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聖典引用 板

3085「訊」:2014/10/24(金) 16:23:27 ID:???
>>3084つづき)


 さらには「表現の場を創ったのは神様じゃないか」と仰る人がいるかもしれませんが、まぁ、そう言って必ずしも間違いではない。この場合の「表現の場」というのは、ここ(頭を指しながら)で起っていることなんです。だから、肉体という表現媒体を与えてくださったのが神様だと解釈すれば、それは必ずしも間違ってはいない。しかし、我々が「この世界」という時には、ここ(頭)に入っているんであって、ここ(周囲を指しながら)にはないんですよ。私たちは、自分の周りの世界のことを「外界」と呼ぶことがあります。自分はこっち側にいて、向こう側に、外に広がる世界がある ―― というニュアンスです。しかし、そんな「外界」はない。この〝外の世界〟はどうやって知るかと言ったら、結局、感覚によって ―― 目と耳と鼻と口と皮膚の感覚によって得られた情報を脳が一つの〝作品〟に創り上げて、それを外側に映し出しているものですから、まぁ一種の〝幻灯機の映像〟を見ているわけですよ。そして、幻灯機だけだったら、音がしないし、感覚はありませんけれども、肉体という媒体には五官の感覚 ―― 色づけや匂いや動作も、すべて外へ投影できる。そういう装置があると思ったらよろしいと思います。
 最近テクノロジーの発達によって、視覚と聴覚に伝わる情報は、豊かなものを人工的に作ることができます。それから、今、実験中ですが、運動感覚や匂いなども、人工的に作ることができるようになっている。そういうようにして、五感をヘルメットのような箱の中で実験できる装置ができたら、私たちは、それによってできた世界を「外界」と呼ぶでしょうか?(笑い)それは外界ではなく、ニセモノの世界ですが、五感はすべてを動員しているので、本当にリアルに感じられる。それに近いものを、私たちは肉体を通して体験しているのです。「それは何のためか?」と言えば、「自分の神性・仏性を表現するためだ」というのが生長の家の解釈です。
 「罪のつぐないをするため」とか「悪業の報いを受けるため」というように解釈しよいうと思ったらできないわけではないけれども、それは「悪がある」という観点なんです。生長の家のように「悪はナイ」という観点から見ると、それは「失敗を修正していく過程」というように、積極的なところにポイントを置くわけです。そうではなくて、悪業を積んだ結果、その報いとして悪果を受けていくと考えると、「悪がある」という信仰になってしまう。
 しかし、「神の創造された世界に悪はない」というのが生長の家の信仰です。もし悪が神の創造だったら、「悪業」という言葉が妙なものになるんですよ。私たちの積む業に「悪いもの」があるという考え自体がおかしくなる。神の創造が「悪い」はずがないからです。また、本当に悪があるんだったら、私たちの存在自体が悪だとしたら、私たちは、悪を行なった時に、「ああ気持がよかった!」と感じるはずです。でも、そんな人は一人もいない。「これは私の本性ではない」というネガティヴな自覚を、「悪」と呼んでいるだけです。
 例えば、画家が女性の絵を描いているときに、ある箇所には本来、顔の部分だから肌色を置くべきだった。しかし、ちょっと手がすべって黒い色を置いてしまったとします。そんな時、「あぁ、これは良い作品になった」とは普通は思わない。そうではなくて、「あそこに間違ったものがある。だから気になってしょうがない。ああ、直したい」という気持が起ってくる。人間は「悪い」という言葉を、そういう文脈で使うんですね。「悪い」というのは、そこに「ふさわしくないものがある」という一種の違和感です。だからその違和感を除いてしまいたい、と思う。もし我々の本性が悪そのものだったら、悪に直面した時には、「あぁうれしい、魂が喜んでいる」と感動するはずなんです。しかし、我々の体験を思い起してみると、そんなことは決してない。事実はまったく逆である。ということは、私たちは善一元の世界から来た神の子であり仏だという証拠である ―― こう生長の家では考えるわけです。

(つづく)

3086「訊」:2014/10/24(金) 16:24:31 ID:???

>>3085つづき)

○なぜ神の子が病気や争いを心に描くのか

 次に、二つ目の質問です。「どうして人間は神の子であるのに、病気や争いを心に描いてしまうのでしょうか?」――
 時々、こういう種類の質問を受けることがありますが、それらは「なぜ神の子である人間が間違うのか?」という質問に帰結すると思います。これと似た質問は、「神の子だったら、なぜ罪を犯すのか?」「なぜ間違いを犯すのか?」「迷いがどうしてあるのか?」などいろいろあります。
 私は、こういう質問にお答えする時には、いつもこの字を書くんです。(と、黒板に「自由」と書く)。自由がなければ、善はどうしても表現できない。これは、私たちがよく知っている現実世界でも同じです。
 例えばある銀行に強盗が押し入り「お金を出せ」と言って、一番前のカウンターにいた女性銀行員にピストルを突きつけたとします。彼女がもし強盗が命じたこと以外の行動をすれば、生命の危険がある。だから、これは自由を奪うことです。自分の意志を相手に強制している。変なことをしたら撃ち殺すぞというのですから、脅迫によって自由を縛っている。こういう状態で、もしその銀行員が、お客の預金のうち何十万円とか何百万円を強盗に渡したとします。その場合、この銀行員の行動は「悪い」と言えるでしょうか?普通、それは常識でも日本の刑法でも「悪い」ということにはなりません。なぜなら、脅迫されて、意思の自由を奪われた中で行ったことは、「善い」とか「悪い」などと責任を問われることはない。それが普通の考えです。同じようにして、もし神様が「人間は絶対間違えず、迷うこともなく善を実行させよう」と考えて人間を創造されたら、善そのものを表すことができないんです。この論理はお分かりですか?善というものは、悪を選択する余地がある中で自ら選び取った時に、初めて成立するものです。
 もう一つ例を挙げます。ある所におっかないお父さんがいて、子供がいつもビクビクしている家庭があったとします。そんな家で子供が何でもハイハイとお父さんの言うとおりにやっていたら、そういう子を「よい子」と言えるでしょうか?私は、言えないと思います。幼い時は、そんな環境が一時的に必要な場合があるかもしれないが、そんな状態が長く続いては子供の善性は開発されない。そうではなくて、「自由にしていいから、好きなようにやりなさい」と言われた時に、自分で考えてとった行動が善い行いであった場合に、本当の意味で「よい子」として認められる。
 
(つづく)

3087「訊」:2014/10/24(金) 16:25:03 ID:???

>>3086つづき)

 生長の家では、神の本性は真・善・美であると説きますが、その中の「善」を実現するためには、自由が必要なのです。自由であるためには、間違った選択も与えられていることが必要なんです。
 このことは、生物学的にも言えることです。人間の脳は、自然の支配を最も受けにくい構造になっています。(脳の構造の概略図を描く)まず、脳の最も奥の中心部分には「脳幹と視床下部」というのがあって、その外側を二重三重の構造が覆っている・・・(脳の構造解説部分を割愛)・・・つまり、その大脳の内側には爬虫類や両生類がもっているのと同じ構造の脳があるんですが、外側を覆う大脳は、そういう爬虫類や両生類のような動きが自動的に出るのを制御する役割をもっている。これは、自動反応的に欲望が出てきた時に、欲望実現のための仕組みは整っているけれども、その上に覆いかぶさって、自分の意志で欲望をコントロールするための構造である。
 このことを見れば、まさに脳の構造そのものが、「いろいろな選択肢の中から正しいものを自分で選択する」ように出来ているのですから、人間は「自由である」のが特徴ということになるのです。しかし、大脳の新皮質が発達していない多くの動物には、自由がない。例えば、この間、春になって啓蟄を迎えると、土中からカエルが出てきた。彼等は温度と湿度の条件が一定の値になると、自動的に眠りから覚めて土の中から出てきます。そこには「もっと眠っていたい」などと思う自由はありません。また、土から出てきたら早速、相手を見つけて交尾することになる。ココにも自由はありません。人間以外に、神様は自由のない生物を数多く創っておられる。だから、それ以上のものを創造されようと思ったならば、それは神の定めた予定行動を自動的に繰り返す生物では足りない。〝自動機械〟はただ与えられた動作をするだけで、そこには善も悪もない。だから「自由」を与えれば「善」が実現するという、より高度な創造の段階にいたって人間が創造された。それが人間創造の意味なのです。
 だから、質問にもあるように、私たちは「病気」や「争い」を心に描いてしまう可能性をもちながら、そうでないものを描く選択をすることによって、この世の「善」が実現することになる。善を表現するためには、人間のような肉体をもったものが必要であるということです。だから、我々が「人間らしく生きる」ということは、「欲望のままに行動する」ということではないんです。時々それをはき違える人がいますけれど・・・・・・・・「人間らしい生き方」というのは、「眠くなったら眠り」「性欲が出たら発散させ」「食欲が湧いたらいつでも、どれだけでも食べる」なんてことじゃない。それとは全く逆である。

 我々はだから大脳の機能をしっかり訓練して、欲望は周囲の状況に合わせて適切に制御し、自分と社会の共存を進めていくのが本当です。欲望どおりに生きるのでは、両生類や爬虫類と変らないんです。まぁ、そういうことですね。

(2008年三月九日、大阪市の大阪城ホール)

3088a hope:2014/10/24(金) 17:35:56 ID:cEpBaIdo
>>3038 つづき

p14

法華経に「常不軽菩薩」という一章があります。

常不軽とは「常に軽んぜず」と書いてありますが、「われ常に軽んぜず」と、常にこの菩薩は如何なる人間を見ても、
たとえその相手が、どんなルンペンでも、やくざでも、或いは泥棒でも、強盗でも、殺人犯人であっても、
みんな其の人を仏の子として拝んだと云うのであります。

どう云って拝んだかと云いますと、「あなた様の実相は仏様でいらっしゃいます。
当来必ず素晴らしい仏の実相が顕れる方でございます」と言って拝んだのであります。

すると其の相手の男は、「なにッ、俺みたいなやくざが、何処が神の子じゃ!!どこが仏じゃ!!そんな馬鹿なことがあるものか。
いい加減な出鱈目を言って俺を言いくるめてごまかそうとする。けしからんやつじゃ」と言って、
石を投げつけて其の菩薩を傷つけようとしたけれども、然しその常不軽菩薩は、
投げる石のとどかぬ所迄行って又そのやくざを拝んだというのであります。

どんなに、相手が乱暴をはたらこうとも、「貴方様は本来仏様でいらっしゃいます。当来必ず仏の実相の顕れる方でございます」
と言って拝んだ。

これが菩薩たる者の生き方であります。

(つづく)

3089a hope:2014/10/25(土) 18:00:33 ID:cEpBaIdo
>>3088 つづき

p15

そして釈尊が仰せられるには、「こうして其の菩薩が、全ての人間の実相を仏であるとして拝んだ功徳に依って
彼は今釈迦牟尼如来として顕われているのである。自分がその菩薩であったのだ」とおっしゃったのであります。

この全ての人間の実相を神であるとして拝むことによって、その実相の完全さを顕わし、その完全さを確立する運動が、
生長の家の人類光明化運動で、その実践者が聖使命菩薩であります。

「神の子」と云い「仏」と云っても万教帰一的立場から謂いますと同じ事でありますが、
まず人間の実相と云うものは「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由と云い平等と云い人権と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い労働と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、目的の方向へ行くつもりで却って反対の方を向いて行くと云うことになるのであります。

東京から下関の方に行こうといくら思っても、実際に青森の方向を向いていたら幾ら一生懸命に汽車に乗って行っても、
飛行機に乗って行っても、下関に行くことは出来ないと云うことになるのであります。

だから最初に先ず、人間がどちらを向くかと云う事が大切であります。

その向く方向の根本が人間は「肉体」であるか「神の子」であるか、人間は「物質」であるか「霊的実在」であるか、
と云うその根本が定まらないでいて人権を主張するならば、人間は自由を求め、幸福を求めながら反対の方向に行くことがある。

例えば、人間とは快くないとか、苦しいとか、つらいとか、嬉しいとかと云うことを感覚に依って感ずる所の
本来の性質を有(も)つところの単なる物質的肉体である――と云う、そう云う前提のもとに人権を主張するならば、
人間はその本来の性質である肉体の要求するだけ能うかぎり快楽をむさぼり、自分だけの楽しみに耽り、
自分の感覚的な娯楽ばかりを自由不羈(じゆうふき)に追求することが基本人権である――という事にもなってまいります。

そこから、貞操になんの価値があるか、そう云う道徳観念は人間の肉体の快楽追求の人権を束縛するものであって憲法違反であると云う説も成立ったことになる。
(つづく)

3090a hope:2014/10/25(土) 18:14:47 ID:cEpBaIdo

>>3098 a hope所感)

<<まず人間の実相と云うものは「神の子」であり「仏」であると云うことを確立しないでおって、
「自由と云い平等と云い人権と云い民主主義と云い、世界平和と云い政治と云い、社会と云い労働と云い教育と云っても」
その根本が確立されておらなかったら、目的の方向へ行くつもりで却って反対の方を向いて行くと云うことになるのであります。>>

上のお言葉は、谷口雅春先生のお言葉でが、

「生長の家の教え」は、全ての運動の前提にこの「人間神の子」の自覚がくるのですね。
そうでなければ、雅春先生のご意志とはまったく違う方向へ行ってしまうということが書かれているのだと思いました。

みなさんのされている「生長の家の運動」は、どちらに進んでいるのでしょうか?

3091a hope:2014/10/25(土) 18:16:47 ID:cEpBaIdo
>>3090 訂正
>>3098 a hope所感)→(>>3089 a hope所感)

3092a hope:2014/10/26(日) 17:03:24 ID:cEpBaIdo
>>3089つづき

p17

或る進歩的文化人に云わせると、女性の貞操なんてものは、封建時代に、男性が女性を自分の〝持ち物〝 としておった時代に、
自分の〝持ち物〝 は誰にもさわらせたくないものだから、貞操と云うものを女性に教え込んで女性の第二の習性として飼いならしたものである、
処女性なんてものも何の価値があるか、あれは結局男が女を〝持ち物〝 にして楽しもうと思っていた時代の習慣の残りである。

例えば、自分が持ち物にしようとする場合に、人がさわった手垢のついた品物や着物では余り面白くない、
やっぱり持ち物は手垢のつかぬ、誰も使ったことのない新しいものがよいでしょう。

皆さんでも、ハンドバッグを買うのでも人の手垢で汚して居る品物を「これは幾らでございますか」「三千円でございます」
「こんな汚れたのが――」と思って、人様の使い古しでは嫌になる。

それと同じことで、処女性とか貞操とかが尊いと云うのは、結局、処女性とか、貞操とか、それ自体はなにも尊くはないのに、
それを男が女を〝持ち物〝 にするという観念からその新しさや、他の人の手垢のつかぬ純粋さが喜ばれるのである。

それ以外に何の意味もないのだと考えるのです。

こうして、人間と云うものを只の「物質」として、「持ち物」的立場から考えると処女性も貞操も、
奴隷として男から持たれた時代の観念であるから、そう云う観念を打破ることによってのみ
女性は真に解放されるのだと云う議論をなすのであります。
(つづく)

3093a hope:2014/10/27(月) 23:16:41 ID:cEpBaIdo
>>3092つづき

p18

これは一例でありますけれども、人間がその本質を「肉体」と見るか「霊的実在である」かと云う根本の人間観を確立しなければ、
人間の自由と云い、平等と云い、人権と云い、民主主義と叫んでみましても、此の肉体を人間としてみるか、
実相なる霊的実在を人間としてみるかによって、人間の生き方が全然アベコベを向いてしまうのであります。

憲法に定められているところに随(したが)って、人間は自由であると云っても、又哲学的唯物論に立って、
人間は自由である、人間は肉体的に快いことを楽しむように自由の本能が斯くの如く人間を規定しているのであるから、
その自然の快楽本能を満足さす為には何をやったってよいではないかと云う様な道徳的無視になるのであります。

実際、戦後の日本は占領軍の日本人の性的頽廃(たいはい)による日本弱体化の政策にあやつられてそれらのことが随分流行っているのであります。

その為に色々の弊害が起っていることは皆さんが既に御存知の通りであります。

その結果此処にも「生命の尊重が今日ほど激しく叫ばれた事はないに拘らず、今日ほど生命が無視されている時代はない」と指摘されている通り、
性的犯罪や、自動車強盗や、殺人や、自殺が今日ほど大量に流行している時代はないと云ってよいのであります。
(つづく)

3094a hope:2014/10/27(月) 23:21:35 ID:brQxC10.
>>3093つづき

 p19

人間の基本的人権の復活であるとか、自由の復活であるとか、平等の復活であるとか云いましても、
「人間とは何ぞや」と云う其の「人間」そのものの把握が間違っていると此のような結果になるのであります。

「人間」とは如何なるものであるかと云うその「人間」の理解が、単に人間を「物質」の偶然的結合として是(これ)を把握し、
単なる快楽本能・所有本能に左右される事が自然の権利だというような「肉体」として人間を把握(つか)んでいるから、
快楽本能・所有本能を満足せしめる為には人を殺しても好いなどと云うことになるのであります。

肉体として人間を理解せず、「霊」として「神の子」として、神の霊が今此の「肉体」と見える相(すがた)に
変貌して天降(あまくだ)っているのであると「人間」を理解することができた上で、
「今吾は何を為すべきか」と考えたならば、まさか女を強姦するとか、
わずかな金銭を奪うために自動車強盗をやるなんて、そんな見苦しい卑しいことは迚(とて)もやれない。

「神様が今天降って〝自分〝 として顕現している」と思ったら、人間の行動はおのずから神聖になるのであって、
ただ肉体の快楽を貪(むさぼ)る金を得るために、自動車運転手を後から殴りつけて殺したり、
ドスで刺して殺すなどと云う「生命不尊重」の行動が出来る筈がない。

それに反して人間を単なる「肉体」であると考えるならば、斯うも考えられる、
「彼れ運転手と云う者はただ単に物質が結合して斯くの如く機械的に動いているものである。
彼れの心の動きと云うものは物質が或る配合をして結合した場合にあらわれている作用に過ぎない。
あれが死んだからと云って物質が結合していたのが離れただけであるから、これは別に殺生というわけではないのである。
彼等はこれから何年間自動車運転手として、人生の苦しみを苦しまなければならんかも知れぬのに、
今此の物質的結合を一瞬の苦しみによって分離させてやったら、彼等はその無駄な長い苦しみから解放されるのである。
そうすると、自分もまた金を奪うことによって肉体に快楽が貪(むさぼ)られるし、
運転手もこれからの人生の苦しみを逃れることが出来る、これは一石二鳥と云うものである。」

泥棒にも三分の理があると云う諺(ことわざ)がありますが、斯のようにハッキリと推論しないにしても、
かれが唯物論である限りに於いて、人間は物質が偶然集合して出来て居るのであると考え、
如何に基本的人権の平等であるとか、自由の平等であるとか云っても、その生命を充分尊重し得ない事になるのは当然であります。
(つづく)

3095a hope:2014/10/27(月) 23:23:48 ID:cEpBaIdo
>>3094つづき

p21

それですから真に人権を尊重し、その自由と平等との基礎を確立しようと思ったならば、
「人間は神の子である」と云うところの根本を把握せしめなければならないのであります。

戦後、殊にこう云う混乱が起こって来るのは、爰(ここ)に示されている通り、
「人間が人間でありながら人間なるものの本当の相(すがた)を見失っている所から発している」のであるから、
其の事実を見つめなければならないのです。

爰(ここ)に「機縁は」とあるのは、皆さんが、生長の家に入って来られるその「機(はずみ)」になった「縁(えん)」と云うものは、
「生老病死」即ち、生活の苦しみや、老いる苦しみや、病の苦しみや、将又(はたまた)、
死の恐怖と云うものが機縁になって入って来られたかも知れぬけれども、その入信の機縁は「生老病死」のいずれであろうとも、
「必ず人間神の子の自覚の確立に、導いて行くことが光明化運動の本旨(ほんし)である」その事を自分だけ知ったら足れりと云う訳ではない。

他の人をも、その本旨を悟るように導いて行くのが菩薩としての愛行であります。

だから、この最後の所にどう書いてあるかと云うと、「……光明化の本旨であることを互に明らかにし合わなければならない」と書いてあるのです。

「互に明らかにし合わなければならない」――明らかにし合うのであって、自分だけいいと云うのではなくて、
互に「人間は神の子である」と云う実相を把握せしめる事こそ人類光明化運動だと云うことを、
相互扶助して明らかにし合わなければならないと示されているのであります。


それじゃあ人間神の子の把握をしっかりしなければならんと云うが、
その人間神の子の自覚とはそもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならないと云って次に説明してあるわけです。――

(第三条 についての雅春先生のご解説、終わり)

3096a hope:2014/10/30(木) 17:52:29 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第一章 人類光明化運動指針の解義 

p22 後から1行目〜

【第四条】 生長の家の各員は「人間神の子」の自覚とは、そもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならない。
神の無限生命の当体と云い、神の最高の自己実現でると云う自覚は、「一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではないのだ」と云う覚悟に徹しその覚悟を徹頭徹尾生き切る事である。諸悪不幸のすべては責任を他に転嫁するところから始まる。家庭も環境も運命も社会も政治も国家も世界も、隣保班の事も青年会の事も白鳩会の事も相愛会の事も県連の事も、光明化運動の消長も立教の使命遂行も、すべてみな自分以外の他の何人の責任でもなく、自分自身の日々念々の思いと祈りと行動のうちに在るものであり、一切の衆生が残らず救われてしまわなければ「吾れ正覚をとらじ」と誓われた御仏の心、即ち自己を一切者とする自覚の発動こそ真に人間神の子の自覚の証左である。さすればすべては自分の心の影となり、吾れ祈れば天地応え、吾れ動けば宇宙動くものなる事をよくよく思い知るべきである。

3097a hope:2014/10/30(木) 17:53:30 ID:cEpBaIdo
>>3069 つづき

(第四条・雅春先生のご解説) p23 後から1行目〜

この第四条に於いては、「人間・神の子の自覚」とは如何なる内容のものであるかと云うことが書かれて居るのであります。

それは、今読みました所で明らかであります様に、「自己を一切者とする自覚」と云うのであります。

爰(ここ)には、単に「神様が私を生んだから、私は神の子だ」と云う漠然とした宗教感情だけに止まらず、哲学的にそれが解明してあるのであります。

即ち、自分というものは只(ただ)の個人だと云うようなものではなくて、「自分は全宇宙を包容するところの実体であって、自分は全てである」と云うこの大自覚である。

これこそ本当に「自分自身に深切であれ」と云うことであるわけであります。

「自分自身に本当に深切である」と云うことは、自分の責任を回避すると云うことであってはならない。

責任を回避しなければならぬような小さいものだと「自分自身」を思うことは、自分を侮辱していることであり、自分に深切をしていないと云うことになるのであります。

だから自分を一切者とする此の自覚の発動こそ真に「人間・神の子の自覚」の証左であるのであります。
(つづく)

3098神の子さん:2014/10/30(木) 17:54:45 ID:cEpBaIdo
>>3097 つづき

p24 後から2行目〜

ところが、これとは反対に「環境が悪いから、制度が悪いから、政治が悪いから、人間は幸福になれないのだ」という人が多くある。

きくところによりますと、共産党の人なんかが、貧しい人の家などを訪問して行って、「君達が貧乏しているのは政治が悪いからである。経済が悪いからである。国家が悪いからである。こう云う政治家を倒し、天皇制国家を潰して、人民のための人民の政府を建てなければ、人民は決して幸福になれないのである」と言って、凡(あら)ゆる人民の不幸を「人民の政府」が樹立していないからである、と人間の責任回避癖(せきにんかいいへき)の盲点を衝いて説くのであります。

そうすると国民の多くは、特に無産階級の人は「成程そうか」と思いまして、「私が貧乏をして居るのは政治が悪いんだ。日本国家が悪いんだ。天皇制が悪いんだ。若し天皇制国家がつぶれてソ連みたいになったら、日本の人民は、余程金持になれるんだろう」と虫の好いことを思う人が出来て来るのだけれども、実際、ソ連に行ったり、中共にいったりしてその実際の農民の生活状態を見てきた人の話によるならば、彼らの多くは日本の農民の充分の一位の低い生活程度をしているのであります。

それでも過去に帝政ロシアや、支那(しな)の督軍(とくぐん)などに搾取せられていた時代の農民よりも余程よくなっているので、彼らの国民がそれで満足して社会主義を謳歌するのは、それはそれでよいのでありますけれども、日本の農民と比較すると彼らの国の農民は余程低い生活をしている。

それにも拘らず日本の農民は、社会主義国の農民よりもひどく搾取せられていると云うそう云う宣伝にのせられるのは何故かと云うと、「人間・神の子」の自主的自覚がなく周囲のものが我々を不幸にするのである、などと云う「責任回避」の物の考え方をしているからであります。

周囲に一切の責任をなすりつける考え方は「人間・神の子」の自覚ではなくて、「人間は恰(あたか)もメリケン粉で焼いた太鼓饅頭みたいに、周囲の型にはめられてその型の通りになるしか仕方ないものである」と考えるところの唯物論であり、自己劣等感に過ぎないのであります。

わたしたちが本当に幸福になるためには、自己劣等感を克服して「自分はどう云う環境に置かれても自由自在である」というところの、自主的存在だと云う自覚を得なければならないのであります。
(つづく)

3099a hope:2014/10/30(木) 18:05:33 ID:cEpBaIdo

>>3096>>3098 a hope 所感)

この章には、たいへん重要な事が書かれていると思いました。

<<神の最高の自己実現でると云う自覚は、「一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではないのだ」と云う覚悟に徹しその覚悟を徹頭徹尾生き切る事である。>>

要するに、「神の子の自覚」とは、「一切者の自覚」にほかならないということが述べられているのだと思います。


<<周囲に一切の責任をなすりつける考え方は「人間・神の子」の自覚ではなくて、「人間は恰(あたか)もメリケン粉で焼いた太鼓饅頭みたいに、周囲の型にはめられてその型の通りになるしか仕方ないものである」と考えるところの唯物論であり、自己劣等感に過ぎないのであります。
わたしたちが本当に幸福になるためには、自己劣等感を克服して「自分はどう云う環境に置かれても自由自在である」というところの、自主的存在だと云う自覚を得なければならないのであります。>>

ここに、「自己劣等感」という言葉が出てきました。

この言葉、最近どこかで聞いたことがあるな〜?と思いましたら、先日web誌友板でのある「神の子さん」のご発言でした。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4573


「一切者の自覚」が「神の子の自覚」で「周囲に一切の責任をなすりつける考え方」が「自己劣等感」だとあります。

これは、確かに「神の子の自覚」があるかないかの証左になりそうですね。

わたしは、人間・神の子が基本真理の「生長の家」教団のトップに立つ谷口雅宣総裁が、
まさか、この「一切者の自覚」つまり「神の子の自覚」がなくて、一切の責任を他人になすりつけるような、
自己劣等感をお持ちのお方であるとは信じられません。

きっと、雅宣先生は、「生長の家総裁」として、聖典裁判はじめ信徒の大量脱会等、
数々の「生長の家」で起きている諸問題の責任を、「一切者の自覚」をもって感じていらっしゃると拝察しています。

3100流氷:2014/11/01(土) 09:18:54 ID:LyU7SE0.
   民意とメディアと政治は、三位一体

森)皆さんの意見を聞きながら、ふと思いついたことがあります。かつて今と似たような雰囲気があった時代
のことです。もちろん僕はリアルタイムには知りません。あくまでも本などで読んだ知識ですが、日本が国際連盟を
脱退した時代が、今の時代とデジャ・ブのように重複します。

司会)A級戦犯の一人でもある松岡洋石は、日本代表団の首席全権として出席した国際連盟総会で、満州国建国を認めないとの
決議を出されたとき、四五分にわたる連盟決別の演説を英語で行ってから、最後に「さようなら」と日本語で言って、堂々と退場したと
言われています。これをきっかけに日本の軍国化が加速したとの見方もあります。

森)でもね、実のところ松岡は会期中に、「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、あえてこれをとらずに」と日本政府に打電しています。
つまり彼自身などうやら、脱退はまったく考えていなかったようです。この少し前に、日本の新聞一三二社は、共同で宣言を発表します。
内容は満州国の正当性を主張するとともに、「満州国非承認と連名で決議されたとしても、これを受諾しないように」と
日本政府に迫るものでした。同時に新聞各紙は記事においても、連盟から脱退すべしと国民に訴え続けています。

C)朝日新聞もそんな主張をしていたんですね。なんだか意外。

森)最後の演説でも松岡は、日本政府や満州国の正当性を主張はしているけれど、脱退するとはひと言も言っていません。
ところがこのときの朝日新聞の見出しは、あの有名な「連盟よさらば!連盟報告書を採択 わが代表堂々と退場す」。本文では
「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は初めて、『我は我なり』という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」とも書かれています。
当然ながら国民はこの記事に熱狂し、そうした世相を背景に、日本政府は国際連盟脱退を通告し、帰国した松岡は国民的英雄として迎えられます。

D)じゃあ、連盟脱退を煽ったのは、朝日新聞をはじめとするメディアだったわけですか。

森)そのとおりなんだけど、忘れてはいけないのは、メディアも政治も民意の合わせ鏡であるということです。
つまり新聞は国民の主張や願望を反映したとの見方もできる。そう考えたとき、仮にいま安倍政権が諸外国に対して強気の外交を
行っているとしても、その理由は、強気にならないと支持率が下がるという危機感があると考えたほうがいいと思う。
つまり強気になったのは安倍政権ではなくて、この国の民意です。そもそも安倍さんの今の人気は、拉致が明らかになった北朝鮮に対して、
強硬な姿勢を示すことで始まりました。強気に出たほうが国民は支持する。そう考えたとしても不思議はない。

A)ブッシュ政権を見習った可能性もありますね。

D) じゃあ、そもそもの要因は民意だということになりますか。

森)ただしその民意は、メディアによって大きな影響を受けながら形成されます。
でもメディアも民意に誘導される。先ほど満州事変後の状況を説明すれば、新聞は当初、軍部の
大陸進出に対して批判的でした。でも部数がどんどん落ちる。それで強硬な方針に換えた。
満州勃発から数ヵ月後、「国家重大事なのだから、なるべく軍部を批判するような記事は載せない」と決めた
朝日新聞重役会議の議事録が残っています。

 この朝日の変節について、右翼からの圧力があったとの説もあったけれど、むしろ圧力よりは自主規制だろうと僕は思います。
要するにメディアも民意によって造形されていると言えるわけで、.....悩ましいですね。民意とメディアと政治は常に三位一体、三つ巴なんです。

  『アは「愛国」のア』 森達也 著

3101管理人:2014/11/01(土) 09:23:45 ID:HLm/peec

>3100 と、今のこの投稿の削除をお願いします。

3102a hope:2014/11/01(土) 21:36:06 ID:cEpBaIdo

>>3098 つづき

p26 後から5行目〜

世間には往々、資本主義制度があるが為に人民は貧乏になるのだと云う風に屁理屈を言う人がありますけれども、
決してそうではないのであります。

アメリカでも自動車王として世界第二の富豪になったフォード自動車会社の創立者であるヘンリー・フォード第一世は、
資本主義制度に於ける一介の鍛冶屋さんの職工であったのであります。

資本主義下においては、職工は何時までも職工で終らなければならぬと考えて居ることが、
「人間・神の子」の自覚がないわけであります。

資本主義の世界においても職工さんが、世界で三番目位の金持になれる機会は幾らでもあるわけであります。

戦後で日本一の富豪になった松下電器産業の松下幸之助氏は、手工業的に塑(ね)り物で電灯のソケットを製造販売していた
手工業の半職工的商人であつた。

資本主義制度だから一介の工員から富豪にならないと云う事はない。

資本主義化の世界は大衆によろこばれる物を作るものが忽ちにのし上がる機会の多い世界である。

美空ひばりや江利チエミは歌の口真似から出発して大衆に喜ばれた為に、忽ち毎年千万円以上も収入のある歌手にのし上がった。

ソ連で帝王の如くなったスターリンも鍛冶屋だったか靴屋さんだかの子であったそうだが、
ともかくどんな制度においても、どんな境遇におっても、伸びるものは伸びるし、伸びないものは伸びない。

戦後の日本では大抵既成財閥は解体になり、固定資産税や財産税で殆ど財産はみな召し上げられ、
土地を無代(ただ)同様の値段で買上げて細分せられ、旧財閥や特権階級の人は、斜陽族の〝なれの果て〝 みたいなのに大抵なった。

斯うして戦後の日本人は、戦後最初の富の出発点は大抵似ておった。

どんな戦前の金持も同じ位の経済的レベルに落とされ、財産は殆どみんな税金にとられて、
三万円以上はみな没収みたいに封鎖せられてしまった。

そして、手と身(からだ)だけの其処からでも、新興財閥として伸びて来る人はぐうっと伸びて来ているのである。

むろん、何時迄も下積におる人もあるんだけれども、資本主義下では実力のある伸びる人は伸びる機会がある。

だから自分が貧乏をして世間を呪っているのは制度が悪いからと云うんじゃなくて、自分自身の自覚が足りないからであります。

どんな制度の下に於いても、賤しき貧しき家に生まれながらでも、「神の子・無限力」の自覚をもつものは
其処から伸びることも出来るわけであります。

封建時代にでも、豊太閤(ほうたいこう)みたいな人は百姓の倅(せがれ)から最高の栄誉ある地位にのぼった。

どんな制度の世界に於ても伸びる者は伸びるのに、自分が伸び得ないことを制度が悪い環境が悪いなんて考えて、
自分自身の責任を回避して、他を呪うのは間違いであります。

3103a hope:2014/11/01(土) 21:37:33 ID:cEpBaIdo

>>3102 a hope所感)

<<だから自分が貧乏をして世間を呪っているのは制度が悪いからと云うんじゃなくて、自分自身の自覚が足りないからであります。
どんな制度の下に於いても、賤しき貧しき家に生まれながらでも、「神の子・無限力」の自覚をもつものは
其処から伸びることも出来るわけであります。>>

わたしはこうも考えられると思いました。
つまり、「神の子・無限力」の自覚をもつものは、どんな組織に属していてもいなくても、どんな運動をしていてもいなくても、
伸びない人は伸びないし、伸びる人は伸びるんだな、と。

だって、「神の子・無限力」の自覚を得るためにすべきことは「三正行」以外ありませんものね!

3104SAKURA:2014/11/02(日) 21:33:23 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
>>2809>>2812>>2820>>2821>>2827>>2839>>2840>>2842>>2848>>2853>>2856>>2860>>2866>>2867
>>2871>>2881>>2890>>2891>>2898>>2905>>2907>>2908>>2909>>2910>>2915>>2918>>2931>>2932
>>2933>>2940>>2946>>2947>>2953>>2958>>2959>>3038>>3045>>3049>>3051>>3054>>3056>> 3071 
の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その4―【 転載編 ―】*=======*=======*

■かかる場合、毅然として起って、全従業員の不安、焦燥、恐怖の心を去りうるところ
の偉大なる首脳者が顕われ、事業をして従事せる全員に平和と明朗と前途の楽観を与えう
る場合には、没落せんとしたその商社も運命を回復することができるのであります。この
時、事業の首脳者にして、商勢を挽回せんとて憂い悲しみ、従業員の欠点のみを見、その
欠点を直早そうとして短気と焦燥とに駆られる時には、頽勢はかえって挽回するに由なく、
股昿と頼む忠実なる人たちは彼を見捨て去り、有為の雇員(こいん)は背き去り、顧客(こかく)
は続かず、終にさしもの繁栄を誇った商社も没落してしまうのであります。

これは現象に捕らわれて、一時の暗黒を実在だと思い、心に強く欠点と暗黒を描いた結果
であります。欠点と暗黒とはあるように見えても本来ないものでありますから、心に描か
ずに捨て置けば消えるのであります。美点と光明とはないように見えても本来実在なので
すから、心が執われなくなったときその本来のある姿があらわれてくるのであります。だ
から生長の家家族の祈願には自他の悪を云為する時間があるならば、神を想い、完全を
想い、自己の新生と生長とを努めるようではないかと書いてあるのであります。

 商売の衰頽も肉体の病気も「不調和の心」の顕われですから、「不調和の心」に「不調和の
心」を追加しているようなことでは、それを回復することはできないのであります。不安、
焦燥、恐怖で平和を失っている状態に、さらに憤怒と憎みと欠点暴露をもってするのは、
火を消さんとして火に油を注ぐようなものであります。七つの「迷いの心」が起こってきた
ときには、七つの「自覚の心」で相対すべきであります。

               つづく
❤〜SAKURA

3105a hope:2014/11/03(月) 21:08:54 ID:cEpBaIdo
>>3102つづき

p28 後から3行目〜

私が諸方へ講習に行きましても、時々こう云う弁解をされる地方がある。

「ああ農繁期でございますからどうも人の集まりが悪いのでございます。」そうかと思うと、
「祭日とかち合いましたので、人がその方へ行きまして、講習会の集まりが悪いのでございます。」

あるいは「雨が降りましたのでどうも人の集まりが悪いので御座います、」などと、
責任を農繁期や祭日や雨天に課して、自分の努力の不足にアリバイをつけようとする人がある。

ところが、或る農村に講習に行って雨が降ったときに、「先生、今日は雨が降りまして有難うございます」とお礼を言われたこともある。

そう云う所では「雨が降ったので百姓が野良にでられないから、野良にでるかわりに、
この講習会に集って来るのでございます。神様有難うございます」と喜ばれるのであります。

それなのに、口実をつけるところは、「雨が降ったから人が集まり難いのであります。もしお天気なら、もっと集っとったんでございます」
まあそう云うように理屈をつけて自己弁解する。

その自己弁解をするようでは、この自らの主人公であるところの自覚が足りないのであると言わなければならないのであります。

(第四条についての雅春先生の解説終わり)

3106a hope:2014/11/14(金) 08:41:51 ID:cEpBaIdo

☆ 新版 菩薩は何を為すべきか  谷口雅春先生・谷口清超先生共著 ☆

第一章 人類光明化運動指針の解義 

第五条 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承(う)け継ぎ語り継いで来た「命(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成(げんじょう)にほかならない事を明らかにすべきである。

日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)として把握し、その「中(みなか)」への中心帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本の国家の発展は、天皇の人民支配の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の精神である。

この真理の現成の大まつりごとに、神の子としての命(みこと)として自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。

単に自分の祖国のみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑚仰(さんぎょう)してやまず、この国の神の子国民として生を享(う)けしめられた所以の深さに感泣(かんきゅう)し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。

3107a hope:2014/11/14(金) 08:43:18 ID:cEpBaIdo

>>3106 a hope所感)

この第五条には、わたしが理解しなければいけない日本国に「生長の家」の出現した本当の理由、
つまり「鎮護国家」がなぜそれほどにも大切なことなのかが述べられているのではないかと感じています。

これから、雅春先生のこの第五条のご解説を丁寧にお勉強していきたいと思います。

3108もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 19:22:17 ID:sJIV9CK.
a hope さま

一つ前から聞きたかったのですが、この掲示板で、何を求めていらしゃっているのですか?


