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反・反戦派の方々へ
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え-、よく晴れたゴ−ルデンウイ−クにネットに向かってるのもネクラなんですが、時間のあるうち、ということで。
今更ですが、反・反戦派、まあ、戦争容認派、反戦懐疑派、いいかたはなんでもいいんですが、の方々の主張は、まとめるとこんなところでしょうか。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
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>>430-431
>>432
武蔵さん(いつもいつも、亀レスですみません)
今回もまた、感動したことを伝えてくれたようで、どうもありがとうございます。
これは私だけでなく、読者の方々に向けられたメッセージだと思いますが、お返事させていただきます。
> 私たちにとって在日は見えていない。
> 目も前に居るんだが見えていない。
> 世界の人にとって見えていない人が一杯いるんです。
> そういうことをまず自分が知ることが大事だと思いました。
同感です。私も「見えていない人を知る」ことは、とても大切だと思います。
それで、武蔵さんは「見えていない」原因は「現在では」どこにあるとお考えでしょうか。
魯迅の場合は、日本人学生の中国人に対する差別意識が、魯迅を目の前にしながら幻灯を見て笑うということに、何のためらいも生じさせなかったということでしょう。
ただその頃には、列強では植民地支配がありました。米国では黒人奴隷制度がありました。
人種や民族には優劣があって当然、と言った考え方がそこにあったと思います。
だから「我々よりも劣っている中国人」がそこにいようがいまいが、全然関係なかったのでしょう。
では、現在はどうでしょうか。
植民地支配はもうありません。奴隷制度もありません。人類皆平等が叫ばれている時代です。(ただしこれは、民主主義国家においてですが…)
差別の形は、もう少し複雑なものになっていると思うのですが、武蔵さんはどう思われますか?
魯迅の作品における日本人学生のような、意図的な差別主義を掲げる人達は、今でもおりますね。KKKとかネオナチとか…(もっとヒドイか…)
でも、これは少数派で、現在起こっている差別の大半は、別の所にあるような気がするのです。
私は、現在は「別の価値観に対する無知・無関心、もしくは想像力の欠如」から生じている方が多いと思うんです。
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481 つづき
一つは、「違う価値観」に対して、認識が全く無い場合ですね。
これは、した方は全く意識していないが、された方が差別を感じる…というものですね。セクハラなんかもそれに当たると思います。
例えば、
マリー・アントワネットが、貧困と飢餓で苦しむフランス国民について、「パンがないんだったら、お菓子を食べればいいじゃないですか」と言ったことや、
「ちび黒サンボ」が、子供の絵本として人気を博したことや、
昔のアメリカ西部劇でのインデアン役は、いつも滑稽でウスノロで笑いを取る役だった(しかもそれを白人が演じていた)こと等。
(現在のことを話しているのに、古い例で申し訳ありません)
これらは、差別する方には全然悪気はないわけですよ。
ただ「違う価値観」があるということすら分からないし興味もないから、相手も自分と全く同じ価値観を持っているんだと信じて疑わない訳ですね。だから本人は優越感とか差別意識を自覚していない…
「無知による残虐性」だと思います。
これに気付いてゆくことが、差別を少なくしてゆくことに繋がると思いますが、それを自分自身にさえ実行させるのはたいへん難しいですよね。
私自身も気をつけているつもりなんですが、まだまだだと思います。なんせ、自覚がないことなんですから。
セクハラをした上司が、女性社員から訴えられて初めて気付くように、誰かから指摘されたり、違う価値観に触れて、初めて気付くっていうことが多いです。
それを、他の人に気付いてもらうというのは、もっと難しいでしょうねえ。
どうしたらいいんでしょうねえ。
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482 つづき
次には、価値観の「違い」は認識しているが、充分な知識がないことから来る偏見や先入観がありますね。
「日本人はエコノミックアニマルだ」「ユダヤ人はケチだ」「ラテン人は信用できない」等々…
(偏見というと悪い意味ですが、このようなレッテル貼りは悪い意味だけではないですよ。「黒人は足が長い」「白人は色が白い」「アジア人は頭がいい」等々…)
ところが本当はそんなにシンプルではないし、国々や民族によって異なった傾向は見られても、一つの国や民族の中でみれば、これまた個人個人でも全然違いますね。
この場合では、価値観が「違う」ことは分かっていても、それ以上知ろうともしない。あまり関心が無いんですね。
だから○○人を見る時に、そういうレッテルに頼った色眼鏡で見てしまう…
また○○人の一人に会っただけで、全ての○○人がそうだとレッテルを貼ってしまう。
どの程度本人に差別意識があるかは人によって様々でしょうが、レッテルの内容が差別的であればあるほど、よりひどい差別になるでしょう。
在日の方々はそれに当たっていると、武蔵さんはお考えなのだと思います。
(またこのレッテル貼りは、差別される側の方にもありますね。
例えば「白人は、私達を絶対に差別している」といった固定観念を強く持っている黒人程、白人に取っては近付きにくいでしょう。だからコミュニケーションも生まれない…
差別される側も固定観念を無くして接していかなければならないんでしょうが、これは大変、大変、難しいと思います。血の滲む様な、本人の努力が必要でしょう。)
自分として考えられる、一般人に起こりやすい差別の原因は、だいたいこんなところかな、と思うのですが、他にありますでしょうか。
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483 つづき
自分が持っている価値観や文化は、ともすれば空気のように「あたりまえ」なものだと思いがちです。普段は意識しないことなんですね。
だから、他の価値観に触れないと、「違い」に気付かされることはなかなかありません。
いや、他の価値観に触れていることすら、気付かない場合も多々あります。(武蔵さんが指摘されているのはここですね)
また「違い」に触れたら、逃げたり、目をつぶってしまう人もいます。嫌悪感を示す人もいます。
「違い」に触れるのが恐くて、安全な場所に閉じこもっている人もいます。
こういう「違い」に気付き、理解するには、
1)違う価値観に真摯な関心を持って、自分の立場をちょっと離れて相手の立場になって考えてみる、想像してみる。
2)違う価値観について、より多くのことを知る。そして理解しようと勤める。
っていう、とてもシンプルなことから始まると、私は思うんですが、
興味を持たない人が「真摯な関心」を持つことはとても難しいし、
また実際に興味があっても、これらのことは、とても勇気の要ることだと感じています。
人間、自分の価値観や文化の中にいる方が、楽ですもんね。
武蔵さんは、他に「違い」を理解して偏見をなくしていくために、何かいい方法をお持ちですか?
(このスレとは関係のないカキコミになって、他の皆様には申し訳ありません。
それから、ぼーんさんには、後日改めてお返事させていただきます。なにしろ遅筆なもので…)
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