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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

881Jルーカス:2003/11/14(金) 13:53
いわゆる折伏を「本尊流布」と言い出したのも創価学会だと聞きます。
ですから創価学会では本尊が無くては信仰が成り立たないと聞きます。
またその影響で、創価学会脱会者の多い法華講では「御授戒」と「本尊下付」
がほぼ同時なところが、多いようです。
しかし古い伝統を守っている寺院では「内徳信仰」でしばらく様子を見てから
じゃ無くては、本尊下付を認めないようです。

882犀角独歩:2003/11/14(金) 16:52

880 Jルーカスさん:

> つい最近まで石山信徒…本尊の無いところでの勤行は行いませんでした

これはそのとおりですね。
わたしも学会から石山に移ったとき、「旅先などで勤行はどうしたらいいでしょうか」と本山役僧に尋ねたら、怪訝な顔をされた経験があります。それはつまり、漫荼羅本尊のないところで勤行をすることはしないからでした。

> 初座の遙拝

いわゆる天拝ですが、これは石山の際だった特徴ですね。
法味を読経で供養する考えでした。
天の上にある善神の社壇を拝む意味ですね。
学会を含む石山系の信徒はまるで意識していませんが、これは神を拝む習慣ですね。

> 顕正会の遙拝勤行

初座の亜流ですか。なるほど。
わたしは丑寅勤行の遙拝勤行の焼き直しかと思っていました。

学会では漫荼羅本尊のない場合は、東に向かったまま五座・三座をやってしまうので、これはたしかに天拝の延長と見えます。顕正会は石山の方角に向かうのではありませんでしたっけ? となれば、板漫荼羅遙拝の亜流となりませんか。
いずれにしても面白いことを思いついたものであると思います。

> 折伏を「本尊流布」と言い出したのも創価学会

これはそうでした。
戸田さんの考えでは「幸福製造機」ですから、一家に一世帯と、こうなっていましたね。形木の仮本尊を世帯(しょたい)と数えていたのを記憶してます。

883顕正居士:2003/11/14(金) 22:40
>>876 ドプチェクさん。

たとえば、プロテスタントにはたくさんの教派がありますが、これはキリスト教を信仰する
方々が集まって教会を設立し、教会が集まって教派を結成しているのです。どの教派で
なければ天国にいけないということはないのです。そういうことをいう人たちはいますが、
それは「カルト」といわれます。ではカトリックではプロテスタントの教会やギリシア正教の
信者は天国にいけないというかといえば、そんなことはいいません。イスラームでも仏教
でも正しい人は天国にいくといいます。こういうのを「カルト」でない、「宗派」といいます。

誤ってカルトに入っても1世信者はみずから信じたのだから、つらい思いは残りますが、
自分の責任と考えて立ち直ることが容易です。2世信者は信じていないのに三つ子の魂
に余計なことを刷り込まれます。刷り込みはおもに両親がおこなったのですから、ながく
親子の葛藤が続きます。親子が仲良くなければ、経済的な達成を非常にさまたげます。
しかし恨んでもしかたがありません。恨みは別のカルトへの入信の動機になり得、循環
いていくでしょう。「何者か是れ罪、何者か是れ福、我が心自ら空なれば罪福も主なし」。
文明開化の世には聖典を解釈した学者の本はあふれています。「学会や正宗関係以外
の様々な書籍」を読んでいくのが、何といって、もいちばんの妙薬であろうとおもいます。

884犀角独歩:2003/11/15(土) 13:45

最近はどうも自己レスが多くて恐縮です。

879に漫荼羅本尊の授与・下付・販売、あるいはご開帳に代価を支払うことは当然ではないだろうか、と感想を述べました。

けれど、このことと、教義・修業が金銭とつながって良いのかという点では、わたし個人はまったく別に考えています。

シャキャムニ在世の初期教団では金銀宝石による布施その他は厳しく禁じていましたし、一切の営利行為を禁じていたわけです。

けれど、シャキャムニ滅後100年後頃には、金銀で布施を受け取ることを容認する一派が生まれ、結果、その系統が今の大乗仏教になっていったように見えます。いわば、蓮師のその系譜に連なる故に供養を銭(あし)で受け取っていたわけです。以来、700年、この点はむしろ増強され現在に至っています。

教団の発展に、集金は欠かせない活動である反面、純粋な宗教信条から見るとき、では、どうであろうかという点は、よくよく熟考されるべき点であろうかと思います。

日を置いて、自分の書き込みを読み、不足を補わせていただきました。

885ガンコ:2003/11/15(土) 15:04

白米一俵御書を拝して

「命は法華経にたてまつる」が大聖人の御振る舞いあって、また、「されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もをしまず修行して」ということですから、これが仏になる為のあるべき修行のすがたなのだろうと思いますが、白米一俵御書に仰せのことは、とても凡夫には大聖人の御振る舞いをまねすることはできないけれども、まごころの御供養を申し上げるならば、それはそのまま命をたてまつるにひとしい功徳があるとの御意かと存じます。

結局のところ、これが今日、あらゆる教団の集金システムに利用されてしまっているのでしょう。

どこの教団が正統派であるかは別の問題として、現代の資本主義社会の中で、とりわけ税制の優遇を受けていて、はたして大聖人がおよろこびあそばすものかどうか、はなはだ疑わしいものですが、しからば今日において、事供養・理供養の仰せはどのように拝するべきなのか、教団に利用されない為には、大聖人にちょくせつ御供養申し上げるしかないわけですが、それは具体的に何をどうすればいいのか・・・なかなか難しいものがあります。

御法門を学んでいるだけでは、大聖人の御意にはかなわないような気がします。

結局のところ、大聖人の御意にかなう信心とは何かを学んでいる段階ということなのだろう、とあらためて確認した次第です。

886犀角独歩:2003/11/15(土) 16:00

ガンコさんがわたしの話に耳を傾けるかどうかはわかりませんが、蓮師の供養の精神は、「沙餅」に所詮されることでしょう。

「阿育大王…釈迦仏にすなのもちゐを(沙餅)をまいらせたりしゆへに、かゝる大王と生まれさせ給ふ」

というところにその精神を見るのだと思います。

この点は有師『化儀抄』にも現れています。

「一、人の志を仏聖人へ取り次ぎ申さん心中大切なり、一紙半銭も百貫千貫も多少ともに志の顕はし物なり、あらわす所の志は全く替るべからず、然る間同等に多少軽重の志を取り次ぎ申すべし、若し軽重の心中あらば必ず三途に堕在すべし云云」

887犀角独歩:2003/11/15(土) 16:03

なお、成仏の要諦は、菩薩道にあるというのが法華経に説かれる次第です。
組織・集団に金を出すことは成仏とは何の関係もないことだけは間違いのないことでしょう。

888ガンコ:2003/11/15(土) 16:25

>ガンコさんがわたしの話に耳を傾けるかどうかはわかりませんが

もちろん、傾けてますって。もう、傾きすぎて倒れそう。(だいたい884を受けている内容でしょうに)

889三学無縁:2003/11/15(土) 21:49
勤行といえば、石山の勤行にどのような意味があるのでしょうか。
勧請も奉上も開経偈もなく、いきなり方便品で始まり、終わりが観念文だなんて儀軌がありえるものでしょうか。
しかも、石山の法華経は日蓮さんが読んだ春日版法華経でもありませんよね。
読み方にしても現在の読みは「漢音」であって「呉音」ではありません。
これで日蓮さんから変わらぬ化儀だと言えるものでしょうか。

以上は、批判ではなく、疑問に思っていることで、皆様のご意見を伺えればと思います。

890ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/17(月) 02:37
日真名氏飛び出すさん 犀角独歩さん


日真名氏飛び出すさん

>>878

>本尊は、江戸時代から商売道具でしたよ。
>ご開帳、というのが典型的ですが、由比正雪の書いた模写本尊は
>真筆そっくりで、それを売って軍資金を作っていたといいます。

江戸時代の頃から御本尊を商売道具に、しかも、軍資金の調達の為にやっていた事があるとは、あまりも動機が不純ですね。
由比正雪は、日蓮系の信者だったんでしょうか?

>石山にしても、ご供養金をもらえば賞与本尊を出していたし、
>古い法華講の家には何幅も本尊があります。

僧侶の生活と寺院の運営の為であったとしても、御本尊を単なる商売道具として利用するのは、明らかに宗祖日蓮聖人の本意に反する行為だと思います。
創価学会は、ずいぶん前に機関紙で法華講員の家に何幅もの御本尊があった実例を取り上げて、日蓮正宗を批判していたように記憶していますが、しかし、そう言う自分たちにしろ、日顕上人の御本尊から日寛上人の御本尊への取替え運動をやったり、新入会者に対して通常の御本尊より若干金額が上である携帯御本尊を授与したりしているのですから、彼らがいかにもっともらしい理屈を口にしようとも、実際には金儲けの手段なのであり、法律に触れなくても、詐欺商法の手口のようなものではないかと。

>身池対論以降は、池上でも京都でも形木本尊は
>門前市の土産物になってしまったわけです。
>身延おそるべし、ですねえ。

原物を目にした事はないものの、これも何年か前、創価学会の機関紙で取り上げられていたのを憶えています。
それにしても、御本尊を土産物として売るなんて、いったいどういう神経をしているのかと思ってしまいます。
それでは、日蓮系の信者以外の人たちや信仰心のない人にとって、御本尊は信仰の対象ではなく、神社で売られているお守りや絵馬のような事実上の飾り物、あるいは、単なるアクセサリー程度の存在にまで御本尊の意義、値打ちを下げてしまっている事になりますよね。
日蓮聖人が、ご存命であれば、大いに憤怒されて嘆かれるのではないでしょうか。
ただ、そのような形で売られてはいても、御本尊を持っていない信仰者にとっては、非常にありがたいものという事になるのではないかと、そんな風にも思ってみるのですけどね。


犀角独歩さん

>>879

>ところで、ここの論客さん達との議論で、いちばんヘビーパンチと
>感じたのは三学無縁さんが「日蓮さんは漫荼羅を拝んでいたのか?」
>という投げかけでした。目から鱗が落ちるとはこのときのことで、
>以来、本日に至るまで、蓮師が漫荼羅を拝んでいたと確信できる証
>拠を発見できずにいます。

それは初耳で、まったく意外だったと言うのか、正直、これまで考えてみた事もありませんでした。
日蓮聖人は、伊豆流罪の時に地頭の伊東八郎左衛門の病悩を祈祷で治癒したお礼としていただいた、釈迦像を生涯に渡って保たれていたというお話ですので、もしかすると、釈迦像を拝まれていた事は考えられるのではないか?と思ってみます。
しかし、曼荼羅を拝まれていたのか?という事に関しては、どうなんでしょうか・・・?
だったら、聖人は、いったい何の為に曼荼羅御本尊を数多く顕わされたのか?と思ってしまうのですけど・・・

>けれど、元来、勤行するために本尊があるのではなくて、そこに本尊が
>あるから勤行をしていたわけですね。このわたしの言い回しにピンとこ
>ない人もいるかも知れません。もう少し正確に言えば、勤行は自分のた
>めにするのではなくて、本尊のためにするものであるという意味です。
>こっちが元意であったでしょう。

>自分のためにしてなにが悪いと言われればそれまでですが、そのような
>言い合いをしたいわけではなくて、わたしが興味があるのは、本来、本
>尊のためにする勤行が、いつから自分のための勤行になったのか。また
>本尊のないところで勤行をするようなことがいつ頃か起こりだしたのか、
>ここに変遷があるという歴史認識の必要性のほうです。

勤行は本尊の為にするものですか・・・
正直、私には、どうもピンと来ません。
その昔、宗創戦争が起る以前のマインドコントロールされていた頃の私であれば、紙幅に顕された“御本尊それ自体”(印刷された複製のものも含めて)に、何かスーパーパワーか魔力のようなものでも具わっているかのような捉え方をしていた為、そういった考えを持っていたのですが、しかし、今では、そのような捉え方をしていないのです(決して、御本尊を粗末に扱うという意味ではなく)。
もしかすると、私の場合、例の松戸行雄氏の著書を読んだ影響もあるのではないか?と思ってみるのですが。

891ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/17(月) 02:39
犀角独歩さん 顕正居士さん


犀角独歩さん、続きです。

日蓮聖人ご在世当時、本尊や勤行に関しては、いったい、どのような捉え方をされていたのでしょうか?
また、当時の信徒の基本的な信仰形態、なかんずく、御本尊を授けられていなかった人や、聖人が御本尊を顕される以前のそれは、いかなるものであったのか?と。
もしかすると、本尊を拝む事を中心とした信仰ではなく、お題目を唱える事が主体になっていたのでしょうか?

