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聖典引用 板

1609a hope:2012/11/14(水) 08:07:23 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第七章 明るい心で運命を好くしましょう

♦晴れやかな気持の功徳

晴れやかな明るい気持になれば、顔が生々(いきいき)と輝いてまいります。
全身の血のめぐりがよくなります。
全身の血のめぐりがよくなれば、身体を動かすのが楽しみになり、
生き生きと何でも思うことが出来ますので、勉強や仕事が楽しくなり、
何をしても上手になり、成績があがるのであります。
(つづく)

1610ハマナス:2012/11/14(水) 09:46:17 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
おはようございます。
今日から第十一篇に入ります。
皆さまにとって、今日も光り輝く素晴らしい一日でありますように。

第十一篇 治癒する力はどこからくるか 
 光と光源とは一体なり  (『新版 生活の智慧365章』P.287)

 神と分離の感情や想念をもってはならないのである。「天にまします我らの父」と云う
ような祈りの言葉は、自分は地上におり、神は天上にましますと云うような離れた感じを
与えるものであるから、あまりに感心した祈りの言葉ではないのである。「わが魂の底の
底なる神よ、無限の力湧き出でよ」と云うような、もっと自己と一体感の深い言葉をもって
祈るべきである。

 言葉と云うものは想念を動かす。無意識に使っている言葉でも、それを始終つかっていると、
その言葉の意味する通りに自分の想念感情が動かされてしますことになるのである。
『甘露の法雨』には「光と光源とは一体なるが如く、人間と神とは一体なり」と示されている。
すなわち神と人間とは緊密に一体なのであって、天から降りて来て地上の人間を救うような
長距離の隔たりはないのである。

感謝合掌

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1612うのはな:2012/11/14(水) 14:56:13 ID:PYl4tM0Y
   隣人を愛せよと云う意味

 我々の本当の相(すがた)は自他一體でございます。吾々はみんな兄弟であり、全體に繋がっているのでございます。
併しその繋がっているままでは實生活に都合が悪いから縦横厚みの枠に嵌めて覗いて見ると、個人々々が分れたように見え、無限のものが
有限に見えるから本当でない。本当でないから『迷より生ず』と云うのですが、その個々別々の五官に見える相に囚えられて本物の自他一體の
すがたを見ないで、自分だけの為を計って行動するのが利己主義でございます。

 利己主義が却って自分を苦しめることになるのは個々別々が人間の本当の相でないからでございます。形で見れば分れているように見えましても、
いのちで観れば本当は繋がっていると云う事に目覚めて、自他一體の行にあらわして實践すると云うところに、吾々は幸福感即ち自己拡大の感じを得るのでございます。
今まで自分と云うものは五尺の長さ十数貫の小さいもののように感じられて居ったけれども、それが本当は、大いなるものであると云うことが分るのは、神想観の座禅的修行で
も体得し得ますけれども、一方に自他一体の行を實践しなければ本当に分らないのでございます。
自他一體の行と云えば難しいようでありますが、簡単に云えば他に深切をせよと云うことでございます。

キリストに言わせれば、『汝の如く汝の隣を愛せよ』と云うことでございます。
『汝の如く』でございます。他の人を助けてやると云うような恩に着せて愛するものはないでしょう。
自分自身と一つのものとして兄弟を愛せよ、隣人を愛せよです。

 だから恩に着せるとか、愛の代償を求めるとか云うことはあり得ないのでございます。
『隣人を愛せよ』と云う意味が今迄誤り考えられていたようでございます。
『隣人を愛せよ』とは自分の家人を棄てて置いて隣の人だけを愛せよ、と云うのではないのでした。
 先ず自分の家を愛さなければならないのです。

 隣人と云うと英訳の聖書には(neighbour)と云う字が使ってありますが、是は隣りの人のことではなく
、『近くの人』と云う意味でございます。自分の家の人が一番近くの人なのでございます。
それから次第に及んで隣家の人、同じ村の人、町の人、同じ市の人、同県の人と云う風になりますが、先ず
一番間近かに居る家人と調和しなければ、工場で働いても故障や怪我をし易いですから生産力拡充の道にも副はず
国家を愛することにもならないのでございます。

 キリストは『汝の隣を愛すると云うことが出来ないようなことで、眼には見えない神をどうして愛することが出来るか』
と言って居られますが、私に云わせれば、『自分が本当に深切に愛しなければならない家族と不仲でいるようなことで、もっと
大き過ぎる国家を本当に愛し得ようか』と云いたいところでございます。


 『運命の原理』谷口雅春 先生著P127  (投稿者 現代かな遣いに変更)

1613a hope:2012/11/15(木) 07:08:24 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第七章 明るい心で運命を好くしましょう

♦怒りや恐怖は人を殺す

晴れやかな心の反対は、怒る心、恐れる心、驚く心、暗い心、憂鬱な心、陰気くさい心などであります。
これらの心は血液の中に毒素を生ぜしめ、人体の生きる力を殺すはたらきをするのであります。

或る父親は娘が口答えをしたので憤激(はげしくおこって)して娘を叱りつけようとしたとき、
大喀血を起こして死んでしまいました。
びっくりして目をまわして倒れた例などはザラにあります。

恐れれば顔が青ざめ、心臓がどきどきします。
愛する子供が死んだために悲しみのあまり気の狂った人もあります。
大陸へ戦争に往って帰って来ると、唯一年間のあいだに十年ほど年が寄った人が多くあります。

ロジャー教授は「健康に殆ど影響を与えない場合でも、憂鬱の感情や、心配や、
深い悲しみの思いは頭髪を枯死(かれてしぬこと)せしめる」と云うことを発表しておられます。

日華事変中大陸戦線で一年にして白髪を倍加した人たちの事を考えると、それらの人たちが平気な顔をしていたようでも、
心配や憂鬱や恐怖にさいなまれた証拠物件(じょうこになるもの)をさげて歩いているようなものです。
(つづく)

1614うのはな:2012/11/15(木) 15:43:10 ID:waBIOL7w
   生長の家の国家観の基本

 “国家”は、領土があって、人民があって、そしてそういう部分品がこう集まっただけで出来ているか
と思ったら、間違いである。国家を、領土と其処に住んでいる人民とにバラバラに分けて、そしてそこに国が在るか、
と言ったら、もう国はないんです。領土と人民だけで、それを組織し総攬する主宰者がなければ、それは“国”とはいえないのです。

 日本は、その組織を総攬する主宰者にまします天皇が政治の圏外に追放された。
日本は占領されてバラバラにさせられて、そしてアメリカから民主主義という美名で個人主義の肉体快楽主義が輸入された。
自分だけ快楽が得られればよい、自分の肉体だけ幸福になればいい。

 此れが基本的人権だというような、そういう利己主義が輸入されて、主権は“中心”にはなくて、皆なバラバラの国民ひとりひとり
という部分々々に分解された。こうなると部分々々に解体された車は、もう車ではなくなったと同じように、もう日本の“国”というものは
無くなったのである。「国は在るか」と言って探し廻っても、国は見つからないんです。

 だから立派なインテリの政治家や法律家が“政府”のやったことを“国”が悪いといって国側に賠償を請求したりする。
つまり「国」を探しても見つからないから「政府」を「国」だなどと錯覚するのである。国とは政府のことだと錯覚してしまったら“愛国心”というものは
時の政府を衛る心だなんていうことになる。こうして国とは何ぞやということが分らなくなったので“愛国心”というような尊いものは戦後、殆どの日本人の
心の中から消えちゃったのです。

 バラバラの国民に分解してしまって、その部分々々の個人々々に主権があることになったから、けいちゅうの車を探しても見つからないのと同じように国を探しても、
国は見つからない。それだから「愛し得るような国ならば愛するけれども、こんな国では愛することが出来ない」というような表現をした大学生もあった。
しかし、国は部分に分解したら無くなる。本当の国は、そういう部分品の中を探しても見つからないんです。
 では、果して日本の国は一体どこに在るか。

 部分品の奥に、肉体の奥に、物質の奥に、更に、超次元の世界に、本当の人間ー理念の人間ー永遠に砕けない人間があって、その永遠に砕けない霊的人間が、
それが天降って、物質の養分や、成分を集めて、人体が出来た、そして現象の人間が現われたように、日本の国でもですね、領土とか国民とかいう部分品が勝手に....
こう偶然に集まって相談して出来たんじゃなくって、日本の国なる理念が天降って来て、そして爰にですねえ、“豊葦原の瑞穂の国”という、此の日本国が出来たわけです。

(後略)

『精神科学』昭和四十八年八月号15頁 谷口雅春 先生著

1615うのはな:2012/11/15(木) 17:37:44 ID:XuKa5ZNI
指導者の心構へ

 個人指導をするということは、迷っている凡夫(相手)を、神の子なる自分が指導するのではなく、
あくまでも、神の子(自分)が神の子(相手)を導かして戴く、相手の神の子なる実相を拝ましていただく行であり、
如何に迷い苦しんでいるように見える相手であっても、その迷いの奥にある神の子なる実相を拝み出す行であるのであります。

 つまり、自分が指導するのではなく、無我になって相手の実相を拝むときに、自分を通して神の言葉が流れるのが、個人指導であります。
相手を導くのは、常に「自我」ではなく、「我がうちに宿る神」であります。
このことが理解されますとき、指導する人の態度と言うものは、自らわかってくるのであります。

 相手が訪れて来て、最初に逢った時に、いきなり相手にいろいろと尋ねるのではなく、先ず、相手を自分の前に坐って貰って、五分間神想観をし、
「唯今より、神の無限の智慧、無限の愛に導かれて、指導をさしていただきます。私の使う言葉は、神の御言葉であり、それによってこの方の実相が
顕現し、神の御栄えが現われますことを感謝いたします」

 このように祈って、「我が業は我が為すに非ず、天地を貫きて生くる租神の権能」と深く念じて、それから相手の実相を拝み導き出す聖なる行が始まるであります。
くわえ煙草で、「どうしたんだ!」というような調子や、酒気をおびて指導をすると、たとい口から出る言葉は、どんなにすばらしくても、何か小馬鹿にされたような印象を
相手に与えるもので、それでは宗教的な聖い行としての個人指導という印象を相手に与えることができません。
相手は思い余って、苦しくて来ているのですから、小馬鹿にされたような感じでも、救われたい一念で指導を受けるには受けますが、第一印象に悪い感じを与えておきますと、その
指導した人が嫌われるだけでなく、生長の家の個人指導を受けたのですから、結局、生長の家を嫌うような結果になります。

 折角、指導して病気を治しておきながら、その人が生長の家へよりつかない理由の一つに、このような理由もあるのであります。
「尊敬すれば尊敬される」というのは「心の法則」でありまして、相手がどんなに困って憐れな状態にあっても、相手の神の子の実相を拝み、尊敬して指導すれば、その人は自分を長く尊敬
してくれ、延いては生長の家を尊敬し、生長の家からはなれることはありません。
「馬鹿にすれば馬鹿にされる」のは法則です。

 生長の家の指導者の個人指導であるということは、普通の人生相談とは違うのでありまして、「相手の実相を礼拝し、導き出す聖なる行」であるということを、深く認識して、宗教的雰囲気の中で
行われなければならないのですから、最初に神想観をして相手と共に神に祈る行から、始めらるべきであります。
この祈りで始まりますと、生長の家を全然知らないで来た人でも、何となく暖い愛情を感じ、指導者に対する態度も、真面目に真剣になり、厳粛な指導ができるのであります。

「個人指導の指針」『生長の家』誌 昭和三十三年三月号 徳久克己教務局長

1616SAKURA:2012/11/15(木) 21:36:52 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  …… ①

=======【抜粋文】================================
 悲しいことがあれば、喜びの初めである。イエス・キリストも「幸福(さいわい)なるかな
悲しむ者。その人の慰められん」と言っている。物質の満足に五官の表層を快く楽しませてい
たような人が、その物質なる富が眼の前から剝落した時に、物質なる肉体があるいは病み、あ
るいは眼の前から姿を没しようとする時に、その人は悲しむのである。悲しむだけ悲しむがよ
い。涙はその人の心の汚れを淨めるであろう。淨まり淨まったとき、本当の世界は物質の世界
でなかったということがわかるである。淨まり淨まったとき、本当の人間は物質の肉体ではな
かったことを知るのである。「本当の人間」は物質なる肉体が死んだと見えているときにも、死ん
ではいないのであって、彼が生きた程度に従って、より自由に生き通していることをしるのである。

人間は死なない。ことに公のために殉じた者はいっそう高く生きているのである。このことに
ついては、『生命の実相』の第九・十巻「霊界と死後の救い」を読んでいただきたい。

 肉体は蒲団の上にいて、誰のためにもならず、かえって人に迷惑をかけつつもついには滅びる
ものである。陛下のために、国家のために、全国民のために、何を献げて死することができるな
らば光栄これに渦ぐるものはないではないか。          谷口雅春著
===========================================

■この現実世界=現象世界に於きまして【物質…】に恵まれた方は〜〜〜?
確かに!明るい…朗らかな…“顔”です〜〜〜ョネ!!それが、ある日、困窮な状態になり
【天 と 地 が 逆 転】した様な状態になりますと、もうその人の“顔の相”は貧窮そのもに、
なりやすい方が、多いです〜〜〜ョネ!!
私の故郷…FUKは、そのような方が、余りにも多いですかと?思いますネ!!
「やさしさの欠如?」とか…言いわれるかもしれませんが???
【見えッパリ!で…第三者から良く見られたい!感覚】なのでしょうか???それにて“ビックリ”
本当に、帰郷しましてから【整形…がダントツ!ベストテン!】それは、それでいいのですが?
個人の自由でも「参考写真…」にての【尾行…】は、■【法律上…】かと??

更に、今は【整形の材料不足…?なのでしょうか?】ですから“安価な材料”でしていますと、
【後・後〜〜〜後に後遺症…】更に【崩れた顔…】が???
このような状態の時こそ…【反省…】を持つべき事ではと、思う次第なのですが???
ここFUKのシンガ−【涙も?つくり涙…“松田聖子の作り涙”…】で、その当時は、
ごまかして、随分もてはやされた記憶があります。…が?それなりの事が、その人に帰って来る
のです〜〜〜ョネ!!“顔…”も、確かに、ある一定の年齢になりますと、【整形…】しなくても
それなりの【老化…】は有るのです。…が???
                          (つづく)

1617SAKURA:2012/11/15(木) 21:39:31 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616投稿の続きです。…が
>>1616>>①続き投稿です…。

「生命の実相 37巻 より  …… ②

■昨日【森 光子さんが亡くなった訃報ニュ−ス】心から、故人の御冥福をお祈り申し上げます。

さて、話はブレイクしますが…これを同じように、考えてしまいました。が??
「亡くなられました森光子さん」は、確か【東京・帝劇のビルの工事?】でしばらく【休業宣言】…
されて、その後の“若作り…”でしょうか??【整形…】されての登場です。
登場されました時は、「可愛い〜お祖母ちゃん風での若者のスタイル」と言いますか?“ビックリ”
でしたが??これもまた「黒幕デザイナ−」に、そそのかされての【整形…】でしょうか……?
失礼ながら、やはり“顔…”は?肉体の老化も含めまして“壊れる”ので、何度も修正です。
観ていて…悲しくなりました。…が?もし【整形…】されずにいたら?肌の状態も良い方でしたし、
モット〜ピチ!ピチ!した印象で【永遠の舞台俳優として…】脳裏に?心に?残ったと思います。

そして「森光子さん」の画像を追っていく内に【デビュ−?遅し?】でしたのでしょうか……??
或る写真をみて“ビックリ”くぎづけで、まるで【私の亡き母の顔】そのものでした。
洋服も「亡き母」の学生時代の洋服に似ていましたから…まるで!まるで!【合成写真…】
でしょうか??この様にしてまで〜〜〜>< あの素晴らしい“笑顔“…その人が「森光子さん」
私の心には存在として残っています。…が?あの好感ある“笑顔の森光子…さん”は〜〜〜

■【霊界世界…】からの考えでは
【整形…】されますと“生まれた時の本来の顔”・“過去の顔”“を抹殺される事では〜〜〜?
ならば【肉体は〜〜〜】???本当に“日本人”としての自覚での【誇り】で亡くなられたら?
本当に、モット!素晴らしいのですが???そこまでの気持ちではなく…
【肉体人間としての執着…】でしたらと、一瞬!考えましたが??後で?【女子会…】で、
「亡き母」に似てる「森光子の写真…」を“投稿”しようかしら〜〜〜ン??
そうこうするうちに、既に…“デリ−ト”かと…??
http://matome.naver.jp/odai/2135293700899758901(参照URL…)
❤〜 パ−マの“ヘヤ―スタイル”の白黒写真で、冒頭に“宝塚風?”の顔写真

ブレイクしますが「亡き母」は50代になってから、ある人から「若い時は美人だったネ」と、
言われたそうで、当時の母は“ビックリ…”本当に、自覚のない母でしたから〜〜♫〜〜
「もっと!母を取りまく周りの方々が、同じ事を言って下さっていたら?」と、笑って良く
私にもパ−トナ−にも、よく話したものです。…が?その「亡き母」は、いつも“素顔”でした。
…が?■【霊界通信?霊の世界】からの知識を頂くようになりまして、「亡き母」は、今頃は?
手入れされてない“顔”で、私の心の中にある“見なれたいつもの顔”であの世に行きました。

そうです〜〜〜ョネ!あの頃の「亡き母の時代」では【美人像…】
確か?“丸顔”・“ぽっちゃり”…etcが【美人像の条件】でしたかしら〜〜〜ン
「亡き母」の顔は“面長美人”でしたので?当時は受け入れられない時代の背景でしょうかと。
今回の事を踏まえてみまして〜〜〜【整形…も】繰り返しの事なんでしょうかと??
【一つの比喩論…】で、考えた次第です。…が???
■【肉体人間…ではなく霊体人間…との自覚を持つ事が、全ての“物事の始まり〜♫〜”】でしょう。

再合掌

1618ハマナス:2012/11/15(木) 23:15:43 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

神御自身の自己完成  (『新版 生活の智慧365章』P.288)

人間は神の最高の自己実現であり、神の愛し児であり、神の全内容を完全に具象化したもの
なのである。若し人間が地上に生れなかったならば、神はその創造のみ業(わざ)を、ただ
大自然力にまかせるだけで、それを完成することができなかったに相違ないのである。だから
人間が地上に出現したと云うことは、神の希望の実現であり、目的の達成であり、神御自身
の自己完成であるのである。だからあなたは神にとってまことに尊き存在なのである。

 若し人間が地上に生れなかったならば、神は自己完成を遂げることが出来なかったのである。
神は人間を通してのみその理想を地上に投影することができるのである。だからあなたが若し
心を澄まして、神の“声なき声”を聴くべくつとめるならば神は、あなたが如何に行動するが
最もよく、神の理想を地上に実現し得るかを示し給うにちがいないのである。そしてその啓示
に素直に従うとき、あなたに祥福は実現するのである。

感謝合掌

1623ハマナス:2012/11/16(金) 09:31:36 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
おはようございます。

神と偕に生活する  (『新版 生活の智慧365章』P.289)

