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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

285初心者:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA
「お前の言葉は心に響かない」とよく言われる。中身を吟味するでもなく、心に響く
かどうかで言葉の価値を判断しようとする人たちが少なくはないってことだろう。

人類光明化という言葉はたしかに心に響くのだろう。中身は問題ではなく、心に
響きさえすればよいというのであれば、人類光明化はたしかに上等な言葉だ。

心に響く言葉を毎日のように集めて聞いたり見たりしていれば、それだけで救われ
た気にはなるってものだ。だけども、そういう言葉に中身はないのが通例であるの
で、救われた気分は一時のものであり、救いの効果が薄まれば、またぞろ心に響く
言葉を求めて、当たりをつけた文献や引用文等をあさらなくてはならなくなる。

心に響く文字を見て、それで束の間の救いを得て、効果が薄まればまたべつの
文字をさがしにでかける。けっきょくはこれのくり返しなのだ。これでは心の平安が
得られる日は永遠にこない。心に響く文字を求めて、いつまでもさまよいつづける
ことになる。

じつのところ、これこそが宗教の狙いなのだ。医者が病人を必要とするように、
宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいない
ように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。

いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に
響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、
人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。

迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に
依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえら
れた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の
供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマ
コンであることを宗教は熟知しているからだ。


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