>「漫荼羅本尊が商売の道具」というご意見がありますが、では、その
>創案者・蓮師自身はどうであったか。漫荼羅を図し、授与する場合、
>必ず供養返礼を受け取っていたことは想像に難くありません。しかし、
>それが否定されることかと言えば、そういう意味ではありません。紙
>・筆・墨が高価な時代、ただで書をもらおうと考えるほうが、むしろ
>非礼であったろうと思えるからです。

そういうのであるのなら構わない、と言うよりも、むしろ、御本尊を書写して下さった(たとえ、それが印刷によるものであったとしても)僧侶に対して、信徒が供養をするのは当然の事だと思います。
それに、僧侶の生活と寺院の運営には、信徒による供養は必要ですから(この事は、宗教団体においても)。
ただ、どこの宗派・教団であろうとも、何かに託けて信徒・会員に必要以上の供養をさせたり、様々なものを購入させたり、あるいは、奉仕という名目でやたらとタダ働きをさせたりする事により、上の人間たちが贅沢三昧な生活をするようなあり方は、明らかに宗教者としての、否、人間としてのモラルに反する間違った行為だと思うのです。


顕正居士さん

>>883

>どの教派でなければ天国にいけないということはないのです。
>そういうことをいう人たちはいますが、それは「カルト」と
>いわれます。ではカトリックではプロテスタントの教会やギ
>リシア正教の信者は天国にいけないというかといえば、そん
>なことはいいません。イスラームでも仏教でも正しい人は天
>国にいくといいます。こういうのを「カルト」でない、「宗
>派」といいます。

ならば、日蓮正宗・創価学会・顕正会は、モロにカルト宗教という事になるわけですね。
以前、フランスの議会で創価学会(SGI)が、カルト宗教として認定されたとかいったような情報に接しましたし、アメリカでも、また、ベルギーかどこかでも同様の事があったとか。
それらの日蓮系カルトのルーツを遡って行くと、どうしても宗祖・日蓮聖人へまで辿り着く事になると思いますし、現代的な視点で以って考えれば、鎌倉時代当時の日蓮教団は、多分、カルト宗教として映ってしまうのではないか?と。
しかし、現代とあの頃とでは時代背景がまったく異なっていますし、あの当時、聖人があそこまで過激で排他的になられたのには、何らかの理由があったのではないか?と思っているのですけど。

それと、お話が外れてしまいますが・・・
法華経信仰者であった宮沢賢治は、若い頃、所属していた国柱会の影響を強く受けたせいなのか、かなり排他的な日蓮思想の持ち主だったようですけど、しかし、晩年においては、むしろ他の宗教と共存して行く方向を目指したり、総合宗教的なものを夢見ていたりしていたと、何かの書籍で読んだ事があります。
それでも、賢治の晩年の作品である「銀河鉄道の夜」の中には、「ほんとうの神様は、たった一人」という台詞が出て来て、また、主人公が所持していた切符に記されていた謎の文字は、「南無妙法蓮華経」を意味していたのだそうですから、やはり、その根底においては、法華経が最も優れた教えだと思っていたのではないか?と。

>文明開化の世には聖典を解釈した学者の本はあふれています。
>「学会や正宗関係以外の様々な書籍」を読んでいくのが、何
>といって、もいちばんの妙薬であろうとおもいます。

最近は、学会と正宗の関係のものに接する事などほとんどない私なのですが、もっと様々な書籍を読んで行かなくてはなりません。
難しくって、なかなかアタマの中に入りませんが、自分なりに少しずつでも読んで行こうと思います。


こちらで、皆さんの色々なご意見に接し、何だか、ますますわからなくなって来ました。
すでに、創価学会に対して相当に批判的な考えで、もはや、辞めているのに等しい状態の私なのですが、しかし、長年あそこに身を置いて来た為、もしかすると自分では無意識のうちに、信仰の捉え方・考え方が創価学会的になっているところがあるのかもしれない?と、そんな風に思ってみます。
長い割には、自分でも何を言いたいのかがわからないような書き込みになってしまいまして、すいませんでした。

892犀角独歩:2003/11/17(月) 12:25

ドプチェクさん:

> 御本尊を単なる商売道具…宗祖日蓮聖人の本意に反する行為

もっともなことです。
ここで重要な点は、一つの集団のなかでもっともらしい理由をつけて「本意に反する行為」がどのように正当化されているのかを見抜く眼力を養うことであると思うわけです。
組織、指導者のやることは絶対で間違いがないとその判断能力を他者に委譲してしまい本質が見えなくなることを第三者心理操作、すなわち破壊的カルトマインド・コントロールにおける“思考停止”というわけでした。

> 創価学会…法華講員の家に何幅もの御本尊があった

家に漫荼羅が複数あることをあたかも謗法の如く扱う学会の論調は理解に苦しみます。
例えば、学会本部内にはいったい何体の漫荼羅本尊が安置されているわけでしょうか。
「一家一世帯の御本尊」は創価学会独自教義に過ぎません。
何の根拠もない言いがかり以上の何ものでもありません。
むしろ、何百年も石山とその末寺檀家であった人々にとって、複数の漫荼羅本尊を所有することは誉れでこそあれ、非難される謂われなどまったくないことでしょう。

> …法律に触れなくても、詐欺商法の手口

わたしも同感です。
たしかに商業法規その他の一般法には抵触しませんが、仏法からみた詐欺詐称行為であるとわたしにも思えます。

> 御本尊を土産物として売る

これは信仰観の相違ではないでしょうか。
たとえば、国によっては国王の写真を撮ることを厳重に禁止している国があります。
しかし日本人からすれば、何がいけないのかピンときません。
そもそも漫荼羅本尊観が相違しているのでしょう。
わたしは複製反対の立場ですから学会を含む石山系グループが複製漫荼羅を濫造することにしても蓮師の素意を冒涜していると思います。
しかし、ここの信者でわたしの憤慨を理解できる人は少ないでしょう。
土産物、ラミネート、携帯、みな同じ不敬と映じます。
なお、余談ですが、わたしが身延の境内売店で見た印刷漫荼羅は文字は蓮師の筆のようでしたが、本尊集などで掲載されていないものでした。たぶん、蓮師の筆跡を真似た臨写を複製縮小、表装したものであると判断できました。

> 御本尊は信仰の対象ではなく、神社で売られている
> お守りや絵馬のような事実上の飾り物、あるいは、
> 単なるアクセサリー程度の存在にまで御本尊の意義、
> 値打ちを下げてしまっている事になりますよね。

恐縮ながら、わたしはこの見解には反対です。
ドプチェクさんからすれば、社務所で売られるお守り、絵馬は飾り物、アクセサリーと映じるのでしょうが、そこに願をかける人々にとっては信仰の対象であるからです。
これらの人々にとってお守り、絵馬は富士門信徒の漫荼羅を仰ぐ信仰心と何ら変わらない恭敬をそれらの品々に懐いていると想像できます。

> 日蓮聖人が、ご存命であれば、大いに憤怒

この点については、わたしは賛同します。
ただ、ドプチェクさんとわたしの違いは複製の是非という点で分かれるのでしょう。

> 御本尊を持っていない信仰者にとっては、
> 非常にありがたいものという事になるのではないか

この文脈はお守り・絵馬に掛かるのでしょう。
このような客観的な視点は実に重要ですね。
ですから、わたしも「(複製漫荼羅)御本尊を持って“いる”信仰者にとっては、非常にありがたいものという事になる」ことは理解できます。

893犀角独歩:2003/11/17(月) 12:26

―892からつづく―

>> 「日蓮さんは漫荼羅を拝んでいたのか?」
> それは初耳で、まったく意外だったと言うのか、
> 正直、これまで考えてみた事もありませんでした。

ほとんどの学会を含む石山系グループの教学圏にある人はそうでしょう。
それだからこそ、わたしも三学無縁さんの慧眼に驚いたわけです。

> 伊豆流罪…伊東八郎左衛門の病悩を祈祷で治癒したお礼…

この伝説が事実であるかどうかはわかっていませんね。
一節に拠れば、蓮師は伊東流罪の折、海の浮木を得て、自ら仏像を刻みそれを随身一体仏としたとも言います。わたしはこの説に心を傾ける一人です。そして、ここで重要なこと、蓮師は漫荼羅図示のみならず、この説が正しければ、仏像をも彫像していたと言うことになります。

> 釈迦像を生涯に渡って保たれていた

これは真跡からも確認できる事実ですね。

> もしかすると、釈迦像を拝まれていた事は考えられるのではないか?

「もしかすると」ではなく、蓮師が拝まれていたのは紛れもなく、随身一体仏です。
それ以外には考えられません。
もし、その他に拝まれていたものがあるとすれば、その仏像御前に置かれた妙法蓮華経八軸二十八品をも拝まれていたでしょう。すなわち「南無妙法蓮華経」ということです。

> 曼荼羅を拝まれていたのか?という事に関しては、
> どうなんでしょうか・・・?

さて、どうでしょうか。
この明証を得たいと切望するばかりです。

> 何の為に曼荼羅御本尊を数多く顕わされたのか?

この点、真跡からわかるのは「御守」本尊として授与が筆頭に挙げられますね。
ついで、妙法五字本尊を漫荼羅形式をもって図して示した。
この二点は疑問の余地はありません。
あと、ちょっと、いま手元に資糧がありませんが、桐谷師などは、弟子に講説するにあたって、説明のために漫荼羅を使った形跡が見られると記していました。
しかし、拝んでいたかどうか、その資糧を今のところ、わたしは確認できないでおります。

学会を含む石山系グループの本尊観の濫觴はもちろん、興師にその遡型を見るわけですが、わたしは最近、この興師の漫荼羅観こそ、実は蓮師から飛躍した独自解釈であったのではないのかと疑いだしています。

先にドプチェクさんが、愛猫の遺骸に上行始顕本尊(万年救護)の複製を覆って埋葬された体験を記されていました。その際、批判される可能性を紙背に記されていましたね。
これはつまり、重須文献の

「一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼陀羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賤する間・多分は以て失せ畢んぬ」

という思想背景に基づく批判に構えられたと言うことですね。愛猫ですが、そのお気持ちは「覆うて葬る」に当たることになります。これを富士では非法としてきたので、批判される可能性をドプチェクさんは感じられたわけでしょう。

わたしは、この文献を通じて、重須の在り方とともに、日蓮門下一般の漫荼羅に対する意識も垣間見られると思うわけです。つまり、「曼陀羅」と呼んでいたこと、死人に覆う葬儀の法具としていたことの二点です。三点めの「沽却」、すなわち売り払うは論外なのでここでは割愛します。

蓮師の曼陀羅には、そもそも自筆で「漫荼羅」と記されているのに、この重須文献では「曼陀羅」と呼ぶことを非難し、「本尊」とすべきとしているわけです。この見解は現在の富士門一般は宗是とするわけですが、しかし、よくよく考えてみると、このこと自体、実は興師独自の見解であったのではないのかと疑えます。しかし、従来、蓮師以降の考えはそうではなかった。蓮師自身も「漫荼羅」と書され、門下も漫荼羅として扱ってきた。あるいは御守りとして扱ってきたということです。それ故、故人の成仏を願って、死出葬送に遺骸とともに埋葬することも行われていた。

894犀角独歩:2003/11/17(月) 12:27

―893からつづく―

これが重須の“独自教学”以前に垣間見られる門下の蓮師の漫荼羅観であったと思える節はあります。つまり、漫荼羅は曼陀羅であって、本尊として扱われていなかったのではないのかということです。

> 勤行は本尊の為にするものですか・・・
> 正直、私には、どうもピンと来ません。

やはり、そうでしょうね。
わたしが学会から石山に移って、いちばんビックリしたのはこの点でした。
また、なにより、学会時代は勤行の際の「御観念」をまるで意味もわからず、“おまじない”のように唱えていたことに気付いたわけです。
いまの学会教本がどうなっているのか知りませんが、石山の経本では観念の次第は、神への法味供養、本尊(漫荼羅)供養、三師(蓮興目)並びに歴代への法要供養、広宣流布祈念、謗法罪障消滅、諸霊回向の次第です。この中で自分のためにしているのは、実は「謗法罪障消滅」一つだけです。
こう記すと「いや、自分の祈念もしている」という人はいるかも知れません。しかし、改めて、経本を見直していただければわかりますが、石山で言う祈念とは「広宣流布大願成就」一点であって、そのために各人の謗法罪障消滅が条件となっているという構造になっており、個人の欲求を祈念する余地は、勤行次第のなかには実は含まれいません。ですから、所願成就は、別途、寺院に願い出ることになります。これはつまり祈祷師、自分本人ではなく、蓮師以来、師弟子の道を継ぐ出家にあらざれば適わないという伏線もあります。

横道に逸れました。ともかく、以上の勤行次第は元来、諸堂バラバラで営まれていたものを中世に一点集中化して手抜きに仕上げた結果でした。

元来は、天拝は露地に土壇を設け野外で行い、三師供養と言えば、それぞれの御影像に行い、ついで漫荼羅本尊に向かい、それぞれ勤め行われていたのでしょう。

このような勤行次第は神仏供養、漫荼羅本尊供養、祖師供養を意味したものであって、各人の願望成就を祈念する「祈祷」とは明らかに分別されたものであったのが祖型でしょう。

勤行が、自分たちの願望成就の手段であるというのは、実は創価学会によって刷り込まれた常識であったことに、信心35年にして初めて気付かされたわけです。
ですから、ドプチェクさんがこの点にピンとこないのも致し方のないことであると思うわけです。

> …松戸行雄氏の著書を読んだ影響

この点はわたしはちょっと意味を取りかねます。

> 日蓮聖人ご在世当時、本尊や勤行に関しては、
> いったい、どのような捉え方をされていたのでしょうか?

本尊は、蓮師所持の釈迦一体仏像を久遠本門釈尊。そして、法華経(妙法蓮華経)。
勤行は、原則的には比叡山の法式に則りながら、蓮師は独自に方便・寿量の両品のみの読経説を立てていたのではないでしょうか。(いやしかし、わたしは浅学ですから、方便寿量読誦を蓮祖義と即断してしまいますが、そのアイディアは蓮師はなにがしから採ったものであるかも知れませんが)

895犀角独歩:2003/11/17(月) 12:27


> 当時の信徒の基本的な信仰形態
> 御本尊を授けられていなかった人
> 聖人が御本尊を顕される以前
> 本尊を拝む事を中心とした信仰ではなく、
> お題目を唱える事が主体になっていたのでしょうか?

