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素朴な疑問

885ガンコ:2003/11/15(土) 15:04

白米一俵御書を拝して

「命は法華経にたてまつる」が大聖人の御振る舞いあって、また、「されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もをしまず修行して」ということですから、これが仏になる為のあるべき修行のすがたなのだろうと思いますが、白米一俵御書に仰せのことは、とても凡夫には大聖人の御振る舞いをまねすることはできないけれども、まごころの御供養を申し上げるならば、それはそのまま命をたてまつるにひとしい功徳があるとの御意かと存じます。

結局のところ、これが今日、あらゆる教団の集金システムに利用されてしまっているのでしょう。

どこの教団が正統派であるかは別の問題として、現代の資本主義社会の中で、とりわけ税制の優遇を受けていて、はたして大聖人がおよろこびあそばすものかどうか、はなはだ疑わしいものですが、しからば今日において、事供養・理供養の仰せはどのように拝するべきなのか、教団に利用されない為には、大聖人にちょくせつ御供養申し上げるしかないわけですが、それは具体的に何をどうすればいいのか・・・なかなか難しいものがあります。

御法門を学んでいるだけでは、大聖人の御意にはかなわないような気がします。

結局のところ、大聖人の御意にかなう信心とは何かを学んでいる段階ということなのだろう、とあらためて確認した次第です。


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