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マスコミ

706名無しさん:2009/10/03(土) 12:57:55
>>705

古いメディアの慣習から
抜け出せない雑誌メディア
 そうした中で意外なことに、動きが鈍かったのは雑誌メディアであった。会見では週刊誌記者たちから質問が飛ぶことはなかった。中には、会見そのものに記者を出さない編集部もあったほどだ。

 なぜ、彼らは記者クラブ制度に風穴を開けるはずの象徴的なその会見に姿を現さなかったのか。

 結局、彼らも古いメディアの慣習から抜け出せないでいるのだ。正当に開かれた記者会見は、丁々発止が可能な権力との真剣な論争の場になることを理解できないのだろう。

 確かにそれも無理もないかもしれない。世界中で不断に行われているそうした記者会見を、過去に日本の記者たちは、記者クラブの存在のために一度も経験したことがないからだ。

 しかし、そうした記者クラブ形式の会見もきのうで終わった。これからは権力側にとっても、また、質問するジャーナリストの側にとっても、誤魔化しの効かない時代が到来するのだ。

 そもそもこうやって記者会見がオープンになることになったのも、過去の民主党代表の記者会見の席上で、私たちが政権獲得後の全面開放の言質を取っていたからだ。
http://diamond.jp/series/uesugi/10071/

 つまり、正式な記者会見での政治家の発言は、そのまま「公約」となるほど重要性が高いのである。

 ついでにいえば、雑誌メディアが積極的でなかったのは、これまで彼らもまた記者クラブ制度の恩恵を蒙っていたから、すなわち、もちつもたれつの関係にあったこととも無縁ではない。

 雑誌ジャーナリズムの一部が、記者クラブメディアの補完機関として存在してきた時代は確かにあった。だが、お零れのニュース、アルバイト原稿、伝聞のみで構成されるような誌面作りで許される雑誌の時代には限界が訪れている。雑誌メディアといえども、自らの足で取材し、責任を伴った記事を書かなくてはならないのだ。

 今後、立花隆氏のような取材をしない分析型のジャーナリストは存在することが難しくなっていくだろう。海外の記者会見がそうであるように、これまでと違って会見場自体も取材現場のひとつになっていくに違いない。
 きのうの会見でも、早速、その傾向がみられた。普天間基地移転問題、非核三原則、核密約、日米同盟におけるパッケージ論などのほかに、「岡田訪米特使」、「平野官房長官のメディア戦術」、「メディア幹部からの圧力」など、フリーやネットメディアの記者ならではの質問がいくつも飛んだ。

 こうしたことを続けていけば、遠くない将来、権力とメディアの健全な緊張関係も構築されていくはずだ。

 そうした意味からも、今回の岡田外相の決断は重要であった。

会見に姿を見せなかった
政治コメンテーターたち
 岡田外相は変わった。次に変わらなくてはならないのは、私たちのほうである。

 これまでのように、外相の回答のないままに記事化することは許されなくなった。少なくとも権力側が記者会見をオープンにしているということはそういうことである。反論の機会を与えずに報道することは、正当な取材ではないのだ。

 逆にいえば、記者会見をオープンにしていない首相官邸や他の省庁では、権力側は、反論権を自ら放棄したとみなすことができるのだ。よって原則として、質問も不要ということにもなるのである(もちろんそういう取材手法を採用するということではない)。

 それにしても、今回の岡田外相の記者会見開放において、もっとも残念だったのは、テレビで見る外交ジャーナリストや政治コメンテーターの姿が一切みられなかったことである。

 相手のいないスタジオでは、威勢よく好き勝手に外交を語っているが、真剣勝負の場となったきのうの記者会見場には足を踏み入れる勇気を持ち合わせていなかったのだろう。

 不健全なメディアシステムからの脱却を考えれば、記者クラブよりもむしろ、そうした人々の退場こそが急務なのかもしれない。


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