸田城聖に洗脳され創価学会に入信。
このとき、生長の家信徒だった妹も戸田に洗脳され創価学会に入っています。その後、姉妹は池田の家に来る
ように招かれ、姉は池田の家に行き、その後、トントン拍子に創価学会内で出世しました。反して、妹は池田
から家に来る様に誘われた時に断ったので、池田の恨みをかい、その後、結婚した夫婦ともども、学界内では
池田にいじめられました。この妹が、姉の秘密を暴露した人物だったようです。閑話休題。
(つづく)
-
次に、この問題の解釈に影響を与えたのが、幸福の科学の大川隆法氏と週刊誌の裁判です。
この点については、かって生長の家本部に在職し、幸福の科学に移籍し、最近、大川氏がニセモノである
事に気がついた人物が詳細な解決を書いています。
①講談社本体訴訟----(最高裁平成13年6月12日第三小法廷) 幸福の科学敗訴確定・・・2001年
①の講談社本体裁判では、名誉毀損は「宗教法人及びその主宰者等は、法による手厚い制度的保護の下に、人の魂の救済を図るという至上かつ崇高な活動に従事しているのであり、このような特別な立場にある団体ないしその責任者は、常に社会一般からその全存在について厳しい批判の対象とされるのは自明のことというべきであろう」と成立しないとの判断がでて、「判例」となった。
http://antikkhs.blog119.fc2.com/
この判決は、最高裁判所の判断ですから、判例として、事実上、法律解釈の基準となっています。これが
あるので、靖国見真会参加者さんは、安心して、毎日、総裁や教団の批判をかけるのです。おそらく、谷口雅宣先生
は、池田氏や大川氏に対して、違う意味で怒髪衝天だと思います。
(つづく)
-
さて、最高裁判所は、どうして、こんな厳しい判決を下したのでしょうか?
今の宗教法人法は、戦後、成立してから改正は、オウム真理教事件のときぐらいしか改正されていません。
例えば、商法や会社法は戦後、数年に1度は改正されています。株主や債権者が会社の経営者をコントロール
する手段もきちんと定められています。一般の公益法人に関する法律も最近、改正されています。また、
一般の公益法人の場合、監督官庁が指導監督するシステムが整っています。
ところが、宗教法人の場合、宗教法人法を見ても、法律による指導部への統制システムや情報開示システム
はあまりありません。信教の自由の観点から、監督官庁の介入も制限的です。つまり、宗教法人の指導者は
その気になれば、フリーハンドで権限が使えるのです。これは、戦前戦中の「反省」や、宗教家は「聖人君子」
である、との前提になっているからです。
しかし、戦後の宗教法人は、その影響力が大きく、国会議員を支援する事で、国政にも影響力を与える存在に
なりました。多数の信徒を擁する教団の場合、多くの人に影響を与える存在になっています。大多数の宗教法人
は真摯な姿勢で活動をしています。が、一部の宗教法人は、社会通念上、批判されるべき行為を行い、オウム真理教
のように、犯罪行為をする団体すら存在します。
と、なると、宗教法人が、その権限を濫用した時に、対応できるように法律を改正すべきです。しかし、現在、
与党、野党とも、宗教法人に支持された国会議員が多数いるので、宗教法人の権限に縛りをかける方向での法律
の改正は期待できません。
そこで、最高裁判所は、宗教法人の暴走を抑止する手段として、言論による批判を通じて、情報公開と指導部への
牽制を試みたものである、と思われます。これが、以上の2つの判決の背景でしょう。
(つづく)
-
以上が一般論としての宗教法人と名誉毀損の問題ですが、ここで、生長の家について考えてみましょう。
今でも存在しますが、かっては毎年2月末に全国の幹部が集まり、来年の運動方針を討議する「代表者
会議」というものがありました。昔は3日間あり、仕事をしている身としては少し苦しかったですが、
同時に現場の声をくみ上げる姿勢は見えました。当時、世間では「右より」の団体として知られた生長の家
ですが、実際に組織に入ると、民主的で会員の意見をよく聞いてくれる、という印象がありました。
そういう組織風土ですから、教区でも、会議ではよく話し合いの末に物事を決めました。私は違ったと思い
ますが、各組織の指導部でも、構成員の意見には誠実に耳を傾けた指導者が多かったと思います。
こういう議論ができる風土があるので、組織の運動方針に不満があっても、それを外部へ持ち出す人は少な
かったです。あくまでも部内での議論で解決をする傾向にあったと思います。(なお、これは、私の個人的な
経験ですから、これを一般化する意図はありません。)
ところが、最近の組織では、(こうなると、昔を懐かしむ老人そのものですが)、大きな決定が「最高主脳者
会議」に一任されるケースが増えました。例の「森のオフィス」も、計画そのものは確かに「聖使命」新聞に
少し前から紹介されていましたが、具体的な内容が信徒に知らされたのは、決まってからでした。
これが、株式会社の本店移転だと、取締役会での決定に加えて、株主総会で出席者の3分の2以上の賛成が
いるのですから、やはり信徒としては、釈然としないものがあります。
他にも、大東亜戦争侵略論や普及誌の題名の変更や内容の改悪が、本部の意向だけで決まった事例があり、
その中には、両軸体制のように、明らかに失敗、という事もありました。
(つづく)
-
法律の世界では、「手続的保証」という言葉を使うそうですが、権利の内容も大切ですが、その権利を使う機会
も保証しなさい、という発想があるみたいです。
つまり、総裁が谷口雅春先生の教えを変更した(と、言われています)や、聖典を根絶した(とも、言われています)
という点も重大ですが、これが、信徒の見えないところで、総裁の脳内会議だけで決まった点は、すごく信徒には不満
なのです。信徒というのは、お金も出すし、奉仕という労力も提供する重大な利害関係者です。その重大な利害関係者
の知らないところで、物事が決定されたというのは、本人にしたら、侮辱されたような感覚になるのです。
しかも、それに対して、声をあげても、組織内では無視されます。これは、結構、つらい話です。
大多数の信徒は、私と違って、聖人君子ですから、サイトで総裁の悪口を書く事はしません。しかし、中には、こう
いう仕打ちに対して、疎外感を感じ、それが感情的な反発につながり、サイトで、総裁批判を書く人がでてきます。
(なお、全ての総裁批判をする人がこのケースだというつもりはありません。)
別に、だからといって、社会通念を超えた総裁の批判をしても良いとは思いません。しかし、教団や総裁が過去いして
きた組織決定のあり方にも、相当に批判されるべき点があるのも事実です。
別に、私は、本流復活派を支援するものではありませんが、教団が「手続的保証」を軽視した点が、本流復活派の
増加につながった点は申し上げたいと思います。
合掌 ありがとうございます
-
トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>507>>508>>509>>510>>511の“トキ様の投稿”から〜〜〜(途中経過ですが)
■■ 何処の世界でも【宗教…奉職者】という「イメ−ジ」…・…
世間の見方〜〜〜>< 賛否両論で“公私…”共ども【中傷…論】たえないモノですかしら〜ン!
唯!一つ言えます事は“メディア…”の変化!と申しますか?
現在は【インタ−ネットの世界】と言いますか?新し〜〜イ“媒体形式”が増えましたので、
過去以上に…【影 響 力…】は多大なモノに思います。…が???
個人的には、この事が「裁判…」に及ぼす影響は?と…考えてしまう部分もあります。
■さて!【 創価学会…】の“お話…”〜〜〜なのです。…が?
「池田大作氏の“愛人のお話”〜♫〜」は、色々な所からの情報にて、お聞きした事が〜〜><
勿論“マスコミ”からのもの?人々とからのモノ?多々在ります。…が?
「元信者の方々」が…これは、きっと【その方の信仰姿勢?】が把握されていないのでしょうネ!
私が、【創価学会…】に在籍しておりました当時?間ものない頃の事でしょうかしら〜〜〜ン!
その当時、或る“文化会館”に「歌手…山本リンダさん」がいらっしゃいまして、その時なのです。
…が???ツイ〜ツイ〜私は、友人が話していた事を“一言・・・”
(世間一般でリンダさんは、この様に見られています…?と)この事を話した次第なのです。
処が“ビックリ”と申しますか?瞬時にして???「会長池田大作氏に…筒抜け><」でしたが?
当時「リンダさん」は、世間では「会長池田氏の“2号”とか???」噂話が……><
私は、知らずに「世間では、同様に???????なのでしょうネ…」と言いますと、
その後、すぐマスコミからの情報で【教授との結婚…】でしたが〜?【良かった子ちゃん…】です。
この様に、すべてが「仕組まれている」のでしょうか???
私も、この様に、当時は【お見合いとか?ある面は、それを優遇している感じの団体でしたかと?】
〜〜〜【真理…】は、本当に!本当に!何なのでしょうか?と……今!振り返りますと…
私自身も、まだ「信仰心が、浅いかと??」この様なる記憶が在りますかしら〜〜〜ン!
■トップともなりますと【プライバシ−の重点性…】確かに【奉職者との…イメ−ジ】からも、
どうしても厳しく見られて仕舞いますのでしょうか?
