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マスコミ
721
:
名無しさん
:2009/10/10(土) 14:14:01
>>720
●岡田氏の英断
民主党が記者会見をすべてのメディアに開放したのは2002年。当時幹事長代理だった岡田克也氏が、日本の政府の記者会見が記者クラブのみに開放されていることで、政治とメディアの間にたちの悪い癒着を生じさせていることや、記者会見から海外メディアを排除することで国際社会から日本が理解されにくくしていることを悟り、自らの会見をすべてのメディアに開放したのが、ことの始まりだった。当時はまだ岡田氏が代表や幹事長などの要職に就く前のことで、岡田克也という名前もほとんど知られていなかったので、無名の幹事長代理が記者会見をすべてのメディアに開放すると言い出しても、誰も気にもとめなかった。その分、岡田氏の会見の開放に対して、メディアからの反対や抵抗がなかったことは、今にしてみれば幸いだった。
その後岡田氏が幹事長、代表と党内で出世していく過程で、それぞれのポストで記者会見を開放していったため、岡田氏が代表に就任した時点で、民主党のすべての記者会見がオープンになった。2005年の郵政選挙で民主党が小泉自民党に大敗を喫し、岡田代表が引責辞任をした後も、一度開いた記者会見の扉をもう一度閉めることは難しく、また閉めなければならない理由もなかったために、岡田氏の後を継いだ前原、小沢、鳩山の各代表の下でも、記者会見のオープン化は維持された。だから、実は民主党では岡田氏以外の幹部は、自分の党の記者会見がなぜ記者クラブ以外にも開放されているかについて、その詳しい経緯は恐らく誰も知らないに違いない。自分がその地位に就き、最初の記者会見に臨んでみたら、そこには既に記者クラブ以外のメディアも大勢入っていたといったところだろう。
しかし、今にしてみると、記者会見が開放になった経緯を詳しく知る必要はなかったにしても、なぜ記者会見が開かれていることが重要なのかについては、民主党のすべての議員にもう少し自覚的になっておいてもらう必要があったかもしれない。
なぜならば、民主党が政権の座についた今、閣僚や副大臣になった民主党の議員が、これまで党では当たり前のように行われていたオープンな記者会見を開こうとすると、役所の官僚からも、省庁に設置された記者クラブからも、ありとあらゆる弾が飛んでくる。ところが、どうも彼らは必ずしもその弾を躱すことができていないようなのだ。
飛んでくる弾というのは、例えばこんな具合だ。「大臣、セキュリティはどうするのですか。フリーの記者とか言って、どこの馬の骨ともわからぬ人を記者会見に入れて、靴でも投げられたどうするのですか」、「新たな通行証のシステムを構築するのに数ヶ月はかかります。おっと、そのための予算は今年度は計上されていません」、「記者会見場はキャパシティに限りがあります。大量の記者が押し寄せてきて大混乱に陥ると、会見が開けなくなるかもしれません」、「国会会期中の記者会見は院内(国会内)で行うのが慣例です。しかし、我が省がOKをしても国会の警務課がOKをしなければ、記者クラブ加盟社以外の記者は院内には入れません」等々。
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