この疑義の立て方のなかにも、不躾ながら、ドプチェクさんのなかに胚胎す学会を含む石山系グループによって刷り込まれた“常識”が胚胎していると感じるわけです。もちろん、けっしてドプチェクさんが軽んじ、批判しているわけではありません。同一信仰に属する人々すべてに相通じる問題点です。

学会布教以降、信者といえば本尊(漫荼羅)安置が当然という刷り込みです。
わたしはこれはまったく論外であると思っています。
これまた三学無縁さんと主に語り合ったことですが、漫荼羅は勧請の法具として取り扱われていたのではないのかとわたしは想像しています。
つまり、道場で修業するとき、諸尊勧請を漫荼羅奉掲をもって行うということです。
当時のお弟子の多くは天台宗寺院に寄宿していたわけです。ですから、自らが修業するときには漫荼羅奉掲・勧請をもって道場を荘厳(しょうごん)したのであろうと思うわけです。言い換えれば、漫荼羅奉掲の場所は林中であれ、園中であれ、道場として荘厳されるということです。
しかし、このような用途は、蓮師門下でも特に出家、あるいは入道・尼という僧門に係る弟子のみの用途であったのではないでしょうか。
日蓮信者であれば=本尊安置などというのは現代の常識に過ぎません。
仰るとおり、「但行唱題」こそ、中心であったのではないでしょうか。

ここで石山の“常識”を一つ開陳します。唱題も石山では漫荼羅本尊の前以外で行わないのが宗是です。これしかし、わたしは蓮師の祖意とまったく違っていると思うわけです。

> どこの宗派・教団であろうとも…
> 人間としてのモラルに反する間違った行為だと思うのです。

この点に関してはもちろんのこと、まったく同感です。

896福田里敏:2003/11/17(月) 14:08
犀角独歩さん
>漫荼羅は曼陀羅であって、本尊として扱われていなかったのではないのかということです。
石山系での、刷り込みのせいでしょうか?これは、納得できません。本尊抄は、どの様に捉えられていますか?ご教示下さい。
その他は、学会を抜けて、本門法華堂に移ってから理解できるようになりました。

897犀角独歩:2003/11/17(月) 15:19

福田さん:

はじめまして。
仰せの『本尊鈔』の捉え方とは、どの部分のことでしょうか。
一鈔の元意は本尊とは、観心の本門本尊久遠五百塵点成道の釈尊であると存じます。

しかし、福田さんが仰りたいのは以下の文のことでしょうか。

「其本尊為体 本師娑婆上宝塔居空 塔中妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏 釈尊脇士上行等四菩薩 文殊弥勒等四菩薩眷属居末座」

ここにおける既述が図示漫荼羅の相貌を表しているので、漫荼羅は本尊であるという富士門一般の解釈からの疑問でしょうか。
この点については、一年前『現在の日蓮正宗の教義について』で議論したところです。
一読をいただければ、と思います。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/kyogi.htm


やや、略して申し上げれば、ここでいう本尊とは釈尊を指してのことであるとわたしは思います。漫荼羅の相貌を指していないというのがわたしが主張したことです。
その理由は至って簡単です。上述の句節の結論は「未有寿量佛 来入末法始此“仏像”可令出現歟」となっているからです。

第一、『本尊鈔』のこの一節が漫荼羅本尊の相貌であるというのであれば、何故、不動・愛染の梵字による記述、ならびに四大天王など、その他、蓮師漫荼羅を特徴づける特異点に何ら既述されるところがないのでしょうか。

以上が昨年、勘案したところでした。
しかし、このころ、わたしは「法華経の題目を以て本尊とすべし」と記される興師古写本しかない『本尊問答鈔』に疑義を懐いていました。けれど、いまは題目本尊という趣旨にやや傾いているところはあります。その意味から『本尊鈔』を再読するに「其本尊為体」の直前の文章、

「此本門肝心於南無妙法蓮華経五字佛文殊薬王等不付属之 何況其已下乎 但召地涌千界説八品付属之」とあることから、『本尊鈔』上述箇所に言う本尊とは既に妙法五字を指しているとも読めると再考しているところはあります。

しかし、この場合でも本尊は妙法五字なので、漫荼羅全体を指して本尊という如きは了承できるところではありません。

なお、寛師が、仏像に対する勝手な解釈をわたしは採りません。
板漫荼羅宣揚、蓮師の既述の元意枉げる勝手解釈と思うからです。

疑義の点と的外れでしたら、今一度、お尋ねください。

898福田里敏:2003/11/17(月) 15:44
犀角独歩さん
ありがとうございます。指摘された箇所です。
>不動・愛染の梵字による記述、ならびに四大天王など、その他、蓮師漫荼羅を特徴づける特異点に何ら既述されるところがないのでしょうか。
確かに、そうですね。一部の本尊以外は、不動・愛染がありますから、確かに、言及されていないのは、おかしいですね。

後、一点、関師の論文等は、読まれたことがありますでしょうか?ありましたら、御感想を、お聞かせいただければ、ありがたいです。本門法華堂に対する、ご意見でもかまいません。何せ、話題にならない団体ですから・・・

899犀角独歩:2003/11/17(月) 16:20

福田里敏さん:

> 関師…本門法華堂

もの知らず、嗤われかねませんが、よく存じ上げません。
いま、ネットで検索したところ、

「法華堂は、日蓮聖人の正意が仏本尊(釈迦本仏・日蓮本仏)ではなく、曼荼羅に表される法本尊であると主張しています」

との説明にしか当たれませんでした。
この説明が当を得ているかどうかわかりませんが、法本尊のみでは“仏・法”とならないと思えますが、この点はどのように関師はお考えなのでしょうか。

仏像嫌いの石山系では、どうも釈尊をも嫌う傾向にありますが、生涯随身された仏像を死後も傍らに置かれることを望むほど、蓮師は釈尊への恭敬の念が強かったと拝します。

その仏を離れて、法のみを正意をなすというのは、わたしには感覚的にわからないところがあります。いわば、御書を正意とするが、日蓮は要らないと言うことと何ら違いを感じないわけです。

もっとも、これはネット数文字の文章から推し量った勝手な感想です。
外れていましたらご容赦ください。

関師、また、本門法華堂につき、少しレクチャーを賜れますでしょうか。
また、何か推薦のものがあれば、拝読させていただきたく存じます。

900犀角独歩:2003/11/17(月) 16:38

重ねて福田里敏さん:

いま、ネットで「関慈謙」師で検索したところ、早坂鳳城師の文章で引っかかってきました。

「正信会から離脱した法華堂がございます。関慈謙師がいる百名前後の集まりです。西宮市の鹿砦社編集発売を依託しています。『日蓮正宗の総合的研究』の中では、日蓮本仏論の批判論文も掲載しています」

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho34/s34_140.htm

わたしの手元に復刻の『板本尊偽作論』があります。
「日蓮正宗と創価学会の実態/安永弁哲【著】元立正大学教授/【発行】正理研究会/【発売】株式会社鹿砦社」となっています。

正理研究会、鹿砦社、この関係から、石山教学への真面目な論考の線はまるで見えてきません。関慈謙師と鹿砦社の関わりは如何ばかりのものでしょうか。

901顕正居士:2003/11/17(月) 17:49
>>891 ドプチェクさん。

キリスト者とは「使徒信経」を告白する者であり、この中に
「Credo in Spiritum Sanctum, Sanctam Ecclesiam Catholicam,
我は信ず、聖霊と聖なる公同の教会を」とある。
http://www.ne.jp/asahi/hosanna/angel/inori/oratio/credo.htm
公同の教会 Ecclesiam Catholicam は見える教会の一つである西方カトリック教会のことで
はなく、唯一の聖なる普遍の unam sanctam catholicam 「見えない教会」を指す。
したがって公同の教会を信じないグループはキリスト者ではなく「異端」であり、今日的には
「カルト」と呼ばれる。フランスの反カルト法は、建前上は「使徒信経」を告白するが、実質が
異なっているグループ(福音派、聖霊派)を大量に監察対象にしました。

同じように、仏教者とは「三帰依文」をとなえる者であり、この中に
「Sangham saranan gacchami 我はサンガに帰依したてまつる」とある。
http://village.infoweb.ne.jp/~zaike/e/e.html#top
サンガは「師僧」(グル)の意味ではなく、また何山とかのことではなく、「公同の仏教会」を
指す。したがってサンガを信じないグループは仏教者ではなく「附仏法の外道」であり、今日
的には「カルト」と呼ばれる。
日蓮は三大秘法の中に「戒壇」をいい、「公同の仏教会」の意識はあった。その一員としての
発言であったから、正式に罰せられることがなかったともいえよう。ただし個人にあてた手紙
は別である。私信の公開は霊山の日蓮にとって迷惑な事柄であるかも知れない。
宮沢賢治は国柱会の「文芸布教」を実行しようとした。奔放な発想と信仰が両立しえたのは
国柱会は国柱会を宣布する団体でなく、「日蓮主義」を宣布する団体だったからでしょう。
「見えない神」は唯一であり、「見えない教会」もまた唯一といい得るからです。

902みかん:2003/11/17(月) 19:07
>>900 独歩さん
鹿砦社はもともと新左翼系の出版社で(エスエル出版会)、
いまは金になることなら何でもするようで、
ジャニーズのおっかけ本とかで有名なのはご存じの通りです。

で、出版コードのない出版元の本を代行して取次に取り次ぐ
こともやっているので、法華堂も単にコードを借りただけだと思いますが。
出版コードや取次の口座がないと、書籍は流通ルートに流せませんからね。
多くの出版社がやっていることです>出版コードの貸し借り。

で、法華堂は、
http://web.archive.org/web/20010723233024/http://www.hokkedo.org/
昔HPがありましたので、ご参考までに。
関氏の本は一冊だけ読んだことがありますが、まぁまじめな方なのだろう
という感想でした。あと、倉光遵道氏には一度、同じ会合で同席したこと
があると思います。倉光氏は覚えていないと思いますが。

903犀角独歩:2003/11/17(月) 19:55

902 みかんさん:

鹿砦社、この出版社、立ち上がりの頃、何かすごく悪い印象があるんですよ。何でしたか、思い出せませんが。

出版コードの件、この業界の遣り取りはよおくわかっているところです。が、しかし、なんでまた、この出版社なのか?という疑問です。
もっとも、先ほど、本棚をひっくり返してみたら、『現今の創価学会問題と『本尊模刻事件』について』という小冊子の発売元が、ここ鹿砦社でした。奥付を見ると「平成3年3月発行/静岡県伊東市富戸908/宝地寺/猪又法智」となっていました。反面、先に記したとおり、『板本尊偽作論』の復刊、なんとも出版姿勢に仰るように、節度も何もありませんね。

> 法華堂…昔のHP

見てみました。
『法華堂綱領』
 http://web.archive.org/web/20010723233024/http://www.hokkedo.org/

参考になりました。
有り難うございます。

904犀角独歩:2003/11/17(月) 20:47

ついで、福田さん:

みかんさんがHPを紹介してくださったので、一瞥させていただきました。福田さんには悪いですが、わたしにはこれが仏法とは見えません。
ただ、こう書いただけでは単なる悪口なるので、少しだけ。

> 宗祖日蓮聖人の創唱された南無妙法蓮華経の信仰

南無妙法蓮華経の信仰はないと思います。あるのは妙法蓮華経への南無する信仰ではないでしょうか。また、これは蓮師の創唱であれば、三国四師ではなくなり、蓮師の自称と食い違うことになります。

> 無仏の時代…末法…「法」を本尊

法本尊なる教学は、そもそも蓮師とは無縁であって、人本尊・法本尊というのが滅後後世の教学であるとわたしは思います。また、『本尊問答鈔』で見る限り、蓮師の本尊観は法本尊ではなく題目本尊です。題目が法であるというのは短絡以外の何ものでもありません。妙法は法でしょうが、妙法蓮華経は経です。ですから、題目本尊とは経本尊でこそあれ、法本尊ではないはずです。
なお『本尊鈔』でみれば、もちろん、久遠釈尊本尊です。
また、末法無仏は他の教学圏でも散見しますが、そもそもこれは、例えば『本尊鈔』の「不生不滅」その根拠となる寿量品の「常住此説法」に違反します。

…宗祖の弘通も、ただ「法」の流布になる。

これまた、法本尊という脈絡からの結論で、蓮師の真意とは思えません。

> 南無妙法蓮華経の信仰においては「法」と「仏」は根本的に相容れない

佛と法が相容れなければ、仏法にはならないでしょう。わたしには言わんとすることがまるで理解できません。

> 本仏思想、及び、本仏思想的要素のあるものは、すべてこれを排除…

こうなると、法華を本門・迹門と立てる天台義を廃することになり、『本尊鈔』の「寿量佛」が成り立たなくなります。蓮師には寿量佛という本迹の捌きから見る本門佛思想家であったはずです。

> 「仏」を捨てて「法」を取る

こうなると、仏教ならぬ、法教とも言うべきものであって、仏法の体裁をなしていません。

905犀角独歩:2003/11/17(月) 20:49

―905からつづく―

> 末法の成道は、衆生が「法」を「信」の一字をもって受持したその中にある

末法の成道とか、いついつの成道とか、そんな区別があるのではなく、蓮師は三時においては修業の法軌の相違を述べるに過ぎないはずです。行学不要・信偏重は、寛師が「観心の本尊」を「信心の本尊」と言い換えたデマゴギーを彷彿とします。
やや横道ですが、信のみを強調する宗教にろくなものはありません。

「法」…諸法実相の理…具体的には十界互具

諸法実相は理に違いありませんが、久遠本仏によって証明しようとする十界互具が教学的見地に立てば「事」です。故に上記解釈には異論があります。また十界互具が理であるならば、ここでは法を理法のみで終え、事法の側面が落ちています。事理両面の説明がなければ、単なる理の法教となるでしょう。

> …仏と衆生は本質的に平等であり、自己以外に仏は存在しない

生仏一如の焼き直しでしょうが、自己以外の仏を認めないとなると、他者の仏界を認めないことになります。これでは諸法実相も、十界互具もあったものではなく、衆生無差別ならぬ、自己以外の他者を認めないと誤認されても致し方のないことになります。

> 世間法の究極こそが仏法

これは「一切世間治生産業皆与実相不相違背」(法華玄義)、あるいは「法華経はしからずやがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候」(白米一俵御書)などから言われるところであろうと思えます。しかし、これら釈・書が言おうとするのは世間法の究極が仏法であるというのではなく、「不相違背」あるいは「世間法の全体が仏法」ですから、「究極」とは意味するところが違います。また、法のみで仏が要らないのに、ここで何故、「仏法」というのか理解に苦しみます。

> 「戒壇本尊」…衆生一人一人の成道
> 「法」が断絶しないことが真実の血脈義である。
> 勤行は理行

先二つは自己本尊=法ということから来る結論でしょうが、根拠を示すべきでしょう。勤行は理行とする考えはわかりますが、ここでは肝心の自行が欠落しています。

以上、わたしはまったく納得できない解釈の羅列です。
わたしには、なぜ、このような解釈をする必要があるのか、まったく理解できません。単に石山の板漫荼羅、血脈論のアンチテーゼから、限りなく創価教学に類似してしまった己義偏向としか映じません。

もちろん、それを信じる福田さんの人格を否定するものではありません。あくまで、感想です。また、詳しく調べて記したわけではありませんので、このわたしの感想への、異論反論、ご意見は、もちろん歓迎です。
稔りある議論をいたしたいと思います。

