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反・反戦派の方々へ
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>>501
>ところで、武蔵さんが行かれた徐京植さんの講演会では、被差別者の「怒り」は表現されていたのでしょうか? もしそうならば、
1)具体的に、どのように表現されていたのですか?
2)それを聞いて、武蔵さんはどのように感じられましたか?
徐京植さんは、怒りの表現は全くされませんでした。
彼はインテリですし、差別を分析することもできます。
また、差別した本人に対峙している場ではなく、講演の場でもあります。
表現方法も、今までの人生の中でずいぶん練れているはずでもあります。
差別のなかで「見えない人間である虚しさ」のようなものを見せてくれたと言う気持ちです。
>>これね、逆の場合が一番問題なんじゃあないでしょうか?「押し付け」が上から下に流れる場合は、内容によれば頭から反発してもいいように思います。しかし、下のものの価値観は一度素直に「受け止める」必要があると思います。
>「受け入れる」かどうかは、その次の問題ですが、きちんと相手の立場に立って考えてみる必要があると思います。
あなたの出された例でいえば、親とか先生には反発してもいいのではないか。
その時は「痛い目にあう」のも覚悟ですし、痛い目にあってみて、自分の主張がそれでも正しいのか、反抗のための反抗であったのか、考える機会はいっぱいあります。
それに反して、妹・弟・立場の弱い同級生・下級生その他、
自分が「押し付ける側」にいると思われる立場の人からの押し付けは、
一度丸ごと受け止めて、その相手の立場になって考えてみる必要があるのではないかと言うことです。
それでないと相手の主張は見えません。
その上で、相手の言い分が誤っていると思えば冷静にそれをいい、
相手が言い返せばまた相手の立場で考える。
そうでないと、相手の立場は永遠に見えてこない。
「いじめ」なんかは、絶対にいじめられる側に立たないと見えてこないものがあります。
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