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反・反戦派の方々へ
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え-、よく晴れたゴ−ルデンウイ−クにネットに向かってるのもネクラなんですが、時間のあるうち、ということで。
今更ですが、反・反戦派、まあ、戦争容認派、反戦懐疑派、いいかたはなんでもいいんですが、の方々の主張は、まとめるとこんなところでしょうか。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
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まあ、4に関しては、
「自分が死ぬのだけは許せない」
といった意見もあるようですが。
まあ、よくある現実的あきらめ主義だなあ、とは思います。
ある意味、普通のオトナの感覚と言うか。
で、なら、なんでわざわざ反戦サントにきて、議論するのか?
しかも、みなさん筆マメで、とても多いカキコミされます。
利益でしか行動しない、と言われている方もいるようですが、掲示板にカキコしても、別にバイト代が入るわけじゃありません。
(出会いサイトのサクラじゃなんだから)
で、その理由としては。
1・論破したい。
反戦者の知識の不足や論理の不備をつくことによって、自分がより知的に上である、という満足感、優越感を得るため。
これなら「利益」ではありますね。
2・反戦運動は、自分の利益を害する。
これは、別にみなさんが「職業・死の商人」とかいうことじゃなくて(笑)反戦運動が、間接的な人殺しになる、とか、害がある、とかいう意見ですね。
とはいっても、その具体的な像、ましてや、戦争以上の害については、今のところ、説得力のあるご回答はないようですが。
3・反戦者にこの世の悲惨の責任を押し付ける事によって、自分は責任から逃れたい。
4・単なる知的ゲ−ムとして、議論を楽しんでいる。
5・現行の反戦運動に疑問があり、それを解決して欲しい。
こんなところでしょうか?
まあ、尋ねれば、5あたりだ、ということは言われるかもしれませんが、今のところ、それって、伝わってません。
今までさんざんテ−ブルを蹴られたのも、まあ、話しても全く実りが無い、と、先方に判断されたのだと思います。
私が考えつくのは、その辺ですが、他にも、私が及びもつかない理由があるのかも知れません。
連休明けでもいつでもいいですので、レスお待ちしています。
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毎日じゃないけど時々読んでるよ。
イカフライさんと武蔵さんが健闘してるのが頼もしいからね。
イカフライさんの言う通り俺は議論する気ないから、これはイカフライさんだけへの返事だけど、
俺もさ、最初反戦派に懐疑的っていうか、なんかちょっとムカついてたんだよ。
人間、誰も自分から進んで悪人になりたいって奴は滅多にいないって思ってたからさ。
みんな何らかの事情で何かを選択せざるを得ない、そお動かざるを得ない時ってのがあるだろ?
その事情無視して、世の中で起こる不幸は誰かが悪事を企んでるせいだって主張する奴らには疑問を感じてたよ。正直な話。
そんで、自分達だけがその悪事に気が付いて、果敢に戦う正義の味方なんだって言いたいげな反戦派に鼻持ちならなさを感じてたよ。
別に反戦とかじゃなくても、自分は正しくて良い人間なんだって酔ってる奴には噛み付きたくなるって気持ちあるだろ? お前、ちゃんと自分の足元見てんのかよ?って。
でもさ、人間流されやすいからこそ、その流れを止める人間も必要なんだよな。
反・反戦派は反戦派の陥りやすい偽善に疑問を投げかけるのに必要な人材だと思う。
だが、反戦派みたいに困難に立ち向かおうと思ったら、自分に酔うくらいの勢いがないとできないんだって俺なりにわかってきた。
俺は「反戦」とか言ってても、どうしても現実も見ちゃうんで、議論で真っ向から反・反戦派と対峙する気にはなれないが(向こうの言いたい事も重々わかるからさ)、少々乱暴でも無茶でも独善でも何でもいいから、今の戦争容認する空気を打ち破れる勢いのある奴は物凄く必要だと感じてる。
でさ、イカフライさん達の発言見て勇気付けられる事も多いから、反・反戦派も俺を勇気付けるのに一役買ってくれてることになるな。いい掲示板だと思うよ。ここは。
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>>3
お久しぶりです、野次馬さん。
いや-、会えてうれしいな。
>別に反戦とかじゃなくても、自分は正しくて良い人間なんだって酔ってる奴には噛み付きたくなるって気持ちあるだろ? お前、ちゃんと自分の足元見てんのかよ?って。
うん、うん、これって、おおいにあるよ。まあ、実際に反戦運動している人をそれほど知っているわけではないし、その限りでは、そういう人は知らんけれど。
他の分野では、随分会った。
なんか、野次馬さんの意見は、ほぼ、100パ−セントといっても良いくらい、同意だな。
エ−ル、ありがとう。また来てくださいね(って、殆ど、ご挨拶になってしまった(^^ゞ)
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公平スレ
254の壱学生さん。
>上記の事を簡単に言うならば、
「望んで大変な立場を選んだ以上、頑張ってね」程度の事でしかありません。
で、そういう立場を選んだ以上、ある程度の努力が求められる訳です(まさか努力なしに可能だとは思っていませんよね?)。
これって変だよ。
望んで大変な立場を選んだ以上って、別に職業選択をしたわけじゃあない。
戦争で殺される人がいる。手足が吹っ飛んだ人がいる。
これは放って置けないという自然な感情を持ったからといって、
世界中の苦しむ人々のために、何かをする責任が、その人だけに生じるってのか?
年に800人〜1000人の凍死者が出る・・・この豊な日本でなぜだ?
北朝鮮のこと言えるんかい?と疑問を持ったら、彼らの命は疑問を持ったものだけの責任なのかい?
人間として、壱学生さんはどうなんよ????
俺は自分以外の人間が何人死のうと、痛くも痒くもない人間なんだというのか?
そんな人間なら、自覚した人間だけを批判するためだけにこんなところへ来ることはないだろ?
一緒に知恵を出し合って、小さな力でも出し合って、反戦平和を目指そうと思うからこそ
「平和造りの部屋」へ来ているんだと思うんだが、どうなんですか?
反、反戦派?の方たち。。。。
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>5
>これって変だよ。
>望んで大変な立場を選んだ以上って、別に職業選択をしたわけじゃあない。
つ-か、裏を返せば、そんな大変な立場を背負いたくないから、その選択をしないってことなんだ。
これは、つまり「なにもしない言い訳」と「他者に責任をおしつける」そんだけなんだよね、言ってること。
あのさあ、さかんにアフリカの内戦のことが出とるけど。
例えば、ニュ−スなんてろくすっぽ見ないで、見ても理解も出来ないばあちゃんが、アフリカの少年兵の悲劇をたまたま見た番組で見て、
自分の孫と同じ年頃の子供が、ゲリラにかられて、無理矢理に男の子は兵隊へ、オンナノコは性処理用の慰安婦にされるってこと聞いて、
「うちの孫と同じ年の子が、かわいそう」
って思ってさ、その国逃れてテント生活してる難民募金したら、
「アフリカの政情や内戦のことを、お勉強して詳し-くしってって」
でも、それを披瀝する以外、なんもしない人と、どっちがなにかをしてる、ってことになるんか?
つ-ことなんだよな。
勿論、だから、感情論だけでいい、とか、知識は不要だ、とか言ってるわけじゃない。
つ-か、多分、その頃のこと知ってる人は少ないだろうが、
「知ること、考えること」
の大切さは、このサイトの前身であるくまちゃんの戦争反対サイトで、さんざん、言い尽くしたことなんだけどね。
まあ、「なにもしない」って選択、それ自体は、その人が選んだ選択だ。
「何かをする」「しようとする」それも選択だ。
そりゃ、どっちが偉い、ってもんでもなかろうよ。
そこでさ「なにもしない」選択をしたんなら、それこそ、他者の選択について、うんぬんするのは、おかしいんでないかい?
それこそ、「言行不一致」じゃないか、と思うんだがさ。
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>>1
おおかた、4か5かなあと感じるけどな。ただ、それだけ。
ただ、イカフライさんほど議論に熱くなっていないし、ここも時々見る程度なので、深いところまでは知らぬ。
では、失礼しました。
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間違えた。>>2ね。
でも、4は偶で、5が殆どじゃないのかな?
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イカフライさんこんばんわ。
私は、最初はわからないことを聞きにきただけですが、最近は、
反戦者が「人を死なせないための反戦」なのか「反戦のための反戦」
どちらの方にウェイトを占めているのかを知るために、見に来ています。
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書き忘れです。
私は、反戦運動そのものにはたとえ効果がなくても、意味がないとは思えないのであった方がいいと思います。
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あるるさん、お久しぶりです。
>>10
>私は、反戦運動そのものにはたとえ効果がなくても、意味がないとは思えないのであった方がいいと思います。
このように思って頂ける事だけでも、意味があると思います。
>>9
>反戦者が「人を死なせないための反戦」なのか「反戦のための反戦」
>どちらの方にウェイトを占めているのかを知るために、見に来ています。
ロムされていて、あるるさんは、どう思われていますか?
現時点でのお考えで良いので、よろしかれば聞かせてください。
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それから、公平スレ>>254についてだけれど。
>それも一昔前なら図書館で一日仕事しなければいけないのを、現在ではネットと検索エンジンさえあれば30分もあれば一端の専門家を気取れる程度の情報を集める事ができます。
分からない事があっても、それなりのHPに当たりをつければ大学教授やジャーナリスト等の専門家の見解をすぐに知る事ができます。
>これは反戦運動にとってみれば、大いなる福音です。一昔前なら考えられない程の夢のような環境です。
>それをどうか有用に使いこなして下さい。イカフライ氏の選び取った立場からすれば、それは当然の事です。
これ読んで思ったんだけど。
まあ、これは、反・反戦側の方々が、現行の反戦運動に疑問があり、それを解決したい、と思っている場合、と仮定してですから、そうじゃないのなら、無意味になりますが。
今、「平和学」というのが、ありますね。
で、実際、そういうゼミをやっている大学の先生の中には、ご自身でホ−ムペ−ジをお持ちの方々も多い。
それこそ、ネットを検索すれば出てくるし、ここのリンク集にもあるよね。
で、そういうサイトの中には、ご自身がカキコミされている掲示板が併設されていたり、また、メ−ルを受けつけているところもあるでしょう。
で、「平和学」を学問とされている大学教授の方々なら、反戦運動に関しても、それこそ専門的な豊富な知識と理論で、答えてくれるんじゃないのかなあ、と。
こういういいかた、なんですが、所詮、シロウトの集まりの掲示板より、ずっと疑問の解決という点では有意義な気がするのですが。
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いやー、想定通りのレスが帰って来てますね。
別に僕は「議論で言い負かそう」だとか「ディベートを楽しもう」だとかは全く考えていませんが、
それでもこうまで思った通りだと苦笑してしまいます。
特に武蔵氏の>>5の
>人間として、壱学生さんはどうなんよ????
>俺は自分以外の人間が何人死のうと、痛くも痒くもない人間なんだというのか?
>そんな人間なら、自覚した人間だけを批判するためだけにこんなところへ来ることはないだろ?
という部分には安易な反戦平和主義者が陥り易い思い込みが如実に現れています。
武蔵氏は僕に「人間としてどうなんよ?」と問いますが、そういう問いを投げかける部分が思い上がりなのです。
そういう問いに対して僕は常に「なんで『人間はかくあるべし』という貴方の思想を強制するのですか?」と逆に聞き返します。
そういう問いは、「貴方なりの理想の人間像」を他人に強制するか、或いは「貴方なりの理想の人間像」が全ての人間に共通する普遍的なものである事を証明するか、そのどちらかで無ければ意味が無いモノです。
ぼーん氏は以前僕に「貴方は問うの?それとも問わないの?」と聞きました。
イカフライ氏も同じことを僕に聞きました。
武蔵氏も「人間として、壱学生さんはどうなんよ????」と聞きました。
これらの問いは全て安易な反戦平和主義者が陥りがちな傲慢さから生まれるものです。
キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判するのは傲慢です。
それと同様に平和主義者が上のような問いを強制するのも、批判してくる相手に「卑怯だ」と思うのも傲慢です。
「ある価値体系」で「異なった価値体系」を断罪し、上下関係を設けようとする点において。
それが僕の言う、『理念』の争いなのです。
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武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
そう思うのは貴方達の自由ですが、残念ながら現実はそうではありません。
大抵の人間は自分に関わりが無い事象にはそんなに熱心に関心を注ぎません。それが僕が度々この場で述べている「利己的な人間」像なのです。
まずはそういう『現実』を受け止めてください。で、その上で、そういう「利己的な人間」にも受け入れられるような反戦運動のあり方を模索してください、そういう事を僕は以前から主張しているのです。
それこそが『理念』の違いを乗り越えた、器の大きい反戦運動なのです。
「じゃあなんであんたはここで発言しているの?自分ではなんもしてないくせに」という疑問が当然出てくるでしょう。
貴方達の言う「反・反戦派」の他の人の事は分かりませんが、僕個人に限って言うならば、「ちゃんとした反戦運動を構築して欲しい」と思っての事です。
まず上記のような「自分は正しい事をしているんだ」と自己認識している者が陥りがちな「傲慢さ」を取り除きたい。
反戦の『理念』が正しいとしても、それを他人に誇る理由にはなりません。そういうのは「信仰心」と同様に、自らの胸の内にしまっておくものです。
でなければ、それは「ただ単に政治的事柄を扱っているだけ」の「罵り合い」に堕してしまうでしょう。
次に、正しい方法で議論して欲しい。
自らの正しさを強く認識し過ぎている者は時として真っ当な批判を受け入れない。本来ならばそういう「真っ当な批判」を乗り越えてこそより有効な運動になるのに。
また「自分の頭」で筋道通して得られた「結論」は、「どこかの誰かの受け売り」ではない『本物』になります。
自らの自由意思で選び取った『結論』、それこそが有力な反戦運動の源泉となるのです。
上に付随して、議論に含まれる「明らかな間違い」を訂正したい。
ぼーん氏が以前提案した「有事法制私案」は、法律学的な観点から明らかに間違っていました。
イカフライ氏や第四期石器人氏がしでかした「バカ論争」は、明らかに不毛な議論でした。
そういう「明らかな間違い」は、反戦平和運動にとって有害です。
最後に、必要な知識・理論を幾ばくか提供したい。
真っ当な反戦運動をしていく上では、正しい知識は必要不可欠です。「アフリカの内戦」を知らずしてアフリカを平和にはできない訳です。
国際政治の理論を知らずして、「なぜ戦争が起こるのか?」は理解できないし、「世界を平和」にもできない訳です。
もちろん僕は「学べ!」と命令しているのではありません。僕はただ単に「紹介」しているだけです。
必要な事を学ぶかどうかは貴方達の自由ですから。でも「貴方達」は誰に強制される事も無くそういう道を選んだんですよ。
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簡単に僕の考えをまとめておきますと、要するに
「もっと精進してほしい」
の一言に尽きますね。
僕が国際関係論を専攻したのも、「戦争と平和」の問題についてある程度以上の理論だった考えを身に付ける為でした。
そういう僕の目から見れば、イカフライ氏や武蔵氏・以前いたぼーん氏の述べているような意見、
その内少なくとも「僕が批判している部分」においては「大外れな意見」なんですよ。
「自分が言う事は常に正しい」と主張する気はさらさらありませんが、それでも、未熟な僕でさえも、「大外れな意見」かどうかは判断がつきます。
だからこそ、すごく歯がゆいと言うか、「もっと精進してほしい」と思う訳です。
僕を「反・反戦派」と認識するのは、そういう貴方達の未熟さゆえの部分がかなり大きいのですよ。
僕の方としては、「筋道だった考え方」ができてさえいれば、「反戦平和」であろうとも「国益が第一」であろうとも一向に構わないんですよ。
「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきますから。
その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つのです。
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>>13 14
いや-、予想どうりの回答が返ってきましたね(笑)
>武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
別に、考えてませんよ。さんざ言ってることなんだけどね、
「自分は悲惨も悲劇も見たくない。自分の好きなキレイな世界だけ見ていたい」
って人を反戦集会にひっぱりだす気なんてないって。
それより、壱学生さん、あなたこそ思いこんでいませんか?
反戦主義者は、自分こそ正しいと思っている傲慢で思いあがった人間だ、と。
>「ちゃんとした反戦運動を構築して欲しい」と思っての事です。
はい。では、ちゃんとした反戦運動とはなんでしょうか?
となってしまうのですよ。
これは、感情的にならずに聞いていただきたいのですが、あなたは、正しい理論と必要な知識を、本当に善意から提供しているつもりではあるのでしょう。
けれど、あなたは、実はなにも言っていないのです。
例えば
>議論に含まれる「明らかな間違い」を訂正したい。
といわれていますが、多分、これは、あなたが行っている整理のことでしょうが、これって、議論の整理になった試しないんですよ。
公平スレなんていい例ですよね、
「公平でありたい」
という単純な概念(まあ、本当にわかんないのかも知れないが)をごちゃごちゃとこねくり回すだけで、なんの進展のないのがいい例でしょう。
関係無い枝葉にまかれて、本質が見えなくなっているだけです。
議論と言うものを、どこか勘違いしていないですか?
まあ、自衛隊バカ論争については、まあ、今更繰り返すだけアホ臭いし、こりゃ見解の相違だろうけれど、
>イカフライ氏や第四期石器人氏がしでかした
と、いわば、反戦側の名だけをあげてしまうことね。
理屈でごまかしてるけれど、どっか
「反戦側は正義派ぶってる、傲慢だ」
というあなたの感情、ありませんか?
「ご自身が中立、客観なつもりか?」と尋ねたのは、それもあるのですが。
また、
>必要な知識・理論を幾ばくか提供したい。
これはありがたいですが、失礼ですけれど、今まで、どれほど知識を提供なさったのでしょうか?
例えば、カンボジア総選挙における日本の役割、例えば、カルネアデスの板理論、今更のことでした(少なくとも私は)
ダイアモンドを巡る内戦については、「やりきれない話」と書きましたが、確かに、それほど詳しく深い事については、知らなかったことがあります。
が、今まで、アフリカ大陸の人々が、平和に素朴に暮らしている、と信じていたわけではありませんよ。
支援活動も行った事は過去にあるし。
まあ、理論よりまず自分に出来る事を実践、というのは、私のやり方ですが。
にしても、さんざ「アフリカの内戦」を言ってますが、これにしても、ぼ-んさんは、ご提供下さった知識であって、あなたは、後乗りしていただけでしょう。
なんか、随分きついこと、言っちゃたけれど。
結論としては。
正しい反戦運動を行って欲しいし、そのための理論、知識を提供します。
というあなたの気持ちは解りました。
それが、善意から出ているものだということも、今までのあなたの議論姿勢を見れば、良く解ります。
ただし、それは、世の反戦運動以上に、効果が無い、ということです。
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16を書いている間に>>15のカキコがあったようで。
同じ結論がでちゃいましたね(笑)
>「もっと精進してほしい」
私が、16で書いた意味とくしくも同じような意味です。
面白いですね。いや、真剣な意味で、面白いです。
多分、全く正反対のようにかみ合わない事を言っていながら、お互いが鏡に移したように同じ事を相手に思うのは、何故だろう?
