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反・反戦派の方々へ

1イカフライ:2003/05/04(日) 14:53
 え-、よく晴れたゴ−ルデンウイ−クにネットに向かってるのもネクラなんですが、時間のあるうち、ということで。

 今更ですが、反・反戦派、まあ、戦争容認派、反戦懐疑派、いいかたはなんでもいいんですが、の方々の主張は、まとめるとこんなところでしょうか。

1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。

454武蔵:2003/06/16(月) 21:16
>>453
(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する さんへ。

>偶に見る人はどう思うんだよ。最初から最後まで全部読めつうのかよ!

誰のどのコメントへのレスかぐらいは読んでからレスするのが当然じゃあないのでしょうか?
まあ、多くの方が見てくださっているということはありがたい事です。

455(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する:2003/06/16(月) 22:24
>誰のどのコメントへのレスかぐらいは読んでからレスするのが当然じゃあないのでしょうか?

「当然」って、そちらの価値観でものを言われてもねえ。

価値観は皆違うんだよ!

一般論だよ!どのホームページだってそうだよ。誰が見てもわかるようにしておかなくちゃ、何の意味があるの。

誰のどのレスとか言う問題以前。子供も年配者も見ているんだから、本当は、「ちゃんと読め」じゃなくて、わかりやすくするのも1つの方法だとは思うわな。

あらゆる価値観の人を対象に語れなくちゃあ意味が無い。自分達だけわかっていればそれでいいつうもんではない。

せめて、あんたらが嫌う名無しの相手達とぐらいは揉めずに話ができるようにならなくちゃあ、反戦は絶対無理だと思うよ。

自分でサイトを開いてみれば、わかるこった。会員制じゃなくて、不特定多数の誰でも書ける掲示板を設けたサイトをな。

だって、世界から戦争をなくしたいと考えているのでしょ。誰だって戦争がない方がいいと思っている。賛同者ぐらい、本当ならすぐ集まるはずだよ。

それが反戦家が一人、又一人と減っていっている事実に対して、何も感じないか?ここが出来始めた頃にここに来ていた事があるけど、其の頃に比べて、反戦家がいなくなったよな。管理人を除いて、偶に来るのがイカフライ女史とスライムベスさん、よく来るのが武蔵氏とぼーん氏、それぐらいしか見当たらんよ。あとは名無しの懐疑波のみ。コテハンの懐疑波もずいぶん減った。

2Chの反・反戦に関しては、反・反戦ではなくて、現在は、反・武蔵氏とぼーん氏の反戦議論だと思うけどなあ。(ぼーん氏に当たっては、故意に行っていると言う事で、それも1つの方法ではあるわな。賛同は出来ないけど。)反戦家だからイチャモン言われているんじゃないよ。反戦家でも2Chの懐疑波とうまく話す人もいる。

お互い、話が通じていないだけで、本当は馬鹿な好戦者みたいなのはいないだろうと思う。

456武蔵:2003/06/16(月) 23:09
>>455
(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する さんへ

>わかりやすくするのも1つの方法だとは思うわな。

レスするコメント番号はちゃんと一番前に書いているんだよ。
それでも、誰へのレスだか分からないのですか?

>それが反戦家が一人、又一人と減っていっている事実に対して、何も感じないか?ここが出来始めた頃にここに来ていた事があるけど、其の頃に比べて、反戦家がいなくなったよな

そのころ居た反戦家のハンドルあげて見てくれませんか?

ま、実質的な反戦意見をお待ちします。

457シッシッシ:2003/06/16(月) 23:13
http://www.vote.co.jp/vResults/index.phtml?voteID=29432868&cat=16417177





           ぷれぜんと(はぁと)

458武蔵:2003/06/16(月) 23:16
>>455
(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する さんへ

>あらゆる価値観の人を対象に語れなくちゃあ意味が無い。自分達だけわかっていればそれでいいつうもんではない。

隗より始めよ、です。
見本をお示しくださいませ。

459ぼーん:2003/06/16(月) 23:31
>>458 by 武蔵さん
彼らはもはや論理的に何事かを主張しようという気すらなくて、
煽って疲弊させようとしてるだけですから、もうこれ以上律儀に
コメントを返すのは却って迷惑に思います。
煽り・荒らしはどーか放置でお願いします。

掲示板ブラウザ「ホットゾヌ」を使えば、目障りなレスは表示し
ないようにできますので、それを使用することをお薦めします。

アホがこうなったら、ほっとくしかないのが掲示板ってとこです
から、おとなしく放置してください。

460武蔵:2003/06/16(月) 23:45
>>459

はい分かりました。
実のあるコメントだけを見ることにいたします。

461<未入力>:2003/06/17(火) 00:21
>ムサイクソ
まあ、新しいカキコに噛み付くのも結構なんだが。
>>447
のレスは無視かい?実体験に基づいた、それこそ「実のあるコメント」では無いのかな?
現時点で回答が不可能なら、その旨を言えば良いだけの話だと思うがね。
そういう姿勢が、ますます賛同者を減らしこそすれ、増加させ得ない理由だと理解するのは
不可能かな?

462ぼーん:2003/06/17(火) 00:36
>>426-427
僕も>>371をいくらか誤読してたようですね。
僕の主張はともかく理解はしてもらえてるみたいです。

>> ここには「ただ反対することだけが目的で来ている」懐疑派は、ごくごく少数のよう
>> に見えますが…

に関して、「じっくり部屋」からロムしていての感想だ、とおっしゃっています。
が、僕は、その頃からの印象として、彼らが平和を希求しているとは考えていません。

たとえば、他者の抑圧の上に自らの平和を築いていても「致し方なし」とする神経は、
到底「平和を希求している」とはいえない、と僕は考えます。

# もちろん、「平和」という言葉の定義次第ですけどね。ただ、誰かにとっての「平
  和」でない状態を容認しながら私の「平和」だけを追求する、そういう意味で「平
  和」という言葉を使うなら、もはや「平和」というものが、追求するべき特別な価
  値があるものとは見なせないでしょう。それは単なる「利害」と区別できないもの
  になってしまっているからです。

その意味で、彼らの主張は、「彼らなりの平和への道筋」などと呼べるようなものでは
なく、「平和をあきらめろという誘惑」でしかないと考えています。

> ぼーんさんは、彼等の意見を全て否定する。
> 私は、そういう考え方もアリだと理解しようとする。そしてぼーんさんの主張も理解
> しようと試みる。両者をまず理解しようとする。
> それでいいのではないですか?

いや、よくないですね。なぜならば、それは「平和」という言葉の価値を、とても重要
なところで否定するからです。

「平和」が、他の様々な規範や価値観に比べてより高尚で、より強い意志を持って追求
されるべきであるといえるのは、それが「全体」の状態を指し示す言葉であるときのみ
でしょう。

彼らが追求しているのは「(個別の)利害」に過ぎません。それを「(私にとっての)
平和」と呼ぶことは、「平和」という言葉が本来持っている重要な価値を否定するもの
です。他者と私を等しい価値があるものとして取り扱おうとする「平和」という言葉本
来の価値を否定するものです。

彼らは「利害追及者」と呼ばれるべきであり、「平和を追求している」などと言うのは、
羊頭狗肉というべきなのです。彼らは、たとえば柏葉氏が潔く(おろかにも)明言して
いるように、個別の利害を追求しているのだ、と正直に言えばいいのです。それを「平
和」と言う言葉で言い換えるのは詐欺的でと思います。

463ぼーん:2003/06/17(火) 00:36
>>428
> それでですね、私は188で初めて質問した時から(その時は名無しでしたが)ずっと
> 言っているように、αを共有する人達でどのように世界平和を達成してゆけるかの道
> 筋を知りたいと思っているんです。

それは、あまり難しいことではないですよ。やってること自体は。

αを認めるかどうかを尋ねる。
認めないならば、その論理的帰結(自らの権利の否定)を伝え、再考を促す。
結果認めるならば、αを認める結果生じる義務について話す。
納得できれば、それを不完全ながら果たそうとするでしょう。
果たそうとしないならば、それはαを否定しているのだ、と再度言います。
そうやって、「αを認める」「αを認めることに伴う義務を求める」、
の繰り返しですね。

ライコスの掲示板でそれが見当たらないのは、基本的にはあそこにいる人は、既に
その段階「αを認めることに伴う義務を求める」ところまでは行っているからです。
あとは、個別具体的な問題について、関心を喚起し、意見交換をしつつ、それぞれ
のポジションで運動と「α」についての作業をする。その繰り返しです。
やってることは、いたって地味な活動です。

> 特にぼーんさんは、「民主主義の国々の本心が国益のために動いているとしても、建
> て前は正義をかかげており、それを利用して建て前を本音にしてゆくんだ」という方
> 向性を述べておられますね。
> そのような主張はまだ見たことがなく、私としては大変興味を持っています。
> 具体的にどのようにしてゆくとお考えなのか、是非勉強させていただきたいです。

チョムスキーの多くの発言が、僕のヒントになっています。倫理や道義というものの力
の源泉を考えるとき、「言語」というものの性質に着目することが重要だと考えていま
す。

464ぼーん:2003/06/17(火) 00:39
>>460 by 武蔵氏
面倒ですけど、よろしこ。
あんまりヒドイようならうろちいさんが考えるでしょうし。

465ぼーん:2003/06/17(火) 00:44
>>450-451 by 哀Myさん
意図を汲み取っていただきありがとうございます。
ただし、意図は行動を正当化しない、ということも同時に申し上げねばなりません。

αを認めている人が、それに伴う義務をあまり意識しない。ということは珍しいこと
ではありません。問題はそこにある。と僕は見ていて、それでαを用いた圧迫的
問答を使う必要があると考えています。

> 今、無関心でいることが諸悪の根源だと考えている次第です。

という点にはまったく同意です。

466あるる:2003/06/17(火) 00:51
>>11 イカフライさん、レスがめちゃめちゃ遅れてしまって申し訳ありません。

>>反戦者が「人を死なせないための反戦」なのか「反戦のための反戦」
>>どちらの方にウェイトを占めているのかを知るために、見に来ています。

>ロムされていて、あるるさんは、どう思われていますか?
>現時点でのお考えで良いので、よろしかれば聞かせてください

「まだわからない」と言うのが現時点での私の答えです。

>>私は、反戦運動そのものにはたとえ効果がなくても、意味がないとは思えないのであった方がいいと思います。

>このように思って頂ける事だけでも、意味があると思います。

ありがとうございます。さらに質問なんですが
そもそも反戦運動は効果を求めるものなのか?ってことなんですが、これがよくわからなくなっちゃって^^;
よろしくお願いします。

467イカフライ:2003/06/17(火) 08:31
>>466

>イカフライさん、レスがめちゃめちゃ遅れてしまって申し訳ありません。

いえ、いえ。レスありがとうございます。

>そもそも反戦運動は効果を求めるものなのか?ってことなんですが、これがよくわからなくなっちゃって^^;
 求めるものだ、と思います。
 また、今までの反戦運動に全く効果がないか、といえば、それもノ−だと思います。
 現時点では、確かに、反戦運動によって世界から戦争がなくなり、平和がきた、という効果はでてはいません。
 けれど、今回のイラク攻撃などでも、かつて平気で何十万人もの民間人を殺傷していたアメリカ(半世紀前、我が国でやりましたね)が、例え形だけでも被害を少なくしようとしたように、
「反戦意識」という民意は、少なくとも犠牲を減らす事に関しては、効果をあげているのではないか?
 そのようにも思うのですが。

 この効果ということにも、少し、関わっているのですが。
 反・反戦というネ−ミングがちょっと、と言う意見もあるようですので、疑・反戦(なんかツベルクリン反応みたい(^^ゞ)といった方が良いのかな?
 との方々の議論に対して、私がずっと思っているのが、果して意味有る議論なのかなあ、ということです。
 このトピを作ったのも、それが理由です。
 「反戦運動に疑問がある、それを解決したい、して欲しい」
として、それが解決されたら、そののち、どうするのだろうか?
 自分たちも、自分なりの納得できる形の新しい反戦運動を行うのだろうか?
 それとも、疑問が解けた、ああすっきりした、で終わりなのだろうか?
 もし、前者なら意味はあると思うのです。が、後者なら、それこそ、もっとほかの事をした方がいいのかなあ、とも思います。

 私は、「ノンポリ・パンピ−の反戦」を目指したいと思っているんですよね。
 世界の殆どの人は、戦争はいやだし、平和に暮らしたいもんじゃないっすか。でも、戦争は世界のあちこちで起こり、さまざまな悲惨が有る。
 これって、なんでやねん? そんなところが出発点です。

468武蔵:2003/06/17(火) 09:02
>>467

同感の上の、追加のようになるかと思いますが・・・・
効果というものに、世界から戦争の悲惨を一掃すると言う大目標だけではないと思っています。
究極の平和が我々の生きている間に実現するとか、
いつかは実現するとか、そういう大きい希望のほかに
自分の日常生活、自分の生き方に関る問題があると思います。
ぼーんさんの言う「α」というのがそれだと思うのです。
目の前に人権を疎外されている人が居る―それに対して黙っていてはいけない。
戦争と平和という観点で言えば、日本国内には戦争はない。
だから平和であると言えるのか? 
その戦争もない経済大国の日本の中で、年間1000人近くの人が凍死しているのはなぜか?
こういうことを考えて、そんな世の中を変えていこうとすることも、身近な反戦運動だと思っているのですが・・・・

469(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する:2003/06/17(火) 09:16
おい、武蔵!
見本を示してもらわないと、出来ないんですかねえ!

じゃあ、偉そうに言うなよ!

反戦家は故意に噛み付いても許されるみたいなので、自省するのは不公平。こちらも同じ態度でやらせていただく。丁寧に書いている方も叩かれているし、名無しと言うだけで反・反戦とレッテル貼りをしやがる。武蔵の事だよ。

<過去にいた反戦家の名前>N・I女史、白石氏、スキルス氏、第4期石器人氏、3人の子の母女史、ちひろ女史、残りは次回。今はうろ覚えで記憶で書いている。
<懐疑波>ヤスツ氏、ニヤリ氏、雪風氏、沈黙の潜水艦氏、猫が好き氏、チョーイヨーイ氏、
<その他>哀My氏、
<軍事マニア>スマソ。失念。
<どちらでもない愉快犯掲示板荒らし>がはははは氏

うろ覚えではこんなところ。あとは、過去ログにあるので参照を。

470(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する:2003/06/17(火) 09:29
追加

過去ログといっても旧談話室のログは流れてしまっている。
じっくり議論の部屋の方は残っているので、そちらだけでも参照を。

>戦争と平和という観点で言えば、日本国内には戦争はない。
だから平和であると言えるのか?

いえるわけが無い 

>その戦争もない経済大国の日本の中で、年間1000人近くの人が凍死しているのはなぜか?
こういうことを考えて、そんな世の中を変えていこうとすることも、身近な反戦運動だと思っているのですが・・・・

其の通り。ただ、考えてばかりで行動に出ないのが問題だといっているんだよ!!

例えば、家にいてできることの例を挙げるが、通販でもアフガンの人が作った小物などを取り入れている。其の収入を復興に役立てるみたいだ。それを買うのもひとつの方法だとおもうわな。小さい事だけど。

考えるだけで、前に進んでいかないのはどうかと。

人に噛み付いている暇があるなら、黙々と行動しろ!読んでいてアフォらしくなる。

かかれる前に返事の予測:読みが足りない。考えるだけでも大事な事だ。具体的に書いてくれ。・・・そんなところですかね?そんな返事は意味が無い。いらんよ。

471(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する:2003/06/17(火) 09:31
<軍事マニア>スマソ。失念。

思い出した。81式氏だった。

472<未入力>:2003/06/17(火) 09:48
ぼーん氏に武蔵氏

お前ら、反戦の人にも噛み付いている所を見ると、

結局議論がしたいだけなんだな。反戦は関係なくて、気に入らない相手は排除して。

馬鹿扱いの次はこちらを荒らし扱いかい?世話無いな。そもそも噛み付き魔はてめえらだろ。

建設的な意見も全て荒らし扱いか?自分達に都合が悪い事は全て荒らし扱いかい?

ふつう、荒らしと言うモンは、悪質ななりすましとか、他の掲示板で武蔵やぼーんの名前を書いて、反対の事を書いたり、そういうもんだよ。ここに来ているのは荒らしとはいわんよ!

最初はそちらがひつこく噛み付いてきたんだがな。新しく来る人来る人に対してさあ。こちらが無視しようとしてもしつこいのはそちらだがな。自分らがやられたら無視ですませようとは、ずいぶんむしがいい話だな。

いいよ。都合が悪かったらIP拒否にして書き込み停止にしても。そうなれば、閉鎖的な事が証明されるだけですな。

473(´ヘ`)<汚いなあ。掃除する:2003/06/17(火) 09:55
んで、ここの管理人は、ヤスツ氏の論法も、ぼーん氏の論法も、理解をしている。

だとしたら、これらを荒らしとは見ないはずだ。どうよ?

