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素朴な疑問

2135藤川一郎:2005/04/08(金) 12:02:20
本尊機関説?もとい天皇機関説ですか?
この小笠原師の「本尊機関説」の内容に興味が湧きますが、それはさておき・・・
立憲君主制の元での、天皇機関説というのはかなり正論に近かったようです。
昭和天皇は天皇機関説を最も支持されたようです。
しかしながら、昭和天皇が天皇機関説支持を表明されなかったのは、「機関」である御身が不用意に発言してはならないからという、ジレンマの中にいたためのようです。つまり天皇機関説支持を表明することが天皇機関説に反するという御考えからだそうです。

さて、この天皇機関説を美濃部達吉氏が発表したのは、1912年(大正元年)の『憲法講話』に遡るのですが、その当時は、天皇主権説の上杉慎吉氏との間に論争が生じただけであり、未だ社会的な批判にはなっておりません。
これが社会的に問題になるのは、1935年(昭和10年)まで待たねばなりません。
昭和10年といえば226事件の前年ですが、既に満州事変の勃発した後であります。
つまり国策として天皇機関説が非難されたのであり、真摯な学者の論争にはなっておりません。
さて、大正元年に発表された天皇機関説と吉野作造氏の民本主義等が相まって、当宗における、日柱上人追落し事件(大正14年)に影響があったことはあると思われますが正確には分かりません。しかしながらもともと、民主主義や機関説等という考え自体が絶対のものではありませんし、それをもって理論的武装をするのは、下克上的発想とも考えられます。
そんな中、反日柱上人の御僧侶に対し、唯受一人の日柱上人に味方したのが、東京の在家信徒たちですが、この方たちすら、御法主利用の心が全くなかったかは疑問です。
当時の文書を読んでも、御法主の衣を利用して自分らの正義を主張した観が無いとは言い切れません。
現今の創価学会が、御法主を権威主義と非難しますが、その権威を隠れ蓑に利用していたのは外ならぬ創価学会だったのです。権威を持ち上げるだけ持ち上げておいて、それを利用価値が無くなったから捨て去っただけです。はしごの上に人を乗せて於いて、はしごを外したようなものです。


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