したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1031金木犀:2012/07/28(土) 15:50:25 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(5)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

忠孝の感情を育成せよ

称するところの民主主義が、日本の家族制度の美風を破壊するために利用されたということは、小中学の教科書に「忠孝」の文字が一字も見当たらぬようにされ ているということである。

「家」とか「忠孝」とかいうのは封建思想だというのである。もっとも、占領軍にとっては、被占領国民が旧支配者に「忠」であって は占領行政に困難を生ずる点もあるので、「忠」を非民主主義的道徳として排斥したのは、占領政策としてやむを得ないことは諒とし得る。しかし「孝」を排斥 してしまったのはどういう訳であろうか。母の日を設定して、その日には胸にカーネーションの花を挿して母の愛を偲ぶ風習はアメリカから講和後になって日本 に来たのである。

「孝」は必然的に、血をもって過去の歴史的連続に直結する。そこから歴史的連続としての天皇直結の日本国家への「忠」が再発するおそれが あるから、言うところの民主主義の原則に従って「老年の親というものは子どもが愛情をもって養う必要はない。それは社会保障制度によって社会が養老院を 造って養えばよい」という風に、「子」との愛情的つながりを切断した。そして遺産相続も「家督相続をする長男」という家を護る役目の特定の「子」がなく なったので、その遺産は平等に分配される。従って兄弟姉妹互いに、「わしばかりが親孝行する必要はない。お前だって財産を分けてもらったのだから、お前が 親孝行すればよい。という風に、親孝行の譲り合いをして、実際には一人として親に孝養を尽くすものがなくなるのである。私はこういう実例を、沢山見てい る。わたしは、決して、親というものが老年になって子供から経済的援助を期待するのが正しいと言うのではない。それを期待すべきものとも思っていない。し かし親たるものが求むるものは、生活の社会保障制度によって人間的愛情のない養老院という機構で世話されるということではないのである。彼らが求めるもの は、肉親の温かい愛情であるのである。愛のない社会保障機構が自動的に世話してくれても、それは肉体は栄養を取ることができるにしても、魂は栄養をとるこ とが出来ないのである。いわゆる民主主義による「家」の制度の破壊はかくのごとくして親子の間の魂の間の暖かいつながりを遮断して、魂なき形骸に置き換え たのである。これによって家庭争議、親子喧嘩、兄弟蛎に相せめぐ状態が頻々と起こるようになって、日本国は内部闘争によって弱体化せしめられたのである。 これは占領軍が被占領国を弱体化する政策としては好個のものであったにしても、独立国の日本を強化するためには「家」の理念を復活し「家」の制度を復活せ しめなけれはならないのである。(つづく)

1032金木犀:2012/07/28(土) 23:22:59 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(6)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

民主主義を再検討せよ

単に民主主義、民主主義と謂う名称や掛声が尊いのではない。付和雷同して民主主義のレッテルを貼ってあるものならすべて正しいと考え、自分の気に入らぬものを「非民主主義だ」と称して排撃さえすれば好いと考えるが如きは、戦争中に「非国民」だと云う一語で自分の考えとちがうすべてを排撃し去ったと同じ過ちを繰返すことになるのである。私は民主主義と称して行われた凡てが悪いと云うのではない。名称やレッテルで胡麻化されてはならないと云うのである。所謂る民主主義はこうして「家」の観念の破壊と共に、人間の人格の自由を尊重すると云う名目の下に「肉体的欲望の自由」を唱道した。姦通は公許され、姦通しながら離婚訴訟によって生活費や手切金を要求する勇敢な女性もあらわれた。そして文学界では「肉体文学」が横行し、出版会社は金さえ儲ければ好いと云う訳で猥褻文書が氾濫し、それを取締ろうとする当局を「言論の自由」を圧迫するものであるとして文学者総出でその取締りに抗争すると云うが如き不可思議現象を呈したのである。

そして社会の多勢の人たちは、猥褻なことを見ることや、猥褻なことを書いたものを読むことが好きであるから、猥褻文書を取締ることは、多数者の欲望に反するのであるから、民主主義に反すると結論せられた。何でも多数決であればそれを正しいとするのが民主主義であるならば、斯かる民主主義は文化発達の基礎を危うくするものと云わざるを得ないのである。おおよそ大多数と云うものはその当時の最高文化のレベルの標準までは往っていない。そして、その平均点数に一致せぬものは非民主主義的だと云って排撃する事になっているならば人類はその発展を大衆の平均点数まで引卸されるのである。多数者が猥褻文書を読むのが好きなら、猥褻文書を取締るのは非民主的であると云われる。多数者が姦通の自由がみとめられることを好むならば、姦通を有罪にすることは非民主的だと云われる。多数者が賭博が好きであったら、賭博を取締ることは非民主的だと考えられる。そしてついには、競馬とか競輪とか賭博的なものを奨励して市でそのテラ銭をとって、市の経費をまかなうのが適策だ―― とんだ民主主義が登場したものである。所謂る民主主義は日本に何の目的で占領軍によって播種せられたか、また如何なる効果を与えたか。独立後の日本は他からの政策によって何々主義と云うようなものを植え付けられることなしに、白紙になって、今後日本を再建するには、「主義」などと云うものに泥(なづ)むことなく、もっと「人間神の子」の本質的な立場になって考え直さなければならない時なのである。(つづく)

1033金木犀:2012/07/28(土) 23:30:32 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(7)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

外人記者もみとめる日本の美風

ここまで書いたとき昭和二十七年六月号の『文藝春秋』が私の机に届けられた。それには1948年、英国のタイムズ特別記者として初めて日本に来て、八ヶ月滞在したトレイシー女史の日本観が『占領下とは専制下のことか』と題して書かれているのである。傍目八目の喩えの通り、宣伝にのせられていた日本人自身には却ってわからず、占領軍自身にも気がつかないで潜在意識で日本を弱体化そうとしていたことも、第三者から観るならば比較的公平にその事情がわかるのである。さきにあげた日本の或る大新聞の記者はラフカディオ・ハーンが日本婦人を賞めたことを明治三十七年の古い出来事であり、封建的産物にすぎない日本女性の従順と無我献身を何の賞める値打があるかと云う風に、日本女性をあたまから卑しめてかかっているのであるが、日本人記者よりもトレイシー女史のような、第三者的外来記者の方が、日本の善さをもっとよく知っていてくれるのである。日本人よ、もっと日本国と日本人自身とに自信を持たなければならないのである。女史は次のように述べている――
「私は日本人が質朴で優雅で、美しいものを愛し、自然を敬うのに感嘆した。彼らの社会風習は、多くの点でヨーロッパの風習よりもすぐれているように思えた。だが、このデリケートな文明国は多年、西洋がつかみ合いの衝突をするような危険な目にあって来た。そして今や西洋はこの国を圧倒して、できればこの国を生み出した精神までも、破壊しようと思っていたのだ。西洋では実際次のように言っていた。我々はいろんな機械装備をもっているから、原子力や大砲も、巨大な爆撃機や艦隊もあるのだから、人間がすぐれているにちがいない。君たち日本人は、我々の家、我々の物質、我々の知識をもつことはできないが、我々の風習や倫理を、君たちに教えてやることはできると。……」(『文藝春秋』昭和二十七年六月号127頁)

日本人の多くも、欧米の物質文明のそして武器の優秀に暗示されて、日本民族自身の「ヨーロッパよりもすぐれている」社会風習を「封建的」と云うただ三字の評語をもって葬り去って、家庭制度は封建的である、女性の従順は自覚が足りないのである、争議をせず奉仕的に働くのは人権を尊重しないのである、姦通や人工流産を法律で取締るのは民主的ではない、大多数の人は「性の自由」をもちたいのである……等々と云う風に、そのもっとも尊い日本の社会的風習の部分を捨てることにいそしんでいるのは遺憾である。(つづく)

1034金木犀:2012/07/28(土) 23:36:12 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(8)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

そして到頭、占領軍の日本猥褻化による精神の弱体化と云う思う壺にはまったのである。日本国民は日本のそれ自身の風俗習慣のうちに美しいもの、尊きものがあるのに、それを捨てて、原子力や、強大な底力を持つ西欧人の風俗習慣のほうがよいと思ってそれに乗り換えたのである。しかも甚だ「板に載らぬ」下手さ加減で西洋を模倣して得意になっていることをトレイシー女子は皮肉な書き方で嘆いているのである。その一、二の場所を抜粋して見るならば、先ず、「……街路に沿って所々に拡声機が据えられて、ベートーベンの交響楽も、アメリカのダンスのヒット曲も、ゲイシャの唄も、能楽の謡も、無差別にがなり立てる。また一人は和服を着ている二人連れの若い女が一緒に散歩している姿も、しばしば見うけられる。前者は、きらびやかだが、いつも調和のとれた色彩を身にまとった、小柄なしとやかな娘で、仔鹿のように身軽に、下駄ばきで軽快な足どりを運んでいる」と日本人本来の服装の調和を賞め、それから洋装に浮き身を窶(やつ)している婦人を、
「後者は彼女の体のぶさまにふくれている部分の両脚を、十分重んじたような、短いドレスを着て、一まわりか二まわりも大きい形のくずれた靴をはき、明るい緑色か桃色の、足首までの短い一対のソックスをはいているのが目をひく」
と書いてその不様さを嗤って書いているのである。そして占領軍が日本猥褻化の目的を達した事実として次のような光景を描写しているのである。
「ダンス・ホールは“今晩アベック・タイム”と広告している。アベック・タイムなるものは大へん新しい魅力で、そこはホールの電灯を暗くし、こってりポマードで髪を固めた若い男がけばけばしい化粧をした女の子と、ぴったり頬をくっつけ合い、低能みたいな顔付きで、床を廻っている。見なければ信じられぬ情景だ。……」

最後の「見なければ信じられる情景だ」と云うのは西洋にも見られない猥雑な光景で、話した位ではウソだと思うほどの露骨な低能さだと云う意味であると思う。そんな情景は、占領軍の来るまでは日本人にはなかった風習であり、占領軍が日本に播種した風俗の頽廃である。日本を真に健全に再建し発達させるためには、社会習慣、服装、交際の儀礼、家庭の装飾等に到るまで、日本の本来のものの中に西洋にくらべて優秀なるものがあることを再認識し、西洋の悪い方面に辶(しんにゅう)をかけて輸入し模倣するようなことを止めなければならないのである。

トレイシー女史は、日本の愚かな西洋風の模倣を次の如くこっぴどく叩いているのである。
―― 「日本人たちは、東京のあのぞっとするような西洋風の厭なものの間を、平気でうろついている。彼等はよい洋画を選ぶことができないし、西洋風に品よく部屋を整えることも出来ない。……彼等の言によれば西洋風は有用であり、実利てきだからなのだ。だが、あなた方も、西’洋’風’は’全’く’ぞ’っ’と’す’る’と’思’わ’な’い’だ’ろ’う’か’?」
爪点は私が付したのだが、まったくぞっとするような、愚かなる跛行的な西洋模倣である。それが所謂る民主主義であって、此の場合の民主主義とは個人主義、利己主義的主張、そして肉体の快楽追求主義であって人間の道徳性を破壊させる主義なのである。そして愚かなる個人にとっては、個人の快楽ほど好ましいものはないのであるから大勢の人は民主主義に賛成する。議会でも囂々(ごうごう)の論議をひきおこすのはそう云う利己主義的主張を制禦しようと云う法案に対する反対の野次である。そして反対の理由は、それは反民主主義だと云うのである。しかし、日本の民主化と云うことは占領軍がポツダム宣言によって規定したところの日本精神を弱体化せしめるために、日本精神におきかえるための頽廃化政策だと云うことを、もうそろそろ日本人は気がついてもよい筈である。これには外人記者の方がもっともっと早く気がついているのである。「占領の目的は昔のように、敵を押さえつけて武装解除をさせたり、損害賠償をさせたりするのではなくて、被征服者の生活態度を、すっかり征服者の生活態度に見倣わせるように、作り直すことであった」とトレイシー女史は云っているではないか。(つづく)

1035金木犀:2012/07/28(土) 23:40:19 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(9)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

彼ら西欧が吾らを弱体化して支配する方法は大体に、日本の「家」と云う良俗を失わしめること。日本を歴史なき国家として忠孝の感情を一掃すること。日本人に淫蕩な習慣を植えつけて、精神的及び肉体的に頽廃させると云うこと。人口を減少せしめることによって日本の国力を減弱せしめること。産業でも土地でも分割することによって弱体化せしめることであったのである。白昼、女が男にぶらさがって恥ずかしがりもせずに往来をのさばり歩くは先ず占領軍がつけたのである。たった八ヶ月日本に滞在した英国婦人記者でさえもそれを炯眼に見ぬいているのである。トレイシー女史は曰く、
「……三人の米兵が、めいめい左右に二人ずつパンパンを抱えて、ある大学の構内に押し入ったが、そこには水泳場があった。彼らは服をかなぐり捨てて水中に飛び込み、静かな競技場内で、大声をあげてはしゃぎ立てた。そして再びプールから匍い上がるや否や、多数の学生が見ているところで、しかもまっ昼間、さっそく懸命に交接をやりはじめたのだ。大学では連合軍当局に電話をかけたが、当局は順おくりに、この精神病者に電話をかけた……」

この記事を見たときに、これは誤植ではないかと思ったけれども誤植ではないのである。こうして占領軍の淫蕩な習慣を見せられたとき、被征服者は征服者を或る意味に於いて尊敬するから、そして尊敬する者の行いは模倣したくなるから、そして尊敬するものに対しては、女性は自然に身を委せたくなるから、こうして日本人の性道徳は益々頽廃したのである。そしてその淫蕩な行為の結果はらんだところの生命は、指定医さえ認定すれば人工流産で殺して出してしまえばよいと云う法律が議会に持ち出されて、議員は皆々賛成する。全くお話にならない民主化ぶりであるのである。(つづく)

1036SAKURA:2012/07/29(日) 01:23:08 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は、【落ち込み…日記】なのです。…が?
その前にやはり「精神修行」が優先になりますでしょうか?最近「心霊勉強中…」なのですが、
精神を正しい理念の方向に行かせるような“心霊”が、一番です〜〜〜ョネ!
そして、ある面では「宗教家の元祖?」は、いかにしてもやはり“心霊”から来る様に思えましたが、
私も【心霊=神】に、映って行く勉強なのでしょうか???今日からまた【幸福になるチャンス】…
ゲット!できます様な「世界観」を〜〜〜ぺ〜〜ジを“開き”ま〜〜す。

■【幸福を招く365章】
――――汝の肉体を賛美せよ―――――
 あなたが肉体を愛し、その健康を求めるならば、肉体に小言を云ってはならないのである。
肉体に感謝し、肉体にお礼を云い、肉体の美を讃え、肉体の健康を祝福しなければならないの
である。こんな不健康な肉体をどうして賛美し祝福することが出来ようと思う人があるかも知
れないけれども、あなたの肉体の何処が健康であるであろう。肺ののわるい人も眼はみえるで
あろう。耳は聞こえるであろう。手足は健全であるであろう。然らば何故、その眼を、耳を、手
足を賛美し、祝福し、それに感謝しないのであろうか。真に神の恵みに感謝したとき、その肺
も治るであろうに。                  (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■そうです〜〜〜ョネ!今を!今を!感謝でしょう〜〜〜か?
それでも、今の現状に“感謝不足”が多いのでしょうかと?私自身思ってしまいます〜〜〜ョネ!
ア〜〜〜ッと“嫌な吸血鬼・ゾンビ達”が、通勤中!毎日〜毎日〜押し寄せて来ますでしょ?
其の「ストレス!」しかも、彼らの臭気は???なのですが〜〜〜><
これは私の“偏見”から来るのかしら〜〜〜ン!思いながらも、ついつい其の臭い?には、
勝てませんのですが〜〜〜><

今回【心霊勉強?】で、臭気は、その人の後ろの“背後霊”についている“霊”が、
「邪悪の霊」では、ないのでしょうか〜〜〜?そうしますと、その“臭気???”
はっきり申しますと、【霊界の世界】で行きますと、「悪霊」らしいのではと、判断します。
こちらの【心=精神】が、数段上になりますと“悪霊”のつかれている方は、
こちらから見ますとかなりの臭気臭いそうです〜〜〜が?と、聞きました次第です。…が?
本当に「吸血鬼・ゾンビ達…」は、臭気が臭いのです〰〜〜ョネ!

これは、私の方が、数段と【魂が向上】に至った事なのでしょうか〜〜〜?
さて!「今を活かす事」が、【生長の家のスロ−ガン】なのです。
私も【今!・今!を生きる事に、全力投球…速球】なので〜〜〜す。更に【感謝!】です。

今は、とても“環境的には〜><〜”なのですが?きっと、“心が整います”と、
必ず!「神の恵み」が〜!現れるようにと、毎日!毎日!【賛嘆】して行っている次第なのです。

■益々……今日も【SAKURAの心?進歩向上の経過中】で〜〜〜す。
                                   再合掌                                      
PS:トキ様へ…
来月は、いよいよ「裏盆供養祭…」です。今年「亡き母」の白い御霊様を、見まして、
今!今!を感謝しまして、日々【賛嘆日記】でしょうかと?
今日は【落ち込み日記】になりました時は、どの様にしまして切り替えれば?と思いますと、
【感謝…】この事につきますでしょうか?トキ様は、どの様になさいますでしょうか

1037a hope:2012/07/29(日) 10:11:30 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

何処(どこ)でもできる神の子の教育


私達は人間を教育するのに、困難を避けしめるような教育を施しているようなことでは駄目であります。
どんな困難にでも、「自分は神の子である、不可能ということはないのだ、
我(わ)が行くところ必ず成功あり」という強い自覚を、幼い時から植えつけて置くということが必要であります。
これが、近頃喧しくいわれている「人を作る教育」の根本であると思うのであります。

別に何宗教何宗派というのでなしに、だだ「人間は神の子、又は仏の子である。
人間の中には無限の力が宿っているのであるから、それを悟れ」ということを、
常に子供の頃から知らして置くということにいたしましたならば、
何宗派の人であろうと一向差支えありませんし、必ずその子供たちは人生に立ち、
社会へ出ましてから、善き効果を挙げ、人生の勝利者となることができるに相違ないのであります。

ですから、生長の家の教育法と申しますのは、必ずしも単に子供の教育だけではありません。
一切の人間の再教育をするのであります。
教育というと、何か学校だけで教えるように聞こえますが、教化と申してもよろしい。

大人も一緒に「人間神の子、力は無限」の思想で再教育されることは刻下(こくか)の最大急務であります。
(つづく)

1038金木犀:2012/07/29(日) 15:25:41 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(10)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

表現文字の制限は文化を低下させる

私は『文藝春秋』から引用した文章を原文のままの「発音通り仮名遣」にしておいたが、私自身の書くものは、なるべく歴史的仮名遣を堅持しているのである。(原文は歴史的仮名遣になっていますが、謹写する際に現代仮名遣に直させていただきました)日本の民主化とは「言論の自由」と云いながらその使用する文字を制限することであり、言論の自由を奪うことだったのである。凡て占領中の占領者が被占領者に与えるところの施策は、被占領者の弱体化であるけれども、(ソ連に対する防壁として強化の必要を認めてからは別だけれども)正面から「お前を弱体化する為に」と云えば被占領者が反抗して収拾がつかなくなるから、一見道義的とか仁愛的とか感じられる言葉を用いているのである。

常用漢字を設定し、子供の学習の便利にし、発音通りの仮名遣いを用いさせる事は、幼弱な児童の頭脳を保持する為だと一見親切めかしく云われているけれども、早くから漢字を多数覚えさせたからとて頭脳が悪くなる様なものではないのである。漢字の如き象形文字は、視覚型の記憶力をもっている人には、アルファベットを組合せて符号的文字を記憶するよりも記憶し易いのである。眼をつぶればその形が思い浮かび、それが象徴する或る情調が思い浮かぶ。象形文字がその図形のもたらすそれぞれのニューアンスをもっている事は、絵の具が同じ「青」であっても色々の微妙な色調の変化がある様に、文字の象(かたち)のもっているそれぞれのニューアンスによって吾々はいろいろの複雑多様な感情や情景を表現する事が出来る。符号的文字では電文を読むのにも似て、象(かたち)から来る情景や感情が伴わない。しかもその象の奥にはその文字のもっている色々の歴史的背景から来る連想もあり、現在使われている漢字は、その歴史的存在として、単なる符号のあらわし得ない処のものを表すのである。

西洋人には、そう云う文字の齎(もたら)す感情や感覚はわからない。意味がわかり実務に便利で勉強に労力が要らなければ好いと云う――しかし表現される言葉の数が多いほど、その国の文化が進んでいると云うことをあらわし、心の感受性が複雑化していることを示すのである。その国の文化的水準の高さはひとり物質的な機械や装備や発明力によって判断されるものではない。「機械文明がお前の方より進んでいるから、お前の国は後進国である。だからおれの国の生活習慣や社会生活の風習を教え込んで教化してやる」と云うが如きは、甚だしい僭越さであると云わなければならないのである。しかも占領軍のそう云う教化政策にいつの間にか胡麻化されて、日本人の美しい癖のない頭髪を火事場で焼けちぢれた陰毛のように気の毒にちぢらせたり、折角、美しい日本人独特の衣装をやめて、大根に毛の生えたやうな太い脚に、ナイロンの靴下をはかせて雲助のような毛脛をすき通らせて得々としている日本婦人や、姦通したり人工流産をすることが民主的当然の人権擁護であるが如く考え違いをしている日本婦人が多数出来て来たことは何と云っても残念なことだと云わずにはおれないのである。(つづく)

1039金木犀:2012/07/29(日) 15:27:20 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(11)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

歴史的仮名遣を廃して発音式になんでも書けば簡単で児童の精神を過労せしめないために結構だと云う、アメリカさんの日本への押し付け政策が正しいのならば、何故アメリカさんはhighとかneighbourとかphotographとかの発音には不要なサイレントのghを消さないのか、phを何の為に簡単な発音通りのfにしないのか。アメリカの兵隊さんにphotographの綴りが書けない者が沢山あったこともきいた。アメリカさんは自国の歴史的綴字法を廃せずして日本に対してのみ親切めかしく歴史的仮名遣を廃するように勧めたのは何かその奥に理由がなければならないのである。それはまことに「占領政策」であって、日本強化の政策では無論ない。

発音通りの仮名遣いにして、しかも使用する感じの数を減らしてしまって、二、三代経つうちには、その発音は如何なる漢字から来たか不明となり、現に使っている言葉と、それがよって由来した語源との連絡が不明になり、日本の古典や古き歴史の書物が読めなる。かくて日本の歴史を読む能力のなくされた日本人は、心のなかで歴史なき日本人となるのである。歴史なき国民は浮浪児と同じである。浮浪児は「家」がないから、「家」を護ろうなどとは考えない。それと同じく、歴史なき国民は歴史的存在としての日本国を護ろうなどとは考えなくなる。日本人はコスモポリタンとして、国際的浮浪児として、全体の中に溶けて無くなる。まことに巧みな占領政策であったのである。

