したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

2146犀角独歩:2005/04/11(月) 12:07:33

> 久遠釈尊を師…久遠釈尊を本尊…蓮師にとって同義

これはどうでしょうか。非常に難しいご質問ですね。

蓮師が感得した久遠釈尊は、法華を拠り所として、己心に観た本尊であったわけですね。観心本尊であり、その本尊を末法本尊とするところが本門本尊であり、付属の要法は本門題目ですね。では、師はとなると、この本尊を教える仁ということになるので、教理的に分ければ、法華経典の説法主と経でなければならないことになります。
厳格に分類すれば、久遠本仏と現在の師は分けるべきと思えます。もちろん久遠に立ち還った段階で異仏にあらずですが。しかしまた、釈尊の末法に生まれた蓮師は、在世に会わず、となれば、師と出来たものは法華経典=梵音声という考えがあったようにも思えます。

問答さんは、どのようにお考えになられますか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板