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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

244さくら:2012/07/17(火) 11:54:05 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

おはようございます。
ところで、初心者さま、
ここには、ただしい生長の家を知る大先輩がたくさんおられるのですから、
生長の家の真理については、わたしでないものに聞いた方が、絶対によいですよね?
・・あいかわらず、言いたいことのために、さくらの名を利用するのですね?笑。
なにかを「真の生長の家」ときめるのも、なにかを「邪説」と決めるのかも、わたしには興味がないですよ。

いくら理屈で正しいことが証明されても、それが、ひとのすくいにつながるか、といえば、
そうではないですからね・・。
わたしも、初心者さまが仰るように、厳然たる真理の探究と、信仰の生活は、別なのだと、
さらに確認するような気持ちになっています。

神想観についてたずねられたので、個人の感想は述べます。
幾多の瞑想法が世の中にはある中で、
わたしは、どのよう部類の瞑想がどの程度あるのか、全体把握しておりませんが、
その中で、雅春先生が生長の家に残してくださった神想観は、
万人が安全に出来る、すぐれた瞑想法だと、かんじております。
これは、生長の家ひいきでいうわけではないと思っておりますよ。

祈りに始まり祈りに終わる大安心の心境は、これは・・個人の信仰の領域ですね、。
正しさや理屈を証明せよ、と言われても、わたしは困りますが、祈りの科学というものも、あるでしょうね。
脳に働きかけたり、人の念が外界に影響を与える構造があるのかも知れませんね。
エーテル体の働きにも影響があるのでしょう。

実感とすると、祈りによって、まるで自分の前に光の道が出来ているように、スムーズに事が運び、導かれることを体験すると、ただ、生かされている、ということをほんとうにかんじます。
わたしには、神想観は別にエーテル体が見せるイメージ映像がどうこうの問題ではないですね。

わたしのなかでは、祈りがあるのとないのとでは、・・そうですね、
二次元と、三次元を生きるくらいのちがいがあるのではないかな、と感じることがあります。

時間内ので、取り急ぎの返信で、すみません、。


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