474野次豚:2003/06/17(火) 10:14
ぼーんさん武蔵さん。
あなた方のご意見よく分かりますよ。
自らを問わず足引っ張りするだけに終始しているものとの対話より、自ら行動することや、互いに切磋琢磨できる人たちを増やすことに力を注ぐ方が
大事なことも分かります。
梅雨時にはウジムシ黴菌発生しやすいですが、お体大切に、
ロムで学ぼうと言う未熟なもののために発言してください。
自分にも出来る何かを探しています。あなた方の発言から何かが見つかったような気がしています。

475ぼーん:2003/06/17(火) 11:20
>>474
世界が変わるためには、人々の行動の変化が広がっていかなければなりません。
その意味で、議論は具体的な支援行動と同じくらい重要なものです。
議論は支援行動の1つのメニューであり、
実際の支援行動のためにおろそかにされてもいいわけでもないでしょう。
「国境なき医師団」等々の活動と同じくらい、
チョムスキーやサイード、徐京植さんの活動は大事なものだと考えます。

あと、バイキンは梅雨じゃなくても発生するようなので、そのあたりは注意が必要ですね。
バイキン対策として。
まだ導入してない人がいましたら、是非とも「ホットゾヌ」を利用されることをお薦めします。
最近暴れてるバカの発言は数クリックの操作で一発透明化できますので、非常に快適です。

476うろちい:2003/06/17(火) 11:44
>472
>いいよ。都合が悪かったらIP拒否にして書き込み停止にしても。そうなれば、閉鎖的な事が証明されるだけですな。

何を勘違いしているかしらんけど、それができるのは僕だけですよ。
今まで一度もやったこと無いけど。

477<未入力>:2003/06/17(火) 11:51
>>476
すまん。書き方が悪かった。それはあなたに言いました。マジで。

478ぼーん:2003/06/17(火) 13:52
スレッドたてに着てみたら、なんか書いてるなぁ。
一応答える責任があるものも含まれてると思うので、ちょっと答えます。

>武蔵氏へ>先日は失礼な言い方をしてスイマセンでした。
よく考えたら、いちいち答える、というのもアリだと思います。
「迷惑」というのは、僕の勝手な都合に過ぎません。


>>472
> 建設的な意見も全て荒らし扱いか?自分達に都合が悪い事は全て荒らし扱いかい?

どこに建設的な意見があるのかは分かりませんが、それはとりあえず「ある」と
いう仮定で書いておきます。

まったく無内容な名無し発言と、
まぁ、建設的な意見を書いている名無し発言を、
ちゃんと読んで理解して腑分けして議論しろ、
というのは我侭にもほどがあります。

読み手が手間をかけずに読むことができるための最低限の義務を果たさないから、
無視するしかない、って言うわけです。

とりあえずこれだけ。


しかし、この荒らしくんたちの本音は、このコメントにかかれているわけで、
その意味では大笑いです。

> いいよ。都合が悪かったらIP拒否にして書き込み停止にしても。そうなれば、閉鎖的な事が証明されるだけですな。

彼らのねらいはここなんですよ。結局。

読めない、読まない、バカをよそおう、
コテハン使わず、誰が誰かわからないような、読み手に神経を使うような書き方をわざと用いる、
こうしたことは、自分たちを「排除」させて、排除の事実だけをもって自分たちを正当化しようという、
セコイ発想があるだけです。(そして哀れです。)

479露夢虫:2003/06/17(火) 13:58
あぁ… こうやってズルズルとフカミにハマッてゆくのねェ…
(早くロムに戻りたいと思いながらも…)

>>450-451

哀Myさん、初めまして。
実際には「初めまして」なんですけど、私の気持としては「お久しぶり」です。
なんせ私はロムの虫ですからねェ、哀Myさんが頻繁にカキコされていた頃も読んでましたから…
なつかしい方がまた登場されて、うれしいです。

> 露夢虫さんの関心は私と似ているのですが、私と較べて非常に具体的で敬服した
> という意味でした。悪しからずです。

いえ、最初からこういう意味に取っていましたよ。
私の方こそ、ロムしていて感じたことを、哀Myさんが代弁してくれているって思ってました。(笑)

> 全く同感です(笑)  皆さん、つくづく凄いですよね。

とても凄いです。
私なんぞ、言いたいことは思い浮かぶんですけど、書こうとすると、浮かんだハナから忘れてしまって…(笑)
如何に普段から、脳の運動を怠っているかってのを思い知ってます。
これからもよろしくお願いします。

480武蔵:2003/06/17(火) 14:17
>>478

>よく考えたら、いちいち答える、というのもアリだと思います。
「迷惑」というのは、僕の勝手な都合に過ぎません。

いえいえ。読んだときから書かれた意図は分かっていました。
だけど、今日はもっと分かりました(笑)
彼らと同じレベルでやりあっていても彼らの術中に落ちてしまうだけだって(^^;
それに、露夢虫さんがせっかく提起してくださった問題点も、
私にはなかなかあれほど的確に答えきれないものでした。
これは知的レベルも問題ですが、それ以上に問題意識の触手を伸ばして
書物や後援にアタックしているかどうかにもよるのだと感じ入っています。
時間と能力に限界は感じつつもゆっくり取り組んでいきます。
今日はいいスレ有難うございました。
じっくり吟味しつつ反応を示していきます。

481露夢虫:2003/06/17(火) 14:52
>>430-431
>>432

武蔵さん(いつもいつも、亀レスですみません)

今回もまた、感動したことを伝えてくれたようで、どうもありがとうございます。
これは私だけでなく、読者の方々に向けられたメッセージだと思いますが、お返事させていただきます。


> 私たちにとって在日は見えていない。
> 目も前に居るんだが見えていない。
> 世界の人にとって見えていない人が一杯いるんです。
> そういうことをまず自分が知ることが大事だと思いました。

同感です。私も「見えていない人を知る」ことは、とても大切だと思います。
それで、武蔵さんは「見えていない」原因は「現在では」どこにあるとお考えでしょうか。

魯迅の場合は、日本人学生の中国人に対する差別意識が、魯迅を目の前にしながら幻灯を見て笑うということに、何のためらいも生じさせなかったということでしょう。
ただその頃には、列強では植民地支配がありました。米国では黒人奴隷制度がありました。
人種や民族には優劣があって当然、と言った考え方がそこにあったと思います。
だから「我々よりも劣っている中国人」がそこにいようがいまいが、全然関係なかったのでしょう。

では、現在はどうでしょうか。
植民地支配はもうありません。奴隷制度もありません。人類皆平等が叫ばれている時代です。(ただしこれは、民主主義国家においてですが…)
差別の形は、もう少し複雑なものになっていると思うのですが、武蔵さんはどう思われますか?

魯迅の作品における日本人学生のような、意図的な差別主義を掲げる人達は、今でもおりますね。KKKとかネオナチとか…(もっとヒドイか…)
でも、これは少数派で、現在起こっている差別の大半は、別の所にあるような気がするのです。
私は、現在は「別の価値観に対する無知・無関心、もしくは想像力の欠如」から生じている方が多いと思うんです。

482露夢虫:2003/06/17(火) 14:55
481 つづき

一つは、「違う価値観」に対して、認識が全く無い場合ですね。
これは、した方は全く意識していないが、された方が差別を感じる…というものですね。セクハラなんかもそれに当たると思います。

例えば、
マリー・アントワネットが、貧困と飢餓で苦しむフランス国民について、「パンがないんだったら、お菓子を食べればいいじゃないですか」と言ったことや、
「ちび黒サンボ」が、子供の絵本として人気を博したことや、
昔のアメリカ西部劇でのインデアン役は、いつも滑稽でウスノロで笑いを取る役だった(しかもそれを白人が演じていた)こと等。
(現在のことを話しているのに、古い例で申し訳ありません)

これらは、差別する方には全然悪気はないわけですよ。
ただ「違う価値観」があるということすら分からないし興味もないから、相手も自分と全く同じ価値観を持っているんだと信じて疑わない訳ですね。だから本人は優越感とか差別意識を自覚していない… 
「無知による残虐性」だと思います。

これに気付いてゆくことが、差別を少なくしてゆくことに繋がると思いますが、それを自分自身にさえ実行させるのはたいへん難しいですよね。
私自身も気をつけているつもりなんですが、まだまだだと思います。なんせ、自覚がないことなんですから。
セクハラをした上司が、女性社員から訴えられて初めて気付くように、誰かから指摘されたり、違う価値観に触れて、初めて気付くっていうことが多いです。
それを、他の人に気付いてもらうというのは、もっと難しいでしょうねえ。
どうしたらいいんでしょうねえ。

483露夢虫:2003/06/17(火) 14:57
482 つづき

次には、価値観の「違い」は認識しているが、充分な知識がないことから来る偏見や先入観がありますね。
「日本人はエコノミックアニマルだ」「ユダヤ人はケチだ」「ラテン人は信用できない」等々…
(偏見というと悪い意味ですが、このようなレッテル貼りは悪い意味だけではないですよ。「黒人は足が長い」「白人は色が白い」「アジア人は頭がいい」等々…)
ところが本当はそんなにシンプルではないし、国々や民族によって異なった傾向は見られても、一つの国や民族の中でみれば、これまた個人個人でも全然違いますね。

この場合では、価値観が「違う」ことは分かっていても、それ以上知ろうともしない。あまり関心が無いんですね。
だから○○人を見る時に、そういうレッテルに頼った色眼鏡で見てしまう… 
また○○人の一人に会っただけで、全ての○○人がそうだとレッテルを貼ってしまう。
どの程度本人に差別意識があるかは人によって様々でしょうが、レッテルの内容が差別的であればあるほど、よりひどい差別になるでしょう。
在日の方々はそれに当たっていると、武蔵さんはお考えなのだと思います。

(またこのレッテル貼りは、差別される側の方にもありますね。
例えば「白人は、私達を絶対に差別している」といった固定観念を強く持っている黒人程、白人に取っては近付きにくいでしょう。だからコミュニケーションも生まれない…
差別される側も固定観念を無くして接していかなければならないんでしょうが、これは大変、大変、難しいと思います。血の滲む様な、本人の努力が必要でしょう。)

自分として考えられる、一般人に起こりやすい差別の原因は、だいたいこんなところかな、と思うのですが、他にありますでしょうか。

484露夢虫:2003/06/17(火) 14:59
483 つづき

自分が持っている価値観や文化は、ともすれば空気のように「あたりまえ」なものだと思いがちです。普段は意識しないことなんですね。
だから、他の価値観に触れないと、「違い」に気付かされることはなかなかありません。
いや、他の価値観に触れていることすら、気付かない場合も多々あります。(武蔵さんが指摘されているのはここですね)
また「違い」に触れたら、逃げたり、目をつぶってしまう人もいます。嫌悪感を示す人もいます。
「違い」に触れるのが恐くて、安全な場所に閉じこもっている人もいます。

こういう「違い」に気付き、理解するには、

1)違う価値観に真摯な関心を持って、自分の立場をちょっと離れて相手の立場になって考えてみる、想像してみる。

2)違う価値観について、より多くのことを知る。そして理解しようと勤める。

っていう、とてもシンプルなことから始まると、私は思うんですが、
興味を持たない人が「真摯な関心」を持つことはとても難しいし、
また実際に興味があっても、これらのことは、とても勇気の要ることだと感じています。
人間、自分の価値観や文化の中にいる方が、楽ですもんね。

武蔵さんは、他に「違い」を理解して偏見をなくしていくために、何かいい方法をお持ちですか?



(このスレとは関係のないカキコミになって、他の皆様には申し訳ありません。
それから、ぼーんさんには、後日改めてお返事させていただきます。なにしろ遅筆なもので…)

485武蔵:2003/06/17(火) 16:36
>>481

>武蔵さん(いつもいつも、亀レスですみません)

いやいや。いつもゆっくり考えない即レスの私に比べて露夢虫さんの亀レスは
一編の論文を読むようにまとまっていて素晴らしいです。
ぼーんさんとは別の意味でいつも感動します。

とってもよく分析なさっていて、私など出る幕はないのですが、
ぼーんさんの場合も露夢虫さんの場合の反応を示すだけでも、応援団としての役立ち位にはなるかと、
例によって、即レスします。
(自分がじっくり亀レスしても、大して深まらないのを知っていますので―笑)

>KKKとかネオナチとか…(もっとヒドイか…)
でも、これは少数派で、現在起こっている差別の大半は、別の所にあるような気がするのです。
私は、現在は「別の価値観に対する無知・無関心、もしくは想像力の欠如」から生じている方が多いと思うんです。

私もそう思います。
「α」を共有しないと断言する人は、さしあたり話にならない。
KKKとかネオナチとかは、さしあたり話にならない。

話になるなかで、最も難しいのは善意の(無知による)「見えない」状態ですね。
これは、全ての人に言えることで、もちろんわたし自身にもいえることです。
即レス式に言ってしまえば、「無知を互いに啓蒙しあってまずは知ること」、なんですが
こんなことひと言でいえるなら、世の中から差別はなくなっているでしょう。
それについては、それこそ亀レス式にじっくり考えていきましょう。

486武蔵:2003/06/17(火) 16:50
>>482

>これらは、差別する方には全然悪気はないわけですよ。
ただ「違う価値観」があるということすら分からないし興味もないから、相手も自分と全く同じ価値観を持っているんだと信じて疑わない訳ですね。だから本人は優越感とか差別意識を自覚していない… 
「無知による残虐性」だと思います。

そう分析なさる露夢虫さんに敬服します。
その通りだと思います。
「アントワネットの存在が悪だ」と共産主義者なら言うかもしてません。
「シンブン(身分)が悪い」からと矯正院に送るのかもしれません。
しかし、それでも「教育」出来きれないものは残る気がしますね。

ただ、セクハラを指摘されたときに、口先だけの反省を言うのではなく
何が本当にセクハラだったのかを理解する・・・・
そんな日常の「自分点検」を出来るかどうかですね。
出来る自分になりたいと思いますが・・・・
他の人に気付いてもらう・・・・そうですね。難しいですね。
むしろその本人とは関係にない問題へのディスカッションを日頃からしていくことなのかも知れませんね。
子供時代から、例えば魯迅を読んだときなど(小学生なら、もっと易しい読み物もありますね)意識を深めていくことも大事かもしれません。

487武蔵:2003/06/17(火) 17:02
>>483

>自分として考えられる、一般人に起こりやすい差別の原因は、だいたいこんなところかな、と思うのですが、他にありますでしょうか。

固定概念。
これで難しいのは女性差別のようなもの。
「〜〜らしくあれ」という固定概念。
「女は女らしく」というのは女性差別ですが、男性をも縛りますね。
「男は男らしく」というのは男性差別ではないですね。少なくとも男性蔑視ではない。
これ(男女の役割分担など)は差別ではなく区別だという人が居ますが、そうではないですね。
固定概念の枠に入れた段階で、大きい差別になります。
その中に入りきらないもの、はいりたくないものが必ずいますからね。
入りきらない人間にとっては死の苦しみであるという意味で、とんでもない差別です。
これがなかなか見えないです。

488武蔵:2003/06/17(火) 17:22
>>484

>1)違う価値観に真摯な関心を持って、自分の立場をちょっと離れて相手の立場になって考えてみる、想像してみる。
> 2)違う価値観について、より多くのことを知る。そして理解しようと勤める。
>興味を持たない人が「真摯な関心」を持つことはとても難しいし、
>また実際に興味があっても、これらのことは、とても勇気の要ることだと感じています。
>人間、自分の価値観や文化の中にいる方が、楽ですもんね。

全くそのとおりと思います。

>武蔵さんは、他に「違い」を理解して偏見をなくしていくために、何かいい方法をお持ちですか?

