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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
1
:
り
:2025/10/11(土) 16:41:29 ID:xSAuVLWc0
私はこのサイトの存在は知ってるけど願望実現?系に特化したサイトだと思ってました。
久しぶりになぜかのぞいたら、真理系のスレもあったので、真理探求に興味ある人もいるのでは?と勝手に理解してスレ立ててみました。
この手のサイトのルールに疎いので、見当違いor邪魔だったらスルーしてください。
私も昔、願望実現、潜在意識、などの流れから、
じゃあ真理とはなんなんだ?と悟り系に流れて探求してきた者です。かなり地獄も味わいましたw
一応こんな自己紹介です。
ある程度放置してみて、レスつかなかったら、消えますw
322
:
幸せな名無しさん
:2025/11/15(土) 00:55:59 ID:Q8lHin3s0
>>320
あなたも自然好きですか?
ここはスレ主さんが引っ張ってきた霊的エネルギーで充満してるから、いろんなことが繋がりますよね。
自然ってのは力が抜けてホッとする一方、エゴにとっては厳しかったりするの感じませんか?
人里離れた自然の中、ただ一人ポツンといると、天候や時間帯では恐怖なんですよね。
熊、何回か見てます。笑
そんな大自然の中では、日常では埋もれている深い自分の本性が丸裸にされて出てくるものです。
まさに修練になっちゃってます。
言ってみれば、本格的な探求に入る前にあらかじめ設定された準備段階だったと思います。
323
:
幸せな名無しさん
:2025/11/15(土) 08:40:09 ID:3Aryk3Os0
>>320
>>321
りさんは、ご自身の呼び方についてこだわらないかもしれません。しかし、youtubeで動画になりましたが、表現されたご自身の姿について言及されたり、こちらでも言葉や表現については、受け取り手に誤解されないように適切に伝わるようにとても注意されているように思います。そのこともあり、りさんとお呼びしたほうがよいと私は思いました。
324
:
幸せな名無しさん
:2025/11/15(土) 10:18:18 ID:OwODD1vw0
>>323
ええ、あなたの言われることは、ごもっともと思います。そして同じく親しみを込めた表現もありです。
掲示板という互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、どちらかに偏ることはまずい。
一方が他方の在り方を認めず排除しようとする。エゴの世界で普段当たり前のように行われていることですね。
分断と争い。これはなぜ起こるのか?何がそうさせているのか?解決はどこにあるでしょうか?
私は思わず文字にしてしまいましたが、スレ主さんは沈黙しています。
これは静観ではなく、沈黙することで各々が自分の内に戻り自身の存在を見つめ直すことを促しているんです。
ということで、喋りすぎた私は黙ります。失礼しました。
325
:
り
:2025/11/15(土) 14:54:03 ID:X5Fx.V5k0
呼び方についていろいろ気を遣ってくださり、ありがとうございます。
私はどちらでも大丈夫なので、自然に呼びやすい呼び方で呼んでいただけたら嬉しいです。
ナマコ呼びについても、気にしていません。
あの時期は本当にナマコのような状態だったので、面白く読ませてもらいました。笑
「り」という名前についてですが、これは仮の名前として書いていたものです。
今後は、もう少し自然な名前に変える予定があります。
なので現時点では、
りでも、あだ名でも、自然であればどちらでもOK
という形でお願いします。
みなさんの配慮や議論もありがたく受け取っています。
どうぞ力まず、気軽にやり取りしていけたら嬉しいです。
326
:
幸せな名無しさん
:2025/11/15(土) 16:27:54 ID:3Aryk3Os0
>>324
>ええ、あなたの言われることは、ごもっともと思います。そして同じく親しみを込めた表現もありです。
ですが、近年、学校でも会社でも親しみを込めた表現が問題になっています。私自身、長年苦しみました。
>掲示板という互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、どちらかに偏ることはまずい。
互いが見えず誤解を生みやすい場だからこそ、本人が名乗っている名前を尊重したほうがよいと思ったのですが。
また、これからまとめサイトに掲載される場合にも、ナマコという名称が広がれば、本人の意思に反してその名前で掲載されてしまうことも考えてのことでした。
>一方が他方の在り方を認めず排除しようとする。
排除しようとは思っていません。自分の考えを述べたまでです。
>エゴの世界で普段当たり前のように行われていることですね。
おっしゃるとおりです。
>分断と争い。これはなぜ起こるのか?何がそうさせているのか?解決はどこにあるでしょうか?
人類がエゴの問題を克服する必要があると思います。そのためには、今回の場合は、他者ではなく本人の意思(名前の欄に「り」と入力されている)を尊重すべきだと思いました。
>私は思わず文字にしてしまいましたが、スレ主さんは沈黙しています。
自分は沈黙しているとは判断しませんでした。PC環境、通信環境のことを書かれていらっしゃいましたので。
>これは静観ではなく、沈黙することで各々が自分の内に戻り自身の存在を見つめ直すことを促しているんです。
その可能性もありますが。
327
:
幸せな名無しさん
:2025/11/15(土) 16:29:06 ID:3Aryk3Os0
>>325
りさん、お騒がせしてスレを汚してしまい、申し訳ありませんでした。
328
:
り
:2025/11/15(土) 19:17:31 ID:X5Fx.V5k0
>>312
なるほど。あなたに伝えたいのは、二つのバランスを取ること(中道)です。
1. 世界が不完全であることには意味がある。
この世界や人生そのものが不完全なのは、あなたがいずれ「本来の立場」へ還るよう、最初から仕組まれているからです。
もし世界が完全なら、永遠に還ることを忘れてしまいます。
歴史上の帰還者たちは皆、世界の不完全性を静かに見切ったあと、自然と覚悟が定まり、呼吸のように 元の立場に戻っていきました。
そしてあなたも今、少しずつ意識そのものの立場を思い出しはじめている。
道端の小さな花に可愛さや安心を見出せるようになったのは、その成熟の証です。
あれは「無条件に私が私を愛した瞬間」でもあります。
努力して愛そうとしたのではなく、ただ自然にそうなった。そこに「ただ起きるもの」の叡智が詰まっています。
それは同時に、物質の背後にある霊性(存在・愛・全体性)に触れた瞬間です。
たとえ小さな芽生えでも、本物です。
そして、そうなったのは偶然ではなく、これまでのあなたの人生体験すべてのおかげです。
結果論として「すべて良かった」と言えるのは、この構造があるからです。
ただし、当時は苦しい、それで正しい。
「結果論」と「当時の体験」は分けて考えてください。
2. 真理探求を深めたければ、喜びを味わっていい。
真理探求をさらに進めたいなら、生の喜びを遠慮なく味わってください。小さくても大きくても、自然に湧くものでOK。
「ランチ、軽めでもガッツリでもお好みでどうぞ」くらいの感覚で受け取れば十分です。
大切なのは、これまで出会った
心・エゴ・人間関係・理不尽・過去の苦しみ
これらを「嫌うこと」ではありません。
嫌うことは、それにパワーを渡すことになる。
あなたが明け渡すべきは、そっちではなく、
道端の花から感じた「存在・いのち・霊性」のほうです。それが「本来のあなた」だから。
そして、すべてを無理に愛そうという、
「無理ゲー」をする必要もない。
心がどう動くかは「個人の心・エゴ」にはコントロールできません。その動きすら「ただ起きた」のです。
だから捉え方も「ほどほど」でいい。
ゆるくいきましょう。
人生は、あなたが本来の立場へ還るまでを見守る「夢・蜃気楼」のようなもの。
本来の意識に戻ったとき、すべてが完璧な流れだったと分かります。
あなたの人生に現れたすべての存在・出来事は、ただの役者たちです。
あまりにも演技が上手いから、つい没入してしまいます。嫌いな学校役も、親役も、ブラック企業役も、全部「あなたという意識」から出てきた仮の、あなた自身の姿。
エンドロールが流れれば、全員が同じ夢の劇団チームの仲間。
敵も味方もイリュージョン的現れだった。
血も悲しみも、真相的には流れていなかった。
その時ようやく、
「あぁ・・全部が私か」
と分かります。(※ただし、ここで指すところの″私″は、″個人の私″が「全部が私」と思うことではありません。個人の私もまた夢の劇団チームの一部です)
それぞれの現れの役割は、すべて個人のあなたと、真のあなたとの再会・回帰のために配置されていた。
その奇跡のような流れと神秘の妙が、最後に「祝福の絵」として見えてきます。
(・・ちょっとファンタジーな表現だけどw)
329
:
り
:2025/11/15(土) 19:18:44 ID:X5Fx.V5k0
>>312
つづき
>時々行っている思考停止メソッドが逆効果、蓋になっていたのかもしれません。
そうですね。各人の潜在的な傾向や気質によって、メソッドには合う・合わないがあります。
あなたのように色々やってみて、自分に合うものを絞っていくパターンか、誰かからすすめられてやってみるパターンが基本です。
また、場合により突然メソッド自体をやめてしまうことも起こり得ます。それはそれでオッケーです。
気づきがどんどん出てくるのは、このコミュニケーション自体が「気づきの瞑想・気づきの呼吸」になっているからです。
蓋が外れ、そこから潜在的な思考が出てくる。また外れ、また出てくる。
意識の深部にそれらが浮かび上がるという仕組みによって、気づきそのものの深度が上がっていきます。
さらに素晴らしいのは、
エゴは力まず、自分で観察を「しよう」と努力をする必要がないため、「隙(スキ)」が生まれます。
そのため恩寵に突かれて、ポロポロ蓋が外れるのです。つまり、「エゴを出し抜く形式」に自然となっている。これは実に楽ですね。笑
また、発信したい気持ち。
これはあなた自身である恩寵に祈りましょう。ずっとその想いがあれば、最適なかたちでことが起きます。恩寵により不思議な自信がわいてくるかもしれません。
また、エゴの頑固な劣等感が溶けてくるかもしれません。気づいたら、なんか発信が起こっちゃうかもしれません。
また、一見変化のない日常の中で、静かな喜びが浸透し始めるかもしれません。
>勝手にうまく事が流れていく。しかし嫌なのは恩寵をエゴが自分の手柄だと勘違いしてしまう事です。すべて恩寵なのに。
うん、これ鋭い気づきだね。笑
ただ、順序があります。
まずは「個のあなた」と「恩寵」という二元の感覚から始まる。
その次に「恩寵がすべてを世話している」という全体性の視点が「個のあなた」に生まれる。
さらに自然に進むと、「エゴを嫌がるあなたさえ、恩寵によって起こされている」という視点になります。
そうなると、あなたの人生も思考も行為も、恩寵が起こしているということになる。
私が返信していることもそう。全体含めてただ起きている。
ここでも恩寵がコメントをし、恩寵が返信しているのです。また、スレッドの観察者の方々もまた恩寵です。
さて、「すべてが恩寵」ならば、あなたも、エゴを嫌がるあなたも、その手柄だと勘違いするエゴさえも、恩寵の流れの中で起きている現象ではないでしょうか。
「全体と細部の流れは同じ全体じゃないでしょうか?」
それこそ、付属物のない意味での「すべては恩寵」です。
「すべて恩寵の流れ」それだけ。以上。
・・こうなると、「あなた」も、「私」さえも、その中に溶けてしまいましたね。
ところで、「エゴ」って一体なんことでしたっけ?笑
みたいなね。笑
330
:
り
:2025/11/15(土) 19:20:34 ID:X5Fx.V5k0
>>314
言い当てられたって、なんかまるで占いちゃんねるみたいで、笑えますね。
これぞナマコ・マジック!笑
いやいや、冗談。
これぞ、いわゆる→「恩寵の働き」です。
>全て自分が通る道だったのだと考えると、よく頑張ってきたなぁと、自分の事を褒めてあげたいくらいです。こう思えたのは初めてです。
→それは、なによりです。
個の自分は、あなたである意識からしたら、勇敢な冒険者であり、永遠のパートナーであり、最愛の子供みたいなものですから、ほんとうは徹底的に癒さて良い存在です。
>ナマコさんはこのスレを立てて、すぐ後悔したとおっしゃっていますが、私は立ててくれて嬉しいです。本当に感謝しています。ナマコさんに現実でアドバイスしてもらえる人が羨ましいくらいです!
→ありがとうございます。起きてしましたが、
そう言ってもらると励みになります。
>それに今はもう疑問を解決する事でなく、とにかく、恩寵を信頼して祈りをささげ、安心して流れに身を任せることが私のやるべきことだと感じでいるのでやってみたいと思います。
→はい、その決意の中で浄化現象も起きますが、
「仮に安心に見えない状況の中で、それでも変わらずあるもの、それが真のあなたであり、安心そのものの立場であり、幸も不幸も超えた、不変のあなたです」
難解な言葉ですが、
婚活中でまたモヤモヤとストレスに挫けそうになったら、ぜひ思い出してみてください。笑
>また落ち着いたらコメントさせてください!
→はーい、ぜひぜひ。
またタイミングでお気軽にどうぞ。
331
:
り
:2025/11/15(土) 19:22:35 ID:X5Fx.V5k0
>>315
>今はゲームをする感覚に近いような感じで生きています。一見入りこんでいるんですが、中でのわたしはその入り込んでるわたしを(笑)のように見ている感覚です。無為自然という感じです。
なるほどなるほど。
あなたの今のテーマ(課題)は、次の二つの問いに集約されます。
「行為者とは何か?」
「誰が見ているのか?」(観察者とは何か?)
つまり、あなたはすでに 感覚としてそれを知り始めている領域に入っています。
では、その「感覚として知る」ということは、
何が成立しているから可能なのか?
なぜ、その感覚のまま ″それを知れる″のか?
ここが、今後のヒントになる部分だと思います。
(抽象的な表現ですが、この方向で見ていくと、いずれ腑に落ちてきます)
>瞑想はしなくなりましたが、退屈だなぁと思う時があるのでまたやってみようかと思っています。何かおすすめがあれば教えていただけますでしょうか?
まず、この「退屈」という感覚は、言いかえれば、エゴのアイデンティティが純粋意識へ移行する時に起きる 「通過儀礼」みたいなものです。
退屈が湧くのは自然で、必要なプロセスです。
退屈とは、
エゴが来るべき時を察知して、
整理し、消化し、従来の在り方から真の立場へ移るための 「お別れの儀式」
心の準備をしているようなものです。
この期間の長さは人によって違うため、
「これをやるのがベスト」とは言い切れません。
むしろ、
起こることすべてが、そのままあなたの修練(プラクティス)
と言ってしまって良いくらいです。
瞑想については、あなたの気質によって、
自然とまたやりたくなる時が来るかもしれませんし、逆に、日常そのものが瞑想になっていく
という流れもあります。
瞑想の話に本格的に入ると、かなり深く・広くなる分野なので、笑
そこはあなたの今後の流れにあわせて、少しずつ話していきましょう♪
332
:
り
:2025/11/15(土) 19:24:35 ID:X5Fx.V5k0
>>316
>当時の私の感覚では「全てを見通し図らい大きく包み込む壮大で畏怖を感じさせる、でも安心して委ねられる何か」だったんです。(文字にすると長い!笑)
→おっしゃるとおり、
文字にすると長くなりますね。笑
「畏怖」というのも、実に重要な表現なので、またタイミングでテーマに取り入れてさせていただきます。
>神といえば簡単なんだけど、形骸化し干からびた古臭い宗教を連想させるのであまり好きじゃないんですよね。(それに、ここは宗教板じゃないし)
→ほんとそれです。
まさに、神のために、(神を想うからこそ)
神という表現を慎重に取り扱わなければなりません。笑
神という表現がしっくりくる人にとっては、
恩寵もメソッドもさして重要視する必要ありません。
「ただ、神を想う」もうこれができるなら、
私は何も言うことありません。笑
また、神についての話はほんとは、とても楽しく心に優しい。エゴの苦行的浄化の「心の痛み」や「トラウマ」を大幅にほぐしてくれる素晴らしい作用もあります。
しかし、これまたタイミングですね!
333
:
り
:2025/11/15(土) 19:26:34 ID:X5Fx.V5k0
>>327
いえいえ。呼び方についていろいろ気を遣ってくださり、ありがとうございます。
「名前」「呼び名」というテーマは、確かに大事で、私自身も考えさせられるところがありました。
仮のつもりで「り」と書いていましたが、この一文字表記は、いずれ早めに変える必要があると感じています。笑
というか、ここで、ここまで深い会話に発展するとは予想していませんでした!
今後、「潜在意識」の話を超えて、恩寵・神・哲学・宗教など、より深い真理テーマを扱ってともに探っていく可能性があるなら、またこのスレを超えて場を広げていくなら、
「り」という記号のような呼び名は、印象が悪く見えたり、誤解のもとになるかもしれません。
あなたの言われたことは本当にその通りで、私自身もその点は懸念しています。
なぜなら、正確には私が呼ばれる名前というより、私が名乗るその名前によって、
受け手の探求者の「恩寵・神・本来の自己への信頼のモチベーション」に少なからず影響するからです。
もちろん、すでに私を知ってくれている方には問題なくても、
これから触れる探求者の印象を考えると、もっと自然な名前に変える必要がありそうです。
自然な名前があれば、それを土台に、あだ名や愛称も無理なく成立します。
(「ナマコ」でも「ウツボ」でも。笑)
それと、みなさんも思われているかもしれませんが、掲示板はレス番号やIDが頻繁に変わるので、誰がどの書き込みをしたのか、また正確になんて言っていたか、分かりにくいですね。固定アカウントやハンドルネームがないので、時間が空くと、流れや情報も曖昧になってしまいます。
掲示板の良さは、匿名でありながら、質問や発言に対して私が反応できるところですけど。
今作っているサイトは私が一方的に書く形式で、かなり進みが遅い。
恩寵的な視点で言えば、
「真理には誰もが触れていいけれど、
不特定多数へ一方的に発信するのは慎重にすべき。
各個人の段階に合わせ、プライバシーの尊重がある状態で現時点の個人の関心テーマに沿って話すほうが、誤解が少ないし浸透がスムーズ。だから、プライベートに話せる場も必要になる」という見方です。
つまり、
・誰もが気軽に参加できる場
・個人的に深い話ができる場
この二つは分ける必要があると感じています。
以前にも書きましたが、シフト後の私の関心は、
真理探求に入りはじめた人、これから入る人への「励まし・フォロー・遠回りの防止」が中心です。それ以外は、本当の意味ではやることがないと言っていいくらいです(生活は一生懸命しますが)笑
なので、サイト制作に時間がかかっていることもあり、
「この掲示板以外にもっと適したプラットフォームはないか」と模索しているところです。
最後に、本名を出すつもりはありません。
(リアルの知人友人にシフトした的な話をしていないので、私生活への影響は避けたいのが理由です)
ただし、自然な流れで、いずれ最低限の信用問題のため、またスムーズなやり取りのために、顔や声を出す(大々的じゃなくても)という形になるなら、それはそれで構わないと思っています。本名とは別の形で、表に立つ方法はいくらでもありますし、前誰かが書いてたようにサングラス姿もありかもですしね。笑
ただ、それらは必要なら、またタイミングが整ったときに自然に決まるものかなと思っています。というわけで、呼び名の問題ひとつとっても、意外と深いテーマで面白いですね。
そんな感じのご報告です。
ではでは、また!
