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聖典引用 板
1
:
トキ
:2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。
上記に関連するテーマなら、広く受け付けます。また、教団、本流復活派、中立派など
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、たとえ違う立場の意見でも、お互いに尊重する寛大さ
をお願いします。
この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
スレッドのルールと方針は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」を考えると、と同じに
考えております。
1804
:
SAKURA
:2012/12/13(木) 20:05:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553
>>1554
>>1556
>>1558
>>1562
>>1599
>>1600
>>1607
>>1608
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>>1637
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>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
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>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
>>1796
>>1801
>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤ 通俗医学書の功罪
======生命の実相 2巻から抜粋========================
したがってわれわれは人類の病理学的知識がどんなものであるか、治療学的知識がど
んなものであるかを知っておくことはある意味からいって必要なのであります。人類の通
念は、それを現在意識が知ると知らざるとにかかわらず(潜在意識はそれを知っているが
ゆえに)それに触れると害せられ、それに従うとつごうがよくゆくのは、法律はそれを知
ると知らざるとにかかわらず、触れた者は罰せられるようなものであります。だから人類
全体または一地方、一時代の多数人が「これは害がある」とか「こうすると病気にかかる」
というようなことはしないほうが「君子危うきに近寄らず」ということになるのでありま
す。しかしここがむずかしいところでありまして、「これはいかぬ」「これは善い」といろ
いろのことを知りますと、いわゆる「知恵の樹の果」をたべた結果となりまして、生活の一
挙手一投足が戦々競々として、ただこれ、栄養学に、衛生学に、予防医学にかなわざらん
ことを希うことになりますから、常に病気恐怖に心がとらえられ、ちょっとしたことにも
病気を連想し、心に描くものが形にあらわれるという原則にしたがってかえって病気にか
かりやすくなるのであります。 (谷口雅春著)
=========================================
■【知識…】は、知らないより知った方が、いいです〜〜〜ョネ!良く言われます処の
【知らずにします事より、知ってした方が大きなやけどもしません】ですから…そう!!
“知識”を習得しますと、潜在意識に無意識なる“行動”が…“ラクな方”を求めやすい
のカモ…そうしますと【楽々に治る!全てが順調にいく!…】この様になりますでしょうか?
たとえば【金…】をもっていれば、なんでも出来ると、考えやすく、そこから本人の
【自己中心的なる行動…】が生じますでしょうか!【楽〜楽〜〜〜〜♫〜〜】たとえ
不利な状態でもそこに“金”という“ステ−タス”を置いていますと、そこに、その人は
猛進なのです〜〜〜ョネ!!相手の“不幸”とか顧みずと…とりあえずは“表面上”を
つくろう形での“行動”ですかと?
このような人種が「黒幕デザイナ−」と「吸血鬼」「ゾンビ」達…でしょうか???そして
「吸血鬼」「ゾンビ達」は、必ずその言葉の中に似た“表現言葉”で、それは、必ずや
【暴力団…ヤクザ…金…】此の言葉が〜〜〜出てきますネ! これは、ある人に取りネガティ
ブ感情を与えますモノと…そして、この人に取りましては、相手の感情を“ネガティブな状況
へと催眠状態…に導く手段“でしょうか〜〜〜??
これは先生のおっしゃいますように「君子危うきに近寄らず」に当てはまります。…が?
ですから【正しい知識】は、大事なのです〜〜〜ョネ!!【真理…】を、正しく表現できる
ように今の私は、前に!又一つ…前に!進む過程なのですが???そして、【正しい心の法則】
を知りますと、こような人達と関わる接点も?必要性も?自然と消滅するのです。
皆様は、本当に“悪しき言葉…”は、それだけの【価値観…】だと思います。…が?
■■悪い「知恵の樹の果」食べないことは【日々…の祈り】になるはずです。…が?
再合掌
1805
:
さくら
:2012/12/13(木) 20:45:56 ID:e8ieIrPA
『到彼岸の藭示』 谷口 雅春先生
聲字即實相の藭示
吾が第一の藭殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成の年になりて吾が第一の藭殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
七つが事物の顕現の周期律になつてゐる。吾れに藭殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が藭殿は築かれる。
吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が藭殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたのが『生命の實相』の本である。
『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出來て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。
今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁つてゐたから、宇宙の萬物の運行が亂れて生活苦や、病氣や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起つたのである。『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後は何事も急轉直下する。
『生命の實相』を披らくだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相を知り歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟に過ぎない。その歓びの相こそ人間の生命の實相である。
吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披らいて讀むものにさせたのも象徴的因縁あることである。『生命の實相』を展開けば形の理想世界が成就するのである。
今は過渡期であるから、假相(かりのすがた)の自壊作用として色色の出來事が突發する。
日支の戦ひはその序幕である。
藭が戦ひをさせてゐるのではない。
迷ひと迷ひと相搏つて自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしつかり握つて藭に委せてゐるものは何も恐るる所はない。
(昭和七年一月十一日藭示)
1806
:
ハマナス
:2012/12/13(木) 23:08:41 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。
神を差し措いた技術 (『新版 生活の智慧365章』P.312)
神は一切の実在(本当に在るもの)の本源であり、本当に在るものは唯、神のみから生じた
のである。さすれば、本当に癒す力も唯神のみから来るのであることは当然である。神を差し
措いて、自分だけの力で何事にても成そうと考えるところに唯物論者の間違があるのである。
化学薬品はある毒素を分解し、又中和したりして毒性を和げることが出来る。しかしその分解
産物や中和産物を体外に搬(はこ)び出して血液を浄化し、毒素によって荒らされた肉体組織を
新たに修復するのは神(即ち自己に宿る生命力)によるほかはないのである。
物質は他の力によって動かされ、且つその惰力によって動くほかは、自動することができない
のである。従って、自己に宿る生命(神)の叡智がはたらいて何処に何の成分を保存し、何の
成分を排泄し、如何に分子組織を変化して“生きた細胞”としてそれを組み立てるかは、知性の
ない「物質」それみずからの力にては出来る筈はないのである。つまり、病気や毒物で破壊され
た組織を完全に修復するには、叡智が必要なのであって、その叡智は自己の「内に宿る神」(生命)
の力に俟(ま)つほかはないのである。神を無視した医術などはあり得ようがないのである。
感謝合掌
1807
:
a hope
:2012/12/14(金) 06:51:22 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦常に愉快な顔をしましょう(p96〜)
愉快な心を持つことは何をしなくともそれだけで大変よい事をしていることになるのです。
自分が楽しい顔をしておれば、自分の周囲(まわり)の人が、その顔を見るだけでも楽しくなります。
御飯の時にあなたが「おいしい、おいしい」と云ってニコニコしてたべれば、あなたの消化(こなれ)がよくなるばかりでなく、
あなたのお父さんの、またお母さんの、兄さんの、姉さんの、消化もよくなるのです。
福山の佐々木流道(りゅうどう)さんと云われる医学博士は、唾液(くちのなかのつば)の消化力を研究して
医学博士になったひとですが、その人の研究によりますと、普通の時の、普通の人の唾液は千五百単位と云って
唾液(つば)の分量の千五百倍の澱粉(でんぷん)を消化する力をもっています。
澱粉と云うのはお米や、麦や、ウドン、ソーメンなどに沢山ふくまれているもので、
人間にとって石炭のような働きをするものです。
人間の身体(からだ)に「体温」といって温か味があるのは、その澱粉が唾液や膵液(すいえき)の力で砂糖分にかわり、
それが血となって身体をめぐって少しずつ燃えているからであります。
だから澱粉が唾液の力で砂糖分にかわらないと、身体の中で燃えませんから、
石炭や薪(まき)をくべないでお風呂をわかそうとするのと同じで、だんだん人間は元気がなくなり痩せてしまいます。
だから、この唾液の消化力を強くして置くことが必要なのです。
長生きした人の唾液をとってその消化力をためして見ますと、たいてい二万倍の澱粉を消化する力をもっています。
だから長生きしようと思うと、唾液の消化力を強めて置かねばならぬ事がわかりましょう。
(つづく)
1808
:
「訊け」管理人
:2012/12/14(金) 12:02:06 ID:???
十四日の経言――
新しき計画を生む言葉
吾れは創造者なる宇宙霊と一体である。宇宙の心は、吾れに依って完全に自己を表現しようとしているのである。吾れは神とともに創造する使命を与えられたのである。今、吾れは創造せんとする理念と構図でみたされている。
吾れは一切のものを造りたまいし智慧そのものと一体である。吾れは何を思考し何を造るべきかを宇宙の心に教えられるのである。吾れはいまより神の霊に導かれて巧みにそして完全に創作することが出来るのである。吾れは新しき力と能力とを感ずる。吾れは心も肉体も新生したのである。吾れは歓びと希望とに雀躍(こおどり)している。吾れは智慧そのもの真理そのものが自分に宿っている事を感ずる。それ故に吾が創造力は完全である。創造者たる宇宙霊に感謝し奉る。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1809
:
「訊け」管理人
:2012/12/14(金) 21:09:47 ID:???
十五日の経言――
自信力を増大する言葉
吾れはいま見えざる力に結ばれている。吾れは神と一体である。神のもち給える一切のものを吾れも亦有(も)つのである。天地をつくり給いし神より吾が援(たす)けは来(きた)るのである。神の力は同時に吾が力である。吾れは神の子である。吾れは神の有(も)ちたまえる一切の物の継承者(よつぎ)である。
神は力そのものである。それ故吾も亦力そのものである。神は智慧そのものである。それ故、吾れはあらゆる場合に神の智慧に導かれる。神は貧しさをしらない。其れ故、吾れも亦貧しさを知らない。神は愛そのものである。其れ故、われは慈悲と愛とにみたされているのである。神が満たしたまわない欲望は吾れに一つだにないのである。神の目は雀をすら見まもり給う。それ故神が吾れを見まもり給わない筈はないのである。吾れは吾がうちに宿れる神性を自覚して歓喜勇躍している。吾れは神と偕(とも)なるが故に、如何なる禍(わざわい)をも恐れない。常に永久に吾れは与えられて不足すると云うことはないのである。
今、吾が求めはなされたのである。吾が求めは今なされたのである。吾が求めを常にききたまう吾が御祖(みおや)の神に感謝します。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1810
:
さくら
:2012/12/14(金) 22:08:31 ID:e8ieIrPA
心の法則”と“平和への道”の藭示 谷口 雅春先生
吾が來れるは古へ誤れる道徳観念を修正し、新しき正しき生き方を人類に示さんがためである。
『治にゐて亂を忘れず』と云ふのが古き人類の道徳であつたが、『生長の家』の生き方は亂にゐて治を忘れざる生活である。
亂を忘れざる者はつひに亂に逢ふ。亂を忘れざるが故に常に恐怖し、亂を忘れざるが故に武備をたくはへ、武備を蓄ふるが故に近隣を威脅し、近隣を威脅するがために、近隣また恐怖して武備を増す。
かくの如くして近隣兵を増すを見て、また自國は更に兵を加へて互に虎視眈々として近隣相睥睨す。武備に國費を要し、教育費は削られ、俸給は縮められ、民に正色なく、國に寧日なきは當然である。
汝ら、若し治にゐて亂を忘れざらばつひに亂に會ひ、亂にゐて治を忘れざらば平和に逢はん。亂を忘れざるを教へたる古き教も吾前には愚かなる者なるかな。
治にゐて亂を忘れざる者は健康にゐて病ひを忘れざる者である。健康にゐて病ひを忘れざる者は、如何なる善行の者も、如何なる積徳の者も、すべては病ひに逢わん。
忘れずと云ふことは、心の力にて呼び寄せることを意味する。
求めよ、與へられん。呼べよ、答へんと吾れ汝に告げたであらう。
呼ぶものは皆來ることを疑ふな。
高徳の人が病氣になるのは實に不思議だと思ふ人があるかも知れぬが、治にゐて亂を忘れざるを高徳と称すべくんば、健康にゐて病ひを忘れざる高徳者が、病氣になつたとて不思議ではないのである。吾れは汝に、死を豫想するなと言ひ、遺言状を書くなと教へたることがあらう。
また、不幸に對して用意すな、病氣の起る時の用意をして薬をて携へ歩むなと教へたことがあらう。
すべて是れ『心の法則』である。如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。
如何なる高徳の者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。
汝ら心して亂を思ふこと勿れ、心して病ひを思ふこと勿れ、亂の眞つただ中にゐてすらも、實相の世界の常住平和を思へ。
汝ら眞に實相世界の平和を思へば、汝の世界にも平和は來たるのである。
また汝ら病ひの眞つただ中にゐてすらも、本當の汝の常住健康を思へ。
汝ら眞に實在の汝の健康を念へば健康は來たるのである。
されど悲しいかな。いま實在世界の常住平和を知るものは 寥々なる暁天の星であるぞ。
いま皆のものは一刻と雖も亂を思はない時とてない。
逆の精神波動が積り積つて、汝ら世界はもう累卵の危ぶさである。近いうちに汝らの世界には一大変動が來るであらう。迷ひの自壊作用である。
○○は○○○と戦はねばならぬ。
藭はその時の惨害を出來るだけ少なくするやうに努力してゐるが、人間の方でもその惨害を出來るだけ少なくするやうに協力するやう頼む。
協力と云うても何も難しいことではない。亂の中にゐても心の平和を失はぬ修行をすることである。そのためには常々藭想観の修行をさしてある。
(昭和六年五月三十日夜藭示)
1811
:
a hope
:2012/12/15(土) 06:10:00 ID:w2ws6uag
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦どうしたら唾液の消化力が増すか(p97〜)
それでは唾液の消化力がどうしたら強まるかと云いますと、食べ物を見て「美味しいな、有りがたいな」と喜んで、
感謝して、そして、充分「たべたい」と云う気持を心にしっかり起こしてから食べれば、その唾液(だえき)の消化力は、
二万五千倍の澱粉(でんぷん)を消化する力があると云うことを、佐々木博士は実験せられました。
だから食べ物はよく見もせずに呑み込まずに、充分にその美味しそうな色や形を見て、
「おいしいな、たべたいな」と云う気持ちを起して、
「神様からこんなに美味しい食べ物を頂いて有り難うございます」と感謝しながらたべなさい。
すると、どんな食物でも、よく消化して血となり肉となるのです。
佐々木博士は、また好きな人の顔を見ながら、うれしい気持ちでお食事をすると、
唾液の消化力がすばらしく強くなると云うことを実験なさいました。
ですから御飯をたべるときには、いつもあなたがニコニコしていれば、
可愛いあなたの顔を見ながらお父さまも、お母さまも、兄さまも、姉さまも、みんなうれしくなり、
お父様もお母様も、兄さまも、姉さまも、食べ物がよくこなれて長生きをして下さいます。
(つづく)
1812
:
SAKURA
:2012/12/15(土) 21:56:59 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553
>>1554
>>1556
>>1558
>>1562
>>1599
>>1600
>>1607
>>1608
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>>1654
>>1661
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>>1779
>>1780
>>1783
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>>1796
>>1801
>>1804
>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
❤ 病気の精神的感染を防ぐ法
======生命の実相 2巻から抜粋========================
そこで栄養学や衛生学や予防医学は知っておかねばなりませんが、それはただ参考にし
ておくくらいで、「人間は神の子であるから、かかる学説を自分の道具として使用するこ
とはできるが、かかる学説に支配され奴隷となるものでない。『神の子』たる人間の権威
を自覚した者はいっさいの主人公であって、決して物質の法則には害されないものではない」
と常に確乎とした信念をもっておりましたら、通常なら人類の通念に抵触して病気にかか
るはずのときでも、病気にならないですむのであります。子供がもし人類の病気を起こす
潜在意識に抵触して病気にかかったり、かかりそうな予感がした場合には「自分の子は神
の子であるから、決して人類の病気の通念によって害されるものでない。自分の子は神
の愛に護られ、常に安全であり、ただ健康のみなる実相の世界に住んでいるのであるから
あんしんである」と強く繰り返し念じて、恐怖の観念を取り去り、病気の人類通念から超出
してその波長に合わないようにしてしまうことが必要なのであります、もし人類の病気の
一般的通念からその母親が超出することができましたならば、母親の「人間、神の子。病
気無し」の信念が子供に反省して、子供が病気にかからず、また病気にかかっていてもす
みやかに治ってしまうのであります。 (谷口雅春著)
=========================================
■そうです〜〜〜ョネ…! このような捉え方の尺度を【老人症…】として捉えますと、
近頃は、思うのですが?確かに【長生き…平均寿命は延びましたかと】それと、相反する
に【認知症……ボケ症状】とか【そう欝症】とかの新たなる“病気かと”…??
❤〜「人類の通念に抵触して病気にかかる」余の“念…”でしょうか???これと同様に、
“高齢…”になりますと、誰しも先の将来の不安があるのではないでしょうか……??
■そのような時【決して“人類の認知(ボケ症状)?・老人症?】は無いと…唯、健康で
私は「愛念の世界…」に入っていく“心境へ念を送る事”でしょうかと???そう!!
それは、強い【意志=意識】になるのです〜〜〜ョネ!!
つづく
1813
:
SAKURA
:2012/12/15(土) 21:59:20 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1812
>>投稿の続きです…。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その②
❤ 病気の精神的感染を防ぐ法
「亡き母」が“医者の言葉”に、信じきり?という表現になりますでしょうか?
