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聖典引用 板

1648うのはな:2012/11/20(火) 21:26:04 ID:q1/hjc9I
 少しも眼を離すことのできない義兄の状態であった。私が見ていないと、いつ山から跳び降りるかも知れないし、
瀧壺で死ぬかも知れないので、義兄の眠っているすきを見ては、私はお堂の前に坐って、他の人たちから習ったばかりの御経を唱和した。
鉦を叩きながら義兄を思い、姉や姉の子供たちのことを思うと、涙があふれて来た。
その私の心中も知らないで、鉦を叩きながら、「やあ、奥さん、よい声ですね」と、實感か、ひやかしか、男の人が、お経にまぜて叫ぶと、
私はよけい情なかった。

 義兄が私の眠っている間に飛び出さないかと思うと、夜ごとの眠りも浅かった。
その私の許へ、或る日大阪の夫から手紙が来た。なつかしさいっぱいで、宿の机によって開封した私は、読み終えると机上に泣き伏した。
夫の手紙は私に絶望を与えたのであった。
「....毎日控訴院へ通って仕事にはげんで居るが、相当疲れて来たらしく、夜眠っている時は亀臥の姿勢でいるそうである。同室の江上さんが
僕に『君の亀臥の蚊達で寝ているが、その状態では君の寿命は三年ももたない』と言った。年配の江上さんの経験上そう断言したのだろう....」
という意味のことが書いてあった。

 若い私は、そのまま信じたので、山上の宿屋から、高岡市の姉へその通り書き送った。
姉からは世にも悲しい返事が来た。妹の私の不運を憐れみ、姉も私のために涙を流してくれているようであった。
姉と妹とは、たがいの夫の上を思い、手紙の上で泣き合ったのであった。
「義兄さん、しっかりして下さい。貴方は命にかかわりのない脳の病気だけど、雅春さんは三年もたない命なんですよ」
私は義兄に向って、叱るような、はげますような口調で叫んだ。義兄はうつろな眼をして私の言葉を聞いていた。

 “控訴院の仕事が予定より少し早く終ったので、綾部へ帰って来たから、貴女もそろそろ帰って欲しい”との夫の手紙を見て、
私は義兄をうながして高岡へ帰った。夫の許へ出発しようとする私に、姉は、「雅春さんはしょんぼりして居られるでしょう。
綺麗にして帰りなさい。丸髷に結ってびっくりさせなさい」と言った。

 姉の知り合いの髪結いさんへ行って、丸髷に結って汽車に乗った。姉は関野神社前の出店で、“一口茄子”を買って大袋に入れて私に持たせた。
綾部駅のプラットホームに着いた時、果してそこに出迎えいる夫の姿があった。
汽車から降り立った私は、わざと夫の方へ背を向けて茄子の袋をさわりながら、チラと夫の様子を見ると、期待した妻の姿が見えないので、うろうろして
あたりを見まわして居られた。私は可笑しがりながら、サッサと改札口へ行き、そこに立って、あとからやって来た夫にお辞儀をした。
その時の夫の驚き顔は、いつまでも忘れられない。

 二十九歳の時、三年後には死ぬ筈だった夫が、今年は喜壽を祝うことになった。
神様は、壬死できない大きな、重い使命を与え給うたのであった。

(現代字に変更 投稿者) 『人生の光と影』 谷口輝子 先生著


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