334
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 00:05:37 ID:w0UGBL2Y0
>>332
316にまでコメントしていただいて、ありがとうございます。
「神」という言葉、本当を言うと
>>292
の体験談の時期は普通に使っていました。
強い繋がりを感じていたその頃は、それが自然でした。4年間くらいでしょうか。
「それ」を想うだけでひっそり涙する、そんな事がよくありました。(最初の2、3回は号泣に近かった笑)ほとんど誰にも話したことのない秘めていた記憶です。
あなたの言う通り、もうこれで十分という感じでした。
その最初の3、4年のうちに一気に覚醒までいかなかった理由、なんとなく分かってるようでよく分かってない。
更に10年後に覚醒に近づいた時も、もう一歩が足りない感じ。
このプロセスというかエッセンスというか質の違う2回が同時だったら申し分ない感じがする。
そこのところの深く重要な質問をするのに適切な場ではないのが、もどかしいです。
いや、回答を聞いたところで役に立たないか、聞いてはいけない気もします。
私のグルは身体的生命は私の生前に終わっていて、生きてはいますが、直接の言葉は聞けません。
そして何年も彼のもとを訪ねることが出来ていないため、あなたとの出会いは恩寵そのものでした。
どこか別の適切な場面で御縁があれば、核心の質問をするかもしれません。
このスレが続く間は、読んだり時に軽めのコメントしたりしたいと思います。
335
:
り
:2025/11/16(日) 01:28:45 ID:LHil3TSU0
>>334
>「それ」を想うだけでひっそり涙する、そんな事がよくありました。(最初の2、3回は号泣に近かった笑)ほとんど誰にも話したことのない秘めていた記憶です。
あなたの言う通り、もうこれで十分という感じでした。
→私が動かされているのも、あんまり大きい声で言えないけど、ただ、そのためです。
つまり、その瞬間を切り取っていえば、
私とあなたのそれは、1000回会って、
1000回、何かものを語るよりも、もうその一瞬のそれで、分かり合えてしまうのです。
神を想うことが起こってしまう。
神を想い、涙が大洪水のように自然に流れてしまう。
それで、じゅうぶんです。
それは、個人の私たち、にできる最大の仕事です。
気の遠くなるくらいの長い時間、
幽閉された私たちの潜在的なおびただしい数々の記憶や闇体験はそれで、「あぁ、良かった」と、
ただ、その一瞬の抱擁で、帳消しになってしまう。(エゴは決してそうは思えなくても)
なんと、泥だらけの闇夜からの、
復活・ミラクルでしょうか!
言語化すると気狂い・綺麗事の、
陳腐な発言になりますが、
二元の世界でこれ以上の語るべき価値のあることや、奇跡はありますか。!?
誤解をおそれずいうならば、これを読んでる、そこのあなたの中にも、また、数万人の呻き声があり、その一瞬抱擁によって、なぜか全員、癒され、救われてしまうのです。
・・これ以上、話し合っては。
これでは、あなたのおっしゃるとおり、
神はただエゴの取引の手に堕ちてしまいます。そのため、これは、秘められた神と書いて「神秘」として、隠されながらも、
探求者たちの未来の最大の奇跡として待ち構えられているのです。
私もまた神に狂った人間です。
1000億円より、ハーレム宮殿より、
世界中の人から尊敬され承認されるより、
「いらない。ほんとの故郷に帰る」
と、神を選ぶことが「ただ」起きてしまった人間です。「あげるから、おいで。ほら欲しいでしょ?」
「ほら、これもあげる。こんなのものあるよ?
ほら、おいで、おいで。とっても気持ちいいよ」
「いらない。ほんとの場所に帰る。あなたはあなたの場所にお帰り。私は元いた世界にかえる。じゃあね」
こういったプロセスがはからずとも自動的に起きてしまいましたw
エゴの私は全エネルギーを使って、とことん神や真理を否定しましたが!笑
だってエゴにとっては、まったく理解できない、なんの得もない話ですから。
しかし、最後に、偽りは真実には勝てませんでした。
>そこのところの深く重要な質問をするのに適切な場ではないのが、もどかしいです。
いや、回答を聞いたところで役に立たないか、聞いてはいけない気もします。
→そのとおりです。
私があなたに伝えるのは二つだけ。
二元の現れの中で、「神」の演技、戯れを忘れないこと。そして、神という「純粋意識」を味わいつくしたあと、神のためにいずれ、神を食べること。飲み込むこと。
最後にはすべてを超えていくこと。
それは、決してあなたには「やる」ことができません。
ただ、起こります。これは最後の恩寵の話です。
でもそれは、最適なタイミングで起こります。
私の役目は、「大丈夫です」とお伝えするだけ。なんで大丈夫か?
その理由はあなたの中のそれが、すでに答えています。
>私のグルは身体的生命は私の生前に終わっていて、生きてはいますが、直接の言葉は聞けません。
そして何年も彼のもとを訪ねることが出来ていないため、あなたとの出会いは恩寵そのものでした。
どこか別の適切な場面で御縁があれば、核心の質問をするかもしれません。
このスレが続く間は、読んだり時に軽めのコメントしたりしたいと思います。
→貴重なお話ありがとうございます。
神のお話がこうして少しでも交わせて嬉しかったです。
読んだり、軽めのコメント、大変助かります。笑
追伸。ちょっとさっき知り合いと飲んできたこともあって、少しテンションが。たかいかも。笑
変な表現してすみません。笑
大人しく寝ます。みなさま良い夢を。
また夢の中で会いましょう。
おやすみなさいzzz
336
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 01:57:10 ID:kp2hxkQ20
このスレの最初の方で書かれていた話と関係あるかもしれないと思ったので書いてみます。
一時的な短時間、短期間の経験ですが、世界が消える、認識が消える(止まる)経験をしたことがあります。
10年以上前のことですが、絶望して生きる意志を完全に失ったことがありました。
午後だったと思いますが明るい時間に公園のベンチかどこか外でひとり寝転がって空を見上げていて、目を開いた状態で世界がスーッと消えていき、認識も消えました。
どのくらい時間が経ったのかわかりませんが、世界が再び現れ、認識が戻ったときには夜空に星が見えていました。
意志が少しだけ復活していました。
その頃、朝目覚めるときに意識が戻ってきて、記憶が意識に読み込まれる瞬間、ある言葉が再生されたと思ったら、今まで見たことがない世界が出現しました。驚いて思わず声を上げてしまいましたが、声を上げた瞬間、その世界は消え、いつもの世界が現れました。
世界の見え方は、意識内に読み込まれる初期設定によって変わる可能性があるのだと思いました。
同じ頃、日中、視覚映像が消えてしまい、意識と清らかで細かい精妙なエネルギーだけの世界だと感じ、見えていることがありました。微粒子状のエネルギーが、まるでドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人の身体の周りに生じるエネルギーにも似た状態で見えていました。
それはマトリックスの緑の文字列が落ちてくる映像と似ている部分があり、世界の実体がエネルギーの微粒子であったような感じでした。
一時期、そのように見え、自分も単なるエネルギーであり意識だと感じていて、今では見えはしませんが、身体がわずかですがそのように感じることがあります。
337
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 02:33:20 ID:qv15mPf20
>>328-329
>個人のあなたと、真のあなたとの再会
↑この言葉を見て驚きました。まさに昨日、久々に本当の私に会えたからです。
数年前、本当の私に助けられ、パニック発作が治りました。電車内で大きめの発作が
起きた時、怖い、私ではどうする事も出来ない、助けて潜在意識!と思ったら大きな私が
イメージの中に現れ、優しく抱きしめてくれて、体の呼吸が楽になっていきました。
大きなお母さんみたいな私が、小さな子供みたいな私を、愛で優しく包んでくれている
その感じが心地良くて、気付いたら眠ってしまっていました。
そしてそれ以来、発作は起きなくなりました。
本当の私はいつも傍に居るとは思うのですが、はっきり出てきてくれたのは久々です。
個の私が「願望成就が椅子取りゲームみたいなものなら他人に譲る、私は床に座る」と
思ったら、「望みがあるなら叶えさせてあげたいなぁ」と聞こえてきたので
えっ?と聞き返すと本当の私が居て、個の私が笑顔で椅子に座っているイメージが浮かんで
涙があふれて止まらなくなりました。
本当の私は、大きな愛で包んでくれる、大きな大きなお母さん。個の私=子の私は
その無条件の大きな愛にふれると安心して泣いてしまう赤ちゃんのようになってしまう。
大きな私によると願望は、例えば「娘ちゃんの大好きな美味しいものを
食べさせてあげたいんだけどお皿がなくて今は料理を出せない」そうで
お皿って何?と聞いた所で交信が途切れてしまった。
個の私は考えて、お皿=土台?基礎?うーん、料理に対してお皿と言えば
ここに料理乗せてね♪って感じの…受け取り許可?と思ったところで
「そう!今のあなたはお皿を床に叩きつけて割って踏んで破片でケガして痛くて泣いてる」
って返答が来た。ちょっと本当の私、その言い方キツイよ!笑
じゃあお皿をプラスチックにすればいいのかも?プラスチックのお皿は陶器より軽いから
かるーく「ここに乗せてね♪」と出したら良いのかな?と聞いたけど
もう返事は返ってきませんでした。本当の私を感じられなくなったので
還りたい、還りたい、大きなお母さんみたいな私の中に還りたいと、それしか
考えられなくなっていたのですが、りさんからのレスを読んで心がこちらへ戻ってきました。
>各人の潜在的な傾向や気質によって、メソッドには合う・合わないがあります
↑私には大嶋信頼さんの「心に聞く」が一番合うようです。潜在意識に問いかけて
返答をもらうものですが、自分では思いつかないような返答が返ってくるけど
その通りに動いたら良い事があったり、本当の私に会えてパニックが治ったのも
心に聞く、の恩寵だと思っています。そして
>このコミュニケーション自体が「気づきの瞑想・気づきの呼吸」になっている
↑りさんとのレスを通じて、また本当の私に会えた事、とっても嬉しかったです!
しかし、本当の私を思い浮かべただけで、還りたい還りたいの還りたい病みたいに
なってしまいました。お母さんと離された子供のような気分です(本当はそばにいるのに)
こうなってしまうから本当の私の存在が、普段は隠されているのかな?とも思いました。
還りたいに気を取られてプラスチック皿を手から放してしまった気分です。
(でも割れない安全、何枚でもあるはず!)
そして小さな願い事ならサッとお皿を出せるからちゃんと料理をもらえていたみたいです。
遠慮しているんだろうか?本当の私も私なんだから遠慮はいらないはずなのにな〜。
あ!ピンチの時に必ず助けが入るのは、考える間もなくお皿を出していたからかも!
りさんのスレに出会えたのも、きっとお皿の恩寵です!
いつも丁寧な返信を下さり本当にありがとうございます。
りさんの言葉は、とても素敵な恩寵のシャワーのようです。
今回頂いたレスも何度も読み返して気付きを深めていきたいと思います!
338
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 05:09:00 ID:qv15mPf20
久々に心に聞くで遊んでみた。趣味の案をちょうだいと聞くと、言葉で返答があった。
でもイメージができなかったので、イメージを教えてと聞くと私の作風でデザイン画が
浮かんだ。しかし一部が不鮮明だったので、ここの詳細は?と聞くとすぐ鮮明になった。
下の方が切れていたので、ここから下の部分は?と聞くとそれも付け足された。
↑脳内のこれを私がなぞって描けばいいだけなんだけど、今じゃなくてもいいかな。
イメージ画だけ覚えておこう。忘れるかもしれないけど、また聞けばいい。笑
339
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 06:54:42 ID:kp2hxkQ20
>>336
に書いたような経験をする少し前に起こったことを書きます。長文失礼します。
小学6年の頃から中学高校にかけての疑問は、自分とは何か世界とは何か、自分はどこから来てどこへ行くのかということで、これらの疑問は折に触れて繰り返し生じていました。
20代のある日、ある人から今やっていることを続けるかとたずねられ、続けると答えた夜から子供の頃からの記憶が想起され始めました。そして、自分は納得のいく人生を歩んできたのだと思うようになり始めました。
しばらくして別の人に存在理由をたずねたところ、「ない」という答えが返ってきて、なぜか納得し安心しました。
それから想起され始めた幼い頃からの記憶が、甦ってくるだけでなく消えていくようになりました。そしてそれは自分の過去から現在(その当時の現在)へ向かい、どんどん甦っては消えていきました。
過去の記憶が一つ甦って消えていくと自由になりました。自分を縛っていた一つの価値観から自由になっていく感じでした。しかし、その価値観は自分を拘束すると同時に生きていく土台の一つであり、生きる方向性を示すものともなっていました。そのため、自由になり解放感を感じると同時に不安や恐怖を感じました。
記憶が甦っては消えていく現象は、24時間、起きているときも寝ているときも続きました。恐怖や不安を感じていましたが、それよりも自由になりたいという欲求が勝りました。自分を壊すことに夢中になりました。
そうして何ヶ月か経ち、想起される記憶が現在の自分まで追いついた瞬間、音が意味がある音としても単なる音としても同時に聴こえていました。見える世界も意味があると同時に単なる映像とも化していました。思考も感情も記憶も同様です。映像も世界も他のものも変わりませんでしたが、ある意味、消えてしまいました。
長年、おうちに帰りたいと思ってきたのに、帰るところなんてなかったんだとも、ここが帰るところだったんだとも思いました。長時間、泣いていました。
気づいたら、エネルギーがこんこんと湧き出ていました。自分の中から、この意識のなかから。
世界も自分も消えてしまったと感じましたが、自分は意識と意識内に生じる視覚を中心とした五感、思考、感情、記憶、身体、エネルギー等々、丸ごと一個全体としての自分なんだと思いました。
すべては終わったと感じました。
その後、336に書いたようなことが起こりましたが、しだいに恐怖を感じ始め、エゴまみれ不足まみれの自分に戻ってしまいました。
世界は自分を絶対的に否定していると感じる部分があり、存在しているだけでも必死、生きているだけで精一杯という状態が続きました。
そして、その後、紆余曲折を経て本やネット上の記事でですが、エックハルト・トールを知って実践して世界が存在していないと感じる状態から在ると感じる状態に少しずつなり、テラワーダ仏教、マインドフルネスを知り、そして潜在意識の達人たちの存在を知って、悟りよりも認識の変更が楽しそうだと感じ、認識の変更をしたいと思うようになって願望実現も目指すようになり、今こうして、りさんに出逢っています。
340
:
り
:2025/11/16(日) 12:20:12 ID:LHil3TSU0
>>336
>>339
はじめまして。こんにちは。
貴重な体験談を書いてくださってありがとうございます。(長くなったので2回にわけます)
>一時的な短時間、短期間の経験ですが、世界が消える、認識が消える(止まる)経験をしたことがあります。
絶望して生きる意志を完全に失ったことがありました。
→なるほど。とても大切なお話です。
体験者(個人の「私」)が残ったまま、
純粋意識を超えた領域に触れると、その出来事は
「虚無を体験した私」
「私は虚無を体験した」
という形で、体験の記憶として残ります。
その結果、本来は
「私」も「世界」も含めて一気に飛び越えたジャンプだったものが、
「絶望の記憶」として「個人の私」に引き取られてしまうのです。
その体験そのものが、「個人にとっての恐怖の対象」になってしまうわけです。
>世界の見え方は、意識内に読み込まれる初期設定によって変わる可能性があるのだと思いました。
→世界は本来「流動するもの」「変化し続ける対象」です。つまり、
変わり得るものは、すべて「対象側」
です。だからこそ、真理探求の道筋としては、
不変の主体=「存在・意識・気づき」に立ち戻り、
「私はこの個体そのものだ」
という同一化の錯覚を、少しずつ溶かしていく必要があります。
ここを通らずに一気に超越してしまうと、
無・虚無・絶対的な闇
といったものを、そのまま「個人の私」が「体験者」として持って歩くことになります。
それが、いわゆる「魔境」です。
(※これは多くの探求者が、期間の差こそあれ、大なり小なり通過するものです)
なぜなら、それらはすべて「対象」だからです。
私たちが本当に用があるのは「主体の側」、
さらに言えば、「主体と対象」という二元さえも超えた「最奥の主体」です。
>同じ頃、日中、視覚映像が消えてしまい、意識と清らかで細かい精妙なエネルギーだけの世界だと感じ、見えていることがありました。
微粒子状のエネルギーが〜世界の実体がエネルギーの微粒子であったような感じでした。
→その体験自体には、確かに価値があります。
「世界は心の投影であり、夢のようなもの」
ということを、頭の知識ではなく、体感として一度つかんだ、という意味ですから。
実際、一切の心が完全に停止したら、文字通り「世界」も消えます。
ただし、そのときでさえ、
「世界が消えたことを知っている認識者」
が、同時に消えていなければ、「世界が消えた」ということすら分からないはずです。
つまり、「エネルギーの微粒子があった」「そう見えた」
と知った認識者は、消えずに残っていたわけです。
なので、私があなたにおすすめしたいのは、
その体験を真理探求の過程で起きた一つの神秘体験として、
「なるほど、世界って意外と曖昧なんだな」
と消化してしまい、
過去の一つの出来事として、そのまま棚に置いておくことです。
人によって、そういうエネルギー的・粒子的な見え方が起こることは確かにあります。否定はしません。ただ、その方向の探求は、どうしても「世界(現象)の探究」
になっていきます。
夢の中で、夢の仕組みを延々と研究しているようなものです。
私がここで言っている「自己探求・真理探求」は、世界が何でできているかではなく、
その世界を知っている「気づき」そのもの。
そして、普通の現象・日常の出来事・ときに起きる神秘体験を含め、あらゆる現象を成り立たせている「背後の下地」のほうです。
いわば、スクリーン側のほうですね。
341
:
り
:2025/11/16(日) 12:21:33 ID:LHil3TSU0
>>336
>>339
続き。
ここから少し核心に入ります。
「絶望したのは誰でしょうか?」
真のあなたは、絶望も希望も抱けません。
なぜなら、絶望も希望もすべて
「心・マインド・記憶・身体感覚」の働きだからです。
熟睡中のあなたは、絶望できますか?
気絶しているときのあなたは、絶望できますか?
できないはずです。
つまり、
変化する感情・思考・体験者としての「個の私」が「絶望した」のであって、
あなたそのものが絶望していたわけではない。
真のあなたの中で、「絶望」という出来事が起きていただけです。
さらに核心に近づきます。
あるところに粒子だけがあり、それが動いたとします。
観察者なしで、その「動き」を知ることはできるでしょうか?
例えば、今この瞬間、ハワイで雨が降ったとします。
見る者・体験者が誰もいない状態で、
「ハワイで今、雨が降っている」
という事実を、誰かが「知る」ことはできるでしょうか?
できませんよね。
あなたの過去の体験を「知っていた何か」が、常にありました。
その「知る力」は、個人ではありません。
もし、個人を超えた何かが「見ていた」のだとしたら、
その「見ている主体」は、絶望そのものには決して飲み込まれません。
なぜなら、絶望はあくまで「心の反応」だからです。あなたは人生のどこかで、心が希望を感じたこともあったはずです。
だからこそ、
「自分とは何か? 世界とは何か?
