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素朴な疑問

2160犀角独歩:2005/04/12(火) 08:06:39

問答さんのご指摘を承けて、種々勘案し直しました。

わたしは、法華経の創作者が仰るように、それまでの仏菩薩を統合し、そのあとを継承しようとしたとすれば、それは実に素晴らしいことであったと思うのです。
実際に、そのような認識に基づく、法華信奉者は、その後、数多輩出されたのかも知れません。

ただ、一点、押さえておきたいことは、それまでの菩薩運動と、法華創作者グループの性質の違いと云うことです。一字三礼さんが「精神面から克服する事を目的」と仰る点、わたしは同意します。同意といいましても、それが理に叶った菩薩の在り方ということではなくて、法華菩薩というのはそのような性質ではないのかという意味合いでです。

博物館などで、時折、展示される古代の菩薩像などを見ると、すぐさま気が付けるのは、その姿が在俗であるということです。それもかなり裕福な人々です。髪を綺麗に結い、豪華な布で作られた衣服をまとい、装飾品も身に付けています。貨幣・流通経済の発達によって生じた裕福な階層、それはたぶん一般庶民階級の、取り分けに商業を営む成功者達であったのでしょう。もちろん、支配階級も含まれると思います。これらの裕福な人々が自分たちの財産の一部を積極的に使い、慈善活動に従事していった。これが、たぶん、菩薩の原形であろうと言われています。そのなかには、薬・医療によって人々を救済する人もあったのでしょう。

一方、法華経を創作したグループは、アフガニスタン周辺の人々で、かなり小規模な集団であったのではないのかと言われています。また、それまでの仏教教団がシャキャムニの舎利の分骨を聖遺物としてきたのに対して、そのようなものにあやかれない信仰教団であったのではないのかと想像できます。たぶん、彼らは、その頃、西欧社会で急激に発達していく聖典信仰の影響を受けていたのではないのかとも想像されます。それまでの、聖遺物は、いま記したとおり、舎利であったり、それを祀る仏塔であったりしたわけですが、法華経創作グループはそのようなものにあやかれない代わりに経典を創作し、それこそが釈尊そのものであるという経典崇拝、経典を祀る経典塔崇拝を確実なものとしていきました。従来の仏教の様式とは違うために、ひどい迫害も受けたでしょう。さらに自分たちの正当性を誇張するために全身に香油を塗った挙げ句、火を付けたもの、肘を焼いて見せたもの等、その行動はかなり過激且つ狂信的な側面をもっていたのかも知れません。しかし、彼らはどのような迫害に遭ってもやり返すことも言い返すこともせず、ただひたすらに堪えて、それが宿命(過去世)で犯した自分の罪の消滅の方法であると信じ、この法華経典を流布していくことが真の菩薩行であるという、従来の財施的な側面から、法施的な側面の強調へ転換していったのではないでしょうか。この転換はしかし、この教団が小規模であり、それまでの菩薩活動を推進するような裕福な階層に属するわけではなく、救済に充てる潤沢な資金もない規模であったのではないのかとも想像できます。その言い訳と断じてしまえば、言い過ぎかも知れませんが、ともかく、彼らは、法華経典の流布こそ、真の菩薩道であるという新たな菩薩観を展開していったように思えます。

以上の素描は、要は、梵本直訳から看て取れる時代背景と、創作者集団の姿です。
わたしは、この素描が大きくは外れていないと思うのは、法華経はその創作地ではついに根付くことなく消えていったという史実からです。結局のところ、経典崇拝を熱心に薦められることより、実際の慈善援助(従来の菩薩活動)のほうが、人々にとって功利的であったからでしょう。


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