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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2117犀角独歩:2005/04/03(日) 11:46:52

> 2116

財務ですか。この起源はかなり初期まで遡れるのではないでしょうか。
戸田さんの時代のことです。(戦前にあったかどうかは知りません)
当時、一定の収入があり、生活が安定している人に限り、「財務部員」となることを許すというものでした。財務部員になると「鶴丸バッジ」が授与されました。(いま顕正会会員が付けているのは、そのバッジを模倣したものでしょう)
たしか、バッジにはランクがあり、金、銀、銅の3種ではなかったでしょうか。このランクはしかし、財務の納入額の差であったか、本部幹部その他の役職を含む上下差であったかは記憶が定かではありません。どなたか補完してくだされば、有り難く存じます。

昭和28年入会の町工場を営む父は、いつもは油まみれの作業着で働いているのに、学会、本山に向かうとき、ダークスーツをびしっと着込み、胸に鈍く光鶴丸バッジを付けて出掛けていったものでした。

正直な思い出を記すと、このバッジは学会員のステータスのようなもので、いわば憧れの対象でした。「いつか、あのバッジを付けられるようになりたい」、幼心にそんなことを思っていたのを覚えています。ところが、自分が長じるころには廃止になり、それなのに、「せっかく建てた」正本堂に反対するビラを寺の門前なんかで配る「連中」が、自分たちの専売特許のように、胸に付けていたことを、腹立たしく思ったものでした。

さらに余計なことを記せば、わたしが中学校のころ、「高等部長」になると「部長バッジ」というものがあり、これまた、憧れの対象。朝晩の勤行を欠かさず、1日1時間の唱題をし、会合も皆勤で、教学試験にも合格して、「いざ、部長に」という高校2年。高等部長は中心グループ長と名称が変更になり、バッジも廃止。「残念!」という思い出があります。

…、こうして書いてみると、わたし(と家族)は、典型的な創価学会員であったことを、改めて自己認識します(自嘲)

しかし、そうですね。「財務」は隠語というか、公然とした特殊用語。なるほどというご指摘ですね。

しかしながら、財務は「財政に関する事務」なのに寄付そのものを指す理由は、拠出する各人は、その事務に直説携わるのと同じという精神からではなかったのかと想像されます。

いずれにしても、当初の財務と、正本堂以降のそれとは天地雲泥の差があります。
少なくとも、戸田さんは財務を出せば、功徳・御利益があるとは言わなかったからです。

2118ファリオン:2005/04/03(日) 18:33:31
犀角独歩さん

有難う御座います。よく解りました。
元々は本来の使い方であったのが、そこに携わる人たちの代名詞になった訳ですね。
そして、ステータスでもあるのだから、言葉としても特別な意味を帯びる。納得です。

>正本堂以降のそれとは天地雲泥の差
本当はこんな見方は間違いかもしれませんが、池田氏が、宗教法人を隠れ蓑に金を漁っていると、勘繰りたくなります。

それにしても、独歩さんの体験談を読んで、当時の学会に違和感を感じました。
どこか「信仰」からずれていて、何かの会社のように思えます。
現在でも、何かを競わせて学会員を煽っているような指導があるそうで、上層部が変わらない限り、世間で言うカルト的な部分はなくならないのでしょうね、

2119犀角独歩:2005/04/03(日) 18:51:51

2118 ファリオンさん:

> 体験談を読んで、当時の学会に違和感

それはそうでしょう、書いている本人がご感想そのものの感を懐くわけですから(笑)

こんな分析をする学者がいるかどうか知りませんが、戦後復興の歩調に載って発展した創価学会はまた、その高度成長社会の‘時代の子’であり、それは近代史の「現世利益」を書き換えたものであったのでしょう。

「創価学会組織で成功する人間は、どんな会社営業でもこなせるようになるよ」とは、学会時代に先輩から言われた言葉です。要は、「拡張営業」のノウハウの多くはダブっており、そのモチベーションをつけるやり方は、自己啓発セミナーなどとダブっていると言うことでしょうね。

では、それが宗教といえるか? という問いかけが成り立つわけですが、それが戦後日本型宗教の典型であり、その宗教団体が政府与党にまで食い込んだと言うことは、結局のところ、多数決の論理から言えば、戦後日本人が最も支持した宗教形態であったということになりますか。しかし、こんな政治評論家が言うような得票=民意という考えは「糞食らえ」というのが、わたしの気分です。

2120パンナコッタ:2005/04/03(日) 19:13:21

〉横レス失礼します。
学会の場合、会館付を『任務』と言い、おそらく「作務」からの引用と思われます。
つまり教団に奉仕することも、布施する事も「つとめ」として捉えさせようとの
考えからだと思われます。

2121ファリオン:2005/04/03(日) 21:05:41
>>2119
犀角独歩さん

>書いている本人が──
失礼しました。言わずもがな、ですね。

>「拡張営業」のノウハウ
そうですね。だから、似たような団体がぞろぞろ出て来る訳ですね。
とどのつまりが、宗教の皮を被った集金団体……

以前、ちょっとだけ「アムウェイ」の集会に顔を出したことが有りますが、新興宗教そのものでした。
まるっきり違う世界だったので、引きまくっていました。他人を勧誘しなくて良かったと、今更ながら思っています。

求心力の有る人がいると、僅かな切っ掛けで盲信してしまうのは、日本人の特性なのでは、と思っています。
だからこそ、芳しくない噂が有ってもその集団に入ってしまうのでしょうね。
自分の中にも、そういった部分が有ると思うと、ぞっとします。

>>2120
パンナコッタさん

「任務」は友人の学会員から聞いたことが有ります。
その時は聞き流していましたが、今考えると、得体の知れない違和感を感じます。

2122犀角独歩:2005/04/03(日) 22:02:18

パンナコッタさん、ちょっと、おひさしぶり。
先だっては、有り難うございました。

「任務」。そうですね、、これまた、言われてみれば、不思議な言葉ですね。
そうやって次々と考えていくと、あそこの役割名というのも、一般社会からすれば、違和感がありますね。今はどんな呼び名か知りませんが、牙城会、錦城会(字、忘れました。合ってますか)、会館を守る会、白蓮グループとか、信一会、水滸会…。ご学友グループ…、これは違いますか(笑)

わたしが特に嫌いな‘特殊用語’は「新聞啓蒙」です。

2123吉祥仙人:2005/04/04(月) 05:13:25
 犀角独歩さんへ

 私の理解では、「財務部員」以外から総本山整備のために募られたのが
「特別財務」。
 そして今や、普通の家庭が参加する。年1回の「財務」

 ということではないでしょうか。

 「財務」という言葉が今も使われているのは、犀角独歩さんの時代の人達が、
「福運を積んで、『いつかはクラウン』にも乗って、『いつかは財務部員』」という
「伝統」かもしれません。

 「新聞啓蒙」も役所が「啓蒙」から「啓発」に改めたのに習って「新聞啓発活動」に
改めるべきではあるでしょう。

2124犀角独歩:2005/04/04(月) 09:19:02

> 2123

これは吉祥仙人さんの個人的な勘違いでしょう。

「総本山整備」ということですから、これは離間以前の話ですね。
学会席、35年のわたしのほうが正確に記述できます。

「財務」という言葉は、あくまで学会運営に当てる資金調達を指す言葉です。
これに対して、石山・坊さんに拠出するものは「供養」と言い分けていました。

では、財務と特別財務の差ですが、前者は毎年決まって行う恒例のもの、後者は特別に新しい会館を建てるとかなんとかという名目で前者とは別にさらに徴収するものを言ったわけです。

なお、「供養」語は「正宗寺院・僧侶(まあ、彼らの口上では「御本尊様」に限って使う)」語であるのに、それを学会(殊に池田さん)が受けられると言ったのが『仏教史観を語る』という講演で、これが大問題になって、第一次紛争の火種になっていったわけです。

仏教史観を語る
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/shikan.htm

石山の反論と学会の答え
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/kuyou.htm

今では、離間したわけですから、当然、学会内部の認識としては、財務=供養ということが、公然と正当化されているのでしょう。

しかし、戸田さん以降、財務と供養を厳格に分けるところに信仰を見た人々にとって、これは隔世の感があることを「歴史」として知っていただきたいと思います。

2125犀角独歩:2005/04/04(月) 09:59:22
> 「新聞啓蒙」も役所が「啓蒙」から「啓発」

たしかに、最近の役所は「啓発」と言い換えています。しかし、だから、学会が、同じように言い換えればよいと言うことではないでしょう。

「啓蒙」は啓蒙思想、主義を転用したものでしょう。

けいもう-しそう―さう 【啓蒙思想】

18世紀フランスを中心としてヨーロッパ全域に広がった革新的思想。キリスト教会などの伝統的権威から解放された理性の使用を公衆に促し、人類の普遍的進歩を図った。フランスではデカルト的体系への批判を伴った。フランスのボルテール・百科全書派、イギリスのロック・ヒュームが代表。啓蒙主義。(三省堂提供「大辞林 第二版」)

しかし、新聞の販売というのは、宗教法人に許される33の収益事業の一つです。
となれば、一般の新聞社が使用する「拡販」というのがいちばん適当な言葉ではないでしょうか。

2126ファリオン:2005/04/04(月) 18:38:01
皆さん、いろいろとご教示下さり、有難う御座います。
これで、単なる勘繰りを一つ改めることが出来ました。

聖教新聞──学会側と世間とで、位置付けが曖昧になっているから、話がこじれるのではないでしょうか。
機関紙であるなら、趣旨や主張を外部に伝えるのも役割の一つだと思うのですが、実際は学会員に対する内容のみです。
一方、世間では機関紙とは思っていないようで、他の新聞と同じ扱いですから、理解するどころか反発を起こしています。
何とも、不幸なことだと思います。

2127:2005/04/05(火) 05:16:59
はじめまして。
気になったんですが、チョンガーさん、独歩さん、犀角独歩さんは
もしかして同一人物ですか?

2128問答迷人:2005/04/05(火) 06:25:24

理さん

>チョンガーさん、独歩さん、犀角独歩さんはもしかして同一人物ですか?

チョンガーさんは札幌の人、犀角独歩さんは東京の人、全くの別人です。犀角独歩さんは、当初『独歩』のハンドルで書かれてました。


参考までにチョンガーさんのサイトはここです。

http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/chuui.htm

2129宝浄:2005/04/05(火) 13:50:23
ここは多重HNを禁止しているわけじゃないから「だれがだれ」みたいな犯人探しあてっこはやめようよ。
よけいですが(犀角)独歩さんのHPは以下。執行海秀論文なんかが消えてしまったのは残念。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/

2130犀角独歩:2005/04/05(火) 17:36:19

わたしはチョンガーさんではありません。同氏のHPが「独立独歩」であることをわたしは知らず、いまのペンネームで参加してしまい、本日に至っております。いまさらながらですが、チョンガーさんには、陳謝申し上げるものです。

なお、わたしも宝浄さん…どこかで聞いたことのある名前です…のご意見に賛成です。また、執行海秀師資料に関しては、近く再アップする予定です。また、HPアドレスも変更になっています。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/

2131犀角独歩:2005/04/07(木) 04:22:57

自己レスになってしまいますが、池田さん講演『仏教史観を語る』、誰が原稿を書いたのか知りませんが、よい出来でした。ここら辺に現役さんからの、何のレスもないのは寂しいですね(笑)

2132えばら:2005/04/07(木) 20:11:03
独歩さんと西川さんは同一人物ですか。

2133犀角独歩:2005/04/07(木) 23:51:14

> 2132

再三なので、申し上げます。
わたしはこの手の質問には今後、応じません。今回を最後とします。

西川さんは女性、わたしは男。西川さんと電話その他で話されたこちらの常連さんは多くいます。その常連さんで、わたしと実際にお会いしている人もいらっしゃります。
つまり、別人です。

西川さんはネット書店の店長で、わたしはそこの書き手という関係です。
こんなことまで、書かなくてもよいのですが…、ついでに書けば、わたしの携帯はボーダーフォンで掲示板の閲覧・投稿が困難です。
そんなことから、掲示板の内容を送信してもらい、そのレスを返信して、代理で投稿していただくことはあります。
しかし、これはわたしの文章です。以上です。

2134犀角独歩:2005/04/08(金) 10:22:26

藤川さん、おはようございます。

ちょっと、レクチャーしていただきたいのです。
本日、明け方から、小笠原慈聞著『法華経の玄理一念三千の法門』を読みました。このなかで「本尊機関説」(P97)なる造語が出てきて興味深かったのです。しかし、これは置いて、この機関説と言えば、想起されるのは「天皇機関説」となりますが、この辺と石山の近代教学というのは、どんな具合に理解されることになるのでしょうか。ご賢察をお伺いしたいのですが、よろしくお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18322301.html