自分はどこから来て、どこへ行くのか?」
という疑問が湧いてきたのです。
>長年、おうちに帰りたいと思ってきたのに、帰るところなんてなかったんだとも、ここが帰るところだったんだとも思いました。
長時間、泣いていました。気づいたら、エネルギーがこんこんと湧き出ていました。(中略)
すべては終わったと感じました。
→それは、まさに「純粋意識そのもの」に触れた瞬間の描写だと思います。
ただ、ひとつ老婆心からお伝えすると、
純粋意識そのものに触れたことは「終わり」ではありません。
そこからが、むしろ本当の意味での始まりです。
そこから、
・エゴとの同一化
・心や観る者としての「私」
・身体感覚との同一化・癒着
こういったものが少しずつ溶けていくプロセスが始まります。
あなたの文脈でいうなら、
エネルギー的・粒子的なレベルで根深く残っている「個の私」との同一化を、
じわじわとほどいていく、大切な段階の入り口です。
「絶望」も「虚無」も、その中で溶けていきます。
なぜなら、それらは主体ではなく、対象として、
ただ観られていく側に、まわるからです。
あなたは子供の頃から、ある意味、水面下ではすでにスイッチが押されていたように見えます。
真理探求(発心)がずっと続いていたからこそ、
・純粋意識(私は在る)
・私=世界
といった体験が起き、その後に
原因と結果を超えた「絶対のそれ」を一瞥するところまで来たのだと思います。
それは、見方によれば確かに恩寵です。
霊性プロセス的な意味での恩寵です。
同時に、見方によっては、エゴにとって深いトラウマにもなります。
でも、本質的には恐れる必要は何もありません。
なぜなら、ここにいる皆さんだけでなく、
誰もが熟睡時には、毎晩それになっているからです。あなたは、熟睡時に「熟睡体験者」も同時に残してしまった。
そのために「恐怖」として印象付いてしまった。
ただ、それだけのことです。
正確には、恐れる理由は元々、どこにもありません。
>そして、その後〜(エックハルト・トールやテーラワーダ、マインドフルネス、潜在意識、認識変更・・)
→どうにかしながらも、前向きなほうへ少しずつ舵を切ってきたのが伝わってきます。笑
とても良い流れだと思います。
まずは、あなたの言う通り、
「在る」「純粋意識」に安定していくことが大事です。「絶対・超越」に対しての恐怖や虚無をやわらげるには、それが一番シンプルで、かつ精神衛生上もやさしい道筋です。
あなたの、とても貴重な体験談をシェアしてくださってありがとうございます。
きっと、今このスレを読んでいる誰かの参考にもなるはずです。
342
:
り
:2025/11/16(日) 12:24:27 ID:LHil3TSU0
>>337
>大きなお母さんみたいな私が、小さな子供みたいな私を愛で包んでくれて、その感じが心地よくて眠ってしまっていました。
→うんうん、まさにそんな感じ。笑
>本当の私はいつもそばにいると思うのですが、はっきり出てきてくれたのは久々です。
→はい、本当の私はいつもそばにいます。
晴天の日の太陽のようにはっきり現れる時もあれば、曇り空の向こうでうっすらほのか〜に感じる時もあります。
でも太陽が 照らすことをやめないように、本当のあなたは、つねに小さなあなたを照らしています。
>個の私が笑顔で椅子に座っているイメージが浮かんで涙が溢れて止まらなくなりました。
→うん、「個の私たち」は「本当の私」から見れば赤ちゃんみたいな存在なのかもしれませんね。笑
それはまさに本当の私が「個の私」に送った、イメージを通したメッセージですね。
>還りたい、還りたい、大きなお母さんみたいな私の中に還りたい、それしか考えられない
→その想いは決して無駄にはなりません。届かないなんてこともありえません。
ただ、タイミングは大きな母の側で最適にゆっくり調整されます。
そして、その「時間をかけること」そのものが、あなたのいう「お皿」なのかもしれない。
ゆっくり丁寧に時間をかけてつくられたお皿のほうが、丈夫で質が良いですよね。
その想いは大切にしていてください。
>大嶋信頼さんの「心に聞く」が一番合います
→良いと思います。あなたの気質にも合っています。個の私たちは疑いの思考で光を避けがちですが、「心に聞く」はそのクセをやさしく中和します。癒しや整いが起きているならその道を続けてみてください。
気づきのシェアありがとうございました。
実は、「本当の私を″母″として感じる」というのは、古来から霊性プロセスを促進する方法として語られてきたアプローチです。
大きな私(母)を想うこと・愛すること・求めること・涙すること・笑うこと。
これらは普通の感覚から見れば理解されない領域かもしれませんが、まさに「聖なる狂気」です。笑
ただし、その「聖なる狂気」には、
エゴや個の私の深い癒し、疑念や恐れや記憶の傷たちとの同一化の溶解など、
強力な「治癒作用」があります。
もちろん薬(霊薬)なので、時にデトックス(浄化)も起こりますが、
日常的に続けられて、とても効果が高いアプローチです。
これをゆっくり深めていくと、日常のあらゆるもの・出来事が「大きな母」「大きな私」として感じられるようになります。
「これも大きな母」「あれも大きな母」
そんな視点がしだいに芽生えてきます。
つまり、「個の私」と「大きな母(私)」が一心同体になり、分離の感覚が静かに溶けていくんです。
「無条件の愛」「真理的な愛」という言葉にピンと来る人は、特に向いているやり方です。
考える思索活動より、感受性・感覚的に、感じることの方が、気質的に合ってる・向いてる方。そのような方に、自然とただ起きてくるものです。またタイミングで、何かあればコメントください。
貴重な体験報告、ありがとうございました。
343
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 20:26:15 ID:kp2hxkQ20
>>340
>>341
りさん
ご丁寧にありがとうございます。匿名でIDが変わっていますのでわからないと思いますが、何回か質問に答えていただいたり、やりとりさせていただいたことがあります。
今回いただいたコメントも、自分の中に大切に入れて、自然に理解できるときを待ちたいと思います。
自分の一時的な経験が皆の役に立てるとしたら嬉しいです。前回の投稿の続きを書いてみたいと思います。どれも短期間、短時間の体験です。
この世に生まれてから周りの影響を受けて培ったと思われる存在観が崩壊し存在感がなくなってしまっていました。周りのものを立体視はできるけれども立体感も存在感も感じられなくなってしまっていました。
道路を歩いたり車で走っていたりすると、すれ違う街路樹がまるで薄っぺら看板のように感じられました。太陽を見ると、太陽は影のようだと感じられました。次第に、その状態にも慣れ、普通という感じになっていました。
こうしたなか、エックハルト・トールの本を読み、書かれている内容を自分なりに実践してみたところ、時々、街路樹に実体を感じるようになりました。とてつもなく巨大な存在感ではなく、中身があるというか真実の存在とでも表現するしかないような実体があることを感じ始めることがありました。見た目は単なる街路樹なのですが、ドカン!と圧倒されるような実体感があるのです。
当時、自分には自分が存在しているという感じはありませんでした。ただ、意識ではあると思っていたので、意識に注意を向けて感じるようにしていました。それから樹木に実体を感じるようになり、様々な物や世界が在るという感じが生じるようになりました。
ネット上で瞑想を実践している人たちと知り合い、明晰夢のなかで瞑想をすることをしていた頃のこと。夢の中で自分の意思で目覚めるという実験をしたことがあります。すると、目が覚めて起きたり、目が覚めずに睡眠状態のまま、夢から出て何もない空間に出たり、夢の世界が球状にたくさん並んでいる世界に出て、特定の夢を選んでみると、その夢の世界に入って別の夢が始まったりといった経験をしました。
これに倣って、現実も夢だとしたら、この現実から目覚めるなど同様のことができるのではないかとしてみようとしましたが、こちらはできませんでした。
次は、潜在意識の達人やその他の人たちが書き残したメソッド等を実践し始めてからのことを書きます。
完璧認定と呼ばれるようなことをしていた頃、しばらくしてから外出中に突然、過去・現在・未来、すべての可能性を経験したうえで自分は、この人生を選んで生きてきたんだという確信が生じました。
そして、展開していた過去・現在・未来、すべての可能性が、折りたたみ始め、ダーッと自分の胸の中の1点に凝縮して畳み込まれてしまうさまを目撃してしまいました。どれだけ驚いたかしれません。
何を実践していたときか忘れましたが、これも外出中、大型のショッピングセンターのなかで、周りの人や物がそれぞれ自分であるという感覚が生じ、それぞれが体験したいことを体験していると感じました。
既にあるという感覚も短期間ですが生じたことがあります。例えば、車が欲しいと思うと、車庫にその車が止まっている感覚が生じたり、テレビがほしいと思うと、リビングの在る場所にテレビが置いてあるという感覚が生じたりといった感じです。いくつかのものだけでしたが、そうした感覚が生じて何ヶ月かかかったものや何年かかったもものもありますが、実際に手に入りました。ただし、こうしたことは稀で、欲しいものがすべて、既にあるという感覚になったわけではなく、なったとしても手に入ったものは多くありませんでした。
あと、今思い出せるのは、自分が歩いたり走ったりしているのに自分は動いていなくて静止していて、周りの世界のほうが動いているという感覚に繰り返しなりました。
もっとたくさん書けると思って書き始めましたが、今思い出して書けるのは以上です。こうして書いていくことで、こうした体験から自由になり、安らぎのようなものを感じています。
最近は、りさんがこのスレに書かれていた「私は在る」や元祖1式スレでクラゲさんという人が書いていたことを参考に思いついた、思考を一旦止めてその状態に同化するというのを試しています。
344
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 22:22:48 ID:qv15mPf20
>>342
>「無条件の愛」「真理的な愛」という言葉にピンと来る人
↑私は「自愛」に救われました。子供の頃、幼稚園の先生との相性が合わず、入園後に
自身が大嫌いになりました。それに伴い甘かったはずの両親からのあたりがきつくなり
自分責めが始まりました。皆すごい、私は一番下で居なくちゃ。それが反映され
スクールカースト下位で理不尽な目に遭い、どんどん自責がひどくなりました。でも
引っ越しをきっかけに救われましたが、クラスで1人をターゲットにしたひどいいじめが
起き、その子は孤立した。その子とは何度か一緒に遊んだことがあり、とても楽しかった。
下位の辛さを知っているし、皆がその子を裏切っていく中、自分だけは友達であり続けました。
その子とは大人になった今も友達です。あの時あなたがいなければ自分は〇んでいた、
下位にさげてごめんと言われました。私は驚き、あなたといると楽しかったし
友達でいたかったし下位なのは元に戻っただけだから気にしないでと伝えました。
下位での辛い思いは無駄じゃなかった、誰かの役に立てたのが嬉しかった。
しかし自分嫌いはそのままで苦しい現実が続く。だけど幼少期に日本昔話とかが大好きだった私は
ちゃんと生きていれば誰かがそれを見ていてくれてピンチの時は必ず助けが入る、と信じていたようで
それが現象化していたらしく超ネガティブなのに幸運なこともたくさん起こりました。
でも自分が大嫌い。頭の中はトラウマでいっぱい。自分で自分が好きだなんて人は
この世に存在しない。居るとしたらアニメとかのナルシストキャラだけだよね、と思いながら
忍たまの滝夜叉丸を思い浮かべる。でも滝夜叉丸なんだかいつも楽しそう。
ちょっと真似してみようかと思い脳内で「私はすごい、私は天才、私は美しい〜!」
あれ、何だか楽しくなってきた。そうだ、自分自身ときちんと向き合ってみようか。
そこからが地獄。今まで自責で抑え込んできた過去の自分たちの不満大爆発。でも
抑え込んだ過去の自分の本音を聞き出せた時、白昼夢のように当時の自分が現れ
今の私の中に統合されていった。これにより大きなトラウマが2つ解消された。しかし
大きなトラウマが消えたら小さいものが次々出現。過去の自分たちの話を聞いていくと
過去の押し込めた自分がいっぱい順番待ちで長蛇の列。話聞いても聞いても終わらない。
無理だ嫌だ逃げたい。もう過去の自分なんて全員叩き潰す。やっぱり自分大嫌い。
こんな嫌いな自分の体、叩く引っ掻く。うすく血がにじんで入浴時に痛くて泣けてくる。
心が痛くて泣いている。そんな時に書き込んだ自愛スレで素晴らしいアドバイスを頂く。
(あの時のすみっコねこ推しは私です。あの時のあの方にはもう本当に大大大感謝です。)
そして大きな気づきが起きた。なぜかキリスト教のイエス様が思い浮かぶ。今まで
十字架を背負って丘を登るイエス様にひどいことする人たち、ひどいよなぁと思っていたけど
これ、愛に満ちたイエス様は別に何とも思っていなくてむしろひどい人たちの心が救われていない事が
辛かったんだ!という思いが湧き(キリスト教に詳しくないし色々間違っていたら
ごめんなさい、でもなぜか高校は私立のキリスト教の学校で、委員会も推薦で宗教委員だった)
その思いと共に世界がパアッと輝き「みんな既に愛されている、みんな既に赦されている」
と言葉が降りてきて私も愛に包まれました。愛に包まれた感覚はその後2日位で消滅しましたが
愛に包まれている状態が本当だから消えたんだと思います。この日以来叩く引っ掻くは
起こっていません。大切な自分にそんなことできません。そして気持ちが落ち着いたので
元祖1式を実践しようと思ったのですが自分にとってはこれがよくなかった。
メソッド批判ではありません。合う方にとっては素晴らしいメソッドだと思います。
ただ合わない方にとっては「その思考も消す」で合わないというメッセージも無視する
事になるので、上手く実践できない方がいらっしゃったら一時休止してみるのをお勧めします。
私も実践しては失敗するを延々と繰り返していました。本当は合っていなかったんです。
そして更なる気付き。私はここで過去にイラストが描けないと相談させて頂いた事もありました。
趣味=イラストです。描けなくなった時期と元祖1式の実践時期が同じだったんです。
くりかえしますがメソッド批判ではありません。合わないメソッドを続けると
出来ていた事も出来なくなってしまう、自分の力が抑え込まれてしまうことになるので
実践する合うメソッドは本当に人それぞれなので自分を指針にした方がいいと気付きました。
続きます
345
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 23:23:10 ID:qv15mPf20
>>342
>>344
続きです
私は大嶋さんのメソッドの力を借りながら楽しく絵を描いていました。絵を批判された事なんて
本当はどうでもよかったんです。別メソッドの実践により「心に聞く」の心との通信が
弱くなってしまった。案が浮かばない。自分で考える。変な絵になる。1式で思考停止。
できない、できない、何も描けない。描けなかった理由が判明しました。
1式スレに創作で成功している方が来られて、その方は実践を徹底されていたので
あー自分はメソッドのやりこみが甘いのかなと思っていたけど、合っていないだけでした。
りさんへのレスのはずが、自愛スレ恩人への再びのお礼とか、1式が合わない人へのメッセージとか
自責がひどくても自愛はできるという事とか、伝えたいことがいっぱいになってしまいました。
そして、りさんのおかげで昨日大きな気づきが起き、同時に小さな嬉しいことがありました。
8月下旬に食べたピーマンの種を植えたら発芽したのでそのまま育てていたのですが
つぼみが出来ても花がなかなか咲かず、夏野菜だしもう寒いよねこのまま咲かないのかなと
思っていたのですが、大きな気付きが起こった昨日、ひとつ開花していました。
小さな苗の小さな花、とっても可愛くて愛おしい。まるで気づきが起きたのを
喜んでくれているみたいでとても嬉しかったです。
りさんからの素敵なメッセージ、愛のあるご返信、心に沁みます。
いつも本当にありがとうございます。今回のご返信は特に嬉しかったです。
りさんのレスは浄化そのものです。頂いたレス、大切にします。
>癒しや整いが起きているならその道を続けてみてください。
↑心に聞く、に対して背中を押して下さりありがとうございます。心とのつながりが
戻ってきました。心が絵のアイデアも教えてくれました。これでやっと描けるかな?
描けない事よりも心の声が弱くなってしまった事の方が悲しかったみたいです。
りさんのおかげで、心との通信が復活しました。そして今の方が頭が静かで本当の意味での
1式の実践が自然とできている状態になっています。1式がすべてに通じるといわれていた理由が
分かりました。本当は全メソッド共通なんだと思います。その人に合うか合わないかそれだけ。
今、心が晴れ晴れとしています。りさん本当にありがとうございます。
そして本日の気づき。個の私が大きな私となり、今まで私を支えてくれた、
過去の私たちすべてを大きな愛で包み込んで癒してあげたいと思いました。
余談ですが愛という言葉に嫌悪感がありプリキュア好きなのに愛がテーマというだけで
ドキドキプリキュアの視聴を見送ったあの自分がこんな気持ちになるなんてびっくり。笑
(MXの再放送で視聴、レジーナの、愛は初めから私の中にあった、という旨のセリフが
とても好き)ハートキャッチプリキュアの自己受容の回(37〜38話)も初回視聴時はピンと来なくて
自己向き合いを始めて以降に再放送で見たらもうビックリ。過去の自身が登場しそれを
攻撃しても倒せず、受け入れると今の自分と一つになり自分がパワーアップする。この話すごい。
アニメ好きでよかった、アニメからもヒントをいっぱいもらえてた。これも恩寵でした。
いままでのあれこれすべて恩寵かもしれません。趣味の絵も仕事で役に立った。(保育系と広告業)
過去に保育職を選んだのも、同じような思いをしている子を救いたいからと思いつつ
過去の自分自身を救いたかったのかもしれません。しかしブラック職場、とくにきつかったのは
鬱で退職した人の後任、幼稚園の4歳児クラスでクラス崩壊、窓ガラス割れる、室内水浸し。
園児数は園の中でも最多の33人。もう毎日必死、家に帰ってからも持ち帰り仕事でクタクタ。
気性の激しい子が多く、対応もむずかしく、ターゲットにされがちな子たちを、ちゃんと救えたのだろうか…。
でもそのクラスの時、おとなしかったある一人の子がお友達と元気に遊べるようになったのは
とっても嬉しかった。(退職後に感謝の手紙を頂きました。お2人から。でも私が何かを
したわけではなくその子たちとの人間同士の相性が良かっただけ、恩寵のおかげだと思っています)
りさんとの出会いも素晴らしい恩寵です。いつもありがとうございます!
346
:
幸せな名無しさん
:2025/11/16(日) 23:37:19 ID:KSFkWYQ.0
>>335
316で「神」というフレーズを使ってしまい、それに返信があった時は、正直やばいと後悔しました。
ところが結果として、あの体験に共感し喜んで語ってもらえたおかげで恩寵のうねりが起こり、更に歩みを進められました。
もういいなと疑問を手放した途端、答えのきっかけが現れ、長い間しぶといしこりのようだったのが消えスッキリです。
これで語るべき言葉は尽きたようです。ありがとうございました。
347
:
幸せな名無しさん
:2025/11/17(月) 11:43:25 ID:F9iyoXhQ0
りさんのレスが来るまで暇な人はちょっとした実験でも
以下の文を見て、あんまり思考を巡らせないでなんとく感じとってみてください
1. 現実は外側にあるのではなく、内側にある
2. 本当は内側(自分)と内側(現実)しかない
3. つまり内と外でなく内内
4. 内側しかないなら自分=世界
348
:
幸せな名無しさん
:2025/11/17(月) 21:24:41 ID:8mX.w3qw0
>>347
343です。
自分は意識であるという感覚が強く、「意識=認識している空間」であり、その空間内に世界も自分の身体の映像も映り込んでいる感じです。
意識スクリーン、空間スクリーンに自分自身の身体も含めて世界が映っている。
スクリーンと言っても平面ではなく球面の内側の面のようでもあり、球面の内部空間全部のようでもあり、では球面の外側の表面が在るかというと、そんなものはないし、そもそも球面の外なんていうものもない感じ。
映画のスクリーンだと平面の長方形ですが、この現実世界の空間スクリーンは、空間内部を構成している各点がスクリーン、立体スクリーンになっている。
映し出されている存在物は、平面であると同時に立体でもある。一定以上の距離にあるものは、すべて平面というか絵画状になってしまうけれども。
感じていることをうまく表現できない。
349
:
幸せな名無しさん
:2025/11/17(月) 22:04:31 ID:8OgJw9zI0
お目汚しすみません。
この板をとても興味深く読んでいます。
書き込みにも慣れていませんし、この板に来ている方々よりもレベルがかなり低いかもしれませんが、すみません。思いついたので書かせてください。
私は引き寄せから入り、というか毒親問題から入り(?)、心理学の本を読み漁ったり精神科にかかったりした挙句、その理論に疑問を持ったところから潜在意識に足を踏み入れたクチです。
もう潜在意識を知って数年になりますし、ほぼ全ての達人さんの掲示板は読んだと思います。
小さな事(と思っている事)なら沢山叶ってきました。でも大きな変化がありません。
最近は、願望を叶えてもその時にエゴが感じる幸福とは刺激でしかないのだから、慣れたら飽きて別の願望を叶えたくなる、その堂々巡りになるから、今に集中して既にあるもので満たされ尽くすことを知れ、という理論に興味を持っていました。元祖一式などで思考を止めて今にただある、問題を保持しないように意識したりしていました。
でももう、メンタル的に限界なのです。
多分一瞥体験はまだ経験していません。なので本当の自分(?)や、恩寵の素晴らしさはまだ分かりません。
ただ全ては認識でしかないのかもなーというのは少し分かってきたところです。
でも、それは逆も然りで、全て認識でないと知っても結局その"認識"が次から次へと湧いて出てきてしまう。
"本当はこんな願望叶えたいわけじゃないんじゃないか?"と思った次の瞬間には、"このままの自分で終わってしまったらゴミ屑のような人生だ、早く少しでも良いから変わらないと"という思いが湧き上がります。
多分元祖一式もあまり上手くできていません。
幸せって何なんだ?愛とは?私は結局何がしたいんだ?恩寵って何?と興味がある自分もいますが、
もうそんな事はどうでも良いから今すぐ救ってくれと叫ぶ自分もいます。
なんか堂々巡りなんです。
この状態って、りさんから見てどうなんでしょうか?
遠回り(そんなものはない?)しているんでしょうか。
350
:
幸せな名無しさん
:2025/11/18(火) 03:04:31 ID:vCaHCsFc0
>>348
の続きです
世界は「意識=空間」内に現れていると感じます。もちろん、世界と言っても、見える範囲の世界だけですが。
では、思考や感情は?