906犀角独歩:2003/11/17(月) 20:54

【905の訂正】

誤)ここでは肝心の自行が欠落
正)ここでは肝心の事行が欠落

907ガンコ:2003/11/17(月) 21:18
うるおぼえで恐縮ですが、日蓮正宗系のサイトだったかで、どこそこの寺は法勝人劣を唱える異流儀とか、書いてあったように記憶しています。もしかしたら、福田さんのところのことを言っているのかもしれません。
ちなみに、わたくしは基本的に法勝人劣を支持します。

908福田里敏:2003/11/17(月) 22:09
ガンコさん
確かに、法華堂であると思いますよ。法勝人劣です。

909福田里敏:2003/11/17(月) 22:39
犀角独歩さん
僕が、書くと、法華堂の宣伝にならないでしょうか?もし、よろしければ、関師の著作等を、お送りいたしますが・・・
>南無妙法蓮華経の信仰はないと思います。あるのは妙法蓮華経への南無する信仰ではないでしょうか。また、これは蓮師の創唱であれば、三国四師ではなくなり、蓮師の自称と食い違うことになります。
要綱は、かなり以前のものです。関師は、妙法蓮華経に南無するとの主旨で、話されておりました。
>法本尊なる教学は、そもそも蓮師とは無縁であって、人本尊・法本尊というのが滅後後世の教学であるとわたしは思います。また、『本尊問答鈔』で見る限り、蓮師の本尊観は法本尊ではなく題目本尊です。題目が法であるというのは短絡以外の何ものでもありません。妙法は法でしょうが、妙法蓮華経は経です。ですから、題目本尊とは経本尊でこそあれ、法本尊ではないはずです。
申し訳ないです。僕には、経と法が、同じに感じられます。次回、関師に、会った時に、聞いてみます。
>末法無仏は他の教学圏でも散見しますが、そもそもこれは、例えば『本尊鈔』の「不生不滅」その根拠となる寿量品の「常住此説法」に違反します。
末法には、絶対的な仏はいるわけではなく、我々、一切衆生が、みんな仏なんだよ!的な事を、常に話されてますので、まるっきり仏がいないとは、おっしゃていません。あえて、本仏思想の批判の為に、末法無仏と話されたのだと、解釈しています。
>佛と法が相容れなければ、仏法にはならないでしょう。
これは、仏信仰=他力の信仰・法信仰=自立の信仰、その点を強調されて、相容れないとの、表現になったものと思います。
>法華を本門・迹門と立てる天台義を廃することになり、『本尊鈔』の「寿量佛」が成り立たなくなります。
この点は、勉強してみます。
>信のみを強調する宗教にろくなものはありません。
蓮師は、妙法蓮華経に南無しなさい。と、説かれていますので、思想に誤りがなければ、信じきるのが、大切ではないでしょうか?ただ、僕も、御書を、全文読んでいる訳ではないので、御書に照らし合わせながら、何が、正しいのか?自問自答していきます。
>単に石山の板漫荼羅、血脈論のアンチテーゼから、限りなく創価教学に類似してしまった己義偏向としか映じません。
松戸氏に、近いものは、あります。

910空き缶:2003/11/17(月) 23:30
横レス失礼します。

「未完成の完成」(日蓮正宗法華堂:自立)には共感できます。私の日蓮本仏論からの脱皮を、後押ししてもらえそうです。

私も現状一般書店で購入可能な5冊を、手元において研鑚中です。

関師は興風談所の初代所長なんですね。

911犀角独歩:2003/11/18(火) 00:05

909 福田里敏さん:

わたしの勝手な感想に真摯にお応えくださいまして、有り難うございます。
空き缶さんも薦められている書籍、探して読んでみることにします。

なお、以下の点、関師のご見解をお聞きいただけることがあったら、是非、ご投稿、報告いただければ参考になります。

> 経と法が、同じ

このような認識に立つ日蓮僧俗は大部を占めるでしょう。
この点、関師がどのような見解の持ち主であるか興味が惹かれます。

> 末法には、絶対的な仏はいるわけではなく我々、一切衆生が、みんな仏

これは法華経の経説とは明らかに矛盾しています。
法華経全編に一貫しているのは「見仏」ということであって、衆生が皆仏であるなどということではありません。法華経に説かれていることと違うことをいいながら妙法蓮華経(法華経)に南無するというのでは矛盾しているとわたしには思えるわけです。

なお、法勝人劣という点ですが、日蓮本仏を離れ、凡夫日蓮と見れば、至極当然の帰結ですね。矛盾するのは日蓮を本仏と見ながら、法勝人劣という如き在り方です。そもそも三身相即と言いながら、かく言うこともおかしなことですが、南無妙法蓮華経仏と日蓮を仰ぐ教学圏の信者が法勝人劣というとき、その自語矛盾に気付けないことを、殊のほか、わたしは奇妙に感じます。特に日蓮を無始古仏と見てしまえば、法も仏も無始でそこに差別を認められないことになるからです。

反して、日蓮本仏を脱却した立場から、関師が、法勝人劣=妙法勝日蓮劣の立場を採るというのであれば、矛盾はないことになりますね。

福田さん、わたしは率直にものを言いますが、悪気はありません。
主張が最後まで躓かないものであるかを見るために、執拗に突っ込みますが、質問をする相手の人格・信仰を否定しようとするものではありません。
立論が納得のがいくものであるかどうか、それを見ているだけです。

あと、わたしは蓮師も、法華経も無謬とは思っていません。ですから、

> 信じきるのが、大切ではないでしょうか

と問われれば、「大切であるとは思わない」と答えるほかありません。
しかし、無謬でない日蓮、後世の創作には違いない法華経ですが、そこに説かれる菩薩・見仏思想は恭敬の対象ではあります。その点で、躓きのない立論を愛敬の対象です。
稔りある議論を期待します。今後ともよろしくお願いいたします。

912福田里敏:2003/11/18(火) 00:30
犀角独歩さん
犀角独歩さんのHPの執行海秀先生の論文は、印刷して、ファイルしています。とても、貴重な資料で、参考にさせていただいております。

>法勝人劣=妙法勝日蓮劣
人間日蓮です。凡夫です。悟りをえ、法華経の行者として、上行菩薩たらんと、末法に於いて妙法蓮華経に帰依していくことが、平和な世の中を建設していけるんだ!と宣揚された人です。僕は、日蓮本仏から離れられてから、伊豆・佐渡流罪等の、苦難な人生に感動を覚えました。本仏という、僕と違う自受用報身如来なら、なんてことはありません。

犀角独歩さんからの、率直な御意見は、真摯に受け取っていますので、何でも言って下さい。勉強させていただきます。
27の若輩者ですが、これからも、よろしく、お願いいたします。

913犀角独歩:2003/11/18(火) 00:44

福田里敏さん:

そうですか。わたしのサイトもご覧いただいているのですか。
それは嬉しいことです。有り難うございます。

> 27の若輩者

わたしは福田さんからすれば父親ほどの年齢です。
しかし、議論に年齢は関係ありません。
あくまで対等、平等です。
わたしも学ばせていただきます。

914空き缶:2003/11/18(火) 01:43
福田さん、はじめまして「空き缶」と申します。

関師の所論は、極めて参考になります。
私は、日蓮本仏論を否定した場合の「三宝論」に迷っていました。
仮にも、富士門徒である以上仏:宗祖、法:題目、僧:興尊とのこだわりがありました。
関師の所論を参考にした、現在の私の愚考は以下の通りです。(注意:所詮富士門徒の異端児の発想と思し召しください)

仏宝:曼荼羅御本尊
法宝:題目
僧宝:日蓮聖人

これじゃー三宝一体じゃないか!と反論されそうですが、大石寺の「三宝一体論」とはチョッと違いますので、宜しくお願いします。

915福田里敏:2003/11/18(火) 11:16
空き缶さん、はじめまして。

三宝について、僕も富士流に迷いました。関師に以前、聞いたところ、三宝は末法には、必要ないとの解釈をされ、それでも、あえてたてるならば、
仏・日蓮聖人
法・妙法
僧・日興上人
とのことでした。曼荼羅に関しては、成仏に絶対的に必要なものじゃない!、との見解でしたので、仏宝には、あたらないと思います。
ちなみに、法華堂の曼荼羅は、万年救護本尊です。今は、装飾の方が亡くなられた為、見つかるまでの間は、以前、石山で下付していた、寛師曼荼羅の下付と、なっています。

あと、関師は、興風談所所長(正信会)を離れたあと、法華堂を創設するまでの間、比叡山で、古書の研鑽もされています。ご参考までに。

今日から、金曜まで出張ですので、書き込みは、それ以降になりますので、悪しからず。ただ、新着の書き込みは、携帯にメールで転送されてきますので、色々と、書き込んでください。

これからも、よろしく、お願いいたします。

916空き缶:2003/11/18(火) 13:21
福田さん

○ちなみに、法華堂の曼荼羅は、万年救護本尊です。

→この「万年救護本尊」は妙本寺所蔵のものと同じでしょうか?


こちらこそ宜しくお願いします。

917福田里敏:2003/11/18(火) 14:00
空き缶さん
妙本寺所蔵のものです。伊豆方面の寺院から分けてもらったそうです。

918:2003/11/18(火) 21:51
日蓮さんの三宝はどのようなものだったでしょうか。
仏宝は「久遠実成の釈尊」
法宝は南無のない「妙法蓮華経」
さて僧宝はといえば、「僧伽としての日蓮門徒」ということでしょうか。
そうすると、この段階で、日蓮宗の三宝も石山の三宝も、日蓮さんの考えと異なっているわけです。
日蓮の信徒というのなら、日蓮さんの考えをそのまま採るべきなのではないでしょうか。

あと、「万年救護本尊」ですが、各地にあるものは、模写もしくは、模写をさらに模写して形木にしたものです。
だから「御本尊集」とは微妙に文字がずれているはずです。
そのくらいなら、「御本尊集」から直接採ったほうがいいのではないかと思うのですが。

919日真名氏飛び出す:2003/11/18(火) 21:53
918は私です。入力がうまくいかなかったようです。
ちなみに190200ゲットしました。

920犀角独歩:2003/11/19(水) 04:53

蓮師の三宝観ですか。

それこそ、『本尊鈔』、あるいは漫荼羅に明記されているのではありませんか。
その指標のための漫荼羅図示であるとわたしは拝しています。

「妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏 釈尊脇士上行等四菩薩 文殊弥勒等四菩薩眷属居末座」です。

すなわち

仏宝:釈迦牟尼仏(多宝仏)
法宝:妙法(蓮華経)
僧宝:上行等四菩薩(文殊弥勒等四菩薩眷属)

でしょう。

921犀角独歩:2003/11/19(水) 05:08

蓮師の三宝観

毎日、漫荼羅を本尊として拝んでいる人が、こんな疑問を懐くことがあるのでしょうか。
また、ここで、記された三宝観を読ませていただき、わたしは正直、びっくりしました。

922福田里敏:2003/11/19(水) 05:29
犀角独歩さん
携帯からの書き込みです。
三宝に関しては、僕自身迷ってます。でも、あえて、たてる必要などないのではないでしょうか?「妙法に帰依する」 それで、充分ではないでしょうか?仏も僧も必要ないのでは?僕は、そうとらえてます。

923犀角独歩:2003/11/19(水) 09:27

福田さん:

蓮師は「三宝を破るが故に、則ち世間の正見を破す」と仰せですが、この点はどうされますか。

924犀角独歩:2003/11/19(水) 09:31

福田さん自身が三宝を立てる必要がないという個人的な主観を懐くことは、もちろん、自由です。
わたしが記すのはあくまで蓮師の祖意はどうあるかという点で記すばかりです。

925犀角独歩:2003/11/19(水) 09:39

報恩抄には三宝の恩を言います。それが必要ないと言えば、蓮師の教えに違背します。
蓮師の教えと違う考えを立てて、本尊を拝むことを己義偏執というのではないでしょうか。

926空き缶:2003/11/19(水) 12:08
横レスです

関師の所論には、「久遠元初自受報身如来」とは「法」であって「人」ではない、とありました。
また「末法とは無佛の時代」ともあったと記憶しています。

もし、日蓮聖人が御本仏であれば「末法」=「日蓮仏の正法時代」ということになりませんか?

法然上人は何故称名念仏を提唱したのか、それは「末法とは無佛の時代」だからだと思います。

そこで、あえて末法の三宝を考えた時に先の書込みのような結果になったのです。

927犀角独歩:2003/11/19(水) 13:07

空き缶さん:

関師の所説はわかりました。が、それが蓮師の考えでしょうか。
この点については、異論があります。

まず、久遠元初自受報身如来が蓮師教学であるとはどのような根拠に基づくのでしょうか。
次にもし関師の所説の如く久遠元初自受報身如来が法であれば、人法一箇の教学系において蓮師は法ということになりますが、蓮師は法ではなく、通日蓮教学では菩薩“僧”であり、日蓮本仏圏では仏・聖人です。また寛師の下種三宝説では 仏:日蓮・法:板漫荼羅・僧:日興 として人(仏)法(板漫荼羅)一体を論じます。この説とも、また、異なります。

以上、二重の論点からしても、関師の所説はその謂われを知りません。
また、関師が自受用身が法であるというのは、どのような根拠に基づいてのことでしょうか。ご教示願えますか。


なお、法然師が無仏である説を採ることと蓮師とどのような関係から論じられるのでしょうか。

また、無仏であると言いながら、蓮師を本仏とし、いまをその正法(時代)とすれば、日蓮本仏・有仏となり、無仏とは言えず、関師、仏僧不要論は矛盾を来すことになりますが、この点はどのようにお考えになりますか。

もとより、空き缶さんご自身のお考えというより、関師所説を援用して記されたことであろうとは拝察しますが、解説いただければ有り難く存じます。

928空き缶:2003/11/19(水) 13:42
犀角独歩さん

まず関師の所論と、私の自論は相違しています。私は関師の考えを参考にはしましたが、三宝のとらえ方一つとっても違いがあることをご確認下さい。

その上で、関師は「末法は成仏ではなく、成菩薩を目指す時代」(趣旨)といいます。これは、釈迦仏法でいうところの「成仏」と比較しての表現ですが。
また、日寛教学を「誤り」だといいます。どこが誤りかといいますと、先に書き込みましたように自受報身如来を「人仏」とした点であるといいます。(もしかしたらこれは、同じ法華堂の倉光師の見解か?)
この根拠については、再度書籍に目を通して見ますね。

929犀角独歩:2003/11/19(水) 14:08

空き缶さん:

早々のご返信、有り難うございます。
空き缶さんは妙本寺御影信仰のお立場ですから、相違しているであろうと思いました。

わたし自身法華堂の主張を勉強もせずに述べるのは不謹慎ですね。
しかし、レクチャーをしていただけると、やや概観が掴めます。
できましたら、よろしくお願いします。

930空き缶:2003/11/19(水) 20:39

ん・・

「自立」を再読しましたが、該当部分がみつからない。

福田さん、私の勘違いでしたか?自受報身如来=法仏(趣旨)ってありませんでしたっけ?