きっと、中心が見えていないからでしょうね。
これについて、ちょっと考えてみます。
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まあ、多分、壱学生さんのいいたいことは
「反戦なんてケほども考えない利己的なニイチャンだらけの世界(まあ、この社会ってのがそうだとも言えるが)でも、戦争がなくなるシステムを考えてね。」
ってことなんだろうね、てのは、解る。
で、それやるには、反戦派って、精神論しか言わないし、頭悪いなあ、と歯がゆい、と。
で、歯がゆく思っている壱学生さんは、そういった
「利己的ニイチャンの世界」で「現実的な反戦システム」を構築できる理論的に筋道だった方法論はお持ちなの?
> 僕が国際関係論を専攻したのも、「戦争と平和」の問題についてある程度以上の理論だった考えを身に付ける為でした。
といわれている様に、国際関係論を学ばれたのでしたら、そのお勉強の成果を知りたいのですが。
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あるる嬢、壱学生氏に続いて、私のことを。
>>2で挙げられている五つの項目の中で、最初に来たときの理由は2です。
ただし、これは「自分」ではなく、「日本」に置き換えた方が適切です。
というか、我が国が不利益を被った場合、私にも被害が及ぶので。
で、私はご存じの通り「日本第一主義」という大前提があります。
もしも、反戦平和なるものが、我が国に大きな利益を寄与するのでしたら、おそらくこの場にはいないでしょう。
が、実際はそうでないから、こうして反論をしているわけで。
今のやり方では、単に一方的譲歩を引き起こすだけに過ぎないのですから。
無限に譲歩し続ける平和など、私には到底、受け入れられません。
実際、現在の我が国の国防の不備は、一連の反戦平和の成果であると私は見ています。
ただ、ひょっとしたら、私の主張が間違っている可能性もあるのですよ。
例えば、戦前の我が国など、国益のためを思ってやった結果が大敗北でしたので。
もしかしたら、私とは違った理念に基づいた方々の中から、私など思いもつかない考えを示される可能性もあるかも知れません。
『お前の言っていることよりも、これこれこうした方が日本の利益になるよ』ってな具合に。
そうした場合のみ、私は反戦側の意見にも賛同するでしょうね。
が、今のところは残念なことに、そうした意見はあまり出てきません。
あるのは、お題目のように「反戦」「平和」を唱えるだけ。
とにかく戦争はいけない、戦争は悲惨だ・・・・・・と。
その理由も、国益、人権、国際秩序など、ころころ根拠が変わっています。
いったい、何のために反戦を主張しているのかと、疑問に思うわけですよ。
すでに手段が目的化し、宗教になっているんじゃないかと、私には見えるのですけどね(要するに、反戦のための反戦)。
戦争とはあくまで政治問題であり、そこに宗教を持ち込むのは、ナンセンスではないかと。
また>>13-14で、壱学生氏もご指摘の通り、ある宗教を絶対に正しいものと確信したり、他人もそう思っている、思っているに違いないというのは傲慢ではないですかね。
さらに、それを他人に押し付ければ、(反戦教育を受けた)私のように反発する者も後を絶ちません。
胡散臭いと思っちゃうんですね。
これが前から何度も言っているように、異教徒には通じないということです。
で、私が反戦派に対して言いたいことは、もっと政治的な視点から考えて欲しいということ。
この視点から意見を言うことが出来れば、また違った形になるでしょうね。
つまり、>>2で挙げられた5も入っているということです。
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其々の立場で皆さん、どうしてそんなに熱く語れるのだろう?それが、此処に来る最大の理由だ。
そこに興味があって、内容に関係なく週に3回ぐらいはここを見る。
勿論、全部は読んでいない。
これ、イカフライさんへの「・・・興味あり」に対する返事です。
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まあ、皆さんには申し訳ないが、「皆、議論が好きだなあ。」と、言うのが、正直な感想です。
反戦にしろ、反・反戦にしろ、どちらも何故そこまで語れるのだろ?
これ以上書くと荒らしになるので、以後続きは控えます。
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おひさしぶりです。
イカフライさんの質問?まとめ?に対して私のスタンスを一応。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
→コレはそう思いますね。個々の戦争においてそれを回避する努力を怠るべきではないですが、
戦争自体をなくすことは無理だろうと思っております。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
→コレはそうは思っていません。戦争そのものをなくすことは無理でも、
個々の戦争においては抑止力となることはあるし、(民主国同士の対立では効果高いでしょう)
人道的反戦活動の圧力が、米軍の「人道的」兵器群(精密誘導兵器、非ABC大量破壊兵器)
の開発を促して非戦闘員の被害を減らしたことの一助になっていると思います。
反面、今回のイラク戦争に関しては片方が独裁国家だったこともあってか、
やっぱり戦争は止められませんでしたし、イラク軍では人間の盾や
便衣兵まがいの自爆攻撃などを推奨したりと、いたずらに非戦闘員を戦争に巻き込もうと
する行動を止めることもできませんでした。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
→コレはそう思います。まあ若干心が痛むことはありますし、通りすがりの人に
親切に振舞うようなことはありますが、それは自分にかなり余裕があるから。
関係ない他者のことなんていざ自分に余裕がなくなったときはぶっ飛んでしまうだろう、
私はそれほど人間が出来ていない、と思っております。
また、自分が他者を思いやれるからといって、他者に自分を思いやれと要求・期待するのは
「甘え」だと思っています。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
→これはそうは思いません。
戦争について述べるなら、
戦争を起こすのも、起こさないのも、自分の帰属する集団・社会、周囲の人々、
ひいては家族や自分自身が死なない、あるいは不幸にならないためと考えます。
というか、自分および家族を守るためならなんだってします。
そのなかに「戦争だけはしない/人殺しだけはしない」といった特例を入れるつもりはありません。
それが効果的な手段なら戦争に賛成することもあるし、反戦運動に参加する事もあるでしょう。
だから、「何が何でも戦争はいけない」「ダメなものはダメ」なんていう意見には反発するのです。
私から見ればそういう意見は目的と手段を取り違えているようにしか見えない。
イカフライさんのこの質問自体がなんか取り違えていないか?と思えます。
何で反戦サイトにきて議論するか。
まあ、上記4に書いたようなことです。
反戦運動自体はその内容や時と場合によって判断すべきと思っているので、
反・反戦派というつもりは無いのですが、
「軍備放棄」「戦争放棄」「非武装中立」「有事法制反対」「自衛隊員はバカ」
てな事を言われてるとどうしても反発してしまうんですよ。
まさに「目的と手段を取り違えているようにしか見えない」ので。
-
ひとまずお久しぶり。
>>14 >>15
壱学生さん、進歩ないねぇ。僕の去り際に述べたことを、もう一度繰り返しにきました。
ぼーんの宗教、イカフライの宗教、武蔵の宗教、壱学生の宗教、その他もろもろの宗教が
「違う」なんてことは、そんな程度のことは最初から分かっている。
また、「違うこと」それ自体は容認してもいる。
しかし、壱学生の持つ宗教がその宗教内部において人間の価値の等しさを否定しているな
らば、その一点において壱学生のもつ宗教全体の修正を迫る根拠になる。そう言っている
に過ぎない。
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
「β 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
これについて、ぼーんはかつてこういう意味のことを述べました。
「αを選ぶなら、心のそこから軽蔑するし、議論において人格を尊重することもない。まっ
たく相手にしたくないし、する理由もない。」
傲慢さでもなんでもない。「壱学生は、理念における各個人の等しい価値を認めていない」
という単なる論理的事実があり、それに基づいて感想を述べているに過ぎない。
むしろ傲慢なのは、現実に世界の一部である人間が、そうした世界とは切り離された存在
でいられると思い込んでいる壱学生の方だろう。
さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
理念を理念そのものとして間違っている、と批判することは無理でも、理念が許容する現
実において、人間の等しい意味での尊重という最低限の基準を失っているならば、その点
において批判を受ける。宗教そのものを批判するのではなく、宗教が公共領域において他
者と両立できなくなっている点を指摘し、修正を迫るという、必要最小限の要求に過ぎな
いんですが。
これは当然、宗教の原理ではないです。異なる宗教を持つ者同士が生きていかねばならな
い、という社会の現実から生まれた要請、つまり、すぐれて「政治的な原理」なんだけど
ね。こんなことも分からないでなんで政治学者なんてやってられるんだろう?と思う人が
多すぎるなぁ。と思うね。
>>15
> 僕を「反・反戦派」と認識するのは、そういう貴方達の未熟さゆえの部分がかなり大きいのですよ。
> 僕の方としては、「筋道だった考え方」ができてさえいれば、「反戦平和」であろうとも「国益が第一」であろうとも一向に構わないんですよ。
> 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきますから。
> その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つのです。
「平和部屋」に来ている人たちを、とりあえず「はんせーん」叫んでる人たちと同列に認識
しているのは、そういう貴方の未熟さゆえであるということに、半年も経ったら気づいてる
かとも思ったけど、まだ無理みたいね。
『 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきます』と思うし、
『その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つ』とも思うが、
その行き着く先や現実というものの内実は、随分と違うみたいね。
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>>23
しかし、こう述べたとしても、僕は「はんせーん」叫んでる人たちは嫌いでないな。
「自分と他者を、理念においては等しい価値を持つ者として承認する」という、
もっとも重要だ(と僕には思える)一点において共約可能だからです。
こっちはまだ、話ができるからね。
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>>13
> キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判するのは傲慢です。
> それと同様に平和主義者が上のような問いを強制するのも、批判してくる相手に「卑怯だ」と思うのも傲慢です。
> 「ある価値体系」で「異なった価値体系」を断罪し、上下関係を設けようとする点において。
> それが僕の言う、『理念』の争いなのです。
↑この部分に壱学生さんの勘違いがよく現れているように思いますね。
「キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判する」
なんて、一体そんなことを誰がしているのでしょうか?
異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
# 多少ややこしい言葉でいえば、
「公共的に有意味な価値体系は、Aをプロトコル命題として含みもっていなければならない」
ということです。
異なった価値体系に対して、Aを含むよう要求するのは、宗教の論理ではなく、
すぐれて政治の論理です。
上下関係ではないのです。
政治の領域は、(異なる価値観を持ってはいても)Aをプロトコル命題として前
提する人たちの間でしか成立しないのです。だから、Aを否定する人たちとの間
では、もはや、「Aが否定されているからあなたとは対話できません」という以
外の対話はできない。(これが、僕が平和部屋を立ち去った理由ですがね。)
-
どうもぼーん氏の方こそ半年経っても全く「反戦」という事について判ってらっしゃらないようで、苦笑してしまいます。
それはイカフライ氏も同じ事で、そこに気付いて無いとあなた方の『反戦』は全く意味が無いどころか逆効果なんですよね。
特にぼーん氏の言う所の
異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
># 多少ややこしい言葉でいえば、
> 「公共的に有意味な価値体系は、Aをプロトコル命題として含みもっていなければならない」
> ということです。
ていう部分なんて、ぼーん氏ご自身が守っていない時点で失笑ものです。
僕は今まで一度も「他人なんてどうでもいい(これはぼーん氏が言う所の「あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」でしょう)とは言っていませんよ。
お二方がそう読みとっているならばそれは(あまり使いたくない言葉ですが)読解力不足であり、ご自身の『理念』の正しさを過信するあまりに目が曇っているのでしょう。
そうではなくて、僕が一貫して主張しているのは、
「『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索するべきだ」
なのです。
よく反戦派の方々は「戦争で犠牲になるのは弱者だ」と言いますよね?それと全く同じ意味で「平和の利益は利己的な人間にももたらされる」のですよ。
逆から言えば、「利己的な人間」を納得させる事ができなければ、平和はすぐに破られるのです(パレスチナ和平がユダヤ人右派によりご破算になったのはご存知ですよね?)。
で、そういう利己的な人間たち(僕の事では無いですよ!)を説得するに当たっては、「利益」を媒介にするしかないのです。
「平和の大事さ」なんて「想い」は人それぞれですが、「平和の利益」は誰に対しても計算可能です。
そしてそういう人間たちを相手にする上では、「あなたは問うの?それとも問わないの?」なんていう問題設定は有害でしかないのです。
そんなモノは各人の内心のみで処理する問題であり、上段に構えて突きつける類の問題ではありません。
そういう問題設定をするのがまさに「あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」行為なのですよ。
正確に言えば「そういう問題設定を『押し付ける』」部分が、ですが。
それをぼーん氏は理解していらっしゃらない。それでは幾ら口清い『理念』を唱えたところで、醜悪なものでしかないのです。
話しをもう少し簡単な例え話にしますと、
利己的な人間が、長期的な利益計算に基づいて「戦争より平和の方が利益になる」と考えて反戦運動をするのも、
倫理的立場から「戦争は良くない」と考えて反戦運動をするのも、
同じ「反戦運動」という現象であり、政治的意味合いは全く変わらないのです。
僕が言うところの「器の大きい反戦運動」とは両者の融合した反戦運動です。
しかしながらぼーん氏が言うところのような問題設定をすれば、後者の「倫理的立場」からしか反戦運動は成立しません。
まぁ仲間内で結束を高めるのも良いですけど、少なくとも「政治的な論理」から見ればこんな行為は愚かな事極まりありません。
ぼーん氏の主張にはそういう問題点が内在しているが故に、僕は批判しているのです。
(それが、僕がぼーん氏の問題設定を『拒否』した理由ですよ!僕は「利己的な人間」であるが故に『拒否』したのではありません。「自己の内心のみで処理する問題」を公的な場で出す事の有害性ゆえに『拒否』したのです)
-
ぼーん氏は丸山真夫の「超国家主義の論理と心理」という論文を読んだ事はありますか?
あなたのしている問題設定は丸山が批判している「大日本帝国」と同じですよ。まともな政治学者なら全員が貴方のような問題設定は拒否するでしょうね。
「内心のみで処理する問題」を大上段で突きつけるのは思想の左右を問わず醜悪極まりありません。
(ちなみに以前丸山真夫を右派の少年に紹介した時、「今時丸山真夫かよ」と読まずに批判されましたが(苦笑)
思想の左右を問わず「正義」を公的な領域で突きつけるような人物は変わらないようですね。)
ぼーん氏は僕の意見を
>さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
>勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
と批判しますが、僕が拠って立つ「政治的な論理」からすれば正に上記の態度は当然あるべき態度です。
「政治的な論理」からすれば、「明白な法律違反」とか「公共の福祉の重大な侵害」が無ければ、そういう「内心の問題」に干渉しないのは当然でしょう(政教分離の原則は知ってますよね?)。
もちろん「家の財産を持ち出された親類縁者」が民事訴訟を起こすのも自由ですし、訴えが起これば公的な領域で取り扱いますが、
逆に言えばサリン事件以前では「公的な領域」で取り扱う事は出来ません(もちろん違法行為が立証されれば別ですが)。
それが「政治的な論理」に内在する限界です(それにしてもぼーん氏は何が言いたいのかな?公権力により宗教弾圧をしろとでも?)。
まぁぼーん氏が「倫理的な立場」からオウムのような宗教を批判するのは、それはそれで「あり」なのですが、
「政治的な論理」に限界が内在するように、「倫理的な立場」に内在する限界も認識するべきでしょう。
例えば今話題のパナウェーブ研究所にしても、「政治的な論理」からすれば道路交通法違反だとかの微罪でしか扱えません。
そういう「政治的な論理」の限界を無視して公権力が私的領域に干渉するのはより大きな問題が発生するでしょう(自由主義の思想史をしっていれば」当然に気付く問題なのですがね)。
で、話を反戦運動に戻しますと、いわゆる「反戦運動」の究極的終着点が「平和」の実現・戦争の防止である以上、これは「政治的な論理」を無視しては成り立ち得ない訳です。
したがって「政治的な論理」に内在する「個人の内心の問題」には踏み込めません(少なくとも「共有しろ」とは言えません)。
だからこそぼーん氏の問題設定は無意味ですし(ぼーん氏と志しを同じくする仲間内でのみして下さい)、有害ですらあります。
まぁ僕が言う「利己的な人間像」ってのも、「自分と同じく相手も合理的に利益計算が出来る」という点においては
ぼーん氏が言う「他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値」を置いているのかもしれませんが。
でも良くも悪くも人間の能力は様々ですから、「長期的な利益」の計算ができて平和を志向する者もいれば、「短期的な利益」を主眼にして戦争を志向する者ももいるでしょう。
でもそれこそが「現実」に近いでしょう。そういう「現実」を前提にしなければ「平和運動」は政策たり得ないのですよ。
まぁ「政策」として現実に影響を与えなくとも主張しているだけで良い、という立場ならそれも「あり」ですが。
-
ども、なんか、長いカキコがおおくて、スレッドが流れてしまいそうなんで、とりあえず、お返事を。
>>19
>今のやり方では、単に一方的譲歩を引き起こすだけに過ぎないのですから。
これ、ヤスツさんがさかんに言ってることだよね。
今更だが、この「無限の一方的譲歩」ってやつ、なあ-んか解るような解らなんような、ピンとこないんだけど、もう少し説明してくれるかな、今更だけど。
じゃないと、どうも、同じ言葉を使いながら、全く、違う事いってる、違う解釈してるって、結構、あるようなんで。
>実際、現在の我が国の国防の不備は、一連の反戦平和の成果であると私は見ています。
まず、個人的に言えば、戦争がいけないから軍隊もいけない、という考えは短絡的すぎる。
まあ、そこまで言う反戦主義者ってのは、今まで、お目にかかったことないから、これって、「反戦主義者」にたいするネットウヨの脳内妄想がかなり入ってると思うけど。
(自衛隊を嫌ってる、てのもそのひとつだよね、ちらっと読んだ、2ちゃんの自衛隊板の教師に人殺し呼ばわりされたAV女優の板スレなんかでも、個人の一体験を日教組全てにおきかえちゃって、当の自衛官の妻である現役教師から反論くらってちゃ世話無いわ、と思ったんだけど)
これは、前にも言ったけど、それより政府、国家に信用が無いってこと、ないのかな?
ひとつは、ある程度以上上(60代くらい)の人間にある経験から来る軍隊アレルギ−、もうひとつは、いわゆるタカ派と呼ばれる政治家達の問題ね。
石原慎太郎なんて、信用して任せられますか?
で、利益の問題なんだけどね。
まあ、私は日本人だから日本が平和で豊かなのが一番なんだけど、そのために、よその国を犠牲にしてよいのか?
それが許される範囲ってどこまでか?
ってこと、考えてるんだけど、「国益」さえかなえばそれっていいんだろうか?
これは、公平スレの命題かもしれんけど、てことは、例えば北朝鮮が日本にテポドン落とす事が北朝鮮の国益にかなう、と判断すれば、それって、いいんだろうか?
