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反・反戦派の方々へ

548<未入力>:2003/07/05(土) 14:11
>>544
> 私が >>539 でぼーんさんにお聞きしたいと思ったのは、当事者というよりは、武蔵さんやぼーんさんや私といった、むしろ我
> 々のような「当事者ではない」人達や、「当事者の代弁者」の場合なんです。

怒りの表現の仕方がどうであるかはわかりません。が、ある。と思います。
その怒りに共感できるかどうかってのは、よく考えてみると、それが当事者だからか、というのとは違う理
由によると思います。その怒りに筋が通っていることが納得できれば、それは当事者によるものではなく
ても、理解できるものです。逆に、筋が通っていないものならば、それは当事者のものであっても納得い
かないでしょう。

だからまず第一に、その怒りの要求するものが筋が通っているかどうか。これがあります。

第二に。当事者とは誰か、何の当事者なのか、という問題。
今までのやり取りの文脈では、直接の抑圧・差別の被害者を「当事者」として想起しています。
しかし、それは狭い意味の「当事者」であろう、と僕は考えています。
抑圧される当事者。そして、その抑圧される人を見る者。
前者が当事者で、後者は違う、というわけです。
しかし、後者は、言い換えれば、「その抑圧を目撃するという苦しみを味わう「当事者」」なんですね。
これは瑣末な言い換えではありません。卑近な例にも見出すことができます。
たとえば、犯罪被害者の遺族。彼らは、「遺族となること」の当事者なのです。

もちろん、当事者であるかそうではないか、ということによって語り口や語る内容は変わります。
パレスチナにおける人権抑圧被害の当事者であるパレスチナの子供たちの言葉は身にしみました。
そして、その目撃者である日本人活動家の女性の言葉も身にしみました。
しかし、この両者の語り方は違うものでした。違って当然だと思います。

しばしば問題になるのは、抑圧の当事者の語りを、抑圧の目撃者が真似して語るケースですね。
これは、その語っている人の善意を疑うかどうかは別にして、端的に間違った語り口だと思います。
その意味で、いらぬ疑念を招く可能性が高いでしょう。何より、嘘で人を動かすことは、仮に目的ど
おりに人が動くとしても(この場合は)よくないと僕には思えます。

だから、当事者であるかないか、というよりも、「私は何の当事者であるか」をわきまえて、それを意識
しながら語ることが大事なんかな、と思います。


とはいえ、僕は圧倒的に聞き手の態度の方こそが問題にされるべきであり、それに比べれば、語り口
の少々の不手際など、小さな問題に過ぎない、とは言い添えておきますが。




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