これに答をぴたっと出せる、なんてとんでもないですが・・・・
やっぱり教育が大事なんではないかなと思います。
15日の講演会でも、パネルディスカッションで教育問題が語られました。
「こころノート」ってのが全生徒に配られたそうですが、
これが、そういう意味でとっても犯罪的なテキストであるようです。
見えなきゃあならないものを、無視したものと思います。
「心の教育」関西講演会「親が変われば子供が変わる」というチラシを
全生徒に学校を通じて配られたそうです。
「母親が尊んだ子どもはいじめられない――現在起きている子どもたちの問題は、もとをたどると、妊娠中に母親がどのような想いを持ったかに加え――母親が尊んで育てた子は、いじめられることはありません」
なんて書いてあったそうです。

虐めの原因を、いじめられる母親の妊娠中から子育てにきしているんですね。

今、改悪されてきている教育、絶対に目を話せません。

489武蔵:2003/06/17(火) 17:23
絶対に目を話せません→絶対に目を放せません。

490露夢虫:2003/06/18(水) 17:29
> > 462
ぼーんさん

お返事ありがとうございます。
えー、このお返事によって、私の書き方がまずかった点がまた見つかりました。(汗)

>それを「平和」と言う言葉で言い換えるのは詐欺的だと思います。

この「平和」と言う言葉で言い換えたのは、私です。
427で、反戦派の主張と懐疑派の主張を分かりやすく対称させるための、カテゴライズ分けの項目として使いました。
「世界平和」と「平和」を対比させることと、「平和」という言葉にカギカッコを敢えてつけることにより、その辺自分としては区別したつもりだったんですが、注釈等もつけるべきでした。

彼等は、「日本の平和」と限定的に使うか、「安全」または(柏葉氏の場合は)「利害」と言っていたと思います。
いずれにせよ、「日本の安全を希求している」と言い換えた方がよろしいかと思います。
もちろんこれは、大変大雑把な解釈ですから、懐疑派でも、人によって様々であることは、言うまでもありません。

従って462のご意見は、全て私の言葉のアヤに基づいて生じたコメントになってしまったように思うのですが… 
ぼーんさんには、また要らぬ労力をかけてしまい、申し訳ありません。
ですが、私に取っては「言葉の使い方」に慎重さが要求されることの、いい勉強になりました。
改めてお返事をいただくかどうかは、ぼーんさんにお任せします。

懐疑派の方にも、ご迷惑をおかけしました。


>>463
「αを共有する人達でどのように世界平和を達成してゆけるかの道筋」については、それについて考え話し合うための、新しいスレを立てていただき、大変感謝しております。
反戦派の方々の活発な議論を期待しております。
それを通じて私も勉強させていただくつもりです。

491哀My:2003/06/19(木) 16:16
>>481-484
>「違う価値観」があるということすら分からないし興味もないから、
> 相手も自分と全く同じ価値観を持っているんだと信じて疑わない訳ですね。
> だから本人は優越感とか差別意識を自覚していない… 
>「無知による残虐性」だと思います。
> これに気付いてゆくことが、差別を少なくしてゆくことに繋がると思いますが、
> それを自分自身にさえ実行させるのはたいへん難しい
> 他の人に気付いてもらうというのは、もっと難しい

> 国々や民族によって異なった傾向は見られても、
> 一つの国や民族の中でみれば、これまた個人個人でも全然違いますね。
> この場合では、価値観が「違う」ことは分かっていても、それ以上知ろうともしない。
> あまり関心が無いんですね。
> だから○○人を見る時に、そういうレッテルに頼った色眼鏡で見てしまう… 
> また○○人の一人に会っただけで、全ての○○人がそうだとレッテルを貼ってしまう。

>「違い」に触れたら、逃げたり、目をつぶってしまう人もいます。嫌悪感を示す人もいます。
>「違い」に触れるのが恐くて、安全な場所に閉じこもっている人もいます。

露夢虫さんの仰りたいことは、感動するほど私の言いたいことと同じです。
私は国や習慣、宗教等による考え方の違いが争いをもたらすとは考えていません。
異質な考え方に対する恐怖、疑心暗鬼、被害者意識が殺し合い(異質を排除&抹殺)に発展するのだと考えています。
「意図的な差別主義を掲げる」と書いておられるKKK等にしても、元々は彼らの強い被害者意識から発生していて、私達も条件さえ揃えばいつでもKKKのようになり得ると考えています。

今月は凄く慌ただしいので、次の書き込みは来月以降になると思いますが、とりあえずこれだけお伝えしたくて書いておくことにしました。

492露夢虫:2003/06/20(金) 19:56

>>485-488

武蔵さん、お返事ありがとうございます。またまた亀レスの露夢虫です。(笑)


> いつもゆっくり考えない即レスの私に比べて露夢虫さんの亀レスは

私は、考えながら書く…(そして、また考えながら書いて考えながら書いての延々ループ…)
武蔵さんは、書きながら考える…
どっちも個性じゃないでしょうか。(笑)
個性を活かしながら、お互い少しでも上達すれば、いいですね。

> ぼーんさんの場合も露夢虫さんの場合の反応を示すだけでも、応援団としての役立ち位にはなるかと、

いえいえ、とんでもございまセン。
私としては、平和問題に関しては、やっと小学1年生も2学期…というカンジでして…(汗)
そういう意味では、武蔵さんの方が先輩です。
お互いに勉強して行ければと思っています。


さて、武蔵さんのお返事には、とても大切なことが何点か含まれているように感じました。

> 即レス式に言ってしまえば、「無知を互いに啓蒙しあってまずは知ること」、なんですが
> こんなことひと言でいえるなら、世の中から差別はなくなっているでしょう。

武蔵さんはお返事で、偏見を少しでも減らしてゆくには「無知を互いに啓蒙しあってまずは知ること」とおっしゃいました。そしてその為には、「相手の立場になって、考えてみる」ことから始めるとも…
しかし先入観や偏見は、自分ではなかなか気付かないから難しいと、お互い同意しましたね。

だからこそ、武蔵さんは
> そんな日常の「自分点検」を出来るかどうかですね。
> 出来る自分になりたいと思いますが・・・・
とも、おっしゃいました。
「まずは、小さいことでも出来るところから始めよう。自分自身のことから点検してみよう」ということですね。

私も全く同感です。
固定観念や先入観は、人間の根源に近い所にあるので自分ではなかなか気付かない。
だから、「日常の自分点検」をすることによって、より大きな固定観念に気付きやすくなると考えています。

例えば、私自身が最近気付いた小さなことは、この掲示板でのことです。

私も初めて「書き手の立場になって」、公共の場に自分の考えを書くことがいかに大変か、よく分かりました。
今まで、いかに自分がオキラクだったかに「気付き」ました。
それから「読み手の立場になって」出す前に何度も読んでみるんですが、
なかなか真意が伝わらず、最初から、ずっとミスのしっぱなしです。(汗)
自分が普段から、いかに言葉を自分勝手に使っているか、よく分かりました。

こういう小さなことからも、自分の偏見や固定観念に、気づいて行くことができるんだなあと思いました。
言葉一つに対しても、「違う価値観」があるんですね。

493露夢虫:2003/06/20(金) 19:57
492 つづき

また武蔵さんは、こうもおっしゃいました。

> ただ、セクハラを指摘されたときに、口先だけの反省を言うのではなく
> 何が本当にセクハラだったのかを理解する・・・・

「空気のようにあたりまえ」になっている「価値観」に対して、何か指摘された時が、気づくための「チャンス」だと言うことですね。
私も武蔵さんのご意見には全く同感です。

同感ですが、ただ、ここまで出来る人は、かなり人間が出来ている人ですよ。(笑)
人間、何か言われりゃ、まず反発しちゃいますよね。
特に、自分の「価値観」を否定されることは、自分自身を否定されることに限り無く近いですもんね。
また、言う方に取ってみても、相手の価値観の問題点を指摘する訳ですから、セクハラの告発のように「怒り」を含んでいることも、充分考えられます。その「怒り」を冷静に受け止められるか…

「言うは易し、行うは難し」と感じています。
お互い、失敗を繰り返して行くことを覚悟の上で、頑張りましょう!

また、差別問題を人々に訴えていく場合に、差別問題は「怒り」も内包している訳ですから、訴えられる側が反発して「怒らない」よう、むしろ「共感」してくれるように、訴え方を工夫してゆくことも、必要かもしれませんね。

494露夢虫:2003/06/20(金) 19:59
493 つづき

最後に「善意の(無知による)見えない状態」について。

> 話になるなかで、最も難しいのは善意の(無知による)「見えない」状態ですね。

対話というのは、自分が思っていることを他の人が言い換えてくれた時に、そこから別のインスピレーションが湧いて、対話が広がって行く時が、楽しいですね。
この武蔵さんの言葉は、私が意図したものを、さらに発展させてくれたように思います。

私は前回の投稿では、「悪気はないけれども、別の価値観について無知だから、知らない間に差別している」というつもりで話していたのですが、武蔵さんがこの「悪気はないけれども」を「善意」と言い換えてくれたことによって、もう一つ、思いつきました。

それは「価値観が違えば、例えそれが善意であっても、相手にとって善意と感じるとは限らない」ということです。
私が、武蔵さんの言葉を聞いて、思い出したのはこんな話です。

アフリカだかどこだか忘れましたが、ある未開の原住民がいつも裸足なのを、どこかの先進国の人が見て、「まあ、靴もないなんて、さぞかし不自由でしょう」と思って、全員に靴をプレゼントしたらしいんです。
送られた方は、そんなに便利なものならって、しばらく履いていたけれども、やがてまた全員裸足に戻ってしまったらしいんですね。
結局、「彼等の価値観」において、靴はジャマでしかなかったということですね。
靴を履いている方が、不自由だったということなんですね。

これこそが、「善意の(無知による)見えない状態」だと思うのです。
この場合、たとえ靴を贈った方が善意を持って行ったことであろうとも、それは「価値観の押しつけ」をしているんじゃないですかね。
この話の先は、その先進国の人が、「人の贈ったものを、捨てちゃうなんて!」と怒ったのか、土人等の価値観に気付いて尊重したのか、それはわかりません。
しかし人間はついつい、この「価値観のおしつけ」をやっちゃうんですね。

「押しつける」方も「押しつけられる」方も、どっちも経験ないですか? 私は一杯あります。(笑)
「押しつける」方は主に目下の人に(妹、弟とかですね)
それから「押しつけられる」方は目上の人から(親とか、先生とかですね)、
それこそ日常茶飯事のようにありますね。(笑)

しかしこれを、対等な立場の人に対して行ってしまった場合、「押しつける」側は善意であっても、「押しつけられた」側にとっては、「押しつけた」側の優越意識が見えてしまうんですね。
善意を持って微笑んでいる人が、悪魔のように見えることもあるんですね。
これもまた「無知による残虐性」ですね。

これも本当に、気付いていくのは難しいでしょうね。だって本人は「善意」でやっているわけですから。
どうすれば、この「善意の(無知による)見えない状態」に気付いていけると、武蔵さんは思われますか?
それから、自分の善意が、相手に取っても善意と感じるようにするには、どうすればよいでしょうか?


(ところで、話題がだんだん本来のスレの主旨とずれてきているように感じています。今はこのスレもちょっと一段落しているので、もう少し大丈夫かな、とも思いますが、もし今後このスレの主旨での議論が活発になったら、引っ越しした方が良いような気がします。)

495武蔵:2003/06/20(金) 21:12
>>492

>私は、考えながら書く…(そして、また考えながら書いて考えながら書いての延々ループ…)武蔵さんは、書きながら考える…
どっちも個性じゃないでしょうか。(笑)個性を活かしながら、お互い少しでも上達すれば、いいですね。

有難うございます。確かに「書きながら考える」です(笑)
欠点の目立つ個性ですがよろしくお願いします(^^;

>私も初めて「書き手の立場になって」、公共の場に自分の考えを書くことがいかに大変か、よく分かりました。今まで、いかに自分がオキラクだったかに「気付き」ました。

すごい発見!!(笑)
そうですよね。外野はオキラクです。
反戦運動でも、同じでしょうね。
なんでも外から見て批判だけしているのは気楽だけど、充実感はないでしょう(^^;

>それから「読み手の立場になって」出す前に何度も読んでみるんですが、

大事なことなのに、私はおろそかですね(即レスの欠点―タイプミスも多いです)

496武蔵:2003/06/20(金) 21:22
>>493

>人間、何か言われりゃ、まず反発しちゃいますよね。
>「怒り」を含んでいることも、充分考えられます。その「怒り」を冷静に受け止められるか…

難しいけれど、やるっきゃあないですね(^^;
10回の内、1回でもやれたら、一歩は前進とでも思いますか?(笑)

>また、差別問題を人々に訴えていく場合に、差別問題は「怒り」も内包している訳ですから、訴えられる側が反発して「怒らない」よう、むしろ「共感」してくれるように、訴え方を工夫してゆくことも、必要かもしれませんね。

これは、確かにそうなんですが、
一番大事なのは、「まず怒る」ということだと思います。
差別されたときに怒ることって、すごくエネルギーが必要なんですよ。
自分がその差別される位置であることを隠しておきたいとか、
怒ることで、よりいっそうの差別を受けると言う恐さとか・・・・
それを乗り越えて「怒り」を表現するとき、訴え方の工夫なんてことは、第2の問題になると思います。
「今足踏んどるやろ。痛いやんけ!どけんかい!!!」と怒鳴り声を上げることが一番必要だと思うんですが、どう思われますか?

497武蔵:2003/06/20(金) 21:41
>>494

靴を送った事例は、とってもいい例えになっていると思います。
全く、相手が善意であればあるほど虚しい断絶を感じることがあると思います。

>「押しつける」方は主に目下の人に(妹、弟とかですね)
>それから「押しつけられる」方は目上の人から(親とか、先生とかですね)

これね、逆の場合が一番問題なんじゃあないでしょうか?
「押し付け」が上から下に流れる場合は、内容によれば頭から反発してもいいように思います。
しかし、下のものの価値観は一度素直に「受け止める」必要があると思います。
「受け入れる」かどうかは、その次の問題ですが、きちんと相手の立場に立って考えてみる必要があると思います。

>これも本当に、気付いていくのは難しいでしょうね。だって本人は「善意」でやっているわけですから。どうすれば、この「善意の(無知による)見えない状態」に気付いていけると、武蔵さんは思われますか?
>それから、自分の善意が、相手に取っても善意と感じるようにするには、どうすればよいでしょうか?

相手が善意である場合、本当に言い難いのですが、やっぱり自分がどう受け止めているかを相手に伝えるべきではないでしょうか?
例えば靴の場合。
最初は嬉しかったのでしょうから、素直に喜んだのでしょうが、
それが無用の長物であると分かったら、次に又、靴を送りましょうといわれたら
我々には靴は不用ですとはっきりいう。
それを聞いたプレゼント側は、気い悪い思いはするでしょうが、逆も気い悪いですよ。
つまり、有難う有難う、あなたのおかげで靴が履けて嬉しいですと言いながら、
どかっとゴミの山にされているのを知ったら・・・

すれ違いですが、もうこのスレ不要ですから、ヤドガリで行きませんか?(笑)

498露夢虫:2003/06/21(土) 16:15
>491

哀Myさん、こんにちは。
お忙しいのにわざわざお返事を書いてくれて、とてもうれしいです。
来月になったら、久々に復活していただけるのですか?
楽しみに待っております。
(しかし、私は長いこと話せる程ネタも知識もないんだが…(苦笑))

サラッと書かれたようですが、いろいろと示唆に富んだご意見で、こちらも感動しています。(ほほえみ)

> 異質な考え方に対する恐怖、疑心暗鬼、被害者意識が殺し合い(異質を排除&抹殺)に発
> 展するのだと考えています。

価値観の相違に関する無知・無関心だけではなく、そこから沸き起こる「恐怖、疑心暗鬼、被害者意識」が、対立を激化させているということですね。
私より、さらに突っ込んだ見解だと感じています。

この文章で、以前ウェブで見たニュースを思い出しました。
なので詳細ははっきり覚えていないんですが、(ソースを出せとか言う人いるかな?言われるのなら探してきます。)アメリカのメイン州にある国際交流のための私立の合宿施設に、イスラエルとパレスチナの双方から、フツーの高校生が何十人か招待されて、そこで数週間程一緒に暮らしたことに関してのレポートでした。

一緒の部屋で寝泊まりして、運動会をやったり、研究プロジェクトをやったり、ボランティアをやったりしているうちに、最初はまっぷたつに別れていたグループが、だんだん一緒になっていったっていうんですね。

参加者の何人かにインタビューしていたんですが、最初はどちらも「恐かった」んだそうです。そりゃそうですよね、お互い「敵」同士で、今まで一度も話したこともなかったそうですから。
それが、生活を共にして一緒に活動しているうちに、「なんだ、私達とそんなに変わらないじゃないか、私達と同じように戦火を恐れて生活しているじゃないか」ということが分かってきたそうです。

やがて、気の合う者同士が生まれる… 
敵味方を超えて友情を見つけた、イスラエル人とパレスチナ人の二人の女の子がインタビューされていました。
彼女達は「帰ってからも連絡を取り合い、お互いに励ましあっていきます。また自分達の家族や友人にも、お互いのことを報告すれば、彼等の偏見も薄れて行くように思います。お互いに出会えて、本当によかった」みたいなことを言っていたのを記憶しています。