これらは見えないですが、やはり意識内、空間内に現れています。通常、自分だと思っている頭があると想定している部分や胸があると想定している部分のこともありますし、それらの部分からはみ出ていたり、身体外だったり、この意識空間全体だったりもします。
そういう感覚です。
ただし、仕事中、プライベイトでも他の人がいるときは、一般的に言われている普通の感じ方になっていることが多いです。
ついでに音について書きます。
たまにあるのですが、音が聴こえて、自分のいるここで聴こえることがあります。音が、ここで生じているように聴こえるわけです。その直後から思考が働いて、何の音か、どこから聴こえてきたのかとなるのですが、すると斜め右方向から距離はどれくらい、何の音とわかると、その瞬間、音はその方向のどのくらいの距離のところから聴こえてきたとなってしまいます。
視覚情報を意識・空間内に展開して配置し、そこに他の五感情報も配置して認識している、世界を構築(再構築?)して知覚しているという感じです。そうして世界が現れて、その現れた世界に対して、生まれ育った環境、経験により構築された解釈を、これまた瞬時に当てはめて世界を認識しているように思えるというか、そのプロセスをスローモーションのように体験したことがあります。
外界、外の世界が自分の意識とは別個に独立して存在しているのかどうか、感覚的にはわからないです。どちらの可能性もあるのだろうとしか今はいえません。
351
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 18:32:08 ID:sQC.SM7I0
ちょっと軽めのご報告(というより雑談)
こないだ話してたように、「り」と名乗るのはやめることにしました。
でもせっかくだし、「り」の音はそのまま使おうと、
り〜なんとかで色々考えてみたんです。
そして結論。でました
名乗りは 「りょうせい」 にします。
理由はシンプルで
「両方の性質のはなしを扱うから」。。笑
またスレの流れが「真理探求と願望実現、両方バランスよく生きよう」というテーマの方向になってきたから。
それと、個人的な昔話だけど、
世界「赤と青どっちが良い?」
私「青が良い」
そんな摩訶不思議なやり取りがあって(意味不明だよねw)
「青が良い」そこから 良青 → りょうせい という個人的な流れもあるので、ちょうど個人的にもしっくりきて良かったんです。
まあでも、私にとって名前はあくまで記号みたいなものなので、好きに呼んでください。「り」でも、「なまこさん」でも1さんでもスレ主さんでも、あだ名でもOKです。
とはいえ、また必要なら改名するかもしれませんが、笑
とりあえず固定のハンドルネームの音は、
りょうせい でいきます。
それと、日によって返信が遅れることもあります。でも、質問系や私宛のものは基本的に返します。
私宛じゃない書き込み・つぶやき系も、自然な感じなら全然どうぞ。
その場合は返信しないこともありますが、たまに引用してレスするかもしれません。まあ、そこは気にせず、なんであれリラックスして気軽に参加してください。
それから、長文だとどうしても濃くなりすぎて皆さん構えてしまう気もするので、
必要なときは短文返信も混ぜていきます。(・・と言いながら長くなる予感はしますが、努力はします。笑)
以上、ちょっとした名乗り変更のご報告でした。
352
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 18:42:25 ID:sQC.SM7I0
>>343
そうでしたか。それは失礼しました。笑
お久しぶりです。
(2回に分けました)
>今回いただいたコメントも、自分の中に大切に入れて、自然に理解できるときを待ちたいと思います。
→本当にその通りですね。
そのような神秘体験や、外側から植えられた「種」が、その種自身のペースで内側で消化され、浸透し、発芽していく「熟成の期間」はとても大切です。
>存在観が崩壊し、存在感がなくなってしまっていました〜やがてその状態にも慣れ、「普通」になってしまいました。
→はい。だからこそ必要になるのが中道。
「両方の視点」です。言いかえれば「直接体験としての、非思考的な理解」です。
「色即是空・空即是色」「あるけどない、ないけどある」文献では、神が真理探求者に向かって、「私の名は存在である」と語ったかと思えば、別の箇所では「あなた(個)と意識(存在)と恩寵(プロセス)はひとつである」とも言う。さらに「あなたはすでにそれだ」とも言われる。
視点が変われば、言葉は矛盾しているように見える。しかし、視点そのものが溶けたら、
矛盾なく同時に成立してしまう。
つまり、「存在」と「非存在」は、視点によってどちらにも見えるし、どちらでもあり、さらにはそれすらも超えられてしまう。
一方で、私たち個人の思考(エゴやマインド)は、構造上「どちらか一方」しか掴めません。
「シマウマの色は? 黒? 白? どっち?
頼むからどっちかに決めて!」という立場です。
「黒でもあり白でもある」は許せない。
「じゃあ、シマ模様ってことにしよう。これならいいよ」こうなります。笑
ただ、霊性(理屈を超えた目に見えない領域)を探求するなら、思考・記憶・体験という「頭の理解」を超えた源泉にとどまる必要があります。そして、直接体験を通して深く・多面的に学びながら、エゴとの同一化を少しずつ溶かしていく方向を目指す必要があります。
「エゴ・マインド探求」は、あくまで心・世界の領域の話です。真理探求は、特別なエゴになることではありません。エゴの「知覚」が変わる必要があるということでもありません。本来のそれから見れば、「神秘体験」ですら夢の一部にすぎません。たとえ「超能力で空を飛ぶ」のも、「飛行機で空を飛ぶ」のも、どちらも夢です。
私が話しているのは、まず何よりも、
この世界の誰もがすでに持っている
「私が存在している」という「もっとも当たり前な感覚」です。
「体験以前」「体験の最中」「体験後」
このすべてのあいだ、ただ変わらず在り続けていたもの。それが意識そのものです。
まずは、今のあなたがしているように、
ここに(徹底的に)安定していくプロセスが大切です。
あなたが本気で目指しているのが、「真理探求そのものの終わり」だとしたら、それは二元的物語の中に現れる「特別な体験の一つ」ではありません。
私の言うシフト(実現)は、
1. 意識の安定
2. 超越
3. そして「それ」が、「主体/対象」さえも超えた「 」として在るという構図です。
この立場の主体者(真の私)は、「私」も「意識」さえも、対象としては知り得ません。
そのため、「シフト/実現」が起きても、何が起きたのかをエゴが理解することは絶対にありません。それはそもそも、説明不能だからです。
そこでは「エゴ」も「世界」も感知できません。認識者(主体)がいないところで、
「誰が」「何を」「どう説明するのか」
という話になるわけです。
この「理解を超えた理解」「超越」の領域は、
私の見立てでは、
・意識そのものに安定していない
・エゴとの同一化の解除が整っていない
この状態で触れると、高確率で一瞥で終わる性質があります。過去の私がそうでしたから。
また、探求者が真理を求めているのは、裏側から見ると「体験者としての自分」を保持したいからでもあります。求めている限り、
「体験者を握りしめたまま真理を捕まえよう」という動きになってしまう。
これはエゴ批判ではなく、エゴは構造的に最後まで、そう機能するという説明です。
けれど同時に、
求めなければ探求はそもそも始まらないというパラドックスもあります。
その意味でも、意識にとどまることは、「求めそのもの」を静かに溶かしていくプロセスとして働きます。
真理そのものの側には、達成者はいません。
だからこそ、実現・シフトとは
「達成者なき、体験者なき実現」なのです。
にもかかわらず、「それ」は、ずっと前から、そして今も、変わらずに真のあなたとして在り続けています。
353
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 18:55:30 ID:sQC.SM7I0
>>343
つづき
>エックハルト・トールを実践して〜それはドカンと圧倒されるような存在感でした。
→はい、それが「意識」「存在そのもの」の存在感です。
>明晰夢のなかで瞑想をしていた頃、夢の中で意思で目覚める実験をした〜
→真理探求の文脈にも、そうしたアプローチはたしかにあります。(メキシコやチベットのシャーマニズム、夢見の技法など)
なので、「夢の中の構造研究」が探求の過程として起こることもあり得ます。
言われてみれば、私にも似たような時期がありました。笑
ただし、一般的には「目覚めている日常」の中で探求は進みます。
>すべての可能性を経験した上で、この人生を選んで来たのだと確信しました。
→はい。ただし、真のあなたは「過去・現在・未来」を超えています。
>過去現在未来の全可能性が畳み込まれて胸の中の1点へ凝縮していく様子を見ました。
→胸の中の一点。ここは重要なポイントです。
心臓付近には、「私=身体」という潜在的な同一化が深く残っています。また、心臓まわり(胸の前後左右あたり)は真の私(気づき・存在感)の感触を感じやすいセンターでもあります。胸の中心には、個の私(身体・心・感情)
、真の私(気づき・存在感)が同時に重なるため、錯覚と真実が最も混ざりやすい箇所とも言えます。(この話はここまで笑)
>欲しいものが全部“既にある”と感じた時期もありましたが、長続きせず、全てが手に入ったわけでもありませんでした。
→はい。霊性プロセスと、「個の人生」の成功・願望実現プロセスは、恩寵によって最適な配分に調整されています。霊性の進歩を優先しているタイミングでは、霊性成長(自己超越欲)以外のプロセスが、一時的に停止してしまうこともあります。
その段階・タイミングで学ぶべき「必要な理解・進歩」が起きてしまえば、その停滞は自然と溶けて流れ出します。ある意味、その理解や進歩を起こすために停滞が置かれていると言ってもいい。
そのため、ここで起きている恩寵的なやり取りも、ただ「接触しただけ」で何かしらの流れが変わってしまうことがあります。
第三者から見れば、このやりとりを読んでも
・関心のポイント
・絡まっている場所
・気質
がそれぞれ違うので、見聞的な参考になる、探求のきっかけになることはあっても、「???」で終わることもあるし、まったく別方向に誤解されることもあります。
(本当は避けたいですが、ある程度は仕方ありません)
スピ本や動画、聖典をたくさん取り入れても「実感的な変化がない」と感じてしまうのは、まさにこの構造が原因の一つです。
各人に必要なエッセンスや言葉、メソッドは、個の私の視点からだと「自分が何を分かっていないのか、そもそも分からない」となりやすい。だからこそ、プロセスの深まりや進みを「ゆっくりと忍耐強く」待つ姿勢も必要になります。
>自分は静止していて、世界のほうが動いているという感覚に繰り返しなりました。
→その通りです。
意識そのもののあなたの中で、心も想念も世界のあらゆる運動も、「それぞれ自発的に」起き続けています。
>書いていくことで、こうした体験から自由になり、安らぎのようなものがあります。
→それは本当に良かったです。
>最近は“私は在る”や、クラゲさんの書いていた「思考を止めてその状態に同化する」を試しています。
→いいですね。
あなたにすでに起きていること(事実)の中に、最高のヒントや答えがすでに宿っています。
私はそれを少し解剖して、「今ここで本当は何が起きているか」を、私なりに翻訳して言葉にしてみただけです。
あなたの場合、いまやっているそのアプローチは、かなり直接的な修練法です。
「私は在る」「静かにする」、ぜひこのまま続けてみてください。
書かれていた通り、メソッドも変化も、それが板について自然になってくると、体感的には「普通の状態」になります。
メソッドも探求も、半分、自動運転になっていきます。自転車に何度も乗っているうちに、気づいたら何も考えずに乗れている、そんな感じです。
私自身が通ってきたメソッド・修練・アプローチ法(「こんなことやってました」的なやつ)も、タイミングが合えばどこかでまとめようと思っています。
貴重な体験談と、意識の描写のシェアしてくださってありがとうございました。
354
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 19:03:44 ID:sQC.SM7I0
>>344
「私の歴史」解説とシェアありがとう。笑
色々くぐり抜けて、よくここまで来ましたね。
(ただ、ここは掲示板だからプライバシーに関わる部分だけは少し気をつけてね。)
いずれ、プライバシーが守られた状態でやり取りできる場も作れたらと思っています。
そのときご縁があれば、またゆっくり聞かせてください。
あと、プリキュアだけは残念ながら観てないんだよね。笑(面白いらしいとは聞いてるけど)
さて、あなたは「自責とトラウマ」というエゴの闇夜を、自愛と「心に聞く」などを恩寵と協力して、今はただ、「大きな私の愛」で「過去の私」を全部抱きしめてあげてください。
過去の感情や、層になったエネルギーたちを解放できるのは、「ただ在る」という静寂、無条件の立場、つまり「大きな私」だけです。
それが「自信回復」(大きな自分を信頼・信じることで、小さな私たちが回復する)の真意です。
あとは恩寵が整えていきます。
日常の中で、ゆっくりとリラックスして取り組んでみてください。
「イエス様は自分を傷つける人を恨んでいたんじゃなくて、
その人たちの救われていない心のほうを悲しんでいたのでは?」
この直感は素晴らしいです。
そして、キリスト系の話を慎重に扱ったあなたはさらに大正解。笑
ただ、聖書は霊訓として読めるものが多いので、またタイミングが合えば扱いたいなと思っています。
ちなみに、私が言っている「恩寵」は、古い伝統では「聖霊」や「奇跡」の別名でもあります。
355
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 19:07:24 ID:sQC.SM7I0
>>346
はい、酔ってたせいもあって、胸熱モードで返信してしまいました。笑
こちらこそありがとうございました。
またタイミングが気分が起きたらお気軽にどうぞ。
>>347
いない時のフォローありがとうございます!
>>348
>>350
343さんも意識の描写説明ありがとうございます。「意識」とは何か?をこのように言語化して、やり取りするなんて本当不思議な現象ですね。笑 これはかなり濃厚なマニアックな会話です。おっしゃるとおり体験の言語化はとても難しいですね。
356
:
り改め りょうせい
:2025/11/18(火) 19:34:38 ID:sQC.SM7I0
>>349
読んでくれてありがとうございます。
お目汚しなんてとんでもない。この板は、むしろ今のあなたのようなタイミングの人が書くと、大きくスレの流れが動く場所かもしれません。どうぞ気軽に書いてください。
>私は引き寄せから入り〜大きな変化がありません。元祖一式などで“今にただある”を意識してきたけど、もうメンタルが限界です。
→まず本当に、お疲れ様でした。
この流れは、多くの人が必ず一度は通る地点です。そして「限界に来た」というのは、悪いサインではなく転機が迫っている兆しです。
なぜなら、エゴの限界を自分で知ったときにしか、飛躍は始まらないからです。
>一瞥体験はまだ経験していません。
→一瞥体験は、真相的にはあってもなくても価値は同じです。むしろそこに強くこだわるほど遠回りになることだってあります。
>全ては認識でしかない。でも認識が次々湧いてきて止まりません。
→ たとえば、静かな公園の片すみに
小さな噴水がポコポコ湧き続けている。
そんな情景を思い浮かべてみてください。
止めようとしたわけでもないのに、その噴水はただ勝手に水を湧かせ続けています。
あなたができることは、
そのそばのベンチに座って、
「あぁ今日もちゃんと湧いてるなぁ」
と見ていることだけ。
水の量を調整する必要もないし、
湧くこと自体に意味を探さなくていい。
ただ湧く。ただ起こる。
あなたはただ、それを静かに見ている側です。
>幸せって何?愛って何?私は何がしたい?
恩寵って何?
いやそれより、今すぐ助けてほしい。
→この文脈で言うと、あなたが本当に求めているのは
「問いそれ自体の終わり」
「堂々巡りが″自分ではなかった″と気づくこと」です。あなたは「答え」を探しているのではなく、「探し続けている動き・構造そのもの」の終焉を無意識下で求めているのです。
>この状態って、りさんから見てどうなんでしょうか?
→今あなたがいる位置は、マズローで言えば
「自己実現」と「自己超越」の境目の、手前で構造が整っている段階です。
エゴの足場が揺れて波立って土台の組み替えが起きているタイミング。
霊性プロセス的には、ストレートに近道です。
ただ、願望実現「自己実現・承認欲求・安全欲求など」ここがしばらくあなたの関心テーマとなると思います。
恩寵により浄化されながら少しずつ「個の私─心─世界」整えて回復していく必要があります。
>遠回りしてるんでしょうか?
いいえ。
ショートカットを進んでいます。
浄化の険しい道を選んだ意味ではむしろ勇敢です。
この世界の価値観で見ると、
・自分はダメだ
・何をやっても変わらない
・外の世界の人々は輝いて見える
こう感じるかもしれません。
けど、霊性視点では逆転することがある。
エゴの限界を真正面から見抜いた人間だけが、
本当の意味で「先へ進む資格」を持ちます。
一見輝いてみえる人でも、エゴに全依存していて動けなくなっているというケースはいくらでもある。あなたの動けなさはエゴの限界を見抜きつつある気づきですから、悟りや目覚めの線からいうと、プロセスが進んでいるともいえます。
これは思考実験として書いてますが、実際かなりよくある構造です。
今あなたに必要なのは、
「世界」への疑いを少しずつ溶かすこと。
「恩寵なんてあるのか?」という疑いが、
ゆっくり溶けていく段階に入っているということを知っておくこと。
そして、その溶けるプロセスは
あなたの力ではなく、勝手に起こる側の力によって進みます。
無理に信じる必要はありません。
聞き流すくらいで大丈夫です。
ただ、起きることが起きるだけです。
あなたは、本当は、そこに委ねていれば十分です。
357
:
幸せな名無しさん
:2025/11/19(水) 00:07:05 ID:50HmvV/s0
専業主婦になりたいのですが長年叶ってません。
どうしたらなれますか?
358
:
幸せな名無しさん
:2025/11/19(水) 02:16:59 ID:g5C34IUk0
>>354
りょうせいさん、素敵なお名前ですね!
今回もありがとうございます。
>いずれ、プライバシーが守られた状態でやり取りできる場も作れたらと思っています
↑ホームページ、楽しみにしています!