アメリカが自国の国益のためにイラクに爆弾ばらまいたことを容認するなら、それも良し、になるでしょ。
で、そ-ゆの良しにする世界じゃおちおち安心して暮らせない、つ-のがあるんっすけどね。
勿論、そうなると「世界政府」でもつくらんとならんだろうし、そ-ゆ点で「アメリカの世界征服こそ平和の第一歩」という考えもでるのかもしれんが、
それまでの犠牲を考えれば、とても飲めないし、第一、アメリカって平和な国か? ってきもするし。
>>22
場合によっては反戦、場合によっては戦争オ−ケ−ってことだよね。
一見、これってもっともなようだけど、一番プロパガンダにひっかかりやすい考えでもあるな。
まあ、「プロパガンダ10の法則」くらい、とっくにご存知だと思いますが。
で、4の質問について、取り違えてないか? ってことなんですが。
まず、戦争を容認するのならば、自分の身の上に戦争が起きた場合、それも容認する、というのではないと、矛盾があるのでは、ってことです。
実際、ヤスツさんは、「仕方ない」というような意味の事、言われていますし。
>戦争を起こすのも、起こさないのも、自分の帰属する集団・社会、周囲の人々、
>ひいては家族や自分自身が死なない、あるいは不幸にならないためと考えます。
で、実際、家族や自分自身が死んだり、不幸になってる人がいるんだよね。
これを「関係無い他者がいくら死のうが関係無い。」というのも、まあ、現実的に考えれば、仕方ないんかなあ、とも思わないわkではないんだが。
> 反・反戦派というつもりは無いのですが、
>「軍備放棄」「戦争放棄」「非武装中立」「有事法制反対」「自衛隊員はバカ」
>てな事を言われてるとどうしても反発してしまうんですよ。
これらのことは、それこそひとつひとつ板スレを作って議論する問題なので、ここで簡単には答えられないですね。
-
上記の事はぼーん氏だけでなくイカフライ氏にも向けた主張なのですが、それだけではおそらく理解されないでしょうから、
イカフライ氏向けにもっと簡単に述べますね。
イカフライ氏は
>>武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
> 別に、考えてませんよ。
と述べましたが、それが意味するところを全く理解されていらっしゃらない。なぜならその後で、
> で、歯がゆく思っている壱学生さんは、そういった
>「利己的ニイチャンの世界」で「現実的な反戦システム」を構築できる理論的に筋道だった方法論はお持ちなの?
とか、
>国際関係論を学ばれたのでしたら、そのお勉強の成果を知りたいのですが。
とか述べている部分が正にその証拠です。
イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
例え話をすれば、マンガの読者はあるマンガをクソミソに貶すのも自由ですが、作者はその反論に「じゃあおまえが書いてみろよ」と言えないのと同様です。
難しい用語で言えば、イカフライ氏には反戦論の「挙証責任」があるのに対し、僕の方には「挙証責任」が一切ありません。
この「挙証責任」云々は、論理学の初歩の初歩の概念であり、公の場で議論する際の不文律です。
それを無視して「じゃあお前が考えてみろよ」と言うのは、議論相手に自らの『理念』を押し付ける、思い上がりな行為と見られても仕方の無い事です。
つまりイカフライ氏が上記で述べたような主張は、「相手に反戦の立場を押し付ける行為」なのですよ。
だから僕はその点をしつこいぐらい訂正するように求めているのです。
で、そういう事を述べた上で、僕の「好意」(あくまで好意ですよ!)で僕なりの見解を述べるならば、
「世界を平和にするなんて不可能だし、反戦運動で起こりそうな戦争を食い止めるのはほぼ不可能」です。
世の中にはどんなに願っても「実現不可能な願い」がありますし、実行しようとしても「実現不可能な行為」が厳然としてあります。
今なら簡単に治る病気でも、抗生物質の発見以前にはどんな金持ちがどうお金を積んでも治す事のできなかった「不治の病」があるように。
それを痛いほど認識した上で、平和に向けての「事実」を一歩一歩積み上げて行くしかないのです。
適切な途上国支援をするのも良いでしょう。それなりに信用の置ける団体に募金するのも良いでしょう。
あるいはもっとミニマムな事でも構いません。
問題意識を持って歴史について勉強するのもいいでしょうし、街中でごみ拾いをして街頭美化運動をするのも良いかもしれません。
あるいはネット上で「明らかに間違った反戦運動」を批判して認識を改めさせるのもまた反戦運動たり得ます。
その辺りは人それぞれです。
-
ぼ-んさんと壱学生さんのレス読んで。
ぼ-んさんは多分こういいたいのではないかな?
「壱学生さんは、「理念において自己と他者の違いに優劣を置くべきでない」というのなら、
それは反戦の思想「自己と他者の痛みや命を同等に置く」ということと同じことである。」
って。
それを壱学生さんは、読み取ってないんじゃないでしょうか?
それとも「理念」に置いては、同価値を置くべきだが、基本的生存権については、必要無い、とでも言いたいのかな?
-
>>29
> イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
>つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
例え話をすれば、マンガの読者はあるマンガをクソミソに貶すのも自由ですが、作者はその反論に「じゃあおまえが書いてみろよ」と言えないのと同様です。
難しい用語で言えば、イカフライ氏には反戦論の「挙証責任」があるのに対し、僕の方には「挙証責任」が一切ありません。
これって、言い訳以外なにものでもなんですが。
まあ、一切なにもいっていないという自覚があるなら、まあ、いいでしょう。
ちなみに、そのマンガがつまらないと思えば読まなきゃいいし、買わなきゃいい。
評論家気取りで、ああたらこうたらもっともらしい言葉を並べてなんら中身の無い評論もどきのお手紙を送られてきても、その漫画家の作品を読む気も買う気もない人に、漫画家はあいてする必要なんです、おわかりですね。
ただ、ここでいえば、壱学生さんは、無責任な立場でああだこうだいいたい、ッてことなんでしょうかね?
それから、ご好意はありがたいですが、あなたのいうアドバイスは本当に今更のいわずもがな、ですね。
まあ、ひとつ、つけくわえさせていただけば、ネット上で、「明かに間違った反戦者のイメ−ジ」をおもしろ半分に植え付けようと(意識的であれ、無意識であれ、無責任な遊びであれ)している意見を批判する、っていうのが抜けていますが。
ただ、これはもしかしたら、反戦者よりも、反戦側と本当にまともにお話しようとしている人がやるべきかも知れませんけれど。
-
>ぼーん氏
お久しぶりですね。
元・国家主義者こと柏葉英一郎です。
で、
>>25
>異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
ですから、これが「宗教」なんですって。
「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
仮にこれを、ぼーん氏が決め、それに則った「ぼーん教」としましょう。
極論すれば、これはつまり、ぼーん教の信者にしか通用しないですよ。
私は以前にねこれを指摘しましたよね?
「布教活動」が、あなたの平和論なのかと。
どうなんです?
-
>>32
に、ちょっとツッコミ。
>>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
決めたのは壱学生さん。
-
>>28
>今更だが、この「無限の一方的譲歩」ってやつ、なあ-んか解るような解らなんような、ピンとこないんだけど、もう少し説明してくれるかな、今更だけど。
では、イカフライ女史にもわかりやすいように説明しましょう。
----------------------------------------------------------------------
あるとき、暴れん坊のA君がとても金に困っていました。
そこに通りかかったのが、ひ弱なB君です。
A君は早速B君に、こう恫喝しました。
『金をよこせ、でないとぶん殴るぞ!』
B君は殴られたくないので、泣く泣く金を渡しました。
これに気をよくしたA君は、あくる日、また同じことを。
B君は、さすがに我慢できず、これを拒否しましたが、A君は逆ギレし、軽くB君を殴りました。
『言うこと聞かねえと、もっと非道い目に遭うぞ!』
反撃能力を持たないB君は、また泣く泣く金をB君に差し出しました。
そしてB君は、完全にA君の金ヅルになりましたとさ。
めでたし、めでたし。
----------------------------------------------------------------------
ってなところですかね。(笑)
>これは、前にも言ったけど、それより政府、国家に信用が無いってこと、ないのかな?
>ひとつは、ある程度以上上(60代くらい)の人間にある経験から来る軍隊アレルギ−、もうひとつは、いわゆるタカ派と呼ばれる政治家達の問題ね。
>石原慎太郎なんて、信用して任せられますか?
知りません。
政府を信用するしないは、あなたがそう思っているだけでしょう。
ただ、政府というものは国家、国民の利益を考えるのが仕事なんで。
で、大多数の利益を実現する手段として、民主主義というシステムがあるわけです。
石原慎太郎が圧倒的得票数で再選したのも、都民達が自分達の利益になると思っているからでしょう。
もしも政府が大多数の不利益になると思えることをすれば、その時点で政権交代になるわけで。
それとも、国家や国民に関係ない「政府」なるものが、どこかにあるんですか?
イカフライ女史の言っていることを見ると、そうとしか思えないのですが。
>まあ、そこまで言う反戦主義者ってのは、今まで、お目にかかったことないから、これって、「反戦主義者」にたいするネットウヨの脳内妄想がかなり入ってると思うけど。
いやいや、実際にいますよ。
某党首なんかその典型。
あと、水島とか福島とかいう女性のセンセイなんかも、公言していますね。
無抵抗で降伏したあと、抵抗すればいいなんて戯言を。
>これは、公平スレの命題かもしれんけど、てことは、例えば北朝鮮が日本にテポドン落とす事が北朝鮮の国益にかなう、と判断すれば、それって、いいんだろうか?
>アメリカが自国の国益のためにイラクに爆弾ばらまいたことを容認するなら、それも良し、になるでしょ。
それが現実です。
だからこそ、自分の身は自分で守る必要があるのですよ。
善悪の問題ではありません。
私見ですが、反戦派はそういった現実を嫌悪している。
要するに、全人類を、ある何かに変えようと考えているわけで(神?)。
逆に私などは、人間はあくまで人間であり、その上でどうするかを考えているわけです。
簡単に言えば、反戦側は宗教的領域であり、反・反戦側は政治的領域であると。
どうでしょうか?
-
壱学生の言うような話はよく聞く話ではあるのだが。しかし、ほとんど実際上あんまり
意味のない問題にかかずらわっているようにしか見えない。
>僕が一貫して主張しているのは、
>「『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索するべきだ」
>なのです。
↑このような主張なんて、とりあえず現実を見ないで、問題をいたずらに難しくしてし
まっているだけに見える。
アメリカ政府にしてもイスラエル政府にしても、自分たちの行為を「正義」と呼ぶわけ
です。彼らは決して「正義など知ったことか」とは、少なくとも公には言わない。彼ら
の力の基盤の多くが、正義を「装う」ことによって維持されているという事実を忘れて
はいけません。
「まったくの不正義であってもアメリカのする戦争を支持するか」と聞かれれば、多く
のアメリカ人が「支持しない」と答えるでしょう。世論調査からも、その程度のことは
伺えます。アメリカ人がアメリカ政府を支持しているのは、「それは正義の戦争だ」と
信じているからなわけです。「正義の戦争ではなくても、それが自分の利益になるから」
なんて理由で支持している人は、まずはいません。
だから、人々が利己的だから戦争がなくならない。というのは、半分以上間違っています。
大抵の人は、自分のことを完全に利己的だとは思っていない。たとえば、壱学生くんですら、「他人のことなどどうでもいい人」を「自分ではない」と述べているくらいです(笑)
なので、
>『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索
する必要はないんです。できるんならやったらいいでしょうけど、どーも、そんな難しい問題には答えは出なさそうです。だから、「他人なんてどうでもいい」という人たちは、端的に、軽蔑し、相手にしないだけのことです。事実の問題として、そんなヤツは、圧倒的少数派でしょうから、そいつら以外の人がきちんと動けば事態は変わります。
それが難しい、っちゃ難しいんですけどね。
しかし、「器の大きな反戦運動」とやらを考え出すよりは、ずっと簡単そうに見える。
「他人はどうでもよくないが動かない」人たちに、「あなたには動く責任がある」と言
って回るほうがずっと分のいい作業だと思えるな。今までの経験からすると。しかも、
チョムスキーやサイードたちが途中までは作業を進めてくれているからね。
私たちは、不完全ながらも、道義というものが人々の意思決定に影響を及ぼしうるよう
な世界に生きています。だから、他人のことにもちゃんと関心のある人にだけ通用すれ
ば、それで十分。
# いやぁ、なんて現実的な判断なんだ。
-
>>35は>>26へのレスね。
次は、>>27へのレス。
>>27
>逆に言えばサリン事件以前では「公的な領域」で取り扱う事は出来ません(もちろん違法行為が立証されれば別ですが)。
>それが「政治的な論理」に内在する限界です(それにしてもぼーん氏は何が言いたいのかな?公権力により宗教弾圧をしろとでも?)。
「批判する」ことと、「公権力によって宗教弾圧をする」ことの間には随分と開きがあ
るのだが、どうも壱学生さんの言語センスにおいては「同列」らしい。
どうやったら、こんなのと建設的な対話ができるのだろう?とは思うが、とりあえず言
うべきことは言っておく。
>ぼーん氏は僕の意見を
>>さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
>>勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
>と批判しますが、僕が拠って立つ「政治的な論理」からすれば正に上記の態度は当然あるべき態度です。
>「政治的な論理」からすれば、「明白な法律違反」とか「公共の福祉の重大な侵害」が無ければ、そういう「内心の問題」に干渉しないのは当然でしょう
>(政教分離の原則は知ってますよね?)。
などといっているが、問題は「内心の問題」ではないの。
サリン事件を受けて、サリン事件を起したオウムの思想的体質について、あくまでもサ
リン事件が意味するものとの関係においてのみ、批判することは可能だし、それが政治
的批判というものだ。
どーも壱学生君は、ぼーんが「サリン事件を起したオウムのような宗教を全否定してい
る」と思い込んだみたいだね。
違うんだよ。
オウムは、Aを含むことが可能なように、その教義を含む価値体系を修正するべきであ
る。と述べているだけ。
-
>>30
> イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
> 一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
> つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
↑なんなんだろうね。これって(笑)
言ったから義務がある。
言わないから義務がない。
って、小学生じゃないんだからさ。
壱学生さんは、
「α そこに義務があるという前提を持つと、表明する。」
のか、または、
「β そこに義務がないという前提を持つと、表明する。」
のか。どっちなんだ、と聞いているわけです。
αなら、壱学生さんがイカフライさんに向かって言っている責任が生じます。
だから、あえてαを選ばない。
ならば、βを選ぶかというと、そうでもない。
単に「αともβとも言わず、両方の責任から逃れようとしているだけ」
なわけだ。
「βなんですか?」「いや、βだとは言っていない」
「じゃ、αなんですか?」「いや、そこはなんとも。。ムニャムニャ」
なんか政治家の答弁みたいだなぁ(笑)
こんな答弁している政治家のことを「信用ならないズルイやつ」とみなすのは
多分、ほとんどの人たちの一致した見解でしょう。
こんな答弁をしている政治家は、「実質的にβを選んでるんじゃん。汚いやつ」
と見なされて当然でしょう。
以上、壱学生さんのとっている戦略の不誠実さを赤裸々に書いた上で、再度問う。
壱学生さんは、どっちを選ぶの?
そして、そうやって旗印を明らかにさせること。
βを掲げるやつは、まず、最初から相手にしません。で、終わり。
αを掲げるなら、そこからαと一貫した態度を求めることで追い詰めていく。
そして、相手が掲げたαを基点にして、相手の態度変更を求めていくことが、
「反戦平和運動」そのものなわけです。少なくとも僕にとっては。
で、この戦略って、結構有効でしょ。
実際、壱学生君はαともβとも言えず、「ムニャムニャ」としかいえないわけですから。
はたから見ても、「こいつバカ?」って思うと思うんだけどなぁ。
-
>>33
>決めたのは壱学生さん。
どこで?
壱学生氏は、単にある理念が、他の理念を非難するのは傲慢だといっているだけですが。
よろしかったら、具体的にご指摘下さい。
-
>>32
あーどーも。
おっしゃる通りですよ。僕は「ぼーん教」の布教をしているんです。
あなたの語法に従えば。
> ですから、これが「宗教」なんですって。
> 「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
> 仮にこれを、ぼーん氏が決め、それに則った「ぼーん教」としましょう。
> 極論すれば、これはつまり、ぼーん教の信者にしか通用しないですよ。
> 私は以前にねこれを指摘しましたよね?
> 「布教活動」が、あなたの平和論なのかと。
> どうなんです?
別に否定しなかったと思うけど。まったくその通り。
問題は、人々がこの宗教に帰依しないからではないのです。この宗教に帰依してい
るにも関わらず、他者についてはその宗教の内在する論理を当てはめないことに起
因しているんですよ。
あるいは、その宗教に帰依することによるご利益はさずかりながら、帰依していま
すとは言わない。そのことによって「宗教的義務」を放棄しているわけです。
つまり、自分を守ってくれるそのルールを、等しく他者にも当てはめ、そこに不正
があれば、不正だといいなさい。ってことをさぼってるんです。
だから、僕は壱学生君に踏絵を踏ませようとしてるんですよ。
しかし、壱学生さんは決して「βだ」とはいえないわけです。
彼もきっと、心の中では「ぼーん教」の信者みたいですよ(笑)
それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
-
>>32
>>39に補足して。
では、β、「他者がどうなろうとしったことではない」と述べる人たちは、
自らもそういわれることを覚悟しましょう。少なくともそこまではいえる。
日本が戦争に負けて、周りが悲惨なありさまになるとき、自分自身も殺されたり
するとき、そのことを「悲しい」とか、「腹が立つ」とか、そういうことは言っ
てもいいです。しかし、「それは不正である」とだけは、言う資格ありません。
正義、というものは、その根本において、「他者と自分に等しい価値がある」と
前提しなければ成立しません。だから、それを否定する人は、自分自身の権利と
いったものも一切合財否定したのだ、ということ。
しつこいですが、さらに言います。
サリン事件の被害者に対して「運が悪かったね」とはいえても、「あれは犯罪だ」
とはいえても、「あれは道義的に許せない行為である」とはいえません。
「ぼーん教」を否定することはそのくらい高くつくんです。
高い、ってのは僕の主観的な評価ですがね。
これを高いと見る人が一定以上いそうなので、とりあえずはそれを高いと見る人だけ
が、「ぼーん教」に帰依し、その「宗教的義務」を果たしてくれるのであれば、それ
で十分世界は平和になりそうなんで。
これを安いと見る人は、まぁ、救いようがないので、僕には話し掛けないでください。
どーぞご勝手に。
とまぁ、こういう話なわけですよ。
-
>>39
>あーどーも。
>おっしゃる通りですよ。僕は「ぼーん教」の布教をしているんです。
>あなたの語法に従えば。
こちらこそ、どうも。
ようやくあなたの口から、「宗教である」という言葉が出ましたね。
これはこれで、一つの進歩かも知れません。
相変わらず「ぼーん語」を連発しているようですが。(笑)
>別に否定しなかったと思うけど。まったくその通り。
>問題は、人々がこの宗教に帰依しないからではないのです。この宗教に帰依してい
>るにも関わらず、他者についてはその宗教の内在する論理を当てはめないことに起
>因しているんですよ。
えっ、私はいつから「ぼーん教」の信者になったんですか?
