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素朴な疑問

909福田里敏:2003/11/17(月) 22:39
犀角独歩さん
僕が、書くと、法華堂の宣伝にならないでしょうか?もし、よろしければ、関師の著作等を、お送りいたしますが・・・
>南無妙法蓮華経の信仰はないと思います。あるのは妙法蓮華経への南無する信仰ではないでしょうか。また、これは蓮師の創唱であれば、三国四師ではなくなり、蓮師の自称と食い違うことになります。
要綱は、かなり以前のものです。関師は、妙法蓮華経に南無するとの主旨で、話されておりました。
>法本尊なる教学は、そもそも蓮師とは無縁であって、人本尊・法本尊というのが滅後後世の教学であるとわたしは思います。また、『本尊問答鈔』で見る限り、蓮師の本尊観は法本尊ではなく題目本尊です。題目が法であるというのは短絡以外の何ものでもありません。妙法は法でしょうが、妙法蓮華経は経です。ですから、題目本尊とは経本尊でこそあれ、法本尊ではないはずです。
申し訳ないです。僕には、経と法が、同じに感じられます。次回、関師に、会った時に、聞いてみます。
>末法無仏は他の教学圏でも散見しますが、そもそもこれは、例えば『本尊鈔』の「不生不滅」その根拠となる寿量品の「常住此説法」に違反します。
末法には、絶対的な仏はいるわけではなく、我々、一切衆生が、みんな仏なんだよ!的な事を、常に話されてますので、まるっきり仏がいないとは、おっしゃていません。あえて、本仏思想の批判の為に、末法無仏と話されたのだと、解釈しています。
>佛と法が相容れなければ、仏法にはならないでしょう。
これは、仏信仰=他力の信仰・法信仰=自立の信仰、その点を強調されて、相容れないとの、表現になったものと思います。
>法華を本門・迹門と立てる天台義を廃することになり、『本尊鈔』の「寿量佛」が成り立たなくなります。
この点は、勉強してみます。
>信のみを強調する宗教にろくなものはありません。
蓮師は、妙法蓮華経に南無しなさい。と、説かれていますので、思想に誤りがなければ、信じきるのが、大切ではないでしょうか?ただ、僕も、御書を、全文読んでいる訳ではないので、御書に照らし合わせながら、何が、正しいのか?自問自答していきます。
>単に石山の板漫荼羅、血脈論のアンチテーゼから、限りなく創価教学に類似してしまった己義偏向としか映じません。
松戸氏に、近いものは、あります。


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