【認知症…】にされましたが…【意志=意識】は、しっかりあると言いながら“矛盾”の
言葉を、医者自身が“言葉”として口に発し使用していた事を、思い出します。…が?
現在の医者は、しばしば高齢化社会という名の基【社会保障…福祉医療…】中心ですから
【ボケ老人…認知症…】拡大でしょうか?
■此処で、極端な例ですが…私の知人で「介護関係…ケアマネ−ジャ−」から直ぐ○○すると
保障があり個人負担は、たった○○で済むのです…申請した方が…云々…
この知人自身、自己負担は少なくて済むが…あくまでも■【介護関連会社…】国への申請にて
かなりの資金が流れてくるのでしょう。最終的には、国の財源・次世代を考えているのかと。
あまりにも…次から次への「申請事…」これでは、将来の『国の財源』はどうなるのか?
■ましてや、自民党時代の旧社保庁の【年金問題…未解明】これを【民主党…】がプロジェクト
組んで処理し始めましたが…此処最近は【原発問題で鈍化】でしょうかと。??
今や【高齢化社会…社会福祉医療…国民負担率??】この件で、【介護関連…会社】を増やす事
が、本来の“彼らの思惑”なのでしょうか??そうしないと確実なる“収入源…”が???で
しょうか???【国の医療の資金が流用】されているのでは??このような
【医者としての使命】が欠けた“医者…”も、今後は、ある面で増えてきているのも事実です。
そのような状態ですから、私達は、将来!もし【老人症…認知症?】になるという……
【社会の人類の通念…】として、“こころ…”が侵されている状況になりつつあります。当に!
【潜在意識にインプット】でしょうか??このような時、本当に【真理…】を真剣に、学ぶ
時期ではと思う次第です。…が?
■■【私は神の子、人間病なし、病気も無し、老人症も無し・・・・その他・・・】かと。
この“信念に送り込む事”が、前に〜前に〜進む事ではと、この頃つくづく思う次第です。
「亡き母」の当時の私の無知に、今日!おおきな“損失”をしましたが、これらの事は、
「亡き母からの伝言」の様にこだまして、響くのです。今!今!!・・・起て!今こそ
【生長の家…】をもう一度なのです。モット!魅力ある“ 聡 明 人 間 ”に…
再合掌
PS:トキ様
この様な状態の【老人医療関係…あるいは認知症】を、どう思われますでしょうか??
マ〜〜〜ァ?一般の末端信者の考えは、“くだらない!一言”でしょう〜〜〜かしら〜〜〜ン!!
私自身から見ますと【風見鶏論…方】が、お好きな様ですから〜〜〜今の日本の“現状…”は、
厳しい状態です。…が?今後の事を、考えますと、複雑ですが?如何な考えなのでしょうか?
1814
:
「訊け」管理人
:2012/12/15(土) 23:54:35 ID:???
十六日の経言――
災厄除けの言葉
神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。されば吾れ誰をか恐れんや。神は吾が護りであり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。神が吾れを護り給うとき、吾れに何等の災厄もないのである。神がわれを慰めたまう時、吾れに何等の悲しみもないのである。吾れは神の曇りなき愛、完たき心にいだかれているのである。吾れは神の保護を漏れる恐れを知らない――神の在(い)まさざる所はないからである。
吾れは『善』そのものに取り巻かれているのである。吾れは『善』そのものの懐にいるのである。神の愛は吾れを取巻きて、吾がうちに、そして吾が外に、周(あま)ねく、在(まし)まして、吾れを見捨て給わないのである。
吾れ闇を歩むとも、神は吾が光であり給う。吾れ海を航するとも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が羅針盤にてあり給う。吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が伴侶にてあり給う。されば吾れ誰をか恐れんや。吾れには恐るる所のものも人もないのである。吾れに死は来たらない。生命(せいめい)のみが凡てであることを知るからである。吾れは暗黒に見ゆる谷を歩むとも光明はつねに吾れに附き随う。吾れに禍は来たらない。禍と見ゆるものは進一歩の過程である。吾れは生命(いのち)、神は生命(いのち)、凡ては生命(せいめい)であるのである。吾れはいまより信仰と、自信力とをもって進み行くのである。
神の恵み深き護りに感謝いたします。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1815
:
ハマナス
:2012/12/16(日) 00:39:57 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。
生物発生の大作用を知れ (『新版 生活の智慧365章』P.313)
神よりも物質に強く信頼を置くものは神の心に協(かな)わないものである。物質の力に
頼れば頼るほど、内在の神の力は減ずるのである。科学的知識が発達すればするほど、霊感
と云うものは乏しくなる。薬剤に頼れば霊的治病力はそれだけ減ずるのである。天秤の一方の
皿に「神」を置き、もう一方の皿に「科学知識」を置き、化学知識の方に重点を置くほど、
「神」は軽視せられて、科学知識が、“神の叡智”にとって代わるようになるのである。科学
知識が“神の叡智”に代って、人工衛星や、金星ステーションまで射ち上げるようになっても、
神を軽視したこれらの科学兵器は、ただ人類を破壊の恐怖に追いやる役目をしているだけで
あって何ら人間の招福の源泉とはならないのである。
生命現象と云うものは、「生命」と云う不可視のものが、物質を支配し、物質の法則を支配し、
単に物質の法則だけでは、どうしても出来ないところの「生物」と云う有機体をこしらえ上げた
ところに起こるのである。試験管の中で、アミノ酸似のものを生ずることに成功しても、それは
“生命の起源”ではなく、生命が生産したところの一種の化合物を模倣してこしらえただけで
あって、物理化学の実験ではアミノ酸以上に進んで、生きた生体を作ることは出来ないのである。
生物が其処に発生するには、生命が“物理化学の法則”をも利用しながら、それを超える生命的
なハタラキを演ずることが必須条件となるのである。
感謝合掌
1816
:
さくら
:2012/12/16(日) 07:44:51 ID:e8ieIrPA
『生死の教』 谷口 雅春先生
生死はままならぬと云へども生死は心のままである。
兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。
殺すと云うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺してゐるのである。
周囲の人々の思はくをいかしてやるのがは『兄弟を生かす』の最も大なるものである。
自己の好まざる所を他に転嫁するのは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。
周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。
これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。
口角沫を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾を吐きかける者である。
腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。
かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。
兄弟の心を殺すより尚大いなる殺しがある。
汝の両親の思ひやりを殺し、汝の主君の思ひやりを殺す者である。
本當に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるやうになるまでは、心の波長が違ふから藭の救ひの霊波はうけられぬ。
(昭和六年九月五日藭示)
1817
:
ハマナス
:2012/12/17(月) 00:30:03 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。今日から、第十二章に入ります。
第十二章 若さと元気はどこからくるか
「宇宙的な自己」への目覚め (『新版 生活の智慧365章』P.315)
誰でも人生のある段階に達したとき、人間が単なる物質ではなく、物質以上のもの、肉体
以上のものが自分に宿っており、それに生かされているのであることを悟る瞬間が一度や
二度は必ずあるものなのである。それは何か非常な危険に晒されて、迚(とて)も自分の力
ではその危難から救われる筈がないと思われる瞬間に、何か不思議な力によってその危難から
免れ得たようなとき、または既に医師も家族も、自分も、絶望だと信じ切っていたような瞬間
に、ふと気がついてみたら生きている自分を発見したようなとき、此処に生きている生命
(いのち)は自分の生命ではなく、一層偉大なるものに生かされていると云う自覚が得られる
のである。
そんな体験をある人は軽く見逃してしまって記憶にとどめないで忘れてしまうが、或る人
にはそれが深い感銘を与えて「人間」を見る眼が一変してしまう。小さな「個」の存在から、
偉大なる「宇宙的な自己」へと目覚める――それが新生である。本当の新生は決して、寄る
年波をかぞえる暦の上での新年を迎えることではないのである。
感謝合掌
1818
:
「訊け」管理人
:2012/12/17(月) 05:47:15 ID:???
十七日の経言――
恐怖を消滅する言葉
吾れは恐れない。神はすべてであり給う。神以外のものは何も存在しないのである。神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。神は護り給う。神は養いたまう。神は吾れを抱きたまう。神は吾れを愛したまう。如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて吾れを看(み)まもり給うのである。吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。吾れは『善』と『真理』とのみを見る。吾れはそのほかの何物をも見ないのである。神は渾(すべ)てでありたまう。吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。一切のものは神のものである。吾れは神の子である。それ故に一切のものは吾がものである。
神の力のみが実在する力である。神のもち給う一切のものは吾がものである。吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。吾が父なる神に感謝いたします。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1819
:
a hope
:2012/12/17(月) 07:52:21 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦心は自分の運命を変化する
心と云うものは唾液(つば)の性質を変ずる(かえること)だけではなく、人間の運命もかえる力をもっています。
「人を倒そうと思ったらピストルの引金を引く必要はない。ただ心で彼を憎み呪うだけで充分だ」
と英国の哲学者カーライルは云っています。
あなたが成功し、出世し、すぐれて人のためになり、尊敬される人になるには、
先ず自分は「神の子だ、何でもすぐれて充分出来る」という自信をもつことが必要であります。
こんな人もあります。
A君は九歳の時に、お母さんの机の上にあった『光の泉』をふと読み出して以来、
「人間は神の子だ、何でも出来る。成績は優良(すぐれている)なのが当たり前だ」
と自覚(じぶんでおもう)しますと、急に中位(ちゅうくらい)の成績から七番になり、
五番になり、三番になり、ついに主席(いちばん)になって、特待生になりました。
それから海軍兵学校へ楽々入りましたが、終戦となり、学費がたりないので、夜警の仕事をしながら大学に通い、
夜はわずか二時間しか眠らないのですが、「人間は神の子で無限力だ」と云う自覚をもっているために、疲れもせず、
病気にもかからず、益々元気に肥えて最近大学を卒業さられました。
(つづく)
1820
:
うのはな
:2012/12/17(月) 15:06:23 ID:r.C5sfeA
神話的に云ひますならば、日本国家は天照大御神の理念の中に先ず造られて、
それが「千五百秋の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と云ふ天孫降臨の
神勅となってあらはれてをります。
神話と云ふのは、作者が誰と云ふ一定の人間ではなくて古代の民族が、その民族全体の
精神によって作られたものであつて、民族全体の一致した信念の協同作品と云ひやうなものであります。
この民族全体の協同信念によつて各人が集団して、日本は天皇中心の国家を形作つたのでありますから、
日本国家が天皇中心の国家であると云ふことは最も民主的なことであります。
この民族全体の協同精神が謂はば日本国家の設計のやうなものであつて、その協同精神の通りに、形の世界の
日本国は、家が色々の材料が集められて徐々に出来上がるやうに、出来たのです。
だから日本国家の本質及び設計は、天皇国家の姿をとるべく日本民族全体の心の中に既にあつたのであります。
そして、神武天皇が大和に都をはじめ給うたのは、天皇中心の国と云ふ日本民族全体の精神が具現化した第一期工事の
完成だと云ふことになります。
『真理』第一巻 谷口雅春 先生著
1821
:
SAKURA
:2012/12/17(月) 22:08:49 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
>>1796
>>1801
>>1804
>>1812
>>1813
>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
❤ 子供の病気の時に母親が動揺してはならない その①
======生命の実相 2巻から抜粋==========================
子供が病気にかかったらしい時に母親の心が動揺してはなりません。母親の心の動揺は
ただちに子供に反戦いたします。心の波動そのものは波及いたしますし、顔色や態度や語
調でも子供に影響を与えるのであります。子供の顔色が悪いからといって、「お前顔色が
悪いよ」とか「どこか悪くないの?」「疲れやしない?」「お腹痛くない?」などと言葉の力
で子供自身に不安の念を起こさせたり、病気を連想せしめるような言葉を使ってはならな
いのであります。 (谷口雅春著)
============================================
■子供が病気をしたら“母親”は、動揺しているのでしょうか?それは“ノー!”と、
「亡き両親」の時代は答える事が出来ますでしょうかと。??しかしながら、実の処……?
現代社会に於きましては【現象=現実】では、“断言の言葉”は、言えますでしょうか?
ここで、反対に、自分自身の周辺部の知人が、病気をしたり?仕事先が失ったり?…etc…今!
現状の状態が、悪くなったとしても、それに【心が動揺…】しますのではと??
正直申しますと、日本人の精神面は、以前と比較しますとある面では【軟弱…】でしょうか?
出来る限り、こちらからの“明るい光明面”を、見せる事も、大事なのでしょうかと思うの
です。…が?
つづく
1822
:
SAKURA
:2012/12/17(月) 22:12:26 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
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>>1792
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>>1801
>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>投稿の続きです。…が
❤ 子供の病気の時に母親が動揺してはならない その②
>>1821
その①の投稿の続きです…。
■私一人が『ローソクの灯…』を照らすとしますと、次に、また一人の方が照らしていく様に、
『心の光明面…』でしょうか?振り返りますと【古き良き時代?…一番いい時代は、国民が
一眼となって、経済面で日本復興との思いでしたかと。】そうですョネ!働いていましたネ!
「亡き両親の時代」ですが、隣の家の“夕食…”が、お互いに判る時代背景でしたのです。
あの頃の状態までは〜〜〜如何に〜〜〜でしょうか??
❤〜【私は太陽だ!!お日様がさんさんと輝いています〜〜と“心…”で唱えていく内に
…そう!人間は“想念の世界”ですから、“あ・うん呼吸”でいきましょうかと???】
その様に、なっていくのでは??全ての物事のに関しまして…健康!経済面!…etc…も、
■【『ローソクの灯』の様に……『心の灯』の連鎖反応・連想…】でしょうかと???
さて!ブレイクしますが…“昔の顔”を見て下さい「生き生き…イキ・スタイル」ですモノ!
これを見ながら…子供の頃の時代から“姉が大ファン…”でしたが【ピーナツ…】
今!振り返り【検索…】しますと、結構“イケてる感!”でしょうか??良いですネ!
いつからか?「日本人の心は何処に?」と思う面も?なきにしもあらず?でしょうか??
もう一度【常にポジティブな…明るい表情…真理の言葉】を、そこからの“スタート”と!
❤〜今から、“一人!一人!の力を合わせて…一本の”ローソクの灯“を〜〜〜”でしょう。
ビックリは【30年前で…この曲を英語で歌った事】は?素敵な感!と“パートナー”が…
私も、かすかな聴力にて、始めて聞こえてきましたが〜><本当に“リズム感・センス”が
“グー”でしょうかと! 本当に、今こそ〜〜〜〜〜!
【いいモノの価値観が認識され、後世に残る処の…“本物志向”でしょうか?】
■■本当に、誠意ある“行動”の時代に入っていく…『時代!それを“リード”する』のは、
私達【生長の家…真理】なのでは〜〜〜その様に、思います。…が?
■皆様…もう一度“原点”に戻りまして、まず!暗黒面を見るべから〜〜〜ず!!です。
そこから【スタート!ガンバロー!!!】と、心が躍動しています。いえ!その様に
“心を方向転換”している最中です。…が?余談ですが、当時の両親達の時代が見えます。
ある面では【妥 協 の 許 さ な い 社 会】でしたでしょうかと?
再合掌
1823
:
ハマナス
:2012/12/18(火) 00:23:48 ID:x2zmnlqw
悟りと実践 (『新版 生活の智慧365章』P.316)
自己の内に埋蔵されたる「一層偉大なるもの」を発見するのが「新生」であり、仏教的に
謂うならば「悟り」である。併し、その「悟り」が一時的な“魂の光耀”で消え去って
しまう人が多いのは、その「悟り」を実践の上で生かさないからである。白隠禅師が「大悟
十八回」を重ねられたと云うのは、その「悟り」が「悟り」のままで静止し、眠ってしまわ
ないで、動的な「悟り」となり、実践的に、その「悟り」が実現して行く、巨大なる“悟り
歩み”の足跡を振り返ってみて斯く形容されたものだと思われる。
誰でも実践的に使わないところの力は退歩してしまう。“悟り”も実践的にそれを行使しない
とき、折角、その悟られたる「一層大なる力」は徒(いたず)らに眠ってしまう。凡そ人生に
於て偉大に聳(そび)え立つところの人は、その悟りによって把握したところの「一層大い
なる内在の力」を眠らせないでそれを自由に駆使して行った人々である。
感謝合掌
1824
:
「訊け」管理人
:2012/12/18(火) 07:19:18 ID:???
