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反・反戦派の方々へ
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493 つづき
最後に「善意の(無知による)見えない状態」について。
> 話になるなかで、最も難しいのは善意の(無知による)「見えない」状態ですね。
対話というのは、自分が思っていることを他の人が言い換えてくれた時に、そこから別のインスピレーションが湧いて、対話が広がって行く時が、楽しいですね。
この武蔵さんの言葉は、私が意図したものを、さらに発展させてくれたように思います。
私は前回の投稿では、「悪気はないけれども、別の価値観について無知だから、知らない間に差別している」というつもりで話していたのですが、武蔵さんがこの「悪気はないけれども」を「善意」と言い換えてくれたことによって、もう一つ、思いつきました。
それは「価値観が違えば、例えそれが善意であっても、相手にとって善意と感じるとは限らない」ということです。
私が、武蔵さんの言葉を聞いて、思い出したのはこんな話です。
アフリカだかどこだか忘れましたが、ある未開の原住民がいつも裸足なのを、どこかの先進国の人が見て、「まあ、靴もないなんて、さぞかし不自由でしょう」と思って、全員に靴をプレゼントしたらしいんです。
送られた方は、そんなに便利なものならって、しばらく履いていたけれども、やがてまた全員裸足に戻ってしまったらしいんですね。
結局、「彼等の価値観」において、靴はジャマでしかなかったということですね。
靴を履いている方が、不自由だったということなんですね。
これこそが、「善意の(無知による)見えない状態」だと思うのです。
この場合、たとえ靴を贈った方が善意を持って行ったことであろうとも、それは「価値観の押しつけ」をしているんじゃないですかね。
この話の先は、その先進国の人が、「人の贈ったものを、捨てちゃうなんて!」と怒ったのか、土人等の価値観に気付いて尊重したのか、それはわかりません。
しかし人間はついつい、この「価値観のおしつけ」をやっちゃうんですね。
「押しつける」方も「押しつけられる」方も、どっちも経験ないですか? 私は一杯あります。(笑)
「押しつける」方は主に目下の人に(妹、弟とかですね)
それから「押しつけられる」方は目上の人から(親とか、先生とかですね)、
それこそ日常茶飯事のようにありますね。(笑)
しかしこれを、対等な立場の人に対して行ってしまった場合、「押しつける」側は善意であっても、「押しつけられた」側にとっては、「押しつけた」側の優越意識が見えてしまうんですね。
善意を持って微笑んでいる人が、悪魔のように見えることもあるんですね。
これもまた「無知による残虐性」ですね。
これも本当に、気付いていくのは難しいでしょうね。だって本人は「善意」でやっているわけですから。
どうすれば、この「善意の(無知による)見えない状態」に気付いていけると、武蔵さんは思われますか?
それから、自分の善意が、相手に取っても善意と感じるようにするには、どうすればよいでしょうか?
(ところで、話題がだんだん本来のスレの主旨とずれてきているように感じています。今はこのスレもちょっと一段落しているので、もう少し大丈夫かな、とも思いますが、もし今後このスレの主旨での議論が活発になったら、引っ越しした方が良いような気がします。)
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