931福田里敏:2003/11/19(水) 22:55
犀角独歩さん

報恩抄は、関師も重要視されている遺文ですので、学んでみます。釈尊を蓮師は、尊敬されています。だからこそ、随身仏として、所持されていたのでしょう。しかし、己義になりますが、成仏するのに、三宝が必要でしょうか?誤った三宝(念仏・真言等)は、いけませんが、蓮師が、絶対なる三宝をたてられたでしょうか?あくまでも、妙法に帰依する事により、安穏な国土をめざし、成仏していける!との、万民が簡単に修業できる、題目行を唱えられたのでは、ないでしょうか?僕は、そう理解していますが…

932福田里敏:2003/11/19(水) 23:01
空き缶さん

自受用報身如来=法仏
という考え方は、なかったと思います。出版されていない、論文等も、見てみます。以前、南無妙法蓮華経仏を、関師に尋ねた事がありますが、そういった考え方は、ないとの事でした。今月、個人的に関師を訪ねようと、考えていますので、聞いてみます。

933空き缶:2003/11/19(水) 23:21
独歩さん

すみません。私のトンチンカンな勘違いのようです。

しかし、どなたかの所論にあったと記憶しています。(うーん、気になる誰だろう)

934犀角独歩:2003/11/20(木) 10:40

空き缶さん:

どなたが仰ったんでしょうか。かえって興味がわきました。

935犀角独歩:2003/11/20(木) 10:40

福田里敏さん:

> 関師も重要視

関師が、どうお考えになるか、ではなく、「自分が」がです。
当板は当人の自覚に基づいて議論をする場です。特定集団・個人の代理発言をする場ではありません。ですから、福田さんのお考えをお聞きしたいと思います。もちろん、「○○はこう言っている。それに対して、自分は考証の末、こう思う」ならば承ります。

> 釈尊を蓮師は、尊敬

尊敬していたのではなく「南無」していたのです。これは日蓮本仏論者にも同様に申し上げたいことですが、蓮師の漫荼羅を拝しながら、何故、その図示と相違したことを口にするのか、わたしはこれを三業不一致と責めるわけです。漫荼羅には、明らかに「南無釈迦牟尼仏」と記されています。「南無妙法蓮華経」と同様、帰命を意味する冠頭語です。尊敬というレベルではありません。また、一体仏の生涯随身は、帰命を表してのことでしょう。

> 成仏するのに、三宝が必要でしょうか?

そもそもこの遮難ははじめの一歩で躓いていませんか。三宝の要不を言うのではなく、蓮師は“報恩”という視点から三宝を仰ぐのでしょう。
「仏家」という言葉があります。たとえば子が親と同居しているとします。その子が「家と食事があれば、親は要らない。家を建てたおじいさんはもう死んでしまったから不要」と言ったら、その不知恩、忘恩は非難されるところとなるでしょう。
仏教集団とは釈迦牟尼仏に始まる一切の教法と集団を言います。蓮師もそれ故、「南無釈迦牟尼仏」と漫荼羅に明示されるのでしょう。僧に就き蓮師は「伝持の人無ければ、猶お木石の衣鉢を帯持せるが如し」と言い、経法流布が僧侶によってなされたことを言われます。それにも関わらず、釈尊を祖とし、それを伝持した尊い人々のお陰をもっていま我々が仏法に縁することができているにもかかわらず、何として「仏・僧は不要」と言えることができるのでしょうか。要不で論じるのではなく、その報恩の念から仰ぐのではありませんか。さらに申し上げれば、「成仏するのに、三宝が必要」かと問われれば、仏僧なくして、祖も伝持もない故に、わたしは「必要」と応えるものです。

> 蓮師が、絶対なる三宝をたてられたでしょうか?

先に記したとおりです。

> 万民が簡単に修業できる、題目行を唱えられた

蓮師の唱題行はそれ以前の釈尊に始まる一切の仏教と対立した形で立てられたものではありません。その行法、教法も台家を踏襲しています。仏家である蓮師が三帰を廃するわけはありません。

『守護国家論』「仁王経に云く_…三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為す」
『顕謗法鈔』「三宝を破るが故に、則ち世間の正見を破す」
『太田入道殿御返事』「大涅槃経に…三宝を供養するが故に地獄に堕せず」
『道場神守護事』「設ひ科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか」
『富木殿御書』「賢慧菩薩の法性論に云く…三宝清浄の信、菩提功徳の業なり」
『兵衛志殿御返事』「四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし」

936犀角独歩:2003/11/20(木) 15:12

福田さんへの追伸

935において「関師が、どうお考えになるか、ではなく、「自分が」がです」と記しましたが、福田さんは931に「学んでみます」と記されたわけでした。私の杞憂には及ばないことであると読み返して思いました。この点、訂正させていただきます。

937愚鈍凡夫:2003/11/20(木) 19:59

蓮祖に関する謎を箇条書きにしたものを見つけましたので転載します。皆さんは、これらの謎をどう解釈されますか?

「法住山要伝寺 質問箱 №099」より転載

**********************************************
Q:Q&A95・96のように、日蓮聖人には、まだ解明されていない「謎」があるようですが、ほかにはどのようなものがありますか。
----------------------------------------------
A:日蓮聖人にまつわる「謎」について、参考までに以下に列挙します。なお、これらについては、若干の回答が出されているもの、あるいは様々な推測がなされているものもあり、全く判っていないというわけではないことを付言しておきます。

(1)なぜ貫名兄弟のうち日蓮だけが出家を許されたのか。
(2)なぜ日蓮の両親は貴重な労働力である10代の我が子を出家させたのか。
(3)なぜ一介の漁師の子が鎌倉遊学・京畿遊学をするための資金を出してもらえたのか。
(4)なぜ当時の鎌倉には学ぶべき寺院が少なかったにも関わらず、日蓮は4年間も鎌倉に遊学していたのか。
(5)なぜ日蓮は、釈迦の聖日である4月8日ではなく、4月28日に立教開宗したのか。
(6)なぜ日蓮は、道善房の持仏堂の南面などという場所で立教開宗したのか。
(7)なぜ立教開宗の当初から富木常忍ら有力檀越の外護を得られたのか。
(8)なぜ千葉氏に関する記述がみえないのか。
(9)なぜ日蓮と名付けたのか。
(10)なぜ弟子に日号を引き継がせたのか。
(11)なぜ不動・愛染の感見について、その後の日蓮は黙秘しているのか。
(12)なぜ日蓮は一切経閲覧のために、安房国国分寺や相模国国分寺ではなく、わざわざ駿河国岩本実相寺まで向かったのか。
(13)なぜ大学三郎・安達泰盛など幕府内にも太いパイプをもっていたのか。
(14)なぜ漁師の子供で泳ぎも達者なはずの日蓮が、伊豆流罪の際、俎岩から対岸に泳いで渡れなかったのか。
(15)なぜ三位房だけが比叡山に遊学できたのか。
(16)なぜ龍口法難で助かったのか。
(17)なぜあれほど特異な龍口の光り物の奇跡を『種種御振舞御書』の中でしか語らないのか。
(18)なぜ日蓮は、流罪に処せられるにあたって、法然房源空のように還俗させられなかったのか。
(19)なぜ日蓮は、歴代の佐渡流罪者の中で唯一赦免されているのか。
(20)なぜ佐渡流罪を赦免された後、甲州方面に向かったのか。
(21)なぜ三大秘法のうち本門の戒壇について言及しないのか。
(22)なぜ遺文中に「大曼荼羅」「大曼荼羅本尊」という用語を用いていないのか。
(23)なぜ大曼荼羅に不動・愛染が勧請されているのか。
(24)なぜ保田妙本寺の万年救護本尊以外に大曼荼羅の讃文中に「本尊」という記述を用いていないのか。
(25)なぜ日蓮は大曼荼羅に虚空蔵菩薩を勧請していないのか。
(26)なぜ大曼荼羅に金剛界・胎蔵界の大日如来を勧請したものがあるのか。
(27)なぜ大曼荼羅の授与書きにみえる人物の大半に関して、遺文中には記述が一切ないのか。
(28)なぜ主要な檀越に与えられた大曼荼羅がほとんど伝存しないのか。
(29)なぜ大曼荼羅は4月に多く図顕されているのか。
(30)なぜ『一代五時鶏図』(日蓮の自題になる真蹟現存の図録)は「鶏の図」なのか。
(31)なぜ数十人いる多くの弟子の中から六老僧だけを直弟に定めたのか。
(32)なぜ僧侶であった日蓮の遺品に刀があるのか。
(33)なぜ、日蓮在世中に、日蓮について言及している教団側の資料(内部史料)は多く存在するのに対して、日蓮について言及している教団外部の資料が少ないのか。

**************************************************

尚、(32)の刀は尼崎本興寺所蔵の「数珠丸」のことだと思います。

「数珠丸由来」
http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/juzumaru.htm

「法住山要伝寺 質問箱」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents4.html

938アネモネ:2003/11/21(金) 04:43
>937愚鈍凡夫さん

私、法住山要伝寺のことはほとんど知らないのですが、しかしここに転載された謎とするいずれの項目も、大変興味深いですね。
(1)〜(7)と、さらに、とりわけ(8)の千葉氏との関係と、そして(13)の大学三郎・安達泰盛に関わるところなど、個人的にとても関心を持つところです。

確か、安達泰盛は北条得宗化家の縁戚の家柄で、またさらに北条時宗の正室は泰盛の妹ですね。
竜ノ口の法難のとき、時宗の正妻(安達泰盛の妹)の懐妊という理由によって斬首から流罪に赦免されたという、>856で独歩さんが紹介してくださっていた内容に深く関連しているかと思われます。
その部分を抜粋させて頂きますと、

********************************
このように、斬首に処そうとする意図があったにもかかわらず、結局は死刑は免ぜられ、流罪に処せられたのは、北条時宗の妻の懐妊によると考えられる。事実、この歳、貞時が誕生している(辻善之助『日本仏教史』中世篇之一)。これに関連して、日蓮が「大がく(学)と申す人は普通の人ににず、日蓮が御かんきの時身を捨てゝかたうど(方人)して候(そうらい)人」(『大学三郎御書』平遺784頁)と、大学三郎の行為について述べていることに注目したい。大学三郎については、伝承を除けば、ほとんど未詳だが、ただわずかに、大学充(だいがくのじょう)という日蓮の檀越の子息であったろうこと、書に秀で、書を好んだ安達泰盛(あだちやすもり)と書を通じての交りをもっていたことがわかる程度である。ところで、大学三郎と親交があった泰盛はほかならぬ時宗の舅(しゅうと)、つまり、時宗の妻の父であり、懐妊した子(のちの貞時)の祖父に当たる人である。この関係と日蓮の大学三郎についての叙述を重ね合わせれば、大学三郎が泰盛に働きかけ、泰盛は婿(むこ)時宗に孫の懐妊中における日蓮の刎頸注視を進言したのではなかろうか。「身を捨ててかたうど」した意味を、右の関係のなかに置いてみることは十分に可能である(増補改訂『日蓮』高木豊著 株式会社太田出版 P90)
******************************

余談ではありますが、この『日蓮』(高木豊著 株式会社太田出版)は私も読みました。日蓮の実像に迫る、大変参考になる一冊だったかと思います。

平頼綱の正妻は北条時宗の嫡男・貞時の乳母であり、北条時宗の死後、「乳母夫」と「内管領」という権力を手にした頼綱は、得宗家の「外戚」として力を持つ安達泰盛と衝突し、遂に、貞時に讒言して安達一族を葬り去ります。(『霜月騒動』)。
ところが、その平頼綱一族も、後に北条貞時によって滅ぼされるわけです。(『平禅門の乱』)

私は、大雑把な歴史しかわかりませんが。千葉氏、安達氏、そして大学三郎のラインは、日蓮研究の上でも、特に外せない重要なところではないかと、私としても最も知りたい大変興味深いところであります。

939愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 12:17
アネモネさん、レス有り難うございます。
さすがですね。 (^_^)v
安逹義景の娘(堀内殿、後の覚山尼)に関する資料を見つけたので投稿します。

『駆込寺 東慶寺史』より抜粋

**************************************************

1 堀内殿

 開山覚山尼は秋田城介(じょうのすけ)安達義景(よしかげ)〔1210〜53.44歳〕の女(むすめ)、母は北条時房〔1175〜1240.66歳〕の女、時房は尼将軍政子〔1156〜1225.70歳〕の弟、いずれも鎌倉の名門である。建長四年(一二五二)七月四日、鎌倉長谷甘縄の安達邸で生まれた。『吾妻鏡』には、この日の条に、

天晴、午刻秋田城介義景妻、女子平産云々、号堀内殿者也。

 とある。日本女性史上の代表的人物となる覚山尼こと堀内殿の誕生を祝うがごとき晴天であった。のちに夫となる時宗は、この前年五月十五日に同じこの安達の邸で生まれたのである。
 堀内殿には兄泰盛〔1231〜85.55歳〕以下八男三女の兄弟姉妹があるが、この翌年父が逝き、兄泰盛が城介となり父代りとなる。『徒然草』にも出てくる障子の切り貼りをして、世を治むる道、倹約を本とすとわが子時頼に教えた松下禅尼は安達義景の妹であるから、堀内殿には叔母であり、後に時宗夫人となっては外祖母になる人であるが、同じ甘縄の邸内に住んでいたから、少女時代に訓育感化をうけたことであろう。
(中略)
 建長五年〔1253〕六月三日、堀内殿が満一歳にもならぬ前に父義景は四十四歳で死んだ。この年十一月に建長寺が落慶した。この寺は時頼の本願で、建長三年十一月起工、開山は宋から渡来の蘭渓道隆〔1213〜78.76歳〕である。
(中略)
 弘長元年(一二六一)の四月二十三日に、時宗十一歳、堀内殿十歳で結婚、安達邸から時宗邸に移った。早婚であり、近親結婚であるが、当時は珍らしくない。堀内殿から見れば時頼は従兄弟であるが、ここで舅と嫁の間柄となる。北条家の若君、後の執権となるべき時宗の妻として、その家柄、その人物最も適格の者として松下禅尼の推挙したものであろう。
(後略)