2135藤川一郎:2005/04/08(金) 12:02:20
本尊機関説?もとい天皇機関説ですか?
この小笠原師の「本尊機関説」の内容に興味が湧きますが、それはさておき・・・
立憲君主制の元での、天皇機関説というのはかなり正論に近かったようです。
昭和天皇は天皇機関説を最も支持されたようです。
しかしながら、昭和天皇が天皇機関説支持を表明されなかったのは、「機関」である御身が不用意に発言してはならないからという、ジレンマの中にいたためのようです。つまり天皇機関説支持を表明することが天皇機関説に反するという御考えからだそうです。

さて、この天皇機関説を美濃部達吉氏が発表したのは、1912年(大正元年)の『憲法講話』に遡るのですが、その当時は、天皇主権説の上杉慎吉氏との間に論争が生じただけであり、未だ社会的な批判にはなっておりません。
これが社会的に問題になるのは、1935年(昭和10年)まで待たねばなりません。
昭和10年といえば226事件の前年ですが、既に満州事変の勃発した後であります。
つまり国策として天皇機関説が非難されたのであり、真摯な学者の論争にはなっておりません。
さて、大正元年に発表された天皇機関説と吉野作造氏の民本主義等が相まって、当宗における、日柱上人追落し事件(大正14年)に影響があったことはあると思われますが正確には分かりません。しかしながらもともと、民主主義や機関説等という考え自体が絶対のものではありませんし、それをもって理論的武装をするのは、下克上的発想とも考えられます。
そんな中、反日柱上人の御僧侶に対し、唯受一人の日柱上人に味方したのが、東京の在家信徒たちですが、この方たちすら、御法主利用の心が全くなかったかは疑問です。
当時の文書を読んでも、御法主の衣を利用して自分らの正義を主張した観が無いとは言い切れません。
現今の創価学会が、御法主を権威主義と非難しますが、その権威を隠れ蓑に利用していたのは外ならぬ創価学会だったのです。権威を持ち上げるだけ持ち上げておいて、それを利用価値が無くなったから捨て去っただけです。はしごの上に人を乗せて於いて、はしごを外したようなものです。

2136藤川一郎:2005/04/08(金) 12:03:31
さて、戻りまして天皇機関説について私論を申し上げますと、やはり余り正論とは言えないようです。そもそも天皇陛下の地位を法で定めることに無理があるのです。
そもそも天皇という地位は法で定められたものではありません。大日本国憲法前の大宝律令ですら、実は全く明示されておりません。
天皇という地位が有史以来初めて名文されるのは「禁中並びに公家諸法度」なのであります。しかも家臣である徳川家が主君である天子(天皇)を法で縛るという、明らかなる下克上法なのです。天皇という御地位を歴史的連続性から法で定めることは元来無理なのです。戦前の憲法を「天皇主権の欽定憲法」等と評しますが、その中で天皇の地位を定めている時点で、既に天皇を縛るものであるのです。戦後の象徴天皇制ですら、その上に乗っかっているものに過ぎません。昭和天皇が天皇機関説を支持されたのは、その帝王学の教育の賜に過ぎません。幼き日より「立憲君主」の御教育を受けられていたから、憲法を越える天皇など夢のまた夢だったようです。

最後に隆慶一郎の小説「影武者徳川家康」に面白い下りがありました。
道々の者(天皇以外主を持たない階層)出身の主人公大御所家康の影武者、世羅田二郎三郎元信に、現将軍として秀忠が「禁中並びに公家諸法度」の裁可を願ってくる場面です。
その時の主人公の言葉がまさに日本の天皇観を語っているので面白いで、最後に記しておきます。
「そのほう、気は確かか?そのほうは知らんのだ!古来より天子を縛る法が定められたことは無いのだぞ!法とて全て天子より出ずるのだ。法と天子は同格だ。このような下克上の法度が認められる分けなかろう!」
結局歴史は、この法を定めてしまうわけですから、「禁中並びに公家諸法度」「大日本帝国国憲法」「日本国憲法」は全て、不連続の連続の範疇にあると捉えても間違いは無いでしょう。
ちなみに、この中に出てくる「道々の者」等の末裔が今の被差別部落の方たちなのですが、その方々が根本理念を忘れて「天皇制打破」を言うのは間違っているという考えが、水平社の中でも持ち上がっており、「灘本・師岡論争」として話題になっております。

2137犀角独歩:2005/04/08(金) 14:32:14

藤川さん、長文のご教示有り難うございました。
参考になりました。

> 法と天子は同格だ

うーむ。これはまさに「人法一箇」。「戒壇の大御本尊と御法主上人猊下は不二の尊体」と、脈絡を同じにしているように見えます。

> 下克上法

やや脱線しますが、天皇も民衆も法の下に平等というのは、憲法の読み違えでしょうね。

2138問答迷人:2005/04/08(金) 14:43:30

確か現憲法では、基本的人権は天皇には認められていないのでは有りませんでしたか?

2139犀角独歩:2005/04/08(金) 15:33:40

問答さん、仰るとおりであろうかと存じます。
これは「創価学会が」ということかどうかわかりませんが、民主主義の下では、天皇も民衆も平等であるとわたしは学会で習った記憶があります。

2140えばら:2005/04/08(金) 17:53:36
独歩さん、すみませんでした。

2141問答迷人:2005/04/10(日) 20:51:26

「南無妙法蓮華経」と蓮師が説かれるとき、その意味は?

一 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻に帰命すること。
二 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の経題たる「妙法蓮華経の五字」に帰命すること。
三 大乗仏教の「サダルマプンダリーカスートラ」と名付けられた教えに帰命すること。
四 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の文底に秘沈された、蓮師の出世の本懐たる三大秘法惣在の本門戒壇の大御本尊(大石寺戒壇板本尊)に帰命すること。
五 蓮師が上行菩薩として虚空会に於いて釈尊より付属された要法たる「妙法蓮華経の五字」に帰命すること。
六 大宇宙の本源の法が妙法蓮華経であり、その大宇宙の本源の法に帰命すること。

まだまだ、色々と説明が考えられそうです。蓮師の本意は如何?

2142犀角独歩:2005/04/10(日) 21:29:31

一念三千の宝珠を裏むことも挙げられますね。
以前であれば、「因果倶時」と言ったでしょうが、これはどうでしょうか。

わたしは「六」はないと考えます。諸法の実相、すなわち、一心、一念の実相であるという認識であったと思います。

2143問答迷人:2005/04/10(日) 21:56:31

犀角独歩さん

四の可能性は、幾らかは否定しきれない、ということでしょうか。

>一念三千の宝珠を裏むことも挙げられますね。

妙法蓮華経の意味としては、そういうことになるかと思います。ただ、今、僕が疑問としているのは、南無妙法蓮華経というとき、それは、どこまでも「妙法蓮華経」に「南無」する、という意味以外は無いと思いますので、蓮師が無妙法蓮華経と言われる場合の「妙法蓮華経」とは一体何を指して「妙法蓮華経」とされたのであろうか、という疑問なのです。

そうすると、一は経文の書かれている通りの経巻信仰ですから、これが蓮師の大枠の捉え方なのでは無いかと思うわけです。二は、蓮師が遺文の各所に説かれるところですから、一を煎じ詰めたら二になるのだと思います。三は妙法蓮華経が羅什の漢訳本という事情を勘案すれば、当然の帰結で、蓮師もこのお考えで有ったろうと思います。五は真偽未決の三大秘法抄に説かれるところですが、本尊抄の文脈からすれば、蓮師の考えにそんなに外れることは無いのではないかと思います。六は創価学会が好んで用いる表現ですか、蓮師の本意に叶うかどうか、いささか疑問です。これではまるでバラモンの梵我一如の延長のように思います。

結局、突き詰めると、五、辺りが蓮師の本意なのでしょうか。

2144犀角独歩:2005/04/11(月) 08:42:12

2142は舌足らずでした。もちろん、四の考えは、彫刻本尊が後世の造立である以上、蓮師の考えであるはずはありません。

> 五、辺りが蓮師の本意

以前、問答さんと議論したところですが、五百塵点成道の釈尊は法華経を師として成仏したわけですね。法華梵本で読むと経典は永遠の過去からあったとなっているわけですが、天台以降は「妙法蓮華経」の五字となっていき、それが蓮師において徹底されるといった趣です。いずれにしても、法華経が師であり・仏は弟子の関係でした

わたしは釈尊上行を一体と見る解釈はまったく承伏しかねます。
しかし、本尊抄を読む限り、上行菩薩は釈尊己心の菩薩であり、三身所顕無始古仏という考えであったように見受けます。

ここで考えられるのは、釈尊を仏にした五字への信仰かどうかという点ですね。
わたしは蓮師の上行応誕論というのは、興師門下で醸造したものであったろうと考えます。何故ならば、自身上行菩薩の確信となれば、釈尊己心となりますから、すなわち、釈尊であるという宣言に他ならないことになるからです。ただし、このような信仰的な方向は、たとえば「釈尊己心の上行菩薩となろう」という目標設定としては可能かも知れません。

通常、一念三千は「生命の諸相」のように言われますが、教学的な構築はそうはなっていません。要は釈尊が五百塵点成道と菩薩道、娑婆世界説法を明らかにしたことで素材が出揃うという組み立ててであるわけです。つまり、一念三千は久遠釈尊なしでは成り立たない教義である点が、殊に現行の学会を含む石山門下では等閑にされています。
要は一念三千法門の成就は三妙合論される久遠釈尊という仏界を得ざれば成立しないわけで、信奉する側の教学的な姿勢は、その久遠釈尊の体内となる信仰にほかならないとわたしは観察します。

ここでポイントになるのは、自分自身が、五百塵点成道釈尊の弟子か否かという証明の取り方でしょう。艱難辛苦を堪え、法華経を滅後末法に弘通するということ自体が、此土有縁深厚の地涌菩薩の流類である証明という半ば脅迫観念的な心身行動規範が蓮師にはあったと見受けます。

わたしは、この蓮師の行動規範として謎に思うのは、冒頭に記した仏の師は法華経という点です。しかし、その後、その師仏有縁の衆生は恒に仏を師として成道するというの常軌となります。しかし、蓮師は、師を仏にした法を直ちに仰ぐという方法論を採ったわけです。ただし、このように記すと、恰も、蓮師が師仏成道の次第を自分と滅後の衆生に当てはめたのかという疑問は生じるわけですが、しかし、これはやや違うように思えます。

何故ならば、上述したとおり、一念三千は釈尊自体の久遠成道の次第をもって完結する以上、その師仏を飛び越えての法華信仰は一念三千足り得ないからです。

では、法華信仰とは、師仏信仰と。その師仏を仏にした経典信仰の二人三脚かという疑問を呈することは出来ようかと思います。わたしは、この考えはある程度は当たっていると思います。つまり、法華以前の経典を爾前権経と斥け、独り法華を採って、しかも釈尊を信仰するという構造です。

このような教学的な姿勢が本尊抄までに、本門本尊(久遠釈尊)と本門題目(妙法蓮華経)という形で結実したのではないのかと類推します。

その後、本門戒壇の勘案が足され「三つの法門」という形式を整えようとしながら、ついに戒壇義を十分に練ることなく、円寂したのであろうと思えます。その意味において、本門戒壇は言葉はあっても、その意義を蓮師自身十分には尽くさなかったと結論せざるを得ません。これを「ご本仏であるから一切の施化を畢えられはずであるから、説いていないわけがない」などというドグマに、わたしは付き合う気はありません。

以上のことから、蓮師の妙法蓮華経信仰は、自身地涌菩薩という「目標」に教学的根拠を久遠釈尊、決要付属要法(妙法蓮華経)の流布に邁進することで証明するという構造をもったものではなかったのかと思え、その意味から問答さんが2141に掲げられた一から六のなかでは、わたしも、類型的には五であろうと考えるものです。

2145問答迷人:2005/04/11(月) 11:48:54

犀角独歩さん

>法華信仰とは、師仏信仰と。その師仏を仏にした経典信仰の二人三脚
>蓮師の妙法蓮華経信仰は、自身地涌菩薩という「目標」に教学的根拠を久遠釈尊、決要付属要法(妙法蓮華経)の流布に邁進することで証明する