このような占領政策に迎合して参議院で、常用漢字の制定や、発音通りの仮名遣いを全日本人に強制することに骨折った議員が、錚々たる文学者の中にもあったのだから、如何にその占領政策が巧みなものであったかがわかるのである。教科書の漢字制限以後に教育された青年が、どんなに読書力が低下しているかは日本教文社で発行している『理想世界』と題した易しい雑誌が読めない青年が多いのでもハッキリわかるのである。言葉と文字とは幼年時代に教えて置けば、同時に三ヶ国語位は覚えられるのである。吾々よりは十年も前の日本人は四、五歳位にして漢文を修め四書五経を素読し得たのであるが、それでも、難しすぎて頭脳を悪くした、と云う明治初年時代の人間はいなかったのである。吾々の時代になると漢文はそんな幼年では教えられなかった。やっと中学時代になって漢文を習ったのであり、従って、もう吾々の時代には短くて含蓄と深味のある文章を書けるものは乏しくなった。まづ森鴎外あたりをもって漢学の素養が文章に味いを与えていた時代の終末と見て好いのである。漢字が読めなくなると忠孝の思想を盛った古典が読めなくなる。こう云う点にも占領軍の施策に深謀遠慮がみられるのである。(つづく)

1040金木犀:2012/07/29(日) 15:31:14 ID:auusu5IE
訂正です。
>>1039の2段落の1行目

しかも使用する感じの数→しかも使用する漢字の数

1041a hope:2012/07/30(月) 06:57:20 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

子は親の心の影


神戸市兵庫の入江小学校の村山栄太先生は、子供を教育するのには先ず保護者を招(よん)で、
保護者にお願いになって、子供に対して準備的暗示をして貰ったということでありますが、
子供を善くするには、ぜひとも親を善くしなければならぬのであります。

子供は親の心の影である。
これは単なる学業成績だけの問題ではないのであります。
子供の健康状態も親の心の変化にしたがって常に変わってくるのであります。

大阪府豊中市の千田(せんだ)さんの子供は、親ご自身が十八年間も病気でおられたものですから、
子供が常に身体が弱くて欠席勝ちであったというのであります。

ところが親が『生命の實相』を読み、子供に「あなたは神の子である」ということを
知らして上げるようになってからは、ほとんど病気をしなくなった。

或る時、その子供が大腸カタルを患ってたいへん熱が出たそうであります。
それで「お前学校を休むか」と訊いたら、「いや休まぬ、私は神の子だから大丈夫だ」こう言って、
まだ小学校二年生のお嬢さんですが、病気は病気、勉強は勉強と、きれいに病気を超越してしまって、
お掃除の当番までチャンとやってのけて帰ってこられたのであります。

これは、ただ学校の当番をチャンと済ましたというだけのことではない。
こういうふうな子供が大きく生長して大人になった時に、病気になっても人生に処して、
人生に於ける人間の役目を、人間の当番をどんな困難がこようとも、
やり遂げるだけの大きな力を学び得たということになるのであります。

教育は常にあるのです。
常に私達は教育されているということを忘れてはなりません。
(つづく)

1042ハマナス:2012/07/30(月) 10:41:44 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。
先週末は、行事の為出かけていまして、引用はお休みしました。

心のレンズの向け方  (『新版 生活の智慧365章』P.213より)

宇宙には無限の供給が充ち満ちているけれども、それを現実世界に持ち来すためには、
それが現実世界にあらわれて来るための通路を作らなければならない。

 景色は無限にひろがっているけれども、それを写真に撮影して現像するためには、
先ずその人の持つカメラのレンズをどの方向に向けるかを定めなければならないのと
同じである。どんなに美しい景色が無限にひろがっているにしても、私たちはカメラ
のレンズを向けた方向の景色だけ写真にうつし取るのである。それと同じく私たちの
「心のレンズ」を暗い方面にのみ向けるならば、私たちは、暗い事物のみを現象世界に
あらわすことになるのである。これに反して私たちの「心のレンズ」を明るい方面のみ
向けるならば明るい世界が現象界にあらわれて来るのである。

感謝合掌

1043SAKURA:2012/07/30(月) 16:13:59 ID:k.Au8o5Q
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日、“投稿”しますは、私が19歳の頃読みました本・・・『ベスト・フレンド』で〜〜〜す。
久しぶりに、本棚から現れたのです。ペ−ジを開きますと・・・これも「真理」なのですネ!
若い時は、ながし読みで・・・理解度は???(微笑)では、紹介させて頂きます。
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・?ちょっと開いていきます

■【ベスト・フレンド…】
(新しい自分の出会い)
―――――幸せの国のカギはどこに――――――
| ◆人は誰でも幸せになりたいといいます。でも、ほんとうの幸せなど、実現不可能な夢の
| ようです。誰もが必死になってつかもうとしているのに、少しもわたしたちに近寄って
| きてくれないように思えます。これは、わたしたちがなにかまちがったことをしている
| からなのでしょうか。多くの人々が、いろんな形で不満を感じているのはなぜでしょうか。
| わたしたちがあまり多くのことを望んだり、筋ちがいのことを望んでいるためでしょうか。

❖いや、いまの世のなかは、おっしゃるほど、すべて悪いわけではありませんよ。すばらしい
人生を送っている人もたくさんおります。その人たちは自分の人生を徹底的に享受し、
一刻一刻を楽しめるだけ楽しんでいます。ただ、そういう人たちは自分のことをあまり口に
しないのです。誰かに話すより、そんな時間があったら、もっともっと自分で楽しもうと
して忙しいのです。
こういう人たちはふだん、新聞、雑誌に投書したり、精神分析医にかかったりするような
ことはしません。
 ただあなたがおっしゃるように、みんながみんな、日々の生活に楽しさを感じている
わけではないということも、また事実です。幸せをつかむ技術を身につけていない人々も
確かにおおいのです。
         ――――――――― * ――――――――――

| ◆あなたは、今「技術」とおっしゃいましたね。それはダンスをしたり、詩をつくるのと
| 同じように、誰かに救われば身につくようなものなのですか。人間は幸せかそうでないか、
| どちらかだと思いますが、自分が幸せになれるかどうか決めることはできないでしょう。
| 人間はその気になれば、たいていできるかもしれませんが、幸せをどうやってつくり出す
| ことができるのかわかりません。たしかに、自分を幸せにしてくれるだろうと思うものを
| 追いかけていくことはできるでしょう。しかし、幸せというものは実際手にしてみるまでは、
| それが本物かどうかがわからないはずだと思うのですが。

❖ある意味ではたしかにあなたのいわれるとおりかもしれませんしかしいまあなたがおっしゃった
ことは、たいていの人が幸せをもとめるときかならずぶつかる問題なのです。これさえ手に入れる
ことができれば自分は幸せになれる―――そういうものが、この世に実在すると思い込んで
いる人たちがおおいのです。幸せがタナボタ式に自分の手のなかに入ることだけを期待して
いるのです。幸せとはみずからの手でつかみとらなければならないものだということがわかって
いないのです。誰だってフランス語や物理学やスキュ−バダイビングを学ぶときには大変な
苦労をするでしょう。車の運転を習うときにもずいぶん努力するでしょう。でも自分自身を
動かすこととなると、その苦労をしようとしないのです。

                     <つづく>

1044SAKURA:2012/07/30(月) 16:16:31 ID:k.Au8o5Q

>>1043投稿の続きです。
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

| ◆それはおかしな考えです。あなたのおっしゃり方はまるで、わたしたちが、自分の意志に
| よってすべての始動ボタンを押すべきだといっているようですね。
| しかし、生きるためには技術とはもっと自然なものではないでしょうか。

❖おそらくそうかもしれません。そうあるべきかもしれませんね。しかし、多くの人にとって、
そうではありません。人は生まれながらにして生き方の技術をもっているわけではありませんし、
その技術を身につけようとする人は非常に少ないのです。技術といっても、それは血のかよわい
ものや機械的なものではありませんが、学ばなければならないことがたくさんあるのです。
         ――――――――― * ――――――――――

| ◆それはたとえば、どんなことですか。

❖まず第一に、わたしたちは、これまでおそらくまちがったところを探していたのだということに
気づくことです。その源はわたしたちのこころの外側にあるのではなく、内側にこそあるのです。
自分の潜在能力の扉をたたいた人が何人いたでしょうか。たいていの人は自分のもっている
能力以下のことしかしていません。そして誰かが幸せの国のカギを渡してくれることを待ち
つづけている限り、いまの状態をつづけて行きます。
わたしたちは、その幸せの国は自分のこころの内にあることを知るべきなのです。つまり以前から
そのカギは手に握っているのです。ちょっと豊かな人生航路に向けて出発する合図を待つばかり
なのです。しかし、その合図を出せるのは自分自身だけなのです。
自分の人生に起こる出来事は、自分自身に責任があるからです。どの道を選ぶか、その選択権は
あなたの手のなかにあります。ですから、わたしたちは自分の幸せに対して責任があるのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
◆みずからの【ベスト・フレンド】若い頃の私は、この意味が“理解”できませんでした。…が?
要約、この年になりまして【心…心の声?】と云うべきなのです〜〜〜ョネ!ウフフ?
「谷口雅春先生」も【人生は心で支配せよ…】或いは「谷口雅宣先生」も…
「全ては心でつくる世界」…両先生ともども【心の世界…】そうなのです〜〜〜ョネ!
【一般=末端信者】にとりましては、【心の法則=真理】の言う“深見?”に入り込みまして、

◆【幸せ探しの…人生航路】への舵取りを、していきたいものです…。
その選択権を頂いておりますのが〜〜〜【生長の家…真理】ですもの?
なのに〜〜〜【お家騒動…】変です〜〜〜ョネ!

今は、神に全托しまして「祈り」に徹していきたいものと思います…。
                                  再合掌

PS:トキ様へ…
実は、この著者は精神分析の開業医であり、サイコロジストとしての資格を持っている夫婦…
バ−ナ−ド・ベルコビッツとミルドレッド・ニュ−マン夫婦なのです。…が?
しかも、バ−ナ−ド・ベルコビッツは【コロンビア大学でソ−シャルワ−クの修士号】を…
つまり【現総裁雅宣先生…コロンビア大学】でした〜〜ョネ!
大方、現総裁先生は、コロンビア大学在住にて何らかの「ソ−シャルワ−ク」関連の影響を、
受けられましたでしょうかと、思いますが…。この点は、いかがお考えでしょうか?

【コロンビア大学…有名なドクタ−モルツ博士(サイコサイバネティクス)が、
いらっしゃいましたです〜〜〜ョネ】と云う事は、哲学的な考えができられますものと思いますが?

1045金木犀:2012/07/31(火) 03:50:38 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(12)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

人口制限は日本を弱体化する

人口が過剰になると、止むを得ず侵略をする惧(おそ)れがあるから日本の人口を制限しようと云う人は、人口がとぼしいためにその固有の領土すら常に近隣の大国の侵入に晒されて手も足も出ない少数民族の現状を見るがよいのである。真に完全に独立している国は、他国の手助けを借りることなくして自国を護り得る者でなければならないのである。この意味に於いて、人口の少ない少数民族の国は、国際的に独立国とみとめられているだけで、実質は独立しているのではないのである。実質が独立国になるためには人口が多くなければならないのである。その国の人口が唯、多いと云うだけでも一つの対外的威力となり得るのである。中共が朝鮮に侵入して来て、それが明らかに北京政府の司令によるものでありながら、中共義勇軍と仮称して国連軍に対して押しをきかせて北鮮を有利にしたのは、中共軍の装備が立派だからではなく、中共の人口が尨大(ぼうだい)なものであり、アメリカが出来るだけ中共軍を怒らせたくないために遠慮したからに過ぎないのである。人口の多いさは、ただそれだけで強大なアメリカに対してすらもこれだけの威力を発揮し得るのである。アメリカが日本の人口を増加しないように、或る点でくいとめたいために産児制限を奨励しようとしたのは占領政策として無理もないことであったけれども、日本人自身が人口を制限して、自国の威信を弱小に制限しようなどと考えるのはまことに愚かなことだと云わなければならないのである。(つづく)

1046a hope:2012/07/31(火) 07:09:02 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験①


生長の家に家庭光明寮という花嫁学校がありましたが、
そこを卒業された方に重田さんというお嬢さんがありますが、
その方のお母さんは生長の家の誌友になって大変心境がお進みになったのであります。

家族中全体が生長の家の思想をお持ちになりまして、
人間を誰でもみんな神の子であると拝むような気持ちになられました。

その息子さんで商業学校出のまだニ十歳ぐらいの方がございますが、
家が金物屋で、この息子さんが商売の手伝をして金物を売っておられた。

或る日のこと、その息子さんが、お客さんに少しでも深切をしてあげたい動機で、
何でも二十三銭とかにうるバケツを、一銭値引きして二十二銭でお売りになったら、
お客さんが非常に喜んだというので、その息子さんがまた喜ばれまして、
同じ値段を引くくらいならばひとつ原価で売って上げようと言って、
元値(もとね)の十九銭でお売りになったそうであります。

そうすると、重田さんのところは金物が安いというので、
京都中で一番よく繁昌(はや)る金物屋さんになった。

すると金物屋の同業組合から、
「君の方でそんなことして貰うと市価(しか)が下がって困る」という苦情が出て、
それは中止しなければならなかったそうでありますが、
余りよく売れるので卸売値段が安くなって元値で売ったときにも、
やはり儲かったということでありました。【昭和十年ころの話】
(つづく)

1047金木犀:2012/07/31(火) 12:38:28 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(13)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

避妊と堕胎の公認は性道徳を頽廃せしめる

産児制限は避妊法と人工流産(堕胎)によって行われる。最近一年間に指定医によって届け出 られた人工流産の数は六十万人だと言われるが、指定医によらずして手軽に堕胎されたる胎児はその二倍数にのぼるということである。一年に合計百八十万人が 殺されているということになっているのである。

しかし最近、指定通り認定さえあれば何人でも自由に堕胎して差し支えないことになったので、これはどのくらい増加するか今のところわからないが、これも占領政策に迎合した被占領者の愚かなる追随である。せっかく宿った人間生命を殺すというようなそういう残酷なことはなるべくしないように避妊法を行えというように宣伝され、避妊薬が氾濫し、避妊法を政府の 役人または政府から命令を受けた人が公然と教えて歩くというようなことまで行われているのであるが、それがどんな結果になるかというと、「性欲はできるだ け恣(ほしいま)まに楽しめ。そしてその結果としての重荷を負うな」ということになって、いよいよ性道徳の頽廃を奨励することになるのである。

古代ローマが滅びてしまった原因は五官の楽しみを満足させるための味覚の饗宴や、性設備が行き届いて、宴会などでも、食事は五官を楽しますためであって働 くためのエネルギーを補給する栄養ではなくなり、腹いっぱい楽しんで食べた後にはそれを吐き出す設備がととのえてあって、吐き出してはまた食べるというよ うな楽しみ方になっていたという。

食物が栄養のためにとられず、ただ五官の楽しみのためにとられ、性欲が生殖や夫婦の愛情の満足のためではなく、ただ五官の満足のためにのみ遂行せられるようになったとき、それは「自然」の意志に反逆するのであるから、必ずや「自然」は彼にその報いを与えるのである。
その報いとは人間生活の堕落、道徳の頽廃、毅然たる道徳精神の滅衰ということである。現に日本人の多数(大多数ではないかもしれぬが)はその報いを受けつつあるのであり、幾多のいまわしき事態が続々と起こりつつあるのである。

これは日本の人口を減少せしめようとする占領目的と同時に、一石二鳥的日本頽廃化の目的を達しつつあるのである。

1048SAKURA:2012/07/31(火) 21:48:52 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

暑いです〜ョネ!モ〜〜〰ゥ!汗が“タラタラ”><と?今年はとても暑くなりそうな予感です。…が?
「エコ−対策」の御蔭で、実は〜〜〜“電気代”も、抑えられて!何と【感謝…】
部屋の中は〜〜〜やや!涼感です。…が?それでも“冷房…規定の温度”で使用できます事が【感謝…】
「エコ−対策」で、随分“節電”が出来まして、今年の“電気代”は〜〜〜何と!何と!半分です。
それと同様…【心の対策】も、必要のようですが〜〜〜><外で求めるより…【内に求める心】…
【鬼は外〜〜♫〜〜福は内〜〜♫〜〜】です〜ョネ!
そうです〰〜〜ョネ!【福音の書物〜〜〜福は内から“幸福を招く365章”〜♫】

■【幸福を招く365章】
――――常に積極的なこころを維持せよ――――

決してあなたは不安、取越苦労、懐疑、嫉妬……等あらゆる消極的な想念感情の虜となって
はならないのである。常に信頼、幸福、明朗、楽天の積極的想念をいだくようにすべきである。
あなたの想念感情が明るい波長にならばなるほど、神の導きの声がハッキリときこえるように
なるのである。神の声をきくと云うのは耳の中で囁くように聴こえて来ることもありますし、頭
の中で「声なき声」として感じられて来ることもありますが、誰かが訪問して来て導きになる
善い話をもちかけて来る事もある。
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■そうなんです〜〜〜ョネ!
もう〜〜〜“不安”は、何処かへいったような“心境”でしょうか…!
「なる様に?なる?」…これは“ダメ”です〜〜〜ョネ!心の奥で“ネガティブ感情”ですから?
私は、必ず“いい方向”にいくと強い“意識=意志力”をい抱きましての“行”を…
そう致しますと“実現”となりますで〜〜〜ショ!

「実相顕現」で、“心が力む”という事は、潜在意識の中に多少“現象をつかむ心”があるのでは?
無いのでしょうかしら〜〜〜ン!その様にこの頃は、思いますので
“心は?いつも自然体”で、いきましょうかと?思うようになりました。…が?

きっと!「良くなるしか無〜〜〜イ!」と思います。…が?今の私は、その様に【楽観心境】です。
現教団側から出ていかれました方々…?これから出ていかれようとの思いの方々…?
個人的には、何処に行っても“同じ繰り返し〜繰り返し〜♫”のように、思えてなりませんが?

ある面では【長編詩…新聖経】でも、いいのではないでしょうか?

■実は、一昨日・昨日は、“パ−トナ−の母親”に「普及誌」を読ませる機会がありました。…が?
彼女の母親は「認知症…」??
はたから見ましても“心”が、晴れ〜晴れ〜♫となる様な感じが見受けました次第なのです。
「人を活かせる事が、自分も活かす事にも繋がります。」この“言葉”から…今回の体験は、
現在の「総裁雅宣先生」の考え方によります「運動展開」が出来る様にとも、思えますが〜〜〜?

私は「神の声」が、聞こえるまで【祈り…】をしてみようと、思いますが、
【長編詩…新聖経】を読んでも、瞬時ではなく、時間・空間を経過しまして…必ず!
後から“良い方向”に、物事がいくような気持になるのです。…が?
更に「昔の霊の方」で、やはり【現総裁先生…の指導霊】の方は、上の方の様に見受けられましたが?
更に!“意志力”を強く!そうしますと、必ず!“実現”を起すように思えます。…が?
「ネガティブな感情」が起きますと、当然私の“潜在意識”を「ボディティブ感情」に転換です。

【長編詩…新聖経】も、後から「結果=奇蹟=解決」が出来ますのでは無いのでしょうか?
唯今「現象=現実世界」にて論争が、起きています。…が?今までとは、違うようにも思えるのです。この頃「甘露の法雨」を、読誦していますと〜〜〜(微笑)“睡魔”が〜〜><
一人で?これは私に“頼っているの〜♫”とか?
やはりそれを考えまして【長編詩…新聖経】読誦すべきでしょうか〜〜〜しらン?
悩みますが「今日の言葉」より、
モット〜〜【自信と信頼を神へ…】・更に【内なる神に…】です〜〜〜ョネ!!
                              
                                    再合掌
PS:
トキ様は、「新聖経…」に対して、抵抗感があられる様ですが〜〜〜?
果たして【奇蹟…】が、起きる様になりますと〜その時は如何なお考えになられますかしら〜〜〜ン!

1049ハマナス:2012/07/31(火) 23:41:05 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

パン種とふくらす力  (『新版 生活の智慧365章』P.214)

実相世界はメリケン粉の中の入れられたパン種のようなものである。それは内部から
ふくらんで現象の形をつくろうとするのである。しかしその「パンの形」を如何に
するかは、パン焼師が心によって水で捏ねたメリケン粉を如何なる形にして置くかに
よって定まるのである。麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を丸くして置けば丸
い形のパンが出来るのである。麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を細長くして
置けば細長い形のパンが出来るのである。コッペ型にして置けばコッペパンが出来る
のである。

 それをふくらす力は内部の実相にあるのだけれども、どんな形にふくらすかは人間、
自身が如何なる心で如何なる形をつくっておくかによって定まるのである。法則は
厳重であり、愛憎によって現象界の姿を変化するものではないのである。

感謝合掌

1050a hope:2012/08/01(水) 08:04:40 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験②


或る日のこと「今川焼」といって、メリケン粉を溶いて流し込んで、
そこへ餡(あんこ)を入れた饅頭(まんじゅう)のようなものを焼いて売る露天商人がありますが、
その露店商人が重田さんの店へ来て、その今川焼を焼く鍋をくれと言うのです。

店頭(みせさき)に型の大きいのと小さいのと二種類その鍋が陳列してあったのであります。
ところが重田さんのお母さんが、奥座敷でちょっと手の離しにくい忙しい用事をしておられたので、
そのお客さんが「この今川焼のお鍋これは幾らですか」と言われたら、
店先まで出て行かないで、座敷からちょっと覗いて見て、
「その大きい方はいくらで、小さい方はいくらでございます」と言われて首を引込められた。

「それじゃ小さいのを貰ってゆきます」こう言って、
その露天商人はお金を置いて立ち去ったようでありました。
あとで見ると、大きな鍋を持って帰って小さい方の値段を置いて帰っておったのであります。

それを見て、息子さんが、
「今まで生長の家の本を読んで、人間は神の子である、仏の子であると思っていたが、
ああ人間にも神の子でない者がある」こう言われたそうであります。

重田さんのお母さんはそれを聞かれて、すぐ反省せられたのであります。
「ああ申訳ないことをした。人間にも神の子でない者があるという理由がない。
神の子でない悪人のように見えるのは心の迷いがそこに現れているので、
誰も本当の人間はみんな神の子なのだ。
それだのにただ一人でもこの人類の兄弟を神の子ではないと
自分の息子に思わせたということは申し訳のないことをした。
何とかしてみんな人間は神の子だと思わすようにしたい。
神の子であり善人である人間を悪人だと思わすようにしたのは、それは私が悪かった。
なぜなら、私は商売をしているのだから、お客さんが来たら側(そば)までいって鄭重(ていちょう)に応対して、
品物を渡してお金をいただいてお礼を言わなければならないのを、
つい忙しいからと自分勝手の理由で、奥座敷の方から『それはいくらですよ』と軽率にお客さんを取扱った、
それで私の軽率な心が映ってお客さんがこういうふうな軽率なことをなさったのだ。
これはお客さんがわるいのではない、私の心の軽率がお客様の上に映写(うつ)されて、
そういう仮の相(すがた)が現れただけであるから、
ぜひとももう一度あの人にも神の子であるという実の姿を現していただくようにしなければ申訳がない」
とお考えになりまして、

「そうじゃありませんよ」と、その息子さんに言って、

「あの方もやはり神の子だ。
私が軽率でわるかったのだから、
今にきっとあの方は必ずお金を持って来て、
正しい神の子の実相(ほんとうのすがた)を現されますよ」
と言われたそうであります。
(つづく)

1051ハマナス:2012/08/01(水) 17:33:17 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

自己表現としての世界  (『新版 生活の智慧365章』P.214より)

