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聖典引用 板

1110復興G:2012/08/10(金) 18:33:13 ID:xKxowNU.

<つづき>

<第5回 WEB誌友会用テキスト 7>

 『生命の實相』 第1巻

 《實相篇(上) 光明の真理》 

 「第三章 あらゆる人生苦の解決と実例」より(7)

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       体温計が麻痺症を癒す

 心の作用は実に微妙なもので、信じて「治る」と思えば、どんな治療法を使おうが、どんな薬を使おうが治るのであります。治らないのはその信じ方がたりないからであります。もうだいぶ古い話でありますが、アメリカにサー・ハムプリー・デビーという医者がありました。そこへ一人の麻痺症の男がやって来て治してくれというのです。麻痺のために腋の下に体温計をはさみにくいので、体温計を口に入れさせて、体温をはかってみたのであります。かなり古い出来事であって、患者はこれまで体温計というものを口へ入れて検温するという経験がなかったので、これはテッキリ口へ入れておけば病気が治る機械だ、と信じて思い違いをしたのであります。この機械に対する信念が強かったものだから、その体温計を口から出すころには、さしもの麻痺症が治ってしまっていたので医者も驚いたのであります。

 クリスチャン・サイエンスの開祖エディ夫人は普通の食卓塩を水に薄めて、ぜんぜん塩からくないようにし、その稀薄な食塩水をいかにも高貴薬のように一杯のコップの水に一滴たらし、その水を三時間ごとに茶さじ一杯ずつ、末期の腸チフス患者に与えてとうとう病気を治したという実例を発表しています。「鰯(いわし)の頭も信心から後光が射す」という言葉がありますが、それと同じことで体温計でも、食塩水でも、蒸溜水でも、信仰さえすれば病気が治るのであるとしましたら、何も自分の貴い生命以外のものを信仰する必要はないのであります。自分の「生命」を信仰し、神の子としての自分の「生命」の貴さを自覚し、これによって病気を治すことにしたならば、人間というものが物質にひざまずいて、どうぞ治してくださいとほかの物に頼む必要がなくなり、同時に自分の「生命」がどんなに霊妙な全能なものであるかということがわかってきますから、こん後病気を怖れなくなるばかりでなく、処世上にもあらゆる点において、この自己生命の強い生きる力の自覚が大いにわれわれを裨益(ひえき)してくれるのであります。

 さきほど、私は肉体は物質であるから痛みを感ずるはずがないと申しました。厳密にいえば心のない物質はないのでありまして、物質がある形をあらわしているというのは、心が背後にあって、物質にそういう形を現わさしめているのであります。で、「物質には心がない」と前にいいましたのは、普通人が考えているところの「物質」というものはこんなものだという概念をまずひきあいに出してきて、そんなら肉体は物質だから痛みはないはずじゃないかといったのであります。この肉体の痛いと感じますのは心があって痛いと思うから痛いのであって、心がなければ痛いとは感じないのであります。たとえばちょっと熱い湯がかかれば、われわれの皮膚は赤くなって、しまいには水泡(みずぶくれ)までできてきますが、死骸にちょっとぐらい熱湯をかけても赤くもならず水泡もできないのであります。死骸はいわゆる「心」がないから、本当にクラクラ沸る湯の中へでも入れて本当に物質的に変化を起こすほどの時間煮なければ色が変わるようなことはないのであります。ところが生きているわれわれは、ちょっとした熱湯をあびてもスグ皮膚の色が変わり爛(ただ)れて来たりすることがあるのであります。これは熱湯をあびたから火傷をするに違いない、皮膚が赤くなって水泡ができるに違いないというわれわれの心の信仰が肉体の形や色に変化を与えるのであります。だから「熱い」という観念、「火傷(やけど)をする」という観念をわれわれの心のうちから取り去ってしまうと、炎の中へしばらくぐらいは手を突っ込んでも、焼け火箸を手でしごいても火傷をしないでいることができるのであって、これは御嶽教行者の「火渡りの術」などにも見ることができるのであります。
<つづく>


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