■■さて…今回の論争!多々なる問題点の相違を、昨日より
【分派の皆様…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】各々、投稿されていましたかと?
まさに、今回の【生長の家…お家騒動】は、本当に“考え方…捉え方…”の相違ですから〜><
個人的には【内容…同じモノと…】唯!“表現方法が〜〜〜異なりますのでしょうか?従いまして、
【お経…】に関しましても、双方が「納得されます“お経…読誦”」をなされば…と思います。
相手に対しまして“〜〜〜ネバならない!”という感じの“おしつけ論”の前に、
【心の安らぎ】が、各々の皆様が、別なる【お経…】にて頂けますなら、それはそれで宜しいのでは?
【霊の世界…】でも、やはりこの【論点…相違】は難しい!のでは〜〜と、最後には、
やはり、私達一人一人が【人間…神の子…自覚】としっかりとした【意識=意志…】を、
持つべきでしょうか?それによりまして【行動…】が〜〜〜
「雅春先生の意志」は、【人間…神の子です!】から、との思いが致します。…が?
昨日より「亡き母」が、“夢の中”にて私に“伝言メッセ−ジ”を〜〜〜伝えまして〜〜〜
■■肉体の死後…「あちらの世界=>次なる世界」と、申しますかしら〜〜〜ン!
【霊の世界でも……光明化運動……魂の救済】を、「雅春先生を中心」と致しまして……
なさっていらっしゃいますのでしょうか??
(つづく)
再合掌
-
生長の家“愛国本流宣言”掲示板
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/hikarinomi.html
-
>>513
これがどうしたの?
-
本部もいろんなことをやってるみたいですね。
でも、この海外旅行というのは胡散臭いな。
いつか、噂だけど、浄財使って海外旅行している人とかもいるし、って聞いたことあります。
73 :トキ:2011/06/08(水) 19:59:07 「原宿本部」内部で出来ている将来プランについて、「これは、谷口雅宣総裁の世界征服の
プランに違いない!」という噂が、あちらこちらで流れています。
母親や私が、部内で聞いているのは、そんな壮大な話ではないです。組織内、特に幹部の間
で流れているのは、もっとレベルの低い話で、あまりにも馬鹿馬鹿しいので、「背筋が寒くな
った」のです。ただ、具体的な事を書くと、情報源が露見するので、書かないだけの話なんです。
「世界征服」なら、もう20年前に「国際平和信仰運動」なる言葉が出来てから、あの手、この手
で「世界に伸びる生長の家!」を実現するために頑張っています。実際、第一線で頑張っている現地
の職員や講師の方々の努力は、賞賛に値します。私もたまに海外旅行に行きますが、現地で会う幹部や
職員は、素晴らしい人です。では、実情はどうか、と言うと、「世界征服」などは、夢のまた夢で
す。これは、現地の幹部や職員の責任ではありません。では、だれのせいか、と質問をされると困り
ますが。
しかし、谷口雅春先生が指導をしていた時期は、海外でも信徒が飛躍的に増加していた事実は指摘
しておきます。
とにかく、信徒が激減しているのは、原宿本部も認識しております。この先、伸びる可能性がない
のも認識しています。それを見越した上での「将来プラン」とだけ、言っておきます。あとは、皆様
が調べてみて下さい。ただし、「推測」はやめて下さいね。「推測」はたいがい、間違っていますから。
こちらのサイトで関係ない話ですが、一応、書きました。失礼をお許し下さい。
合掌 ありがとうございます
-
9 :トキ:2011/06/06(月) 14:44:22 今回、「本流復活」掲示板で、多数の書き込み禁止の方が出た件について、考えたいと思います。
が、サイトの方針として「谷口雅宣先生の退陣に賛成する事」が前提となっている点には少し驚き
ます。その背景として、谷口雅宣先生への強い敵意が見えます。
「谷口雅宣先生の退陣に反対する」とは言いません。しかし、生長の家の考えを前提とするの
なら、「人を憎み、怒るの罪」(食事の神示)をする事が正しいのか、考える必要があると思うのです。
「本流復活」を看板に立てるのなら、谷口雅春先生の教えから逸脱する事は避ける必要があると感じます。
もうひとつ、書き込み禁止の処分を頂戴した人の相当数は、ご自分への批判に対して、丁寧な返事を
されています。例えば、「雅春先生に学ぶ」ブログ管理人様は、道理を尽くして解説をされています。
これに対しては、第三者から見て、十分な返答はありません。「雅春先生に学ぶ」ブログ管理人様に
活動歴がない点だけを反論の根拠にしておられます。母親も私も、信仰歴も活動歴も多年に渡ります。
が、あの説明には賛成できませんでした。今回、「雅春先生に学ぶ」ブログ管理人様が和解の提案を
されています。生長の家の人間として、正々堂々の態度を取って下さい。
最後に、あの問題は、「本流復活」の運動には、何も利益がなかった、という点です。
確かに、管理人様が自分のお金を使い解説し、ご自分が明確な目的で運営しています。その点は
深く敬意を表します。しかし、あのアクセス数を見れば、影響力は無視できないものがあります。
が、今回、サイトの目的に厳格にそわないと管理人様が判断した書き込みをした人間はもちろん、その
意見に賛成をした人間まで書き込み禁止の処分をされたのは、「本流復活」の運動には大きなマイナス
だと思います。つまり、読み手にしたら、「本流復活」を主張する人達は、化石のような発想の持ち主
である、という誤解を受けると思います。
「本流復活」を言うのなら、あくまでも「谷口雅春先生の教え」に基づく発想をする必要があると考え
ています。
なお、この文章は、「生長の家 本流復活宣言」サイトや「学ぶ会」を攻撃する意図で書いたもので
はありません。考えは違う点はありますが、8年間も自分の信念に基づき、地道に活動をされた点には
純粋な敬意を表します。
-
聖典版 ご一読ください。
-
1323 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2012/09/24(月) 16:47:42 ID:???
『神の意義とその理解』59頁より謹写――
◇超越内在の神を〝生命の体験〟として自覚せよ
-
>>519等の書き込みをされている方はたしか、
この掲示板では「個人的な苦情は掲載しないように」との指導が
なされた方ではなかったでしょうか。
別掲示板をご自分のものとしてお使いなのですから
そちらへ誘導されてください。
議論の邪魔ではないでしょうか。(話に追いつけません)
-
>519
すみません。別版に移したから削除してもらってもいいです。
-
今の教えを考える3より
1937 :トキ:2011/12/19(月) 19:04:15 ID:8ZtaZ4VY うのはな様
ここの掲示版は、誰が、何を書いても自由な掲示版です。管理人が、どなたかに特定の内容の投稿を
指示したり、書かないようにお願いをした事はありませんし、今後もないです。
合掌 ありがとうございます
管理人 敬白
-
12月の文章で正当化されてますが
貼り付けておきます。
190 :トキ:2012/06/23(土) 18:34:04 ID:.Ed4mLl2
うのはな様、訊け管理人様
申し訳ありませんが、バトルはこの場所ではご遠慮願いたいと思います。
訊け管理人様が、別の場所を用意しているのなら、そちらでお願いします。私的な話の場所ですが、
投稿者様どうしであまり喧嘩が続くと、他の方が気分を害されると思います。
「女子大生」の話はこの掲示版には関係がないので、それもご遠慮願います。その人はこの掲示板
には登場されていないはずですから、ここで書かれるのは、他の方々には理解ができないです。
この掲示板は、不特定多数の方が利用する場所です。出来るだけ多数の方に投稿をお願いしたい
ので、投稿者様の良識を尊重しています。喧嘩は、その日のうちに打ち切るのが他の投稿者様への
悪影響がないと思います。バトルを翌日へ持ち越すのはご遠慮下さい。
以上、管理人の権限で宣言しますので、ご両人とも、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
244 :トキ:2012/06/26(火) 09:42:51 ID:/.wLrBMk
うのはな様ご自身がブログを始めてはどうでしょうか?