 この世界は自己表現の世界である。自己の内部に播かれたる普遍的にして個性的な天分を
表現したとき、その人は悦びを感ずるのである。母親は子供に対する愛情を完全に表現し得た
とき母親としての普遍的な悦びを感ずる。しかしその表現の仕方は個性的であって、ひとりひとり
の母親によって異なるのである。だからこれを「普遍的にして個性的な天分の表現」と言うのである。
良人は妻を愛し得たとき良人として普遍的は悦びを感ずる。しかしその愛し方は個性的である。

 宗教家は信仰をその体験と説教とを通じて表現し得たとき宗教家としての普遍的な悦びを感ずる。
しかしその体験と信仰とはその人に独特の個性的なものである。美術家は美を表現し得たとき
普遍的な悦びを感ずる。しかしその美の表現の仕方は個性的なものである。
この世界はまことに普遍的にして個性的な表現の世界である。

感謝合掌

1052SAKURA:2012/08/01(水) 23:29:09 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春時代の本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「2回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・?ちょっと開いていきます

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )

――――みずからを助ける心――――

| ❤ まだどうもよくわかりかねるのですが……。もし幸せがわたしたち次第で、魔法の
| スイッチを押すことができれば、すぐ幸せになれるようなものならば、なぜみんなが
| すぐそうしないのでしょうか。

魔法のスイッチなんてものはありません。ただあるのはこころのもち方だけです。自分の
大切な人生に責任をもつということは、わたしたちがさまざまなことに立ち向かっていく
方法に深い変化を生むことを意味します。ところが、わたしたちはこうした変化、この責任
をなんとか回避しようとしていろいろなことをしているのです。
 
自分が不幸せだと感じると、誰がいけなかったとか、なにがいけなかったとか、他人や他の
ことに責任を転換するだけで、少しでも幸せの方にちかづいていく努力をしないのです。自分
の気持ちをいうときでさえ、まるで他人のことを話しているような言い方をします。単純に
「わたしはそう感じた」といえばいいものを、まるでなにか驚異的なちからで圧倒された無力
な生き物のように、「こんな感情がわたしをおそってしまった」という無責任ないい方をします。

 そんなときには、私たちにはコントロ−ル不可能な天候のように、感情が晴れから嵐に
急変するかのようなもののいい方をします。このように自分の気持ちをお天気のように考えて
しまうやり方は、きわめて便利ですね。それはたしかにわたしたちに逃げ道を与えてくれますから。
ただ自分で選択するチャンスをおしのけようとして、自分自身を小さくさせてしまうのです。

           ――――――― * ――――――――

| ❤ あなたの話ではわたしの気持ちはまだすっきりしないのですが。つまり、感情と
| いうものは不思議なもので、たしかにわたしたちのこころのなかを去来するものですが、
| たいていは、なぜあのとき感情がああなり、いまこうなっているのか、ということは
| 誰にもわからないものです。
|  もしわたしがなにかに怒りを感じたり、動揺したりしたときでも、わたしは自分を
| 制して、皿を投げたり、涙を流したりするのをやめることはできます。しかし、動揺
| したりみじめになったりすること自体はどうにも自制できるものではありません。
| もっとも、みずから好んで怒ったり動揺したりしているのかどうかは、自分でもはっきり
| しないのですが。でも要するに、たまたまなにかでこころが傷ついたとき、わたしはその
| 「 傷 」をそのまま感じる権利はあると思うのです。 

たしかにそのとおり、あなたには感じる権利があります。幸せを感じるのと同じように、苦しみ
を感じるちゃんとした権利をもっているのです。すべてのことにある感情を抱くということは、
あなたが真に人間であるという証拠です。しかし、人間は不快な感情にのみとらわれることが
あまりにも多いのです。それはときには好んでそうしているのではないかとさえ思われるのです。
 
 人々は自分がやろうとしていることの意味をあまり考えずに、なんにでも取りかかってしまうこと
があります。自分を不快に感じさせるようなことを自分でして、「ああ、わたしは耐えられない」
と嘆くことがあります。ところがそれは、ほんとうは、「ああ、わたしはなにもしなかった」を意味
しているのです。でも、わたしたちはみな、どんなことにぶつかってもみずからを助けることが
できるはずなのです。
     
           ――――――――― * ――――――――
                              <つづく>

PS・「トキ様」へ…
【ベスト・フレンド】今回の項目は長いのですが〜〜〜><
当時の【翻訳の表現…】が、固くて、この頃の時代の“翻訳=日本語”の表現は〜〜〜
【真理…】も、やはり“言葉の表現”での影響力は多大なモノではと?
改めまして思う次第なのです。…が??
それによりまして「悟り?」も〜〜〜><なのでしょうか???
「トキ様」は、どう思われますでしょうか〜〜〜??
更に、引き続き【みずからを助ける心…】シリ−ズを投稿させて頂きます…。  再合掌

1053a hope:2012/08/02(木) 07:31:14 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験③


その露店商人はその金物屋の前を毎日屋台店を押して行くのでしたが、
その事のあって以来、その露店商人は一向(こう)重田さんの店の前を通らなくなってしまったのです。
何かうしろめたいような気がするのでありましょう。
それで、重田さんの奥さんはますます恐縮せられた。

「これは申訳ないことをした。あの人が極(きま)りの悪い思いをしてここを通らないのは、
自分のいまひとつの落度から、あの人の住む世界がこれだけ狭くなったのである。
ああ申訳のないことをした。もっと私が深切にお客さんに応接する心があったならば、
人の世界がこんなに狭くならなかったであろうに」こうお考えになられまして、
その露店商人のために祈っておられました。

或る日重田さんの奥さんが、京都の街を歩いておられますと、
その露店商人がどこかで屋台店をおろして今川焼を焼いておったのであります。
それを見て、重田さんは心で掌(て)を合して
「露店商人に申訳ないことをしました」と言ってお詫びになった。

そして家へお帰りになると息子に、
「あすこにあの今川焼屋さんがいるから、あんたお金を貰ってきてください。
きっとあの人は今では実相があらわれて神の子になっておられてお金をくださるから」と言われた。

そこでその息子さんは、自転車に乗ってそこに出掛けて行き、今川焼屋の屋台店のところへ行って、
「おじさん!」とこう一言言った。

そうしますと、露店商人はこちらを見て、重田さんの息子さんの顔を見ると、
「いや、わかっとる、わかっとる。つい忙しかったので持って行かなかったが、
後から持って行くから」と言った。
そうして暫くすると、本当にその残りの金を持って来て、
「どうも申訳なかった」と言ってお詫びをして帰ったということであります。

これは、重田さんのお母さんが、その今川焼屋の実相を見られて、
「あの人は本来神の子であって、泥棒ではないのだ、泥棒に現れているのはうその相(すがた)だ、
本当の相は神の子である」という心持で、その本当の相を祈り出されたからであります。

(「第十五章 困難の生かし方」 終り 次回から「第十六章 日常生活の生かし方 へ)

1054志恩:2012/08/02(木) 11:33:29 ID:.QY5jUA6
訊けさまの
臨時ブログのことが、島流れ島の方に、載っていましたので貼付させて頂きます。

今、拝見しましたが、見れる様になっていましたよ。よかった、よかった。^^

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1343643044/30

1055ハマナス:2012/08/02(木) 15:51:12 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんにちは。

志恩様
ご親切に、訊け様のブログを貼って頂きありがとうございました。

実相世界の秩序  (『新版 生活の智慧365章』P.215)

 此の世界は自己表現の世界ではあるけれども、自己表現を遂げるがために、他の人の自己表現を
妨げたり、他の人に苦痛や不幸を与えるようなことをしてはならないのである。何故なら、此の
世界を表現している「奥なる生命」はすべてのものが一体であり、互いに侵し合うことなく調和
した生かし合いの世界であるからである。これが「実相の世界」の秩序である。だから此の「実相
の世界」にある善きものを現象界に調和してあらわすには、他の幸福を侵すような形でそれを求め
てはならないのである。

 他を侵すような形に於いて求めるならば、それは実相の秩序と相反することになるから、実相の
世界の秩序と波長が合わず、求むる事物が得られないことになるばかりではなく、若し、それが
得られたら、実相の秩序が崩れて不調和な状態に苦しむようになるのである。

感謝合掌

1056トキ:2012/08/02(木) 17:10:51 ID:l4LpfzzY
>>1052

 大学入試の英文和訳なら正確さだけが問題でしょうが、普通の和訳なら、わかりやすい
日本語にする事が大事だと思います。言うのは簡単ですが、実行するのは大変な努力が
必要だと感じますが。

 一般論ですが、人間はどうしても自分を基準に物事を考えるので、相手に誤解を与える
時があります。

 戦争中、捕虜収容所の所長が、捕虜に栄養を与えようと、苦心して「ごぼう」を手に入れて
捕虜に食べさせたら、戦後、BC級の戦争犯罪人裁判で、「捕虜に木の根を食べさせた」と
言って、捕虜虐待で有罪になった事例がありました。

 国が違うと考えは違います。ただ、その中で、人間性とか愛情というコアな部分は共通します。
生長の家が、世界で受け入れられたのは、そういう部分が共通したのだと思います。

1057SAKURA:2012/08/02(木) 19:41:40 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1056拝読させて頂きまして…

■「日本語の英文和訳」は〜〜〜><
“大学の入試の場合”は、いいのでしょう。…が?

そうです〜〜〜ョネ!私自身、思いますが〜〜〜このように「哲学的…」になりますと?
【言葉の重さ?表現力?…etc幾分変わって来るように思えてなりません。】
しかし、当時の場合は、それなりに“素晴らしい翻訳”だと思います。
今日の“情報社会体制”となりました現在は〜〜〜しかしながら?
やはり!更に“高度化?”……上手く表現ができませんが「単語一つ」に、致しましても、
その「単語の持つ?意味するところの“感情”が〜〜〜」どの様なものかを、把握しました上で、正確なる“通訳”を、求められる時代背景へ、突入した感じが致します…。

それは、更に申しますと、その人自身の表現に、なりますのではと思います。
【表現の個性化】でしょうか??

更に「終戦後裁判での情報」を、教えて下さいまして、ありがとうございます。
投稿を拝読させて頂き、解釈のあり方も国によって違うことが〜〜〜><
【木の根?……ごぼう?】随分違いますモノ〜〜〜><

私も最近【国際化…】で、戸惑う場面が多々あります。…が?
これに関しまして、更に【モラル…慣習…習慣】も異なりますモノ??
各国に於けます違う概念・・・・・特に「東南アジアに旅行される方々」…も
最近では、色々問題事が起きているようです〜〜〜ョネ!同じアジア圏でも?なのですかと?
後程…「女子会 板」で、詳しく“投稿”させて頂きましょうかしら〜〜〜ン?
                             再合掌

PS:トキ様は、国際化によります「モラル性・慣習・習慣??」感じられました事は、
在られますでしょうか?この頃思うのですが?【感情の捉え方…】が、
全く異なっていますモノと??それ故に、この感情の捉え方の相違によりまして、最終的には、
「戦争…」という原因にもなりかねませんです〜〜〜ョネ!

1058SAKURA:2012/08/02(木) 21:24:30 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春時代の本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「2回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・? 昨日の“投稿文章”は、如何でしたか?

引き続き>>1052【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )                   


| ❤ほんとうにできるのでしょうか。できるとすれば、それはすばらしい考えです。もっと詳し|
| く聞かせてください。どうすればいいのでしょうか。                  |
 

方法はいろいろあります。まず、最初に基本的な決断をしなければなりません。あなたは自分
自身を向上させたいと思っているのですか、それとも堕落してもいいと考えているのですか。
あなたは自分自身の味方となりたいのですか、それとも自分を敵にまわしてもいいと思って
いるのですか。

 奇妙な質問と思われるでしょうが、たいていの人は自分を自分の最大の敵にしてしまっている
のです。もしあなたが自分を救おうと決心したら、自分が恐怖を感じるようなことをしないで、
爽快な気分を味わえるようなことだけ選んで行うべきです。あなたに喜びを与える行為もあれば、
苦しみを与える行為もあります。あなたはなにもわざわざ自分に苦しみを与えるような行為を選ぶ
ことはないではありませんか。これはあなた自身が自分に問うてみるべき重要な質問なのです。

 人々は公害問題について心配しています。しかし、わたしたちがみずからのこころに与える
害悪は環境破壊よりずっと危険なのです。こころを汚染させるにはテレビも雑誌の漫画もいらな
いのです。自分自身で自分のこころを汚染させているのです。誰もみずからの価値をさげる方法
を教えてもらおうなどとは思っていないはずです。人間の過ちや欠点というものは、たとえ現実に
存在しなくても、簡単に見つけ出し、作り出せるものです。

自分の価値を高めてくれるものを見つけ出すことは、ほんとうの意味での自分への挑戦なのです。
ところが、人は自分のもっている長所を逆におおい隠してしまっているように思えます。

         ―――――――― * ―――――――――

| ❤しかし、自分のすぐれた面しか見ない人もたくさんいるようです。現         |
| 在の自分の状況 にまったく満足してしまって、なにかぐあいの悪いこと        | 
| が起こると、それを自分ではなくて、他人のせいにする人も多いように思えますが    |


もちろん、います。しかし、そういう人でもこころから他人のせいにしているわけではありません。
自分自身がいかに偉大な存在であるか、あるいは他人がいかに偉大な存在なのかを認められずに、
暮らしている人もまた自分で目をおおっている人たちなのです。自分に取り柄のない人間という
レッテルが貼られるのをこわがって、自分の欠点につい目をつむってしまうのです。こういう
タイプの人たちは、自分が完全な人間になるか、でなければ史上最低の人間になってしますかと
いう二者択一的な考え方しかしないのです。


問題は自分自身を見るときにこうした態度を捨てきれないという点にあります。これは根本的には
自己省察を否定しているからなのです。自分を変革しようと思うなら、まず自分の行為に欠点が
ないかどうか、冷厳に見つめることが大切です。と同時に、堕落の道に通じる手口を見抜く能力と、
かりにその道に入ったときでもこれは自分の本意ではないという自覚をもたねばなりません。
そうなってはじめて、あなたは生活の誇りと喜びを味わえる仕事に着手できるのです。

        
 ―――――――― * ―――――――――

PS:
「トキ様」は、何か?難問題が自分自身に、のしかかってきました時?
【心が外に向けられた事】が、ありますでしょう〜〜〜か??
以前の私の場合は、振り返りますと【内に向ける事が出来ずに、全て!外に向けて…】
いましたが、当に!今【反 省 … !】の“心”そのものです。…が?
私の「潜在意識=心」は、あくまでも私自身の“心”です〜〜〜ョネ!

今回!改めて直ぐ外に向ける“心”を、もっと掘り下げて【祈り…】に集中でしょうか??
「トキ様」は、もしも?外に向けられた時は、果たしてどの様に“対処”されますでしょうか??

1059a hope:2012/08/03(金) 07:24:17 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

第十六章 日常生活の生かし方


一、あなたは何のために勉強しますか?
あなたは何のために働きますか?
人に威張るために勉強する、お金や衣服や食物を得(う)るために働く、とこう考えておいでなら、今日からこうした考え方を止めにしましょう。なぜでしょうか?

二、勉強すること、仕事をすることは、自分の生命が伸びることだから、楽しくてするのです。

三、使ったら減る、働いたら損をすると思うことは大きな間違いです。
誰でも自分の持っている力が限りなくあることを信じて、何をするにも全力を出す人は何事にでも必ず成功します。
よいと信じたことを確(かた)く守って倦(う)まず撓(たゆ)まずに努力する人は、いつも他の人より優った地位に就くことができます。

四、この世の中には大臣も代議士も博士も必要です。しかしそれより前に強く正しく明るい人に成ることが必要です。
強く正しく明るい人とは、他の誰に対しても自分に対するのと同じように深切を尽して悲しみや苦しみに負けずに、いつも元気で力いっぱい自分の仕事に精を出す人です。

五、あなたと一所(しょ)にこの世に住んでいる人は皆神様仏様の思召(おぼしめし)でこの世に生まれた、神の子仏の子で、あなたとは未だ一度も会ったことも話したこともない人でも、その人はあなたの兄弟姉妹と同じですから、互いに助け合い深切を尽くしましょう。
病気や不幸で苦しみ悩んでいる人にはまごころを以(もって)て慰め、元気をつけてあげましょう。

六、神様仏様はあなた達銘々(めいめい)の中にもいられます。神様仏様は絵に描いたものでも、木や金(かね)で作ったものでもありません。
よい事をして嬉しいのは、あなたの神様仏様がお喜びになるからです。神様仏様にいつも本当に喜んでいただける様な事のたくさんできる方は仕合せな人です。
(つづく)

1060金木犀:2012/08/03(金) 14:25:52 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(14)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

殺生を無くする農業

しかし人口制限を行わなくては、一定の領土内で生活し得る食糧が量的に不足して、避妊数と人工流産数とを加えただけの人間が健全に育っていたならば、愈々益々食糧が不足して多くの国民が餓死するようになるだろうと云う人がある。しかしこれは杞憂に過ぎないのである。

私は終戦直後、日本の人口は横に他国を侵略しないでも、空中に摩天閣をつくって伸びて行くならば、現在の人口がその十倍になっても二十倍になっても面積に困ることがないことを述べた。先づ大体平均十階以上のビルディングを建てさせる。そして互いに建物同士が光を邪魔して他の建物のルーフを陰らすことのないよう各建物のルーフが平等に日光を受けるように高さを平均する。そしてこの日光の豊かな階上のルーフを食糧にある植物の水栽培の田地とするのである。

かくてこの屋上で栽培される食物を収穫し、そのビルディングに住む人の食糧は大体、その建物のルーフで収穫し得る食物で足りるようにするのである。人類は殺人のためにいろいろ新兵器を作っているが、その懸命の努力を、このルーフの水栽培の方法に注ぐとき、近い将来に人類の食糧は各々の住宅の階上で得られる収穫で足りることになり、その収穫物を味覚に適するように脱臭、調味などすればよいことになる筈である。

或はその栽培される品種によっては人間の味覚に適するものがあるかも知れない。田宮博士の栽培しているクロレラと云う水栽培の緑藻はピレノイドサと云う品種で、ソバに似た味で味覚も大して悪くないと云う。クロレラと云う直径1,5乃至8ミクロンの球形又は楕円形の単細胞の藻を栽培する実験は、五年前カーネギー植物研究所のスポーア博士が提唱して以来、米国では大仕掛に行われている。この提唱は私が『白鳩』誌に、高層建築のルーフに水栽培せよと提唱した時と略々(ほぼ)同時であるが、これは世界はひとつの生命の波によってつながっているから同時に同様の構想に到着するのである。

1061金木犀:2012/08/03(金) 14:27:21 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(15)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

日本でも徳川生物研究所長の田宮博士が行っているのである。この緑藻は一日十倍にふえるという繁殖率をもっていて、太陽エネルギーの吸収率は普通の農作物の四十倍以上、反当り収率は米の三石(四百五十キロ)、大豆の百二十五キロに比べて4,5トンである。栽培法の改善によってなお収量を増加し得るのである。田宮博士は「年中ひまなしに働かされたのではクロレラだってたまるまい。たまには休ませた方がよくはないか」と思いついて間欠的に日光を照射する工夫をしたら、これだけで忽ち倍近く収量が殖えたと云う。その成分は蛋白質42、脂肪22、澱粉24、灰分12、ビタミン各種豊富と云うように頗る栄養価が高いのであって、殆ど人造肉と云っても好い位だと云われている。

池や沼などがなくてもビルディングの屋上を栽培池として、それにその建物にに住む人の排泄物を消毒し、清浄澄明なる化学肥料とでもする装置を発明して、必要に応じて、階上の栽培池に配給栓一つひねればその適当量の肥料を送ることが出来るように工夫するのである。かくて人口問題、居住問題、食糧問題が解決すれば、殺人的人工流産の必要はなくなり、戦争の危険はなくなり、食糧として肉食に匹敵する緑藻の類を食するのであるから、人類相互の殺戮だけではなく、あらゆる生物を殺すと云う悪業の因を断ち切ることが出来るのである。

人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、一点一画といえども、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則と矛盾するのである。人類の平和は先づ生物を殺さないことから始まらなければならないのである。最近、生長の家の誌友にして万国生類愛護協会の会員たる小牧久時君から次の様な平和愛好の感情に満ちあふれた手紙が来ているので、平和日本再建の基礎は、こう云う深’い’生’類’愛’護’の’し’み’じ’み’と’し’た’感’情’から生まれて来るのであって、平和を戦い取るごとき好戦的な感情から来るものでないことを知って頂くためにその手紙の一部を次に再録させて頂く……筆者は京都薬科大学微生物研究室の先生である。

1062金木犀:2012/08/03(金) 14:28:54 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(16)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

「農耕にも殺虫の如き殺生がつきものではないかと申される方もございましょう。しかし『黄金の土』のロデイルは『害虫の真の役目は検閲官のようなもので、不自然に肥培した作物を指摘するのである』と克明な実験と統計をあげてのべております。ロデイルは又こうも申しております。『若しミミズが死ぬような条件(強い化学肥料)があればバクテリアの繁殖は妨げられ不作になるから、益々焦って化肥だ消毒だと……土地を台無しにしてしまうのである』ミミズは自然なる農夫だとさえいわれております。よし此の愛らしいミミズを多少、私共の不明から傷つけることがあるにもせよ、詫びたい真情の片鱗でもございましたら、無辜(むこ)のミミズを大量殺戮など思いもよらぬこと、それ以前に何か他の道を選んだことでございましょう。……思い切りが大切だとつくづく思います。

そうして思い切りは和解・和解・和解・ただ和解からのみすらすらと出てまいりますのでございますね。和解こそ決断の母でございます。拝み切った時、――まったくたくまずに決断ができるものであることを、しみじみ解らせていただきました。母に感謝しきったとき、私は『私は菜食を好みます。なるほど世間の慣習とはすこしばかり異なるかも知れない。しかし、私の使命は法施にあります。法施のためには、その方が良い筈です。とにかく殺生は好みません』とたくまずに申すことが出来ました。そこで道が開けました。私はもう誰はばかることなく自分の希望を率直に人に語ることが出来ました。

洪水のようにエア・メイルが来るようになり、アメリカやスイスの新聞やラジオも私の心からの念願をとりあげてくれました。思い切って意志を表示して以来、先輩も友人も後輩も『小牧さん、小牧さん』と慕うてくれます。農耕でも同じことで、一喜一憂して生涯を過ごすよりも、石の上にも三年、その後、全世界の農民の友となり、全人類の友となり、全生類の好意を受くる道を選ばれたほうが生甲斐があるかと存じます。和解(感謝)こそ、よろこびの鍵であり、よろこびそのものであることを毎日々々痛感致しております。『私』と云う無口な青年が息をふきかえして、毎日々々を楽しくすごさせていただくことになりましたのは偏へに先生のお導きのお蔭でございます。……」

(完)

1063SAKURA:2012/08/03(金) 22:34:01 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春シリーズの本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「3 回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・? 昨日の“投稿文章”は、
如何でしたか?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )                   
     ―――――――― * ―――――――――**

| ❤それはたとえば、どんなことですか。

たとえば、あなたが達成したことに目を向けることです。自分で誇りうる
ことを行ったときには、自分によくやったぞといいきかせ、その体験をよ
くかみしめ、じっくりこころで味わうことです。わたしたちは自分自身でも、
他人にたいしてもこの習慣が身についていないのです。物事がうまくいかな
いときには、自然にわたしたちのこころはそれにこだわってしまいますが、
物事が順調にはこんだときでも積極的にそのことをこころにとめることが大
切です。

