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素朴な疑問

897犀角独歩:2003/11/17(月) 15:19

福田さん:

はじめまして。
仰せの『本尊鈔』の捉え方とは、どの部分のことでしょうか。
一鈔の元意は本尊とは、観心の本門本尊久遠五百塵点成道の釈尊であると存じます。

しかし、福田さんが仰りたいのは以下の文のことでしょうか。

「其本尊為体 本師娑婆上宝塔居空 塔中妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏 釈尊脇士上行等四菩薩 文殊弥勒等四菩薩眷属居末座」

ここにおける既述が図示漫荼羅の相貌を表しているので、漫荼羅は本尊であるという富士門一般の解釈からの疑問でしょうか。
この点については、一年前『現在の日蓮正宗の教義について』で議論したところです。
一読をいただければ、と思います。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/kyogi.htm


やや、略して申し上げれば、ここでいう本尊とは釈尊を指してのことであるとわたしは思います。漫荼羅の相貌を指していないというのがわたしが主張したことです。
その理由は至って簡単です。上述の句節の結論は「未有寿量佛 来入末法始此“仏像”可令出現歟」となっているからです。

第一、『本尊鈔』のこの一節が漫荼羅本尊の相貌であるというのであれば、何故、不動・愛染の梵字による記述、ならびに四大天王など、その他、蓮師漫荼羅を特徴づける特異点に何ら既述されるところがないのでしょうか。

以上が昨年、勘案したところでした。
しかし、このころ、わたしは「法華経の題目を以て本尊とすべし」と記される興師古写本しかない『本尊問答鈔』に疑義を懐いていました。けれど、いまは題目本尊という趣旨にやや傾いているところはあります。その意味から『本尊鈔』を再読するに「其本尊為体」の直前の文章、

「此本門肝心於南無妙法蓮華経五字佛文殊薬王等不付属之 何況其已下乎 但召地涌千界説八品付属之」とあることから、『本尊鈔』上述箇所に言う本尊とは既に妙法五字を指しているとも読めると再考しているところはあります。

しかし、この場合でも本尊は妙法五字なので、漫荼羅全体を指して本尊という如きは了承できるところではありません。

なお、寛師が、仏像に対する勝手な解釈をわたしは採りません。
板漫荼羅宣揚、蓮師の既述の元意枉げる勝手解釈と思うからです。

疑義の点と的外れでしたら、今一度、お尋ねください。


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