その方が、自分が好きな事をかけると思います。
286 :トキ:2012/06/26(火) 15:48:24 ID:/.wLrBMk
うのはな様、管理人が行き届かない点は深くお詫びします。
もう訊け管理人様とは対話をされないで下さい。また、訊け管理人様もうのはな様とは
対話をされないで下さい。よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
-
↑現在、訊け氏は稲妻スルー中です。
暴れているのはただ一人。
暴れている理由は志恩様いわく
「本来の生長の家復活」を願ってのこと、だそうです。
-
うのはな様、もし、過去の引用はできれば別板でお願いいたします。
-
>>523
正当化していると、曲解されているようなのでお断りしておきます。
上の貼り付けは、たまたま過去ページをめくっている時に出て来たので
トキさんの性格を表していて面白そうと思ったから貼りました。
私自身は、もうすでに別版に行って、スルー中だといいながら干渉してくる
人に対してレスもしていますし、女子大生攻撃なども、すでに身勝手な男性に
対して効果がでたようなので、終了しています。
おなじ説教のようなものを何回もくりかえさないようにお願いします。
別版に移したから削除してくださいと書いてるでしょう。
それと島主さんのいうとおりにします、女神さまさようならといいながらも
いうとおりにしていない人の仲間が無責任な詮索を書いていますが、
わたしはほとんど訊け氏や訊けブログでのことは、別版に書きました。
これからは、その量も徐々に減らしていく考えです。
それから、「本来の生長の家復活」を願ってのこと、とわたしは一言も書いていません。
こういったデマを平気で流す、曲解したまま、延々とおなじ話を繰り返す人達が
谷口雅春に訊けブログ仲間や、ここには多いということを頭に入れておいてください。
何を削除するか、どこへ誘導するかなど、最終的には管理人トキさんの責任判断だと思いますが、
トキさんがうのはなさん別版をつくりましたといっても、だから反対したんだとか意見する人もいたりして
誘導するトキさんも大変だと思います。
トキさん、こっちに誘導してくださいといっていた、訊け氏も都合のいいときにブログを開いたり
閉じたりしていて、根本的におかしい人にも、注意指導を願いたいものです。
-
トキ様へ
理解の薄い短絡的な人達に誤解を与えたようなので、
522を削除してください。
訊け氏がもうここにはわりがあわないから来ないとか、そんな発言ばかりくりかえしているのを
カコログで探していた際に見つけたから、載せてだけで、正当化だとか考えていません。
お手数おけししますが、何回もおなじことばかりいわれるのは訊け氏だけで十分だと思っているので
削除をお願いします。
-
それと、別版掲示板方針版などで書こうと思っていたことですが、女子大生のことなど
過去の訊け氏に関する話題を出してこられた方があるついでに、書かせてもらいます。
雑談部室版などで私の文の添削指導に来たり、谷口雅春(先生)に訊けブログ内などで、
私の文の添削、他ブログコラムの模倣、デマを書いているのを掲載運営している訊け管理人さ
んは、うのはなさんに目が離せない、うのはなさんの婚活情報を逐次女神の部屋で
公開するというような意味の文と自分のブログリンクを貼ったりしていました。
けれど、現在「女神の部屋」は閉じられているようです。
それ以外のブログコメント欄などには、うのはなを卑下するようなコメントや
訊け氏が笑っているコメントなども多数掲載されていますが、とりあえず、
女神の部屋へどうぞどうぞという誘導リンクは削除されたらどうでしょうか。
閉鎖した部屋ですし、アクセス稼ぎをしたい理由でもないのなら、そうされたほうが
混乱しないと思います。
-
>>529
うのさん都合が最優先ですよね。
合掌
-
かねがね、「何故、援護派がネット空間に登場しないのですか?」と慨嘆していた
のですが、ようやく、援護派が反撃をしました。
援護派のブログが誕生していました。題して「生長の家光明掲示板をたたく」です。
http://ameblo.jp/tadashiioshie/entry-11339074071.html
拝読すると、「生長の家光明掲示板」と同じ位、品位のある掲示板です。
皆様、ぜひ、ご覧下さい。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
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>>534
個人的な感想を申し上げると、「生長の家光明掲示板」に対いする憤りが先行してしまい、
「突っ込みどころ」満載のブログになっています。ざっと見ただけでも、本流復活派が反論
できる部分が何カ所も見つかりました。
でも、まあ、教団援護派が、自分の意思を明示したのはとても良い事だと思います。
頑張って下さい。
-
534:トキ様
こんな掲示板ができてたんですね。表紙にライオンに近いトラの絵がありました。
見ましたが、まだ、アメーバが、1人もいません。
ここの掲示板には、アメーバに なりたそうな人が、数人 おられますが。
トキ様が、擁護派のブログも出来たらいいのに、とおっしゃってましたから、
その夢が、叶ったのかもしれません。
-
>>536
志恩 様
いやー、しかし、あのブログを読んで、本流復活派を止める人はいないでしょうね。
教区内でも援護派の人はいますが、中には、ひたすら本流復活派の悪口ばかり並べる人がいて、
現役会員の私でも、正直、不愉快になります。「学ぶ会」をひたすら「負け組」と罵倒する
だけですから、オイオイと思ってしまいます。
私は和解派ですから、本流復活派を支持するものではありません。しかし、本流復活派の言う
事にも、正しい事や考えないといけない内容は多いですから、その点は素直に傾聴し、改める
態度は大事だと思います。今の援護派の中には、本流復活派に対して「分派」というレッテルを
貼って、その内容は考えずに、ひたすら相手を罵倒する事に全力を尽くす人がいます。こういう
態度には賛成はできません。
例えば、今、アスベストや石綿から、肺がんになる事が分かっています。実は、この事実は
第2次世界大戦中、ドイツで発見されました。ドイツは即座にアスベストの使用を中止してい
ます。しかし、発見者がナチス親衛隊の軍医であったため、連合国側は故意にアスベストの危険性
を無視し、被害を拡大させたと言われています。(健康帝国ナチス、より)
ただ、繰り返しますが、総裁援護派が反論をすることは歓迎すべきですから、良い事だと
思っています。
合掌 ありがとうございます
-
トキさまへ
新、別版 掲示板はしたらばに問い合わせてみてどうでしたか?
-
1 名前:トキ 投稿日: 2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。
これは聖典引用版の冒頭にかかれてあったものですが、他の真理の言葉、というのなら
生長の家講師以外の本からでも、引用可能ということでしょうか。
その場合、この本は真理かどうかという問題も出てくるとおもいますが。
今もベスト・フレンドから引用されていますが、以前は訊け管理人氏が
米国作家の引用をしていました。
混乱のもとだと思います。
-
今朝、返答が来たのですが、内容についてはわからない、という意味不明のものでした。
再度、問い合わせをします。
しばらくお待ち下さい。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
-
>>534
これが元ネタですね! 大論争より
>:気持ち悪いブログ見つけたぞ・・・・・・:2012/09/27(木) 21:07:06
>http://ameblo.jp/tadashiioshie/entry-11309895222.html
総裁がこんなの書いてんじゃねえよ(大笑い)
-
トキ様
愛国掲示板も、光明掲示板も、
以前と比べますと、おなじみの数人でなく、多くのいろんな方々が、投稿されるようになりました。
知らないお名前の方々の参加が、増えるわ 増えるわ
活気に溢れています。
もう、本流復活の激流は、せき止められない勢いに,見えますが。
この期に、光明掲示板を叩いたら、
火に油を 注ぐようなものだと思います。
こんなうそだらけのブログをつくったら、
今迄、沈黙を守っていた人まで、じわじわ 本流派に
参加するでしょう。
教団は、することが、後手後手に廻っています。
-
>>537トキ理事長
いやーホント、完全チェストです。
本流派だって正論はあります。たとえば「疑問を呈する」ことは背教には当たりません。教団のことを思って疑問を呈する文章だって、あるのですから味噌も○もになってはならない、と思います。
部外者で話し易いからでしょうか、私の元にはよくメールが来るんですが、教団の処遇は酷いものがあります。(了解が取れればここに、公開してもよいですが現在はムリ)その種の疑問を呈することはなんら、背教ではないと考えます。
なお以下は余談ですが・・・・・その種の教団批判ですが、トキさんのご文章のトーンが◎ですよね。あのトーンであれば部外者にも説得力、あると考えますが・・・・まあ、非マトモ脳の放談かもしれませんがね(笑)
追伸
なおこの文章を読んで「訊けが変わった」てなレスは、なしでお願いします。
これ、以前からの私の意見です。考えを変えたわけではありません。
拝
-
1 名前:トキ 投稿日: 2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。
これは聖典引用版の冒頭にかかれてあったものですが、他の真理の言葉、というのなら
生長の家講師以外の本からでも、引用可能ということでしょうか。
その場合、この本は真理かどうかという問題も出てくるとおもいますが。
今もベスト・フレンドから引用されていますが、以前は訊け管理人氏が
米国作家の引用をしていました。
混乱のもとだと思います。
-
訊けさん訊けさん訊けさん・・・・・
合掌
-
ホモ?さんへ
訊けさんは「谷口雅春に訊け」ブログをお持ちですから
そちらへいって呼びかけられたら?
わたしは、彼の卑怯を書いてるだけですから。
返事できないのを承知で。
かわいそうですねww
-
訊けさんは「谷口雅春に訊け」ブログをお持ちですから
そちらへいって呼びかけられたら?
その言葉をそっくりあなたへお返しします
粘着乙ですね
-
なぜそちらへいって呼びかけないといけないのですか?