ひょっとして、日本国内における、法律、慣習、道徳などのことを指しているのですか?
これだったら、確かに私は帰依していると言って良いでしょう。
>あるいは、その宗教に帰依することによるご利益はさずかりながら、帰依していま
>すとは言わない。そのことによって「宗教的義務」を放棄しているわけです。
>つまり、自分を守ってくれるそのルールを、等しく他者にも当てはめ、そこに不正
>があれば、不正だといいなさい。ってことをさぼってるんです。
これはつまり、日本国内におけるルールを、外国もしくは外国人に適用しろってことですか?
そして我々日本人が、日本におけるルールによって受ける利益を、彼らにも与えろと?
どうなんです?
>それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
要するに、話し合いそのものを拒否するということですか?
それでは、とてもではありませんが、「話し合いによる解決」など出来ないのでは?
結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
-
>>38
「理念に優劣をつけるな」と言っているのは、同等である、ということではないんでしょうか?
過去ログをあたればよいのでしょうが、探しきれませんで、ごめん。
で、もうひとつのレスは、時間とってあとで書きます。
-
>>41
おもしろいなぁ。ある意味予想外。
国家主義者氏は、もう少し堂に入った国家主義者だと思ってたけど、案外セコイのね。
>>それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
>要するに、話し合いそのものを拒否するということですか?
>それでは、とてもではありませんが、「話し合いによる解決」など出来ないのでは?
>結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
話し合いそのものを拒否しているのは、君の方なのだが。
それすらもこんがらがっているのね。
他者と自分に等しい価値を置くとは前提しないあなたが、
どうして「ちゃんと話相手としてみとめろ」なんて言えるわけ?(笑)
あなたが、あなた自身と他者に等しい価値があると認めないなら、
僕も同様に、あなたと僕自身とに等しい価値を与えなくていいはずだ。
だから、僕は、少なくとも「他者と自分に等しい価値を置く」とあなたが認めるまで、
あなたをまともな話相手とは認めない。
それは、「あなたが」選び取ったルールの、論理的な帰結であって、あなたに僕を批判する資格はないのですよ。
>結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
そのとおりかもしれません。しかし、だからどうだというのでしょうか?
>えっ、私はいつから「ぼーん教」の信者になったんですか?
「異端審問による排除」を、「不正だ」とあなたが言うなら、それが帰依している証拠です。
さて、どう「異端審問による排除」は、「不正だ」と、言うの?言わないの?
あなたの口調からすると、「ぼーんのやり方は異端審問による排除だ、けしからん」
といいたげなんだけど(笑)
さて、言うの?言わないの?
それとも、「私はαを選んだ人間なので、そうやって相手にされても仕方ないでしょう」
っていいます?それはそれで、僕は楽だからうれしいけど。
-
>>40
>では、β、「他者がどうなろうとしったことではない」と述べる人たちは、
>自らもそういわれることを覚悟しましょう。少なくともそこまではいえる。
少なくとも、私はそう思っていますよ。
だからこそ、非難する気は更々ありません。
というか、これの方が現実ですね。
で、そういった現実を踏まえて、どうするかを考えようというのが政治では?
>日本が戦争に負けて、周りが悲惨なありさまになるとき、自分自身も殺されたり
>するとき、そのことを「悲しい」とか、「腹が立つ」とか、そういうことは言っ
>てもいいです。しかし、「それは不正である」とだけは、言う資格ありません。
何を基準に「不正」というのかが問題では?
ぼーん教の教義からでは無意味ではないかと。
例えば、大東亜戦争に関しては、せいぜいが戦時国際法を基準にするしかありませんが。
今のイラク戦争でもそうですね。
これなら、まだ理解は出来ますよ。
>正義、というものは、その根本において、「他者と自分に等しい価値がある」と
>前提しなければ成立しません。だから、それを否定する人は、自分自身の権利と
>いったものも一切合財否定したのだ、ということ。
これまた、いったい全体、誰が決めたんですか?
ジョンイルの正義は、果たしてこれに当てはまりますか?
>しつこいですが、さらに言います。
>サリン事件の被害者に対して「運が悪かったね」とはいえても、「あれは犯罪だ」
>とはいえても、「あれは道義的に許せない行為である」とはいえません。
犯罪だから、道徳的に許されない行為でしょ?
というか、法自体が最低限の道徳なので。
これ、法学の基礎中の基礎ですよ。
>「ぼーん教」を否定することはそのくらい高くつくんです。
>高い、ってのは僕の主観的な評価ですがね。
>これを高いと見る人が一定以上いそうなので、とりあえずはそれを高いと見る人だけ
>が、「ぼーん教」に帰依し、その「宗教的義務」を果たしてくれるのであれば、それ
>で十分世界は平和になりそうなんで。
>これを安いと見る人は、まぁ、救いようがないので、僕には話し掛けないでください。
>どーぞご勝手に。
別に私は、ぼーん教を否定しているわけではないですけど。
これを布教し、信者同士で騒いでいるなら、勝手にやっていればいいです。
が、これが「平和論」になるかどうかとなると話は別。
絶対にこれを信じない(私のような)異教徒相手だとどうなりますか?
どうやって帰依させるつもりですか?
手っ取り早いのは、アメリカ式の武力によるものですけどね。
-
前レス >>43の最後から2行目。
「私はαを選んだ人間なので」じゃなくて、「私はβを選んだ人間なので」の間違い。
ま、分かると思うけど。
-
>>では、β、「他者がどうなろうとしったことではない」と述べる人たちは、
>>自らもそういわれることを覚悟しましょう。少なくともそこまではいえる。
>少なくとも、私はそう思っていますよ。
>だからこそ、非難する気は更々ありません。
>というか、これの方が現実ですね。
>で、そういった現実を踏まえて、どうするかを考えようというのが政治では?
いいや。それがあなたの政治である、というなら、留めはしません。
僕の邪魔にならない限りは、基本的に興味ないですから。
そういった現実そのものに介入して変えようとするのも、また、
政治というものの可能な別のあり方です。
> 何を基準に「不正」というのかが問題では?
そんなことありません。
「他者と自分を等しい価値があるものと見なす」というのは、
正義の「最低限の」要請です。
それを否定する以上、「どんな基準の正義もありえない」ということであり、
「いかなる基準からも不正だと言うことはできない」ということです。
あなたは、自らの身に起こる不幸を嘆くことはできても、
それをいかなる基準によっても「不正である」という資格はない。
あなたがβを選ぶなら、そういうことになる、ということです。
>犯罪だから、道徳的に許されない行為でしょ?
>というか、法自体が最低限の道徳なので。
>これ、法学の基礎中の基礎ですよ。
「ルールは、すべての人に等しく適用される」というのは、それこそ法の基礎中の基礎ですよ。
それを否定するってのは、法そのものを否定したってのと同じです。
「法を適用しろ!」って文句いう資格ないんですよ。
もちろん、あなたがそんなやつだとしても、日本の法システムは、
ちゃんとあなたの権利を守って法的に妥当な扱いをする建前になってますけどね。
犯罪の被害者になれば、ちゃんと犯人探してくれる(建前にはなっている)し、
犯罪の加害者になっても、ちゃんと被疑者の権利を守ってくれる(建前にはなっています)し。
ただし、それを要求する倫理的資格は、既にないわけだけれども。
>別に私は、ぼーん教を否定しているわけではないですけど。
>これを布教し、信者同士で騒いでいるなら、勝手にやっていればいいです。
>が、これが「平和論」になるかどうかとなると話は別。
>絶対にこれを信じない(私のような)異教徒相手だとどうなりますか?
>どうやって帰依させるつもりですか?
>手っ取り早いのは、アメリカ式の武力によるものですけどね。
あなたは、今のところ、何かしらの基準の正義に訴えようとしてる。
それがどんな基準かわからないけれども、
>何を基準に「不正」というのかが問題では?
などという台詞からも分かるように、あなたは、どこかで、何かを、「不正だ」と言いたい人らしい。
だとすれば、あなたは、「ぼーん教」徒です。立派な。
単に首尾一貫性がないだけで。
そもそも「絶対にこれを信じない(私のような)異教徒」なんか相手にしなくていいんです。
フセインやブッシュですら正義に訴える。「ぼーん教徒」は実際には圧倒的多数はですんで、
話の通じない異教徒は端的に無視すればいいだけだと思っております。はい。
-
>>43
>他者と自分に等しい価値を置くとは前提しないあなたが、
>どうして「ちゃんと話相手としてみとめろ」なんて言えるわけ?(笑)
別に私は、そんなことは一つも言っていませんが?
話し合いを拒否するというなら、あとは武力による決着です。
つまり、戦争はなくならないとあなた自身が認めたに等しいのですよ。
要するに、話し合いを続けなければならないのは、あなたの方にあるのです。
そこのところを理解できていますか?
>だから、僕は、少なくとも「他者と自分に等しい価値を置く」とあなたが認めるまで、
>あなたをまともな話相手とは認めない。
>それは、「あなたが」選び取ったルールの、論理的な帰結であって、あなたに僕を批判する資格はないのですよ。
前ともかぶりますが、あなたのルールを私が呑まない以上、次はどうしますか?
残るは武力による強制ですが。
これは逆についても言えるわけです。
よって、ぼーん教は平和論にはなり得ないと思いますが、どうですか?
>「異端審問による排除」を、「不正だ」とあなたが言うなら、それが帰依している証拠です。
>さて、どう「異端審問による排除」は、「不正だ」と、言うの?言わないの?
さあ、知りません。
私は単にあなたのやっていることを確認したに過ぎませんから。
ただ、反戦主義者の言う「話し合いによる決着」という基準からすれば、不正かも知れませんね。
民主主義という基準からいっても、そうなるかも知れません。
が、ジョンイルの基準からすれば、そうではないと。
つまり、そういうことです。
で、結局のところ、排除された側は頭に来て、次は暴力に訴えると思いますが?
どうしますか?
-
>>46
>そんなことありません。
>「他者と自分を等しい価値があるものと見なす」というのは、
>正義の「最低限の」要請です。
>それを否定する以上、「どんな基準の正義もありえない」ということであり、
>「いかなる基準からも不正だと言うことはできない」ということです。
で、何度も聞いているのですが、それはいったい誰が決めたのですか?
具体的に教えて下さい。
あなたの脳内にいる神ですか?
>あなたは、自らの身に起こる不幸を嘆くことはできても、
>それをいかなる基準によっても「不正である」という資格はない。
>あなたがβを選ぶなら、そういうことになる、ということです。
あなたの考える正義から言えませんが、他の正義からは言えるのでは?
正義は千差万別と、前にも言いましたよね?
で、あなたの考える正義が、全人類共通の普遍的価値観であると証明して下さい。
>「ルールは、すべての人に等しく適用される」というのは、それこそ法の基礎中の基礎ですよ。
>それを否定するってのは、法そのものを否定したってのと同じです。
>「法を適用しろ!」って文句いう資格ないんですよ。
んなこたあ、百も承知ですよ。
私がいつどこで、それを否定しましたか?
>あなたは、今のところ、何かしらの基準の正義に訴えようとしてる。
>それがどんな基準かわからないけれども、
>>何を基準に「不正」というのかが問題では?
>などという台詞からも分かるように、あなたは、どこかで、何かを、「不正だ」と言いたい人らしい。
日本の法、慣習、道徳においてのみ不正だということでしょ?
そういった基準から、判断できるってことで。
秩序があってこそ、成り立つものです。
で、今の国際社会に秩序ってありますか?
>そもそも「絶対にこれを信じない(私のような)異教徒」なんか相手にしなくていいんです。
>フセインやブッシュですら正義に訴える。「ぼーん教徒」は実際には圧倒的多数はですんで、
>話の通じない異教徒は端的に無視すればいいだけだと思っております。はい。
で、無視され、排除された方は暴力に訴えると。
結局、平和にはなり得ないってことで。(笑)
-
>>47
>>他者と自分に等しい価値を置くとは前提しないあなたが、
>>どうして「ちゃんと話相手としてみとめろ」なんて言えるわけ?(笑)
>別に私は、そんなことは一つも言っていませんが?
>話し合いを拒否するというなら、あとは武力による決着です。
あなたは、どこかの軍事大国の大統領なんでしょうか?
それとも、僕の勤め先の社長さんでしょうか?(笑)
いや、実にくだらない。
あなたごときが、こんなちっぽけなところで「正義の基礎」を否定してみせたところで、
別に、僕は困らないし、困らないからこそ、戦争には決してなりません。
そんなにご自分をたいしたもんだと思わない方がよろしいのでは?
あなたみたいなことを、ブッシュやらフセインやらが言っているのであれば、
これは困ったことですね。しかし幸いにして、彼らは、そうは言わない。
ブッシュなんてイラクを「解放」するんだとまで言っている。
金正日すら、そうです。実に皆さん、正義が好きなのですよ。
だから、あなたの言う問題は、実際上の問題としては、とりあえずすべて杞憂です。
少なくとも、アメリカみたいなところではそんな問題は起こらないでしょう。
一応民主主義の国で、国民は素朴に正義を信じてるみたいですから。
アメリカだけでも、そういうまともな国にできるなら、相当な前進です。
「倫理的な側面だけを」使ったとしても、そこまではいける。
だったら、そこまで行ってから次のことを考えればいいんです。
>>「異端審問による排除」を、「不正だ」とあなたが言うなら、それが帰依している証拠です。
>>さて、どう「異端審問による排除」は、「不正だ」と、言うの?言わないの?
>さあ、知りません。
これで、話はおしまいでもいいですよ(笑)
結局のところ、「その通り、異端審問による排除もオッケイ、知ったことか」ともいえず、
「それは勘弁してくれ」ともいえない。
>>37で僕が壱学生氏に関して確認したこととまったく同じことが、柏葉氏にも当てはまっているわけです。
いや、実にセコイ。
さて、最後に異端審問について。
>私は単にあなたのやっていることを確認したに過ぎませんから。
>ただ、反戦主義者の言う「話し合いによる決着」という基準からすれば、不正かも知れませんね。
>民主主義という基準からいっても、そうなるかも知れません。
>が、ジョンイルの基準からすれば、そうではないと。
>つまり、そういうことです。
第一に、僕は、「あなたがいつまでもβをとりつづけるなら」という条件つきで排除しているだけです。
第二に、排除しているとしても、あなた自身の存在の基盤を暴力的に奪うようなことはしていません。
第三に、「αを取るか、βを取るか」の押し問答については、僕とあなたの間では、話し合いは開かれています。
僕の排除は「暫定的」なものであり、「限定的」なものであり、
「排除」という言葉からの連想ゲームによって中世の異端審問のようなものと同列にすることはできないのです。
>で、結局のところ、排除された側は頭に来て、次は暴力に訴えると思いますが?
>どうしますか?
それは応じるしかないでしょう。
僕が戦争というものを100%は否定しないのはそういう意味です。
しかし、この場合、彼は「αを認め」さえすれば、話し合いにつけるはずです。
そして、それは、別に無茶な要求ではなく、人に対話を求める以上、当然に満たすべき条件ですから、
それすらせずに暴力に訴えるのは、単なる身勝手でしょう。
少なくとも、その暴力の行使者は、「私の暴力は排除されたがゆえのものであり、正義だ」とは主張できません。
彼は、先にαを否定することで、あらゆる正義の主張の可能性をあらかじめ禁止しているのですから。
もし、僕がαの立場を取る人を「殺す」とか、そういう形で、「不可逆的に排除」しようとするならば、
それは問題でしょうね。しかし、僕はそうはしていないのです。
-
>>49
>あなたごときが、こんなちっぽけなところで「正義の基礎」を否定してみせたところで、
>別に、僕は困らないし、困らないからこそ、戦争には決してなりません。
>そんなにご自分をたいしたもんだと思わない方がよろしいのでは?
いえ、別に私も困りませんよ。
ただ、あなたのやり方を国際社会などにそのまま当てはめれば、戦争になるってことです。
一つの価値観で全てを統一するっていうのなら、別にぼーん教でなくてもいいんですよ。
アメリカ教であってもいいわけです。
で、実際問題として、アメリカはそれをやっているわけですよ。
同じじゃないですか?
>だから、あなたの言う問題は、実際上の問題としては、とりあえずすべて杞憂です。
>少なくとも、アメリカみたいなところではそんな問題は起こらないでしょう。
>一応民主主義の国で、国民は素朴に正義を信じてるみたいですから。
>アメリカだけでも、そういうまともな国にできるなら、相当な前進です。
>「倫理的な側面だけを」使ったとしても、そこまではいける。
>だったら、そこまで行ってから次のことを考えればいいんです。
で、アメリカがぼーん教に帰依しなかったらどうします?
これはイラクや北朝鮮についても同様ですね。
というか、その可能性の方がはるかに高いと思いますが。
その自分を信じてやまない自信の根拠は?
>これで、話はおしまいでもいいですよ(笑)
>結局のところ、「その通り、異端審問による排除もオッケイ、知ったことか」ともいえず、
>「それは勘弁してくれ」ともいえない。
>>>37で僕が壱学生氏に関して確認したこととまったく同じことが、柏葉氏にも当てはまっているわけです。
>いや、実にセコイ。
どうでもいいと思っているから。(笑)
我が国を仮にぼーん教一色に染め、異端者を排除したところで、戦争はなくなりませんので。
あ、そうか、結局は自分が教祖となって、日本を支配したいってことか。
それならわかりますよ。
>第一に、僕は、「あなたがいつまでもβをとりつづけるなら」という条件つきで排除しているだけです。
>第二に、排除しているとしても、あなた自身の存在の基盤を暴力的に奪うようなことはしていません。
>第三に、「αを取るか、βを取るか」の押し問答については、僕とあなたの間では、話し合いは開かれています。
>僕の排除は「暫定的」なものであり、「限定的」なものであり、
>「排除」という言葉からの連想ゲームによって中世の異端審問のようなものと同列にすることはできないのです。
ここはネットという世界であり、直接的な暴力をふるうようなことはありません。
武器はあくまで、言論のみです。
そこら辺りを、きちんと考慮に入れていますか?
あと、あなたのやり方(排除)を現実世界に適用すれば、次のようになるのでは?
地球市民党サポーターページ
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Rabbit/1593/
行き着くところは、党首と同じではないですか?