 心を澄まして神の声を聴くには、神想観を為すがよいのである。「衆生、仏を億念すれば、
仏、衆生を億念したまう」と仏典にある通り、私たちが神を億念すれば、神の億念(衆生に
対する愛念と叡智の導き)を感受することができるのである。神は私たちが神を億念しない
時にも億念していられるのであるけれども、私たちの心が神に振り向かない時には、神の
億念を私たちは感受することができないから、神が憶念し給わないのと同じような事なのである。

 何事を為すにも、神にそれを訊いてからその通り実行するならば、自力的努力に無駄な時間と
エネルギーとを浪費することなく、物事が順調に運んで行くようになるのである。自力的に刻苦
する時間を神と交通し、神を讃美し、神に感謝し、神との一体感を深めるために費やすならば、
あなたの生活は、もっと明るいもの、豊かなるもの、順調に過ぎ行くもととなるに相違ないのである。

感謝合掌

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1626うのはな:2012/11/16(金) 18:31:54 ID:AjOElYbo
    ラザロの復活

 キリストがラザロを復活せしめられた原理もそれであります。
『聖書』に書いてあるところのキリストが多くの難病を治したと云う奇蹟は、あんなことは
ある筈がない、嘘なんだろう。あれは弟子がキリストを尊敬して、わざと箔をつけるためにあんな
事を書いたんだろうと云う様な人があるかも知れませんけれども、あんな出来事は実際にあり得るのです。

 今でも「生長の家」の誌友は、現象を超えて「実相」を完全に観る力が強烈であれば馬場久さんのようにできるのです。
それでキリストはラザロを見て、「死せるに非ず、寝ねたるなり」(ラザロは死んでいるんじゃない、生きているんだ)と、
ラザロの「完全な実相」を見給うて、「起きよ」と言われると、四日間も墓の中に入って腐ったようになって、異臭芬々たるラザロが、
むくむくと起き出して治ったのです。

 この場合に注目しなければならないことは、キリストが病気を治された場合にですね、ただの一度も「お前は病気であるから治してやる」と
仰言った事が何処にも『聖書』に書いてないことであります。いつも「床を取り上げて歩め」とか、「起きよ」とか「汝の罪ゆるされたり」とか、
患者の眼に泥を塗って、「汝の目をシロアムの池へ行って洗え、お前は見える」と仰言ったりしているだけで、何処にも病気を治したと云う様な事は
言われていないのであります。

 イエスは病気を見なかった。ただ「完全な実相の人間」だけを見られたのです。
病気を見る世界に於いて病気が出て来る。戦を見る世界に於いては戦が出て来る。争いを見る世界に於いて争いが出て来るのであります。
その逆にですね、「争いなんてないんだ」とこの世界を観れば、争いが無くなるのであります。
ですからキリストが生まれつきの盲の少年を癒され時に、ユダヤ人達があんな者が治す筈がないなんて言っている時に、癒され少年は、
「私を治したのは神の子イエスである」と言う。

 すると、キリストはユダヤ人たちに、「汝等の見ゆと言う罪は遺れり」と言っていられる。
肉眼がひらいて見えると言っている者は、肉眼で見えているところの世界を、病気のある世界を、争いのある世界を妄想によってアルと見ている。
「自分たちは肉眼がよく見えるんだ」と偉そうに言っている者の方が却って盲なんだ。

 これが「汝らの見ゆと言う罪は遺れり」とイエスが言われた意味であります。
現象の争いとか、病気とかは妄想のあらわれに過ぎませんから、そんなものを見ないで、「実相」を深く強く諦かに観たならば、そこには悪いものは
ひとつもないと云う事実があらわれてくるのであります。

『日常生活の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著 P181−182

1627NANCY:2012/11/16(金) 20:15:44 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■■【気 付 き 宣 言】……
以前から思っておりましたが〜〜〜?“不思議…”な気分と言いましょうか?
投稿者の方の中に…下記にて【例…】と致しまして、投稿させて頂きました。【オカシイ?】ですネ

■■【嫌がらせ〜〜?】【奥殿に行かせるため〜〜?】……etc なのでしょうかと??
〜〜【抜 粋 例】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
❖名前:<削除> 投稿日: <削除>
<削除>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■変!変!〜〜〜〜〜〜〜 変!です。
1)「投稿者…本人」の【 ID??? 】も記載されていません。
しかも【 投稿 時間 】も……記載されていません。…が???

2)しかも??何も 【 投稿文章…】も?ありません。…が?

3)【最高裁…判決】前に致しましての…当に【嫌がらせ…行為】でしょうかとの判断ですが??
閲覧します上でも…【気分が…??】悪いモノのです。…が?

■■「管理人…トキ様」は、この件を、どの様にお考えなのでしょうか……???
果たして、注意の対象にならないのでしょうか……?
                                             再合掌

1628うのはな:2012/11/16(金) 20:32:27 ID:9TO4H8Ho
   死刑を免れた話

 遠藤義雄さんという人が、海南島で戦争中何か役職をしておって、終戦後、戦犯になって
死刑の宣告を受けたという話が『真理は死刑の鎖を断つ』という本に書いてあります。
その遠藤義雄さんは、死刑の宣告を受けて、今日死刑になるか、明日死刑になるかと待っておったが、一遍に
処刑出来ないので、ぼつぼつと順番に死刑になるんですが、或る日のこと、大尉の一人が死刑になるというので、
“もう死刑になるのにこういう書物を持っておっても仕方がない”というので『生命の實相』の第六巻と、ちり紙に鉛筆で
写した『甘露の法雨』とを刑場へ行く道すがら監獄の鉄格子の間からほうり込んでくれたのです。

 遠藤さんは、何をほうり込んでくれたかと思って見ると、『生命の實相』の第六巻です。
それは『萬教帰一篇』で、それには、生長の家の教えというものは、一宗一派ではないのであって、万教は「人間は肉体ではなく、
霊的存在である」という一つの真理に帰一するものである、ということがかかれているところでありますが、その『生命の實相』と、
ちり紙に写した『甘露の法雨』とを手に入れた遠藤義雄さんは、監房におっても暇ですから、それを繰り返し繰り返し読んだのです。
そのうちに、人間は肉体にあらず物質にあらず、肉体というものは人間の生命の外套みたいなものであって、この世の中に、ある仕事をする
期間だけ、この肉体はその道具として存在するのである。

 肉体というのは私じゃない、自分そのものじゃない、これは自分の外套に過ぎないんだ、そしたらこの外套が死刑になったって私は死なないんだという
自覚を得られたのです。
 その『生命の實相』のところどころに「神想観」をやるように勧められてあるが、遠藤さんには神想観のやり方というのがわからんのです。
神想観のやり方は第四巻に書いてあるもんですから、よくはわからんけれども、神想観をしたらなんとかということが、いろいろのところを読んでいると、
何か招神歌をとなえて、真っすぐに坐って合掌するものだということぐらいは想像がつくのでした。ところが『甘露の法雨』のちり紙に写したのに招神歌が書いてあったので
遠藤さんはあれを一心に念じて、瞑目合掌して招神歌三昧になっておったのです。

 海南島ってところはあたたかい南方ですから、もう藪蚊がいっぱいいて、坐っていると胡麻を振りかけたように身体に蚊がとまるけれども、神想観をしていると一向螫さんのであります。
神想観をやめて身体を動かすとブーンといって一斉に飛んでゆくけれども、身体にいっぱいとまっていながら、ちっともさしていないのです。
或いは遠藤義雄さんのベッドから南京虫がぞろぞろぞろぞろぞろと、どこかへ集団移動を始めて、もう決し螫さなくなったというのです。
そういう奇蹟的事実もあったのです。しかしこれは奇蹟というよりも、自分の心が変われば、南京虫にさされるという運命も変わってくるという訳です。

 遠藤さんは、さて、愈々自分の死刑の順番が廻ってくる頃だと思うのですけれども、死刑の順番が廻ってこないのです。
或る日、看守が..その看守は、遠藤さんが、いつも合掌して敬虔な態度をとっていたのでしたが、神想観をしてから非常に深切になってきていたのです
その看守が、「遠藤さん、あんたはね、死刑にならんよ。」と言うのです。
「死刑にならんと言ったって死刑の判決が下っているんだから。」「しかしね、遠藤さん、私は今まで多勢の死刑になった人を見ているがね、死刑になる人はみな
死相をあらわしているけれども、あんたには死相があらわれていない。あんたは、蒋介石に、自分は無実であると、戦犯になる筈はないという理由を書いて、無罪になる請願書を
出したかね。」と言う。
「いや、軍には出したけれども蒋介石には出さない。」「軍になんか出してもだめだよ。そんなものは途中でにぎりつぶしてしまうから。だから、蒋介石の中央政府に直接出さなければいかん。
私が、それの手続きしてあげるから書きなさい。」

 看守は深切にもこう言ってくれまして、いよいよ蒋介石の中央政府へ無罪放免の請願書を差し出したら、それが許可になって、執行される筈の死刑が執行されずに救かって内地に帰ってこられて、
諸方で『生命の實相』の第六巻を自分で一万冊売るという悲願をたてて講演して歩いておられましたが、この遠藤義雄さんの場合なぞも、当り前なら死刑になる運命をもって、既に死刑の判決が下って、今日それが執行されるか、明日執行されるかという瀬戸際に来ていたのです。
明日それが執行されるかという瀬戸際に来ていたのです。それが、心が変化することによって運命が変わってきたものであるということがわかるわけであります。

『人間そのものの発見とその自覚』 谷口雅春 先生著

1629NANCY:2012/11/16(金) 21:04:42 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
昨日【SAKURAさんの投稿】内容を…まだ閲覧されていらっしゃらない方が…と思い【再投稿…】

===【再投稿文】====================================☆
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  …… ①

=======【抜粋文】================================
 悲しいことがあれば、喜びの初めである。イエス・キリストも「幸福(さいわい)なるかな
悲しむ者。その人の慰められん」と言っている。物質の満足に五官の表層を快く楽しませてい
たような人が、その物質なる富が眼の前から剝落した時に、物質なる肉体があるいは病み、あ
るいは眼の前から姿を没しようとする時に、その人は悲しむのである。悲しむだけ悲しむがよ
い。涙はその人の心の汚れを淨めるであろう。淨まり淨まったとき、本当の世界は物質の世界
でなかったということがわかるである。淨まり淨まったとき、本当の人間は物質の肉体ではな
かったことを知るのである。「本当の人間」は物質なる肉体が死んだと見えているときにも、死ん
ではいないのであって、彼が生きた程度に従って、より自由に生き通していることをしるのである。

人間は死なない。ことに公のために殉じた者はいっそう高く生きているのである。このことに
ついては、『生命の実相』の第九・十巻「霊界と死後の救い」を読んでいただきたい。

 肉体は蒲団の上にいて、誰のためにもならず、かえって人に迷惑をかけつつもついには滅びる
ものである。陛下のために、国家のために、全国民のために、何を献げて死することができるな
らば光栄これに渦ぐるものはないではないか。          谷口雅春著
===========================================

■この現実世界=現象世界に於きまして【物質…】に恵まれた方は〜〜〜?
確かに!明るい…朗らかな…“顔”です〜〜〜ョネ!!それが、ある日、困窮な状態になり
【天 と 地 が 逆 転】した様な状態になりますと、もうその人の“顔の相”は貧窮そのもに、
なりやすい方が、多いです〜〜〜ョネ!!
私の故郷…FUKは、そのような方が、余りにも多いですかと?思いますネ!!
「やさしさの欠如?」とか…言いわれるかもしれませんが???
【見えッパリ!で…第三者から良く見られたい!感覚】なのでしょうか???それにて“ビックリ”
本当に、帰郷しましてから【整形…がダントツ!ベストテン!】それは、それでいいのですが?
個人の自由でも「参考写真…」にての【尾行…】は、■【法律上…】かと??

更に、今は【整形の材料不足…?なのでしょうか?】ですから“安価な材料”でしていますと、
【後・後〜〜〜後に後遺症…】更に【崩れた顔…】が???
このような状態の時こそ…【反省…】を持つべき事ではと、思う次第なのですが???
ここFUKのシンガ−【涙も?つくり涙…“松田聖子の作り涙”…】で、その当時は、
ごまかして、随分もてはやされた記憶があります。…が?それなりの事が、その人に帰って来る
のです〜〜〜ョネ!!“顔…”も、確かに、ある一定の年齢になりますと、【整形…】しなくても
それなりの【老化…】は有るのです。…が???       

(つづく)

1630NANCY:2012/11/16(金) 21:07:29 ID:jH5uEFzM
>>1629の続き投稿です…。

===【再投稿文】====================================☆
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616投稿の続きです。…が
>>1616>>①続き投稿です…。
「生命の実相 37巻 より  …… ②

■昨日【森 光子さんが亡くなった訃報ニュ−ス】心から、故人の御冥福をお祈り申し上げます。

さて、話はブレイクしますが…これを同じように、考えてしまいました。が??
「亡くなられました森光子さん」は、確か【東京・帝劇のビルの工事?】でしばらく【休業宣言】…
されて、その後の“若作り…”でしょうか??【整形…】されての登場です。
登場されました時は、「可愛い〜お祖母ちゃん風での若者のスタイル」と言いますか?“ビックリ”
でしたが??これもまた「黒幕デザイナ−」に、そそのかされての【整形…】でしょうか……?
失礼ながら、やはり“顔…”は?肉体の老化も含めまして“壊れる”ので、何度も修正です。
観ていて…悲しくなりました。…が?もし【整形…】されずにいたら?肌の状態も良い方でしたし、
モット〜ピチ!ピチ!した印象で【永遠の舞台俳優として…】脳裏に?心に?残ったと思います。

そして「森光子さん」の画像を追っていく内に【デビュ−?遅し?】でしたのでしょうか……??
或る写真をみて“ビックリ”くぎづけで、まるで【私の亡き母の顔】そのものでした。
洋服も「亡き母」の学生時代の洋服に似ていましたから…まるで!まるで!【合成写真…】
でしょうか??この様にしてまで〜〜〜>< あの素晴らしい“笑顔“…その人が「森光子さん」
私の心には存在として残っています。…が?あの好感ある“笑顔の森光子…さん”は〜〜〜

■【霊界世界…】からの考えでは
【整形…】されますと“生まれた時の本来の顔”・“過去の顔”“を抹殺される事では〜〜〜?
ならば【肉体は〜〜〜】???本当に“日本人”としての自覚での【誇り】で亡くなられたら?
本当に、モット!素晴らしいのですが???そこまでの気持ちではなく…
【肉体人間としての執着…】でしたらと、一瞬!考えましたが??後で?【女子会…】で、
「亡き母」に似てる「森光子の写真…」を“投稿”しようかしら〜〜〜ン??
そうこうするうちに、既に…“デリ−ト”かと…??
http://matome.naver.jp/odai/2135293700899758901(参照URL…)
❤〜 パ−マの“ヘヤ―スタイル”の白黒写真で、冒頭に“宝塚風?”の顔写真

ブレイクしますが「亡き母」は50代になってから、ある人から「若い時は美人だったネ」と、
言われたそうで、当時の母は“ビックリ…”本当に、自覚のない母でしたから〜〜♫〜〜
「もっと!母を取りまく周りの方々が、同じ事を言って下さっていたら?」と、笑って良く
私にもパ−トナ−にも、よく話したものです。…が?その「亡き母」は、いつも“素顔”でした。
…が?■【霊界通信?霊の世界】からの知識を頂くようになりまして、「亡き母」は、今頃は?
手入れされてない“顔”で、私の心の中にある“見なれたいつもの顔”であの世に行きました。

そうです〜〜〜ョネ!あの頃の「亡き母の時代」では【美人像…】
確か?“丸顔”・“ぽっちゃり”…etcが【美人像の条件】でしたかしら〜〜〜ン
「亡き母」の顔は“面長美人”でしたので?当時は受け入れられない時代の背景でしょうかと。
今回の事を踏まえてみまして〜〜〜【整形…も】繰り返しの事なんでしょうかと??
【一つの比喩論…】で、考えた次第です。…が???
■【肉体人間…ではなく霊体人間…との自覚を持つ事が、全ての“物事の始まり〜♫〜”】でしょう。

再合掌

1631神の子さん:2012/11/17(土) 08:35:29 ID:???
>>1630

故人を勝手な憶測で貶めて恥ずかしく無いのでしょうか?

これが証拠だ!と整形医院のカルテ(ありえませんが)を提示されたとしとも、生長の家の信徒だと名乗る方の行いとは思えません!

そのようなことはそっとしておいてあげるのが、信仰者の姿では?

1632トキ:2012/11/17(土) 09:40:16 ID:Ejcv9Jp2
>>1630

 ご投稿、ありがとうございました。

 森光子さんの事、また私も書かさせていただきます。

 ただ、整形の話は私も聞いた事がありません。
あと、趣旨から考えると、できれば聖典板よりも部室か別室でお願いをいたします。

 せっかくご投稿して下さったのに、注文をつけまして、すみません。
今後とも、ご投稿をお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

1633a hope:2012/11/17(土) 10:23:35 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第七章 明るい心で運命を好くしましょう

♦何事も積極的に

物事を消極的に考える人は何事も成就するものではありません。
消極的と云うと何でも悲観的に考えることです。
悲観的と云うと、何でも「悪くなるかも知れぬ」と云う方から見て、
物事を引込み思案の考え方をすることであります。

一時の勝ちに乗じて度を過ごすのはよくありませんが、何をするにも、
悪くなるかも知れぬと思って尻込みしているのでは、大きな仕事は出来ようがありません。

原子爆弾でも、そんな巨大(すごくおおきい)なエネルギーが実用になるものかと、
日本が消極的に尻込みしている間に、アメリカはそれを研究してとうとう戦争に最後の勝利を勝ち得たではありませんが。
(つづく)

1634a hope:2012/11/17(土) 10:27:39 ID:lAQRWvUs
>>1633訂正 最後の行

勝ち得たではありませんが。→勝ち得たではありませんか。

1635NANCY:2012/11/17(土) 20:26:31 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

私の【再投稿…】が、問題になっているようですが…最終的に申し上げたい事は??
>>1629>>1630の投稿に関しましてですが……
❤【信仰…】この根本は“精神の向上…つまりは心の向上”と、申し上げたかったのです。…が?

■■『 生長の家 』の観相学   ≪谷口雅春先生の言葉より抜粋投稿≫

―― 手相よりも人相よりもその人の心である ――
>私たちが信じなければならないのは“形”のもとになっている“心”を如何にもつかという
ことである。心を明るくしてもてば運命も明るくなり、人相も明るくなる。
心が、「あらわれの形」に捉えられて自由を失い、心が暗くなれば運命が暗くなり、人相も暗く
なるのである。<     (一部抜粋)

>人の相を観る事を観相学と申します。人の相貌を見てその人の心を占うのであります。そして
心そのものがその人の運命を左右するのでありますから、人相を見れば心がわかり、心がわか
れば、その人の運命もわかるということになるのであります。そのことを引っくるめていえば、
肉体は心の影ということになります。<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■『信仰者…』としての一番の心構えは??【心!!心!!そのモノの向上】では……
ないのでしょうか?…
ましてや?全く違う【もう一人の顔…その虚像の顔?】この事は、如何なものでしょうかと?
「整形…」とは、自分自身の“欲望…”??からなされますのでしょうかと?
果たして、厳密に申しますと? 外見からの優先しての“信仰…論?”なのでしょうか…??