なるほど。判りやすいですね。また、逆に経典信仰を突き詰めると、少なくとも久遠釈尊との関係を避ける事が出来ない。そういう意味で確かに二重構造になつていますね。

ところで、久遠釈尊を師と仰ぐ事と、久遠釈尊を本尊とする事とは、蓮師にとって同義だったと考えられますか、この点、独歩さんのお考えを承りたく存じます。

2146犀角独歩:2005/04/11(月) 12:07:33

> 久遠釈尊を師…久遠釈尊を本尊…蓮師にとって同義

これはどうでしょうか。非常に難しいご質問ですね。

蓮師が感得した久遠釈尊は、法華を拠り所として、己心に観た本尊であったわけですね。観心本尊であり、その本尊を末法本尊とするところが本門本尊であり、付属の要法は本門題目ですね。では、師はとなると、この本尊を教える仁ということになるので、教理的に分ければ、法華経典の説法主と経でなければならないことになります。
厳格に分類すれば、久遠本仏と現在の師は分けるべきと思えます。もちろん久遠に立ち還った段階で異仏にあらずですが。しかしまた、釈尊の末法に生まれた蓮師は、在世に会わず、となれば、師と出来たものは法華経典=梵音声という考えがあったようにも思えます。

問答さんは、どのようにお考えになられますか。

2147問答迷人:2005/04/11(月) 13:59:18

難しいですね。言える事は、『漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻に帰命する』という経巻信仰の帰結として、蓮祖は久遠釈尊を感得されたであろうこと。それが、「観心本尊」であり「本門の本尊」なのだと思います。そして、その経巻信仰の具体的実践が唱題であったこと。それは、付属の要法を直ちに唱える、という形であり、それが「本門の題目」なんだと思います。

順序から言うと、『本門の題目』(唱題の実践)→『本門の本尊』(本尊の感得) という流れなんだと思います。

そうすると、師はやはり『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を師とされたということになりましょうか。

2148犀角独歩:2005/04/11(月) 14:47:41

本尊と本師が両方出てくる文があります。本尊抄の

「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏…」

という余りに有名な一節です。ここでは本尊、本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使い分けています。しかし、以前も記しましたが、わたしはこの読み下し、どうも違っていると思うわけです。まあ、それはいまは置きます。
この文章の構成は、大きく本尊を説明するのに、本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使われている関係にあります。本師はイコール釈迦牟尼仏でしょう。さらに妙法蓮華経とその十界聖衆を挙げていきます。そして、妙法蓮華経は一念三千の珠を裏むともいうわけですね。

> 『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を師

ここはですね。妙法蓮華経の説法主=教主、が師と考えがちですが、ともかく、釈迦の在世ではなく、末法という時代設定は無仏の時代を意味します。となれば、やはり、おっしゃるように法華経典=師となるのでしょうか。このように考えると、無始に遡れる無限循環は論理的に整合性を持つことになるにはなりますが。

やや、話を進めますが、わたしは梵本直訳を読んで直ちに感じたのは、このテキストでは、法華経によって成仏という形を提供するわけですが、結局のところ、その成仏の要因は菩薩行に尽きているという点です。つまり、法華経とは、どのように菩薩行をするのかというテキストであるということです。ですから、蓮師のように常不軽菩薩、また、地涌菩薩という菩薩の有様を鑑み、その行動規範を心身に当てはめていく上で、妙法蓮華経があるという形は、いわば健全であると思えます。

しかし、密教的な要素というか、妙法蓮華経が宇宙の妙法だとか、リズムだとか、そんなことを言い出すと、いわば、一種のマントラ、もっと悪い言い方をすれば「おまじない」の様相を呈していきます。心身でやっていることなど、どうでもよく、悪いことをやろうが、何しようが「南無妙法蓮華経」と呪文を唱えると、これでオーケー、こんなイージーゴーイングに行き着いた末、ばっさりと忘れ落とされてきたのが菩薩行です。また、菩薩行は、単に教団拡張という折伏の異名と解釈し直されたとき、菩薩はただの勧誘員に成り下がり、菩薩行は潰えてしまったという流れがあると思えるのです。

本尊は何か、師は何か、という問題も重要ですが、その本尊、師を仰ぎ、いったい、何をするのかというほうが、よほど重要な課題であることが忘れ去られています。挙げ句の果てに禅民衆が題目を唱えて戒壇を建立すれば災害が収まり、みんな平和だなどという与太話で人を先導するというのは、まったく蓮師の元意に悖ると断言できます。その意味からも、本門戒壇は考証し直されなければならないとわたしには思えます。

2149犀角独歩:2005/04/11(月) 14:49:45

【2148の訂正】

誤)ここはですね。
正)ここですね。

誤)禅民衆
正)全民衆

2150問答迷人:2005/04/11(月) 16:18:03

>蓮師のように常不軽菩薩、また、地涌菩薩という菩薩の有様を鑑み、その行動規範を心身に当てはめていく上で、妙法蓮華経があるという形は、いわば健全であると思えます。

僕もそのように思います。蓮師の「法華経を身で読む」という実践、それは、具体的には不軽菩薩の跡を継ぐ振る舞いであり、地涌菩薩たらんとする振る舞いに他ならないと思います。それを「妙法蓮華経に帰命」=「南無妙法蓮華経」と端的に表現されたのだと思います。

2151問答迷人:2005/04/11(月) 18:09:25

つづきです。

>2148 本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使われている関係にあります。本師はイコール釈迦牟尼仏でしょう。

つまり、蓮師にとって本師とは釈迦牟尼仏であり、蓮師の生きた時代は釈迦牟尼仏の滅後なるが故に、釈迦牟尼仏の梵音声たる『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を本師とされたと言う事ですね。そうすると、「本門の本尊」と「本師」は蓮師において、同義ではなかったことになりますね。

2152問答迷人:2005/04/11(月) 18:15:35

つづきです。

>2148その本尊、師を仰ぎ、いったい、何をするのか

菩薩行を法華経は勧めています。それでは蓮師の考え行った菩薩行とは具体的にはどういう内容だったのでしょうか。慈善事業、利他行、六波羅蜜・・・

2153犀角独歩:2005/04/11(月) 20:11:29

> 2152

やはり、この問題に至りますね。結局のところ、法華経の菩薩行のコンセプトは滅後弘教という一点に重点があります。仰るような慈善的な側面は見られないように思えます。

極端に神格された経典崇拝。その経典を奉持し、弘教のために身を擲ち、艱難辛苦、法難に遭うところに過去の滅罪があるといいます。しかも、その難を受けることは宿命(しゅくみょう=過去世の一生)であり、自分の罪による、その罪を受難で消し去るとき、仏となって長遠の寿命を得ることが出来る。これが法華経という物語で語られる偽らざる菩薩観ですね。

問答さんは、このような菩薩観と、法隆寺の玉虫厨子に描かれる捨身飼虎図と言った本生故事(ジャータカ)に見られる菩薩観と、どちらを優位とご覧になりますか。

2154犀角独歩:2005/04/11(月) 20:20:45

2153の補足

元)宿命(しゅくみょう=過去世の一生)であり
補)宿命(しゅくみょう=過去世の一生)の結果であり

2155愚鈍凡夫:2005/04/11(月) 20:44:55

横レス失礼します。
法華経って、今風にいえばマニュアル的要素が強いですよね。言葉を換えれば「成仏マニュアル」ってところでしょうか。そう意味で、法華経信奉っていうのは、「参考書を抱えた受験生」みたいな感じもしますね。マニュアル人間大量生産という意味では、今の時代と大して変わらない価値観かと思います。
歴史上の釈迦牟尼が聞いたら、そんなマニュアル書いた覚えはないし、そんなものは仏教じゃないと言うかも知れませんね。

「ふふふっ、大乗仏教は既にあんたの手を離れているんだよ。あんたはおとなしく、名義だけ貸していればいいのさ」(by 巨大カルト教団の名誉会長) (-.-)y-〜〜

「誰かのホンネが聞こえたような気がしました。空耳かなぁ〜ッ」(by 独り言)

2156一字三礼:2005/04/11(月) 22:08:50
横レス失礼します。

法華経は、あらゆる菩薩行を想定してそれを肯定しているように思います。

方便品に「十方世界の中には尚ほ二乗なし、何に況んや三あらんや。」を説き出す前振りとして、序品で、東方八千の仏国土を照らした時、そこに展開されている様々な声聞行や菩薩行は、一仏乗を表しているのではないでしょうか。
また、方便品とは、何も新しい教説を付加せずに、今迄あった四諦・十二因縁・三十七道品等のあらゆる修行と教説をそのまま実は一仏乗であった、と言ってしまう思い切った教えです。方便品の精神からは、およそ全ての仏教の菩薩行は、法華経の菩薩行と言えるでしょう。
現代で言う慈善事業的な意識が希薄であるのは、もとより仏教が、病や貧困等の苦しみを精神面から克服する事を目的としたものなので、むしろ当たり前のように思います。

2157問答迷人:2005/04/11(月) 22:11:47

>本生故事(ジャータカ)に見られる菩薩観と、どちらを優位

勿論、ジャータカの菩薩観が先行し、法華経の菩薩は、それらを集大成しようとした試みであろうと思います。

法華経にも、利他行、慈善無きにしも非ずです。観世音菩薩と妙音菩薩は、先行する菩薩観を法華の菩薩として統合しようとしたのだと思います。そういう意味では、法華の菩薩は本来は融通無碍、自由闊達な有様であったと思います。ところが、蓮師はこれら観世音菩薩や妙音菩薩に触れられた真蹟遺文はほとんど見当たらないのでは、と思います。偽書の疑いが高い真偽未決の御義口伝や、御講聞書において見られるに過ぎないと思います。

2158問答迷人:2005/04/11(月) 22:17:56

舌足らずでしたので、もう少し補足しますと、観世音菩薩は三十三身、妙音菩薩は三十四身を現じて衆生を済度むする、と説かれています。医者となって仏の教えを実践するもの、商人となって仏の教えを広めるもの・・・・等々、そこにはあらゆる慈善事業も包括していると思います。

2159犀角独歩:2005/04/11(月) 22:53:56

一字三礼さん
問答迷人さん

なるほど。法華経の菩薩観を弘教に限るというのは、やや狭隘な見方であるというご指摘と拝しました。わたしも考えを改めようと思います。

2160犀角独歩:2005/04/12(火) 08:06:39

問答さんのご指摘を承けて、種々勘案し直しました。

わたしは、法華経の創作者が仰るように、それまでの仏菩薩を統合し、そのあとを継承しようとしたとすれば、それは実に素晴らしいことであったと思うのです。
実際に、そのような認識に基づく、法華信奉者は、その後、数多輩出されたのかも知れません。

ただ、一点、押さえておきたいことは、それまでの菩薩運動と、法華創作者グループの性質の違いと云うことです。一字三礼さんが「精神面から克服する事を目的」と仰る点、わたしは同意します。同意といいましても、それが理に叶った菩薩の在り方ということではなくて、法華菩薩というのはそのような性質ではないのかという意味合いでです。

博物館などで、時折、展示される古代の菩薩像などを見ると、すぐさま気が付けるのは、その姿が在俗であるということです。それもかなり裕福な人々です。髪を綺麗に結い、豪華な布で作られた衣服をまとい、装飾品も身に付けています。貨幣・流通経済の発達によって生じた裕福な階層、それはたぶん一般庶民階級の、取り分けに商業を営む成功者達であったのでしょう。もちろん、支配階級も含まれると思います。これらの裕福な人々が自分たちの財産の一部を積極的に使い、慈善活動に従事していった。これが、たぶん、菩薩の原形であろうと言われています。そのなかには、薬・医療によって人々を救済する人もあったのでしょう。

一方、法華経を創作したグループは、アフガニスタン周辺の人々で、かなり小規模な集団であったのではないのかと言われています。また、それまでの仏教教団がシャキャムニの舎利の分骨を聖遺物としてきたのに対して、そのようなものにあやかれない信仰教団であったのではないのかと想像できます。たぶん、彼らは、その頃、西欧社会で急激に発達していく聖典信仰の影響を受けていたのではないのかとも想像されます。それまでの、聖遺物は、いま記したとおり、舎利であったり、それを祀る仏塔であったりしたわけですが、法華経創作グループはそのようなものにあやかれない代わりに経典を創作し、それこそが釈尊そのものであるという経典崇拝、経典を祀る経典塔崇拝を確実なものとしていきました。従来の仏教の様式とは違うために、ひどい迫害も受けたでしょう。さらに自分たちの正当性を誇張するために全身に香油を塗った挙げ句、火を付けたもの、肘を焼いて見せたもの等、その行動はかなり過激且つ狂信的な側面をもっていたのかも知れません。しかし、彼らはどのような迫害に遭ってもやり返すことも言い返すこともせず、ただひたすらに堪えて、それが宿命(過去世)で犯した自分の罪の消滅の方法であると信じ、この法華経典を流布していくことが真の菩薩行であるという、従来の財施的な側面から、法施的な側面の強調へ転換していったのではないでしょうか。この転換はしかし、この教団が小規模であり、それまでの菩薩活動を推進するような裕福な階層に属するわけではなく、救済に充てる潤沢な資金もない規模であったのではないのかとも想像できます。その言い訳と断じてしまえば、言い過ぎかも知れませんが、ともかく、彼らは、法華経典の流布こそ、真の菩薩道であるという新たな菩薩観を展開していったように思えます。