勿論これは、サクセスストーリーを敢えて取り上げたのでしょうから、最後まで仲良くなれなかった参加者もいたでしょう。その辺を割り引いて考えても、いい話だなあと思いました。

この話は、哀Myさんのおっしゃったことを、逆に証明しているように感じました。
イヤな奴だと思うのは、価値観の相違から来るネガティブな思い込みから来ている…
敵だと思っている人でも、実際にコミュニケーションしてみると、同じ様な点がいくつも見つかる… つまる所は、普通の人間なんだ。
そういうことを、このニュースは語ってくれたように思います。

499露夢虫:2003/06/21(土) 16:18
498 つづき

> 異質な考え方に対する恐怖、疑心暗鬼、被害者意識が殺し合い(異質を排除&抹殺)に発
> 展するのだと考えています。

価値観の相違に関する無知・無関心だけではなく、そこから沸き起こる「恐怖、疑心暗鬼、被害者意識」が、対立を激化させているということですね。
私より、さらに突っ込んだ見解だと感じています。

この文章で、以前ウェブで見たニュースを思い出しました。
なので詳細ははっきり覚えていないんですが、(ソースを出せとか言う人いるかな?言われるのなら探してきます。)アメリカのメイン州にある国際交流のための私立の合宿施設に、イスラエルとパレスチナの双方から、フツーの高校生が何十人か招待されて、そこで数週間程一緒に暮らしたことに関してのレポートでした。

一緒の部屋で寝泊まりして、運動会をやったり、研究プロジェクトをやったり、ボランティアをやったりしているうちに、最初はまっぷたつに別れていたグループが、だんだん一緒になっていったっていうんですね。

参加者の何人かにインタビューしていたんですが、最初はどちらも「恐かった」んだそうです。そりゃそうですよね、お互い「敵」同士で、今まで一度も話したこともなかったそうですから。
それが、生活を共にして一緒に活動しているうちに、「なんだ、私達とそんなに変わらないじゃないか、私達と同じように戦火を恐れて生活しているじゃないか」ということが分かってきたそうです。

やがて、気の合う者同士が生まれる… 
敵味方を超えて友情を見つけた、イスラエル人とパレスチナ人の二人の女の子がインタビューされていました。
彼女達は「帰ってからも連絡を取り合い、お互いに励ましあっていきます。また自分達の家族や友人にも、お互いのことを報告すれば、彼等の偏見も薄れて行くように思います。お互いに出会えて、本当によかった」みたいなことを言っていたのを記憶しています。

勿論これは、サクセスストーリーを敢えて取り上げたのでしょうから、最後まで仲良くなれなかった参加者もいたでしょう。その辺を割り引いて考えても、いい話だなあと思いました。

この話は、哀Myさんのおっしゃったことを、逆に証明しているように感じました。
イヤな奴だと思うのは、価値観の相違から来るネガティブな思い込みから来ている…
敵だと思っている人でも、実際にコミュニケーションしてみると、同じ様な点がいくつも見つかる… つまる所は、普通の人間なんだ。
そういうことを、このニュースは語ってくれたように思います。


> 「意図的な差別主義を掲げる」と書いておられるKKK等にしても、元々は彼らの強い被
> 害者意識から発生していて、私達も条件さえ揃えばいつでもKKKのようになり得ると考
> えています。

これも全く同感です。
「人間はいつでも残虐になれる、不条理な存在である」
これは歴史が証明しているのではないでしょうか。
ナチスのアウシュビッツ・ユダヤ人強制収容所の所長も、家に帰れば大変いいお父さんだったそうです。
所長の家族は、戦争が終わってアウシュビッツの実態が世間の目に晒されるまで、「うちのお父さん」がそんな残虐なことを毎日行っていたとは、想像さえしなかったそうです。

KKKも、アメリカの所謂「ホワイト・トラッシュ」(白人のゴミ−という意味ですね)が多いと聞いています。アメリカの中南部に行くと、それは酷い有り様の、白人貧困層の地域があるらしいです。また教育も満足に受けず、仕事もしない白人を「ホワイト・トラッシュ」と、軽蔑の意味を込めて呼ぶこともあるそうです。

私もこの程度の認識しか無いので、彼等が自分の意志で教育も受けず仕事もしないのか、または、教育も受けられず仕事も無い状態なのか、それは分かりません。しかし、彼等もある意味で「被差別者」なのです。
全てのホワイト・トラッシュがKKKである筈はありませんが、それでも自分の悲惨な境遇を、知識・教養の低さから来る認識不足のために、「かつての」被差別者であった黒人に対して怒りを向ける構図は、理解できます。

また、ネオナチも、多量に流れ込む移民に職を奪われた、若い労働者階級が多いと聞いたことがあります。そのために、「ゲルマン至上主義」に走る構図も、また同じ様なものでしょう。

つまり、「差別主義」を掲げる人々は、「差別された」ことへの「怒り」を、「差別する」ことに転化させていったという見方もできるのではないか、ということを、哀Myさんはおっしゃりたかったのではないかと思いました。

500露夢虫:2003/06/21(土) 16:34
>>499

すみません。
499の前半が、498に書かれたことと、ダブル書き込みになってしまいました。
申し訳ありません。
ついでに500ゲット??!!

501露夢虫:2003/06/22(日) 10:33
>>495-497
武蔵さん
「一日一レス」の亀虫です。(笑)

> 欠点の目立つ個性ですがよろしくお願いします(^^;

こちらこそ、失敗ばかりしてますが、よろしくお願いします。
お互い、少しでも上達できるように頑張りましょう。


>一番大事なのは、「まず怒る」ということだと思います。
> 差別されたときに怒ることって、すごくエネルギーが必要なんですよ。
> 自分がその差別される位置であることを隠しておきたいとか、
> 怒ることで、よりいっそうの差別を受けると言う恐さとか・・・・
> それを乗り越えて「怒り」を表現するとき、訴え方の工夫なんてことは、第2の問題に
> なると思います。

なるほど、「被差別者の立場に立って」みれば、「怒る」ということでもすごく勇気の要ることなんですね。
武蔵さんのお返事を読んで、とても良く分かりました。

ところで、武蔵さんが行かれた徐京植さんの講演会では、被差別者の「怒り」は表現されていたのでしょうか? もしそうならば、

1)具体的に、どのように表現されていたのですか? 
2)それを聞いて、武蔵さんはどのように感じられましたか?


>>「押しつける」方は主に目下の人に(妹、弟とかですね)
>>それから「押しつけられる」方は目上の人から(親とか、先生とかですね)

>これね、逆の場合が一番問題なんじゃあないでしょうか?
>「押し付け」が上から下に流れる場合は、内容によれば頭から反発してもいいように思います。
>しかし、下のものの価値観は一度素直に「受け止める」必要があると思います。
>「受け入れる」かどうかは、その次の問題ですが、きちんと相手の立場に立って考えてみる必要があると思います。

えーと、ここのところがちょっと分かりにくかったのですが。
具体的には、どのような場合のことをおっしゃっているのですか? 

今回は「質問編」となってしまいましたが、
どうぞよろしくお願いします。(礼)

502武蔵:2003/06/22(日) 13:00
>>501

>ところで、武蔵さんが行かれた徐京植さんの講演会では、被差別者の「怒り」は表現されていたのでしょうか? もしそうならば、

1)具体的に、どのように表現されていたのですか? 
2)それを聞いて、武蔵さんはどのように感じられましたか?

徐京植さんは、怒りの表現は全くされませんでした。
彼はインテリですし、差別を分析することもできます。
また、差別した本人に対峙している場ではなく、講演の場でもあります。
表現方法も、今までの人生の中でずいぶん練れているはずでもあります。
差別のなかで「見えない人間である虚しさ」のようなものを見せてくれたと言う気持ちです。

>>これね、逆の場合が一番問題なんじゃあないでしょうか?「押し付け」が上から下に流れる場合は、内容によれば頭から反発してもいいように思います。しかし、下のものの価値観は一度素直に「受け止める」必要があると思います。
>「受け入れる」かどうかは、その次の問題ですが、きちんと相手の立場に立って考えてみる必要があると思います。

あなたの出された例でいえば、親とか先生には反発してもいいのではないか。
その時は「痛い目にあう」のも覚悟ですし、痛い目にあってみて、自分の主張がそれでも正しいのか、反抗のための反抗であったのか、考える機会はいっぱいあります。
それに反して、妹・弟・立場の弱い同級生・下級生その他、
自分が「押し付ける側」にいると思われる立場の人からの押し付けは、
一度丸ごと受け止めて、その相手の立場になって考えてみる必要があるのではないかと言うことです。
それでないと相手の主張は見えません。
その上で、相手の言い分が誤っていると思えば冷静にそれをいい、
相手が言い返せばまた相手の立場で考える。
そうでないと、相手の立場は永遠に見えてこない。
「いじめ」なんかは、絶対にいじめられる側に立たないと見えてこないものがあります。

503武蔵:2003/06/22(日) 14:05
>>502

つづき
>なるほど、「被差別者の立場に立って」みれば、「怒る」ということでもすごく勇気の要ることなんですね。

分かってくれたのに言うのもなんですが、
まだ分かっていない人もいるかと思って追加です。
いじめられっこが、いじめられているという事実を口にするってことは大変な勇気が必要ですね。
自分の絶対的な味方である親にすらいえない。
親が動くことによって、よけいにいじめられるとか、親に心配かけたくない、とか言う理由以上に
自分がいじめられているという事実そのものを恥ずかしいことだと思ってしまう。
「恥の告白」のような苦しみがある。
被差別者が最初に克服しなければならないのは、自分の中にある「恥の思い」であると思うんです。
科学的・客観的には、本人の恥なんてものはゼロなんですが、
本人も回りもそれを、恥ずかしいことと思っている。
そこに差別の本質があるように、私には思えます。

504露夢虫:2003/06/22(日) 18:07
>>502

武蔵さんへ
今日は「一日二レス」を成し遂げました! 褒めてくれますか?(笑)

>徐京植さんは、怒りの表現は全くされませんでした。
>彼はインテリですし、差別を分析することもできます。
>また、差別した本人に対峙している場ではなく、講演の場でもあります。
>表現方法も、今までの人生の中でずいぶん練れているはずでもあります。
>差別のなかで「見えない人間である虚しさ」のようなものを見せてくれたと言う気持ちです。

ご説明ありがとうございました。
なるほど、徐京植さんは、「怒り」を出さずおだやかに「差別を分析」しながら、「練れている」つまり修養を積んだ「表現法法」を用いて、講演されたということですね。
だからこそ、「感動というのが、心を揺さぶられるというなら、まさにそうでした。(430)」とおっしゃる程、武蔵さんは感動されたのだと思います。

ここで、二人で話し合って来たことをちょっとまとめてみたいと思います。

「価値観の違い」から起こる差別や偏見を受けている人が、それを少しでもなくして行く為のステップとして

1.「価値観の違い」に対する無自覚に、気付いてもらう。(第1段階)
2.「価値観の違い」の内容について、知ってもらう。(第2段階)
3.「価値観の違い」について理解し、尊重してもらう。(第3段階)
4.そして出来れば、「価値観の違い」について、共感してもらう。(第4段階)

に分けられると思います。順序としては、1から4に進んでいくと思いますが、それでいいでしょうか。

武蔵さんは、>>496 でこうおっしゃいました。

>一番大事なのは、「まず怒る」ということだと思います。
>差別されたときに怒ることって、すごくエネルギーが必要なんですよ。
>自分がその差別される位置であることを隠しておきたいとか、
>怒ることで、よりいっそうの差別を受けると言う恐さとか・・・・

これは私が全く気付かなかったことで、非常に納得しました。
そして私は、「怒る」ことは、1の段階で大変効果があると思いました。
差別や偏見を受けている人が、勇気を振り絞って「怒る」ことは、「問題が切実であること」を伝えることが出来ますね。「価値観の違い」について無自覚・無知な人の注意を喚起することができます。
武蔵さんは、そういう意味で「まず」怒ると言われたと思います。スタート地点ということですね。
もちろん「怒る」だけでなく、冷静に伝える方法もあるでしょう。

ですが、2〜3の段階においては、徐京植さんのような方法が主体となってゆくべきと思うのですが、武蔵さんはどう思われますか。
徐京植さんが、「今足踏んどるやろ。痛いやんけ!どけんかい!!!」と言いっぱなしだったとしたら、武蔵さんはあれほど感動されなかったと、私は思います。

徐京植さんは、
魯迅の例等をを取り入れながら、具体的に差別された側からの視点を紹介する。
パネルディスカッションを設ける等の工夫をする。
差別問題に、分析も交えることによって、客観性を加える。
「怒り」を決して出さずに、おだやかに語る。
といった、相手の理解を促す為の、伝える側の努力を怠らなかった故に、彼は2〜3どころか、おそらく1〜4全てを達成できたと思うのです。

つまり、差別や偏見を訴える上で、現在どの段階にあるのかを、訴える側がよく分かっている必要があると思うのです。
「怒り」は第一段階では有効であるが、相手が気付いてくれたら、第二段階以降は、もう怒ってはいけないと思うのです。
徐京植さんのように、おだやかに冷静に、相手に理解してもらえるように、伝えてゆく必要があると思うのです。 
これは、個人対個人の場合にも、運動として行う場合にも、当てはまると思うのですが、武蔵さんはどう思われますか?

505露夢虫:2003/06/22(日) 18:11
504 つづき

>あなたの出された例でいえば、親とか先生には反発してもいいのではないか。
>その時は「痛い目にあう」のも覚悟ですし、痛い目にあってみて、自分の主張がそれでも正しいのか、
>反抗のための反抗であったのか、考える機会はいっぱいあります。
>それに反して、妹・弟・立場の弱い同級生・下級生その他、
>自分が「押し付ける側」にいると思われる立場の人からの押し付けは、
>一度丸ごと受け止めて、その相手の立場になって考えてみる必要があるのではないかと言うことです。
>それでないと相手の主張は見えません。
>その上で、相手の言い分が誤っていると思えば冷静にそれをいい、
>相手が言い返せばまた相手の立場で考える。
>そうでないと、相手の立場は永遠に見えてこない。
>「いじめ」なんかは、絶対にいじめられる側に立たないと見えてこないものがあります。

ああ、これで分かりました。
私が494で、「善意による価値観のおしつけ」が、いかに優越意識に基づいたものであるかを説明するために、身近なところで親子や兄弟等「役割としての上下関係」から生じやすい「善意のおしつけ」を例に挙げたのが、ちょっと混乱を招いたようです。

人間には、親と子や先生と生徒など「役割」としての上下関係はありますね。
「役割」における上下関係で見られる「善意の押しつけ」を、「役割」を取り払った「人間対人間」の間で行ったとしたら、それは「無自覚な優越意識」に基づく立派な「差別」ではないのか? というのが、私の論点でした。

「お前のためを思って」と、違う価値観を下の者に押しつけてしまうが、押し付ける方は善意である。(うるさい父親など)
しかし下の立場に立ってみれば、「お前のためを思って」なんて言われても、それが善意とは受け取れず、ウルサイだけである。(不良少年など)

つまり、「善意のおしつけ」は常に「上から下」に流れるものであって、「下から上」に行くことはないと思っていたので、497の
「下のものの価値観は一度素直に「受け止める」必要があると思います」
というご意見を読んで「ン? なんで下から上に善意のおしつけが流れるの?」と思ってしまった訳です。

これは「押し付けられた場合のリアクション」についてのご意見だったのですね。
例えば、子供から「ウッセーヨ!」と言われたら、親は「何故ウルサイと思うのか」を真摯に受け止めよ、ということですね。それなら同意です。
ただ、親にしてみれば、子供にも分かってほしいと思っているでしょうね。(笑)

ところで、少し確認したいのですが、
挙げていただいたこの「具体例」の中で、妹弟に加えて「弱い立場の同級生」を出され、「いじめ」の話をされていますが、武蔵さんは、「いじめる側」=上、「いじめられる側」=下、と感じておられるのですか?
またそれは「差別する側」=上、「差別される側」=下、と感じておられるということですか?
(これは「役割」の話ではありません)

506露夢虫:2003/06/22(日) 18:12
>>503
(武蔵さんにお返事を返そうとしたら、また新しいカキコミが…)

非常に共感できるご意見です。

>自分がいじめられているという事実そのものを恥ずかしいことだと思ってしまう。
>「恥の告白」のような苦しみがある。
>被差別者が最初に克服しなければならないのは、自分の中にある「恥の思い」であると思うんです。

まず最初に「自分が悪い」のではないんだということに、気付くことが重要なことですね。
それに気付いた時に出てくるのが、「怒り」の感情ということですね。
そう言われれば、性的虐待の被害者が、その精神的なショックから立ち直るための「回復過程」についても、これと同じ様なことが言われていますね。