わたしは訊けブログにこれまでさんざん呼びかけられて行ってますよ。
ここでも訊け氏は私や私以外の人に自分のブログに誘導しています。
わたしの文に粘着して、創作したり、色を塗ったりしています。
別版では、えらそうに掲示板規則を書いたりして仕切っていますが、
谷口雅春に訊けブログでは好き放題にしていますよ。
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晴れ競馬とときどきホークス 今日の言葉 より
・・・・ 或る人の息子が病気になった。
永い病気であるから息子の嫁が、良人においしいものを食べさせたいと思って、料理を習い始めた。そして、大変おいしい料理が出来るようになった。
姑さんは『これも息子の病気のおかげですよ。有難いと思っています』とおっしゃるのである。
この姑さんの言葉は、一寸考えると進んだ心境の人の言葉の様に思えるが、これはいつのまにか受難礼賛に陥っている。
一方に不幸があるので、ありがたい結果があらわれると考えるのは、不幸をもって幸福に必要な前提とする間違った信仰である。
『病気になっても有難いと病気に感謝しなさい』と説く場合もある。これは紙一重の差で生長の家とは異なる信仰になるおそれがある。しかしこの紙一重の差が、天地霄壌の差を生ずる。一方は真理であり、一方は非真理である。
古来の多くの聖者ですらこの点に於いて誤ったことが多かった。病気になったらこれで業が消えるのだ、ありがたい、これで罪をつぐなうことが出来る、この不幸もありがたい、この様にして病気や不幸に感謝する人々は、まことに敬虔な心境の様であるが、それ故に、不幸を礼賛する気になり不幸を自造している人がある。
不幸礼賛は生長の家の信仰ではない。
そんなに病気や不幸がありがたかったら、病気になればよい、不幸になればよいのである。
吾々の信仰では、病気は無いのだ。罪はない、不幸はない、業はない。ただあるのは、圓萬完全なる實相の人間・神の子だけである。その実相の完全なることが有難いのである。
谷口雅春師 『叡智の断片』より
生長の家創始者 谷口雅春師はこのようにお説きになっているのに
三代目は『大震災が起って良かった』とトンデモ発言をしている。
どこでどう真理が捻じ曲がったのか!?
宗教家として、又人間として、その資質を疑うものである。
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>423>>452>>453>>457>>458>>464>>465>>475>>476投稿の続きです…。
◆ 第 七 章 自動書記現象 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【 内 面 装 置 】
>>486>>487投稿の続きですが補足です。
「自動書記現象に接した時、手が外来の力によって物理的に動かされると思うのは、事実では
ありません。肝心なのは、手に作用する物理的な力ではなく、脳に作用する精神的な力です。
……いよいよ霊界の居住者が、自動書記に着手しようと思えば、彼らは内面的に霊媒の頭脳を占
領して、人知れず、これに自己の思想を伝達します。すると頭脳は、自力で運動を手に伝えます。
ですから自動書記は、いわば頭脳技術者の仕事で、彼はいずれの点に力を加え、何物を押さえつけ、
また何事を印象すべきかを心得なければなりません。
内面の装置は>>486>>487ふくめて終わります。次は「 第八章」に入ります。
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
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>>423>>452>>453>>457>>458>>464>>465>>475>>476>>投稿の続きです…。
◆ 第 八 章 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 【 霊視現象 】 ―――――
霊視とは、いわゆるクレエアヴォヤンスで、純粋に主観性の心霊現象です。この種の霊
媒は、全く無意識の入神状態に入ることが絶対ありません。全く無意識であれば、せっか
くみてもその記憶が後に残らないからです。それでは霊媒家とはいえません。一ばん普通
なのが、半意識の入神状態です。そのために、実験後まで、相当はっきりした記憶が残っ
ています。
霊媒能力の種類は、これは四種類に分けることができます。
(一) 距離を超越する能力(千里眼)
(二) 遮へい物を透視する能力(透視)
(三) 超現象界」を視る能力(一つの幽明交通法)
(四) 時を超越する能力(主として予知能力)
現在の日本には、さいわいそれぞれこれらの実験にふさわしい能力者がどんどん出てき
ているので、その点は大変心強いのですが、今から二、三十年前にはずいぶん苦しんだも
のです。この能力の有無に関して、たたやたら疑惑をはさむような人は、やっと少なくな
ったようです。何といっても人間には、実験実証が肝心です。理屈などは、たいてい後か
らつけられるもので、いかに奇妙な理論も、活きた事実の前には、あっけなく崩れ去るも
のです。
そのようなわけで、霊視の実例は無数にありますが、それらの中から最も代表的なもの
を、類別的にあげることにしましょう。
(つづく)
-
今回の教団側と本流復活派との対立が表面化してから、生長の家の活動は大幅に低下しました。
しかし、あえて何かの意義を考えても良いと思います。
谷口雅春先生ご存命の当時はもちろん、谷口清超先生ご存命中でも、生長の家の話題を組織外で
議論をするという事はありませんでした。これは、組織人として部内の問題を部外に持ち出すのは
間違っているという感性と、信仰者として問題を議論するのはおかしいという発想がありました。
まあ、そのあたりは「懺悔の神示」がお示しの通りです。
もちろん、パソコン通信やインターネットのサイトでは、生長の家の会員や幹部だけを対象にし
たフォーラムはありますが、とても自由に議論ができる雰囲気ではないです。
ところが、今回の紛争が始まって以来、会員がネット上で組織や運動について自由に議論をする、という
事態になりました。これは、ある意味では、困った事ですが、同時に可能性がある話でもあります。
今までは、信徒は、生長の家の組織に所属する事が大前提でありました。しかし、その組織は、永年
活動を継続する中で、やはり時代に会わない部分や、信仰から外れた部分も出て来た訳です。しかし、
部内では、そういう事も話が出来ませんでした。ところが、今回、サイトで信徒が自由に投稿でき、
議論を重ねる中で、信徒自体が組織や運動についても自分なりの考えを持つようになってきたのです。
実は、20世紀には、創価学会や天理教、悪名高い統一協会等等、いわゆる巨大教団という宗教が
発達してきました。しかし、今、見渡すと、大半の教団の活動が停滞していると言われています。こ
れは、個々の教団の問題というよりも、21世紀になり、宗教組織のあり方が、もっと個人重視のあ
りかたに変化をしてきたのではないか、と感じています。例えば、教団のトップが号令したら、
特定の政党を指示したり、特定の政策を唱える、というあり方を信徒は受け入れないのではないか、
あるいは、組織に中性を尽くす事が、信仰心が篤い事になる、という考えが変わる前兆だとも
考えています。
生長の家でも、総裁が絵手紙をしましょう、と言い出したら、北海道から沖縄まで同じ事をする
システムになっています。しかし、沖縄の人と北海道の人が同じ事をする必要はないはずです。
その場、その土地にふさわしい運動があってしかるべきであと思います。
そういう事を考えると、今回の一連の争いは、生長の家教団には、たいへんな打撃ですが、考えよう
によっては、いままで教団上層部の「ご指導」に束縛されていた信徒が、より自由な形で信仰をし、
活動をするようになる前段階ではないか、とも思えます。
その結果が半と出るか、長とでるかは不明ですが、信徒である我々は、それが時代に適合するよう
建設的な議論はすべきだと思っています。
合掌 ありがとうございます
-
トキ様 ヘ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>552を拝読させて頂きまして……
■>谷口雅春先生ご存命の当時はもちろん、谷口清超先生ご存命中でも、生長の家の話題を組織
外で議論をするという事はありませんでした。これは、組織人として部内の問題を部外に持ち出
すのは間違っているという感性と、信仰者として問題を議論するのはおかしいという発想があり
ました。まあ、そのあたりは「懺悔の神示」がお示しの通りです。< (抜粋)
>もちろん、パソコン通信やインターネットのサイトでは、生長の家の会員や幹部だけを対象に
したフォ−ラムはありますが、とても自由に議論ができる雰囲気ではないです。
ところが、今回の紛争が始まって以来、会員がネット上で組織や運動について自由に議論をする、
という事態になりました。これは、ある意味では、困った事ですが、同時に可能性がある話でも
あります。< (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■上記の件は、社会通説におきましても重要事項に関し【社外秘】…?を含めまして、ほとんど
が社員間・関連者に於きましての“コミュニケ−ション会話”ですから、
今回の【インタ−ネット世界…】にて、この様に“オ−プン”過ぎるかもしれませんが…??
(多少は〜〜〜心配なのです。…が?)
この様に【投稿場所・投稿者の多種多様性…】……でしょうかと?? 例えばなのですが???
初めて書き込みをする人や、生長の家について相談がある人にて、意志表示を出来る場所を?
…云々…と、あらかじめ規定して頂いております…。ですから?
各個人の“色々な観点での考え方?捉え方?”…そして、各々の“立場からの見方?”によりま
して、逆に今後の【生長の家…組織体制・運営】に於きまして“プラス・・・思考”の、きっか
けになりますと、本当に素晴らしい〜〜〜【生長の家…の実相】が現われてくるモノと、
思わずにはいられません…。
ときとしては「冷静さ…」が >< かけます時も、あります。…が?
これも【魂の向上…場】を頂いているモノと思い…ますます“精神の向上”に向けて、
“ポジティブ感情”にての【意見・考え…】を、投稿させて頂きます…。
■>今回の一連の争いは、生長の家教団には、たいへんな打撃ですが、考えようによっては、
いままで教団上層部の「ご指導」に束縛されていた信徒が、より自由な形で信仰をし、活動
をするようになる前段階ではないか、とも思えます。
その結果が半と出るか、長とでるかは不明ですが、信徒である我々は、それが時代に適合
するよう建設的な議論はすべきだと思っています。< (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
本当に【信徒側・教団側…】が、お互いの立場を、真の意味で「理解」しまして…
【組織体制…運営】を、スタ−トして頂いたら〜〜〜〜〜良いかしら〜〜〜ン!
