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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

236初心者:2012/07/15(日) 12:44:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

Dブレーンやホログラムによって語られる本物の宇宙は、夢も希望もある青春の
まっただなかにおられる女子青年からすれば、いかにも無機的と感じられるので
しょうね。ですけども、本物の宇宙にしたところで、「全体」からみれば、そのごく
一部を語っているにずきないということがいえるはずです。

昨日あたりから、自己と非自己ということをいっておりますが、非自己が本来の
自己にもどろうとすることを、生長の家では「実相があらわれる」と表現して
いるのですね(非自己といっても、その実体は神でありますので、自己が非自己
の姿として仮にあらわれているということです)。

したがって、本物の宇宙についても、それを非自己が自己へともどる過程として
語ることで、そのぬぐいがたき無機質性をおおいかくす必要が出てまいりますが、
そのための奥の手のひとつとして期待されるのが、チベット仏教のキルコル曼荼羅
なのですよ。

キルコルの思想では、たとえば慈悲の心が、天上界から本物の宇宙へと降臨する
までの有機的なつらなりが、立体的な模式図によっても示されているようです。
慈悲の心ひとつとってみても、キルコル的には複雑な仕組みが隠されていそうで
すけども、こうした複雑性を本物の宇宙ふうにひと言でまとめれば、慈悲の心は、
非自己を自己へともどそうとする力として本物の宇宙に降臨してくる、ということ
できまりのようです。

愛とは何か。これは人類永遠の問いであるともいえますが、これを慈悲にならう
なら、愛とは、本物の宇宙に降臨しつつある、非自己を自己へともどそうとする
衝動である、ともいえそうです。ですから、いっけん無機質とも見える本物の宇宙
は、非自己を自己へともどそうとする慈悲の心や愛の心で満ちあふれているとも
いえるのです。キルコルが本物の宇宙に組み込まれることで、愛と慈悲の降臨が
約束されるのです。おわかりいただけましたでしょうか。

話は続きます。

真理を追究するという立場からすれば、愛の衝動を、非自己を自己へともどそうと
するプロセスに還元して究明することがひとつのカギになるはずです。雅春先生
は、こうしたプロセスを語ろうとされたのではありませんね。雅春先生は、じっさい
に愛の行動によって、非自己を自己へともどそうとなされたのですね。

ならば、わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相
が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲーム
セットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせ
たくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手の
ロールゲームを演じ続けるしかないのです。

こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、
生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。


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