>それは応じるしかないでしょう。
>僕が戦争というものを100%は否定しないのはそういう意味です。
>しかし、この場合、彼は「αを認め」さえすれば、話し合いにつけるはずです。
>そして、それは、別に無茶な要求ではなく、人に対話を求める以上、当然に満たすべき条件ですから、
>それすらせずに暴力に訴えるのは、単なる身勝手でしょう。
認められないから、戦争になるんでしょ?
それから、無茶かどうかを決めるのは、あくまで個人の意志次第。
身勝手だろうが何だろうが、やる奴はやるんですよ。
あと、ぼーん氏が、平和主義者でないことはよくわかりました。
これからはスターリン主義者としておきます。
おお、こわっ。(笑)
-
>50
うーん、ホントに具体的な「α」って、戦争の原因になるくらい普遍的には通用
しないもんなんでしょうかね?
>無茶かどうかを決めるのは、あくまで個人の意志次第。
なのだけど、人間のすることだから、一定の範囲の答えがあるはずでしょ。
ぼーんさんがスターリンかどうかは、一定の範囲に照らしたときの「α」の
無茶さ加減と、無茶を無理強いする強度によるよね。
じゃなきゃ、人はたいていスターリンだ(それ以外は常に妥協する人)。
-
>>48
>>「α 他者と自分を等しい価値があるものと見なす」というのは、
>>正義の「最低限の」要請です。
>>それを否定する以上、「どんな基準の正義もありえない」ということであり、
>>「いかなる基準からも不正だと言うことはできない」ということです。
>で、何度も聞いているのですが、それはいったい誰が決めたのですか?
>具体的に教えて下さい。
>あなたの脳内にいる神ですか?
「γ ルールはすべての人に等しく適用されなければならない」
とおきます。これは、法の基礎中の基礎である、と、柏葉氏も認めました。
周知のとおり、「α すべての人に等しい価値があるとはみなす」でした。
ここで、α=γを証明してみましょう。
# γについて補足。
これは、つまり、固有名詞による法の適用を許さない、ということも意味します。
たとえば、「Aが人を殺したら,処罰される」というルールなら、Aにあたるのが
柏葉氏であれぼーんであれ、処罰される、というルールは妥当。しかし、「ぼーん
が人を殺したら、処罰される(しかし、他の誰かが殺しても、その場合についてル
ールは何も言わず、それゆえ処罰はされない)」というルールは、法の基礎中の基
礎たる要件を満たしていないってことです。
α=γを言うためには、α→γ、γ→αを言えばいいわけです。
まず、簡単な方から。
さて、αが満たされるならば、γは満たされるでしょう。
「α 他者と自分を等しい価値があるものと見なす」
「γ ルールはすべての人に等しく適用されなければならない」
並べてみれば、分かりますね。ゆえに、α→γ。
γ→αはちょっと難しいですが、対偶を取れば簡単です。
つまり、¬α→¬γが言えれば、γ→αが言えたことになる。
さて、¬αとは、βであり、「すべての人に等しい価値があるとはみなさない」立場で
す。ある個人A、Bが存在して、Aの価値とBの価値が違うとする。仮にA>Bとしま
しょう。このとき、AはBより価値があるがゆえに適用されないルールがあっても構わ
ない、ということを意味します。これはつまり、¬γです。
ゆえに、¬α→¬γ。
ゆえに、γ→α。
α→γ、γ→αより、α=γ。
とまぁ、こうなるわけなんだけど、どうも柏葉さんは、αを否定し、βを採用しても、
γが主張できる、と思っているらしいです。それが論理的に可能であるならば、それを
実際に示してくださいな。>柏葉さん
-
>>48
>>あなたは、自らの身に起こる不幸を嘆くことはできても、
>>それをいかなる基準によっても「不正である」という資格はない。
>>あなたがβを選ぶなら、そういうことになる、ということです。
>あなたの考える正義から言えませんが、他の正義からは言えるのでは?
>正義は千差万別と、前にも言いましたよね?
>で、あなたの考える正義が、全人類共通の普遍的価値観であると証明して下さい。
αを否定するならば、γを否定する、つまり、固有名詞による差別的なルールもルール
としてありだと認めることになります。「ぼーんのものはぼーんのもの、柏葉のものも
ぼーんのもの」というルールがルールとして採用されるなら、採用されている限りにお
いてそれも正義だ、と言うしかなくなります。
柏葉氏に限ってはそんな面白いことを言うかもしれませんが、あまりそういう人は多く
はないわけです。少なくともブッシュはそんなこと言わない。
つまり、αやγとは、何らかのルールが正義だと呼べるための、必要最小限の条件、
それを満たせなければどんなものでも正義と呼べてしまうという、そういう決定的な条
件である、ということです。
それを否定したければご自由に。
そんなバカは相手にしないだけの話ですが。
>>あなたは、今のところ、何かしらの基準の正義に訴えようとしてる。
>>それがどんな基準かわからないけれども、
>>>何を基準に「不正」というのかが問題では?
>>などという台詞からも分かるように、あなたは、どこかで、何かを、「不正だ」と言いたい人らしい。
>日本の法、慣習、道徳においてのみ不正だということでしょ?
>そういった基準から、判断できるってことで。
>秩序があってこそ、成り立つものです。
>で、今の国際社会に秩序ってありますか?
逆です。
それにしても、今どき法実証主義かよ。それも、一番原始的なやつ。やだやだ。
>日本の法、慣習、道徳においてのみ不正だということでしょ?
というだけなら、じゃあ、一体「法改正」とか、どういう理由でなされるんだ?
じゃあ、自衛隊も違法だから、とっとと畳んじまえよ。
法に先行して、「何が妥当な法なのか」を考えるレベルがあるんだよ。
そして、そのレベルの話をしているの。今更何を言ってるんだか。
日本の法、慣習、道徳が、ある人には適用され、別の人には適用されないなら、それは
γを否定したようなルールでしかなく、それを正義と呼ぶことはできませんね。
>>そもそも「絶対にこれを信じない(私のような)異教徒」なんか相手にしなくていいんです。
>>フセインやブッシュですら正義に訴える。「ぼーん教徒」は実際には圧倒的多数はですんで、
>>話の通じない異教徒は端的に無視すればいいだけだと思っております。はい。
>で、無視され、排除された方は暴力に訴えると。
>結局、平和にはなり得ないってことで。(笑)
あなたのような人間でも、世界最強の国家の大統領になれるのなら、そうだろうね。平
和にはなりえない。しかし、その世界最強の国家であるアメリカが「民主国家である」
のだし、そこの大多数の国民が素朴に「正義」を信じているのだから、そこに賭けたら
いいわけです。アメリカの世論調査なんか見てると、大半が「ぼーん教徒」だよ(笑)
だから、何度もこう言うのです。
あなたのような人間は、最初からお呼びではないのです。
-
>>50
> ただ、あなたのやり方を国際社会などにそのまま当てはめれば、戦争になるってことです。
> 一つの価値観で全てを統一するっていうのなら、別にぼーん教でなくてもいいんですよ。
> アメリカ教であってもいいわけです。
> で、実際問題として、アメリカはそれをやっているわけですよ。
> 同じじゃないですか?
ぜんぜん違いますね。
アメリカの要求するルールは、
「アメリカは従わないが、他の国々はすべて従え」という、
僕の言う「γ」をみたさないルールばっかりです。
核兵器をアメリカは持つが、他の国は持つな。
生物化学兵器をアメリカは持つが、他の国は持つな。
先制攻撃を、アメリカはするが、他の国はするな。
etc...。
γを満たさない(ゆえにαも満たしていない)アメリカのルールに従うのと、
αを要求するぼーん教に従うことが「同じ」に見えるというのは、
柏葉さんも面白い人だなぁ、とつくづく思います。
また、押し付けること自体でスターリン呼ばわりするんなら、うろちいさんが言うように、
人は大なり小なりスターリンです。
> (αを)認められないから、戦争になるんでしょ?
ぜんぜん違うと思いますね。
アメリカの押し付けるルールが、柏葉さん「すら」同意したγを満たしていないのは
明らかです。さらに、アメリカ国民の大多数が、γを満たしている「つもり」なのも、
世論調査などからも、実際のアメリカ人の発言からも明らかです。
問題は、αを認めないから戦争になるんじゃないのです。
γやαを認めているつもりでやっていることがそれと矛盾していることを多くの人は理
解していないから戦争になってるわけです。現実には。
そりゃ、αを認めないとしたならば、その場合に「も」戦争にはなりますがね。
実際の発言を見てみなさい。ブッシュもフセインもαを肯定している。
まがりなりにも民主国家であるアメリカでも、大多数の国民はαもγも肯定する。
だから、「αもγを満たしてないよ」と忠告してやることが、まずは反戦平和の最初の一
手になるでしょう。
みたしていないがどうでもいい、なんて言ってる人は、何度も言いますが、
最初からお呼びではないのです。
で、イカさん等々の言っていることを、僕も繰り返さざるを得ないのです。
「あんたら、ここに何しにきてるの?」
-
>>50
について、補足。
>これで、話はおしまいでもいいですよ(笑)
>結局のところ、「その通り、異端審問による排除もオッケイ、知ったことか」ともいえず、
>「それは勘弁してくれ」ともいえない。
>>>37で僕が壱学生氏に関して確認したこととまったく同じことが、柏葉氏にも当てはまっているわけです。
>いや、実にセコイ。
> どうでもいいと思っているから。(笑)
あなたがどうでもいいと「思っている」かどうかなんて、それこそどうでもいいんですよ。
僕にとっては、あなたの発言が、論理的に「何を意味しているか」だけが重要なんです。
αの否定は、γの否定であり、およそ法や正義というものを根幹から否定するものです。
これは論理的な「事実」です。
あなたは、その論理的な「事実」から目をそむけ、「私にとってはどうでもいい」な
どというあなたの「感じ方」なんかに興味はないんです。
僕にとって大事なことは、柏葉氏の態度が「首尾一貫しない論理的に破綻したもので
ある」という「事実」であり、「それを直視しようとしない」という「事実」だけで
す。
-
>>52
長々とご説明、ありがとうございます。
ハッキリ言いましょう、全くの的外れです。
私は、ぼーん氏の定義するルールが、そもそも何なのかを聞いているのですよ。
ここで述べているのは、あくまで国内という限られた空間の場合のみに過ぎません。
つまり、国家という枠組みがあり、秩序があってこそ、法というものが有効になり、その枠内における全てに適用されると。
で、そんなことは百も承知で、私はそんなことを聞いているわけではありません。
ぼーん教なるものが、なぜ全世界共通の普遍的価値観足りうるのかを。
そして、それをいったい誰が決めたのかを。
早くソースなり何なり、示して下さいよ。
-
>>53
>αを否定するならば、γを否定する、つまり、固有名詞による差別的なルールもルール
>としてありだと認めることになります。「ぼーんのものはぼーんのもの、柏葉のものも
>ぼーんのもの」というルールがルールとして採用されるなら、採用されている限りにお
>いてそれも正義だ、と言うしかなくなります。
無秩序ならそうなりますね。
秩序があり、それに則ったルールという基準から、正義・不正義は言えますよ。
簡単にいえば、私やぼーん氏の上には、そういう上級組織がありますから。
秩序や枠組みといったものを考えたことがありますか?
>日本の法、慣習、道徳が、ある人には適用され、別の人には適用されないなら、それは
>γを否定したようなルールでしかなく、それを正義と呼ぶことはできませんね。
日本の道徳が、イスラムでも適用できると本気で思っています?
逆もまた然りですね。
それこそが傲慢だとは思いませんか?
>あなたのような人間でも、世界最強の国家の大統領になれるのなら、そうだろうね。平
>和にはなりえない。しかし、その世界最強の国家であるアメリカが「民主国家である」
>のだし、そこの大多数の国民が素朴に「正義」を信じているのだから、そこに賭けたら
>いいわけです。アメリカの世論調査なんか見てると、大半が「ぼーん教徒」だよ(笑)
知りませんよ。
アメリカ人の正義は、アメリカ人だけのものですから。
日本人の正義とはまた違いますよ。
そしてその正義は、それぞれの域内においてのみ適用されると。
で、アメリカ人がぼーん教徒というソースは?
-
>>57
> 秩序があり、それに則ったルールという基準から、正義・不正義は言えますよ。
言えません。その「既にある秩序」とやらは、「Aには適用されるが、Bには適用
しない」というものを含んでいるなら、そのことだけで「正義だ」とはいえません。
あなたが言っているのは、「合法」か「違法」か、ということでしかありません。
たとえば、現行法では、ホームレスの人が社会保障の網に引っかからずに路上で凍死
したとしても、違法ではありません。(まぁ、憲法の「生存権」規定違反だ、とはい
えますが、憲法は特殊な地位なので。)
しかし、それを不正義だ、という主張が可能であり、実際そうするわけです。
この場合、正義・不正義は、
『匿名であること(条件を満たす者すべてに適用されるルールとしてかかれること)』
と定義されます。
合法/違法のタームと、正義/不正義のタームは別物です。
あなたの中では、「合法」=「正義」、「違法」=「不正義」のようですが、そん
なアホな定義に「僕が」従う理由は別にないわけです。(従うべきでない理由の方
はわんさかありますが。)
そして、実際に、そのようなタームにしたがってはいない人の方が多いですよ。
だから、僕はそれで十分です。
>日本の道徳が、イスラムでも適用できると本気で思っています?
おやまぁ。ホントに話が分かってないみたいですね。ここまで来るとなんだか哀れだ。
日本の道徳はイスラムに適用できず、イスラムの道徳は日本に適用できない。
そういう状況で、「じゃ、何を共有するんだ」みたいなことを必死で考えた末に
出てくるのが「正義」という概念です。
>>アメリカの世論調査なんか見てると、大半が「ぼーん教徒」だよ(笑)
>知りませんよ。
>アメリカ人の正義は、アメリカ人だけのものですから。
>日本人の正義とはまた違いますよ。
>そしてその正義は、それぞれの域内においてのみ適用されると。
>で、アメリカ人がぼーん教徒というソースは?
「あなたはアメリカの戦争を支持しますか」「その理由は?」
みたいなアンケート結果とか、インタヴューとか、
そういうの一回も聞いたことないの?あんた。
僕が覚えてるだけでも、News23でも見た覚えあるし、
NHKとかニュースステーションとかでもそんなのやってた記憶があるぞ。
「アメリカに正義はないが、石油の拠点を確保することはわが国の利益になるか
ら私はイラク攻撃を支持する」なんて発言したアメリカ人、1つとして、聞いた
ことない。それ以上の根拠がほしいという「ソース出せ小僧」は、相手にできま
せん。
こういうのは健全な懐疑心ではなく、単なる「だだっこ」。
いい子だから、もう少し分別を持ちましょう。
-
>>54
>ぜんぜん違いますね。
>アメリカの要求するルールは、
>「アメリカは従わないが、他の国々はすべて従え」という、
>僕の言う「γ」をみたさないルールばっかりです。
ルールの性質のことをいっているのではないのですが・・・・・・。
北朝鮮のように、そうじゃないルールのところも現実にはあるわけですよ。
ジョンイルだけには適用されないってところも。
この場合、αを認めていないんですね。
で、国際社会もそうでしょう。
で、簡単にいえば、押しつけという行為そのものを指しているのですがね。
で、それに反発した場合、どうするのかと。
別に武力によって抑えつけてもいいのですが、それは反戦の理念に合わないでしょ?
あ、そうか、ぼーん氏は反戦じゃなかったんだっけ。
>ぜんぜん違うと思いますね。
>アメリカの押し付けるルールが、柏葉さん「すら」同意したγを満たしていないのは
>明らかです。さらに、アメリカ国民の大多数が、γを満たしている「つもり」なのも、
>世論調査などからも、実際のアメリカ人の発言からも明らかです。
アメリカ人は国内においてのみ、そういっているんでしょ?
国外に対しても、そういっていますか?
本当でしたら、ソースを出して下さい。
>そりゃ、αを認めないとしたならば、その場合に「も」戦争にはなりますがね。
>実際の発言を見てみなさい。ブッシュもフセインもαを肯定している。
>まがりなりにも民主国家であるアメリカでも、大多数の国民はαもγも肯定する。
>だから、「αもγを満たしてないよ」と忠告してやることが、まずは反戦平和の最初の一
>手になるでしょう。
ですから、それは国内だけでしょ?
秩序も何もない、国際社会で本当に通用します?
国際社会はアナーキーであるという点、見落としていませんか?
>で、イカさん等々の言っていることを、僕も繰り返さざるを得ないのです。
>「あんたら、ここに何しにきてるの?」
反戦平和が国益を害するから。
-
>>ぜんぜん違いますね。
>>アメリカの要求するルールは、
>>「アメリカは従わないが、他の国々はすべて従え」という、
>>僕の言う「γ」をみたさないルールばっかりです。
>ルールの性質のことをいっているのではないのですが・・・・・・。
>北朝鮮のように、そうじゃないルールのところも現実にはあるわけですよ。
>ジョンイルだけには適用されないってところも。
>この場合、αを認めていないんですね。
>で、国際社会もそうでしょう。
現実に流通しているルールがαやγを否定していることと、
そのルールを主張している人が明示的にαやγを否定していること、
とは異なります。
金正日も、ブッシュも、フセインも、タテマエとしてはαやγを否定していません。
さらに、独裁国家についてはいざしらず、一応は民主国家であるアメリカにおいては、
明示的にαやγを否定することは、支持を失うことに直結します。
しかし、ブッシュはαやγを否定していない、あの戦争は解放だ、フセインが悪いんだ、
アメリカは(アメリカが言うから、ではなく、正義の本来的な意味にしたがって)正義
を行っているんだ、多くのアメリカ人はそう素朴に考えているわけです。
「αやγなんかどうだっていい」というアメリカ人を、僕は寡聞にして知りません。
繰り返しになりますが、αやγを否定していることが問題なのではなく、
否定しているにも関わらず、肯定している体裁を整えていること、
それを信じ込んでしまっている人が相当数いること、が問題なのです。
だから、「それは幻想です」と言うことが一つの戦略になります。
で、アメリカがどうにかなれば、他の国の問題は、おそらくもっと片付きやすくなっているはずですよ。
アメリカが、とりわけこの50年余りの間にやってきたことを考えれば、
アメリカこそが最悪のテロ国家(byチョムスキー)ですから。
# フセインを育てたのもアメリカだしね。
# で、フセインと取引することで北朝鮮も利益を得ていたわけだしね。
# アメリカがまともな国になれば(ついでに日本もそうなれば)、
問題解決へのきわめて大きな一歩となるでしょう。
>アメリカ人は国内においてのみ、そういっているんでしょ?
>国外に対しても、そういっていますか?
>本当でしたら、ソースを出して下さい。
あなたは、ブッシュが「イラク国民を解放するためにフセインを叩く」と言っているのを知らないの?
そして、アメリカ国民がそれを真に受けていることを、知らないの?
もしや、あなたは関連するニュースや新聞記事を、ほとんど読んでないのでは?