ですので……これは【信 頼 関 係】という絆を、再確認!!!
このパイプを“強く”〜〜〜“太く”〜〜〜“しっかり”〜〜〜【根!】でしょうかと?
■「雅春先生…御教え」の上に、
【過去…現在…未来】を問わず、【永 遠 な る 真 理 へ の 追 求】……へ!!
再合掌
PS:今日は、「トキ様の投稿…」を、拝読させて頂きまして色々考えさせられました。
ありがとうございます…。
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>423>>452>>453>>457>>458>>464>>465>>475>>476>>550>>551投稿の続きです…。
◆ 第 八 章 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 【 霊視現象 】 ―――――
◄ 距離を超越する霊視 ►
まず第一の距離を超越する霊視の実例としては、少々古くさいですが、あまりにも歴史
的に有名なので、近代心霊研究の先駆者のスウェデンボルグにおこった一実例を、まずあ
げなければ ならないでしょう。一七五九年九月某日(土曜日)の午後四時頃、スウェデン
ボルグはイギリスからゴッテンバアクに来て、ある友人の家に招かれました。しばらくし
て彼は、そこから約五十マイル離れたストックホルム市に火災が起こり、今さかんに燃え
ひろがっていると言い出しました。彼は一々延焼中の町名を指揮し、同市にある自分の家
もあぶないと心配していましたが、午後八時になると、火災は彼の家から二軒目で消えた
と言って、やっと安心しました。この霊的警報は、もちろん全市内に大きな衝動をひきお
こし、翌日曜の午前には、わざわざ知事から呼ばれて火災の状況を質問されました。彼は
まるで目撃者のように、ことこまかにその状況を物語りました。月曜日の晩になり、スト
ックホルム市の通報局から派遣された使者が、やっと到着して出火の大ざっぱな模様を物
語り、さらにその翌朝、ご用飛脚が知事官庁に到着して、逐一火災の状況を報告しました。
延焼区域といい、その時期といい、すっかりスウェデンボルグの霊的調査に一致していた
というのです。これでみると、スウェデンボルグの霊的能力は相当優秀なものであったと
いえるでしょう。でも、現在世界の心霊界は、この程度の能力者に決して不足はないので
す。現にわが中尾良知氏でも、北村栄延氏でも、遠距離の偵察にこれをほとんど実用化し
ています。むろん霊媒は肉体をもった生きた人間ですから、ある程度その日の気分または
生理状態などのために左右されることは仕方ないことで、その成績には多少のムラがあり
ます。精巧な器械のように、いつも百発百中とは決していきません。でも、ある重大問題
について、念入りに調査をおこなえば、しばしば驚くような好成績をあげ、少なくとも参
考資料として価値は十二分にそなえているのです。
次の項目に続きます…(つづく)
PS:トキ様
■【霊視…】そうです〜〜〜ョネ!
【スウェデンボルグ…】は、本当に有名な方なのです〜〜ョネ!
「スタ−ダスト様」が、確か“シリ−ズ投稿”していらっしゃいましたとの感です。…が?
時々、拝読してない投稿がありましたので…拝読させて頂きましょうと思っています。…が?
さて【海外の中世の時代…】には“魔女狩り”とかありました。…が?ご存じでしょうか?
この時代は、人より【霊感…】が、ありますと“標的”にされて、かなりの方が、悲しい
かな?殺されましたでしょうか??当時の私は、何故?魔女が〜〜と、言った感じで、
当時は、本当に【魔女…】とのレッテルをいわれましたら、もう〜><「ギロチン…」でしたかと?
このような事は、日本でもあったのでしょうか??きっと!あったはずではと〜〜〜?
思えますが〜〜??似たように、人によってのいろいろな【裏工作仕掛け…】たりもですかと?
子どもの頃…毎年11月には、私の街では【起業祭…】が開催されました。その時!
【見世物小屋みたいなものが〜〜〜何軒か?】そうなのです〜〜〜ョネ!まるで
【小公子の映画】の場面で見ますように、「轆轤人形」とか?「幽霊屋敷」とか?そして
「木下サ−カス団」とか?さらに「お化け屋敷」とか?……子どもの頃、両親に連れられて、
本当に「轆轤人間」とかは?信じきったものです。【恐怖><】今では、笑いながら〜〜?
この様に【ある人物を“見せモノ”みたいにする風習…】は〜〜〜?
これを当てはめますと…ちょっと【霊視出来る方…】は、本当に当時は大変でしたでしょうネ!
「トキ様」は、このような考え方に、どう?思いになりますでしょうかしら〜〜〜ン?
再合掌
-
ブラックユーモア? 生長の家機関誌より
今年度の運動方針では、肉食の削減を進めるため「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」
などにおいて、白鳩会総裁・谷口純子先生のご著書『おいしいノーミート 四季の恵み弁当』を
活用することがうたわれています。
新経本出版! 大自然讃歌 谷口雅宣著 自然と人間との一体感を深めるために!
観世音菩薩讃歌 谷口雅宣著 観世音菩薩を直感的に感得するために!
輝く日々の言葉 谷口雅宣著・絵 「卓上日めくり」好評発売中!
笑
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信徒の皆さんに注意
雅宣総裁の本・カレンダーなどは駅のごみ箱に捨てずに家に持ち帰り処分しましょう。。
-
ユタカさま!
web誌友会板に、復興Gさまからのメッセージがありますよ
是非、ご覧くださいね。
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昨日、機会があり、脳医学者と話をしました。結構、面白かったです。
何でも、MRIを使って脳の機能を調べているのですが、このMRIは機械自体が何億円もする上に、ヘリウムガスなどが
必要なので、年間の維持費は2000万円もかかるそうです。それで、あんなにMRIの検査料金が高いのですね。
あと、脳は「個人情報の集まり」なので、研究にも厳しい倫理基準があるようです。とくに動態MRIは、作業をしなが
ら、その人の脳の動きを調べるものですが、画像で出るのでインパクトが強すぎ、素人には誤解を与えやすいので扱い
は慎重にしなければならない、という事です。
一番感銘を受けたのが、「脳について、永年、研究はされてきたが、実は、何も分かっていないのだ。」
という言葉でした。例えば、一般には脳幹は生命を維持するところだとか、海馬は記憶をつかさどうるところだと
か言われるが、実態は何もわかっていないそうです。人間の脳は年齢がいくと萎縮しますが、あれは人間の脳だけ
で、動物の脳には起こらない話らしいです。おそらく、人間の脳は異常なまでに発達しているので、それと関連は
しているのだろう、という話です。また、人間の脳が発達したのは、人間が肉食を始めた時期と合致しているが、
その関係も不明だとか。要するに、「何がわからないかも、まだ、分からないという段階」だそうです。
そう言えば、立花隆さんが、「臨死体験」という本の中で、「科学はまだプリミティブな段階」と書き、
科学は自然について調べて来たが、既に分かった事よりも、分からない事のほうがはるかに多い、とも言って
います。脳や心理学などは、その傾向が特に強いみたいです。
ただ、脳は、人間は、コンピューターと比較すると、かなりエネルギー効率のよい事はわかっているそうです。
100wの電球と同じ位のエネルギーで、ここまでできるので、もし、コンピューターだったら、もっと大きな装置
で、もっとエネルギーを消費する事は確実だそうです。
素人は、NHKスペシャルなどの科学番組をみて、「科学はこんなに進んでいるのか」と驚きますが。実は、
まだまだだという事がよくわかりました。もちろん、科学を否定するのは間違いですが、それでも、そういう
事実は知る必要はあると思います。
個人的には、そういう事実を率直に、いくつも例を挙げて説明するその脳医学者の謙虚な姿勢には深い
尊敬の念を感じました。
今は、右の脳とか左の脳とか、いろいろと生長の家でも学びますが、それも現象であり、やはり大切なのは
目に見えない部分なのだ、とも思ってしまいました。
合掌 ありがとうございます
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>その関係も不明だとか。要するに、「何がわからないかも、まだ、分からないという段階」だそうです。
まるで、トキさんみたいですね。
トキさんは総裁がどうあれ、組織がどうあれ、生長の家にこびりついているのが
似合っていますよ。それには、なんだかわからない不明存在になる必要がありますね。
-
>>559
うのはな様、
的確なご指摘、ありがとうございます。全く、おっしゃる通りです。
-
>559
補足。そのぶん、練成にもいったことがない部外者が掲示板全体に口出しし
仕切っているから、バランスがとれてるんでしょうね。
-
>>558
ある時TVで、東大の国際高等研究所で世界的にも最先端宇宙の研究をしている村山斉教授が、
宇宙を科学的に知れば知るほど、新しい発見があればあるほど、
「人間は、結局はなにも分かってはいない」
ということに気がつく、と言っていました。
では、そんな研究を続けて虚しくならないのかと聞かれ、
むしろ、分からなければ分からないほど、偉大なものに対する畏敬の念が湧き、謙虚にならざるを得ない、と言っています。
本物のわかる科学者であり謙虚な姿勢で真摯に探求をするならば、
偉大なものに対する、宗教的な畏敬の念に近い感覚があるのではと思いました。
宗教で、なにもかも真理を知ったようになって、尊大な気持ちになり、
周りの小さなものに対する愛や
偉大なものに対する畏敬の念を忘れてしまうのと、
科学者でも、人類に奉仕する気持ちで真摯に探求する心や
謙虚な気持ちで、真理に近づこうとする気持ちがあるならば、
どちらが神に近い心なのか、
わたしにはわかりません。
拝
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>558の投稿から〜♫〜
■■【 脳 の 体 験 】個人的な話なのです…。が?