507武蔵:2003/06/22(日) 18:52
>>504

>今日は「一日二レス」を成し遂げました! 褒めてくれますか?(笑)

私に「誉める」資格があるとは思わないですが、ありがたく、嬉しく思います。
最高の話し相手で、私が意図しながら表現でききれていないことまで
あなたの言葉で表現していただいています。

1.〜4.の段階の話もよく分かります。
これで思い出したのですが、ソ・キョンシクさんは、お母さんの話をなさいました。
お父さんが徴用されることになり、そうすると家族全員が生きていけなくなるので
お父さんは逃げたのだそうです。
もちろん、そんなことで済まされるはずがないので、お母さんが尋問されます。
そのときお母さんは、地べたに這いつくばって、地面を叩いて大声を上げて泣き叫んだのだそうです。
それが出来たのは、彼女が学校教育を一切受けたことがなかったからだと言われました。
学校教育には「いい国民」を作る役割がある。
教育を受けたら、お上にたてつくことはもちろん自己主張すらできなくなるものかも知れません。
しかし、教育を受けることによって、あなたの言われる4.に至るまでの
冷静で効果的な訴えができるようにもなります。
教育には、鋳型にはめ込んで1.をやれなくする働きと、
4.までやりぬける能力をつける働きの、二面があるんですね。

508ぼーん:2003/06/22(日) 19:11
>>504 by 露夢虫さん
> つまり、差別や偏見を訴える上で、現在どの段階にあるのかを、訴える側がよく分かっている
> 必要があると思うのです。

この見解には断固として反対します。
僕がイカさんと「「α」に軸足をおいて・・」スレでやりあっているのも、これと同じ問題なんです。

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2500&KEY=1055820266&START=44&END=44&NOFIRST=TRUE

に書いた、非暴力運動をしているパレスチナ青年のコメントについての話を参照してください。

「つまり、差別や偏見を訴える上で、現在どの段階にあるのかを、訴える側がよく分かっている
方が良い」

までしか言えないし、言ってはならないと思います。
わかっている方が良いが、わかっていないとしても何ら責められる理由にはならない。

告発する側は、告発する内容が正当であるかどうかについてだけ、責任を負うというべき
です。告発する内容が正当ならば、よほど暴力的な手段を取らない限り、告発の方法に
ついてまで何らかの義務があるかのように言うべきではない。

この点は断固として主張したいですね。
告発する側に、告発する責任なんてない。やむにやまれずやっているだけなんですから。

509武蔵:2003/06/22(日) 19:14
>>505

>例えば、子供から「ウッセーヨ!」と言われたら、親は「何故ウルサイと思うのか」を真摯に受け止めよ、ということですね。それなら同意です。
ただ、親にしてみれば、子供にも分かってほしいと思っているでしょうね。(笑)

そうですね。善意の押し付けをする側は、なぜ反発を受けるのかが分からないで、
単に反抗期だからとか、被害妄想だとか、思ってしまいがちだと思います。
善意であればあるほど、そう思うでしょう。
あなたの出してくれた、はだし族の靴問題でもそうでしょう。
せっかく文明人の考え出した、最高に速く走れる高価な靴をプレゼントしているのに、
なぜアベベは裸足で走るのか? 凍てつく地面、焼け付く地面、裸足でどこまで耐えられるものか、
そろそろ文明化すべきだよ、とかね。

>「いじめる側」=上、「いじめられる側」=下、と感じておられるのですか?
またそれは「差別する側」=上、「差別される側」=下、と感じておられるということですか?
(これは「役割」の話ではありません)

「上下」と言えば、身分や立場の違いを肯定する言い方になるようで、ちょっとひるみますが、
「強弱」と言うような言葉に変えても、一面的でしばしば立場の逆転はあると思います。
ただ、事象としての「いじめの局面・差別の局面」だけをとらえたら、上下・強弱、そういう立場が当てはめられるのではないでしょうか?
露夢虫さんはどう思われますか?

510武蔵:2003/06/22(日) 19:24
>>506

>まず最初に「自分が悪い」のではないんだということに、気付くことが重要なことですね。
それに気付いた時に出てくるのが、「怒り」の感情ということですね。
そう言われれば、性的虐待の被害者が、その精神的なショックから立ち直るための「回復過程」についても、これと同じ様なことが言われていますね。

私の言葉足らずのところをよく補ってくださっていて、ほんと、感動的です。
差別問題も、いじめ問題も、問題は差別する側にあってされる側にはないのだ。
いじめられる側にはないのだ。
強姦被害者の側にはないのだ。
こういうコンセンサスが、世間に流布されることが非常に大事ですね。
「あんなスケスケの服装していたら、強姦してくれといっているようなものだ」とか
「沖縄米軍人に強姦された女は、米軍をキャッチするためにあのバーに集まる女だから、強姦罪で訴えられた米兵の方がむしろ被害者なんだ」
こんなことを書き連ねる週刊誌に、迎合するのではなく、怒りの声を上げなければね。

511武蔵:2003/06/22(日) 19:32
>>508

私も、「必要」という言葉にひっかかりました。
同じ思いです。
それは、差別を訴える側が戦略的により効果の上がるやり方を考える為のものであって
訴えられる側が求めるべきものではありませんね。
露夢虫さんもそれは分かっておられるとは思うのですが、
言葉の点検はした方がいいと私も思います。
戦略的にすら、1.の方法のほうが有効な場合もありますから、必ずしも
1.→4.の順に高度化するとも言い切れないと思います。

512露夢虫:2003/06/22(日) 20:56
>>508

504-506の全ての文を読んで頂けたら、私が「怒り」を表わすことですら、大変な人がいるということを、武蔵さんのご意見を伺って、気付き、同意したことは、お解りいただけますね。

そして、「怒り」に留まってうまく説明できない程、切実な人々がいることを、私が決して否定していないこと、そしてそのような人々に共感していることも、お解りいただけますか?(特に506から)

私が、3つのレスにまたがって延々と自分の意見を書いた中の、ただ一つの言葉「必要がある」だけを取り挙げて、私の意見を曲解されたのは、大変驚きましたし、真意を汲んでいただけないのは、とても残念です。

また「言葉のアヤ」について、謝らなければならないのですか?
「必要がある」という「一言」によって、「全て」を「断定」する前に、「〜ではありませんか?」「〜という意味ですか?」と、確認を入れられれば、今回も、時間のムダを防げたと思いますが…

(武蔵さん、武蔵さんには明日お返事します。)

513ぼーん:2003/06/22(日) 21:34
>>512
露夢虫さんの善意を疑っていません。
しかし、「必要がある」という言い方は、ちょっと見過ごせないんです。
これは、「言葉のアヤ」なんて小さい意味じゃないんですよ。
少なくとも僕にはそうは思えません。

> 「必要がある」という「一言」によって、「全て」を「断定」する前に、「〜ではありませんか?」
> 「〜という意味ですか?」と、確認を入れられれば、今回も、時間のムダを防げたと思いますが…

冷たいようですが、「必要がある」という表現は、「必要がある」という意味にしか取れません。
「**達成のために++が必要である」
と言うことは、
「++がなければ**は達成されない」
ことを意味します。そうとしか読めない。
露夢虫さんの意図が違っていたのだとすれば、だからこそ、ここでのこの表現はマズイと思います。
また、次の箇所からも似たような問題を感じます。

> 徐京植さんは、
::
> といった、相手の理解を促す為の、伝える側の努力を怠らなかった故に、彼は2〜3どころ
> か、おそらく1〜4全てを達成できたと思うのです。

どうでしょう?何も引っかかりを感じませんか?
次の記述も気になります。

>>504
> 徐京植さんが、「今足踏んどるやろ。痛いやんけ!どけんかい!!!」と言いっぱなしだったと
> したら、武蔵さんはあれほど感動されなかったと、私は思います。

徐さんは、別に我々を感動させるために語っているわけではない。
我々に、他者の抑圧の問題を自分の問題として考えて欲しいから、ああして語ってる。
そのときに、彼は自発的に(「自発的に」です)、話が上手く通るような語り口を考えるでしょう。
戦略的に。彼は彼にできる最善を尽くす。
しかし、彼のそのやり方「だから」いいのだ。といわれたら、徐さんは全力で否定するのではない
か、と僕には思われます。

たしかに徐さんの語り口は優れているのだろうけれど、「まずそれが話題になってしまうこと」
は、徐さんの本意ではない。と僕には思われます。
というのも、たとえば、彼の講演の中で、次のような話があったからです。

尹東柱という人の詩について。
「彼の詩に描かれている「創氏改名の悲哀」
しかし日本人は尹東柱は叙情的な美しい詩を書くから好きだという。
声を荒げて居丈高な抗議調の詩ではないから好きだという。
そこに断絶を感じる。善意であるだけに、そうじゃあないんだよとは言いにくい。」

なぜ、そこに断絶を感じるのか。そこを是非とも考えて欲しい。
同様のことは、彼の他の著作でも指摘されていたように思います。
こう考えてみると、徐さんの語り口の巧みさを誉めれば誉めるほど、徐さんの意図とは離れてい
くような気がします。いかがでしょうか?

武蔵さんにも尋ねてみたいのですが、この点、露夢虫さんが言うように「そういう言い方したら、
感動しなかった」と言われていますが、そこはそれで済まされて構わないのでしょうか?


> また「言葉のアヤ」について、謝らなければならないのですか?

前から気にはなっているのですが、この場で、誰に対してであれ、議論のやり取りの行き掛かり
の上で誰かの意見を受け入れたからといって、誰に謝らねばならない、ということはないと思い
ます。まして僕は被抑圧者として誰かを糾弾しているわけではないです。
僕は僕に分かる限りのことを、出来る限り最善の方法で述べるだけです。

「なるほど、そうか」で済ませてもらえればいいんじゃないかと思います。

別に、露夢虫さんを糾弾したいわけじゃないんです。やらないで済ませたいとすら思います。
僕が指摘しているような問題点は、かつては僕自身がやりつづけていたことですしね。
糾弾する資格があるはずもない。ただ、僕の目の前でそれが繰り返されているならば、
僕に出来る限り最善の方法でそこを指摘する責任はあるかな、と思います。

514武蔵:2003/06/22(日) 22:19
>>513

ぼーんさん・露夢虫さん。

>露夢虫さんの意図が違っていたのだとすれば、だからこそ、ここでのこの表現はマズイと思います。

これはそう思います。
ここでは、引っかかったことを言葉にすることが大事だと思います。
露夢虫さんを全否定するという意味ではなく、むしろ話の通じる人であるからこそ、
この程度の引っ掛かりを厳密に問題にする「必要がある」と、私は思います。
足を踏まれて痛いという人に対して「そんなところに足を置いとく奴が悪いんじゃあ」と開き直るような人には、ここまで突っ込んだ話はできないんです>露夢虫さん
だから、相当近い考えを持ったぼーんさんだからこそ、
他の人にはしないわずかな違いに対して批判をすることが、私にはありえます。

>> といった、相手の理解を促す為の、伝える側の努力を怠らなかった故に、彼は2〜3どころか、おそらく1〜4全てを達成できたと思うのです。
>どうでしょう?何も引っかかりを感じませんか?

これが出てきたから、(引っかかったから)キョンシクさんのお母さんの話を思い出しました。

>> 徐京植さんが、「今足踏んどるやろ。痛いやんけ!どけんかい!!!」と言いっぱなしだったと
> したら、武蔵さんはあれほど感動されなかったと、私は思います。

確かに感動をさせるためにキョンシクさんが話したのではありません。
しかし「今足踏んどるやろ。痛いやんけ!どけんかい!!!」と言いっぱなしだったとしたら、
訴えられている「踏まれて痛い」ということは理解できても
「見えない立場の虚しさ」までは理解できません。深まりはありません。
どこに問題があるのかを科学的に分析して、わからせる能力を持ったことを、素直に評価することが悪いとは私には思えないです。
そういう意味で露夢虫さんの言い分は正しいです。
教育の二面性と言ったのはこのことです。
教育を受けなかったからこそ強さがある。
教育を受けたからこそ科学的に分析して、人に問題の根源を理解させる能力を持つ。
車の両輪のようなものです。

>また「言葉のアヤ」について、謝らなければならないのですか?

これは、ぼーんさんの言う通りと思います。
お互いに批判しあって、自分の中にある「差別性」をチェックする。気付いていく。
露夢虫さんも、どんどん私やぼーんさんを批判してください。
そして、私の誤りがわかったら、そうだったと理解するだけであって、
批判者に対して謝る必要はないし、謝られても困ります。

515武蔵:2003/06/22(日) 22:33
>>514 に追加です。露夢虫さん

私なんぞも、一杯人の足を踏みつけながら、それに気づいていないことが多いと思うんですよ。
善意であるだけに、余計に始末が悪い(笑)
それを遠慮なく指摘してくれる人がいないと、いつまでも踏み続けます。
それは私の本意ではありません。
(恐らく、露夢虫さんの本意でもないと思います)
ぼーんさんも「僕が指摘しているような問題点は、かつては僕自身がやりつづけていたことですしね。
糾弾する資格があるはずもない。」といっていますね。
人のことは見えやすいってことも事実です。
そういう意味で相互批判はとっても大事な、必要なことだと思うのですが、
どうでしょう?

516露夢虫:2003/06/23(月) 00:14
>>514-515

武蔵さん、どうもありがとう。
武蔵さんの真意がすごくよく伝わってきたし、心に沁みました。
もう、眠くなって来たので、しっかりお返事は書けないから、
それだけ言っておこうと思いました。

517武蔵:2003/06/23(月) 00:44
>>516

夜遅くまで考えて、レス有難うございました。お休みなさい。
明日読んでくださるために、書いておきます。
私も今まで考えていました。
私は露夢虫さんの感性を買っています。
言葉足らずの、あれだけのコメントで、1.を肯定する人は
そうたくさんはいないと思います。
「怒鳴りつける」と言ったとたんに、
「怒鳴りつけるなんてことは、大人のすることではありません。
社会人なら、感情的にならずに対処すべきです。
私が会社の人事科なら、そんな人は雇いません」なんて、
的外れのことを言いだす人さえいましたよ(笑)。
あれだけで理解できるということは、露夢虫さん自身が、
もう既にそれを共有できる感性の持ち主であったと言うことです。
私なんぞは、怒鳴りつけられたら怒鳴り返すことからはいりましたから(^^;
これからの露夢虫さんとの対話、楽しみにしています。

518露夢虫:2003/06/23(月) 09:20
>>513

ぼーんさん

今回の相違点について考えていく上で、ぼーんさんのおっしゃりたいことを、自分なりにまとめてみましたが、これでいいですか?

ぼーんさんの主張:
「何かを訴える者は、まず訴えの内容が正当である「必要」があって、どのような「方法」を取るかは、個々の自由である。」

もし、これが当たっているとすれば、それは何故そう思われるのですか?