 3 日蓮の法難と時宗夫人

 これより先、日蓮〔1222〜82.61歳〕は『立正安国論』を著わして時頼にささげたが、彼は黙殺した。文永五年、蒙古の来状を聞いて日蓮は時宗に書状を送り、建長寺の蘭渓、極楽寺の忍性〔1217〜1303.87歳〕にも書状を与えて挑戦したが、誰も返答しない。文永八年〔1271〕六月、幕府は忍性に雨を祈らせた。これを日蓮は猛烈にやじった。ついに九月十二日、竜ノロで首の座に引据えられた。この時、刀が折れたとか、奇蹟があったとかで、日蓮宗では「竜ノ口の御法難」と称するほど有名な事件であるが、事実は時宗夫人の懐妊のゆえに、俄(にわ)かに死罪を赦されて佐渡に流罪となったのである。

「なにとなくとも頸を切らるべかりけるが、守殿(相模守時宗)の御だい所の御懐妊なればしばらく切られず」(「種々御振舞御書」)

 と、日蓮自身がのべているとおり確かなことで、これについては辻善之助博士も『日本仏教史』に詳論され、すでに学界でも定説となっている。ともかく時宗夫人のお蔭で、日蓮はあやうき命を助けられたことになる。

 この年十二月二日に、貞時〔1271〜1311.41歳〕が生まれた。夫人二十歳の時である。

*****************************************************

関連資料(HP内それぞれの青色書籍名をクリックすると関連部分が閲覧できます)

「『北条時宗』 参考文献」
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/tokimune-sankobunken.htm

940ガンコ:2003/11/21(金) 19:20

素朴な雑感

空き缶さんのおっしゃる
>法然上人は何故称名念仏を提唱したのか、それは「末法とは無佛の時代」だからだと思います。

あれれ? 称名念仏って、阿弥陀仏に南無することではないかと思うのですが、そうすると有仏では? あるいは、阿弥陀は西方十万億土の教主であって、此の娑婆世界には居らないってこと?
しかし、阿弥陀はともかく、すでに独歩さんが指摘されているように、常住此説法・・・あるいは、「本地久成の円仏は此の世界に在せり」ですから、このあたりの整合性をもう少しつけていただきたいと思います。
まあ、おそらく、無仏というのは仏滅後を言うのでしょう。あるいは仏の出現以前を。雪山童子の時代は無仏だったようですし・・・

独歩さんは、
>尊敬していたのではなく「南無」していたのです。
>尊敬というレベルではありません。

とおっしゃいますが、
「夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。」
大聖人が開目抄にて御使用になっていらっしゃることからして、尊敬もあながち捨てたものじゃないのでは?

もっとも、尊敬が(そんけい)なのか、(そんぎょう・そんきょう)なのかでぜんぜんちがうのでしょうけど・・・

941空き缶:2003/11/21(金) 20:48
ガンコ さん

私は念仏については、詳しくわかりません。
これまでの日蓮門下からみた(教えられた)範囲の狭い知識です。
しかし、末法が「無佛の時」だとすると、「称名念仏」による救済思想という発想にも頷けます。
法然上人の説は、それなりに的を射たものなんでわないかと思ったりします。

→「阿弥陀は西方十万億土の教主であって、此の娑婆世界には居らないってこと?」

その通りだと思います。

それに対して日蓮聖人は、「無佛」でも「釈尊が仏になった法がある」、末法は「仏」に南無するのでは無く、「法(経)」に南無する時、すなわち「南無仏」(南無阿弥陀仏)ではなく「南無経」(南無妙法蓮華経)の時なんだ、と主張されたんではないかと思ったりします。
この考えは、法華堂の考えに近いはずです。(そうですね福田さん)

942愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 20:50
今日の読売新聞夕刊の1面にこんな記事が掲載されていました。

*********************************************
日蓮の指紋?
 直筆「曼荼羅」に 静岡・沼津の寺
 静岡県沼津市の妙海寺に伝わる日蓮宗開祖、日蓮(1222〜82)真筆の「大曼荼羅本尊」から、日蓮本人とみられる左手の指紋が見つかったことが21日、わかった。揮ごうの際、乾ききらない墨跡に触れたらしい。宗祖の"存在の証し"に笹津海道住職(37)は「聖人の体温が伝わるよう」と話している。
 死去2年前の1280(弘安3)年5月の作。縦1㍍横55㌢で、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書。周囲に諸仏や菩薩の名を配し、法華経の救いの世界を表している。
 指の跡は修理中に見つかり、日蓮研究の第一人者の中尾堯・立正大名誉教授(日本仏教史)が確認。題目の左下に書かれた四天王の一人「大増長天王」の字の「天」「王」に約十か所あり、指紋もあった。署名と花押をする際、神を押さえた左手が触れたらしい。
 直筆の曼荼羅は「立正安国論」で"予言"した元寇が14年後に実際に起きたため、九州北部の警備につく武士が御守りとして求めることもあったという。
 中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは正確を表しており興味深い」と指摘する。

2003(平成15)年11月21日読売新聞夕刊1面より
******************************************

943愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 20:57
訂正

誤→神を押さえた左手が触れたらしい。

正→紙を押さえた左手が触れたらしい。

です、悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!

944愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 21:05
>>942:
またまた訂正です。

誤→中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは正確を表しており興味深い」と指摘する。

正→中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは性格を表しており興味深い」と指摘する。

です、m(_ _;)m ゴメン!!

945福田里敏:2003/11/21(金) 21:49
空き缶さん
>日蓮聖人は、「無佛」でも「釈尊が仏になった法がある」、末法は「仏」に南無するのでは無く、「法(経)」に南無する時、すなわち「南無仏」(南無阿弥陀仏)ではなく「南無経」(南無妙法蓮華経)の時なんだ、と主張されたんではないかと思ったりします。

その通りです。法華堂の考え方です。

946犀角独歩:2003/11/22(土) 00:44

「無仏の時代」という考えは、元来、弥勒信仰に係るものでしょうね。
釈尊滅後、無仏の時代に入り、56億7千万年後に弥勒の次の仏として現れるまでの時を言うのでしょう。この無仏の時代にその代わりをなすのが地蔵菩薩で、路傍の地蔵信仰はここからきたのでしたね。

これと法蔵比丘でしたか、四十一願の記述が、どう関わるのか、わたしは詳しくありません。

それにしても、無仏思想と法華経が関係があるとするのは意外です。
何を根拠とするものなのでしょうか。

947犀角独歩:2003/11/22(土) 00:50

940 ガンコさん:

わざと外したコメント、ガンコさんらしい。

わたしは漫荼羅に記される「南無釈迦牟尼仏」について、記したのです。
尊敬・習学の指標を示す真跡について記したのではありません。

948福田里敏:2003/11/22(土) 01:01
犀角独歩さん

>漫荼羅に記される「南無釈迦牟尼仏」について

では、多宝如来や、四菩薩や、他の菩薩にも、南無としるされていますが…

949犀角独歩:2003/11/22(土) 09:46

福田さん:

> 多宝如来や、四菩薩や、他の菩薩にも、南無

ええ、もちろんでしょう。日蓮上行を言う人からすれば馴染まないでしょうが、日蓮は一介の僧として四菩薩に南無していたのでしょう。そして、もしや自分は地涌の流類かも知れないという襟度をもって書かれるのが真跡です。まず四菩薩が現れ、そして、久遠釈尊仏像を通して見仏を示す、所持の法は妙法です。この証明をなすのは多宝如来ですから、帰命の対象でしょう。ここに蓮師の三宝観はしっかりと看取できます。

また、漫荼羅によっては一切の諸尊聖衆に南無を冠するいわゆる「総帰命」と称される漫荼羅図示もあります。これはすなわち、釈尊在世、その許の有縁の衆は過去五百塵点、あるいは三千塵点已来の結縁の基づいて参集した尊い衆生であるという見地によると拝せるのだと思います。

法華経では釈尊は久遠五百塵点に成道し、その寿命はその数に倍して残っている。心清く柔らかく信心堅固の人には、その仏と見(まみ)えることができるというのがその骨子です。無仏どころか、この娑婆世界に常に住し説法教化し続ける仏を説き表すのが法華経です。

南無妙法蓮華経と唱えるとき、その妙法蓮華経を流宣する四菩薩、その四菩薩の師仏・久遠釈尊への南無を意味します。南無妙法蓮華経は単なる南無経(法)ではなく、南無仏・南無僧(四菩薩)、すなわち三帰の意義を含めた唱題であるというのが蓮師の立場であると拝せます。

950空き缶:2003/11/22(土) 13:08

犀角独歩さん

「総帰命」本尊といえば、万年救護本尊や佐渡始顕本尊などもそうですね。

ところで、「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有大曼陀羅也」は一般的な御本尊の讃文ですが、「釈尊滅後、この世界の中で未だあらわされることが無かった大曼荼羅である」と解しまして、何が「未だあらわされなかった」のかということになります。
この点を法華堂では、「南無法」の御本尊こそが、「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有」であるといいます。
つまり、歴史上「南無仏」の本尊は曼荼羅形式・仏像形式にて、日蓮聖人以前にも多々造られてきた。しかし「南無法」つまり「仏」ではなく、「法(経)」そのものを本尊としたのが「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有」の出来事であるというのです。

私はさすが「興風談所」の初代所長だと、思いました。なかなかの着眼点だと思います。

951愚鈍凡夫:2003/11/22(土) 14:22
横レス失礼します。

「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。

「汝舍利弗。尚於此經。以信入得。況余聲聞。其余聲聞。信佛語故。隨順此經。非己智分。(汝舎利弗、尚お此の経に於ては信を以て入ることを得たり。況んや余の声聞をや。其の余の声聞も仏語を信ずるが故に此の経に随順す。己が智分に非ず。)」(妙法蓮華經譬喩品第三)

「我爲佛道。於無量土。從始至今。廣説諸經。而於其中。此經第一。若有能持。則持佛身。(我仏道を為て、無量の土に於て、始より今に至るまで広く諸経を説く。而も其の中に於て此の経第一なり。若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり)」(妙法蓮華經見寳塔品第十一)

とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。そして、

「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經壽量品第十六)

仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。
仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

「若有受持讀誦。正憶念。修習書寫。是法華經者。當知是人。則見釋迦牟尼佛。(若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、)」(妙法蓮華經普賢菩薩勸發品第二十八)

ここにも、法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

952ガンコ:2003/11/22(土) 15:16

このところの議論は、わたくしにとってもたいへん興味深い議論ですので、素朴な疑問をいくつか書いておきます。

「弥勒菩薩は兜率の内院に籠らせ給ひて五十六億七千万歳をまち給うべし。」

撰時抄の冒頭にありますこの御文、大聖人は単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか? ちゃんと聞いたことはありませんけど、顕正会では「弥勒はたとえに過ぎない」と考えているようです。(ちがっていたらお知らせください、モトミナさん・ワラシナさん等)

同じく撰時抄に、
「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。」
あるいは、
「この念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすいしぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。」

前にも書きましたが、もっとも素朴な疑問は、なんで南無阿弥陀仏に対して南無釈迦牟尼仏ではないのか・・・なのです。

「例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向かって大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。」

この御文の背景として、「彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」があるように思えます。つまり、釈尊在世には南無釈迦牟尼仏、滅後・・・ことに末法においては「但題目の五字」が肝要であって、じじつ大聖人御図顕の御曼荼羅は題目を中心にえがかれているわけです。

953ワラシナ:2003/11/22(土) 21:56
ガンコ様へー「宗祖本佛論的素朴な疑問」ーについて。

0、
>大聖人は単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか? 
>ちゃんと聞いたことはありませんけど、顕正会では「弥勒はたとえに過ぎない」と考えているようです。

私もわかりません。大体宗祖の引用文全てにおいて「単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか?」はっきりつかめないところが多いと思う。 宗祖の物事の捉え方の特徴をケースごとにその差異としてつかみたいと思っております。今後の遺文研究の姿勢としてそうやりたいと言う抱負としてですが。
(、、、しかし、この「思っております、思っております」の言い回しに触れるたびに浅井会長の口癖だった「思って・お・り・ま・す、思って・お・り・ま・す」を思い起こすものです。)


1、さて、下の二行の問いの関連こそ私も極めつけに重大な問題だと思う。

>もっとも素朴な疑問は、なんで南無阿弥陀仏に対して南無釈迦牟尼仏ではないのか・
>ことに末法においては「但題目の五字」が肝要であって、じじつ大聖人御図顕の御曼荼羅は題目を中心にえがかれているわけです。

1−0、これについては、自分も死ぬまでには、この問題だけは(他の仏教学は解らんでもいいから)心の底から「なぞが解けた!」という瞬間を持ちたいと願って長い間思索し続けてきました。

1−1、で、大変生意気ですけど自分なりの謎解きができまして(どこか見当はずれでしょうけど)「現象佛と内面佛の二重内面」(5)(6)(7)辺りで自分の考えの下書きを出す予定です。

954空き缶:2003/11/23(日) 01:19
独歩さん、福田さん

久遠元初自受由身は『法』であるとする説、みつけました。確かに関師の書いた書籍でしたが、松戸氏の書いた本の概要を述べた部分なので、該当諸説は関師のものではなく、松戸氏のものですね。

955空き缶:2003/11/23(日) 10:45

続き

法華叢書1「発想の転換」−日蓮正宗法華堂 関 慈謙
書評・松戸幸雄著『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』を読んで

上記の中に、『久遠元初自受用報身は法である。これを、「人」とするところに寛師の誤解の始まりがある。』との文言が出てきます。
しかしこれは関師の所論ではなく、松戸氏の所論を関師が要約して示したものであります。
このところを、私が誤解していたようです。