自己満足の暇持てあましの、お勉強ですか?

3109もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 19:25:03 ID:sJIV9CK.
この真理の現成の大まつりごとに、神の子としての命(みこと)として自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が実相の成就である事を明らかにすべきである。

謹舎慕って、意味わかってんいっしょ? ぶっちゃけ。

3110トキ:2014/11/14(金) 20:00:39 ID:NbEVi5/s
>>3108

 管理人としては、a hope様のご投稿は、掲示板の目的に沿うものであり、
内容も素晴らしく、歓迎しております。継続してのご投稿にも感謝してお
ります。

 教団がこうなった以上、掲示板での勉強は大きな意味があります。

 a hope様におかれましては、今後も継続して、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3111a hope:2014/11/14(金) 20:34:30 ID:cEpBaIdo

>>3108 春さま

わたしは、この掲示板でお勉強させていただくことで、
何が本当の生長の教え(真理)なのか自分自身で明らかにしていきたいと思っています。

そして、自分自身が真理を悟って幸せになりたいというのも勿論ですが、
自分が悟ることで、周りの苦しんでいる人々を救えるような人間になりたいのです。

ですからわたしがこの掲示板でお勉強させていただいているのは、
自己満足といえば自己満足かもしれませんが、「生長の家」の教えを体得して、
人類光明化運動を展開していきたいという大きな夢のためでもあります。


とても申し訳ありませんが、>>3109のご質問の意味はよくわからないのでお返事ができません。

ところで、春さまはどうしてこの掲示板に書き込みをされているのですか?

3112a hope:2014/11/14(金) 20:35:13 ID:cEpBaIdo

>>3110 トキさま

コメントありがとうございます。
これからも、自分のペースでお勉強させていただきます。

感謝 合掌。

3113もうすぐ冬だけど春:2014/11/14(金) 21:11:27 ID:ng3olj7k
この真理の現成の大まつりごと


意味、分かりますか?

神の子としての命(みこと)として

この意味分かっていたら、鎮護国家はずし意味が理解できますか?

自己の責任としてまつろい奉(たてまつ)る事が

これは貴殿が書かれた"できることをまずしよう"でいいと思われますが、
この先は、
何を目指しているか、お考えですか?

人類光明化運動を展開していきたいという大きな夢のためでもあります。

この為の方法が、
掲示板でお勉強させていただいているの

では、全然話にならない、足りない、ともうい上げているのです。

3114トキ:2014/11/14(金) 21:49:06 ID:NbEVi5/s
>>3112

a hope 様

 お返事、恐縮します。今後ともご投稿を期待しております。
頑張ってください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3115a hope:2014/11/14(金) 22:02:56 ID:cEpBaIdo

>>3113 春さま

人類光明化運動指針第五条の条文だけを読んだのでは確かにその意味はよく理解できないかも知れませんが、
「菩薩は何を為すべきか」には、各条文の後に、雅春先生が「人類光明化運動指針の解義」として、
その内容を詳しくご解説してくださっているのです。

ですから、これからそれを謹写しながらお勉強して行こうと思っているのです。
丁寧にお勉強して行けば、こんなわたしにも「鎮護国家」の重要性が理解できるような気がしています。


現実の春さまがどのような方で、どのような運動をされている方なのかわたしは知りません。

ですが、春さまもわたしのすべてを御存知ではないですよね?

この掲示板の管理人さまであるトキさまがお許しくださっていますので、
わたしはわたしのやり方でこれからもお勉強を進めさせていただきたいと思います。

ご理解くださるとありがたいです。

3117もうすぐ冬だけど春:2014/11/15(土) 09:00:22 ID:EAWJz.aM
丁寧にお勉強して行けば、こんなわたしにも「鎮護国家」の重要性が理解できるような気がしています。

失礼ながら、到底無理と考えています。

丁寧にお勉強すれば。。のレベルでなく、当たり前の事が当たり前に感じられる【感性】とでもいうべきものが必要で、今後も貴殿のお好きなように書かれて行く事は大事にしたいと考えますが、

1+1=2
が分からない人が、謹写していても、しないよりはましな程度で、
1+1=10になるという(たととえですが)は、永遠にたどりつかないでしょう。

献労と愛行が欠けているからではないですか。

初心者様が言った、インターネットで真理が分かるなどあり得ない、と言うのは、事実と思います。

3118a hope:2014/11/15(土) 09:11:02 ID:cEpBaIdo
>>3117 春さま 信仰/体験板にお返事させていただきます。

3119a hope:2014/11/15(土) 09:14:45 ID:cEpBaIdo

(第五条 雅春先生のご解説)p31

ここは非常に重大な一節であります。民主主義かぶれのしている人には解するのに難しいところであります。

生長の家は「人類光明化運動」と云うから人類を愛したらいいのであって、日本の国なんかどうだっていいじゃあないか、と考える人があるかも知れませんが、決してそうじゃあないのであります。

皆さんは日本民族の一員として日本人として生まれた。その事実に立脚して生きている以上、日本民族と云うものは如何なる自覚を持ち如何なる使命を持って此の地上に誕生したのであるかと云うことほど重大な問題はないのであります。

古代の日本人は全て何某(なにがし)の命(みこと)、何某の日子(ひこ)、何某の日女(ひめ)と云うように自分自身をも呼び、他の人をも尊称して居りました。

日子とは即ち天照大神の御子(みこ)という意味であり、日女とは即ち天照大神の女(むすめ)という意味であり、すべての人間は命(みこと)であったのであります。

命とは即ち「神の生命」そのもの、それが天降(あまくだ)って来たのが人間であると云う、そう云う魂の自覚をもって日本人は日本民族の歴史を作ってきたのであります。
(つづく)

3121トキ:2014/11/15(土) 19:01:43 ID:kJfjg7Wc
「白鳩」昭和48年3月号 14pより、謹写

<<10日の箴言 迷霊には問答打ち切り宣言が早いほどよい>>  谷口雅春先生


 イエスもヨルダン河で40日40夜断食水行して自分の心を潔めようとしているときに「自己とは別の
世界に棲む迷霊サタン」があらはれて来て問答しているのである。この迷霊とイエスとの問題は、頭に
ブリキのバケツを被って迷霊の言葉をアースして避けようとした人のようには、その迷霊に、長くはかか
はり合っていないのである。迷霊との問答は、長くかかはり合っていると、人間を翻弄して楽しみたいの
が彼ら迷霊が人間に話しかける動機であるから、いつまでもその迷霊がねばりついて間断なく話しかける
ため人間の方がノイローゼになってしまう。イエスと迷霊サタンとの問答は極めて簡潔にして、イエスは
「去れ」といって、迷霊を突き放しているのである。

サタンーなんじ若し神の子ならば、命じて此等の石を変じてパンとなせ。
イエスー人の生くるはパンのみにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る。
サタンーなんじ若し神の子ならば己が身を下に投げよ。若しなんじ神の子ならば聖書に録された如く
    「神はみ使いたちに命じて、彼らの手にて汝を支え、その足を石にうちあたることなからしめん。」
イエスー「主なる汝の神を試むべからず」と聖書には録されている。
サタンー汝もしひれ伏して我を拝せば此れらの栄華を皆なんじらに与えん
イエスーサタンよ去れ。聖書には「主なる汝の神を排し、ただ之のみに事ふべし」と書かれているでは
    ないか。

 この簡単な会話によってイエスは迷霊が、言葉を弄して、彼にからみついて来るのを突き放しているの
である。これは若し諸君のうちに誰かに迷霊がかかって来て愚弄しようとするとき、簡単にそれを突き放し
てしまって、今後話しかけても取り合わないようにすれば、それ以後は迷霊は沈黙してしまうという実例で
ある。

3122SAKURA:2014/11/15(土) 22:31:16 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3104の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その5―【 転載編 ―】*=======*==

■不安、焦燥、恐怖が起ってきたときには、不安に思うまい、イライラすまい、焦るま
い、恐れるましと思ってそれを抑圧してもたいてい駄目であります。

不安に思うまいと努めれば努めるほど不安になり、焦るまいと思えば思うほど焦り出し、
恐れまいと恐怖を抑えれば恐怖し出すのがわれわれの心であります。それは「不安を……」
と思ったときにすでにわれわれは「不安」を心に描きますから、心に描いたものが強く現わ
れるのが心の法則でありますから。
「不安を……抑えよう」と思ったのでは不安は決して無くならないのであります。

「不安」を無くするには、「不安を……」とすら考えないで、全然別なる完全なる状態に
心を集中しなければならないのであります。すなわち、この時こそわれらは、「神のように
努めなければならないのであります。

その方法の一つとしては、神想観を行なうに当たって招神歌(かみよびうた)を誦(とな)え
終わると次のように念ずるのがよろしい。

「自分は神の子であるから、本来神と波長の合った心の波動をもっているのである。神
と波長の合った心の波動をもっている自分はただ神の大調和の念波を受けるだけであっ
ていかなる不調和の念波をも受けることはないのである。我は神の子であり、我が環境
は我が心の影であるから、我が環境は今現実に大調和であり、神の無限の智慧と愛と
生命と供給とが満ちているのである。」

                    つづく
❤〜SAKURA

3123a hope:2014/11/17(月) 09:37:07 ID:cEpBaIdo
>>3119つづき)

こう云う歴史を背負ってその歴史的現実として具象化して、今皆さんが此処に生きておると云うことは誠に荘厳な事実なのであります。

他の国の民族の中には、そういう自覚を持って生まれて来た民族はいない。その独特の伝承を私たちは尊ばなくてはならない。

西洋では人類はアダムとイブの子孫であり「罪の子」の子孫である、と云う様に説かれて来て、彼らh「罪の子」の子孫であると云う、あまり芳しからぬ自覚を伝承しているのですけれども、日本人だけは「神の子」」として、「命(みこと)」としてこの地上に生まれて来、そして世々代々その伝統を承(う)け継いで来て、「われは命(みこと)なり」の自覚のもとに生きて来たのであります。

そして神の子が天降(くだ)って、地に平和をもたらすために此処に日本民族が大和と云う国号の国を建てたという光栄ある自覚を尊重しなければならぬわけであります。
(つづく)

3124a hope:2014/11/18(火) 08:52:32 ID:cEpBaIdo
>>3123つづき) p32 後から3行目〜

その神の子とは如何なるものかと申しますと、爰(ここ)に書かれておりますように、「日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を天之御中主神(あまのみなかぬしかみ)として把握」したのであります。

日本民族はみずからを「命」と呼び、日子(ひこ)、日女(ひめ)と称するけれども、決して一人の有限な肉体を持った神様から誕生したと云う意味での「神の子」ではない。

日本書紀或は古事記の神話にあるところの天之御中主神の「中(みなか)」の本源より発したる基本生命の自覚である。

天之御中主神とは、一個人の人格神の固有名詞ではないのであって、「天(あま)」の次に「之(の)」という接続の詞(ことば)がついて居る所に注目しなければならないのであって、これが固有名詞ではない証拠であります。

「之(の)」がついているのは、固有名詞ではなく、説明のための接続詞としてついているのであります。

何を説明しようとしているかと云いますと、「天(あま)」即ち「天球」即ち「大宇宙」の「中(みなか)」にして主なるところの神様と云う意味を説明していたのであります。

私たちはその「中(みなか)」の「主」なるところの神様から生まれて来たのであっって、その中(みなか)のいのちより出でて中(みなか)に帰る、吾々は中(みなか)に帰一しなければならない。

「神の子」とは天之御中主神の生命が此処に出現して、「中(みなか)」の理念を実現する為に此処に生きて居るということであります。
(つづく)

3125SAKURA:2014/11/18(火) 22:41:14 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3104>>3122の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 自他の悪を思わず常に光明に転向せよ ―その6―【 転載編 ―】*=======*==

■この光明思念を繰り返しつつ精神統一状態に入り、いっさいの悪を思わず、今現実に
大調和の世界がここに展開しているという大信念に到達してその神想観を終わり、神想観
後の日常生活もできるかぎり明朗なる心境を持続するように努めれば、現実の苦難の状
態は克服され実相世界の完全なる状態がしだいに現実生活にまで再現してくるのであります。

                 次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3126SAKURA:2014/11/18(火) 22:42:25 ID:???
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>>3104>>3122>>3125の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 神と偕に無畏無憂の生活を送れ ―その1―【 転載編 ―】*=======*==

■われらは常に無限力と偕に生くることを信じ、神に背くことのほか、何ものをも恐
れず、取越し苦労をせざらんことを期す。

 ■われらの心の明朗の極点は『神の無限力』と一体で生きているという自覚であります。
他のいろいろの方法によって心の明朗さを得ようとも、それはたいてい一時的の明朗さで
あります。

また次なる重大なる事件が起って来るとともに、その明朗さ破壊せられずにはいないのであり
ます。どんあ重大なる事件が起こって来ようとも、我が味方は「神」であり「神」がその事件
をわれらの真の幸福にまで導き給うものであると自覚さえありさえすれば、われわれはその重大
なる事件を静かに支配することができるのであります。

かかる重大事の起こっている時に際して、最も恐るべきは「重大なる事件」そのものではなく、
重大なる事件に驚愕し周章狼狽して「神吾と偕に在り」との自覚を失ってしまうことであり
ます。この自覚さえあれば「重大事」はいつの間にか方向転換して幸福の曙光が見えはじめ
ます。しかし「神と偕なる」自覚を失ってしまったが最後、事件は層一層危険の度を加え、
その人は加速度をもって危殆の世界に押しやられて行くのであります。

 ですから、われわれは何事が起ころうとも事件そのものは恐ろしくない。どんあ成功者
といえども必ずや幾度も失敗と見える経験を繰り返したのです。しかし彼が成功したのは
普通ならば「失敗」として悲願し退嬰(たいえい)してしまうような時にも、それを「失敗」
とは見ないでその「失敗」を次なる成功の足場としたのであります。

ヘンリー・フォードは言っています。

『自分はいまだかって事業に一度も失敗したことはない。われらの事業はたとえば化学の
実験のようなものである。予定の結果が出て来る時も、また別の結果が出て来る時も、共
に化学の実験としては成果を収めているのである』と。まったく常住「楽観病」と評さるる
ヘンリー・フォードが言いそうなことであります。この常住「楽観病」こそ事業を成功に
まで導き来す大原動力であって、その背後には「神と一体」の自覚があって可能なのであり
ます。

                     −その2−につづく
❤〜SAKURA

3127a hope:2014/11/19(水) 08:43:59 ID:cEpBaIdo
>>3124 つづき) p33  後から1行目〜

「中(みなか)」と云うのは、『中庸』と云う支那(しな)の書物に、「喜怒哀楽未だ発せざるを中(ちゅう)と云う」とありますが、この「中(ちゅう)」と云う字は、○(宇宙の象徴)に一本貫いた様につくられたのが本来の字形なのであります。

四角に一本棒を挿したのじゃなくて、○(うちゅう)を貫く象(かたち)を表した⏀であります。この「○」は宇宙であって、宇宙を貫く処の真理が⏀(みなか)なのであります。

真ん中だけを貫いて居るのではないのであって、これはただ「宇宙を貫く」という意味を象形的に書かれているのです。

宇宙の一切の物貫く所の原理に在(まし)ますところの神様が天之御中主神であります。

その「中(みなか)」の原理と云うものは何処にでも現れて居る⦿(ス)の原理であって、それは一切のものには一つの中心があると云うことであります。

つまり太陽系統には太陽と云う中心がある。そして周囲には遊星が廻って居る。存在の最小単位である原子にも原子核と云う中心があって、その周囲に電子が廻っている。
(つづく)

3128a hope:2014/11/19(水) 08:44:53 ID:cEpBaIdo
>>3127つづき)

人体を形成して居る所の細胞にも真中に細胞核と云うのがあって、そして周囲に原形質がある。鶏卵にもちゃんと黄身と云う中心がある。

中心がなくなったら、細胞もなくなり、卵は死んでしまうのであります。白色レグボーンの鶏の卵の白身だけを抜いて、プリムスロック種の鶏の白身と入れ替える実験をソ連でやったら、それを孵化させるとプリムスロックの雛が産まれたという話もあるが、白身は他のものと取替られるけれども「中心」なる黄身を取り替えたらもうその鶏卵は生命を失ってしまうのであります。

このように中心は一番大切であります。原子でも、原子核を破壊したら、原子は崩壊して飛び散ってしまう、われわれの肉体を構成している細胞も、その中心であるところの細胞核を殺してしまったら、細胞は死んでしまう。

植物にも幹という中心がある。幹を殺したら植物は枯れてしまう。

太陽系統も真中にある太陽が放射能を出し尽くして冷えてしまうようなことがあったら、太陽系統には生物がなくなる、結局吾々の地球も冷えてしまって人類もその他の生物も死ななければならない。

どうしても⦿(ス)をもって表象する「中(みなか)」の理念と云うものに一致したときそこに生命があらわれるのであり、「中(みなか)」の理念によって宇宙の一切のものは生かされて支えられて居るのであります。

此の一切存在の基本原理なる「中(みなか)」の理念を体現した国家、換言すれば「真理国家」の現成が日本国家なのであります。
(つづく)

3129SAKURA:2014/11/19(水) 22:57:39 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 神と偕に無畏無憂の生活を送れ ―その2―【 転載編 ―】*=======*==

■取越し苦労病患者は、常住楽観者の反対であります。常住楽観者は失敗の中にでも
成功を見て心を明るくするに反して、取越し苦労病患者は成功の中にでも失敗を見るの
であります。こんな人は幸福の真最中にいてすらも、「こんなに幸福であったらもったな
い」とか、「幸福が続けば必ず不幸が来るのだ」とか、「悪」を心に描いて恐怖します。そし
て実際不幸が来ればいよいよますます恐怖し、悲観し、周章狼狽して手を束ねて策の施
すところを知らないのであります。

 およそこのような取越し苦労、不安、恐怖は精神力の適用でありますから、精神エネル
ギーを消耗することおびただしく、明るい希望に満ちた心で考えれば疲労せずに名案が
浮かぶものを、いたずらに憂苦し懊悩するために、頭脳は疲労し、よき考えは逃げてしま
い、時局を好転するに必要なる縦横な機略は姿を潜めて出て来なくなるのであります。

 取越し苦労や心配が心の底から湧き起こるときには、ただちに心を一転して「われ神の
子である、われ神と偕に生く、われ神と偕に歩む、わが砦は神であるから恐るるところの
ものはない」と断々乎として心の中に唱えて自分自身に言って聞かすようにする習慣をつ
けるがよい。またヘンリー・フォードが考えたように、人生の体験はどんな体験でも失敗
はない、どんな体験も次なる成功に達する一階段であると喜んで勇んで、その現在の地点
を足場として明朗な心境で新たに出発するものは必ず最後に成功するのであります。
柔道という武術は自分の不利の地点をそのまま自分の利用すべき足場として相手を投げる
のです。

すなわち向こうから衝いてくるとか、引っ張り込むとかしてくる。衝かれるとか、引かれ
るとかいうことは自分が重心を失う危殆の時なのです。それをそのまま利用して引っぱら
れれば敵の懐に飛び込み、突かれればその力を利用して敵の姿勢を引き落とす。柔道の
試合には、相手が技をかけてくれる時の勝利の好機会なのであります。われわれの事業に
おいても運命がわれわれを危殆に引き摺り込もうとする時こそ、その運命の懐に飛び込
んでその「不幸」に背負投げを食わすべき好機なのであります。逆転を幸運の足場になしう
る人にしてはじめて人生の常勝者なることができるのであります。

             次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3130トキ:2014/11/20(木) 09:41:50 ID:EQq/iyn.
御礼

 SAKURA様、a hope様、すばらしい御文章を紹介してくださり、心から感謝申し上げます。
多くの閲覧者様もお喜びだと思います。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3131SAKURA:2014/11/20(木) 23:24:03 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 躓く刹那に光明に転向せよ ―その1―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらはたとい躓くことありとも渋面せず、その瞬間起き上りて光明に面せんことを期す。!!

■人生にはいろいろのことが起こって来ます。それは無限創造の世界であるからでありま
す。われわれが自分だけの小さき立場から、かくあれかしと祈っても、事件は自分の欲す
るとおりに展開しないことがあります。しかしそれは神が諾き給わないのだろうか。否々
否、この時こそ神がわれらにいっそう大なる生長を遂げしめんためにわれわれの内部より
無限の力を引き出さんとしてその動機を与え給うているのであります。

 あまりに裕福な家庭に生まれ、欲しいものはすべて親より与えられ、なんの労苦なくし
ていっさいの必要品が贅沢に揃えられるというような家庭に育った子女たちは一面におい
ては誠に不幸な人たちであります。なぜなら、そういう人たちは、すべて善き物はこと
ごとく外からのみ与えられて、自分自身の内部から生み出す機会を恵まれないからです。

本当の幸福というものは、自分の内にあるところの善きものを生み出すことにあるのです。
他から与えられた幸福は他が立派な着物を着ているのと同じであって、自分自身の立派さ
でないのです。自分自身が立派になることのほかに自分が幸福になる道はないのです。自
分自身に力がつくよりほかに自分の強くなる道はないのです。

                 ―その2― つづく
❤〜SAKURA

3132a hope:2014/11/21(金) 09:16:30 ID:cEpBaIdo

>>3128 つづき) p35 後から3行目〜

日本国家は西洋の国家の様にバラバラの個人が民主主義の精神によって、ただ個人の幸福を得るための機関又は道具として、個人が代表者を立てて契約して、国家を形成したと云うような国家ではないのであります。

外国の国家は〝State〝(ステイト)と云う。「ステイト」と云うのは、「状態」と云うことである。

人間と人間とが生活をするのに、ただ個人ひとりずつでは淋しいし、或いは敵が攻めて来たり、或いは猛獣が襲って来たりする場合に、それを防ぐために個人では都合が悪いから団結をして護ろうじゃないか、と互に約束して、そこに或る集団状態があらわれた、これが state(ステイト)であって、訳せば契約国家とでも申しますか、そう云う単なる状態とは、日本国家は異なるのであります。

この日本国家は個人の利害関係の集国ではなくして「真理」を体現したところの「真理国家」なのであります。日本の建国は〝天孫降臨〝 にはじまると云うのは「天之御中(あまのみなか)」の理念の降臨にはじまると云うそれであります。

日本民族と云うのは、天之御中主神(あまのみなかぬしかみ)の理念を承(う)継いで、その生命(いのち)を出発さした、即ち「命(みこと)」の自覚に依って生まれた特殊な存在を保つ。

その「命(みこと)」即ち「命(いのち)」の本質は何処から出て来たかと云うと、天之御中主神なるところの、○を貫くところの、宇宙普遍の真理――其処から生まれたところの生命であるのであります。

そして其の宇宙を貫くところの原理は⦿(ス)の原理であり、中心帰一の原理でありますから、その原理の体現としての日本国は、中心帰一の理念が天降(まくだっ)て来て、〝中心帰一国家〝 と云うものを其処に形成することになったのであります。

理念が先にあって、理念が形として現成して国家となったのでありまして、人間の個々別々のバラバラが契約をして自分の都合のよいように拵(こしら)えた「道具」や「機関」としての国家ではないのであります。


天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降って、天孫降臨(理念の降臨)となり、それが具体化して神武天皇の〝八紘(はっこう)を字(いえ)と為す〝 (八方の国々を一家庭的邦(くに)とする)即ち世界連邦の基礎国家としての「大和」の国の建国となったのであります。
(つづく)

3133SAKURA:2014/11/21(金) 22:38:57 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 躓く刹那に光明に転向せよ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======*=

■かかる意味において逆境はわれわれを鍛えて、われわれの中味の善さを出してくれる
冶金の坩堝なのです。坩堝の中へ投げ入れられて、われわれは鉛か金か、鍍金か本物かが
わかるのです。われわれは好んで逆境を招ぶのではありませんが、逆境がいかにわれわれ
を捉えようとも、それはわれわれをいっそう聖化し強化するところの機会だとして、内よ
り奮迅の力を揮い起こすものはついに大成して逆境を却下に蹂躪(ふみにじ)ることがで
きるのであります。

 されば逆境の来るごとに莞爾として微笑せよ。これは「生長の家」の生活であります。
微笑は心の中に光明を点じていっさいの苦難を耐え易(やす)からしめ、失われたる希望を
喚び(よび)起こし、再起の勇気を奮い立たし、暗黒なる生活を光明に転向せしむるのであ
ります。

キリストは「死にし者に死にし者を葬らせよ」と言っています。すでに来れる逆境を嘆いた
とてなんになりましょう。すでに来り終われるものは「すでに死せる者」なのです。
「すでに死せる者」について嘆いてみたとてなんになりましょう。
すでに来り終われるものを嘆き悲しむ暇あらば、莞爾(かんじ)として新しき幸福に突進す
べきであります。光明に満てる微笑こそはわれらによき運命の微笑を招ぶのです。
我れ渋面すれば運命も渋面するのです。

「嬉しいぞ、これから運命が開けるのだ。」苦難に捉われず、難関の来るごとに、莞爾とし
て微笑しつつ奮迅の勇気を奮い起こすものこそ生長の家の生活であって、必ずいかなる難
関をも征服して自己自身の力で幸福なる運命を建設することができるのであります。


                次の項目に続きます。
❤〜SAKURA

3134SAKURA:2014/11/22(土) 22:48:48 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらはできる限り悩める隣人を扶けてその暗黒なる生活を光明に転向せんことを期す――

■人間は自己が幸運を築き上げたばかりで満足すべきではありません。

自己が幸福になったならばこの幸福を人に及ぼさなければなりません。
われらは肉体的に周囲の人とはなんの関係もない一個の孤立存在のように見えていまし
けれども、その実、われらはことごとく一体なのでありますから、周囲の人が本当に幸福に
ならない限りは、自分一個人も本当に幸福にならないのであります。

単に病気の問題のみからいってみましても、良人の病気が妻の心の反映から来ている場合は
ザラにあります。妻の病気が良人の心の反映から来ている場合もたびたびあります。子供の
病気が親の心の反映で起こっている場合もたびたびあります。

さらに祖先の霊魂の霊界での悩みが現実の世界の子供に不幸や病気を起こしていて、祖霊に
対して『生命の実相』の一節を読んで聞かせるだけで子孫の病気が消えたり、運命が好転し
たりしてくる場合がたびたびあります。

そのほか他人の嫉視憎悪反感がわれらに不幸をもたらし、それが解消することによって不幸が
消えてなくなることもあります。

このようにわれわれの肉体とおして離ればなれのように見えても、心の世界では一つでありま
すから、自分自身が本当に幸福であるためには、推し及ぼして周囲の隣人をも幸福にしてあげ
なければならないのであります。

ある場合には扶けてあげることもよろしい。しかし物質で扶けることは一時的の救助になっても
永遠の救いとはならないことが多いのです。物質で扶けてもらう習慣性がつきますと、その人の
他に頼る依頼心が増大し、かえってその人の永久の救いとならないことが多いものです。

ですから隣人を救うには、心に光明を点ずる方法を教えてあげる方がいっそうよろしいのであり
ます。
                ―その2 ―につづく
❤〜SAKURA

3135a hope:2014/11/22(土) 23:34:47 ID:cEpBaIdo

>>3132 つづき)p37 後から6行目〜

大和(ヤマト)の国は「大和(だいわ)の国」である共に、単なる集団の国ではない、天津日嗣(あまつひつぎ)の国である。天津日嗣とは、天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降(あまくだ)って来ることを言うのであります。

日嗣の「日」は「霊」であって「霊的理念」のことであります。「中(みなか)」の理念をさながらに承(う)け継いで、そしてその姿が国家として顕われたのが、「天皇を中心とするところの国家」である。

其処にある天皇の権威と云うものは、真理の体現者としての権威であって、決して個人が強いから天皇になって、その権力に依って人民を圧(おさ)えているのではないのであります。

そしてその天之御中主神の理念の実現としての真理国家たる日本軍の中心核体として其処に天皇が顕われていられるのであります。随って天皇を中心と仰ぐ日本国家の形態は、天皇の人民支配の手段としての国家形態というようなものではないのであります。

(つづく)

3136a hope:2014/11/23(日) 19:10:21 ID:cEpBaIdo

>>3135 つづき)

だから日本国は「天皇国家」であると云っても専制君主的なところは微塵もなく、宇宙の真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の理想形態としての日本国家の形成であります。

天皇あるがゆえに人民あり、人民あるが故に天皇あり、天皇と人民とはその生命の本源に於て一体であり、それが、天之御中主神の理念に随(したが)って所を得ているのです。

どんな細胞にも、どんな電子にも、どんな太陽系統にも、みんな「中心帰一理念」と云うものが現れているのであります。国家だけが中心のないバラバラの存在であると云うことは宇宙意志に自然の発現にそむくわけであります。

その「中心帰一理念」と云うものが、現象界に天降ってきて自然に中心帰一国家を最も理想的に形成したのが日本国でありますから、日本の国家は「宇宙真理」即ち「神の御心(みこころ)」の地上顕現の最も純粋であり、最も高き形態としての国家であるといい得るのであります。
(つづく)

3137SAKURA:2014/11/23(日) 22:59:24 ID:???
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>>3104>>3122>>3125>>3126>>3129>>3131>>3133>>3134の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その2―【 転載編 ―】*=======*=

■といって、全然「物質」で隣人を扶けるのが悪いというわけではありまえん。

「物質」で人を扶けてよい場合は、それは長途の坂道を重荷の車を曳いて疲労しきり、
もうそれ以上は一歩も車を曳いて上がる力もないし、といって力を一歩緩めたら車が逆転
してその人がはずみをくらって真逆様に谷底へ墜落しそうな場合です。こういう時には一時、
重荷を肩代りして曳いてやるのが、その人の内から力を喚び出すことになりましょう。

しかしその肩代りは暫時でなくてはいけません。常に肩代りして重荷を別の人が曳いて
やりますと、本人の筋肉は衰え、自助の勇気は減じ、依頼心は増長し、相手を扶けようと
して相手を弱めることになるのです。これは病気の時に物質薬で扶けるのも同じことです。

本人の体力が疲労困憊、みずから栄養を消化吸収する力なきある時期に、消火剤や栄養注射
やリンゲル注射が効を奏することもありましょう。
それは長途の坂道で疲れて転落しようとする人の重荷を代わって担ってやるのも同じことです。

しばらく他者(ひと)に重荷を肩代りしてもらっている間に、その人が活力を回復する――
その時再び重荷をみずから担うように、生命をみずから生きるように、重荷を本人の肩へもど
すことが必要なのです。

医者が薬を用いるのも、人生の行路に物質で扶けてあげるのも、よく相手を観察して
この心遣いが必要なのです。いつも物質を与えるばかりで人を助けるのは、年中消火剤を
与えて胃腸を丈夫にしようとするのと同じことです。

そんなことをすれば本人自身の消火液の分泌量は減ってしまうと同じように本人自身の
自活能力は減ってしまうのです。これでは人を助けたことにならないのです。
本当に助けることは本人自身の力を強め、価値を高め、その人格を向上さし、
神の子そのまま自主的完全さにまで生長せしめてあげることでなくてはなりません。

              ―その3―につづく
❤〜SAKURA

3138a hope:2014/11/24(月) 18:57:37 ID:cEpBaIdo

>>3136 つづき)

国家を単に国民が幸福になるための施設であると見て、個人が幸福になれないような日本国家ならつぶしてしまって、ソ連の様になった方が都合がよいじゃあないか。

アメリカのように大統領でもいいじゃあないかという人もあるそうで、鈴木茂三郎氏のことを或る党員は「大統領、大統領」と言って居たともききましたけれども、日本国家は大統領や書記長で治めようと思っても、それはいけないのです。

仮にアメリカが大統領でうまく治(おさま)って行ったとしても、ソ連が書記長でうまく行っておるとしても、そんな事はまた別の建国の歴史をもった他の国のことであって、日本には日本としての抜きさしならぬ歴史を背負った特殊性があるのであります。

日本民族というものが如何(いか)に何処(どこ)から如何なる自覚を持って生まれて来たか。古事記に表れたような民族神話をつくり「命(みこと)」の自覚を代々継承して今日に至る、そう云う霊的歴史的伝統のすべてを背負って、今此処に出現しているところの日本民族の特殊性というものを知らなければならないのです。
(つづく)

3139a hope:2014/11/24(月) 18:58:27 ID:cEpBaIdo
>>3138 つづき)

民族の特殊性を強調しますと、それは偏狭(へんきょう)であって、人類的でなくなるように思う人もありますけれども、実は決してそうじゃあないのであります。
どの民族でも、その民族固有の特殊性を完全に発揮することに依(よ)って、却って全人類が幸福になるのであります。

それは何故かと申しますと、吾々は人間でも、頭脳は頭脳としての特殊性を持って、その特殊性が「考える働き」であるとするなら其の「考える働き」という特殊性を頭脳が完全に発揮する時にはじめて人体が最も完全に、その生理機能を営むことができるのと同じであります。
手としての特殊性を完全に発揮することに依(よ)って人体全体が幸福になるのであります。

全ての世界各国の民族も、民族各々(おのおの)の特殊性をよく自覚して、その特殊性を発揮することに依って人類全体が本当に幸福になるのであります。

そう云う訳で、日本の国家にも其の個性的な特殊性がある。即ちそれは上述の如き真理国家であって、天之御中主神の理念そのものが実現している万邦無比(ばんぽうむひ)の国体であると云うことである。

今の中学生や高等学校の生徒に「国体」と言ったら、「国民体育」の略称かと思って、「真理国家としての国体」などと云うと何の意味かもわからぬ人がある。
真に残念な事でありますが、解り易く言いますと、其の〝国〝 の本来の在り方として内在する「国家理念」と言うものが国体であります。
「日本国の実相」と云ってもよろしい。
日本のそうした「国の本来の在り方」と云うものはまことに素晴らしいものなのであります。

即ち大和国(ヤマトくに)を基礎国家として、「六合(りくごう)を兼ねて都をひらき、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為し」世界の国々をこわすことなく一つの家庭的つながりの国とする使命を内在する国家なのであります。

私たちがこのような国に生まれたことは実に有難いことであると云う自覚を持たなければならない。
その自覚は自分だけが持っていたら、それで足れりとするようなものではない。
この箇条の最後に書いてありますように、各自互に明確に自覚し合わなければならない。
「自覚し合う」のであって、互にその自覚を研(みがき)合い、「その行動の根拠となし合う」べきであると示されているのであります。

(第五条 雅春先生のご解説終わり)

3140a hope:2014/11/24(月) 20:19:34 ID:cEpBaIdo

>>3106>>3139 まで、「人類光明化運動指針」第五条とその雅春先生の解義を謹写しました。


よく本流の先輩方が「生長の家の運動」とは、「人類光明化運動」と「日本国実相顕現運動」であり、
どちらも「生長の家の運動」であるとご主張されています。

聖典「生命の實相」だけを勉強していると、「人類光明化運動」に関してはとても詳しく書かれているのですが、
後者の「日本国実相顕現運動」に関してはまったくといっていいほど書かれていないので、
わたしには「日本国実相顕現運動」というのが、具体的にどんなことをするのかまったくわからず、
「生長の家」が日本国に出現した本当の理由や日本民族の使命なども殆ど興味のない状態でいました。

今回、人類光明化運動指針を勉強していて、生長の家の「万教帰一の教え」が、
なぜ、日本国に出現したのかようやくわかってきました。


ところで、生長の家の著書には二種類あるのだと思います。

一つは、「生命の實相」を代表とする「聖典」であり、もう一つは「愛国書」なのではないかと思います。

生長の家の教えは日本国内にとどまらず、世界各国に広がり、「生命の實相」等の「聖典」は各国語に翻訳されて、
たくさんの外国人の方にも読まれているのだと思いますが、愛国書の方はどうなのでしょうか?


今回、「人類光明化運動指針」第五条を丁寧に勉強してみて、
たしかに、日本民族が「生命の實相」の真理を具体的な宗教という形で信仰して行くのであれば、
天皇信仰になるのが当然であるということがわかりました。


ですが、世界中の(日本国内であっても)キリスト教や仏教、その他の宗教を信仰されている方々には、
生長の家の「愛国書」に書かれているような、日本人の愛国心や天皇信仰は理解され難いのではないでしょうか?