そして、それは、「アメリカ人が享受している自由を、イラク国民も享受できるべきだ」
という理屈なんですよ。ソースなんてそこら中に転がってます。
>国際社会はアナーキーであるという点、見落としていませんか?
ウェストファリア以前じゃあるまいし。
「秩序も何もない」ってなんなんでしょう?18世紀頃の話してます?
秩序も何もないなら、アメリカだって10年も前の国連決議を持ち出したりする必要なんてないわけです。
秩序は、不十分ながら、あることはある。
あとは、それをどう育てていくか、という問題。
>>で、イカさん等々の言っていることを、僕も繰り返さざるを得ないのです。
>>「あんたら、ここに何しにきてるの?」
>反戦平和が国益を害するから。
僕が非武装中立やら、無抵抗平和論をうたってるなら分かるけどね。
そういうことは言ってないわけで。
僕が言っていることは、基本的には国益には反しませんので、悪しからず。
-
>いやいや、実際にいますよ。
某党首なんかその典型。
これは確かにいえるかもしれない。イカフライさんが自分で確かめてみるのが一番です。
それから感想を聞きたいです。是非。
-
ぼーん氏、貴方はもう少し政治学、に限らず社会科学全般について基礎的な勉強をした方がいいですよ。
貴方なそういう関係の勉強を全くしてないでしょ?貴方の世界認識は内的世界に集中しすぎて、社会科学的な認識に全く欠けています。
はっきり言って学部生以下です。ちゃんとした反戦論を主張したいのならもう少しちゃんとした勉強をした方がいいですよ。
研究者たる者は自分の専門外の事に付いては謙虚な姿勢をしなきゃ。貴方の知識体系・理論体系では少なくとも「社会科学」的な文脈での反戦論は到底成立しません。
で、そう言っても貴方は全く納得できないでしょう。そこで貴方の反戦論における理論的前提を否定する事にします。
ぼーん氏の理論的前提:反戦論を述べるに当たっては「自己と他者の痛みや命を同等に置かなければならない」
→この論理を否定するに当たって、「他の立場からの反戦論も成立する」と証明できれば良い(反証法)
なぜならぼーん氏の主張は「この立場からでなければ反戦論は成立しない」というものだから。
よって「他の立場からの反戦論」が論理的に成立できる事を証明できればそれだけで良い。
(尚これは別にぼーん氏の思想を否定するものではない。そういう反戦論も成立しうるのは当然である)
理論的に成立しうる反戦論:利己的な立場から反戦が利益になる事を例示
利己的思考に基づく反戦論:「自己の利益を極大化する」事を基本的志向とする人間像を仮定
→「利己的な人間」が求める最大の利益は「自己の生命」の維持。よって「自己の生命」が脅かされた場合には最大限の能力で抵抗する。
→「自己の利益を極大化」する場合、他者の「生命の維持」を脅かす場合が当然発生しうる
→しかしながらそのような場合、他者は「最大限の能力」を振り絞り抵抗するだろう。それによる被害が「自己の利益の極大化」という前提に反する可能性は充分にある。
→よって「長期的な利益」という視点から言えば、「他者の生命」を脅かさない事が「利益の極大化」に貢献する。
ゆえに、「利己的な人間」であっても他者との間である程度の秩序を維持しようとする意思が生まれうる。
(尚これは「自己と他者の痛みや命を同等に置く」という思考ではない。あくまでも他者が自分と同じ「合理的人間」であると認識し、その「能力」について合理的な判断をしただけである)
これはミニマムな人間関係での分析だが、「秩序の発生(=平和)」という観点から考えれば国際関係にも当てはまる。
むしろ決定的な力関係の差がない人間関係よりも、単位間の力の差が激しい国家間関係にはより当てはまるかもしれない。
利己的な人間による反戦論の例示:イラク戦争前のフセイン
彼が「自己と他者の痛みや命を同等に置く」ような人間でない事には誰もが納得するだろうが(例:イ・イ戦争を仕掛けたのはフセイン)、しかしながら彼はイラク戦争に限って言えば「反戦論」者であった(その場限りのものではあるが)。
フセインの例は極端にしても、ぼーん氏のような前提無しに「反戦論」が出てきているのは紛れもない事実だ。
そのような例は歴史に枚挙の暇がない。ケネディ・フルシチョフがキューバ危機を回避したのも「相手の能力と合理的思考」を信頼しただけであり、決して「自己と他者の痛みや命を同等に置」いての事ではない。
以上のような反証により、ぼーん氏の主張する「反戦論を述べる上での理論的前提」は否定される。
「利己的な人間」であっても一定の条件があれば(その場限りの)反戦論者になりうる、と言う事はつまり、ぼーん氏の「問い」は必要条件でない事を意味する。
しても自由だがそれは「当然の前提」ではないし、それに答えない事を理由にして「議論できない」とする理由にもなり得ない。
ぼーん氏が自分に対してするのなら誰も文句は言わないが、そういう「自分(の内心)だけのルール」を他者に強制するような行為は、研究者なら恥を知るべきだろう。
-
僕の言わんとしている事をぼーん氏の言葉でもって返すならば、
># 多少ややこしい言葉でいえば、
> 「公共的に有意味な価値体系は、Aをプロトコル命題として含みもっていなければならない」
> ということです。
というAの部分を、ぼーん氏は不当に狭くしているのです。
ぼーん氏の理論的前提ではAの部分を「自己と他者の痛みや命を同等に置く」としているが、上記の通り「そうではない」
利己的な人間が利己的であるがゆえに「反戦平和」という考え方に行き着く場合もありうる(実際に戦争を経験した軍人が戦争に反対する場合がママあるのもその一例である)。
だから僕は>>26において
>ぼーん氏ご自身が守っていない時点で失笑ものです。
と言ったのです。一言で言うならば「ケツの穴がちっせい!」のです。
反戦論者が「自己と他者の痛みや命を同等に置く」と言うのは大いに結構!
しかし利己的な人間も、時には「反戦」という立場に乗り合わせるのです。ぼーん氏の立論はそれを排除しようとするものです。
思想的に潔癖たらんとするのはぼーん氏の自由ですが、それは『反戦』そのものにとって意味があるのですか?
『政治』というものは良くも悪くも「清濁併せ呑ま」なければ成り立ちえません。ぼーん氏はそれを全く無視している。それは僕のような社会科学系の勉強をしたものにとっては許せない行為です。
とりあえずぼーん氏には
M・ウェーバーの「職業としての政治」と、丸山真夫の「超国家主義の論理と心理」をノートにとって読んでおけ、と言っておきます。
それで理解されないのなら、政治学の教授に自分の見解が正しいかどうか問答する事をお勧めします。
それでも納得できないのなら処置無しです。精々思想的な議論を空中戦で弄んでいて下さい。
-
>>31、>>37に対して。
これに対してももっとも原始的で単純な反論をするならば、
「自分で言った言葉にはケツを持て!」
でしょうね。
あんた等が最初に言い出した事でしょ?それじゃ「自分ができる限りで頑張る」のか「分からないから誰か助けて」のか、
あるいは「現在自分の能力が足りないから勉強してからもう一度挑戦する」のか、選択肢は様々ですが、要は「自分がやらなくちゃ」でしょ。
そこで「あんたのここが間違っている」とか「これこれの事実が参考になる」とか言う意見を参考にするも反発するのも貴方達の自由です。
でもそう言う意見を言ってくる人達に、「お前も考えろ!」と強要するのは違うでしょ?
あんた等の言ってるのはそういう「強要」なのです。
ぼーん氏は僕に
>壱学生さんは、
>「α そこに義務があるという前提を持つと、表明する。」
>のか、または、
>「β そこに義務がないという前提を持つと、表明する。」
>のか。どっちなんだ、と聞いているわけです。
と問いますが、上記のように反戦論を述べるに当たっては「そんな問い」なんて必要ではない訳です。よってもとより僕の方に責任なんて発生するはずがありません。
しかしながら貴方達は「そういう問い」に対して「責任を持つ」と答えた訳です。それはそれで大変優れた決断ではあり、敬意を表するところです。
で、じぶんで「責任を持つ」と表明した以上、「責任を持つ」のは当然でしょう。程度の事を僕は言っているに過ぎません。
もちろん僕が「やれ」と命令する事なんておこがましいでしょう。でも「それは違う」程度の指摘は可能です。
ぼーん氏向けに例えるならば、指導教官は学生の論文を審査しますし、至らない所を指摘します。
だからと言って指導教官が学生の為に資料を集める義務はないでしょう。それと同じ事です。
イカフライ氏向けに例えるならば、担当編集は漫画家のネームに対してあれこれ言うでしょう。
でも担当編集にはネームを書く義務がないでしょう(締め切り間際ではそうも言っていられませんが、だからと言って落とした場合の責任は第一に漫画家自身の問題でしょう)。
それと同じ事です。
特にぼーん氏、貴方その程度の了見でよく研究者をしていられますね?
分かっててそう言う「強要」をしているなら議論相手に対する侮辱ですし、それが分かってないのなら研究者失格です。
そんな事を言わなければいけない程、貴方の論は傲慢です。
-
>62
前提として共有するかどうか聞いてるだけでしょ。
共有するならそれを前提とした議論ができるし、しないなら、できない。
で、できないなら、他の共有する前提を用いてそれがαとつじつまが合うかどうかで
さらに根元的な議論はできるけど、ぼーんさんは、要するにめんどーなので、しない、と。
>そういう「自分(の内心)だけのルール」を他者に強制するような行為は、研究者
>なら恥を知るべきだろう。
強制?
逆、逆。
とりあえずは、「私だけのルール」なのか「あなたと私のルールなのか」を聞いているだけ。
柏葉さんはそのルールが何なのか知りたくて聞いている。
壱学生さんは、知っているくせに、答えないだけ。
それにしても
AならばB
と
BならばA
とをぐちゃぐちゃにして壱学生さんが考えるのは、どういうわけでしょうねえ。
-
>>64
とりあえず、君は担当編集者でもなければ、読者ですらないんだよね。
言ってみれば、締めきり間際で忙しい漫画家のところに、メ−ルで下らん評論モドキを送ってくるハタメイワクなお人なわけで(笑)。
-
>>65
というか、壱学生さんは、本当に解っていないのかな?
それとも、わざと解らないふりをしているのかな?
なんというか、私は壱学生さんのレス、ずっと読んでて、
「なにもしない言い訳」にしか、聞こえなんだよね。
そういう点では、柏葉さんのほうが、ずっと一貫性もあるし、私と意見は随分違う点はあるけれど、言われていることは、理解できる。
>>61
あ、これは噂の桃井さんのことですか?
あの方、反戦者なんですか?
私は、2ちゃんにおける、ヤフ−のザク氏のような存在だと思っていたのですが。
-
>>34
まず、無限の一方的譲歩について
ここに出てくるひ弱なB君は、日本ですよね。
暴れん坊のA君が、どこの国をさすのかは、まあ、解りませんが、(推測はしますけれど)基本的にはその通りだと思います。
ただし、これが国と国との関係になる場合、国力というのは、軍事力のみではありませんよね。
まあ、いろいろな手段は考えられるでしょう。援助というのが、ここでの一方的譲歩となりますが、経済協力とか上手くやれば、一方的譲歩ではなく、却ってこっちがいい目見られるかもしれないです。
軍事力というのは、抑止のひとつではあるとは思いますが、それだけが手段ではないんじゃない?
とその程度であって、別に人を神に変えようなんてことは、つゆとも思ってなんですが。
で、私は、反戦主義ではあるが、非武装中立主義ではありません。
日本の国防についても、全く聞く耳もたないわけではないです。
政府の信用、というのはね、この辺が、柏葉さんと意識と言うより感覚の違いかなあ?
いわゆる左派勢力なんて日本ではすごく弱いと思っているんで。
共産党がいくら反対しようが、消費税は通ったし、医療費は3割負担になるし(ところで、煙草増税、どっか反対してくれ)
今まで、自衛隊が違憲のまんま中途ハンパなのも、憲法9条が改正されなかったのも(与党がその気になれば、消費税の様にゴリおし出来るでしょ)
結局、国民のコンセンサスが得られないんだから、自民党にしても軍隊は持ちたくない、ってのがホンネではあるんじゃないでしょうか?
(自民党支持者って、年配の方、多そうだし)
と、ここまで書いて。
あまりスレの乱立もなんですが、日本の国防については、別スレ作ったほうがいいのかな?
-
>ぼーん氏
どうやら、今日はいないようですね。
なにやらやりとりしている内に、議論自体がこんがらがってきたように思うので、少し議論を中断します。
で、私なりに、ぼーん氏の主張を少し整理してみます。
1.「他者と自分を等しい価値があるものと見なす」は全人類共通の絶対正義。
2.1は全人類に対して適用されるべし。
3.1と2をもって「ぼーん教」とする。
4.「ぼーん教」を信仰しない異教徒は排除(国家もこれに含まれる)。
5.国内において1と2をやっている国々(民主国家?)は国外に対しても自国内の法、道徳、慣習を適用すべき。
6.5をしない国々は、矛盾しているので不正義であり、それは法的にも証明されている。
7.また5は、アメリカ人の大多数が支持している。
8.「ぼーん教」を布教することこそ、恒久平和に繋がる。
こんなところでしょうか。
で、私がとりあえず聞きたいのは、1と6と7です。
1については、全人類の共通した価値観と力説しているのですから、どこかにそれを明文化したものがあるんでしょうね。
いったい誰が決めたのでしょうか?
また、全人類がそれを本当に正義であると認めているんでしょうか?
ここが疑問点です。
次に6ですが、国内法における権利が、国外にいる外国人(この場合、国籍に限る)に対しても適用されるなど、私は寡聞ながら知りません。
この論法だと、日本人である私にもアメリカの参政権があるってことになりますね。
いや、大統領選挙にも出馬できるかも。
で、法的に証明されているらしいので、どこかに制定法なり判例なりあるんでしょうね。
あるんだったら、是非知りたいですね。
最後に7です。
これまた寡聞にして知りません。
あのアメリカ人が、自国人と同等の権利を外国人に対しても与えてもよいと、本当に言っているのでしょうか?
これまた、ぼーん氏が力説しているのですから、どこかにそれを表した世論調査があるんでしょうね。
で、私としては、以上の3点を証明するためのソースの提出を、ぼーん氏に要求します。
『自明だ』と仰っているのですから、裏付け資料は当然の如く持っているのでしょうから。
-
>>68
>まあ、いろいろな手段は考えられるでしょう。援助というのが、ここでの一方的譲歩となりますが、経済協力とか上手くやれば、一方的譲歩ではなく、却ってこっちがいい目見られるかもしれないです。
>軍事力というのは、抑止のひとつではあるとは思いますが、それだけが手段ではないんじゃない?
その通りですよ、私もそれは否定しません。
というか、我が国はすでにそういったことを今までやってきたわけで。
「総合安全保障」という非軍事的側面からのものを。
ASEAN諸国に対する援助など、それらの国々の政情を安定させ、紛争を未然に防止しようという考えからやったわけで。
これは前に壱学生氏も言っていたと思いますが。
ただ、これだけでは足りないわけですよ。
北朝鮮みたいな理屈の通じない国に対しては限界があると。
よって、軍事的側面も必要なわけです、眼前に迫った危機に対しては。
前者を喩えるなら癌にならないため、規則正しい生活を送ったり、煙草を吸わないようにするってことでしょうか。
もちろん、100%癌にならないという保証はないですが、それなりに効果はあると。
で、後者は癌になったときの緊急手術ですかね。
癌になっても手術をせず、前者のようなやり方をしても効果ないですから。
>結局、国民のコンセンサスが得られないんだから、自民党にしても軍隊は持ちたくない、ってのがホンネではあるんじゃないでしょうか?
確かに、国民自体の危機意識の欠如ってのはあったと思いますよ。
また、国防が票につながらなかったというのも事実でしょうね。
ただ、マスコミや教育関係者が、そうしたことを国民に教えていなかったという側面があったのではないかと。
これは反戦平和教育のスレでも言いましたが。
で、政治家もそんな国民を見、票にならない国防なんかどうでもいいやと思ってしまったと。
少なくとも私はそう思いますが。
あと、煙草税に関しては、私も少し痛いです(一日に2箱は吸っているので)。
>あまりスレの乱立もなんですが、日本の国防については、別スレ作ったほうがいいのかな?
つくりますか?
-
あ、忘れていた。
>>69に補足。
脳内ソースはダメですよ。
-
>>69
>どこかにそれを明文化したものがあるんでしょうね。
は、
「それは明文化されたものですか?それとも不文律ですか?不文律だとして、その存在はどの
ように論証されるのですか?それとも人類が存在するのに必要不可欠であることから必然的に
導かれる結論ということですか?」
にしてはどうですか?
明文化されていないことを理由にコンセンサスが無いことを主張するのは乱暴ですから。
(明文になっていない過程がなかったら明文化もされんでしょう)
>いったい誰が決めたのでしょうか?
は、
「それは既存のコンセンサスですか?それとも、あなたがコンセンサス形成のために主張し
ているということですか?」
じゃないです?
仮にコンセンサスがなくても、新案・修正案はあり得るのですから。
(そーゆーもんが無きゃ、コンセンサスすら生まれんでしょう)
>この論法だと、日本人である私にもアメリカの参政権があるってことになりますね。
いや、日本での参政権がある、ってことでしょう。
日本人にアメリカでの参政権を求めるときは、アメリカ人に日本での参政権がある
場合でしょう。
ぼーんさんの言いたいのは、例えば法の根拠が基本的人権の保障にあるとき、相手が外国人で
あろうとそれが人である以上は同じ根拠が適用されないわけにはいかない、ってことでしょ。
もし、「国民の権利の保障」が根拠なら、外国人は問題外なんでしょうけど。
ちゃうかな?
-
>うろちい氏
なるほど。ぼーん氏が主張しているのは「ぼーん氏が議論するための前提」でしかない訳ですね。
それならそれで「あり」だと僕は思います。
しかしながらそれでは随分狭い領域でしか反戦論を述べていないですし、「貴方は問うの、問わないの?」というような問題設定は別に不要でしょう。
そういう話をする場合、それ用のスレッドを立てて前提を置けばいいだけの事で。
また彼の主張が「ぼーん氏が議論するための前提」だけであるのならば、別に他の立場からの反戦論を否定できないでしょう。
であるので、>>37にあるような
>壱学生さんは、
>「α そこに義務があるという前提を持つと、表明する。」
>のか、または、
>「β そこに義務がないという前提を持つと、表明する。」
>のか。どっちなんだ、と聞いているわけです。
っていう「踏み絵」は必要ありません。なぜなら僕は「ぼーん氏の前提」にも「イカフライ氏の前提」にも立っていないからです。
僕がこのスレで言っているのは、「『その考え方』についての是非は置いておくとして、それじゃあんた等は「その前提」を置く事の論理的帰結について気付いているのか?気付いているんならそれに見合った行為をしているのか?」
程度のことに過ぎません。こういう批判をするのに、「前提を共有するか否か」なんて問題設定は不要です。
もちろんこの批判は「部外者」からのものですから、>>66でイカフライ氏が言うように「大きなお世話」として無視するのも自由です。
でも「読者が何を読みたいのか」を無視した漫画は漫画家自身の自慰行為に過ぎない、同人誌以下のものでしょう。
「真っ当な批判」を受け付けない「反戦論」はそれと同じです。
で、イカフライ氏はこの場において僕の主張が「真っ当な批判」であるかどうかについて全く言及していない訳です。
イカフライ氏が言っているのは「あんたはどう考えてるの?」とか「批判だけするのは卑怯だ」とかの感情論でしかありません。
これは「自分の意見が批判されるのは嫌だ」という、極めて幼児的な反応でしかありません。
「『自ら選んだ立場』の論理的帰結」を認識していないなら認識すれば良いだけの事ですし、「『その立場』に立つ上で必要な行為」が分からなければ自分で調べるなり教えてもらうなりすれば良いだけの事です。
で、イカフライ氏は「しなければならない事」をしてますか?