>「イエス様は自分を傷つける人を恨んでいたんじゃなくて、
>その人たちの救われていない心のほうを悲しんでいたのでは?」
>この直感は素晴らしいです。
↑有難う御座います。この気付きの後、白昼夢のようなイメージが降りてきて
小学生の頃私に意地悪をしてきた人のうち2名が、それぞれこんな悩みを持ちこんな辛さを抱え
それを自分で受け止められず下位の者にぶつけていた事に気付き(それらが真実かは不明ですが)
愛による癒しが起きました。
>今はただ、「大きな私の愛」で「過去の私」を全部抱きしめてあげてください
優しいメッセージを有難う御座います。以前、自己向き合いをしていた時期に
まどマギの(ご存知なかったら御免なさい無視して下さい)まどかちゃんが終盤で
一気に沢山の矢を放ち、過去の沢山の魔法少女達の所へ行き次々と癒していった、あんな感じで
過去の自分達を癒せたら良いのにと思っていたのですが、今の私なら出来るかもしれません。
そして過去のちょっとした温かい記憶が浮上しました。何で忘れていたんだろう。
けっこうすっぽり記憶が抜け落ちている時期も多々有るのですが、癒しと共に
宝物のような温かい記憶も色々出てきてくれたらいいなと思います。
>それが「自信回復」(大きな自分を信頼・信じることで小さな私たちが回復する)の真意
↑有難う御座います。この言葉で気付きが有りました。
昔、私の父が亡くなる(私が成人した翌年に他界)前に遺してくれた手紙があるのですがその一部に
「〇〇(私の名前)は、小さな事柄はまるでダメですが、グズで、だらしなくて、すぐ忘れるとか…
逆にとてつもなく大きなテーマでは素晴らしいものを持っている様です。自分では気付かない、
従って他人からも気付かれずほめられた事もない、けれど「ドデカイ」大きな長所があります。
私(父)にはそれがよくわかります。自分に自信をもって愉しい人生を歩んで下さい。」
↑この時私は社会人1年目、まさに動作が遅く忘れっぽくてミス連発、叱られてばかり。
履歴書等の長所欄の記入がいつも苦痛だった。自分も他人も気付かない長所なんて無価値。
何で長所の具体的な答えが書いてないの?せめて教えて欲しかった、そう思っていました。
でも昨日気付きました。とてつもなく大きなテーマ、ドデカイという表現の強調。これは私が未来で
いつか大きな自分の存在に気付き、小さな自分を癒していくというテーマに目覚める事を
亡くなる直前の父は知っていたのではないだろうか。確かにこれは他人からほめられる事ではないし
当時の自分は気付いていなかった。あの時父には何が見えたのだろうか。意味不明と思えた
父の手紙に込められた愛、やっと受け取る事が出来ました。
そういえば思い出したのですが、私は幼少期に大きな私と会えた事が一度だけ有りました。
幼稚園生の頃、休み時間に遊ぶ友達もおらず担任からも気にかけてもらえず暇なので
一人でぼーっとしながら「人間は何の為に生まれてくるんだろう?」と考えていた。
そうしたら白昼夢のようなイメージの中に、ものすごく大きな大きな人が現れて
優しく微笑みながら「それはね、はたらく為なんだよ」と教えてくれ、すぐ消えた。
そっかー!はたらく為なんだー!幼い私は仕事のことを差していると思った。でも
出来損ないの自分は大人になってもちゃんと仕事がこなせない気がするなぁと思ってた。
後で気付いたのは「はたらく」=仕事ではないんじゃなかろうか。そして今
はたらく=探求や気づきの事なのかもしれないなと思った。違うかもしれないけど。
ちなみに私が幼稚園生の頃、担任は私の事を嫌っていたようだが、隣のクラスの先生が、よく
私ちゃ〜ん!と駆けてきてハグしてくれたり(でも勢いがすごくてちょっと苦手だった)
新しいヘアゴムをつけていった時に、担任もクラスの子も誰も気づかないのに、その先生だけ
「あっ!それ、オニューだね!」って言ってくれた。私よそのクラスなのに髪飾りが新しいなんて
どうしてわかったの。ずっと私の事気にかけてくれてたんだ隣の先生。ここにも愛があった。
↑これ大人になってから気づいたんですよね、ちゃんと隣の先生にお礼伝えたかったなぁ。
>日常の中で、ゆっくりとリラックスして取り組んでみてください
↑時々大きめのエゴがやってくる感じがするのですが、急がず焦らず行こうと思います。
りょうせいさんから頂いたレスで今回も浄化が起きました。
いつも導いて下さりありがとうございます。
359
:
幸せな名無しさん
:2025/11/19(水) 02:27:15 ID:g5C34IUk0
以前、愛という言葉が嫌いだったのに、大好きな歌があった事を思い出しました。
辛島美登里さんの「あなたの愛になりたい」歌詞ttps://www.uta-net.com/song/9348/
これは真の愛の歌だから惹かれたのかなと思いました。
個の私と大きな私を想いながら聴くと、じんわり心に沁みます。
とても素敵な歌なので今これを読んで下さっている方々にそっと布教。笑
360
:
幸せな名無しさん
:2025/11/19(水) 20:29:13 ID:IFKm7PJM0
よく悟り系の本で思考に気づきましょうとか、エゴに気づきましょうとか書いてあるので実践してるのですが
ずーっとそれに気づこうとか捉えようとしてるのも思考とエゴだしなんか頭の中ぎゅっとなって違和感を感じるだけなんですが
これでなんか意味あるんですかね はよ答え教えてくれよみたいな探求パワーを強化してるだけみたいな気分になるんですが…
それこそ頭の中が便秘でスッキリできない感じみたいな りょうせいさん助けてください私はこれでいいんでしょうか
361
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 00:19:28 ID:Ne8LN0nI0
>>357
こんばんは。
まず大事なのは、願望が叶うタイミングは
「起きる時には起きる」「起きない時は起きない」という、とてもシンプルな仕組みで動いているということです。
たとえば、今夜眠る時どんな夢を見るかは
100%コントロールできませんよね。でも、昼間の気分や出来事や心の状態で、夢の雰囲気が変わることはある。
専業主婦になりたいという願望もそれに似ています。
・叶う「瞬間そのもの」はコントロールできない
・でも、叶う「流れそのもの」は変えられる
この2つが同時に存在しているのが、この世界です。
さて、それを踏まえて。
願望というのは、叶う瞬間だけではなく、そこへ向かう準備や日常の変化も全部ふくめて動いています。
宝くじが当たっても銀行に行かなきゃいけないし、その後の管理にもエネルギーが必要ですよね。
専業主婦も同じで、
・自然とそうなった人
・どうにかしてそうなった人
タイプはいろいろでも共通しているのは「流れの中で自然とエネルギーを注いだ」という点です。
では、なぜ長年動かないのか?
原因はアクセルが弱いのではなく、ブレーキが強いからです。
専業主婦になりたい願望の裏側には、次のような本音が隠れていることが多いです。
・生活を共有する怖さ
・誰かに頼る不安
・自分の世界が壊れる気がする
・親密さへの抵抗
・自由が失われる感覚
・家族観の影響
・受け取ることへの罪悪感
そして、あなたがこれらの想いや不安と「自分自身」を同一視してしまっている。その構造が強力なブレーキになっているわけです。
だからまずは、専業主婦という願いを「相手との共同プロジェクトとして叶うタイプの願い」として見てみてください。
趣味にも二種類ありますね。
・一人で完結する趣味(読書・散歩・編み物など)
・相手がいて成立する趣味(グループ演奏・スポーツ・ペアダンスなど)
専業主婦は完全に後者です。相手がいなければ成立しません。つまりこれは、あなたの人生が他者と溶け合う準備をしているプロセスでもある。
この願望が長年動かない背景には、高い確率で「心の境界が固い」ことが隠れています。
ここからは、その願望の性質に合ったワークをいくつか。必須ではなく、気楽に触れられそうなものだけ、どうぞ。
1. 境界線をゆるめる小ワーク
(専業主婦系願望の入り口にぴったり)
寝る前にひと言だけ。
「明日、私は少しだけ人に心を開いてもいいよ」
これで十分です。
心=想念=世界、なので「ほんの少しの開き」が現実に反映し始めます。
2. 受け取り力のリハビリ
(これは専業主婦願望の核心)
・ドアを開けて″もらったら″素直に「ありがとう」
・褒められたら否定せず受け取る
・貰ったもの、小さなギフトでも遠慮しないで「ありがとう」と受け取る
これ全部「受け取りの器」を広げる訓練です。
この器が変わると、不思議なくらい流れも変わります。
3. 生活スペースの共有テスト
部屋の一カ所だけでいいから、
「ここは誰かが座ってもいい場所」
と設定してみてください。
別に本当に誰かを呼ばなくていいです。
実際に誰も来なくていいし、来なくても効果は出ます。
ポイントは、「部屋の中に、他者のための余白をひとつ作る」
これだけで、あなたの中の
「心理的な領域(パーソナルスペース)」
がほんの少しゆるみます。
実は、恋愛系の願望や「誰かとの共同生活」に関する願望が長年止まる典型的な原因のひとつは、「空間を共有することへの無意識の拒絶」
なんです。
たとえば、電車で隣に人が来るのが苦手だったり、寄られるとなんか落ち着かなくなるタイプの人は、この「空間共有の抵抗」が強い傾向があります。
4. 願望の正体を書き出す
これ古くからあるシンプルなやつです。
・専業主婦になりたい理由
・その理由を否定する声
・その声が怖がっていること
この三つを書くと、
アクセルとブレーキの正体が
客観的に見えてきます。
ここで核心が分かる人も多いです。
専業主婦の願望は
単なる「肩書きの変更」ではなく、
「個の私が一人で守ってきた世界を、誰かと分かち合う準備」
というライフステージの移行そのものです。
だから、動き出すときは
急ではなく、静かで、自然。
願望の実現だけを見ると遠く感じますが、
実際のプロセスは「日常の境界線が、ほんの少し柔らかくなる」ここから始まります。
そして、ここが変わり始めると、
世界の「見え方」「感じ方」も少しずつ変わって見えてくるかもしれません。
362
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 00:20:58 ID:Ne8LN0nI0
>>358
ありがとうございます!まどマギのラストは私も超絶感動しました。笑
363
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 00:27:15 ID:Ne8LN0nI0
>>360
まず前提として、「思考に気づく」という練習が必要なのはなぜか?
ふつう人は、
「思考=自分の声=自分自身」
と無意識に信じています。
その思い込みをゆるめるために「気づく」練習があるのだけど、ここで多くの人が詰まります。
そして「エゴ」というのは本来、
思考・感情・記憶のまとまりを 「自分そのもの」だと思い込んでいる状態 のことです。
つまり、
・頭の中の声
・勝手に湧く不安
・勝手に湧く願望
・過去のストーリー
これら全部を
「私が考えている」「私の意見だ」と錯覚する構造=エゴということ。
いまあなたがつまずいている理由。
あなたの今の段階は、まさにこれです。
「思考に気づこうとしてる″私″も思考じゃね?」
ここに触れ始めると、
・頭が締めつけられる
・違和感
・探求(答えを探す)エネルギーが暴走する
・頭が詰まる感じ
・正しいか不安になる
これは全部プロセスとして正常です。
思考とエゴの正体がバレはじめたときに起こる典型的な反応だから。
じゃあ「意味あるの?」の答え
結論→意味はあります。
ただし、「努力して気づこうとする」のには限界がある。この練習の本質は、こういう流れです。
思考に気づく
↓
気づこうとする「私」に気づく
↓
あれ?気づきって、思考より先に「ただ在る」側だった・・
↓
「私は気づきそのものだった」
これは「理解」というより、
内側の構造が切り替わるプロセス です。
あなたはいま、その境目にいるかもしれない。
だから頭がキュッとしたり違和感が出るのは、
むしろ進んでいる証拠なんです。
もっと単純に言うと、
思考が出る
↓
気づこうとする
↓
気づこうとしてる「″私″」も「″思考″」だと気づく
↓
気づきだけが残る
こういう段階の途中。
ここでは脳が混乱するのは当たり前。
本当の私、本当のあなたは何か?
意識=存在=気づきそのもの。
その意識の中で、
・気づこうとする私
・焦り
・不安
・違和感
・探求欲
・感情全部
これらが勝手に生まれては消えていきます。
あなたは常にある不動の存在であり、
これらはただの一時的な現れ・動き。
波がどんな形でも、海そのものは変わりません。
これが腹に落ち始めると、
詰まりが少しずつ溶けていきます。
なぜなら、あなたは一度も詰まったことなくただ在り続けている存在だからです。
実践のコツ(ここが一番大事)
「気づこうとしない」こと。
気づきって、本来 「努力」ではありません。
努力して作るものではなく、
もともと「自然にある背景」
なぜなら、
意識=あなたは、非努力性で在り続けているものだからです。
だから今は、「気づこうとしている私」に気づいたら、そのまま放置でOK。
そこから先は、自動で進みます。
364
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 01:12:48 ID:FDP/5Drw0
>>362
まどマギ御存知で良かったです、有難う御座います。
本日の気付きで、大きな私の意識の時は、体からはみ出ているような気がするのですが
エゴ思考が働いた瞬間、ヒュッと小さくなり体内に収まった感じがしました。
大きなもの、自然や世界と融合したいような寂しさ・切なさが湧きました。
意識が拡大している為か?フライパンで冷食の唐揚げやナゲットを炒めていた時
一瞬だけミニチュアを炒めているような気分になりました。
365
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 10:26:41 ID:v3ZU.Az20
>>363
360です。「思考」とそれに対する「気づいたという思考」がある
更に思考と気付いたという思考両方に気づいてる「 」がある らしい
でもう思考の限界にきてますね。もうここまで来たら思考で出来ることはなく
りょうせいさんの言ってるような構造の切り替わりとか自動の行きつく先が起きるまで
肉体的な私に出来ることはないって感じですかね
私は最初に頭が便秘みたいと例えましたが、もう思考で「出ろ〜出ろ〜スッキリしてくれー」
ってやるんじゃなくてもう実際出るのを待つしかないみたいな
とりあえず今の段階ではこれでいいのだと思えたので少し楽になりましたありがとうございました
366
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 14:36:13 ID:Ne8LN0nI0
>>364
私も、数え切れないほどの作品に導かれてきました。大きな私の「大きさ」というのは、いってみれば無限の大きさであり、同時に 無限・小/大さえも超えています。
さまざまな現れを通して、世界=心は
・付着物を落とすための浄化のシャワー
・進む方向を示す導き
このふたつで満ちています。
つまり、教師も反面教師も、すべて「教師」という形をとったガイドです。
実は、とても楽な構造なんですよね。ありがたや、です。
>大きなもの、自然や世界と融合したいような寂しさ・切なさが湧きました。
はい。
エゴにとって「霊性プロセスが進む」というのは、たいてい 悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し) を交互に通る道になります。
この往復を通して、
「自ら聖なるものに飛び込んでいく勇気」
「愛そのものを求めてしまう切望」
が育っていきます。
望まなければ、ずっと同じところで同じ夢をぐるぐる見続けることもできます。
なのに時々、はからずとも「愛や真理」そのようなものを求めてしまう。
個にとってそれは溶解なのにもかかわらず。
あらゆる思い込みが消えてしまうのにもかかわらず。
この摩訶不思議は、確かに起こってしまうのです。ただ、その不思議なモチベーションは「存在・愛・至福」ただ、そのものに還るためです。そこが実家だから。
>一瞬だけミニチュアを炒めているような気分になりました。
はい、その感触もまた象徴的です。
そんな気分が起きた「あなた」を、
真のあなた(大きな私)が、
愛と恩寵の調味料を振りかけながら炒めているんです。笑 これが、必要なことが必要な瞬間に起きてしまう、この世界の構造です。
367
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 14:38:55 ID:Ne8LN0nI0
>>365
360さんのおっしゃってる、
思考→ それに気づいたという思考→ さらに両方に気づいてる 「何か」
この観察の仕方は、方向としてまったく合ってます。ただここでよく起きるのが、
「思考の限界っぽいし、じゃあ私はもう何もできないのか?」という混乱。
ここが大事なところで、
ここを誤解すると探求って本当に何年も何十年も停滞・止まってしまいます。
「あなたにできることは何もない」問題について。
よく引用される言葉で、
・あなたには何もできない
・求めるほど遠ざかる
この2つがあるけど、これは真逆に誤解されやすい言葉です。
結論から言うと、
その言葉は 「行為者としての私だけ」を見た時には正しい。でも「探求全体」で見れば、まったく不十分。
ほんとはこういう意味です。
・行為者の視点では「する」がある
・存在の視点では「起こる」だけがある
この2つは同時に成り立っています。
行為者としてのあなたは、
・調べる
・読む
・観察する
・試す
・探求する
・向き合う など
こういう 「やる側のエネルギー」を投じる必要がある。
だけど、もっと深い視点から見ると、
・思考が出る
・気づきが起こる
・疑問が湧く
・理解が深まる
・脱力が起きる
・切り替わりが起きる など
これら全部は 「起きてしまう」側の現象。
呼吸が勝手に起きてるように。
そして、あなたの中の
「私が呼吸している」という感覚さえも
ただの起きている動きにすぎない。
これが正しい意味での
「あなたにできることは何もない」です。
これは「無力」という意味じゃなくて、
あなたの中のすべては、生き物みたいに勝手に動いている。という意味です。
そして、もうひとつの誤解されがちな言葉。
「求めれば遠ざかる」
この言葉が探求を一番台無しにします。
ほんとはこうです。
「浅い欲求ほど遠ざかるけど、深い求めは必ず叶う」
古くから伝わる教えは全部ここをハッキリ言っています。これは特定の思想じゃなく、あらゆる教えが共通して示し続けているものです。
→「信じる者は救われる」
→「求めよ、そうでなければ与えられない」
→「水中で空気を求めるほど求めよ」
→「探し続けよ、探す者だけが見つける」
→「魂は、それを切望する者にのみ自らを明かす」
→「求め尽くした果てに、求めるものが消える」
これは探求でも願望実現でも同じ。
「表面的な焦り」が求めても遠ざかるけど、
「深い本心の求め」は必ず引き寄せる。
あなたの感じてる「便秘みたいな詰まり」も、
実はその切り替わりの入口で起きる典型的な現象です。
>「もう思考で出そうとするんじゃなくて、出るのを待つしかない気がします」
これ、いい線いってます。
ただし「何もしないで待つ」ではなくて、
必要な時は必ず必要な行動を取るようになっています。
その行動もまた 「起きる」側だから。
いまあなたは緊張がふっと抜けていく方向に向かっている。
その「少し楽になった」という感覚が、それ自体プロセスの一部です。
そして、その後でまた自然に 「取り組むこと」が起きる。
探求って、いわば蛇が自分の尻尾を飲み込んでいくみたいなものです。
どこかで勝手にループが閉じて、輪そのものが静かに消える。
そこまでは、
・緊張
・脱力
・疑問
・安堵
これが波みたいに行ったり来たりする。
それらを繰り返しながら上へ上へ登っていくのです。
全部そのままで大丈夫。
あなたはちゃんと上昇の流れの中にいますから。
368
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 16:23:20 ID:v3ZU.Az20
>>367
度々ありがとうございます。実は前に悟り系の本や動画に触れた時にも
「できること無いじゃん、そもそもすることに意味あるのか?(だってこの私じゃなんも出来んのでしょ)」
と一回投げちゃったんですよね。何をどうしても思考の域を出れないしもうわけ解らんからいいわみたいな。
その期間からカウントしたらまさに何年も停滞してます(笑)
でも最近リアルで色んなことがあったのとこの板やこのスレの影響もあって真理への興味が再熱しました。
これは起きてることかもしれませんが、素直に求めたり取り組んだり便秘頭でいきんで良かったなら安心です
369
:
り改め りょうせい
:2025/11/20(木) 19:08:11 ID:lkgau8Ng0
>>368
それは良かったです。
エゴではない、本当のあなたの立場というのは、本来「私はそれである」「私は存在である」という、とてもシンプルな在り方です。そこでは安心が当たり前すぎて、「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」という立場です。
なのに、不思議なことに
「エゴ(個)が私なんだよ?」
「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。
だからこそ「真理探求」という言葉が生まれたわけです。だから本来の「それである私」から見ると、
「真理?探求?なんのこと?
私はただ在るだけだけど・・」
くらいの感じです。笑
でも、エゴ側がふたたび素直に、本当の私を「求めたい」「取り組みたい」「思い出したい」と感じたのは、むしろとても良い流れです。苦しみながらやるより、少しでも楽しめたほうが早いし、なにより心が軽くなる。
探求って本来そんなに怖いものじゃないです。
だから落ち着いたり、じんわりワクワクしたりしながら理解が深まっていくものなので、
そのペースのままで大丈夫。起きることをそのまま起こらせてみてくださいね。
370
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 20:35:21 ID:2PoGgBY60
>>369
>「安心?不安?なんのこっちゃ。私は″ただ在る″」
>「真理?探求?なんのこと?私はただ在るだけだけど・・」くらいの感じです。笑
ほんと、そーなんですよねー。笑
「一体今まで何やってたんだろ?ハハハ」みたいに力が抜けてニヤニヤしてたの、思い出しました。
このコメント読んで、思い出して、今ニヤニヤしてます。笑
思い出すだけでも、いいもんですね。
371
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 22:34:40 ID:rBLNDXa.0
>>369
横から失礼します
>なのに、不思議なことに
>「エゴ(個)が私なんだよ?」
>「あなたはこの物語の主人公なんだよ?」
>という「世界的催眠ストーリー」が起こってしまった。
そうは言っても、そのストーリーの中で足をぶつけたら痛い、痛すぎます
372
:
幸せな名無しさん
:2025/11/20(木) 23:07:10 ID:FDP/5Drw0
>>366
いつも有難う御座います。
>エゴにとって「霊性プロセスが進む」
↑霊性プロセスという言葉を見てハッとしました。私はこういう話題を
誰かとやり取りするのは初めてでよく解っていなかったのですが
この話題の場合、不特定多数の見る場所で個人の深い話をする事は
身バレ以上に色々とマズイ事だったのではないかと…。
気付かせて下さり、有難う御座います。
大きな私は本当に大きいですね。イメージの中ではそこまででもないですが
これ位?と思うと、もっと大きいよ!となり、大きすぎて把握出来ない宇宙より大きいかも。
そういえば、アルティメットまどかも大きかったですね、漫画の封神演義の妲己ちゃんの最後も。
谷川俊太郎さんの「なんでも(+4文字)」の詩も、この気持ちの事かなと思いました。
>おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
>おれのからだ おれの気持ち 溶けてなくなっちゃいそうだよ
>でもこれじゃまるで〇んだみたいだなあ
↑個の私として読んだ時は???でしたが
大きな私を想いながら読むと共感しかありませんでした。
(妲己とかこの詩とかご存知なかったら御免なさい、スルーして下さい)
>個にとってそれは溶解なのにもかかわらず。
↑溶けたいと思います時々。ふと思ったのですが、このタイプの探求をしている時って
自分を守るバリアみたいなものが薄くなりますか?ここに書き込み始めて
快眠快食快便の話のところ辺りで2日続けて頭痛が起き、2日目の頭痛の時に
脳内で「お返しします!」と一度強く唱えたらスッと消えたので
もしかして…何か飛んできていた…?と思いました。
あと快眠快食快便の状態も崩れてしまいました。睡眠サイクルが変。
食事は以前より少量でも満足出来る様になりました。
そして、頭の中が探求ばかりに偏るのも良くないのかもと思いました。
なんかこう…干からびてしまいそうで。
今日は普通に外食と買い物を楽しんできました。うん普通。笑
普通にアニメ視聴も楽しみたいと思います。
そういえば「ぼのぼの」も時々、真理っぽい話がありますよね。
(ご存じなかったら御免なさい)
友人の1人がぼのぼの好きだったり、雑草をかわいいと思える優しい人だったりするので
こっち方向の話も大丈夫かな?と思い、軽く話題を振ろうと思っても
必ず、本当に必ずすぐ曇った表情になるので、あっマズイと思って話をそらしていました。
人を選ぶ話題なんですね…。
わたし探求の話題において初心者すぎて
書いていい部分とそうでない部分の区別がつきません。
なのでマズイ話題に触れている感じでしたらスルーお願い致します。
そういえば大きな私が「過去の」小さな私を癒す作業については
なんだか飽きてしまいました…。出てきた時に癒せばいいかなって思いました。
「今」は、いくらでもたっぷり癒されたいなと思いました。
(没入し過ぎず現実生活をしながら程々に、二人三脚程度のイメージで)
>悲しみ(=浄化) と 慈しみ(=癒し・許し)
だから寂しい感じがしたり、なんだか(個が)干からびそうになったり感じるのですね。
いつもありがとうございます!