「生長の家」の著書が「聖典」と「愛国書」にハッキリと分かれている理由はそこにあるのではないかと感じました。


そこで、雅宣先生は国際化が進む現代の日本において、
「生長の家」が日本民族独特の天皇信仰に固執していることを時代にそぐわないと判断され、、
愛国書の数々を重版停止にしたり、「鎮護国家」を「世界平和」にされたり、
世界的にも通用しそうな絶対神である天之御中主神を総本山にお祀りされたりしているというわけですね。


うーん、雅宣先生のお考え方もわからないではないのですが、やはり、そのような強引な変更は、
今迄真面目に「生長の家」を信仰してきた信徒の方々には心境的に受け入れ難いのではないかと拝察しています。

特に今回の「天之御中主神のお祀り」に関しては、わたしのような入信浅い信徒であっても、
「生長の家」の神聖な伝統が汚されてしまったようなとてもいやな感じがしています。



今日は、一日特別予定がなかったので、『生長の家の「人類光明化運動」と日本民族の特殊性について』を、
今迄謹写してきた「菩薩は何を為すべきか」の文章を抜粋しながら小見出しをつけてまとめています。

後で、こちらに謹写させていただきます。 合掌。

3141a hope:2014/11/24(月) 22:04:50 ID:cEpBaIdo

『生長の家の「人類光明化運動」と日本民族の特殊性について』をまとめたものは、
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4 に、謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/2879n-

3142SAKURA:2014/11/25(火) 23:00:30 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その3―【 転載編 ―】*=======*=

■ このように他を救うということは、金のある人がただ金のみをダラシなくやってさえお
けばそれでよいというような簡単なものではありません。それには深切なる心遣いというも
のが必要なのです。

ただ機会(チャンス)が儲けさせてくれた金をなんの思慮もなく振り撒いて歩くのが他を助
けることでありますならば、そんな人助けは自分自身を富ませることはできません。
それはただの「ダラシ無さ」です。『ダラシ無さ』は自分の知恵の貧しさ意思の弱さの現われ
でしかありません。
そんあことでは自分自身は生長しないのです。何事にでも賢き思慮が必要です。

「物質では短期間扶けよ。温かい愛では常に助けよ」とは生長の家の標語であります。
温かい愛はいくら常に与えても与え過ぎるということはありまえん。明るい希望に満ちた深切な
言葉、優しい眼光(まなざし)、愛情のこもった手紙、好意に満ちた握手、愛橋ある微笑、「何、
大丈夫だよ、」という激励、「愛する兄弟姉妹!」と呼びかわす言葉――これこそ永久に癖になら
ない魂の強壮剤であります。かかる光明を照らすような交わりこそ生命の泉であります。

その生命の泉に触れるときわれわれの衰えたる活力は蘇生(よみがえ)るのです。
これは、外のものに頼るところの依頼心の増長ではありません。われわれの愛が、相手の内に
埋蔵(かく)されていた無限の力を喚び起こすのです。これこそ本当に隣人への助けです。

生長の家の誌友は互に兄弟なのですから、ただひとり聖典を読んで高慢に他を批評するような
のは本当の悟りではありません。本当の悟りは人間互いに兄弟であることを悟って、互いに好意
の花葩(はなびら)を投げかけ合うことです。好意ある微笑、希望に満ちた光明の掛声こそ失意
のドン底にある人々にとってどんな物質的扶助(ぶっしつてきたすけ)よりも、大いなる助けに
なるのです。

 悟りとは、人を審判(さば)くところの鋭い知識のメスを研ぎすますことではありません。
悟りとは、広く大いなる明るい人物となることなのです。悟りとは山に籠って行ない澄まし
ていることではありません。市(まち)に下って誰にてもあれ、魂の光明を打ち開いてその光で
相手を包んでしまう人のことです。

               ―その4― につづく
❤〜SAKURA

3143SAKURA:2014/11/28(金) 22:17:42 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その4―【 転載編 ―】*=======*=

■われのわれの心が狭くなれば、われわれは生長したのではなく、縮小したのです。宗教
家が宗派で互いに相争っているのは醜いことです。彼らは「縮小」を「生長」と思い違いして
いるのです。誰にてもあれ、人を審判く(さばく)一つの尺度を持つようになったならば、
その人には「型」ができたのであり、「殻」を造ってその中へ入ったのであり、大きくなる
代わりに小さくなったのであります。
その時その人には人を排斥する力ばかり強くなり、容れる力がなくなって、味方となるべき
はずの人も逃げ去り、事業の発展は停ってしまうのであります。

 皆さんはただその人の側へ坐るだけでもなんとなく険しい、気詰まりな、憂欝な、窮屈
な感じを受け取る人がありましょう。またある人の側に坐ると春風駘蕩のような感じがし
て、何でも打ち明けて話したい、その人の胸に飛び込んで抱擁されたいような感じがする
ことがありましょう。これは人それぞれの人格の雰囲気でありまして前者のような感じが
する人は何事をやっても発達しない人であり、後者のような感じがする人は何事をやって
も発達する人であります。

 では、どうして人格の雰囲気にこのような相異を来すのであるかと申しますと、それは、
その人おのおのの心の習慣によるのであります。常に明るい打ち開いた秘密のない朗らか
な心をもち、深切な言葉、優しい微笑を投げかける習慣をもちつづけているものは、終に
はそれが習い性となって、誰にも頼られるところの温かい柔かい雰囲気を放散する大人物
になることができるのであります。かかる人物は何をやってもそれを扶ける人々が集っ
て来、その仕事を成就するために働いてくれるのであります。

 これに反して、美点を見出す代わりに常に鋭く人々の欠点を見つけ出し、何でもその人
の口にかかったら、陰口や、誹謗や、不平の種にならない物はないというような人々は、
どんなに知恵者で頭脳が発達していましても、その人の行くところい冷たい雰囲気が
漂い、人々が叛き去り、運命も彼に対しては酷薄となり物事成就せんとして破壊するに
到るのであります。人を生かす者は自分も生き、人を殺す者は自分も殺され、他の欠点を
指摘する者は、自分の欠陥をも審判かれるのであります。

                  ―その5― につづく

❤〜SAKURA

3144SAKURA:2014/11/29(土) 22:45:56 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 隣人を光明生活に活かせ ―その5 ―【 転載編 ―】*=======*=

■もし、あなたの生来(うまれつき)が冷淡な鋭い性質の人であったとしましたら、努めて、
心を温かくし、円満にし、できるだけ人の美点を見るように努め、出す言葉もできるだけ
丸味のある柔かい深切丁寧な言葉を出すようにしてごらんなさい。
あなたの周囲がどんなにか光明化することでしょう。

今まであなたに冷淡であった人々が深切になり、今まで強情であった家族が従順になり、
今まで冷たい沈滞した空気に満ちていた家庭や事務所が温かい繁栄にの気に満ちたところ
となるでしょう。

そしてそこは生長の家となるのです。

 生長の家とはわたしの家の名前でもなければ、また「生長の家」という表札を出してある
大きな建築物をいうのではないのです。心の法則に随って宇宙生々の雰囲気を漂わしている
皆様自身の家庭が生長の家なのです。そういう家庭の満つる国家は、「生長の国家」であり、
全世界がそういう国家ばかりになったら、地上に天国が成就したことになるのです。

何でも一歩からです。まず一人が和顔愛語の「生長の人」になることが肝腎です。顧みて自
分が和顔愛語の人たらずして、人の好意と深切とを受ける雅量なく、順序を誤ったからど
うだとか、体面にかかわるからどうだとか、手続きにまちがいがあるからどうだとか、形に
あらわれている一つ一つの欠点を拾い上げて、相手を審判(さば)いているようなことでは、
あなたの事業は生長の家でなくて伸びるべきものも伸びなくなるのですあから、この点大い
に御注意ありたいのであります。
                ―その6 ―につづく。

❤〜SAKURA

3145トキ:2014/11/30(日) 19:15:37 ID:ZDU4CADo
 素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
続きを楽しみにしております。

3146SAKURA:2014/11/30(日) 22:38:11 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======*=

■□われらは自己の好むところを他に施し、自己の好まざるところを他に転嫁せざらんことを期す

■この「生長の家」の生き方はどこから出てくるかと申しますと、われわれの実相から出て
くるのであります。自分の好まないところを他人に施さず自分の好むところを他人に施す、
これは実践道徳上の最も根本となる指導原理であります。

生長の家では「自分に深切であれ」という金言があります。
世間普通の道徳では「他人に深切であれ」というのでありますけれども、生長の家ではまず
「自分に深切であれ」というのであります。キリスト教の聖書にも「己を愛するがごとく神を愛せよ」
あるいは「己を愛するがごとく隣人を愛せよ」といううような言葉がありますが、
この聖句を考えてみますに、「己」というものが、神を愛し隣人を愛する基準になっているので
あります。

神を愛するのも、己を愛するのも、まず「己を愛するがごとく」でありますから、
もしわれわれが本当に自分を愛することができなかったならば、本当に神を愛することも、
また本当に隣人を愛することができないのであります。

それで、われわれの道徳の根本基準になるのは、いかに自分を愛することができるか、
という程度にあるのであります。
それでは「自分自身を愛する」とはどういうことであるか、と申しますと、
自分というものを最も尊敬すること、自分の実の相を本当に知って尊敬することであります。
自分の実の相が神の子である、あるいは仏の子であるということを根本的に知ることこそ、
自分を本当に愛するということになるのであります。

                  ―その2 ―につづく
❤〜SAKURA

3147SAKURA:2014/12/01(月) 22:51:22 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======**========*

■普通世間の人は「自分を愛する」といえば、自分が金儲けするとか、あるいは地位や名誉
を得るとか、そういう利己的なことで得をすることを「自分を愛する」ことだと思っていま
すけれども、それは本当は自分を愛するものではないのであります。

自分自身を愛するということは、自分自身を最も大きく観るということであります。
この自分自身を最も大きく観ることができる人にして、はじめて他の人をも最も大きく
観ることができるのです。

自分を愛する程度にしたがって本当に他をも愛することができるのです。人間なんてつま
らないものだと考えて自分を軽蔑している人は、その同じ人間であるところの他人をも軽
蔑する人であります。

 われわれはよく、お客さんが来られますと、煙草の好きな人にはさっそく煙草盆を出し
ます。それから甘いものの好きな人には甘いお菓子を出します。わたしの例をとってみま
すならばわたしは今は食欲が正しくなって甘いものをあまり好まなくなりましたが、前に
は甘いものが大変好きでありましたから、煙草の好きな人が来られても煙草盆を出すこと
には気がつかないで、「お菓子を持っておいで……」と命令してお菓子を出させたもので
あります。

そうすると、お客さんの方から、
「ちょっと済みませんが、煙草盆か灰皿かを貸して下さいませんか」と請求される。
そうして「ああこの人は煙草が好きなんだ」と思って気がついて灰皿を出すという始末です。

ところが私自身は煙草の煙は大嫌いなんです。
嫌いなものだから、嫌いなものを人に与えては済まないというような気持がするものです
から、甘い美味しいお菓子をあげようというつもりで、甘いお菓子を出すのですけれども、
その相手の人が甘いものが嫌いで、煙草が好きだというような場合には、こちらのせっ
かくの好意が無駄になるというようなことが往々にしてあるのであります。

               ―その3 ― につづく
❤〜SAKURA

3148SAKURA:2014/12/02(火) 22:04:38 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その3―【 転載編 ―】*=======**========*

■ある時わたしが大阪にいる中學時代の友人のところへ久し振りに訪ねて行ったことがあ
りましたが、中學を出てから十年以上も逢わないでおりまして、突然そこの家へ行きまし
たら、その友達が大変喜んでくれまして、大きな湯呑に茶を入れてわたしの前へ置いてく
れたのであります。

わたしは茶を飲むのが大好きで、それも煎茶茶碗の底にひっついているようなのは嫌いで、
大きな湯呑にたっぷり入っているのを、なみなみと呑むのが好きですから、
「この友達、さすがに古くからの友達で気がきいている」と思いまして湯呑を取って飲ん
でみると、茶であるかと思いのほかそれは酒だったのであります。

この友達は学校卒業後たいへん酒が好きになって、近頃で茶の代わりに酒を飲んでいる――
そういうふううな人であるのでありますから、その人にとっては自分は酒が大好きであるから、
酒を饗応することは、最も隣人を愛する所以であるとこういう具合に思うておられたのであり
ます。

こんな具合でわれわれは自分を大酒飲みだと思ったら他人をも大酒飲みのように愛する。自分を
甘党だと思ったら、甘党のように愛する。そして自分が神の子だと思ったら神の子のように愛する。

なんでも自分が基準になるのでありますから、われわれが本当に隣人を愛しよう、兄弟を愛しよう
と思うには、自分自身が本当に高くなり、自分自身をいかに愛するかということを知らなければなら
ない。そうでなければ、愛しているつもりで相手を突き落としていることがあるのであります。
                 
  ―その3― につづく

❤〜SAKURA

3149SAKURA:2014/12/03(水) 23:03:17 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その4―【 転載編 ―】*=======**========*

■先日ある誌友が来ておられまして、女の方でありましたが、「自分の子供がどうも利己
主義であって人には良いものを寄越さないで自分が一番いいものを取ろうとする、これを
どういうふうにして直したらいいものでしょうか」というふうな質問をされたのであります。

それでわたしは「それはあんた自身の心が映っているのでありませんか、あんたはこれは
自分に一等良い、一番良いと思うものを、本当に取りたくありませんか」と言いましたら、
その御婦人は腑に落ちぬような表情で、どこが自分が利己主義なんだろうかというような
表情で、ちょっと考えておられたのであります。

それでわたしは、「もしあんたの坊ちゃんが今度中學学校へ入学試験を受ける、そういう時
には自分は一番良いものを取りたくないのだから、できるだけ下の点数を取って落第する、
こう言われたらあんたはどうせられますか」とお尋ねしたのであります。

それにはその婦人お困りなった。やはり自分の子供は一番良い点数で入学させたい、自分の子が
一人入学すれば、他の一人は落第するのだけれど、それは仕方がたがないと思っていられる。
それにかかわらず、自分の子は利己主義で困るといわれる。その人にとっては道徳の標準という
ものが本当には決まっていないのであります。ある場合には、自分の子供が一番良いものを取る
ことは利己主義で困ると思うているが、そうかと思うと学校入学の席順は他を突き落としても
自分の息子は一番良いのを取ってくれなければ困る、とこう思うておられる。

こんなことでは本当に他を愛するということはできないのであります。ところが
この本当に自分を愛する、あるいは人を本当に愛するということは、そういう
一つ一つの行為について、一番良いものを取るからいけないの、一番わるいものを
取ろうと心掛けなにのがいけないのだというふうなものではないのでありまして、
根本にわれわれは自分自身を本当に愛するということから出発して行く時に、はじめて
隣人をいかに愛するべきかということがわかるのであります。

自分自身をいかに愛するかといえば、自分を神の子と感じ、自分を仏の子であると感ずる、これ
が本当に自分を愛することなのであります。自分を本当に神の子だと感じ、自分の子供も神の子
だと感じ、他人の子供も神の子だと感ずるようになりますと、受験にだって自分の子供が正々堂
々と一番良いものを取ってもいいことがわかる。みだりに他にセンチメンタルな愛情によって、
実力が出ないうちに、試験にお情落第させてもらうような卑怯なことを、相手の神の子にさせよう
とは思わなくなる。みんな一番良いものを取ってよいということがわかるのであります。

自分の子も神の子、他人の子も神の子ということになれば、少しも依怙贔屓のない道徳が確立する
のであります。

              ―その5―に続きます。

❤〜SAKURA

3150SAKURA:2014/12/04(木) 22:29:52 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その5―【 転載編 ―】*=======**========*

■ある人が、自分を豚の子のように思って軽蔑し、そうして自分の子供をも豚の子の
ように軽蔑していい罵っておったら、その子供が豚の子のように蒲団の上で寝小便
するようになって、親の心が一変するまでは、それがどうしても治らなかった。
それが人の子を「神の子」だと考えていないで豚の児のように考えていた。その考えが
治らなかったからです。

その点を生長の家の講師が指摘して、
「あんたは自分の子供を豚の子のように思っているから、それで寝床に寝小便するので
すよ。そんな豚の子のように人間の子供を軽蔑してはいけない、自分の子供は「神の子」
であるということを本当に思いなさい」と言って諭されたら、その晩から豚の子が本当の
「人の子」になって寝床に小便ををしなくなったという実話がありますが、結局(つまり)、
この自覚が大切であります。

われわれは自分自身が神の子であるということを、ともすれば忘れがちであります。
自分自身が「神の子」であるということを忘れるがために、相手もまた神の子であると
いうことを忘れてしまうのであります。

自文自身が仏であるということを忘れてしまうから、相手もまた仏であるとうことを
忘れてしまうのです。そういうことでは本当に自分を愛することもできなければ、
他をも愛することができない。

それでは
「己を愛するがごとくに隣人を愛せよ」
あるいは「己を愛するがごとく神を愛せよ」という教えを守ることができないことに
なるのであります。

 それでですから、本当に自分を愛するというのは、自分自身を最も価値あるものに
すること、自分自身を最も高き価値まで繡(たか)め揚げるということにほかならな
いのであります。

では、自分を最も高き価値まで繡め揚げるとは、いったいどうすることであるかと
申しますと、必ずしも学校で一番の成績をとるということではないのです。
自分が「神の子」になり、「仏」になるということである。

すでに「神の子」であり「仏」であるところの人間の実相(ほんとのすがた)を、
「今」自覚すること――これがいっさいの信仰の、いっさいの道徳の中心になり、
出発点になるのであります。

キリストは聖書の中で「神の子」というところを「人の子」といって両語を混雑して
使っていますが、これは、本当に「人の子」は「神の子」であるという自覚からくる
のです。

自分が神の子であり仏であるということを知らなければ、すべての道徳は中心を失い、
柱を失ってしまって、どうしてよいかわからなくなるのであります。

 ―その5―に続きます。
❤〜SAKURA

3151SAKURA:2014/12/06(土) 21:36:12 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その6―【 転載編 ―】*=======**========*

■では、仏とは何であるかと申しますと、これは解けることである。
いっさいの縛りとなるもの、いっさいの凝りというものから解けてしまって、解脱した状態に
なってしまう――その解脱(ほど)けた状態、これが仏であります。

この自分自身が解脱した状態になって、自由自在な窮地になって、その自由自在な境地を愛する
ことができて、はじめて他の人々の人格の自由を完全に生かす愛ができてくるのであります。

 ですから、われわれはまず自分自身をはっきりと把(つか)まなければならないのであります。
自分自身が神の子であり、仏であるということをはっきり把んでしまって、何ものにも執われ(とらわれ)
ない、自由自在な相というものを自覚して、そうして自分は神の子であると自分自身を愛し礼し、
己を愛し礼するごとく、そのごとく他に対して、神の子として、仏として尊敬し、敬い、人の内に
宿っているところの実相――神性というものを生かしてゆくようにする、これが本当に自己を
愛するごとく他をも愛するということなのであります。

 ですから、自己を愛するかのごとく人を愛するということは、要するに自分と他とが一つで
あるという根本実相(ひとのほんとのすがた)から来るのであります。自分と他とが一つである。
自分と他とが一つでなければこの愛ということは成り立たないのであります。

自分と他とが全然別のものであったならば、自分の喜びが他人(ひと)の喜びであると
いうはずがない、他人の悲しみが自分の悲しみであるというはずがないのであります。

 ですから、われわれがじぶんの好むところを他に与え、他(ひと)の欲せざるところを
他に転嫁しまいと思うのは、要するに自分というものと他人(ひと)というものが、本来同じもの
である。

同じものであるから同じように感ずるものであるという根本的な直観的認識から来るのであります。
この「自他一体」の直感認識がなければ道徳的価値評価というものは成り立たないで
いっさいの行為はバラバラで道徳的にはなんらの価値もないということになるのであります。

このように道徳とは自他一体の直感認識から始まって、自分の喜ぶ状態に他をもしてあげたいと
いう願いに始まるのですから、自分の実相が仏であること、そしてこの仏のの相とは何ものにも
縛られない自由自在なものであるということを自分自身に自覚した人のみ、本当に人々にも
その人の実相すなわち仏を自覚せしめて、いかなる外のものにも縛られない自由自在なる状態を、
その人に施してあげることができるのであります。

この自由自在な無畏の状態を施してあげることが仏教では無畏施といって施しの中でも
最も尊いものとなされているのであります。

               ―その7―につづく

❤〜SAKURA

3152SAKURA:2014/12/07(日) 23:15:34 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 まず自分に深切であれ ―その7―【 転載編 ―】*=======**========*

■さっき申しましたように、甘いものの好きな人は甘いものを他に与え、煙草の好きな人
は煙草を他に与える。そして自分自身の自由自在な実相の好きな人は実相を他に与えるの
であります。

 ところが誰でも、本来自由自在なのが実相(ほんとのすがた)なのでありますから、
自由自在の境地を求めない人はない。煙草の好きな人も本当は煙草そのものが好きなのでない、
なんとなくぎコチなく淋しく自由自在な感じが失われている、その感じをごまかすために
煙草を喫み酒を飲むのです。

金の欲しい人でも、金のそのものが欲しいのではない、金があると自由自在になんでも
ふるまえると思うから金をほしがるのです。ところが金を持っても酒煙草を喫んでも、
それに執(とら)われたらかえって自由自在が失われる。

金に執すれば金に縛られ、酒煙草に執すれば、酒煙草の奴隷にせられてしまう。
これでは、もともと自由自在を求めたのが何にもならない。自由自在を求めてかえって
不自由自在を得たことになるのです。

 ですから自分が真に自由自在に解脱した喜びというものに得たならば、
われわれは全人類の得(え)んとして目指しているこの喜びを人々に与えなければならぬのです。
これが自他一体の真理なのです。そうしてここに自分が仏の実相を鳴り出せば、かたわらにいる
人々の内にある仏が鳴り出すということになるのであります。

これは釣鐘の共鳴のようなものであって、二つの釣鐘を並べて置いてこちらの釣鐘をゴーンと
撞くとその隣の釣鐘もゴーンとまた共鳴して鳴り出すのです。それは、一人の人の実相の響きが
鳴り出す時は、「一切衆生仏性あり」で、他の人々の中に宿っているところの仏性が鳴り出して
表面に顕われて顕在的になるのであります。

だから人を悟らすには、まず「自分は神の子だ、仏の子だ」と気づいた人が、そうであると
いうことを言葉に出してガ―ンと鳴り出すということが必要なのであります。そうすると
その隣の鐘――否、その付近にいる人たちもやはり自分のうちにある尊き仏性がガ―ンと
鳴り出して顕在となり、またその響きがさらに共鳴を起こして、すべて人々、到るところに
仏が現われて来るということになるのであります。

そしてすべての人々悉く仏性が顕われ、これが本当に隣人を愛するということになるのであります。
それでその次の第十二条にはこう書いてあります。

              次の項目につづく
❤〜SAKURA

3153SAKURA:2014/12/11(木) 22:48:45 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その1―【 転載編 ―】*=======**========

■□  われらはすべての人類をして健康と幸福と安住との生活を得しめんがため、この光
明思想「生長の家」をひろめ全人類に真理を伝えんことを期す。

 さて、この光明思想「生長の家」を人類に弘めるということは、何も自分が物質的利益
を得るために弘めるのでもなければ、自分は人に道を説くところの第一番の高き導師であ
るという名誉心を満足せしめるために弘めるのでもない。

ただわれわれは、自分が仏であるという自覚を得たときに、そうしてまた他の人々も同じく
仏であるということを知った時に、その仏であるべき人間が仏でないような相の現われてい
るのを見た時に気の毒になってたまらない、自分も仏である、あの人も仏であるのに、あん
なに仏でないと思って、あんなに貧しい相をし、あんなに病める相をしている、あんなに悲
しい相をしている、どうも気の毒でならない、とこう気がついた時に、どうしてもその人に
仏であるという実相を知らしてあげなくてはならない衝動に駆られるのです。

これは結局「自分と他とは本来一体である」事実から出て来る衝動であって、自分が仏であ
るということがわかったら相手に対しても仏であるということを知らさずにおれない。

自分が神であるということがわかったら相手に対してまた神であるということを知らさず
にはおれない――これが自他一体の愛――仏の愛であり、神の愛である。そしてそれを実行
するのは菩薩の行であるわけであります。

 ですから、この「生長の家」を弘めるというと、何か雑誌を弘めるというようにお考えに
なる方もあるかもしれませんけれども、これは雑誌を弘めるのでない、「仏」を弘めるので
ある、「神の子」をひろめるのである。すべての人間を「仏」にし、「神の子」にする言葉の
響きを弘めるのであります。

キリストは路傍で説教した。日蓮は辻説法した。これは何も自分自身のためにするところ
の運動ではない。辻で説法するのは下品だとか何とかいっておれないのは人類を愛するから
なのです。

すべての人間を、われ自らのごとく愛するから、その悟った真理を伝えずにはいられないので、
世間から見た格好が、悪いのいいのといってはいられないのです。自分自身が「神の子」であ
り「仏」であると悟ったらそれを全人類に弘めなくてはいられない。ですから今までいろいろ
宗教が現われてきておりますが、すべての教祖はその已み難き衝動に駆られて「仏」を伝え、
「神の子」を伝えたものであります。

                 ―その2―につづく

❤〜SAKURA

3154SAKURA:2014/12/14(日) 22:35:59 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その2―【 転載編 ―】*=======**========

■しかしそれぞれその時代、その環境に応じて、その教えを伝え弘める形式は変わってきた
のであります。

過去の時代には、通信機関や印刷機関が不便でありましたので、おおむね直接説法によらなけれ
ばならないから、説法のコトバの力で「仏」を大量生産することができなかったのであります。

ところが、現代においてはこの「生長の家」が出現して、印刷物によって「仏」をヒビキ伝えると
いう不思議な、時代応現の用(はたらき)というものが出てきたのであります。現代のようにこんな
人口が増え、そうして学問が進歩し、印刷術が発達している時代に、今までのような姑息な、
単に教会という一つの建物、あるいは寺院という一つの建物の中で牧師や坊さんが喋っていると
いうだけでは、なかなか人間全体に「仏」を伝えることはできないのです。

ですから、この時代に最も相応(ふさわ)しく、活字の力というもの、印刷の力というものを以て、
また大量生産的に「仏」の響きを出させて、したがってまた大量生産的に救われるということに
なったのであります。

                ―その3― につづく
❤〜SAKURA

3155志恩:2014/12/17(水) 05:03:21 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より


すべて偉大なる人格の特徴はその人の包容力の広さである。
寛容の徳は母たる者に必須の徳性である。

心広き者は決して金切声を出さないし、粗野な荒々しい振舞をしないのである。
愛の完成は心広くしてのみ<遂げられる。

愛がありながら、心狭きときは、愛が捩れて憎しみと変わる。
どんな時にも憎しみや嫉妬に変化しない愛こそ純粋の愛。

3156SAKURA:2014/12/17(水) 22:51:35 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その3―【 転載編 ―】*=======**========

■そんなわけで、この「生長の家」から出る出版物は、活字を組んで(なら)べてあるだけであります
けれども、その列んでいる言葉そのものは「仏」のヒビキでありますから、解脱して自由自在になった
生命のヒビキでありますから、『生長の家』がある誌友のところへ着いただけでその誌友の病気がよく
なったとか、あるいは乱視が治ったとかいうふうな不思議なことも往々起こってくるのは、「生長の家」
の出版物が単に活字を列べて紙の上に印刷してあるというだけのものではない、そこに文字「仏」の自
在無礙の響きがあり、言葉に「神の子」の解脱の響きがあるからであります。

その言葉の響き、文字の響きを全世界に弘め、これによって全世界が光明化され、それを受け取りそれを
読んだすべての人が自己のうちに宿っている仏の響きに共鳴して、発見されて、そうしてみなみな自分が
仏であるということを自覚することができる。こうなれば「仏陀」の大量生産が成就するのであります。

 この間、伊藤三郎さんがわたしのところへ『日蓮主義』という雑誌を持って来て下さいました。それは
ニ、三日前、ここで伊藤三郎さんがお話しになった逗子に住んでいる人から伊藤三郎さんに送って来られ
た雑誌なのだそうであります。あの話はこうであります。

ある日伊藤三郎さんを訪ねて来た旧友がある。その旧友が伊藤三郎さん自身では引き受けることを躊躇し
なければならないと思われるようなある重大な仕事に一肌脱いでほしいと頼みに来られたそうであります。

その知人に会ってみると、その顔がなんとなく明るく輝いて見えるので、ちょっと躊躇するよな大仕事
なのだけれどもなんとなく引き受けてもよいかも知れぬという気になり、一つ神意に問うてみようと別室
に退いて神想観をされた。

するとその仕事を引き受けてもよいという霊感があったので、伊藤さんは自分の奥様に相談なさると、伊
藤さんの奥様は「神さまからそういう霊感があったならば、引き受けておやりになさい」と言われました
ので、またその逗子からの旧友のところに出て来られて、「では、その仕事をお引き受けしましょう」と
言われた。

そして「実はあなたに上げたいと思って署名した本がここにある。ちゃんとあなたの名前が扉に書いてあ
る」と言って『生命の実相』をお上げになったら、その旧友はその『生命の実相』を見て大変お喜びにな
って、実はわたしは「生長の家」のことは『生命の藝術』という雑誌を新聞広告を見て無代進呈してもら
って読みましたら、今まで信仰していた日蓮上人の教えの神髄を深く穿ったものと感じて、非常にありが
たく思いましたので、それに書いてある神想観の説明、これさえあればよいというので、一生懸命、
神想観の歌を暗記していました。

すると自分の長らくの喘息が治ってしまいましたのでまったくありがたくて『生命の実相』を欲しい欲しい
と思っていました。欲しい物が集まって生長の家の無限供給が成就したのです、というわけです。

             ―その3―につづく
❤〜SAKURA

3157SAKURA:2014/12/21(日) 20:50:38 ID:???
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(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その4―【 転載編 ―】*=======**========

■この方はただ今、名前を思い出しましたが村田武一郎という方です。
この村田さんから最近伊藤三郎さんへ「日蓮主義」という雑誌を送って来られた。
実はこの中に「生長の家」の攻撃が書いてある。

その攻撃というのは「生長の家」は日蓮主義と同じことだというのです。
日蓮主義と同じものに「生長の家」という名をつけて新聞に大袈裟な広告をして自分の一派の
宗教に引き込もうとしているというのが攻撃の材料になっているのです。

それに対して村田さんは自分の救われたお礼に反駁分を書いたからそれを見てほしい、これで
よいかと付け加えて書いていられるのです。その反駁分にはこう書いてあります。

「自分は元来日蓮宗であるのに日蓮宗のありがたいことがわからないで、あまり熱心でなかったが、
『生長の家』を読むようになってから日蓮宗が本当にありがたいと解っていっそう日蓮宗に熱心に
なった。この事実を見てもッ生長の家は自宗に引きつけるような宗教ではない。

すべて宗教の神髄を穿っているから、どの宗派の人が見ても、自分の宗教と同じことを説いて
いると見えて、かえって自分の宗教がありがたくなるのである。宗教とは結局、同じ救いに導く
ものであるから、どの宗教から見ても自分の宗教と同一真理を説くものだと認められるぐらいで
ないと本物ではない。

ひんぴん新聞に大袈裟に広告するのが、あまり大袈裟で、宣伝じみてきるというの当たらない。

今もし日蓮上人がこの世に出て来られたらならば、辻説法のような緩慢なことをして、少しの人を
集めて道を説き少数の人類しか救わぬというようなことはしないはずである。必ずや谷口先生と
同じような大袈裟な、出版機関を利用し、新聞を利用し、講演をりようしあるいはラジオを利用し、
文明の利器をできるだけ利用して、できるだけ大袈裟に宣伝して大衆に達するようにし、一日も早く
この真理を全人類に伝えるように努力せられたにちがいない。

新聞広告をして宣伝じみて外聞が悪いとか、辻説法をして乞食坊主にまちがえられて外聞が悪いとか、
そんな自己の名聞なんて考えている暇がない、それが捨我精進(しゃがようじん)であって、
あらゆる機会をことごとく見のがさないで仏を伝えるように努力するのが、これ自己が仏を悟った
人の道である」
というようなことをその反駁分に書いて、その雑誌と一緒に送って来られたのであります。
                   ―その5―に続く
❤〜SAKURA

3158SAKURA:2014/12/21(日) 20:51:51 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その5―【 転載編 ―】*=======**========

■この村田さんのおっしゃるように、われわれが真理(ほとけ)を知ったならば、それをできるだけ
多くの人に伝えるということがこれ仏様の働きである、方便としてあらゆる機会を利用して宣伝する
――決してこれは利己主義の働きじゃないのであります。

これはすべての人の実相を生かす最も尊い仕事でありまして、それには時代相応のいろいろの手段、
方便ということが必要なのであります。あるいは光明思想普及会の新聞広告が、病気の治った礼状が
たくさん出ている、治してもらった体験談がたくさん出ている、まるで「有田ドラッグ」のようで
あるというような攻撃をなさる方がある。

しかし。「有田ドラッグがどうして悪いのか」というと、何もわるいという理由はない、有田ドラッグ
もなかなか言葉の力を巧く利用してそうして薬を売っている。薬を売っているだけじゃなにのであって、
あれは半分は光明思想である。有田ドラッグの広告を読んでみると「病気は薬では治らぬ、精神の持ち
方や信仰によってなおる」と書いてある。

そうして付けたりに、その薬を飲んだらいっそう良く治るということをいって、精神療法、信仰療法を
勧めて、心の作用で病気を治しておいて、その治った治験例を掲げて、薬で治ったように装い薬代だけ
を有田の方へせしめている。

「病気は自然が治して、謝礼は医者が取る」という諺がありますが、これは「病気は心が治して、
治ったお代薬屋に払う」というようなことになっているのでああります。だから有田ドラッグは
なかなか賢い、必ずしも世の中に害毒ばかり流しているということはないのであります。

世間には病気が治るということを新聞に発表すると何か下品なことのように思うている人があるが、
これは実にまちがったことであります。

              ―その6―につづく
❤〜SAKURA

3159SAKURA:2014/12/27(土) 22:25:04 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その6―【 転載編 ―】*=======**========

■というのは医学博士が病気を治したという治験例をば医事雑誌にずっと並べたら、誰が
下品であるといいますか。医学博士が動物をいろりろと解剖してみたり、物質的の実験を
やってみたりして形而下(けいじか)のことを列べて、形のある物質を使用して病気を治
した実例を列べますと、大衆はいかにも仰々しく科学であると嘆称(たんしょう)するの
でありますが、それならば、生長の家が薬を使わないで、ただその発行書を読んだだけで
病気が治るというような、在来の常識を覆すような治験例を発表しえたならば、これは医
学博士よりもいっそう偉大なるものであるといって、皆さんは讃嘆しなければならないは
ずなのであります。

それにもかかわらず、病気の治験例を発表するということはこれは下品である、有田ドラ
ッグのようであるなどということは、実に偏見に執われた批評なのであります。むしろ新
聞に発表して下品なのは人殺しや盗賊や強姦やいろいろの悪徳の記事である。

病気の流行るというような恐怖をそそる記事も人々に熱感を与えて下品である。

しかしそういう記事をのせている新聞を見ても下品だと言わないで、どんな病気でも心の
持ち方で治るという気持のよい治験例を発表する記事を下品視するのは人間の頭が悪い
からであります。

                       ≪その7≫につづく
❤〜SAKURA

3160るん吉:2015/01/02(金) 12:15:42 ID:p..UGkhA
神様以外のものや実在でもない現象を相手にして解決の方法を研究するところ

ではありません。神一元、實相一元の教えでありますよ。

今あなたは神様以外のものや、ありもしない現象の出来事に心を奪われて、慌てて行き詰っておられるではありませんか。

そんな生長の家はありません。それでは生長の家を知らない世間一般の人と同じで、

全然生長の家になっておりませんよ

                       藤原敏之先生の御著書「あなたは必ず救われる」より

3161るん吉:2015/01/02(金) 12:28:52 ID:p..UGkhA
SAKURA様

明けましておめでとうございます。

沢山の投稿をされていられますね! 今、読ませて頂いてました。

SAKURA様も、今まで色々嫌な事があったのですね?(ゾンビ野郎とかひどい奴に出くわしてきたのですね)

しかも、それで耳に障害が残ってしまわれたとは、どんなに悔しい出来事でありましたろう!

