宮台: 抽象的に言うと、分断統治(divide and rule)の応用編ですね。記者クラブのメンバーとそれ以外の人たちを分けることで、記者クラブのメンバーに、下手をすれば、クラブから弾き出すとするわけです。今回、雑誌メディアと外国人特派員協会の記者には会見を開きましたが、ネットメディアとフリーの記者は排除されました。これでは、新しく入れた記者たちも、下手をすれば、外に弾き出されてしまうと思わせられてしまうのです。
記者クラブが伝統的に記者会見の主催が自分たちであることにこだわる理由は、元はといえばこの記者クラブの起源にさかのぼる。
もしぼくが権力者で、権力の濫用によっておいしい思いをしているとすれば、本当はできるだけ情報など公開したくないはずだ。しかし、民主主義とか言って、憲法だの情報公開法だの何だので、ある程度の情報は公開しなければならなくなったら、どうするか。そこで出てくるのが、有史以来世界中の統治権力の常套手段とも呼ぶべきdevide and rule、つまり分断統治だ。要するに、特定のメディアを囲い込み、そこに特権的なアクセスを許し、それを優遇する一方で、優遇しないメディアとの間で差別化を図る。権力にとっては不都合な存在になりかねないメディアをそうして分断するわけだ。そうすれば、優遇されたメディアは、一見特権を享受しているように見えて、実は下手をすれば特権を失う脆弱な地位に置かれることになり、権力の監視能力は著しくは低下する。また、特権を得て身近に置かれることになったメディアと統治権力の間には、本来権力をチェックすることが第一義的な責務であるはずのジャーナリズムにとっては、ありとあらゆる好ましくない性質が生じる。それは、癒着であり、友好関係であり、馴れ合い、談合、同胞意識、運命共同体意識、選民意識、依存、受け身の姿勢、取材をしない体質などだ。しかも、特権を得たメディアはメディア企業としては明らかに業界内で優越的な地位を享受できるため、企業としては大きく発展することになる。他方、特権から排除された雑誌やネットメディアやフリーランスを含む独立系のメディアは、ゲリラだの在野精神だのと強がってみても、記者クラブが壁となって政治、経済、社会のあらゆる分野の情報源への直接のアクセスが制限されてしまうため、結局のところ報道メディアとしても企業としても、新聞やテレビと比べれば、二流三流の地位に甘んじることになる。これもまた権力側からすれば好都合となる。