十八日の経言――
萬成就の言葉
神は霊の世界にまします。霊の世界に『悪』は無い。吾れはもう悪を恐れない。何故なら神は吾れと偕にいますからである。如何なる禍も吾身に振りかかっては来ないし、如何なる疫病も吾が住家(すみか)には来たらない。神は吾が往くところに常にその使者(つかい)を遣わして吾れをまもり給うているのである。神の使者(みつかい)の手は吾が身を支えてい給うが故に、吾れを躓かしめる一箇の石だもないのである。
吾れはまったき愛に懐かれて恐怖心一切は消滅したのである。吾れは最高のもの至美(しいび)のもののみを心に思うが故に、恐怖心は吾れに近寄らない。失望よ、恐怖よ、吾れは今汝を正視して汝を拒絶する。吾れは汝以上のものである。汝は自分に何の関係もないのである。
吾は自分を憐れまない。何故なら自己憐憫は恐怖心を一層増大するものであるからである。吾れは天に於いても、地に於いても神の全ての力を与えられているのである。吾れは此の吾が内に宿れる神の力を駆使して、一切の欲する事を成就し得て神に感謝し奉る。自己憐憫及び恐怖の情は最早われに対して何の力もないのである。吾れは何人(なんぴと)も自分を憐憫することを許さない。何故なら他から憐れまれるのは自分の弱さを肯定する事である。自分は神の子であるが故に決して弱さをもっていないのである。自分は完全に神と結ばれているが故に、吾は決して恐れはしないのである。
吾が事業は神に導かれて必ず成就するのである。吾が事業に必要なる一切は、必要な時必要な場所に於て与えられるのである。否既に実相の世界に於て与えられているのである。野の百合をすら装わせ給うた神が吾がことを看まもっていたまうのである。それ故何事かがすらすら進まなかったならばそれは一層善きことが来たらんがためである。吾れはそれを安心して確信することが出来るのである。信念を持て。此れが最も必要なことである。自己を信頼せよ。他(ひと)を信頼せよ。未来を信頼せよ。神を信頼せよ。勇気と信念とだにあれば其の戦(たたかい)は既に半ばは勝ったのである。決断、意志の強さ、勤勉は残りの半分であることを知るのである。吾れは勝利する力があると知るが故に吾れは勝利するのである。吾れは吾が志すことを必ず勝利する。吾れは信念そのものである。吾れは勝利そのものである。信仰は世界を支配する勝利者である。吾が信仰は宇宙にひろがる大きさを有(も)っているのである。
神よ、あなたは何よりも先(ま)づ吾が求むるものを与え給います。吾れの関係せる事物はすべて都合よく行くことを御親の神に感謝致します。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1825
:
a hope
:2012/12/18(火) 08:05:38 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦周囲の人々と調和せよ
人の成功は、他(ひと)が自分を信じてくれる為であり、人が自分を持ち上げてくれる為であります。
人間は自分のみが幾ら偉くとも他が認めてくれず、協力してくれないならば、大きな仕事は出来るものではありません。
だから、成功しようと思う人は周囲の人々と仲良く調和することが必要で、また他から信じられるには、
自分の自信力が相手の心にうつるのですから、自分自身を自分が信じないような事では、他の人もまた自分を信じてはくれません。
信念と云うものは伝染力をもっているものですから、「自分は神の子で立派なものだ」と云う自分の信念が他にうつって、
他もまた、あなたを「あの人は立派だ」と信じてあなたのことをきいてくれ、
仕事に力を協(あわ)してくれるようになるのであります。
虎の檻の中にはいりましても、その人が、「これは虎ではない、猫である。優しい、優しい、猫である」
と信じていますと、その虎は猫のように優しくなるのです。
柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)が虎の檻の中へ入って害されなかったり、
ペルシャのダニエルと云う人が虎の檻の中で害されなかったりしたのは、こちらの信念の影であります。
先ず自分を「神の子である」と信ずる事が第一です。
(つづく)
1826
:
ハマナス
:2012/12/18(火) 23:31:38 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。
内部と外部をつなぐスイッチ (『新版 生活の智慧365章』P.317)
人間は五官に感じられる面から観れば肉体と云う物質的な存在である。しかしその内性を
観ずれば、宇宙大生命が宿っているのである。宇宙大生命は虚空に満ちており、わが内に
流れ入って個々の人々の内部生命を成しているのである。しかし内部に満ちているからとて
必ずしも現実的な力にはならない。蓄電池のうちに電気が満ちているからとて、必ずしも
それが現実的な力となってあらわれて来ないのと同じことである。
内部の電気的力を現実的な力とし“光”を輝かせ、モーターを回転させるためには、内部と
外部とを繋ぐためにスイッチを入れなければならない。その“内部”の「一層大なる力」と、
“現実”の「有限なる力」とを結び合わすスイッチとなるものは“心”である。“心”の媒介
を通じて、内部の「霊」の無限の力は外界にまであらわれて現実的な力となってくれるのである。
感謝合掌
1827
:
a hope
:2012/12/19(水) 08:16:17 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第九章 斯(こ)うして愉快に生きましょう
♦自己を信ずる力
自己を信ずる者は、他人をして自己を信ぜしめます。
決然、引き結んだ唇、断乎たる眼光(まなざし)、信念に満ちた言葉――これらは人を引きずって、
その人に協力(ちからをあわす)させずには置きません。
信念の力は、魔術的なラジオの波となって八方にひろがり、適当な時に、適当な物を、適当な人を引寄せます。
信じて「波に静まれ」と云ったら波もまた静まるのであります。
信じて「汝病なし」と断言すれば、その人の病は癒えるのです。
信じて「われ神の子なり成績は優良なり」と常に念ずれば、必ず成績は優良になるのであります。
ああ信念の力なるかな。
(第九章終り)
数日間、聖典の謹写をおやすみします。
合掌
1828
:
「訊け」管理人
:2012/12/19(水) 09:17:40 ID:???
十九日の経言――
神と融合するための言葉
吾れは今最(い)と高き御親の神の奥殿に這入(はい)ったのである。吾れは神の御前(みまえ)にいて平和である。此の世のものは今わが眼界にない。吾れは今五官の世界を去って霊の奥殿にとじこもるっている。われは渾ての渾てなる者 ―― 神に触れている。吾れはそこから生命と平和と豊富との泉を汲むのである。吾れは神の御前(みまえ)に侍る ―― 神は吾が力を新生したまいつつある。吾が心は開かれ、吾がたましいは啓示を待つ。吾が体は神の無限の治癒力に触れている。此の霊の静かなる奥殿に吾れは恐れなく、いとやすらかにいるのである。如何なる禍も、吾れには降りかかることが出来ない。如何なる悪も吾を悩ますことは出来ない。何故なら吾れは悪を恐れない。悪は実在の力ではないからである。
吾れは唯善のみを見、善の実を聞くのである。吾が前にはすべてのものは美(うる)わしく、すべてのものは善である。吾れは神の有(も)ちたまう新生力と創造力にうちまかせる。吾れは神を信じて法悦に満たされているのである。御祖(みおや)の神に感謝をささげます。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1829
:
NANCY
:2012/12/19(水) 12:14:36 ID:bdP2hNg2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>の投稿の続きです
無事に“衆院選挙投票…”も終わり、残り少ない日々…となりました。…が?早いものでしょうかと。
今年も、あと“半月…をキリ”……>< 全てに於きまして、ラスト・スパ−ト!!
今日は【 清超澄先生……『 「愛」は勝利する 』よりの抜粋…
■【 「心に強く描く」 ことは、全てが「祈り」である
❤〜祈りはかなえられる。それは「心」によってこの現象界が作られて行くものであります
から、「心」さえしっかりと求めるものを描いてはなさなかったならば、やがてそれが或る
時間の経過に実現してくるようになっているからであります。
「心に強く描く」ことが実は「祈り」なのであります。 (抜粋投稿)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【 心に強く描く事=祈り 】そうなのです〜〜〜ョネ!
これが当に【 心の法則 】でしょう。
しかしながら?やはり【神様の御心に…】叶わなければならないでしょうかと…
❤〜【祈り…『イブの日に…』夜空の・:・☆・:・:に向かって“祈り” 】
〜♫〜 きよしこの夜 星はひかり
すくいのみ子は
まぶねの中に
ねむりたまう いとやすく
きよしこの夜
み告げうけし
ひつじかいらは
み子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて
きよしこの夜
み子の笑みに
めぐみのみ代みに
あしたのひかり
かがやけり ほがらかに 〜♫〜
■【夢…実現】に向かい…心に強く≪設計図≫を、描きま〜〜〜す。…シ−クレット…
再合掌
1830
:
ハマナス
:2012/12/19(水) 23:20:17 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。
内部の霊なる智慧 (『新版 生活の智慧365章』P.317)
内部の「霊」は「一層大なる自己」であると共に、「一層大なる智慧」である。その智慧の
啓示にしたがって生活する者は、流れに従って航(こう)するようなもので、速やかに進む
ことができるが、その智慧の啓示に従わずして生活する者は流れに逆らって航するもので、
色々の困難を閲(けみ)しなければならないのである。だから、私たちは「内部の霊なる智慧」
を呼び出して来て、その導きに素直に随うようにしなければならないのである。
ただ肉体脳髄の限られたる知識だけで、不安定な道を遮二無二突き進んで行くだけでは、
肉体的力は消耗(しょうこう)してしまって、ついに完全に物事を成就することは出来ない
のである。この「内部の霊なる智慧」を導き出すのが「心」の働きであって、神想観を実修
して「心」を調節することによって、内部の霊と波長が合い、内部の智慧が肉体面に現実化
してくることになるのである。
感謝合掌
1831
:
「訊け」管理人
:2012/12/20(木) 10:07:39 ID:???
二十日の経言――
萬能の自信を強むる言葉
『神と偕なるが故に一切のこと能(あた)わざるなしである。われは如何なる禍をも恐れない。神われと偕にいますからである。われは神を信ずる。神を愛する人に対しては、一切萬事都合よく行くのである。吾れは今新しき世界を発見しつつあるのである。』
一日三回、きまった間隔をおいて、三、四分間まったく静かな休養の時間を見出して諸君は自己自身に対し以上の如く繰返されよ。―― こう断乎として決然とした態度で自己自身に云うのである。諸君はこれによって、法則をして諸君の都合よきようにめぐらしめる事が出来るであろう。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1832
:
うのはな
:2012/12/20(木) 23:32:38 ID:LB749By6
『唯神実相の世界を説く』 谷口雅春 先生 P11〜
唯"善なる神のみ”が実在である
皆さん、有難うございます。
生長の家の教は、唯心論と唯物論を並べると、唯心論の中に包括されるようではありますけれども、
精しく言うと、体験談の中にも出たようですが、唯神実相論というところの哲学であります。
唯神とは“唯、神のみ”唯、神のみが実在であるということであります。
神の造り給うた完全な存在のみが実在であって、悪は本来ないのであるーというところの根本的な、
善なる神の存在を信ずる、この根本信念から全てのものは出て来ているのであります。
私はこの詳密講習会で、どういう話をしようかと考えておったんです。
詳密というのは詳しく緻密に話をしなければならないが、しかしこの生長の家の教を根本的に理解しようと思ったならば、
善なる一つの神の実在を本当に信ずるという、これがまず大切であります。
“善なる神”のみが本当に実在する。悪意のある神とか、色々の罰を当てたり、呪いをかけたり、腹立てて復讐をする、そういう神を
信ずる信仰から完全に自分自身を脱却させることが必要であります。
さて、テキストとして書物の名前が数冊出ておりますが、『甘露の法雨』なんかは出ていないけれども、『甘露の法雨』を皆さんはともかく
読んでいますですね。これが根本なんですよ。この『甘露の法雨』をずうっと講義するーそうすればそこに全ての問題が含まれているわけなんです。
ですからこれを講義しながら話をしたいと思うわけであります。
まず、こう書いてありますね。
『神ー或る日天使い生長の家に来たりて歌い給うー』
何の気もなしに読むと、文字の表面は、解ったようだけれども、これは非常に
深い意味が書かれているのであります。
「或る日」というのは、何月何日、某月某日というような意味ではないのです。
「或る日」というのは、あの『奇蹟の時は今』という書物がありますね、あの永遠の今なんです。
何時でも「或る日」です。どの時間にでも其処にましますのは「天使」である。
「天使」とは何かと言うと、これは神様の愛念の放射ですね。念というのは、一つの念波と言って、
光のように波に乗って出て来るんです。それで、神様の愛の念波が人格化してーパーソニファイされて、
そして或る童子のような姿をした、観世音菩薩みたいな姿をして出て来られるー仏教で言えば、一仏一切仏ということ
が含まれているのであります。
この“一仏一切仏”を忘れていると、仏の名前の数だけ、宗派が別々にあるように考えて、それが対立的になって、派閥的な
宗派的信仰というものが、そこに起ることになるのであります。
1833
:
ハマナス
:2012/12/20(木) 23:33:01 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
ありがとうございます。
平和と幸福の大道 (『新版 生活の智慧365章』P.318)
禅宗に「日日是好日」と云う語(ことば)があるが、そのような流れに沿うて仙境を下るような眺めのよい生活を
日々おくるようになるには心が調和して、「肉体」の生活が「内部の霊」の生活と波長が合ったものとならなければ
ならない。神は決して人間を罰したまうことなく、平和と幸福との大道をつくって下さっているのであるけれども、
肉体の歩みが、叡智の導きに従わないがゆえに、時々「神の備えたまわざる道」を歩んで墜落して怪我をするのである。
即ち私たちが傷つくのは神罰ではなく、智慧の導きを受ける方法を知らないため、又は知っていても、その導きを
受けようとしないために、みずから道をが踏み外して崖から墜落するのである。神は法則を与えた。そして法則を
人間が「心」の力によって発見するように委ねられたのである。
感謝合掌
1834
:
「訊け」管理人
:2012/12/21(金) 08:27:10 ID:???
全員が暗いから、
私は明るくいく。
――斎藤一人の言葉
1835
:
うのはな
:2012/12/21(金) 17:33:08 ID:R80If25o
この「永遠の開祖、谷口雅春師による真の生長の家の御教え」こそ、
時代を超え、国境をこえて人々の魂を救い、現実の人生から不幸や病を消し、
さらに、人々の人生を、単なる“もの”や“金”や肉体の欲望満足のためのものから、
喜びと生き甲斐にあふれる有意義な人生に一変するものなのである。
そして、このような「真の生長の家の教え」を、開祖のいのちのひびきと共に世に伝え、
後世にしっかりと伝え残していくことは、われわれにとって最高の生き甲斐でもあり、また
われわれがこの世で為しえる最高の人々への奉仕であり、それぞれの祖国への報恩の道であり、
母なる大地への感謝の実践ともなるのではなかろうか。
「生長の家オーストラリア法人」の独立も、日本の「ときみつる會」の発足も、すべてこの目的の
ためであり、ほんのささやかな団体ではあるが、われわれはあくまでも谷口雅春先生を永遠の開祖と
仰ぎ、「雅春先生による真の生長の家の御教え」を堅く信じ、人々にお伝えし、かつ後世に伝え残すため、
そして開祖の高邁なる理想を現代と未来に向けて実現するために邁進する。
本章の終わりに、『生長乃家三拾年史』冒頭から谷口雅春先生の御文章を転載させていただく。
愈々、“生長の家”も発祥以来三十周年を迎えることになりました。色々の宗教が発生し、潰れ、
非難され、受難を受けたなかにいて、生長の家のみは戦前も戦中も戦後も、終始一貫ひたすら真理を
説きながら、受難もなくスクスクと伸びて来ることが出来たのは、神護の灼然なることは無論ですが、
常に、間違った野心を起さず、謙遜に、神授された真理をただひたすら説きつづけて来たからでもあり、
更にその上、誌友や読者や信徒の方々がこの真理を護りつづけて来て下さったお蔭であると感謝せずには
いられないのであります。
谷口雅春先生のこのお言葉を胸にいただき、これからも先生の説かれた尊い真理を護りつづけて、
雅春先生にさらにお喜びいただけるよう、感謝と報恩のまことをつくそうではありませんか。
雅春先生と輝子先生は今でも、神界からわたしたちをじっと見守っていて下さるのです。
『谷口雅春師に捧げる誓いと信仰』 宮澤 潔・宮澤壽美 先生著
1836
:
SAKURA
:2012/12/21(金) 23:05:28 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
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>>1821
>>1822
>>投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
======生命の実相 37 巻から抜粋 ========================
今日は記念すべき本が出る。わたしの『人間死んでも死なぬ』という本。これがわたしが
関東大震災に遭って無一物になって郷里へ帰って、職業もなく養父母の許で居候しながら無
数の心霊現象の原書を取り寄せてそのうちから興味のある事実を取り上げ、系統づけて書き
上げて、小西書店から『心霊現象と宗教思想』と題して出した本を最近に増補改訂したもの
である。類は類を招び、貧しい運命の時には、貧しさを招ぶものと見えて、当時素寒貧のわ
たしに、小西書店は一銭も印税もよこさなかった。わたしはやむをえず印税代わりに紙型を
貰っておいたのを友人鳥谷部君が生活に困っているので、その紙型を差し上げて、原稿料も
活字の組賃も不要で鳥谷部君の生活費の幾分にでもなるように進上した。これは『信仰革命』
と題して再販まででているから鳥谷部君は幾分かこれで助かっているはずである。今この本
にさらに百数十ペ−ジを加えて『人間死んでも死なぬ』と題する本としてだしたのは、戦死
した軍人の遺族への贈り物としてである。人間は肉体ではないから、肉体は死んでも「人間
そのもの」は死んではいない。この理論と哲学とは『生命の実相』のあらゆる部分に書いて
ある。しかしその実証は、死んだ人が出て来て実際に通信した無数の実話、死の刹那に霊魂
の幽体が脱離する瞬間に撮った写真、その死後の状態はそういう状態であるか――
つづく
1837
:
SAKURA
:2012/12/21(金) 23:07:47 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
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>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>投稿の続きです。…が
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その ②
>>1836
その①の投稿の続きです…。
■これは
『生命の実相』の「霊界編」にも出ているが、この書に採録したのは英 国 心 霊 大 学
の学長マッケンジ−博士(数年前物故)が精神統一状態中の霊魂出遊現象によって七圏に分
かれている霊界を探検踏査してその状態を記述した記事であって、それには当時「哲学者グ
ル−プの集まっている」霊界の第四圏にいたハ−ヴァ−ド大学のウイリアム・ジェイムス
教授の霊が指導霊となったといわれている。その記録は『生命の実相』中にヴェッテリ二
の霊界通信と符節を合わして霊界存在の真実性をいっそうハッキリ確認せしむるものがあ
る。この書を戦死者の遺族に、また戦死者でなくとも、良人を、妻を、子を、親類縁者を
失える悲しめる遺族たちに贈ることは大いなる意義と慰めとを与うるものであると思う。
つづく
PS:「トキ様」へ
『霊界編…』を読んで、更に「浅野先生の書籍」で、詳しく判り、霊界の中身が見えてきまし
た。…が?そうです〜〜〜ネ!長崎に在中の頃でしょうか??本当に『霊界の世界??』が、
あるという“書籍上の言葉”としてだけで、それは、当時の私には、『霊界の妻が語るの本』の
中で、当時の私は「想いを寄せた人」を、浮かべながらも、もし??という時このような関係
は、“素敵だな〜〜〜☆”と思ったものです。…が??【架空の世界…】
“想いを寄せる人”が、今世で縁がなければ『霊界…』ではと思っていましたが『霊界…』
でも、厳しく【類の法則…】なのだと、あらためて、考えされました次第です。…が?今年は
「亡き母」が亡くなってもうすぐ“一年近く”となります。その間に「亡き母かの伝言…」が、
耳元にこだまして、今まで判らなかった“答え…”が、ことごとく“ス〜〜〜っ”と理解出来
るのです。【不思議な気分…】かと。全て〜〜〜「母からのメッセ−ジ」かと??