僕が貴方の立場なら、まず新聞(この際朝日でも赤旗でも朝雲でも良いですから)の国際面は毎日精読しますね。
次に各種のニュース雑誌(ニューズウィークやAERA)を読みますね。
その次はネット環境にありますから、HPを周りますね。
イカフライ氏は外務省のHPを読んだ事がありますか?それだけでも大分違いますよ。他にも例えばこのうろちい氏のHPからのリンクでも、それなりのHPがありますし。
それと並行して、各種の本を読んだ方が良いでしょう。「平和学」の中にも、はしにも棒にもかからない、偏った内容を述べてる所もありますから。
そう言うのに騙されないように、「自分なりの理論」を『キチンとした根拠』で、打ち建てる必要があります(今の貴方の考え方は「理論」ではなく「感情」です)。
例えば以前僕が紹介した「危機の20年」とか「人道的介入」だとか、そういう「学問」的な本を読んで、学問的素養をある程度は身に付けた方が良いですよ。
もちろんこれはただの『紹介』ですから、イカフライ氏が受け入れるもいれないも自由でしょう。
またそうではなくて、「あんたの言ってることは間違っている」って言う反論でも良いでしょう。「どこが間違っているか」をキチンと主張できれば。
そういう事をしないで「批判するのは卑怯だ」と言うのは、結局の所、「反戦論」を理解できていない証拠です。
-
で、話をこのスレの題名である「反・反戦派の方々へ」に戻して述べるならば、
ぼーん氏やイカフライ氏は『反戦』というものをなんか誤解していませんか?
『反戦』とは別に、「反戦主義者」だけの占有物ではありませんよ。
ぼーん氏が述べる所の、「他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値」というのは、確かに「反戦『主義者』」の必要最低の条件になるかもしれません。
でもそれが述べる所は、『主義』でしかありません。
で、ここにいる皆さんにお聞きしますが、
「反戦『運動』に参加する者は全員が反戦『主義者』なのですか?」
僕は「それは否」だと答えます。理由は>>62にある通りです。イラク戦争の際、心の底から反戦運動に期待していたフセインは『反戦主義者』ではないでしょう(それについては同意してくれますね)。
でもぼーん氏はそういう理解をしていない。概念的に「反戦『運動』」=「反戦『主義』」と誤解しています(証拠は>>37)。
ぼーん氏が述べているのは単なる形而上学的な『主義』でしかありません。
それを一生懸命に追求するのも良いですけど、でもその限界を認識せずに形而下の問題である『運動』と取り違えてるのは概念整理ができていません。
それではそれなり(形而上)の効果しかありません(僕にはその「効果」さえも疑問ですが。『運動』に転化できない『主義』は、リアリスト系の研究者からは「空中戦」として認識され、注意を払われません)。
今まで僕がこの場において一度でも『主義』について批判をしましたか?その箇所があれば指摘して欲しいです。
僕がしている批判は、『運動』の適否でしかありません。「正邪」ではなく「適否」、ですよ。
これは別に主義主張に関わらず自由に批判可能です。イカフライ氏が決定的に取り違えているのはそこの部分です。
上での『紹介』部分が、ぼーん氏が主張するのは良くて僕が主張するのは間違っている(イカフライ氏の言い分だとそうなります)、と考えるのは思い違い極まりありません。
ぼーん氏が>>23、>>25、>>37で僕に対してしている批判もそれと同じ間違いをしています。
コックが出した料理を客が「不味い!」と言うのも、読者が漫画を「面白くない」と断定するのも、卑怯な行為ではありません。
それと同じようにイカフライ氏の「反戦論」を反戦『主義者』でない者が批判するのも卑怯ではありません。
まぁ受け入れるもいれないも自由ですが。
でも、不味い料理を出す店は潰れますし、面白くない漫画は打ち切られます。
「真っ当な批判」を受け入れない反戦論の行きつく先も見ものでしょうね。
あぁ、僕の批判が「真っ当な批判」でない、と言う反論はもちろんありですよ。
でもその場合はちゃんと理由を書かないと。くれぐれも「卑怯だ」とか「言い訳に聞こえる」とかいう感情論ではしないで下さいね。
-
あぁ、参考までに言っておきますと、
僕は別にぼーん氏の主張全部を否定・批判している訳ではありませんよ。
そういう話をするのも良いでしょう。
でも「そういう話しかできない」と言うならば、それこそ議論にならない訳です。
そうであるならば、自分のHPなりで自由に宣伝・演説すれば良いだけの事でしょう。
あと付け加えて置くならば、
『主義(理念)』→『運動』という短線的な理解だけをしているのなら頂けないなぁ、と。
『主義』についての是非はともかく、『運動』に参加している内に
『運動』→『主義』ともなる可能性はある訳ですから。
-
>>74
誤解してるのは、壱学生さんのほうなんだけれどね。
まず、ぼ-んさんの主張を読み取っていないし。
例えば、あなたは、「人間は利己的である」という前提を最初に置いている。
そういいながら、「利己的な人間、って僕のことじゃありませんよ」と、言い訳をしている。
これだけで十分なんだけれどね。ぼ-ん教については。
じゃなきゃ、すでに矛盾が出ているんですよ。この論理的帰結は、
「人間=利己的」「僕(壱学生)=利己的ではない」 てことは
「壱学生=人間ではない」になっちゃうんだけど(笑)。
まあ、こんなアホくさいこと言うことがいかにガキっぽいかは、自明だろうけれど、あなたがしているつもりの
「論理」
って、そのレベルなんですよねえ。
からね、確かにワシもぼ-んさんにせよ、その他の反戦の方々にせよ、自分の意志で反戦を選んだ。
そのために考え、行動している、そっれは事実だ。
そのために、そえれぞれみんな、いろいろな形でがんばってると思う。
で、あなたが、それを選ばないのも自由だ。
たださ、選ばなかったんなら、ここで無理に言い訳せんでもいいんでないの?
-
>>76
はっはっは(笑)
僕の主張を批判するのは自由ですけど、せめて文脈ぐらいは読み取った上でした方が良いですよ。
そういう読み取り方をされるとは予想の斜め上です。
悪い事は言いませんから、少し難し目の本を読んで頭を鍛えた方が良いですよ。「定義」って言葉を知ってます?
イカフライ氏向けに分かり易い言葉で解説しますね。
僕が言っている「人間は利己的である」という定義は、社会科学的な分脈上のものです。
つまりは「集団としての人間」の本質について述べたものです。
例えば食糧危機の時、子供に自分の食料を分け与える親もいるでしょう。
でも「全ての親」がそうする訳ではないのはご理解頂けますね。
さらに「全ての人間」が弱者に食料を分け与えようとはしないであろうこともご理解頂けますでしょう。
この事をもって「(集団的に見て)人間とは利己的である」と定義するのはそんなに的外れなんでしょうか?
さらに言えば、その定義をもって冒頭の「食料を分け与えた親」を人間扱いしないヤツがいれば、「頭が悪いんじゃないかな?」って思っちゃいますけど。
例外をもって社会科学的な分脈での「定義」を否定するのは無知過ぎます。
もう一つ言っておけば、
>で、そういう利己的な人間たち(僕の事では無いですよ!)
の部分も爆笑的に誤読してますし。
これはただ単に「僕が利己的であるかどうかは明言してませんよ」という意味にしか過ぎません。
別にこれは言い訳ではなくて、「分脈上それを明らかにせずとも議論ができるから、この場では僕の立場は明らかでなくても良い。そこを誤読しないでね」
っていう意味をこめて親切で記述したのに、見事に誤読していらっしゃる。
僕が「利己的な人間ならこうこうだ」と言うのは、
「利己的な人間ならこの場合、こうする事が予想できる」って事を言ってるんですが。
だから僕が「利己的な人間であるかどうか?」なんて、全然論点にならない訳です。それが「論理的帰結」ってものなんですよ。
マァこう言っても貴方は「良い訳にしか聞こえない」の一点張りでしょうが。
でもそれは「私はアホです」ってのを大声で公言しているのと同じくらい恥ずかしい好意ですよ。
もうちょい「まともな議論」ができるように自分を磨いた方が良いですよ。
この文を締めくくるに当たり、この言葉を送っておきましょう。
>8 名前:名無し三等兵 投稿日:03/02/05 12:36 ID:???
>残念ながら、2ちゃんねる内においては
>常識人は、馬鹿に決して勝てない。
ここは2ちゃんねるじゃないですけど。
でも「自分が馬鹿であるかどうか」の評価は他人が下すものですから。馬鹿でないようになろうと思えば、「客観性」を身に付けて下さいね。
貴方は「自分の正しさ」を疑った事がありますか?
-
>>77
>貴方は「自分の正しさ」を疑った事がありますか?
お互い様です、と締めくくらせて頂きます。
まあ、今後、もし、参考にできるようなカキコがあれば、誰のレスでも有効活用させていただきますよ。
-
ん?僕は常に疑ってますけど?
「これでいいのかな?この主張の根拠を説明できるかな?」って。
で、イカフライ氏は「僕の主張」を理解できていますか?
理解してるんなら、1度僕の主張を再構成して書き出してみてください。
多分だいぶ違ったものが出ますから。
それと「感情的な反論」は受け付けませんよ、と言ったはずなんですが。
貴方は僕の主張の「どこがどう」間違ってるのか指摘できない。たまにしても>>76のように的外れですし。
自分の固定概念が崩されるのがそんなに怖いんですかね?
世の中多様なんだから、「他の考え方」も許容しないと。先に言っておきますけど、僕はそれを排除してませんよ。
>>75で言うとおりに、「それしかできない」のを許容していないだけで。
イカフライ氏やぼーん氏とのやり取りの中でも、「こういう部分で妥協できますよ」っていうシグナルは何回も送ったのですが。
それに気付かずに、ことごとくを無視して自分の固定観念に固執する。
だから「自分の正しさを疑った事がありますか?」と言ったのです。
そう言うニュアンスも、貴方は全く読み取れてないでしょうね。
-
>この事をもって「(集団的に見て)人間とは利己的である」と定義するのはそんなに的外れ
>なんでしょうか
んー、ロジカルには「人間個人は利己的である場合がある」までですね。
集団の傾向としては、与えられた条件ではどちらとも言えません。
言ったら科学じゃない。
気が向いたので、ちょっと突っ込んでみました。
ちなみにメンデル集団としての人類について言っているなら、
>食糧危機の時、子供に自分の食料を分け与える
のは、利己的であり得ますね。
-
そうなんですよね。どうしても理解してもらえない部分って出てくるのですよね。特に根本的に考え方が違う場合なんか。私もそう云う時が有りました。その誤解というか、なんと言うか、なかなか通じない人って、どういう訳か、反戦側に集中しているように思うんだけど、偶々かな。
まあ、今までに通じなくて困った人は稀なので、偶には仕方がないか。
-
しかし、人間は利己的な例が結構あるな。例えば、北朝鮮の金さん、イラクのフセインさんなんか、その典型。
-
2日ほど仕事に専念してました。
もっとめちゃくちゃになってるかとも思いましたが、言いたいことのほとんどは
うろちいさんとイカフライさんが代弁してくれてますね。感謝。
利己的な人間を説得できなければ平和はありえない。
というのが、かなり根拠のない前提なんだな。
とりあえず、利己的ではない「他者と自分を等しい価値のあるもの」とみなすまと
もな人だけを相手にして、順番に説得してゆく。ある段階で、それが十分な多数派
になれば、それで話は解決する。ある段階で、道義に従う多数派に暴力で立ち向か
うことは却って損になる。「利己的」なら、そんなことはしない。
というわけで、全員を説得する必要はないのだ。
少なくとも、全員を説得する必要は「ないかもしれない」のだ。
だから、他者を自分と同等には尊重しないというアホは、とりあえず相手にしない。
後回し。
そういう話をしているにすぎんよ。
確かに、政治学者って、利己的な人間たちがどううまくやるか、みたいな、いわゆ
るホッブズ問題みたいなもんにかかずらわるのが好きだけどね。それはどーも学者
の問いに過ぎないのよね。
フェミニズムとかポストコロニアルとか、そういった流れから語られる「政治」に
ついての考察を見ていると、利己性なんかに拘るより、むしろ、我々の多くが(す
べてが、とは言わない)既に持っている倫理的な可能性を引き出すことが解決への
道であると思えてくる。
そう考えると、ことさらに利己性が問題なんだ!みたいなところで思考している化
石みたいな政治学者は、わざわざ問題を無駄に難しく設定して、「解けない、解け
ない、うーん」って唸ってる、ただのアホにしか見えない。一種の知的マゾヒスト
と呼ぶべきか。
壱学生君の発言を見ても、ポストモダンの人たちの言説から何一つ学んでいない。
というより、多分読んだことすらないんだろう。そんなところに何か価値のある洞
察がありそうだ、ということすら気づいてないんじゃないか?
政治学者の政治についての語り方だけが、政治についての正しい語り方なのだ、
とかたくなに信じているのだね。そういうのを「専門バカ」と言うのだよ。
あと、気になったので、1点。
> ぼーん氏の理論的前提:反戦論を述べるに当たっては「自己と他者の痛みや命を同等に置かなければならない」
> →この論理を否定するに当たって、「他の立場からの反戦論も成立する」と証明できれば良い(反証法)
うろちいさんにも、間髪いれずに
「A→BとB→Aを混同するのはどういうわけ?」
っていわれてるでしょ?君、論理学の勉強「も」やりなおした方がいいよ。
「自己と他者を同等に尊重する」ならば、その人との間で平和が作れる。
と述べているのであって、
平和ならば、常に「自己と他者を同等に尊重する」である。
といっているわけではないのね。だから、
> →この論理を否定するに当たって、「他の立場からの反戦論も成立する」と証明できれば良い(反証法)
は端的に無関係。それが成立しようと成立すまいと、僕のやろうとしてることには変わりはない。
大阪から東京まで、新幹線でいける、ということを示したところで、飛行機でいけないことを示したことにはならないのね。
-
>>73
> ぼーん氏が主張しているのは「ぼーん氏が議論するための前提」でしかない訳ですね。
> それならそれで「あり」だと僕は思います。
> しかしながらそれでは随分狭い領域でしか反戦論を述べていないですし、
> 「貴方は問うの、問わないの?」というような問題設定は別に不要でしょう。
一体何をもって「狭い」「広い」といっているのか不明だが、狭かろうが広かろうが、
それで問題が片付くならそれでいいわけだ。
で、どーも、その狭い範囲だけで話をしてても、問題は片付きそうだ。
あるいは、片付かないまでも、アメリカみたいな既に民主的制度を持っている国は片
付きそうだ。だとすれば、問題はだいぶ軽減される。だから、これでいくとこまでい
って、その後に、利己的なお馬鹿さんたちの相手をすることにしよう。
そんだけの話です。何をいきりたってんだか。
で、壱学生君はどっち、って何度も聞いてるわけです。
「他者と自分を同等に尊重する」という命題について、論理的に言って、
「尊重する」「しない」の2つに1つしかありえません。
言わない、のであろうと、言わない心の中で、「尊重する」「しない」のどち
らかでしかありえません。
言わないのであれば、表面上は尊重しない人とまったく同じですので、仕方な
いので列の最後尾に回ってください。お呼びじゃないので。
ま、そういうことです。
胃の中のかわずの遠吠えなんか、もう聞き飽きたって。
-
壱学生さんは
命題「他者と自分を同等に尊重する」
を公理として受け入れるべきかどうかの検証から始めたいんでしょうね。
つまり一段階理論的に広い場所からスタートしたいと。
よもや
「常には他者と自分を同等に尊重しない」
を前提とする立場のみから「狭い」反戦議論をしたいわけじゃないでしょ?
まあ、もしくは、そもそもいずれもするつもりはないのかな?
「客」やら「編集者」やらの一方的にラクチンな立場でいつまでも
居座り続けたいだけかもね。
そういう客観的な立場からの批評が無意味とは僕は言わない。
僕もよくやる。
ただ、それ「だけ」ってのはね・・・
社会の主体である一市民としては不足だね。
>壱学生さん
「それしかできない」議論を進めるかどうかは相手(例えば壱学生さん)が、
相手をするかどうか表明することで決まります。
だれも「しない」と答えるなら、ぼーんさんは自分のHPなり別のメディア
なりに引っ込みますよ。壱学生さんの求めることと何ら反しない。
> ぼーん氏が主張しているのは「ぼーん氏が議論するための前提」でしかない訳ですね。
それが、「「ぼーん氏が議論するための前提」でしかない」のか、それとも共有できるのか、
それは相手(例えば壱学生さん)の返答次第です。
さっさと立場を明確にして引導をわたしてあげたらどうです?