以上の素描は、要は、梵本直訳から看て取れる時代背景と、創作者集団の姿です。
わたしは、この素描が大きくは外れていないと思うのは、法華経はその創作地ではついに根付くことなく消えていったという史実からです。結局のところ、経典崇拝を熱心に薦められることより、実際の慈善援助(従来の菩薩活動)のほうが、人々にとって功利的であったからでしょう。

2161犀角独歩:2005/04/12(火) 08:06:59

―2160からつづく―

しかし、この法華経典が中国に渡り、漢訳されると事情は一変していきました。それは、中国において、孔子が生きた時代はほぼシャキャムニと一致するわけですが、賢人・聖人・その言説崇拝という土壌がありました。わたしは、これが法華の有様によくマッチしたのではないのかと思います。この影響はそのまま、日本に伝わり、定着していったのでしょう。また、法華漢訳以後、密教が成立し、現世利益を祈祷で成就するとい有、およそそれまでの仏道とは正確を異にする方法論と習合していきます。

ここでは八正道その他の仏道の有様は等閑とされて、神秘的な霊力に、絶対的な神仏にあやかることによって祈願を成就するというおよそ仏道からかけ離れた方法論が民衆の心をとらえていくことになりました。法華集団も、その影響の例外ではなかったのであろうと思えます。

このような、経緯のなかで、とらえられ、実践されてきた、法華の菩薩は、しかし、従来の菩薩活動を摂取・積極的に行ったのか、それとも弘法優先・祈願優先といった方向になっていったのか、わたしは残念ながら、後者の様ではなかったと思うのです。

ただし、以上、記したことは雑駁な素描に過ぎず、問答名人さん、また一字三礼さんをはじめ、皆さんには、また違った観察もお持ちのことと存じます。ご賢察を披瀝願い、さらに議論を深めたいと存じます。

2162ラキ:2005/04/12(火) 15:39:59
勤行について疑問があります。
日蓮大聖人の信徒団体により、勤行の仕方が違うのは何故なのでしょうか?

私が知ってる範囲では
1)大石寺や法華講は五座三座の勤行だと思いました。
2)創価学会では現在1座だけ?になり、また、ご観念文の部分が大分変更されているみたいです。
3)顕彰会では朝晩1座だけです。

学会の言い分では、時代に合わす為に(時間が多忙?)勤行を1座だけにしたと聞きました。
正式には五座三座が正しいのでしょうか?
(現在も大石寺、法華講では五座三座をしてるのでしょうか?)
ご観念文も時代と共に多少変化してると聞きました。
誰か、ご存知の方が居ましたら、日蓮大聖人の生きていた時代の勤行のあり方か、
勤行とご観念文の正式な仕方の御書の箇所か、文献など教えて頂けると助かります。

あと、お数珠の持ち方なのですが、右手に房が3個あるほうを持ちますけど、
左手に房2個あるほうを持つとき、半回転ひねりますが、右ひねりか左ひねりか、
どちらが正式な持ち方かわかりません。
お手までなければ、教えてください。
単純な疑問かも知れませんが、私には大切な疑問。悩みなので、ぜひお助け願いたく存じます。
お願いばかりで、申しわけありません。

2163愚鈍凡夫:2005/04/12(火) 15:51:43

法華経の際だった特徴は、経典信仰を繰り返し説いていることでしょうか。法華経自らが、法華経こそが経典の最高峰であると位置づけ、法華経を信じ広めることが仏道修行であると、高飛車なまでに決めつけていることでしょうか。
蓮祖は、法華経の中の寿量品に説かれる「五百塵点劫成道の教主釈尊」を抽出して「御本尊」と定められましたが、主眼は飽くまでも法華信仰に置かれていたように思います。

小生は、法華経に「此経」と出てくる度に、「此の経の何処」を指すんだろうと思ったものです。
法華経自らが法華経最第一と自賛する理由の根拠を法華経の文に求めたものですが、見つかりませんでした。

ところで、法華経の序品に次のような文があります。
「為諸菩薩説大乘經。名無量義。教菩薩法。佛所護念。佛説此經已。結跏趺坐。入於無量義處三昧。身心不動。(諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず。)」(妙法蓮華經序品第一)

恐らく、この文との整合性を持たせるために中国で「無量義経」が創作されたものと思いますが、実際に「佛説此經已」とは何経を指すのでしょうね。

2164犀角独歩:2005/04/12(火) 17:27:24

ラキさん、はじめまして。
先頃、戸田さんの『日蓮正宗方便品寿量品精解』という本を読み直していたら、当時の勤行観念が載っていました。当時は石山はもちろん、学会も、妙信講(顕正会の前身)も、みんなこの勤行観念であったのでしょう。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18203465.html

蓮師の時代、勤行は方便品も長行(じょうごう)をやっていたというのは、以前もここで議論した話でした。

そもそも、数珠の形がいつの頃か、変わってしまいました。
何もかも変わったと言うことです。
何が「正しいか」というご質問ですが、「大聖人と同じ」というのであれば、みんな間違っているということになりますね。

「自分がいちばん正しい」と言われれば、「あ、そう。ご勝手に」という類の話です。

2165犀角独歩:2005/04/12(火) 17:37:20

> 2163 愚鈍凡夫さん:

善いところ、吐いていますね。これはたしかに『無量義経』を指すと、採るほか無いですね。

自分のブログの紹介で恐縮ですが、戸田さんの『獄中記』を読みましたが、「仏とは生命のことだぁ」と「悟った」時に『無量義経』を読んでいたという記述にはついにぶつかれませんでした。残念。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18083354.html

2166問答迷人:2005/04/12(火) 18:44:01

慈善事業を行った仏者としてわが国で特に有名なのは行基菩薩でしょうね。

http://www.city.sakai.osaka.jp/arekore/person/person3.html

蓮師は行基菩薩については、『譬へば日本国の行基菩薩と鑒真和尚との法華経の義を知り給ひて弘通なかりしがごとし。』(神国王御書)と述べています。

2167愚鈍凡夫:2005/04/12(火) 18:51:58

犀角独歩さん、どうもです。
例の「人間革命第4巻・生命の庭」ですね。
小生が初めて、無量義経を読んだとき、徳行品の次の文に出会して、「おお〜ッ。これや、これや。こんだけで仏の正体が生命と分かる戸田先生はもの凄い人なんや」
と、「人間革命第4巻」の影響もあって、勝手に感動していました。 (┯_┯) ウルルルルル

「其身非有亦非無。非因非縁非自他。非方非圓非短長。非出非沒非生滅。非造非起非爲作。非坐非臥非行住。非動非轉非閑靜。非進非退非安危。非是非非非得失。非彼非此非去來。非青非黄非赤白。非紅非紫種種色(其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。)」(無量義經徳行品第一)

ところが、無量義経説法品第二で次のような文と出会しました。
「仏言。善男子。是一法門。名為無量義。菩薩欲得修学。無量義者。応当観察。一切諸法。自本来今。性相空寂。無大無小。無生無滅。非住非動。不進不退。猶如虚空。無有二法。(仏の言わく、善男子、是の一の法門をば名けて無量義と為す。菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、応当に一切諸法は自ら本・来・今、性相空寂にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、猶お虚空の如く二法あることなしと観察すべし。)」(無量義經説法品第二)

「う〜ん? さっきのナゾナゾの答えって、これとちゃうんか。何でこれが「仏」やねん。何でこれが「生命」やねん」
と、思ったのですが、当時は「人間革命」の話をするときは、学会員ならば誰しもが遠い目をして(ほとんどイッてました)、「犯すべからず」の雰囲気だったので、そっと胸の奥に仕舞い込んでしまいました。 アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

2168パンナコッタ:2005/04/12(火) 19:34:36
お数珠の三つ房の形の違う一房は、カウンターですよ。
学会も以前は、右二房、左三房でしたよ。

2169顕正居士:2005/04/12(火) 20:43:44
佛説「此經」已

梵文は見ていませんが、WebにあるKern訳法華経を見るとa textです。
お釈迦さまの在世の説法に仮構するタテマエにちょっと反しますね。

Now at that time it was that the Lord surrounded以下。
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot01.htm

無量義経について今昔物語に面白い話があります。
「此ノ経、何ゾ必ズ法花経ノ序タルベキ」と疑う人がいたが、夢に神さまがあらわれ
「汝ヂ、若シ此ノ経ヲ信ゼズハ、当ニ其ノ頭・頸ヲ斬ルベシ」と脅迫されたという。

恵表比丘将来伝説は法華文句にあり、注法華経にも引用されています。

http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/konjaku/doc/kj07/kj07tx15.htm

2170パンナコッタ:2005/04/12(火) 22:07:04

ケルン訳だとカシミール系のネパール本ですよね。正法華経や妙法蓮華経は中央アジア本系
で差異がかなりあるのですが、ここの所はどうでしょうか?

2172犀角独歩:2005/04/13(水) 00:01:56

パンナコッタさん、この数珠の形は後天的なものなんですよ。
近代まで、通日蓮宗とその形は一緒だったんですが、いつの頃からか、二つ、三つになったわけです。

2173愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 00:18:00

顕正居士さん、ご教示ありがとうございます。法華文句の下記の文のことですね。

「今謂此經是宋元嘉三年慧表比丘。於南海郡朝廷寺。遇曇摩耶舎受此本。還武當山。永明三年始傳於世。經既已来豈可送還天竺。光宅云。無量義以萬善同歸能成佛道。」(妙法蓮華經文句卷第二下)

鳩摩羅什が長安で法華経を漢訳したのが401年頃で、曇摩伽陀耶が無量義経を漢訳したとされるのが481年頃でしたか。今風に言えば、無量義経は仏教と道教のコラボレーションとかって奴ですかね。 (^_^;)

序品の同じ箇所を法華經と正法華經とで並べてみました。

「爲諸菩薩説大乘經。名無量義。教菩薩法。佛所護念。佛説此經已。結跏趺坐。入於無量義處三昧。身心不動。」(妙法蓮華經序品第一)

「講演菩薩方等大頌一切諸佛嚴淨之業。説斯經已昇于自然師子之床加趺而坐。三昧正受定意。名曰立無最頌。尋應所宜不見身貎不得心意。」(正法華經卷第一・光瑞品第一)

2174パンナコッタ:2005/04/13(水) 00:54:42
日興上人の数珠は左右二房でしたね。
在家の念珠は108珠で、日蓮系では変わりないと思いますが。

2175ラキ:2005/04/13(水) 01:56:56
皆様。はじめまして。
こんなに早く、たくさんの方から回答が頂けて、とても感激です。
なんとお礼申し上げてよいのか、回答をしていただいた皆様。
ありがとうございました。
参考資料のリンクまでしていただき、感激です。

ご観念文は、一昔?前までは一緒だったのにいつの頃からか、独自?変ってしまたのですね。
お数珠の房の数が変ってしまったのも、驚きです。
玉の数が108個は、煩悩の数を?あらわしてるのかと思い込んでしまってますが、間違っていたらごめんなさい(><)
難しい事は判りませんが、時代と共に少しずつ変ってる部分があるのですね。
日蓮聖人の時代の勤行。御観念文て、どんな形式だったのか興味が出てしまいました。(^^;
見てみたい。体験してみたいと思っても、文献とか作法を書いた書籍とか、
正確にどこかに残っているのでしょうか?・・・
皆様とても物知りで(勉強家と言った方が適切かも知れません。失礼な言い方になってしまったら、
無知な者の発言と、少しだけ、暖かく見守ってください。)私の無知。勉強不測の発言が・・・
わぁ〜頭が知恵熱出て混乱してます。(^^;
文書に纏まりがないですが、ここのHPを見てこれから、色々勉強していきたいと思います。

2176ラキ:2005/04/13(水) 02:09:50
追伸。
皆様に質問ばかりしてしまい、申しわけございません。m(__)m
ここのスレッドの最初から見て、勉強しなおします。
それでも判らない疑問があったら、また、質問させていただきます。
自分で調べる前に質問て、甘えすぎでした。
自分の浅はかさに自己嫌悪(><)

2177愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 04:56:55

ラキさん、始めまして。
蓮祖は、勤行について門下の檀那に次のように御指南されています。

「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、」(「曾谷入道殿御返事」P1026)

また、未決書ではありますが、「月水御書」には次のように記されています。

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出してもあそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時御いとまのひまにあそばすべく候。」(「月水御書」学会版P1201)

ご参考までに。

2178愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 05:17:48

訂正
> 「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、」(「曾谷入道殿御返事」P1026)