実は、私自身“救急車”に運ばれて、まず!当時を振り返りますと【頭部MRI】を受けさせられ
ましたが〜〜〜 >< 当時の私は、不安な気持ちでした。…かと?
その後“結果…診断”は、過去の“頭部打撲傷…”が解り、それが「原因」で聴力が不能だと
いう事を知る事となりまして、更に!他の部分は“正常”という事でした。…が・
意外な【展 開 ・ 発 見】でしたかとの印象です。…が?
その機能として【脳 は 過 去 の 体 験 ・ 実 証 可?】〜〜〜なのでしょうか?
■さて【脳 の 神 秘 性】は、古来からでしょうか…??
私の記憶が?明確ではないのですが……TVにての事です。かなり前になりますでしょうか……?
【脳 外 科 の 海 外 で 活 躍 … 神 の 手】この“タイトル”でしたでしょうか?
この「脳外科の先生」は“神の業?神の手?とか”言われていましたかと……?(7〜8年前?TV)
内視鏡によります診断…そして、頭部を切開することなく小さな穴から顕微鏡を使い…
【脳 腫 瘍 切 開】この映像は、当時の私には、目を見張るものがありました。…が?
その一例ですが?手術内容は、耳の裏側から、ミクロと言えますでしょうか〜〜〜?
細い毛細血管沿いに【鍵穴手術(キ−ホ−ル・オペレ−ション)の確立に着手…】
■ブレイクしますが……問題の「黒幕デザイナ−」は〜〜〜【脳手術…】をしています。
これは、本人が私に言いました事は、「くも膜下症…防御策」という事での手術…と、私に当時!
伝えたのです。当然「家族の方は…猛〜〜〜反対!」勿論!私も“しない方が〜〜”と言いましたが?
その手術は?【血管?神経?を“4か所ピンで止める”という事】なのだそうです。…が?
その事を、知り合いの「女医さん」にお聞きしますと〜〜〜 >< 【ブ−イング…】
現在では?思いますに、これだけ【執着心?黒幕デザイナ−】は、何処か?神経が切れているのでは
と思う次第です。…が〜〜〜 >< 更に、もう“84歳前後”ですのに、まだ【美容形成…】を、
繰り返し〜繰り返し〜していますし?ふくよか見せるには勿論“コラ−ゲンの注射”も、
勿論!の如くでしょうか〜〜〜???その度に?何処かの“神経”にさし障りは?と……
この頃「吸血鬼・ゾンビの顔の表情?」がまるで“精神病者”に見えてしまうのです。…が・
これも【脳神経外科に関係?】があるのでは〜〜〜〜と!私は個人的に思う次第なのです。…が?
心ひそかに思っているわけですが〜〜〜【神の業?】は?あり得るのでしょうか〜〜〜?
■参考資料…【 神 の 手 】 福 島 孝 徳 先 生 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%AD%9D%E5%BE%B3
やはり、福島先生は、“御自分の使命感”での【医 者】の仕事を、なされていますモノと、
思うのです。しかし?時としては“汚点…”この事に関しての“コメント”は〜〜><でしょうか?
❤〜本人が“意識”しても【患者自身の“心”との兼ね合い?】があるのではと思うのです。…が?
(つづく)
-
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>558の“トキ様の投稿”から〜♫〜
>>563“SAKURA投稿”の続きなのですが……
■「神の手?神の業?…福島孝徳先生のTub…より」
Dr Fukushima 090428 10 05
http://www.youtube.com/watch?v=Gm2vy-nTXTY
やはり【愛〰❤】を感じさせられますかと〜〜〜そして【天職…使命感】を抱いての“姿…”に、
感動を抱かずにはいられません…。
再合掌
-
① 物質と現象の表象
皆さんご存じのように、昔、ジークムント・フロイドという精神分析学者がいました。
彼によると、この世界の物質は女性器と男性器が表象されているといっています。
たとえば、平たい皿のような物は女性器を表し、バットのような長い物は男性器を表
しているというのです。果物や野菜など食べ物も女性器と男性器に分類されます。
トマトやキャベツなど丸い物は女性器、ゴボウやニンジンなど長い物は男性器といっ
た具合です。また、柔らかい物は女性器、固い物は男性器との分類もあります。
ある若い女性がデパートで透明なガラスの器を見ていましたが、不注意からそのガラ
スの器を落としてしまい、ガラスの器は真っ二つに割れてしまいました。
この一つの失敗をフロイトは次のように分析しています。
透明なガラスは処女を意味し、器は女性器を意味します。
その彼女の心を分析すると、彼女は処女であって、誰かに犯されたいという願望を持
っているということです。
当然、この考え方は当時の紳士淑女から大いにひんしゅくを買ったようです。
しかし、フロイトも長年研究の結果を発表しているのであって、冗談を言っているの
ではないのです。ではなぜ、この地上世界の物質が女性器と男性器の象徴によって造
られているのでしょうか。
その解答は仏教にあったのです。
仏教では人間は六道(地獄界・畜生界・餓鬼界・人間界・阿修羅界・欲天界)を転々
と生まれ死にを繰り返しているといいます。これが輪廻転生です。
そこで人間はどうしてこの人間界に生まれてくるのでしょうか。
原始仏教には人間は『淫欲』によって生まれると説かれているのです。
だから、この人間世界は女性器と男性器という象徴によってできているとというフロ
イトの説は間違ってはいないのです。
-
② 物質と現象の表象
この人間世界は女性器と男性器によって造られているということは基本的な物質の創
造であって、世の中はそれほど単純なことばかりではありません。
たとえば、列車は大勢の人が乗っているので、会社などの団体を意味します。
踏切事故や飛び込み自殺などがよく報道されますが、これらの人は会社など団体との
衝突を意味します。
つまり、会社など団体とのトラブルが踏切事故という現象を表象しているわけです。
『現象は心の映像』という真理はまさにこのことをいっているのです。
ある知り合いの女性が駐車場からバックして道路に出てきた車と衝突しました。
その運転をしていたのは年輩の女性でした。
私はこの交通事故の現象の心を知りたくて、彼女に色々と質問しました。
彼女は四十代の独身でしたが母親とは一緒に住んでいませんでした。
ある日、彼女は久しぶりに母親の家に行きました。ところが母親は留守でした。彼女
は暇だったので、母親のタンスの中を整理してあげることにしました。そこには古い
昔の写真やら、昔の手紙などが入っていたので、それらを燃やしてしまいました。
そこに母親が帰ってきて大喧嘩になったとそうです。
さて、この事故はこの親子喧嘩を表象しているのです。
自動車はその車の運転手を意味します。
駐車場はたくさんの車が駐車するところから、家庭・学校・会社などの団体を意味し
ます。
この場合は家庭です。
車のバックは過去に向かうという意味です。
この車には母親と同じ年代の女性が運転していました。
これは母親の代理を表しています。
つまり、彼女が母親の過去の思い出をメチャメチャにしたので、母親が過去を思う気
持ちと衝突したという因縁がこの事故を起こしているのです。
この交通事故は『殺す。盗む。姦淫する。嘘をつく。親不孝。隣人を憎む。怒り。貪
欲。無知。』の中の『怒り』が原因なのです。
このようにどんな事故でも『現象は心の映像』ですから、原因は現象にあるのではな
く、心にあるのです。これを因縁と呼んでいるのです。
-
>>562
確かに、優れた科学者は、謙虚な人が多いみたいです。
信仰と科学の関係は、対立関係がある場合もありますが、本来は一つだと思います。
-
「ねずさんの ひとりごと」というブログを紹介します。
以下のような記事がありました。是非御一読をお奨めします。
心が洗われますよ。
益々日本人として生まれる事が出来た事を誇りに思います。
日本とパラオ 歴史を越えた友情
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1594.html
-
トキ殿・訊けどん、始め和解派の方々へ
雅宣総裁への「和解派」の方々に「本流復帰」を切望する私達の論拠を
再確認のために、山下一臣様の投稿文より一部を抜粋して紹介させて頂きます。
雅宣総裁の迷妄を明らかにする為に、改めて詳しい内容を再確認される事をお奨めします。
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生長の家“本流宣言”掲示板
日時:2011年09月15日 (木) 12時49分
名前:山下一臣
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=921
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『生命の實相』第14巻・倫理篇(下)第四章「和解の倫理」
われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。
異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、
その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、
本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。
光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。
それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。
虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。
また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。
虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す……。
どうかみなさんも虚説(=ないもの)に対しては和解することなく、
どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その表面の包み(=罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、
その罪を赦す(=その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。
雅宣総裁「今の教え」
“迷い”は自由から来る!?