■■その場合、価値ある本当の【個人指導…?】何処まで出来ますのでしょうか〜〜〜??

余談ですが…
【故人…森 光子さん】あの“素敵な笑顔…”誰よりも!心に残っています一人です。
晩年の彼女の顔…(東京・帝劇…ビル再建)という事で…しばらく?引退の様な状態に、なって
しまいました。…また?あの素敵な“笑顔〜♫”を、映像の中で観る事が出来ますでしょう!
その矢先にでの【訃報…】悲しい限りです。
此処にて、あらためまして故人のご冥福を心からお祈り申し上げます・・・。

                                    再合掌

1636ハマナス:2012/11/17(土) 20:40:12 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

神の声をきく  (『新版 生活の智慧365章』P.290)

 今、あなたがどんな困難と見える問題に直面していられようとも、それについてあなたは
心を悩ます必要はないのである。心を悩ますかわりに神の方へ振り向けばよいのである。
「神の方へ振り向く」と言っても、外方へ振り向くのではなく「自分の宿る神」に振りむく
のである。肉体は生命がその波動でつくった“神の宮”である。神が其処で、自己実現し
給う“場”であるのである。神想観に於て内在の神を呼び出し、それに対して話しかけるが
よいのである。

 神の声をきくには日常生活が浄くして神が其処の鎮まりますに相応(ふさ)わしくなけ
ればならないのである。だから能(あた)う限り「これは清浄なり」と自己がみとめ得る
生活を送るがよい。投げやりに肉体生活を汚(けが)して置いて、さて“困ったときの
神頼み”では神の子の皆さまの心に波長が合いそうにないのである。常に神と一体の自覚を
持つために生活を清浄にすると共に常に神想観を怠らず、神に波長が合うよう努むべきである。

感謝合掌

1637SAKURA:2012/11/17(土) 21:33:35 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……
=======【抜粋文】================================
 素直に飛びついて来る子供はかわいがられる。素直に舅 姑の懐にとびついて来る嫁はかわい
がられる。素直に先生の懐に飛びついてくる生徒はかわいがられる。夫婦仲が悪いとか、家庭が
おもしろくないという人があるけれども、それは互いに飛びつくような素直さをなくしたからであ
る。神のみふところに飛びつく者は神に愛される。     谷口雅春著
                           
============================================
PS:【 素直さ?】が一番いいのでしょう〜〜〜かと…?

■例えば…混沌とした現在の社会問題になっています【幼児虐待…】ネガティブな話になりますが?
この様に“両親に虐待された環境に育った子供”は、“素直さ?”より、まず!“怖い…”が
先に優先となりますでしょ〜〜〜か!そのような“環境の子供”は、どうなるのでしょうか??
更に、“素直な子供に育つ事”は、もちろん“環境”更に“両親の愛”も幾分含んでいますから、
今回のこの“表現…言葉”も、捉え方が難しいです〜〜〜ョネ???
特に現代と言います時代背景に於きましては〜〜〜実に“難問”になりますでしょうか?
■更に、学校の教師が、ある子に対しまして“エコひいき…”します〜〜〜ョネ!!
そのような事を、学生が見て生じます“感情論…”ですと、これも“大人”に逆らう事になり、
【素直ではない!!】とか?その学生に対しての“評価”の言葉になるのではないのでしょうか?
■そして【夫婦の問題…】でも、単なる【夫婦間の問題】でしょうが〜〜〜?
よ〜〜〜く考えますと、それを飛び越えた【問題…】がある…例えば、相手の女性に手を上げる
暴力的行為は…果たして?それは女性はそのまま【素直…】に受け入れる問題でしょうか???

この【素直の表現】が、果たして【何処の階級の対象??】なのかを、今いま初めて思うのです。

一歩間違いますと…【表現も素直…】という“対象相手”が〜〜〜?相手の内容によっては、
かなり異なりますでしょうかと??(個人的な体験?経験?も踏まえて…)
「雅春先生」の当時の戦前の階級は、まぁ〜〜〜良家の家庭対象か??知識階級か?及び…
ある程の度富裕族か?…etcこの様な“環境での人達”の【対象論…】でしょうか??
それでも、この【表現…】は“ケ−ス・バイ・ケ−ス”です〜〜〜ョネ???
まず!この様な私の解釈論…同じような解釈をされます方が周りに〜〜〜><世の中ですが???
まず【素直に神様…に、すがる事!!全托!!】でしょうかしら〜〜〜ン???

❤【素直さ…が、祈り】に繋がるのでしょうかと思う次第です。…が?
これについては、【次回!別のボ−ド板】で、【素直〜♫】について“投稿”してみようと思います。

                                      再合掌

1638ハマナス:2012/11/18(日) 18:40:41 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

心を神に振り向ける (『新版 生活の智慧365章』P.291)

 若し病があるならば、常に神に心を振り向けよ。神は常にあなたの全身に新しき活力を
流れ入らしめ給いつつあるのである。その事を憶(おも)い出して念ぜよ。憶い出して念
ずることは、それに対して波長を合わせることになるのである。人間を物質として取り扱う
健康の法則は、時として「知恵の樹の果」を食して“エデンの楽園”を追い出されたアダム
のように、健康の世界から人間を追い出すことになるのである。不消化な食物を食べたから
胃が痛むとか、不眠が続くから頭痛がするとか言う人があるけれども、物質としての胃も、
頭脳も、それが単なる物質である限りに於て、物質は家具什器と同じようなものであるから、
それが痛いと云う感覚を起こす筈はないのである。

 「痛む」と云うのは心が痛むのである。“心が痛む”限りに於て、不消化とか不眠とか
云う肉体的物質的原因そのものが「痛み」の原因ではなくて、不消化とか不眠とか云うもの
に引っかかっていて恐怖する心が「痛む」のである。だから寧ろ病気の原因と認められる
ようなものを心で認めない方が、心がそれに引っかかって痛むことなく痛みが早く治るので
ある。病気の物資的原因を探(たず)ねるひまがあったら、心を神に振り向けよ、そして
神から新しき活力が間断なく流れ入るつつあると云うことを心に念ぜよ。

感謝合掌

1639NANCY:2012/11/18(日) 20:54:16 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)【NANCY】です。 
>>1635の投稿の続きです。

■■『 生長の家 』の観相学   ≪谷口雅春先生の言葉より抜粋投稿≫…

>人間の心は常に変化するものであります。だからその人の人相も常に変化するもので
ありまして、怒っているときには地獄の相でありますし、笑っているときはエビスの相であり、
極楽の相であります。しかし笑っていても怒っていても、しかしその奥にはその人でなければ
ならない特色ある性格があるのでありまして、その性格というのは一時的な笑いとか怒りとか
ではない―――心が習慣的にある一定の方向に向いているのが性格であります。そこで、一時
的な喜びとか悲しみとかいう心の感情をぬきにして、喜んでも悲しんでもいないときにも、あ
る想いの習慣性が心の底にながれていまして、それがまた人相として象徴(かたち)に現れて
いるのであります。<    (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■【人間の心】…常に変化するから?【進歩向上…】へと繋がりますのでしょうかと、思います。
ところが?ある時点で?「後退…」へと…その場合は【ネガティブ感情・思考】でしょうかと?
思えます。
❤〜一般的には、個人の【心の持ち方…習慣性】が、多少は関与しますでしょうと思えます。…が?

精神的に“気落ち”しています場合は、当然の事ながら“鏡の中の私の顔…”覗き込みますと…
そうです〜〜〜ョネ!雅春先生の表現で行きますと【地獄の相】でしょか?
当に【心が形として…表れる】という事でしょう…。“顔の相”反省で〜〜〜す。

❤〜肉体とは……「雅春先生」も、おっしゃつていますが、
「『念』に従って一つの組織を現ぜるもの」・「心の影」・「心の波動の影」「想念の影」……etc
肉体と云いますモノは「現実=現象世界」での五官で見えるモノではなく、あくまでも……
『肉体…心の影』にて、あらわれる事を、おっしゃつています。格言にも「病は気から〜♫〜」かと。
つまりは【心…次第で肉体は?どうにでもなる〜〜〜の?】でしょうかとの判断になります。

■【心…】姿・形として“顔”に表れる…という事は、
ある面では【心の持ち方…最高の医療機関…整形医】でしょうか……??これは普遍でしょうか??
そして、この時こそ、当に【心…魂の向上】へと繋がりますから…ある面では、真の意味での
『人の救済…』が出来る状況になるのではないのでしょうか???

改めまして【心…魂の向上】を、私なりにレッスンして参りたく思います。
                                  
                                   再合掌

1640a hope:2012/11/19(月) 08:17:50 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第七章 明るい心で運命を好くしましょう

♦悪いことを考えるな

「消極的」ということは、引込思案で物をひかえ目にするだけでなく、
病気でも、店の事業でも、「これは悪くなるぞ」という方面から考えたり、
また「悪くなるぞ」と云う言葉を口にしたりすることも「消極的」だと云うのであります。

「景気が悪くなるぞ」「苦難の道が待ってるぞ」「最低生活がやっと出来るほどだぞ」
「屹度(きっと)面白くないことがやってくるぞ」「自分の前途は駄目だ」などと云う考えはみな消極的な考えでありまして、
こんなことを思ったり、言ったりしていたのでは、「思い」の力、「言葉」の力で、破壊的な面白くないことがやってくるのであります。
(第七章 終り)

1641ハマナス:2012/11/19(月) 10:05:08 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
おはようございます。

心が肉体の主人公 (『新版 生活の智慧365章』P.292)

 『人生は心で支配せよ』と云う私の本があるが、“自分の肉体は自分の心で支配施せよ”
である。何故なら、肉体は物質であり、物質はみずからの力にてその位置や構造を変化する
ことができず、その構造する細胞を健全な姿に置き並べ、その病的構造を健全な構造に組み
かえるのは“心”のハタラキであるからである。
 
その“心”が物質たる肉体に対する“支配者”たることを自覚せず、その “支配者”たる
権利を抛棄(ほうき)して、肉体の病気の物質的原因なるものの前に萎縮して、「こう云う
“物質的原因”があるから、このような病気になる」などと、“物質的原因”を主人公と
みとめて、其の前に拝跪(はいき)するようなことになったならば、“心”の委縮と恐怖
とが、その病的観念を肉体細胞に具象化して、ついに本当に病気を構成し、また新たに病気を
造ることになるのである。併しこの場合も、結局は“心”が主人公であって、その病的観念を
肉体に反映したにすぎないのである。

感謝合掌

1642うのはな:2012/11/19(月) 12:36:03 ID:cZ3Ym7Bg
仏に遭っては仏を殺し

 「仏に遭っては仏を殺し、祖に会っては租を殺す」と禅語にあるのは宗教の師に
遭ったら宗教の師を殺す、そして祖先や父母に会ったら祖先や父母を亡きものにするなどと云う
意味じゃないのであります。

 師恩は大切でありますが、本当の師は弟子に何を教えようとしたかと言うと「真理」を教えようと
したのであって、決して恩や愛着を売りつけようとしたのではありません。それなのに「あの先生が止め
たら、私もこの教えを止める」などと云う弟子があるが、これは「愛着」を受けとって「真理」を受け取っていない
のであります。
この「愛着」を断ち切って真理に直参するのが、「仏に遭っては仏を殺し、祖に会っては租を殺す」であります。

 家庭に於いても、本当に父母を愛しようと思ったら父母を殺さんといかぬのであります。
こう言っても刀なんかで突いて殺すのではありません。本当に父母を父母たらしめようと思ったならば、父母に対する
愛着を殺さねと父母を父母たらしめることが出来ないのであります。僕でも父母を殺しているのです。

 僕は世間的に謂えば、大変親不孝です。九十幾歳の老母を神戸に放ったらかしておるのです。
あれは恩愛の執着を殺しておるのです。恩愛の情を殺して置かぬと父母が父母として本当に生きることが出来ない。
若し私が「最高理想の生活は斯う云う理想の生活だから、お父さんとお母さんこう云う具合いになさい」と言って連れて来て、
そしてその通りにしなさいと言ったらお父さんお母さんは窮屈でとても堪え切れないで、
キッとお困りになるだろうと思うのであります。

 一燈園などでは「素恩入無為」と言っています。恩愛の情を一度棄て切って、「無為」即ち、「そのまま」の実相があらわれるのであります。

『日常生活の中の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著

1643NANCY:2012/11/19(月) 21:01:05 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■■『 生長の家 』の観相学   ≪谷口雅春先生の言葉より抜粋投稿≫…

―― 生まれつきの人相はどうして起こるか ――
>また、生れつき帝王になる人相とか、下賤の人相とかいうのがあります。人間はその本質はい
ずれも、神の生命がやどっているのでありますから、その本質においては平等でありますけれど
も、何編も生まれかわって来ているのでありますから、過去世(前世ともいう。この世に生れ出て
来るまでの前の世)において、いろいろ心に思ったことが集積して、それを習慣性の意業として
背負って生れて来ているのでありますから、その心をもっていても死ねばおしまいだから、どん
な心をもっていてもよいというような自暴自棄(ヤケクソ)のことを考えてはならないのであり
ます。

だから、ある意味では、人々は、生まれつき一定の心の習慣(性格)をもっていましたし、そ
の心の習慣にしたがって、一定の人相や体質をもっています。したがって、またその人の運命
もその心の習慣にしたがって大体きまっているともいえるのであります。しかし、大体きまっ
ていましても、心は自由に自分の大決心によっては、どうにでも自分の自由になるのでありま
すから、失望するにあたらない、心の変化にしたがって人相でも体質でも、ある程度変えるこ
とができ、修養の程度にしたがっては、大いに変えることができるのであります。<(抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■先日投稿しておりました「ジュリアの音信」…勿論「仏教」でも?言われておりますが…
『人は生まれかわります…』
しかしこの【生まれかわり…】と云いますのは…例えば「人格…」現在の私自身は、
つまりは「大きな人格…」のほんの一部であって『大いなる自我が限りなく神に近付こうと
進化致しています。やはりかけがえの
ない一個ずつの人格で、同じく神に向かって進化していきます。』

❤〜つまりは【神の生命…神の子たる人格へとの…進化】でしょうか???

そうしますと…当然「神の子…」誰もが「イメ−ジ」としては?柔和な?やさしい目元?…etc
つまり…個人個人で【神の子…としてのイメ−ジ】がありますでしょうから??
その“顔”も当然ながら、それなりの“心の想いが…表れますモノ”と思います。

前回『心は人相にあらわれる』と申しましたが…当に今!与えられていますの【人生劇場…】
に於きましては、この【人格…心の習慣】が、大いに左右するのです〜〜〜ネ!
ネガティブな感情(性格)を何時も心の中に抱いておりますと…確かに“顔…”まで、事実!
暗〜〜〜〜イ“顔”になりますし?これでは“運命”も〜〜〜><ますます下降気味でしょう。

「雅春先生」もおっしゃつていますが
>心は自由に自分の大決心によっては、どうにでも自分の自由になるのでありますから、失望
するにあたらない、心の変化にしたがって人相でも体質でも、ある程度変えることができ、修
養の程度にしたがっては、大いに変えることができるのであります。<(抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

ですから、この【人生…】に於きましての【心の訓練…】です。そうなのです〜〜〜ョネ!
楽しく!明るく!…云々…とか?素晴らし〜〜〜イ!微笑みの顔…モナリザのほほ笑み!とか?
何と申しますか…?私自身が、どの様な“顔…”に「イメ−ジ」出来ますかと…さっそく
毎日!毎日!【心の向上…心のエクササイズ】です。

余談になりますが?【心のエクササイズ…】によります“素敵な顔”…は?
“後遺症”も、ありませんモノ〜ネ!むしろ…【魂も向上】ですから、良いことだらけでしょうか?

■あらゆる宗教の目的は…
キリスト教で申しますと…神の子としての自覚であり……
仏教で言いますと正等覚(さとり)をうることであり……
古神道でいえば『尊(みこと)』としての大自覚であり……
■■人生の目的は、要するにこの世に神の生命を顕現することでります…。と!
『神の子の自覚』…でしょうか?それなりの【行動・雰囲気(表情)…】になりますのではと、
改めて、色々考えてしまいました。…が??  

                                再合掌

1644SAKURA:2012/11/19(月) 22:01:28 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637>>
投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」がみえて更に人生観が
感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では続き投稿していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……
=======【抜粋文】================================
 どんな美しいバラの花でも、その棘に触ったときにはハッと驚いて捨てられる。人に嫌われる
のは心に棘があるからである。これだけ立派な仕事をしているのに人が自分を遠ざけるというよ
うな人は、これだけ美しい花がさいているのになぜ人が捨てるのだろうと、みずから疑うバラの
はなようなものである。

 とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、その一つ一つを制えようとしてもな
かなか直るものでない。まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。とげとげしい心を捨てるに
は「とげとげしい心」をアリとして制えてもなかなか直るものではない。暗(やみ)は暗をいく
ら押さえてみても消えるものでない。暗を消すには光を持ってくるにかぎる。
とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持ってくるのである。「自分は優しい優し
い人間であって、とげとげしいところはちっともない」と、その反対の念を自分自身にいって
聞かせればよいのである。                  谷口雅春著
===========================================

■【バラの花…】の捉え方でしょうか??人それぞれ??
私は【バラの花…】の連想は如何に??なりますでしょうかと??
まず“正しい方向に導く場合”は、時には【棘…】も必要になるとは思うのです。…が?
冷たい中にも、優しさが〜〜〜?含んでるモノ【バラの花…神秘性・気品】その様に思うのです。
「雅春先生」の解説では【バラの花…】の例えは、あまりいい印象が〜><ないのでしょうか?


■【バラの花言葉…】から〜〜〜❤〜
≪バラの花=愛・恋・幸福・乙女・無邪気・清新 バラの葉(希望あり、頑張れ)そして、
バラの茎(不幸中の幸い)〜〜〜≫から連想しますと、やはり!ある意味では、
冷たいところに【愛…❤】があるのです〜〜〜ョネ!!【イギリスの国花…】でもありますモノ!

【バラの茎】からでは、まず!正しい方向に振り向かせるモノが【不幸中の幸い…】と、つい
連想しますから、
【バラの棘…】は、とげとげしい感じに見えるという事は、その反対に…なればいいことでしょう
かと?つまり【心の方向転換…】をすればいいのでしょうか!それは【祈り…】でしょうか??

若い時は、思う通りにならない時、つい周りの“人のせい”にしやすく、これがもしかしますと
【バラの棘…】だったんです〜〜〜ョネ??
今では【私の棘…】は、目の前のビルに、います■【吸血鬼=ゾンビ=叩き男達…】でしょうか??
通勤途中でも、突然の出方で、こちらまで“嫌な気分”になり〜〜〜ついつい“イラ付く”事が?
このような時…【私の心はバラの棘に刺さった気持ち】ですから…
「不幸中の幸いで方向転換」のエクササイズ・トレ−ニング中です〜〜〜ョネ!!
【バラの花…】は、やはり【私の幸せ〰❤】を、授けてくれるものだと思います。…が?