は、偽書でした。m(_ _;)m ゴメン!!
それに、「曾谷入道殿御返事」は学会版ではP1025です。

2179犀角独歩:2005/04/13(水) 09:28:32

2174で、また、パンナコッタさんがわかりきったことを書いてしまいました。
失礼しました。

2180ラキ:2005/04/13(水) 10:22:49
おはようございます。^^
少し気になり覗きに来たら、レスが付いていて感激です。
(気になると考え込んでしまい、もやもや〜て残ってしまうので、今日は朝からスッキリした気分で
過す事が出来ます。^^)

愚鈍凡夫さん。
御書指南されてる箇所まで調べて載せていただき、ありがとうございます。
一つ驚いたのですが、御書にも「偽書」が存在したなんて!
御書全集として出版されている書籍には、全部検証して間違いがないように、
編纂されている物と、勝手に思い込んでいました。
偽書。また信憑性が薄い物には、掲載されてないか、注意書きで指摘されていると、
これも、勝手に思い込んでました。(^^;
私の周りには、色々な日蓮聖人の信徒団体の方がいまして、偽書があることも一言も聞いたことがありませんでした。
(現学会に対しては、信用度は0です。学会員の方がいましたら、申し訳ございません。理由としては、言う事とする事の矛盾が納得できません。
とても身近な知り合いの方は、そのような矛盾した行為がないので、個人的には信用しておりますが、近所に住む学会の方は、矛盾だらけ。選挙。新聞勧誘等の時は一生懸命なのですが、
こちらの、疑問。質問に対しては、明確な答えが返ってこないばかりか、後日回答いたしますと言い、音信が途絶えて黙殺!これが宗教をしている方の態度、行動なのかとあきれてしまっております。
自覚ある行動。誠意ある行動が、その人の言ってる事の信憑性をますと、私は思っております。
あぁ〜また話が脱線してしまいました。(^^;)

御書購入を考えておりますが、お勧めというか、一番忠実に編纂されている御書などありましたら、
教えていただけないでしょうか?

2181愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 11:00:59

ラキさん、どうもです。
とりあえず、ダウンロード版の御書を読んでから、書籍を購入を考えられたらどうでしょうか。下記のHPから無償でダウンロードできますので、それぞれ閲覧されることをお奨めします。それと、御書購入の際には犀角独歩さんに御相談されれば後悔はないと思います。

御書システム
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/

文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm

日蓮大聖人御書全集目次
http://nakanihon.net/nb/gosyo/20.html

満月城 岡山
http://jmw.jp/kuga/

仏教経典と論書
http://www.kosaiji.org/download/hokke/index.htm

下記は、真蹟遺文の一覧表です。

日蓮聖人真蹟遺文
http://www.sattva.jp/data/g-list2.html

2182犀角独歩:2005/04/13(水) 11:09:51

うん? 愚鈍凡夫さん。

やや、難はありますが、サイトならば、わたしは以下を使っています。

日蓮宗 現代宗教研究所 文献資料 真跡遺文
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm

2183パンナコッタ:2005/04/13(水) 13:54:13

あれっ、変なこと書いちゃいました?

108念珠の小玉四つは四天王とか四菩薩、大玉二つは日月・釈迦・多寶
なんて言っていますが、これも後世のものでしょう。
珠の大きさによって尺(一般男性向け)、尺二、八寸(女性向け)など通称されて
います。
文殊儀軌経には最勝1008,上品108,中品54,下品27とあります。
ちなみに水晶玉で、数珠を揉む方はよく糸がぶち切れますね。(^o^)

2184顕正居士:2005/04/13(水) 15:28:55
梵本の種類
http://www.kosaiji.org/hokke/myohokke.htm
三訳の相違
http://www.kosaiji.org/hokke/translation.htm

「添品妙法蓮華經序」がいうように、什訳は(より古形の)亀茲語訳からの重訳であり、だから構成に
差異があるのでしょう。什訳はネパール本と文章はほぼ対応します。護訳は見た目は什訳とかなり
違いますが、翻訳の相違でしょう。

2185パンナコッタ:2005/04/13(水) 15:44:17
 
なるほど。顕正居士さん、ありがとうございます。

2186一字三礼:2005/04/13(水) 18:45:47

> 2161

法華経の成立は、紀元前50年から紀元後150年の間とされています。
この法華経一部二十七品の内容全体には一貫性はなく、各品によっても成立年代が違います(例えば、九分経であったり、十二部経であったり)一時期に一箇所で全体が成立したものとはとても考えられません。
例えば、序品から法師品までの一乗の教えを主張する集団と、観音品で超人的菩薩の神力による加護を奉ずる集団とは別系統の信仰集団でしょう。
法華経成立は、これら信仰系統を別にする集団によって奉じられてきた幾つもの教えが、霊山会という舞台を軸としてまとめられたと考えます。
これらの理由から、私は法華経の創作者達という表現に違和感を感じます。

内容についても法華経前半部で主張される一乗思想は、辺境の小規模集団の発想というよりは、都市部のグローバルな考え方ではないでしょうか。

法華経成立当時の仏教界の様相は、上座部と大衆部で激しい論争を繰り返しており、この2者に対して新興の大乗が新たな視点から論争に名乗りを挙げた時期でしょう。
この最中に”実は総ての教説は一乗のためだった”と宣言したのです。その意図は、根本分裂以来、分派と分裂を繰り返す仏教界に対して、大局から見た統一を試みたものと考えられます。

ところが実際に仏教諸派にその主張を納得させる作業は、困難を極めたであろう事は想像に難くありません。
例えば、十二因縁説のように一因に一果を固定的に当てはめる教説と、般若空観を主張する大乗中観派は相容れません。互いに矛盾した教説を抱えていてもそれを是としているのが二乗作仏の特徴でしょう。
仏教の教説は、歴史的には段階的に整足され(例えば、最初期には六正道だったものが八正道に、九因縁が十二因縁に等々)また、バラモン数理派等との論争を経て完成されてきた教説であるのに、法華経はそれを総てOK牧場!と言い切ってしまった。

法華経の説く布教に伴なう忍耐とは、他宗派のみならず、頭の固い同じ仏教圏からも受け入れられないであろう事を想定して強調されたのではないでしょうか。


大乗の菩薩について

アジャンターやエローラ等で見られる豪華な服飾品を付けた菩薩像は、大乗教団への出資者・パトロンではないでしょうか。インドで武士階級に続いて実力をつけたのはシルクロードで商隊貿易によって利を得た大商人達でした。その商人達の財力によって石窟寺院等が建立され、その出資者たる商人に敬意を表するために菩薩像として刻まれたのでしょう。
例えば、観音品の

「金・銀・瑠璃・シャコ・瑪瑙・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求めんがために大海に入らんに、仮使、黒風その船舫を吹きて羅刹鬼の国に漂わしめんに、その中に若し乃至一人ありて、観世音菩薩の名を称えば、この諸の人等は皆、羅刹の難を解脱することを得ん。」

「若し、三千大千国土に、中に満つる怨賊あらんに、一の商主有りて、諸の商人を将いて重宝をもたらして険しき路を経過せば、その中に一人、この唱言を作さん『諸の善男子よ、恐怖するを得ること勿れ。汝等よ、応当に一心に観世音菩薩の名号を称うべし。この菩薩は能く無畏を以って衆生に施したもう。汝等よ、若し名を称うれば、この怨賊より当に解脱することを得べし』と。」

この観音信仰は、商隊貿易を行うパトロン達の安全の願いに答えるかたちで成立したのではないでしょうか。


慈善事業について

仏教では、生・老・病・死等の人に必ず訪れることがらを一括して”苦”と認識します。それを四諦の順に観察して解脱することを目指します。

医師や薬、施設等によって病を癒しても、また別の病が襲ってくるであろうし、治療方法の無い病気もあるでしょう。そうこうしている内に今度は老いが迫ってきます。リハビリや食事、健康管理を徹底したところで人は必ず死ぬ。その為に仏教では一切の執着を捨てて(諦めて)四苦八苦から解脱する方法を提示するのでしょう。

仏教の教えは言わば「根治療法」です。それに対して慈善事業というのは「対処療法」と言えるのでしょうか。

一切の苦しみからの解脱を主張する仏教で、慈善活動・慈善援助が菩薩の本来の活動であるとは考えられません。仏教においては、慈善活動は副次的に行うものとなるでしょう。

慈善活動を最前面に立てるとすれば、それは仏教が本来の面目を完全に失った時ではないでしょうか。

2187顕正居士:2005/04/13(水) 20:58:10
そもそも大乗教団というものがインドには存在しなかったとわたしは考えます。
最近『インドの僧院生活』という本が出版されました(内容は未読です)が、
http://www.shunjusha.co.jp/book/11/11202.html

別に「ショッキングな学説」ではありません。7世紀に入竺した義浄は『南海寄帰内法伝』に
こう述べています。

其四部之中。大乘小乘區分不定。北天南海之郡。純是小乘。神州赤縣之郷。
意存大教。自餘諸處大小雜行。考其致也。則律撿不殊。齊制五篇通修四諦。
若禮菩薩讀大乘經。名之為大。不行斯事號之為小。

其れ四部の中に、大乘と小乘と區分定まらず。北天南海の郡は純(もは)ら是れ小乘、
神州赤縣の郷は、意(こころ)大教に存す。自餘の諸處には大小雜り行はる。其の致れるを
考ふるに。則ち律撿殊ならず、齊しく五篇を制し通じて四諦を修す。若し菩薩を禮し
大乘經を讀まば、名づけて之を大と為し、斯の事行はれずんば之を號して小と為すのみ。

*四部 大衆部、上座部、説一切有部、正量部をいう
*神州赤縣 中国のこと
http://www.cbeta.org/result/normal/T54/2125_001.htm

勝呂信静師も『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社、1965年)にこの文章を引いて
漢訳仏教に伝統的な誤解を指摘していました。

2188一字三礼:2005/04/13(水) 21:33:13

顕正居士さん

”特定の経典を奉ずる特定の僧団”なるものはインドでは存在しなかったということでしょうか。
また、龍樹にしても世親にしても、まあ偽書も多数ありますが、著作の注釈書が多岐に亘っているのはその為でしょうか。

しかし、そうなると大乗経典の初期の伝承経路や経典成立時の編纂過程がまったく推測出来なくなってしまいます。

伝教大師以前の日本仏教の黎明期の東大寺での六宗兼学のかたちの方が、インド仏教精神に近いのかもしれませんね。

2189犀角独歩:2005/04/13(水) 23:39:38

2186 一字三礼さん:

ご丁重なレス、有り難うございます。

まず、全体の感想を率直に申し上げると、法華経成立を論じているのに、漢訳に引っ張られていると思った次第です。法華経の成立、これはあくまで梵本、インド地域での話ですよね。

> 序品から法師品までの一乗の教え

法華一乗思想は、たしか坂本師も指摘していたと思いますが、羅什の意訳であり、原本にはこのように誇張されたものがないというのが法華研究一般で言われることではないでしょうか。

> …超人的菩薩の神力

これが先とは別の成立であるというのは別段、異論はありません。
「西アジアにおける母神ナナイア」が原形であるといわれますね。

> 法華経成立…信仰系統を別にする集団…幾つもの教え…霊山会という舞台を軸としてまとめられたと考えます…法華経の創作者達…表現に違和感

ここで仰ることはわたしにはよくわかりません。「複数の信仰系統で」というのは、そうであると思いますが、そこで行われたのも「創作」ではないのでしょうか。
また、法華経は他の経典と特に異なっているのは、経典文中に「法華経典」を意味する語意が含まれていることですね。仮に複数の創作者によってされたとしても、経典名を文中に織り込むという一貫性がどこで生じたのか重要な問題であろうと思います。また「霊山会という舞台を軸としてまとめられ」ていくことも、元の原形をもってしたとすれば、これまた創作のうちではないでしょうか。
27章と言われる法華経は、実際は30章以上あったことも知られていますね。
複数の集団でそれぞれ創作されたとして、それを「創作者達」というのが、何が問題なのでしょうか。

> 一乗思想…辺境の小規模集団…都市部のグローバルな考え方

わたしはどこかに「辺境の」と記しましたでしょうか?
仮に都市部にあっても、その集団が小さければ小規模集団ということになりませんか?

