[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
聖典引用 板
1109
:
復興G
:2012/08/10(金) 18:32:09 ID:g6nDEgV2
<つづき>
<第5回 WEB誌友会用テキスト 6>
『生命の實相』 第1巻
《實相篇(上) 光明の真理》
「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(6)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
心の力で椎骨は調整しうる
先日、岐阜の一読者からこういう手紙が来たのであります。「自分は数年来強度の顔面神経痛にかかって夜も眠られないほどの苦しみでありますが、あらゆる医療という医療、あらゆる治療法という治療法を試みたけれども、寸効もなく失望しています。近ごろある透視家に診てもらったところが頸椎骨に物理的の狂いがあるので、それを物理的に治さないかぎりはこの神経痛は治るものではないといいます。しかし当方は田舎でそんな椎骨を治す医者はないのです。御地付近に椎骨の矯正をする名医があれば知らしてください」というお尋ねの手紙です。わたしはさっそく、神戸のカイロプラクター桜井某と、東京にある某々椎骨矯正医二名の住所を知らしてあげ、それにつけ加えて、「あなたが物理的にその病気を治そうと思うならばこれらの人たちにかかってみてください。それも一つの方法です。しかし真理を申せば、物質はそれ自身において痛みを感ずる力はないのです。だから痛みを感ずるのは『念』です。『痛いと思う念』が痛みを感じているのです。『念』から『痛い』という思いをとってしまえば痛むものではありません。ところが、心はこれ『生命』のはたらきであって、『生命』は神から受けたものですから完全であって病気になるものではありません。病気だと思う『迷いの念』が、痛むはずもない物質の肉体を痛むように思わせているのです。椎骨の脱臼ということをこのごろだいぶやかましくいいますが、椎骨と椎骨との間には伸び縮みの自由なゴムのような靭帯があって、それが椎骨を一定の位置にたもっているのです。その靱帯が一方へ痙攣(ひきつ)けて不平均でいれば椎骨が脱臼しているのです。この靱帯というものは物質だから、自分自身の力では一方へ痙攣(ひきつ)ることはできないのです。もしそれが痙攣っているならば、あなたの心がこれを引きつらせたのです。あなたの心が引きつらせたのならば、あなたの心が健全に帰れば靱帯の不平均な一方への痙攣も治りますから、椎骨の脱臼も治ります。もし心で病気を治そうとお考えになるのでしたら、『神想観』を実修して神との一体感に完全に精神が統一したとき『自己の生命は神の子であって病気になるはずはない。そして物質には心がないから痛みを感ずるはずがない。痛みは迷いである』と繰り返し繰り返し念じてごらんなさい、きっと治ります」と書いてご返事を差し上げたのであります。この方が神想観の実修をされたのは六月二十日からであります。二十日から五日間はこちらからも「祈り」と「思念」とを送ってその実修をおたすけし、あとはその方の自修にまかせておきましたところ、翌月の五日出の葉書には、「おかげさまで昨今では数年にわたる難病もほとんど全快しました」という快報が来たのであります。「神想観」を実修せられてからまだ半月しかたたないのに、「生命の実相(ほんとのすがた)の自覚」さえ行なわれれば、数年間不治の難病でもこんなにすみやかに治るのであります。
こんなにもたやすく病気は治るものであるのに、医学が進歩しいろいろの物質的薬が発明せられてくると、かえって病気がなおらなくなるのみか、新しい病気が続々と殖えてくるのは、医学が進歩すればするほど、「生命は神の子だ」という信念がいよいよますます稀薄になってゆくからであります。薬物に対する信仰が高まれば、「生命」に対する信仰、自己の「神性」の自覚はだんだん薄まるのであってこの二つはけっして両立しないのであります。だからできうる限りわれわれは、薬物その他の物質的方法に頼ることをやめて、「生命」の霊妙性を自覚するように努め、これによって、「生命」それ自身の力を発現せしめて病気を治すようにしたいものであります。
生理学者は人間の筋肉には随意筋と不随意筋とがあって、随意筋は自分の心で思うように動くけれども、不随意筋は自分の心では随意に動かすことができないといっているのであります。しかしこれはただ表面そう見えるだけのことで、心で動かない肉体組織はないのであります。骨の位置を定めている靱帯でさえも、前述のように心に真理を自覚すれば正しい位置にかえるのでありまして、胃腸や心臓の運動が心の力によって正しくなったり不整になったりするくらいはあたりまえのことであります。
<つづく>
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板