                                    再合掌
PS: トキ様へ
トキ様にとりまして【バラの花…】どの様な連想を抱かれますのでしょうか??

1645ハマナス:2012/11/20(火) 08:37:05 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
おはようございます。

「心」の自主権を恢復せよ  (『新版 生活の智慧365章』P.293)

 “心”が自己の唯心所現的な全能力を忘れて病気の物質的原因の前に恐怖し萎縮する
ときは、“心”はその全能力を抛棄(ほうき)し、物質に対する支配権を抛棄して、
物質の権威の前に跪いたことになるのである。本来“自主権”をもつ“心”が、その
自主権と物質支配権とを抛棄した結果は、“心”の本来性と矛盾し、“心”の本来性に
対して不調和となる結果、そこに其の反映として不調和な状態を肉体にあらわる結果と
なるのである。よろしく、“心”の自主権と、物質に対する支配権とを恢復すべし。

感謝合掌

1646うのはな:2012/11/20(火) 19:22:37 ID:08rsSsiE
心の窓を開く

 谷口雅春先生の「天使の声」という詩に、次のような行がある。

  或る日、私は心の窓を開いて、
  大生命のみ空から光線のように降り濺ぐ生命の讃歌に耳を傾けた。

 心の窓を開く、とはどんなことだろうか。よく、「目のうろこが落ちる」という表現が、
さとりの時の経験を述べる宗教家の言葉のなかにあるが、「心の窓を開く」というのもそう容易い
ことではないようである。自分の心の窓が閉じているか、開いているかは、見た世界がどんなふうなのかに
よってわかる。

 つまり、いままで知らなかったような、すばらしい実相世界があらわれるとき、それは、自分自身の実相の
自分になるわけである。見られる世界と見る人間とはもともとひとつなのだから、私たちが、現象の自分のなかに閉じこもって
いれば、見られる世界も現象もということになる。

 そして、実相とか現象とかいう区別も、もともと深い宗教体験によってはじめて実感として自分のものになるわけである。
実相を観ずることは、五官の世界を去って、はじめてできるが、五官の世界を去るとは、目を閉じなければならないとは限らない。
キリスト教神秘思想家のうちには、目を開いていて、そのまま世界が荘厳な神の国に変貌するのを体験した人たちもすくなくない。

 もっとも、実相を観ずることは、神秘といえば神秘だが、逆に、もっとも現実的なものが実相であるから、それは却って、神秘という
「彼方」のものであるより、「いま、此処」という確実で現実的なものであるとも言える。
よく、「実相はすばらしいが、現実はちがう」というように、実相というものを、ただ理想の彼方にある現実の否定概念として考える人がいる。
しかし、実相=実在ということばは、「ほんとうに在るもの」という意味であるから、それは、もともとリアル(現実的)なものなのである。

 私たちの目の前にある樹木や、草原や、鳥や、人々というものが誰の目にも同じように物として私たちと無関係にあるのではない。
私たちが、ふつう、物がある、と見たり、思ったりするときは、そうしたものは、私たちが見ても、見なくても同じようにあるように思われがちである。
しかし、ほんとうは物は、私たちに示す、隠れたものの顔のようなものである。

 樹や花や山なども、私たちの向きあい方に従って、素早く表情を変える。だから、一本の樹を見るときも、私たちの心の姿勢が曇っていたり、ゆがんでいたりしては、
樹は、ほんとうの姿を見せてはくれない。同じことは、じぶんの子どもたちでもそうである。
自分が子供たちに対するいろいろな要求に泡立っていれば、子どもたちもそれにふさわしい姿で現われる。
生長の家では、それを仏教の「三界は唯心の所現」という言葉で明らかにしている。

 谷口雅春先生が、前掲の詩を歌われたのは神啓を受けられたときであった。
そして、その詩のあとに、先生は次のように書いておられる。
 ≪わたしはついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。三界は唯心の所現である、その心をも、また現ずるところの
現象をも、一切空無と截ち切って、その空無を縦に貫く久遠不滅の大生命が自分であった。それ以来、私の見る景色が変貌した。......≫
(『生命の實相』頭注版第20巻一三八頁)これは窮極の体験とも言える稀有の瞬間であるが、私たちも、心の窓を開くことによって
現象否定の極から実相の開花を体験できることになる。

 ひとつの花が開くというのも、これは、永い修練を通して到り得る境であるが、同時に、素直な、明るい、予断のない、無我と感謝の、そのままの
いのちが、自分のうちに開くとき、花の美しいいのちの開花をじかに感じ得るのである。
 現実とは、じっさい、途方もない世界なのである。美しく、荘厳で、清らかな、言葉を超えた世界の秩序である。
それを描こうとして本当の画家は、カンバスをひろげる。しかし、そのためには彼は、何らかの意味でその世界をすでに体験していなければならない。
そして同時に、それはこれから開かれるものを持つ、ことになる。

 子供の実相を観ずるとは、だから、親の側で、心の窓を開くことなのである。
素直になることである。拝むことである。それは情の問題であるとともに、正しい認識である。
もっとも現実的なものに出会うことなのである。

  『光の国から』 渋谷晴雄 先生著

1647うのはな:2012/11/20(火) 21:25:28 ID:q1/hjc9I
夫の喜壽によせて

 結婚して半年ほど経た頃に、私は心臓弁膜症にかかって寝ついてしまった。
それは京都府亀岡町矢田町の新居でのことであった。
 六畳と四畳半二間の一戸建ての家だったが、狭い庭に高い土塀が立っていたので、光線が
足りなくて暗い家であった。

 人の薦めもあったので転宅することにして、探し当てたのは今なお思い出してもなつかしい余力町の、
四畳半と三畳の家主の離家であって、前も後も見はるかす晴れ晴れとした住居であった。
 夫が講習会の時などによく話される二円の家賃で、雨漏の跡に茸が畳に生えた家であった。
そのあたりでは最低の家賃だったが、私たち夫婦は大好きな家であった。

 一人暮らしの家主の宮部みのさんは七十五歳の老婆だったが、私たち夫婦を非常に好いて下さったし、
私たちもこのクリスチャンの老夫人と、何を話してもよく気が合って楽しかった。いつまでもこの家に住んでいたいと
願っていたのに、大本教の綾部の本部の仕事をして欲しいと湯浅仁蔡氏が出口王仁三郎師のお使いとして来られたので、
綾部に移転しなければならなくなった。

 私たち二人は、綾部のコンニャク屋の二階二室を借りて住むことになったが、二ヵ月ほどしたら、近くの今井楳軒先生の
別宅の留守番の人が去ったから、私たちに住んで欲しいと頼まれて、結婚前に私が住んでいたその家に、再び住むことになった。
 その頃、夫は大本教の教に疑問を持ちはじめられ、信仰に動揺があった。
間もなく、大本教の第一次事件が起った。先きに亀岡の矢田町にいた頃、夫の留守中に家宅捜査を受け、天井裏から床下まで調べられたが、
夫の思想や行動に不審な点がなかったので、第一次事件の時は、夫は取調べを受けることはなかった。
それどころか・大阪控訴院から、当時押収された大本教租のお筆先二万冊の内容調査を依頼された三人(谷口、江上、吉田)のうちの一人として、
夫は四十日ほどの間、大阪の控訴院通いをすることになった。

 夫の留守の四十日を、一人淋しく暮すよりは、故郷へ帰った方がよいと思い、私は姉に手紙を書いた。
姉にとっても、私が来てくれることは好都合だったらしい。夫は大阪へ、私は富山県高岡市へと、別れ別れに汽車に乗った。
 当時、姉の夫はノイローゼになっていた。霊場と言われて、年中修行者の絶えない大岩山へ、義兄を連れて行くことを人から
勧められるが、姉は学校の教員をしていたし、息子たちは中学生だったし、義兄の随行者がいないので決行できなかった時だったので、
早速私がその役を引き受けた。

 汽車に乗って、人力車に乗りついで、義兄と私とは大岩山へ登った。
山上のお寺には不動明王が祀ってあり、岩山から流れ落ちる瀧の下には、白衣を着た人たちが瀧に打たれていた。
脳の悪い人、眼の悪い人が多かった。瀧壺の前にお不動様の堂が建っており、その堂の四囲にぐるりと人々が坐り、
各自が鉦を叩きながらお経を唱和するのであった。


つづく

1648うのはな:2012/11/20(火) 21:26:04 ID:q1/hjc9I
 少しも眼を離すことのできない義兄の状態であった。私が見ていないと、いつ山から跳び降りるかも知れないし、
瀧壺で死ぬかも知れないので、義兄の眠っているすきを見ては、私はお堂の前に坐って、他の人たちから習ったばかりの御経を唱和した。
鉦を叩きながら義兄を思い、姉や姉の子供たちのことを思うと、涙があふれて来た。
その私の心中も知らないで、鉦を叩きながら、「やあ、奥さん、よい声ですね」と、實感か、ひやかしか、男の人が、お経にまぜて叫ぶと、
私はよけい情なかった。

 義兄が私の眠っている間に飛び出さないかと思うと、夜ごとの眠りも浅かった。
その私の許へ、或る日大阪の夫から手紙が来た。なつかしさいっぱいで、宿の机によって開封した私は、読み終えると机上に泣き伏した。
夫の手紙は私に絶望を与えたのであった。
「....毎日控訴院へ通って仕事にはげんで居るが、相当疲れて来たらしく、夜眠っている時は亀臥の姿勢でいるそうである。同室の江上さんが
僕に『君の亀臥の蚊達で寝ているが、その状態では君の寿命は三年ももたない』と言った。年配の江上さんの経験上そう断言したのだろう....」
という意味のことが書いてあった。

 若い私は、そのまま信じたので、山上の宿屋から、高岡市の姉へその通り書き送った。
姉からは世にも悲しい返事が来た。妹の私の不運を憐れみ、姉も私のために涙を流してくれているようであった。
姉と妹とは、たがいの夫の上を思い、手紙の上で泣き合ったのであった。
「義兄さん、しっかりして下さい。貴方は命にかかわりのない脳の病気だけど、雅春さんは三年もたない命なんですよ」
私は義兄に向って、叱るような、はげますような口調で叫んだ。義兄はうつろな眼をして私の言葉を聞いていた。

 “控訴院の仕事が予定より少し早く終ったので、綾部へ帰って来たから、貴女もそろそろ帰って欲しい”との夫の手紙を見て、
私は義兄をうながして高岡へ帰った。夫の許へ出発しようとする私に、姉は、「雅春さんはしょんぼりして居られるでしょう。
綺麗にして帰りなさい。丸髷に結ってびっくりさせなさい」と言った。

 姉の知り合いの髪結いさんへ行って、丸髷に結って汽車に乗った。姉は関野神社前の出店で、“一口茄子”を買って大袋に入れて私に持たせた。
綾部駅のプラットホームに着いた時、果してそこに出迎えいる夫の姿があった。
汽車から降り立った私は、わざと夫の方へ背を向けて茄子の袋をさわりながら、チラと夫の様子を見ると、期待した妻の姿が見えないので、うろうろして
あたりを見まわして居られた。私は可笑しがりながら、サッサと改札口へ行き、そこに立って、あとからやって来た夫にお辞儀をした。
その時の夫の驚き顔は、いつまでも忘れられない。

 二十九歳の時、三年後には死ぬ筈だった夫が、今年は喜壽を祝うことになった。
神様は、壬死できない大きな、重い使命を与え給うたのであった。

(現代字に変更 投稿者) 『人生の光と影』 谷口輝子 先生著

1649NANCY:2012/11/20(火) 21:48:35 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635>>1639>>1643>>の投稿の続きです。

■■『 生長の家 』の観相学   ≪谷口雅春先生の言葉より抜粋投稿≫…
―― 人間の本体と霊体 ――

人間が本来平等であるという人間の本性は、図解の中心点にある「神の生命」でありまして、これは   
万人とも同じ「神の生命」であって、はじめから救われている清浄体であります。それは時間・空間
以前の存在でありますから大いさもないので、「点」をもってあらわしました。本当は「点」でもないので
すから「点」もかく必要がないのですけれども、何も書いても図解はできませんから「点」を書きました。
この「神の生命」は生きていますから動くのであります。動くと、ちょうど、池の中へ小石をほり込んだ
ように波のひろがりができるということであります。これは「神の生命」の最初の第一念の直接波であり
ますから、清浄な、きよらかな「波の体」であります。これを「霊体」と申します。もっとも「霊体」は肉眼
には見えません。 (谷口雅春先生著…一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■前回ですが…「人間は神の生命がやどっている…」という事を、更に「雅春先生」は、
肉体
エーテル体
幽体
霊体
神の生命…… 
■この【神の生命…】に、至るまでの“説明”を〜〜〜♫〜〜

「湖面に小石を投げました時の“波紋”…これにての説明」を頂き…そうなのです〜〜〜ョネ!と…納得!
【霊界通信…】でも、現世=現実世界での、つまりは五官で見えます【肉体人間…】から〜〜
次なる【世界…霊界】へとの説明が、同様になされていまして、今回!更に、理解ができました。…が?

では?形としてあらわれている【肉体人間…】は?どの様なモノ?なのでしょうか〜〜〜?

■■何度も言います様に【心で変わる!】
そうです!!
❤〜変わる〜変わる〜変わる〜♫〜『こころで変わる……』という事でしょうか??
                                                再合掌

1650うのはな:2012/11/21(水) 01:29:25 ID:MXfo9tzo

 『光明法語』道の巻より 谷口雅春 先生著

    酒は飲まぬ方が好い

 祈りをする時には茶断ち塩断ちの如き「断ち物」は要らないのである。
 祈りは親に会う時であるから憔悴したる顔付きをして見せるな。
 寧ろ神の恵みであるすべてのものを豊富にとり、顔を剃り、脂を塗り、髪を
 梳って元気な顔をして祈るべきである。

 全て明るい心持は明るい事物を引き寄せるのである。
 しかし酒は飲まぬ方が好い。
 酒を飲むと一時気分を明るくするが、それは麻酔剤であるから一時の心の
 暗さをごまかすのであって、次が乱れて来る。
 生活に節度がなくなり、節度がない事を豪傑ぶって自慢するようになる。

1651a hope:2012/11/21(水) 09:07:30 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦物事は建設的に明るく考えよ

何でも物を建設して行くことの出来る思想は明るい思想でなければならないのです。
建設と云うのは、毀(こわ)して行く反対です。次へ次へと物をつくって伸びていくことです。

伸びて行くためには明るい心でなければならないのです。
暗い思想は破壊的(こわすこと)で、明るい思想は建設的であります。

破壊的な言葉を使い、破壊的な考え方をしている人には、美しい生活も、幸福な生活も逃げてしまうのであります。
そして親切な協力者は無くなってしまいます。

何故なら破壊的な言葉や、考え方は、「類は類を呼ぶ」「類は友を呼ぶ」法則に従って、
破壊的なもののみを引き寄せるからであります。

伸びる力は、荒々しく怒鳴る言葉や、暗く沈んで行く考えの中にはありません。
だからそういう言葉を使ったり、考えたりしていては事業は失敗し、仕事はうまく行かず、
常に社会の落後者(おちぶれもの)となるのであります。
(つづく)

1652ハマナス:2012/11/21(水) 10:01:22 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま

おはようございます。秋晴れの素晴らしいお天気で気持ちが良いです。
本日から、総本山で秋季大祭が行われます。

神の方に全回転せよ  (『新版 生活の智慧365章』P.293)

 神が生命の本源者であるから、生命に不調和があらわれたときには、心を神に振り向けて
本源者より健全なる生命の充分なる供給を受けなければならないのである。神に対して心を
振り向けよ。病気のときほど、病気の症状に“心”を振り向けず、神に対して心を振り向けよ。
完全に“心”が神に振り向けば、滔々(とうとう)として癒す力があなたに流れ入るであろう。

感謝合掌

1653SAKURA:2012/11/21(水) 20:36:54 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ①

=======【抜粋文】================================
 常に新しくなるものは老いない。老いるとは常に新しくなれないことの別名である。人体の
細胞を切り離して培養し、その培養基を常に新しく取り替えれば、結局人間の細胞は永遠に分
裂増殖して死なないものであることが生物学上の実験によって確かめられたという。人間の肉
体が老いて衰え死するということは、細胞が複雑に組み合っているために、常に新しくなれな
いからであって、必ずしも人間が老衰死するということが運命ではないのである。ただ老衰死
の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。

 人間の心もそのとおりである、常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。陳
(ふる)びつつあるものである。

 老人が陳腐であるといって人から嫌われるのは、ただ過去の楕力で生きており、過去の楕力
でものを考え、過去の楕力で行為をし、過去の楕力で若い人を推し測るからである。

 過去の楕力で行為されたものは、すでに形骸であって生命はない。これを称して型にはまる
というのである。型にはまっているものは形は立派に見えても、もう屍である。
                            (谷口雅春著 抜粋)
============================================

■【分派の方達…】は「雅春先生の古〰〜イ?本」を、読まれて?投稿されています。…が?
「雅春先生」は、当時は【真理追究…】に、明け暮れていらっしゃいまして、次々に本を、
書かれたのです〜〜〜ョネ!!まるで【小乗経=>大乗経】の様になりますかしら〜〜〜ン?
…そうしますと「雅春先生の書籍本」から見ていきますと“前半”より“後半”の方が、より
理解しやすい表現?ではと…“前半”は難しい言葉が多く、「理解度」としては???
更に!後半の【真理の捉え方…】が、奥が深〜〜〜く!なっていられるのでありますかと?
…これも【お釈迦…】に、例えましても、実に似ています〜〜〜ョネ!

■時代が複雑になり、人間の“心”も複雑で、絡み合っていますから〜〜〜それと同様に、
【真理…探究】も、同じやり方では?果たして…何処まで通用するモノなのでしょうか!!
【仏教。。。】でも「小乗経」・「大乗経」に於けます【真理の方便…】は、より「大乗教の方」
が解りやすく、解説されていますので、一つの【比喩論…】に於きましても、時代の変化に
伴って【お釈迦様の“心”も?変化…では?】そうしますと、これは【進歩…】のみになる
のではないでしょうかと?
 
つづく

1654SAKURA:2012/11/21(水) 20:38:39 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>投稿の続きです。…が

「生命の実相 37巻 より  ……    ②  
 >>1653①続き投稿から〜〜〜。

■私達…戦後生まれ…更に!戦後教育のおかげで、より深〜〜く!【真理…追究】します
から、当に!【真理追究への方便…】は、多種多様になっていくように思えます。…が?
…【分派の皆様方達】は、古〜〜〜イ!書籍本の例えに、現実!第三者から見ましても、
しがみついている様に“ムシ”になるのではなく“心”を広げて、相手を認める豊かな
“心…”も、ある面では必要でしょうかと???
“ムシ”のような“心の執着”は、やはりこれも【老人化…】の始まりでしょうか??
いつまでも【進歩…】もなく、同じ“方便スタイル”での繰り返しのように思えます。
今までの投稿内容が【分派の方達…投稿】と致しますと、文体からの【真理追究…】が、
残念ながら見えないのです。少しでも認める“豊かな心”更に【真理…】を正しく把握
して…救済へと導いて頂きたいモノです〜〜〜ョネ!!