> 法華経成立当時の仏教界の様相…上座部と大衆部で激しい論争

たとえば具体的に、どのようなことでしょうか。

> 新興の大乗が新たな視点から論争に名乗りを挙げた時期

いつ頃、どこででしょうか。

> ”実は総ての教説は一乗のためだった”

これは漢訳的な発想ではないでしょうか。
こんな宣言をインド文献の、どのようなものに見いだせるのでしょうか。什の漢訳「無二亦無三」的なドグマは、梵本には見られません。

> 統一を試みた

「統一妙法」という漢訳的な発想に引っ張られていませんか
どのような史実があるのでしょうか。

> 法華経の説く布教に伴なう忍耐とは、他宗派

宗派という発想は、空海以降に属するのではないでしょうか。
インドで、こんな意識があったのでしょうか。

2190犀角独歩:2005/04/13(水) 23:40:24

―2189からつづく―

> 出資者たる商人に敬意を表するために菩薩像

これもまったく聞いたことのないことです。
では、仮にその菩薩像として刻まれたのがただのパトロンであるとしたら、では、実際の菩薩とはどのような人々を指すのでしょうか。
なお「出資者」ということですが、これはまさに布施(布き施す)という六波羅密の一つではないでしょうか。

> …観音信仰

先にも記しましたが、観音はナナイヤが仏教に習合し、菩薩という性質を与えられたものであると思います。独自に生み出されたものではないのではないでしょうか。

> 医師や薬…四苦八苦から解脱する方法を提示

それは初期シャキャムニ教団ではそうであったでしょうが、ここで論じているのは菩薩思想以降の仏教ですね。
薬王菩薩、薬王如来、薬師如来と言った仏菩薩は、法を薬に喩えた名前であるというわけでしょうか。実際のところ、薬草その他は当時の教団が民衆をとらえる大きな装置であったのではないでしょうか。殊に向精神作用のある薬物と仏教の関係は取り沙汰されています。

> 仏教の教えは言わば「根治療法」

インドにおける仏教教団がまったく医薬を使わなかったとすれば、そのように言えるでしょうが、実際は使われていたでしょう。

> 慈善事業というのは「対処療法」

この考えはわたしは違うと思います。
たとえば、阿育大王は単に仏教の流布に貢献したのではなく、それに伴い多くの慈善事業をしたからこそ、仏教と共にその名声をいまに伝えるのではないでしょうか。この事情は、「日蓮」という特例、また、座禅三昧で民衆に交わらず大乗と言って憚らない特例を除けば、先に問答さんが引用された行基の如く、不離一体の関係にあったというのが史実であるとわたしは観察します。

> 一切の苦しみからの解脱を主張する仏教

解脱を主張するのは、何も仏教に限りません。この言葉はシャキャムニ在世当時のシュリマーナ一般に使用されていた言葉でした。

> 慈善活動・慈善援助が菩薩の本来の活動であるとは考えられません。仏教においては、慈善活動は副次的に行うものとなるでしょう。

このような一字三礼のお考えは否定しませんが、ここで問題にされているのは、菩薩といわれた人々が、では、慈善活動(布施)をしなかったのかどうかという点です。
繰り返しますが、六波羅密の第一は布施であり、布施とは坊さんがお金をもらうことではなく、菩薩が衆生に布き施すことが原義です。この原義から、菩薩の重要な活動であったことが知られると申し上げているわけです。
それは副次的ではなく、菩薩がなすべき行の一つに数えられてきたということです。

> 慈善活動を最前面に立てる

誤解があるようですが、どこに最前面に立てるべきと言うのは、今日的な課題です。
わたしが記したことは、経典流布に主体が置かれてm慈善活動(布施)が等閑にしては、本来の菩薩精神から後退したことになるという意味です。

> 仏教が本来の面目を完全に失った時

わたしはまったくそうは思いません。法華経を信じれば病気も治る、貧苦からも救われる的な信仰勧誘より、いま病に苦しんでいる人に薬を与え、手を差し伸べ、飢えて死にかけている者に食を与え、凍え死ぬ者に衣与えることが先決です。病気で死にかけている人、飢え死にかけて人、凍え死にかけている人の、それらの一切の苦しみから、どうやって解脱ができるのでしょうか。解脱とは死んで苦しみを感じなくなることですか?
布施が第一に来る所以はそこにあるのではないでしょうか。禅定に臨むに足りる最低限の状態を約束せずして、解脱は有り得ません。

どうも、2186に記されることは、わたしはすんなりと納得できません。

2191顕正居士:2005/04/14(木) 02:27:38
一字三礼さん。

>”特定の経典を奉ずる特定の僧団”なるものはインドでは存在しなかったということでしょうか。

インドの仏教は釈尊滅後約100年に上座部と大衆部に根本分裂し、以後枝末分裂.を繰り返し、
約20部になった。部派はそれぞれに経、律、論の三蔵を伝え、「南伝大蔵経」はその一つです。
教団とか僧団をいうなら、三蔵の中の律が問題です。律は僧団生活の規定ですから一寺院に
幾種類も行われないはずですから。しかし義浄は主要な四部の律にも大差はないと述べます。
ですからインド仏教の部派は別個の教団とか僧団というものとは別の存在であったと考えます。

大乗経典を所依とする学派は中国で発生しましたが、これも教団とか僧団とかとは違います。
律は一緒ですから(南山律)。おっしゃるように日本でも南都の六宗はどれを専門に研究するか
という、単科大学みたいなものでしょう。対して比叡山は総合大学のようなものですが、最澄が
タテマエでは律を捨てたので、サンガの「互換性」がなくなりました。

>経典成立時の編纂過程がまったく推測出来なくなってしまいます。

これまでの大乗仏教成立史には経典の内容から想像をたくましくするだけで実証が伴わないの
があったとおもいます。教団というのは日本仏教やプロテスタントみたいに無数の宗派に分れて
いるとは限りません。カトリックみたいのもあります。
大乗経の「編纂過程」は全く闇につつまれています。しかし先に分派教団があって、自分に都合
のよい「偽書」を作ったのではないとはいえるでしょう。大乗経は史実とは無関係なことは一見
してわかりますから。

2192ラキ:2005/04/14(木) 03:34:36
皆様。おはようございます。
早起き〜とは言わないでくださいませ。
少し疲れて、早寝をしましたら、不思議な夢を見て目が覚め、PCの電源をいれたしだいです。
どうしてもHPを見たい気持ちの表れなのでしょうか?不思議な夢でした。

話がずれましたか、また、たくさんのリンク紹介とか、アドバイスを頂、
なんと、お礼申し上げていいのか、本当にありがとうございます。
愚鈍凡夫さんのアドバイスを参考にリンク先をお気に入り保存しましたので、
時間を作り、少しずつ読んで行きたいと思います。
たまたま、本屋さんを覗いたら、学会の御書だけおいてありました。
御書購入の際には犀角独歩さんに御相談させていただきます。
その折は、アドバイスをお願い致します。

お数珠の事で気になっていたので、知り合いに連絡を取り聞いたのですが、
お数珠は人の体を現しており、房が三つの方が手と頭で三つ。房が二つの方が足を意味してるとのことでした。
学会員の方の言葉なので、信憑性は?・・・とこちらで、ご質問させていただき、学会の捏造?か、本当の事か皆様のお声を聴きたく思い質問させていただきます。
もう一つ疑問点があるのですが、お数珠の持ち方で、右3房。左2房と教えて頂いたのですが、
お数珠を手に掛けるとき「反ひねりするのは何故?」と聞いても判らないといわれました。
意味もなく半ひねりをして、持つことはないのでは?と思ってるしだいです。
あ!もう一つあるのですが、お数珠を揉む動作なのですが、魔を切る動作と聞いたのですが(やはり学会の方です)
それって、本当の事なのでしょうか?・・・
私個人的には、たくさんの学会員が廻りにいまして(新聞・選挙の時だけの訪問とか連絡には、うんざりの状態です)私の疑問に答えてくれる方もいましたが、
大抵は、後日回答しますといい、音信がなくなるのがいつものパターンです。
だから、人間不信(学会員不信)に一時陥りましたが、ここで皆様のご親切なお答えを聞き、
学会1番。他2番的な発想ではなく、求める物には比較検討をして判断をできる環境。
われ1番との醜い発想ではなく、純粋に勉強したい人の為に優しいご指導。
アドバイス。ここのHPにいると、私の個人的思いですが、これが人を思いやる仏法の姿ではないかと、
思ってるしだいです。
他の宗教。宗派は別ですので。(^^;
つたない私ですが、これからもご指導。アドバイスを末永くお願い致します。m(__)m

2193愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 05:16:30

ラキさん、おはようございます。
小生はここの掲示板の「いろもの」ですから、あまり役には立ちませんが、ここの掲示板には豊富な知識を持った方々が沢山いらっしゃいますから、過去ログを読んで分からないことがあったら、質問されればいいと思いますよ。

数珠は元々ヒンドゥー教の法具で、ジャパマーラー(japamala)と呼ばれていたそうです。ジャパとは神を心に描き、その名を呼ぶことで、マーラーとは、輪を意味します。従って、「ジャパマーラー」とは「念誦の輪」という意味になります。
ところが、ローマ人がこの不思議な輪の名の「ジャパ」を「ジャパー」と聞き間違えてしまったそうです。ジャパーとはサンスクリット語で「バラ」を意味する言葉で、ローマ人は「バラの輪」と解釈してしまいました。それから、ラテン語でロザリウム、ポルトガル語でロザリオ、英語でローザリーと呼ばれるようになったそうです。
日本キリスト教ではロザリオのことを「コンタス」または「コンタツ」と呼ぶこともあるそうですが、これは、日本に来たポルトガル宣教師が、ロザリオを「計算する(contas)道具」と説明したことに由来するそうです(数珠同様、本来祈りの数を数えるカウンターの役割をします)。
以上のことから、「ジャパマーラー」も「数珠」も「ロザリオ」も起源は同じと言うことになります。

参考資料

数珠(念珠)講座
http://www.miyagawa.com/syuha/5101.html

お数珠の持ち方
http://www2.117.ne.jp/~daishoji/q&a2.html

念珠とは
http://www.juzz.net/nenju_towa.html

2194愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 06:29:30

法華経教団(教派?)は、阿羅漢と辟支仏といったいわば二乗対菩薩の対立を乗り越え、三乗即一乗を提示することで、新たな仏教運動を促そうとしたのではないかと思いますが、当時の仏教界(大乗教)には受け入れられなかったようですね。経中に迫害について多くを語っていることからして、異端的扱いを受けていたのでしょうが、このことは、仏教各派の対立が激しかったことを意味するのだと思います。
法華経も菩薩の行法を説くわけですが、見方によっては釈迦牟尼仏に「信」を戻そうとした、いわゆる先祖返りの大乗教とも言えるのではないでしょうか。この辺に法華経の特徴があるように思います。ただ、法華経を編纂したグループは、実在の釈迦牟尼仏を知るわけもなく、偶像化された超人的な釈迦牟尼仏を信奉しているようですが。

鳩摩羅什訳の「法華経」で面白いと思うのは、天台大師の流れを汲む天台系仏教の理論が、鳩摩羅什が編み出した「十如是」によって基礎が固められていることからして、天台系仏教の教祖は鳩摩羅什であると言えそうに思うのですが、鳩摩羅什にしてみれば、してやったりってところでしょうか。
ところで、鳩摩羅什について不思議に思うことがあるのですが、

「為諸菩薩説大乘經。名無量義。教菩薩法。佛所護念。(諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。)」(妙法蓮華経序品第一)

「是時日月燈明佛。從三昧起。因妙光菩薩。説大乘經。名妙法蓮華。教菩薩法。佛所護念。(是の時に日月燈明仏、三昧より起って、妙光菩薩に因せて大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。)」(妙法蓮華経序品第一)

普通に考えれば、上の文は「無量義経」、下の文は「妙法蓮華経」を指しているように思えるのですが、現実には、「無量義経」と鳩摩羅什とは何の関係もありません。もし、鳩摩羅什が「大乗経の無量義」の意味を問われたとき、なんと答えるつもりだったのでしょうか。

2195犀角独歩:2005/04/14(木) 08:35:52

愚鈍凡夫さん開三顕一を「二乗対菩薩の対立を乗り越え、三乗即一乗」というのは、なかなか優れた解説ですね。まあ、しかし、仏教なんだから、中心は仏、当たり前の話ですが。それなのに、敢えてそんなことはさもたいそうに主張したか…、そこら辺に当時の宗教事情が垣間見える気がします。