373
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 00:59:34 ID:8m3CrWoE0
372です。そういえば霊性プロセスって何だろう?と思い検索してみた所
こんなポストを見付けました。
ttps://x.com/kaori_garden/status/1989645549650206850
>自己否定、劣等感、恐怖心が一気に噴出し、魂は押し潰されそうになる。
>それでもなお、逃げず・誤魔化さず・すり替えず、自分の愚かさと現実から目を逸らさずに向き合う。
>この姿勢こそが、霊性の扉を押し開く第一歩となる。
↑自分はアレコレ書き込んでしまったこれに相当するものに対して
かなり長期間向き合い続けてしまいました。気付かない間に扉が開きかけていたのかもですね。
飽きたとか言わずに自己癒しを無理なく続けたいと思いました。
374
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 01:18:08 ID:1zzzkaD60
お言葉に甘えて余談・雑談
大嶋信頼さんのことを書かれている方がいらっしゃいました。大嶋さんの本を読んで「お師匠さん」に憧れました。
「凪」は思考停止した、エックハルト・トールのアイデンティティシフト、静かな認識の変更した世界。その境地から生きるのが「無意識さん」の世界だと思いました。ついでにアニメネタでいうとドラゴンボール、悟空の身勝手の極意のようなものかなと。
375
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 02:52:55 ID:8m3CrWoE0
>>374
こんにちは!大嶋信頼さんの事を書いたのは私です。
大嶋さんのお名前を見つけて、つい反応しちゃいました。笑
お師匠さん素敵ですよね、ガッハッハ!笑 私は催眠ガールを読んで(夏目ちゃん大好き!)
こんなお師匠さん(大嶋さんのお師匠さんがモデルですよね)のスクリプトを間近で聞けたり
励ましてもらえたりする夏目ちゃん、いいなぁ〜!と思っていました。(未読でしたらスミマセン)
認識の変更ができるとお師匠さんみたいになれるのかな?とも思いました。憧れますよね!
ドラゴンボールは知っている所と知らない所があるので「身勝手の極意」の記事を検索してみました。
すごいですねこの技!無意識さんパワー全開だと思いました。そして悟空だからこそ使える技な気がしました。
超の主題歌の一部分「 退屈は石になる 重くて落ちちゃう前に」の所
実践で退屈感にやられて敗北しがちなので、ああ〜と思いながら聞いてました。笑
376
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 11:44:44 ID:bZ4tv5uY0
>>356
返信、ありがとうございます!!
是非書き込んでくださいと言っていただけホッとしました。
他の人への回答も含めて、やっぱりとても興味深く読ませていただいています。
りょうへいさんの回答を咀嚼しつつ、何か分かったような事を言いたかったのですが笑
分かるような、分からないような、分かりたいと思う事が違うというような、不思議な感じです。
生きてるって不思議です!訳分かんない!!
ただ、勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。
最近は、自分よりも大切なものなんて何もないんじゃないかという思考が出てきています。
ただの自分ではダメだから、何かを付け足さなきゃ!と思っていたけど、そんな事ないのかも?と。
まあ行ったり来たりなのですが。
AIと人間の違いというか、アイデンティティとは?みたいな思考も出てきて、色々興味深く考えています。
お話楽しかったです!ありがとうございました!
377
:
幸せな名無しさん
:2025/11/21(金) 11:47:40 ID:bZ4tv5uY0
>>376
りょうせいさんでした!間違えました!ごめんなさい!!
378
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:45:44 ID:7vU1r8f60
>>370
はい、笑
思い出すことを何度もくり返すとやがて、催眠が溶け、私の伝えているそれのリアリティが深まってきます。
※ここからは「思考観察を続けて混乱・停滞・ループに入った人向け」です。祈り・癒し・明け渡し型の方は読み飛ばしてOK
探求者が「エゴを何とかしよう」とすると迷いやすい理由があります。
それは、エゴが「自分を対象物として扱いはじめる」からです。
1.自分を観察対象として切り離す
2.原因を外側に探す
3.自分自身を直そうとして追いまわす
この循環が始まると、迷路に迷い込んだように混乱が強くなります。
ここで、シンプルで短いたとえ話
タイトル《世界会議》
世界中の偉い人が集まり、「エゴの正体を暴け!エゴを捕まえろ!」と真剣な捜査会議をしています。
スクリーンにはエゴの写真がドーン。
しかしその″エゴ本人″、なぜか会議室の最前列に普通に座ってるんです。笑
名札には「私」
真剣にメモしながら手を挙げて、
「すみません!そのエゴ捕獲のヒントについて質問があります!」
しかし、誰もその矛盾を指摘せず完全スルー。
・・いや、そのエゴってあなた本人だよ、というオチ。笑
この話が示すのは、エゴは「自分で自分を追いかける構造」になっているということです。
そしてエゴの本質は、
実体がないのに、追われるフリをしている存在
です。
探している「エゴ」は、
・思考
・感情
・記憶
・反応パターン
ただの寄せ集めで「私っぽく見えているだけ」です。だから本物のエゴは永遠に見つかりません。
そしてある時、起こります。
その「見つからなさ」に気づいた瞬間、
「え、全部この私の中の動きだったの?」
「エゴをどうにかしようとしてた″この私″がエゴだったの!?笑」
という、脱力・笑い・解放が自然と起き得ます。探求のある段階で体験する「ふっと力が抜ける」あの脱力感覚の正体はこういうわけなんです。
379
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:51:36 ID:7vU1r8f60
>>371
ほんとにその通りです。
痛みは、物語の中で「個としての私」が確かに体験します。このスレで話している内容は、
その痛みを否定したり、「痛みは錯覚だから気にするな」みたいな乱暴な話ではありません。
そして、これはすごく大事なポイントですが、
真理探求は「痛みを無かったことにする道」でも、「痛みに動じない鋼のメンタルを作る道」でもありません。むしろ逆です。
痛みを感じられるということは、
個としての私がちゃんと物語を生きている証拠でもあります。
そして、実はここに
大いなる存在と個の私の最大のラブストーリー
が隠れています。
エゴ(個の私)は、痛みも喜びも混ざった「人生そのもの」を体験している存在。
大いなる存在(真のあなた)は、
そのすべてを包み込んでいる側。
やがてエゴは自然と気づきます。
「私はずっと一人で痛みと戦っていたわけじゃないんだ」と。
その瞬間から、エゴは大いなる存在に少しずつ寄りかかり、やがて抱擁されるように静まり、溶けていく。
痛みがあるからこそ、
その「溶けていくプロセス」の温かさや深さが生まれるんです。(これは言語化するととても陳腐になりますが。)
痛みそのものが悪でも、間違いでもなくて、
そこで起きている一つ一つの体験を通じて、
大いなる存在とエゴが再び出会う道ができている。
だから、痛みを無視する必要はまったくないです。痛かったら「痛い」でいいんです。
痛みは物語の一部であって、
あなたの本質を傷つけることはできません。
そして、強い痛みや苦しみが起きたとき、
個としての私たちにできることは、
ただ静かに、
「どうかその痛みが少しでも和らぎますように」そんなふうに祈り、願うことぐらいです。
その祈りも願いも、また「存在」の優しさの現れなんだと思います。
380
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 17:55:14 ID:7vU1r8f60
>>372
こちらこそ。いつも丁寧に読んでくださってありがとうございます。
まずひとつだけ、とても大事なことを先にお伝えさせてください。
ここで扱っている内容は、
エゴの防衛エネルギーにとって かなり揺さぶりが強い領域 です。
あなたもおっしゃってるとおり、
たくさんの情報が一気に入りすぎている時期は、ここに書く量を増やすよりもまず、
「休む・静まる・静寂に触れる」時間。
つまり日常的な喜びを優先してあげてください。
「読む→考える→書く」だけを続けすぎると、
心が外側に開きっぱなしになり、
感受性の高い方ほど疲れが出やすく、
想念があちらこちらに暴走することがあります。これでは本末転倒になってしまいます。
私がお伝えしている実践は、日常生活の中に、概念を超えた静寂と平和がゆっくり浸透していく方向のものです。
必要なときに静かに触れてもらえれば十分です。
どうか無理のないペースで、日常生活と心身の健やかさを第一にされてくださいね♪
381
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 18:00:25 ID:7vU1r8f60
>>374
雑談どうぞどうぞ♪
382
:
り改め りょうせい
:2025/11/22(土) 18:06:03 ID:7vU1r8f60
>>376
→まさに。その「訳わかんない感じ」が大事なんです。探求って、「個としての私」が頭で理解するというより、触れているうちに、勝手に直接理解(=腑の底での納得)が起きてしまう領域なんですよ。
直接理解がほんの少しでも起きると、
個の私からするとこうなります。
「え?なんか分かった気がするけど全然わからん!」
「なんか変・・でも悪くない・・不思議!!」
この、わからんけど何かが反応してる感じはかなり良いサインです。
水面下では確実にプロセスが浸透しています。ゆっくりで大丈夫。アスファルトを突き破る芽のようにゆっくりでOK
>勇敢だと言っていただけたことがなぜか私の心に刺さりました。本当に私は何も出来ないな〜と落ち込んでいたので。
→これは気休めでもお世辞でもなく、本当にそうなんです。
もしあなたが友達とRPGゲームを一緒に始めて、相手がいきなり「ハードモード」を選んだらどう思いますか?
「いやあなた・・勇気あるなぁ。大丈夫か?笑」って思うはずです。
そして、ハードモードって確かに敵も強いけど、そのぶん経験値もデカいし、展開も深いんです。あなたが今体験していることもまさにそれです。
何もできてないのではなく、ハードモードで歩いてるから体感が強いだけです。
だから、起きること・人生の流れを「悪者扱い」にする必要は一切なくて、むしろ 飛躍と理解のチャンスが濃縮された道 なんですね。
焦らず、ゆっくり、今のリズムのままで大丈夫ですよ。グッドラック!
383
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 13:26:48 ID:Tjnwg6io0
>>375
大嶋信頼さんの本は20冊くらい読んだことがあります。『催眠ガール』も2冊とも読みました。一番のお気に入りは『無意識さんの力で無敵に生きる』ですね。
384
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 13:37:40 ID:gRYPzmxs0
>>378
370です。
他の方の質問が途切れてるようなので、お聞きします。
純粋意識の気づきがずっと続いてた時に、短時間ながらシフトが起こってます。
一旦世界が消えたあと、世界が再出現した時に意識としての私がありました。
意識としての私は、心の動きを眺めるだけでそれに影響されることなく幸福でした。
はっきり覚えていませんが1分間くらいかな?多分立ち上がって体を動かすうちにエゴに戻ったように思います。
あのようなシフトは自助努力では無理で、気づきの継続がなされた時のどこかのタイミングで起こるんだと思います。
エゴに戻らず安定して意識に留まるようになるには、何度も行ったり来たり繰り返すんでしょうか?
385
:
り改め りょうせい
:2025/11/23(日) 15:49:04 ID:DwQ1vmLc0
>>384
素晴らしい体験です。
たとえば蜘蛛がいるとして(苦手だったらすみません)、
蜘蛛本体を「意識としての私」としましょう。
蜘蛛は糸を出します。その糸が「心」です。
糸の動きが、想念・思考・概念・観念・信念といった心のあらゆる動きです。
そして糸がどんな形になるか、それが潜在意識の中身であり、「世界・世界観」として表現されます。
蜘蛛本体に糸がシュルシュルと巻き戻り、完全に本体だけになったら世界は消えます。
世界観も消えます。
あなたのように直接体験するのが一番話が早いのですが、その状態を言葉で表すなら「私は在る」「・」のようなニュアンスになるでしょう。
ただし、思考よりもさらに微細な認識(気づき)という糸があります。
これは糸の出入口付近の繊細な層です。
そのため「意識─気づき(認識)─存在(在る感覚)」という三位が、ひとつの性質として重なっています。
>意識としての私は、心の動きを眺めるだけで影響されず幸福でした。
→はい、それが存在・意識・気づき・至福・愛・平和などと呼ばれる「それ」の平和・愛・至福の側面です。
影響されないとは、すべてを包み、許し、あるがままにさせている「母体としての立場」にいたということです。
>多分1分くらい。体を動かすうちにエゴに戻ったと思います。行ったり来たりを繰り返しますか?
→結論から言えば 行ったり来たりは普通です。
入口までは努力が起きますが、「努力者の私 → 意識そのものの私」への転換の瞬間はただ起きる非努力・非行為です。
だから恩寵・祝福と呼ばれています。
そして実は、誰でも日常で1〜2秒なら普通に「在る状態」になっています。
静かにボーッとしている時などね。
その自覚がなく、覚えていないだけです。
あなたの場合はそれを自覚的に体験した。それが「私は在る」という立場です。
あなたの1分間は、とても貴重な1分間でした。
「意識そのものの私として在る」これが安定するまで、どれだけ時間をかけようとも、何度も何度もそれ自身から呼ばれることになります。
ここから自然に安定していく方向へプロセスが進んでいきます。参考までに、禅の十牛図(悟りのプロセス)に当てはめると、
・牛を探す
・牛の足跡を見つける
・牛を見る(見性)
このあたりまでは来ています。
ここから先は、行ったり来たりしながら、
やがて「牛を飼いならす段階」へ自然に移行していきます。その過程では、あたかも
意識としての私と、エゴとしての私が
主導権を交替しながら前に出たり下がったりするように感じることがあるかもしれません。
でもこれは争いではありません。
古い私の慣性がふっと顔を出したり、
意識そのものの視座が再び前に出てきたりする、ただの自然な揺れです。
プロセスが進行している時ほど、この揺れが起きます。これは浄化です。
何も間違っていません。むしろ今の流れ良いものです。
ぜひ「私は在る」として在る時間を、
一日のうち1分でも5分でもいいので、日常の中で増やしていってください。それが、もっとも直接的な道です。
386
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 21:36:04 ID:ubWIwmfE0
>>385
蜘蛛は大丈夫です。家の中も外も普通にいっぱいいて、自然好き生き物好きの私は、特に屋内のアシダカグモなんか大切な同居人扱いで見守ってます。笑
世界が消えてる間は、ボーッとする瞬間と同じ感じでしたね。熟睡中と同じで世界が消えてることを知りませんでした。
そこにポンと認識が生じ、心と世界を眺める「意識としての私」を把握した。あの「認識」がある状態、あれが一時的だった訳、あなたの説明と十牛図は参考になります。
ただ十牛図については、その後の更に先のプロセスはアドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思えるし、私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。
まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。
大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。
ありがとうございました。
387
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 21:48:13 ID:5srUCq8I0
専業主婦になりたい
なりたいが叶ってる?
388
:
幸せな名無しさん
:2025/11/23(日) 22:07:06 ID:u8u1zSvU0
主さんは、寝ている時に見る夢、あれをどのような位置付けで捉えていますか?意識ありきで存在する世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。
自分は比較的エゴが静かな時に、ふいに夢で見た景色を次々に思い出すことがあります。
このような分野を知り、体感に落とし始めてから、明晰夢を見る機会も増えました。
夢について、よろしければ見解をお聞かせください。
389
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 00:45:32 ID:UfUQ97Lg0
>>386
>蜘蛛は大丈夫です
→それは良かった。意識そのものへ移行していくと、好き嫌いとは別の次元で、自然に共通項が成立してくるんですよね。お互いが「存在」という名前の同じところから生まれているから。笑
>世界が消えている間は
→はい。私がしつこくお伝えしたいニュアンスは、「意識そのものの私/気づきそのものの私/存在そのものの私 」は「一度垣間見たら終わり」ではなく、そこから 深まり・深度・徹底 という 大切なプロセスの仕事が始まるということです。大げさに言うなら、ここからが本格的な内なる冒険の本番です。
古来から純粋意識についてはこう言われています。「それを一度見たら終わりではない。何度も会いに行かなくてはならない」
なぜか?
一度や二度の接触では、エゴは納得しないからです。
「私は個であり、身体である」という感覚は、あまりにも根深い。エゴは幻影をつくる、超プロフェッショナルな魔術師です。
車の運転、自転車、仕事、スポーツのように、
意識へのアイデンティティ移行の道にも、
それらよりはるかに長く深く、ゆっくり安定していくプロセスがあります。
くどいけど重要なので、何度でも言います。笑
>ただ十牛図については
>アドヴァイタによる解釈とは異なる点があるように思える
>私に与えられている指針とどのように合致するのか分からず疑問が生じます。
→まさかそこを指摘されるとは思わなかった。笑 あなた、いろいろ学んでますね。笑
確かに、十牛図は「悟り」のプロセス です。
個人が悟り、悟りの境地を深めていくための地図です。
そして私がここで伝えているのも、
純粋意識を知る、そこにとどまる、それを深める。この「純粋意識」という存在を、
まずは集合意識に、世界に、種として、植えている段階です。
なぜそこから始めるのか?
純粋意識こそ、すべての鍵だから です。
「まず悟ってもらう」
体験者が残っていてもいいから、その入口を開く。これが逃げても、断っても、しつこく私の中に起きている意図です。
アドヴァイタの道筋で言えば、
悟り → 全体意識 → すべてを超えていく。
つまり、「私は悟った」というアイデンティティすら超えていく方向です。
それが非二元・超越・絶対、有/無すら超えた領域です。
ここでは当然、その最深部の話は控えています。この話が必要なのは、「私は在る」に安定した者に対してだけです。
禅でも、純粋意識を超える領域を語る人物はごく限られています。(でも、あるっちゃあります)聖書でも「エゴ・身体の死と、最後の復活」とかなり象徴的に控えめに表現されています。
つまり、普通は 見性(小悟)だけでも超絶難しい、一瞥体験すら極めて難しいという、今はそういう時代です。(もちろん一部で例外は起こり得ます)エゴ、概念や想念との同一化、催眠の強さは宇宙の歴史を見れば分かる通り、圧倒的です。
そのため、アドヴァイタでもまずは、
「純粋意識を、″私″として思い出すところから」伝えられています。ここが主流です。
>まあ良く分からないので先のことは気にせず「意識としての私」を直接体験し続けることを目下のテーマとして歩んでいこうと思います。
→そう、それが一番です。
意識に安定することが、本当に大切。
シンプルだけど、非常に奥深く、そして最重要テーマです。
あなたは純粋意識と「たまに会う恋人」ではなく、10分のデートではなく、完全に結婚して、深く結ばれる、一つになる。
その準備段階として10分間の恩寵・祝福が起きたというお知らせです。笑
>大して重要な質問ではないと思ってましたが、訊いてよかったです。ありがとうございました。
→そういうプロセスの方、本人は意外と無自覚なものですが、・・これがどれほど重要なのか。(板のテーマと大きくずれてスレ削除されそうだけど。笑)
何かしらお役に立てたなら幸いです。
またいつでもどうぞ。
390
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 00:51:33 ID:zgiG0TDI0
>>388
横から失礼します
私自身が夜眠くなって寝る過程を観察したところでは、思考が映像化したものが夢だという認識です。
夜、寝る瞬間を捉えようと観察を繰り返しているときのこと。ウトウトして眠くなってきたときに、足元の方で声がしてうるさくて眠れないではないかと思って、意識を向けると自分の声、自分の思考だと気づきます。すると、それは意識の中心に移動してきたかと思うと一体化してしまい拡大し映像化して夢見が始まりました。
昼間に瞑想をしているときに雑念が湧いてきますが、雑念にとらわれて一体化してしまったときに映像化して妄想状態(夢を見ている状態と同じだと感じました)になってしまったことがありました。
391
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:35:44 ID:UfUQ97Lg0
>>387
願いが叶うかどうかを決めるのは、あなたが追いかける気持ちではなく、その願いが静かに育つ流れがあるかどうかだけです。
その流れがあるときは、抵抗しても逃げても、結局そちらへ運ばれます。
そして、願いの前後に必ずある
「静かに気づいている私」だけは、
叶う・叶わないに関わらずいつも変わりません。そこに一度戻ってから願いを見ると、
自然と今やることも見えてきますよ。
392
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:39:26 ID:UfUQ97Lg0
>>388
質問ありがとうございます。
>寝ている時の夢をどのように捉えていますか?