この様に、彼らを見ながら、私も【進歩向上へ】と、更に【繰り返しの無い正しい真理追究】
を、唯今!【再発見中…】です!!
「雅春先生の言葉」より、あらたに【新しい真理…】を探し求めていく“私”なのです。
そして、それを活かすのが【生長の家…の宗教】ではないでしょうかと??
【形…】にハマりすぎますと、【固定観念…】で、身動きが出来なくなりガンジガラメ!!
その前に、まず!“自由な心”になる事では??ないのでしょうかと……?
【形に固まらない…モット!モット!自由な明るい「生長の家」になる事であり、この事は
私の“心の羽…”を、大きく羽ばたかせ〜伸ばすモノでしょう……と!!
私も、まだ!まだ!【真理…追究中】で〜〜〜す。         (再合掌)

Ps:「トキ様」は、【形にハマらない!】とおっしゃいながらも【無意識…】にと申しますか、
“ハマっている”のではないでしょうか〜〜〜??
“心を自由に〜♫〜描く…キャンパス”のように、今からいい方向にへと……
“心のキャンパス〜♫〜”を、パステルカラ−に、塗ってみませんか〜〜〜?

1655うのはな:2012/11/21(水) 21:49:06 ID:shBPIho6

     家庭の雰囲気をよくするには明るい表情を

 “夫婦げんか”という“憑き物”を『真理の吟唱』によって追い祓うと同時に、
夫婦家族仲良くするには、表情を柔らかくし、愛ふかく深切な感じを常に心懸けることが大切である。
「人間はおかしいから笑うのではなく、笑うからおかしくなるのである。人間は悲しいから渋面をつくるのではなく、
 渋面をつくるからかなしくなるのである。」というジェームス・ランゲの法則という心理学上の法則がある。

 人間の表情というものは大切なものであって、御自分が鏡に向って、“泣き面”をしてみたら、どんな感じになるか、
にこにこと笑ってみたら、どんな感じになるか実験してみればお分りになると思うのである。
肉体というものは唯の物質の塊ではなく、“心の動き”の表現であるから、無理にでも“楽しい表情”をすると、“心の動き”
の方にそれが反射して行って“楽しい心”を起こすことになるのである。

 もし奥様が、常に眉に皺をよせて不快な表情をしていたら、その顔を見ている夫に、その不快感情が伝染して、
夫も不快になり、いらただしくなり、家に帰るのが面白くなくなり、それをまぎらわすためにキャバレーなどに行くようになり、
そこから他の女との関係も起こることもあるので、妻というものは夫の顔を見るとき常に明るい楽しい表情をして、
「わたくし、あなたと一緒にいるのがうれしいの」というような感じを与えるようでなければならない。


  『愛はかくして完成す』谷口雅春 先生著

1656a hope:2012/11/22(木) 07:54:38 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦何事をするにも真に「出来る」と思うまで手をだすな

物事を悲観的に考えてはなりません。
悲観的な考え方は人生に希望をなくし、夢を抹殺し、美しいものを萎(しお)れさせてしまいます。
美しいものを生かすには、どうしても物事を楽観的に考えることが必要であります。

何事をするにしても、その力の大部分は自己が成し得ると云う信念にあるのです。
自己が成し得ると考えないでいて何事をなしても真に成功するものではありません。

何事をするにも真に「出来る」と思うまで手を出さぬことです。
自分は「上手に出来る」と思うまでは真に出来るようになるものではありません。

形の世界は心の影であります。
形の世界にそれがあらわれてくるまでには、形の世界にそれを押しだす力が必要なのです。
心の世界に強くハッキリ出来上ったものが形の世界にあらわれてくるのであります。
(つづく)

1657うのはな:2012/11/22(木) 10:53:18 ID:eorGcccE

当時生長の家本部の理事の一人であった徳久克己博士は、産婦人科の博士で、
満州の興安病院の副院長をしておられた。あの人が儲かる産婦人科の仕事をかなぐり捨てて、
宗教へ飛び込んで来られた心境の変化は、御自身の著書『よろこびの発見』にくわしく出ています。

 この本は「科学者が何故宗教を信ずるか」の参考になってよい本です。
この徳久博士が、満州に居られた時分にお書きになった本に『夫と妻との間』と云う本がありますが、
あの本を読んでみると、「原因不明で子供が産まれない時には産婦人科の医者ではこれを“子宮の発育不全”
という名前をつけるのが習慣になっている」と書かれている。

 実際、腹をたち割って子宮の発育が不全かどうかみないのですから、本当は分からないのです。
だけれども、そういう風に唱える習慣になっていると云うのであります。
 あの徳久博士が僕が初めて満州に講習会に行きました時に、結婚して七年間子供が産まれなかった。
その時、ちょうど生長の家の講習会がありましたので、講習後、私の宿に尋ねて来られて、「先生、私は結婚
して七年になりますが、子供がうまれないんですが、どうしたら子供が産まれますか教えて下さい」と言われた。

「君、産婦人科のお医者さんで、それが専門じゃないか。こちらはそんな、どうしたら子供を妊娠するか知らんよ。
然し心の持ち方なら教えてあげる」と云うことを言ったものです。そしたらその翌年、また満州へ行きましたら、また
夫婦づれでやって来られて、奥さんが妊娠してもう七か月にもなっていられました。

「先生の教えをきく迄はどうしても妊娠しなかったけれど、先生が来られたら一遍に妊娠しましたから、それでこの子供は
先生にこしらえて貰ったようなものですから、名前をつけて下さい」とたのまれた。
 その子供が生まれるための心の持ち方と云うのは、結局、夫婦が互いに霊魂に於いて一体だと云うことを知り、互いに相手を快楽の
道具などにせず、一体の悦びを味わうために夫婦生活をすると云うことなんです。
「ともかく、満州と内地とでは名前をつけるのも大変だから、名前を郵便で届ける間に戸籍登録の期間に遅れてしまうといかんから、まあ
自分でつけ給え」と私は言った。

 その産まれた子供が、徳久日出一君であります。その子が父の徳久博士に似ていない。
お父さんの色の黒い、その頃は痩せて細長い顔をしていられた。その産まれた子供がお父さんにちいっとも似ていない。
何に似ているかと云うと、私がその時「万徳円満」と書いてあげた掛軸があるのです。
その掛軸を胎教の為に毎日見つめておられたので、その「円満」の“円”という字がまんまるく行書で書いてあった、それを
一所懸命みつめておられたら、その行書の“円”と云う字の通りの丸顔の可愛い顔をして生まれたのであります。
今でも丸顔の可愛い顔をしているのです。こう云う様に、胎教というものは素晴らしく効果があるのであります。

 何しろ、人間の卵は鶏の卵みたいに大きくはないのです。直径百二十五分の一吋と云うから、虫眼鏡で見んならん程に小さい。
その一個の卵子が二個に分裂し、二個が四個に分裂し、四個が八個に分裂し、八個が十六個になり、十六個が三十二個になり、三十二個が六十四個になり、
ずうっと分裂して増えて行って、生まれるときには八百匁とかになる。増えるだけでは駄目であります。
単に細胞が増殖しただけではブドウ状鬼胎になる。そこに魂が宿るのです。

つづく

1658うのはな:2012/11/22(木) 10:54:17 ID:eorGcccE
>1657

 即ち“神の子”の理念に随ってずーっと列んで、心臓は心臓に、肺臓は肺臓にとなって、それが組織され配列されて、人体となってオギャーと出て来るのであります。
そうすると、その赤ん坊は小さいので五、六百匁、大きいのでは一貫五百匁というのもあるけれど、
ともかく何十万倍と云う大きさになるのです。この小さい虫眼鏡で見んならん卵子が何十万倍になるから、
一つの卵子が分裂して二個になることを一代として計算すると、何十万代の間、腹の中でそだっていることになるのであります。
その間、腹の中で、母親の精神波動によって、教育されているのであります。
それが胎教であります。

 だから胎教位大切なものはないのであります。だから、いい子供をこしらえようと思ったら胎教が非常に大切であります。
妊娠したら、まず夫婦が調和しなければいけないですね。部屋の飾りも、剣やら、槍やら、鹿の角なんかを置いて飾っておくのは
尖った部屋の空気をつくるからいかんですね。部屋のどこかに美しい花の一輪ざしを置いておくとか、可愛い人形を置いておくとか、
私は美しい容貌の子供が欲しいと思ったら、自分の理想とする様な容貌の人形又は写真を飾る。
こういう顔の子供が欲しいと思ったら、そういう写真を置いて、ジィーっと見つめる様にして居りますと、心の描いた通りのものになると
云うのが原則なんですから、夫婦が調和すると、そういういい子が出来るのであります。

 私の家内が妊娠して居りました時には私は『聖フランシスの完全の鏡』と云う本にある聖キアーラと云う聖女の壁画の写真を壁に貼り付けて
家内に毎日見詰めさすようにしていましたら、今でも真正面向きの私の娘の顔が、その聖キアーラの肖像によく似ていると思うことがあるのであります。

 『日常生活の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著

1659ハマナス:2012/11/22(木) 13:12:12 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんにちは。

「愛憎の神」を超えよ  (『新版 生活の智慧365章』P.294)

 神に振り向くと言っても、色々の神々があるのである。個性をもち愛憎の念をもって
活動する個別的神霊の方に振り向くならば、個別的神霊の愛憎の念に吾々は支配され、
その前に跪(ひざまず)くことになるのである。愛憎の念ある個別神霊の前に跪くならば、
愛念を受けるときはご利益を生ずるし、憎念を受けるときはその反対の結果を生ずる恐怖
があるから、その恐怖心が具象化して次なる不幸や病気を具体化することになるのである。

 私たちは愛憎の神を超えて、普遍の神、平等の愛の神に振り向かなければならない。
其の時はじめて恐怖心がなくなり、平和が心におとずれ、その心の具象化として、祥福が
実現するのである。

感謝合掌

1660うのはな:2012/11/22(木) 16:36:42 ID:vkulhJXI
 1657,1658

 上記は『日常生活の中の真理』無門関・聖書篇 第4章 夫婦は一体である 

 の中からの途中からの一部抜粋であることをお断りしておきます。

 拝。

1661SAKURA:2012/11/22(木) 21:04:36 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜
では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……
   
=======【抜粋文】=================================
 ぼつぼつ樹木に新しい芽が出る。まだ*双葉*にも開かない前の、あのふっくりとした逞し
い樹の眼を見ていると、本当に若々しい生命に触れた気がする。開き切った葉よりもまだ
開かない新芽の方に力がある。生命は久遠であるが、現象界のものは何物でもまだ完全
に開き切らないものには底力がこもっている。宗教でも古い時代に起こったものは過ぎ
去る。今は新しい時代が来つつあるのである。史代革新期である。新しい酒を古き革袋に
いれるときは破れる。                    ( 谷口雅春著 )
============================================

■新しい“芽…”は【 現総裁雅宣先生…「生長の家」… 】でしょうか〜〜〜と??
「古い殻」に、閉じ込められたのも〜〜〜いつの間にか??知らず知らずと言いますか??
私の【生長の家の思想…】は、変!変!〜〜変!な具合です。
昨年からのまず【分派…の方達】の言動の現総裁先生への「中傷…」に驚くばかりの昨今でした。
ですが〜〜〜?このような方達が【古い信者???ナノ???】不思議です。
「亡き父の時代」から見ていきますと、異なることばかり〜〜〜ようやく「現総裁雅宣先生」が、最初
の基本に戻るが〜〜〜?という事ですから判断しますと〜〜〜?

■■ > 古い革袋に入れますと破れる…… !!<

これは“古いやり方”も、同様に【再起動…開始!】としますと?果たして〜〜〜><
【進歩向上へ道…】は、ないモノです〜〜〜かしらン!と……その様に思う次第です。

此処で【 破れないため… 】には、当然のことながら【 新しい息吹き… 】が必要ではないでしょうか?
それは、時代に合った【 新しい真理の解釈論 】なので〜〜す!!現代人の心に響く【真理…解釈論】
私は、今回!「現総裁雅宣先生」は【正しい選択・決断!!】された様に、も思えます。…が?喝采!!

そして、古き時代から…そして今!当に、今からが、本当の意味での進歩向上にと……繋がる!
【生長の家の論理観】を……世界に繋ぐ……これが【人 類 光 明 化】でしょうか〜〜〜♫ 
■【真理の吟唱…】に 記載されています!!                

  再合掌

1662うのはな:2012/11/23(金) 09:14:14 ID:i3j8Ep5w
>1647,1648   谷口輝子先生 著 『人生の光と影』  カバー装画 谷口壽美 先生

<夫の喜壽によせて> 、投稿者の独断で現代漢字に変えて書写させていただきました。

  光明掲示板 いい夫婦 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=737

1663「訊け」管理人:2012/11/23(金) 10:19:35 ID:???

『生命の實相』第27巻127頁より謹写――


 彼は「事実に面しては」という。しかしその「事実」とは何ぞや。現象のみ、本来無きもののみ。しかもこの「本来無き現象」をありと観るかぎり、彼のごとく実相一如の世界に没入する体験を得るとも、何人も「われらは弱し、われらは完からず」と嘆ぜざるをえないのである。しかし、これを「事実」というのはまちがいであるのである。知れ、事実というは実相のみであるのである。だから実相の実在のみを強調し「弱きものは無し、完からぬもの無し」と、いっさいの悪を空(くう)じ去って、しかして「一切皆善の実相的事実」のみを肯定するとき、われらは現象的事実をも征服しえて、「われらは弱し、われらは完からず」と現象的事実に征服された弱音を吐く必要がなくなるのである。
 生長の家はかく「実相皆善」のみを強調して、「現象は無なり」と現象的不幸一切を空じ去る。さればこそ現実を征服する現実的威力を発揮するのである。「現象あり」と観ずればわれらは現象に力を認めるがゆえに現象を征服することができないのである。「現象も現象として在るのであって、かく本体界のみを主張し、本体界の完全観念を現象界にも適用せんとするのは、本体界と現象界とを混同するものである」との諸宗教家または哲学者よりの非難があるが、われらは本体界と現象界とを混同するのではない、混同とは現象界を在りと認めての立場であるが、われらは現象界無しと自覚するがゆえに、無きものは混同するの恐れなきがゆえに、われらはただ常に本体界の完全性のみを主張するのである。その結果、本体界の完全性がそのまま現象界に投影して、現象界の不幸を征服することができるのである。

「現象は現象としては在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめたり、「本体界の自叙自展が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂せられるものである」というような在来の見方を脱しえないような宗教では、とうていそれは現実人生を支配することができないのである。生長の家の思想が、かく素晴しい現実人生の支配力を有しているのは、主として「現象無し」とスカッと截(た)ち断り、実相独在を明快に斬然(ざんぜん)と主張しているからであるのである。

<了>

1664ハマナス:2012/11/23(金) 22:51:46 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

神は人間を健康に造った (『新版生活の智慧365章』P.294)

「創世記」には「神その造りたるすべてのものを見給(みたま)いけるに甚だ善かりき」と書かれているし「神の像(かたち)の如く人を造り」とも録(しる)されているのである。神がその完全なる自己の像に肖(に)せて人間を造った以上、人間は完全で善であり健康であるほかはないのである。そして神は、その創造せる一切のものを点検して「甚だ善かりき」と言明していられるのである。何人の力をもってしても、如何なる力をもってしても、神が完全に造ったものを不完全に、不健康に変じ得ることはできないのである。従って人間が病気になった如く見えているのは一種の妄想又は幻覚があらわれているに過ぎないのである。

私たちは、病気や症状の幻覚を見て、その病気を実在だと思ってはならない。どこどこまでも神の善と愛と智慧と完全さと、その力とを信じ、その神よりつくられたところの存在が本当に完全なものであることを信じなければならない。従って人間の完全さ健全さを信じなければならない。それこそが真に神を信ずると言うものなのである。

感謝合掌

1665神の子さん:2012/11/23(金) 23:02:53 ID:???
>>1663
読みにくい謹写はいらないんだけど。。。

1666a hope:2012/11/24(土) 06:54:16 ID:lAQRWvUs
新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦「必ず出来る」と信ぜよ

ものを破壊する感情を心に持ちながら物を完全に建設することは出来ません。
イライラしながら円満に事物(ものごと)を成就することなどは出来ないのです。

自分で自分の心を攪(か)きまわしながら、心をしずかに物事を考えることなどは出来ない相談です。
物事を円満完全に育て上げるには、心の中にどんなイライラしさも、どんな不完全な考えも、
どんな心配もなくする事が必要なのです。

「われこれを成就せんと欲すは、神がこれを成就せんと欲し給うのである」
と信じて物事にとりかかってこそ真にそれを成就することが出来るのです。

私は歩くことが出来ないと考えながら歩き得た人は一人もいないのです。
誰でも歩き得ると考えたときのみ歩くことが出来るのです。

吾々が歩くことが出来るのは、「私は歩くことが出来る」と云う「永遠肯定」(つねにできるとおもうこと)
によってのみ歩くことが出来るのです。
一歩一歩が「歩くことが出来る」と云う肯定によって支えられてのみ歩くことが出来るのであります。

単に「歩く」ことですら此の通りでございますから、
もっと大きな仕事が「吾れ是を成さんとすれば必ず出来る」と云う
「永遠の肯定」に支えられないで、成就することはあり得ないのであります。
(つづく)

1667トキ:2012/11/24(土) 11:36:33 ID:tLXulRtI
>>1163

 個人的には、聖典を熱心に書いて下さったのですから、感謝の気持ちでいっぱいです。

1668神の子さん:2012/11/24(土) 14:02:59 ID:ssk.Cqhw
>>1663
移すだけなら誰でも出来る。

1669「訊け」管理人:2012/11/24(土) 14:34:48 ID:???