法華経はお釈迦さんの在世を描いたという前提ですね。声聞はお釈迦さんの声を聞ける弟子、縁覚はその起源が明確ではないですが、文字面から類推すれば釈尊教団とは関係なくそれなりの覚りを得た人々。前者は広くは四衆なのか、それとも直弟子に限るのか、よくわかりません。それに対して、菩薩ということなんでしょうが、これは実は変ですね。
何故ならば、元々菩薩はお釈迦さんの成道以前修行の姿を指す言葉であったからです。その性格からすれば縁覚と違わないように見えます。では二乗と菩薩の相違は何かと言えば、目指すところの相違ですね。先にわたしは「解脱」という言葉を広い意味で使いましたが、これはあまり正確ではない。解脱は菩薩が目指す者ではなく二乗の目標でした。仏の目標は有余涅槃から無余涅槃で、では、解脱と涅槃、どこが違うのかと言い出すと長い議論になることでしょう。前者は化身滅智で完全に消滅してしまうことを目的にしますが、後者の仏は涅槃してもなお、衆生済度を目的とし続ける差があるのでしょう。
では、菩薩はとなると、この特徴を端的に現す表現は「自未度先度他」ということですね。仏の目標である涅槃に衆生を先に達成させ続けるために、自分はその前段階で衆生と関わり続けるということですね。これは涅槃してしまう仏とも解脱してしまう二乗ともまるで違います。その意味で法華経で説くとされてきた3対1は、むしろ、声聞・縁覚(解脱組)、仏(涅槃組)対菩薩の関係と見えますが、これじゃ、まあ、仏教にならないので、すべては仏様と言うところで束ねましたという話の展開のように思えます。

先に「教菩薩法」という言葉が出てきましたが、このような菩薩の在り方を教える法が妙法蓮華経だぞということのわけです。そんな意味ではわたしは「無二亦無三」という什のドグマは全然違うだろうと思うわけです。法華経典崇拝と菩薩道が二大特徴で、その菩薩の勧めのために、五百塵点成道の釈尊自身の菩薩道を言い、その結果、こんなに長い寿命を得られた、菩薩道をする長寿を得られるということを説くのが法華経ですね。

そんな観点からすると、九如から一心三観、三千不可思議境、一念三千という一連の教学解釈は、法華原典のコンセプトとはまるで別物と思えます。この歴史的推移の裏舞台では三身説が喧しいわけでしょうね。要は、そんなことを言うために、法華経を活用しただけであろうと思えるわけです。しかし、天台と言えば、法華というのは、日本天台宗的な解釈であって、それを鵜呑みにしがちです。しかし、わたしはちゃんと読んでいませんが、天台は法華研究はむしろ一部分的なもので華厳でしたか、そっちの法がむしろ専門的で、著述その他も多いということをどこかで読んだ記憶があります。まあ、そうは言っても四教、五時ということは言ったんでしょうが。

それに関連しますが、法華・涅槃という取りまとめ、当時の中国では涅槃経がもっとも人気があったわけで、それと法華経をくっつけた効果は作戦としてうまかったと思えます。しかし、この二つの経典、説くところがまったく違うわけですから、いまの日蓮論争にまでそのツケが付いて廻っていると思えます。これは本尊抄と総勘文抄が整合性が採れないのと同じくらい違うわけですね。

ついでに、だらだらと書けば、愚鈍凡夫さんのご投稿を読んで「ああ、そうだったっけ」と思ったのは無量義経のほうがあとから訳されたという点でした。法華と涅槃を括ったのも、変なことになるなりはじめのわけですが、無量義経を開経、結経を仏説観普賢菩薩行法経とするというのも、実に作為的なことであると思います。釈尊の一生という流れから言って、結経といえば、わたしは涅槃経を置いてないであろうと思うわけです。それを法華経と言うとき無量義経、法華経、普賢経をひとまとめにして法華、さらにその法華と涅槃を五時で一つに置くという構造は、まあ、手の込んだ作為であると思います。

2196犀角独歩:2005/04/14(木) 10:08:50

> 2193

愚鈍凡夫さんが数珠のことを書かれていたのでブログに紹介させていただきついで、ちょっと、書いてみました。
こちらの話題には馴染まないので、ブログにしました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18893608.html

2197犀角独歩:2005/04/14(木) 10:17:24

> 2195

自己レスです。解脱と涅槃の使い分け、これまた、あまり適切でないかも知れませんね。
うーん。

2198愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 11:29:07

犀角独歩さん、ご教示ありがとうございました。

法華玄義に次のようにありますが、
「今佛靈山八年説法。」(妙法蓮華經玄義卷第七上)
この8年は、無量義経の下記の文を根拠とするのでしょうが、

「以佛眼觀一切諸法不可宣説。所以者何。以諸衆生性欲不同。性欲不同種種説法。種種説法以方便力。四十餘年未曾顯實。是故衆生得道差別。不得疾成無上菩提。(仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。)」(無量義經説法品第二)

後から成立した無量義経が法華経を説いた時期を決め、その無量義経が法華経よりも先に説かれたとするのも何か変ですね。

ふと、法華経と涅槃経について思ったのですが、

「於佛滅度後。恐怖惡世中。我等當廣説。有諸無知人。惡口罵詈等。及加刀杖者。我等皆當忍。(仏の滅度の後、恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし。諸の無智の人、悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん。我等皆当に忍ぶべし。)」(妙法蓮華經勸持品第十三)

「善男子。護持正法者。不受五戒不修威儀。應持刀劍弓箭鉾槊。守護持戒清淨比丘。(善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持ち、持戒清浄の比丘を守護すべし)」(大般涅槃經卷第三金剛身品第二)

この全く正反対のギャップが面白いですね。かたや不屈の忍耐を説き、かたや自衛のための威嚇を正当化しています。

2199犀角独歩:2005/04/14(木) 11:46:50

愚鈍凡夫さん、どうもです。

「ご教示」なんてたいそうなものじゃありません。
資料手放しのつぶやきみたいなものです。恐縮です。

しかし、そうですね。法華経が晩年8年の説法であるという根拠は、『無量義経』、「ああ、そうか、そうだった」と今さらです。抜けた気分でいても、昔、学んだ石山・学会からの影響、抜けないものだとやや自嘲。

法華・涅槃の二律背反。両立しないのに両立させようとすると、「壊れます」よね。まあ、蓮師を悪く言うわけではありませんが「念仏者の首を刎ねろ」と言いながら不軽のあとを承継…、そんな馬鹿なと思うわけですが、「ご本仏様に間違いがあるはずがない。そんなことを言ったら罰が当たる。矛盾していると思うのは自分に信心がないからだ」なんてやっていると、本当に「壊れます」。

悲しい日蓮門下の現実です。

2200顕正居士:2005/04/14(木) 17:28:43
法華経と涅槃経の対立

から「折伏」は全くちがう二つの意味をもちます。一つは不軽折伏。一つは威力折伏です。
威力折伏というのは仏教の道徳を説いても導けない、要するに犯罪者を国王、官憲など
の在家信者が逮捕処罰することをいうようです。そしてそれも菩薩行だよという。このこと
はもっともですが、涅槃経の威力折伏はちょっとちがう。宗教が入ってきます。けれども
有徳王のエピソードは覚徳比丘が殺害されようとしたのを護ったのであり、王なのだから
正当な権力の行使であり、義務の履行といえましょう。問題は仙予国王のエピソードです。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/751/632.htm

婆羅門、すなわちインド教の司祭は殺害するほど功徳になる。慈悲の心を以って殺すの
なら、罪どころか功徳である。大乗の涅槃経にははっきりと「ポア」の思想があるわけです。
日顕上人の講義はごまかしをせず整然としております。とにかく少なくとも涅槃経にはそれ
があることを先ず認めないとはじまらないですから。秋元御書とかを考える上で。

2201一字三礼:2005/04/14(木) 17:55:38

犀角独歩さん

私の拙い投稿に重要なご指摘ありがとうございます。

> 法華一乗思想は、たしか坂本師も指摘していたと思いますが、羅什の意訳であり、原本にはこのように誇張されたものがないというのが法華研究一般で言われることではないでしょうか。

ここで原本と仰られているのはどのようなテキストの事でしょうか。

> 「霊山会という舞台を軸としてまとめられ」ていくことも、元の原形をもってしたとすれば、これまた創作のうちではないでしょうか。

仰る意味は理解できます。しかし、この段階であれば「編集・編纂」の範囲ではないかと思えるのです。

少し離れるかもしれませんが、「マハーバーラタ」(聖仙ヴィヤーサ作)という叙事詩があります。この物語も経典同様、口誦・口伝をもとに完成されたものです。
「マハーバーラタ」の成立は紀元後400年頃と推定されておりますが、その原型はそれを遡る事は確実とされています。主筋はバラタ族を取り巻く大戦争ですが、この実際にあった大戦争が起こったのは仏教の興隆はるか以前の事です。また、この主筋の約4倍にあたる量の様々な説話が挿入されているのですが、その原型はヴェーダ聖典からであったり、遠くギリシアの英雄伝説からの転用等です。ヴェーダを基にした説話でも、時代が下るにつれて序々に書き換えられ、原典で有力であったインドラやマハープラジャパティに替わりヴィシュヌやルドラ(シバァ)が台頭してきます。このような伝承形式の物語に創作者を想定することは出来ないでしょう。

仏典も口誦を伝承の方法としてきました。伝承が古形を残していると考えられる経典形式は、古い順に

① 詩(偈)のみで構成されているもの(口誦された内容になんら加えられていない形)

② 詩(偈)と散文(長行)で構成されているもの(口誦を説明する為の文章が加わったもの)

③ 散文(長行)のみで構成されているもの(口誦は失われ、通常の文章だけで構成されたもの)

①の形式は根本経典でよく見られるものです。法華経は主に②の形式で、その偈文は長行と内容を同じくすると重偈(通常の偈文と長行より古形とされる)です。

「マハーバーラタ」の場合と同様に、法華経も口誦・口伝の間に幾つもの話が加えられ、幾つもの話が失われたのではないでしょうか。

このようにして出来上がったであろう法華経に、創作者を想定すること違和感を持ちました。  


> 27章と言われる法華経は、実際は30章以上あったことも知られていますね。

法華経の成立が確実になるのは、龍樹菩薩の引用からだったと思いますが、その著作の中では27章の構成であったと記憶しておりました。そのため便宜的に27という数字をあげました。
恥ずかしながら、不勉強のため30章説は知りませんでした。実際にと思われる2乃至3章のタイトルなりともご存知でしたら教えてください。

2202一字三礼:2005/04/14(木) 17:56:25
つづきです。

> 法華経を創作したグループは、アフガニスタン周辺の人々で、かなり小規模な集団であったのではないのかと言われています。また、それまでの仏教教団がシャキャムニの舎利の分骨を聖遺物としてきたのに対して、そのようなものにあやかれない信仰教団であったのではないのかと想像できます。

顕正居士さんも仰るように、経典成立史については教典からの推測の域をでません。ですから、犀角独歩さんのご主張に特に異議を挟むつもりはありません。
しかし、、アショーカ王の時(在位BC268〜BC232とされる)に既に仏舎利は国家事業で八万四千(実数ではないでしょう)に分骨され、仏塔に収められたのは史実でしょう。
その後、或いはそれ以前に、特定の仏教教団が仏舎利の分骨を聖遺物とし、それにあやかれない集団もあったとお考えなのでしょうか。
根拠云々のことではなく、ご想像、またはお考えをご披露ください。

>> 上座部と大衆部で激しい論争を繰り返しており、この2者に対して新興の大乗が新たな視点から論争に名乗りを挙げた時期でしょう。

ここの部分は、引用が長くなって読むのも書くのも大変ですので、「人類の知的遺産『ナーガールジュナ』」(講談社)の「3 論争の相手」の章をお読みください。

> 漢訳的な発想ではないでしょうか。

これも繰り返しになりますが、「梵本」とはどのテキストをさすのでしょうか。

> 宗派という発想は、空海以降に属するのではないでしょうか。インドで、こんな意識があったのでしょうか。

インドバラモン諸派を指すために便宜的に「宗派」を使ったのです。

> 仮にその菩薩像として刻まれたのがただのパトロンであるとしたら、では、実際の菩薩とはどのような人々を指すのでしょうか。

それについては、資料としては何も残っていないので、実際の菩薩については誰にもわからないのではないでしょうか。

2203一字三礼:2005/04/14(木) 17:57:47

顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

> 最澄がタテマエでは律を捨てたので、サンガの「互換性」がなくなりました。

これによって日本は仏教各派に柔軟性が無くなり、宗派宗教へ突き進むようになるのですね。

> これまでの大乗仏教成立史には経典の内容から想像をたくましくするだけで実証が伴わない

まったく仰るとおりで、如何ようにも推測はできますが、証明は不可能です。

> 大乗経は史実とは無関係なことは一見してわかりますから。

お考えに賛同します。大乗経典の会座や眷属の人数から時間経過まで、読めば誰でも史実とは思わないでしょう。義浄にしろ、法顕や玄奘にしろインドで乾闥婆や緊那羅の子孫には会えなかったでしょうし。


1つ質問させてください。

「妙法華経の一偈一句を聞きて、乃至、一念も随喜する者には、われは、皆、記を与え授く」

これは法師品の一節ですが、他の経典でも同様に「一偈一句」だけでもその教えを得られる、というフレーズがありますが、これはどういう風に理解すればよいのでしょうか。私は、陀羅尼を指すのかとも想像しております。
出来ましたら、ご教示お願いします。