自分がそうなったら。SAKURA様のように明るくふるまれるかな?と思います。

あと、sakura様は、すごい正直な方ですね。(そこまで言っていいんかい!て思うほど)

なんにしても、貴女はすごい良い人です。読んで色々解りました。

パートナー様にも、よろしく。外に出れるようになった(雪の具合)ので出かけようと思います。

今年もよろしくお願い致します。

3162SAKURA:2015/01/02(金) 21:02:35 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その7 ―【 転載編 ―】*=======**========

■釈迦が悟りに入られた最初の動機は何であったかと申しますと、生・老・病・死の四苦
を観て、これを解脱することを考えなくてはならないということを思いつかれて、そうし
てそれを解脱する道を得られたのであります。われわれが生老病死の四苦につまずくこと
によって、それを機縁として、自分の実相が仏であるということを悟らせられるというこ
とは、実際釈迦でさえもそうであったのであります。いわんや、われわれがこの病気とい
うもの、あるいは生活難というもの、人生苦というものなどに臨んでいる――その契機を
利用して、それを解決する道がここにあるということを広告によって知らして、そうしてわ
れわれの団体へ呼び寄せてきて、真理を知らせ実相を悟らせるということはこれ実に仏さ
んのあるがたい慈悲の現われであるといわなければならないのであります。人はこの病気
の治るという治験例を発表することはいかにも下品なこととお考えになるのであります。

そして、われわれも、物質なる肉体の治るとか治らぬとかいうような小さいことを問題に
していないのでありますけれども、物質上の御利益などは問題とするに足らぬと思いなが
らも、現世の苦悩に悩んでいる人がある以上、その現世苦悩の低さまで降りて行ってあげ
なければ人を救うことができないので、それで上品だとか下品だとか、そういうことを考
えないで、自分もいったん人の所へ降りて行って、病気本来無いということを知らせ、病
気が治ったという治験例を発表して、一般の人に呼びかけ、病人に呼びかける、救わるべ
き相手は迷える人、病める人である。迷っている人にはしばらく迷いの相を現わして、そ
うしてそれらの人を一段高い所へ引き上げるというのが仏の自由自在な慈悲の働きなので
あります。

                 ―その8 ― つづく
❤〜SAKURA

3163SAKURA:2015/01/02(金) 22:31:48 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■ あけまして おめでとうございます…。本年度もよろしくお願い申し上げます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3161 
>>3161 「るん吉様」から私宛にですが〜〜『この場には?』と…

別の所で…投稿させて戴きます…。

3164「訊」:2015/01/02(金) 23:21:43 ID:???


 新しい年には新しい心が生まれる。



 元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時である。他の時にも新しい覚悟ができ、賢明なる人はいつからでも新生活に突進しうるが、われわれには新しい決意を実行するには元旦がよい。元旦からまず始めよう。



 それは明るい心を持つということである。



 一度にあれもこれもと考えて、それが実行できなかったら、新しい決意も最初の一日から崩れてしまう。ただ今日一日明るい心を持つことにしたい。ただそれだけ一つのことである。これだけのことならばわたしにもできると思う。明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」と知ることである。



 去年の暮れはもう起こったからすんだのである。すんだからこそ新しい年が来たのである。木枯しに散る葉があるからこそ、春に美しい若葉の美が讃えられるのである。



 天地一新。悪しきことは未だかつてひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。それはすべて一新しゆく姿である。


『生命の實相』37巻4頁より謹写――

3165トキ:2015/01/03(土) 12:56:31 ID:Qj6Pg0Tc
「訊」 様

 あけましておめでとうございます。
新年早々、素晴らしい御文章を紹介してくださり、ありがとうございました。
今年も期待しています。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3166「訊」:2015/01/03(土) 22:23:09 ID:???


◆ 新天新地を迎へて

 私たちは皆さんと共に新しき年を祝福するのであります。
 皆さんがたとい過去の年に於いて如何なることを経験せられたにせよ、何を心に思い、何を身に行ったにせよ、それ等は既に過ぎ去ったのであります。されど若し、皆さんが同じ心を依然として持ち続けるならば、いづこかに新しき年はあらんやであるのであります。

 皆さんは新年と共に想念を新しくならしめなければならないのです。旧態依然たる争闘と摩擦と不平と慈哀と不健康と貧乏との想念を持ちつづけるならば、それは年は新たであるにしても、内容的には古き年の継続に過ぎないと云わなければならないのである。
 真理は皆さんに新しき人生と新しき幸福とを持ち来すべく待っているのである。それは単なる期待でも単なる希望でもないのである。如何なる人々も生長の家の真理に触れるとき、絶対に新しき生活を、絶対に幸福なる生活を、絶対に豊かなる生活を、絶対に健康なる生活を、営むことの出来る資格と権利と方法とを本来与えられていることを自覚せられるに相違ないのである。

 真理とは何ぞや。人間は「神の子」であると云うことである。仏教的に云えば「仏子」であると云うことである。神道的に云えば、人間は、すべてミコトであり、日子(ひこ)であり日女(ひめ)であり、尽十方に満つる光の子みなさんと云うことである。

 此処に諸君(みなさん)が、絶対に幸福なる生活に、絶対に豊かなる生活に入る門を開く鍵があるのである。「人間は神の子」と云い、「仏子」と云い「日子」と云い日女と云うと雖も、それは鍵であって、諸君がこの鍵をもって、新しき生活への門をひらくと開かざるとは諸君(みなさん)の自由であるのである。鍵は鍵孔に入れてこれを回転しなければならない。ここに静的真理が動的事実として展開し来り、新しき生活への門がひらかれるのである。

 昨日までの物質的又は肉体的状態が如何にあろうとも、五官に見える姿は唯かぎられたる視野から眺められたる姿であって、決して貴方の世界でもなければ、貴方自身の全相でもないのである。肉眼の視野の彼方に、顕微鏡下の世界があり、望遠鏡上の姿があると同じく、更に無限に美しき天国浄土の世界があるのである。それこそが、此の世界の實相であり、それは既にある世界であるに拘らず、心の波長を合わさないから出て来ないに過ぎないのである。心の波長を合わすとき突如として冒頭に掲げたる「われ新しき天と地とを見たり」と云う至福の世界が実現し来るのである。

「白鳩」誌(昭和28年新年号)より謹写――

3167「訊」:2015/01/03(土) 22:24:39 ID:???



◆ 「過去」を「今」に変貌するな

過去になずむこと勿れ
過去は既に過ぎ去ったのだ。

過ぎ去ったものだけれども
”今”それを思えば、
過去が”今”に変貌する。

牛は過去に食べた食物を
腸に送るまでに反芻して
もう一度”今”に戻して咀嚼するそうだが、

過去の悲しみでも
それを”今”にもどして反芻すれば、
過去が過去でなくなって、
今ある悲しみにそれは変貌する。

過去を素直に放つ者のみが、
新しい喜びを素直にそのまま受けることができるのである。

3168志恩:2015/01/09(金) 20:24:39 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

🎴 新しい世界 🐲

「近ごろの世界はなんと乱れているのだろう。
世界は混沌と混乱のきわみだ」という言葉を、あなたは何回聞いたことでしょうか。
また自分でも そう言って 何度なげいたことでしょうか。

そして、それに対して自分ができることは何もないと感じています。
もう絶望的だ、自分にはどうしようもないと感じて、カタツムリのように からの中に閉じこもってしまって、
世界が ますます悪くなってゆくに まかせています。

この地球の現状に関するあなたの責任感はどこにいってしまったのですか?
あなたが行うこと、あなたの生き方、あなたの考え方が、
世界を良くも悪くもすることに気がついていないのでしょうか?

海岸を作っているのは小さな一粒一粒の砂です。
大洋を作っているのは小さな一滴一滴の水滴です。

あなたがどう考えて何をするかが、世界を良くも悪くもするのです。

あなたはそのことを考えたことがありますか?
愛のあるポジティブで建設的な思いを持つ魂が 増えれば増えるほど 地球は良い場所になります。
あなた方は みなこのすばらしい世界の とても大切な一部なのです。

あなた方の一人ひとりは この大きな全体の中のとても小さな部分ですが、それぞれに果たさなければならない特別な役割があります。
あなたがその役割に早く気がつけば、それだけ早く、世界の状況は変わります。

世界的な 混沌と混乱と 破壊の思考の渦 に巻きこまれるのはやめましょう。
今すぐ、あなたのまわりの世界のすばらしさと美しさに、心を集中させましょう。

すべてのものに感謝しましょう。
あなたが出会う人すべてを祝福しましょう。
人々の中、ものごとの中、状況に中に最悪の部分を見るのはやめ、
いつも最善の部分を見るようにしましょう。

最善の部分に意識を集中し、あなたのまわりの世界で起こる すばらしい変化を 見るようにしましょう。

あなたにはそれができます。
それも今日から始めることができます。
いいえ、今すぐ始めることができます。

これは、だちょうのように頭を砂の中にかくして、世界の現実に直面するのを拒否するのとは違います。
ただ、すべてのものごと、すべての人の中に、最もすばらしい点をさがし、そこに意識を集中させるということです。

あなたはあなた自身の小さな世界です。
あなたの内にある世界に平和と調和と愛と理解がある時、それはあなたのまわりの外の世界に影響を与えます。

まず、自分の家の中をきちんとすることから始めましょう。
あなたの思いと生活の整理から始めなさい。

3169志恩:2015/01/09(金) 20:32:40 ID:.QY5jUA6
谷口貴康さんのブログより

徳川家康秘話。
徳川300年「江戸時代」を生んだのは、「笑いのこころ」(明るき心)­であると説く大熊理事長。
日本笑い学会講師でもある大熊理事長が、笑いながら、笑いの­持つ「力」と影響力を説く。

★≪新春≫いのちが喜ぶ話(第5話)★大熊良樹理事長 
「徳川300年を生んだ笑いの心」
https://www.youtube.com/watch?v=HNm_xNPN8RM&amp;feature=share

3170志恩:2015/01/09(金) 20:36:23 ID:.QY5jUA6
3169は、聖典引用ではなくて、いのちが喜ぶ話の引用でしたので他板の方に転載すべきでしたね。^^

3171志恩:2015/01/10(土) 07:56:08 ID:.QY5jUA6
📖 パラマハンサ・ヨガナンダの言葉

人生の体験を あまりに真剣に 受けとっては いけません。
とくに、その体験のために 苦しんでは なりません。
なぜなら、本当は、すべては ほんの夢に すぎないのですから・・・

もし 状況が悪くて、耐え忍ばなければ ならないとしたら、
その状況を あなたの一部と しないことです。

人生の あなたの役を 演じなさい。
そして、
それが 単なる役に すぎないということを 忘れないでください。

3172SAKURA:2015/01/10(土) 21:16:18 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その8 ―【 転載編 ―】*=======**========

■『法華経』の中に「長者窮子」の譬がある。
あるところに金持があって、その家の跡継ぎの息子が家出をして、諸方を流浪してルンペンに
なってそうして彷徨うていたが、とうとうまた故郷へ帰って来た。

どこへも寄る辺がないので、自分の故郷の親の家の門から、ふと覗いて見ましたら、そのお金持が
大勢の召使をずっと列べて、いかにも王様のような姿をして坐っている。その姿を見た時に、
自分のようなルンペンの、破れた半纏を着たこんな男が、こんなところでうろうろしておったら
家来たちに捕えられてどんあひどい目に遇うかもしれないと逃げ出した。

そうすると、王様は一目見ると、『あれは自分の子である、本当の子はあの子のほかにない、
自分の全財産を譲るべきはあの子である。自分の全財産の持ち主は本当はあの子なのである、
あれを呼び戻せ、あれにこの財産を与えるのである』とこういった。

ところが家来たちが追っかけて行くと、ルンペンはますます恐怖を感じて、とうとうびっくりして、
目を廻して倒れてしまった。皆が寄って介抱をしてようやく気がついた。ところで、立派な服装の
高位高官の家来のような姿をしておったら、何か自分を取り押さえるためにでも来たように思って
怖がるから、その家来は父の長者の命によって方便を設けてみすぼらしい服装をし、
「こういう土方仕事の下らない仕事があるのだが、君一つ働かないか」
といったら、そのルンペンも安心して土方をしている。

そうして、少し働いているうちに少し位を上げて土方の頭にする、もうしばらく働いていると
監督にするというような塩梅式に、だんだん出世さして、高い位になってきた時分に、
もうお前は長者の跡継ぎであるといってやっても恐れて逃げない時が来る。

その時になって初めて、お前はわたしの本当の子である、自分の全財産はお前のものであると、
こういうぐあいに長者がいわれたという話がありますが、光明思想の普及のやり方もそれと
同じことである。

われわれは初めから
「人間は神の子である、仏である、すでにお救われているのである」
こう教えてあげても、
「そんな馬鹿なことがあるものか、自分は現に病気で困っている、貧乏で困っている」
と反駁する。

中には「そんな迷信があるものか」といって逃げ出す人もある。そういう人に対しては、やはりこちらが
下まで降りて行って、そうして土方の親方ぐらいに化けて行って、

「あんた病気か、病気なら病気を治すえらい便利なものがあるぜ。こういう本を読んだら治る、たった
五銭で一冊のパンフレットを読んで治った人もたくさんある。どこの誰もこうである、どこの何さんも
こうである」と実例を挙げる。

すると「そうか、そういう結構な薬があるのなら」と読んでみると、
読むにつれて、「なるほど自分は神の子である、病気は本来無い」ということがちゃんと悟れるように
なっている。救われるべき相手の高さの程度まで降りて行く、これが仏様の本当の慈悲の働きであって、
下品なように見えているけれども、下品なように現わなければ救われない人に対しては、
われわれはそういう相を現わして救うほかはない。

これが菩薩行である。
観世音菩薩が三十三身に身を変じて衆生をお救い下さるというのもみなそれである。

                    つづく
❤〜SAKURA

3173志恩:2015/01/12(月) 01:50:21 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

📙 神 と ひとつであること

私たちは 神の存在そのものの中に 生きています。
私たちの中に 神がいるのです。
私たちは 常に 神の存在と ひとつですから、神の愛とも 常にひとつです。
私たちは 神の命と ひとつなのです。

自分が 神の中で生きていることに 気がつくと、私たちは ほっとリラックスします。
何も恐れるものは ありません。神は いつも 私たちと共にいるからです。
神の癒しの力が 及ばない状況は 存在しません。
私たちを祝福し、変容させる神の力より 大きな不調和もありません。

今、この瞬間、神の存在が私たちを満たし、私たちを包んでいます。
私たちは 決して孤独ではありません。
私たちは いつも神の命、神の光、神の平和、神の力とひとつです。
神は 今も、私たちを 癒し続けています。
神は 今も、私たちを 祝福しています。
神は 今、私たちを導き、インスピレーションを与え、私たちを 繁栄させています。

私たちは 神の存在の中に 生かされています。
神は 私たちの中に 生きています。
私たちは ずっと、神と ひとつです。すべては 完璧です。
そして 私たちの進む道は、なだらかで 整然としています。

3174志恩:2015/01/12(月) 02:09:44 ID:.QY5jUA6
『愛の波動を高めよう』より  アイリーン・キャディ【著】:山川紘矢/亜希子【訳】

📗 神の 助けを 借りて

神の助けを 借りて、ものごとを 起こらせましょう。
神に 意識を 集中します。
肯定的に考え、話し、行動しましょう。
そうすれば 神のエネルギーが あなたを 助けてくれます。

外部の いかなるものも、あなたを 傷つける
力を 持っていないことに 気づく 練習をしましょう。

あなたにとって 問題なのは あなた自身の 思い であって、
他の 何ものでも ありません。

そのことを 憶えておいて 下さい。
あなたの 思いぐせを コントロールし、
良いことに 焦点をあて 続けましょう。

難問、仲の良くない人、困難な状況などには、
感情的にならずに、距離をおいて、公平な態度で臨みましょう。

敗北主義、自己憐憫、後悔は止めましょう。
自分に起こることに 過剰反応を しないようにします。
あまりにも 真剣になりすぎては いけません。
自分を 笑いとばせるように なりましょう。

あなたについて 他人が考えたり 言ったりすることを
気にしては いけません。夜、寝る時、
自分の悩みについて、あれこれ 考えては いけません。

日々の行動のすべてを 神のために 捧げなさい。
すべてを 所有しなさい。

しかし、何ものにも あなたを所有させては いけません。
自分は 神の中にいるということを知り、
常に そのことを忘れないように しなさい。
あなたと 他の人々との間に、適度のバランスを 持つように 心がけなさい。

世界にとって、自分が重要であることを 知りなさい。
そして、この世界のどこかに、必ずあなただけの
居場所があることも 知りなさい。
地面に 種子を蒔く時は、蒔いた種子のまわりに 柵を作って、
その種子を守ります。
自分の心の中に 種子を蒔く時も、その種子を 困難や 心配などの
外から侵入する思いから 守るために、心理的な防衛柵を 設けましょう。
あなたの潜在意識が その種子を受け入れ、
それが発芽し、成長し始めるまで、そっとしておきましょう。

3175志恩:2015/01/12(月) 02:24:49 ID:.QY5jUA6
つづき

📘1つの種子のことを考えてみましょう。

袋の中に入っている限り、それは 眠ったままです。
それが一度、袋から取り出され、土の暗闇に播かれた時、
変化し始め、成長し、広がってゆきます。
ある種子は 他の種子と比べて、発芽に時間がかかります。

自分に何が起きているのか、よく見るための時間が必要です。

私は 種子と同じように、成長して変わるために、

暗闇の中に 入ってゆかなければ なりませんでした。

暗闇にいると言って 落ち込んでしまうかわりに、
これは ひとつのすばらしい神の計画の一部であって、
成長し、変化し、動いている時間であり、そのすべてが
暗闇の中で起こっているのだと理解することができます。

恐れることは 何もありません。
通過しなくてはならない過程であることを 受け入れ、
すべてのものと一緒に 流れてゆくことだけが 必要なのです。

自分が思っていたよりも、この段階が長く続いたとしても、
落ち込んで絶望してしまわずに、多くのことが 自分の中で、
そして 暗闇の中で起こっていることを 理解し、
辛抱強く 神の完全なタイミングを 待つことが必要です。

すべて 自分に起こって来ることは、
自分が学ばなければならないレッスンとして受け入れます。

このレッスンは たくさんの人々を助けるために 使うことができます。
彼らが いま通過している 大変な暗黒の時期は、
人生の中で 特別に 大切な時期として 利用することができること、

そしてますます苦況におちいらないためにも、落ちこんだり、
絶望してはならないということを明らかにするからです。

この暗闇の時期に、すばらしい変化が 人生に たくさん起こるのです。
最初 人生が 真っ暗闇に落ちた時、私は とても恐れました。
すべてを失ったと感じて、
木ばかりが見えて、森全体が見えなかったからです。

私は 気持ちを平和に保ち、森の中に一本の細い道を見ました。
そして、その道にそって進んでゆきました。
すると、美しい木や森が見えただけでなく、
私にまわりの自然の美しさも目に入ってきました。
私は何も物が見えなかったのに、今はよく見えます。
そして見るものすべてに感謝しています。

3176SAKURA:2015/01/16(金) 17:08:49 ID:???
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■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 真理を伝えるのは愛の道 ―その9 ―【 転載編 ―】*=======**========

■維摩経がみずから身に病を現わしてそうして本来病無き所以をお説きになったということが、
仏説『維摩経』に書いてある。これもやはりお釈迦様がお説きになった教えである。

キリスト教の聖書の中には、キリストが病気を治し給うた記録がたくさんある。
ところが、生長の家で病気が治ったという事実を発表すると、多くの仏教者やクリスチャンや
そのほかいろいろの宗教家が「宗教で病気が治るのは邪道である」というふうなことをいって
攻撃されるのであります。

それならキリスト教は聖書に病気の治った話があるから邪教であり、釈迦は『維摩経』で
病を縁として実相を説いたから仏教は邪道だということになる。こういう観方でゆくとすべての
宗教は邪道に観えてくる。

こういう人こそ実に気の毒な人であって、自分の心の眼が「邪教」であるから、
すべての教えが邪教に見えるのであります。
お釈迦様は「総ての衆生を見ること一子羅喉羅の如し」とこういうぐあいにいっておられる。

もしここにわれわれが、自分の子供が病気をしているという時にこれを宗教で治してくれた人が
あったら「なんじゃあいつ、病気を治しやがって邪道である」と罵倒しうる父親、
母親がありうるでしょうか。

そうしたならば、多くの人類が生長の家によって治されていると事実を見て、多くの人類はすべて
自分の一子羅喉羅のごとしであるから、救わなければならぬ子であると思うているはずの宗教家た
るものが、自分の子供と同様な衆生が、生長の家によって病気が治っているという事実に対しては、
「ああ、ありがたい、わたしが行って世話してあげなくちゃならないところを生長の家が治して
くれたのだ、ありがたい」という気持になるのであってこそ、これ仏様の心なのであります。

ところが、自分の子供同様救わなければならない衆生が、生長の家で病気が治っている――
その事実を見て、「なんじゃ、あんなところに行きやがって、病気治しやがって……」と、
鬼のような心をもってそうして本当に救う働きを現わしている、観世音菩薩の働きを現わしている
「生長の家」に対して咀いの言葉を投げかけるような宗教家があるというようなことは、
彼が宗教家であるのか、地獄からの使者であるのか、実に嘆かわしい次第であると思うのであります。

               次の項目につづく
❤〜SAKURA

3177ママ:2015/01/17(土) 00:42:07 ID:YqbfME42
志恩さま、sakuraさま、読んで幸せな気分にならせていただきました
我が家は、本は、それぞれの部屋に分散してて、読みたいときによめないので、
何気にここ見て良かったです゜

3178志恩:2015/01/22(木) 03:15:22 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著《人生読本》より

『他(ひと)から見て どう見える』

仕事でも、顔でも、店構えでも、事務所の玄関でも、外から見て どう見えるかを 調べてから、他に見せるようにすることが大切です。

仕事をする上からいえば、自分は その仕事をやりとげることに熱心すぎて、ちょっとぐらいよごれていても、
気がつかない事がありがちです。

いかに立派な製品でも、ほんのちょっと手垢がついているために、つまらないものだと見向きもされないこともあります。

まず自分がお客になって玄関へ入って行くと、どんな感じがするか、什器や椅子の並べ方は不快ではないか、
応接室で待っているとどんな感じがするか、何分間待たせられるか、待っている間に放っておかれるか、

何か出されるか、その出し方はどんなふうにするか、読み物はあるか、最初の面談はどんなふうに始められるか。
・・・・・こんなことでも、自分が客となって見なければわからないのです。

他の事務所や商店と比較してみて、悪いところはできるだけ廃(や)めるようにし、良い所はできるだけ取り入れるようにし、
さらによそに見られぬ好い感じを出すようにしなければなりません。

自分の店や自分の事務所ばかりを見ていては、欠点があっても、その欠点は慣れてしまって、
それが当たり前のような気がして気づかないものです。

臭い空気に慣れてしまっては、その空気が臭い空気だということに気がつきません。しかし外から入って来たら、
「なんてここは臭い空気だろう」と気がつくのです。

 客は外から入って来るのですから、一番誰よりもその室(へや)の空気の良し悪しには気がつくのです。
室の空気の良し悪しというのは、鼻から吸う空気だけのことではありません。 心で吸うなんとなきその室の味です。

その室の匂いです。その室の感じです。

その中には人間のようすもあり、微笑もあり、心の思いもあり、椅子や家具の並べ方もあり、
「ああ、ここは気持ちが好い」と思われるようにしなければなりません。

3179志恩:2015/01/22(木) 03:22:52 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著「女性の幸福365章」

「生きることは美しい」

悲劇にさえも其処に美がある。悲しみさえも、
それは生命の働きであるから其処に美が構成されるのである。

人がその人生航路において右するも死、
左するも死・・・の板挟みに立たされながら、

辛うじて「生」のバランスを保っているところには、
恰も生死の構図の不等辺三角形が、倒れんとして倒れないで、
不均衡の均衡を保っている美に類似した美しさがあるのである。

円盤投げ選手の姿勢の美しさや、体操選手の平均台上における
美しいフォームなども、不均衡の均衡、倒れんとして倒れざる、
重圧に対してそれを克服しつつある内部生命の美しさの表現である。

人生の重荷も、もしそれを私達がよく耐え忍ぶならば、
私たちはこの宇宙に何らかの「美」を創造しつつあるのである。

「私は今、この人生苦を耐え忍ぶことによって
人生に“美”を創造しつつあるのだ」という考えを起すならば、

無価値と見える人生に私たちは価値を見出し、
生きる希望と勇気とを与えられることになるのである。

3180志恩:2015/01/22(木) 03:30:04 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生著「女性の幸福365章」より

 「急ぐことは いらない」

瞑目して自己に語れ、
「われは神の子であるから、実相に於いて完全である。
その完全さは、
毎日一層より多く自己の生活にあらわれつつあるのだ」と。

神は急がない。
無限の時間があり、無限の機会がある。
必ず成就する、神が成就せしめる。
神にまかせよ。自然に熟する時が来る。

過去の失敗や不幸を回想してはならない。
過去は過ぎ去ったのである。
反芻して過ぎ去った苦痛を、もう一度味わうのは愚かなことである。
毎日々々、過去を捨て去り、今日を新しく生きるがよい。

3181SAKURA:2015/01/22(木) 19:22:11 ID:???
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3148>>3149>>3150>>3151>>3152>>3153>>3154>>3156>>3157>>3158>>3159>>3162>>3172>>3176
の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 皇室および一家の祖先を礼拝せよ ―その1 ―【 転載編 ―】*=======**========

  ■われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、次いで一家の祖先の
霊魂を祀れる祭壇または仏壇の前に座してその冥福を祈願し、かつ自己の生命も永
遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す。■

■このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、生長の家の真理の根本を貫く
ところのものであります。これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝し」ということの
意儀もわかりません。皇霊を礼拝するということも虚礼ではありません。

いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今の」一点に
生きているのです。そしていろいろの日本国の興隆不沈はあったにしても、どんなときにも
日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展してきました不倒翁(おきあがりこぼし)の
重心のごとくドッシリとして、その中心からどんな時にも日本国が立ち直ることができた重
心は天皇がましましたからであります。

われわれは歴代の天皇のこの御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。だからわれわれは
歴代の皇霊に対して崇敬の誠を捧げるのであります。


 仏教では霊魂という言葉を使わないのであります。それで、「生長の家」で霊魂というよ
うな言葉を使うと、それは仏教と衝突するといって反対なさる方も時にはあるのであります。

しかし仏教では「霊魂」という言葉を使わないけれども「神」という言葉を使う。『無量寿経』
にも釈迦が兜卒天宮(とそつてんぐう)より降ってこの世に生まれることを「兜卒天に処して
正法を弘宣し、彼の天宮を捨てて神(たましい)を母胎に降し、右脇より生ぜり」とあります。

この「たましい」という字は「神」(じん)という字を書いています。このように仏教も有霊魂論
なのですから撲滅しないでよろしいのであります。一昨日でしたかラジオで、誰かが日蓮上人の
遺文録の講義をしておられた時に、ふとスイッチをひねったのであります。

めったにラジオのスイッチをひねったことはなかったのですけれども、その時なんだかひねって
みたくなって聞きましたら、その中で、日蓮上人が竜の口で斬罪に遇うところの講義に「自分は
たといこうしてここで斬罪に遇って死んでも、魂獏この世に止まって云々」ということを日蓮上人
が言われたそうです。

それはなんでも『開目鈔』にある言葉らしいのですが、確かに「魂魄」というものを日蓮上人は
認めておられた。これはやはりわれわれのいう「霊魂」の異名なのであります。
また仏教では霊魂という言葉を使わないで、「有」という字を使うこともあります。

                        つづく
❤〜SAKURA

3182SAKURA:2015/01/26(月) 21:46:37 ID:???
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こんばんは……ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編】
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>>3181 の投稿の続きです….。
■□ 【 生長の家とは 如何なるものか 】

(生長の家家族の祈願および修養) 谷口雅春著  昭和46年初版発行
*========*【 皇室および一家の祖先を礼拝せよ ―その2 ―【 転載編 ―】*=======**========

■すなわちわれわれの死んで行く世界を「有」と名づけてありまして、六道を二十五有にわけ
るというふうなことをやっておる。

そうして仏教ではわれわれの肉体が滅して四十九日のあいだは中有に迷うという言葉を使って
おるのであって、まだその「二十五有」の中のどこへ行くか決まっていない間が四十九日ある、
その四十九日間を中有に迷って家の棟にふらふらとしている。それからその期間が過ぎると、
その期間が満ちたというので「満中院」と称し「満中院志」というのを配ったりします。

その時期が来るとお前は前世の業がこうだから六道のうちのどの道を行けということは前世の
業に従い、自然の摂理に従って未来世の行くところが定(きま)ってくるのであります。

ところでこの「有」というのは何であるかというと『仮存在』である。本来久遠生きとおし
常恒の存在であるところの「生命」が因縁によって仮存在として、アチラに現われたりする、
コチラに現われたりする、これが輪廻転生というものであります。「実相の生命」には来世と
いうことはない、生まれ変わるということはないのでありますが、仮存在としての生命は生まれ
更わるのであります。

そうしてこの肉体の世というものもこの仮存在の一つであります。
さて、その仮の世というものが何でできているかと申しますと、業でできているのです。
業というのは何であるかというと、「念波」であります。「念波」の集積が業であります。

それで、われわれの肉体というものは、科学的にはこれは物質の体で、物質の体とは何で
あるかというと、エーテルの波の中にできた渦巻の塊である。そのエーテルも本来無いと
いうような最近の説までありますが、結局「何もないもの」無の一種の波であるということに
なっているのであります。

そんなわけで、この肉体というものも何もないものも一種の波であるのでありますが、
肉体として現われている波と、霊魂の体として現われている波とがあるのです。

眼に見える波動(すなわち肉体)だけ存在すると思ってなりません。眼に見えない、
われわれの五官に触れない無数の波動が存在するということを知らねばなりません。

                            つづく
❤〜SAKURA

3183志恩:2015/01/30(金) 07:15:13 ID:.QY5jUA6
 谷口雅春先生・「叡智の断片」




先ず自分は何処に立っているかを考えて見よ。


自分の我欲の上に立っているか、

神の御心の上に立っているか。


脚下証拠。

3184志恩:2015/02/08(日) 04:03:52 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生のおことば

  神と偕に生きる

今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。

大いなる仕事が見つからなかったら、

目の前にある些細な愛行や、深切な言葉や、

奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

他の人の自由や財産を侵して自分が利益を得たり、

権力を得ようと思ってはならない。

このようにあなたの日常生活を浄めることによって、

あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。

3185志恩:2015/02/08(日) 04:09:09 ID:.QY5jUA6

谷口雅春先生著「真理 第2巻」


我が毎日が新生である。一瞬一刻に挑戦せよ!




昨日と同じものはひとつもない。

ひとつひとつの体験が悉く自分の魂の

向上進歩の段階となるものなのである。

過去にとらわれてはならない。


今、新しき経験があなたの目の前にあるのである。

それを真心を以って一心不乱につくすとき、

その次の段階がひらけて来るのである。

3186トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/02/18(水) 20:20:56 ID:TXLBGFCU
「栄える生活」

 動には必ず反動が伴うものであって退くこと多ければ進むことも大きいのであるのである。
常緑の木には豊かに花をつけるものはないのである。それは退くことがないから進むことも
ないのである。時計の振り子は右に振れただけ左に振れるのである。動と反動とは同一の量
であるのが物理的法則である。吾々は必ず退いただけ進むに違いないのである。諸君の運命に
秋が訪れ、また冬が訪れてこようとも決して吾々はそれに驚くことはないのである。冬がいっそ
う寒いときには麦はいっそうよく実るであろう。されば吾々は常に今あることを感謝せよ。

(「青年の書」谷口雅春先生 159pより 謹写)

 現在、生長の家は、教団の組織指導と信仰指導が混迷し、また一種の内紛とも見える状態を
呈しています。この掲示板をご覧の方の中には、失望落胆されている方もおられるかもしれません。

 しかし、こういうことが起きた後、やり方を間違えなければ、必ず、正しい方向へ伸びます。
今起きていることは、全て、良くなる前に必要な過程であります。

 そのためにも、信仰者の皆様は、聖典を再読し、行をいたしましょう。

3187アクエリアン:2015/03/04(水) 11:49:23 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(1)

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.”
I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact
that the essential being I am inside myself is the same in my 50s as
when I was only 15.

So who am I really?

Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self
within?

Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

appreciate:称賛する、感謝する、正しく認識する
ponder:じっくり考える
encase:すっぽり包む
dwell:住む

私の父がかつて次のように私に語ったことがありました。

「お前が年をとったとしてもお前は自分が老いたとは感じないよ。」

私は父がこのことを語ったとき何を言おうとしていたのか、ということが、今の私なら理解できます。
というのも、私は、私の内なる本質は、15歳のときだろうが、50歳代のときだろうが、不変なのであるという事実を、ずっと考え続けているからです。

それでは、私とは一体いかなる存在なのでしょうか?

年齢とともに変わって行く一人の女性なのでしょうか?

あるいは、内なる不変の自己なのでしょうか?

時間という要素に制約されている女性なのか?

あるいは、時間という要素の制約を超えた存在なのでしょうか?

3188アクエリアン:2015/03/04(水) 20:31:44 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(2)

Aging Spirituallyー(2)
(霊的に年をとる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yesterday.”
And that’s because in a way it was.

If time, as Einstein declared, is merely an illusion of consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction;
everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now,
is the true “I am.”

illusion :幻影
linear:直線の
metaphysical :形而上学的な、きわめて抽象的な
realm:領域、範囲

しばしば、ずいぶん前に起きた事について言及するとき、「それは昨日おこったことのように覚えている」と言うことがあります。
そして、それはある意味、その通りだからなのです。

もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、一直線に進む時間という概念そのものは、
頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

「everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now.」
「かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。」

この文章は、「the eternal now(永遠の今)」という概念を解説する文章として、なかなかうまいこと表しているなと思います。

過去も、未来も、すべてこの「永遠の今」という瞬間において、自己の心の掌中に握られているのだ、ということでしょうか。

これは、常に口に出したい文章で、私は非常に好きです。

「甘露の法雨」に曰く、

生命は時間の尺度のうちにあらず、

老朽の尺度のうちにあらず、

却って時間は生命の掌中にあり。

これを握れば一点となり、

これを開けば無窮となる。

若しと思う者は忽ち若返り、

老いたりと思う者は忽ち老い朽つるも宜(むべ)なるかな。

3189なでしこ:2015/03/05(木) 01:04:38 ID:EIiX3Duo
アクエリアン様

有難く拝読させて頂いております。合掌

3190志恩:2015/03/05(木) 06:31:34 ID:.QY5jUA6
3187,3188:アクエリアン様

>>アクエリアン様の文、一部抜粋

■マリアン・ウィリアムソンを読む
Aging Spirituallyー
(霊的に年をとる)

もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、
一直線に進む時間という概念そのものは、
頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。

かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。
永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

「everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now.」
「かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、
これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。」

この文章は、「the eternal now(永遠の今)」という概念を解説する文章として、
なかなかうまいこと表しているなと思います。

過去も、未来も、すべてこの「永遠の今」という瞬間において、
自己の心の掌中に握られているのだ、ということでしょうか。<<
……………………………………………………………………
アクエリアン様

ユニティの格調高い文と、他板では、歌のご紹介も、感謝します。
雅春先生時代には、海外の光明思想家の方々が、次ぎから次ぎへと、雅春先生に会いに、
来日されていましたものね。デーヴィスさん、ホルナディさん...、輝くオーラを放ちながら、
講演も、通訳つきでされて、信徒たちを啓蒙して下さってました。
また、こういう時代が来るといいですね。

3191アクエリアン:2015/03/05(木) 20:55:47 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(3)

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The eternal self dwells in eternity, and eternity intersects linear time at only one point: the present.

intersect:交差する、相交わる

Who you are in this moment, therefore, is who you truly are.

And from that essential point of perfect being―created anew by God in every instant―miracles flow naturally.

anew:新たに、
instant:瞬時、瞬間

Thoughts of love interrupt the past and open the future to new probabilities.

No matter who you are, no matter how old you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は久遠のなかに存在するのです。そして、久遠と、この現象の時間とは、ただ一つの地点ーーつまり、現在ですねーーにおいて、交差するのです。この瞬間のあなたの姿が、それゆえに、あなたの久遠の自己の顕れなのだということになります。そして、真の自己は、瞬間瞬間、神によって新たに創造されている完全な存在なのだという絶対的な次元から奇跡は自然に生まれてくるのです。愛は過去からの悪影響を遮断し、未来に対して新たな可能性を開くのです。現在のあなたがどのような境涯であろうと、何歳であろうと、あらゆる可能性が開かれているのです。

なでしこ様、志恩様、メッセージありがとうございます。

マリアン・ウィリアムソン女史は、アメリカ人でありながら、非常に深い真理を体得されているように思います。
前世、インドか日本で、インド哲学か仏教などを学んでいたのではないかと思わせられる、宗教的センスの良さが
感じられて、魅力を感じています。

3192アクエリアン:2015/03/06(金) 20:48:04 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(4)


Aging Spirituallyー(4)
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then
our experience begins to shift from the changeable to the changeless
. . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can
in fact expand. And as it does, time itself is affected. The deeper we
go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

identify with;・・・・に関係する、共鳴する

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの生活が、もっと霊的な次元を意識するようになると、私たちの経験は、無常なものから常住のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。私たちが現象の時間を意識することが少なくなるほど、私たちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。私たちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上における私たちの潜在能力をより多く実現していくのです。

3193アクエリアン:2015/03/08(日) 10:27:37 ID:X49tdNOI

■マリアン・ウィリアムソンを読む(5)

Aging Spirituallyー(5)
(霊的に年を重ねる)

By Marianne Williamson

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

align oneself with:・・・・と提携する
luscious:甘美な、官能的な、きらびやかな
decrepit:老いぼれた

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の内に眠っているわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である久遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという通常の人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3194アクエリアン:2015/03/12(木) 20:36:35 ID:X49tdNOI
「エマソンの光明思想と生長の家」 谷口雅春先生

理想世界誌昭和四十七年十月号輪読のための青年法語より


■四日のことば 超越的自己を自覚するために

わたし達は “本当の自分” ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、 肉体が生活している “物質と見えている環境” の有様にのみ心を集中して生活している時には、 この内在の “本当の自分”---Soul(魂)なる自分には気がつかないのである。

しかしある瞬間 ---それは座禅や鎮魂や神想観や瞑想や---兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみ ひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが

「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」

と自覚された時のような、肉体の 年令や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのである---諸君もそれを自覚するときが 来るのだ---そのためには毎日怠らず神想観を実修するがよい。

【コメント】
この法語で説かれているように、「超越的自己」の自覚、ということが、生長の家のみならず、宗教の究極の目的ではないでしょうか。マリアン・ウィリアムソン女史の言う、「the eternal self」ですね。

3195島津綾久:2015/06/12(金) 16:12:07 ID:???