(なお、現在私と武蔵さんは「価値観の違い」についてのジェネラルな話をしていますので、ぼーんさんの使われた「告発」という言葉を、「訴える」に置き換えています。)

よろしくお願いします。

519武蔵:2003/06/23(月) 10:26
>>518

横レスすみません。
先に見たものが、ちょっとでも早く・・・
微妙な違いですが、私ならこうまとめます。
「差別(いじめ)を受けたものは、訴えの内容が正当であるかどうかを考える「必要」はあるが
、どんな「方法」であれ、とりあえず訴える必要がある」
《正当である必要》とまで言ってしまうと、正当の判断が難しくなります。
こどもや教育を受けていない人が対象である場合が多いですし・・・・
「殴られた」なんて分かりやすい「不当」だけではありません。
心が傷つけられたときには、その傷ついたのは相手が悪いからだと言うことがなかなか分かりません。
自分がダメだからこうなるのだと思ってしまいます。
私は何より先に「訴える」ことを優先させたいと思います。

520武蔵:2003/06/23(月) 11:04
>>519

即レスは、言葉足らずになりますなあ。
「正当かどうか」は、訴えを受けたものが考えたらいいのであって
足を踏まれたものは、とりあえず「痛い!どけろ」と訴えねばならない、
のではないかな?
聞いたものは冷静に、「そんなところに足を置いたら踏まれるのが当然だった」
とか「踏んだものは知らずに踏んだのであって、悪意はなかった。どけさえしたら許される」
とか「これは悪質ないじめであるから、どかした上で謝罪と賠償の必要がある」
とか、正当性についての判断をして、訴えた人をサポートする「必要」があると思うけど・・・・

521武蔵:2003/06/23(月) 11:29
>>520

訴える人は、正当不当を考える力がなくってもとりあえず訴える必要がある。
(考える力があれば考えた方がいいのですが)
訴えを聞いたものが、サポートしなければならないと言うことに追加。
訴えられたものは、必ずと言っていい位不当な訴えだと開き直ります。
「不当にも差別者とかいじめっ子という不名誉なレッテルを貼られた、こちらこそ被害者である」とすら言います。
かくいう私も、開き直ったクチで、
今思うと目から火が出る恥ずかしい開き直りをしました。
そこで、訴えたものを守る体制が、社会的に必要になってきます。
強姦被害者、セクハラ被害者、差別、いじめ。
第3者機関の冷静な判断によって、訴えられたものの「冤罪」も防ぐことができますしね。

522ぼーん:2003/06/23(月) 13:03
>>518
手際よいですね。話がずっとスッキリしました。

> ぼーんさんの主張:
> 「何かを訴える者は、まず訴えの内容が正当である「必要」があって、どのような「方法」を取る
> かは、個々の自由である。」

このまとめと僕の意図のズレについて話すと、話がわかりやすくなるように思います。

「個々の自由である」というのが、一体どういう意味なのか。
ここがポイントになります。

「どのような「方法」を取るのであれ、それは正当化される」という意味ならば、それは違います。
正当化もされないし、不当だともとりあえず言いません。

ただ、不正義に対して何かをなす義務がすべての人にある。とするならば。
告発をする人は、その告発という行為において、その義務を既に果たしはじめている。
その告発によって初めて問題に気付いた人々は、既に部分的に義務を果たしはじめている
その人にもっと多くのことを要求する前に、自らが義務を果たす態度をまずは示すべきでは
ないでしょうか。

その際、告発者の告発の仕方の問題よりも先に、己を問うという作業があるべきです。
その作業があって初めて、私たちは告発者と共にあろうとする態度を示すことができます。
逆にいえば、それを抜きに告発者のなすべきこととして告発の仕方を言うこと、それは、
告発者との間の断絶を意味していると言うべきだと考えています。

523露夢虫:2003/06/23(月) 17:46
>>510

武蔵さん、こんにちは。
本当は、全てのカキコミにお返事を返したいのですが、今日は時間がありませんので、
最後のところだけ。

>差別問題も、いじめ問題も、問題は差別する側にあってされる側にはないのだ。
>いじめられる側にはないのだ。
>強姦被害者の側にはないのだ。
>こういうコンセンサスが、世間に流布されることが非常に大事ですね。

差別問題、いじめ問題、性的虐待問題等、被害者の実態に対して理解が広まってほしいと思います。また被害者に対する偏見もなくなっていって欲しいです。

武蔵さんのおっしゃるように、被害者は声に出して叫ぶだけでもやっとな人が多いのですね。他人から見たら小さなことでも、本人に取っては大変なことなのですね。
性的虐待の被害者も「自分は悪くない」と思えることが、回復する上で非常に大きな一歩らしいです。そう思えると今度は「怒り」が出てくるのだそうです。そこから先のステップは忘れちゃいましたが、「怒り」が出ることは相当な進歩であるとのことです。

それから私は、精神病を患う人に対しても、同様に偏見が少なくなってほしいと思っております。私も専門家ではないので詳しいことは分かりませんが、精神病は、風邪や胃潰瘍等と同様、脳が病気になったもので、治療や薬で大分よくなるそうです。もちろん身体の病気と同様に、先天性、慢性、急性と様々ですが、人格そのものがおかしくなったのではないのです。
仕事でストレスが溜まって鬱病になる人が多いと聞きますが、人々の精神病に対する偏見が少なくなってくれれば、気軽に精神科のドアを叩けるのにと思います。

このように私は、偏見のために被害を被ったり肩身の狭い思いをしている人に対して理解が広まってほしいと思っています。
ただ私は、そのような場合でも、一方が良くて一方が悪いというような、両極的な見方はできないのです。まずそれはケースバイケースであろうということと、物事というのは視点を変えると違った見方が出来ると思うからです。武蔵さんが、いみじくも「教育の二面性」とおっしゃったように、人間が関わる物事には様々な面からの見方があると思うのです。

例えば、自分の子供を虐待する親も、自分が小さい頃に虐待を受けて育ったというケースが多々あるのです。自分が愛情を受けていないため、自分の子供にどうやって愛情を注げばいいのか、わからないのですね。だからといって虐待が許される訳ではないですが、虐待というのは、親から子に連鎖するケースが多いということです。

あと、哀Myさんのお返事(>>499 前半は二重カキコミになってしまってます)に詳しく書きましたが、差別主義を抱えるKKKやネオナチでさえ、裏を返せば被差別者だったり、社会の被害者だったりする…
被害者と加害者というのは、常に入れ代わる可能性を秘めていると思うのです。

また、勧善懲悪でお馴染みの時代劇でも、視点を変えれば全く別のものに見えてくる…
悪徳商人の越後屋も、従業員から見れば、自分達のことを必死で守ってくれるいい社長さんかもしれない。
水戸黄門も、町人から見れば、それこそ武蔵さんと話した「優越意識に基づく善意のおしつけ」をやっているかもしれない。頼まれもしないのに、人助けをやってるつもりの… そういう意味で言えば、「かわいそう」と思う気持も、見方を変えれば「優越意識」の裏返しかもしれないのです。


このように、人間が様々な価値観を持って生活している以上、様々な見方があり、様々な視点から見ることが可能なのです。だから、私が差別や偏見が無くなっていってほしいと思うのは、「かわいそう」だからでもなく「差別した方が悪い」からでもなく、ただ彼等が同じ人間だと思うからだけです。

だから、私は武蔵さんと「価値観の違い」について、一緒に考えているのです。



最後に武蔵さん、いろいろと気を配っていただいて、本当にありがとうございます。
私はぼーんさんの主張をはっきりと知って、自分との主張が同じなのか違うのか、違うとすればどこなのかを考えたいのです。今のままではまだよくわからないのです。
それだけなのです。(笑)

524哀My:2003/06/23(月) 18:04
>>523
露夢虫さんを援護したくていろいろ言葉を考えていたのですが、本当に今ROMするだけで精一杯というくらい時間に追われてるのでどうしようかと迷ってたました。
でも、どうも無用なお節介のようでした。
差別の問題は個々の体験に深く関わるので、やはりその個々のケースをひとつひとつ検証せずに一括りで言うのは危険すぎる(誤解を招きやすい)と思います。
ですが、私はだいたい露夢虫さんと同意見です。

525露夢虫:2003/06/23(月) 18:05
>>522
ぼーんさん

レスありがとうございました。
かなり難解なので、じっくり考える必要があります(笑)が、
その前に、

ぼーんさんがおっしゃっているのは、反戦運動等の訴えに限ってですね。
私が武蔵さんと話していたのは、「価値観の違い」についての一般的な話です。個人的なことも含めての。
ここで前提とする部分がズレていたような気がします。
理解する度に、今回のようにまとめてみます。

それから、「何故そのように考えるのか?」については、この中に答えが含まれているのですか?

それから、ぼーんさんのおっしゃる「告発」の、目的は何ですか?


よろしくお願いします。

526武蔵:2003/06/23(月) 18:41
>>523

いつもながら、よく整理されたレス、有難うございます。
全てにレスなんて、無理しないで下さい。
これだけまとまったレスを返そうと思えば、相当な時間がかかると思いますし・・・
その代わりといってはなんですが、即レスの未整理をお許しください。
個性だとおっしゃってくださったことに甘えます(^^ゞ

>一方が良くて一方が悪いというような、両極的な見方はできないのです。

これを見て一瞬ギクッとしましたが、

>裏を返せば被差別者だったり、社会の被害者だったりする…

を見て安心しました。
そういう意味では全く同感です。
苛酷な状態にいる人ほど苛酷な差別(暴力を伴なうような)をするという現実はあるでしょう。
マリーアントワネットは、差別の頂点にいて「パンがなければお菓子を食べたら?」
という有名な言葉を吐きますが、
彼女自身が鞭を取って、民衆をしばき上げたりはしません。

士農工商の身分の下に、エタ非人の被差別階級を作ったのも、すごい知恵。
一番上の階級である武士は、直接非人を差別するどころか、
刑務官として身近に置いて使用すらした。

差別者が、一種の犠牲者であったり、別の局面での被差別者である場合が
圧倒的に多いという認識は、同感です。
井上光晴の『地の群れ』という小説を読んだことがありますが、
在日と被差別部落民と被爆者の三つ巴の差別が描かれていました。
そういう被差別の構造を見極めること、その構造で損をしているのは誰で、得をしているのは誰か。
その構造を根本から問い直しことが必要ですね。
それがないと、抜本的な解放は望めないわけで、それが究極の反戦運動だと思います。
被差別者同士が敵になって、刃物を向け合うべきではないですからね。
戦争だって同じ事がいえると思います。
当該国の兵隊同士、個人的な恨みなんかまるでないのに殺し合いをする。
構造的に敵対させられているだけですよね。
戦争によって損をしているのは誰で、得をしているのは誰か。

あなたがつかまれたように「怒る」というはじめの勇気ある突破口を開いた後、
その怒りは、さしあたり足を踏んでいるものに、足をどかせる力にしなければならないけれど
本当の敵は、足を踏んでいるその人物ではなく、足を踏み踏まれる構造にあるということを学んでいかなければ
怨念の報復合戦になるかも知れません。
kkkをそのままにしておくことはできないけれど、kkkも抱える問題にも目をやらなければ
抜本改革にはならないですね。
目的は膨大になってきました(^^;

527ぼーん:2003/06/25(水) 12:26
>>525
> ぼーんさんがおっしゃっているのは、反戦運動等の訴えに限ってですね。

違います。
イカさんとのやりとりは元々が反戦運動の「やり方」についてですが、もっと普遍的に当てはまる
問題について語っています。たとえば、「反戦運動家と反戦デモにやってきたお客さん」以外に
も、「被差別を訴える人とそれを聞く人」の間にも言えることです。ですから、
「ここで前提とする部分がズレて」はいないと思います。

> それから、「何故そのように考えるのか?」については、この中に答えが含まれているのですか?

含まれています。訴える人とそれを聞く人は、等しい義務を負っている。その点は動かせず、そ
こに勘違いが絶対に生じないように細心の注意が払われるべきです。露夢虫さんは聞き手の聞
く態度の話をせずに、語り手の語りの巧みさの話ばかりをしてますので、その点で見過ごせない、
と僕は感じます。

> それから、ぼーんさんのおっしゃる「告発」の、目的は何ですか?

その告発によって、ある1つの抑圧の存在を知らしめること。
その抑圧を取り除く責任が、その社会に属する告発者以外のすべての人にもある。ということを知らしめること。

で、最終的には抑圧を取り除くことが目的でしょうね。
しかし、この目的に達することができるかどうかは、最終的に聞き手の側がどう変わるかによって決まるでしょう。
なぜなら、変わることを求められているのは聞き手であり、話し手ではないからです。

528ぼーん:2003/06/25(水) 12:58
武蔵さんが>>526で同意なさっている>>523中の次の点。

> このように私は、偏見のために被害を被ったり肩身の狭い思いをしている人に対して理解が広
> まってほしいと思っています。
> ただ私は、そのような場合でも、一方が良くて一方が悪いというような、両極的な見方はできな
> いのです。まずそれはケースバイケースであろうということと、物事というのは視点を変えると違
> った見方が出来ると思うからです。武蔵さんが、いみじくも「教育の二面性」とおっしゃったように、
> 人間が関わる物事には様々な面からの見方があると思うのです。

この点に、僕は同意できません。

たとえばパレスチナ問題に関して。
パレスチナの土地の占領、という事態において、イスラエル政府、そしてそれを支える国民には、
「一方的な」責任があります。まずはこのことは踏まえておくべきです。

そして、その場合でも、露夢虫さんがおっしゃるように、イスラエル側にも事情があります。彼ら
のあのような過剰な防衛行動の遠因は、長年にわたるヨーロッパにおけるユダヤ人迫害、とり
わけナチスドイツによる大虐殺(と人々の黙認)があります。その意味で、物事が単純ではない、
イスラエルの人々を悪人にして終わりにはできない。
おそらくここまで、露夢虫さんは同意なさるでしょう。

しかし、以上のこと、パレスチナ側の事情、イスラエル側の事情を勘案した上で尚も言わなけれ
ばならないのは、イスラエルの人々が受けたどんな仕打ちも、彼らが今現在パレスチナの人々
に対してしていることを正当化したりはしない、ということです。
ここが勘違いされてはいけません。だから、この留保は必ずつけないといけない。

全体としてみたときに、「一方が良くて一方が悪いというような、両極的な見方はできない」わけ
なんですが、人はしばしば全体について語ることによってディティールをごまかす、ということを
やってしまうものです。もちろん、露夢虫さんにその意図はないと思います。むしろ、このような
ゴマカシを徹底して避けたい、批判したい、とそうお考えになると思います。

ここで僕が申し上げたいのは、私達が気づかないうちに、そのようなゴマカシの語りをなぞって
しまうようなことがあるから、そのことを自覚的に避ける必要があるのだ、ということです。それは
意図とは別の話です。私たちは意図せずして、そういう語り方を模倣してしまうことがあります。
それによって、気づかないうちにゴマカシに荷担してしまっていることがあるのです。

これを回避するためには、「全体として、一般的な傾向としてこうなんだ」という話よりも、個別の
具体的なケースについて、「ここではこうだよね」という話の方をより多くすることが必要になって
きます。全体的な話をすることを少し禁欲して、具体的なディティールの話をする。ディティール
の話の積み上げの結果として、言える範囲の一般化だけをする。そういう慎重さが必要になって
くると思います。

これは相当面倒な作業で、僕自身いつも出来ているとはおもいません。ほとんど出来ていない
とすら思います。しかし、この点は注意していくことを互いに注意喚起しあっていく必要性はすご
く強く感じます。

529ぼーん:2003/06/26(木) 07:40
>>528に補足。
> この点に、僕は同意できません。

「このように、全体としての傾向性だけを単独で切り離して語る語り方には同意できません。」

に直します。

530露夢虫:2003/06/29(日) 13:54
>>522 >>527-529
ぼーんさん、
お返事ありがとうございます。>>522 に基づき、「ぼーんさんの主張」に付け足しました。

------------------------------------------------------
ぼーんさんの主張:
何かを訴える者は、まず訴えの内容が正当である「必要」があって、どのような「方法」を取るかは、個々の自由である。
(ただし、方法の「正当性」については「別の話」。)
------------------------------------------------------

しかし、ぼーんさんは、別の所でこのようにも言っています。

>運動家はそうした言い方を考える「べき」なのか。
>運動家はそうした工夫をする「べき」なのか。
>これについて、僕がその運動家ならこう答えます。
>私は、より賢い言い方で言う「べき」だ。
          (「αに軸足をおいて考える」スレ 58)

これは、私の言っていることと、立場は違え同じなんですが…
私は武蔵さんと、個人的なことも含めての「価値観の違い」について話しています。従って我々は「運動家」ではないけれども「当事者」である訳です。

しかし、「怒るのが精一杯」の人々もいるのだということを鑑みれば、ぼーんさんが指摘されたように、「全ての場合に「より賢い」方法を取る「必要」がある」というのは、当てはまらないかもしれません。
そのような立場にいる人々も考慮して、私は次のように言い換えます。

------------------------------------------------------
私の主張:
何かを訴える者は、その「目的」に応じて「方法」を選択すべきである。
そして、その訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。
------------------------------------------------------

自分の中にある「恥の思い」を克服するために「怒り」の声をあげる人は、その「恥の思い」の克服が「目的」ですね。また私は「何かを訴える以上、相手に分かってもらうのが目的なのは、当然ではないか」と思っていたのですが、そうでない人もいるかもしれないことに気付きました。
従って、『「目的」に応じた「方法」を選ぶ』と言い換えました。

なお、ここでは私は「訴えの正当性」は問題にしていません。何故なら私が武蔵さんと話しているのは、「価値観の違い」についてだからです。
ですから例えば、とても小さなこと、「私はイワシが好きなんだ」みたいな訴えを、青魚を嫌悪するアメリカ人に気持ち悪がらずに認めてもらうような、そんな小さなことの訴えも含まれているからです。「イワシが好きか嫌いか」に「正しい」も「間違い」もないのです。
私は、こんな小さな「違い」でも説明するように努力していくことが、「大きな価値観の違い」を双方が理解し尊重する上での、小さいけれど大切な一ステップになるのではないかと思っています。難しいことですが…

531露夢虫:2003/06/29(日) 14:00
530 つづき

しかし、ぼーんさんのご意見を読み進めてゆくうちに、私とぼーんさんの考えに大きな違いがあることに気付きました。それは「方法云々に関しての主張」ではなく、むしろ「その理由」にありました。双方の主張の齟齬は、むしろここから出ているのではないかと思われます。
ぼーんさんの主張をまとめてみますと… (このまとめに関しては、間違っていないと思いますがどうですか?)

