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素朴な疑問
2210
:
犀角独歩
:2005/04/14(木) 23:56:11
一字三礼さん:
> 原本と仰られているのはどのようなテキストの事でしょうか。
梵本は読めません。わたしが取り敢えず手元に置いて参考にしているのは岩本裕訳『正しい教えの白蓮』です。ここで原本とされたものはとてもコピペできる分量ではありません。岩波文庫『法華経』上 P411〜438をご覧ください。実際は松山俊太郎師の訳待ちです。
横道ですが、以下のサイトはなかなかでした。
http://www.furugosho.com/nomadologie/matsuyama1.htm
> この段階であれば「編集・編纂」の範囲ではないか
なるほど。わたしもこれが信仰対象とされる経典でなければ、その語彙を選びました。
> 仏典も口誦を伝承の方法
> このようにして出来上がったであろう法華経に、創作者を想定
わたしは、こうは考えないわけです。
伝承という素材を、実際に(一字三礼さんの言葉を使えば)編纂し、恣意的に並べ意味を持たせ、そこで出来上がっていったものを創作と言っているわけです。編纂作業はそれだけでもクリエーティブなものです。
> 違和感を持ちました。
ええ、仰る意味はわかりました。
> 不勉強のため30章説
これをいま探したのですが、日蓮宗の、たしか立正あたりの先生であったと思います。以前、読んだ本で紹介されていたのです。ちょっと、調べてみます。ご猶予をください。
> 特定の仏教教団が仏舎利の分骨を聖遺物とし、それにあやかれない集団もあったとお考え
ええ、そう考えています。すなわち、法師品の「皆応起七宝塔 極令高広厳飾 不須復安舎利 所以者何 此中已有 如来全身」という一節からです。もし、舎利を奉持した集団であれば、こうは書けないと思うからです。
たとえば親の遺骨が放って、写真だけを飾れというようなものです。遺骨が目の前にあったらとてもできません。
> 「人類の知的遺産『ナーガールジュナ』」
有り難うございます。読んでみます。
>> 仮にその菩薩像…刻まれ…パトロン
> …資料…何も残っていない…実際の菩薩…誰にもわからない
そうでしょうか。菩薩像は資料ではないのですか。
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