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素朴な疑問
891
:
ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>
:2003/11/17(月) 02:39
犀角独歩さん 顕正居士さん
犀角独歩さん、続きです。
日蓮聖人ご在世当時、本尊や勤行に関しては、いったい、どのような捉え方をされていたのでしょうか?
また、当時の信徒の基本的な信仰形態、なかんずく、御本尊を授けられていなかった人や、聖人が御本尊を顕される以前のそれは、いかなるものであったのか?と。
もしかすると、本尊を拝む事を中心とした信仰ではなく、お題目を唱える事が主体になっていたのでしょうか?
>「漫荼羅本尊が商売の道具」というご意見がありますが、では、その
>創案者・蓮師自身はどうであったか。漫荼羅を図し、授与する場合、
>必ず供養返礼を受け取っていたことは想像に難くありません。しかし、
>それが否定されることかと言えば、そういう意味ではありません。紙
>・筆・墨が高価な時代、ただで書をもらおうと考えるほうが、むしろ
>非礼であったろうと思えるからです。
そういうのであるのなら構わない、と言うよりも、むしろ、御本尊を書写して下さった(たとえ、それが印刷によるものであったとしても)僧侶に対して、信徒が供養をするのは当然の事だと思います。
それに、僧侶の生活と寺院の運営には、信徒による供養は必要ですから(この事は、宗教団体においても)。
ただ、どこの宗派・教団であろうとも、何かに託けて信徒・会員に必要以上の供養をさせたり、様々なものを購入させたり、あるいは、奉仕という名目でやたらとタダ働きをさせたりする事により、上の人間たちが贅沢三昧な生活をするようなあり方は、明らかに宗教者としての、否、人間としてのモラルに反する間違った行為だと思うのです。
顕正居士さん
>>883
>どの教派でなければ天国にいけないということはないのです。
>そういうことをいう人たちはいますが、それは「カルト」と
>いわれます。ではカトリックではプロテスタントの教会やギ
>リシア正教の信者は天国にいけないというかといえば、そん
>なことはいいません。イスラームでも仏教でも正しい人は天
>国にいくといいます。こういうのを「カルト」でない、「宗
>派」といいます。
ならば、日蓮正宗・創価学会・顕正会は、モロにカルト宗教という事になるわけですね。
以前、フランスの議会で創価学会(SGI)が、カルト宗教として認定されたとかいったような情報に接しましたし、アメリカでも、また、ベルギーかどこかでも同様の事があったとか。
それらの日蓮系カルトのルーツを遡って行くと、どうしても宗祖・日蓮聖人へまで辿り着く事になると思いますし、現代的な視点で以って考えれば、鎌倉時代当時の日蓮教団は、多分、カルト宗教として映ってしまうのではないか?と。
しかし、現代とあの頃とでは時代背景がまったく異なっていますし、あの当時、聖人があそこまで過激で排他的になられたのには、何らかの理由があったのではないか?と思っているのですけど。
それと、お話が外れてしまいますが・・・
法華経信仰者であった宮沢賢治は、若い頃、所属していた国柱会の影響を強く受けたせいなのか、かなり排他的な日蓮思想の持ち主だったようですけど、しかし、晩年においては、むしろ他の宗教と共存して行く方向を目指したり、総合宗教的なものを夢見ていたりしていたと、何かの書籍で読んだ事があります。
それでも、賢治の晩年の作品である「銀河鉄道の夜」の中には、「ほんとうの神様は、たった一人」という台詞が出て来て、また、主人公が所持していた切符に記されていた謎の文字は、「南無妙法蓮華経」を意味していたのだそうですから、やはり、その根底においては、法華経が最も優れた教えだと思っていたのではないか?と。
>文明開化の世には聖典を解釈した学者の本はあふれています。
>「学会や正宗関係以外の様々な書籍」を読んでいくのが、何
>といって、もいちばんの妙薬であろうとおもいます。
最近は、学会と正宗の関係のものに接する事などほとんどない私なのですが、もっと様々な書籍を読んで行かなくてはなりません。
難しくって、なかなかアタマの中に入りませんが、自分なりに少しずつでも読んで行こうと思います。
こちらで、皆さんの色々なご意見に接し、何だか、ますますわからなくなって来ました。
すでに、創価学会に対して相当に批判的な考えで、もはや、辞めているのに等しい状態の私なのですが、しかし、長年あそこに身を置いて来た為、もしかすると自分では無意識のうちに、信仰の捉え方・考え方が創価学会的になっているところがあるのかもしれない?と、そんな風に思ってみます。
長い割には、自分でも何を言いたいのかがわからないような書き込みになってしまいまして、すいませんでした。
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