ちなみに今日の「亡き母のメッセ−ジ」なのですが……【早起きして職場・学校に行く〜♫】
これが、目につきまして、最近?仕事場に行くのが〜〜〜><
そして「今年のおせち料理…」は、まず【喪に服す…】にて出来ません。…が?
「2月の旧暦…」に、作ろうかと思いますが??「雅春先生」のおおらかな“金銭…”にこだ
わらない…【イエスキリスト…パン】を連想しまして、【器…】が、後から大きくなったよう
ですかと、思いますが、私の場合も、後半からの年齢で逞しく【運勢…】をよくするには、まず
【心 の 法 則】しかも【霊界…】でもその様ですので、私がおおきな【心の器…】になれば
もしかしますと【霊界…】にもこだまして、それなりの『類の法則』に、仲間入りで…しょうかと?フト!!!思いました。…が???
再合掌
1838
:
ハマナス
:2012/12/21(金) 23:16:11 ID:x2zmnlqw
「心」は人生航路の船長 (『新版 生活の智慧365章』P.319)
人生はみずからそれの自然の流れに逆らわないで、“そのままの心”で人生の航路を渡る
ならば、そんなに困難な世界でないのである。すべて人生に於て与えられるものは、科学の
世界に属するものも、霊の政界に属するものも、法則を通じて与えられるものなのである。
そして其の法則を発見するのは「心」であり、「心」が法則を発見する方法は、「調心」と
「研究」とである。
「研究」に一心になるとき、心がそれに統一されておのずから「調心」が得られるので
あるが、研究が正しい方向に向かっているかどうかを知るのは「調心」即ち心を整えることに
よってである。ただ遮二無に努力して航海をつづけるだけでは暗礁に乗り上げるかも知れない
のである。「心」は船長であり、正しい方向に行動の舵をとらなければならない。
感謝合掌
1839
:
うのはな
:2012/12/22(土) 02:00:58 ID:eorGcccE
谷口雅春氏に献ぐ(正しき宗教の樹立と促進に関する谷口氏の貢献)
ハーヴィ・S・ハードマン (関口野薔薇 訳)
過ぎし歴史の年月の 代々の聖者は 民の指導と教化の為めに
真理の言葉を口より語り 又は筆もて之を誌した。
(中略)
私は精神科学協会の 創立者または頭領として
北米合衆国内の 門弟及び朋輩と共に
谷口氏の為め 讃嘆の言葉を捧げよう。
『世に希望と平和を齎らさんとて 皎々として輝く星が
東洋のみ空に現われた。 その光を仰見る人こそ 幸福なるかな』と。
斯くは谷口氏を賞讃しつつ 私自身は 私の奉ずる『精神科学』と
谷口氏の『生命の實相』に 全き調和の存在する事を 嬉しく思うものである。
西と東と 所を遠く隔って居ても 真理は一つ
アア、深遠なる哲理よ 神の御声よ
1840
:
うのはな
:2012/12/22(土) 02:22:54 ID:Gsql6f66
わが憂国の戦い
谷口雅春先生は、昭和二十七年四月の講和条約発効を期して、日本再建の論策を次々と
月刊誌を通じて発表して行かれた。そして、その頂点に立つ論文「日本再建の道を拓くもの」
が『生長の家』昭和二十七年八月号に発表された。
《 新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに
見苦しいものであったにせよ。夜がそれを消してくれたのである。(中略)新しい人生を
つくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。
日に日に新しき日本である。戦前よりも数等すぐれたる新しき日本である。
しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。
すでにそれも過去である。過去はないのである。万物は常に新しく生れる。
過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も
結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出しそれに生きよ》
力強い書き出しで始まるこの論文は、つづいて「暴力を捨てる自由」「無我献身の美徳を復活せよ」
「礼拝合掌の精神を復興せよ」「"家”の制度を復活せよ」「忠孝の感情を育成せよ」
「民主主義を再検討せよ」「人口制限は日本を弱体化する」等々、講和発効後の日本のあるべき姿について
いち早く喝破されたのであった。
(後略)
『神ハ愛也』 谷口雅春先生九十年の足跡
1841
:
「訊け」管理人
:2012/12/22(土) 11:26:15 ID:???
二十二日の経言――
消極的暗示を排撃する言葉
吾れはいま吾が生命にどんな欠陥も感じられない。吾れはいま自分の認めたところのもののみ実在であることを知ったのである。吾れは最早禍と生命の弛緩とに本来なき所の力を賦与しない。吾れは悪と不幸とを見ないのである。吾れは悪と不幸とを聞かないのである。吾れは悪と不幸とを語らない。誰も自分に対しては不正と不完全とに就いて話を持ち出すことは出来ないのである。何故なら自分は不正と不完全とを聴かないからである。吾れは消極的なる思想や暗示に感じない。そのようなものは自分を動かすことは出来ないのである。何故なら自分は其れら以上のものであるからだ。
吾れは、あらゆる弱さと小ささとを踏み越えてしまっているのである。いま、吾が心は積極的である。自分は果断と、勇気と、そして神、人間、及び自己に対する信頼の念で満たされている。吾れは吾が為す所のものを権威をもってなすのである。吾れは吾が云うところの言葉を断固たる態度で云うのである。自分は強く、力に充ち、沈着で、平静である。吾が背後には神の無限の生命、無限の愛、無限の智慧がひかえているのである。吾れは強き自信力にみたされて揺るがないのである。吾れは天に於ても地に於ても、一切の権(ちから)を与えられているのである。
吾が御親の神に感謝いたします。
『日々読誦三十章経』より謹写――
1842
:
SAKURA
:2012/12/24(月) 15:36:03 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
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>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
投稿の続きです。…が
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その ③
>>1836
>>1837
>> その①②の投稿の続きです…。
先日高地の一誌友から、戦死せる婚約の青年に殉ずるために戦死の報知を受け取ると同
時にカルモチンを致死量飲んだ令嬢が医者の手当てで蘇生したが、殉死を覚悟せる彼女は、
遺骨到着の日にふたたび自殺すると主張して頑として応じない、そして「わたしは『生命の
実相』の本全一五巻をことごとく読みましたが、その三分の一は運命であり、三分の一は自
己の決定により、その三分の一は霊界の高級の霊魂人の運命の修正により避けうるとある
だけで、自殺は悪いとは「生命の実相」には書いてないから、自殺は悪いとは思えません」
と主張するので、なんとかわたしから自殺を思い止まらす手紙を書いてくれ、という要求
を受け取った。そのわたしからの手紙が到着しない先に遺骨が着いた。彼女は再び遺書の
到着した日に、前回よりも大量の超致死量の薬剤を呑んだ。しかし彼女は死ななかった。
霊界から高級霊の干渉があったのであろう。しかもさらに彼女は第三回の自殺を考え
ていた。そこへわたしからの手紙(家内に代筆させた)が着いた。その手紙によってかろう
じて彼女は慰められ、三回目は自殺は思い止まったのであった。
わたしの記憶のうちには、ある霊界通信に因れば、自殺を超越した神の目からは、自殺
は他殺と同じく殺人であると書いてあって、そのことを『生命の実相』の中に書いておいた
と思って『生命の実相』の索引によって検べてみたが見出すことができなかった。だから、
それに対する返事は記憶によって書いたのだった。あとで気がついてみると、それは今度
出る『人間死んでも死なぬ』の本の中に自殺者の霊魂が霊界へ移行しても自殺の時の行為そ
のままの状態で、たとえば短刀を腹に刺したままの状態で永らく苦悶を継続しているのだ
というような霊界通信の実例が書いてあるのであった。
つづく
1843
:
SAKURA
:2012/12/24(月) 15:38:21 ID:q9UkkTZw
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
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>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
>>1842
投稿の続きです。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その ④
>>1836
>>1837
>>1842
その①②③の投稿の続きです…。
■しかもこの書におさめられている霊界通信の中には、欧州大戦中砲弾の破片に当たって
戦士した兵士の霊魂が、少しも傷つかずに自分の遺骸を眺めながら歩いていたという通信
もある。我執で死ぬのと、国家に捧げて死するのは、死の意義の異なるのがこれで分かる。
こういうことをこの本によって戦死者の遺族に知らせてやりたい。
戦死を悲報だと思うのはまちがいである。このまちがいの中から反戦思想が生まれ、戦
後の国家攪乱運動がはぐくまれる。霊界の消息を知るとき、戦死は実に光栄であり、霊魂
の高揚であるのだ。 (一部抜粋論)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
PS:「トキ様」へ
【自殺…】尊い命を…自ら断つ!!私が“高校時代の友人”はこの「自殺」で……><
振り返りますと、友人は物静かな性格・頭脳優秀の友人でしたでしょうか??
「母子家庭…」で育った友人!しかも、後日知ることとなりましたが“母親の職業”は、
【清掃の仕事…】に携わっており、ついそのそぶりすらも、この友人は、最後まで、私に
見せることなく他界してしまいました。…が?正直、【自殺…】する前迄、私は彼女の自宅に
も行った事がなく、彼女の死後、はじめて“母親の職業”を、知った訳ですが、当時!
高校の学費も、正直言いますと「高い私学…」ですから、きっと、彼女の母親は、
一生懸命彼女の為に働き、苦しいやりくりにもそれなりの【夢…】を、彼女に託していた
モノと思います。
その原因は「年下の男の子に恋?」をして「失恋…」でしょうか?それも、
その「年下の男の子」からの【きつい言葉…一言】にて、投げかけられた“言葉”で…
更に、当時の若い“思春期”ですから、“母親の職業”をひた隠しした当時の【傷つきやすい心】
全てがガラスの破片の様に粉々に…いつしか“彼女の顔”から【笑い…】そのモノが消え去り、
【自殺まで追い込まれた…彼女】…当日は、普断通りに学校に来て、一緒に途中まで帰りま
したが、その後、この事件が起きたのですが〜〜〜?
当時の私はまだ若く、相手の「年下の男の子の自宅」に、文句を云いに行きたくなったくらい
当時、激怒して、しばらくは感情が納まりきれずの状態でしたかと。相手の両親が、一応は、
お詫びに、彼女の家に御焼香に……行った様です。…が?【差別用語…】からの発展劇かと、
最近!理解した次第ですが、きっと友人もある面では【我執…心】で、命を断っています
から、今私は言えるのは『霊の世界…向こう側でも“精神の放浪”なのでしょうか』
今回【宇治別格本山…】に、お位牌を出さなくてはと、改めて思いました。…が?
ブレイクしますが『小泉元総理』は、毎回靖国に参杯されていらっしゃいましたかと…私も
毎年“年の初め…”には【靖国神社へのお参り】には行ったものです。来年は、新年早々の
『講習会…』もありますから、当日、参加しますと、当然ですが、【靖国神社参拝…】を!
■本当に「今日の我が国…日本!」…「日本国の存在」は、この戦死されました方々の
尊い霊魂…の上で成り立っていますモノと…思います。…が?
勿論!あの【明治維新…】でも携わった人々も含めまして、
【我 執 も 無 く し 〜 〜 国 家 安 泰 】という尊い志…にて、
初めて、【私が国…日本!!日いずるところの国…和の国…『日本国が発展』したモノ】と、
断言していいのではないのでしょうか??
心から【この尊き英霊の霊魂…】対して、感謝申し上げます…。
再合掌
1844
:
a hope
:2012/12/26(水) 08:54:03 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆感謝する顔と喜ぶ顔は美しい(p112〜)
感謝するということは、金銭よりも、とうといものを、周囲(まわり)の人々におくるということになるのであります。
合掌(てをあわす)して感謝している姿ほど美しいものはありません。
怒っている顔はみぐるしいし、にこにこしている顔は美しいものです。
よろこびを周囲の人にふりまくことは、ほかのものを周囲の人にふりまくよりも、とうといことです。
喜んでいると血液はきよまります。
そして顔色が生き生きと美しくなり、元気になり、達者になり、人からもかわいがられるようになります。
子供が喜んでいる顔ほど楽しいものはありません。
(つづく)
1845
:
a hope
:2012/12/27(木) 07:41:11 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人のよろこびを喜びなさい(p113〜)
自分に楽しいものがなかったならば、そして他の人が楽しいものを持っているならば、
人が楽しいものを持っていることを喜びなさい。
誰がたのしんでいても、それが喜べるようになったとき、人のよろこびをうらやむ心はなくなるものです。
人の喜びをうらやむ者は常に苦しいものですが、人の喜びを喜ぶものは楽しいばかりであります。
(つづく)
1846
:
通りすがり
:2012/12/27(木) 11:58:46 ID:???
>>1844
a hope様、いつも謹写をありがとうございます。
2012/12/19(水)にて、
「(第九章終り)数日間、聖典の謹写をおやすみします。」と書かれていましたので私もしばらく訪問せず、いま久しぶりにアクセスさせていただきましたが、昨日、第十一章から始まっています。
第十章が見当たりません。私の見落としでしょうか?
1847
:
さくら
:2012/12/28(金) 06:14:23 ID:ens0NEME
合掌。
十二月二十八日は、「日本の實相顯現の神示」の天降った日ですので、謹写させて頂きます。
みなさま、今年も残りわずかですが、
よいお年をお迎えくださいますようお祈りいたします。
拝
1848
:
さくら
:2012/12/28(金) 06:15:14 ID:ens0NEME
『日本の實相顯現の神示』谷口雅春先生
「 敗戰の原因は多々あれども戰爭を始めたから敗けたのである。
是は過去現在未来永劫に變ることなき眞理である。
戰爭を始めねば敗戰もない。
當り前のことが當り前なのである。
眞理と云ふものは簡單で直截明瞭である。
當り前のことがなかなか解らぬ人が多いから此の世界が亂れるのである。
神が戰をさせてゐるのではない、
迷ひと迷ひと打ち合つて自壊するのだと教へてある。
迷ひの軍隊を皇軍だなどと思つたのが間違だつたのである。
この神の教へは『自給他足・他給自足』と教へてあるのに獨逸にならつて經濟自給圏を確立しようと思つたりしたのが既に相對のこころである。
心に相對があらはれ、彼我對立する心は既に戰ひの心、分裂抗争を豫想しての心であるから、戰爭準備の心である。
世界は一圓相であると云ふことを知らねばならぬ。
世界一環互に手と手を繋ぎ合って、しつかりと和する心になつてゐたらば戰爭もなく敗戰もなく、實相無限の圓満調和世界が實現する筈であつたのに、當時の日本人は氣が狭くて島國根性であり、排他的精神で、我慢自慢獨善精神に陥り、それを日本精神だと誤解して、一人よがりに易々加減な氣持になつて、遂に世界を敵として戰ふやうになつたのである。
(つづく)
1849
:
さくら
:2012/12/28(金) 06:16:01 ID:ens0NEME
(つづき)
排他の心は、他と自分とを切り分ける心であるから、
切る心は切られる心と教へてある通りに自分が切られる事になつたのである。
切る心は三日月の心であり、利鎌のやうに氣が細く、
角だつてゐて、空にあらはれてゐる時間も少く、その光も弱く、
直に地平線下に沈んでしまふ心である。
心の通りに日本の國が沈んでしまつても、
それは日本人の心みづからの反映であるから、
徒に失望、落膽、放心してしまつてはならない。
『見よ、われすべてのものを新たにするなり』と教へてある。
現象の三日月は沈んでも實相の圓満玲瓏一圓相の満月は依然として虚空に輝いてゐる。
これと同じく、心狭く尖りたる排他的な軍國主義の似非日本の國は沈んでしまつも、
實相圓満の日章旗のやうにまんまるい日本の國は無くなつてはゐないのである。
有るもの、有りしものは永遠に滅びることなく、
必ずそれは日本人全體の心が圓満になり、實相の波動に日本人全體の心の波動がぴつたりと合ふやうになれば、
現象界にもその不滅圓相のすがたをあらはすのである。
無きものは滅びるほかはない。
軍國日本の如きは本来無き國であるから滅びたのである。
神州日本は不滅であり、永遠に滅びることはない。
滅びたやうに見えてゐるのは實相が蔽ひ隠されてゐるだけである。
實相を蔽ふ心が眼鏡をかけてゐる心である。
すべて此の世の中の事物は象徴であるから、
その象をよく見てゐれば、世界に何が起こりつつあるかを知ることが出来るのである。」
(昭和二十年十二月二十八に日未明神示)
1850
:
a hope
:2012/12/28(金) 07:35:41 ID:E6WSUXC.