<<例えば、食堂へ入って、何を注文しようかと迷う。迷いは(この選択の)自由から来ている。
自由の裏側に迷いがある。迷いと云う経験を通して自由を行使する中で現象に善悪を実現する。
そのために迷いがある。つまり、「迷いは欲望追求のために自由を行使しようするところから来る」。
(大要)>>(『小閑雑感』・平成19年7月21−29日)
雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』によって説明しようとしないで、自身の頭の中で考えた理屈で説明しようとするから、
「迷いは欲望追求のために自由を行使しようするところから来る」などと、小理屈を捏ねた難解な非宗教的コトバでしか説明できず、
そして食堂のメニューの中から自分の好みを決める時の単なる“思案”を、「迷妄」の全く不適切な例として説明しているのであります。
信徒をしてますます「迷い」のトンネルへと誘い込んでいるのであります。
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>>567
>信仰と科学の関係は、対立関係がある場合もありますが、本来は一つだと思います。
そうですね…
やはり、科学自体が対立する要素をもつのではなく、その利用する人間の心に、対立する心があれば、そうなるのだと思います。
いまどきの研究から「物質はある」などと思っている科学者もいないと思いますし、
本来、科学というのは、現象を通して、その背後にある神の理念や秩序を探求する、理想を持つことが出来るものだと思います。
それは、宗教と共通部分がないわけがないとおもえるのですが。
宗教でも科学でも、人間の我欲で、物事を思い通りにしようと利用とすれば、…どちらも危険なものになると思いますね。
人間は、結局、なにも知らない。知らないのに、それでも、生かされてる、それはみんな同じだと思うんで、
真摯に探求する心に対して、
みな学びの道中にあるものとして、敬意を持ちあうことは、大切だとおもいます。
どちらが上などと、争うことは、本当に時間の無駄ですから…。
宗教でも科学でも、偉大なものや神聖なものに対する畏れや謙虚さは、とても大切な姿勢でありますね。
拝
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>>569
goro様引用の和解の倫理は
悪質です。文意を歪曲なさってます。
正確には本文をお読みください。
訊けブログ読者より
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>565からの感想を“ひと言……投稿…”させて頂きます。余り気分のいいものでは?
■【病 気】この概念は〜〜〜?
「生長の家…御教え」にては【心の法則】でにて?【病なし…】
その“恐怖心…”自身を無くす…此処からが?始まりと思います…。
尚!【唯物論??】的になりますでしょうか???場合によっては【医学…療法】の兼ね合いは、
必要かも?その考えがあります。…が?
しかしながら、その際には【医 者 と の 信 頼 関 係】は、必要かと思います…。
先程投稿させて頂きました【Tub…にての福島先生】
やはり“1ミリ?2ミリ?”という器具?更に【集中する時間が〜〜〜><スゴ〜〜〜イ!】
これは【“愛〰❤”なくしては、出来ないモノと思います…。】
さて!皆様は?どの様に〜〜〜“お考え”なのでしょうか? 再合掌
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>558の“トキ様の投稿”から〜♫〜
>>563>>564 >>572“SAKURA投稿”の続きなのですが……
■■ 【 脳 の 神 秘 】
先程…紹介させて頂きました【福島 孝徳(ふくしま たかのり先生)】アメリカ合衆国在住…
日本人医師で、専門は脳神経外科であり、脳腫瘍に対する「鍵穴手術」の考案者として有名…
■参考資料…【 神 の 手 】 福島 孝徳 先生 【Tub…】を投稿させて頂きますが?
■ *Dr Fukushima 090929 11 00 (先程と別の映像です。参考までに〜〜)
■ http://www.youtube.com/watch?v=koHo8z4UIVw&feature=relmfu
■ブレイクしまして…「現総裁雅宣先生」が「心でつくる世界」…この書物から……
この中に…興味深い文章が、ありましたので一部抜粋させて頂きます…。
〜〜〜【抜 粋 投 稿 文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
「脳が世界をつくる」と断言する人もいる。北海道大学の澤口俊之氏は、つぎのように書いてある。
脳の役割について「情報の処理」が言われているが、私はむしろ「世界を作ること」という言い
方がふさわしいと思っている。脳がしていることをごく簡単に要約すれば、外界をいったん分解・
再構成して「世界」を脳の中に作ること、そして、それにもとづいて外界に働きかけて世界を変
えることだ。
脳は世界をいったん分解する。たとえば脳の視覚系では、視覚対象を線・エッジや色(三原色)
などに分解する。対象が動いている場合には、動きの情報も分解される。そして分解された情報
が脳の中で逐次的かつ並列的に処理されて、視覚 対象を再構成し視覚世界を作っていくのである。
だから、哲学の認識論でいわれるところの「物自体」を我々は決して認識することはできない。
私たちの世界は常に脳が分解・再構成した世界なのだから。そして、脳自体も個人によって違い
があるので、再構成した世界は個人によって微妙に、あるいは大幅にことなることになるわけだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■この事は、更に雅宣総裁先生が“目で見る世界”は人類共通のプログラムの存在を指摘されまして
【閉鎖化・対象化の原則】という言葉を、使われていますが、無意識のうちに働いているために
相矛盾する二つの対立物が現れて見える傾向があることを示した。…云々…
(つづく)
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トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>558の“トキ様の投稿”から〜♫〜
>>563>>564 >>572>>573 “SAKURA投稿”の続きなのですが……
>>573投稿の続きです。…
先程の投稿致しました>>563>>564の【SAKURAの投稿】続きなのですが〜♫〜
【無意識のうちに“二つの対立物”…】例えば…思いますに?
如何しても五感(すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)での感じます処の感情?価値観?
目標達成?例えば〜〜〜><なのですが〜〜〜?
❤〜【成功する人?】【失敗する人?】これも…無意識での“二つの対立物”と言えますでしょうか?
そして?失敗しやすい人?そうでいない人?が、当然居ますモノです。!!!そして、
【成功…幸福への到達】までは…いくらかの困難を乗り越える必要性がありますでしょうか?
それに?いくらかの失敗経験もあるでしょう?これは、あくまでも【目標…】言い変えますと
なりたい?【理想の姿…実相】と申しますか???そこに行きますまでの【情報デ−タ−】と考え、
自分の「像=イメ−ジ」これを、信じて?行動すべきでしょうかしら〜〜〜ン!
このイメ−ジが〜〜〜【実相】でしょうか?
■これが【心の法則…脳が世界を作る】ということに繋がりますのでしょうか??
当然ながら!信じて?「イメ−ジ」する。それに従いましての【行動…】をとるべきなのでしょうか?
これが…【実相…世界突入】なのでしょうか???
子どもの頃の“醜いあひるの子”と思っていますと致します。実際は映画スタ−程の美貌が
あってもいつまでも“醜いアヒルの子”として振舞う行動になってしまします。自分自身が、
決める事で、他人がどの様に自分自身を見られても??と思うべきです。…ネ!
自分自身での【像=イメ−ジ】は、自分で決めることでしょうかと…?
嫌な経験が?劣等感が?【心=脳】を、マイナス方向に向けてしまうこともあるでしょうが??
【プラスの力…】この認識・行動が必要でしょうか??❤〜【実相世界…】へ……
再合掌
PS:トキ様 へ
今回【脳…】といいます事から、色々考えさせられました…。話は変わりますが?
【福島孝徳・・・脳神経外科】の事は?やはり【“愛…”なくしては??】と思う感が、
致しますが?どの様に思われますでしょうか・“アドバイス”頂きますと、幸いです。…が?