------------------------------------------------------
ぼーんさんの主張:
何かを訴える者は、まず訴えの内容が正当である「必要」があって、どのような「方法」を取るかは、個々の自由である。
(ただし、方法の「正当性」については「別の話」。)

何故なら、全ての人は、不正義に対して何かをなす「義務」を負っているからであり、訴える方には「訴える義務」が、聞く方には「己を問うて、訴えを聞く義務」があるからだ。
------------------------------------------------------

これに関して、ぼーんさんは次のようにもおっしゃっています。

>しかし、この目的に達することができるかどうかは、最終的に聞き手の側がどう変わるかによって決まるでしょう。
>なぜなら、変わることを求められているのは聞き手であり、話し手ではないからです。

「聞き手に義務がある」… なるほど、これは私がいまだかつて全く考えたことのないことでした。(ここで行われているような「議論」に参加する者同士ならば、「聞き手に義務がある」とも言えるでしょうが。)
どうしてこのように考えられるのか、大変興味があります。
私の主張はこうです。

------------------------------------------------------
私の主張:
何かを訴える者は、その「目的」に応じて「方法」を選択すべきである。
そして、その訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。

何故なら、多くの人は、「価値観の違い」について無自覚/無関心/無知だからである。
------------------------------------------------------

人間というのは、自分の価値観を「空気」のように思っていて、そこからなかなか抜け出たがらないものなのです。自分の価値観に留まっている方が、安全で心地よいからです。
だから大抵は、違う価値観について「無関心」なのです。興味すら示さないのですよ。

私が「訴える側の方法の研摩や努力」を重視するのは、あくまでも聞き手の「自発的な興味」によってしか、聞き手は動かないと思うからです。
ですから、相手の「無関心」を「理解・尊重」まで高めようと思えば、「聞き手の立場」に立って考えてみることが必要であると考えるのです。

従って、「聞き手に義務がある」と言えるのは、その聞き手が「自発的に」価値観の違いについて関心を持ち理解しようとした時に、「聞き手自身がそう思う」ことであって、「話し手」が、それを「自らの方法の研摩や努力の必要性」を相殺するために用いることではないと考えます。
百歩譲って「聞く方に義務がある」ことがたとえ真実だとしても、その価値観にすら興味のない人には「どうでもいい」ことなんです。武力等の強制力でも使って相手を脅かしたりしない限りは… 

それ程「価値観の違い」は大きいものだと、私は思っています。

532露夢虫:2003/06/29(日) 14:10
531 つづき

ぼーんさんが挙げてくれた2つの例にしてもそうです。
一つはパレスチナの非暴力抵抗運動に関わるリーダーのお話(「αに軸足をおいて考える」スレ 44)、
もうひとつは、>>513 で、尹東柱という人の詩についての徐京植さんのコメントです。

ぼーんさんは、「効果的な方法について語ることの危険性」を説明するために、「内容よりも方法が注目された例」としてこれらを取り上げられたのだと思います。
しかし私はこれらの例を、「価値観の違いが果てしなく大きいものであること」の例、そして「一つの方法に安住することなく、あらゆる方法を模索し努力している」例と取りました。

パレスチナ非暴力抵抗運動が、その内容ではなく、「非暴力」という点ばかりがクローズアップされる。
尹東柱の詩が、その内容ではなく、「詩のスタイル」ばかりが評価される。
第三者にとっては、内容に実感が湧かない。だから理解することができない。だからスタイルでしか評価することができない。そういうことなのではないでしょうか。
それ程、価値観の違いは果てしなく大きいということではないでしょうか。(これは、ぼーんさんもおっしゃっておられますね。)

だからといって、「非暴力が特別なこととは思わない」と述べるフセイン・カリリさんや、「そこに断絶を感じる」と述べた徐京植さんは、理解してもらえないことに不満を述べているだけではないと思います。
彼等はそう述べることによって、訴えの「内容」を理解してもらえるように、さらなる努力をしているように私には感じられました。

彼等は、「優れた方法をもってしても、価値観の違いを埋めるのは難しい」ことを実感し、それに安住することなく、様々な方法で「内容」を理解してもらえるよう努力をしつづけているのだと思います。
決して「方法を研摩実行してゆくこと」を棚上げにして、「聞き手が変わること」を期待しているのではないと、私には受け取れました。

だからこそ、私はこの例を持って、先程の主張を繰り返したいと思います。

自分の訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。

何故なら「価値観の違い」は果てしなく大きなものであり、人々はそれに「無自覚」だからです。

533露夢虫:2003/06/29(日) 14:16
>>528

ぼーんさんは、>>527 で「露夢虫さんは聞き手の聞く態度の話をせずに、語り手の語りの巧みさの話ばかりをしてますので、その点で見過ごせない」とおっしゃいましたが、私が >>523 で述べたのは、まさに「聞き手の聞く態度の話」でした。

私は「話し手」の「方法の研摩実行の必要性」と同様に、「聞き手」の方も重視しています。
「自分の価値観」を相手に分かってもらうのと同じくらい、自分が「相手の価値観」を分かるのも重要だと考えるからです。そしてそれが「偏見」や「固定観念」を減らして「価値観の違い」をお互いに認めあうための第一歩と考えるからです。
しかし、それを自分の義務だと思うことはあっても、「聞き手全般の義務」だとは思っておりません。それは既に述べたように、聞き手が自発的にそう思うことだと考えるからです。

さて、私がここで述べたのは「両者の立場を検討せずに、無批判で二極化してしまうことへの危険性」についてです。
ですから、ぼーんさんの指摘された「両者の立場を検討した後にどうするか」についてはここでは言及していないし、「その後」について述べるぼーんさんのご意見は、それでいいと思います。「まずは両者の立場を様々な視点から検討しよう」ということが言いたかったのです。

私はパレスチナ問題については詳しくないので、今は両者の言い分や出来事の過程を検討する段階です。ですから、この問題についてのぼーんさんのご意見は「ああ、ぼーんさんはこのように考えているのだな」と理解するのみです。

そして両者の言い分を聞いた後というか、様々な視点から見つめ検討した後、そこで自分がどのようなポジションを取るかについては、それこそ人それぞれではないかと思います。
例えばパレスチナ問題については、ぼーんさんは、両者の立場を検討した上でパレスチナ側に立たれていますが、両者の立場に立って検討したからこそ「どちらの立場も取らない」という人もいると思います。

この中には、ぼーんさんの言うように「気づかないうちにゴマカシに荷担してしまっている」人もいるかもしれません。それはそれで、ぼーんさんが手厳しく批判してくれることでしょう。(笑)

しかし中には、このように命を賭けて戦っている人々に対して「安全な所から物を言ったり手を差し伸べたりする」ことが、結果的に「無自覚の優越意識」に繋がるのではないか、彼等の尊厳を傷つけるのではないか、彼等と一緒に命を賭けるだけの気概がなければ、何も言う資格はないのではないか、と考える人もいることでしょう。


>これを回避するためには、「全体として、一般的な傾向としてこうなんだ」という話よりも、
>個別の具体的なケースについて、「ここではこうだよね」という話の方をより多くすることが
>必要になってきます。

これについては、おっしゃる通りだと思います。哀Myさんもおっしゃられたように、このような問題はケースバイケースで考えてゆくべきことでしょう。
あくまで私が言いたかったことは、1)時代劇の様な「善悪二極性」は現実の世界には存在せず、様々な視点から検討してゆくべきであること、そして、2)「被害者がかわいそう」だから「加害者が悪い」からという理由で差別や偏見の問題を眺めることは、「無意識の優越感」の裏返しに繋がらないか、ということだけです。


最後に、元々遅筆な上に最近仕事も忙しくなって来ており、お返事するのは「週末がやっと」という状況です。武蔵さんにも申し訳ないのですが、その辺ご了承頂けたら幸いです。

534ぼーん:2003/06/29(日) 15:40
> 露夢虫さん

長いお返事をどうもありがとうございます。
ざっと読んだ限りでは、僕の方が考えるべき点や、僕の議論が混乱をきたしている点なども幾
つかあったと思います。と同時に、露夢虫さんの議論に危うさを感じる点なんかもやはりありま
す。たとえば、相手に通じるように工夫するときに、「工夫」の中身について、僕と露夢虫さんで
は違うことを考えているかもしれないな、と思います。たとえば僕なんかは、「問答無用で怒るこ
と」の有効性はかなりあると思っていて、それはそれで「工夫」のはずなんですが、そのあたりを
露夢虫さんはどうお考えになるかは興味深いです。
ただ、全般的には結構複雑ですね。短時間で手際よくまとめるのはちょっと難しい。
少し時間をかけて考えてみます。

それと、思ったのは、実際に徐京植さんの文章を一緒に読むなどしてみるとおもしろいかもしれ
ないな、ということです。別スレ立てて。

材料としては、『半難民の位置から』、『分断を生きる』などがいいかと思います。
徐京植さんの評論を集めたもので、1つ1つは長くても30ページ程度で、それより長いものは
1つ、2つある程度です。ここでの議論に関わってくるのは、
「あなたはどの場所に座っているのか? ―- 花崎皋平氏への抗弁」(『半難民の位置から』所収)
かなと思いますんで、僕は僕で勝手に読み直そうと思っていますが。


武蔵さんや、もし可能なら別スレのイカさん・三毛猫ナナさんとの議論とも関係する内容だと思う
ので、そこらあたりの人まで絡むと、それはそれでおもしろそうです(と妄想したり)。

535武蔵:2003/06/29(日) 20:04
>>530-->>534

ざっと読みました。これからじっくり検討してみたいと思いますが、
ざっと読みの段階では、全面的に露夢虫さんの見解に賛同しています。
そして、ぼーんさんのいう「問答無用で怒ること」の有効性はかなりある
ということにも賛同しています。
反感を買うことがあるのも事実です。
しかし、その場で反感を買って相手を怒らせることがあっても、
全く別の事例では、そのとき反感を感じたはずの「人間の怒り」を自ら体感するだけの種を植え付けられているものです。
わたし自身がそうでした。
自分が糾弾されたとき、破廉恥にも自己弁護と開き直りに終始しました。
しかし、自分と同じことを人がやるのを見たとき、これは確かに足を踏んでいるなあと理解できましたし
次に見た時は、踏まれる側に立って考えるようになっているとか・・・・
事象を見る目を変える、ほんの小さなきっかけになることがあると思います。

別スレ読書会、賛成です。
お互い忙しい身。少しずつ読んで語っていければいいなあと思います。

536哀My:2003/07/03(木) 18:51
自分の環境が片付いてきたので、またチョコっとだけ(根気ないので)参加したいと思いますが…
私は恐らくαを共有できていると思います。
全ての他者の命を自分と同等に扱いたい、いや「命」というより「人生」ですね。
全ての他者の「人生」を自分と同等に扱いたい、と既に(昔から)本能的にそう感じています。
ですが、現実では同等に扱いたいたくても、そうできないことの方が多い(私自身の話ですが)。そのことを哀しく思っています。

それでですね、何故私が他者の人生を自分と同じくらいに尊重したいと思うかというと、私の人生も他者に尊重してもらいたいという願いがあるからなんですね。
それから、理不尽に殺されていく命(人間に限りません)を見るのは辛いという、私の生理的な問題もあります。
つまり「α」を皆で共有できている方が、私が生きていく上で都合が良いと思うからです。
そして、これはあくまで私の都合ですから、私にとっては「義務」でも、他者にそれを押し付けることはできないと思っています。この辺、

> それを自分の義務だと思うことはあっても、「聞き手全般の義務」だとは思っておりません。
> それは既に述べたように、聞き手が自発的にそう思うことだと考えるからです。

という、露夢虫さんのご意見に私はとても近いです。
今回もROMに徹していたからこそ、ぼーんさんのご意見を客観的に理解(全部ではないと思いますが)できたつもりになれましたが、これは「私が自発的に理解し発見した」という思いが強く、直接の対話ならこう素直に感じられたかは疑問です。

ぼーんさんに共鳴できるのは、「他者の命を尊重できないのであれば、自分や身内が理不尽に殺されても(命を尊重してもらえなくても)しかたがない」と私には読めたからです。
ですから、「反・反戦者が“こちらの言い分も理解する努力をしろ(尊重しろ)”と文句を言うのは、αを共有できない(他者を自分と同等には尊重できない)という言い分と矛盾する」と仰りたかったからなんですね?
それで「君は君個人を尊重してもらえなくてもいいの? じゃあ、僕は遠慮なく君を尊重しないよ」という判りやすい例として、アホだのバカだの人を小馬鹿にした発言をされていたのだと、ようやく気付いた訳です。

そこまでは賛同できるとして、(前にもチラと書きましたが)何故皆がαを共有しにくいかというと、自分がそうでも他者はそうではないという不安があるからだと思います。
他者より、まず自分の問題(自分はどうするか)だとは思いますが、いかに人々の不安を取り除いていくか、ということがαを広く共有するために不可欠だと思うんですけど、今のところその良い方法が見つからず苦労している有り様です。
(だって正直なところ「反戦」と言っただけで警戒されて無視されてしまうことが多いんです。未熟な私にとって友人にさえ気楽に話しかけるのは至難の業です)

追伸  これは『「α」に軸足を置いてその先を考える 』にレスした方が良かったかも知れませんね。

537武蔵:2003/07/04(金) 02:38
>>532

>自分の訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。

これに賛同します。
全ての人に責任のあることを、「話しての責任」にきして「聞き手は観客的に批判」してよいという意味ではありませんよね。
しかし、自分が話し手である場合は、
だれでも、自分の訴えを相手に理解してほしいと願うでしょうし、
出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある、と思います。

その方法は、話を聞く人の状況を見て行われるでしょうから、
いつもかも、私が聞いたときのソキョンシクさんのように本質に迫る話を穏やかにするのが最善とは限らないでしょうね。
ソさん自身、相手次第では大声で怒鳴りつけるかも知れませんし・・・・・
あのように穏やかに「見えない人間の虚しさ」を語られることも胸を打ちますが
足を踏まれた痛さを、声を絞って訴えられるのも胸を打ちます。
「原爆被害の語り部」たちの話も、話し手の個性でいろいろありますが
その話が真実であれば、どんな話に方でも心はゆすぶられます。
それらを聞いて理解した私たちが、今度それを伝えていくときにも、
やはり聞き手に理解されるように語る工夫が必要だし、責任があると思います。
それは体験者とはまた違ったものになるとは思いますが・・・・

538武蔵:2003/07/04(金) 02:54
>>536

>今回もROMに徹していたからこそ、ぼーんさんのご意見を客観的に理解(全部ではないと思いますが)できたつもりになれましたが、これは「私が自発的に理解し発見した」という思いが強く、直接の対話ならこう素直に感じられたかは疑問です。

これ、理解できます。
自分に矢印が向かってきたとき、とっさに身を守ろうとする本能が働きますよね(笑)
私もはじめて自分の差別性を突きつけられたとき「そんなツモリで言ったわけでは・・・」とか開き直りました(苦笑)
また、
>自分がそうでも他者はそうではないという不安があるからだと思います。
もそうですね。
不安や恐怖が、“カラ”をかぶさせる元だとも思います。
武力の話に置き換えると、自分は武器を持っていないことを示す(ホールドアップ状態)
ことが自分の身を守る手段になる場合もあるように、
相手の恐怖を取り除く工夫も必要かも知れません。
しかし「足を踏まれていて痛いねん」という訴えをする場合には(つまり被害状況は)
相手に気付かせるのが第一だから、怒鳴りつける必要もありますよね。

>正直なところ「反戦」と言っただけで警戒されて無視されてしまうことが多いんです。

そうかも知れません。これは日本人の特徴でしょうか?
食うに食えずに起こった小作争議でも、小作自身が「あいつはアカだ」といって
恐れますから。
そういう偏見って、どうしていけばいいのでしょうね?

