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反・反戦派の方々へ

532露夢虫:2003/06/29(日) 14:10
531 つづき

ぼーんさんが挙げてくれた2つの例にしてもそうです。
一つはパレスチナの非暴力抵抗運動に関わるリーダーのお話(「αに軸足をおいて考える」スレ 44)、
もうひとつは、>>513 で、尹東柱という人の詩についての徐京植さんのコメントです。

ぼーんさんは、「効果的な方法について語ることの危険性」を説明するために、「内容よりも方法が注目された例」としてこれらを取り上げられたのだと思います。
しかし私はこれらの例を、「価値観の違いが果てしなく大きいものであること」の例、そして「一つの方法に安住することなく、あらゆる方法を模索し努力している」例と取りました。

パレスチナ非暴力抵抗運動が、その内容ではなく、「非暴力」という点ばかりがクローズアップされる。
尹東柱の詩が、その内容ではなく、「詩のスタイル」ばかりが評価される。
第三者にとっては、内容に実感が湧かない。だから理解することができない。だからスタイルでしか評価することができない。そういうことなのではないでしょうか。
それ程、価値観の違いは果てしなく大きいということではないでしょうか。(これは、ぼーんさんもおっしゃっておられますね。)

だからといって、「非暴力が特別なこととは思わない」と述べるフセイン・カリリさんや、「そこに断絶を感じる」と述べた徐京植さんは、理解してもらえないことに不満を述べているだけではないと思います。
彼等はそう述べることによって、訴えの「内容」を理解してもらえるように、さらなる努力をしているように私には感じられました。

彼等は、「優れた方法をもってしても、価値観の違いを埋めるのは難しい」ことを実感し、それに安住することなく、様々な方法で「内容」を理解してもらえるよう努力をしつづけているのだと思います。
決して「方法を研摩実行してゆくこと」を棚上げにして、「聞き手が変わること」を期待しているのではないと、私には受け取れました。

だからこそ、私はこの例を持って、先程の主張を繰り返したいと思います。

自分の訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。

何故なら「価値観の違い」は果てしなく大きなものであり、人々はそれに「無自覚」だからです。




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