 誰であれ人に会ったら「夜中12時にはこの世を去る」そんなつもりになって、いままでとは違った態度で接する。それは極めて簡単である上に、それと引き換えに人生が永久に変わるのです。ぜひ試してください。


 明日という日があるのは愚か者の暦だけ。昨日の敗北は忘れ、明日の問題は無視します。今日こそ、最後の審判の日。あなたの持っているすべて。それを一年で最高の日にするのです。もう一度人生をやり直せたらという言葉ほどわびしいものはありません。今日はあなたの日です。


 一日一日が神からの特別な贈り物です。人生は常に公平というわけにはいかないかもしれません。しかし、醜い自己憐憫のマントをまとっていては絶対に勝てないし、泣きごとの不快な響きは成功のチャンスを必ず追い払います。そんなことはもうやめましょう。もっと良い生き方があるのです。


 欠点が邪魔をして前進できないのではないかと取り越し苦労をするのはやめること。人間は神の創造物であり、志を高く持てばどんな夢でもかなうのだと折にふれて思い出すようにしよう。自分は飛べると思ったら本当に飛べるのです。失敗するのではないかなどと2度と考えないこと。


 1974年、ハンク・アーロンがベーブ・ルースのホームラン記録に近づいたある朝、私はアトランタブレーブスの広報課に電話しました。「ハンクのホームランが710本で、あと5本でベーブルースの記録を破ることは知っています。ところで、ハンクの三振はいままで何回ですか?」電話に出た青年は言った「1262回です」不世出のホームラン王でさえホームランを一本飛ばすために、倍近く三振を出さねばならないのです。


 失敗は人生が人に教訓を与える手立てなのです。ときどきへまをやらかす能力は、目標に到達する能力と切っても切り離せない関係になります。連勝連敗の勇士などどこにもいないのです。失敗してもそれは成長の一部でしかありません。たとえばへまといっさい縁を切ったとします。ときたま失敗することなしにどうして自分の限界がわかるでしょう。失敗しても投げ出さないこと。そうすればいまにあなたの番がきます。


 ひとたび明日から給料以上の働きをすると心に決めたら、人生に奇跡が起こり始めます。現在何で生計を立てているか、仕事のいかんにかかわらず、毎日給料以上の働きをすれば、生活はすぐさま向上しはじめます。費用は全くかからないのに効果は抜群で、このルールに従えば人生は永久に変わります。


 何ごとも期待される以上の仕事をするという秘訣を習得すれば、成功の勝利は半ば手に入れたも同然です。職場に欠かせない人材になるように、役に立つ人間になるのです。もう1マイル行く権利を行使して、それによってもたらされるさまざまな報酬を手に入れるのです。あなたはそうした報いを受ける価値があります。


――――――――――――――――――――――――――――
●オグ・マンディーノ
 1923年アメリカボストン生まれ。高校卒業後アメリカ空軍中尉とし
て活躍後、保険の営業を経て出版社を経営。 1976年から著作活
動と講演活動に従事し、『地上最強の商人』の大ヒットによって一躍、
人気作家に。アメリカで最も精神的影響力を与える作家の一人とし
て挙げられると同時に、その講演内容にも定評があり、全米各地で
人気を博す。著書15冊、世界で2500万部を越える。1996年9月
急逝。
――――――――――――――――――――――――――――

3196島津綾久:2015/06/13(土) 05:11:47 ID:???

 〝病なし! 迷いなし! 罪なし!〟これが生長の家の根本真理であります。それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。

6月13日3:30am
谷口雅春先生 最後のお言葉――

3197a hope:2015/07/17(金) 12:04:33 ID:cEpBaIdo

「神 真理を告げ給う」 p87

               ○    

何よりも日本の青年たちを堕落せしめる根本原因になっているものは、アメリカ軍が敗戦の日本に当時押しつけた「日本国憲法」の残存である。この憲法が青年たちを道徳の頽廃に導く根因を成しているというのは、人間を単なる性・色の本能をもてる肉体だという考え方から出発して、双方の性欲さえ動けば結婚は自由であるという風に規定しており、更に、国民はその肉体が健康で快適な生活を送る権利が有る――そのようなことを基本的人権として書いているからである。


肉体が健康で快適な生活を送るためには、国民各自みずから努力し修養し、そのような境地に達する義務があるのであるが、この憲法はその義務をかいていないのである。この憲法には国民みずから努力の義務なくして、国家ばかりに国民を健康にし快適な環境を生活させる義務を負わせている。そのために何か自分に都合が悪いことが起これば、国が悪いのだ、政治が悪いのだと、自分の不幸の責任を国と政府に肩代わりさせて、国を憎み、政府に反逆するように書かれているのである。責任を他に転嫁して自分が責任のがれをする生活は、安易である代りに、人間を卑怯に育てて堕落させる結果を招くのである。

               ○

3198a hope:2015/07/17(金) 12:10:37 ID:cEpBaIdo

>>3197 a hope 所感)

たしかに日本国民の道徳観はどんどん頽廃してきているようにみえます。
離婚にともなう片親家庭の増加、当たり前のようにする不倫など、わたしの周りではもうそのようなことはめずらしくありません。
少し前までは後ろ指をさされる様なこともあったかもしれませんが、最近では当事者であっても悪びれたそぶりも見せません。


ですが、数日前に信仰/体験板に謹写した同聖典の言葉に、

<<地上で果たすべき最後の課程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。
その卒業移住と引き替えに、他の地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰(あたか)も中学校卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住してきたのである。
それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。
彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣の中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異(ことな)る道徳的規準を身につけており、絵を描くにしても、音楽をたしなむにしても、衣装をつけ、髪形を調えるにしても、男女交際のあり方にしても、全く戦争前地球人とは全然異(ことな)る
趣味と表現と風習とをもっているのである。
けれども彼らはやがて地球という稍々(やや)上級天体の生活に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。
世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/2618

とあります。

そのことから考えると、現憲法である「日本国憲法」は霊性の高い谷口雅春先生、又は戦前生まれの方々からみれば波長の合わないものだったかもしれませんが、
『他の天体に今まで住んでいて…今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異(ことな)る道徳的規準を身につけて』いるという、
戦後に生まれたわたしたちには、きっとピッタリ波長があってしまったのでしょうね。
だからこそ、70年間も存続し続けたのだと思います。

ですが神さまは、そのような最悪と見えるような状態も、

<<けれども彼らはやがて地球という稍々(やや)上級天体の生活に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時が来るのである。
世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>

と、とても楽観視されてます。

「限りなく日本を愛す」の谷口雅春先生の切羽詰ったような論調とは明らかに趣が異なります。

神さま! 今日本で起きているすべてのことは、日本が、わたしたち日本人が良くなるための自壊作用ということなのでしょうか?

3199「訊」:2015/09/10(木) 08:49:47 ID:???




 敗退したるところの日本精神は、決して精神主義的なものでも心霊主義的なものでもなく、日本精神の仮面を被った唯物論そのものであったことは先ず最初に注意すべき事柄である。(中略)日本軍部の敗退の原因は其の徹底的唯物論であって兵を観るに『人格』として視ることなく、ただの物品として取扱った。打つ、擲(なぐ)る、蹴るは無論のこと、『鶯の谷渡りをせよ』と云って小鳥の真似をさせたり、『蝉になれ』と云って柱に数時間とまっている真似をさせたり、人間を人格として観ず、鶯や、昆虫や無機物として取扱った。(中略)更に、日本軍部敗退の原因は其の軍需経済の建て方が、唯物的であったと云うことである。換言すれば『奪えば増加し、与えれば減る』と云う物質的算術図式の経済しか知らぬ幼稚なものであったのである。

「白鳩」誌(昭和二十一年六月号)より謹写――


 軍も官も概ね利己に心の眼がくらみ、富める国より、有てる国より奪うことによって、日本を大きくしようと考え、それに付随して自己の栄達を希(ねが)って、国民を引摺って行ったのである。国民もそれに無我に随って行ったようであるが、真に無我ではなかった。やはり利己的動機で儲けようと考え(中略)尚それよりも重大なのは、やはり富める国より、その領土を奪って、日本領土を拡張することが国に忠義であるとの国家的利己主義に眼がくらんで、それを謳歌していたのである。国民はかくして眼くらみ、盲人となって盲人なる軍官指導者に手を引きずられつつ歩んで行った。そうしてついに今日の破局に墜落したのである。

「生長の家」誌(昭和二十年十二月号)より謹写――


 『神の国』と彼等日本人は自国を称したけれども、それは『封建的上位階級の支配する国』と云う意味であった。従って『日本神国』と称すれば、如何にも他から察せば、宗教立国の国のように聴えたけれども、実は無神論も無神論、ただ特殊上位階級を指してカミと称した偶像崇拝者支配の国と云う意味であったのである。このようなことではどうして、真の宗教をもち、真の『神』を信ずるアメリカ軍の信念の力に立向うことが出来る筈がなかったのである。



「白鳩」誌(昭和二十一年六月号)より謹写――

 
 縛る心が『病気』である。病気と云っても肉体の事ばかりではない。国民を縛る国は病気の国であり、国民を縛る軍隊は病気の軍隊である。そのような国が敗れ、そのような軍隊が自壊したのは当然である。人間も病気にならないことを希うならば、また病人が治ることを欲するならば、『こうでなければならぬ』と人を縛る心、『こうありたい』と人を縛る心から、自分自身を解放しなければならぬ。他を縛る心は、自分自身をもそれに引っかからせて、自分自身を縛っているのである。人を『斯うでなければならぬ』と心で縛っている間じゅう、自分自身の心は窮屈であろうがな。道徳家はよく病気をする、他を審判(さば)き、他を縛る心があるからである。他を解放したときに、自分自身も解放される。一切万事われより出でてわれに還るのは此処に於ても真実である。


「白鳩」誌(昭和21年5月号)より謹写――

3200a hope:2015/09/20(日) 05:59:05 ID:H4pfxWHA

○いっさいの実在は神なる一元より発生したものである。

われわれは神の中にいる。

常住神を離れることはできない。

だから神に近づくとは一歩一歩、いろいろの工夫を凝らして神にまで攀(よ)じ登ることではない。

工夫という私の計らいがなくなった時、そのままで神の中におり、神に一致し、神のままに行為し生活している自分を見出だすのである。


「生命の實相」第22巻『知慧の言葉』より

3205トキ:2015/10/09(金) 01:09:10 ID:DxPu/lj2
全ての人間を”神の子″として拝むこと


あなたが”神の子″であるだけではなく、すべての人間が”神の子″であり、わたしたちと兄弟姉
                         
妹であるのであるから、わたしたちはいかなる人間をも”神の子″として礼拝し、全ての人間を祝福
                     
してあげなければならないのである。人を軽蔑してはならない。どんな不完全な状態がその人に現在
                                  
顧われておろうとも、その顕われだけを見て、その人間を根本的に蔑視するようなことがあってはな

らないのである。顕われのみを見ず、実相の完全さを見つめ、観じ、祝福することを継続するなら

ば、実相の完全さが、必ずやがて顕われて来るに相違ないのである。

「如意自在の生活365章」 谷口雅春先生著、193ページより謹写

3206a hope:2015/10/12(月) 10:23:32 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p2 8行目〜

はしがきより抜粋


・・・「聖語篇」に収録されている「智慧の言葉」は人間知の言葉という意味ではない、わたしという思想のラジオ的受信機に天界から放送された思想の宝玉的結晶である。

その放送は、わたしがあの『生い立ちの記』(本書・携帯版〈第十九・二十巻〉「自傳篇上・下」)にあるような霊感を受けて以来、道を歩いている時にも突然わたしの頭へ閃くように降って来ることが繁くなった。

わたしは手帳を常に携帯していてそれを走り書きとめる。

その時書きとめないでおくと、あとからどれだけ思い出そうとしても思い出せないことがある。

またわたしが会社にいたころ全然「生長の家」に関係のない期間書類の翻訳などに熱中しているときに、突然その機械に関係のない一つの言葉がわたしの頭に浮かんで、それをどうしても書かずにいられないで、走書きでまた書きとめておいたものもある。

そうして書きとめられた断片的思想を集めたのが、この「智慧の言葉」である。

いろいろ一つの問題に苦心して人間心で考え出したのではなく、全然他の問題に熱中している時にでも、まったく当時没頭している実際問題となんの関係もなく真理の言葉が天から降るようにわたしの頭にポッカリ湧いてくるのだから、わたしはこれを天界からくる霊的言葉だと信ぜずにはいられないのである。

昭和三十九年三月十日

著者しるす

3207a hope:2015/10/12(月) 10:25:21 ID:cEpBaIdo

○真理のみ、ただ真理のみがわれを生かすのだ。われを生かすものはパンではない。物質ではない。

○ただ霊によって新生するもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。
霊によって新生せる者には激情はない。利己的欲望はない。憎しみはない。恐怖はない。
五官の快楽の虚妄を知るがゆえに、それに捉われることはない。

○旧我を放下せよ。今日から神の子となれる。

『智慧の言葉』より

3208a hope:2015/10/13(火) 09:06:25 ID:cEpBaIdo

○執すれば善も善にあらず、執せざれば悪も悪にらず、流るる水のごとく、
とどまざるところに、否その奥に本当の善がある。

○肉体は肉体である、人間ではない。

○罪は罪である、人間ではない。

○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。
あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。
すべての支払いは「明日に、明日に」と思っている間に、
延ばしていた期間だけ先方から悪い念波の放送を受け自分自身の生長を妨げられる。

○みんな自分の念が悪いのだ。自分の念の影であったのだ。

○ひとを責めようとしていたのはまちがいであった。

○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。

○人は自分の心だと言う。しかし自分の心をもっていると思うのはまちがいである。
自分が心をもつのではなくて、自分はすなわち心である。人は何よりもまず「心」である。

○わが肉体はわが心の影。

『智慧の言葉』より

3209a hope:2015/10/14(水) 08:55:36 ID:cEpBaIdo

○誉むべきことあればその人の前にて直言せよとは古(いにしえ)の教えである。
責むべき点あらば誉むべき点のみ探し出してその人を誉めよとは生長の家の教えである。

○自分に深切であれ――これを本当に実行している人は少ない。

○いかに多くの人々が毎日自分を傷つけていることであろう。憤怒、憎悪、恐怖、罵詈――その他すべての悪徳は自分を傷つける。

○すべての心の動きはその人の顔に印象される。
三年間同一の職業をつづけている人は(特異な思想生活を別にもっている人のほかは)一見してその職業がなんであるかがわかる。

○白粉(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。

『智慧の言葉』より

3210a hope:2015/10/15(木) 08:46:31 ID:cEpBaIdo

○真理は大きい。誰もその全部を摑んだ者はない。

○われらの無尽蔵とは良き水脈に穿(うが)たれた井戸のように汲めども尽きぬことを言うのであって、洪水のことではない。

○洪水はわれわれを滅ぼし、不断につきない井戸水はわれらを生かす。

○贅沢はわれわれを滅ぼし、程よき衣食住はわれわれを生長さす。

○どうでもよいことにいつまでもかかわるな、生命は貴(とうと)い。

『智慧の言葉』より

3211a hope:2015/10/16(金) 18:28:20 ID:cEpBaIdo

○ひとを拝め、自分を拝め、みんな神の子だ。肉体のことではないぞ。

○神の子たちが互いに挨拶するように、人間よ互いに挨拶せよ。

○世にもし軽蔑すべきものがあるならばそれは唯一つ、軽蔑するという行為である。

○世話になるすべてのものに感謝せよ。

『智慧の言葉』より

3212a hope:2015/10/17(土) 06:54:02 ID:cEpBaIdo

○苦痛を不幸だと思うのは肉体心のあやまりである。苦痛がたましいの生長にどんなに必要だとかいうことを知る者は苦痛でも喜べる。

○苦痛が喜べるようになった時、その人には恐ろしいものはない。

○人を憎むな、憎むのは自分の苦痛をこわがっているからだ。苦痛が喜べるようになったときその人は憎みから解放される。

○苦痛の火の中にあって、自分のたましいが白金か鉛か自問せよ。

『智慧の言葉』より

3213a hope:2015/10/18(日) 08:34:01 ID:75EsoCW6

○病気がなおったという理由で神を讃えるものは、今度病気になったとき神を呪わないとは限らない。

○いつでも神をたたえうる者は幸いだ。

○人間がみんな神の子であることを自覚しないのは実に気の毒なことだ。自己が神の子であるという自覚がいっさいのもとである。

『智慧の言葉』より

3214a hope:2015/10/19(月) 07:47:35 ID:YuH7GFGM

○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。

○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○みんな希望を実現しようと思って焦るが実現できると思って悠々と努力する者は少ない。失敗者の多いのはそのためだ。

○できると思うものは必ずできる。

『智慧の言葉』より

3215a hope:2015/10/20(火) 08:46:06 ID:cEpBaIdo

○わが教えは広く大いなる道である。あらゆる存在が尊べる道だ。生命あらゆる存在を拝む道だ。机でも大根でも拝む道だ。

○わが教えは審判(さば)く道ではないのだ。礼拝の道だ。包容の道だ。

○物を生かして使え。しかし生命はもっと大事だ。物を大事にしようと思って人間を不大事にする者は本末を転倒するものだ。一枚の皿を破ったといって人間をガミガミ叱るな。人間は皿より尊い。

○といって一枚の皿をも大切にせよ、それを造った人の生命が宿っている。

『智慧の言葉』より

3216a hope:2015/10/21(水) 07:34:40 ID:cEpBaIdo

○われらは種を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。

○チューリップの花のように、バラの花のように、われわれの蒔いたよき思いがやがて花をさかすときの楽しみを思って喜べ。

○喜ぶ人は喜びの種を蒔く人だ。呪う人は呪いの種を蒔く人だ。悲しむ人は悲しみの種を蒔く人だ。

○蒔けば殖える。だからどんな方便でもして喜べ。

『智慧の言葉』より

3217a hope:2015/10/22(木) 08:58:58 ID:cEpBaIdo

○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。

○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢(おおぜい)ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。

○事務所に窒息するような空気をつくるのも、輝くような雰囲気をつくるのも上役の心持(こころもち)次第である。

○家庭の幸福を内に持たない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとして待っている。

○子を愛する親たちよ、家庭を乱すな。

○子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。家庭より外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。

『智慧の言葉』より

3218a hope:2015/10/23(金) 09:47:31 ID:cEpBaIdo

○すべての善さを知るものは幸いだ。自分の生活のみがいちばん善いと思っている間はだめだと知れ。どれも皆それぞれの姿において一ばん善いことを知るのが知恵である。

○善いということは生命がそこに顕現しているということである。

○朝顔の花をいちばん美しいと思うな。バラの花をいちばん美しいと思うな。藤の花をいちばん美しいと思うな。牡丹の花をいちばん美しいと思うな。生命は皆美しいのである。万象ことごとく美である。

『智慧の言葉』より

3219a hope:2015/10/24(土) 08:44:44 ID:cEpBaIdo

○人生は「迷惑」という側から見れば「迷惑」のかけ合いである。「世話をする」という側から見れば世話のし合いである。人に世話になることを恐れるな。その代わり他の世話をすることを惜しむな。助け合うという側から見れば助け合いばかりである。 そこは愛の世界がある。光明の世界がある。

○ひとの世話はしても、ひとの世話になりたくないという心はまだ「我」のくだかれない心である。

○愛でひとの世話をする人もあるが、誇りでひとの世話をする人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○自分がひとの世話をしたと思うな。みな大生命がさせたのである。胃腸は自分の力で全身に栄養をおくるのではない。胃腸のはたらきは全身の生命の機能である。世話をする者も世話をされるものもみな一体である。

○もし胃腸が栄養を送ってほかの部分を養うだけで、自分がほかから養われていることを拒むならば胃腸自身はほろびるだけでなく全体の生命がほろびる。

○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、世話されて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の循環であり、報恩の道である。

『智慧の言葉』より

3220a hope:2015/10/25(日) 09:19:04 ID:cEpBaIdo

○相対性理論で有名なアインシュタイン博士は光線が引力によって引き寄せられて屈(ま)がることを発見した。引力をエーテルの作用だと言っている学者もあるが、引力とは結び合う力、愛の力、生命から放射する力である。

○地上の動物は引力(愛)の方向に従うとき最も多く生長する。姿勢の悪い植物はそれだけ生長が悪いのである。これはあらゆる生物についても同じである。

○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。

『智慧の言葉』より

3221a hope:2015/10/26(月) 09:29:15 ID:cEpBaIdo

○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。

○医者の診断も霊感と直覚とかによって正しく導かれねばならない。医者こそ最も多く祈らねばならない人たちである。

○生長の家ではだいたい薬は用いない。「生命の法則」に順(したが)うとき病気にならないのが普通であるからである。しかしもし「生命の法則」を破って病気になったときはどうするか。祈りを深めてゆくことによってどういう療法をとるべきかについて大生命からおはからいがあるのである。

『智慧の言葉』より

3222a hope:2015/10/27(火) 08:21:43 ID:cEpBaIdo

○罪人よ罪人よと言うなかれ、皆な神の子だ。罪人はひとりもいないのである。

○けがれたるこの身このまま罪なしと思う心はまた迷いである。このままで罪なしと思うのは驕慢の心である。けがれたるこの身は本当の自分ではないのだ。けがれない円満なる本性が自分のうちにあって、この本性こそ本当の自分であると知るものが自己の本性をしるものである。

○このままで罪なしと自任するのは、このままの自分を本当の自分だと思い違えているのである。迷いを実在と見、それに執着しているのである。

○省みて迷いと本性とを区別し、迷いの相(あらわれ)を否定し尽し、円満完全なる自性を肯定しつくしたとき、五官の眼でこれが自分だと思っていた不完全な相(すがた)が消滅して、円満完全融通無礙なる自分の本性が開顕するのである。

『智慧の言葉』より

3223a hope:2015/10/28(水) 09:00:50 ID:cEpBaIdo

○打たれて腹が立ったり、膨れたり、反抗したりするのは負けた感じがするからである。強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。

○赤ん坊に対して腹が立たぬのは負けた感じがテンデしないからである。

○本当に強者としての自覚があれば、従順になれるのである。従順になる稽古は強者になる稽古である。神の子になる稽古である。

『智慧の言葉』より

3224a hope:2015/10/29(木) 06:14:55 ID:cEpBaIdo

○愛に一時報いがないように見えても愛の力を疑うな。愛した相手に叛(そむ)かれても愛の力を疑うな。すぐに結果がでるような功利的なものよりも大きな果(み)を愛は結ぶのだ。

○愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。この世に隠れたる愛がなかったらもっとこの世は悲惨であったに違いない。愛の精神波動は永遠に消えないでついに神のみ許(もと)に達するのだ。

○今まで注がれた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。

『智慧の言葉』より

3225a hope:2015/10/30(金) 08:13:39 ID:cEpBaIdo

○愛は、人と人との接触を和らげ、人生を住みよきものたらしめる。そこまでは誰でも知っている。されど、人間の愛が自然界に及ぼす影響を知っている人は少ない。すべての人間が互いに愛するようになり、怒りや憎しみや妬みなどの不調和な精神波動がこの世から消滅してしまえば、自然界の現象を支えている内的な力に一大変化が起こり、調和がおのずから自然界を支配し、聖書にあるような獅子と羊とが一緒に遊んでいる世界が出現するのである。眼に見える世界は心の世界の影でしかないからである。ことに万物の霊長でたる人間の心は万物を支配する。

○その時植物は今よりいっそう美しく花を開き、小鳥は今よりいっそう美しき声で鳴き、猛獣は猫のように人間の膝に眠る。

○生長の家が憎しみに反対するのは憎しみが人生の不幸の根であるからである。宇宙を支えている心の力を清めなければ、外界の一つの不調和をなんらかの方法で刈りとっても、またほかから不調和の芽が出て来る。不調和の根が残っているからである。

○心の改造に立脚せぬ社会改造運動が善いように見えて、結果がおもしろくないのは、不調和の根(心的実在)を刈りとることを忘れているからである。「剣をとるものは剣でほろびる。」憎しみで立つものは憎しみで滅びる。

○なんじら憎みのパン種で膨らましたパンを慎(つつし)めよ。それは美味しく見えても食べる者の心を憎しみで膨らますのである。

○一国を支配する者は名君である。しかし自己の心を支配しうる者の方がいっそうの名君である。

『智慧の言葉』より

3226a hope:2015/10/31(土) 07:02:48 ID:cEpBaIdo

○損をしたという。だけれども、よくよく考えれば人生はどんなに損をしようと思っても損のできないように造られているのである。損をしたと見えるような時こそ、魂が何かを摑んでいる時である。

○苦しみは損ではない。貧乏も損ではない。良薬は口に苦し。何が来ても、その中から養分を吸いとってわが生命は肥(ふと)るのだ。

○金銭の損で心を穢(けが)すな。昔から真に偉大な人は、みずから好んで金銭を捨てた人の方に多いのだ。

○他人(ひと)を我で自由にしようと思うな。自分で自由にしようとして自由にできる物は一つもない。しかし自分で自由にしようと力まないようになれば、なんと不思議、すべてのことが自由にらくに運ぶのである。我がなくなるからである。

『智慧の言葉』より

3227a hope:2015/11/01(日) 09:29:54 ID:cEpBaIdo

○生命の実相を信ぜよ。実相の神を信ぜよ。実相の神に結びつくとき、いっさいの罪は自分から切り離される。実相の世界には罪は存在しないからである。自分から切り離された罪は消滅する。

○生命の実相――生長の家の礼拝の対象はこれである。生命の実相――あらわれて阿弥陀仏となり、釈迦となり、イエスとなり、一切善き宗教の教えとなる。「彼を信ずる者の、その名によりて罪の赦しを得るべきことを証しす」と『使徒行伝』十章四十三にあるが、彼とは生命の実相である。生命の実相を信じ礼しこれに結びつく者は幸いなるかな。

『智慧の言葉』より

3228a hope:2015/11/02(月) 08:57:05 ID:cEpBaIdo

○ある所に重荷を背負ってくるしみながら歩いている男があった。馬車屋が、その男が重荷に苦しんでいるのを見てこの馬車に乗って行けと言った。男は喜んでその馬車に乗った。「その荷物を下へおろしなさい。値段は同じこと無代(ただ)だから」と馬車屋は言った。「めっそうな、わたしは載せてもらうだけでもありがたいのですから、この荷物はわたしが舁(かつ)いで行きます」とその男は答えた。
これはアイルランドのお伽噺だ。実相の神は渾(すべ)てであるからわれわれが馬車の中で重荷を背負わなくとも一緒に運んで下さるのである。

○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの暗(やみ)は存在しないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。

○悩みを数えるよりも、恩恵を数え上げよ。なんじはそんなに賜物が多いのになぜ呟くのだろう。不健康にならなければ健康を感謝しないものには不健康が来り、囀(さえず)る鳥が飛び去らねば囀る鳥の妙音に讃嘆し得ない者の庭からは、囀る鳥は飛び去るのである。生長の家の生活は、感謝の生活である。

○生長の家の生活はすべてが与えられた生活であるから、感謝の生活のほかはない。

『智慧の言葉』より

3229a hope:2015/11/03(火) 11:09:54 ID:cEpBaIdo

○病気に悩んでいる者でも、今まで健康を頂いていたことに感謝しなかったことをお詫びし、さらに現に健康が与えられていることに感謝し、神想観をしてその感謝の精神を統一して感謝の念を深めてゆけば、その病気が癒されるのである。眼の悪い人は、今まで完全な眼を与えられていながら感謝しなかったことをお詫びし、さらに進んで現に完全な眼を与えられていることを確認して、それに対して徹底的に感謝の念を深めてゆくときはその眼が癒えるのである。徹底的感謝生活に病気はない。

○感謝は実に絶大な力である。それは与えられた事物に対する受身の力だけでなく積極的な創造力である。

『智慧の言葉』より

3230a hope:2015/11/04(水) 08:47:15 ID:cEpBaIdo

○「個」を絶したところに「本当の神」があり、「本当の我」がある。

○本当の信仰というものは父を知り自分を知ることから始まらねばならぬ。父とは神、自分とは神の子だ。

○われと神の子とが、ぴったりと出会うこと、父と子とが完全に相会うこと、これが本当の信仰である。

○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。

『智慧の言葉』より

3231a hope:2015/11/06(金) 08:31:10 ID:cEpBaIdo

○「霊」が心霊現象実験室に出て来たと言う者があるけれども、「霊」は実験室にも五官の世界にも六官の世界にさえも出て来るものではない。五官はもちろん、六官の世界にさえも姿をあらわすのは「霊」そのものではなく念波の現象化したのである。体は実験できるが、霊は実験にのらない。

○逆説(パラドクス)のようだが、実験しうるものはかえって実在しないのであって、実験しえないものがかえって実在する。

○人は「霊」である。「霊」は神である。人を肉体だと思っている夢から覚めよ。

『智慧の言葉』より

3232a hope:2015/11/08(日) 10:18:59 ID:cEpBaIdo

○人間は物質にいない。

○消滅する者は真の人間ではない。

○永遠不滅のものが真の人間である。


○神は人間の母胎であり、人間は神の子の誕生である。

○神についての学説は何するものぞ。自分が神であるという一大事に目覚めることが大切である。

『智慧の言葉』より

3233a hope:2015/11/09(月) 09:51:38 ID:cEpBaIdo

○人には適業がある。しかし今を深く穿(うが)ち入るとき、その適業に到達し、ついにそれを発見する。わたしは本来無学、会社員生活に深く穿ち入ることによって、生長の家生活に到達し、多病に深く穿ち入って生長の家の健康学に到達し、長時間の激務をつぶさに味わいて、人類を経済的苦難より救うべき生長の家経済学に到達したのである。適業は、現在に深く穿ち入り深く味わい深く考え、些細のものにもその有する意義に触れるときひとりでに得られる。

『智慧の言葉』より

3234a hope:2015/11/10(火) 07:54:30 ID:cEpBaIdo

○できるだけ大多数の人類のために働け、しかし、最も近き一人のものに深切でない者は神のみ心に適(かな)わないものである。

○生命は坂道を登る車のようなものである。静止すれば後退し、動けば必ず上昇する。

○すべての知識を軽蔑するな。またすべての知識を盲信するな。すべての知識は、ひとりひとりの人類の選手が昇ったところのその高度をあらわす。

○善いと思ったことにはすぐに取りかかれ。失敗しても倒れても恥ずかしくない。再び起き上がった時には以前より進歩している。

○魂から動け、自己を偽るな。

○家庭で善き人たれ。家庭で尊敬されず喜ばれない者の価値は知れている。近き人を愛しえないで人類を愛すると称するものは、人類を愛していると空想しているにすぎない。

『智慧の言葉』より

3235a hope:2015/11/11(水) 10:16:40 ID:cEpBaIdo

○かつて満州に大刀会(だいとうかい)というのがあって、腹に一種の護符(ごふ)を巻きつけ「弾丸(たま)は当たらない、当たっても死なない、死んでも生き還る」という大信念をもって、大刀を振りかぶって突進してくる信仰団体の軍があった。

それは機関銃の猛射を浴びせかけてもなかなか仆(たお)れぬ。

さすがに弾丸(たま)は当たるが、当たっても二発や三発ではなかなか死にはしない。

いったん倒れてもまたムクムクと起き上がって来て肉迫するのだそうだ。

だから大刀会が出て来るとどうしても※白兵戦を演じないと納まらない。

斃(たお)れた彼らを見ると身にいすれも十数弾を受けてなおかつ前進して、ついに、斬り死にしたものであることがわかったそうだ。

信念の力はかくのごとく偉大なものだ。

一回や二回や三回の喀血で驚くのはこの大刀会の人たちの信念に恥じるがよい。

一回や二回や三回の人生の蹉跌(さてつ)で再び起き上がらないものも愧(は)じるがよい。

恥ずかしいのは躓(つまず)くことでも倒れることでもない、再び起き上がる力を失うことだ。

井戸の水でも井戸替えするときには一時涸(か)れがれになるが、一時涸れるのはいっそうよき水が豊富に出るためであるから恥ずかしくない。

人間は一時挫折したように見えても再び滾々(こんこん)と神の生命が与えられるのである。

『智慧の言葉』より


※白刃を使っての肉迫戦。

3236a hope:2015/11/15(日) 10:35:13 ID:cEpBaIdo

○みんな病気の人を見ていると治してもらったら神を信じようと思っているが、アベコベである。

神を信じたら癒(なお)るのである。

神を信ずるということは神に対するラジオ的受信機をつくることである。

受信機のない所でラジオは聞こえない。

いろいろの神を信じたが癒らなかったという人は、どんな神を信じたか自分で信仰を考えてみるがよい。

本当の神とは偶像の神ではない、またいろいろ執念をもつ「霊」たちのことでもない。

本当の神はただ一つ――完(まった)きわれらの造り主にして救い主なる神である。

本当の神に感応するにはそれに合う心の波長の受信機を作らねばならぬ。

『智慧の言葉』より

3237a hope:2015/11/17(火) 08:56:00 ID:cEpBaIdo

○不平、出し惜み、怒り、妬み、すべて擦れる心、和解せぬこころは病気の因(もと)である。

○実相のほかに、外的な神を認めなくなったとき、本当の魂(たましい)の夜明けが来る。それまでは人間はいろいろの霊に頼り、人間に頼り、偶像に頼って失敗する。

○何よりも自己の良心を礼拝し、それに絶対服従するものは、形の神に誓いをたてるものよりも信心深い者である。

『智慧の言葉』より

3238a hope:2015/11/19(木) 09:12:22 ID:cEpBaIdo

○薬剤の広告や栄養剤の広告はなるべく見ないがよい。

それを見ていると釣り込まれて薬剤や栄養剤が欲しくなる。

その欲望を満たしたい潜在意識が、内部からその薬剤や栄養剤を必要とする病気を造り上げる。

潜在意識が求めた薬剤に出会(でくわ)したら満足して病気を引っ込める。

薬剤や栄養剤の広告は病の作り手であるから見ないがよい。

『智慧の言葉』より

3239a hope:2015/11/24(火) 09:14:06 ID:cEpBaIdo

○これ以上できないという「限度」はない。現在の報酬以上を欲するものは、この「限度」の考えを捨てよ。今の限度を超えることが進歩の秘訣である。

○報酬とは人間から貰うサラリーのことばかりではない。神から頂く報酬もある。その人自身の発達ということこそ、神から頂くいっそう大切な報酬だと知らねばならぬ。物質的報酬は「主」ではなく随伴物にすぎない。

○百円の報酬をもらっている者が常に百円の仕事をしたのでは昇給の見込みはない。百二十円の仕事を常になすとき、ついに認められて百二十円に昇給される。これは人生の譬話(たとえばなし)である。だんだん仕事の品質を落としてゆくものはついに解雇されるのである。

○佳(よ)きものは認められるまでに時間がかかることもまた知らねばならぬ。

○仕事をすることと、人間から給料をもらうということは別である。仕事はどこにも満ちているが、人間から給料をもらう仕事は欠乏している。神から「霊魂の発達」という給料を貰うつもりの仕事ならどこにもある。

『智慧の言葉』より

3240a hope:2015/11/28(土) 10:11:27 ID:cEpBaIdo

○一つの憎しみは十人の憎しみを招(よ)び、一つの愛念は百人の愛念を招(よ)ぶ。

○本来自己のうちにはすべてがある。ただ見出せないだけである。

○あらゆる生長は、外から触れるものに触発せられて、内部にあるものが出て来るのである。

○愛しない生活は生活ではない。それは「生ける屍(しかばね)」の生活である。

『智慧の言葉』より

3241a hope:2015/12/29(火) 05:20:57 ID:xVBwxesw
○済んだことの中に生活せず、「今」の中に生活せよ。「今」は常に生きている。今の中にはあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。

過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。「今」天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。

過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。喜ぶことしか無いのが人間である。

○善とは生命の実相に仕えること、生命の実相の催しのままに生きることである。物質的手段に頼って見たり、時には生命の実相に頼って見たり、フラフラするようなことではなんの甲斐もない。人は二人の主に仕えることは出来ない。

○真理への道はただ一つ――人間は神の子だ――ということである。

○神をもっと尊べ。神のみが造り主だ。神から出たものに悪があると思うな。神から出たものに病気などという不完全なものがあると思うな。

『智慧の言葉』より

3242a hope:2015/12/30(水) 06:07:40 ID:xVBwxesw

○愛して報償を求める愛は巧利的な愛である。利益にならなければ腹の立つ愛である。

○われを忘れた愛が惟神(かんながら)の愛である。神流れの愛である。神催しの愛である。神と偕(とも)なる愛である。大菩薩の愛である。

『智慧の言葉』より

3243a hope:2015/12/31(木) 10:06:43 ID:xVBwxesw

○ぜひせねばならぬ仕事が多いと呟くな。忙しいということを感謝せよ。必要は埋蔵されたる「内なる無限力」を呼び覚ます。

○懶(なま)け者の悪魔を駆り立て、逐(お)いだし、生命の本然(ほんねん)を完(まっと)うさせてくれるものは、「必要」と「多忙」である。「必要」と「多忙」とで病気の治った人はたくさんある。

○生命の本念は働くことである。生命は働くことによって生長する。「必要」と「多忙」に感謝する者は生長する。

『智慧の言葉』より

3247a hope:2016/01/01(金) 05:24:51 ID:vdNCBnG6

「新天新地の神示」

見よ、われ既に天地をあらたならしめたのである。

人々よ、眼の蔽(おほ)ひをとれ、われは新しき智慧である。

新しき生命である。

新しき宇宙である。

新しき光明である。

われ臨(きた)つて此の世界は既に變貌(へんぼう)したのである。

既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚は滅し、病は癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。

神秘を見て人々よ、目覚めよ。

覚めてわが新しき光に照らして存在の真實を見よ。

われは存在の實相を照らし出す完成(なゝつ)の燈台に燈(ひ)を點(てん)ずるものである。

悲しみに泣き濡れた人々よ。

いま眼を上げて吾が光を受けよ。

汝の悲しみは喜びに變(かわ)るであらう。

病める者よ、いま病(やまひ)の床より起ちて、わが生命を受けよ。

われを拒むな。

われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。

われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。

われ汝等に『神想観』と云ふ観行を教えへたれば、それを為せ。

われに汲(く)むものは常に新しき力に涸(か)れないであらう。

吾れを呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。

なんじ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人と思え。

悩める者よ、わが言葉を讀(よ)めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。

そはわれは限りなき大愛(たいあい)であるからである。

汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであらう。

信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けやうがないのである。

汝の心の疑いがわが救いの波長に合はないからである。

遠くにゐて救はれてゐる者もあるが、近くにゐても救はれぬ人もある。

仕方のないことであるが不憫である。

もっと兄弟たちに、『生長の家』を傳(つた)えよ。

神の愛は貰い切りではならぬ。

頂いたお蔭を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。

『生長の家の神』と假(か)りに呼ばしてあるが、『七つの燈臺の點燈者』と呼んでも好い。

七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へ
で新しき生命を得るのだ。

わが教へはどんな宗派をも排斥するような狭い宗派ではない。

教への太宗(もと)であるから宗教と云ふのである。

3248a hope:2016/01/01(金) 05:29:00 ID:xVBwxesw

トキさま みなさま

明けましておめでとうございます。

「生長の家」とは全世界、全宇宙のことをさしてそう喚ぶのでしたね。

どこにいても、何を信じ、どんな宗教を信仰していても、わたしたち人類は生長の家の家族なんですね。

世界中どこにも、誰一人として生長の家の家族じゃない人なんていない…


この壮大な真理を学べることに感謝の気持ちでいっぱいです!

