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反・反戦派の方々へ

531露夢虫:2003/06/29(日) 14:00
530 つづき

しかし、ぼーんさんのご意見を読み進めてゆくうちに、私とぼーんさんの考えに大きな違いがあることに気付きました。それは「方法云々に関しての主張」ではなく、むしろ「その理由」にありました。双方の主張の齟齬は、むしろここから出ているのではないかと思われます。
ぼーんさんの主張をまとめてみますと… (このまとめに関しては、間違っていないと思いますがどうですか?)

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ぼーんさんの主張:
何かを訴える者は、まず訴えの内容が正当である「必要」があって、どのような「方法」を取るかは、個々の自由である。
(ただし、方法の「正当性」については「別の話」。)

何故なら、全ての人は、不正義に対して何かをなす「義務」を負っているからであり、訴える方には「訴える義務」が、聞く方には「己を問うて、訴えを聞く義務」があるからだ。
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これに関して、ぼーんさんは次のようにもおっしゃっています。

>しかし、この目的に達することができるかどうかは、最終的に聞き手の側がどう変わるかによって決まるでしょう。
>なぜなら、変わることを求められているのは聞き手であり、話し手ではないからです。

「聞き手に義務がある」… なるほど、これは私がいまだかつて全く考えたことのないことでした。(ここで行われているような「議論」に参加する者同士ならば、「聞き手に義務がある」とも言えるでしょうが。)
どうしてこのように考えられるのか、大変興味があります。
私の主張はこうです。

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私の主張:
何かを訴える者は、その「目的」に応じて「方法」を選択すべきである。
そして、その訴えを相手に理解してほしい、尊重してほしいと願うならば、出来うる限り「相手に伝わるための方法」を研摩し実行してゆく「必要」がある。

何故なら、多くの人は、「価値観の違い」について無自覚/無関心/無知だからである。
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人間というのは、自分の価値観を「空気」のように思っていて、そこからなかなか抜け出たがらないものなのです。自分の価値観に留まっている方が、安全で心地よいからです。
だから大抵は、違う価値観について「無関心」なのです。興味すら示さないのですよ。

私が「訴える側の方法の研摩や努力」を重視するのは、あくまでも聞き手の「自発的な興味」によってしか、聞き手は動かないと思うからです。
ですから、相手の「無関心」を「理解・尊重」まで高めようと思えば、「聞き手の立場」に立って考えてみることが必要であると考えるのです。

従って、「聞き手に義務がある」と言えるのは、その聞き手が「自発的に」価値観の違いについて関心を持ち理解しようとした時に、「聞き手自身がそう思う」ことであって、「話し手」が、それを「自らの方法の研摩や努力の必要性」を相殺するために用いることではないと考えます。
百歩譲って「聞く方に義務がある」ことがたとえ真実だとしても、その価値観にすら興味のない人には「どうでもいい」ことなんです。武力等の強制力でも使って相手を脅かしたりしない限りは… 

それ程「価値観の違い」は大きいものだと、私は思っています。




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