>>1846
「通りすがり」さま
はじめまして!
わたしが、「第十章」を飛ばしたことに気づいてくださりうれしいです。
わたしは聖典を謹写しながら、この掲示板をご覧のみなさまの幸せをお祈りさせていただいているのですが、
聖典一冊丸ごとの謹写になってしまうと著作権などを侵害してしまう可能性を御指摘いただいたので、
今回、故意に「第十章」を飛ばさせていただきました。
「第十章」は、『今あなたの失望を捨てましょう』 というタイトルで、
「因果の法則」や「心の法則」がわかりやすく説明されています。
これからも、無理のないように聖典謹写をしていきたいと思いますので、
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
感謝 合掌
1851
:
a hope
:2012/12/28(金) 07:39:42 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆あるまずしい人の喜び
あるところに貴金属商がありました。
そのショーウィンドウには立派なダイヤモンドや黄金(きん)の指輪や、いろいろの宝の玉がかざってありました。
一人のまずしい人がそのショーウィンドーの前に立って、それを見ていました。
しばらくすると、そのまずしい人は、その店へはいって「どうもたくさんのダイヤモンドを見せていただきましてありがとう」と感謝しました。
店の主人はおどろきました。そして、
「あなたは、どうしてそんな事を感謝するのですか。わたしは一個もあなたにダイヤモンドをさしあげていないのに」といいました。
すると貧乏人はいいました。
「わたしは見るだけでたくさんなのです。どんな金持ちでも、ダイヤモンドは見るだけでしょう。そうすると、
私はダイヤモンドを持っている金持ちと同じことです。
ただ、ちがうのは金持ちは、そのダイヤモンドをぬすまれないように心配しなければならぬのですが、私はただ見て楽しむだけで、
ぬすまれないように心配する必要はありません」といいました。
人が持っていても、それをうらやまず喜べたら、金持ちでなくとも、自分はいつでも楽しいのです。
つねに喜んでいる者には、なんとなく喜びの空気みたいなのもが、その人の身体(からだ)から出るものなのです。
その人の身体からでるなんとなき喜びの感じは、人をよろこばせて、その人になんとなくしたしみを感じさせるのであります。
そういう人は、人から人気があって、人をひきつけ、人の頭(かしら)となり、たくさんの崇拝者(うらやむひと)ができて、
えらいものになれるのです。
(つづく)
1852
:
SAKURA
:2012/12/28(金) 12:01:10 ID:MAOC5c.E
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
>>1796
>>1801
>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
>>1842
>>1843
投稿の続きです…。
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃい
ました記憶があります。…が?ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
======「生命の実相 30 巻」からの抜粋 =======================
―――――― あなたが生きるべき時は、まさに「今」である――――――
今の他に生きる時は一つもないのであります。「これは善いことだけれども明日に
しよう」などと考えているような人は、とても成功のおぼつかない人であります。「今」思い
たった時に、素直にこれは神が与え給うたことであるとして、ただちに実行に移りうる人は
心の柔軟性を保っている人であります (谷口雅春著…「生命の実相」より)
==========================================
■そうですョネ〜〜〜!!当に【無限実行…】でしょうか??
先に“言葉”を、発しますと!大変な事に、なる事もあるのです〜〜〜ョネ!!
【有言実行…】がいいと?言いますが〜〜〜??
私の場合は、実に嫌な“思い出”もあります。私の知人関係ならいいのでしょうがと??
この頃では、まず【実行…】する前に“言葉”を発します時は、その時の状態が?果たして、
【生きるか?死ぬか?の問題!!】成功します要因は、思いついた事項は、どんどん取り入れ
る事も…そして、それを実行する事も…大事でしょうかと思います。!!……が?今!私も、
出来る事から、もう一度!!そうなのです〜〜〜ョネ!今日!出来る事から始めて行ってます。
…が?それでも、【人間は想念の世界…】ですので“言葉…”を発する前に【類の法則…】にて、
その仲間になる事が、いいでしょうかと。??
反対に【悪因縁…】を持たれている関係の方からの【想念感情…】は、その人の行動…etcを、
出来ない様にと、相手への“封じ込める想念・感情”があり、従いまして【今!活かす…】
この時は、こちら側は、その人以上の【想念…】を持つ必要性がありますでしょうか??
私は、今回【東京…】に急遽行きまして、以前と変わらずに、のびのび〜〜〜伸びと、話せる
“環境…”に感謝しました。!!やはり【同じ類の法則…】に基ずいて行く“行動”ですと、
どんな事でもやりぬける【意志力…】が、“自然に湧き出でまして、更に、強く!益々と揺るぎ
のないものとなり〜〜〜ますでしょうか??逆に申しますと【反対の環境下…の場合】では、
こちらが【確固たる多大な想念…】を起こす事が必要なります。!!
■【今を活かす事…】とは、ある面では“環境”も自分で“心を切り替える事”ではと???
思いながら、現在の私は 、前に進む!ひたすら進む!この事に焦点を当てている次第です。
再合掌
1853
:
ハマナス
:2012/12/28(金) 13:26:36 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまありがとうございます。
ご無沙汰しております。実家に帰っていますので、すみませんが、しばらくお休みさせて頂きます。
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
感謝合掌
1854
:
通りすがり
:2012/12/28(金) 17:08:16 ID:???
>>1850
a hope様
そうだったのですね、わかりました!
十一章からもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
1855
:
通りすがり
:2012/12/28(金) 17:11:12 ID:???
>>1853
ハマナス様
いつもすばらしい謹写ありがとうございます。
ハマナス様も良いお年をお迎え下さいませ。
来年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
1856
:
トキ
:2012/12/28(金) 21:44:45 ID:QejVymnY
>>1853
ハマナス様、いつも素晴らしいご投稿に感謝申し上げます。
今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
よいお年を御迎え下さい。
合掌 ありがとうございます
1857
:
さくら
:2012/12/29(土) 07:33:44 ID:MAv9sFeE
>>1853
ハマナス様
いつもありがとうございます。
ご実家は、ハーバードのお近くですか?笑。
どうぞ、ご家族みなさまと、よいお年をお迎えくださいますように…。
ありがとうございます。
拝
1858
:
a hope
:2012/12/29(土) 08:33:05 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆人をひきつける力ある人となれ
えらい人は、どことなく人をひきつける力をもっているのです。
人をひきつけて、理屈なしに、人をひきずってゆく力をもっており、そのために、よい友だちや、
よい協力者が出来てきて、その人の仕事はいよいよますます大きくなってゆくのであります。
そういう力はどうしたら出来るかというと、いつも感謝し、よろこんでいる人に出来るのです。
だからみなさん、つねに感謝し、よろこぼうではありませんか。
(つづく)
1859
:
a hope
:2012/12/31(月) 07:15:48 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心に喜べば形に喜びが出てきます
すべてのものは心の中に出てきたものが、形にあらわれてくるのです。
心の中に喜んでいるものは、きっと喜ぶべき、たのしいことが出てくるのです。
よろこべば喜びがあらわれてきますし、悲しめば悲しみが出てくるのです。
それでは、いつでもにこにこして喜ぼうではありませんか。
(つづく)
わたしの愛する「生長の家」のみなさま、大切な方々と喜びにあふれたすばらしい新年をお迎えください!
1860
:
通りすがり
:2012/12/31(月) 07:27:12 ID:???
>>1859
a hope様
合掌 いつもありがとうございます。
良いお年をお迎えくださいませ。
そして来年もよろしくお願いします。
1861
:
トキ
:2012/12/31(月) 22:54:10 ID:FptI/wKI
>>1859
a hope様
すばらしいご投稿をありがとうございます。
こういう地道で真面目な投稿者様によって、この掲示板は支えられていると痛感します。
本当にありがとうございます。
来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。
来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1862
:
トキ
:2012/12/31(月) 23:02:43 ID:FptI/wKI
>>1857
さくら様
ご挨拶、ありがとうございました。いつも、さくら様のご投稿は、熱意と誠意に溢れており、感銘を
受けています。私も学ぶ点が多々あり、さくら様のご投稿を拝見するのが楽しみです。
来年もぜひ、ご投稿を宜しくお願いいたします。
さくら様にとり、来年が実り多き年でありますよう、心からお祈り申しあげます。
合掌 ありがとうございます
トキ
1863
:
a hope
:2013/01/04(金) 09:33:54 ID:E6WSUXC.
トキさま、みなさま あけましておめでとうございます。
わたしは、毎朝、神想観後に聖経「真理の吟唱」を黙読しています。
“神の子”の自覚がさらに深まるような気がします。
すばらしい「生長の家の教え」とこの掲示板のみなさまに出会えたことに心から感謝して、
今年も自分にできることを無理なく頑張っていこうと思います。
みなさま、今年もa hopeをどうぞよろしくお願いいたします。
1864
:
トキ
:2013/01/04(金) 09:40:29 ID:G6NygkMI
>>1863
a hope 様
あけまして おめでとうございます。
昨年は素晴らしい聖典をご紹介下さり、ありがとうございました。
本当に素晴らしい文章で、感激しています。
今年も、無理のない範囲で、この掲示板でお会いできれば嬉しいです。
今年も、a hope 様にとって、幸多い1年でありますよう、お祈り申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1865
:
a hope
:2013/01/04(金) 09:42:52 ID:E6WSUXC.
聖経「真理の吟唱」(日本教文社)より
新しき天地に生まれる祈りp138〜
生まれ変わりの時が来たのである。
われわれ自身がまず生まれ変わることが必要なのである。
自分自身の心が生まれ変わることが必要なのである。
釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、
自分の心が生まれ変わることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、
自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。
われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。
これが現象顕現の法則である。
だから、私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、
決して相手の人々を強化して善ならしめることはできないのである。
“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、
悪は一層ハッキリと現象化いきたって収拾がつかなくなるのである。
だから、私たちは、決して人の“悪”をば、肉眼で見ることがあっても、心では見ないのである。
そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、
キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。
私たちは、自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、
環境も運命もただ“善”のみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。
私たちは、まず心を神に振り向ける。
心を神に振り向けるとき、この世界に神があらわれるのである。
神は善であるから、この世界に神があらわれれば、この世界は善のみの世界となることは当然であるのである。
神は病まないのであるから、心を神にのみ振り向けるとき、自分たちは病むことなき状態に到達し得るのである。
心を神にのみ振り向けるとき神は乏しくないのであるからわれわれも求むるのに乏しいということはあり得なくなるのである。
心を神にのみ振り向けるとき神は老いないのであるから、われわれも老いるということが無くなるのである。
すべての病い、貧乏、老衰等の悪現象は神の造りたまうたものないのであって、
人間の消極的想念の産物であるのであるから、われわれが心を神に振り向けるようにのみ心がけるならば、
すべての悪現象は私たちの世界から姿を消してしまうようになるのである。
それはあたかも光の照るところの世界には闇が存在し得ないようにである。
われわれは遷(うつ)り易(かわ)る現象の善悪に心を捕えられてはならないのである。
遷り易るものは本来実在でないから、先のものが消えては、次のものがあらわれ、あらわれてはまた消えるのである。
われわれがこの遷り易る現象世界に住みながら常住不変のただ善のみの世界を諦観(ていかん)するとき、
このうつり変わる現象世界に「永遠の善の世界」が影をうつして、現象世界に、ただ善のみの世界が展開する。
これが地上に永久平和の天国楽園を建設する唯一の道なのである。
この真理をしらせ給いし神に対して深く篤(あつ)き感謝をささげます。
1866
:
a hope
:2013/01/05(土) 06:11:06 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆心の中の泥棒に気をつけなさい(p116〜)
あなたは家(うち)の中へ泥棒がしのび入って、お金や着物を、うばっていったら、あなたは悲しいでありましょう。
しかしあなたの心の中へ泥棒がはいって、あなたの心の中の「喜び」をうばってゆくのは、
なお悲しいことではありませんか。
あなたの心の中の喜びは、お金や、着物などよりも、もっともっと大切なものです。
お金や着物がどんなにたくさんあっても、なんにもならないではありませんか。
あなたが一つ喜べば、あなたの心の中に一つの「宝物」をふやすことになるのです。
二つ喜べば、二つの「宝物」をふやすことになるのです。
三つ喜べば、三つの宝物をふやすことになるのです。
腹を立てたり、泣いたりすれば、そのたびごとに、この宝物がなくなるのです。
「腹立ち」や「悲しみ」は、あなたの心の中から「喜び」の宝物をうばってゆく泥棒と同じことですから
腹を立てたり、泣いたりしてはなりません。
いつもにこにこ、うれしで感謝しておれば、かならずうれしいことがやってくるのです。
(つづく)
1867
:
うのはな
:2013/01/05(土) 21:50:02 ID:XuKa5ZNI
谷口雅春先生 あなたは既に神から人生を動かす梃子を与えられた
充分しっかりした支点と、その支点を中心にして動かす充分長い梃子とを与えてくれたならば、
わたしは、その梃子によって地球を動かして見せるといった人がある。
これは紀元前三世紀のギリシャの数学者アルキメデスであるが、これは喩えであるが、梃子とは、
“心の力”の喩えであり、その梃子の支点にたとえられているのは“心の法則”であり、〝地球"にたとえられて
いるのは自分の住む人生である。
梃子は既に与えられているのである。つまりあなたには“心の力”が既に与えられているのである。
そしてその“心の力”という梃子を支えている支点となる“心の法則”は宇宙普遍の法則として常にあるのである。
● しかし“心”は単なる梃子ではない
アルキメデスのこの考え方は既に、それはそれとして吾々に自信を与えてくれるものである。
しかしながら生長の家の説く真理は、あなたに尚一層の真理と自身とを与えてくれるにちがいない。
何故なら生長の家の聖経『甘露の法雨』は“心”を定義するのに、単なる人生というものを相手にして
それを動かす力だけではなく、“心”は万物の実質であり、また万物の造り主であり、“心”こそ“全能の神”である
ということを次の如く説いているからである。
神こそ渾ての渾て、
神は渾てにましまして絶対なるが故に、
神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして
神によって造られざるものなし
神が一切のものを造りたまうや・・・(中略)
如何なる道具も材料も用い給わず、
ただ〝心〟をもって造りたまう。
〝心〟はすべての造り主、
〝心〟は宇宙に満つる実質、〝心〟こそ〝全能〟の神にして遍在したまう。
1868
:
うのはな
:2013/01/05(土) 22:00:09 ID:f2bwKGw2
1867 つづき
わたしは、もう一度、生長の家の真理をたしかめるために『甘露の法雨』を披いて見て、
以上に引用したところまで読み進んで、毎日読んでいる聖句でありながら、それが常とは異る
別の光をもって、別の新しき力をもって、私に迫ってくることを感じたのだった。
〝心〟は単なる人生を動かし万物を動かす梃子ではなく、人生の実質、存在の実質であると同時に、
それは創造神であり、全能の神であり、遍在の神であるから、自分自身にも、その〝全能なる神〟が
宿っているのだという新しき大自覚であった。
聖経『甘露の法雨』の受持せられるところ、読誦されるところ色々の奇蹟が出現するのは、その内容が
そのように実に深遠なるものであるからだと気がついたのであった。
『生長乃家』 昭和五十二年四月号 谷口雅春 先生 法語
1869
:
うのはな
:2013/01/05(土) 23:23:31 ID:Lu5TENfc
友達と読み物は明るいものを選べ
じかに阿弥陀仏の懐へパッと飛びこむのがよいのである(『女の教養』)
子供の友達は快活な明るい者を選ぶがよい。暗い陰気な子供とまじわらしていると、
自分の子供も暗い陰気なものになりやすい。したがって健康も害われやすいのである。
快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、その子供が健康になった実例があります。
子供の読物は明るい、父母の愛や、友愛にみちた物語、、道徳的な、努力して楽しむ、困難を物ともせず
成功する立志伝または武勇伝などがよい。陰気な物語、お化けの出てくる物語、正しき者が滅びる物語などはよろしくありません。
子供は絶対に叱ってはならないということはない。過って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときのみは、叱っても悪くはない。
けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。
もしそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思いこんでしまい、善に遷る動機と勇気を見失ってしまう。
子供が過ちを犯したら、「あなたは善い子だのに、こんなことをするはずの子ではないのに、悪いと気がつかなかったのね。
もう悪いと気がついたらけっして悪いことをするあなたではありません」と断言するがよい。
『新しい結婚』 谷口雅春 先生著
1870
:
うのはな
:2013/01/05(土) 23:59:22 ID:vkulhJXI
『生長乃家』昭和五十一年十一月号 谷口雅春 先生 六日の法語
ストレスというもの
精神身体医学の世界的権威であるといわれている、カナダのモントリオール大学の
ハンス・セリエ博士という教授は、総ての病気は心の「ストレス」(stress)
から起ると、こういっているのであります。
「ストレス」というのは、心の沈みとか、歪みとか、あるいは異常痙攣とかいうようなものであります。
この語は本来、材料力学や工学上の用語だったのを、心の歪みに用いるようになったのであります。
例えば此処に屋根があるとします。此の屋根は地球の引力ー言い換えると“重力”で、(書籍の表紙を開いて屋根形に
俯向けて示しながら)こういうふうに重みで歪もうとしているのであります。
けれども、それがやっぱり真直ぐでいるのは、歪もうとする力に反対の、逆の押し返す力が内部に働いているのでありまして、
その両方の力が平均して、この屋根が歪まないで真直になっているのであります。
この相手の押しつける重力に応じてそれに抵抗して内部に起る逆歪みの力がストレスでありまして、昔はこれを“応力”と訳したものであります。
例えば家庭に於いて姑が嫁に圧力をかける、すると、こういうふうに(表紙を歪めて見せながら)圧力をかける、それでもそのお嫁さんは、内心は強く
反撥を感じていますけども、すました顔して、そして真直な平常の顔を現わしている。
けれども、これはそのお嫁さんの心が真直ぐなんじゃなくって、心の内部には、相手の圧迫に対する反対歪みという念が起って怺えている。
この何かの圧迫に応じて起る反対歪みの心を「ストレス」(応力)というわけであります。
1871
:
さくら
:2013/01/06(日) 06:18:00 ID:g0C9V0mg
新年明けましておめでとうございます。(遅ればせながら…)
トキ管理人さま
ご縁のあるみなさま
今年もさらなる飛躍の素晴らしい一年になりますことを、こころより祈念いたします。
P.S.トキさま
年末には、温かいご挨拶を賜りまして、ありがとうございます。
今年もますますのご活躍をお祈り申し上げます。
本日は、『大和の國の神示』が天降った日です。
拝
1872
:
さくら
:2013/01/06(日) 06:18:35 ID:g0C9V0mg
『大和の國の神示』 谷口雅春先生
われ再び大日本天津日嗣天皇と云ふ意味について語らん。
天孫降臨と云ふことは天の父のみこころが天降つて、天の下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらはれると云ふ意味の象徴的表現である。
日本民族が世界を治めるのでなく、
『天孫』すなはち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。
これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。
それが真の大日本世界國である。
大日本世界國と云ふことを狭い意味に解して、日本民族の國だなどと考へるから誤解を生ずるのである。
そんなものは、小日本であり、本當の大日本國ではない。
天の下ことごとくが『天のみこころ』で満ちひろがる世界が来ることを「全世界五大洲の國土を『天孫(てんのみこころ)』に御奉還申すべき時期が來る」と教へたのである。
天孫とは肉體のことではない。
「肉體は無い」と云ふことをあれほど教へてあるのに、やはり肉體のことだと思つて執着が強いから大それた間違をして取返しがつかぬことになるのである。
神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると云ふことはない。
あまり自惚れるから間違ふのである。
大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。
理念の表現である。
「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまへる」、「スメラミコト」すなはち「天降りましたる帝王」と云ふ意味であるから、
総じて譯せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまへる天降りましたる帝王」と云ふことである。
天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本當の大和の國である。
それが本當の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給世界である。
肉體のことではない。
(昭和二十一年一月六日朝の啓示による)
1873
:
「靖国見真会」参加者
:2013/01/06(日) 10:24:39 ID:D6Ow5sls
「さくら」さんへ
一月六日に因み、「大和の國の神示」を引いていただき感謝申し上げます。
蛇足とは思いましたが、この「神示」を考察するにおいて、谷口雅春先生がどうお書きになっていられるかということも大事だと思い、ここに記されていただく次第です。
これは、「光明掲示板」において(3976)で書かせていただいたものの一部です。
〉谷口雅宣先生は、「神示」を解釈するに当たっては、それが生まれた時代背景を見逃してはならないと、常に口をすっぱくして指導してきました。
そうであれば、当然「大和の国の神示」ついても、それが生まれた時代背景を抜きにしてはいけない筈です。
ところが、谷口雅宣先生はこの観点を見事にスポイルしてしまっているのです。
この「大和の国の神示」をどう解釈するか、それについては、次の観点が要注意だと谷口雅春先生は次のように仰っています。
『大和の国日本』より引用させていただきます。(33頁)
…さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統一するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。
如何でありましょうか。
これが、谷口雅春先生の御心なのです。
最後の「信ずるものであります」
この谷口雅春先生のお言葉が、如実に示されたのが、先に私が引用した『限りなく日本を愛す』のこの箇所なのだと私は理解しています。
…「併し、時期が来ます。キリスト再臨の時が!天皇の實相が天降りたまひて、人の王であるところの天皇が、王の王であるところの實相をあらはし給ふ時が!!