→私の立場を率直に言うなら、
夢は一度も起きていない、という位置づけです。
「夢って何?」というより、
「動きとは何かが知られていない」
という方が本質に近いです。
これが真の私であり、真のあなたの立場です。
ただ、これだけでは会話が成立しませんので、
ここからは 個としての視点から夢とは何か?の説明に切り替えます。
>意識ありきの世界という見方では、夢も現実も似たようなものなのでしょうか。
→まったくその通りです。
夢とは、想念、潜在意識、微細な心の動き
これらがそのまま 高速で映像化されたもの です。目覚め後の「現実」も同じ構造ですが、
夢より法則性・継続性を濃く設定してあるだけ で、本質的には、別物ではありません。
夢=短編映画(高速編集)
現実=長編映画(ゆっく〜り展開)
のような感じです。
しかし、どちらの映像も
同じ光=意識が映しているだけです。
映画の尺と演出が違うだけで、
映している光(意識)はまったく同じです。
なので、本当のところは、光だけが実在で
「夢/現実」はただ想念を通して映っている映画にすぎません。
>体感に落ち始めてから明晰夢が増えました。
→はい、それは自然な流れです。
気づきが深まると、夢の中でも「気づいている側」が働きやすくなります。
その結果、明晰夢が増えたり、夢の中でも観照が起きる、「変わらないで気づいている側」が、夢の中に巻き込まれながらも、同時にそれが顔を出す。これらすべてが気づきには深度があるという証拠なんです。
気づきは 「筋力」に似ています。
深まれば深まるほど、夢でも現実でも、
「変わらない側」の自覚が自然に強まり、少しずつ安定していきます。ぜひ、さらにあなたの体感を深めていってください。
393
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 01:51:57 ID:UfUQ97Lg0
>>390
大変参考になる、貴重な気づきのシェアありがとうございます。
おっしゃる通りで、思考 → 振動→ そのまま映像化、この流れが夢そのものの正体ですね。
眠気に飲み込まれる瞬間や、
瞑想中に雑念と一体化した瞬間に起きる「映像化」は、まさに心が夢の生成に切り替わる手前の動きです。
その境界をこうして自覚できるのは重要で、
この領域の観察はそのまま「気づき」の深まりと直結しています。
夢と目覚めの境界には、
真理のヒントが本当に多く詰まっていますね。
394
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 02:23:30 ID:DzLCyQ.o0
夢についてのお話は、私もお聞きしてみたいです。昔はよく予知夢を見ていました。
点数を集めると賞品が貰える当たり付きのお菓子が有ったのですが、いつもハズレばかりでした。
ある遠足の時もそのお菓子を持って行こうと用意していたのですが、遠足の前夜に当たり券の夢を見ました。
そして翌日、開封したら初めての当たり1点券、夢で見た物と同じ色・同じ絵・同じデザインで驚きました。
当時はインターネットも無かったし、周りで同じ点数券を集めている人も居なかったし
ハズレしか引いた事のない自分は絶対に知る事のない当たり券がなぜ夢に出現したのか。
ここまではっきりとした予知夢は稀ですが、自分の未来に起こる事を先に夢で見ていた事は何度も有ります。
嬉しいけど少し怖いので「良くない未来の予知夢は見せないで」とお願いしていて
そのお願いは聞いてもらっている感じです。予知夢とは一体何なのでしょうか?
395
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 11:57:35 ID:nGBwHiEo0
>>389
真理に向かう流れに乗ると大小いろいろ繋がりますよね。
中には「え?すごっ、なんか縁ある?」「なんだ何も意味なかったじゃん」なんてこともありますが。笑
結局夢なんでしょうね。意味に囚われるなという教え。笑
>>386
は、384の体験の軽視ではなくて、質問することにそれほど意味を感じてませんでした。
あの体験は結構前のことで1回きり、エゴが暴れた期間が長くて時間を無駄にした感があり、純粋意識に安定するのに何度も行ったり来たりしないとだめなら時間が足りないかなあ、こんなノリで質問しました。
回答もらって、やっぱり先は長いなあと少しため息ついて、焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。
板違いの話題で躊躇しつつも進めます。
十牛図はあくまで悟りの段階なんですね。
霊的天才を多く輩出するインドは、本来語れない領域まで敢えて言葉にしてきた。
そんな雰囲気に浸ってきた私は、超越を超越したものを想像してしまう癖があるのか?
無意識に有りもしないものを捉えようと、無駄に足掻いてるかもしれない。
でも、語られないはずの言葉に触れたからこそ畏怖の念を持ったり、「それ」を想うことが起こったのかもしれない。
悟ったとされている方が主催する1週間ほどの坐禅会に参加した時は、今ひとつしっくりきませんでした。
私のグルは、やはり良い意味で超越的です。一体どこに導こうとしてるのか、ほんと分かりませんけど縁があります。
396
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 15:46:04 ID:zgiG0TDI0
>>393
コメントありがとうございます。
寝る瞬間や夢見が始まる瞬間を捉えようとしていたころのことで、もう一つ思い出したことがありましたので、書いてみます。
夜、眠くなって寝る際に、まず身体が眠りました。次に自分が眠くなって眠りました。眠り始めました。でも、起きている誰かがいました。?と思いましたが、そのまま寝ました。
朝目覚めるとき、起きないといけない時間になって、一晩中起きていた誰かがいて、自分を起こしました。次に身体が起きました。
このころしばらく、24時間、起きている存在を感じている時期があり、その起きている存在と一体化してみようとしたところ、一体化できていた期間があり、そのときには夢を見ることがなくなっていたように思います。
397
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:06:15 ID:fhFt3uFE0
>>394
なるほど、その予知夢の話は普通におもしろいですね。>「当たり券を見たことすらないのに、夢で先に見て、そのまま当たる」
これは確かに、偶然では片付けづらいタイプの現象ですね。
さて、本題。
私はこの世界は(個の私の理解とは関係なく)かなり最適に動いていると表現しています。宗教とかスピとか抜きにして、ただ観察すると分かることが多いんです。
たとえば、
「心臓」は電池もコードもないのに、一生勝手に動き続ける。寝てても、泣いてても、落ち込んでても止まらない。「自分が操作してる」と言える人はいませんよね。非常に摩訶不思議。
DNAもそう。
私は専門家ではないけど、調べると細胞は とんでもなく長い設計図(DNA)を、ほぼミスなくコピーしているらしいのです。
コンピューターでも真似できない精度だと言われています。ここにも完璧すぎる仕組みが働いている。
赤ちゃんもそう。受精卵1つが、心臓・脳・目・骨・・誰に教わるでもなく、勝手に作り始める。「体の中で何かが知ってる」としか言いようがない動きです。
地球と太陽の距離も絶妙。少しズレたら生命は存在できない。偶然で説明するには、無理があるバランスです。
こういう例を、これ以外にも沢山見ていくと、
この世界を動かしている背景の力は、
「時間や場所の制限を超えた叡智そのもの」と考えた方が、自然だと思いませんか?
じゃあ、予知夢はなぜ起きるのか?
理由はシンプルで、その背景の力はもともと「時間を超えているから」です。
私たちの心は「過去 → 現在 → 未来」と見ていますが、本当はその3つは同時に並んでいるようなものです。
時間に区切りをつけているのは「心側」であって、背景のほうにはその区切りがありません。
だから、未来の断片が、夢に「先に」映る
という現象は普通に起こり得ます。
これは夢に限らず人によっては日常の中でもあります。これは能力というより、心が素直で透明なときにだけ起きやすい自然な現象。
なので、幼少期に不思議体験が多いと言われるのもこの理由です。
そして、あなたの「悪い未来は見せないでほしい」が通る理由も同じです。
背景の力は、その人の成長に必要のない恐怖は決して見せません。
言い換えると、必要な浄化しか恩寵は起こしません。恐怖や疑念などの固さは、探求の邪魔になるだけだからです。だから怖がる必要はまったくありませんよ。
結局、予知夢ってのは、未来を当てているのではなく、時間を超えて流れている「情報の断片」が夢という形でふっと、漏れただけです。
悪い未来は、基本見せる必要がないので出ない。そして、それは怖がらせるための現象でも、占いごっこのようなものでもなく、
「時間に対する固定観念を溶かすため」の
恩寵からのゆる〜いヒントのようなもの。
そういうニュアンスで受け取ると一番しっくり来ると私は思います。
398
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:08:33 ID:fhFt3uFE0
>>395
>真理に向かう流れに乗ると〜
意味に囚われるなという教え。笑
→繋がりますよね。笑 なんていうか、私の場合も、その時その時の深まり具合によって、ふさわしいガイド(グル含む)が必ず現れていました。あとから振り返るとですが。
「意味なかったじゃん」というパターンも、実はかなり大事で、最後にはすべての二元を超えていかねばならないので、そういう無意味に見える出来事にもちゃんと役割があります。
夢の中の現れにも大きく2方向あります。
1.夢の囚われを強める方向
2.夢の囚われから目覚めさせる方向
結局夢だけど、「夢の中の目覚め」を促す現れは素直に活用すべきですね。
>焦る気持ちは邪魔だと思った次第です。
→なるほど、焦る感じはよく分かります。
ただね、
「エゴが暴れた期間が無駄に思える」
「安定までに時間が足りなさそう」
こう感じること自体が、実はかなり重要なんですよ。
これは純粋意識で在る、を理解している段階の人にだけ言う話ですが、本当に必要なのは、
・純粋意識を得ること
・そこに到達すること
・そこに居続けようとすること
ではなく、「私はまだそれではない」「私はエゴだ」という疑い(妄想エネルギー)が自然と抜けていくことだけなんです。その疑いが癖として上がって来てるだけなんですよ。
だから大事なのは、純粋意識にとどまる努力を続けること。これは言い換えると、
「すでにあなたは純粋意識であり、それではなかったことは一度もない」だから、他の選択肢が本当は存在しない。
だからこそ、エゴと戦うことの不毛さ、ナンセンスさを徹底的に腑に落とす必要がある。
それだけなんです。シンプルでしょ?
>十牛図は悟りの段階なんですね。
→そう。けど、最後に「牛も自己も消失する」という部分は、アドヴァイタ含め他の伝統とも結構共通しています。表現は違えど、指し示している究極地点は同じです。
>インドは語れない領域を言葉にしてきた〜
→まさにその通り。インドは文化的にも「超越」を表現しやすい土地柄がありました。
今はどうか知らないけど。また、日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。
>超越を超越した何かを妄想して足掻いてるのかもしれない。
→それでもいいんですよ。「それ」に惹かれた者だけが探求スイッチ入りますから。語られないはずのものに惹かれたという時点で縁があります。
>悟った人の坐禅会に行ってもしっくりこなかった。
→私も同じです。「悟ったとされる人」のところにいろいろ行きましたけど、
「なんか違う」「うーん・・」これは普通にありました。その中で、だんだんと霊性的な見抜く目が育ってきた感覚はあります。
>私のグルは良い意味で超越的。どこに導こうとしてるのか分からない。
→その種類の縁は明確にあります。
そのレベルのグルは、もはや 「人であって人じゃない」んですよ。段階的な教えより、ただ″直接性″で伝えてきます。実際起きていることの本質は、言語的なやり取りじゃなくて、
・ただ伝わる
・ただ理解が落ちる
・一緒にいるだけで浸透する
そんな領域です。エゴの隙を出し抜くには″直接性″しかないんです。これは、ただ焚き火のそばに座っているだけで、火の温度がそのまま身体に移るようなものです。
超越そのもののグルは、言葉より先に 「存在そのもの」がまた、「超越のそれ」が伝わってしまうんです。なぜなら、形になる前のこの世界は、固定したものではなく「流れ」「響き」として立ち上がっているからです。だから超越そのもののグルは、言葉より先に響きそのものを伝えてしまうんです。
399
:
り改め りょうせい
:2025/11/24(月) 20:47:20 ID:fhFt3uFE0
>>396
こちらこそ。それ、まさに「核心の入口」です。
あなたが書かれていた 「起きている誰か」という存在、あれはそのまま言えば純粋意識そのものに直で触れた瞬間の記録です。いい線いってますよ。
そして「一体化した」と表現されていますが、実際にはそうではなく、
身体・思考・感情・呼吸・五感・外界
あなたの中で起きている全部が、もともと 自動運転で流れているだけという事実を見抜いた状態なんです。
外側の現象も、心も、思考も、感情も、
あなたが動かしているわけではなく、
前で勝手に流れているだけ。そこにあなたの気づきが向いた。そしてあなたが感じていた、
「24時間起きていた存在」
「夢が消えたような静けさ」
これはまさに、生まれてから一度も眠らない
背景の気づき(純粋意識)が前面に出ていたときの典型的な特徴なんですよ。
構造にするとこうなります。
・個人の私 →眠る/起きる/夢を見る
・純粋意識 →眠らない・消えない・常に在る・常に気づいている
あなたが触れたのは後者です。
だから、夢(=心の映像活動)が薄くなったり消えたりした。背景の静けさが強く前に出ると、映像のほうが自然に消えるから。
※ただし「夢を見ないことを目指す」必要は全くありません。自然にそうなる時期がある、というだけ。
そしてここが一番大事。
心・思考・感情・呼吸・身体・五感・周りの現象。これ全部が 「自分の意志で動いているわけではなく、自然発生しているだけ」
と見抜かれ始めると、純粋意識との距離が一気に縮まります。
(実際には距離なんてないんだけど、体感的にはね)
あなたの今の体験は、純粋意識を自分自身のこととして思い出し始めた時に自然と起きる現れ
そのままです。なので、その方向性でそのまま進んでいってOKです。
400
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 22:10:16 ID:yR.4D0c.0
りょうせいさん
こんばんは。
教えていただきたいことがあります。
真理の観点から見て、カルマの法則とはどういったものなのでしょうか?
401
:
幸せな名無しさん
:2025/11/24(月) 23:12:48 ID:k7JpUivs0
大変興味深くスレを拝読しております
最終的にはあらゆる二元論を越えていかなければならないとのことで気になったのですが、
明らかにこれはおかしいだろとエゴ視点で感じることに一定の勢力で擁護論が巻き起こる(兵庫県知事の件が良い例)ことも、そこに導くための過程として現れているのでしょうか
402
:
幸せな名無しさん
:2025/11/25(火) 21:56:01 ID:1rtETg6k0
個人的に色々と試行錯誤した感想。
全て手に入れていると全て失うは同じ。
世界=自分なのに、予想外のことが起こって嬉しいは意味が分からない。
全て完璧ならば何が起こっても完璧なのだから感情の起伏が起こるはずがない。
常時穏やかな気持ちは分かるが、常時ハイなのは無理。幸不幸というのは期待と現実のギャップでしかないから。1000円払って2000円の価値が得られれば幸、1000円払って100円の価値しか得られなければ不幸。何にも期待しない=全てある=全てない状態であれば穏やかで生きれるが、常時ハイは常に現実が理想を超えて居なければ無理。だが、世界=自分ならば、現実=理想なので、事象が起こるのは必然であり、そこに感情が乗るのは矛盾する。1000円払って1000円の価値が得られた時は何の感情もない。起きて当たり前なのだから。そこで感情が顕になる時点で達人ではないしたまたまであり、世界=自分ではない証明。むしろ全て完璧だと思っていたらが上手くいかないことがあった時に不幸になる。ならば、最初から上手くいかないと思っていた方が楽。
全て手に入るという確信があれば感情の起伏など有り得ない。そしてそこに幸福もない。
全ての物が瞬時に手に入るのであれば理想=現実なのでギャップがなく、幸福もない。
=全て手に入れてない状態と精神的には同じ。つまらない、退屈。
だから人間は縛りプレイを自分に課して、達成感を味わおうとする。達成ではなく達成感。
だが結局手に入れても満足せずに、欲望は果てしない。
その縛りプレイから脱却した結果、全ては無価値でありゴミが結論。
403
:
幸せな名無しさん
:2025/11/25(火) 22:10:40 ID:WGB29L4M0
>>398
最近はジェットコースターのように気分の浮き沈みが激しい。思考もエゴ視点が前に出たり真理視点が前に出たり目まぐるしい。
エゴ視点が強い時に話を聞くと修正されるので有り難いと思っています。
「時間を無駄にした、時間が限られてて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました。
エゴがエゴと闘ってるのに、その上エゴが純粋意識のふりをするとか、エゴの暴走じゃないかと思いますが敢えて続けます。(またしても闘ってますね)
「私は幸せだなあ。ん?そんな思考が出てきたか。心が勝手に何か言ってる。まあ、そのうち消えるね」
「いろいろ感情が出てきてるな。私は関係ないけどね」
こんなふうに見える。
エゴがこれを聞いたとしたら「そんなこと言われてもこの世界では現実で大変なんだ!」と言って反発する。
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。
私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘ってたんでしょう。
>日本もそこまで悪い国じゃないですよ。静けさに敏感な人が多い土地なので。
それは思います。静かに内に向かうのに適した場所だと思います。インドはカオス過ぎて落ち着きがない。笑
グルについては仰る通りで、人間視点での段階を踏まえた懇切丁寧な優しい指導なんかではないです。
予測不能、言葉でなく体験でエゴを揺さぶる。深い啓示を直接体験で与えてくれるけどエゴの間隙を突いてしか来ない。
こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。
404
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 03:30:32 ID:f4.yBxtM0
人生とは実在が実在であること忘れる "遊び・幻想・映画・楽しみ"ですか
405
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 14:43:50 ID:7.pT/oCk0
この前草彅剛主演の舞台、ヘルマンヘッセ作のシッダールタを観てきました。完全に悟りについての話でした。草彅さんも舞台についてのインタビューで言っていましたが悟ってるっぽいですね。
雑談失礼しました!
406
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 15:47:08 ID:qGOuOf2U0
>>400
こんにちは。カルマの話は、段階によって説明が変わる分野でかなり複雑な層に根を張っている概念なので、ここでは詳しい解説は避けできるだけシンプルに答えますね。
私はよく「世界は夢のようなもの」と言います。
なぜなら、その前提そのものが「解放」に繋がるからです。本来の私たちに深刻さや、束縛は相応しくないからです。
ただし、この夢の世界は無秩序なカオスではなく、ちゃんとバランスの法則が働いています。夢だからといって、エゴ中心に無秩序にやりたい放題やるとやはりブーメラン現象はあります。
そこは同時に捉えていく必要がありますね。
そして、そのひとつがカルマの法則。
ごくシンプルに言えば、
「蒔いた種が、そのまま夢の展開に反映される」ってこと。
なぜか?夢全体は心でもあり、潜在意識でもあり、潜在的傾向でもあり、すべてが私である意識そのものだからです。
だからこそ、本当の願望の種を蒔くことが遠回りを避けるうえでも、効率の面からいっても大切になります。
RPGゲームでいうと、
あなたがRPGの中に入っているとしましょう。
その世界の中で、
・優しくすれば好感度が上がる
・意地悪をすれば敵が増える
これはゲーム内の「内部ルール」としても法則的に成立します。
しかし、コントローラーを握っている本当のあなたには、一切の影響は起きません。
この世界のカルマに関してもまったく同じです。
現象世界ではカルマ・因果が成り立っています。
だから、3分しか筋トレしない人と、3年続けた人では、当然まったく違う結果になります。
あと、たとえば、YouTubeやTikTokのアルゴリズムで言えばこう。夢の世界の動きは、YouTubeやTikTokの「おすすめ欄」にもよく似ています。心が何に反応したか、何を見続けたか、どんな感情が動いたか。この「心のログ」がそのまま現実の現象に反映されます。
これは潜在意識的な話からでもわかりやすいかと思います。
ただし重要なのは、動画を見ている視聴者そのものは傷つかないし変化しない。
意識である私は「コントローラを握ってる私/視聴者の私」これらと比べて、完全に姿も形もありませし、思考も感情も超えていますが、
立場構造としては同じなんです。
それと、カルマ浄化について。
「瞑想・ワーク・祈り・マントラ・感情解放など」のカルマ浄化は、この相対世界では実際に効果があります。重いパターンが薄まったり、反応が柔らかくなったり、引き寄せる現象も変わる。
心=世界なので、心を癒すアプローチ、これらを否定する必要はまったくありません。夢の中ではちゃんと機能するルールだからです。
あなたの問う >真理の観点では?