自分をどう認識するかは自分自身にかかっています。他人が認めてくれる
のを待っていると、もし認めてくれないときわたしたちは憤慨するでしょう
し、また認めてくれたときには、逆にわたしたちの方で拒否してしまうこと
もあります。重要なのは他人の言葉ではないのです。誰でも人からよくいわ
れれば、悪い気持はしませんが、お世辞をいわれたときのうれしい気持ち
なんかはすぐ消え去ってしまうものだということを、あなたは考えたことが
ありますか。わたしたちが自分自身に贈った賛辞こそ、こころのなかにいつ
までも消えずにとどまっているものです。

人からほめられるのもまた気分のよいものです。しかし、すでに自分で自
分のことをほめているのですから、人の言葉などはもう問題ではありません。
じつはこの点の認識不足が、ある種の偉大な成功者の悲劇を招いています。
まわりの人からつねにほめそやされないと気がすまないくせに、自分の個室
にもどるととたんに冷めてしまう成功者には、こうした悲劇がついてまわる
のです。それは彼らが自分自身のこころの声を聞いたことがないからです。
                          <つづく>
PS:トキ様
九州にいた頃は、他人の視線?が〜〜〜気になりましたし、相手の評価とか?第三者の言葉に
バカみたいに、翻弄されていました事に、気づいた次第なのです。…が?
実を申しますと、此処最近までは、“気にするタイプ”なのでしたが〜〜〜><
TYOに住みだしてからは、逆に「いい事は認める…“心”」が、自然にうまれていたのです。><

先ず!【自分で自分をほめる事】が、大切でしょうか???【自 己 賛 嘆 !!】
又!ここにて、嫌な気持ちが起きやすい“環境”であるからこそ…こだわりを放ち去り
【自 分 自 身 へ の 再 発 見 】でしょうか〜〜〜????点でしょうか?
「トキ様」は、「自分自身で賛嘆」〜〜〜どの様な処が〜〜〜と?採点で行きますと〜〜〜
???点でしょうかしら〜〜〜ン!(微笑)

1064ハマナス:2012/08/03(金) 22:48:53 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

法則は制限の条件  (『新版 生活の智慧365章』P.216)

 私たちはみずから其処へ行くことによって其の風光を楽しむことが出来るのである。
テレビや映画でも風光を楽しむことはできるが、それは、またそれだけに価(あたい)
を支払ってあるからである。 すべて何らかの形に於て相当の支払いをしないでいて
事物を得ようと思ってはならないのである。無論、価を支払わないでも得られるときが
あるけれども、必ず何らかの形で、その後にそれ相当の価を支払わさせられるのである。
それが因果の法則であり、平衡の法則である。

 法則と云うものは、無限に自由なと云うものではない。法則と云うものは事物の運動に
限界を与える条件であるからである。酸素と水素とが集まって水となる法則は、酸素と
水素以外のものが集まっても水にはならないと云う制限の条件である。

感謝合掌

1065うのはな:2012/08/04(土) 03:27:16 ID:eorGcccE
『幸福生活への招待20章』 谷口雅春 先生著P93

 わたしは、(というのは山岡さんのこと)昭和十一年に生長の家に入信させていただきまして、以来
三十年にもなりまして、その間、『甘露の法雨』のお守りを受けまして....。
と山岡さんは先ず言われる。

 『甘露の法雨』というのは、ご存知であると思いますが、生長の家のお経になっているのであります。
そして、それは本来わたしが霊感によって書いた詩であったんですけれども、それを読む人にいろいろの功徳が
あらわれてまいりまして、医者が「不治である」と宣告しておった病人が癒るとか、あるいは戦争に出て敵弾に当らなかったとか...
いろんな奇蹟が起ってまいりまして、“それで”といっても、われわれ自身がこれを生長の家の「お経である」としたんじゃないのであって、
それを読んだ人が「これは単なる詩ではない、こんな霊験が出て来るのは聖経である、尊いお経である」と言いまして、その詩を
お経型の“折り本”型にして頒布することを、生長の家の京都の教化部の幹部の方から始めたのが元なんであります。
それが聖経『甘露の法雨』であります。

1066「訊け」管理人:2012/08/04(土) 03:50:48 ID:???

<告知>

○ ブログ再開のお知らせ

 こんにちは。ようやくブログ再開の目途が立ちましたので、ご報告致します。
本日ただ今の事時刻より「谷口雅春に訊け」ブログ、平常通りの運営をして参ります。皆様にご迷惑をおかけ致しましたが、今後も我がブログをご愛顧くださいましたら幸いです。

 今後も偕に学んで参りませんか。皆様、よろしくお願い致します。


「谷口雅春に訊け」
http://blog.livedoor.jp/con5151/





追伸

 なお、臨時開設致しました以下ブログですが、これもそのままに致します。WEB空間ですが、谷口雅春先生の御名・・・・出来るだけ沢山存在した方が得でございましょう。(検索して掲載されるブログ等、多々あった方が良いと思います。)

 以下もどうぞ、ご愛顧の程よろしくお願い致します。

○ 「谷口雅春の言」――神洲清潔の民に告ぐ
http://blog.livedoor.jp/con5151-5151/

1067a hope:2012/08/04(土) 10:10:45 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方 ②


七、偉い人とは大臣、代議士、博士、大会社の重役等に限った事ではないのです。自分の仕事をまごころを以(もっ)て完全に行う人は皆偉いのです。
たといあなたが、大工さんでも八百屋さんでも工場の工員さんでも自動車の運転手さんでもかまいません。あなたのする事が多くの人に喜ばれたならあなたは偉い人です。

八、あなたは生きています。生きているということは、誰か他(ほか)の人から喜ばれていることなのです。他の人から憎まれ嫌われる人は生きていても死んだと同様です。
少しでも世の中がよく成る様に努める人は本当に生き甲斐のある人です。

九、着物、食物、住んでいる家、その他何から何まで自分の力だけでできるものは一つもない。あなたの食べるものや着るものを作るために、数えきれぬほど多勢(おおぜい)の人達が昼も夜も働いていてくださいます。そんなに多くの人の骨折りででき上がったものを、あなたが働かずに食べたり着たりしてよいものでしょうか。
あなたはこの多勢の人達にお礼するためにも一所懸命にお働きなさい。

十、鉛筆一本紙一枚も粗末に取扱ってはなりません。倹約とは要るものを使わないことではありません。何でも最後までそのものの役目を完全に果たすまで使い切ることが倹約です。
それを作った人の骨折りをありがたく思い、大切に使うことが本当の倹約です。

十一、成功した人を見て、「あの人は運が良い」と言ったり考えたりすることは間違いです。成功した人には必ず人に知られぬ多くの苦心や努力があるものです。すべての物事の成就には努力と忍耐が必要である事を知って、これを自分の上にも適用(あてはめ)る人は幸いです。これこそ成功する唯一の方法です。

十二、誰かがあなたに対して悪い事をしたり、悪口を言ったりしても、怒ったり憎んだりしてはなりません。あなたの中にある神様仏様は誰よりもあなたが正しいこと御承知ですから、そしてあなたは、その人があなたに対して抱いていた考えが間違であったという事を、あなた自身の深切の行いで知らせなさい。
人と争うことは、たとえあなたが正しいにしても、決してよい事ではありません。

(つづく)

1068SAKURA:2012/08/04(土) 20:56:43 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なので〜す。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に…? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い ) 

        ―――――――― * ――――――――

| ❤そんな人は、自分でほんとうに確信がもてないために、何回も何回も
|  同じ事情を証明しないと気がすまないのですね。ちょうど、同じものを
|  いくつもつづけて買っていながら、自分がほんとうに所有したと信ら
|  れない人間、つまり何事につけても充実した気持ちをもつことのできな
|  い人間のように思うのですが……。

   
そうです。そうした人たちはやはりまだまちがった座標軸から物事を眺め
ているのです。それはドン・ファン(スペインの伝統的遊蕩者)の行為を思
い起こさせます。そうした極端な例では、それが一種の狂気とも思える執念
深さだとはっきりとわかってくるのですが、自分のことになると、みんな見
極めそこなってしまうのです。

 もしある人が一週間の食事制限をしていて、一日だけその禁を破って食べ
すぎたとしましょう。そんなことはその人がそのとき夢中になっていた食事
制限という自虚的行為に比べればとるに足らないものです。その人が食事制
限をつづけていた一週間の意義はいったいどこにあるのでしょうか。もしそ
の人が自分ですすんで行なったものならば、その価値を認め直してただちに
食事制限を再開するはずです。問題はここなのです。それは八日目に禁を破
ったということよりも、むしろその人が一週間も禁欲してつくった虚栄の自
己像をこわしたいという誘惑にかられたことこそ問題なのです。

 これは多くの人がなかなか理解しにくいことなのです。いうなれば、自分
自身のこころを大切にするほんとうの感情かもしれません。一夜寝てみて自
分に嫌気を感じたなら、なぜそんなことになったのかを考えるべきでしょう。
つまり前夜行動したときから嫌気を感じていたのか、それとも翌日になって
自責の念にかられた自分に嫌気がさしたのかを考えるべきです。

                     <つづく>
PS:トキ様
人は「満足度」この感情は、何処を基準とするものでしょうか?
唯今!「ダイエット挑戦組??」ウフフ…!の私なのです。…が?この文章は、
ことの他、今回!私の“ハ−ト”に〜〜〜><時々「食事制限」が?ぐらつきます時…
実にこの様な“心境”と申しましょうかしら〜〜〜ン!><

■>その人が一週間も禁欲してつくった虚栄の自己像をこわしたいという誘惑にかられたこと
こそ問題なのです<(一分抜粋文)
ここの処が、私としては?「自発的なもの?」…「強制的のもの?」での感情が変わって来る
のでしょうかしら〜〜〜ン?その様に考えてしまいますが?
トキ様は、此処の心理を、どの様に解釈されますでしょう〜〜〜か?


                                     再合掌

1069トキ:2012/08/04(土) 21:11:29 ID:iJ14ylBM
>>1068

 百里を行かんとする者は、九十九里を半ばせよ、と古い諺は言っています。

 もう勝ったという場面でも、気をつけなさい、という事でしょう。
常に気に留めるべき事ですね。

1070SAKURA:2012/08/04(土) 22:50:42 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ…
>>1069拝読させて頂きまして…

■「百里を行かんとする者は、九十九里を半ばせよ」・・・・?

もしかしますと【ダイエット…】も、後の“1%が勝負の分かれ道”でしょうか???
更に【人生…】も、そうなのでしょう〜〜〜ネ?
私の【ダイエット宣言…実行日記】も、更に!引き締め…ボディ〜も?引き締め…
もちろん!!“続行”ですかしら〜〜〜ン!
モット〜モット〜「強化対策…」です〜〜〜ネ!

                             再合掌

1071ハマナス:2012/08/05(日) 00:22:43 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

法則を実践する訓練  (『新版 生活の智慧365章』P.217)

 「心に描いたものが形にあらわれる」と云う心の法則は、同時に「心に描かないものは
形にあらわれない」と云う限界の法則でもある。心に暗いものを描きながら、明るい事物を
希望しては無駄である。「類をもって集る」と云う心の法則は、「類でないものは集まらない」
と云う法則でもある。

 私たちは単に其の法則を学んだだけで足れりとせず、つねにそれを実践する訓練をつまな
ければならない。自己の欲する「希望された状態」を既にあるかの如く心に描く練習をしな
ければならない。其の練習をしないでおって、行きずりに一寸(ちょっと)「明るい心」を
持っただけで、「明るい事物」が現れなかったからと云って、「心に思った通りにあらわれ
ない」などと思ってはならない。人間の心は、現在意識の底に潜在意識があってそれが尚も
暗黒を想念している事があるからである。

感謝合掌

1072a hope:2012/08/05(日) 07:07:30 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方③


十三、慈悲深き神様仏様は必ずあなたをよい方へ導いてくださいます。一時悪い位置や境遇にいるように見えても、それは一年に春夏秋冬があって、寒い冬の後に暖かく心地よい春があるように、やがて楽しい日があなたにも必ずやって来るのです。希望と勇気で仕事を励みましょう。

十四、力一杯に働いた後の気持のよい事はどうでしょう。何もせずにのらくらと過ごした時に比べてなんと大きな違いでしょう。
人は働いたから本当によい休息があるのです。休みばかりの連続―――毎日を働かずに過ごす人、働くことがあっても怠ける人は、こんな楽しい気分を味わう事はできません。
よく働きましょう。そして楽しく休みましょう。

十五、いつもニコニコしている人は太陽の様なものです。そんな人が家にいると家中の人が晴れやかに成ります。学校にいると級中が活気づきます。商店にいるとお客様の足を繁くします。事務所にいると皆を愉快にさせます。あなたの家の中の太陽に成りましょう。あなたの店、事務所、工場の太陽に成りましょう、そしてあなたの住んでいる町や村の太陽に成りましょう。

十六、細かい所によく気のつく人は、大きな仕事を成就する人です。玄関に脱ぎ棄(す)てられた履物を揃えたり、机の上に溜った埃(ほこり)をソッと拭(ぬぐ)うたり、路傍(ろぼう)に落ちている折釘(おれくぎ)を拾い除けたりするような小さな深切はあなたにだんだん磨きをかけます。

十七、人の本当の値打はその人の持っている名誉でも、財産でも、地位でもありません。人の値打は、世のため人のためにどれだけのよいことをしたかによって決まります。人の迷惑をなんとも思わぬ人、働かずに暮らしている人は、いかに地位や財産があってもその人の値打は零(ゼロ)です。

十八、人を着物や持物のよい悪いで差別してはなりません。よい着物を着てよい物を持っている人に案外つまらぬ人が多くありますから。
他を尊敬する人は他からも尊敬されます。人は神の子仏の子である事を知って互いに尊敬しましょう。

(つづく)

1073SAKURA:2012/08/05(日) 21:41:59 ID:V.pKl3yA

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い ) 

        ―――――――― * ――――――――
|❤しかし、実際に自分自身に嫌気を感じたとしたら、どうなんでしょう。
| それもまた当然の心理として受けとめてよいのではないでしょうか。あ
| る人がこころから自分はあわれな人間だと思い込んでいるとき、いった
| いどうやってその人に幸せになる道を教えたらよいのでしょうか。

 『いいかい、わたしはあわれな人間だよ。しかし自分はこれでいいのだ。ほ
っといてくれよ』と誰かがいったとしたら、わたしが教えることはあまりな
いとおもいます。

 しかし、その人が本気でそう考えていないということもありえます。誰だ
って自分をみじめなものと考えたら、ほんとうに不幸せなものです。その人
のこころのなかでは、おそらく深刻な心理的葛藤が起こっているはずです。
一面では自分を卑下していながら、他の一面では自分はそんなものではない
と叫び声をあげているのです。これは自分に対する思いやりをもった問いか
けなのです。ですから、自分の気持ちを不快にするようなことをするときに
は、それが真に自分の望んでるいることなのか、ほんとうにそういう気持ちに
なりたいのか問いかけてみることです。もしいやいややるのなら、そんな行
為は即座にやめて、その代わりに自分の気持ちをよくさせることを行うべき
なのです            

(新しい自分との出会い)シリ−ズは、ここで終わりになりました…。
次回は【生きる秘訣…シリ−ズ】に、入って行きます。   

 <つづく>

PS:トキ様
若い時は、“嫌な気持”になりますと、まるで「悲劇の主人公みたい」な行動を、
したモノなのです〜〜〜が><現在の“心境”は、先ず!!前向きに考える方が、優先で
しょうか〜〜〜?そして、「外部要因」が多い中、現在の私は、毎日の【心の葛藤】でも、
あります。…が?
そうなのですョ〜〜〜ネ!「雨にも負けず???風にも負けず???」なので〜〜〜す。

「平安な心境」は、いずこにかあらんや〜〜〜♫〜〜〜でいますと……?“アクシデント発生”
つまり!!!「嫌な事」に、関わる時は〜〜〜、
これは、モ〜〜〜ゥ!益々“ネガティブ感”〜〜〜が><充満しますモノ><
心の“チェンジ”…つまり“スイッチ切り替え”をしませんと…前にも進めませんですモノ!!
このような時、私の“潜在意識”に深く送り込むのは〜〜〜
やはり、【イメ−ジで祈る事】でしょうかしら〜〜〜ン???勿論【神想観=瞑想】です。…が?

「トキ様」も、この様な時は、やはり【祈り…】に徹する事に、なりますでしょうか〜〜〜???

                              再合掌

1074ハマナス:2012/08/06(月) 00:43:10 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。
オリンピックで日本人の若者の活躍が素晴らしく、テレビから目が離せません。
体操の内村選手は床で、女子バトミントンも、銀メダルを獲得しました。
フェンシングにしても、最後の30秒で逆転して、決勝へと、またバレーボール女子も
決勝に進みました。日本人は、粘り強いくて、素晴らしいです。


目的地へ導く準備工作  (『新版 生活の智慧365章』P.217)

 何事もまだ終焉ではないのである。生命は永遠であるからである。無限の善さが顕現
しようと云う途上にあるのであるから、悲観するにはまだ早いのである。栗の実に棘
だった毬があるからとて、それは却って、その実が完熟するための保護であるのである。
蜜柑の果実が酸っぱいからとて、それは決して不完全ではないのである。それはやがて
時来れば甘くなるための準備工作が行われつつあるのである。

 私たちは、ただ自己の生命のうちにある無限の智慧に導かれて、その智慧に信頼して、
動揺しないで心を平和に保ち、導かれるままに素直に行動するだけでよいのである。
その智慧は或る時は私たちにジグザグ・コースをとらせることもあれば、或るときは
迂回路をとらせることもあろうが、それによって、やがて私たちを目的の地に導いて
下さるのである。

感謝合掌

1075a hope:2012/08/06(月) 06:06:05 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方④


十九、意志の強いのと強情っ張りとは異(ちが)います。他から自分の誤りを知らされたなら感謝してすぐに改めましょう。
自分より目下の者でも、年少のものでも、正しいことに変わりはありません。
年長者であるから、目上であるからと言って、威圧(おどし)で正しくない事を正しいと強(し)うるのは大なる誤りです。

二十、年齢の長幼を問わず他(ひと)を尊敬しましょう。人は皆神の子仏の子であなたと兄弟姉妹なのですから。そして皆に感謝しましょう。
何事にも感謝する心が持てるように成ると、あなたは幸福を知らず識(し)らずに得られます。

二十一、他人の欠点を見たら先ず自分にもその様な欠点があるかどうか見ましょう。他人の顔についた墨はよく見えても、自分の顔についた墨は見えません。人の顔の墨を笑うより、自分にもついていないか御覧なさい。
他人の誤りは深切に言葉やさしく教えてあげなさい。

二十二、他人に叱られたり咎められたりするのは不愉快なことです。他人の欠点や過失を咎めたり叱ったりせずに、よい所を探して褒めてあげましょう。
あなたがよい人と思って対すれば、その人は必ずよい人になります。
人は鏡と同じでこちらの思う心の通りによくも悪くもうつるものです。

二十三、悲しんだり怒ったり不平を言ったりする人は健康に成れません。
心を平(たいら)かにしていつも愉快に元気に働けば、いつも健康で人一倍に多くの仕事をすることができます。
愉快に元気に働くものには不健康はありません。

二十四、転んだら起きなさい。失敗は転んだのと同じで直ぐ起きて又歩けばいいのです。赤ん坊は歩きはじめにはよく転びます。転んだ時に起きて歩けなかったなら、いつになってもその赤ん坊は決して歩けるようになりません。成功は、転んでも起きる人、失敗しても失敗に負けずに努力する人のものです。直ぐ起きる人には、失敗は成功の基(もとい)です。

(第十六章 「日常生活の生かし方」 終わり、 次回から 第十七章 「精神力の生かし方」へ)

1076金木犀:2012/08/06(月) 09:59:37 ID:auusu5IE
フランス人と天皇制  谷口清超先生 『生長の家』誌昭和57年8月号巻頭言

フランスのミッテラン大統領が来日して、いくつかのことを学習し、また日本への教訓もいくらか与えて帰って行った。その学ぶべき点は、言うべきことをハッキリ言い切る態度だ。日本の核反対論者が何を言おうと、フランスには核エネルギーも核兵器も必要だと断定する。さらに彼らはフランスに対する愛国心と誇りとを示してくれた。だからそれにふれるようなことを聞くと、ひどく怒るのだ。そして又一方、日本のよい所もいくつか見て、その活力に感心したようである。

大統領に同行した八十人のフランス人記者の中には「天皇制から秋葉原の電気街や夜の新宿」まで見学したものがかなりいた。そして日本の発展の原動力に「天皇制」を見たものもいる。これはフランス人らしいすぐれた直感力だ。日本の記者諸君の目はフシアナらしいが、実は天皇を中心においた国作りの永い歴史が、現代日本を支える根源力なのである。私はしばしばこのことを指摘した。それは宇宙を構成する根源力でもあり、太陽を太陽たらしめ、全ての星を星たらしめている神秘力なのである。

この力を国家の中にとり入れ、それを何千年にもわたって政治化したその力は、国民一人一人のものであり、その心が国民に今も内在している。これが日本をいざという時団結させ、「国家」のために自我を滅却せしめる良識である。

ところが戦後とんとこの力を忘却し、ただデモクラシーばかりを最高のものらしくあがめ奉ったのだ。それは欧米からの輸入品崇拝の一種かも知れないが、デモクラシーだけでは何かが欠落する。それは人体の各細胞に「人間の全遺伝子がある」という事だけの主張だからだ。たしかにそこには人間それ自体の全設計図はあるが、しかし全細胞に同じくある遺伝子から、「その一細胞」に「かくあれ」と命ずるものが一体どこにいるか、細胞自身が、自分勝手に命ずるのではない。もしそうなら、全細胞は、その分裂過程からして、「同じもの」になるか、バラバラグシャグシャになるかする外はないからである。

これと同じことが国家構成についても言える。デモクラシーだけではバラバラになるのだ。それを一つにまとめ上げて、「中心帰一」せしめる智性がなくてはならず、それが「人格」としてなくてはならぬのだ。このことを日本民族は、歴史を通して表現した。こんなすばらしいデモクラシーとセオクラシーとの結合はありえない。それが生命体のあり方でもあるから、この構成を取りえた日本には、生命力があふれでるのだ。

しかしどんなすばらしい力があっても、それを認め、称讃せず、逆に否定したり、罵倒したりしては、実力は表れない。それをハッキリと認識する心眼が必要だ。それにはフシアナの目を持つ諸君ではだめで、外国人であっても、心眼をもって見れば、見えるということを示した点で、フランス人もまんざらではなかった。

1078SAKURA:2012/08/06(月) 16:06:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日から“仕事が長引き”それでも“活かす毎日の日々”…更新中の“私”なのですが…?
では!幸せの道印の書籍本でしょう〜〜〜か?【心の法則の手引き】……
では〜〜〜開きます〜〜〜

■【幸福を招く365章】
―――――霊・精神・肉体・病気の関係―――――

吾々は物質の治療に反するものではないのである。それは、人間の物質的面に於て或る作用
を与えるのである。「レンズ」が「霊」であるとし、「水蒸気」が「精神」であるとし、レンズ
に出来た水蒸気の凝結によって出来た「曇り」が肉体の「病気」であると考えれば其の関係は
わかり易いのである。レンズの曇りはそれを直後、物質によって拭えば消えるであろう――こ
れが物質的治療である。たしかにこれは効果があるのである。併し水蒸気が多いかぎりは又し
ばらくにしてそれがレンズ面に凝結して曇りを生ずる。永久に曇りを生じないためには水蒸気
を少くしなければならない。即ち心の迷いを少くしなければならないのである。

                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「霊界通信」を、此処の掲示板に“投稿”させて頂きておりますが〜〜〜
つくづく“人間”は、「霊的人間…」と、あらためて思います。此処昨今は、
【不思議な気持ち】に、なりますが〜〜〜><
【霊=精神=肉体=病気の関係……】は、やはり“心の迷い”からでしょうか〜〜〜?
今の私は、まだ「肉体人間」として、どれだけの【魂の変化】が〜〜〜???