『叡智の断片』131頁「道場雑話」より謹写――

 生長の家の根本の教えは、戦争反対である。「七つの燈臺の點燈者」の神示には「汝ら天地一切のものと和解せよ」とあるし、「天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。」と示されている。又「神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いとが自壊しているのである。」とはっきりと『生命の實相』第二巻収録の神示には戦争を否定しているのである。

1670通りすがり:2012/11/24(土) 17:42:23 ID:3Ozkx1gY
>>1669
ご自分のブログで十分

1671トキ:2012/11/24(土) 17:48:30 ID:tLXulRtI
>>1669

 管理人としては、ご投稿に深く感謝しています。

1672ハマナス:2012/11/24(土) 22:24:15 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

神を信ずるか、現象を信ずるか
(『新版生活の智慧365章』P.295)
私たちは、日常生活に於て、神の完全さの実在を信ずるか、現象の相(すがた)の不完全さの実在を信ずるか、二者択一の場に立たされているのである。天秤の両側の秤皿の一方に「神」を置き、他方に「現象」を置いて完全に平均せしめて置くとしよう。「神」を信ずるか、「現象」を信ずるか、そのどちらかを信ずるかと云うことによって、天秤は「物質」の方にも傾き、「神」の方にも傾くのである。そして、それが「物質」の方に傾いたとき、人間は物質的法則の支配下に入り、その人の健康度は、物質の影響を信ずる通りに制約せられる。即ち寒冷の空気に触れれば風邪を引き、病菌に触れれば病気にかかると云う風になるのである。

若し天秤の、もう一方の「神」の方に私たちの信仰が深まるならば、その天秤は「神」の方に傾き、その人の健康は、物質の法則に支配される量が次第に減じて、遂に外界の物質的条件を超えて、如何なる場合にも完全に健康なる実相を現身にあらわすことができるようになるのである。
感謝合掌

1673ハマナス:2012/11/25(日) 12:40:48 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
ありがとうございます。

「縦の真理」と「横の真理」 (『新版 生活の智慧365章』P.296)

 病気が症状としてあらわれるときに病気は起ったのではないのである。それよりズッと
以前に、心の中にその病気に就いての知識、症状、恐怖、不安などが培われ、それが次第に
生長して発芽するようになったのである。発芽の直接契機となったように見えるものは、
植物にたとえれば、春雨が一夜(ひとや)降りつづいたことであり、雨あがりの翌朝見ると
水仙が土を割って芽を吹き蕾をもっていることを発見するようなものである。

 “春雨が一夜降りつづく”と同じように、其の人が、何らかの感情で一夜心を悩ますこと
があるとすると、その翌日、気がついてみると或る病気があらわれているのである。しかし
その病気が現れるまでには、発芽直前になるまで培われた精神的な病的観念があり、それが
一夜の精神的な悩みで愈々現象化することになったのである。結局、「病気」と云うものの
本体は「人間は老い且つ病むべきもの」だと云う根本的な信念であり、その信念が深く底に
あって、色々の精神的又は感情的なショック又は悩みが誘因となって、その「深く底にある
病念」が表面にあらわれて来るのである。そのために「人間は神の子のである」と云う真理
を充分理会し、「深く底にある」ところの「人間は老い且つ病むべきもの」と云う信念を取
去るか、或は誘因となる精神的感情的悩みを取り去るか、どちらかをすれば一時は病気は消え
去るのである。

 「人間は神の子である」と云う実相を知るのは「縦の真理」を知ることである、精神的感情
的な悩みを解きほぐして行くには或は“想念の法則”を説き、“精神分析”をを行うなど相手
に随って色々の方法を用いるのであるが、これは「横の真理」の応用である。

感謝合掌

1674SAKURA:2012/11/26(月) 22:09:37 ID:jH5uEFzM
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>投稿の続きです。…が

日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、
更に“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を
〜♫〜では“続き投稿”していきます。
「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。…が?
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】でしょうか…??

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ①

===【抜粋文】===================================美
 人間を不幸にするものはわがままである。わがままは他を不幸福にするばかりではなく、自
分自身を不幸にする。精神分析的に見ればわがままとは自己虐待の変形である。わがままは自
分のしたいままをする自己愛撫だと考えられやすいけれどそうでない。わがままは往来で転ん
で、誰が起こしてくれるまで地踏鞴(じだたら)踏んで泣き叫んでいる悪童の延長でしかない。
彼は誰かに迷惑をかけるために自己虐待をしているのである。
 わがままが自己虐待である証拠に、わがままを通そうとする人は常に自分自身が愉快な滑ら
かな感情の楽しさというものを味わうことができない。
 わがままを別語でいえば、「我を出す」または「我が強い」という。「我」という字は、
「われ」という字が書いてあるが、「本当の我(われ)ではない。それは久遠普遍のひろびろ
とした「本当の我(われ)」を縛るところの自己限定である。「本当の自分」は天地にひろが
るひろびろとした大いなる存在であるのに、これだけの部分だけが自分だと自己限定するの
が、「我を出す」ということである。だから「我を出す」というのはかえって自分を限る、自
分を引っ込める、自分を縛る、自分を虐待することになる。
 本当の自分が、天地にひろがる広々とした存在であることに気がついた時には、人間は誰と
も大調和するものである。
 大調和の心は神のままの心である。神のままは自然を縛らない心、わがままは自然を縛る心。
                          谷口雅春著抜粋
==========================================

■「我が強い」といって変に自慢される方が、此処“九州…”に多いです〜〜〜ョネ!!
本人の考え方が“A”とします。ある事から“B”に変更しますと、まるで負けてしまった様な
感じを受けるのでしょうか??分かってても、それを、押し通す。これも【我を通す事!】
でしょうか?FUKに帰郷してからの私は、落ち着きのない日々を送っています。原因は、彼ら
の執着心です。「吸血鬼・ゾンビ達…」は、私達に執着して、それなりのお金になったのでしょう!その原因は、「黒幕デザイナ−の執着」です。黒幕は「吸血鬼・ゾンビ達…」に私達を、包囲
する事、更に尾行!情報収集!更に、仕事が出来ない様にする!!それは「孫娘への想い」か
らでしょうか??私が「障害者…」として、立ちあがっているのに〜〜〜あくまでも
「黒幕デザイナ−の家族の将来性」と「自分の名声…」執着この「黒幕デザイナ−」は、
東北地方に“障害者の関連施設”を〜〜〜><この様に自分自身、黒幕は分かっての行動です。

多々なる理由を上げて、更に「吸血鬼・ゾンビ達…」を使う!彼らがいいますには“お金”
に成るとの【正当化論】で、これも執着■【我…】に成るのではと思います!!私は、これ
に対して、この「黒幕デザイナ−」に対しての、戦いを新たにしているところです。…が?
本当に❤〜【我は相手に対して・・・不愉快なモノ!】だと、思います。
                        
 (つづく)

1675SAKURA:2012/11/26(月) 22:14:20 ID:jH5uEFzM

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1553>>1554>>1556>>1558>>1562>>1599>>1600>>1607>>1608>>1616>>1617>>1637
>>1644>>1653>>1654>>1661>>1674>>投稿の続きです。…が

■■『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
「生命の実相 37巻 より  ……    ②
>>1674 ①からの投稿の続きです…。

■今回【分派の方達…】は、まず“認める事”ではないでしょうか〜〜〜?

私は、毎日思いますが■【まず!第一のモノは、今の総裁雅宣先生だと、思えます。】
ある話ですが〜〜〜?ご存じでしょうか〜〜〜?【アメリカの洪水での出来事…】です。
ある時、大量の雨量にて川が氾濫し、洪水が〜〜〜><一気に“家”が流されて、
その地方の山奥に住んでいます処の「ある高齢の一人暮らしのお祖父さん」が、いました。
親戚の方は、心配して「お祖父さんの安否」を、救助隊員に頼みます。ゆっくり空気付きの
ボートをこいで、お祖父さんの処に“声”をかけます。「大丈夫ですか…?」と言って、
「こちらに来て下さいと…?」言います。お祖父さんは、「いえ!いいです。神様から助けて
頂けますから〜〜♫〜〜」といって断り、救助隊員は、次の人への救援活動にてその場を去り
ます。そうこうしていきます内に、水かさが〜〜ドンドン上昇〜〜“危ない!!” ><
ドンドン水が〜〜〜かさんで行きますから、また!救助隊員はまたその場に戻り“声”をかけ
ます。…が?お祖父さんは、また!「神様が助けてくれます…!」と答えて、家の屋根から、
直ぐそこまで水が押し寄せていますのに、救助隊員の助言を聴き入れませんでした。実に!
何度も〜何度も〜救助隊員は行きますが「神様が、必ず!助けて下さいます。」此の一点ばり
で、救助隊員の助言を訊いてくれません。そうこうしています内に、救助隊員が見ています
目の前で、とうとう“家”は〜〜〜アット!!!流されてしまったのです。
これは【アメリカ中にニュ−ス】で放映されていたとの事です。
【神様…】も、ある時は……【横からの真理】にて“アドバイス…”でしょう。この事は、
大事ではないでしょうか〜〜〜と【リ−・ミルティアさん】は、おっしゃつていました。…が?

私も今回の【生長の家…騒動】は、少なくとも中傷されています「現総裁雅宣先生の行動」は、
【天の導き…】と、思います。【エコ−運動】も、行動をしなくては、何も?
この【地球…環境問題】には、変化が?つまり対応策は起きません。一人一人が【輪…】に
なってはじめて【天 の 蔵 が 開 く!】と思います。
古い伝導体制を誇示されます【分派…皆様】をこの「我」と、たとえますと…?
【分派の方達…】は、いつまでも“過去のやり方”では、果たして【人の救済…】は、何処
まで対応できますのでしょうか?【日々…環境は変化?人の心も変化?…etc】 人数的には、
増えないと思います。更に【洗脳された方達?つまりマインド・コントロ−ルされた方々】は、
今となっては【分派…で、活動体制】を、なされましたらと?今!今を活かしきればいいので
しょうかと。そう!!私は思うに【真理…】は、いたるところにあると思います。勉強中!
「我」をなくす事から始まる様に、思います。…が?【執着も…我!!】と思います。


そして、複雑化した現代の時代にそぐわない【真理…】それを今風に“解説”します事が
新たなる【よみがえり〜☆】この事が【天の岩戸が開く】様に、ゆっくり〜ゆっくり〜
開いて行くようです。【真理…伝導】は「現総裁雅宣先生」にもあります。そして、
【日本の歴史は、神武天皇から〜〜〜私たち“祖先”は、世界平和!なのです!!】

■聖徳太子も……【十七カ条憲法】
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)
わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。
                            再合掌

1676ハマナス:2012/11/26(月) 22:34:13 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

迷妄の自壊作用  (『新版 生活の智慧365章』P.297)

 私たちが「人間神の子・本来無病」の“縦の真理”を知り、「唯心所現」の“横の真理”に
よって心の悩みを解きほぐして行くに随って、迷妄の根の浅いものである場合には、速やかに
に症状が消え去るのであるけれども、それが迷妄の根が深いものである場合には、一見その
症状が悪化したように見えることがある。そんな時に驚いてはならないのである。それは迷妄
(にせもの)の上に築き上げられたる高層建築のような重い慢性的な病気は、その迷妄の基礎
工事がくずれ去ると共に、大いなる音を立てて崩れ落ちる。その崩れ落ちる大音響や、崩れ落
ちた残骸の堆積は、以前のそのままで病気の建物が建っていた時よりも、混沌としたいやらしい
光景を呈するのである。これが迷妄(まよい)の自壊せる徴候である。    
   
自然の浄化作用によって、その崩れ落ちた次回の残骸が運び去られるまでは、尚しばらくその
症状はつづくのであるけれども、自壊作用そのものは、病気の精神的基礎が崩れた証拠である
から、もうその時「病気は消えた」と宣言してもよいのである。

感謝合掌

1677a hope:2012/11/27(火) 08:08:57 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦一念集中が成功の要件です

成功に一念集中と云うことが必要であります。
電気の技術者で成功しようと思う者は、常に電気のことを考えていなければなりません。
常に植物の事を考えていれば、植物学者として成功するかもしれなせんが、
電気の技術者として成功するものではありません。

あまりに懸けはなれて反対であるものを考えていては、決して事物は成就しません。
失敗を考えていて成功するものではありません。
成功は成功を心に描くことによってのみ得られるのです。

どんな多くの青少年が、「自分は身体が弱い」と考えたり、
「自分は天分(天からもらったちから)がない」と思って尻込みしたりすることによって、
折角の人生(ひとのよ)に落後者(おちぶれもの)となったことでしょう。
これらの人達は、しっかりした自信力を与えさえしたら立派に社会(よのなか)に成功した筈の人たちなのです。

「自分が弱い」と云う馬鹿々々しい迷信をお捨てなさい。
「自分には力がない」と云う迷信をお捨てなさい。
そんな迷信に誤魔化されてはなりません。
そんな無力な迷信をかなぐり捨てて立ち上がりなさい。
「そして自分は神の子だ。すべての力は与えられているのだ」と思いなおして立ち上がりなさい。
(つづく)

1678ハマナス:2012/11/27(火) 09:50:23 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま

おはようございます。今日は良いお天気に恵まれました。
皆さまにとって、神の愛に満たされた素晴らしい一日でありますように。

薬剤多くして病気繁し (『新版 生活の智慧365章』谷口雅春先生著 P.298) 

 “健康法、健康法”と唱える者ほど病気に罹り易いのである。栄養剤やビタミン剤などに
とりまかれながら脚気になったり、始終風邪を引いたりする人があるのも、その人の信仰の
天秤の“分銅”が「物質」の方に傾いていて、人間の実相の完全さの方の “分銅”が小さ
過ぎるからである。「人間」と云う存在を物質的存在であると思う信念は、薬剤を用うる
度数が多いほど強くなるのである。その結果、「物質と自覚せる人間」は物質の「朽ち果つ
るべき法則」の前に屈従せざるを得なくなり、薬剤愈々多くして病気愈々繁しと云うような
状態となるのである。

 「私は病気のことを考えないのに病気になった」と言って、「心で思うことが肉体にあら
われる」と云う真理に抗弁(こうべん)しようとする人もあるが、病気というものを直接
考えないでも、「人間は物質的存在であり、朽ち果つべき無常の存在である」と信じている
ことそのことが、朽ち果つべき肉体の病気となってあらわれるのである。

感謝合掌

1679「訊け」管理人:2012/11/27(火) 10:29:44 ID:???
○ Climb every mountain
http://www.youtube.com/watch?v=0aUXUr5rogM


『叡智の断片』25頁より謹写――

◆「悪」に抗することなかれ

 「悪に抗することなかれ」と云うキリストの教えは、生長の家の「汝等天地一切のものと和解せよ」の神示によって完成するのである。悪に抗して悪を一時排斥し得たとしても、それは「悪」の存在をみとめているがゆえに、それは存在するところの悪を抵抗によって一時遠ざけたに過ぎないのであるから、「悪」の存在が消えたのではないのである。それは一時締め出しても、亦あらわれる。厳重な家庭に於ける制裁や処罰や威嚇による強制はこれである。何物に対しても和解せず、単に抵抗によってこれを退けんとする者は、結局、空しく抵抗して何物をも支配することは出来ないのである。真の支配は、天地一切のものと和解することによってのみ得られる。天地一切のものと和解するとき、天地一切のものは汝の味方であり、こちらを生かすために働くからである。「悪」を消滅する道は「悪」をみとめないことより始まる。闇をみとめながら闇を撲滅せんと欲しても、到底それは不可能のことである。
 如何に敵対する者も敵だと思わずに味方だと思って愛すればその情愛に感動して、敵と見えていたところの相手が味方にかわるのである。病気の症状に於いても此の事は真実である。熱を敵だと思わずに、味方として愛すれば速かにその熱のために病菌は消滅してその病いは癒えるのである。疼痛、喀血、吐血、発疹、下痢、嘔吐――ことごとく敵だと思わず、治す働きだと――感謝して受けるとき、それは味方となって却って病いを撲滅し健康を回復してくれるのである。凡そ「悪」よりして善徳は生ぜず、「悪」よりして生かす力は生じない。「憎み」は悪であるから「悪」を憎むと云うことは結局は、「悪」に対するに「悪」をもってするに過ぎないのであるから、それは永久循環して再び「悪」は姿を顕わすのである。ただ「善」のみを認め、一切を「善」と信頼して感謝して受ける無抵抗のみが「悪」を消滅する力であるのである。「悪」に抵抗するところの心境に於ては尚「自我」が滅していないのである。ただ相手の利己主義を遠ざけんがために、自己主義の利己を譲らんとするに過ぎない。真に「悪」に無抵抗になるときにのみ、それは「自我」さえも滅し去って、ただ「神」のみ、「善」のみ、実相のみが現前するのである。そのとき「真の自我」実相の自我、絶対自我が本当の姿をあらわして自由自在の境地に達するのである。

<了>

1680「訊け」管理人:2012/11/27(火) 10:33:50 ID:???

『明窓浄机』草創篇269頁より謹写――

◆日本精神を誤解するもの

 兎も角、生長の家は今や海外諸国にまで日本にこういう好い思想が生まれたと云うので、日本の名誉となりつつあるのである。
 近来國體明徴が叫ばれ、日本精神が叫ばれているけれども、日本精神が『大和(やまと)』の意味に於いて、一切包容統一の意味に於いて叫ばれないで、すべて日本的と云うものを非常に狭義に解して、日本的でないという意味に於いて、基督教を排斥し仏教を排斥し、ただ小さき伝統の中にせぐくまってしまおうとする傾向があるのは、大和の日本精神を誤解するものと云わなければならないのである。


 生長の家は在来仏教側からも、基督教側からも、人の道からも商売敵としてその誤れる排他的精神から悪口を云われ、色々の投書を当局へ送った人もあるそうであるが、生長の家は決して他の宗教を排撃するものではなく、常にすべての宗教の味方をし、弁護者の位置に立ってきたのである。日本精神とは一切を包容して、『あれも日本の教えだ』『あれも日本の教えだ、日本に於いて大乗的に成就する教えだ』として、無限包容の精神を持つべきものであると私は思うのである。
 排外的日本人は外人を見て、『あれは外人だ、外人は排斥すべきものだ』と見るが、包容的日本精神は、イギリス人を見れば、『あれも日本人だ、日本人がイギリスと云う土地に生まれたのだ』と見、インド人を見れば、『あれも日本人だ、インドに生まれている日本人をインド人だと云う』と考える。斯くの如くして普天卒土(ふてんそつど)、天上天下、日本の国土ならざるはなく、日本の国民ならざるはなく、仏教も基督教も、日本の教えならざるはないのである。


 兎も角、吾々はそう云う立場に於いて、すべてを排斥する代わりに、欠点を除き、時所不相応のものを撥無(はつむ)し、美点を高揚して、生かすべきものを生かして行きたいのである。
 その目的でキリスト教のためには『完成(ななつ)の聖書』を、『ひとのみち』のためには『去就に迷うひとのみち信徒に与たう』を著(あらわ)したのである。幸いに各読者から熱読せられている。殊に後者は二万部増刷の計画であるから知人の去就に迷える兄弟に御贈呈願いたい。

1681「訊け」管理人:2012/11/27(火) 12:34:44 ID:???