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

3253a hope:2016/01/02(土) 06:23:31 ID:AvzVlmnc

○思想は時として天上から降って来る。あるいは地下から予期もしない時に湧いて来る。その思想は時として霊界からの放送の感受でもあれば自己の神性からの噴出であることもある。

天上の思想も地湧(ちゆう)の霊想も時間を超越している。す
ぐその時、間に合わなくとも捨てるべきではない。忘れてしまえば二度と想い出せないような思想に価値のあるものが多いのである。しばらく筺底(きょうてい)に埋めておけばやがて現実の用途に花咲く思想もある。

「想」は現実に先だち、「想」あって現実が芽生える。小さな手帳を常に懐中しておき、「想」起こるに従ってそれを簡単に書き止めておくのは良い方法である。


○「想」に詩想もあれば、思想もあり、実用に関する解決の暗示もある。これを部分別(クラシフアイ)して手帳に書きとめておき、問題に従って、そこを開いて見ると非常に導かれることが多いものである。


○他を羨むな。自己の現実に満足するな。自己の奥にあるところの無限の宝を羨んで、その無限性を掴むべく突貫するのが最も自己生長の道である。


○思想はこれを紙に書くときいっそう深まる。計画もこれを書き下すときいっそう微細のところに注意が行き届く。書いてみると精神が統一する。書いてみると分析と統一とが同時に行われる。


『智慧の言葉』より

3254a hope:2016/01/03(日) 05:11:47 ID:db3DXNJE

○黄金は指環にしても金貨にしても帯留(おびどめ)にしても黄金に変わりない。いろいろの形をしているのは中間因果であり、どんな形にしても黄金の本質を失わないのは本来因果である。
人間も神の子であることが本来因果であり、どんな形になっても、肉体が壊れても、神の子である本質は壊れてしまうことはないのである。

○死んだと思ったら生きられるのだ。形にとらわれなくなるからだ。

『智慧の言葉』より

3255a hope:2016/01/04(月) 05:57:56 ID:AvzVlmnc

○最も善き施しは、罪を消し、死を消し、欠乏を消し、すべてが完全に備われる自己の生命を自覚せしめる教えである。

○至上階の愛は自分がしたのではない。神と偕(とも)なるとき、おのずからできた愛であるから、「自分がした」という感じが少しも残っていないのである。

『智慧の言葉』より

3256a hope:2016/01/05(火) 06:50:04 ID:vdNCBnG6

○真理のみ、ただ真理のみわれを生かすのだ。われを生かすのはパンではない。物質ではない。

○ただ霊によって新生せるもののみが真に生きるのだ。そのほかの人の生はニセ物の生である。霊によって新生する者には激情はない。利己的欲望はない。憎みはない。恐怖はない。五官の快楽の虚妄(こもう)を知るがゆえに、それに捉えられることはない。

『智慧の言葉』より

3257a hope:2016/01/06(水) 05:07:28 ID:vdNCBnG6

○明日しようと思っている間に時は過ぎゆく。あやまることは早くあやまるがよいし、和解することは早く和解するがよい。すべての支払いは明日に、明日にと思っている間に、延ばしていた期間だけ先方から悪い念波を受け自分自身の生長のを妨げられる。

○他を喜ばそうという考えは自分を健康にし、他から喜ばしてもらおうという考えは病気を招く。

○ひとに対して晴れやかに笑え、晴れやかな笑いは自他の栄養剤である。

『智慧の言葉』より

3258a hope:2016/01/07(木) 06:00:29 ID:xVBwxesw

○明日の苦を思い煩(わずら)うことなかれ。一日の苦労は一日にて足れリ、想像の苦痛は現実の苦痛よりも耐えがたい。

○わが肉体はわが心の影である。わが境遇もわが心の影である。

○希望は現実の母である。希望に燃えよ。希望の火でいっさいを焼きつくせ。

『智慧の言葉』より

3259a hope:2016/01/08(金) 05:45:38 ID:vdNCBnG6

○その日その日が宗教生活である。自己を生かすことが宗教生活である。働くことが宗教生活である。愛することが宗教生活である。周囲を生かすことが宗教生活である。

○天に地に感謝せよ。万物が皆ありがたい。おのずから合掌される。始終この心持ちでおれ。

『智慧の言葉』より

3260a hope:2016/01/09(土) 06:17:17 ID:U0u35Q4s

○苦しみよりもむしろ恍惚感を警戒せよ。そこに魂を麻痺さすニセ物の歓びがある。

○心が善くならないでいて病気が治るものは禍(わざわい)いだ。

○世界は正札で駆け引きも値引きもない。世界は当人の心だけのものを投げ返す。

○小さなことを口惜(くや)むな。われらの最も口惜やむべきことは、そんな小さなことに心を動かすという自分の小ささだ。

『智慧の言葉』より

3261a hope:2016/01/10(日) 06:02:54 ID:xVBwxesw

○生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。

○きょう種を蒔いたからとてきょうは生えない。芽が出るには時間が要るのだ。信じて待つということは仕事の秘訣だ。

○なろうと思うよりも、なれると思って明るい気持ちで努力せよ。

『智慧の言葉』より

3262アクエリアン:2016/01/10(日) 08:41:57 ID:fJvizyYg
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史のツイッターより

Marianne Williamson ‏@marwilliamson &middot; 1月8日

The real you is not a body. Your body is merely a suit of clothes. Physical birth was not your beginning and physical death is not your end.

本当のあなたは肉体ではないのである。
あなたの肉体は単なる衣服なのである。
肉体の誕生はあなたの始まりではなく、肉体の死はあなたの終わりではない。

3263a hope:2016/01/11(月) 04:58:28 ID:ff8KF8HE

○意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○みずから起て。自分の弱さを語るな。自分の弱さは語るほど自分を弱める。

○人は自分と同じ者を相手に見出だす。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手という鏡にうつして見るのである。

『智慧の言葉』より

3264a hope:2016/01/12(火) 06:52:30 ID:eEgXmqXM

○もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。

○われらは種子を蒔く人である。常に善き種を蒔け。深切な思いの種を蒔け。愛の種を蒔け。好意の種を蒔け。

『智慧の言葉』より

3265a hope:2016/01/13(水) 07:44:22 ID:soD8RaA2

○陰を見るな。光明の方面を見よ。見た方面が強くあらわれる。

○手を伸ばし、腹を伸ばし、胸を伸ばし、眉を伸ばせ。これが生長の道である。

『智慧の言葉』より

3266a hope:2016/01/14(木) 12:20:32 ID:UDuecul.

○捉われないことと不注意とは別物である。注意深くして捉われないのが上々である。

○欠点を見つけるな。荒立てるな。静かに彼のために祈れ。

『智慧の言葉』より

3267a hope:2016/01/16(土) 07:00:46 ID:Doq6emUU

○家庭の精神的葛藤(いざこざ)で病気をつくっているものが多勢ある。そんな病気はどんな薬も、霊術も、家庭の乱れを治さねば根本的には治すことはできぬ。

○家庭の幸福を内にもたない子供はかわいそうだ。危険と堕落とが外から呑もうとしてまっている。

○子供をあまり拘束するな、神に委ねよ。家庭よりも外の方が楽しいようになったとき、子供は危険の淵に立つ。

『智慧の言葉』より

3268a hope:2016/01/19(火) 09:46:29 ID:cEpBaIdo

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がっていないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他(ほか)をも生かし自分も生かす。

○愛でひとを世話する人もさるが、誇りでひとを世話する人もある。前者は神の前で高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、せわされて余裕のある人は、また助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の巡環であり、報恩の道である。

○神に近づく道は一歩一歩小善を積むことにある。

『智慧の言葉』より

3269行雲流水:2016/02/02(火) 16:53:27 ID:AQTKgfSE
「いのちのゆには」の神示

見真道場(いのちのゆには)とは真(まこと)を見(あら)はす齋(きよ)めの場(には)である。



愛の心で来るものは神徳を受けて帰るが、審判(さば)く心や素見(ひやか)し心で来るものは神と心の波長が合わぬから其の心が直らぬうちは神徳は受けられぬ。

(昭和七年三月十四日神示)

3270天の使い:2016/02/02(火) 17:34:24 ID:AQTKgfSE
(天の使い)地を指して宣わく
 
「見よ、これ実相世界なり。実相世界は父の国なり。天国なり、浄土なり。

 父の国には住居多し。実相世界の住居は悉くこれ「生長の家」なれば

 住民に飢えなく、悲しみなく、争いなく、病なく、

 万の物ことごとく意に従って出現し、用足りておのずから姿を消す。

 円満具足清浄微妙の世界。

 これ実相世界、これ汝らの世界、そのほかに世界あることなし。」

(聖経天使の言葉)

3271a hope:2016/02/03(水) 09:54:49 ID:cEpBaIdo

○苦しくても逃げ出そうと思うな。自己が置かれている境遇が、自己のたましいの生長に最もよい栄養であるのである。たましいがその境遇から得られるあらゆる栄養を吸いとったとき、別の境遇がおのずから開けてくる。

『智慧の言葉』より

3272a hope:2016/02/05(金) 08:00:40 ID:cEpBaIdo

○天の愛と地の愛と、父の愛と母の愛と。天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成するのだ。

○あなたよ、姿勢を正しくせよ。それだけであなたは健康になる。

○「祈り」で自分の心が調うことが第一であって、自分と大生命とのつながりができたとき、人間以上のものが人間の行為を導くのである。

『智慧の言葉』より

3273a hope:2016/02/29(月) 11:17:04 ID:cEpBaIdo

「神の真義とその理解」 谷口雅春先生著


はしがき

神とは如何なるものであるか、知らない人が多いのである。

自己の内に生きている生命の尊厳を本当は自覚しながら、それ故にこそ生命の尊厳を主張し、基本人権の絶対権を説きながら、それでいて「自分は無神論者だ」とか「唯物論者だ」とか思っている人々もある。

それとは又別に、実に敬虔に神を信じ、神を礼拝し、神を讃えながら、その神が自分の生命とは別に、自己の外に在る神道自在の神秘者であり、〝自分〝 というものは、その権力の前に躓(ひざまづ)いていなければならない〝奴隷的存在〝 に過ぎないと自己卑下している気の毒な善人もある。

しかし本当の神は、そんなに自己の外のみあるのではないのである。

神は普遍的存在であると同時に自己の内にある生命が〝神〝 であるのである。

その実相を自覚しない気の毒な善人は、常に〝神の前〝 に戦々競々として慴(おび)えていなければならないのである。

そんな人たちが、神罰の予想の前に、ニセモノの宗教家に欺(あざむ)かれて、いつまでもその邪宗に縛りつけられてそこから脱出できないで常に搾取せられているのは、まことに見るに堪えない気の毒さである。

3274a hope:2016/02/29(月) 11:17:50 ID:cEpBaIdo
それ故にわたしは、既に五十年前に亙(わた)って人間の生命の実相(ほんとうのすがた)が、〝神〝 の生命であることを『生命の實相』に於いて説きつづけて来たのである。

かくて私の著書『生命の實相』を読むことによって、自己が決して「罪の子」でなく、「罪悪深重の凡夫」でもなく、神の生命こそ、自己に宿って、自己の生命となっており、自己というものが個性的に顕現した普遍的存在であるという神の真義を知り、自己の生命の尊厳と本来の円満完全さとを自覚すると共に、今まで、自己の罪悪意識に由るところの〝自己処罰〝 による色々の病気や、不幸や、遭難や、貧乏を克服して、真の自由人となり、自己の生命を本当に尊重することによって自己の人生を快適にして裕(ゆた)かなる楽園たらしめ得ると同時に、周囲の人々をも救い得た幾多の人々の体験があらわれて来たのである。

生長の家の信者という人たちは、そのような人たちの集まりである。

3275a hope:2016/02/29(月) 11:18:34 ID:cEpBaIdo
しかし神は自己に内在する「生命の実相」としての神だけではなく、色々の段階に於いて神は無限の姿をあらわしてい給うのである。

「われに姿かたちがあるようにいう者あれどもわれは姿なきものである」と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中にその姿をあらわしてい給う普遍的存在なる神もある。

その普遍的存在たる実相を媒介として、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互いに交通する、その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向かって話しかけ、意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。

絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。

しかし顕現者としての神は、聴こえる声でも話しかけ給う。

顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の〝天の父〝 ともなって人格的な神との交通が得られるのである。

その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、神との人格的接触の〝場〝 とすることも出来る。

その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、人間は〝愛〝 というものを生活の具体的営みの中に体験し霊魂が進歩し向上するのである。

3276a hope:2016/02/29(月) 11:19:16 ID:cEpBaIdo
神は〝一〝 であると同時に〝全〝 であり〝多〝 である。

〝一即多〝 〝多即一〝 であり、一神即万神であり、一仏一切仏である。

しかし神は自己の個性的顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのであるから、同一個性を持って万人又は万物があらわれることを嫌い給うのである。

それ故に〝一神即万神〝 として色々の使命をもつ神々を顕現し給う。

また〝一仏一切仏〝 として無数の如来を顕現し給い、その使命又は役割も、個性をもって各々異り給うのである。

3277a hope:2016/02/29(月) 11:19:56 ID:cEpBaIdo
住吉大神の如く宇宙天地の万物万生を浄め給うて、地上に天国を建立する使命をもち給う神もあるのである。

最近私は、日本の国情が混乱汚濁(おじょく)して、日本国本来の美しき荘厳なる秩序がなくなりつつあることを憂え、住吉大神を鎮護国家、龍宮無限の宝蔵を開顕したまう〝場〝 であることを希(こいねが)いて、龍宮住吉本宮を、九州長崎県西彼杵郡西彼町の〝大神平〝 と称せられた土地を朴(ぼく)して、建立したのである。

この地を彼杵郡(そのぎぐん)と称したのは、嘗て天から神の祝福の黄金の杵(きね)が降って来たという故事にもとづくと謂うことである。

吾々人間の礼拝の〝場〝 が出来ることは、神がそこから祝福の霊波を放送し給う〝放送局〝 が一局増加したようなものである。

3278a hope:2016/02/29(月) 11:20:32 ID:cEpBaIdo
詳しいことは本分を読んで頂いて、神人の関係を尚一層よく認識して、諸賢が、龍宮無量の寿福を享受し給わんことを庶幾(しょき)して、この前文を擱筆(かくひつ)する。

昭和五十四年一月十六日         著書しるす

3279a hope:2016/03/14(月) 08:26:29 ID:cEpBaIdo

○今まで注がれていた愛でいまだ一度も無駄であったものはない。
愛はこの世で花を開いて皆の者に喜ばれ、神の国で実を結ぶ。

○愛せよ、少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。

○結果を求めた愛は必ず不幸に終わる。

『智慧の言葉』より

3280a hope:2016/03/16(水) 08:46:34 ID:cEpBaIdo

○失敗しても成功しても、損をしても儲けても、それはただ生命が仮想の舞台で遊戯したにすぎない。

○失敗は大したことではない。損も大したことではない。自己の心を乱すか乱さないのかの方が大切だ。

○淋しき時にはわれを思え。われはなんじらのために祈るものである。

『智慧の言葉』より

3281a hope:2016/03/17(木) 09:55:11 ID:cEpBaIdo

○躓(つまず)いたがために落ちる人もあれば、躓いたたがために落ちる前に気づく人もある。

○なんじの悩みは神に語れ。人に語らずして神に語れ。人に悩みを語ればその悩みは反響してさらに悩みは増加するであろう。神に語れば悩みは消える。神は実相の神であり、実相の光の射す所に悩みの時は存在しえないからである。悩みは変じて喜びとなり、訴えは変じて感謝となるであろう。すべてのものはすでになんじらに与えられているのである。

○信仰とは神のみ懐(ふところ)に抱かれることである。

『智慧の言葉』より

3283a hope:2016/03/24(木) 08:14:16 ID:cEpBaIdo

○恐れる代わりに働く者はついに勝ち、呟(つぶや)く代わりに働く者はついに勝つ。
生長する人には恐れる時間と呟く時間はないものである。

○「今」の時間を尊ばねば、生涯その人に尊ぶべき時間は来ないのである。

○あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果(み)を結ぶ種子となる。

『智慧の言葉』より

3284a hope:2016/04/01(金) 07:51:38 ID:cEpBaIdo

○幸運がないというな。一瞬一瞬が幸福である。一瞬を完全に生き切るときなんじは永遠に生きるのである。

○心の眼をひらけば幸運はいたるところに手を伸ばして待っている。地球の引力を発見したニュートンにとってはリンゴの落ちることが運であった。空間の電波を発見したフランクリンにとっては雷鳴を聞くことが運であった。誰でも見返すところに心の眼の開(あ)いた人には運がある。

『智慧の言葉』より

3285a hope:2016/04/02(土) 07:49:47 ID:cEpBaIdo

○思い立ったが吉日。(日取りの善悪について)

○自分は宇宙の中心であるからどちらを向くのも吉方である。(方角の善悪について)

『智慧の言葉』より

3286a hope:2016/04/14(木) 10:46:07 ID:vdNCBnG6

○相性は心の中にある、我を殺しさえすれば相性は善くなる。二つのものが一つにつながるのが道であり、相性である。どんなに相性の善い夫婦でも我を立て話し合いしていては相性も悪くなり運命も悪くなる。(相性の善悪について)

『智慧の言葉』より

3287a hope:2016/04/15(金) 09:16:49 ID:xVBwxesw

○困難があるので、魂は向上する。軌道に摩擦があるので汽車は進行するのだ。

○独りで悟っている悟りは本物ではない。他の救いのために動き出すと本物の悟りに入る。

○もっと魂をみがいてから他を救おうと思うのは考え違いである。自分を磨く金剛砂(こんごうしゃ)他を救う実行にある。

『智慧の言葉』より

3288a hope:2016/04/16(土) 06:20:47 ID:vdNCBnG6

○本当の信仰は怪力崇拝になってはならぬ。異常現象崇拝になってはならぬ。正しき力の崇拝、愛の力の崇拝、調和の力の崇拝にならねばならぬ。

○肉体が治ったとき自分は悟ったと思うとおおまちがいである。治らないでも自由自在の自分自身であることを悟らないものはやがて躓(つまず)く。

『智慧の言葉』より

3289a hope:2016/04/26(火) 11:17:08 ID:vdNCBnG6

○富そのものは清くも穢(きたな)くもない。富はただいっそう高貴なる目的のために使用するとき清くなり、自己の栄華と名声のためのみに使用する時汚れたものとなる。

『智慧の言葉』より

3290志恩:2016/08/15(月) 08:23:48 ID:6hRUvSRg
【梅の花の神示】
≪無明(まよい)の自壊作用がないのに 光明遍照の楽土が
来るなどと 甘いことを思うな。
この二つの運動の衝突は 避けられぬ。

時機は 迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者が
あるのは 歯痒(はがゆ)い。

本当の愛は 甘えかす愛では ない。
戦いの愛 である。≫


【声字即実相の神示】
≪今は 過渡時代であるから、
仮相(かりのすがた)の自壊作用として 色々の出来事が突発する。

迷いと迷いと 相搏(あいう)って 自壊するのだ。

まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは
迷いのケミカライゼーションであるから

生命の實相を しっかり握って 神に委せているものは
何も恐るる所はない。≫

3294トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/09/16(金) 19:38:34 ID:o0gb0UwQ
*明日、月刊誌 「新潮45」に生長の家の問題が掲載されるみたいです。

 それに関連して、以下の文章を紹介します。


「 わたしは今、皆さんの足を洗った。これはただ足を浄めるためではなかった。

別の深い意味があったのだ。

わたしは少なくても教えにおいては皆さんの師であった。

その師たる者が弟子たる者の足を洗ったのは、わたしは皆仲よくせよということを形に示したのである。

わたしがいなくても皆仲よくしてほしい。

わたしがいなくなっても仲よくしてほしい。

わたしがしばらくいないうちに相争い相なぐり合っているのがわたしの仲間であるかと思うと、

わたしは情けなくなる。

(涙ぐむ)皆さん、どうぞ、これはわたしの遺言だ。

わたしがいなくなっても互いに兄弟たち仲よくして道を弘めて往ってほしい。」

谷口雅春先生 生命の実相 第31巻 宗教戯曲編 上 136ページより 謹写す

3295志恩:2016/12/01(木) 07:08:04 ID:6hRUvSRg
絶えず不幸を見出す人になるな
貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。気分まで晴々します」
と云いなさい。この通りに云わなければならぬのではありません。

何でも好い方面を見て、褒めたり感謝したりするようにしていますと、
終いには、ほめたり感謝したりすることばかりがあなたの周囲に集まってくる
ことになるのです。

(谷口雅春先生著『新版 生活読本』より)

3296志恩:2016/12/01(木) 20:56:03 ID:6hRUvSRg
あなたが神の賜物を受けるには

この世界は法則によって支配されているのである。
法則を無視しては何事も自分の思うようにはゆかないのである。

飛行機が飛行するためには、流体力学の法則を無視するわけにはゆかない。
石油を掘鑿するにもいろいろの物理的法則によらなければならない。

神の国にある宝物を受けとるには、
神は霊であるから、霊の法則を無視することはできないのである。

霊の賜物を受けとるには、
物質の器によって受けとることはできないのである。

霊の賜物を受けるには、霊に対しては霊的波動を浄めるーーー
すなわち魂を純粋にして受けなければならないのである。

感謝の霊的波動によって受けなければならないのである。
愛念の霊的波動によって受けなければならないのである。

暗い感情は神の光の霊波に背く。
それゆえに、心を明るくもって、
象徴される神の霊波に波長の合う心を起さなければならないのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3297志恩:2016/12/01(木) 21:06:46 ID:6hRUvSRg
われわれは神の愛に包まれている
わたしたちは“法則”の世界に住んでいる。
どこにも“法則”の存在しない世界はないのである。

わたしたちは法則にとり囲まれて生活しているのである。
それは神の愛に包まれて生きていることである。
わたしたちは神の愛から逃げ出すことはできないのである。

わたしたちは法則に随順するとき
神の愛に護られることになるのである。

法則には物質面の法則と、精神面の法則と、
さらに霊的面の法則とがあるのである。

多くの人たちは物質面の法則のみを研究して
それを応用しているのであるけれども、

“精神面の法則”を理解し応用する人は少なく、
さらに“心霊面の法則”を理解し応用する人は稀であるのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3298志恩:2016/12/01(木) 21:15:24 ID:6hRUvSRg
明暗の二途

多少表面的には損をしても、心配はいらない。
善い行いをし、信仰を深めれば、将来は明るいのである。
何故なら現象の損失は真の損失ではなく、一時的縮小であり、
その間に得た「生きた経験」がモノを言うからである。

ある人は病を得、ある人は受験や仕事で失敗した。
しかしその前に「魂を進歩向上」させ得た人の失敗は、実は成功である。
彼は必ずより偉大となり、より充実した人格を作り上げる。

けれども失敗を失意と無気力で迎えた人は、より一層の深みにはまり込む。
人生にはどんな時にも、向上と下降との二つの途が用意されている。
だからひたすら向上の道を歩め。光に向かって進もうではないか。

(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)

3299志恩:2016/12/02(金) 07:44:39 ID:6hRUvSRg
本当の自由

吾々は“無限”を求める存在であると同時に、“自由”を求める存在である。
何故なら人間は神の自己顕現であり、本来“無限の自由”を内に蔵するからである。

「自由」を、何か自分を縛る物を破壊することだ、と考える人があるが、
本当の自由は、そのような対立的観念、相対的な物の考え方では
得られるものではないのである。

本当の自由は「絶対者」となることによってのみ得られる。
自分が神の自顕現であり、
「絶対者」の自己実現であるとの悟りによってのみ得られるのである。

それ故に本当の自由は、神想観によってのみ得られる。

何故なら吾々は神想観によって自己が神と一体であり、
絶対者と一体であり、環境とか外物とか見えるものも「他物」ではなく
自己の心の顕現であると悟ることができるからである。

それだから神想観は真に最高の尊き神人合一の行事であると共に、
何人も“本当の自由”を求むる限り修しなければならない修業であって、
生ま易しいものではないのである。

(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)

3300志恩:2016/12/02(金) 07:48:23 ID:6hRUvSRg
問題を神にゆだねよ

如何なる問題が起こって来ても、
常に明るい心を以ってそれに立ち向かうことが必要である。

どんな問題でも、神なら解決できるのである。

自分の「我」の力で解決しようと思うから、解決の方法を失って
どうすることもできないような事になるのである。
問題を神に振向け、神に肩代わりしてもらうがよいのである。

そのためには「神は全智全能であるから、どんな問題でも必ず解決できるのである。
私はこの問題を神さまあなたに委ねます」と繰返し繰返し、
心に念じて祈り、その問題を神に委ねるがよい。

徹底的に神に問題を委ねたら、神は必ずその問題を解決に導き給うのである。

それは自分に好い考えが浮かんで来ることもあれば、誰か、
思いがけないところから、援助の手を差しのべる人が出て来ることもあるのである。

充分祈った後に、誰かがその問題解決について案を示してくれるならば
素直にそれに従うがよい。

(谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より)

3301志恩:2016/12/02(金) 07:55:25 ID:6hRUvSRg
無限次元の世界

とにかく人はどこまでも「明るく生きる」ことが大切である。
何故なら、人は皆“神の子”であって、全てのものが与えられずみだからだ。
いのちも無限だし、才能も力も、幸福も豊かさも無限である。
しかもそれが「なくなる」ことがないのだから、こんな有難いことはない。

ところがその実相に気付かず、現象世界というこの世の物質的側面ばかりを見ていると、
不幸や、病気や、欠乏や、争いが目について、どうしても憂鬱になってしまう。
だから「物質世界は本物でない、影の世界だ」と知らなくてはならないのである。

御存知のように物質界は縦・横・厚みの三次元世界だ。
しかもこれは実在する世界ではない。

実在界、即ち実相の「神の国」を三次元の尺度でとらえて、
そのように感覚するだけの、「影の世界」なのである。
例えば今部屋の中にいる人の姿を、障子に映ったその人の影で見ると、
とても不完全に見えるだろう。

目も鼻もハッキリせず、色も黒っぽくて、ボーッとしている。
それは“三次元の肉体”を“二次元の影”に映して見ているから、
本物より一層不完全に見えるのだ。
そのように、次元を一つ下げて、三次元を二次元にすると、もっと不完全になる。
だから四次元を三次元に映しても(感覚しても)、
四次元世界より一層不完全になるのである。

即ち今、縦・横・厚みの三次元に時間の尺度を加えて四次元の“時空間”を考えると、
時間の次元が一つ加わっただけ、より自由になり、ゆとりが出来るものだ。

例えば、あるカメラを買おうと思って店に行ったところ
もう売れていて、在庫がナイと言う。しかし問屋に注文すると、
一週間後には入荷するという場合を仮定しよう。
カメラという三次元物質は今ないが、
そこに時間(一週間)を加えて考えると、「手に入る」という自由を得るのだ。
これが四次元世界の特徴であり、このようにして四次元、五次元、
六次元と次元を加え続けて、無限次元まで遡ると、
無限に自由な世界、即ち「神の国」に達する。

これが「実在」であり、「実相」であるということが出来るのである。
この実在界・神の国からみると、この物質界は
その三次元的「影」の世界であるから、極めて不完全なのは当然であろう。

この不完全さをより少なくするには、
「実在界を心で観ること」に熟達するに限るのだ。

するといかに物質世界が不完全で、限定され、
悪条件に満たされているようでも、その条件を克服し、
そこをうまく擦り抜けて、自由自在な「安全領域」に達することが出来るのである。

(谷口清超先生著『生長の家の信仰について』より)

3302志恩:2016/12/03(土) 01:30:55 ID:6hRUvSRg
神に相談して仕事をする

常に自分の行為又は仕事を、
「自分だけ」でやることなしに、神に相談し、
神の智慧の導きを受け、神が人類に幸福を与え給う
神業の一環としてそれを為すのがよいのである。

「自分だけ」でやった行為は、
どんなにそれが立派な仕事であっても「我」の行為であり、
広大なる意義への連関はないのである。

そして、それは如何にすぐれたる智慧で行っても、
我の知恵ではどこかに見落としがあり、
先が見えず、やがて躓く時が来るのである。

何事を行うにも、その仕事が、神の人類救済の仕事
(又は人間に何らかの幸福を与える仕事)として、
神御自身の祈りと連関して、
祈りの中に於いて計画し、遂行するならば、
神の智慧には誤算がないから行き詰まることがないのみならず、
自分の仕事が、単に個人的価値ではなく、
「神の仕事」としての意義と価値とを有つことになり、
其処に本当に生き甲斐というものが感じられることになるのである。

また“「神」という「無限価値」との連関に於いて我れ仕事を為す”
と云う自覚があるとき、仕事に対する深い悦びが湧いて来て、
仕事の“退屈さ”ということがなくなり、
精神的にくたびれる程度が少なくなるのである。

(谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』より)

3303神の子さん:2016/12/04(日) 11:22:04 ID:6hRUvSRg
何を信ずるか

魂を清め、高め、内在力を引き出しさえすれば、
あなたの周囲には続々とすばらしい環境があらわれる。

しかしその出現には多少時間的なズレがあるから、
あとになってゆっくりとあらわれてくることも多い。

それをあせって「まだか、まだか」と思い、
うろたえ、疑い、なげいてはならぬ。

そんなことでは神を信じているのではなく、“現象”を信じているのだ。

こんな気持ちでいて「信仰している」と思い上がってはならない。

環境にまだあらわれていないのは、決して神が怠慢なのではない。

あなたの心の高まりは、すでに業の世界に記録され、
その展開が始まりつつある。

あなたの焦りや疑いで、出現を停止させるな。


(谷口清超先生著『純粋に生きよう』より)

3304トンチンカン信徒:2016/12/08(木) 01:19:09 ID:yH0.YhUw

〜平和を願い祈り〜

神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに、愛を

いさかいのあるとこに、ゆるしを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるとろに、喜びを

闇のあるところに、光をもたらすことができますように。

神よ、わたしに、慰めらよるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを

愛されるよりも、愛するを望ませてください。

自分を捨てて初めて自分を見いだしゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを深く悟らせてください。


アーメン、サンタ・マリア

合掌礼拝

3305志恩:2016/12/08(木) 03:21:14 ID:6hRUvSRg
あなたの価値

名刺の肩書などは、その会社の、そのイスに座っている瞬間の
あなたの『仮の寸法』であって、けっして、
あなた自身の人間としての寸法ではないわけです。

名刺、バッジ、身分証明書、それらすべてを落とし去って
裸の自分で人前に出た時のあなたの『感じ取られ方』、
それだけが真のあなたの価値であり、寸法なのです。

そこのところを誤解していると、ある日、とんでもなく
落ち込むことになりますので、御用心、御用心。

(ひろはまかずとし氏の言葉)

3306志恩:2016/12/08(木) 03:29:37 ID:6hRUvSRg
何が起こるかわからない。

右を向いて左を向いて、上を見て下を見て、
注意に注意を重ねても、それでも何が起こるかわからない。

それが人生というものであり、それが世の中というものである。

まして今日のように時代のテンポが速くなり、世の中が、
そして世界が複雑に入り組み合ってくると、
全く予期もしないことが次々に起こってくる。

何が起こるかわからない。

まずそれだけの覚悟を、お互いにしっかり持っておきたい。
今日は昨日の続きで、明日は今日の続きで、
だから毎日が事もなく続くとは、何の保証もないのである。

大切なことは、何が起こっても、
まず素直にその状態を受けとめるということである。

捉われた心、私心ある眼では、事態の本質を見誤ってしまう。

平穏無事な時ならば、いささかの私心もやむを得ないとしても、
大事な時の捉われた心は、それよりとりかえしのつかない一大事をひきおこす。

今日ほど、質素な心の大切な時はないのである。

(松下幸之助著『新 道をひらく』より)

3307志恩:2016/12/08(木) 03:32:56 ID:6hRUvSRg
日々是好日
雨がふる日は、天気が悪い‥‥と、
一体誰がきめたのか。

カラカラにかわき上がった畑は、
雨がふる日は天気がよいのだ。

そのような「よい天気」に恵まれたといって、
感謝する人も多いのである。

では、晴れた日は天気が悪いのか‥‥というと、
決してそうではない。

雨の日も、風の日も、晴れた日も、
秋も冬も夏も、いつも天気がよいのである。
いや、よい天気なのだ。

それが分れば日々是好日、
毎日毎日がよろこびの連続となるのである。


(谷口清超先生『伸びゆく日々の言葉』より)

3308志恩:2016/12/08(木) 03:37:49 ID:6hRUvSRg
心の力と、言葉の力

人間の生命は、宇宙全体の生命の一部分であり、
人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。
星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心の力が、
人間に宿っているのである。

だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。
「心の力」と云うものは単なる空想でも、観念論でもないのである。
現実に立証し得る所の力なのである。

特に信念を持った心の力が、言葉によって発せられるとき、
それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

信念をもった宗教家や、占い者や医者が、
「お前の運命はこうなる」と云ったとき、その言葉の通りになるのは、
心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。

(谷口雅春先生著『新版 幸福を招く365章』より)

3309志恩:2016/12/10(土) 07:17:31 ID:6hRUvSRg
今を生かされていることに感謝

今を生きていることに感謝すると同時に、
私たちは「今を生かされている」ことに感謝することが肝要です。

大いなる自然界に生かされているからこそ、私たちは毎日、
食べたり飲んだり語らったりすることができるのです。

生きていることは当たり前のことではありません。

様々な要素、奇蹟的な巡り合わせが重なった結果、私たちはこうして生きています。
日本人は「心構え」や「覚悟」という言葉を大事にしてきました。

生きている間に起ることすべてに対して、「自分が責任をとる」
「すべてを受け入れる」という姿勢を貫いてきたからです。
心構えも覚悟も「心の準備」なのです。

心の準備は、いつどこからすればいいというものではありません。
それは一人ひとりが普段から行うものであり、胸の内で静かに行ったらよいと思います。

武士道では「生きることは死ぬること」とされます。
あらゆる事態を想定して、つまりいつ死んでもいいように普段から身綺麗にし、
心の準備をするということです。

また「武士に二言なし」という言葉もあります。これは「武士の一言」から発生した言葉です。
武士の一言とは「言い訳なき真実を保証する」こと。だから二言はないというわけです。

病気や死についても、私たちはそれぞれが心の準備を求められます。
急性期医療、つまり、病気が発症した直後の医療よりも、
長い期間の治療を必要とする慢性期医療では、患者さんにとって、医師をはじめとする
医療スタッフや身内の方々とのきめ細やかなコミュニケーションが必要となります。
患者さんは精神的、肉体的につらいことが多く、自分の伝えたいことをうまく伝えられない
ような場合があるでしょう。
また、身体の不調からストレスが溜まり、治療そのものに嫌気がさすこともあります。

そんな状況でも、忘れてはならないことがあります。それは「すべては学び」という言葉です。

私たちは「おかげさま」という、ネットワークから、いかなる時も試されています。

どんなにうまくいかない時でも、今ある現実をいったん全部受け入れてください。
そして、うまくいかない理由ときちんと向き合ってみることが大切です。
あるがままの自分を受け入れ、苦境から学ぶことが、自分と周囲に対する
最上の愛へとつながっていきます。

生きることとは死ぬこと。あるがままの自分を受け入れ、すべては学びである」と知る。

あなたは一人で生きているのではない。
自分だけが悪いとか、相手だけが悪いと思っていては、正しい生き方を見つけることは
できない。

(矢作直樹氏著『おかげさまで生きる』より)

3310志恩:2016/12/10(土) 07:21:52 ID:6hRUvSRg
常によき想念をもつこと

よき想念を常に持つことにしましょう。
よき想念はよき行動を伴う。
ひとたびのよき行動はひとたびでは終わらないのである。

行動はそれが終わったのちにも蓄積されて習慣となり、
次の行動をひき起こす原動力となり、
それがあなたの将来の運命を決定する。

運命は決して他動的に外部の権威者から
割当てられたものではないのである。

すべて自分が蓄積しておいたところの
過去の想念・行動・習慣・業の具象化であるから、
今後、幸福な運命をもちたいと思うならば、
先ず常に、明るき、楽しき、善き、裕(ゆた)かな、
積極的な想念をもつように心掛けるがよいのである。

(谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より)

3311志恩:2016/12/12(月) 08:38:00 ID:6hRUvSRg
愉快な生々した人になれ

何よりも吾々は人らしい人になることが必要なのです。

神の子の生活と云うのは別に人を離れて神の子の生活が
あるのではございません。
 
それでは人らしい生活と云うのはどういう生活であるかと云うと、
お釈迦さんは、
「笑うべき時に笑わず、歓ぶべき時に歓ばず、
慈心(なさけごころ)を起すべき時に慈心を起さず、

悪をなして恥じず、善を聞いて意(こころ)につけない人は
確かに人らしくない人である。」
そして又こう云われた。

「笑うべき時に笑い、歓ぶべき時に歓び、悪をなして恥じ、
善を聞いてそれを意に感銘する者は確かに人らしい人である。」

愉快に楽しく生々していることは、確かに人間にとっての美徳である
のである。美徳と云うのは美しい徳だと云うことである。

徳と云う字は「直心(じきしん)を行ず」と云うことを
文字に組み合わせたものである。

直心と云うのは、素直にそのままの心を出すことである。
即ち笑うべき時に笑うことである。

歓ぶべき時に歓ぶことである。なさけの心を起すべき時に、
素直に可哀そうだと思って救(たす)けてやることである。

歓びと云うものは、身体の血のめぐりをよくし、
勉強や仕事をする力を増し、悲観したり、気がふさいだりしている
人にはとても及ばない良い考えを起させてくれるものである。

日本人は、古くから、「喜怒、色に現わさず」と云って、
喜びがあっても喜ばない、怒りの念が起こっても其の怒りを
顔にあらわさないことを美徳としてきましたが、
これは大変な間違いだったのです。

多くの病気は、心の中に持っている喜びや悲しみを形に
あらわさないために起こるのです。

怒ることは感心しませんが、素直な気持ちで、何でも心に
思っていることを出すようにしていますと、心にものがたまって
腐ることがありませんから、怒ることも自然になくなるのです。

何でも心を自由にしていると人間の実相は愉快なのが本当ですから、
愉快に楽しくなるほかはないのです。

常にニコニコ微笑している者は身体も達者であります。

微笑とは「ほほえみ」です。

「頬」に何となく嬉しさの笑いが浮かんでいることです。
「ニコニコ健康法」を機会ある毎におやんなさい。

人間は愉快なときにも笑いますが、笑っていると愉快になるのです。
笑っているとズンズン健康になってくるのです。

(谷口雅春先生著『新版 生活読本』より)

3312志恩:2016/12/13(火) 09:39:46 ID:6hRUvSRg
「当たり前」は奇蹟以上にすばらしい!