2204顕正居士:2005/04/14(木) 20:36:11
一句一偈(法師品)
a single stanza, a single verse (by Kern)
但だ法を聞くこと極めて少きを云ひ、經の功深きことを舉ぐ(文句)

文字通りでしょう。実際に法華経には
「今此三界。皆是我有。其中衆生。悉是吾子。而今此処。多諸患難。唯我一人。能為救護」
など素晴らしい一句一偈がたくさんあります。

なお

唯有一乘法 無二亦無三
There is, indeed, but one vehicle; there is no second, nor a third (by Kern)

2205犀角独歩:2005/04/14(木) 20:55:30

一字三礼さん、レス、有り難うございます。
調べて、あとでアップします。

顕正居士さん、資料、有り難うございます。
什訳法華経は仰るとおり、名文体ですね
また、この件はたしか以前も話題に上ったことがありました。

わたしは、この一乗ということについて思うのは、何も法華経に限らず、仏教は皆一乗の法に決まっているのではないでしょうか、仏教ですから。

それをまるで、法華経ばかりが一乗の専売特許のように記される理由が、わたしには理解できません。

無二亦無三が適訳であるのであればそれはそれでよいのですが、しかし、ならば、声聞経とか、縁覚経といった類が何かあるということでしょうか。ただし、法華経は教菩薩法であり、ある面、菩薩経的な側面をもっているように思えます。
法華経「一乗妙法」とはいったい、何を批判したものということになるのでしょうか。

2206愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 22:01:12

顕正居士さん紹介の日顕師の立正安国論講義の涅槃経の部分を漢訳文に当たってみましたので紹介します。

「佛言。唯除一人。餘一切施皆可讚歎。純陀問言。云何名爲唯除一人。佛言。如此經中所説破戒。純陀復言。我今未解。唯願説之。佛言。純陀言。破戒者謂一闡提。其餘在所一切布施皆可讚歎獲大果報。純陀復問。一闡提者其義云何。佛言。純陀。若有比丘及比丘尼優婆塞優婆夷。發麁惡言誹謗正法。造是重業永不改悔心無慚愧。如是等人名爲趣向一闡提道。若犯四重作五逆罪自知定犯。如是重事而心初無怖畏慚愧不肯發露。於佛正法永無護惜建立之心。毀呰輕賤言多過咎。如是等人亦名趣向一闡提道。若復説言無佛法僧。如是等人亦名趣向一闡提道。唯除如此一闡提輩。施其餘者一切讚歎。」(大般涅槃經一切大衆所問品第五)

仏の言はく、唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。純陀問ふて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願はくは之を説きたまへ。仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし、大果報を獲ん。純陀復問ひたてまつる。一闡提とは其の義如何。仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に禍咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし

「我念往昔於此閻浮提作大國王。名曰仙預。愛念敬重大乘經典。其心純善無有麁惡嫉妬慳吝。」(大般涅槃經卷第十二聖行品第七之二)

我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして麁悪嫉悋(そあくしつりん)有ること無し。

「善男子。以是因縁從是已來不墮地獄。」(大般涅槃經卷第十二聖行品第七之二)

善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず

「善男子。佛及菩薩知殺有三。謂下中上。下者蟻子乃至一切畜生。唯除菩薩示現生者。善男子。菩薩摩訶薩以願因縁示受畜生是名下殺。以下殺因縁墮於地獄畜生餓鬼具受下苦。何以故。是諸畜生有微善根。是故殺者具受罪報是名下殺。中殺者從凡夫人至阿那含是名爲中。以是業因墮於地獄畜生餓鬼。具受中苦是名中殺。上殺者。父母乃至阿羅漢辟支佛畢定菩薩。是名爲上。以是業因縁故墮於阿鼻大地獄中。具受上苦。是名上殺。善男子。若有能殺一闡提者。則不墮此三種殺中。善男子。彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也。」(大般涅槃經卷第十六梵行品第八之二)

善男子、仏及び菩薩は殺に三つ有りと知りぬ。謂はく下中上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く。中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり

以上です。

2207愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 22:22:33

「大般涅槃經一切大衆所問品第五」からの引用は、一部削除されていますから、次のように訂正します。

「佛言。唯除一人。餘一切施皆可讚歎。純陀問言。云何名爲唯除一人。佛言。如此經中所説破戒。純陀復言。我今未解。唯願説之。佛言。純陀言。破戒者謂一闡提。其餘在所一切布施皆可讚歎獲大果報。純陀復問。一闡提者其義云何。佛言。純陀。若有比丘及比丘尼優婆塞優婆夷。發麁惡言誹謗正法。造是重業永不改悔心無慚愧。如是等人名爲趣向一闡提道。若犯四重作五逆罪自知定犯。如是重事而心初無怖畏慚愧不肯發露。於佛正法永無護惜建立之心。毀呰輕賤言多過咎。如是等人亦名趣向一闡提道。」(大般涅槃經一切大衆所問品第五)

仏の言はく、唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。純陀問ふて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願はくは之を説きたまへ。仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし、大果報を獲ん。純陀復問ひたてまつる。一闡提とは其の義如何。仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に禍咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。

「唯除如此一闡提輩。施其餘者一切讚歎。」(大般涅槃經一切大衆所問品第五)

唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし

2208問答迷人:2005/04/14(木) 22:32:17

議論が自然の成り行きとして大乗興起にまで及んでいます。この流れに逆らうつもりは毛頭ありませんが、ここでもう一度、当初の『蓮師の考えとしての「南無妙法蓮華経」の意味』という出発点から質問させてください。

蓮師は新尼御前御返事(文永十二(1275.02・16))において次のように述べています。

『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ。』

ここで特筆するべきなのは、ここ遺文に述べられているのが妙法蓮華経八巻二十八品への『経巻信仰』ではなく、妙法蓮華経という五字で表された題目への「題目信仰』(経題信仰)であるということです。法華経の経文に現れているのは、あくまでも『経巻信仰』であるのにも拘わらず、蓮師はこれを『題目(経題)信仰』と改変したわけです。僕はこのように捉えていますが、皆さんのご意見を賜りたいと存じます。

2209顕正居士:2005/04/14(木) 23:11:11
*2204 ×一句一偈 ○一偈一句

犀角独歩さん。

>何も法華経に限らず、仏教は皆一乗の法に決まっているのではないでしょうか、仏教ですから。

普通の大乗は三乗です。菩薩しか仏にはなれない。声聞は声聞、つまり仏弟子をやめて菩薩に
転向しないと仏にはなれない。いうなら仏は上場した起業家であり、同じになるにはサラリーマン
をやめて君も起業しなくちゃのようなことでしょう。

>声聞経、縁覚経

声聞乗の経は阿含経です。縁覚乗は無師独悟だから経はありません。

>法華経は教菩薩法であり、ある面、菩薩経的な側面をもっているように思えます。

そうです。それで三車、四車の議論があったのです。三車は一乗=菩薩乗、四車は相対的な
菩薩ではなく絶対的な菩薩とでもいうことです。三乗だけでなく人天を含めた五乗、さらには
九界すべてを菩薩と考えるわけです。三乗の中の菩薩に転向する必要はない。サラリーマンも
フリーターもニートも株式投資に成功すれば資産家になれるようなことでしょう。

2210犀角独歩:2005/04/14(木) 23:56:11

一字三礼さん:

> 原本と仰られているのはどのようなテキストの事でしょうか。

梵本は読めません。わたしが取り敢えず手元に置いて参考にしているのは岩本裕訳『正しい教えの白蓮』です。ここで原本とされたものはとてもコピペできる分量ではありません。岩波文庫『法華経』上 P411〜438をご覧ください。実際は松山俊太郎師の訳待ちです。
横道ですが、以下のサイトはなかなかでした。
http://www.furugosho.com/nomadologie/matsuyama1.htm

> この段階であれば「編集・編纂」の範囲ではないか

なるほど。わたしもこれが信仰対象とされる経典でなければ、その語彙を選びました。

> 仏典も口誦を伝承の方法
> このようにして出来上がったであろう法華経に、創作者を想定

わたしは、こうは考えないわけです。
伝承という素材を、実際に(一字三礼さんの言葉を使えば)編纂し、恣意的に並べ意味を持たせ、そこで出来上がっていったものを創作と言っているわけです。編纂作業はそれだけでもクリエーティブなものです。

> 違和感を持ちました。

ええ、仰る意味はわかりました。

> 不勉強のため30章説

これをいま探したのですが、日蓮宗の、たしか立正あたりの先生であったと思います。以前、読んだ本で紹介されていたのです。ちょっと、調べてみます。ご猶予をください。

> 特定の仏教教団が仏舎利の分骨を聖遺物とし、それにあやかれない集団もあったとお考え

ええ、そう考えています。すなわち、法師品の「皆応起七宝塔 極令高広厳飾 不須復安舎利 所以者何 此中已有 如来全身」という一節からです。もし、舎利を奉持した集団であれば、こうは書けないと思うからです。
たとえば親の遺骨が放って、写真だけを飾れというようなものです。遺骨が目の前にあったらとてもできません。

> 「人類の知的遺産『ナーガールジュナ』」

有り難うございます。読んでみます。

>> 仮にその菩薩像…刻まれ…パトロン
> …資料…何も残っていない…実際の菩薩…誰にもわからない

そうでしょうか。菩薩像は資料ではないのですか。

2211犀角独歩:2005/04/15(金) 00:05:00

2209 顕正居士さん、大変に平易でわかりやすいご教示深く感謝申し上げます。有り難うございました。

2212犀角独歩:2005/04/15(金) 00:15:56

2208 問答名人さん

> …『経巻信仰』…蓮師はこれを『題目(経題)信仰』と改変

五重玄を意識されたことはもちろんのこととして、特化したと、わたしも思います。

しかし、引用される遺文は、今日の教学、また本尊観とギャップがありますね。

> 今此の御本尊は…

これが「五字の大曼荼羅」ということになるのでしょうか。
まあ、そう解釈されてきたわけですが、わたしは慎重です。

> 身に帯し心に存せば

身に対するのであれば護本尊ですね。心に存するとは、具体的にはどのようなことでしょうか。

2213顕正居士:2005/04/15(金) 00:29:02
>遺文に述べられているのが妙法蓮華経八巻二十八品への『経巻信仰』ではなく、妙法蓮華経という
>五字で表された題目への「題目信仰』(経題信仰)であるということです。法華経の経文に現れているの
>は、あくまでも『経巻信仰』であるのにも拘わらず、蓮師はこれを『題目(経題)信仰』と改変したわけです。

『経巻信仰』というとわたしには八軸の経巻をおまつりして読経唱題したり護摩を焚いたりのイメージが
します。法華経の教義(十界皆成)への信仰の意味ならば、日蓮聖人はこの信仰を基本として、その上
に『経題信仰』を称名念仏のように建てた。しかし仏菩薩の名を呼ぶなら、その仏や菩薩が実在すれば
何か応えてくれるかも知れないが、『経巻』が応えてくれるわけはない。そういう信仰は世界中に日蓮宗
しかない。しかし『経題信仰』の直接の経証の陀羅尼品の「但だ能く法華の名(みな)を受持する者を
擁護するすら、福量る可からず」の十羅刹の擁護を期待できる。また天台大師は五重玄という経題の
解釈中心の法華経概論を著した。両者が結合し妙法五字は単なる経題でなく大真言であり、チベットの
六字明呪のように一回唱えると大蔵経を一回読んだと同じまでの意義を帯びる。けれどもまだそういう
気分がするだけである。次に神力品の結要付属の経証により八万法蔵の象徴であることが保証される。
最後に妙法五字は寿量品に秘沈された十界皆成の原理、一念三千の教理を裏む「事一念三千」である。
それは具体的には胸中の八葉心蓮華に住する三十七尊の曼荼羅であるとなり、即身成仏のイメージが
完成するのだろうとわたしは考えます。

2214一字三礼:2005/04/15(金) 09:06:37

顕正居士さん

一偈一句についてのご教示ありがとうございます。

なるほど、文字通りでよかったのですね。

私は、特定の一偈一句を陀羅尼のように常に口ずさむことを勧めているのか、と考えておりました。

2216問答迷人:2005/04/15(金) 09:08:51

顕正居士さん

ご教示、ありがとうございます。「妙法五字が一念三千の宝珠を裏む、というところが肝要で、そこに蓮師は『唱題成仏』という教義を立てた」と僕は理解しました。


犀角独歩さん

>心に存するとは、具体的にはどのようなことでしょうか。

「大曼荼羅を信ずる」という意味であるかと思います。


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