■【心の迷い】を、取り去るには、【祈り…】に、“行”ずる事だと、思うのです。
今日は、あらためて〜〜〜重い“腰”を??おこしましたが〜〜〜???ウフフ

何と言いましても「病気にかかる」ということ自体が…潜在意識の中に「迷い」が
生じておりますし、そうです〜〜〜ョネ!ガンにしろ?全てが〜〜〜><
「肉体のわたし」という事に、捕まえているモノと思います…。従いまして
この事は「病気を治す」と言います事は、「病気を捉えている」ということですから?
此の前に、必要な事は、「病気を放す」事なのでは?ないでしょうかしら〜〜〜ン!

■思いますが……
私は、ある“男性”にて「アイロンのタタキ棒」で、頭部を叩かれて、
その後!「聴力失調」になりましたのですが〜〜〜><
■【学ぶ会…会員の方】???あちらの方々は、「聴力喪失」となりますと、“言葉の表現”も、
更に!「生長の家…」真理関連の書籍の数々を、【理解されているの〜〜〜】でしょうか?
いつも〜いつも〜その様に思いますが……
                   <つづく>          NO・1

1079SAKURA:2012/08/06(月) 16:13:27 ID:V.pKl3yA
<つづく>          NO・2

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1078投稿の続きです…。

■【聴力喪失…】が〜〜〜〜〜【業…】と取れます表現でしょうか??

■■それならば【全ての病気】も【業!・業!・業!何でしょうかと〜〜〜】!!思います。…が?
そうではなく、【認めた…心の法則】より、成り立っているのではと、思います。
…が?【何故この様に執拗に取り上げる…その人の心そのもの】??
そうです〜ョネ!その人の見方に反映されています様に、思います。

今回!!【霊界板で投稿された方】は、何を言いたいのでしょうか〜〜〜?
相手に対しての“心”を封じ込めたい!相手を蹴落としたい!
その人自身の“心の反映”からの投稿抜粋と…【心理的作戦】との推測に、いたります…。

■「生長の家の教え」を、何処を理解されているのかしら〜〜〜ン??
「雅春先生」も“哲学”をとりいれたのですが〜〜〜それにて「生長の家の哲学」が…
出来ましたのでは、との思いです…。

PS:「トキ様」…今回改めて、あちらの方達の【聖典の捉え方…】しかも、
何回かに渡りましての“私事の聴力喪失原因を投稿していますが…”
この事に関しまして…更に【ビ ッ ク リ !!】しました。…が?
「学ぶ会の…月刊誌」?…【つ ん ぼ】これは【差 別 用 語】!!!しかも、
この掲示板「2チャンネル…にまでの投稿」は、如何でしょうか

■これに関しては【イ ジ メ …】と判断します。
前回の「言葉の使い方」に於けます時も同様に…今回も…
■■明らかに【障 害 者 イ ジ メ を ス ル 団 体 が …学 ぶ 会 会 員】
なのでしょうか〜〜〜♫
これは、明らかに場合によりましては…それなりの事をと、考慮していますが……!
                           
PPS:今回の裁判にて「基本的人権…差別用語」として…取り上げられる事は〜〜〜
再合掌

1080SAKURA:2012/08/06(月) 16:18:05 ID:V.pKl3yA
管理人「トキ様」 ヘ

こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1077投稿文…
【ネ−ム?】が〜〜〜『神の子さん』になってしまいまして〜〜〜〜<
お忙しいと思いますが…「デリ−ト」御願い申し上げます…。
                        再合掌

1081ハマナス:2012/08/06(月) 21:06:28 ID:0kyCzJg6


神の子のみなさま
こんばんは。

他の過ちを怒るなかれ  (『新版 生活の智慧365章』P.218)

 人が間違った行動をしたからと云って、それに対して腹を立てたり、憤慨したり、
攻撃精神を起こしたりしてはならない。そんな事をする暇に、相手が「神の子であって
今後そんな間違いをしない」と祈る方がよいのである。その方が自分の心が安らぐ。

 人が間違っているからとて、自分の心を不安に陥れなければならぬ理由は何処にも
ないのである。しかも相手の「悪」や「間違」をみとめて、それを心に描いて強く憎ん
でいる限りは、相手の「悪」も「間違」も益々顕れるばかりであるのが心の法則である。
それよりも、彼の過ちをゆるして、彼をその過ちから釈き放ってやるようにすれば、
彼は必ず改まって来るに相違ないし、そうすることが自分自身の魂の修養にもなるし、
自分自分の神性を顕現し、愛を長陽することになるのである。

感謝合掌

1082a hope:2012/08/07(火) 06:31:01 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

第十七章 精神力の生かし方

精神一到とはどんなことか


「精神一到何事か成らざらん」という諺(ことわざ)がございます。
この言葉はありふれた言葉であり、一心に心をこめてやれば、
何だってできないことはない、というふうな意味に考えられておりました。
そうです、一心に心をこめてやれば、何だってできないことはないのです。
しかし、その「やる」とはどうすることでしょうか。
皆さんこれを考えてみたことがございますか。
(つづく)

1083金木犀:2012/08/07(火) 12:21:31 ID:auusu5IE
SAKURA様

霊界板でもお答えしましたが、あなたに対していじめをしようと思ったりそういう意図はまったくありません。
私も顕浄土成仏経は、その言葉の美しさに魅了されて、亡くなった方を成仏させるには非常に功徳があるような
気がしていましたので、私も、父がなくなった時には、毎日ずっと甘露の法雨とともに、この顕浄土成仏経を誦げていました。
だから、このお経には思い入れがあったので、こちらにも転載して、このお経について知っていただこうと思ったのですが、
確かに、不適切な言葉が使われていることを、もう少し考慮すべきであったかも知れません。

しかし、これをいじめであると確信されるあなたのお気持ちが少し意外です。
謙譲語についても、私は別に感情的に反論したわけではなく、論理的に意見を言ったつもりです。
このこともいじめだと思われているようですが、私は、その後は別にしつこく言った覚えはありません。

また現在において、私もそれほど暇でないので、SAKURA様の投稿を一部しか見ておらず、読まないことがほとんどです。
だから、SAKURA様と私の間には、別段いじめをするような間柄になってはいないはずです。
なぜ私があなたにいじめをする理由があるのでしょうか。
それに聴覚障害者といわれますが、あなたは音楽の動画を貼っておられたこともあるし、
私はあなたが多少耳が遠い程度だろうと思って、障害者というほどに感じたことはありません。
だから、急に障害者という言葉を使われ始めたことに違和感を感じます。
もっともしっかりとあなたの投稿を読んでいないので、誤解していたのかも知れません。

童子様も原文のまま載せたと書いておられたように、昔は障害者を表す言葉を誰も差別用語だと思っていなかったので、
皆平気で使っていたし、障害者自身も使っていました。だから昔の体験談が今で言う公の場で使う時の
禁止用語を使っていても、それをあえて変えるわけにもいかず原文のまま載せるのは仕方ないと思います。
これを載せてはいけないとなると、昔の文章は何も読めなくなります。

それから、しつこくといわれますが、私はあなたの聴力障害について今までなにか言った覚えはありません。
私はあなたが障害者だという意識もないくらいなのです。
だから、学ぶ会の月刊誌で取り上げ、本流掲示板に載せ、ここの掲示板にも載せたということで、
しつこいと仰っていますが、月刊誌は顕浄土成仏経の読誦のススメの記事で、体験談は乗っていませんし、
本流の童子様の記事は、単に体験談を皆さんにも知らせようとされただけで、親切心からの投稿であり、
それを転載した私がうかつだったと云えばそうかも知れませんが、SAKURA様の連載投稿を邪魔した形になったのは
申し訳ないとは思いますが、いじめを意図したものではありません。

1084志恩:2012/08/07(火) 12:48:18 ID:.QY5jUA6
おどろきました。SAKURAさまは、童子さまだけでなく、金木犀さまのことまでも、
SAKURAさまにたいして、いじめ、とか、いやみをしているとか、
そのようなことを、彼女は、書いているのですか。それは、気がつきませんでししたよ。

とにかく、彼女の文章については、
折角書かれていても、やたら、いまでも〜〜 〜〜みたいな、記号満載なので、
いまでも、とても よみずらいので 私は、ほとんど読んでおりません。

数多くの方々が、それについて、どのように彼女に、低姿勢で、その改善のいくつかを、お願いしても、それらも、すべて、
彼女は、無視です。

彼女は、自分は、唯一総裁先生を養護している人間だから、そういう自分に対する、嫌がらせをよってたかって、みながしているのだと思うと
反論されて、まったく、改善されていません。

それで、よみづらいので、私は、わるいですけれど、サラーとしか読んでいないので、

金木犀さまのことまで、いじめを言ってるなんて事を書いてあるとは、知りませんでした。

それは、まったくの 勘違いですよ、SAKURAさま。

だれも、あなたをいじめていません。

1085金木犀:2012/08/07(火) 13:04:16 ID:auusu5IE
志恩様
フォロー有難うございます。
>>1079のSAKURA様の投稿に反応して、思わず書いてしまいましたが、
ここは聖典板なのでした。
皆様、聖典以外の書き込みをしまして、失礼しました。

1086ハマナス:2012/08/07(火) 18:24:44 ID:mR2szZkc

神の子のみなさまこんばんは。こんばんは


パイプの中を掃除せよ

生活の智慧365章

形なき真空の世界から、この宇宙と人間とを創造した神の無限の智慧がわが中に宿っているのである。今、自分の肉体がどんな病気にかかっているようとも、その無限の智慧は此の自分を内部から完全なるものに再創造することはできるのである。神の無限の智慧と力とが自分の身体を健全に恢復し得ないような如何なる難病もないのである。

「自分の信仰の力で、この自分の病気を治してみせる」と思ってはならない。自分の力などで治るのではないのである。
「自分」が無くなり、自分の力みがなくなり、神に全托して、神がその智慧によって完全き働き給うことができるようにすることが、人間の役目であり、神が完全に働き易いようにしさえすれば、あとは全能の神が為したまうのである。つまり「自分」と云うパイプの中をよく掃除してさえ置けば、あとは完全に神の癒す力の浄水が流れる訳である。

感謝合掌

1087SAKURA:2012/08/08(水) 05:00:32 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――

| ❤あなたは人間が生きていくうえでの秘訣をいろいろご存じのようです
| が、他にわたしたちのできることといったらどんなことがありますか。


  それはけっして秘訣というほどのものではありません。人は自分で考えて
 いる以上にずっと多くのことを知っています。みずから秘訣を隠していると
 もいえます。なかにはきわめて単純なものもあるのです。

  たとえばひとつ基本的な例をあげれば、あなた自身の期待を満足させるこ
 とです。もしあなたが家事とか、宿題やなにかほかの仕事をもっていながら、
 手をつける気持ちが起こらなかったとします。そんなときはもしその仕事を
 延び延びにしていたら自分がどんな気持ちにおちいるかを自分に問うことで
 す。もしあなたが多少なりともいやだなという気持ちになっていたら、思い
 きってその仕事に手をつけるべきです。そして実行したときの充足感をみず
 から味わいなさい。自分で自分を管理しているのだという喜びを体験するの
 です。それはおおいにわたしたちの気持ちを引き立ててくれるものです。

  家事なんていうものは人生のほんのささいな部分にすぎません。しかし一
 日を通じてあなたが自分をどう感じているかということは人生そのものとい
 えます。このように、あなたが何事かはじめるとき、そのときの正直な気持
 ちを考えながら実行すると、ときにびっくりするような成果を生むこともあ
ります。そうなれば、あなたが家事以外のことをするときでも、それよりも
っと充足感を感じていることがあるのに気がつくでしょう。たとえば詩をつ
くることによっても、あなたは充足感を得ることができるのです。

             <つづく>           NO:1
PS;トキ様 へ
人は?こうなんだけれども〜〜〜?とか考え過ぎましてでしょうか?
「先延ばし」〜〜〜?しても、結局は、後で“自己嫌悪”に陥る事も、
ありますモノ? この経験は、誰にでもと思いますが、如何でしょうか?

そうです〜〜〜ョネ!今出来る事を、あたえられている“課題”を、
クリアするだけでも、乗り切った時の「充足感」は絶対にいいですネ〜〜〜!
それを心で「イメ−ジ」でしょうか??
トキ様も?「先延ばし」は、ありますでしょうか??

今回の【お家騒動…】先延ばし〜〜〜になるのでしょうか〜〜〜?
更に【信仰…奉職者】の自覚は…?どの様にお持ちなのでしょうか〜〜〜?

1089a hope:2012/08/08(水) 06:55:15 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

根限(こんかぎ)りやっても成功しない人もある


心をこめてやる、ということを何でもコツコツと根限りやることだ、と考えておられる方もあるでしょう。
中には、こんなに心を籠(こ)めてコツコツ勉強しているのに成功しなかったという人もありましょう。
また時には「あの人は私ほどコツコツ勉強しないで暢気に構えているのに成功したから、
『精神一到何事か成らざらん』という諺も好い加減な嘘だ、
成功は運にあるのだ」と不平をお漏らしになる人もあるでしょう。
(つづく)

1091神の子さん:2012/08/08(水) 10:50:21 ID:???

>>http://www.youtube.com/watch?v=MNVEYy-4XIc&feature=relmfu

和解は無理のようですね!

トップも擁護派も我が道を行く・・・・ああ!

1092SAKURA:2012/08/08(水) 15:58:54 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分類されて
いますが?)【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!
如何でしたかしら〜ン?私もサイコシリ−ズ悪戦苦戦ですが〜〜〜?
>>1087投稿の続きです。

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――

| ❤そんなやり方はきわめて自己中心的な態度を援助することになりませ
| んか。たとえばつぎのような女性が思い浮かんできます。夫が夕方帰宅
| したときに、奥さんは自信に満ちた目つきで迎えます。夫がまわりを見
| まわすと、赤ん坊はギャ−ギャ−泣いているし、寝具をととのえてもい
| ない。そして『夕食は?』と聞くと、彼女は夫の目の前に一枚の紙切れ
| をぴらぴらさせながら、『わたしは、その代りに詩をつくったのよ、あ
| なた』といいます。あなたのお話からこんな女性を想定してしまうので

  そんな犠牲を払ってまで詩を書いて、いい気持ちになる女性はまずいない
 と思います。人に不親切にしてまで、いい気持ちになるということはあまり
 ないのではないでしょうか。もしそういうことがあったとしても、その女性
 は得意になってはいるものの、同時に困惑の気持ちにおそわれるのではない
 かと思います。それでもなお詩を書きたいという意欲がつづいたとしたら、
 彼女はいくつかの選択をせまられることになるでしょう。つまり、彼女は詩
 をつくることと、家事をすることとをうまく両立させられるか、ということ
 です。もしできないとするならば、詩をつくることにどれほどの意味がある
 だろうか、を考えることになります。それでも、どうしても詩をつくりたい
 というのならば、他の責任をはたすために援助を得なければなりません。お
 そらく夫も彼女にもっと多くのことをしてくれるでしょう。
 
  もちろん、芸術家のなかには結婚や家族よりも自分の芸術に熱を入れる人
 もいます。それもまた正しい生き方です。キャサリン・アン・ボ−ダ−は何
 度か結婚に失敗しましたが、そのときにある夫は「とにかく、おまえはわた
 しと結婚したのだからね」といったそうです。お互いに優先順位というもの
 を、はっきりさせておく必要があるのです。

                  <つづく>          NO:1

1093SAKURA:2012/08/08(水) 16:02:38 ID:V.pKl3yA
                   <つづく>          NO:2

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1092投稿の続きです。…

ご存じのように多くの女性解放主義者は、母親が子どもとともに家庭に閉
じこもって、精神的に沈滞してしまうのを防ぐためにみんながヘルパ−をも
 っと広く利用すべきだと出張しています。わたしはヘルパ−をたのむことや、
女性が仕事をもつことに反対するわけではありません。しかし、子どもをも
つということはみずから選んだ道でもあるし、また選ぶべき道でもあるので
す。女性が子どもを欲しいと思うなら、子どもをつくればよい。しかし、も
し子どもを育てるのがいやなら、つくるべきではないでしょう。いったん子
どもをつくった責任をもたなければいけません。

 女性が家庭と職業の両方をもちたいというなら、それは彼女らの決断によ
  ればいいわけです。そうした女性は大変な重荷を背負うことになりますが、
  それをまっとうするのが義務です。もし望むならば、託児所を設立してもら
  うための陳情運動をするのもよいでしょう。しかし、くれぐれも自分は犠牲
  になっているんだという考え方はやめるべきです。

PS;トキ様 へ
トキ様…今回!私は、相手に伝えます時は、いい気持ちになれない場合もありますネ!
今回!私もまず普通の生き方?だったらと?…気にならない事も、あります。…が、
最近!「神の子さん」とか?「誰だかわからない方達」から、“嫌な投稿文章”を、
引き続き頂く事が、ありました。…が?(ID:???)
まるで「機関銃??」その時まるで〜〜♫〜〜「ネガティブ感情」を頂きました。

あなたは【障害者…!】として“自覚”がないような捉え方の投稿にも見えました。
そして…【文章…更に!性格が悪いから“聴力を失う”…etcの中傷】を、
受けましてからでしょうか…?■【障害者へのイジメ…】

今回の「雅春先生…真理」の教えを、一般の方々に広めたいと…
「孝徳のあやかり」を書いたつもりでしょうが、これも同じくやはり、ある面では
【愛の精神の捉え方】の相違に、なりますでしょうかしら〜〜〜ン!

この様に、自己中心者の性格になる様にも思えますが〜〜〜?
【信仰の孝徳を広めます時】は、現在!義務教育を受けました世代ですから、

■【言葉による暴言から自殺…】に到りました時の責任とか?
考慮された事はあられますのでしょうか?
色々な点での“ 配慮”無くしては【心がない様】にも〜〜〜捉える事になるのでは?
更に!!【知恵=知識】無くしての愛は?本来の「生長の家…愛」これはどの部類に、
価するのでしょうか?といった感じを、抱く機会になりました…。

                             再合掌

1094ハマナス:2012/08/08(水) 22:09:26 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

人間の善意を信頼せよ 生活の智慧365章

神の万物を調和したまう愛が全世界、全存在の内部に動いているのである。この事を私たちは、どんな混乱の中に於ても信じなければならない。万物は混乱しているように見えても、その混乱を過程として、永久の平和と調和との世界へと移行しつつあるのである。もっと人間の善意を互いに信頼し合わなくてはならない。

平和への呼び掛けに対しても、「その裏に何があるか」と疑うまえに、その奥には神の「万物調和」の摂理が働いていると云うことを信じなければならない。この「信」がなければ常に冷戦は消えず、熱戦の危険にいつも人類は戦いていなければならない。神の愛と智慧とはすべての人間の内部に潜在的に動いており、それを認め讃えることによって、それは顕在的にあらわれて来るのである。
感謝合掌

1095a hope:2012/08/09(木) 07:10:49 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

一つのことをいつまでも貫かねば


そこで「精神一到何事か成らざらん」ということも良い加減な嘘であるか、
本当であるか、それともこの諺(ことわざ)の本当の意味はどこにあるかということを、
もう一度とっくりと皆さんと一緒に考え直してみようではありませんか。

「精神一到何事か成らざらん」―――この言葉のどこにもコツコツと勉強せよというようなところはありません。

「精神一到」であって、精神が第一です。心が第一です。
「一到」というのは一ぺんだけちょっと考えるというような、力の弱い考えではありません。

「一到」の「到」の字は「到(いた)る」という文字でありますけれども、
この字を分析してみますと、「至(いたる)」と「刂(りっとう)」になります。
「至」は至極(しごく)であり、最後のギリギリまで至ることであり
「刂(りっとう)」は「立刀」であり、刀を縦にして刺し貫く形をあらわしています。

最後のギリギリまで一つの心を以(もっ)て貫き通す事が「精神一到」であります。
「心がいっぺんその方向へ振向く」ぐらいではまだまだ精神一到ではありません。
一度心を振向けたら、目的を貫き通すまで心を変えないでいなければ「精神一到」ではありません。
(つづく)

1096ハマナス:2012/08/09(木) 22:02:27 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

神に選ばれた生活の選手

『新版生活の智慧365章』

神が自己に与えたまうた天分を最高度に発揮すべく毎日毎日を決意し、実践しなければならないのである。今、与えられている仕事に自己の全精神力と体力とを集中すべきである。その時人間は幸福感を得るのである。たとえばオリンピックの選手が全力を尽くしているときには一切の自我が無くなってただ、その競技にのみ全生命がそそがれているようにである。選手にとっては、その競技に全心身を集注しているときが無上の幸福感の時なのである。

人間が地上に生まれたのも、地上で或る使命を果すために選手として選ばれたのであるから、その全力を出し切っているときに本当の幸福感が来るのである。人生に悦びがないなどと思っている人は、全生命を出し切らないから生命がスランプに陥って、幸福感が湧いて来ないに過ぎないのである。

感謝合掌

1097SAKURA:2012/08/10(金) 00:25:55 ID:V.pKl3yA
                <つづく>           NO:3

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1092>>1093に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!
如何でしたかしら〜ン?引き続き、【生きる秘訣】の続編です…。
>>1092>>1093投稿の続きです

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――
          
| ❤もし、やりたいと思うことが全部できず――たいていの場合、そうで
| すが――、どちらかを選択しなければならないとしたら、どうなります
| か。自分にとってよいことを選ぶとすれば、どのようなときにそれは身
| 勝手な行為となってしまいますか。


  自分をよい気分にさせることをするのは、身勝手な行為とは正反対なこと
 なのです。それはあなたの特定の側面を満足させるものではなく、あなたの
 全体的な自己を充分させるものです。そしてこのことはあなたが他人にたい
 してもつ感情、対人関係、責任といったものをも同時に含んでいます。それ
 にたいして、自分の身勝手ということはあなたの自己のごく限られた部分を
 一時的にのみ充足させるにすぎないのです。

  ですから、よい気分になるということは、あなた自身のことを気づかい、
 自分のめんどうをみるために、自己中心的になるということを意味していま
 す。もし、あなたがそうした技術を習得しない限りは、上手に他人のめんど
 うをみることができないでしょう。

  聖書にも、「汝の近き者を己れの如く愛すべし」とあります。これは自分
 と同じように愛せと記されているのであって、自分にたいするより以上にと
 か、自分の代りにとかいっているのではありません。

  自分自身を愛することもできない人が、どうして他人を愛することができ
 るでしょうか。みずからを愛さない人でも他人を崇拝することができます。
 なぜなら、崇拝とは他人を偉大なものと見なし、自己を小さな存在と見なす
 ことだからです。こうした人は他人にいろいろ望むことができます。なぜな
 ら、要望というものはその人の内面的不完全さから生じるもので、充足され
 ることを待っているからです。
  
しかし、そういう人は他人を愛することはできません。なぜなら愛とはす
 べての人のこころのなかで生まれ育っていくもののあかしだからです。もし
 あなた自身に人を愛する気持ちがなければ、愛を人に与えることができない
 はずです。


              <つづく>           NO:3

1098SAKURA:2012/08/10(金) 00:27:53 ID:V.pKl3yA
                <つづく>         NO:4

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1097投稿の続きです

         ――――――― * ―――――――

| ❤人間愛というものは家庭からはじまるというわけですね。


  そのとおりです。あなたは親子関係のなかに、愛と愛のようにみえるもの
 との相違をはっきりみとめることができるでしょう。親というものは自分が
 子どもにたいする愛にもとづいて行動していることをつねに主張しているの
 ですが、実際にはそうでないことがよくあります。

  親が子どもの「犠牲」になっているというときは、子どもの反応からどこ
 かおかしいと気づきます。そういうとき、子どもは罪の意識を感じてはいて
 も、感謝の気持ちはもっていないのです。なぜなら、そのときの子どもが得
 たものは、愛からではなく、親の自己否定から生じたものだからです。他人
 の自己否定がもたらしたものを望むような人はいないでしょう。自己否定は
 さっき申し上げた身勝手な態度のなかで最悪の形のひとつです。それは自分
 で価値がないと感ずるあなたの一面をかえって助長するようなものです。自
 己否定からなにも得るものはありません。

  これは、あなたがときには物事を放棄するための決断をしてはいけないと
 いう意味ではありません。あなたの選択の問題なのです。その選択は自己嫌
悪の感情から行なわれるものではなくて、自尊心にもとづいて行なわれるも
のなのです。


PS:トキ様

■>あなたがときには物事を放棄するための決断をしてはいけないと いう意味ではありません。
あなたの選択の問題なのです。その選択は自己嫌悪の感情から行なわれるものではなくて、
自尊心にもとづいて行なわれるものなのです。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

私も「考え方」が、狭いのかしら〜〜〜ン?そう「心の中の…ベストフレンド」に問いますと…
…それまれなのですが〜〜〜><
どうしても「私の発言…」を、その人の考え方みたいに、“投稿表現”されますと、さすが〜〜〜に!
気分が悪いです〜〜〜ョネ!
今日もさっそく「何処かで〜」でしょうか??【アクシデント発生…】でしょうか?