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>>571
>>569
>>goro様引用の和解の倫理は悪質です。文意を歪曲なさってます。
正確には本文をお読みください。訊けブログ読者より<<<
元文章の改竄は行なっていませんので、違う処があれば御指摘の上
正確な文言を示して下さい。
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goro様
「和解の倫理」については訊け様が下記の解釈をしています(本流対策室/3板の1712)。
と、いうか、私もこのような解釈以外は考えられません。
goro様のご意見をお聞かせください。
<「和解の倫理」に関し>
○ 摧破すべき虚説とは、「自分が悪を認める目」を指します。
○ 「サタンよ去れ!」のサタンとは、相手方ではなく「自分側の迷妄」です。
○ この「サタンよ去れ!」を、「相手方への攻撃許可だ」と解釈されておられれば、それは間違いです。
○ ちなみに「和解の倫理」に関しては、『生命の實相』14巻で全文をご高覧ください。(本流抜粋は重要事項がなぜか、削除されております。過去にも指摘しましたが、全文をお読みくだされば、私の主張が正しいと判ってくださると思います)
<この時点でも私の疑問>
○ (「和解の倫理」を読まれたとのことですが)同章には家ダニ対処の話が出てきます。浜田夫人はどんな方法でこの家ダニに相対しましたか。
○ 私の記憶では浜田夫人、家ダニを「駆除」も「批判」もしておりませんでした。
○ 浜田夫人は家ダニと「和解」することで、自然家ダニの方が居を移したのではございませんでしたか。
○ 重要ですので繰り返しますが、浜田夫人は相手方(家ダニ)に「悪を認め」ましたか。
○ 私の記憶では、「悪と認めなかった」ゆえに、「自然解決をみた」というものではありませんでしたか。(現在同書が手元にないため記憶だけで語ります)
<「“最後の審判”に就いての神示」に関し>
私見
○ この神示も「和解の倫理」同様です。雅春先生は「他人に悪を見て審判(さば)け」などとは、おっしゃっておられません。
○この神示は我々ひとりひとりの「内部のキリスト」(=うちなる神)に向けて宣べられた言葉と、解釈する次第です。
○焼かれるべき虚説とは、「自分側の虚妄(にせもの)」を指します。
○「自分側の虚妄(にせもの)」が摧破されるとき、「大調和の神示」との整合性が出ると解釈します。
○ くどいですが決して、「相手方の悪を審判(さば)け」などとは、おっしゃっておられません。
○あくまでも摧破されるべきは「自分側の虚妄(にせもの)」です。これが神示のメインテーマです。
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>元文章の改竄は行なっていませんので、違う処があれば御指摘の上
>正確な文言を示して下さい。
「和解の倫理」テキストは『生命の實相14巻』P55〜65 になります。
goro様引用が悪質なのが分かるはずです。改ざんではないけど
重要部分を削除なさった理由をお聞かせくださいませ。
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訊けどん(解説者)殿
「和解の倫理」については訊け様が下記の解釈をしています(本流対策室/3板の1712)。
と、いうか、私もこのような解釈以外は考えられません。
goro様のご意見をお聞かせください。
<「和解の倫理」に関し>
○ 摧破すべき虚説とは、「自分が悪を認める目」を指します。
※迷いを砕波(明らかに)するという事が「即ち悪を認める目」ではありません
※明かりを照らすことが「闇はある」と認める事ではないが如くです。
○ 「サタンよ去れ!」のサタンとは、相手方ではなく「自分側の迷妄」です。
※あなた方の「サタンよ去れ」とはあなた方がサタンをあるとして認めるが故であり、それこそがあなたがたの迷妄です。
※無いものにされという必要はありません。明らかにするのみです。
○ この「サタンよ去れ!」を、「相手方への攻撃許可だ」と解釈されておられれば、それは間違いです。
※「攻撃許可」とはあなた方の無知蒙昧さを表す言葉です。
※攻撃許可などの下品なことは断固として認めることは出来ません。
○ ちなみに「和解の倫理」に関しては、『生命の實相』14巻で全文をご高覧ください。
(本流抜粋は重要事項がなぜか、削除されております。過去にも指摘しましたが、
全文をお読みくだされば、私の主張が正しいと判ってくださると思います)
※もう少し真理についての理解を深めなさい。部分適用は貴方の方です。
<この時点でも私の疑問>
○ (「和解の倫理」を読まれたとのことですが)同章には家ダニ対処の話が出てきます。
浜田夫人はどんな方法でこの家ダニに相対しましたか。
○ 私の記憶では浜田夫人、家ダニを「駆除」も「批判」もしておりませんでした。
○ 浜田夫人は家ダニと「和解」することで、自然家ダニの方が居を移したのではございませんでしたか。
○ 重要ですので繰り返しますが、浜田夫人は相手方(家ダニ)に「悪を認め」ましたか。
○ 私の記憶では、「悪と認めなかった」ゆえに、「自然解決をみた」というものではありませんでしたか。
(現在同書が手元にないため記憶だけで語ります)
※種々の問題の解決方法は、その人自身の霊的段階において様々な解決の糸口や方法があります。
どの方法が最善であるとか次善であるなどは軽々に言うことはできません。
浜田婦人に言える事は良かったですね、と云うことだけです。
自然界の法則では夫々が処を得ていますので、どのような状態でも善悪を云うことはできません。
有るべきものが、有るべきところにある。それだけです。
家ダニと雅宣総裁の迷妄を同じ次元に置く度胸は私にはありません。
流石というか驚くべき訊けどんの例えには言葉もありません。
和解の倫理に解かれてあるのは「迷い」と和解するなであります。
雅宣総裁の虚妄を明らかにする事と雅宣総裁の実相を礼拝することが矛盾するとお考えでしょうか?
<「“最後の審判”に就いての神示」に関し>
私見
○ この神示も「和解の倫理」同様です。雅春先生は「他人に悪を見て審判(さば)け」などとは、おっしゃっておられません。
※何処の誰が悪と認めて裁いているのですか?
○この神示は我々ひとりひとりの「内部のキリスト」(=うちなる神)に向けて宣べられた言葉と、解釈する次第です。
※異論はありません。
○焼かれるべき虚説とは、「自分側の虚妄(にせもの)」を指します。
※迷妄を明らかにする事を虚妄だとお考えになる事こそ、虚妄であると断じます。
○「自分側の虚妄(にせもの)」が摧破されるとき、「大調和の神示」との整合性が出ると解釈します。
※訊けどんの虚妄が砕破される時「大調和の神示」との整合性が出ると解釈します。
○ くどいですが決して、「相手方の悪を審判(さば)け」などとは、おっしゃっておられません。
※本当におはんはくどい、何処の誰が裁いたか?
○あくまでも摧破されるべきは「自分側の虚妄(にせもの)」です。これが神示のメインテーマです。
※あくまでも摧破されるべきは「訊けどん側の虚妄(にせもの)」です。
義を言う暇があれば、いい加減に目を覚ましなさい!喝ッ!
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goro様
※迷いを砕波(明らかに)するという事が「即ち悪を認める目」ではありません
※明かりを照らすことが「闇はある」と認める事ではないが如くです。
本流派の皆様は「明かりを照らしている」と思ってらっしゃるのですね。明かりを照らすのも自分自身の心に対して、だと思います。
※あなた方の「サタンよ去れ」とはあなた方がサタンをあるとして認めるが故であり、それこそがあなたがたの迷妄です。
※無いものにされという必要はありません。明らかにするのみです。
これまでの私の文章の中の、どこの、どの部分に「サタンがあるとして認めて」いますか?具体的にお示しください。「あなた方の」とおっしゃている時点で「自分側の迷妄」であることを否定なさっているわけですね?
※「攻撃許可」とはあなた方の無知蒙昧さを表す言葉です。
※攻撃許可などの下品なことは断固として認めることは出来ません。
マトモな読解力があれば「相手側の攻撃許可だ」と解釈できます。
※もう少し真理についての理解を深めなさい。部分適用は貴方の方です。
なぜ、削除されているのでしょうか?と、お聞きしているのですが?
※種々の問題の解決方法は、その人自身の霊的段階において様々な解決の糸口や方法があります。
どの方法が最善であるとか次善であるなどは軽々に言うことはできません。
浜田婦人に言える事は良かったですね、と云うことだけです。
自然界の法則では夫々が処を得ていますので、どのような状態でも善悪を云うことはできません。
有るべきものが、有るべきところにある。それだけです。
家ダニと雅宣総裁の迷妄を同じ次元に置く度胸は私にはありません。
流石というか驚くべき訊けどんの例えには言葉もありません。
和解の倫理に解かれてあるのは「迷い」と和解するなであります。
雅宣総裁の虚妄を明らかにする事と雅宣総裁の実相を礼拝することが矛盾するとお考えでしょうか?
「『迷い』と和解せよ」と、私は一度も主張したことはありません。生長の家信徒であれば、宗教的和解以外に方法はあるのか?と、言っているのです。これ、矛盾していますか?「『迷い』と和解せよ」ということになりますか?
※何処の誰が悪と認めて裁いているのですか?
これもマトモな読解力があれば、「悪と認めて裁いている」と解釈できます。
○この神示は我々ひとりひとりの「内部のキリスト」(=うちなる神)に向けて宣べられた言葉と、解釈する次第です。
※異論はありません。
「異論はありません」とのことですが、これは非常に重要な意味があります。自己内在の神に向けて宣べられた言葉であると認めながら、教団に、総裁に「明かりを照らして」闇を消すというわけですか?これ、矛盾していませんか?どこまでも自分自身に対して、ではありませんか?
※迷妄を明らかにする事を虚妄だとお考えになる事こそ、虚妄であると断じます。
これも決めつけですね。そのまま、goro様にお返しします。
※訊けどんの虚妄が砕破される時「大調和の神示」との整合性が出ると解釈します。
これも自分自身ではなく、相手に求めてますよね。
※あくまでも摧破されるべきは「訊けどん側の虚妄(にせもの)」です。
義を言う暇があれば、いい加減に目を覚ましなさい!喝ッ!
論外です。生長の家の人が言う言葉とは思えません。
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