『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾著)342頁より謹写――

 概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。


 吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。


(つづき全文http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

1682神の子さん:2012/11/27(火) 19:30:28 ID:???
>>1679
Youtube貼るのは自分のブログだけにしろよ

1683神の子さん:2012/11/27(火) 19:31:14 ID:???
>>1681
わざわざ宣伝するなよ

1684a hope:2012/11/28(水) 06:35:08 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦困難と戦ってもニコニコと

アメリカ人のあの偉大な「開拓者精神」と云うものは素晴らしいものです。
開拓者精神と云うのはあの広い、殆ど手をつけようもないような地面を、
どこまでも撓(たゆ)まず屈せず、開き耕して往った精神です。

猛獣も多いし、草や木の根も深い、砂漠もある、大きな岩もある、山もある、滝もある、
アメリカは土地がひろいだけに、いろいろな障害物も非常に大きいものです。
それに負けずに、一歩一歩その困難を笑いながら楽しく征服していったのがアメリカ精神の素晴らしいところです。

ドイツ民族なども困難と戦ってきた民族ですが、どこか眉の間に、ニガイ表情(かおつき)があります。
いつもわしは苦難(くるしみ)と戦っているのだと云うような表情をしております。

ところがアメリカ人にはあれだけ広い地面と戦って来ながらどこにも困難と戦って来たと云うようなニガイ眉をひそめた表情はありません。
みんなニコニコしているのは日本にきていたアメリカの兵隊さんの表情(かおつき)でわかります。
そこにアメリカ人の強味があります。

日本は戦争中に誰も彼もニガ虫をかみつぶしたような顔をしていないと非国民だと行って叱られたものです。
そうして泣き面をしていると、「泣き面に蜂」ならぬB29が来て、次へ次へと日本の都市をやいて行きました。

すべて「われより出ずるものはわれに帰る」であります。
「泣き面」をしていると泣くことが群(むらが)り起ってくるのです。
(つづく)

1685うのはな:2012/11/28(水) 21:16:28 ID:Pp0T7lVc
個人指導の実際  谷口雅春 先生 生長の家本部教務局編

    耳の病気は“聞きたくない”という念の表現である

 それですから、耳は“ききたくない”と思っておればきこえなくなるし、
“何でも素直にききましょう”という気持になればきこえる事になる。
 あんまり忙しいので人が周囲で、ものを言うのを「うるさいなあ」というような気持で、
人の言うのを打ち消すような気持でいると、耳鳴りがして止まらないというような事も随分おこってくるのであります。

 或る時赤坂の道場で、一人の奥さんが、「先生、私もう耳鳴りがしてうるさくて仕方がないんです」と言うのでした。
その時、私は、「耳鳴りなんて、何も鳴っておらんじゃないか。どうじゃ、耳が鳴っとらんか、一遍きいてあげよう」私はこう言って、
その人の耳のそばへ私の耳を近づけて「何にも鳴っとらんじゃないですか。実際に鳴っとったら私にも聞える筈じゃ。それは耳が鳴っておるんじゃない、
貴女の心が鳴っているんだ、心が“うるさい、うるさい”と声を打ち消す念を起している
家族がうるさいとか、嫁がうるさいとか、色々そんなことを事を思っているんでしょう。
そういう心の癖から治すんだよ。

 何も耳が鳴っておるんじゃない。貴女の心が鳴っておるんだ」と言ったんですよ。
そうしたらその耳鳴りは治ってしまったのであります。

1686うのはな:2012/11/28(水) 21:29:58 ID:AjOElYbo
    病気を温存したい心で再発 

 それからその治った話を僕が道場で一遍話して、「耳の鳴るに非ず、心が鳴る也」という
真理を皆さんにきかしていた。そしたら、翌日その耳の治った人から手紙が来た。
“先生あの話を道場でしてもろたら困ります。あれは内緒にしといて下さい”と言って手紙が来たのです。
それから数日すると、またその人から手紙が来た。それには“先生、又、耳がなり出しました。何とか、もう一度
治してください”と書いてある。

 それは神様がちゃんとそれを治して下さっているのに、神の栄えをあらわす為にそれを使わないで、治った事実に再び耳を蔽おうとした
からであります。「私はまだ耳鳴りが治っておらん」と言いたかったから、その通りになったのであります。

 キリストが盲目の少年を治された時にですね、弟子が「この盲目の少年が現われているのは、これは親の罪であるか、本人の罪であるか」
と言って問うたのです。「親の罪でもない、本人の罪でもない。神の御業の現われんが為である」それが癒される事によって、神さまの栄えが現われんが
為に、今かりにこういう姿になって出て来ているのである。という意味の事をキリストが言っておられることに注目しなければなりません。

1687さくら:2012/11/28(水) 22:32:44 ID:e8ieIrPA
到彼岸の神示
谷口雅春 先生 著

「本當の信仰についての神示

平和は内界にあるのであつて、外界にあるのではない。
外界は現象であり目眩しく移り戀る世界である。常に戀移する世界を追ひ廻してゐて落ちつかうと思つても落著けるものではない。
一世を支配する権力者の位置にのぼれば誰も自分を脅かすことが出来なかろうと思つて最高の位置にのぼつてみても、高ければ高いほど不安であるのが常である。では、誰よりも下座の地位について、
もうこれ以上は落ちやうのない貧しい生活を送つたら不安がなからうと思つて、乞食の生活を送つてみても、やはり不安は去るものではない。
下座々々と心掛けても、一椀の食にありつくとき、尚、その一椀の食にすらありつき得ない同胞があることを思つたら、その一椀の食も安心して食べられないであらう。所詮は、高く上るも、低く下がるも、比較上の世界に住む以上は、その人の心から不安は去らないのは當然である。何故汝は絶對の世界に住しないのであるか。
目眩同転する圓周の世界を追ひ廻さないで、圓の中心の世界に住しないのであるか。何故汝らは比較を絶した『我れ神の子』の世界に住しないのであるか。
中心の世界に坐せば、上下左右天地四維のいづこに顕現すると不安はないのである。『我は神の子』の世界に住すれば、如何に高き位置につくとも高過ぎると云ふことはなく、如何に低き位置につくとも穢されたと云ふ感じも屈辱の感じも受けるものではないのである。
かくの如き『我れ神の子』の實相に参ぜしめ、無畏怖の境地に入らしめるのが本當の宗教である。
恐怖心を唆つて遷善改過せしめるものは、それは一種の社會施設であり、刑務所であり、懲治場であつて宗教ではないのである。宗教とは己が眞性を自覚せしめ、上下左右天地四維いづれに動いても、いづれに置かれても、縛られない、恐れない、自由自在の『神の子』だる本性を自覚せしめるものを云ふのである。
汝ら恐怖の宗教に心せよ。神の子は、金剛不壊の實相身、無碍自在の無けい礙身であるから、凡そ恐怖すべき何ものもないのである。
恐怖を教へるものは迷を教へるものである。恐怖を唆るものは、迷を唆るものである。病気や天變地變や色々の災厄で恐怖を教へるものは人間の幸福が物質の増減で左右せられ、或は火に焼かれ、或は水に溺れるものだとの迷信に立脚して教へをなすのであり、それを信じる者は、それは信仰は信仰であつても、迷信に堕するものである。
火にも焼けず水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも自由自在な人間の本性に信ずる信仰こそ本當の信仰である。

(昭和八年八月五日神示)

1688うのはな:2012/11/28(水) 23:30:22 ID:shBPIho6
耳の病気はこんな心の影である  谷口雅春 先生

 次に耳の病気は、耳は聞く期間でありますから、“ききたくない”という心が起るとだんぜん耳が遠くなって来るの
であります。実際聾くらい便利なものはないのです。言いたい事は言いたい放題だし向うからいくら何を言っても聞えないから
都合がよい。人の言うことをききたくなくなると、聾という殻を造って其処へ逃避するのです。
だから、そういう気持になりますと、自然と耳が聞えなくなるのであります。

 京都の郊外のある町に野沢宗一という郵便局長さんが居られました。当時、三等郵便局と言ったものです。
その奥さんが、耳が聞えなくなった。聞えないといっても、電話の受話器みたいに、耳に口をくっつけて大声で言うと
辛うじてきこえるのでした。けれども一尺も離れたらもう全然きこえないのです。
姑が物を言ってもきこえないで、「治るまで実家へ帰っておれ」と言うことになって、実家へ帰って医者に半年もかかったが、
その難聴が治らないのです。

 それで先生に一遍指導して欲しいと仰言って、私が東京へ移転して間もなく京都で誌友会があるから一遍来てくれというので、
石川芳次郎さんのお宅で誌友会がある時に行きましたら、その時に野沢さんは夫婦でしめし合わせて、夫は郵便局から、妻は実家から来て、
私に面会せられたのであります。

 その奥さんの話によりますと、姑と仲が悪くて、あるとき姑さんに口ごたえをしたら、姑さんが頬っぺたをなぐった。
それを避けようとしたら姑の手のひらが、耳に当って鼓膜が破れた。それ以来、耳が聞えなくなったと言うのであります。
そうして姑さんが物を言っても知らん顔をしているので、姑さんの気に入らないのです。
「だって鼓膜の破れたのは、一方だけなんでしょう」「はい」
「ところが両方とも一緒にきこえんようになったというところに、其処に、その耳のきこえないのは単に殴られたという物理的原因だけではないものがあるのですよ」
とからか害を受けて、そうして相手をゆるさないで、相手を咎める気持でおったら、その害された状態は、“相手が悪い。私に害を加えた”という“証拠物件”として、
その被害状態を湮滅してはならないと潜在意識がはたらいて、その被害状態を治さないのですよ。あなたは“耳がきこえなくなった”という“証拠物件”を何時迄も保存しておきたいのですよ。
すると、その証拠物件たる難聴が治らないんですよ。治るためには姑をゆるしなさい。姑を許したらもう難聴という証拠物件が要らなくなるから難聴が治るのですよ」
こう言って姑さんをゆるす神想観を二人でしました。

 それから一週間程しましたら、その難聴が治ってよくきこえるようになったのであります。
さて、難聴が治りますと、「治ったのなら、お前嫁入り先へ帰って来い」ということになりまして夫の許へ
帰りましたが、帰りましたら又その姑さんのそばへ寄ると又時々聞えんようになる。
そうして外へ出るとよくきこえる。そういう過渡時代もありましたけれども、よくよく反省して心を改めて「何でも
姑の言うことをききましょう」という気になりましたら、よくきこえるようになったということを、その後、報告されて来たのであります。
その話の後日談でありますが、実は、野沢さんの奥さんは、姑さんと仲が悪い時分に妊娠していたのであります。
そうして「この家を出ようか出まいか」と思っていた時代なんです。その時分にいよいよ出産という時になると、産気づいて二昼夜たっても、
どうも子供が出ないのです。大変な難産でした。それで医者が来て鉗子でつかんで引っぱり出した。
それでやっと産まれたのであります。どうしてそういう難産になったかと言うと「この姑のいる家を出ようか出まいか、出ようか出まいか...]
母体が思い悩んでおるそれがちゃんと肉体に具象化して現われたのです。私は説明いたしました。

つづく

1689うのはな:2012/11/28(水) 23:32:09 ID:shBPIho6


1688つづき

「しかし姑さんに“あんたが殴ったのでこうなった”というような、姑のことを口実にして自分の『言うことをききたくない心』を弁解する気持ではこの耳の病気は治らないですよ」
野沢夫人の話すところによりますと、夫人の耳がきこえなくなって姑の言うことに返事をしなくなりますと姑は野沢夫人に、「お前そんな聞えないような事ではもう家庭におっても仕方ないから
実家へ帰って養生せよ」というので追放されて実家へ帰っているのだということでした。
それだから夫人は実家の方から誌友会へやって来ておられたのでした。

 私は更に耳の病気の原因について説明を続けました。
「あんたの其の殴られん方の鼓膜の破れない耳も聞えなくなったのは、それは何も鼓膜の結果じゃないんじゃないの?
人間と言うものは鼓膜で聴くんじゃないんだよ。心できくんだ。鼓膜なんか無い方が、音が素直に中まではいるんです。
鼓膜なんて、何も拡声器になってやしないんだよ。それだから、耳の聞え難い人が、補聴器を使う場合に、耳につける補聴器もあるけれども、
歯で咬んで聴く補聴器もある。口の中からも鼻の中からでもきける。

 あーんと口を開けておってでもきこえるんですよ。鼓膜は無かった方が余計きこえるのですよ。
鼓膜は中耳へホコリが入らないための襖に過ぎない。その証拠に、あんたラジオ・セットにスイッチを入れておいて、
襖を閉めて襖のこっちからきいてご覧なさい。襖を閉めてある方がきこえ難いから。

そして襖を開けた方がよくきこえる。だから、鼓膜が破れたから聞えないというのは、あんたが姑さんに因縁つけているというもんです。
“姑が殴りやがったからこんなにきこえなくなったんだ、姑の乱暴のおかげじゃ”というのでその姑を憎んでいるから、それできこえないのですよ。
誰からか害を受けて、そうして相手をゆるさないで、相手を咎める気持でおったら、その害された状態は、“相手が悪い。私に害を加えた”という“証拠物件”として、
その被害状態を湮滅してはならないと潜在意識がはたらいて、その被害状態を治さないのですよ。あなたは“耳がきこえなくなった”という“証拠物件”を何時迄も保存しておきたいのですよ。
すると、その証拠物件たる難聴が治らないんですよ。治るためには姑をゆるしなさい。姑を許したらもう難聴という証拠物件が要らなくなるから難聴が治るのですよ」
こう言って姑さんをゆるす神想観を二人でしました。

 それから一週間程しましたら、その難聴が治ってよくきこえるようになったのであります。
さて、難聴が治りますと、「治ったのなら、お前嫁入り先へ帰って来い」ということになりまして夫の許へ
帰りましたが、帰りましたら又その姑さんのそばへ寄ると又時々聞えんようになる。
そうして外へ出るとよくきこえる。そういう過渡時代もありましたけれども、よくよく反省して心を改めて「何でも
姑の言うことをききましょう」という気になりましたら、よくきこえるようになったということを、その後、報告されて来たのであります。
その話の後日談でありますが、実は、野沢さんの奥さんは、姑さんと仲が悪い時分に妊娠していたのであります。
そうして「この家を出ようか出まいか」と思っていた時代なんです。その時分にいよいよ出産という時になると、産気づいて二昼夜たっても、
どうも子供が出ないのです。大変な難産でした。それで医者が来て鉗子でつかんで引っぱり出した。
それでやっと産まれたのであります。どうしてそういう難産になったかと言うと「この姑のいる家を出ようか出まいか、出ようか出まいか...]
母体が思い悩んでおるそれがちゃんと肉体に具象化して現われたのです

1690ハマナス:2012/11/28(水) 23:32:18 ID:x2zmnlqw
神の子のみなさま
こんばんは。

薬剤は補助的工作 (『新版 生活の智慧365章』P.299)

 治病のための、どんな物質的手段や処置法が発見されようとも、知病の力は「生命」その
ものにあるのであって、薬剤や色々の処置方法は、自然の治癒力を妨げないように補助的
工作をするに過ぎないのである。補助的工作も、坑道の落盤を防ぐために坑木をもって支える
ことが必要なのと同じように、必要ではあるけれども、補助的作用に頼りすぎることは、神
(生命の本源)に頼る心をそれだけ減殺することになるから、一方で或る利益を得ながら、
一方で或る貴きものを失いつつあると言えるのである。

感謝合掌

1691a hope:2012/11/29(木) 06:36:24 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦人間自身が運命の彫刻家

吾々は「自分の心」と云う鑿(のみ)で自分の運命を彫刻している彫刻家のようなものです。
自分の心の動かし方の一つ一つが未来の自分の運命を、良くも悪くも彫(きざ)んでゆきつつあるのです。

心の一つ一つの動きをゆるがせにしてはならないのです。
一寸(ちょっと)した腹立ちの心、一寸した憎しみの心、一寸したイライラした心、ブツブツの心、
それなども必ず肉体の或る形をきざみつつあり、境遇(まわりあわせ)にある形にきざみつつあると云うのは事実です。

あなたが中年や老人になって額や眉間に皺が出来たり、目尻に皺が出来たりするのは、
心の動きで目に見えぬほどずつ積りつもった皺が何十年もするうちにそんな形にあらわれたのです。

あなたの皮膚にニキビやオデキやジンマシンのブツブツが出来るのも
あなたの心のうちにブツブツとふくれる心があるからです。

ゲーテも「吾らの心が吾らの肉体の上に及ぼす力は驚くべきものがある。
されば心をして常に自分の肉体の主人公たらしめよ」と云っています。

心は肉体をそのように彫むだけではありません。境遇をも運命をもきざむのです。
自分が常に明るい心を持っておれば明るい楽しい運命がつくられます。
自分が常に悲しい心を持っておれば、悲しい運命がつくられます。
(つづく)

1692ハマナス:2012/11/29(木) 10:09:01 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま

おはようございます。
私事で、恐縮ですが、今日は子供の誕生日です。私を母と選んで生れてきてくれた事に
感謝いたします。そして神様、ご先祖様ありがとうございます。

「人間」は肉の集合体ではない (『新版 生活の智慧365章』P.300より)

 「人間は物質で構成されている肉体だ」という見解が、蛇の知恵に教えられて人間が食べた
ところの「知恵の樹の果実(み)」である。“蛇の知恵”即ち唯物論は「人間は物質で構成
された部分品の集合体である」と教えるのである。果たして然らば、人間の片腕を切れば、
その人間は「一人」たる資格を失ってしまうであろうか。彼は「人間マイナス片腕」となって
しまうであろうか。そんな事は決して無いのである。片腕又は片脚を失っても、大いに奮起
して、両手両脚を有する人よりも人間的な仕事を為し得る人もあるのである。そうすれば、
人間そのものは、肉体の部分品の増減によって、増減するものでなないことが判るのである。
  
 人間が単なる肉体であるならば、肉屋の店先にぶらさげられている骨のついた牛肉と大差
はないのである。それは目方によって価値が秤(はか)られなければならないが、実際は
そんな事なないのである。目方の少ない小さな人間でも、目方の多い巨人のような人間よりも
価値多きことがあるのである。これによっても、「人間」は単なる物質でないことを知ること
ができるのである。

感謝合掌

1693うのはな:2012/11/29(木) 15:27:51 ID:YT9aDVnY
    今後の日本の進むべき道

 『新しい開国の時代』に総裁谷口清超先生は、この国際時代にわれらは何を為すべきかについて
次のようにお示し下さっている。
《連綿とした継続の中に異なる形や個性が表現されるという「諸法実相」の真理が深く理解されなければならない。この
理解が乏しい時、「異」のみをあげつらって争いを激化させ、「同」のみに固執して「新しい鎖国」を実現しようとする。
こうなると「普遍性」と「個性」とが対立し合い、それを内包して自己同一化することが出来なくなるのである。
かつての時代の「島国根性」は、現代に於いてもしばしば見出され、それをもって「日本精神」と誤解している輩も亦ないことはない。

 しかし、新時代の日本は、どうしてもそのすぐれた中心帰一の天皇国家の個性をどこまでも護持すると同時に、広く全世界に向って普遍的な
愛と正義を実践して行かなければならないのである。(中略)
 こうして必然的に新しい日本は全世界とさらに一層交流を活発にし、輸出もするが、輸入もやるのである。
輸出か輸入か、そのどちらかに偏るのではない。これが『自然流通の神示』に示されているところの古くて新しい教えである。≫(三一四〜三一六頁)
また『伸びゆく日々の言葉』には、次のように述べられている。

《 もしあなたが日本を愛するなら、日本をよい国にしなければならない。日本がよい国になるということは、日本が、独自の個性を発揮し、中心帰一の
 “真理国家”となると共に、世界各国に愛される“国際国家”に成長することである。≫(四二頁)

《 日本国も立派な歴史と文化を創造した。しかし諸外国にもすぐれた国や国民が沢山いることを忘れてはならない。
 それを否定して夜郎自大をきめこみ、増上慢に陥る時、日本人は神意にそむき、進歩発展を停止するか、さもなくば失敗するであろう。
 過去の敗戦の歴史もその一端を示す。それ故、自国を閉鎖し、諸外国の文化やすぐれた産品を除外し、日本を孤立化させてはならない。》(四三頁)

 このようにわれらは世界に誇るべき天皇国日本を護持するために、政治家をふくめた日本国民がすべて天皇の大御心に還帰し、国家エゴイズムを超えた「神の国」
を実現しなければならない。ここに生長の家の国家観と今後の進むべき道があるのである。