こちらの意見を“横取り”にされた気分かしら〜〜〜ン?
このような時は、人間関係も“嫌”になりますが〜〜〜><「トキ様」も、この様に…
「トキ様の考え・アイデア」を、利用されて、その人の意見・考えの様な発言を、
対外的にされたら、果たして、どのような気持ちになられますでしょうか???
社会現代…会社という組織では、意外と人間関係(職員関係)でも、多いのではと思いますが?
何か?経験があられますでしょう〜〜〜か?

                                 再合掌

1099a hope:2012/08/10(金) 07:15:59 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

「心を変えない」とはどんなこと


目的を貫き通すまで心を変えない―――そうすれば何事でもできるというのが
「精神一到達何事か成らざらん」だと申しましたら、それでよく解ったように思う方もあるかもしれませんが、
解らないように思う人もあるかも知れません。

それでは「心を変えない」とはどうすることなのか、よく考えてみてください。
そんなに考えてみないでも「心を変えない」ということはどうすることだかハッキリお解りになった方は、
大変お偉い方であります。

また「心を変えない」とはどんなことだかわかったつもりで本当は十分判らず、
よい加減にぼんやりと「こんなことだろう」と思っている人よりも、
「心を変えない」とは実際には一体どうすることだろう、詳しく教えて貰いたいと思う人も、
また物事の考え方が精(くわ)しく細かくたいへん立派な人だろうと思います。

では皆さん、「心を変えない」とはどうすることですか、もう一ぺん考え直してみましょう。
「心を変えない」とは、「心」に一ぺん「これはできる」と思ったことは、
それを「貫き通す」まで、いつまでも「これはできる」と心に描いた考えを捨てないことです。

何でも心の中に「これはできる」と心に画(え)を描くように思い浮かべた考えが、
やがて形になってこの世の中にあらわれてくるのですから、
「これはできる」と一旦きめた考えを捨てなければ、それは必ずできるのです。
(つづく)

1100ルンルン:2012/08/10(金) 07:35:35 ID:NS71OwS.
トキ様
今、どの板にいらっしゃいますか?
私は、削除してください。と願いしました(2日半も前に)何故、
まだして下さってません?お返事ください。
私は、今日、会社ですがそれを見届けるまでいけません。

1101トキ:2012/08/10(金) 09:55:59 ID:8rpDHx/w
>>1100

 見落としました。申し訳ありません。既に削除終了しております。
行き届かず、すみませんでした。

 なお、削除要請は気がついたら直ぐに行いますが、日曜日や深夜、早朝を
除いて、昼間だと2時間以内に削除しますが、掲示板上で見落とす場合があり
ます。その場合は、お手数ですが、再度、削除要請をお願いします。

トキ

1102トキ:2012/08/10(金) 10:22:52 ID:8rpDHx/w
謹告

 今回、管理人が行き届かず削除が遅れて投稿者様にご迷惑をおかけしました。
深くお詫び申し上げます。

 つきまては、誠にお手数ですが、ご本人もそうですが削除要請に気がつかれた方が、
管理人へ連絡を頂ければ、見落とし防止のため、助かります。

tokirijicyo@yahoo.co.jp

 なお、削除要請は、本人確認ならびに削除手続の公正のため、掲示板上に投稿でお願い
する形式には変化はありません。

 では、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1103復興G:2012/08/10(金) 18:25:40 ID:xKxowNU.


<第5回 WEB誌友会 予告>

・《日時》 8月10日(金)夜 9時30分より
     8月12日(日)夜 11時30分まで(50時間)

・《場所》 WEB誌友会板

・《テキスト》 『生命の實相』第1巻「實相篇」(光明の真理)
第3章 あらゆる人生苦の解決と実例 【頭注版P77〜112】

――以上の要項で、まもなく開催となります。

それで、以下に、そのテキスト(『生命の實相』第1巻「實相篇」(光明の真理 第3章)を、14回に分けて謹写掲載させていただきます。

WEB誌友会にご参加の皆様、どうぞ以下のテキストご文章より、感銘を受けたところや疑問を感じたところを部分的にコピペして意見を投稿する・・・などにご使用ください。

1104復興G:2012/08/10(金) 18:27:05 ID:xKxowNU.

<第5回 WEB誌友会用テキスト 1>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(1)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  第三章 あらゆる人生苦の解決と実例

   光の子とならんために光のある間(うち)に光を信ぜよ、われは光として世にきたれり。(『ヨハネ伝』第十二章)

 皆さんが「生長の家」の説くところを読んだり「神想観」を実修したりして、神の子たる自己の生命の実相に触れ、真理をさとって病気(その他の人生の凡ゆる不幸)が治るのは、他の類似の治療法のおよびもつかぬ根本的な治療であります。なぜなら、それは自己の生命の実相が自覚されてくるにしたがって、本物でない、ウソの、仮の、迷いの、実際はありもせぬのにあるようにみえているいろいろのあらゆる人生苦が、あたかも光が輝き出せば闇が消えてしまうように消えてしまうからであります。

 他の治療はすべて、毒をもって毒を制するとでもいいましょうか、無明(まよい)をもって無明を征服するとでもいいましょうか、ともかく一つのまちがった信念――たとえば、病はあるという信念――を、他のまちがっている信念――物質(薬)が生命を補うという信念――によって破壊する方法であります。病があるという信念よりも、薬が生命を補うという信念の方が強く働けばこれで病気はなおるのであります。

       生命みずからで治せ

「薬が生命を補う」という信念で病気が治るのは、いっけん、非常に結構ではあるけれども、同時にそれは逆に生命は薬によって、補填しなければ完全ではない――という消極的信念を喚び起こすことになり、自己の「生命」それ自身の完全性の自覚をそれだけ弱めることになります。自己の「生命」に対してその完全性を自信することができなくなったが最後、その人はもはや物質の奴隷または家来であって、物質によって生殺与奪の権を握られている悲惨このうえもない人間になるのであります。それでは霊的療法なら他の霊力ある人に頼って治してもらってもよかろうといわれる方があるかもしれませんが、それは薬物療法でも霊的療法でも結局は同じことであって、自分以外の他の物に頼らねば自分が自分を治す力がないという信念をつぎこまれるということは、しょうらい自己の「生命」が生長の本道をたどってゆくうえに重大な障害となるのであります。

 で、私は皆さんはむろんのこと、皆さんの知人のかたにも、「みずから起て。生命みずからで治せ。何ものにも頼るな」の一点張りで押し通したいのであります。「生命」みずからの力で自分自身を治すことができるならば、なんの弊害もない、弊害がないばかりか、治すたびごとに「生命」自身の霊妙な力についての自信ができてくるのであります。

       真理はなんじを自由ならしめん

「生命」自身の力で治すには「生命」とはいったいどんなものであるかということを知らねばなりません。表面の心で知るだけではなく、奥底の心で知らねばなりません。「生命とは神の子である」――一言にしてこういえばなんでもないけれども、なかなかこの真理が本当にわかる人が少ない。本当にこれがわかれば自分で自分を治すことができる。病気だけではなく境遇でも運命でも自分で治すことができる。治すのでなく、真理を本当に知ったときひとりでに治っているのである。つまり、キリストのいった「真理はなんじを自由ならしめん」とはこのことであります。釈迦のいった「大覚(さとり)をうれば因縁を超越してしまう」とはこのことであります。「真理を知る」というのも「大覚をうる」というのも、ひっきょうは自分の生命の本質すなわち実相を知ることで、これができれば因縁を超越して完全な自由がえられるのであります。その人は因縁を超越しますから、物質的な原因結果に束縛されるようなことがけっしてなくなる。遺伝がどうの、体質がどうの、冷たい空気がどうの、固い食物がどうの――そんなことに縛られないで「生命」それ自身の本質の完全な状態――すなわち「真の人間」が表に出てくる、そのときすなわち病気が治ってしまうのであります。
<つづく>

1105復興G:2012/08/10(金) 18:28:04 ID:xKxowNU.
<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 2>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(2)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 真理を知って病気がなおるのは、恐怖心と不安とが去って、精神的に安心かできるからであろうから、神経的な病気は治っても実質的な病気は治るまいと思われる方がありましょうが、それは物質とはいったいなんであるかを知られない方のいわれることであります。前章の「近代科学の空即是色的展開」にもちょっとのべておきましたように、物質の分子と分子との間はけっして密着しないで非常な距離が隔たっており、その間隙には無形の知性ある精力(エネルギー)があって、その物質を一定の形に維持しているのであります。肉体という特殊の物質にあっては、とくに密接にわれわれの心のはたらきが、物質に一定の性質を与えているところのこの無形のエネルギーを支配しているのであります。だから心の働き一つで肉体という物質の形や質や化学的成分までも変わるのであります。「金光教」では「理解」といってお道がわかれば自然に病気が治るとされています。「天理教」ではあらゆる病気はそれに応ずるそれ相当の心のさわりがあるからで、その心のさわりをとるようにすれば病気は治るものとされています。また実際これらの宗教では多くの治った例をもっているのであります。金光教や天理教を引き合いに出すと迷信くさいといわれる方には、最近科学の精粋たる精神分析を引き合いに出せばよいでしょう。多くの病気は、心から曇りを吐き出して掃除してしまえば薬も霊術もなしに自然に治るのであります。心の中から曇りを吐き出すことを精神分析学では観念洗浄といっていますが、宗教では「懺悔」といっている。「懺悔」すると病気が治る。なぜ治るかといいますと、「懺悔」して心の中の五目多を放下(ほか)してしまうと、「生命」本来の健全なる実相があらわれてくるからであります。

 ともかく、「生命」の素地を出すように磨きをかけさえすれば、「生命」が本当に完全な相(すがた)をあらわしてくるのであります。『生長の家』のように真理を書いた書物を読むということはその一つの方法であります。「神想観」によって「生命の実相」を観ずることも一つの方法であります。クリスチャン・サイエンスの創始者エディ夫人はその晩年にはみずから病人に治療をしないで、「私の著書を読め、真理があなたを治すでしょう」といったそうであります。それでじっさいエディ夫人の著書を読んでたくさんの病人が治っているのであります。

 最近ではユニティ協会という新しい実践キリスト教団の書物を読むだけで病気その他の不幸が消滅している事実もあり、われわれはユニティの出版物を要約して『人生の鍵シリーズ』(全五巻)として別に紹介しているのでありますが、クリスチャン・サイエンスやユニティはキリスト教の聖書のほかに典拠をもとめないが「生長の家」は仏典にも、日本古典にも、最近の電子論、スピリチュアリズムにまでも典拠をもとめて、古い人にも新しい人にも、またいかなる宗派の人びとにも、真理がみずからの宗教として悟れるように説いてあるのであります。真理はキリスト教のみにあるのではありませんから、一つの真理をクリスチャン・サイエンス(キリスト教の真理)として説くことも結構ですが、同時に仏教の真理、または日本古神道の真理としても説くことも必要であります。そうでないとキリスト教以外の多くの人々を救うことができないのであります。これがわれらの万教帰一的立場であって、説くところの真理は一つであるけれども博引傍捜どこからでも真理を引っぱって来てそれの自覚に入らせる道を講ずるのであります。その点において「生長の家」は非常に自由なのであります。つぎに本を読むだけでも、真理を悟れば、いかに各種の難病が治るものであるかの実例を示して、病気の本来「無」なることを明らかにし、病気で悩める人々への励ましとするために、試みにエディ夫人の著書の中から面白い治験例を引用することにいたします。
<つづく>

1106復興G:2012/08/10(金) 18:28:56 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 3>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(3)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 真理の治験例―1 わたしは多年の間、癌と肺結核とのために苦しんでいました。わたしはニューヨーク、ミネアポリス、ダリュース等、各地の名医という名医をたずねて診察をこうたけれども、けっきょく不治症との宣告を受けたのでした。肺結核にかかっていた近隣の人が本を読んで治ったというので、その人が深切にもわたしにエディ夫人著の『真理と健康』という本を貸してくださった。わたしはそれを読んで興味を覚えているうちに、早くも三ヵ月にして癒されてしまったのです。この書がわたしに伝えてくれた真理がわたしを癒してくれたのでした。ただに病気が治ったばかりでなく、わたしの精神状態全体が改造されてしまいました。それ以来十一年間というもの、わたしは一日も病床についたことはありません。この期間にわたしはずいぶんいろいろの体験に接しました。幾多の火のような試煉をも通過しましたが、この恵まれた真理がわたしをしてそれに耐えさせてくれました。時にはわたしはただ一人で誰もわたしに味方してくれる者がないと思われるような時もありましたが、神が常にわたしと偕にいてくださいました。

 わたしはここに無痛分娩の実例を書いておきたいと思います。それは、わたしがこのアイダホに来てからの体験です。このわたしの体験はこの種の「真理の治験例」を求めていられる愛姉たちの励ましとなると思うので書かせていただきます。ここでは手助けをしてくれる人がありませんので産褥につく時まで家事に従事していましたが、完全に健康でした。或る朝、午前五時にわたしは良人を起こしました。午前五時半にはもう子供が生まれていました。わたしと良人とのほか誰も産む時にはいなかったのです。生まれた子供をかかえて暖炉のそばの椅子にかけているわたしを見て家族のほかの者はびっくりしました。息子が朝食を運んで来てくれましたのでウンとわたしは食べたものです。昼食にはもう食堂に出かけて皆と一緒にたべました。第二日には室内を散歩し、第三日には庭園を散歩し、それから、最近まで三年間ズッと健康でとおしています。これまで常に産科医のやっかいになって苦しみとおしてきたお産の経験あるわたしには奇跡のようなことです。真理を求めていられる愛姉たちにこれが参考となることを祈ります。(アイダホ州、リュースイストン市、F・C・C夫人)
<つづく>

1107復興G:2012/08/10(金) 18:29:52 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 4>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(4)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 真理の治験例―2 九年前のことです。わたしのひとり子は生死の境をさまようていました。ボストン市きっての名医は不治の宣告をくだして、もし死ななくても生涯病気に苦しみまたちんばになってしまうだろうといいました。禁食品が多くて食べ物の種類はきわめてわずかに限られていました。注意に注意を加えていましても半日に一度は痙攣(ひきつけ)を起こしました。子供はまた佝僂(くる)病にもかかって手足の骨が曲っていまして、医者はこの子供の身体には普通人の骨はないのだといいました。

 わたしがはじめてクリスチャン・サイエンスのことを知った当時は子供が苦しんでいる最中で、わたしが失望の暗黒のどん底に沈んでいる時でした。救いの神のみ手が、或る人を通じて、神の真理が現代に演じつつある奇跡をきたりて見よ、という福音をわたしにもたらしてくれたのでした。わたしは自分の子供を助けることができるためならばどんなことでもしたいと思っていたところでしたから、さっそくその招きに応じたのであります。やがて金曜日の夕方、はじめてわたしはクリスチャン・サイエンスの集まりに列席しました。毎週のふつうの礼拝日であるにかかわらず、礼拝がはじまるまでに席はすっかり一杯になっていましたのでまず驚いたことでした。その席で、いろいろ病気の治った体験談をききました。……翌日治療をしてくださる先生のお宅をたずねましたが、あまりに諸方から患者に招ばれていらしってお目にかかることができませんでした。わたしは前夜聞いた治病の体験談のうちに単に『真理と健康』の本を読んで治ったという人々の話を聴き、この本を一部借りたいと思いましたが、この書を借りることが友だちにとってそんなに犠牲を払わしめることだろうとは夢にも思いおよばなかったのであります。ところが友だちにこの本を貸してくれといいますと、その友だちはまるで自分の生命に別れでもするようにその書と別れることを惜しみながら貸してくれたものです。

 わたしは家にかえってこの書を昼も夜も読みました。黙って読んだり、声をあげて読んだりしました。わたしにはこの書はむずかしくて十分わからないような気がしました。しかしさっそく「真理の療能」があらわれはじめました。痙攣で苦しんでいた子供が常態に復して、すぐ病床から離れて、他の子供と同じように家の周囲を跳び廻って遊ぶようになりました。ちょうどその頃、米国西部へはるばる移転せねばならぬような事情が突発しました。

 まだ「真理の道」に入って間もないわたしのことです。良人はこの旅行で子供の病気が後戻りをしないだろうか、と心配しました。しかし子供はますますよくなって行きました。わたしは間断なく聖書と『真理と健康』の真理の治験例などを読みました。われわれは二週間の汽車旅行で、汽車に酔わない人といってはただわれわれ家族の者ばかりでした。子供の手足は完全にまっすぐになってしまいました。子供は欲しいものはなんでも食べることができるようになり、それいらいもう数年間、どこも不足のない壮健な子供として暮しています。付近に激烈な伝染性の小児病がはやった時も彼は少しも感染せずにすみました。わたしは数ヵ月間自分自身の多くの持病をかえりみる余裕もなしに『真理と健康』の本を読みつづけました。わたしはがんらいあまり強壮ではなかったのです。医学の法則と遺伝の法則とを信じて不健康な生活をたどたどしく送っていたのです。わたしは『真理と健康』を読みはじめるちょうど前日、ボストンの有名な眼科医に眼の診断を受けました。眼科医はわたしの眼がひどい状態になっていると診断して、生涯眼鏡をかけていなければならないといったのです。そのうちに『真理と健康』を読み始めたのでしたが、自分の眼に気がついたときには、眼鏡の必要がスッカリなくなっていました。この本を読んでいる間中わたしは夜となく昼となく眼を酷使し、いろいろ細い手仕事をも眼鏡をかけずにしたものです。子供の病気をなおしたい一念で真理の本を読んでいますと、わたし自身の病気も全部なおってしまったのです。外にあらわれた病気はただ破壊されんがためのみに表面に浮かびあがってきたものでした。歯痛も起こらなくなり、知らず識らず顔の斑点(しみ)までとれてしまいましたが、こんなことはわたしのえた魂の向上に比べればとるにたりない小事です。わたしは感謝に満ちた心で一切のものを受けています。(カリフォルニア州ロスアンゼルス、M・T・W夫人)
<つづく>

1108復興G:2012/08/10(金) 18:31:21 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 5>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(5)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 真理の治験例―3 ながい間わたしは耳と咽喉との病気に苦しんで、英国でも米国でも専門家の治療を受けましたが、少しもよくならずに悪くなる一方でした。ところがクリスチャン・サイエンスで治ったある人から『真理と健康』の本を買って研究するようにすすめられました。最初、わたしはいやいやながらに買ってみたのですが、五十ページも読んでいるうちにわたしの魂を解放する真理を発見したように感じました。それ以来わたしの病気は拭うようによくなり、二度と再発しなかったのであります。

 先日、三歳になるわたしの娘が誤って肩の関節を脱いたのであります。その時家にいるのはわたしばかりでした。娘は激しく痛むので顔色は蒼白(まっさお)になっていました。わたしは極力心霊治療をやってみましたが、一方では誰かが来たらすぐ医者へ駈けつけてもらおうと思っていました。彼女はますます苦しみ激しく泣き叫びました。わたしは幼女の着物をぬがせて関節をはめこもうとしました。しかしそれは患部の痛みを増させるばかりなのでわたしはとうとう恐ろしくなりました。その時きらめくように、「お前は治療家がそばにいないときにどうしたら好いか考えよ。今この神の力と実在とを実証すべき時ではないか?」という考えが浮かびました……。わたしは『真理と健康』の本を声高に読みはじめました。半時間もすると幼女は脱けた方の手を上げようとしだしましたが、また痛そうに叫んで顔を蒼白にしました。わたしはまた声高に読みつづけました。するとこんどは幼女はお菓子を口のところへもってゆこうとするのです。なんと嬉しいではありませんか、脱けた方の手がほとんど口のところまで届いても痛みがないのです。わたしはなおも『真理と健康』を読みつづけていますと、わたしの妹が子供の二人の兄をつれて帰って来ました。幼女は兄弟が帰って来たのを見るとすっかり手の痛みを忘れてベッドから走り出て「わたしは腕をぬいて痛かったの。だけどお母さんが本を読んで治してくださったわ」と申しました。この出来事は午前十時から午後三時までのことであります。それきり幼女は何事もなかったように列で遊んでいました。(ウインペッグ市、W・G夫人)

 以上は病気についてのクリスチャン・サイエンスの治験例でありますが、次には「生長の家」で、癒されて健康と運命を改善せられた実例を、皆さんの信念を強めるために申し上げようと思います。月刊の『生長の家』誌には毎号この種の実際の礼状がのっていますから、それもあわせてお読みください。
<つづく>

1109復興G:2012/08/10(金) 18:32:09 ID:g6nDEgV2

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 6>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(6)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       心の力で椎骨は調整しうる

