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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

283初心者:2012/07/19(木) 08:04:26 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>初心者さまは、生長の家に、「真理の探究」を求めて、失望されておられるのでしょうか・。
わたしは、生長の家に、わたしの素朴な信仰をもとめて、そして、正直、大いに失望を感じました。
純粋な信仰とは、集団組織にはなりえない、この想いはいまも変わりません。
ですから、初心者さまがおっしゃるように、信仰と、真理の探究、救済は、べつの分野としてかんがえることが適切なのではないかというのは、大いにあり、だと思っています。

生長の家にたいする特別な思い入れがあったのは事実です。生長の家は、他の
宗教に抜きんでた高度な論理や理論を展開できる唯一無二の集団であると思い
込んでおりました。

じっさいにも、かつての生長の家にはすぐれた人材が多くおられました。そうした
人々との再会を期待して書き込みをつづけてきました。しかしすべては幻想で
あったのでしょう。期待した人々はあらわれず、まるでそうした期待をあざ笑うか
のように、低レベルの言説が横行しています。

真の生長の家。本当の生長の家。なんでしょうか、これは。生長の家の言論は地に
堕ちましたね。信仰の幼児化が着々と進行しています。「実相独在」に見合った、
長期的、具体的なヴィジョンなどどこにもありませんね。その場その場でもっとも
心地よいとされる言葉が選択され、反復され、再利用されつづけるのみ。これが
現状です。

かつてこの国にも、自虐史観が隆盛をきわめていた時代がありました。日本のあま
りにひどすぎる荒廃ぶりを嘆き、その惨状に耐えられない人々が、「日本よ、しっか
りせよ」とムチ打つ姿こそが自虐史観の真実なのだと雅春先生は説いておられま
した。

いまさら「生長の家よ、しっかりせよ」といってみたところで何も変わるものでは
ありません。それほどまでに言語空間の劣化が進んでいます。ムチ打つべきもの
があるとすれば、それは生長の家を最高の真理追究集団と信じて疑うことが
できずにいた自分の愚かさだけなのでしょうね。

すべてはないものねだりの愚痴でしたね。さくらちゃんにたいして、そんなこんな
の愚痴を語ってきた自分の愚かさを恥じ入るばかりです。愚痴を引き受けるべき
は、さくらちゃんではなくわたし自身でありました。


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