真理の立場から見ると、
・カルマ
・カルマの浄化
・カルマを背負う主人公(個人)
これら全部、夢側で自然発生している運動にすぎません。別の言葉にすると、夢を映している本当のあなた(純粋意識)は、
カルマの影響を一切受けていません。
なぜなら、一度も動いたことも変化したこともないからです。ゲーム内でイベントがどう変わろうと、ストーリーが変化しようが、敵にやられようが、仲間が減ろうが増えようが、コントローラーを持っているあなたは影響的には無関係・無傷ですよね。同じです。
想像してください、子どもが悪夢を見て泣いて起きたら、母親はこう言います。
「それは本当に起きていないから、怖がらなくていいよ。もう大丈夫。よしよし」
カルマとは、まさにその夢の中の一つの法則的な概念なんです。
407
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 15:57:06 ID:qGOuOf2U0
>>401
ありがとうございます。それは何よりです。
そして結論から言えば、YES、その通りです。
ただしこれから書くことは、あくまで私個人のいち意見としてライトな感覚で読んでください。
探求に入った人なら誰でも、ある時期から似た流れを通ります。
まず、この世界の奥に「帰るべき何か」「本当の核心」が確かに存在するという予感が生まれる。同時に、この世界そのものが完全にはできていないという微妙な感覚が滲み出てきます。
ただ、この不完全さをエゴに真正面からぶつけると、ショックが強すぎて耐えられない人も多い。だから恩寵(真理と個をつなぐ流れ)は、いきなり直球を投げません。
まずは「あれ?なんか変じゃないか?」という軽い違和感として世界を少しずつほぐしていく。
ゆっくり、でも確実に、目覚めの方向へ誘導するわけです。
そして今、集合意識レベルではここ数年で
「世界の不完全さの暴露」が一気に噴き出しました。政治、社会、教育、メディア、人間関係・・どこを見ても隠しきれないズレが露出している。
現代の若い世代はじつはこれを敏感に感じ取っています。エゴの限界、世界の壊れ方、外側への不信感。それらを漠然と理解しています。
しかし宗教にも決定的な答えはない。
哲学・スピリチュアル・量子論も、結局は思考の枠から出ない。恋愛や富にも永遠はなく、寿命の法則にも逆らえない。つまり外側には「確かな拠り所」がほとんど残っていない。そこに追い打ちをかけるように、SNSは情報だけを増やして、分離と混乱を加速させる。
では一体なぜこんな状況になっているのでしょうか?
理由はシンプルです。
世界そのものが「自己誤認の夢」だからです。
自分が誰なのかを誤解したまま動く夢は、
必ずどこかで歪みを露出します。
では、その裏で何が起きているのか?
表向きは絶望のようでも、内部では
「目覚めを加速させるための下準備」が静かに進んでいます。人はやがて、どうしようもなく背中を押されて「気づき側」に向かわざるをえなくなる。信じる必要はありませんが、これは非常に自然な流れです。
言い換えればこうです。
「楽しい夢なら、そのまま夢だと気づかず楽しめる。でも、不完全な夢(=悪夢)が続くと、人は自然と目覚めようとする」
この仕組みは驚くほどシンプルで、驚くほどよくできています。
歴代の覚醒の波も、実はすべてこのパターンです。大きな覚醒が起こる直前には必ず、世界の不完全さの露出が起きています。
だから、あなたが挙げたような
「これはさすがにおかしい」という出来事に対してなぜか擁護が湧く、奇妙な現象。
あれも世界そのものの夢構造と目覚めの準備と考えれば、ある意味で自然な動きなんです。
408
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:00:40 ID:qGOuOf2U0
>>402
コメント読みました。
あなたの書いていることは、個の私(心と身体)を自分の中心に置いた視点の中では、たしかに筋が通っています。
ただ、ズレが起きているのは論理そのものではなく、「その前提として置いているレイヤー」のほうです。その点だけ整理して返します。
1.「世界=自分」は「肉体の私」の話ではありません。あなたの文章はすべて、
・得た/失った
・理想/現実
・価値がある/ない
・幸/不幸
・期待とギャップ
といった 「個人の心理構造」を基盤にした結論です。
でも「世界=自分」という地点は、
そもそも その個人の心理が成立する前の立場 の話です。そこには、
・得る
・失う
・退屈
・幸・不幸
・ギャップ
こういった個人の物語を成立させる土台がありません。だから、その構造を持ち込む限り、どれほど頭が良くても矛盾が必ず出ます。
2.感情が動くのはキャラ側であって主体ではありません。
あなたは、「世界=自分なら感情が動くのは矛盾」と言っていますが、これは映画の主人公の反応を、観客の反応と混同しているのと同じです。
・感情が動くのはキャラ側
・見ている側(主体)は動かない
矛盾が生まれているのは、キャラの反応を「自分そのもの」だと思い込んだまま、主体の話をしているからです。
3.「全部ゴミ」「全部無価値」は崩壊の入口で出る声。
あなたの言う、全部無価値、全部ゴミ、退屈、何も意味がない。これは 真理の結論 ではありません。
これはむしろ、「個」が支えられなくなったときにマインドが必ず言う、崩壊手前のサインです。多くの探求者が一度は通る場所で、終点ではなく入口です。
あなたのロジックは否定しません(ただ、レイヤーが違うだけです)
あなたが語っているのは、「個の私が世界をどう捉えているか」という心理の吐露。
私が語っているのは、「個も世界も映している側(意識)の話」
この二つを混ぜて議論すれば、
矛盾が出るのは当然です。レイヤーを分ければ自然に収まります。
つまり、あなたが今語っているのは、
「世界そのものがどう見えるか」ではなく、
それを見ている主体をまだ個人だと思っている地点の表現なんです。
そこが消化され、整えば、あなたの中で矛盾は自然に溶けて、プロセスが静かに深まっていくと思います。
409
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:04:05 ID:qGOuOf2U0
>>403
はい。雲の間から太陽が顔を出し、地上のたくさんのエゴたちが持っていた「私」というアイデンティティが、太陽(真の主体)のほうへ吸収・回収されていく。
あなたの中の「エゴたち・私としての想念たち」からすれば、まさに世界の終わり・終末です。しかし実際には、ただ催眠が解け、現実に戻っているだけです。本来回帰です。
だから「ジェットコースターのように浮き沈みが激しい」「目まぐるしい」これは当然で、むしろ気づきに主体が確立してきている証拠です。
>「時間を無駄にした、時間が限られていて焦る」この思考を、<純粋意識><意識としての私>を思い出して眺めてみました〜
純粋意識はどっしりと余裕で「うん、うん、抵抗したいだけしなさい」みたいに見てる。
私は人生通して疲れ気味でした。きっと過去の人生でも長くエゴと闘っていたんでしょう。
→私の返信も、ちょっと恐ろしい雰囲気の表現が続いてきたので、笑 ここは少し明るめに。
まず、純粋意識を知り、そこに深まった分、そしてエゴとの同一化を回収した分のデータは絶対に消えません。ゲームでいえば、真理探求・霊性探求で培われた叡智や経験値は、確実に引き継がれる。だから
「時間を無駄にした」「時間が足りない」と焦る必要は(本当の意味では)ありません。
あなたは「実際には一度も探求をしたことはない」からです。
本当のあなたは過去も今も未来も、場所も、
すべてを超えています。
>こんなだから決して生易しいものではない。でも不思議がいっぱいでワクワクする。
楽しくもあるけど、忍耐や識別力がないと付いて行けないですね。
→まさにそうですね。どんな表現でも状況により正しく当てはまると思います。
起きていること、起きてきたことには本当に無駄がありません。恐れる必要はまったくない。
ただ同時に、油断するとすぐに眠ってしまうのも事実です。
だから、あらゆる敵に囲まれた子ライオンを命がけで守る親ライオンのような集中、
そして幻想たちを切り裂く不動明王のような爆発的な熱(=忍耐・識別力)も必要です。
探求は優しい側面もあるけど、同時に鋭く、容赦のない側面もある。
その両方をあなたはちゃんと通っている最中です。
410
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:16:13 ID:qGOuOf2U0
>>404
たしかに、昔からよく使われる表現ですね。
ただ私は、その明るい側面だけを切り取った説明にはあまり賛成していません。笑
理由は単純で、意識の内容物には光と影が同時に存在しているからです。
光だけで語れば偏りになるし、影だけを強調すればただの悲観になる。
どちらか一方では、どうしても真実からズレてしまいます。少し整理して言うと、
光(意識側)
・存在そのものの愛
・自己への愛
・創造の喜び
・境界のない自由さ
・変わらない静けさ
これらは、確かに 遊び・映画・夢という表現と相性がいい。でも同時に、
影(個・世界側)
・分離
・変化
・喪失
・痛み
・誤解
・物語の重さ
・生命の新陳代謝としての「苦」
これらも同じひとつの運動として必ずセットで現れます。そして一番重要なのは、光と影は別の二つではなく、同じ流れの両極だということ。
「人生は遊びです」「映画です」「幻想です」
と光だけで語れば、影の中で苦しんでいる人を切り捨ててしまう。逆に、「人生は苦です」「修行です」「地獄です」と影だけで語れば、光の意味を見誤る。
だから私は、どちらか一方に寄った表現は意図的に避けています。
人生にはたしかに 遊び・映画・幻想の側面がある。でも同時に、
痛み・喪失・変化・緊張の側面も、まったく同じ重さで存在します。両方をしっかり見ていると、光と影を分けていた「主体」そのものが、だんだん消えていきます。
その地点に立つと、遊びと言っても違う、
苦と言っても違う、どちらにも収まらないクリアな本質がある。
だから「それ」は、語るより沈黙のほうが近くなります。それで在ればもう言葉はいらないからです。
だから最後は、語るより沈黙のほうが本質に近くなっていきます。
そこに在るだけで足りてしまうので、もう言葉は必要ないんです。
「みなさん、少し静かにお茶でも飲みましょう」ふと耳を澄ませると遠くの方で、ひと息つくように小さな鳥が鳴く。
ピヨピヨ、と。
ただ、それだけで世界が十分に満ちてしまう。
これは比喩ですが、まるで、そんな感じです。統合された立場というのは、そういう地点です。
なので私は、どちらかだけの表現は誤解されるので、なるべく使いません。
(もちろん、たまに偏る時もありますが、そのときは不思議とブレーキが入りますね・・)
つまり、光と影は、ひとつの同じ運動です。
そんなお話でした。
411
:
り改め りょうせい
:2025/11/26(水) 16:18:32 ID:qGOuOf2U0
>>405
雑談どうぞどうぞ。
おーいいですね。
舞台や映画は見ていませんが、ヘルマンヘッセの小説は私も昔読んで感動しました。
シッダールタ、あとはデミアンとか?
ヘッセは後期から悟りや真理に関する媒体役としてそういった傾向の作品が沢山ありますねー。
412
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 18:17:59 ID:E9Aj3Vrg0
>>406
りょうせいさん、返信ありがとうございました。
わかったようなわかってないような‥汗
子どもの頃よく母に、自分が行動で行った良いこと悪いことは必ず自分にかえってくると教え込まれました。
でも、まず良い悪いみたいな善悪はないんじゃないかと思うようになりました。
悪いと思えるようなことをしてる人はたくさんいます。でもそれでも幸せそうに生きている人もいます。
したら自分が与えた波動(エネルギー)がそのまま自分に返ってくるのか?
心からやりたくて(あり得ませんが)、楽しみながら悪行をはたらいても、エネルギーがワクワクなら返ってくるものもワクワクなのか?
いつもここで引っかかってしまいます(^^;;
413
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 20:01:45 ID:f4.yBxtM0
結局の所りょうせいさんのようになるには何をしたらいいんでしょうか
414
:
幸せな名無しさん
:2025/11/26(水) 20:53:21 ID:Z4few98g0
>>409
「本当の私は探求などしたこともない」本当はそうなんですけどね。汗
悟りとは本来極めてシンプルなこと。
この感覚は始めからあって、ただ心を全部投げ出して「それ」に委ねて静かにすればいいよなと、
やってみたけど全然だめ。なんでだ!と喚くしかなかった。
結局、探求などしてない「意識としての私」を発見するまでに10数年かかった。
そして見つけたのになぜか失う。しかも、まだまだ先がある。(真理視点では世界が見せるトリックですけど…)
時間に縛られてるのは現象として事実で、夢の中のゲーム、リーラだからと自分を納得させる。
この人生では無理でも、いつかストンと落ちて決着するのは既定路線だからと自分を納得させる。
でも正直言って、もう終わりにして欲しいんですよね。完全無知の状態からやり直しなんか、もう勘弁してほしい。祈るしかない心境です。
415
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 00:14:26 ID:WjNOd.bo0
>>380
有難う御座います、落ち着きました。大きな私に癒される方法として昨日思いついたのが
以前観ていた妖怪ウォッチのアニメにヒントを得て(御存知無かったら御免なさい)
大きな私→コマ母ちゃん 個の私→コマさん のイメージで
大きなお母ちゃん私に、小さなコマさんの私が、ペタッとくっついて幸福感を感じる
そんな感じで癒されておりました。
(これは過日パニック発作の時、大きな私に助けられた時のイメージと少し似ています。)
お母さんみたいな大きな私と、個(子)の私が公園で遊ぶイメージもしてみました。
母私は、子私が、砂遊びをしていてもブランコに乗っていても、ニコニコ笑顔で見守ってくれている。
転んでも、泣いても、怒っても、笑っても、そのまま眠ってしまっても、見守ってる。大きな安心感。
そして、大きな私には輪郭が無いので、世界全体が大きな私かもしれないと思いました。
個の私には体という輪郭が有るので融合出来ないけど、意識だけなら融合出来るような気がしました。
その方法については未だ解っていませんが、ゆっくり実践を続けて行きたいと思います。
などと思っていたら大きな私が個の私を抱きしめに来てくれました。あれ?輪郭が有るような。
イメージだから解りやすいように輪郭を作ってくれているのかも?笑
416
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 01:13:42 ID:3DwlfONU0
>>407
ご回答どうもありがとうございます
「あらゆる二元論を手放せるように導かれている」という観点で世の中の動きを俯瞰してみると、その精巧さに畏怖の念を抱くばかりです
それと同時に「二元論が消えたら俗物的な楽しみが無くなるじゃないか!」とエゴの抵抗もありますが(笑)
417
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 01:25:32 ID:WjNOd.bo0
>>383
初期の本も含めて20冊も読まれたなんて凄いです!
私はブログを読む方がメインで、本は7冊位です。
418
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 14:28:16 ID:DZj0YiJk0
あるのか。二元論を超えた幸せが。
エゴの想像もつかない幸せがあるというのか。
419
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 14:51:23 ID:C2qv1U2Q0
>>412
りょうせいさんではありませんが、気、エネルギーの専門家としての意見を言わせてもらえば
人の本質、生存や幸福、に反する行いは邪気、負のエネルギーを発生させます
巡り巡ってといいますが、悪行を行う人間の気はめちゃくちゃ悪いです
巡ってる訳じゃなく自分で発生させてる、タレントなど多くの支持者がいてもそういう人はいます
そして気というものは必ず消費されるのでどこかで消費され何か結果が起きます
死に逃げした所で消える事はないと思います
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
その判断はその人の魂、本質、ハイヤーセルフ、真我、呼び方は何でもいいですがそういう上位自己が判断します
そしてそれは必ず「その人にもわかるように」なっています
仏教はカルマをとてもシステマチックに解説しています
阿頼耶識(潜在意識)に撒かれた種子(意識、行動)は必ず良いも悪いも芽吹いて実を為す
自分の蒔いた種は自分で刈らねばならないという奴です
この言葉の出典は聖書らしいのですが、仏教もまんま同じ事を言っています
あらゆる行いには結果が発生します
りょうせいさんじゃないので不要なレスだったら申し訳ない
420
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 19:56:58 ID:fXN9tIg20
>>419
ご回答ありがとうございました。
専門家の方から教えていただけるのは大変ありがたいです。
どんなにワクワクしようと本人が幸せでも良いと思っていても人に好かれていても無駄です
↑この部分とてもすっきりしました。
この世に(いるかどうかはわかりませんが)本当の悪行を働いている存在たちがいるとしたら、なぜそれがうまくいくのか、そしてまた続けられるのかが不思議でありました。
また色々教えてください。
ありがとうございました(^^)
421
:
幸せな名無しさん
:2025/11/27(木) 23:25:29 ID:.l17reJ.0
414です。カルマの話が続いているので私も加えてください。
スレ主さんの言うとおりで、様々な階層があり単純ではないので、善行悪行における因果応報という点に絞って説明してみます。
まず大前提として、
世界は認識から離れては存在し得ません。認識があって始めて心=世界があると見えます。
次に、この現象世界は、生じ回帰していく定めです。二元を超えたものへの回帰です。
世界と個人を説明する時に、大海と波としてよく例えられます。
波は心の動きです。波は決して定まることなくうねり続けます。どこかに境界があるわけでもありません。
それにも関わらず私達はある特定の範囲で起こる波に自己同一化します。これが個人、エゴ、一人の私という感覚です。
波は生じ消えるを繰り返します。心は静まったり活発に動いたりします。
仮にこの大海の波が全て完全に静まったらどうか?
平安そのものですよね?全ての生命が帰ることを望む、本当の幸福の源が確かにあるのです。
波への自己同一化が解消されればそれが見つかります。
さて、世界創造が起こり源へ回帰していくという有り難く嬉しい定めの下の法則(心の動きの決まり事)があります。
例えば、むしゃくしゃするという理由でウサを晴らすために誰かを殴ったとします。
これでスッキリしたと感じたなら満たされます。この満たされた思いを味わい続けたいと願う。これが欲望の本質です。
同じ満足を味わうには満たされない思いをする必要がある。不足、つまり苦しみです。
殴られる苦しみを得なければ殴ることの快感は得られない。
逆に良いことをして喜んでもらったとします。喜んでもらえたのが嬉しかったら同じことを繰り返します。そこで喜んでもらえない体験がどこかで起こります。
見返りを期待していたなら、失った気持ちがあるということなので、どこかで得する体験をします。
したことが返ってくるというより、心の動きが現象として現れている。
ただし、心の動きは自己完結しなくて、他の誰かの心との相互作用、連鎖反応であって複雑に絡み合っています。
波は何処かへ動いていき、別の波と融合したりぶつかり合ったり、そしてどこからかやって来る。
だから、いつ、どこで、何を体験することになるか本当にわからない。
わからないので個人は体験の一つ一つの理由を注意深く観察する必要に迫られる。それはもう不可能に近い大変な作業になります。
この理由でカルマの法則が当てはまらないと思えることが多い。
ということで、このカルマの法則があるおかげで、ひたすら苦楽を繰り返す訳のわからない一見不条理に見える人生に疑いを持ち、本当の幸福があったことを思い出して、そこに帰ることを願うようになるのです。
ここで別の疑問。何かの拍子に無私の行動が起こった時は?
謎です。笑
私の個人的な体験としては源から不思議な何か(恩寵)が流れ込んできます。
この話は真理探求に興味のあるひと向けです。苦楽の世界で学び生きることに充実を感じる人もいて、歩んでいる段階が異なります。
しっくりこない人はスルーでお願いします。
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