 先日、岐阜の一読者からこういう手紙が来たのであります。「自分は数年来強度の顔面神経痛にかかって夜も眠られないほどの苦しみでありますが、あらゆる医療という医療、あらゆる治療法という治療法を試みたけれども、寸効もなく失望しています。近ごろある透視家に診てもらったところが頸椎骨に物理的の狂いがあるので、それを物理的に治さないかぎりはこの神経痛は治るものではないといいます。しかし当方は田舎でそんな椎骨を治す医者はないのです。御地付近に椎骨の矯正をする名医があれば知らしてください」というお尋ねの手紙です。わたしはさっそく、神戸のカイロプラクター桜井某と、東京にある某々椎骨矯正医二名の住所を知らしてあげ、それにつけ加えて、「あなたが物理的にその病気を治そうと思うならばこれらの人たちにかかってみてください。それも一つの方法です。しかし真理を申せば、物質はそれ自身において痛みを感ずる力はないのです。だから痛みを感ずるのは『念』です。『痛いと思う念』が痛みを感じているのです。『念』から『痛い』という思いをとってしまえば痛むものではありません。ところが、心はこれ『生命』のはたらきであって、『生命』は神から受けたものですから完全であって病気になるものではありません。病気だと思う『迷いの念』が、痛むはずもない物質の肉体を痛むように思わせているのです。椎骨の脱臼ということをこのごろだいぶやかましくいいますが、椎骨と椎骨との間には伸び縮みの自由なゴムのような靭帯があって、それが椎骨を一定の位置にたもっているのです。その靱帯が一方へ痙攣(ひきつ)けて不平均でいれば椎骨が脱臼しているのです。この靱帯というものは物質だから、自分自身の力では一方へ痙攣(ひきつ)ることはできないのです。もしそれが痙攣っているならば、あなたの心がこれを引きつらせたのです。あなたの心が引きつらせたのならば、あなたの心が健全に帰れば靱帯の不平均な一方への痙攣も治りますから、椎骨の脱臼も治ります。もし心で病気を治そうとお考えになるのでしたら、『神想観』を実修して神との一体感に完全に精神が統一したとき『自己の生命は神の子であって病気になるはずはない。そして物質には心がないから痛みを感ずるはずがない。痛みは迷いである』と繰り返し繰り返し念じてごらんなさい、きっと治ります」と書いてご返事を差し上げたのであります。この方が神想観の実修をされたのは六月二十日からであります。二十日から五日間はこちらからも「祈り」と「思念」とを送ってその実修をおたすけし、あとはその方の自修にまかせておきましたところ、翌月の五日出の葉書には、「おかげさまで昨今では数年にわたる難病もほとんど全快しました」という快報が来たのであります。「神想観」を実修せられてからまだ半月しかたたないのに、「生命の実相(ほんとのすがた)の自覚」さえ行なわれれば、数年間不治の難病でもこんなにすみやかに治るのであります。

 こんなにもたやすく病気は治るものであるのに、医学が進歩しいろいろの物質的薬が発明せられてくると、かえって病気がなおらなくなるのみか、新しい病気が続々と殖えてくるのは、医学が進歩すればするほど、「生命は神の子だ」という信念がいよいよますます稀薄になってゆくからであります。薬物に対する信仰が高まれば、「生命」に対する信仰、自己の「神性」の自覚はだんだん薄まるのであってこの二つはけっして両立しないのであります。だからできうる限りわれわれは、薬物その他の物質的方法に頼ることをやめて、「生命」の霊妙性を自覚するように努め、これによって、「生命」それ自身の力を発現せしめて病気を治すようにしたいものであります。

 生理学者は人間の筋肉には随意筋と不随意筋とがあって、随意筋は自分の心で思うように動くけれども、不随意筋は自分の心では随意に動かすことができないといっているのであります。しかしこれはただ表面そう見えるだけのことで、心で動かない肉体組織はないのであります。骨の位置を定めている靱帯でさえも、前述のように心に真理を自覚すれば正しい位置にかえるのでありまして、胃腸や心臓の運動が心の力によって正しくなったり不整になったりするくらいはあたりまえのことであります。
<つづく>

1110復興G:2012/08/10(金) 18:33:13 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 7>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(7)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       体温計が麻痺症を癒す

 心の作用は実に微妙なもので、信じて「治る」と思えば、どんな治療法を使おうが、どんな薬を使おうが治るのであります。治らないのはその信じ方がたりないからであります。もうだいぶ古い話でありますが、アメリカにサー・ハムプリー・デビーという医者がありました。そこへ一人の麻痺症の男がやって来て治してくれというのです。麻痺のために腋の下に体温計をはさみにくいので、体温計を口に入れさせて、体温をはかってみたのであります。かなり古い出来事であって、患者はこれまで体温計というものを口へ入れて検温するという経験がなかったので、これはテッキリ口へ入れておけば病気が治る機械だ、と信じて思い違いをしたのであります。この機械に対する信念が強かったものだから、その体温計を口から出すころには、さしもの麻痺症が治ってしまっていたので医者も驚いたのであります。

 クリスチャン・サイエンスの開祖エディ夫人は普通の食卓塩を水に薄めて、ぜんぜん塩からくないようにし、その稀薄な食塩水をいかにも高貴薬のように一杯のコップの水に一滴たらし、その水を三時間ごとに茶さじ一杯ずつ、末期の腸チフス患者に与えてとうとう病気を治したという実例を発表しています。「鰯(いわし)の頭も信心から後光が射す」という言葉がありますが、それと同じことで体温計でも、食塩水でも、蒸溜水でも、信仰さえすれば病気が治るのであるとしましたら、何も自分の貴い生命以外のものを信仰する必要はないのであります。自分の「生命」を信仰し、神の子としての自分の「生命」の貴さを自覚し、これによって病気を治すことにしたならば、人間というものが物質にひざまずいて、どうぞ治してくださいとほかの物に頼む必要がなくなり、同時に自分の「生命」がどんなに霊妙な全能なものであるかということがわかってきますから、こん後病気を怖れなくなるばかりでなく、処世上にもあらゆる点において、この自己生命の強い生きる力の自覚が大いにわれわれを裨益(ひえき)してくれるのであります。

 さきほど、私は肉体は物質であるから痛みを感ずるはずがないと申しました。厳密にいえば心のない物質はないのでありまして、物質がある形をあらわしているというのは、心が背後にあって、物質にそういう形を現わさしめているのであります。で、「物質には心がない」と前にいいましたのは、普通人が考えているところの「物質」というものはこんなものだという概念をまずひきあいに出してきて、そんなら肉体は物質だから痛みはないはずじゃないかといったのであります。この肉体の痛いと感じますのは心があって痛いと思うから痛いのであって、心がなければ痛いとは感じないのであります。たとえばちょっと熱い湯がかかれば、われわれの皮膚は赤くなって、しまいには水泡(みずぶくれ)までできてきますが、死骸にちょっとぐらい熱湯をかけても赤くもならず水泡もできないのであります。死骸はいわゆる「心」がないから、本当にクラクラ沸る湯の中へでも入れて本当に物質的に変化を起こすほどの時間煮なければ色が変わるようなことはないのであります。ところが生きているわれわれは、ちょっとした熱湯をあびてもスグ皮膚の色が変わり爛(ただ)れて来たりすることがあるのであります。これは熱湯をあびたから火傷をするに違いない、皮膚が赤くなって水泡ができるに違いないというわれわれの心の信仰が肉体の形や色に変化を与えるのであります。だから「熱い」という観念、「火傷(やけど)をする」という観念をわれわれの心のうちから取り去ってしまうと、炎の中へしばらくぐらいは手を突っ込んでも、焼け火箸を手でしごいても火傷をしないでいることができるのであって、これは御嶽教行者の「火渡りの術」などにも見ることができるのであります。
<つづく>

1111復興G:2012/08/10(金) 18:34:42 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 8>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(8)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 そんなら「熱い」という観念、「火傷をする」という観念をとり去ってしまったら、火の中へ数時間坐っていても焼けないかと申しますと、そうはまいらないのであります。これは「火の中に坐っていれば焼ける」という人類全体の信念の力が、火中に坐っているただ一人の「焼けない」という信念の力に打ち勝つからであります。この人類全体の信念を人類意識(race consiousness)といいます。われわれがこの人類意識の外に超出しえない限り、われわれはその影響を受けるのであります。昔、ある名僧は「心頭を滅却すれば火もまた涼し」といって、炎の中に坐って、熱いという考えを心から除(と)り去って、ぜんぜん熱いともなんとも思わずにいたけれども焼けて死んでしまったのであります。江間式心身鍛練法の講習などをみると、刃渡りの術といって、抜き身の刃の上を跣足(はだし)で歩く修行をきせたりしますが、この術を受けても必ずしも身体が鉄のように固くなって、どんな剣も槍もその肉体にとおらなくなるというのではありません。この刃を上向きに並べた抜き身の上をわれわれは誰が歩いても力が平均にかかれば足の裏は切れるものではないのであります。このためにこの実験に使う刀は刃を両方から研いでつけてあるのであって、片面研ぎのものを使うとこの刃渡りの術はできにくいのであります。この力が平均に、片よらないで相手に向かうということが江間式に限らずいろいろの霊的修行の中心になるのであって、心に恐怖心ができれば、どこかにスキができて、本来なら自分が傷つかないのが当然であるべき相手にぶつかっても自分を傷つけることになるのであります。

 ところがたいていの人は心に恐怖心があるために、本当に皮膚や肉が煮えてしまうほどの熱さにあわなくても火傷や火ぶくれができるのであります。砒素(ひそ)のような毒薬や硝酸のような劇薬ならいざしらず、一般の人間がおよそ普通に食べている食物なら、これは人間が神から与えられているのですから、それを食べたからとて本来なら胃腸を害するなどということは決してないのであります。しかし胃腸病の患者にかぎって、あれを食べると胸が焼けるの、これを食べると下痢するのと、しじゅう恐怖心で食べ物の小言ばかりをいっていますから、ますます言葉の力で食物に対する恐怖が強くなるのであります。この恐怖のために自分の心が相手の食べ物に対して平然として片よらないで立ち向かうことができない。そのために消化液の成分にも片よりができて胃酸が多くなったり、ペプシンの分泌が少なくなったりして、食べた物が完全な消化をえないで腐敗することになるので、これが胃腸病の本体であります。それはちょうど、踏んでいる足の力が平均に刀の刃に立ち向かわなかったら足の裏が切れるのと同じで、本来なら傷つかずにすむべき胃腸がまず食べ物に「気合い負け」して、食べ物に傷つけられることになるのです。

 クリスチャン・サイエンスの開祖エディ夫人は砒素のような毒薬を飲んでそれで人間が死ぬのは砒素という物質の力が人間を殺すのではない。砒素を飲んだら死ぬという人類の信念が人間を殺すのだ、とまで極言しているのであります。「それなら毒殺せられる人や、毒と知らずに食物をたべて中毒するような人は、心でそれが毒だと信じないで死ぬではないか」とエディ夫人に反問した人がありました。するとエディ夫人は、「毒と知らずに食べた人やその周囲の数名は毒だと思わなかったかもしれないが、人類の大多数の腹の底に隠れている信念が、それを毒だと認めているから、大多数の人類の信念が合併して実に大きな信念となって、その信念の力によってそれが毒となって、それを飲む人を殺したので、物質そのものには決して人を殺す力などはないのだ」と答えたのであります。

 このエディ夫人の答えはなかなかおもしろい答えであります。人間というものが、本来「心」であって「物質」でないならば、物質が人間を生かしたり殺したりするということはできないはずであります。「心」は「心」自身のはたらきで生き生きとしたり、弱ったりするほかに生きる道も死ぬる道もないのであります。また人間というものが本来「心」ではなくてその本質が物質であるならば「心」のない物質には生きるも死ぬるもないのですから、それではぜんぜん問題にはならないのであります。
<つづく>

1112復興G:2012/08/10(金) 18:35:31 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 9>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(9)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 それで、こういうことが解るのであります。物質がわれわれを治したり、殺したりするのは、第一、人間というものが「物質」ではなく「心」でできている生命であるということ。第二、物質というものは色や形や特有の性質をもっているように思われるけれども、ほんらいそんなものは無であること、すなわち『般若心経』にも説いてあるように物質の色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)等の諸性質はすべて無であって、ただその背後(うしろ)に個人の信念、または人類の信念という「心」の作用が働いておって、この信念の力が人間という「心の生物」を治しもすれば殺しもするということであります。

 つまり人間は物質という死物でないからこそ生き死にがあり、物質だと思っていたものも、その実は「信念」(ひろくいって「人類意識」または「宇宙意識」)が仮に形をあらわしたものであるから、人間という心的存在に関係をもちうるということになるのであります。それでわれわれは人間と薬との関係を、物質と物質との関係のように思っていたのが誤りであることがわかり、人間と薬との関係は「心」と「心」との関係、意識と意識との関係であることが覚られるのであります。

       大乗仏教の神髄

 物質は無い! 何という大胆きわまる宣言でありましょう。しかしこの真理こそいつの時代にも大切であって、この真理がいよいよはっきりするにしたがって人間は本当の自由がえられ、自己の霊的自在性が完全に発揮されるのであります。釈迦は三千年前にすでにこの真理を明らかにせられた。「物質は無い!」色即是空だ。大乗仏教の経文の中心となっているのは、この五字の真理につきるといってもよいのであります。しかし釈迦は相手しだいでいろいろの方便をお使いになったらしく、薬を欲しがっている病人には薬をやって病気をお治しになったということも経文には出ているのであります。信仰さえあれば体温計であろうがボタンであろうが、口に入れさせておけば病気は治るのですから、釈迦は物質を仲介にして病人の信仰を喚起して治されたものとみえます。だからわれわれも決して薬剤を排斥するものではありません。

       キリスト教の神髄

 キリストになると病気や薬に対する態度はいっそうハッキリしているのであります。キリストはどんな病気でも難病だといわれたことはない。キリストにとっては、病(物質)は無いのだから、病に重いも軽いもないのであります。弟子が難病者の病気を癒しそこなって帰って来ると、「おお、なんじら信仰薄きものなるかな」と彼は嘆じているのであります。これは病の治ると治らぬとは「病の物質的軽重にあるのではない。信仰の深い浅いによるのだ」という意味であります。キリストは病の軽重をみなかったばかりでなく、死をもみなかった。ラザロが死んでいるのをみても「死せるに非ず、眠れるなり」と断言した。この断定的な信仰の言葉によってラザロは肉体的にも復活してきた。これをみても肉体は信念の影だということがわかるのであります。またキリストは誰にも薬を処方してあげられたこともなければ、食養法を説かれたこともなく、あべこべに、「なんじら何を食らい何を飲まんと思い煩うことなかれ」と切言せられているのであります。

 ラザロは万人の目からみて現に死んで数日たつのに、キリストにとっては、「物質は無い!」のであるから、死んで腐りかかっているラザロの肉体などは心の目に触れなかったのであります。彼はラザロの霊なる「真の人間」(real-man)を見た。神によって造られたる神の子たる「神人」(God-man)を見た。「真の人聞」「生命の実相」「神人」を認めることによって「真の人間」が現象的にもノコノコ立ち上って動き出した。これがラザロの復活であります。
<つづく>

1113復興G:2012/08/10(金) 18:36:23 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 10>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(10)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       重症胃腸炎癒ゆ

 神癒の骨髄となるのは「真の人間」たる完全なる「神人」を自分において観るとき自己治療が行なわれ、相手においてみるとき他人治療が行なわれるのであります。

 生長の家発祥当時、朝鮮の支部のお世話をしてくださった池田房治さんは、そのころ支部はこしらえてくださるし、集まった誌友の名前は知らしてくださったけれども、なんら支部としての活動を開始してくださっているような様子がなかった。それで支部をこしらえてくださった以上、支部としての実力を備えておいてもらわねばならぬと思いましたが、遠方であって来ていただくのも大変でありますので、朝鮮にいられるままで「神想観」を五日間実修してもらうことにし、こちらから祈りと思念を送って、それを助けることにしたいといってあげたのです。すると池田さんからの返事に「実は生後十一ヵ月になる自分の子供が重症胃腸炎で、四十日間も赤十字病院に入院しているけれども少しも快方におもむかないし、自分としても手をつかねて見ているよりほかに手をくだす力もなく困っているさいであるから、仰せにしたがって『神想観』を実修し自分の霊力がどれほど出るか試してみたいと思う」との返事であります。それでさっそく、実修の時間を定めて「神想観」の実修をしていただいたのであります。すると数日後「五日間の実修を指導せられたことを謝す。昨日子供は病院を退院させました」というハガキが来たのであります。それでは、池田君は子供を病院から引きとってこれから自分の「神想観」の癒す力を試す考えであろうと察していたのであります。ところが、それから一ヵ月ばかりも便りが池田君からは来ないのであります。では、やはりまだ子供が悪いので知らせるのも気の毒と思って、なんとも便りがないのであろうなどとも思いましたが、そんなはずはないがなあ、という気もするのであります。すると一ヵ月後、その池田さんがとつぜん朝鮮から「生長の家」出版部へたずねて来られた。で、「坊ちゃんのご病気はどうです?」とたずねると、「あれから急によくなりまして、いまでは元気です」と答えられる。「それでは手を按(あん)じて、祈ってあげられましたか?」ときくと「実はまだそれをやってみないのです。やってはみないけれども、わたしが神想観の実修を始めると同時にメキメキ快くなって、もうわたしが手を按じて祈る必要がなくなったのです。神想観をやると実に自信がでますね。実はこんど郷里の母が病気で悪いというので、なんだか自信ができたようで治してみたいと思って帰って来たんです。ところがわたしが帰郷すると急に母がまた元気になって食欲が進んできて、またこれも手を按じて祈る必要がなくなっているのです」などと答えられたのであります。

 イエスが手を按じて祈ったということは聖書のところどころに出ていますが、神想観にて実相を観じて病気を治すには、手を按ずるということは必須のことではないのであります。手を触れず按ぜずに病人の前で「神想観」をやっているだけでは、病人自身にとってはなんだか頼りない気がするだろうと思って、手を按じて思念してさしあげてもよい場台かありますが、このごろのように「手のひら療治」や触手的治療法がはやるときには、手を按じない方が混同されなくてよいのであります。手のひらという物質で治るのなら物質治療であって超物質治療(メタフィジカル・ヒーリング)ではないのであります。ただ神想観によっておのずから自分または病人の生命の実相たる「神人」が輝き出すことによって病気が消滅するのであってこそ、メタフィジカル・ヒーリングであります。ことに池田さんの場合のように子供がまだ乳のみ児のような場合には、その子供はまだ独立した人格ではなく親の人格の一部分たるにすぎないのですから、親が自身で神想観をするか親の心をこっちから神想観で治せば、子供の方は放っておいてもよくなるのであります。

 相手にある「神人」を、こちらからハッキリと観ずれば、相手の病気が治るばかりでなく相手の人格などもすっかり変わってくるのであります。「神想観」を病気治療法だと思っていられるとまちがいであります。病気が治るのは、ただそのごくごく随伴的の功徳にすぎないで、神想観の功徳は実に宏大無辺、性格でも運命でも境遇でも、この「神想観」によって改善されてくるのであります。
<つづく>

1114復興G:2012/08/10(金) 18:37:07 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 11>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(11)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       家庭改善の実例

 こんな面白い実話があります。アメリカのウイスコンシンに不幸な家庭があった。家庭がどうも思わしくゆかないので、もう明日にも夫婦別れをしなければならないようになっていたのであります。熱心な信仰家があって、その気の毒な奥様をたずねて言うには「あなたは初めからいまの旦那様をお好きじゃなかったのですか?」「いいえわたしたち結婚した当時は愛していましたの。」そこで、この信仰家が言うのに「神様は人間を神の子として完全な神人にお造りになったのだ。家へ帰って、あなたの肉体の良人(おっと)の背後(そのおく)にある本当の存在――神様がお造りになったままの神人を観るようになさい。いまのような放蕩無頼な良人は、良人を罪ありと信ずる信念の影であってそんなものは実は存在しないのです。本当に存在するのは影の後にある本体です。神が造ったままの人間、完全な神人があるのみです。神がいったん人間を完全に造った以上は、人間は堕落することはできない。だから堕落したようにみえるのは信念の影であって、信念を変えてしまえば『本当の、神がつくったままの、完全な神人』が表にあらわれて来るのです。五官は信念の影を見るだけのものですから、五官で今見えている有様にとらわれて、あなたの良人の本当の存在たる神人を見のがしてはなりません。帰ってこれから、あなたの信念の影なんか見ないようにしてその後にある本当の神の子たる良人を観るようにしてあげてください。」こういう熱烈な信仰家の言葉をきいて、それ以来彼女には生まれかわりが始まったのです。それ以来、いかなることがあろうとも、彼女は良人の悪いところを五官の眼で見ないことにし、心の眼で、真実存在たる実相の善い良人を見るようにしたのです。間もなく彼女の家庭には平和と愛とが復活し、和気藹々とした家庭を楽しむことができるようになったのであります。なお後に詳しく説明する機会があると思いますが、家庭の不調和が原因で肉体に病気があらわれている場合が非常にたくさんあるのでありますから、病気になった場合、自分は誰かを憎んでいないか、不平を持っていないかを反省してみて憎みを捨て、不平をなくし、すべての人を赦すようにして、人々の神の子たる実相を観て感謝するようにすると、不思議に病気が全快してしまうようになるのであります。

       就職戦に打ち勝つ

 家庭苦はなるほどこういうようにして救われるということが解りましたが、失業苦はどういうようにして救われるかという実例を申しましょう。

 北海道函館に三好さん(仮名)といって非常にまじめなよい青年があります。高等商船学校の卒業者であられますが、学校を出てもう数年間失業していられたのであります。ところが因縁によって、『生長の家』の創刊号以来からの愛読者になられた。この雑誌を読んでいると生まれかわったような明るい気持になられたのであります。「朗らかに笑って」という文句が必ずはいっている葉書の通信をば、たびたびこの青年から私は受けとったものです。葉書にさえ「朗らかな笑い」がはいっているのですから、性格も一変して明るくなられたに相違ないのであります。そこからこの方の運命がひらけてきたのであります。
<つづく>

1115復興G:2012/08/10(金) 18:37:59 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 12>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(12)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 前節には、私は真理の書籍を読むだけで病気が治ったという話を紹介しましたが、読むだけで治るのは病気だけではないのであります。本書を読んで自分の生命が神の子であるという真理が本当に理解できてきましたら、運命も境遇も徐々に転換してくるのであります。

 さてこの三好さんも自分というものが神の子であるということがわかり、根本から性格が明るくなってくるとともに、運命がこの方の上にほほえみかけてきたのであります。それまで三年間就職運動をつづけていたけれど、常にその選考に落選していた目的の会社から、人物考査の上で採否を決定するから、なん月なん日には面会するから出頭せよという通知が来たのであります。そしてもうその面会日は前途に旬日もないほどに目の前に迫っている。さすがに三好さんも心が動揺せずにはいられないのであります。試験官の前でどういって答えたらよいだろうか。どんな態度をとったら採用になるだろうか。実は自己の生涯の運命がこの人物考査のさいにとるべき自分の態度と返事いかんによって決するのだという気がされたのでありましょう。三好さんは人物考査受験にのぞむさいの注意を至急知らしてくださいという手紙をわたしによこされたのであります。

