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素朴な疑問

2208問答迷人:2005/04/14(木) 22:32:17

議論が自然の成り行きとして大乗興起にまで及んでいます。この流れに逆らうつもりは毛頭ありませんが、ここでもう一度、当初の『蓮師の考えとしての「南無妙法蓮華経」の意味』という出発点から質問させてください。

蓮師は新尼御前御返事(文永十二(1275.02・16))において次のように述べています。

『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ。』

ここで特筆するべきなのは、ここ遺文に述べられているのが妙法蓮華経八巻二十八品への『経巻信仰』ではなく、妙法蓮華経という五字で表された題目への「題目信仰』(経題信仰)であるということです。法華経の経文に現れているのは、あくまでも『経巻信仰』であるのにも拘わらず、蓮師はこれを『題目(経題)信仰』と改変したわけです。僕はこのように捉えていますが、皆さんのご意見を賜りたいと存じます。


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