したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1626うのはな:2012/11/16(金) 18:31:54 ID:AjOElYbo
    ラザロの復活

 キリストがラザロを復活せしめられた原理もそれであります。
『聖書』に書いてあるところのキリストが多くの難病を治したと云う奇蹟は、あんなことは
ある筈がない、嘘なんだろう。あれは弟子がキリストを尊敬して、わざと箔をつけるためにあんな
事を書いたんだろうと云う様な人があるかも知れませんけれども、あんな出来事は実際にあり得るのです。

 今でも「生長の家」の誌友は、現象を超えて「実相」を完全に観る力が強烈であれば馬場久さんのようにできるのです。
それでキリストはラザロを見て、「死せるに非ず、寝ねたるなり」(ラザロは死んでいるんじゃない、生きているんだ)と、
ラザロの「完全な実相」を見給うて、「起きよ」と言われると、四日間も墓の中に入って腐ったようになって、異臭芬々たるラザロが、
むくむくと起き出して治ったのです。

 この場合に注目しなければならないことは、キリストが病気を治された場合にですね、ただの一度も「お前は病気であるから治してやる」と
仰言った事が何処にも『聖書』に書いてないことであります。いつも「床を取り上げて歩め」とか、「起きよ」とか「汝の罪ゆるされたり」とか、
患者の眼に泥を塗って、「汝の目をシロアムの池へ行って洗え、お前は見える」と仰言ったりしているだけで、何処にも病気を治したと云う様な事は
言われていないのであります。

 イエスは病気を見なかった。ただ「完全な実相の人間」だけを見られたのです。
病気を見る世界に於いて病気が出て来る。戦を見る世界に於いては戦が出て来る。争いを見る世界に於いて争いが出て来るのであります。
その逆にですね、「争いなんてないんだ」とこの世界を観れば、争いが無くなるのであります。
ですからキリストが生まれつきの盲の少年を癒され時に、ユダヤ人達があんな者が治す筈がないなんて言っている時に、癒され少年は、
「私を治したのは神の子イエスである」と言う。

 すると、キリストはユダヤ人たちに、「汝等の見ゆと言う罪は遺れり」と言っていられる。
肉眼がひらいて見えると言っている者は、肉眼で見えているところの世界を、病気のある世界を、争いのある世界を妄想によってアルと見ている。
「自分たちは肉眼がよく見えるんだ」と偉そうに言っている者の方が却って盲なんだ。

 これが「汝らの見ゆと言う罪は遺れり」とイエスが言われた意味であります。
現象の争いとか、病気とかは妄想のあらわれに過ぎませんから、そんなものを見ないで、「実相」を深く強く諦かに観たならば、そこには悪いものは
ひとつもないと云う事実があらわれてくるのであります。

『日常生活の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著 P181−182


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板