 わたしは早速神に祈って返事をしたためました。その返事の内容を簡単にいってみますとこうであります――いよいよのときになって試験官がどういう質問を発するか、その質問に対していかなる返事をしたら試験官に好印象を与えるかというようなことはあらかじめ予測することはできません。あらゆる質問の種類を列記してそれにいちいち応ずべき試験問題解答集のようなものを差しあげるわけにもゆきません。あなたが人物考査試験にパスすると否とはあなたの全体からそれとはなしに立ちのぼる雰囲気で大部分は決するものです。それから試験官の問いに対していかなる答えをすれば好いかは、あなたが神と一致したときおのずから発せられる言葉でよいのです。自分ではずいぶんばかな返事をしたものだと思うような答えが、かえって試験官に好印象を与えることもありえます。また自分にはいかにも適当な返事をしたと思うことが試験官にかえって悪印象を与えることもあります。だから、その時その時にいかに答うべきかについて思い煩うのはばかげています。キリストも弟子に教えて、なんじらいかに説教すべきかを思い煩うな、その時に口をついて出る言葉が神の言葉だ、といっています。思い煩えば思い煩うだけ自分の雰囲気を悪くするばかりです。だから何よりも恐れずへいぜんとして神に一致することが肝心です。神に一致するためには試験の当日まで毎朝夕「神想観」を実修してください。そして神と自己との一体感を深めてくだきい。ほんらい神と自己とは一体であって、いつだって離れているわけではありませんが、自分で一体感を失っているから、神と一致した行動が形の世界へ現われてこないのです。神との一体感さえ深めれば、神と一致した一言一行が形の世界に現われるようになり、あらゆる事物がことごとく自己の善を成就するように動き出しますから何も心配することはありません。だから「神想観」を実修して神との一体感を深めることが第一です。あなたが「神想観」を実修して神との一体の感じに精神が統一した時、あなたの求める事物が神からすでに与えられている状態を想像して、これをアリアリと心のうちに強く観じなさい。「求めよさらば与えられん」とはこのことです。「なんじが祈る時にすでにそれを受けたりと信ぜば、必ず与えられる」とはこのことです。神と我とは一体だとの信念が強まったとき、欲する事物を心に描けば神すなわち大宇宙の創造力が、その心に描いた状態を形にあらわすために、活動しはじめるのです。一定の時間の「神想観」の修行が終ったならば、もうそのことについて思い煩ったり、心配したり、実現を危ぶんだりしないことが肝心です。心配や取り越し苦労は逆の否定的な破壊的な想念でありますから「神想観」で、順の、肯定的な、創造的な思念をしておいた効果を打ち消すことになります。
<つづく>

1116復興G:2012/08/10(金) 18:38:46 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 13>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(13)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――まずざっとこんな意味の事を書いて三好さんにさっそく返事を送ってあげたのであります。するといよいよ三好さんの人物考査の試験日が来たのであります。すると三好さんからは、お蔭で実に落ち着いてわれながらこれでは満点だという心の態度で試験官に対することができたので非常に嬉しく思っています。十五日には採用の通知が来るはずですから、採用と決まればさっそく電報で生長の家へ知らせて喜んでいただきたい――というような意味を書いた感謝状をよこされたのであります。さてわたしは家内と一緒に、三好さんのために神に祈って三好さんが採用になることを待っていたのであります。ところが十五日になっても、十六日になっても、電報どころか、手紙も来ないのであります。私も家内も熱心に祈ってあげたのでありますし、それだけまた、一時失望が激しかったのでありますが、われわれでさえこんなに失望するのであれば、当事者たる三好さんはさぞや失望しているだろうと思うと、慰めの言葉を送ってあげなければならないという気がして、わたしは長文の手紙をまた三好さんに送ったのであります。慰めるといっても、いいかげんな、でたらめをいって一時の気休めをさせるというのではありません。われわれが「神想観」によってある事物の成功を神にもとめる場合に、その求めた事物がえられないで失望していると、こんどは求めた以上のものが他の方面から与えられることがおうおうあるのであります。これは神の知恵が人間の予想した以上のところに働きたまうからであり、迷いの自壊作用でもあります。たとえば、ある病気に対し、健康な状態を神に求めていると、かえって熱が高くなったり、痛みが増加したり、分泌物がふえたりして、いっけん病状が急激に悪くなったりすることがあります。これでは「神想観」も効力がなかったのかと思って失望していると、その病状の急変が一転機となって、驟雨(しゅうう)の後の快晴のような爽快な健康がめきめきと回復してくるのであります。クリスチャン・サイエンスの開祖エディ夫人はこの「病状の急変」をケミカライゼーションと名付けて「これは真理の朝日が立ちのぼる前に『無明』の自壊作用が起こるのであるから、このケミカライゼーションが起こったら、あなたの病気はもう治ったと自分は病人に宣言する」とまでいっています。「神想観」によって生命の実相を観じたり、『生長の家』誌や『生命の實相』のような生命の真理を判りやすく書いてある本を読んで、病状が急激に悪変したならばこのケミカライゼーションという「迷いの自壊作用」であって、近くまったき健康の出現する前兆なのでありますから、自信をもって、やはり神想観を続けてください。そして毎日せめて一時間ぐらいは『生長の家』誌や『生命の實相』實相篇、光明篇、生命篇、萬教帰一篇等を読み、聖経『甘露の法雨』を祖先の霊前で繰り返し誦(よ)んでいただいておれば必ず急速にその病気は回復するのであります。病苦とか衰弱とかで読めない人は、看護に親しむ、身に近い人に読んでもらえば、読む人から健康の思想が言葉とともに放射されて病人に達するので回復が早いのであります。『生命の實相』は決して一ぺん読んで表面の心で解ったからそれでもう捨ててしまってもよいという書物でないのであります。幾たびも繰り返し読むほど潜在意識に深く真理がたたみこまれてきて、じっさいの治病力または運命の改善力となって発現するのであります。たいていの人は病気が急変してくるとびっくりして信仰に動揺をきたして医者に相談してみる。すると医者はその病状の急変が、病気の自壊作用すなわちケミカライゼーションだということが判らないから、書物などをこの大病人に読ませてはいけないといって読書を禁じてしまう。かかる医者の注意がどんなに病人にとって致命的なものであるかは医者自身には解らないのであります。
<つづく>

1117復興G:2012/08/10(金) 18:39:27 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 14>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(14)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       運命のケミカライゼーション

 これは病気のケミカライゼーションでありますが、「真理の書」を読み、「神想観」を実修しているとわれわれの運命にもケミカライゼーションが起こってくることがあります。たとえば今まで前途にみとめていた光明が急に消えてしまって暗黒になる。コロンブスがアメリカ大陸発見の時に、すでにアメリカ大陸に近づいてきたころになると、かえって船員たちが不安に思い出して、コロンブスを監禁するか海へ投げこんで、後へ船を引き返さなければ向こうに陸地なんかはない、といって希望を失い始めたのと同じことであります。このときにコロンブスも一緒になって前途に希望を失ってしまったら、現在のアメリカ大陸は世界の地図の上にないのであります。灯火の消える前は一時かえって明るいのと同じように、運命の明け方のくる前には真っ暗な真夜中がくる。けれどもこの真っ暗な真夜中はいっそう明け方の近づいた証拠なのでありますから、コロンブスのように前途を信じて確信をもって突進すればよいのであります。運命のケミカライゼーション(転機)の時には、今までよい具合にいっていた勤め先がどうも思わしくなくなったり、同僚と衝突したり、会社が潰れたり、解雇になったりすることがあるけれども、そのために見出した新職業や生活の新転換で、揚々と追い風に帆をあげて成功することもあります。それで運命にもケミカライゼーションということがあるがために、われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。運命にケミカライゼーションが起こらねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、転換期というものに会うことができないのであります。ただ、この転換期の暗黒期に「失望」という奴によって確信を失つてしまうと、せっかく明るくなりかかっていた運命が、自分の心の力でまた本当に暗くなって来るかもしれないのであります。生長の家の『智慧の言葉』に「悪くなるほど、善きことが近づいて来たと思え」という意味のことが書かれていますが、これは病気を治そうとする人にとっても、運命を開拓せんと欲する人にとっても、いつまでも座右に備うべき箴言(しんげん)であります。

 では、話を三好さんにもどしてこの一節をひとまずまとめることにしましょう。三好さんからは電報では私のところへ採用の通知が来なかったけれども、じっさいは望みどおりに目的先に就職がかなったのであります。というのはその二十日ばかり後、絵葉書におかげさまで長い間希望していた職業をえたという簡単ではあるけれども喜ばしげな報知をえたのであります。これなどは実に『生長の家』の反復熟読と「神想観」の実修とによって運命を開拓した一つの実例であります。
<第3章 完>

1118ハマナス:2012/08/10(金) 21:33:24 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

携帯から、投稿させて頂いています。PCの画面が見れませんので、もし不手際がありましたら、お許し下さい。

無限供給のパイプをふせぐもの

『新版生活の智慧365章』

あなたが若し無限供給の来たらんことを欲せられるならば、自己の想念によって、宇宙の無限供給の流入口をふさいでしまってはならないのである。あなたは現在あるところの収入量だけを勘定したり、現在の収益の場所、収入の財源だけを考えて、そのほかの何処からも収入の道がないなどと考えてはならないのである。宇宙は無限に広いのであって、あなたの収入が流れ入るパイプはあなたが肉眼で見ている場所のほかにも色々あるのである。

あなたは祈りの際に、その無限の供給の流れ入る無限のパイプを瞑視しなければならない。あなたの供給を遮るものは、あなた自身の「限る想念」だけである。今すぐ其の「限る想念」を取除けなさい。月給取だから、そのほかのに収入の道がある筈はないなどと云う考えを捨てなさい。みずからを「限る」ものは、限っただけしか得ることができない。

感謝合掌

1119a hope:2012/08/11(土) 07:54:51 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

「これはできる」


「そんなこと位は初めから知っていた。だから私は『これをしよう』と思ったらいつまでも心を変えずにやってきたが、やっぱり運が悪いことに変わりはない」
とお考えになる人もありましょう。

だけれども、そうおっしゃるあなたの考え方は、私の考え方とたいへん異(ちが)います。
私は「こ'れ'は'で'き'る'」というお考えをいつまでも捨てないで貫き通すことが「精神一到」だと申しました。
ところがあなたは「こ'れ'を'し'よ'う'」という考えはいつまでも捨てずにいるが「運が悪い」と言われます。

あなたの考えと私の考えとがどれだけ異(ちが)うか、太い活字で書いたところを比べてみてください*。

私は「こ'れ'は'で'き'る'」という考えを捨てるなと申しました。
あなたは「こ'れ'を'し'よ'う'……し'か'し'で'き'ぬ'、運'が'悪'い'」と言っているのです。
「運 が 悪 い」とあなたがおっしゃるのは、「こ'れ'は'で'き'ぬ」という考えが混じっているのです。
私の言う「これはできる」という考えとはまるきり反対ではありませんか。
【*「太い活字」の箇所は一字ずつに〈’〉を入れてあります】
(つづく)

1120ハマナス:2012/08/11(土) 22:29:29 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。


月給取りにも無限供給の道はある
『新版生活の智慧365章』

或る月給取がありました。彼は肺結核にかかった。それが動機になって彼は生長の家に触れたのである。それから医師にみてもらうと、驚いた事には、喀痰(かくたん)中に無数に結核菌がいるとの事で、彼ひ強制的に会社を休まされることになった。その間に彼は一所懸命に『生命の實相』を読んだ。そして其処に書かれている通り、「健康」と「神からの無限供給」が既にあることを深く想念したのである。すると次に医者に診断を受けた時には全然喀痰中から菌が検出されなかった。塗抹試験をしても、菌培養試験をしても菌の不在が証明された。彼は会社へ出勤することを許されたのである。

彼はやはり神からの無限供給を祈りつづけた。すると会社の社宅が抽選であたった。そのために普通の家賃を支払っている時よりも三千円も節約になかったのである。病気欠勤していたに拘わらず、その期末には二千円月給が上がった。定額所得者でも定額以上を得ることができる例である。


感謝合掌

1121a hope:2012/08/12(日) 07:46:09 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

「これをしよう」


「これはできる」という考えの中には、「できる」という考えのほかに何にも混ぜ物がありませんが、
「これをしよう」という考えの中には、「これをしよう、しかしできないかも知れない」という考えが混じっているものなのです。
「これをしよう」と考えるだけの「精神一到」では必ずしも成功しないのは当たり前です。

入学試験に行く人たちは皆「この試験にパスしよう」と思って行くのです。
しかし、皆が皆まで試験にパスしないのは、「パスしよう」という考えはあっても、
「パスできる」と本当に信じている人が少ないからです。

「しよう」とか「成ろう」とかいう考えよりも、「できる」とか「成る」とかいう考えの方が強いのです。
(つづく)

1122ハマナス:2012/08/12(日) 21:51:16 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

不安恐怖を除くための祈り

『新版生活の智慧365章』

何よりも心の迷い、恐怖、不安等を取り除きなさい。毎日の祈りの際に、神が無限の供給源であり、無限の生命源であることを念じなさい。そうすることによって、一切の心の迷い、恐怖、不安等を取り除くことができるのです。
「神は無限生命であり無限の供給でありたまう。わたしは神の子であるから、常に神より無限の生命と無限の供給とを与えられているのである。だから私は常に健康であり、裕かであるのである。神は常にわたしを護りたまうが故にわたしには何らの不安も恐怖もない。心は常に明るく愉快で、私は神の生命と財福の供給が無限に流れ入るパイプになっているのである」
と云う風に祈るならば、恐怖心も不安も除かれ、真に「神」の流入する不思議のパイプとなることができて、日常生活に必要なあらゆる物を得ることができるのである。

感謝合掌

1123ハマナス:2012/08/13(月) 22:14:37 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

体験に失敗はない『新版生活の智慧365章』

過去について思い嘆くこと勿れ。過去は既に蚕が、一眠ごとに脱ぎ捨てた皮のようなものであり、蝉の抜け殻みたいなものである。過去の殻の形が如何にあろうとも、それは現在の自己にとって何のかかわりもないことである。真に自分にとって大切なことは、脱ぎ捨てた過去の殻が如何なる形をしているかと云うことでなく、その殻の中にあって如何に自分の魂が生長を遂げたかと云うことである。

如何なる困難も、如何なる失敗も、決して完全なるマイナスと云うものは人生には全然ないのである。エジソンは千百の実験に失敗した後一つの発明を完成しても、その千百の実験を「失敗」と呼ばないで、「こうしたら、こうなる」と云う実験のデータを得たのであるから、それだけ自分は進歩したのだと言ったそうである。

感謝合掌

1124ハマナス:2012/08/15(水) 10:01:53 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
おはようございます。

宇治では大雨の被害があった様ですね。
盂蘭盆供養大祭のご成功をお祈り致します。


病気が消えるための祈り
『新版生活の智慧365章』

あなたが若し病気であれば、あなたの想念を病気の症状に集中してはなりません。症状を超え、現象を越え、“神の子”たる完全なる実相に集中しなければなりません。既に癒されている完全なる状態を心に描いて、その想念を心のうちに持ち続けることが必要であります。次の如く祈りなさい。

「神はわが内なる実相の生命である。実相のみが実在するのである。神は完全であるからわが内なる実相の生命は完全である。実相のほかには何ものも実在でないから、わが全心身は実相そのものである。実相は完全であるから、実相そのものであるところの全心身は健全である。病気と見えているところのものは、それは実相の完全さを知らない迷いの影にすぎないのである。迷いは真理を知ることによって消えるのである。私は今神より叡智の光を受けてすべての迷いが消えたが故に『迷いの産物』なる病も消えたのである。」

感謝合掌

1125ハマナス:2012/08/15(水) 21:32:06 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

消極的な想念の誘惑

『新版生活の智慧365章』

神は人間に完全なる自由を与え給うたのである。この実相に心を振り向けるとき、一切の自分を不幸に陥れる束縛も制約も消え去ってしまうのである。事物を処置するに当って、否定的な消極的な面に心を振向ける者には大なる成功と云うことはあり得ないのである。神が常に自分の仕事を導き給うと云う信念があれば、一時その仕事が如何に行詰(ゆきずま)ったように見えても、また別の道がひらけて其処から素晴らしい仕事の枝が出て来て、主要なる仕事よりも其の枝の収益で損失をおぎなうことも出来るようになるものである。

消極的な考えが起きて来たならば、「神はわが父であり給い、わが求むるすべてのものを神は与えたまうのであるから、必ずわが行くべき道は拓かれるのである。神は無限の智慧をわれに授け給いてわが行くべき道を示し給う」と念ぜよ。


感謝合掌

1126SAKURA:2012/08/16(木) 03:52:32 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

もう…「ご先祖様…」が、お帰りになられましたでしょうか?今年は【二つ部門の聖教】を唱え、
ました次第です。…が?一つは「甘露の法雨」「観世音菩薩賛歌」の“お経”を唱えました…。
皆様も「御先祖様の見送り?」の“お聖経”を、唱えられましたでしょう〜〜〜か?
では、私達にも必要な精神は、…【心の聖典】を〜〜〜開きます〜〜〜♫

■幸福を招く365章
―――――― あなたが幸福になろうと思ったら ――――――――

「神よ、私はあなたに対して今日約束を致します」皆さん、こう云って神様に約束の祈りをし
て下さい。「今日より私は、あなたのお力を得て、私の心よりすべての暗黒なるものを、憎しみ
や、怒りや、悲しみや、嫉妬や、人の不幸を喜ぶ心などを綺麗に洗い流して、再びそのような
感情を私の心の中に起すことなきように誓います。この誓いが実行出来るようお力をお添え下
さい。私はあなたの許しを得て、私の意志と感情と想念とをあなたの中に投げ込みます。あな
たの尊き高き清らかなる意志と想念と感情とを我れに流れ入らしめ給え。わたしの心は既に私
のものではありません。あなた様から与えられ、あなた様に献げられたるものであります。私
は力を尽くしてこの私の心があなた様に献げられたる目的にかないますよう聖らかなるよう努
力いたします。」
                             ( 谷口雅春著 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日は「御先祖様のお見送り」…【お祈り】をしましたが?皆様は如何でしたでしょうか?
私も【祈り…】の後、仏壇に向かって話しかけますが、これがとても照れくさい?のです。…が?
それでも「亡き両親」に、今回の【新聖経…】を、いいのかしら〜〜〜ンと聴きますと?
“ロ−ソクの炎”…揺らぎから〜〜〜良い〜〜〜のでは?と…嬉しそうに、頷いています〜♫〜
私も【甘露の法雨】後に、読誦しますと、とても読み辛くなります事もしばしばです。…が?
その後、段々と“心が爽快”になりまして、不思議と“意志が強く”なってくるのです。

私自身も、まだ読誦しだしてから間がないのです。ですから、先ず!読んでみまして、その後
“効果”がなければ、その時に“対策を講じても”良いのではと思いますが?
私の考えは、読みます前からの批判論(ア〜〜〜ダ?コ~~~ダ?)には??
それなりの“効果”があるものと“信じて祈る!”ですから、“不安とか?”は無く、
其の言葉の“意味を理解”しながらでしょうか〜〜〜?
とても分かりやすい【文章 と 聖典】です!!(しいて言いますと厳格性?でしょうか?)

さて!人は誰もが【幸せ捜し…幸せの青い鳥?】勿論!私もやはり…
“幸せになりた〜〜い”ですモノネ???
今日から、更に【神想観=瞑想】です。この“言葉通り”に…【実行開始!!】
“嫌な感情…不安?恐怖?妬み?嫉妬?…etcネガティブ感情を、遠く遥か彼方へ…捨て去る!!
アウト・プット〜〜〜と「イメ−ジ」で…!そうなのです〰~~ョネ!今日から、私の“メモリ−”に、
【今日の言葉を、一気に暗記しまして、唱えていきま〜〜〜す〜♫】
今から【幸せロ−ドに入る“近道…入門でしょうか?】信じて、
My load〜〜〜on!!!…Come back my load !!!

PS:トキ様 へ
お盆前からの気象庁の情報で【集中豪雨警報…】が?ありましたモノ?
其の結果…?「集中豪雨…被害が各地に〜〜〜><」悲しい出来事が〜〜〜><

さて!【お聖経問題…】ですが、私は先ず!“実行”からしています。…が?
やはり【心 の 法 則】で行きますと、目前の「現象」での理解(心の捉え方)は、当に!
そのような形で現実世界に現れますし…更に【天界からの伝言】では???と思いながら、
今「地質学」を読んでいますと…?なるほどと言った感じが見えて来ましたが、
全てを【新 聖 経 の せ い】になさる根拠は、大変失礼ながら、
昔の【迷 信 世 界】に、戻ってしまった気持になります次第なのです。…が??
                                   再合掌

1127a hope:2012/08/16(木) 07:53:31 ID:r8H4x9xE
人生読本 谷口雅春先生著

「成ろう」と「成れる」との相異


誰でも偉い者に「成ろう」とは思うのですが、そのうちの極わずかな人だけしか偉くなれないのは
「成ろう」と思う考えは捨てないくせに、「成れる」という考えをいつの間にか捨ててしまうからです。

そしていつの間にかそんな人は、「成’ろ’う’と思うけれども成’れ’ぬ’」と言うのです。
そして、そういう人はとうとう偉いものには成’れ’ぬ’のです。

これで「成’ろ’う’」と「成’れ’る’」との相違が判ったでありましょう。
(つづく)

1128a hope:2012/08/17(金) 07:17:28 ID:r8H4x9xE
人生読本 谷口雅春先生著

立身出世の秘訣


皆さん成功の秘訣も、立身出世の秘訣もここにあるのです。
「精神一到」とは、どこどこ迄も、ただ 成’れ’る’――成’れ’る’で突き貫(とお)すことです。

「心」で「成れる」と信じたときには、心のフィルムではすでにそう成っているのです。
心のフィルムに描かれていたことは必ず活動写真に映し出されるように、この世の中に本当に出てくるのです。

しかし、自分がこうあって欲しいことがまだ本当に出てこないうちに、
「成れる」という考えを捨ててしまって、「成れぬ」という考えにいつの間にか成ってしまったら、
その「成れぬ」という考えがこの世に出てくるのですから、運は悪くなるのは当然です。
(つづく)

1129志恩:2012/08/17(金) 07:42:54 ID:.QY5jUA6
 ヨハネ伝講義 谷口雅春先生著


「私を信じる者は私を信じるのではない。私を遣わし給うた者を信ずるのだ。
神は光源であって、私は光である。だから私を見る者は、神を見るものだ。

私が光としてこの世に来ったのは、すべて私を信じる者が、暗黒の世界に、彷徨わないためである、

人がたとい私のコトバをきいて、それを守らないでも、私は守らない人を審きはしない。
私は審きのために来たのではない。救いのために来たのであるから。

しかし、私を棄て(すて) 私のコトバを素直に受けぬ者を審く者は、別にある。

それは、法則である。
わが語れる神のコトバである。

【私は、心の法則を語るのであって、心の法則にそむいたものは、最後には、その法則によって、審かれるのだ。】

私は、おのれの知恵や力で、しゃべっているのではない。
私を遣わし給いし父自ら 我が言うべきこと、語るべきことを命じたまうのだ。

私は、その命令が永遠の生命であることを知る。さらば私は、天の父が、私に言いたまうままを語るのだ。」

               (十字架に架かる前、このようにイエスは群衆に向かって、大声で説教して言われた。)

1130金木犀:2012/08/17(金) 18:14:39 ID:auusu5IE
志恩様

まさに雅春先生が、言っておられることと同じですね。雅春先生は、ご自分をラッパと言われましたが、
雅春先生の言葉を神の言葉として聞く気持ちのない人間が、総裁ですね。
だから、『甘露の法雨』を補強などと言われるのでしょう。本当に雅春先生の言葉を神の言葉として捉えたら、
補強などという言い方など出来るものではないと思います。

この謹写された文章を見て、戯曲編の耶蘇伝を思い出します。
戯曲の最後では、ユダが、サタンに、あなたは神ですかと聞くと、サタンが、
「まあ、神のようなものだ」と答えて、さらに、「私は心の法則というものだ」と答えますよね。
うろ覚えですから、少し違うかも知れませんが。
あの時、サタンと見えるような人生のあらゆる物事は、心の法則なのだと、
このサタンの言葉が強く印象に残りました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板