「当たり前」のことが、とても嬉しく有難いことだ。
手が動き、足が動き、「あたり前に呼吸ができる」という、その
「当たり前のこと」が、とても有難くすばらしい。

‘奇蹟’を求めて、それが信仰の証しだというのは、
‘奇蹟’にとらわれた考えだ。

「当たり前」の中にこそ「神の子」の実体があるのだ。
「当たり前」は奇蹟以上にすばらしい。


(谷口清超先生:『生命が悦ぶ生活』より)

3313志恩:2016/12/13(火) 09:55:56 ID:6hRUvSRg
あなたが現実に幸福になるために

神はあなたに既に幸福を与え給うているにである。

それが現象界にあらわれると、あらわれないとは、
あなた自身の“心”が、
その既に与えられている祝福に同調するか否かの問題である。
つまり、あなたの心境の問題である。

既に与えられている幸福を現実化するか否かは、
既にビデオテープに録画されている光景を
テレビセットに上映するか否かの問題である。
上映とは“与える実践”である。

神から既に“与えられているもの”を受けとるには、
こちらが先ず人に“与える”という実践をするとき、
“神の与え給う心と人間が人に与える心”とが
同調して波長が合うということになるのである。

(谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』より)

3315トンチンカン信徒:2016/12/14(水) 04:00:21 ID:xEgRVi..
これがわたしの"生命の実〜肉体が変化しても、その奥にあって死滅しないで継続している実在としての生命を、わたしは"生命の実相"と名づけてたのである。そしてそれこそが"人間の真物"であるのである。〜

3316トンチンカン信徒:2016/12/15(木) 20:36:08 ID:WeFB8ISg
〜もし、諸君が不快な考えにとらわるようなことがあるならば、もし諸君が他の人に対して憎しみや、怒り、嫉妬や復讐を感じるようなことがあるならば、諸君は自己の心に盗賊が忍び込んで幸福のダイヤモンドを奪おうとしているのだということを自覚しなくてはならぬ。諸君は靴を一足盗みにはいった盗賊でも逐いだすではないか。それだのに心の中にあなたの最も高貴な幸福のダイヤモンドを盗みはいた盗賊をばいつまでもなぜ歓待しようとするのであろう。われわれは心の内に溜ったカスを捨て去ろう。われわれは靴の中にはいった小石のようなに悲しみを心から放(な)げ棄てよう。憎しみをほかそう。そして憂鬱を脱ぎ棄てて、晴れやかな太陽の輝いている世界へ、新しい喜びの靴を穿きなおして歩み出そう。これが『生長の家』の生き方であるのだ。〜『日時計主義の生活』より。

3317志恩:2016/12/15(木) 22:13:57 ID:6hRUvSRg

うまくいかないことが多少あっても、それは、自分を鍛え、
学ばせようとする愛なのだということに、いつも感謝してください。

困難や障害があるからこそ、人生は輝くのです。
それは、あなたが愛されているという証拠でもあるのです。


エナジーは、誰かからもらうものではありません。
「大我の愛」が芽生えれば、自身のたましいより、泉のごとく湧き上がります。

愛の炎が消えなければ、そのエナジーは永遠に枯れることはありません。


愛はいかなる苦難、幸せな宝に変えてしまいます。
どんな苦難も、愛の力にはかないません。それほどに愛は偉大なのです。
人はみな、愛の電池で生きるのです。愛があれば、何も怖いものはありません。


本気で人とかかわれば、醜い嫉妬心や、強い憎しみを持つこともあるでしょう。
それを悔やむことはありません。

ネガティブな感情に苦しんだことのある人は、強い愛情も持てる人です。
人一倍、深い思いやりも持てるのです。


「誰も自分を愛してくれない」と思うときは、あなた自身が
そもそも「人」を愛しているかどうか、
振り返ってください。
人を心から愛してこそ、愛されるあなたになれるのです。


いまこそ、
「ごめんなさい」と「ありがとう」という心を思い出しましょう。

正しき 愛念をもって、シンプルに 生きることが 必要なのです。

(江原啓之氏著『未来を拓く言の葉』より)

3318志恩:2016/12/15(木) 22:42:24 ID:6hRUvSRg
偉大なものに常に立ち戻る。

偉大なものに敬意を示す。

そういう姿勢があれば大抵のことはなんとか なります。

偉大なものを尊重する姿勢と卑小なものを避ける姿勢があれば、それでいいのです。

(ゲーテの言葉)

3319志恩:2016/12/15(木) 23:00:00 ID:6hRUvSRg
教養とは 概念的な教養のことではなく、
なかんずく、
直観し 正しく選択する 教育の事である。

それは、音楽家が 暗がりの中で正しく演奏するようなものだ。

一民族を教育して 教養を得させるのは、本質的には、優れた典型に慣れさせ、
高度な諸要求を 形成させる事だ。

なぜ 優れたものに触れないといけないのか?

価値判断力を 身につけるためです。

暗い芭蕉でも、道を間違えずに 歩く事ができるようになるためです。
夜、照明を落とせば、真っ暗になりますが、そのうちに目が慣れてくる。

同様に、古典に接近する中で、次第に見えてくるものがある。

見えてくることが、歴史的に証明されているからこそ、古典は残っているのです。
見えてくることにより、改めて古典の価値が確認される。

偉大なものを、ただつまらないとか、古臭いと言って拒絶するのは幼児です。
古典を読むということは、大人になるということです。

(ニーチェ「生成の無垢」より)

3320志恩:2016/12/15(木) 23:02:18 ID:6hRUvSRg
3319:暗い芭蕉でも➡暗い場所でも、に訂正。

3321規約:2016/12/15(木) 23:35:45 ID:R9GcJyNI
:トキ :2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。

3322志恩:2016/12/16(金) 17:54:12 ID:6hRUvSRg
平等にして 差別があるのが 大調和

生きとし生けるものが 平等だということは、
生きる命はみんな神様の力が宿っているのであるから、
どれも皆同じように尊いということである。

しかし形の世界では、その神様の力のあらわれ方がみんな違う。

平等にして差別ありの真理を知らねばならぬ。

人間はみんな尊いが、

人と時と処との三つの相応(ちょうどよい)と

いうことを知らねばならぬ。

この相応を得たときにすべてのものが大調和するのである。

(、谷口雅春先生著『人生読本』より)

3323志恩:2016/12/16(金) 17:56:32 ID:6hRUvSRg
神と偕に生きる


今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。

大いなる仕事が見つからなかったら、

目の前にある些細な愛行や、深切な言葉や、

奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

他の人の自由や財産を侵して自分が利益を得たり、

権力を得ようと思ってはならない。

このようにあなたの日常生活を浄めることによって、

あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。

(谷口雅春先生の言葉)

3324志恩:2016/12/16(金) 18:05:09 ID:6hRUvSRg
『他(ひと)から見て どう見えるか』

仕事でも、顔でも、店構えでも、事務所の玄関でも、外から見てどう見える
かを調べてから、他に見せるようにすることが大切です。

仕事をする上からいえば、自分はその仕事をやりとげることに熱心すぎて、
ちょっとぐらいよごれていても、気がつかない事がありがちです。

いかに立派な製品でも、ほんのちょっと手垢がついているために、つまら
ないものだと見向きもされないこともあります。

まず自分がお客になって玄関へ入って行くと、どんな感じがするか、什器や
椅子の並べ方は不快ではないか、応接室で待っているとどんな感じがする
か、何分間待たせられるか、待っている間に放っておかれるか、何か出され
るか、その出し方はどんなふうにするか、読み物はあるか、最初の面談は
どんなふうに始められるか。

・・・・・こんなことでも、自分が客となって
見なければわからないのです。

他の事務所や商店と比較してみて、悪いところはできるだけ廃(や)める
ようにし、良い所はできるだけ取り入れるようにし、さらによそに見られぬ
好い感じを出すようにしなければなりません。

自分の店や自分の事務所ばかりを見ていては、欠点があっても、その欠点は
慣れてしまって、それが当たり前のような気がして気づかないものです。

臭い空気に慣れてしまっては、その空気が臭い空気だということに気がつき
ません。しかし外から入って来たら、「なんてここは臭い空気だろう」と
気がつくのです。 客は外から入って来るのですから、一番誰よりもその
室(へや)の空気の良し悪しには気がつくのです。

室の空気の良し悪しというのは、鼻から吸う空気だけのことではありませ
ん。 心で吸うなんとなきその室の味です。その室の匂いです。

その室の感じです。

その中には人間のようすもあり、微笑もあり、心の思い
もあり、椅子や家具の並べ方もあり、「ああ、ここは気持ちが好い」と思わ
れるようにしなければなりません。

(谷口雅春先生の言葉)

3325志恩:2016/12/17(土) 07:10:40 ID:6hRUvSRg
『困難と見えるものは、成功への足がかりである』


「困難」と見えるものは、

成功への足がかりなのだ。

人間は、如何なる困難にもへこたれず、

それを逆に活用し、

そこから又と得難い教訓を学びとって、

はじめて立派な人間となることが出来る。

困難にうちひしがれることなく、

決然として立ち上がろう。

そして、

生き生きと積極的に生き抜いて行こう。

(谷口清超先生の言葉)

3326志恩:2016/12/17(土) 07:15:36 ID:6hRUvSRg
「今」を生かせ

あなたの前に現れて来る時々刻々を、「今」よりほかに為すべき時はないと
信じて「今」を生かして使う者は永遠に楽しく生きることが出来るのです。

「今」の時を、歓びと、愛と、仕事と勇気をもって生きることです。

勇気を持て、愛を持て、歓びを持て、而して今為すべきことを
明日に延ばさず、今それを行うことであるのです。

多くの人は「今」なすべきことを
次の時に、次の日に、次の月に荏苒(じんぜん)それを
延ばしてしますことによって、
時間がない時間がないとつぶやいている人が多いのです。

実は時間がないのではないのであって、時間を生かさないからです。

今を悔いなく生きよ。

過去について思い煩うこと勿れ、未来について思い煩うことなかれ。
刻々瞬々が「今」のみを生きるとき無限に悦びに満たされた
毎日となるのである。

(谷口雅春先生著『新版 真理』第二巻より)

3327志恩:2016/12/17(土) 07:31:51 ID:6hRUvSRg
宇宙の根本真理である神の自己顕現の秩序は、どの様な相(すがた)をとるのでしょうか。

神がこの地上に自己を現わす場合の、もっとも合理的な最高の相は、
国家 と云う形体、国 と云う相であります。

「国」とは宇宙秩序の地上的表現であります。

宇宙の普遍原理たる 神の地上に於ける自己形成の総合的基本形態を

「国」 と云うのであります。

今日世界を構成しているものは国家群であって、直ちに人類ではありません。

 一口に人類と云いますが、
その人類とは必ずアメリカ人であるか中国人であるか印度人であるか
フランス人であるか日本人等々であるかであって、
いずれにも属さない人類とは抽象観念に過ぎません。

人間は皆、言語を異にし風習を異にし国情を異にし
歴史を異にする いずれかの国に属して
その国を構成する いずれかの国の国民なのであります。

(山口悌治先生著『中(みなか)のこころ』より )

3328志恩:2016/12/17(土) 21:03:16 ID:6hRUvSRg
思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ!


今、汝の決心をすぐ実行に移せ。
思想はそれが実践せられるまではただの夢でしかない。

諸君に競争者があるか。あっても恐れることはない。
それはただ人間ではないか。 

行け! あえて行くところに道が開かれるのだ。

決意をもって進む人の前には、万人がひざまずいて奉仕しようと申し出るのだ。
困難、それがなんだ。勇敢にそれを押しのけよ。

失意すべき時に失意せず、落胆すべき時に落胆せず、
勇気を失わずにあえて前進する者には困難が困難でなくなるのである。

人生は明快な決断力を有する人のためにのみ、
よい座席をあけて待っていてくれるのである。

不決断の人の前にはたとい空席があろうとも、彼がその座席に座るまでに、
ほかのいっそう決断力のある人がその椅子にかけてしまう。

勇敢なる人は自分の目の前にあらわれたる困難を、
そのまま神が自分に与え給うた「希望」実現のための踏み石として
感謝して受け、困難を踏み台としてなおいっそう前進する。

かかる人には困難はかえってその人の魂の向上の資料となる。


(谷口雅春先生著『生命の実相』第7巻より)

3333志恩:2016/12/22(木) 23:55:46 ID:6hRUvSRg
陽気を 失うとき 生長は とまる


明るい人間でないとだめ。

どんな才能を持っていても、明るさがないと のびていかない。

いのちは 光に向かってのびる。

それは、一粒の種子が 光に向かってのびていくようなものだ。

明るくあれ。 心に親切な思いをもて。

何事にも善意を見出せ。

人々の、神の万物のあたたかい「愛」を 味わうことが大切である。

(谷口清超先生の言葉)

3334志恩:2016/12/22(木) 23:59:02 ID:6hRUvSRg
神に託して生きましょう


問題がこんがらがって来たら、

神様に解決をお願いする心になるがよい。

神は、あらゆる問題を解決して下さる

無限の智慧と能力とをもっていられるのである。

(谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』より)

3335志恩:2016/12/23(金) 07:41:58 ID:6hRUvSRg
(榎本恵吾先生 文書より)

(9)た た み

<平成11年8月 内報『宇治』123号より〉

あれは中学校の終わりか、高校のはじめ頃だったか、学校から帰ってくると、仏壇の前で母が神想観をしていたのである。
その時母は、「如意宝珠観」をしていたのであった。

一寸首を右の方にかしげるようにして、にこやかな表情をしてとても明るくて、やさしくて小声で「住む人悉(ことごと)く身健かに、
心美しく、相(すがた)形(かたち)美(うる)わしく、和顔愛語讃嘆に満たされたり」と唱えながら、ますます口元に柔らかさがにじみ出てくるのであった。

 それは、一瞬の間に眼に入ってきた姿であったが、その時「神想観とはいいものなんだなあー」という明るいものが私の腹の中に収まったらしいのである。
そして、「如意宝珠観」が大好きになったのである。

それから、高校一年の秋に青年会に姉が誘ってくれて入って、大学浪人二年目の四月に飛田給と宇治の一般練成を受けた。
練成会中、私が一番関心を持ったのは、神想観の先導者が座る四角のたたみであった。「あの上で神想観をすればいいだろうなあ」と
来る日も来る日も思ったのであった。

うちに帰ると、早速それと同じものを作ってもらったのである。青年会の先輩の竹内憲仁という人が、畳屋さんであったことも好都合であった。
竹内さんは喜んで作ってくれた。それからというもの、憧れのそのたたみ半畳分のその上で、私は神想観をしたり、
聖典を拝読したりしたものであった。

それは、もう四十年以上も前のことになるが、郷里の紀州でまだ熱心に生長の家をやっておられる竹内さんが、
六、七年くらい前だったか、丸い形のうすべり(円座)を送ってこられて、幽斎殿の正面の台座の上にでも置いて下されば
うれしいと寄付してこられた。

私は今、毎日その畳の円座の上で神想観をさせて頂いているのである。“そういえば、母のしていたのも龍宮観とも言われる
「如意宝珠観」だったなあー”と、
いろいろなことを重ね合わせて  神縁とか、運命とか、使命とかのことを思って、感慨をかみしめているのである。

3336志恩:2017/01/02(月) 14:29:55 ID:6hRUvSRg
「いくら口先で弁解しても、その人の行動は、結果となって現れてくる。

何々のせい・・であるとか、誰々のせい・・でこうなったと言っても、

『ではあなたは、ただ単なるデクノボーか、かかし・・・・であったのか』と

問われるであろう。


原因は、そんな外部にあるのではなく、あなたの心にある」


(谷口清超先生著『伸びゆく日々の言葉』、77頁)

3339志恩:2017/12/14(木) 07:36:36 ID:6hRUvSRg
『生長の家の全貌』  13頁〜16頁

古代日本人の自覚は日本民族全体を「神の子」の降臨と観じた 
 ―  西欧支配に対する東洋文化の対抗

  谷口雅春 先生


 戦後、日本を襲ったところの民主主義旋風は、その旋風の名にふさわしいように、上下の秩序の混乱を引起しました。

権威破壊の民衆の精神的暴風は一切の特権階級を烈しくゆさぶり落して、
天皇の権威さえも、風におののく晩秋の桜の葉のようにいつ落葉するかも知れないような有様となったのであります。

イザナミ文明を核心とする西欧文明は「分断して支配せよ」との原理に従って、
物質を細かく分割して原子爆弾、水素爆弾を製作し、それによってビキニ環礁を細末に粉砕して死の灰をふらせて問題を
惹き起したのでありますが、
「分割して支配せよ」との西欧的支配イデオロギーは、日本を弱体化するために蜘蛛の網のようにあらゆる方面に張り渡されて、
着々日本弱体化が実行せられたのであります。

先ずそれは、日本国が「神なる天皇」を中心に国民は天皇の赤子であって、
一大家族国家であるという信念を、細く分断して日本国民の団結力を弱からしめようと云う方策が用いられたことであった。

そのために、マッカーサーは天皇をしてみずから「神に非ず人間なり」と云う詔勅を喚発せしめるなど愚にもつかない子供だましの
策略を行ったり、古事記及び日本書紀にある日本上代の歴史のうち、崇神天皇までを、ただの神話であるとして、
瓊々杵尊や神武天皇を日本建国の歴史の中から省いてしまうことに努力したのであります。

この西欧の「分割支配」の方策におどらせられて、日本の文化人中、霊感なき唯物論的実証主義者の歴史家たちは、
瓊々杵尊は勿論、神武建国の記事を「社会科」の歴史教科書中から省いてしまったのであります。

かくて、日本の建国の理想は曖昧となり、戦後10数年後の学校卒業者には、神武天皇の名さえ知らざる者がその大部分を
占めるであろうような教育企画に乗ぜられてしまったのであります。
 
このため、神武建国を記念するところの、紀元節又は建国節は今に至るも制定の運びとならない現状で、
日本は建国なき国として今も亡国にちかき現状で引続いているのであります。

これに対して、生長の家の主張するところは「人間神の子」の真理により、吾々日本国民がすべて「神の生命」を自己の内に宿す以上、
天皇も亦、「神」の生命をやどすのであり、だから天皇も亦「神」にましますことは当然であり、

吾々日本民族は、瓊々杵尊が高天原より天降られて地上に日本国を建設せられたときに、
瓊々杵尊と同時に天降って来た皇族又は五伴緒命の子孫として互いに血縁関係と云う密接な紐帯によって結ばれていると主張するのであります。

つづく

3342志恩:2017/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー


こう云う主張をするときには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。 人間が天から天降って来るものか」と。 
私は答える  ―  私は人間を「肉体」として話しているのではない。
 人間を「霊」として話しているものである。

 だから私は、この論文の最初の項に、現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことであるか  
―  と言って揶揄したのであります。

「人体」が「人間」として生きて動き出すために神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」に過ぎないのであります。

 人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければならない。

 かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間」となり得るのであります。

 これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであります。

古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのであり、
それを天孫降臨の神話として表現したのであります。

これは決して単なる迷信でもなければ、ただの作り物語でもない。

 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現と直観し得たところのものの表現であり、
それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「神(たましい)」を
兜率天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量寿経に書かれているのと同様であり、

キリスト教聖書に於いては、
イエスの霊が天の使にたずさえられて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありまして、
これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、高貴なる理想なく、

雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去ろうとするが如きは、
みずから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒な自己劣等感と言わなければならないのであります。


真の身種主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければならないのでありまして、
人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、人間に基本人権と云うような高貴なものの存在の
余地がないのであります。

斯くの如く説くことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、
しかもそれを民主主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。

===============================

3343神の子さん:2017/12/14(木) 08:58:02 ID:8UEVfL8A
>>3342
♪貴女に資格は、ありませんよね♪

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪ 3342:志恩

17/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー


こう云う主張をするときには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。 人間が天から天降って来るものか」と。 
私は答える  ―  私は人間を「肉体」として話しているのではない。
 人間を「霊」として話しているものである。

 だから私は、この論文の最初の項に、現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことであるか  
―  と言って揶揄したのであります。

「人体」が「人間」として生きて動き出すために神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」に過ぎないのであります。

 人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければならない。

 かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間」となり得るのであります。

 これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであります。

古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのであり、
それを天孫降臨の神話として表現したのであります。

これは決して単なる迷信でもなければ、ただの作り物語でもない。

 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現と直観し得たところのものの表現であり、
それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「神(たましい)」を
兜率天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量寿経に書かれているのと同様であり、

キリスト教聖書に於いては、
イエスの霊が天の使にたずさえられて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありまして、
これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、高貴なる理想なく、

雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去ろうとするが如きは、
みずから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒な自己劣等感と言わなければならないのであります。


真の身種主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければならないのでありまして、
人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、人間に基本人権と云うような高貴なものの存在の
余地がないのであります。

斯くの如く説くことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、
しかもそれを民主主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。

===============================
3342:志恩

17/12/14(木) 07:53:12 ID:6hRUvSRg
3339:『生長の家の全貌』 の、つづきー

3344神の子さん:2017/12/16(土) 23:48:38 ID:VhgSEtgQ
http://www.bit.ly/2kJFRlx

3345志恩:2017/12/17(日) 15:42:27 ID:6hRUvSRg
田中忠雄先生著「こころの姿勢」よりー

かなり有名なある評論家が、道元禅師の 『永平清規』 をさんざんこきおろしていました。 
『永平清規』 というのは、道元禅師が道場における心得を示されたもので、目上の人にたいする心得、
洗面のときの心得、食事のときの心得などをくわしく書いたものです。

この評論家は、それを読んで昔の軍隊を思い出すと言ったのです。 
「一つ軍人は信義を重んずべし」 などという 「軍人勅諭」 を思い出し、その先入見に捉われたのでしょう。
彼はそれを軍国主義だのファシズムだのと結びつけてさんざん悪口を言っておりました。

けれども、こういうのは浅はかな考えであって、昔の軍隊でやっておったことを何でもかんでもみな軍国主義だとか
ファシズムとか言うのが、そもそものまちがいであります。

軍隊には秩序が大切ですし、特に規律が大切である。 世界中の軍隊に規律のない軍隊というものはありません。 
だからそれを要約した形で、日々の心得を表したものがどの国にもあるわけです。 
それを全て軍国主義的だとかファシズム的だとか言うなら、地球上の軍隊で、軍国主義的・ファシズム的でない国は
どこにもないことになってしまうでしょう。

そいう浅はかな自由思想で規律や心得というものに反対するならば、あらゆる共同生活、あらゆる集団生活、あらゆる職場生活は、
ばらばらになって解体することになるでしょう。 国や民族も統一を失ってばらばらになって、やがて衰頽してしまうでしょう。

信仰上の集団ならば、教えのうえから当然でてくるところの心得があり、それによって日常生活の基準にすることがあります。
 これが確立されていれば、勝手気侭なことはできないわけで、その力で秩序が保たれるのです。

秩序が保たれるだけでなく、教えそのものが永く受け継がれることになるのであります。
もし 『永平清規』 というものがなかったならば、道元禅師の宗風はとっくに失われ、七百年以上もつづいて今日にまで
伝わることは決してできなかったでしょう。 

ですから私は、こういう心得や規律の意味を吟味して 「歴史継承の型」 と呼んでいます。 
この 「型」 によって、教えが後世に受継がれる、つまり継承されるのであります。

むろん 「型」 というものは、「型にはまる」 と言われるように、精神を失ってただ形だけのものになる恐れがあります。
それを形式主義というのです。 

ですから、常に根本の精神に立ち返って、絶えずその 「型」 に魂を入れてゆかねばなりません。

既成宗教という言葉がありますが、それは長い年月のあいだに偉大な宗祖の精神を失い、ただ形式だけまねているということです。
そういう場合にも、その形式がまだ残っているなら、その形式に含まれた精神をよび戻すことができます。

 古来、そういう仕事をした立派な人のことを 「中興の祖」 と呼ぶのであります。

3346シオンな番組:2017/12/17(日) 17:37:54 ID:ComiSPMU
>3345
矛盾した過去コメをしてる、志恩さんの経歴※

①(そもも、生長の家じゃ無いから、コメント出来ない)

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪
※※※※※※※※※※※
②(アレ?曹洞宗は?リベラルで?志恩さんは?それに?批判してるわけです?今回は、コメントは、可笑しいですね)

(矛盾したリベラル賛成コメント)http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/&amp;mode=res&amp;log=122 6054:志恩

17/02/17(金) 06:01:12 ID:6hRUvSRg
リベラル派か、保守派か に分かれる 各宗教団体
__________________________________________
日野掲示板より
44 :トンチンカン信徒 :2017/02/14(火) 04:14:45
現在、『他宗に学ぶ』
として、各宗教団体活動を、観てもらって、
(志恩:注:観て回って?)いるのです。


トキ掲示版の異端派擁護の人や、マニア雅春教徒の人達に、言われてる
状況と外部宗教界の状況(政治:経済の世界とは別)は違う様です。


どこの、団体も、
『環境問題』や『リベラル的』取り組みが、宗教界の流れの様です。
_____________________________________________________

>>ネット:政治と宗教より

「信者と支持者が完全に重なっているわけではないという注釈付きですが、

党単位でいうと基本的に、

自民党は、真如苑や神道政治連盟、

民進党なら。立正佼成会、崇教真光などから、

政治献金を受けているほか、

選挙支援や日常の政務で教団の信者が、

ボランティアスタッフになるなどして、

支援を受けています」<<

__________________________________________________
志恩ー
トンチンカン信徒さんが言われる

トンチンカン信徒さんが、
観て回った?という宗教団体とは、

リベラル派の宗教団体が取り組んでいるという
『環境問題』や『リベラル的』なこと。

それらを推進している、

「立正佼成会」などを 観たからではないでしょうか?

つまり、保守派ではなくリベラル派のみの宗教団体を見て、
これが、「宗教界」の流れだと、
思い込まれたのでは、ないでしょうか。


雅宣総裁も純子奥様も、ずっと以前から
リベラル派の左翼政治学者の著書や話に
夢中であり、お二人とも全身全霊でリベラル的な
考え方に傾倒しておられますので、

他の宗教団体でも、そちら系を推進している他の宗教団体と気があうの
ではないでしょうか。

※※※※※※※※※※※

3347シオンな場組:2017/12/17(日) 17:39:42 ID:0VX4btUY
>>3346
※③志恩さんの矛盾した、コメント?

3345:志恩

17/12/17(日) 15:42:27 ID:6hRUvSRg
田中忠雄先生著「こころの姿勢」よりー

かなり有名なある評論家が、道元禅師の 『永平清規』 をさんざんこきおろしていました。 
『永平清規』 というのは、道元禅師が道場における心得を示されたもので、目上の人にたいする心得、
洗面のときの心得、食事のときの心得などをくわしく書いたものです。

!!!!!!!!!!!!
※謝罪しましょ※

3348神の子さん:2017/12/17(日) 17:41:44 ID:0VX4btUY
>>3342
※速やか、謝罪しましょ※

3349志恩:2017/12/18(月) 12:11:38 ID:6hRUvSRg
道元禅師は京都の人だそうですよ。

道元禅師は、鎌倉時代の1200年(正治2年)1月26日(陰暦では1月2日)に
京都でお生まれになりました。

諸説ありますが、
父は 内大臣久我通親(こがみちちか)、
母は 摂政関白藤原元房の女(むすめ)伊子(いし)である
といわれています。

幼少より聡明さを発揮され9歳で『倶舎論』を読まれたとの逸話が残っています。

道元禅師は3歳の時に父を亡くし、8歳で母の死にあうという悲しい体験をとおして世の無常を強く感じられ、
その心を仏の道へと傾けられたのでした。

2.出家修行
    略
3.入宋と正師との出会い
    略「日々の修行がそのまま悟りである」とお示しです。

4.日本へ帰国
    略
5.入寂
1253年9月29日(陰暦8月28日)に54歳でその生涯をとじられました。
http://www.soto-kinki.net/about/dogen.php

__________________
志恩ー
道元禅師は
幼いときに、両親を亡くされまして、この世の無常を全身全霊で、感じたのでしょう。

幼いときから、お金持ちで、札束を枕にして寝てみたり、一万円の 紙幣をガボッと好きなだけ
お小遣いにもらって
誰かさんのように贅沢に生きてきた人間は、ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか
本物の信仰者には なり難いのかもしれません。

3350志恩:2017/12/18(月) 12:13:53 ID:6hRUvSRg
トンチンカン信徒という名も長いから、もっと短い方が、言いやすいと思います。

3351志恩:2017/12/18(月) 12:16:05 ID:6hRUvSRg
道元、も 白隠も 名が短い。

3352神の子さん:2017/12/18(月) 17:06:11 ID:RIlAdG1s
> 幼いときから、お金持ちで、札束を枕にして寝てみたり、札束を枕にして寝てみたり誰かさんのように贅沢に生きてきた人間は、ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか本物の信仰者には なり難いのかもしれません。<


「札束を枕にして寝てみたり」「札束を枕にして寝てみたり」

こんな風に谷口清超先生、恵美子先生は子育てをしていたのですね。とても宗教の指導者とは言えませんね。志恩さんの云うことが正しいとしますと、そんな風にしか恵美子先生を育てられなかった雅春先生も、責任を問われますね。

「ラクダを針の穴に通すが如く、なかなか本物の信仰者には」

志恩さんは「富める者」ですね。都会で金を使って生きる生き方ですから。

(ルカによる福音書18章)18-22イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。18-23彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持ちであったからである。18-24イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。18-25富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

(マタイによる福音書)7-13狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。7-14命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者がすくない。

3353志恩:2017/12/18(月) 17:54:11 ID:6hRUvSRg
3352;さんは、大金持ちの曵馬野さんでしょうか?
私は、小金持ちでもなく、平凡な暮らしをしているごく普通の質素な年金生活者ですから、
あのお方よりもラクダよりも 楽に 針の穴から 通れると思います。

3354神の子さん:2017/12/18(月) 21:41:43 ID:.crkIyiU
>>3351
※道元さんも、白陰さんもお坊さん※

※でも?志恩さんは、韓国女性の名前(笑)新羅人の志恩さん言い逃れ※

※※※※※※※※※※※※
3351:志恩

17/12/18(月) 12:16:05 ID:6hRUvSRg
道元、も 白隠も 名が短い。

※※※※※※※※※※※
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※※※※※※※※※※※※
※皆が、証明してます※
(アクエリアンさんのコメント)
→<人間の探究 897 創価学会幹部は朝鮮人!>


(志恩さんの日吉町で、創価の女性と、仲の良いこと示すコメント)

②→創価学会のおばさんは、私が生長の家だということはご存知ですから、たぶん創価学会の勧誘はしないと
思います。したら、断るだけです。

なぜ、あちらが突然話しかけてきたのかな、ということですが、普段、道で会えば、お互い、会釈だけは
してきたので、あのおばさんは、私のことを、嫌な人間ではないと、思っていたからだと思います。

でも、たとえ、この度、珍しく あちらが、話しかけてきたからといいましても
あのおばさんは、見るからに、こせこせした感じで、すぐに怒り出すような 短気そうなタイプで、
私の好きなタイプの人では ありませんから、今後も お友達には なりません。

(解説)=実に、不可思議な、志恩さんの、コメント内容です?同じ?日吉に在住で?日頃から?近所なんですね?技と?仲の悪いフリをしてる?コメントですが?相手の方は?近づいてくるてことは?秘密理に?お話してるて?亊ですね?しかも?選挙の前後だしね?
(雅春先生の教えに従うなら、志恩さんは、明に祖国は、新羅国→現在=韓国・北朝鮮になってくる)

※(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※愛国掲示版へ行っても?志恩さん<変身すると、トンチンカン>が、新羅人を、遠祖に持つ、事実は変わらない♪

※雅春先生も指摘した、志恩さん新羅人説と、志恩さんは、日本の江戸時代の認識さえない

①<トンチンカン・志恩様の最近の日本に対する、新羅人らしい、歴史認識コメント>
♪♪<江戸時代の「藩」とは、江戸時代の支配組織のことで、「藩」とは、
ほぼ今日の「県」に相当する大きさだったそうですが、>♪♪♪


②<トンチンカン・志恩様は、新羅人として、谷口雅春先生、生長の家初代総裁の言葉を、学ばなくていけない>


♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪

♪志恩さんは、<本当は違う>否定してましだが?トキ本島掲示板や、パソコン無いの全ての海(心の世界)にいる限り、<新羅国の志恩さんで、あり続けしか無のであ、現実世界も、そうなると、雅春先生は、言われているわけで、私、トンチンカン信徒の私見では無いのです、だから、お伝えしただけの、愛行伝道、お節介伝道です♪


※志恩さん、愛国掲示版で、出鱈目を、宣伝してはダメですよ♪貴女の遠祖は?新羅?現在は?韓国じゃないですか

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=daityouwa&amp;log=18579&amp;l=7016

3355志恩:2017/12/19(火) 05:33:01 ID:6hRUvSRg
大金持ちの曵馬野さん

おはよーございます。私は年金生活者で慎ましく生きている大和撫子の志恩です。
今朝も、爽やかな朝ですね。

なんか、聞くところによると、雅宣先生は、コーヒーも飲まないし、
唯一食べていらした鶏肉も、食べなくなったみたいですよ。

クリスマスイブには、その辺にいる 野生の きじばと とか、ウグイス
とか、カラスでも 捕獲して、絞め殺して、それを丸焼きにして食されるのかしら。

野生の鳥は、抗生物質なしで生きてますからね。

曵馬野さんは、鶏肉、食べますか?