もしくは「今は判断できないので、検証から始めたい」と表明するか。
立場を明確にしないからと言って、「客観的な立場からの批評をする資格がない」
とは僕は言わないけどさ。
-
ちょっと忙しくって此処へ来ること出来なかったんだけど、
今チラッと見てみたら(熟読してないよ)此処でも「公平スレ」と同じ混迷に陥っていたようだね。
何にも難しくない前提を、難しげにスッタモンダすることに終始していているんだ。
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
と言う人は、ひとまず相手にしないってことは、
公平スレで、「公平であることを求めないなら話は此処まで。何を公平とするかは人それぞれ違うにしろ、公平というものを志向する人の間でのみ議論は成立する」
と言ったことと、同じ次元の問題なんだよね。
実際に世の中、公平であるって言ってるわけでもないし、
人間に等しい価値があるって事が守られてもいない。
むしろ、守られていないから守られるようにして行こうという話なんだ。
そういう理念を共有しないと言う人は、現在ほとんどいないんだよね。
俺の利益が第一だって言ってる人(α)でさえ、それが通用しないことぐらい知っている――そうじゃあなければ生きて行けていないよ。
乳児だけは、無条件に「俺の立場」しか主張しないが、幼児でさえ(兄弟と自分)(保育所に行けば、他の子と自分)という人間関係で、
他者と自分の間に等しい価値を置かざるを得なくなっていく。
公平スレでも同じことだったんだけど、
ひとまずその理念を共有することを確認しようよと言う段階で、スッタモンダ。
乳児段階を卒業しないと、話になんないんだって言えば、排除だ・強制だ・醤油出せ(あはは、俺っちソースより醤油が好き)
壱学生様って、この基本的なところを抜きにして
大所高所に立ってるつもりになってるから、見ていて滑稽なんだよね。
何を自慢したいんだか(笑)
―――こっから先余談だよ―――
イカさんがアフリカとダイヤモンドのこと、よそでぼーんさんの「ソース」に感心して見せたら
反戦やってながら、今まで知らなかったのかと、自分が知ってたことを自慢してみせる。
イカさんだってアフリカの全てに無知なわけでも、すべてに知識があるわけではないんだよ。
それは壱学生様にも同じことが言えるはずだ。アフリカに住んでいてさえ知らないことがいっぱいだろうよ。
検索しろったって、キーワードがあってのことだからね。
「反戦って立場を選び取った限りは」なんてこと言ったって、前にも言ったが、職業として選び取ったわけではないし、
俺には責任ないがお前には責任があるなんて言われる筋はないね。
漫画家ならまだ金もらってやってるんだけどね。
反戦は理念だからね。
方法に於いて違法性があるとかなら言われるだろうが、反戦を主張することに関しては人から責任を問われる筋はない。
知らないこと、無知であることは、加害者であることの自覚さえないってことだから、知らなきゃあならないと思うし、知りたいと思う。
しかし、君から言われる筋はないんだよ。
わっかんねえんだろうなあ、大所高所にいる方には(笑)
-
>>86
うろちいさんが手短にまとめてくれてるね。
でも1点追加。
> それが、「「ぼーん氏が議論するための前提」でしかない」のか、それとも共有できるのか、
> それは相手(例えば壱学生さん)の返答次第です。
> さっさと立場を明確にして引導をわたしてあげたらどうです?
> もしくは「今は判断できないので、検証から始めたい」と表明するか。
「今は判断できないので、検証からはじめたい」ってのはありえません。
もしくは、「今は判断できない」ってのは、「今は前提しない(そのような人間
ですよ私は)」って言ってることになるわけです。
つまり、暫定的にであれ、「私は他者と自分を同等に尊重するとは限らない」っ
て言ってるのと同じ、つまりβに立ってることになる。
壱学生君が検証したいのは、それが「普遍的に」共有できるかみたいな話なので。
で、「普遍的に」共有できるか、という話をするためには、壱学生氏にとっては
どうか、という話は、とりあえずしなくてもいい。それはそのとおり。
でも、別に僕はそんな話には興味ない。Aさんが共有できた、Bさんが共有でき
た、次Cさん・・・と順番にやっていけば、まぁ、結構多数の人が共有できそう
だ。あとは、共有できる人に対しては、「このヒドイ状況を前に無為であること
は、あなたが認めている「自分と他者の等しい尊重」という前提を掘り崩します
よ」という議論をすればいいわけです。
壱学生君がやりたい議論は、僕以外の誰かとやればいいわけさ。
ん?ちょっと待てよ。
壱学生君は、たとえばイカフライ氏に対しても、「反戦掲げるなら、そのくらい
のことを考えなければだめだ」といってたよね。
つまり、「反戦を実現するためには、利己的な人間をも説得できる論理を持たな
ければならない(壱学生の定理)」って言ってるわけだったね。これについても
話を終わらせておこう。
この壱学生の発言は、端的に間違い。
何度も繰り返しで恐縮だけど、徹頭徹尾利己的な人間はとりあえず列の最後尾に
回ってもらい、そうではない多少まともな人間だけを相手にしても反戦平和は実
現できる可能性がある。だから、壱学生の定理は間違っている。
# 反例を出して否定する、ってのは全称命題を否定するときに使うものなわけ。
おわかり?>壱学生君
壱学生の定理が成立するためには、「利己的でない人だけを相手にしていては、
決して平和が成立しえない」ということを証明しなければならない。しかし、そ
んなことができるとは聞いたことないしね。やれるもんなら、やってみれば?>壱学生君
-
フムフム、今のところ、このスレでは、反戦側が現実的だなあ。
-
>>88
そうですよね。
反戦反対派は、
100パーセントでなければ0であるべきだって言ってるんだね。
現実社会は、100パーセントはありえない。むしろあったら恐い。
公平を目指す。正義を目指す。平和を目指す。(無いからこそ目指す)
目指している人間は完全であるべきだ(イカさんは全てを知っていなければならない)
俺は目指していないから何の責任も無いんだ――こんな言い分が通ると思ってる。
-
>>87に補足。てゆーか訂正。
> つまり、「反戦を実現するためには、利己的な人間をも説得できる論理を持たな
> ければならない(壱学生の定理)」って言ってるわけだったね。これについても
> 話を終わらせておこう。
> この壱学生の発言は、端的に間違い。
> 何度も繰り返しで恐縮だけど、徹頭徹尾利己的な人間はとりあえず列の最後尾に
> 回ってもらい、そうではない多少まともな人間だけを相手にしても反戦平和は実
> 現できる可能性がある。だから、壱学生の定理は間違っている。
口滑らせてますね。「壱学生の定理は間違っている(P1)」は間違っている。
正しくは「壱学生の定理は証明できていない(P2)」ってことです。
「正しいとも間違いとも分からない」わけですね。
まぁ、(P1)からでも(P2)からでも、最終的には
(P3)「壱学生の定理に基づき、イカフライ他反戦主義者は「利己的な人間を説得する論理を持たなければならない」とはいえない」
ということは正当化できますね。
壱学生の定理が間違っているなら(P3)はもちろん言えるし、(P2)であっても、やはり(P3)はいえますから。
ので、僕の言いたいこと自体は言えてることには変わりありません。
-
>>69
壱学生君が片付いたみたいなので、柏葉君に戻ろうか。
しかし、これまた無残というか、悲惨というか、ひどい「誤解」だねぇ(苦笑)
僕が要約しましょう。
(1) ぼーんは「α 他者と自分を等しい価値があるものと見なす」。
(2) ぼーんは「αは、全人類が受け入れるべきである」と考えている。
(3) 「ぼーん教」とは「α」である。
(4) ぼーん教徒でない人は、とりあえず相手にしない。αを受け入れた人すべてと話し終わった後で考えましょう。
(5) ぼーん教徒に対しては、αから演繹できることも含めて受け入れるように要求する。(そのとき、要求された人は、αを放棄するか、αとあわせてその論理的帰結も受け入れるかを決められる。好きにしろ。)
(6) (5)の2つの選択肢のどちらもしない人は、「論理的に」矛盾しているので、「論理的に矛盾している」と批判してよい。
(7) アメリカ人の大多数も含め、多くの人がαを受け入れている、つまり、ぼーん教徒である。(ついでに言えば、「論理的に矛盾して何が悪い」とまで言うなら、その人はαを放棄したのとまったく同じなので、それはそれで構わない。やはり及びでない人、ということになる。)
(8) ぼーん教徒である以上、(5)より、αを放棄するか、αの論理的帰結をも受け入れるかを迫ることによって、「αの論理的帰結もあわせて受け入れる人が増えれば」恒久平和につながる。
こんなところですね。
で柏葉君の珍問に逐一答えましょうか。面倒だけど。
> で、私がとりあえず聞きたいのは、1と6と7です。
> 1については、全人類の共通した価値観と力説しているのですから、どこかにそれを
> 明文化したものがあるんでしょうね。
> いったい誰が決めたのでしょうか?
> また、全人類がそれを本当に正義であると認めているんでしょうか?
> ここが疑問点です。
誰も決めてませんね。
全人類が認めてもいませんね。
でも、僕が述べたこととは関係がないですね(笑)
僕は僕の価値観についてしか決めていない。
あなたについてはあなたが、それ以外の人についてもその人自身が決めるでしょう。
自分について、αを認めると決めた人とだけ、とりあえず話そうか。
α認めてる人って言っても結構たくさんいるからそれだけでも大変だぞ。
認めてない人は、とりあえず後回し。またね。
ということなので、別に「全人類が認めていなくても」いい。
> 次に6ですが、国内法における権利が、国外にいる外国人(この場合、国籍に限る)に> 対しても適用されるなど、私は寡聞ながら知りません。
> この論法だと、日本人である私にもアメリカの参政権があるってことになりますね。
> いや、大統領選挙にも出馬できるかも。
> で、法的に証明されているらしいので、どこかに制定法なり判例なりあるんでしょうね。
> あるんだったら、是非知りたいですね。
法的に証明されている、というのが、一体どこをどう誤読してのことなのか、よく分かりませんが、まずはそんなことを言ってはいないのですね。
で(6)を見れば分かるように、国内法における権利とは、それが国内において守るべき
であると要求する道徳規範があり、その道徳規範とは、「何人たりとも・・・」という
道徳判断であるはずなんですね。
だから、そういう国内法を支持する人は、それを通じてその根拠たる「普遍的な」権利
というものに賛成している。つまり、αを受け入れていることになります。
あくまでも論理しか使ってません。
> 最後に7です。
> これまた寡聞にして知りません。
> あのアメリカ人が、自国人と同等の権利を外国人に対しても与えてもよいと、本当に言っているのでしょうか?
> これまた、ぼーん氏が力説しているのですから、どこかにそれを表した世論調査があるんでしょうね。
ブッシュが言ってるじゃん。
イラクに、アメリカみたいな自由を、って。
で、ブッシュ支持派は、それを聞いて支持してるんだよ。
反対派は、「うそをつくな、やってることはそれとは違うじゃないか」って批判してるの。
決して、「ブッシュの言っていることは間違っている」とは言わないのね。
「言っているとおりのことをしろ」と、チョムスキーなんかも言ってるわけです。
まぁ、冷静にニュースを見てれば、アメリカ人の大半が、「すべての人に自由と権利を」って言ってます。ほとんど全員一致と言ってもいいくらい。
どこまで本気で信じてるかは内心のことなので当然に不明ですが、少なくともそう言っ
ているわけなので、「それ本気?だったらこうしましょうよ」と述べることには意味が
あります。
というわけで。
-
>>30 by イカフライ
今更なんですが、イカさんが相当重要なこと書いてくれてますね。
その通りだと思います。
壱学生さんは二重基準を使ってるんですよ。
理念は、それぞれ等しい価値をもつ。頭ごなしに否定してはならない。
理念の間に優劣はつけられない。(αとβの間にも優劣はつけられない、を含意する)
これは、価値前提です。この価値前提を僕は承認するけれども、必ずしも普遍的に受
けいれられているわけではないんですよ。
といいながら、人間が、それぞれ等しい価値を持つ。という前提が普遍的には要求で
きない、と難癖をつける。
これが二重基準でなくて一体なんなのか。
別スレで「壱学生氏が中立に議論を整理しているなんて信じられない」というよ
うな意味のことをかかれていたけれども、それが立証された形だね。
-
>>91
ども、ぼーん氏。
なるほど、やっぱり脳内ソースでしたか。(笑)
「全人類共通の絶対正義」も、やはり思い込みであったと。
あれほど、ちゃんとソースを出して下さいと言ったのにね。
しかも、法的根拠など、どうでもいいときたのですから。
ぼーん氏には残念なことですが、国際法上、国家は管轄外にいる外国人に対してまで責任を負う義務はありません。
よって、あなたの主張は、全くの的外れなんですよ。
まあ、脳内ソースも、宗教ですからそれはそれでいいとは思います。
『俺の脳内の神がお告げを下した!』ってんなら。
で、私見ながら、あなたの理念や手法は、キリスト教のそれに近いですね。
まあ、人権なんて思想自体、この宗教に端を発しているらしいですが。
失礼ながら、ぼーん氏はキリスト教の歴史を知っていますか?
もしも知らないのなら、少しは勉強した方がいいと思いますけど。
で、要するに、ぼーん氏はαなる前提に立てない人間には話し合いなど無駄ということですな。
となると、ジョンイル(とその手先)なんかは、まさにその典型というわけで。
北朝鮮とは話し合う必要はない、妥協も一切無用であると。
なんだ、目的は私と一緒じゃないですか(理由は違いますけど)。
さあ、ともに北を粉砕しましょう!
前提に立てない輩など、皆殺しにしちまいましょうや。
-
なかなか、横から見ていると魅力的な対話だ
私が見てると 反・反戦派は「そんなことをちゃんと相手が守ってくれる保証がどこにあるの?」
っていってるように見える
反戦派は「守るというのが基準である」っていってるように見える
流し読みで読んだので過分にいいかげんだとは思うが
私としては、守らないことを前提に置いたほうが安全な気がするのですが・・・どうなんでしょね
ところで前置きはいいとして、タバコの増税についてはしょうがないとおもいます
タバコから得られる税収以上に、タバコが原因であるともっか有力である
疾病が使用している新療報酬点数がおおいことを考えると
タバコの値上げはいたしかたないかなと 思います。
ただ、タバコを吸っている人の平均寿命が短いとなると
ソノ分、年金の支払い総額が減るわけでそのあたりプラマイどうなるのかは
資料がないのでわかりませんが
おそらくタバコが社会に対する金額的プラマイは、マイナスではないかと思います
私はいっそのことタバコの値段を倍ぐらいに上げてもいいとおもってます
高給嗜好品になれば、コンビニにタムロしている兄ちゃんたちは買いにくく
なるでしょうし、倍どころか3倍ぐらいにすれば高所得者しか買えなくなって
喫煙者一般のマナーの向上も期待できるかもしれない。
貧乏人が買えない値段にする っていうのも一つの手かもしれないと思います。
そういう、私も喫煙者だったりしますが。(マイルドセブン派)
必ずしも値段が上がることが、マイナスとはとらえていません
たしかに財布から出て行くお金は減りますが、それは目に見えマイナスでしかないのではないか?とも思うわけです
というわけで、喫煙者ですが、値上げに賛成!
葉巻に比べれば安いんですし、たいした負担じゃないような・・・
-
お久しぶりです。少々気になる箇所があったので、横から失礼します。
>>83ぼーん氏
>とりあえず、利己的ではない「他者と自分を等しい価値のあるもの」とみなすまと
>もな人だけを相手にして、順番に説得してゆく。ある段階で、それが十分な多数派
>になれば、それで話は解決する。ある段階で、道義に従う多数派に暴力で立ち向か
>うことは却って損になる。「利己的」なら、そんなことはしない。
少なくとも、私にとって「家族・親族係累・友人知己」と「その他の人間」であれば、
「他者と自分を等しい価値のあるもの」とは見做せません。特に、生命に関わる問題で
あれば、なおさらですが。
そして、上記のような価値観は極一部の少数派の価値観でも無いでしょう。
「家族・親族係累・友人知己」と「その他の人間」を同等の価値であると考える人間の
方が、むしろ少数派なのでは?
と言う事は、「ある段階で、それが十分な多数派になる」状態は永久に望めないでしょう。
このように考える人間が私の周囲では殆ど、と言うか全てです。
自衛隊の内部のみでは無く、郷里の同級生・知人・そして現在居住している場所での
近所付き合い・その他趣味を通じての知り合いでもそうです。
少なくとも、その生命に於いては、
「その他の人間の比重」=「家族・親族係累・友人知己の比重」では無く
「その他の人間の比重」<「家族・親族係累・友人知己の比重」とする人間が
大多数なのでしょう。
そうで無いのであれば、アフガン・イラクに対する軍事攻撃の「反戦運動」に対して、
日本国民の大多数が殆ど無関心であった説明が出来ないのでは?
ぼーん氏は日本国民を説得(布教・・ですか?)する気は無いのでしょうか?
よって、ぼーん氏の>>83の主張は誤っている、と言う事になると思いますが。
-
トリップが使えるようなので、テスト失礼します。
-
>>93
どうしてここまで理解力が無いのか、ちょっと理解出来ないのですが・・・
>ジョンイル(とその手先)なんかは、まさにその典型というわけで。
じゃないんですよ。彼とて、ブッシュとて、
>>23 「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
とは言っていないですよ。
――――
ジョンイルが「お前らの命の何倍も、俺の命の方が貴重なんだ」
ブッシュが「イラク国民の命はアメリカ国民の命に比べたら羽より軽い」
と言っているというソースを出してみてください。
実際に行なっていることは別としてね。
-
>>95
そうじゃあないんですよ。
一枚の板にすがれば命が助かるとき、見知らぬ人の命と俺の命が、俺にとってどちらが大事と言う話ではないんです。
見知らぬ人と俺の命の価値に違いがあると認めるのか、無いと認めるのかってことです。
俺は頭がいいから大事な身体、と言うような価値です。
もしそうなら、相手は頭が言いから大事な体と言う価値観も出てきます。
そういう価値観で相手の方に板が投げられても仕方がないって事にもなります。
現在多くの人が、命の価値に差は無いという価値観を共有していると思いますが。
-
>98
>命の価値に差は無いという価値観を共有していると思いますが。
まあ、少なくとも俺もそう思うよ(笑)
#北朝鮮のキムさんや、中国・朝鮮半島の御仁わどーか知らんがね。
ただ、1枚の板に2人が、ちうところのお話じゃぁないのかえ?
<反戦運動の行く末に危惧を抱いておる御仁たちわ
自分達に関わる「安全」にゆるぎない場合は、人助ける。
自分達に関わる「安全」を犠牲にして助ける。
この2者択一のお話だと思うんだがねぇ。
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>>武蔵氏
>現在多くの人が、命の価値に差は無いという価値観を共有していると思いますが。
これ絶対に違うよ。少なくとも俺はそう思っていない。
これで武蔵氏の前提は破綻しました。
これ、あなた方の論法(稀有なミクロ的事象をもってマクロを語る手法)に則ったものなのですから、この意見は全く否定はできませんよね?
逆に「そのとおりだ」と言わなければならないですよ。
ま。そんな瑣末で枝葉的な話はさておき、残念ながら武蔵氏の「命の価値に差は無い価値観を全世界が共有」という前提は明らかに狂っているのは明白です。
例えば、アル・カイーダに代表される、神権的絶対主義に基づく異教"徒"排除。そしてその目的を完するための個の破壊(テロルに走る神の戦士)。これ、命の価値に差は無いという価値観に基づいた行為ですか?
例えば、アメリカに代表される、世界統一化主義に基づく、武力による造反"国"への制裁。これ、命の価値に差はないという価値観に基づいた行為ですか?(個を相手にしてない分、前者に比べれば"まだ"まともではあるが)
武蔵氏の前提というのは、実際に起こっている事象の前には霞のような存在感しか示せないんですよ。
だから、オイラの悟性にも全く届かない。「そう信じてるんだね」という評価しか出んのです。
「そうじゃないんだ」と言う前に、考えだけを述べる前に、"ある"という証拠をまずは提示する必要性があると思いますよ。
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