谷口雅春先生のこの“真意”からすれば、谷口雅宣先生の今回の解釈は、極めて“恣意”に過ぎると言わざるを得ません。
谷口雅春先生の御心に反して、意図的に自分の主義主張に合うように、都合のいいように「神示」解釈を施している、そんな気がしてならないのです。
谷口雅春先生の“真意”に添うべく尽力するのが、少なくとも、法燈を継承したものの責務ではないでしょうか。〈
1874
:
うのはな
:2013/01/06(日) 14:24:11 ID:pdwtTUcA
合掌の中にすべてがある
最大多数の最大幸福が叫ばれています。他のための幸福を先にしたならば必ず
私益もそれに伴って流れ入って来るのでありますが、それを予想して働くのでは、
それはまだ捧げているとは言えないのであります。
唯無我奉公の心になって御心を本当に行じているところに、其処に必要なものが
おのづから与えられるのであります。日本人は『無我奉公』などと云う言葉をよく使い
ますが、奉公とは、社会的道徳を守り、社会の公けに奉ずることですが、日本人の社会道徳は
今まで随分ひどかったのであります。
これが現れて戦争中でも現地の器物や人間までも大切にしなかった。これはすべての物と人との
本質が『神』であると云うことを知らず、拝む心、合掌の心を知らなかった結果であります。
すべての物の本質を神として拝む心の中にこそ民主主義があるのであります。
『愛と光との生活』 谷口雅春 先生著 ※ 投稿者現代字に変更謹写 拝。
1875
:
SAKURA
:2013/01/06(日) 15:46:43 ID:tDwE4uGo
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
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>>1852
>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
======「生命の実相 37巻」からの抜粋 =======================
われわを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。さし
昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。生命は暗黒の中にも光を見る。暗室に
置かれた豆もやしは、外から洩れるわずかな光を求めて、光の方へ光の方へと向いて行く。そ
して光のない間は細く長くかよわく貧弱に伸びてゆくにすぎないが、ひとたび光を得たときに
は太くしっかりと逞しく勢いよく生長する。生命には光が必要なのである。光が全然ないとき
には、伸びかかった豆もやしも数日枯れてしまう。再び言う、生命には光が必要なのである。
新しい年には新しい心が生まれる。元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時
である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しうるが、わ
れわれには新しい決意を実行するのには元旦がよい。元旦からまず始めよう。それは明るい心
を持つということである。一度にあれこれもと考えて、それが実行できなかったら、新しい決
意も最初に一日から崩れてしまう。ただ今日いちにち明るい心を持つことにしたい。
ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。
明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬ
ということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲
しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」としることである。
去年の暮はもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。
木枯に散る葉があるからこそ、春には美しい若葉の美が讃えられるのである。
つづく
1876
:
SAKURA
:2013/01/06(日) 15:48:58 ID:tDwE4uGo
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
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>>1836
>>1837
>>1842
>>1843
>>1852
>>1875
>>投稿の続きです…。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その②
>>1875
>>その①の投稿の続きです
明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬ
ということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲
しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」としることである。
去年の暮はもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。
木枯に散る葉があるからこそ、春には美しい若葉の美が讃えられるのである。
天地一新。悪しきことは未だかってひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。
それはすべて一新しゆく姿である。 (谷口雅春著)
===========================================
PS:「トキ様」 へ
今年は【正月…早々の風邪】で、寝込み落ち込んでいましたら、今日の「雅春先生」の……
【元旦の言葉】が目にとまり、“パワ−・アップ”頂きましたでしょうかと【元気パワ−】!!
まだ、熱がありますが、それでも「意志・気力…」で、今!投稿させて頂いておりますモノ?
逆に申しますと…【年の初めに病気しました事は、きっと一年間は病気知らず!起動再開始!】
でしょうかと思いました次第です。…が?近くの病院で“薬の処方”をして頂き、いつもですと
その“薬…”を、TYOの先生に連絡して、アドバイスを頂くのですが??いつもの感じで…
TELしますと、先生は【国外脱出?旅行先が“タイ”】ということです。
ア〜〜〜〜〜ッ!!先生も東南アジアにと?これまた?また?落ち込みましたが、あそこには
【アンコ−ル・ワット】があります。…が?年早々〜〜〜“腰”にでも?身体の支障が、おき
なければいいのですが〜〜〜個人的に、ついつい思いながら、今回の私は「東南アジアの風邪?」を、空気感染にてうつされましので、【ネガティブ思想の芽生え…】を、360度転換しまして?
思いかえしましての【ポジティブ思想…】にて、【前以上に良くなるほかにな〜〜〜イ!】と、
【年の初めに際し、生活更新…】にて、一新し息を吹き返しましたかしら〜〜〜ン!
■サ〜〜〜ァ!今日もまた“一年間”私は、前以上に進む!〜〜〜進む!これが、私の中の
【心の光明面…ポジティブ思想に向かって邁進!】です。走って〜走って〜行こうと思います。
今日は、まだ熱もあります。…が?愛犬“ワン君”が、ちゃめっけたっぷりで“運動不足”
との意志表示ですので、出来る限り、後で【散歩…ウオ−キングする予定】で〜〜〜す。
■すべて“光”ある所に、すくすく伸びて行くのです〜〜〜ョネ!
今!私の“心…”も、太陽からの輝く光にサン〜サン〜照らされています。きっと!きっと!
あの【ゴ−ル…に向かい】夢中に、突き進んでいく内に、この“熱…”は、何処かに吹き飛ば
されて行く事でしょうかと。すべては【正しいモノのみが、最後に残るのです〜〜〜ョネ!!】
■■当に!完治の後は【一新して、生まれ変わる姿でしょう。…すべて一新しゆく姿…】
「トキ様」は、どう思われますでしょう〜〜〜か??
再合掌
1877
:
NANCY
:2013/01/06(日) 16:17:28 ID:tDwE4uGo
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>の投稿の続きです
■遅くなりましたが……
本年も、皆様方に取りまして、幸多き素晴らしい年になります事を、心よりお祈り申し上げます。
何卒、宜しくお願い申し上げます…。
===【谷口 清澄 先生著】==============================
■■何事が起こって来ようとも、それは常に絶好の機会である
もしあなたにとって苦しく困難な事が起こり「とても私には務まらない」と思ったら、その
時こそ飛躍のチャンスである。人は自分がやすやすと乗りこえられるハ−ドルを越えても、
何一つ進歩しない。
けれども、自分には出来そうもない事をやりとげた時は、大いに飛躍するのだ。
============================================
■今日の頂きました“言葉…”そうなのです〜〜〜ョネ!実は、私はお客様に“販売”すると
いう職種は、当に【晴天の霹靂…】でした。しかも長時間“立つ…”この事も、含めまして?
当時は?心に不安感?恐怖心?が充満していたモノです…。併しながら?不思議なモノです。
人間【土壇場…】と申しますか?いざ!
「心に自分の強い決意…」を秘め、トライ!しかも【目標数字…】認識しての販売は……
今でも忘れませんが【当に…不可能を可能…無限力が出ますモノ】
今回当時の事を思い出しながら【今!今!出来そうにもな〜〜〜ィ!その心を…今一度…
この大きな【 ハ−ドル=壁 】に向かいトライする!!この勇気を、過去の忘れ去った経験を
踏まえまして…【今日の言葉】から…再挑戦です…。
再合掌
1878
:
a hope
:2013/01/07(月) 07:19:28 ID:E6WSUXC.
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆似たものがあつまってくる(p117〜)
世の中のものは、なんでも類をもってあつまってくるものであります。
すべて似たものがあつまってくるのであります。
だから「泣きっ面に蜂」というとおり、泣いて悲しんでおれば、
泣かなければならぬ悲しいことがいくらでもやってきます。
朝に一ぺん悲しい思いをおこしますと、その日、一日じゅう、
なんだか悲しい事ばかり出てきて、なんでもつまらなくなってくるのです。
朝おきると、にこにこして、「お父さん、お母さん、おはようございます。ありがとうございます」
ということが出来て、うれしくなれば、その日一日じゅううれしいことが出てくるでしょう。
だから朝に嬉しい気持を持つことは一日じゅう、うれしい感じをつづけるのに便利です。
もし悲しいことがあっても泣かぬことです。
「私は神の子なんだもの、なにも悲しいことはない。私はうれしいのだ」と一生懸命おもうようになさい。
きっとうれしくなってきます。
(つづく)
1879
:
SAKURA
:2013/01/07(月) 18:45:18 ID:SbalnCM2
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
>>1796
>>1801
>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
>>1842
>>1843
>>1852
>>1875
>>1876
>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
======「生命の実相 37巻」からの抜粋 ====================
すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。「今」は常に生きている。「今」の中
にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。過去
にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地一新したの
である。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き暴されたことを嘆かない
で、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間で
ある。
喜ぶべきことしかないのが人生である。 (谷口雅春著)
==========================================
■現在の状態!置かれた環境を、ながめても、まず【過去の私…】に、振り返るのではなく
今!現在起きた事は、必ず“修復できる…”といった感じが、幾分“心の何処に?”芽生え
始めて来ました。…が?帰郷してからの、四年間…実に私の潜在意識には『時間の無駄…』を、
考えて行くより【今…】を生かすことに、集中!でしょうかと。? 【全力投球…】
そこから、まず!進む事になりそうです。クヨクヨする前に、まず“心を前向き…”に、
振り向くだけでも、前!前!に進む“原動力”になりますし、今からは、まず“進む事”が
それが【三歩進んで二歩下がる…つまり確実に一歩…前進】この事が【本年度の課題】です。
■【病気で倒れた事】は、今は静養中ですが?前以上に前に進める事を、信じて行く事も…
【心の法則…】ではと、要約!思えますこの頃になりましたかと。まず!今年は、
【爽やかに…感謝】でしょうか???今日も前に進む!爽やかななるSTARTで…!
気持ちは、次第にハイテンション!!『頑張ろう〜〜〜と!』…風邪の症状は、少しずつ良く
なってきています。…が?逆に言いますと、これだけ倒れた事で、きっと「免疫力がつき…」
今年は、これ以上おおきな「病気ナシ〜♫」です。そして、
改めまして…いろんな方との出会い…支え…があり、私が生かされている事に対しまして
■■【報恩の感謝】今年は〜〜〜走り続けましょうかと…。
再合掌
1880
:
NANCY
:2013/01/07(月) 19:12:29 ID:SbalnCM2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>1877
>>の投稿の続きです。
===【 谷口 雅春 先生 著 】===========================
■■吾々の中に、すでに一切のよきものがある。
自信をお持ちなさい。あなたは神の子なんですから。あなたの実相は、現象的に表面に
あらわれている相よりも余程立派な優れた状態なのである。あなたは完全であり、
万徳を兼備しており、神通自在なのである。
劣等感に陥って、自分で自分を限ってはなりません。 『新版 栄える生活365章』より
============================================
■やはり“心の持ち方…”次第でしょうか??
気持ちが“明るく持てる事”は、その時の精神状態は、やはり『自信…』が、大なり小なり?
ある面では、持っていますかと。
今!『大学受験…シ−ズン』になりましたが?やはり『自信…』がなく受験しますと…
【結果も〜〜〜><】それなりの事しか?出て来ませんモノ。勿論【努力…】は必要ですが…!
そうです〜〜〜ョネ!『ネガティブな感情…不安・恐怖…etc』 は、その通りの事しかと?
今の私は当時を振り返りますと…【自分自身の力を限定…自己限定の結果】が、その通りに、
現実となって表れたモノと【確信…】出来ますでしょう。
【揺るぎのない強い意志・信念…にてのチャレンジ…】は、それなりの【結果…】が、
出て来ますモノと、今は断言できますでしょうか?そして、『親の信じる心…』この事も、
【想念感情…】として相手(子供達)にも伝わりましょうかと。
そうなのです〜〜〜ョネ!これは【最大の援軍…両親の信じる“信力”…】でしょうと!!!