539露夢虫:2003/07/04(金) 09:38
>>534 >>535
ぼーんさん、武蔵さん、こんにちは。

「問答無用で怒ること」について:
私は、「目的をどれだけ達したか」を重視するので、「問答無用で怒ること」が双方の理解と尊重につながるというのなら、一考する価値ありと思っています。

ただ、先だって武蔵さんが出してくれたソ・キョンシクさんのお母さんの場合は、

1)当事者だった。
2)やむにやまれずに泣き叫んだ。他に方法がなかった。
3)相手方の了承を得たのは、幸運だった(と思います。この方は自分のことで精一杯で、おそらく相手がどう出るかまで考える余裕もなかっただろうと思われるので。)

ケースで、ぼーんさんのような「ちゃんと話ができる人のケース」とはちょっと違うと思われるのですよ。

ですから、ちゃんと話もできる人が、敢えて「意図的に怒る」ということの効果については、私が >>504 で上げた「価値観の違いを理解するためのステップ」のうちの、

  第1段階「価値観の違いに対する無自覚に、気付いてもらう」

の他には、自分ではちょっと考えつきません。
「意図的に怒る」ことが、果たして相手の「理解・尊重」まで勝ち取ることができるのか、非常に興味ありますし、是非ぼーんさんのお考えを聞かせてほしいと思います。(できれば具体例等も添えていただけると、理解度が増すと思われます。)


武蔵さんが >>537 で述べられた、

>話を聞く人の状況を見て行われる
>体験者とはまた違ったものになる

ことには全く同意です。「怒る」ことについても「時と場合」「どんな相手に訴えるか」「話し手は誰か」等、あるシチュエーションにおいて有効だと言われるならば、それがどんな場合か、伺ってみたいです。
シチュエーションによって「やり方」を変えることには大いに賛同です。(自分ができるかどうかは別として)

540武蔵:2003/07/04(金) 15:15
>>539

>ですから、ちゃんと話もできる人が、敢えて「意図的に怒る」ということの効果については
>第1段階「価値観の違いに対する無自覚に、気付いてもらう」の他には、自分ではちょっと考えつきません。

いや、私は実体験した人の怒りの表現が、

1.「価値観の違い」に対する無自覚に、気付いてもらう。(第1段階)
2.「価値観の違い」の内容について、知ってもらう。(第2段階)
3.「価値観の違い」について理解し、尊重してもらう。(第3段階)
4.そして出来れば、「価値観の違い」について、共感してもらう。(第4段階)

この4段階にも充分達すると思うんですよ。
キョンシクオモニのように、言葉が通じないことも、教育を受けていないことも、
それを武器にして地面を叩くという行為が、どこまでの理解をえるかは分かりません。
しかし、私は怒りで震える思いを伝える言葉にもやはり心を揺すぶられた経験が何度もあります。
最近では、ハンセン氏病患者の人たちの話を聞きました。
病気の正体が突き止められ、いい薬が出来ても、その薬が手に入らない、
完全快癒の後も、隔離は続いた。
法律に殺され続けてきた怒りは、わたし自身の怒りになっていっしょに悔し泣きをしました。

>体験者とはまた違ったものになる

これはナマ体験者ではない分、語り部としての技術がないよりはあった方がよいかと。
しかしまあ、まずはやってみることだとは思いますが・・・・

541武蔵:2003/07/04(金) 15:26
>>540

>わたし自身の怒りになっていっしょに悔し泣きをしました。

誤解されそうなので追加。
私自身が加害者側であることを忘れて、共にイカッタということではありません。
自分自身の不明に気づき、理不尽を許してはいけないという怒りです。
理不尽を知っていかねば同じ過ちを繰り返してしまう。
そうなってはいけないという思いにさせてくれた怒りでした。

542哀My:2003/07/04(金) 15:33
> 実体験した人の怒りの表現が、この4段階にも充分達すると思うんですよ。

そうなる場合もあれば、そうならない場合もあるでしょう。
怒りをぶつけられた側の性格や状況にも大きく関係してくると思います。
場合によっては、更に関係が悪くなる場合もありえます。(経験上)
今伝わってくるのは、武蔵さんの情が厚い、ということくらいでしょうか。

> 食うに食えずに起こった小作争議でも、
> 小作自身が「あいつはアカだ」といって恐れますから。
> そういう偏見って、どうしていけばいいのでしょうね?

私の周囲に限っていえば、ほとんどの人は「無関心」に安住していたいように思います。
ですから、何か意見らしいことを言われると、直ぐに「押し付けられる」と身構えて敬遠するようです。
意見を持ってる者も鬱陶しがれるのを恐れて言わない。
芸能人やファッションやゲームや食べ物の話以外はしたくないようにも思えます。
もちろん、これら↑は私の偏見も含まれます。
なにしろ話を聞いてもらえなくて拗ねてますから(笑)

543武蔵:2003/07/04(金) 16:40
>> 実体験した人の怒りの表現が、この4段階にも充分達すると思うんですよ。
>そうなる場合もあれば、そうならない場合もあるでしょう。

といえば、穏やかに言うことによって「そうなる場合もあれば、そうならない場合もあるでしょう」
とも言えるんです。
魯迅の小説や尹東柱の詩は穏やかでいいなあ、と理解してしまっているとしたら
時には反発覚悟で怒鳴らなければならないかも知れません。

>芸能人やファッションやゲームや食べ物の話以外はしたくないようにも思えます。

ふーむ。そうなんでしょうか?
これも風潮というものもあるかもです。
かつてバブルハナヤカナころ、女子大生(何で共学の大学生も、女子大・生というのか不思議ですが・・・
男子学生とはあまり言わないですよね?)にマイクを向けられると
「わっかんな〜〜い」とアホ丸出しの答・・・他国の学生は、きちんとそれなりの意見を言えるのに
と恥ずかしくなったものです。
この頃は、少し若者も性根が入っていたと感じるのは、ひいきめでしょうか?

544露夢虫:2003/07/04(金) 16:55
>>540

武蔵さん
私の言葉足らずで意図がうまく伝わらなかったようなんですが、当事者が「怒り」や「悲しみ」を出すことで、回りの人が理解を示すケースについては、「ある」と思っています。
差し迫った人が発露する「感情」が、大勢の人を振り向かせ、耳を傾けさせることは大いにあるでしょう。

私が >>539 でぼーんさんにお聞きしたいと思ったのは、当事者というよりは、武蔵さんやぼーんさんや私といった、むしろ我々のような「当事者ではない」人達や、「当事者の代弁者」の場合なんです。
例えば武蔵さんが、「見えていない」人達に、「見えていない」人達と同じ側にいる一人の人間として理解を求めたいと思った時、「怒り」の発露は聞く人の理解・尊重を得ることができるか… それを聞きたかったんです。

>>541
哀Myさんが おっしゃるように、多くの人々は他人の価値観に対して非常に無関心だと思います。
武蔵さんの心が優しいからこそ、ハンセン氏病の患者達の嘆きが武蔵さんの心に届いたんだと思います。
興味ない人は、全く興味ないのです。

…そこをどうするか。どんな風に伝えてゆくか、ですね。
私は「相手を知ること」「相手の立場を想像してみること」が、理解を得る上での大きなプラスになると思っているんですが、「無関心」を「関心」に変えるだけでも、それはもう大変大変…

545武蔵:2003/07/04(金) 17:51
>>544

>「当事者の代弁者」の場合なんです。

これは私も怒りとは違うと思います。
怒りとすれば自分を含めた加害者の立場への「自己批判的怒り」とでも言うものでしょうか?
絶対に自分は被害者の側だがお前は加害者であると言うようなイカル立場にはいませんから。

>…そこをどうするか。どんな風に伝えてゆくか、ですね。

まだまだこれはお互い堂々巡り、
一番難しいことで、私にも分からないですが、
やっぱり幼い時からの教育であるように思います。親として、先生として、社会としての。
(こんな簡単な答で事足りるとはまるで思っていませんが)

546露夢虫:2003/07/04(金) 19:26
>>545

>これは私も怒りとは違うと思います。

私も一生懸命考えてみたんですが、思いつかないんです。(笑)
でも、別の人の意見を聞くことで、自分の視野が広がることってあるじゃないですか。
とりあえず、ぼーんさんのご意見を聞いてみましょう。

547哀My:2003/07/04(金) 22:05
>>543
> 穏やかに言うことによって「そうなる場合もあれば、
> そうならない場合もあるでしょう」とも言えるんです。

これはモチロンそうです。
私しては、訴えたい相手の人柄を読み取って、より効果的な方法を模索したいというのが理想です。
相手の人柄を読み取る、というのも、「相手に関心を抱く」という意味で、「相手を尊重する」ことになると思っていますので。
勿論、痛みを直接感じた人は「痛い!」と怒鳴るだけで精一杯だと思います。
そんな時、私は素直に謝るでしょう。
けれど「痛い!」の後に「どけんかい!!!」を付けられたら、私は謝っても、それは恐怖で謝ったのに過ぎず、その人の立場になって心からすまなかったと思えるかどうか… 何故なら、その人は私にとって「恐い人」に過ぎなくなってしまうからです。

> この頃は、少し若者も性根が入っていたと感じるのは、ひいきめでしょうか?

この頃の若者のことはよくわかりません。
説明不足でしたが、私の周りの人間は、皆それぞれの立場を持っている社会人です。
皆、自分の仕事に誇りを持っています。勿論、自分の生き方にも。
だからこそ、他者の生き方に口出しして揉めたくなくて、無難な話ばかりしています。
そこへ生き方を問うような話を持っていくのは難しい…
穏やかな切り口でも「選民意識(誰も気付いてないことを自分は気付いてる)を持ってる」と警戒されます。
「そんな話をしてる人達は、案外身近な人間関係を疎かにしてませんか?」と問われたこともあります。
皆何かしらのコンプレックスを持ってるので、生き方を問うことは、そのコンプレックスを刺激してしまうことになるんでしょうね。
これは、勿論自分にも当てはまることなので、こう推測する訳ですが…

誤解ないよう付け加えますが、私は武蔵さんの方法を否定したい訳ではないのです。
ただ、露夢虫さんのおっしゃるように

> 「無関心」を「関心」に変えるだけでも、それはもう大変大変…

という思いが私にも強いので、

> 魯迅の小説や尹東柱の詩は穏やかでいいなあ、と理解してしまっているとしたら
> 時には反発覚悟で怒鳴らなければならないかも知れません。

ここで怒鳴るというのは逆効果だという気がします。
少なくとも私のような人間には。
理解は自発的なものですが、怒鳴られた時点で「押し付けられた」と感じてしまいます。

>> >…そこをどうするか。どんな風に伝えてゆくか、ですね。
> まだまだこれはお互い堂々巡り、

露夢虫さん、武蔵さん達と同じく、私も迷路をウロウロと彷徨っているところです。

548<未入力>:2003/07/05(土) 14:11
>>544
> 私が >>539 でぼーんさんにお聞きしたいと思ったのは、当事者というよりは、武蔵さんやぼーんさんや私といった、むしろ我
> 々のような「当事者ではない」人達や、「当事者の代弁者」の場合なんです。

怒りの表現の仕方がどうであるかはわかりません。が、ある。と思います。
その怒りに共感できるかどうかってのは、よく考えてみると、それが当事者だからか、というのとは違う理
由によると思います。その怒りに筋が通っていることが納得できれば、それは当事者によるものではなく
ても、理解できるものです。逆に、筋が通っていないものならば、それは当事者のものであっても納得い
かないでしょう。

だからまず第一に、その怒りの要求するものが筋が通っているかどうか。これがあります。

第二に。当事者とは誰か、何の当事者なのか、という問題。
今までのやり取りの文脈では、直接の抑圧・差別の被害者を「当事者」として想起しています。
しかし、それは狭い意味の「当事者」であろう、と僕は考えています。
抑圧される当事者。そして、その抑圧される人を見る者。
前者が当事者で、後者は違う、というわけです。
しかし、後者は、言い換えれば、「その抑圧を目撃するという苦しみを味わう「当事者」」なんですね。
これは瑣末な言い換えではありません。卑近な例にも見出すことができます。
たとえば、犯罪被害者の遺族。彼らは、「遺族となること」の当事者なのです。

もちろん、当事者であるかそうではないか、ということによって語り口や語る内容は変わります。
パレスチナにおける人権抑圧被害の当事者であるパレスチナの子供たちの言葉は身にしみました。
そして、その目撃者である日本人活動家の女性の言葉も身にしみました。
しかし、この両者の語り方は違うものでした。違って当然だと思います。

しばしば問題になるのは、抑圧の当事者の語りを、抑圧の目撃者が真似して語るケースですね。
これは、その語っている人の善意を疑うかどうかは別にして、端的に間違った語り口だと思います。
その意味で、いらぬ疑念を招く可能性が高いでしょう。何より、嘘で人を動かすことは、仮に目的ど
おりに人が動くとしても(この場合は)よくないと僕には思えます。

だから、当事者であるかないか、というよりも、「私は何の当事者であるか」をわきまえて、それを意識
しながら語ることが大事なんかな、と思います。


とはいえ、僕は圧倒的に聞き手の態度の方こそが問題にされるべきであり、それに比べれば、語り口
の少々の不手際など、小さな問題に過ぎない、とは言い添えておきますが。

549ぼーん:2003/07/05(土) 14:11
>>548
は私です。はい。

550ぼーん:2003/07/05(土) 14:23
>>548
ではあまり怒りに言及してないですね。補足します。

> 私が >>539 でぼーんさんにお聞きしたいと思ったのは、当事者というよりは、武蔵さんやぼーんさんや私といった、むしろ我
> 々のような「当事者ではない」人達や、「当事者の代弁者」の場合なんです。

という質問には、「その場合もあるし、そうでない場合もある」と答えるよりありませんね。

ただし、「当事者の怒りでないから聞かない」という人がもしいるならば、その人はそもそも思考自体していない可能性が高い
です。なぜならば、>>548に書いたように、当事者であるかどうかは、とりあえず関係がないことだからです。

# たとえば、誰かがいじめられてるのを第三者がとめるとき。「なんでお前が言うんや、関係ないやろ」といういじめっ子がい
  ますね。そのいじめっ子は、次の2つのうち、本当にはどちらを問題にしたいのでしょうか?
   (1) その第三者の口を出す資格を問題にしたい。
   (2) 口を出されるのが不都合だから、そもそもその第三者を黙らせたい
  圧倒的に(2)の目的のために(1)を装ってる人が多いと思います。その場合には、まじめに自分の当事者性について反省す
  るよりも、(2)の本音を暴く方が大事でしょうね。

  で、できれば、「いじめを見て見ぬフリをして不正義に加担するという苦しみを味わう当事者」として語るのができればより
  ベターではないか。と思います。

551ぼーん:2003/07/05(土) 14:27
>>547
> けれど「痛い!」の後に「どけんかい!!!」を付けられたら、私は謝っても、それは恐怖で謝ったのに過ぎず、その人の
> 立場になって心からすまなかったと思えるかどうか… 何故なら、その人は私にとって「恐い人」に過ぎなくなってしまうか
> らです。

これはそうだと思います。しかし、このことを否定的に見ることもなかろう、と思います。

怒鳴られます。怒鳴られたことへの反射として、つい、謝ってしまった、とします。
そのとき、謝ったことの理由への納得が得られていません。

そのときに、自分の中で、本当に謝るべきであったのか、相手の言っていることが間違っていたのではないか、
私が謝らせられたのは理不尽ではないのか、と思考してみる機会が私たちにはあります。だから、実際に考えて
みましょう。

考えた結果、確かに謝る理由が確認できれば、それはそれでいいでしょう。
謝るべきではなかったと確認できれば、もし可能なら、それを持って言い返しにいけばいいでしょう。
ゆきずりの、言い返す機会がもうない相手であれば、仕方ないのですが、ともかくあれは理不尽だった、と心に
刻んで、次の同様な機会への備えとしましょう。

僕自身が考えることといえば、こういったことですかね。とりあえず。

552ぼーん:2003/07/05(土) 14:43
>>536の哀Myさんの理解は、僕の読めている限り、100%正しいと思います。
僕の言いたかったことは、まったくそのとおりのことです。

> そこまでは賛同できるとして、(前にもチラと書きましたが)何故皆がαを共有しにくいかというと、自分がそうでも他者はそう
> ではないという不安があるからだと思います。

「不安」についての指摘は、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」でもありました。
アメリカの銃犯罪の飛びぬけた多さ(平均的な先進国の100倍以上)、暴力的な対外政策、の原因を、
「他者への不信と、「奪われるかもしれない」という不安」だと述べています。

ドメスティック・バイオレンスなんかの原因も、「失うかもしれない」からこそ、「相手をより強く支配しよう」として、暴力という手段
を利用する。そういうメカニズムがあるみたいですね。DV男性についての心理学的分析なんかも参考になるかもしれません。

> 他者より、まず自分の問題(自分はどうするか)だとは思いますが、いかに人々の不安を取り除いていくか、ということがαを
> 広く共有するために不可欠だと思うんですけど、今のところその良い方法が見つからず苦労している有り様です。

不安の原因について、マイケル・ムーアの指摘を僕なりに翻訳すると、「現実に他者を踏みつけにしている・してきた結果とし
ての今の豊かさ」を、私たちは自覚しており、だからこそ他者に対する不安を持つのだ、ということでした。
だとすると、どんなことができますかね?

553<未入力>:2003/07/09(水) 13:30
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