肉でも、ワニの肉も、野生ですが、抗生物質不使用で、淡白なお味で、美味しいそうですよ。
ワニの肉も、アマゾンコムで買えます。

私の場合は、いつも抗生物質不使用の岩手産の鶏肉を美味しくいただいております。
近所のデパートやスーパーで売っています。

3356志恩:2017/12/19(火) 05:49:56 ID:6hRUvSRg
アマゾンコムで買えるワニの肉(値段が 高いのが難ですね)

クロコダイルつめ400g ワニ肉 【販売元:The Meat Guy(ザ・ミートガイ)】

価格: ¥ 2,750 + \ 850 関東への配送料
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51Ao2z0KroL.jpg

カスタマーレビュー
●ちょっと緑臭いと周りから声は上がりましたが、インパクトもあるし、いい感じでした。
食べごたえとしては、ガッチリした鶏肉@超微量コケ風味(僕は感じなかった)ですかね。
美味しいです。

●場合によっては人間がワニに食べられることもあるというのに、
そのワニを食べることが出来るというのですから、人類文明の偉大さを感じずにはいられません。
ワニに対する圧倒的勝利感を感じることができます。

3357志恩:2017/12/19(火) 05:54:47 ID:6hRUvSRg
ダチョウの肉という手もありますが、鶏肉に比較して、値段が高いですから、まだまだ
庶民の口には、入りません。

●鹿児島県牧場より直送!ヘルシーな国産ダチョウ (フィレ肉, 500g/3〜4ブロック)
国産ダチョウ

フィレ肉
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通常3〜4日以内に発送します。 在庫状況について

鹿児島県牧場より直送
ダチョウ肉(フィレ肉)①3〜4ブロック 合計:500g ②6〜8ブロック 合計:1.0kg
賞味期限:冷凍保存で約1年以上。(製品パックに記載してあります)

3358志恩:2017/12/19(火) 14:35:46 ID:6hRUvSRg
とうとう鶏肉もダメになりました。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&amp;mode=res&amp;log=7272

抗生物質を与えて育てている鶏肉もあるのでしょうけれど、
抗生物質不使用で育てた鶏肉も、全国の身近にある普通のスーパーやデパートで
何処でも 売っています。

それを、抗生物質を大量に投与しているからという理由で、鶏肉まで食べない方がいいというのは、
あまりに、無知と言いますか、世間を知らなすぎると言いますか、

生長の家の教団は、バカ狂団なのかと、全国中の皆様からの、物笑いの種になります。
そのような浅はかな、お達しは、早急に、引っ込めないと、生長の家の恥です。

3359神の子さん:2017/12/19(火) 17:40:32 ID:0VX4btUY
>>3355
♪目も悪くなって来た、志恩さん♪

♪静岡のお爺さんは、お話ですか?♪

♪志恩さんのコメント<笑>♪

※→<< 16/12/04(日) 20:51:24 ID:R9GcJyNI
3006 :志恩 :2016/12/04(日) 19:31:14 ID:6hRUvSRg
曵馬野さんは、静岡県在住だと前におっしゃっておられましたものね。
本宮山や、モミジの紅葉する大洞院、ユーチューブにありました。>>
※※※※※※※※※※

♪夢から、覚めましたかし、認知症の進行が、ひどいようですね、志恩さん♪

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3355:志恩

17/12/19(火) 05:33:01 ID:6hRUvSRg
大金持ちの曵馬野さん

おはよーございます。私は年金生活者で慎ましく生きている大和撫子の志恩です。
今朝も、爽やかな朝ですね。

3360神の子さん:2017/12/19(火) 17:42:39 ID:ComiSPMU
>>3358
♪志恩さんは、新羅人ですから、新羅料理ができませんね、気の毒にね♪

3361神の子さん:2017/12/19(火) 17:49:17 ID:0VX4btUY
>>3355
♪誰で雅宣も、一生懸命にする、志恩さん♪

♪楽しい、愛国掲示版へ投稿は、脱会メーンバーで、神奈川県民センターで、やっぱり、本を売ってましたね<笑>♪

3362ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:12:43 ID:jG5ZML/Q

肉食大好きなホンリュウ派の天敵・日野智貴君がヴィーガン仲間とともにラジオに出演!!

https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/1173200239476752

日野君をバカにしてお茶を濁したいホンリュウ派に対し、日野君の投稿への反応はというと・・・・

「すっごーい!!!大活躍だね😂😂😂」

「やっぱり日野氏はすごい!!!」

「これは私もとても凄いことだと思います!!!こういう話がラジオやテレビで放送されるようになると、私もとても嬉しいでーす」

「動物を人間の為に利用することが当たり前だった今までの日本から、確実に時代が変わり、進歩している・・という証拠ですね🎵」

「だから安倍はダメなんだよwww"(-""-)"」

3363ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:13:45 ID:jG5ZML/Q

肉食大好きなホンリュウ派は教団だけでなく外部の人間からも笑い者!!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146&amp;notif_id=1513673517094127&amp;notif_t=story_reshare

あまりにも不都合すぎる真実にホンリュウ派は無視を決め込む!?

3364大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:17:53 ID:6hRUvSRg
♪つけて、登場されたから、トンチンカン信徒さんでしょうか?
新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人て、

しつこいから、しばらく「大和撫子・志恩」で 出るべー。

だけど、雅宣先生の近くにいるアシスタントって、誰なんでしょうね。
周りの連中はバカの集まりか!!
ろくに調べもしないで、鶏肉情報も 雅宣先生を焚きつけてさ....、
あんなの、調べればすぐにわかることを、発表させて、
全国の信徒さんから、雅宣先生が、笑われるわ。okawaisouni

焚きつけた人、誰なんでしょう。厳しく叱っとかないと!!

3365大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:23:18 ID:6hRUvSRg
いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん、
こんにちわ。
たまには、野菜と豆だけでなく、
ワニの肉も、食べると、もっと凶暴になれそうですよ。

3366ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 18:31:27 ID:jG5ZML/Q

>いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん<

日野君やヴィーガニズムへの支持が集まっている現実を直視できないホンリュウ派!

都合の悪い掲示板の投稿も日野認定、Facebookでの応援書き込みアカウントもすべて日野君のソックパペットだと思い込むつもりか?

ましてや、日野君の「ひ」の字も出ていないホンリュウ派批判のFB投稿は完全無視!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146¬if_id=1513673517094127¬if_t=story_reshare

外部からも笑い者になるという「不都合すぎる真実」を直視できないホンリュウ派でした。

3367神の子さん:2017/12/19(火) 18:49:00 ID:WeFB8ISg
>>3364
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※(志恩さん、嘘をついては、いけません、貴女の遠祖=新羅国王賜姓でしょ)

3364:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:17:53 ID:6hRUvSRg
♪つけて、登場されたから、トンチンカン信徒さんでしょうか?
新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人 新羅人て、

しつこいから、しばらく「大和撫子・志恩」で 出るべー。

だけど、雅宣先生の近くにいるアシスタントって、誰なんでしょうね。
周りの連中はバカの集まりか!!
ろくに調べもしないで、鶏肉情報も 雅宣先生を焚きつけてさ....、
あんなの、調べればすぐにわかることを、発表させて、
全国の信徒さんから、雅宣先生が、笑われるわ。okawaisouni

新羅民族の志恩さんへ

3368神の子さん:2017/12/19(火) 18:51:40 ID:WeFB8ISg
>>3366
♪ほら、ここにも、志恩さん、洗脳され、関西のボンが、いますよ♪

3366:ホンリュウ派の不都合な真実

17/12/19(火) 18:31:27 ID:jG5ZML/Q

>いつもいつも自分で自分を讃えるしかない日野くん、ビーガン日野くん<

日野君やヴィーガニズムへの支持が集まっている現実を直視できないホンリュウ派!

都合の悪い掲示板の投稿も日野認定、Facebookでの応援書き込みアカウントもすべて日野君のソックパペットだと思い込むつもりか?

ましてや、日野君の「ひ」の字も出ていないホンリュウ派批判のFB投稿は完全無視!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=528440277534281&amp;id=100011049394146¬if_id=1513673517094127¬if_t=story_reshare

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

♪ボンは、ホンリュウとか言ってます♪

3369大和撫子・志恩:2017/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく❗
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、
衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。

うちの母は宗教が嫌いなので「生長の家」の会員になることはありませんでしたが、私がお腹にいる頃、
谷口氏と膝を交えてお話しすることができ、その後の子育てにとても参考になった、と。<<
______________________
大和撫子・志恩-

>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか?私は、初耳なんですけれど。

3370神の子さん:2017/12/19(火) 18:57:18 ID:e4liBBCk
>>3369
3369:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

間違いですよね♪

金 志恩さん=新羅民族ですよ♪

3371神の子さん:2017/12/19(火) 19:12:00 ID:M5DTe3G6
>>3369
(正式に新羅民族=志恩さん)通名は、やめようね♪(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3369:大和撫子・志恩

17/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく・
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、
衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。

うちの母は宗教が嫌いなので「生長の家」の会員になることはありませんでしたが、私がお腹にいる頃、
谷口氏と膝を交えてお話しすることができ、その後の子育てにとても参考になった、と。<<
______________________
大和撫子・志恩-

>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか?私は、初耳なんですけれど。

3372神の子さん:2017/12/19(火) 20:13:31 ID:RIlAdG1s
>クリスマスイブには、その辺にいる 野生の きじばと とか、ウグイスとか、カラスでも 捕獲して、絞め殺して、それを丸焼きにして食されるのかしら。
>生長の家の教団は、バカ狂団なのかと、全国中の皆様からの、物笑いの種になります。そのような浅はかな、お達しは、早急に、引っ込めないと、生長の家の恥です。

人間を殺すのは大殺生、鳥獣を殺すのは中殺生、「不殺生戒」は自他一体の命の本然から出て来るものです。
「絞め殺して」などと云う志恩さん、地獄行きにならないようお気をつけて。

総持寺が近いから貫主さんにでも聴いてごらん、「殺生」者の行く末を。
おバカで浅はかなのはあなたです。

3373ホンリュウ派の不都合な真実:2017/12/19(火) 20:53:15 ID:jG5ZML/Q
>>3372

貴方も志恩さんの機嫌を損ねると「日野認定」されるかもw

トンチンカン信徒さんも都合の悪い投稿はすべて「日野認定」だもんねw

3374神の子さん:2017/12/19(火) 22:01:20 ID:.crkIyiU

♪(笑)関西のボン=日野くんで、無いようですよ、志恩さん♪

♪志恩さんに、『洗脳され』たくないらしい〜が♪

♪『ホンリュウ〜、ホンリュウ〜』と、志恩さんに、夢中の、関西のボン♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3373:ホンリュウ派の不都合な真実

17/12/19(火) 20:53:15 ID:jG5ZML/Q
>>3372

貴方も志恩さんの機嫌を損ねると「日野認定」されるかもw

トンチンカン信徒さんも都合の悪い投稿はすべて「日野認定」だもんねw
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

*そうか、関西のボン=日野さんじゃ無いのか、そりゃ悪かたね、御免、御免、泣かない、泣かない♪

3375神の子さん:2017/12/19(火) 22:52:03 ID:yBpsWdHU
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
(志恩家の食生活)

(御徒町の下手物食品に詳しいのは、志恩さん?新羅人の証し)

① 3136:志恩

16/12/18(日) 15:12:30 ID:6hRUvSRg
ノーミートと言わずに牛、豚よりも、「ダチョウの肉」を食べましょう。と言ったほうが、ヘルシーだし、いいと思う。
鳥は、食べても、良い訳でしょう。値段も手頃で、通販で買える。そういう私は、まだ買ったことありませんが。
近いうちに、買ってみようと思っています。味も、臭みがなくて、美味しいと聞きます。

http://store.dacho.co.jp/

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
② 3138:志恩

16/12/18(日) 15:24:18 ID:6hRUvSRg
ところで、日野くんのことだけれど、
日野君は、ムカデでも怖いという人だから、ワニは、食べれないかもね。
ワニに、食われる前に、おいらが、ワニを食べてしまうのだ、ということかな!
ムカデに、刺される前に、ムカデをやっつけておこう。
今度、日野くんの住まいに行って、大きいサイズのムカデを浴槽に5匹ぐらい、泳がせておこうか。
日野くんが、その後、男として、強くなったかどうか、確かめに行きたいね。

3376大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:03:48 ID:6hRUvSRg
以下の 大和撫子・志恩の質問に、答えてないですよ。回答をお願いします。
==============================================
3369: 大和撫子・志恩 :2017/12/19(火) 18:53:00 ID:6hRUvSRg
3363:宗教としてでなく❗
>>小松 菊理 さんからのシェア
生長の家の谷口氏は、早くからアメリカによる、戦後の日本文化の破壊を憂えていました。
このまま行けば、将来、日本はとんでも無いことになる!国民の心身の健康は損なわれ、
犯罪者の横行する国になる!親子が分断され、子供は迷子となる!
と危惧して、衣食住、子育ての要である母親達に向けて、全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。略<<
______________________
大和撫子・志恩の質問-
>>生長の家の谷口氏は(略)衣食住、子育ての要である母親達に向けて、
全国を手弁当で講演して歩いていたそうです。<<

全国へを手弁当で、ということは、自腹で、講演して歩いていたという谷口氏とは、
どの谷口氏のことでしょうか? 私は、初耳なんですけれど。

3377大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:27:09 ID:6hRUvSRg
人生の暗号の言葉より

権威を認められている人は
 「過去の業績」によって評価された人が多いから、
 人格はともかく知識や能力は既に役に立たなくなっている可能性がある。 
 ゆえに権威の言葉も鵜呑みにしないほうがいい。

3378大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:36:14 ID:6hRUvSRg
常に希望を失うな

  ヘレン・ケラー女史は
「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
希望がなければ何事も成就しない」と云いました。
楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
「よくなる」と云う希望を失わない「考え方」です。

今、日本に必要なのは、
この「必ずよくなると云う希望」ではないでしょうか。
希望を失わない、愉快な明るい民族は栄えるのです。

発達する国民の奥にはこの愉快な明るい国民性があるのです。

日本人も本来、明るい国民でしたが、いつの間にか暗い陰気な
苦虫かみつぶした顔をしている方が上品だなどと考え出したのです。
暗いところでは大きな樹はそだちません。人間でも同じです。

心に日光をもつことです。
暗い気持ちで物をつくっても、好いものは作れません。
明るい気持ちで物をつくれば好い考えが浮かんでくるでしょう。

愉快な気持ちは、機械に油をさすように、心の運転に油をさすものです。
油を充分さした機械は、どんなに激しく回転しても摩擦する(すれてちびる)
ことはありません。それと同じく、「楽しさ」で油をさした心は、
どんなに働いても疲れることはありません。

(谷口雅春先生著:『新版 生活読本』より)

3379大和撫子・志恩:2017/12/20(水) 00:55:34 ID:6hRUvSRg
天使の愛より

美しい祈りは
 光になって
  まっしぐらに 
   天にとどきます

清らかな祈りは 
 光になって
  あなたのもとに 
   かえってきます

感謝する祈りは 
 光になって
  人々を包み込み 
   世界を癒します

3380神の子さん:2017/12/20(水) 03:01:27 ID:uJjU67ek
>>3378
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
3378:大和撫子・志恩

17/12/20(水) 00:36:14 ID:6hRUvSRg
常に希望を失うな

  ヘレン・ケラー女史は
「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
希望がなければ何事も成就しない」と云いました。
楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
「よくなる」と云う希望

3381神の子さん:2017/12/20(水) 03:03:14 ID:RHFydYFY
>>3380
※嘘ついては、いけません、シャンソンさん、大変怒ってます※

3382神の子さん:2017/12/20(水) 03:05:39 ID:0s20hZHM
>>3379
(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪
※※※※※※※※※※

3379:大和撫子・志恩

17/12/20(水) 00:55:34 ID:6hRUvSRg
天使の愛より

美しい祈りは
 光になって
  まっしぐらに 
   天にとどきます

清らかな祈りは 
 光になって
  あなたのもとに 
   かえってきます

感謝する祈りは 
 光になって
  人々を包み込み 
   世界を癒します

※※※※※※※※※※


(志恩は韓国女性名)
http://trs02.mxcd.imodesearch.jp/t/0919nbSzbCVTfRrx/4?_jurl=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fmt_erech_ave%2Fkorean_girl.html&amp;_jlite=0&amp;_juid=&amp;_jsrc=&amp;_jkw=%8A%D8%8D%91%8F%97%90%AB%96%BC&amp;_jimg=1&amp;guid=on

※第二光明掲示版に、<山ちゃんさんのコピペ>投稿した?志恩さんの内容が?面白?自分のハンネ→韓国女性名で有り?遠祖は?新羅国人である?志恩さん?日本人のフリを?する?嘘つき投稿の?証拠です♪♪
③(こちらが、志恩さんが、嘘投稿した、光明掲示版入り口)

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/i.pl?id=koumyou2&amp;log=4376&amp;l=921
♪『實相と現象』のP35に、谷口雅春先生のありがたい、お言葉が、次のよう、示されいるのであります♪

♪<『新羅<志恩さん=トンチンカンさんの遠祖の国>は、日本の敵として非常に優勢に見えているけれでも、日本は神国であるから、決して滅ぼされると云う事はないのである。日本にして来る様な新羅の国は存在しないのである』と、魂の底ふかく否定するとこの思念が"潮干珠゛であります>♪

3383神の子さん:2017/12/20(水) 03:07:48 ID:EqeKtMPM
>>3382
♪天皇陛下から賜姓の無い、志恩家は、日本民族では無い♪

3384神の子さん:2017/12/20(水) 03:11:00 ID:EqeKtMPM
志恩家は新羅国王賜姓の遠祖の新羅民族であります。

3385神の子さん:2017/12/20(水) 03:13:07 ID:0s20hZHM
♪金志恩さんと言うが、正しいのであります♪

3386神の子さん:2017/12/20(水) 17:37:11 ID:0T2/uuL6
※志恩さん放送は、傍流ばんで※

3387トンチンカン:2017/12/21(木) 11:45:16 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3388神の子さん:2017/12/21(木) 13:42:39 ID:g5hdZ7NQ
>>3387
♪アレ?聖典版だよね♪
♪トンチンカンさん?♪
♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
3387:トンチンカン

17/12/21(木) 11:45:16 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪ホラね?違反を?してるでしょ♪

3389トンチンカン:2017/12/21(木) 16:36:44 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪』    (曳馬野ご一統)


・よくも、こんなコトが言えるのですね〜〜???

・>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

・『♪天皇陛下から賜姓の無い、志恩家は、日本民族では無い♪』〜〜<聖典なの??>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





(参考) <聖典引用 板>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
3388: 神の子さん :2017/12/21(木) 13:42:39 ID:g5hdZ7NQ
>>3387
♪アレ?聖典版だよね♪
♪トンチンカンさん?♪
♪貴女?ここの?住民なんでしょ?違反だね♪
(後略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3390トンチンカン:2017/12/22(金) 00:24:26 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「谷口雅春先生」の ≪真理の視点の話≫ なら聞くけど〜〜

「マサノプ君」の <持論> なら聞かないよ〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <鶏>さんも 頂っきまーす!  合掌
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




<トキ掲示板(続したらば版)>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雅春先生の真理の視点の話なら聞くけど、マサノプ君の持論なら聞かないよ (1099)
日時:2017年12月19日 (火) 14時20分
名前:会員改め生命の実相信者


鳥さんも牛さんも頂っきまーす!合掌


昨日、お歳暮でチキントマトスープ と ビーフカレー
とコーンのクリームスープとミネストロンスープの缶詰の詰め合わせを頂きました〜。
家族みんなで美味しく頂きまーす。


あと、美ノ国のハムの詰め合わせも食べよう。 あ、焼き豚も届いてしまった 。


買わないけど、貰うから仕方ないよ〜〜〜。


食べるしかない!! 来年から魚にして下さいなんて言えないよーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3391トンチンカン:2017/12/22(金) 00:37:10 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3392神の子さん:2017/12/22(金) 01:19:53 ID:g5hdZ7NQ
>>3391
♪アレ、アレ♪
(嵐行為のコメント)
① → 3390:トンチンカン

17/12/22(金) 00:24:26 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「谷口雅春先生」の ≪真理の視点の話≫ なら聞くけど〜〜

「マサノプ君」の <持論> なら聞かないよ〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <鶏>さんも 頂っきまーす!  合掌
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




<トキ掲示板(続したらば版)>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雅春先生の真理の視点の話なら聞くけど、マサノプ君の持論なら聞かないよ (1099)
日時:2017年12月19日 (火) 14時20分
名前:会員改め生命の実相信者


鳥さんも牛さんも頂っきまーす!合掌


昨日、お歳暮でチキントマトスープ と ビーフカレー
とコーンのクリームスープとミネストロンスープの缶詰の詰め合わせを頂きました〜。
家族みんなで美味しく頂きまーす。


あと、美ノ国のハムの詰め合わせも食べよう。 あ、焼き豚も届いてしまった 。


買わないけど、貰うから仕方ないよ〜〜〜。


食べるしかない!! 来年から魚にして下さいなんて言えないよーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→((これも、嵐行為のコメント)
②→ 3391:トンチンカン

17/12/22(金) 00:37:10 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→

※聖典版を、(嵐行為)してますね?トンチンカンさん?違反ですね?

3393トンチンカン:2017/12/22(金) 01:52:58 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3394トンチンカン:2017/12/22(金) 09:47:25 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3395神の子さん:2017/12/22(金) 19:02:57 ID:rWW0juJk
言われても、頑固に、トキ掲示版で、『嵐行為』を繰り返す、トンチンカン(志恩)さんの、行動♪
①→ 3394:トンチンカン

17/12/22(金) 09:47:25 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
※※※※※※※※※※※
②→ 3393:トンチンカン

17/12/22(金) 01:52:58 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜※※※※※※※※※※※
(貴女に、そもそも、投稿資格ないわけである、生長の家の信仰はして無いからだ)

(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年も前に、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先生、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪

3396神の子さん:2017/12/22(金) 19:08:05 ID:.crkIyiU
>>3394
♪そもそも?フェイク雅宣て?誰よ?トンチンカン(志恩)さん?♪

♪貴女が?志恩さんの変身なのとは、わけが、違うのよ♪


♪貴女?日吉と横浜の一般者の観測があるの♪

3397トンチンカン:2017/12/22(金) 19:48:03 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<すり替え> <差し替え> 〜〜   <自由自在> !!

<デタラメ> <不合理> 〜〜   <言いたい放題> !!

「フェイク雅宣」の ≪本性≫ がこれだから〜〜  「今の教団は」〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3398トンチンカン:2017/12/22(金) 19:48:37 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3399トンチンカン:2017/12/22(金) 19:49:37 ID:LCJhHBlg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>3380 〜 >>3386 〜〜〜 一体、誰が書いたの〜〜??

「曳馬野ご一統」じゃないですか〜〜

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  <出没完全自由>なのですね〜〜??

「曳馬野ご一統」だけは〜〜  ≪デタラメ書き放題≫が許されるの〜〜??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3400志恩:2017/12/29(金) 06:16:51 ID:6hRUvSRg
3398 :トンチンカン :2017/12/22(金) 19:48:37 ID:LCJhHBlg
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<鳥>さんも <牛>さんも <豚>さんも ≪感謝≫して、頂っきまーす!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私も トンチンカンさんのご意見に 賛成します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(谷口雅春先生著:『新版 生活読本』より)

絶えず不幸を見出す人になるな
貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。
そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。
気分まで晴々します」と云いなさい。

3401アクエリアン:2018/02/16(金) 18:37:55 ID:UNlwyDdw
今日の言葉「World Peace(世界平和)」

Monday, February 12, 2018
http://www.dailyword.com/dailyword/world-peace-monday-february-12-2018

Open to infinite love, I practice peace.
無限の愛に導かれ、私は平和への道を実践するのである。

An awakening to the love of God as a Presence within all and the Power to overcome all is the strong foundation for peace in the world. One by one, we build on this foundation.
すべての人の内に宿っている神の愛、そしてすべてに打ち勝つパワーに目覚めることが、世界平和への力強い土台である。一人一人、この土台の上に、世界平和を実現するのである。

Love is patient. As individuals and as leaders of countries, we listen to one another. We acquaint ourselves with the views and needs of others. Our understanding moves us beyond what is exclusive to what is inclusive.
愛は忍耐である。それぞれの国々の個人として指導者として、わたしたちはお互いにそれぞれの声を聴くのである。わたしたちは他者の見解や求めているものをよく知らなければならない。わたしたちのこのような理解が排斥ではなく仲間へと導いていくのである。

Love is kind. Thinking and speaking the best about others initiates a similar response. The gentleness conveyed envelopes others—whether in person or afar. Love calls on us to want and do the best for all.
愛は思いやりである。他者にとってベストなこととは何かを考え、伝えることが、同じような反応を引き起こすのである。伝えられる寛大さはーー個人であれ、それ以上であれーー他者を包みこむのである。わたしたちに訪れた愛はすべての人たちにとってベストなことを成し遂げるのである。

Open to infinite love, I practice peace.
無限の愛に導かれ、私は平和への道を実行するのである。

Love is patient; love is kind ... It bears all things, believes all things, hopes all things.—1 Corinthians 13:4, 7
愛は忍耐強い。愛は情け深い。・・・・すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望む。ーーコリントの信徒への手紙

3402アクエリアン:2018/02/16(金) 19:17:41 ID:UNlwyDdw
>>3401

生長の家の世界平和の祈り

神の無限の愛、
吾(われ)に流れ入(い)り給(たま)いて、
愛の霊光 燦然(さんぜん)と輝き給(たま)う(タモー)

その光 いよいよ輝きを増(ま)して
全地上を覆(おお)い給(たま)い、

すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の
真理を満(み)たし給(たま)う。(タモー)

( 『 新編 聖光録 』 145頁 )
(『 菩薩は何を為すべきか 』 人類光明化運動指針 第十条 63〜64頁 )

ー世界平和の祈りと人類無罪宣言ー 【1】光明思想運動の活動家にエールを送る
https://www.youtube.com/watch?v=eD0MrCRFdow

3403アクエリアン:2018/02/16(金) 19:28:16 ID:UNlwyDdw

生長の家とユニティの関係

ユニティ本部はカンサス・シティ東郊、車でおよそ30分ほどのところにある。昭和24年市内にあった本部をここに移して、今日のユニティ・ヴィレッジができた。1400エーカーあまりの広大な敷地、中に三つの湖をもち、詩情漂う美しい田園の村を形つくっている。

 ユニティは、1892年チャールズ・フィルモア夫妻によって創始された「人間神の子」を説き、キリスト教各派の万教帰一を唱道する真理運動である。

 ユニティの発祥は1886年に遡る。そのころマートル・フィルモア夫人は大変健康を害していた。或る春の夜のことであった。夫人は講演を聞いて帰る道すがら、ある一つの考えが心の中に何度も繰り返して閃いてくるのであった。
 その考えというのは、「私は神の子だ。だから病は本来ないのだ!」ということであった。自分が神の子であり、神の御心は完全であるという真理が彼女の全存在を満たした。そして神癒が直ちに始まった。そして一時間もせぬうちにマートルの病弱の身体が変わってしまった。この奇蹟の神癒体験を知った人々が彼女に救いを求めて集まって来た。そして多くの人が神のいのちに触れて癒された。
 チャールズはこれを目のあたりに見て心をひかれ、夫婦協力して、すべての人の内に宿る真理キリストを通じ、人々を健康、繁栄、幸福に導く運動に捧げることになったという。

   ユニティのことについては、谷口雅春先生が夙に御紹介下さっており、生長の家との提携は久しいものがある。しかし、谷口先生が実際にユニティ本部を御訪問になり、現教主チャールズ・フィルモア氏(創始者の孫になる)をはじめとする幹部の方々と親交を深められたのは今回が初めてであった。
   4月13日はカンサス・シティご到着後、直ちにユニティ・ヴィレッジを御訪問。本部の塔、本館、年中休みなく続けられる神癒祈願部、コンピューターを導入した印刷、出版、教育部門等を視察され、更にホテル、モテル、宿舎等を各種施設を含む美しい敷地を車でご覧になった。
  更に夜ご講演に先立って、教主チャールズ・フィルモア氏、教主の叔父ロウェル・フィルモア氏等にお会いになり、親交を深められた。
  御講演は、ユニティ本部の講堂で開催された。講堂をいっぱいに埋めて集った600名の聴衆を前に、先生は、ユニティを讃えられつつ、生長の家の独自の面をお話になった。その内容は、浄心行、聖経の功徳、ハワイ日系ニ世第100大隊、442部隊の大偉業、「心と癌」所載の奇蹟的治癒体験、中心帰一、夫婦調和と広い範囲にわたり、聴衆等しく感銘したのであった。

「真理は民族を超えて」より

3404アクエリアン:2018/02/16(金) 19:35:40 ID:UNlwyDdw
今日の歌「We Are Unity - Association of Unity Churches International 」
https://www.youtube.com/watch?v=_HY9AS95JxY

I'm one with you.
私はあなたと一つ。

You're one with me
あなたは私と一つ

Together we are Unity
私たちは共にユニティ

We are and will forever be.
私たちはこれからも永遠にユニティ

We are one, we are Unity.
私たちは一つ、そして私たちはユニティ

We share one fate.
私たちは同じ運命を分かち合う

We answer the call
私たちは助けを求める声にこたえる

We create a world that works for all.
私たちはすべての人にとって利益になる世界を創る

We celebrate living in heaven on earth
私たちは至上の幸福の中で生きることを祝う

Here to Love and serve
愛するために、そして役立つためにここに存在している

I'm one with you.
私はあなたと一つ。

You're one with me
あなたは私と一つ

Together we are Unity
私たちは共にユニティ

We are and will forever be.
私たちはこれからも永遠にユニティ

We are one, we are Unity.
私たちは一つ、そして私たちはユニティ

I am Unity
私はユニティ

You are Unity
あなたはユニティ

We are Unity
私たちはユニティ

When one is bound then none are free
もし一人でも縛られているなら誰も自由でいられない

3405アクエリアン:2018/02/20(火) 19:29:58 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

Aging Spiritually
(霊的に年を重ねる)

Excerpt from the March/April 2008 issue of Unity Magazine
(ユニティマガジン2008年3、4月号の記事からの抜粋)

My father once told me, “When you’re old, you don’t feel old.”
I can appreciate what he meant when he said that, as I ponder the fact that the essential being I am inside myself is the same in my 50s as when I was only 15.
So who am I really?
Am I the woman who has changed with age, or am I the changeless self
within?
Am I the woman who is encased in time or the being who dwells apart from it?

私の父がかつて次のように私に語ったことがありました。
「お前が年をとったとしてもお前は自分が老いたとは感じないよ。」
私は父がこのことを語ったとき何を言おうとしていたのか、ということが、今の私なら理解できます。
というのも、私は、私の内なる本質は、15歳のときだろうが、50歳代のときだろうが、不変なのであるという事実を、ずっと考え続けているからです。
それでは、私とは一体いかなる存在なのでしょうか?
年齢とともに変わって行く一人の女性なのでしょうか?
あるいは、内なる不変の自己なのでしょうか?
時間という要素に制約されている女性なのか?
あるいは、時間という要素の制約を超えた存在なのでしょうか?

Sometimes when referring to things that happened long ago, we say things like “I remember it like it was yesterday.”
And that’s because in a way it was. If time, as Einstein declared, is merely an illusion of
consciousness, then linear time itself is a metaphysical fiction; everything that has happened, is happening, or will happen, is happening now. There, in that realm of the eternal now, is the true “I am.”

しばしば、かなり前に起きた事について言及するとき、「それは昨日のことのように覚えている」と言うことがある。そして、それはある意味その通りだからなのです。もし、時間というものがアインシュタインが言うように、単なる意識の幻影でしかないのならば、一直線に進む時間という概念そのものは、頭の中だけのフィクションにしかすぎないということになります。かつて起こったこと、今起こっていること、そして将来起こるであろうこと、これらのすべてのことは、今この瞬間に起きているのです。永遠の今という領域においてのみ、真の”私”が存在しているのです。

The eternal self dwells in eternity, and eternity intersects linear time at only one point: the present.
Who you are in this moment, therefore, is who you truly are. And from that essential point of perfect being―created anew by God in every instant―miracles flow naturally.
Thoughts of love interrupt the past and open the future to new probabilities.
No matter who you are, no matter how old you are, in the present, all things are possible.

久遠の自己は永遠のなかに存在するのです。そして、永遠と現象の直線的な、連続する時間とは、ただ一つの地点ーーつまり、現在ですねーーにおいて、まじわるのです。この瞬間のあなたの姿が、それゆえに、あなたの本当の存在の顕れなのだということになります。そして、あなたの本質は完全な存在である、つまり真の自己は瞬間瞬間に神によって新たに創造されているのだという絶対的な次元から奇跡は自然に生まれてくるのです。愛は過去を造り変えますし、未来に対して新たな可能性を開くのです。現在のあたながどのような境涯であろうと、何歳であろうと、あらゆる可能性が開かれているのです。

3406アクエリアン:2018/02/20(火) 19:34:59 ID:UNlwyDdw
アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史「久遠の自己」を語る (2)
http://blog.livedoor.jp/newthought/archives/22258385.html

The physical self ages, of course, but the spiritual self does not.
As we identify more with the spiritual dimension of our lives, then our experience begins to shift from the changeable to the changeless . . . from limitation to limitlessness . . . from fear to love.
As our journey through linear time gets shorter, our consciousness can in fact expand. And as it does, time itself is affected.
The deeper we go into the love of God, the more we actualize our earthly potential.

肉体の自己は、勿論、老化はまぬがれることはできませんが、霊的自己はそうではないのです。私たちの思考が、もっと霊的な次元に移行すればするほど、わたしたちの経験は、不安定なものから不変のものへ、限定から無限へ、恐怖から愛へと転換しはじめるのです。わたしたちの意識が現象の時間の束縛から解放される度合いにしたがって、わたしたちの意識は本当に拡大していくのです。そして意識が拡大していくと、時間そのものも影響を受けます。わたしたちが神の愛の中へ深く入っていけばいくほど、この地上におけるわたしたちの潜在能力をより多く実現していくのです。

The understanding of that which does not change is the key to our power within a world that does. In aligning ourselves with the eternal self, we age not in a straight line leading from luscious youth to decrepit age, but rather like the flowering lotus opening more and more to the light of the sun.

変化しない永遠の存在への覚醒が、この無常の世界の中に潜むわたしたちのパワーを開花させるための鍵です。わたしたちの真の自己である永遠の自己に目覚めるとき、わたしたちは、甘美な青春期から老いぼれた老年期へという常識的な人生のコースではなく、むしろ、蓮の花が太陽の光に向かって花開くような年齢のとり方をするようになってくるのです。

3407アクエリアン:2018/02/20(火) 19:44:17 ID:UNlwyDdw
■理想世界誌青年法語ご紹介

マリアン・ウィリアムソン女史は非常に深い真理を語っているのですが、久遠の自己について、谷口雅春先生のご法語を紹介させてもらいます。

四日のことば 超越的自己を自覚するために

 わたし達は”本当の自分”ではないところの単なる仮装の存在である肉体にばかり気をとられ、肉体が生活している”物質と見えている環境”の有様にのみ心を集中して生活している時には、この内在の”本当の自分”ーーSoul(魂)なる自分には気がつかないのである。しかし或る瞬間ーーそれは座禅や鎮魂や神想観や瞑想やーー兎も角、外界に心を振り向けずに自分の内的生命にのみひたすら心を振り向けた機会に、自己の内的生命の自覚が顕在になって来る。そのとき、イエスが「われはアブラハムの生まれぬ前(さき)より在るものなり」と自覚された時のような、肉体の年齢や時間を超越して実在するところの自分を自覚するのであるーー諸君もそれを自覚するときが来るのだーーそのためには毎日怠らずに神想観を実修するがよい。

五日のことば ”生命”は常に前向きに前進する

 やがて、あなたに時間・空間を超越した実相の自分を自覚し得た一瞬が来る。それまでは、普通の人は「時間と空間の障壁は真実で克服しがたく思われるほど、感覚の力は心を圧倒してしまっている」とエマソンは言っている。私たちの肉体は、時間・空間の枠の中で生活している。そしてこの肉体を五官の感覚で見て実在であるかの如くに感ずる。そして又、肉体をとり巻いている外界の一切のものを、固定した存在の如く考える。しかしエマソンは言う。
「私どもが今固定していると考えていることも、あたかも熟れた果実のように、ポタリ、ポタリと、私どもの経験から離脱して落ちて行くのだ・・・・風景、人物、ボストン、ロンドンも昔の制度や一抹の霧や煙と同様に一時的なものだ。社会もそうだ。世界もそうだ。Soul(魂)はじっと前を見つめ、前途に一つの世界を創造し、背後にいくつもの世界を捨てていく。Soul(魂)には日付けもなく、儀式もなく、からだもなく、専門もなく、人間もないのだ。Soulは Soulのみを知る。森羅万象はSoulが包まれている外装に過ぎないのだ。」

 森羅万象は、(それは自分の肉体をもひっくるめて)Soul(魂)が創造した外皮なのである。それは蚕の生命が創造した繭のようなものであり、蛇が生長して行く毎に脱皮する”皮”(蛇の抜け殻)みたいなものである。抜け殻は蛇の一時的外装であって、それは嘗て蛇によって創造せられ、用終りて捨て去られ消えて行くべきものなのである。生命は嘗て創造して、要を果たしたところのものを棄てていくが、”生命”は死ぬのではなく、常に前向きに前進するのである。その”生命”がただの生きる力ではなく、叡智を備えた普遍的なものであるとみとめたとき、それをSoulとエマソンは呼んでいるのである。

六日のことば 自覚者の言葉
 
「Soulは真理をみとめ、それを顕すものである。これが真理だとSoulはいうのだ。懐疑論者や嘲る者たちが何といおうと、われわれは真理を見たとき、それが真理だと知るのだ。愚かなる人たちは、自分が聴きたくないことをあなたが語ると、”あなたはどうしてそれが真理であって、あなた自身の謬見でない事がわかるのですか”と問い返す。それはわれわれが目覚めているときには、自分の目覚めていることが自明であるように、真理を見ればこれが真理だと知り、ただのある人の見解でないと知るのだ。」
 
 まことにこのエマソンの言葉は自己に宿る真理が目覚めて、自己の内在の真理と、宇宙普遍の真理とがカチカチ相触れ合って、直接”真理”を自覚した人の言葉だということができるのである。

昭和四十七年10月号の青年法語「エマソンの光明思想と生長の家」より


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