再合掌
1881
:
うのはな
:2013/01/08(火) 00:08:40 ID:hdrUUxBw
生長の家入門講義(八) 谷口雅春 先生
第六十九章 本当の〝富〟とは如何なるものであるか
最後に経済問題の話をしたいと思うのであります。大抵の人は〝富〟というのは紙幣が
沢山あることだと考えたり、あるいは土地や建物や物質が沢山あるのが〝富〟だと考えたりするのであります。
然しそれは本当の〝富〟では無いのであって、〝富〟の物質的幻影であります。
本当の富というものは神様のお拵えになった実相世界、本当の世界、神の国にあるところの人間を幸福にするアイディアそのものが
〝富〟であります。神様は無限の〝智慧〟であり、〝愛〟であり、〝富〟の源泉であられますから、神の子たる人間が幸福に、豊かに、
健康に生活するために必要なあらゆるアイディアを持っておられるのであります。
神様の、その人間を幸福にするアイディアの放送を、我々が受信機となって、それを受取ってそれをテレビの様に人生の画面に姿を
現わせば現実の〝富〟になって出て来るのであります。
ある人が〝富〟を得ようと思って神様に祈りました。そしてこう言いました。
「神様私に百万ドルを与え給え」と、一心に祈りました。その人は紙幣が沢山有るのを〝富〟だと考えていたのであって、
紙幣さえ沢山有れば何でも出来ると考えておりました。その人は神様にどうぞ私に百万ドル与え給えと一心に祈りましたから、神様はその祈りを
聞き給うて、〝天の使〟を多勢集めて言われました。神様はこう言われたのです。
『皆さん、私は聖書の中で「求めよ、さらば与えられん」と約束しました。
ところが彼は私に百万ドルを与え給えと祈っているのであるから、それを与えなかったら私は嘘をついたことになるから、それで是非とも
お前達は此の神の世界を探し廻って、紙幣を百万ドル集めて彼にやってくれ』
神の天使ーエンゼル達は、羽を拡げて神様の命令に従って、神の国中百万ドルの紙幣を探し廻って歩きました。
やがて天の使達は神様の前にやって来まして、『神様まことに申訳ございませんけれども、神様の御命令で此の実相の国じゅう探し廻って百万ドル紙幣を
集めようと努力いたしましたけれども、百万ドルどころか壱ドルの紙幣も見当たらないのであります。どういう訳かといろいろ考えて見ましたのですが、
実相世界には貨幣制度が無いのでございまして、紙幣を一枚も印刷したことがないので、いくら探しても見つからない訳がわかりましてございます』と言いました。
つづく
1882
:
うのはな
:2013/01/08(火) 00:30:57 ID:bnNIA3Jo
第七十章 神の国の〝善きアイディア〟を得る祈り
これは寓話でありますが、物質の富ばかり追いかけ廻している人達は、
此の愚かなる百万ドルの紙幣のみを求めている人と同じであります。物質の
富というものはそれは恰度太陽から来るところの光と熱みたいなものでありまして、
我々はそれを光と感じ、熱と感ずるのでありますけれども、太陽の世界へ行ったらあれは
水素の原子核融合によりまして、ヘリウムに原子転換するときの、その放射線が送られているの
でありまして、その目に見えない放射線が地球の人間界に入って来ると、それが光と熱とに感じられるのであります。
それと同じように神様の世界にある人間を幸福にする善きアイディアが、肉眼に見えないけれどもそれが人間界に
入って来た時に、それが人間を幸福にする色々の〝富〟の形と変わって来るのであります。
それゆえに皆さんが、富を得ようと思うならば、〝我に百万ドルの紙幣を与え給え〟と祈るよりも、次の如く祈るといいのであります。
その祈りの言葉は次の如くであります。
「私の天分にかないまする出来るだけ多くの人を幸福にする善きアイディアを与え給え。善き智慧を与え給え。そしてそのアイディアを実現
する力を与え給え」
このように念じてから、多勢の人を幸福にする善きアイディアが光明燦然と輝きながら自分に天降って来る有様を、心の目でじいっと見つめて、
暫くそれに精神を統一してそれを既に受けたと思って「有難うございます」と感謝の語を念ずるといいのであります。
実例をもって話したいと思います。今から約八年前、生長の家本部へ訪れて来た人があります。
その人はリコーというカメラ会社の社長であります。名前は市村清といいます。
市村清さんは私に面会を求めて「先生にもっと早くお礼に上らなければならなかったけれども、然しあまり事業が忙しいのでお礼に参上することが
遅れまして申訳ありません。本日、更めてお礼に上りました」と言われました。
つづく
1883
:
a hope
:2013/01/08(火) 07:11:19 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆明るい心には暗いものははいらぬ(p118)
たびたび云うようですが、吾々は心に明るい希望をもつようにしなければなりません。
なんでもよくなることばかりを考えるのです。
よくなることばかりを考えていれば、よいことばかり出てくるのです。
明るいことばかりを考えていたならば、わるいことは考えられなくなります。
人間の心は明るいこと、暗いことを一しょに考えることは出来ないのです。
つねに心に明るい希望をいだいておれば、暗いことや、陰気なことや、
悪いことは考えられませんから、自然によいことばかりが出て来るようになるのであります。
(つづく)
1884
:
うのはな
:2013/01/08(火) 12:49:08 ID:HwTu0TYs
>>1882
続
市村さんは続いて言われました。
「今から三十年程前に、わたしは肺結核に罹って入院しておったんでありますが、その時は
結核の特効薬は未だ発明されていないので、もう結核に罹ったら死ぬ、もう特定の療法が無い。
空気療法、安静療法、医者の薬も気安めになるくらいで、段々悪くなって死に近づいておりました。
「ところが一人の友達が『生命の實相』という本を持って来て、君、これを読め、〝人間は神の子・病気は無い〟
という哲学が書いてある。病気本来無いという哲学が分ったら、そんな病気はけし飛んでしまう。
だから是非読めといって本を置いて行きました。それを読むに従って、人本来無病という哲学を知って、そして速やかに
病気が癒って私は退院して、今に到るまで三十年間一度も病気に罹ったことはありません。
ところがその『生命の實相』には、経済問題の事も書いてありました。
そして〝富〟を得るために如何に祈るかということが書いてありました。
それで私は毎日寝しなに神想観をして、祈ることを始めたのであります。
『生命の實相』に書いてある通り、こう言って祈りました。
〝私の天分にかないます出来るだけ多勢の人を幸福にする善きアイディアを与え給え。
そしてそれを実現する力を与え給え〟と祈りました」
つづく
1885
:
うのはな
:2013/01/08(火) 16:00:23 ID:Hn6nsTC2
>>1884 続
第七十一章 祈りが叶えられるためにまず大切なことは
皆さん、これは、〝典型的な祈り〟であります。誰でも天分にかなうものを祈らなければ
いけないのであります。バラの木がバラの美しき花を咲かしめ給えと祈るんだったら、その祈りをかなえられる
わけであります。然しそのバラの木が、杉の木が亭々と高く延びているのを見て羨ましがって「私はバラの木でこんなに
背が低いのでございます。あの杉の木のように亭々と高く伸ばして下さい」と祈っても、それは叶えられないのであります。
もし、此の谷口がプロレスの選手になって、「どんなに強いプロレスの相手にでも打ち勝つような、筋肉隆々とした体格にならせて
下さい」と祈っても、それは叶えられないのであります。然しもし私が、「神よ、私の天分にかないますところの、人類の魂を救済する善き智慧を
与え給え、その真理を人類に普及する手段を与え給え」と祈ったら、そういう智慧と手段とは与えられるのであります。
そして、それは多くの人類を幸福にする智慧でありますから、その智慧が天降って来てそれを普及したら、自から富にもなるのであります。
併し、今は自分のことは言わないで、市村清さんの体験の話のつづきを言います。
つづく
1886
:
志恩
:2013/01/08(火) 16:53:31 ID:.QY5jUA6
〜生長の家の「今の教え」の考え方は、「鶏肉」は「肉」ではない
という認識です。〜
生長の家青年会の、公式のホームページに、
「クリスマス・イヴをノーミートで過ごしませんか?」
というスロ-ガンが掲載されてます。
【生長の家青年会では、12月24日を
「ノーミート・デー」と定めました。その間、肉食の弊害に関する情報や、
肉を使わない「ノーミート料理」をネットで紹介するなど、
肉食の習慣を改善するためのキャンペーンを展開します。】と載せているのです。
普通でしたら、どのご家庭でも
クリスマス・イヴの食事の主役は、なにを食卓にだすでしょう?
ずっと昔から、海外では「七面鳥の丸焼き」ですが、
日本では、主役は通常「ニワトリの丸焼き」(ローストチキン)と、決まっています。
しかし、生長の家は「ノーミート運動」をやっているので
その,習慣をやめましょう。肉を食べないクリスマス・イヴを,実践しましょう。
と、公式のホームページで,青年会 全信徒に、呼びかけているのです。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/yyaa/no-meat/nm-111224-event.html
この写真には「牛」「豚」だけでなく、「ニワトリ」も「肉のなかま」として、写っています。
つまり、生長の家の信徒の多くは,鶏肉も、「肉」として認識していることになります。
純子先生のブログ”恵味な日々”の12月24日の
表向きの写真には、
純子先生が「お料理に腕を振るいました」というコメントを述べられ、
テーブルに並べられた表の写真には、主役である筈の【ローストチキン】はありません。
【ノーミート料理の部分だけ】を写した写真を載せているのです。
これを閲覧された信徒たちは、
「さすが、ノーミートを推進されている純子先生でいらっしゃるわ。
ノーミート料理だけで、12月24日の誕生パーティをされたんだ」と、
勘違いして思うでしょう。
しかし、番記者様が,光明掲示板に、載せてくださった 裏写真 のほうには、
大きめの「ローストチキン レッグ」が、同じテーブル上の皿に、堂々と写っている。
テーブルの奥の方にも、いくつか写っている…
それで、な〜んだ、ということになりまして、
お二人の相変わらずの、隠蔽体質というか、言行不一致という点を、
光明掲示板のほうで皆様で、論議していたわけなのです。
鶏肉は肉ではないと,ご主張されるなら、主役であるローストチキンを
表の写真として、堂々と載せないのはなぜでしょう。
そして、先にも書きましたが
生長の家の公式の青年会のホームページに
「肉(ローストチキン)を食べないクリスマス イヴを実践しましょう」
などと、信徒に呼びかけたのは、なぜでしょう。
このような行為は、信徒からみたら、雅宣総裁先生ご夫妻に対して
いよいよ不信感を抱く恐れのある行為のように思います。
世間一般常識である「ノーミート」とは、いうまでもなく
「牛、豚、鶏肉」を食べない事をいいます。
今回判明したことによりますと、
雅宣総裁先生ご夫妻は、「鶏肉」については、「肉ではない」という
お考えだということが分りました。
純子先生の出版された肝腎のノーミートの本にも鶏肉は、肉ではない
ということも、ひとことも触れられていないのですが。
ですから、知らなくて,ノーミーとを実践せねばと真面目に捉えて
鶏肉も 食べない信徒の方々も、多くいらっしゃると思います。
そういうわけで、皆様、
今の生長の家の教えの考え方は、鶏肉は 肉 ではない、という考え方だそうですから
今後は,心置きなく 鶏肉 を 召し上がって下さいませ。
1887
:
志恩
:2013/01/08(火) 17:02:26 ID:.QY5jUA6
トキ様
間違えて、聖典版に書き込みました。
すみませんが、
1886と、ここの削除を お願いします。
1888
:
SAKURA
:2013/01/08(火) 17:30:31 ID:s5HxQYFA
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
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>>1875
>>1876
>>1879
>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その①
======「生命の実相 37巻」からの抜粋 ====================
人生の唯一の目的は神の国をこの世の実現するということである。神の国は天人常に
充満し、絶えず天鼓の響妙に、摩訶曼陀羅華の花降る世界である。
天鼓とは天の鼓ではない。人間の人を賞め讃える声である。曼陀羅華とはインドにある
華ではない。華の笑むように和やかな微笑、深切な言葉、思いやりのある行ないが天上か
ら降る曼陀羅華である。
これら天鼓と曼陀羅華とで飾られた妙なる世界の姿が天国である。天国とは別の世界の
ことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。 (谷口雅春著)
==========================================
■天国とは別の世界のことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。
確かに、そう思います。今回の私は“東南アジアの風邪?”にかかり、医者から“皇室の方々”
もひかれた同様な症状なのです〜〜ョネ!この様に、病院に行って診察を受けまして、担当
医師の言葉を、聞きまして“ビックリ・マ−ク”でした。…が?実に、私なりに、
…風邪に至りました“経過報告”を、事こまやかに伝えましての【診断結果…】でした。…が?
【 初めて東南アジアの風邪? 】肺炎にまでは至らずこの事だけでも幸いで…空気感染です
から、今から急増の兆しのインフルエンザ対策も含めまして【煙草を吸われる方よりその周辺部
の人に影響…】とよく耳にしますが…益々と用心なのです…。
【煙草を吸われていらっしゃいますと、どうしても慢性的な気管支の炎症を起こしやすくなり、
空気の通りが悪くなるためしつこい「せき」の原因ともなり、更に2次感染として、第三者に、
空気感染にて細菌・ウイルスが侵入する事になりますので…今の【日本人の体力?】に、どの
ように感染しますかは、問題です。更に、“おかしな菌??”が、入ってきていますから、尚の
事【精神力は、前以上に強靭なる戦い!!】の必要性でしょうかと。??
つづく
1889
:
SAKURA
:2013/01/08(火) 17:32:11 ID:s5HxQYFA
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
>>1796
>>1801
>>1804
>>1812
>>1813
>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
>>1842
>>1843
>>1852
>>1875
>>1876
>>1879
>>1888
>>投稿の続きです…。
■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 その②
>>1888
>> その① 投稿の続きです…。
■何故!どうして!【 国 際 運 動 】という言葉自身…もう一度考える必要性を感じ
ます次第です。…が?さて、今の状態が「現象…」なのでしょうか?私は、その状態を、
体験しまして、今回はこれを活かす事が【実相世界に入っていく】このような気持ちになり
今の私は、まだ、自分自身で“料理が出来る体力”に、まず【感謝…】し、口にご飯を通す
事も出来ます事に【感謝…感謝…していく内に、此処天国が見えてくるのでは〜〜〜?】と。
では【天国…は何処?】自分の“心の力量”にも見えるものですから、【地獄も天国も紙一重…】
なのでは〜〜〜と思いますモノ。そのように考えて行きますと、今の於かれた私は、きっと
潜在意識の中に、無意識な何かにしばられた“心…”が、何処かにあり、これが形としての
今回の【病気としての風邪…】になったのでしょうかと。きっと【私の心の影…】と思います。
今の私は、まず【現象人間の戦い…吸血鬼・ゾンビ達とのかかわりを一切もたない事!】で
しょうか〜〜〜>< 今だに、こちらが捕まえる心があるのでは?と思いながら、まだ!
まだ!【自分の“心…”での天国の量り…】を、見比べている処でしょうか???
■今回の私は、前以上に【心 の 法 則】の勉強中です。“言葉は神”ですので、
【天国は、まじかに、私の心にある!!広き門を広げる心…まるで天の岩戸をあける心】
この様な心境の私でしょうか〜〜〜???
再合掌
PS: トキ様 へ
【天国とは別の世界のことではない。われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。】この
言葉…いかように思われますのでしょうか??当に此処【地上天国とするために…真理】を、
人々の心の中に“種”をまいていく事が「生長の家」の信者としての使命かと??
今日も、【ネット・ニュ−ス】にて、若者が【自殺…尊い命を…】本当に“悲しい出来事”です。
http://mainichi.jp/feature/news/20130108dde041040007000c.html
■自殺:体罰受けた高2、自宅で バスケ部主将「顧問から」と手紙−−大阪
1890
:
NANCY
:2013/01/08(火) 17:59:59 ID:s5HxQYFA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>1877
>>の投稿の続きです。
===【谷口 清超 先生著】=============================
■ 困難と見えるものは、成功への足がかりである
「困難」と見えるものは、成功への足がかりなのだ。人間は、如何なる困難にもへこたれず
それを逆に活用し、そこから又と得難い教訓を学びとって、初めて立派な人間となることが
できる。
困難にうちひしがれることなく、決然として立ち上がろう。そして、生き生きと積極的に
生き抜いていこう。 『真実を求めて』より
============================================
■【困難…】この言葉は、だれしもが必ず一度は“脳裏”に浮かぶ言葉でしょうかと。つまり、
この時の、自分の“心…”は、すでに自分自身の“力…無限力”を、否定し、精神的には
「マイナス要因…ダメ!ダメ!」という気持ちにて、既にそこからが『負け組?』でしょうか?
【生長の家…無限力】この信念・意志力ですと、自ずからそれなりの“行動…”となりましょう。
私もこの“意志力…気薄”の時は、まず!【言葉の力…魔術】にて、自己暗示を入れます…。
【出来る!間に合う!…】何度も〜何度も〜脳裏にinput!!で〜〜〜す。
そうしますと…「心の持ち方…気持ちの上での変化」が生まれまして、次第に「プラス要因」の
心の方へと、方向転換です。こうなりますと“やった〜〜!次は”行動…“へと繋がりますモノ。
「清超先生の言葉」どおり、積極的思考にて、与えられた【人生…】を、前向きに進んでいく
この思いを、常に心に持ちたいと思います。…が?