956犀角独歩:2003/11/23(日) 11:51

954,955 空き缶さん:

有り難うございます。

> 久遠元初自受由身は『法』である

しかし、この解釈は二重におかしな考えであるとわたしには思えます。
法であれば「報身」ではなくて「法身」でしょうし、また、三身であれば、人ではなく、仏でしょう。また、自受用身が法であれば、凡夫(人)本仏自体成り立ちようがないことになります。

さらに言えば、そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

957ガンコ:2003/11/23(日) 12:00

ワラシナさん、どうもです。

>長い間思索し続けてきた・・・自分なりの謎解きができた・・・

これはたいへん楽しみです。お待ちしております。

しかし、「現象佛と内面佛の二重内面」ってとっても難しいですね。わたくしのあたまではほとんど理解できないんだもの。

958犀角独歩:2003/11/23(日) 12:46

950 空き缶さん:

漫荼羅中、法は「妙法」の二字ですね。
しかし、『本尊問答鈔』では「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊…法華経の題目を以て本尊」でした。では、ここで蓮師がいう法華経題目は“法”なのか、という問題が提示されます。その答えは次下にあるとわたしは読みます。すなわち、

「法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処、若説若読、若誦若書、若“経巻”所住之処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。不須復安舎利、所以者何、此中已有如来全身」等云云」

です。蓮師が言う「題目」とは法ではなくて“経典”です。わたしはここのところ、何度も繰り返してきましたが、蓮師は題目本尊論者なのでしょう。そして、この題目は法華経“経典”を指しているわけです。では、これを漫荼羅に「南無妙法蓮華経」と記し、奉掲する理由は、と問われれば、同鈔の次下に(一句飛ばします、後述します)

「天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置せよ、亦必ずしも形像、舎利並びに余の経典を安ずることをもちいざれ。唯だ法華経一部を置け…法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊」

ということから、題目は法華経典の指標であり、その題目を図し、奉掲して法華道場の荘厳たらしめたと見えます。

では、しかし、この題目=経典は、論理展開としてここで畢っているかと言えば、そうではなく、そこに“法”をしっかりと看取されます。すなわち、先に飛ばした一句です。

涅槃経の第四如来性品に云く「復次迦葉、諸仏所師所謂法也、是故如来恭敬供養以法常故諸仏亦常」(復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり)

です。諸仏は法を師とするという記述です。この点から言えば、法が師である、…ここのところの議論で言われる「南無法」…ではないのかと、なります。
けれど、法が師なのだというのは即断であるとわたしは思います。何故ならば、「諸仏の師とする所は所謂 法」という一句は「末代悪世の凡夫…法華経の題目・本尊」と対句をなしているからです。すなわち、諸仏は師とするところはたしかに法であるけれど、末法衆生が本尊とするところは題目経典であるという対比です。

ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

959アネモネ:2003/11/23(日) 13:22
横レス失礼いたします。

>951愚鈍凡夫さんのレスを拝見いたしまして、少し私にはわからないところがあるのです。
ここのところの教学的議論の流れは、私にはとても高度でわからないことだらけなのですが、ここは素朴な疑問ということで、レスをお許しください。

>「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。…とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。

ここなのですが、いわゆる「原始仏典」に記される、釈迦牟尼仏が説いた「法灯明」の教えとは、「法華経」を信じ持つということだったのか。つまり、「法灯明=法華経を信じ持つ」といえるのか。もしくは、法灯明=南無妙法蓮華経ということなのかという素朴な疑問です。

>仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。

素朴な疑問なのですが、法華経は仏の教えを説いているものなのでしょうか。
うまくいえませんが、法華経には確かに「仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものである」と書いてあるとしても、その「仏の教え」が何であるかという具体的な内容に触れてあるものなのかなあという疑問が私にはあります。
もっといえば、先の疑問にも関連して、「仏の教え=法華経」なのか。「仏の教え=南無妙法蓮華経」なのか。もしくは、「仏の教え=法華経を信じ持つ」ことなのかという素朴な疑問です。

>仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

法を柱とする精神はそうだと思うのですが、その「法」とは何かということについて具体的に書かれている経典がまさに法華経といえるものなのか?という疑問があります。

>法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

法華経を通して釈迦牟尼仏を拝謁するということは、恐らく法華経という経典を成立させた人々の信仰観だっただろうなあということは想像できるのですが、しかし、逆にそれが拝謁する釈迦牟尼仏の教導せんとする成道の姿といって間違いなのか?という素朴な疑問が出てきました。

すみません。私、よくわかっていませんので、トンチンカンな疑問かもしれません。
要するに、法華経という経典を信じ持つことが、釈迦が説いた法灯明の教えであるのかどうかという疑問ですね。もっと平たく言えば、法華経という経典=法灯明の法、つまり法華経=法なのかという疑問でもあります。
まあ、日蓮の信念と教えはそうだったのかもしれませんけれども…。

960犀角独歩:2003/11/23(日) 13:59

951 愚鈍凡夫さん:

横レスへの横レスです。

> 法灯明

単に法灯明ではなくて、「自灯明・法灯明」が対になっています。
「自らを灯明となし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を灯明となし、法をよりどころとして、他をよりどころとせず、すすめよ」でした。

在世のシャキャムニが、自分のことを拝ませたか? そんなことはなかったでしょう。
ですから、ここで拠り所とされたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおり、ダルマ(法)であった、しかし、その法を拠り所とする前提は自分自身が正しく道(どう)を歩むという前提にあったのでしょう。道とはまさに法なのであろうと思います。

滅後、仏教徒である指標とは三帰五戒であって、ここに三宝帰命が仏教徒である証となっていったわけですね。この段階で自灯明の精神が損なわれたかと言えば、わたしにはそう思える節もあります。殊に教団信仰へ転落すればするほど、自己評価を貶めることによって集団・指導者への依存度を増すという“操作”がそこに看取されます。ここでは自灯明というシャキャムニの遺言は影を潜めてしまっています。これではいけないと思うわけです。

> 法華経

『六法全書』を例に採ります。これは法律をまとめたものですが、法律そのものではありません。法律をまとめた本です。
同じように法華経は正法(羅什師が言う妙法)に基づく本ですが、法そのものではありません。経典です。

愚鈍凡夫さんが引用された三品、譬喩品では「此經」、寳塔品では「此經」壽量品では「經典」となっています。“法”ではなく、経典です。実はこの点が重要なのだとわたしは思います。

> 「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁する

この視点に賛同します。これが要するに「見仏」ということなのであろうとわたしは思います。

少し横道に逸れますが、わたしが法華梵本直訳を読んでいちばん驚いたのは、全編を通じて記されていないことが二つあった点でした。一つは正法と言いながら、その法が何であるのか記されていない、もう一つは仏が「この上なく完全なさとり(阿耨多羅三藐三菩提)に到達したとしながら、このさとりがどのようなものであるの記されいないという二点です。

これを羅什師は諸法実相九如としますが、これは意訳でした。また、智邈師はここを十如三千で湛然師が一念三千としてこれが法であるといいますが、これが羅什師から智邈師、最澄師を経って蓮師受け継がれる台学の有様でした。この系譜にはわたしは大いに異論はあるのですが、ここでは蓮師の素意を考えますので、この異論はさておきます。

梵本法華経で、強調されるのは経典崇拝という一点でした。法華経典を通じて如来を見(まみ)えるという見仏思想です。そして、経巻崇拝はまた菩薩道のなかに摂取されます(法師品「若有得聞是經典者 乃能善行菩薩之道」

ところが羅什師が九如の意訳をなし、ここに新たな教学運動が起こるとそれは一念三千という法華経そのものにはまったくない教学解釈が添加されていくことになります。法華経の中でどこが一番大事なのかという部分論が展開されていきますね。八品だ、一品二半だという話です。さらにそれが題目だと言ったのが蓮師でした。そして、その理由は『本尊鈔』「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」と言い、その題目が大切なのは仏がこの五字に一念三千の珠を裏(つつ)んだからであると蓮師は言って、ここに題目本尊が成立していくのであろうと思います。これまた、余談ですが、漫荼羅は本尊であるというより、その首題・妙法蓮華経の五字が本尊であるというのは押さえるべき点でした。

ここで疑問に挙げるのは、何故釈迦本尊ではなく、題目本尊なのかという点なのでしょう。『本尊問答鈔』が果たして真跡か、という大きな問題は残りますが、「南無妙法蓮華経」は動かし難い事実です。わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

961空き缶:2003/11/23(日) 14:37

犀角独歩さん

→そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

関師もこの点を指摘していました。


→ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

法=題目で、どうなのでしょう?それから関師は「自立」の中で独歩さんと全く同じ個所の「本尊問答抄」を引用されています。

松戸氏の所論には、同感できる部分も多いといった評価ですが、全面的に賛同しているわけではなさそうです。

962犀角独歩:2003/11/23(日) 14:51

アネモネさん:

横レス失礼します。

“法”ということなのですが、どなたが、どの著述で明言していたことなのか失念したのですが、読書で頷いたことがあります。

それは仏法と仏道は同じ意味であるということでした。
つまり、法は道(どう)であるというのでした。

まあ、インドなどでいうダルマ(ダンマ)は実に多義に亘る意味を凝らした語であって、上述の限りではないですし、それは中国から日本への伝播、三国における内観分析や、羅列主義とも映ずる論の展開でますます煩瑣の度合いを増していきました。

こうなってくると、法とは何なんだか、わけがわからなくなってきます。
法華経で言う、正法(サ・ダルマ)、妙法などと言い出すとますますわかりませんね。
960にも記したとおり、それが何であるのか、まるで説かれていないと見えるのが法華経だからです。

けれど、法と道、より正確に言えば、法の実践が道なのではないのかと、わたしは考えて見ることにしました。こうなると、法は道(実践)のなかでしか見えませんから、そもそも別に論じること自体意味をなさないことになりますね。

この視点で、もう一度、法華経を読み直します。すると、法華経の中にまざまざと浮かび上がる“法”があります。何でしょうか。おわかりになると思います。「菩薩道」です。つまり、法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。

難信難解だというのは、法をこねくり回し、わけをわからなくしてきた解釈にその原因があったのではないのか、遮蔽物となっていたのは一念三千という解釈にあったのではないのかというのが、最近、夙に思うところです。

963犀角独歩:2003/11/23(日) 15:11

961 空き缶さん:

> 法=題目

そうですね。
でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

一念三千を教学的に勉強してくると、これがどうやら法のことらしいというのは誰しも考えるようになります。でも、本当に一念三千の意味がわかる人がいるのでしょうか。もっと言えば、蓮師の立場は一念三千という法は末法衆生にはわからない、だから題目だということではないでしょうか。

だから、諸仏は法を師とできるけれど、末法衆生には題目であるという相違を、蓮師は言っているとわたしは拝しているわけです。

964ガンコ:2003/11/23(日) 15:40

>わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

>この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

いやいや、独歩さん、そんなことありませんよう。
だいたい、富士門徒の中には、何を血迷ったか、大聖人の御曼荼羅にイエスが認められても問題ない・・・みたいなことを言う人だっているんですから、順番から言えば釈尊が筆頭であって、それは「動かしがたい事実」でしょうし、べつに避けているわけではないと思います。
問題はいわゆる造像にあるわけで、曼荼羅正意の立場から申せば、それだけは避けたい・・・仏像は拝みたくないわけです。
遥拝勤行はべつとして、じっさいに御本尊の御前で勤行するばあい、まさか、南無釈迦牟尼仏だけ見ないようにする・・・というか、もう、そうなると、御本尊自体拝めなくなっちゃうわけですから、それはおかしな話でしょう。まさか、文字通りの題目本尊・・・つまり、南無妙法蓮華経だけ認められた御本尊を拝む・・・って、こうなると大石寺の御本尊を否定することになってしまうし・・・ですから、べつになおざりにはしていないのです。

おそらく、
「法華経の寿量品に云はく『或は己身を説き或は他身を説く』等云々。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国々の主とある人何れか教主釈尊ならざる。」(日眼女抄)

とあるし、また、開目抄には、
「華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、その経々の仏・菩薩・天等守護し給ふらん。疑ひあるべからず。」(切り文)

とありますから、極論すればイエスもあり? なんでしょうかね。ご本人に聞いてみないとわかりませんが・・・

965空き缶:2003/11/23(日) 16:18
犀角独歩さん

恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感されることと思いますよ。

→でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

はい、この通りだと思います。つまりわからなくても問題ないということなんだと思います。

福田さんにメールで問い合わせましたが、関師や法華堂の出版物は現在「私の中の仏」「自立」「発想の転換」「法華思想の再生に向けて」「信ずるということ」の5冊のみです。
5冊とも30Pから100Pほどの書籍です。したがいまして、この中だけで判断すると矛盾も多くみられますが、書籍になっていない部分も含めれば恐らくそれなりの理論構築は出来ていると思われます。
この辺は、やはり法華堂信仰者の福田さんからの情報に頼るしかないと思います。

966犀角独歩:2003/11/23(日) 16:32

964 ガンコさん:

引用している「日眼女抄」とは板漫荼羅が造立されたとなっている弘安2年に記された『日眼女釈迦仏供養事』の御文ですね。

「三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女…教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし…女人の中の第一也」

と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。それで、

> 仏像は拝みたくないわけです

たとえ、蓮師の真跡であっても、仏像は拝みたくない、祖師の教義を枉げてもそこまで言いますか。考えさせられるところはあります。

ガンコさんとは関係ありませんが、この書の記述は、像非派は信仰のない日眼女に方便で仏像を認めて書いたものなんて、解説しています。ここまで自分の祖師を愚弄した話もないと呆れるわけです。

参考にお聞かせいただきたいのですが、ガンコさんには「南無釈迦牟尼仏」の帰依があって、漫荼羅を本尊と拝んでいらっしゃるのでしょうか。この点が、わたしの福田さんに投げかけた質問の焦点です。また、なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

967犀角独歩:2003/11/23(日) 16:34

空き缶さん:

> 恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感される

そうですか。わたしは読みもしないで記しているだけですからいけません。
機会があれば、関師のものは読んでみようと思います。

有り難うございます。

968ガンコ:2003/11/23(日) 17:54

独歩さん

>と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。

これですが、わたくしは曼荼羅だと考えたんです。ちょっと前に独歩さんがおっしゃっていた総帰命の根拠がこれではないかと。

で、仏像を嫌う理由ですが、この半年ばかりいろいろ考えてきて、わたくしは“大聖人の御意に叶う仏像本尊は存在しないし、今後も出現しない”というしかないと思っております。
つまり、「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか? もし、造立されなかったのであれば、もはや大聖人がましまさない以上、どうしようもない、ということです。
それこそ、四菩薩に相当する人が出てこないとムリですし、もっといえば、わたくしは四菩薩とて仏像本尊は造れない、と考えました。

「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はす、不孝の失之有り。迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」

地涌千界は久遠の弟子であって、久遠実成の釈尊にまみえる時間はそれこそ長遠であったろうから、その方たちがお出でになって仏像を造れば、印度の釈尊ではなく、法華経の中の釈尊をお造りになられるかもしれません。しかし、それは“仏”のすがたではなく、じつは“法”なのではないか・・・という風に考えるのですが、未だじぶんのなかでじゅうぶんにまとまっていません。まだまだ、時間がかかりそうです。
少なくとも、大聖人は守護国家論で「今は法華経の中の仏を信ず」と仰せであって、御自らはもっぱら御文字でもって御本尊を御認めであられます。よって、それを法華経の中の仏と認識しております。当然、南無釈迦牟尼仏に異論はありません。

なお、日眼女抄の問題は、半年ほど前に考えをまとめようとしていたのですが、途中で挫折しました。(本仏論のスレッドに無残な記録が残っています)

969愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 19:22
うわっ! 知らんまにレスが進んでる。 (;^_^A アセアセ…

アネモネさん、説明不足のようでした。
単に「法灯明」と記したのは、釈迦牟尼自体が「法」を重要視したということを言いたかったからです。
「法華経」は、蓮祖に最も関係深い経典なので引用しました。
言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。

「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經如來壽量品第十六)

犀角独歩さんのレスと重複しますが(犀角独歩さんレス有り難うございます)、
この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。
この「経典」とは、「法華経」のみを指すのではないと思います。
先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。

970犀角独歩:2003/11/23(日) 19:26

968 ガンコさん:

『日眼女釈迦仏供養事』の該当部分は間違いなく、仏像についてです。

> 「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか

これは造立ではないでしょうね。「可立」です。

> 法華経の中の仏

ここでもガンコさんは勘違いしているでしょう。
「法華経の中の仏」とは権大乗を簡んで、本門寿量仏を言うわけです。
法華経が文字で書かれているから仏は文字で、法であるなどということではありません。蓮師はこれを本門本尊と言い表した。その相貌は文字であれ、仏像であれ、意味するところは同じです。寿量品の意義を具えた仏格をとらえるかどうかにあるわけでしょう。

> 四菩薩とて仏像本尊は造れない

この根拠は何ですか。
一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。
仏の相貌は文字でしか表せないというのは勝手な憶測です。
わたしは文字ですら表せるはずはないと思いますよ。
絵像、彫像にはたしかに表現の限界があるでしょう。けれど、文字も同様です。
我々は漢字文化圏の人間だから漢字で書かれた漫荼羅の諸尊・聖衆のだいたいの意味はわかります。しかし、漢字がわからない文化圏の人からすれば、絵よりさらに漢字で書かれた漫荼羅は何がなんだかわからないのです。

あと、一点、蓮師の教学を考えるうえで、絶対に落としてはいけないことがあります。それは「結縁」ということです。例えば、法華経がある。法がある。それがあれば、衆生が成仏するかと言えば、しないわけですね。もっとも必須条項があるわけでしょう。それが結縁です。たとえば、極楽でも法華経の説法は阿弥陀如来はするでしょう。でも、その阿弥陀如来の説法を我々が聞いても成仏しない。何故か。それは阿弥陀如来は娑婆世界の我々とは無縁の仏だからです。我々と有縁の仏は釈迦如来のみです。ですから、釈迦如来との結縁を得て、釈迦如来の法華経を聞き、結縁の次第を覚知しなければ我々は成仏しないというのが蓮師教学の根幹です。「念仏無間」とは、そのような結縁の次第から他仏へ情を寄せる過ちを突いたものであるわけです。法だけでは成仏はありえない。そこには結縁の仏とその導き手の菩薩(僧)が必要である。ここのところの議論は、この「結縁」という重大事が欠落しているとわたしは思うわけです。まあ、この点はガンコさんに記すところではないかも知れません。福田さんに申し上げたいことでした。

971ガンコ:2003/11/23(日) 20:49

>一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。

あら、うれしい。わたくしって、けっこう富士の立義にかなっているみたい。

972ガンコ:2003/11/23(日) 21:02

>なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

話が前後しますが、顕正会においては入信のおり、会長の指導が読み上げられます。(前にどなたか書いていました)
で、その中に、「一念三千を識らざる者には・・・」の御文があって、ようするに、ここで言う仏は日蓮大聖人であり、大聖人が御本尊を我々に与えてくださる、言うような意味に捉えるわけです。
それ以外はすべて謗法であると・・・
まあ、こういうことを教わってしまうと、特に若いうちは一般教養もありませんので、そのとおりに受け取ってしまうでしょう。
わたくしだって、つい数年前までは、まったく疑うことはありませんでした。
これを刷り込みというのであれば、まあ、そうなんだろうと。

973愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 21:31
ガンコさん。
以前、ガンコさんと「本尊」について議論したことがありましたよね。
その時、川蝉さんや問答迷人さんから御指南を受けました(この場を借りてもう一度お礼申し上げます。有り難うございました)。

その時、小生は蓮祖の「本尊」に3通り(仏像・絵曼陀羅・文字曼荼羅)の可能性があると言ったと思いますが、その考えは今も変わっていません。
実は、この考えを小生に与えたのは「本尊集」です。同じ人が顕した漫荼羅であるのに、それぞれ相貌が違うのは何故だろう・・・・・、これが最初の一歩でした。
そして辿り着いた結論が、蓮祖はその時々の想いに任せて曼陀羅図顕したのではないだろうか・・・・・、ということです。このことは、蓮祖が本尊の形に拘っていなかったのではなかったかとの考えを小生に与えました。
もし「勧請」という言葉が許されるのなら、「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか? ということが蓮祖にとって重要だったのではないでしょうか。仏像に法華経を添えるのはまさにその意義だと思います。

現状の考えを率直に言えば、「法華取要抄」にある

「問て云く、如来滅後二千余年竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答て云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」

とは、所詮「題目の五字」に集約されるのではないかというのが現時点での結論です。

974ガンコ:2003/11/24(月) 03:03

愚鈍凡夫さん

ひじょうに難しいところでして、わたくしも考えを改めないといけない点がたくさんある、と思ってますけど・・・

まあ、お説にそって申すならば、大聖人の御曼荼羅はそれぞれ相貌が異なるといえども、あくまで南無妙法蓮華経が中心であるってことでよろしいかと思います。
しかし、取要抄のいわゆる三大秘法のご教示はどうなんでしょうかね。題目の五字に集約されるとおっしゃるけど、これを本門の題目に集約・・・と言い換えると、ちがうのでは?っていう気がします。
ここで、本尊問答抄の「題目を本尊」とする旨のご教示が入ってくるとわけがわからなくなる・・・ようするに本尊というのは“仏”だという考えがやはり有力だからなわけで、これが本尊問答抄を疑う理由かもしれません。
まあ、わたくしはこうした煩瑣なことをひっくるめて曼荼羅正意としてしまうのがわかりやすいと思うのですが、まだまだいろいろ考えなければならないところがあるようです。

話は変わりますが、愚鈍さんって、おふざけの時とまじめの時のギャップが大きい。

975犀角独歩:2003/11/24(月) 03:20

ガンコさん:

本尊は仏、ぜんぜん有力ではありません。大いに勘違いです。

976犀角独歩:2003/11/24(月) 13:21

本来であれば「つぶやき」に書くべき内容ですが、資糧手放しで少しだけ。

○題目本尊は真跡か?
 法勝人劣ではない経勝劣仏は蓮師説か?

『本尊問答鈔』に「本尊とは勝れたるを用ゆべし」といい、ここに“法華経勝釈迦劣”を明記されています。これは法華経は“父母/釈迦は子”という対比でもあります。(法勝人劣ではなく、あくまで法華“経”勝釈迦劣)
同鈔は本当に蓮師の真筆なのか、わたしはいまだに決し難いところはあります。

その直後、禄内『千日尼御前御返事』(第四書)(青鳧書)にも「仏は子也、法華経は父母也」という一節が見られ、ここでも法華は父母/仏は子という考えが記されています。

両書ともたしかに禄内であって、その信憑性は真跡存に匹敵すると考えられるところですが、『本尊問答鈔』が記されたとされる弘安元年以降の、蓮師の本尊に関する記述を追うと、しかし、法華経勝釈迦劣を殊更論う記述に当たることができない不釣り合いを感じるのは事実です。

ただ例外的に真跡『上野殿母尼御前御返事』弘安3年(1280.10・24)「諸仏の御本尊とし給ふ法華経」という記述は一カ所見られます。けれどここでは馬鳴の故事を挙げるこの記述は 法華経は父母/諸仏は子 というに留まります。真跡で見る限り、題目本尊という線はまるで浮かんできません。

なお、『本尊問答鈔』で記される法華経題目本尊とは“蓮師の本尊観ではなく、あくまで天台宗の本尊観”として記されている点に、殊更わたしは着眼しています。

なぜ、着眼するかと言えば、智邈/灌頂/湛然など中国天台宗の文献には、そもそも「本尊」語の使用がまったく見られないからです。それにもかかわらず、その台家道場に置く法華経を「本尊」という記述は史実に違反すると見えるからです。

わたしが何より題目本尊に疑問を懐くのは、三つの法門(本門本尊/本門題目/本門戒壇)において、本尊と題目を分け立てているのに、なぜ題目を本尊というのか、という疑問でもあります。題目が本尊であれば、この三つは分けて論じる必要はないことになるからです。

また写本遺文で見ると実に早い時期から題目本尊が記されている“ことになっています”。例えば、『唱法華題目鈔』では文応元(1260.05・28)の時点で「本尊は法華経八巻、一巻、一品、或は題目をかきて本尊と定むべし」また、『妙法曼荼羅供養事』文永10(1273)「妙法蓮華経の御本尊供養」、『本尊供養御書(報南条平七郎書)』建治2(1276.12)「法華経御本尊供養」、『法華初心成仏鈔』建治3(1277)「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ」などと『観心本尊鈔』の寿量仏・久遠釈尊本尊観を跨ぎながら、題目本尊観が散りばめられていきます。

いわば、題目本尊観は、むしろ写本遺文、殊に真偽未決書に見られる特徴のように思えます。

しかし、以上のように記せば、ガンコさんが挙げた疑問の如く、ではなぜ漫荼羅は題目を中心に図示されているのか、中心が題目であれば題目本尊ではないのかという反論は当然、起こることになるでしょう。

この時点で、わたしは像非家が常に見ないようにする点、すなわち蓮師の一体仏随身の事実を挙げることになります。

『清澄寺大衆中』に「日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのり」という場合の本尊は間違いなく釈迦仏像を言うものでしょう。

977犀角独歩:2003/11/24(月) 13:22

―976からつづく―

○本尊は仏とは限らない

真跡を具に見ると、蓮師は本尊という語を仏に限って使っているわけではありません。

「此れ等の人々を絵像木像にあらわして本尊と仰ぐ」開目抄
「智証大師の本尊慈氏菩薩」報恩抄

この点は写本遺文においても同様です。

「達磨大師を本尊とする」諸宗問答鈔
「畜類を本尊として男女の愛法を祈り」是名五郎太郎殿御返事
「漢土の道士悦をなして唐土の神百霊を本尊としてありき」四条金吾殿御返事
「儒家には三皇、五帝を用て本尊とする」本尊問答鈔
「達磨を本尊」新池殿御消息

そして、その類型の一つとして法華経本尊という特異な記述も見られることになります。しかし、なぜか日蓮本仏圏では本尊といえば仏、本仏であるという暗黙の決めごとに存しているように見受けます。

これはまた、有師などの日蓮“本尊”論の誤謬とも大いに関連していると、わたしは観察するわけです。
有師が「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」というとき、蓮師を仏と言っているわけではありません。それは次文を見れば明らかです。「未断惑の導師を本尊とする」と明らかです。

ところが、勝れた、それも仏を本尊とするという刷り込まれた固定観念がある場合、元来、日蓮本尊は、ただちに日蓮本仏と解釈されることになります。これしかしながら、まったく短絡です。有師の脈絡は人師本尊から日蓮本尊を言っているものでした。

以上の誤謬は、いわゆる凡夫本仏論にもたしかに踏襲されているとわたしは見ます。
ここで凡夫本仏と言わず、“凡夫本尊”を言うのであれば、元来の富士教説と矛盾を来すことはなかったように見えます。

本尊といえば、仏、それもいちばん勝れた仏・本仏という論法が、人法一箇・日蓮本仏論を生んでいった躓きであったとわたしは観察しているわけです。

978ガンコ:2003/11/24(月) 14:49

相変わらず難しいですなあ。

ところで、清澄寺大衆中の「御本尊」は虚空蔵菩薩のことであるって、どこかで読んだ気がするのですが、う〜ん、いかがでしょうか?

いま、該当部分を大急ぎで読んでみたけど、よくわからない。はっきりしているのは、曼荼羅ではないこと。(当たり前か)

979犀角独歩:2003/11/24(月) 15:18

愚鈍凡夫さん:

横レス失礼します。

> 「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか

というより、法華経題目を証明(しょうみょう)
するために勧請の意を籠めて諸尊聖衆をそこに列挙したとは見られませんか。

980犀角独歩:2003/11/24(月) 15:41

ガンコさん:

清澄寺の本尊は不思議法師が彫った虚空蔵菩薩像ではありませんでしたか。
それが虚空蔵求聞持法を蓮師が修したとき、生身(しょうしん)で現前し、智慧の宝珠を賜った、こうなっていくのでしたね。

像に刻まれた菩薩様は、生身(なまみ)で現れる、ここら辺のコンセプトが仏教説話であると思うわけです。


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