『光の国から』渋晴雄 先生著

1694a hope:2012/11/30(金) 06:39:37 ID:lAQRWvUs

新版 生活読本 谷口雅春先生著
第八章 斯(こ)うして希望を実現しましょう

♦どんな心の働きでも脳髄に印象せられます

心が肉体から去ったら、肉体は動かなくなります。
肉体を動かしているのは心の力であります。その心がなまけていては肉体は完全に動きません。

その心が「病気になる方が学校を休めて好い」とか
「あまり忙しいから、病気にでもなって一週間も休んで見たいな」などと考えているようでは肉体は達者になりません。

大体、どんな心の作用でも、脳髄に印象せられるのであります。
すべて吾々の霊魂(たましい)は自分の思いを「脳髄」と云うラジオ・セットに送って、
そこから身体(からだ)の各部に命令をつたえます。

だから身体各部を密接(ぴったり)に脳髄に連絡しているのであって、
脳髄で考えられたことは「運動する」と「しない」とに拘わらず、
必ず肉体各部に伝わって何らかの印象なくとも「憂鬱な考え」(おもくるしいきぶん)を心に起しますと、
直(ただち)に脳髄からそれが筋肉につたわり、顔の筋肉が憂鬱な形にふさぎ込みます。

それはただに顔の筋肉に伝わるばかりではなく、全身の神経につたわりますから、
胃腸の働きも憂鬱にして、便秘を起こしたり、消化不良のために下痢を起こしたりします。

血液の中にも毒素が出来ます。
呼吸器や循環器にも影響を与えまして、血のめぐりが悪くなり、したがって、
血液の色も悪くなり、青ざめた顔になったり静脈がゆるんで、皮膚に青すじが太く出来たり致します。

健康になり容貌(かおかたち)が美しくなるためには、
心が晴れやかに、明るい気持にして、生活することであります。
(第八章終り)

1695さくら:2012/11/30(金) 08:22:03 ID:e8ieIrPA
「到彼岸の藭示」谷口雅春先生

自他一體の藭示

『生命の實相』を読んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものはまだ生命の實相を悟つたものではない。眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、其處に『結び』の力が發現するのである。『結び』は愛の力、慈悲の力、藭の力、佛の力である。
これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、ムスビによつて醸生(藭)の力、即ち生々化育の力が發現して来るのである。
 だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、ただ話をするだけで病氣が治るのである。話すのが下手なら『生命の實相』の中の『光明の眞理』のところを、本の由来を話してから讀んで聞かせてもよい。

藭の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。怒つたり、審判いたりするのは心で切るから善くない。離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。『藭』は『道』であると云うのも『道』と云ふものは離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち藭である。結び合はす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも藭に遠い。

 一人の男子が縁があつて一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、それを圓く結んでやるのが道である。藭の道を知り『生命の實相』を知ると云うこともその道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。自分はもう藭と直取引が出来るから掛けになつた人の恩は忘れても好いと思ふやうな人は、自分はもう藭を知つたから藭に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。『生長の家』を知らせてくれる人は其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。

日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。今度の戦ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩の戦ひ、『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戦ひである。
バラバラに分離する働きは結局自滅して『結びの働き』が世界を統一する。
医学でも大和の医学は結合の医学であるが外國の医学は分析の医学である。
『生命』は結合の統體であるからバラバラの医学では解らぬ。
(昭和七年二月四日藭示)

1696うのはな:2012/11/30(金) 11:23:21 ID:rDrPNupg
   聖使命新聞 昭和四十六年十二月十一日号 途中一部抜粋

 神想観を修しているとき、「生長の家の教えをしておられる本尊の神様のお姿を拝ませて
下さい」と一心に祈ったら、観世音菩薩が姿を現わされた。そして、それはまだ生長の家のマークがない
四年前だったのに、その観世音の頭を飾る宝冠の中央にあの生長の家のマークをつけておられたというような、
奇跡的な、神秘的な現象があったということは、もう多くの信徒の知る所でありますが、これは観世音菩薩が人類救済
のため法華経の真理を説くために出て来ておられるのが“生長の家”だということをあらわしている。

 そしてその法華経の真理が説かれたものだから、それを讃歎するために竜宮界の本地に坐します住吉大神ー即ち多宝如来が
“七宝の塔”に乗って地上に出現せられて「善い哉、善い哉、釈迦牟尼仏、法華経を説き給う」と、嘗て讃歎されたように、私が
『生長の家』誌によって、法華経の真理を説いているとき、竜宮界から、住吉大神が顕われて「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を
説き給う」と讃歎せられたのであります。

 その竜宮界にまします多宝如来すなわち住吉大神が出現せられて「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を説き給う」と初めて姿を顕わされた
のが、今神戸市東灘区にある「生長の家発祥道場」となっているところの、あの家の奥座敷に、私と家内とが相対座して神想観をしているその時に、
今、東京の生長の家本部の正門の上に、服部仁郎先生の作であるところの住吉大神(生長の家大神)の像がありますが、あの像の如き住吉大神のお姿で
私の背後の空中に立っておられる白髪の老翁の神のお姿を拝したというわけであります。

 それからあの神姿は霊覚ある熱心な諸方の信者たちの前に姿を顕わされた。
カナダのトロントにもお姿を顕わされたり、インドにもお姿を顕わされたりして、それは単に一人の人が空想的に幻を見たのではないのであって、本当に実在
する神の顕現であるということを証するために別々の人に別々の所で同じ姿をもって顕われておられるわけなのであります。

つづく

1697うのはな:2012/11/30(金) 11:24:02 ID:rDrPNupg
    天照大神の霊統をつぎ給う〝天皇〟

 この神姿が、竜宮の大神・住吉大神・多宝如来のお姿であります。竜宮は一切の富の本源でありますから、
多宝の世界であり、七宝充満せる世界であり、そこは時間・空間以前の世界でありますから、そこは年寄らない世界
であって、浦島太郎の神話にあるように、あの竜宮界へ入って行けば、年寄らないという事になるのであります。

 皆さんも神想観をして、その度ごとに竜宮界即ち実相世界へ入って行く。
言い換えると、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」と、実相の世界に度々お入りになって、現象界の人間は老いるものである
朽ち果てるものであるという妄想を洗い浄められる其の程度に従って、その人は常に若々しく元気で長生きできるということになるのであります。
その多宝如来が、姿を顕わされたその多宝塔の姿に模してこしらえたのが、宇治の別格本山に竣工しましたところの「神癒の社」と言いますのは、
そこは時間・空間を超えた無量寿の生命の世界であるから、あそこへ入れば、一切の地上の妄想、迷い穢れ、及び、憤り、憎しみ、恨み、貪欲、憂え、悲しみ、
その他一切の悪しき地上の想念感情は悉く洗い浄められて、そして本来の実相の完全な生命のすがたを復元するということになるので、
それは、「神様の癒し」というので、仮りに「神癒の社」と名づけた訳であります。

 こうして生長の家の教えは、竜宮の大神・多宝如来・住吉大神が出現せられて、「善い哉、善い哉、谷口雅春、法華経を説き給う」と讃歎せられたので、法華経の真理
本当の真理ーが説かれている教えだということがわかるのであります。
その宇宙の真理、実相の世界の姿というものの根本が、天照大神の霊統をつぎ給う天皇を中心とする
「日本国の実相」であるわけです。それだから吾々の運動には自然に、愛国運動とか、明治憲法復元運動というものが起こって来るのであって、決して、谷口雅春が勝手に
なんでありますそんな教えをしたら皆が感心するだろうと思って人間知恵で工夫してこしらえたという教えではないのであって私はただ竜宮の大神の説き給う華厳経の真理・法華経の真理を伝えるラッパ
であるという訳なんであります。

1698神の子さん:2012/11/30(金) 17:36:05 ID:???
>>1695
>>これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、

どういう意味ですか?

1699さくら 訂正:2012/11/30(金) 22:06:48 ID:e8ieIrPA
>>これを日本古道でムズビ(産霊)言ひ、

>>これを日本古道でムスビ(産霊)言ひ、

1700さくら 訂正:2012/11/30(金) 22:12:34 ID:e8ieIrPA



観覧者のみなさまへ


聖典謹写の際、気をつけておりますが、
iphonからしか打ち込めないことも多々あり、

打ち間違いがしばしありましたら、深くお詫びいたします。


ご指摘には感謝いたします。




1701ハマナス:2012/11/30(金) 22:57:57 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

「肉体」から「廻れ右」させる「喝」 (『新版 生活の智慧365章』P.301)

 生長の家では「人間は肉体にあらず物質にあらず」と説く。また、「物質は無い、肉体は無い、
現象は無い」とも説く。これらは悉く人間を物資として、又、肉体として把握している人々の心を、
一転して「人間は“神の子”であり“霊的実在”である」と云う自覚に振り向けるための“一転語”
であり “喝”であるのである。

ある西洋人は「 “病気は無い”と念じて病気が消えるのなら、“肉体は無い”と念じたら肉体が
消えてしまう筈ではないか。それなのに肉体が消えないのは論理に矛盾があるのではないか」と
質問したそうである。元来、「肉体は無い」とか「病気は無い」とか言うのは、肉体や病気を、
どうにもならない固定物質として把(つか)んでいて、心で把んでいるから、その心が肉体や
病気に固着していて自由を失ってしまい、本来の“霊的実在”たる人間の実相をさとることが
出来ない状態の人の“心”を、肉体や病気から振り向いて“廻れ右”させるための一転語なので
ある。そしてその一転語が功を奏して其の人が“肉体”や “病気”から念を放してしまった
ときに、念によって「実相の完全さ」が表面にあらわれて健康が恢復するのである。従って
「肉体は無い」と云う念が徹底しても、肉体が消滅することにはならないで、却って肉体に健康
があらわれるのである。

感謝合掌

1702うのはな:2012/12/01(土) 01:14:20 ID:q1/hjc9I
Q 生長の家の教えとはどんな教えですか?その特徴を簡潔に教えてください。

A 谷口雅春先生のご著書『實相研鑽』第二集に、そのご質問の回答に相応しい箇所があります。
要約してお伝えします。
 各宗門は「宗門」と言われますように「門」であります。その門がいいとか悪いとか争っていますが、
これが宗教同士の争いであります。門には良し悪しがあり欠陥があったり、人の気を引くための対機説法で
「人間罪の子」や業を強調したりします。

 しかし「門」はどの門から入っても、奥の院に行くためにあるものです。
奥の院にはただ一つの大真理があるだけであります。しかしこの奥の院の真理に辿り着くためには門に掛かっている鍵を
開かねばなりません。この鍵を開け、その宗門を通って奥の院に導く者こそが生長の家なのです。
その門を開ける鍵は「唯神実相論」という鍵です。「唯神実相論」とは、神のみが実在であって、悪も罪も病気も神はお造りにならなかったから、
それらはことごとく存在しないと断言します。それを“現象なし”と言います。

 これが奥の院に直結している真理でありますが、この真理を印刷物による“文書伝道”という全く新しい独特の方法によって普及して来たのが生長の家
であります。
 第二の特徴は、「生長の家は日本的宗教」だということです。日本的と言うと狭いように聞こえますが、
「日本的宗教であるから広い」のです。なぜなら「天皇信仰の宗教」であり、「天皇」とは実相世界の中心に在す存在であり、「神意の天に成るが如く地にも成らせ給え」
というキリストの祈りを成就する教えだからであります。

 どういうことかと言いますと、「神意の天に成る」世界とは、多くの中心があるのではなく、唯一つの神が中心にあり、その中心に帰一して諸々のものが秩序整然と調和している世界
であります。その「天に成る世界」を「地にも成らせる」世界とは、一つの王がましまして、全ての人間がおのおのの天分に従って、しかも他と衝突することなく調和する世界であります。
「一つの王」とは、天之御中主神(幽の幽なる神)−天照大御神(幽の神)−瓊々杵尊(幽の顕なる神)−天皇(顕の神)の系譜を持つご皇室であり、民が君に中心帰一し調和する一君万民の
姿をもって、祭りと政事(まつりごと)とが一つである祭政一致の実相の理想的模型国家が日本国家であります。
その日本国家のあり方が全世界に拡がることが「神意の天に成るが如く地にも成らせ給え」のキリストの祈りの成就ということになるのであります。

 そして、その成就を使命とするものこそ「生長の家」なのだということであります。

『谷口雅春先生を学ぶ』 生長の家入門 平成十六年五月号

1703さくら:2012/12/01(土) 10:29:12 ID:e8ieIrPA
『秘められたる藭示』  谷口雅春 先生

萬教包容の藭示

 キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると云ひ、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると云ひ、天理教では大和の丹波市が世界の中心であると云ひ、天行居では周防の岩城山が世界の中心であると云ふ。世界の中心争ひも久しいものである。

併しわれは言ふ、それらは悉く皆世界の中心であると。一定の場所が世界の中心だと思つてゐるものは憐れなるかな。生命の實相の教へが最も鮮かに顕れたところが形の世界の中心であるのである。そこは最も世を照らす光が多いからである。

基督教でもイエスの教へがエルサレムに最もよく輝いてゐた時代はエルサレムが世界の中心であつたのである。天理教でも教への光が最もよく輝いてゐた時代は大和の丹波市が世界の中心であつたし、大本教でも教への光が最もよく輝いてゐた時代は丹波の綾部が中心であつたのである。わが行きてとどまるところは悉く世界の中心であるのである。

誰にてもあれ生命の實相を此世に最も多く輝かせた處に吾は行きてとどまり其處が世界の中心となるのである。十字架の本地も、卍の本地も悉く日の本にある。『+』もヒノモトと讀み、卍もヒノモトと讀む。いづれも中心より四方に救ひの慈光の放射された相を形どつたものであるからヒノモトと讀むのである。
古藭道ひとすぢで行く、基督教ひとすぢで行く、阿彌陀ひとすぢで行くと云ふやうな人があり、そのひとすぢの所に誠があらはれてゐて喜ばしいが、大抵は自教の外に他教を認め、他と混りたくない意味で云ふのであるから、自分で自分の崇める藭なり佛なりを小さく貶してゐるのが氣の毒である。
本當の藭は一つであり、他の藭と對立するやうな小さな存在ではない。

本當の古藭道は自餘の一切の教を包括するものであり、本當の基督教は自餘の一切の教へを包括するものであり、本當の佛教は自餘の一切の教へを包括するである。そして如何なる教にてもあれ一切の教へを包括する本當の實相に到達したとき『生長の家(たかあまはら)』と云ふのである。それは天爾の『家』であり『巣』であり『統』であつて教ではない。その家の中にあつて色々の教が生きているのである。

本當の古藭道は『生長の家』の内にあり、本當の基督教は『生長の家』のうちにあり、本當の佛教は『生長の家』の内にあり、生命の實相の顕現する所、説かるる所、讀まるる所、その悉くが世界の中心である。

(昭和七年七月七日朝藭示)」

1704「訊け」管理人:2012/12/01(土) 10:50:49 ID:???

『幸福を招く365章』60頁より謹写――

◆悪に対して悪を以てしてはならぬ

 あらゆる物は神の創造であるから、すべてその実相(ほんとのすがた)は善である。若しそこに善があらわれていないならば、それは其の物から吾々自身が善を呼出さないからである。若し吾々がすべての物から善を呼び出すことに成功するならば、すべての物は「善」に姿をかえてしまうのである。善を呼出す秘密の法は、「あなたは善である。あなたは神の子であるから、悪である筈はない。悪に見えるのは私が心の中に悪を描いて見るからで、誠に申訳ございません」と、人に対してでも、物に対してでも、心の中で強く呼びかけることである。悪に対して、暴力や言葉や威嚇で対抗したり、徒(いたず)らに嘆いて見ても何にもならない。


◆悪に抗するなかれ

 今のことを有り難く受けよ。今の事を素直に受けよ。この世の中に無駄な事は何一つないのである。悪しく見える事は、過去の悪しき想念の力が形にあらわれて消えて行きつつあるのである。「悪に抗する心」を起すとき、吾々は「悪」を実在として身構えするのである。「悪」を実在として観る心を起すとき、「悪」の外見的存在は、それを実在と観る心の力に支えられて、却って消えない事になるのである。相手の「悪」を見ないで、その悪と見える仮相の奥に存在する「善」を見よ。「悪」を見て瞞(だま)されないよりも瞞(だま)されても尚相手の善を信ずる者は幸福である。

1705神の子さん:2012/12/01(土) 19:08:35 ID:???
>>1700
iPhoneから打つと毎日IDが変わるんですけど、さくらさんのiPhoneはずっと同じですね

1706ハマナス:2012/12/01(土) 21:23:16 ID:x2zmnlqw

神の子のみなさま
こんばんは。

肉体も本来仏の現成  (『新版 生活の智慧365章』P.302)

 「肉体は無い」「物質は無い」と云うことは、換言すれば、吾々は五官の感覚のよって一切の
存在を翻訳して、それを便宜上「物質」と見、「肉体」と見ているけれども、それは日常生活の
便宜上の翻訳であり、寧ろ誤訳であると云うことができると云うのである。翻訳せずに、その
実相を把握すれば、物質と見えているものは物質ではなく「山川草木国土悉皆、仏の現成(げん
じょう)」だと云うことを意味する。肉体と見えているものもそれを誤訳しなかったら、それは
肉体ではなく神の生命そのものの示現なる霊的実在であると云うことを意味する。

 こうして「物質と見えているもの」が実は物質ではなく、仏の現成であり、「肉体と見えて
いるもの」が実は肉体でなく「霊体」であるとするならば、さて、何処にも物質はなく、肉体は
なく、それを物質と見、肉体と見るのは、迷妄であり、幻想であり、誤訳であると言うことが
できるのである。「物質は無い」「肉体は無い」と云う意味はこのような意味なのである。

感謝合掌

1707ハマナス:2012/12/01(土) 21:52:11 ID:x2zmnlqw

『生命の實相』第38巻  幸福篇下 P.158より謹写

 もっともっと気高く生きよう、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も考えまい、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も為すまい。

 他(ひと)を助けよう、
 他(ひと)のためになろう。
 他(ひと)に愛を注ごう。
 愛を注げば、
 愛が自分に還って来る。

 悪い人というのは本来一人もない、
 地獄というものも決してない。
 悪いことがそこに語られるとき
 そこが地獄であり、
 それを語る人が悪い人である。

 汝の世界に天国浄土を実現せんと欲するならば
 決して人の悪を語るな、
 決して人の悪を思うな、
 天国を目指しつつ人の悪を語るものは
 必ずや穽(おとしあな)に陥って地獄へと墜落せん。


 感謝合掌

1708ハマナス:2012/12/01(土) 22:29:22 ID:x2zmnlqw

光明法語〈道の巻」谷口雅春先生著作集  第1巻

   十二月一日の法語   去私すなわち神

「わが魂の底なる神よ。あなたのみ声を誤りなく聴くことが出来ますように。あなたの
み心が私の心となって顕れてまいりますように。我(が)をなくならしめ給え。わたしの
行いがあなたの行いでありますように」。これが私の祈りである。我がなくなったとき、
其処に神が顕れる。神が顕れたとき、其処には完全円満のみが存在するのである。悪しき
ものは存在しない。それは我の顕れに過ぎないのである。私心を去ったとき唯円満完全
のみがあらわれる。あまり自分でたくまぬが好い。

感謝合掌


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