再合掌
1891
:
goro
:2013/01/08(火) 18:23:19 ID:nCo1DokU
皇室と国民 元侍従次長 木下道雄著
昭和44年10月 財団法人 皇居外苑保存教会発行
目次
1.まえがき
2.陛下と皇室財産
3.荒天下の分列式
4.鹿児島湾上の聖なる夜景
5.天皇とその御責任
6.皇居勤労奉仕発端の物語
7.敬重すべき二つのやまとことば「しらす」と「うしはく」
8.国民に対する陛下の御期待
9.あとがき
1.まえがき
我々日本人には、民族としての長い間の君民同和の歴史があり且つこれに伴う信仰がある。
終戦時、占領軍と共に国内に持ち込まれた「自由」と「民主主義」とに関する半知半解の鵜呑みの模倣は三十余年後の今日、果たして国内各地に意外な程の無秩序な混乱をかもしつつある。
元来、我々は海外のよきものを採り入れて之を活用することに特に優れた才能を持った国民である。儒教も採り入れた。仏教もとりいれた。これらは、ともに、国民の共同生活の上で、且つまた、一家、一族、一国の秩序、組織を固める上で非常に役に立った。
この経験を生かし、「自由」も「民主主義」も単なる模倣をやめ、われわれの叡智と信仰を以って、これをよりよきものに向上させ、以て世界平和の中核たらしめようではないか。
この国民運動を起こすに先だち、まず承りたいのは、陛下の御心境である。
(註)
「自由」も「民主主義」も口先だけでは何もならぬ。「教とまごころと信仰」とを以て必ずこれを包
をことを忘れてはならない。これを怠れば、世の中はたちまち混乱し、悪党横行の天下となる
こと必定。民主主義の元祖の如くいわれるリンカーン大統領も米合衆国の南北戦争のさなか、
ゲッチスバーグの古戦場跡の建墓式式典で「われわれは神のみ前に跪いて「自由」という言葉
の意味を、もう一度よく考えなおしてみようではないか」と言う意味のことを聴衆に訴えているし、
また「孟子」にも、仁義に関し、自重自由の重んずべきことを思わせる自暴自棄論があるでは
ないか。
1892
:
goro
:2013/01/08(火) 18:33:12 ID:nCo1DokU
私は大正十三年の夏、三十七歳の時、内閣書記官から東宮事務官兼東宮侍従に転任を命ぜられ、親しく東宮殿下(今の天皇陛下)の御身辺に侍することとなった。友人などからは、さぞ窮屈だろうなどと同情の言葉をもらったこともあったが、私としては始めこそは、見るもの、聞くもの、皆珍しく思ったこともあったが、だんだん落ちついてくると、ちょっと暫く海外旅行をしてきた者が久しぶりで日本の港の土を踏んだときの気持ちのようなものを感ずるようになった。
それは、こここそは、ほんとうの日本だな、と言うような気持ちだ。なぜそんな気持ちになったか、その理由を尋ねられてもちょっと説明はできないが、とにかく、そんな気持ちになったことは事実であり、思えば不思議な事である。私が転任したのは東宮殿下御結婚直後のことであり、殿下のお年が二十三、妃殿下(今の皇后さま)のお年が二十一、おん父君、大正天皇が久しく御病気であらせられたため、東宮殿下が天皇に代わって摂政のお仕事をしておいでになったときであった。
両殿下の周囲には珍田東宮大夫、入江東宮侍従長、奈良東宮武官長、島津東宮女官長という年長のかたがたは別として若い連中としては東宮侍従が七人、東宮武官が陸海各二人、東宮女官が五人、侍医が四人いたが、これらの者は各一人づつ宿直するのが定めであった。当時、両殿下のお住まいは今の赤坂迎賓館であり、正面から向かって右半分が置く宮殿、左半分が表宮殿として使われており、摂政殿下の御政務室、謁見室その他東宮職の事務室、宿直室等は全部表宮殿にあり、奥宮殿は御家庭向きのところとして使われていた。
夜、我々が宿直をしながら雑談をしていると、ときどき、殿下が仲間入りをなさる。われわれは殿下が仲間入りをなさったからといって別段四角張りもしなかったが、ただ他人の批評特に悪口は絶対につつしむことに申し合わせていた。その内に私は、はっきりした解決がつかないまま、一抹のの疑問を胸中に抱くようになった。それは何かというと、世の中には身分の高い貴族の家や大金持ちの家に生まれ、幼少のときから多くの召使に世話を受けて育った人で非常に聡明な人物も少なくないが、残念ながら殆んどが一種の通弊を持っている。それは何かというと、周囲の人々に対する好き嫌いの感情が露骨に顕れるということで、自分では努めて抑制しているつもりでも、どことなく、それが現れてくる。
ところが、殿下は常に十数人の男たちに囲まれておられながら誰彼への好憎の念をいささかもお持ちにならない。そこで私はひそかに考えた。殿下に限ってこの共通の弱点をお持ちにならないということは一体何に起因するのであろうか。殿下の御幼少の頃から殿下をお預り申して専心その御教育につとめたのが東郷元帥、乃木大将、杉浦重剛先生の諸氏であるから、その懸命の努力の結果であろうか、それとも、これが皇室の御伝統であろうか。
1893
:
goro
:2013/01/08(火) 18:34:12 ID:nCo1DokU
たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、その内の一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようであるが。これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上約一ヶ月かかって内蔵品を曝涼するのが霊となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。
殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の目にうつったのが光格天皇の御書簡であった。明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って継がせられ、御先々代、御桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亘り受けさせられた次第であるが、御年二十九歳のとき、その上皇に対し、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、
「仰せの通り、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候うこと、人君たるものの第一の教云々」
のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。
右の御書簡の外、色々なお歌等を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念う」の一言に尽きる、と私は観たのである。その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。
殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたええられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横ぎって反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。
1894
:
a hope
:2013/01/09(水) 07:08:56 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆悲しい事よりも嬉しい事の方がたくさんある(P118〜)
前にあった悲しいことを考えるな。
それはもう過ぎさってなくなったものなのです。
自分を害した人を考えるな。
それも、すでにすんだのです。
今、自分は幸福だと考えなさい。
どんなに悲しいことがあっても、それは一つではありませんか。
もう一つ悲しいことがあるというのですか。
それをあわせても二つではありませんか。
しかも、それは、今ではないでしょう。
それは昨日のことか、一時間前のことか、十二分まえのことか、ともかく、もう、すんだことでしょう。
嬉しいことは一つや二つではないではありませんか。
お父さんもいらっしゃるし、お母さんもいらっしゃるし、家もあるし、洋服もあるし、靴もあるし、本もあるし、御飯も食べられるし
……まだまだうれしいことがたくさんあるではありませんか。
そんなに嬉しいことが、たくさんあるのに、一つや二つの悲しいことばかりを考える必要はないではありませんか。
悲しいこと、暗いこと、腹の立つことは心に中からすてましょう。
そして、よいことばかりを、うれしいことばかりを、心に花園でそだてましょう。
(後半につづく)
1895
:
a hope
:2013/01/09(水) 07:11:56 ID:PzSu3pbw
(
>>1894
のつづき)
心のお庭には、うれしい花を植えましょう。
悲しい心は雑草ですから、ぬきすてましょう。
腹の立つのも雑草ですから抜きすてましょう。
たのしい思い出だけをのこしておきましょう。
つねに、自分はうれしいのだ、幸福なものだとお考えなさい。
自分をかわいそうなものだと思ってはなりません。
人間は思ったとおりになるのですから、自分を幸福なものだと考えたら幸福になります。
つねに、自分は幸福だ、今までどんなことがあったにしても、
もう此の『生活読本』を読み出したら幸福になるより仕方がないと信じなさい。
一日かならず十ページは、よい本を読むように心がけなさい。
その十ページがきっとあなたの心に元気をつけ、勇気をださせ、心を美しくし、
一しょうけんめい勉強する力を出させてくれます。
つまらない本をよむと、心の中につまらない事がつめこみますから、
一年二年とたつうちには、あなたはつまらない人間になってしまいます。
毎日十ページでもよい本を読めば、あなたの心に毎日よい事がつめこまれますから、
一年、二年とたつうちには、あなたはきっと立派な人になっています。
(つづく)
1896
:
a hope
:2013/01/10(木) 08:08:53 ID:PzSu3pbw
「久遠生命」の神示
(無相円相一切相の神示)
吾が臨(きた)れるのは物のためではない、生命のためである。
肉のためではない、霊のためである。
これを覚(さと)るものは少ない。
物の生滅に心を捉われ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったとこに信仰を失い、
身体が健康になったときに神を讃(たた)え、家族の誰かに病苦が起ったと云っては信仰を失うが如きは、
神を信じているのではなく物を信じているのである。
物は結局移り変わるものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は、物の移り変わりによって壊れるのである。
神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変わらせることが出来ると云う事実を見せて、
『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。
念の影だと云う『体』とは肉体ばかりのことではない。
幽体も霊体もすべて念の影である。
『死は無い』というのは肉体のことではない。
現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。
生き通しであるのは、斯(か)くならしめている『生命』のみである。
『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。
此の『生命』をみたまと云う。
みたまの形は珠(たま)のように真ん円いからみたまと云うように解するものもあれども、真ん円いのは形のことではない。
神は本来形無く、空(くう)のうちに円満具足して自由自在であるから仮に称して円相と云うのである。
自由自在なるが故に或る時は竜神の姿を現じ、また或る時は衣冠束帯の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。
いずれの姿も権化(こんげ)であって偽(いつわり)ではない。
しかし一つの形に執(しゅう)して、それのみを吾であると思うものは、吾が真実を知らざるものである。
吾が全相を知らざるものである。
汝ら心して真(まこと)を知れ。
汝たちも神の子であるから我れと同じきものである。
肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。
(昭和七年四月十日、神示)
感謝 合掌。
1897
:
a hope
:2013/01/10(木) 08:47:14 ID:PzSu3pbw
(帰幽の神示)
汝の肉体は汝の念弦(ねんげん)の弾奏する曲譜である。
生命が肉体に宿ると云うのは二元的な考え方であって真理ではない。
正しく言えば生命はその念弦の断ずる曲譜に従って肉体を現すのである。
肉体と云い、複体と云い、幽体と云い、霊体と云うはこれ悉(ことごと)く念の映像に過ぎない、
汝の念譜(ねんぷ)の種類に従って或いは肉体を現じ、或いは複体を現じ、或いは幽体を現じ、或いは霊体を現ずる。
すべての人はいつかは肉体を失うであろうが死ぬのではない。
人は神の子であるから不死である。
念譜の形式が変るに従って汝の仮有(けう)の形式が変るのである。
すべての人の仮有は念の異(ことな)るに従って、その顕現を異(こと)にする。
念の形式に大変動を生ずれば、汝の仮有は高いに顕現し、今迄の念の顕現たる肉体は速かに自壊自消(じかいじしょう)する。
これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の弦をもって一曲を弾じ終ってそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。
『生命』の弾ずる念の曲譜の形式に大変動を生ぜず、その念弦の律動にただ調和を欠きたるのみなるを病と云う。
かくの如き病は、念弦の律動の調子を直せば治るのである。
併(しか)し如何にもその念弦の律動正しくとも初歩の一曲は必ず終って一層高き形式の曲譜を学ばねばならない。
吾が云う意味は、地上の生活は必ず終らねばならないと云うことである。
地上の生活は汝の初歩の一曲である。
速かにこれを終るものは、初歩の教本を速やかに終えたものである。
一曲が終らんとするを悲しむな。
それはなお高き一曲に進まんがためである。
その前に調律者が来て汝の念弦の調子を正すであろう。
この調律のために一時汝の仮有は調子ならぬ調子を奏でるであろう。
此の世の一曲が終る前に肉体の調子が乱れたように見えるのは此の調律のためであって真(しん)に調子が乱れたのではない。
汝らかくの如くして次第に高き曲譜に進み行け。
一曲は終るとも弾き手は終るのではない。
弾き手は神の子であって不死であるぞ。
(昭和六年六月二十六日、 神示)
感謝 合掌。
1898
:
さくら
:2013/01/11(金) 03:50:56 ID:VxpE5cyY
合掌ありがとうございます。
本日は、『聲字即實相の神示』が天降った日です。
改めて謹写させて頂きます。
拝
1899
:
さくら
:2013/01/11(金) 03:51:26 ID:VxpE5cyY
『聲字即實相の神示』 谷口雅春先生
吾が第一の神殿は既に成れり。
名付けて『生命の實相』と云ふ。
完成の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。
七つが事物の顕現の周期律になつてゐる。
吾れに神殿は不要であると嘗て示したことがあらう。
吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。
吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。
『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたのが『生命の實相』の本である。
『言葉』を載せた書物を『本』と云うのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。
『言葉の宇宙』が先づ出來て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。
今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁つてゐたから、宇宙の萬物の運行が亂れて生活苦や、病氣や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起つたのである。
『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後は何事も急轉直下する。
『生命の實相』を披らくだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相を知り歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟に過ぎない。
その歓びの相こそ人間の生命の實相である。
吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披らいて讀むものにさせたのも象徴的因縁あることである。
『生命の實相』を展開けば形の理想世界が成就するのである。
今は過渡期であるから、假相(かりのすがた)の自壊作用として色色の出來事が突發する。
日支の戦ひはその序幕である。
神が戦ひをさせてゐるのではない。
迷ひと迷ひと相搏つて自壊するのだ。
まだまだ烈しいことが今後起こるであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしつかり握つて神に委せてゐるものは何も恐るる所はない。
(昭和七年一月十一日神示)
1900
:
a hope
:2013/01/11(金) 08:05:08 ID:PzSu3pbw
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆父母に立派な本を選んでもらいなさい
どんな本が立派な本かは、お父さんや、お母さんや、先生が知っていられます。
よい本は出来るだけたくさん買ってもらいなさい。
本というものは、「心」が外の景色を見るための窓のようなものです。
私が中学生の時分には、中学に図書室(本をならべたへや)がありまして、
昼の休憩時間に一しょうけんめい読んだものです。
それが今でもたいへん私の役に立っているのであります。
「本のない部屋は窓のないようなものだ」といった人もあります。
よい本がならんでいるのを見るだけでも、自分の心に楽しいよろこびをあたえるものです。
よい本をしっかり読まない人で、立派になった人はありません。
ほかの玩具(おもちゃ)や、遊び道具を買ってもらうよりも、よい本をお父さま、
お母さまに買ってもらって、それをつねに読むように心がけなさい。
(つづく)
1901
:
通りすがり
:2013/01/11(金) 08:40:37 ID:???
>>1899
一行目の「吾が第一の神殿は既に成れり。」は、中央揃いでよろしいですか?
1902
:
goro
:2013/01/11(金) 11:45:39 ID:nCo1DokU
>>1893
の続き
殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞こえるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余得に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。
やがて提灯行列も終り、殿下は御殿にお帰りになったが、泣きぬれた私は、もはや人に顔を見られたくないから、そっと後から御殿に足をふみ入れはしたが、明るい室には顔を出すのも恥ずかしく、薄暗い廊下で、ありあわせの巻紙を引き割いて、鉛筆で自分の思うところを、無遠慮に且つ露骨に、したためていた。
先刻から私が姿を消してしまったのを心配して、広い御殿の中を捜してくれていた先輩の西園寺御用掛が、薄暗い廊下で私を見付け、声をかけてきたので私は余計なことは云わず、ただ、これを殿下に、と私の書いた紙片を同氏に渡したまま、私は旅館に早々に退出してしまった。床に横たわっても興奮は治まらない。自分は奈良に正倉院という世界的に有名なお蔵のあることは知っていけれども、この京都の御所の内に、かくも立派な東山御文庫のあることを少しも知らなかった自分の愚鈍を憐れむと共に、長い年月の間、静かに流れつづけてきた、この皇統無私の御精神に対し、知らぬこととは云いながら、いささかの感拝の念をも起こしたことのなかったことは、誠に相すまぬことだったと思う自責の念に深くさいなまれた。
翌朝、御殿に参上すると、西園寺先輩が「君、殿下に鉛筆の走り書きなどを上げるのは失礼だよ」と新米侍従の私をたしなめながらも、「だから僕は、あれを殿下に読んでおきかせしたよ」と、誠に行きとどいたことをしてくれた。後で殿下にお目にかかったら、大そう真面目なお顔つきで「昨晩は、よいことをいってくれて、ありがとう」とお小言の影すらもなかった。
長い間、私が考えつづけてきた心中の疑問は、この一瞬に解決した。皇統無私の御精神は、そのまま殿下がうけついでおいでになる。これに磨きをかけて差し上げたのが東郷、乃木、杉浦の諸公だ、というのが、この時から私の確信となった次第である。思えば、私が若き日に、お供をして東山御文庫内で、光格天皇の御書簡を拝見したという一事は私にとっては忘れがたいことであり、爾来私が日本皇室の伝統的御精神ということについて特別の関心を持つようになったのも、このためではないかと思っているし、また、古文書の保存ということが、いかに大切であるかということを思い知らされた次第でもあった。
1903
:
さくら
:2013/01/11(金) 12:27:46 ID:VxpE5cyY
>>1901
通りすがり様
ご指摘、ありがとうございます。
実は、いつもはじめの文字のスペース一つでは、一マス空けることができなくて、
余分にスペースを打ちすぎてこのようになりましたという、…ミスです。
ひとマス空けて、左揃えで読んで頂けましたら、有難いです。
せっかくの神示が、見づらい様子になりまして、申し訳ありません、
これからもご教示、よろしくお願い申し上げます。
拝
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