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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2217一字三礼:2005/04/15(金) 09:16:56

犀角独歩さん

全面的に賛同とはいきませんが、創作者達と仰る意味は理解できました。

また、ご紹介いただいたサイト面白そうです。じっくり読んでみたいと思います。

2218愚鈍凡夫:2005/04/15(金) 09:24:09

蓮祖は五五百歳にご自分が生まれ出た。と確信されたとき、法華経の予言を実現するのは自分以外にないと自覚されたのではないかと思います。
五百塵点劫成道の教主釈尊の悟りの要法こそが「妙法蓮華経」であるとの結論に達したときに、この要法の流布こそが教主釈尊の遺命であると、法華経から読みとったのだと思います。
乱暴な言い方をすれば、「法華経は自分のために説かれた」といった確信を持たれていたのではないかと思います。
この要法に「南無」することが、成仏の直道であるというのが蓮祖の確信の根幹であったと思いますが、内心、ご自分が上行菩薩の再誕ではないかと思っていたかも知れませんね。

個人的には、蓮祖の「成仏」のイメージがどんなものであったか興味があります。

2219愚鈍凡夫:2005/04/15(金) 10:21:42

>>2206:を見直してみると、「大般涅槃經卷第十六梵行品第八之二」の文も所々省略されていますので、下記のように改めます。

「善男子。佛及菩薩知殺有三。謂下中上。下者蟻子乃至一切畜生。唯除菩薩示現生者。」(大般涅槃經卷第十六梵行品第八之二)

善男子、仏及び菩薩は殺に三つ有りと知りぬ。謂はく下中上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。

「以下殺因縁墮於地獄畜生餓鬼具受下苦。何以故。是諸畜生有微善根。是故殺者具受罪報是名下殺。中殺者從凡夫人至阿那含是名爲中。以是業因墮於地獄畜生餓鬼。具受中苦是名中殺。上殺者。父母乃至阿羅漢辟支佛畢定菩薩。是名爲上。以是業因縁故墮於阿鼻大地獄中。具受上苦。是名上殺。善男子。若有能殺一闡提者。則不墮此三種殺中。善男子。彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也。」(大般涅槃經卷第十六梵行品第八之二)

下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受くを名づけて下殺となす。中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受くを名づけて中殺となす。上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。是れを名づけて上と為す。是の業因縁を以ての故に阿鼻大地獄の中に堕し、具に上苦を受く。是れを名づけて上殺となす。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり

悪しからず。 m(_ _)m

2220愚鈍凡夫:2005/04/15(金) 12:07:27

菩薩は、その気になれば成仏できるのに、敢えてその一歩手前で踏みとどまり、常に民衆とともにあり、民衆を化導しているというイメージがあるのですが、菩薩道というと菩薩が修行してきた道、言うならば、まず菩薩になるための修行を指すのだろうか。それとも、菩薩が成仏するために、これから行わなければならない修行を指すのだろうか。ふと、そんな疑問を持ちました。

2221ラキ:2005/04/15(金) 18:56:22
皆様。こんばんは。
過去ログ見ていて(現在72まで)虎さんに出てくるお寺が〜!
トレビアの泉みたくへ〜〜と、思いながら順番に読み進めていっています。

少し、早急に知りたい疑問があるので、質問させていただきます。
(ここの過去ログ。又、他のスレッドに載っていたら、申し訳ございません。)
「ほうぼう」についてですが、家の中にお札や神棚とかお守りは「ほうぼう」の品物とは理解できますが、
書籍類とかて、宗教的要素のあるものは「ほうぼう」と言われました。
書籍類は文学作品と思っています。
音楽に関しても、クラシック音楽の一部には「神をたたえる歌」とかもありますが、
それも「ほうぼう」て言われました。
音楽は芸術作品ではないのでしょうか?
内容が「神をたたえる歌」だからいけないのかも知れませんが?・・・
そこまで細かく厳格なら、何故アクセサリー類の十字架とかはキリスト教のシンボルですが、
アクセラリーなので「ほうぼう」にはならないと言うのは、おかしいと思っています。
日本にはたくさんの行事がありますが、その中にも「ほうぼう」ではないのかと思うものもあります。
節分。ひな祭り。端午の節句。七五三。クリスマス。
学会の人はイベント?行事?だから「ほうぼう」にはならないと言いますが、
言ってる事と、やってる事が矛盾していると、感じております。
時代の流れもあるかもしれませんが、厳密には「ほうぼう」の線引きは、どのように考えたら良いのでしょうか?
信徒団体によって、線引きが違うのでどの人の言ってる事が正しいのか悩んでおります。

2222小心者:2005/04/15(金) 19:09:13
 ラキ さん、 ゴモットモなご意見、、と存じます、。 未だかって、、自由に「、言える、」、機会の少なさも有りますが、、欧米の方に比べて、「、自己主張に関する、教育の関与が??」、、のようです、、。 IT時代に突入しました現今は、幼稚園児〜〜129歳までのかたがたの御考え方を「、御自由に、御発言が可能な、本当に、恵まれました、?、贅沢な、?」、、時代になりました、、。 この時代とIT機能を存分に、御活用したおものです、、、ガ、、?? ゴメン下さい、、。

2223犀角独歩:2005/04/15(金) 19:29:15

2217 一字三礼さん:

> 全面的に賛同

そうですね。わたしの言っていることも試作的ですから当然のことと存じます。

紹介のサイトとからスライドしますが、松山俊太郎師は、高齢ながら、元気一杯で、いまも月一、サダルマ・プンダリーカ・スートラの和訳講義が続けられています。

福神研究所ブログ(いまは停まっているようですが)
http://blog.livedoor.jp/fukujinken/

2224パンナコッタ:2005/04/15(金) 22:17:15
ラキさん、こんばんは。 答えではないのですが、考え方の参考として
『まだ身延にいくらか未練をもっているときには、つまらないものを、これだけは
記念に残したいなんていいがちです。これでは「無二の信心」とはいえません。
 ダルマのついた茶わんだとか、鳥居の印のついたおぼん、修学旅行で写した神社
の前の記念写真、イナリの絵がついている駅弁のいなりずしなど、もちろん信仰
に関係はありません。本人が使うのがいやならやいてもよいし、そのまま使っても
さしつかえない、こんなことに迷わされるような弱い信心ではだめです。』
     小平芳平著 創価学会(昭和37年5月12日初版)より引用

まあ、今でもこんな感じだと思いますが。あとの細かいことは、指導する人物の主観
でしょう。
 ちなみにこの本、「まじめな認識が必要」という題で藤原弘達氏のコメントが
載っていました。

2225ラキ:2005/04/16(土) 06:11:09
皆様。おはようございます。

小心者さん。
ここのような、自由に発言できる場所は、大切です。
自由と言っても、池田氏みたい暴言を吐いたりする訳ではなく、自分の疑問を発言できるのが、
すばらしいと感じております。

パンナコッタさん。
ダルマやお守りは持っていないので、と言うよりも、ご利益?がないから必要ないのが本心かもしれません。
ただ、書籍類は、興味があり勉強?知識を満たす為の手段ではないかと思っているのですが、
信仰の対象でもないですし、何でも「ほうぼう」と言って、処分しないと、
正しい仏法をしていても、「福運やご利益はないよ」と、言われます。
どこの信徒団体も「うちが1番正しい」といい、他所は間違ってるからと言います。
そのわりには、どこも功徳があった体験談を聞きます。
正しくないのに功徳があるのか?それとも、信心の姿勢?で功徳があるのか?
誰の言葉が正しい事を言っていて信じていいのか?それとも誰もが幹部の指導の影響で、
本当の正しい信心のあり方を見失っているのか、私には疑問、謎だらけです。
ただ、ここにきている皆様の話は、本音で語り、都合の悪い事はごまかしたり、
何でも、自分の団体が正しく、他は嘘、偽りと否定するのではなく、
信心に対して向上心があるから、自由に色々な発言が出来るのかと思っています。
私は、ここの掲示板で皆様に出会えて良かったと思っております。
こんな無知な私に、色々親切に教えていただき、感謝しても仕切れないほどです。
まだまだ、探求したい事がたくさんあるので、支離滅裂な発言。質問などしましたら、
優しく指摘してください。。。。(出来れば、優しく見守ってください(^^;)

追伸。
ログ200番まで読み進みました。
毎日ログを少しづつですが、読むのが楽しくて仕方がありません。(●⌒∇⌒●)

2226パンナコッタ:2005/04/16(土) 12:31:18

ラキさん、
 >ご利益?がないから必要ないのが本心かもしれません。
信じていなければ、学会の寛師曼陀羅、麻雀牌のような携帯本尊(縮小版)も
同じですよ。
 今までは謗法ということで情報隠蔽をしてきましたが、ネットの普及により
その綻びが、より大きくなっています。 書籍類を謗法と言っているのは信者
への隠蔽工作でしかありません。教学の引用文として摩訶止観を使ったりして
いますが、「優れた禅の指南書」との指摘を大方の信者は知らず、読もうとも
しないから判断出来ません。禅の指南書なんて立派な謗法ですよねぇ。(^。^)

2227ラキ:2005/04/17(日) 13:36:30
皆様こんにちは。

パンナコッタさん。
信心=信じる心が大切だとは思っているのですが、
天邪鬼な私は、信・行・学の学に行きがちだと思っております。
疑問な事は知りたい。
知りたくても、信・行があり、学が付いてくるから、信じてれば、疑問の答えが出ると言われています。
学会。顕正会。エホバの証人。と、3団体の方が身近におりまして、各団体の方とお話はするのですが、
エホバの証人の方は、こちらの質問。疑問には必ず応えてくれます。
書籍類(聖書)や用語辞典など、書籍印刷物などをちゃんと提示して、一生懸命説明してくれる姿は、
とても誠実だと思っております。
学会員は一言で、不誠実だと思います。(学会の方がいたらごめんなさい)
質問しても、難しい事をいい、ごまかそうとする姿勢。
また、こちらが知ってる範囲での回答に対して突っ込むと、判らないから幹部に聞いて回答か調べて回答します。
といいつつも、音信がなくなる事ばかり。
都合の悪い事には、時が過ぎるのを待つ。誠実さの微塵も感じられないと思っています。
一人二人なら、その人の人格?とも思えますが、10人居たら9人は確実に未回答で終わります。

顕正会の方は、回答を調べてもしていただけるのですが、信心が大事と最後はこの二文字で締めくくられます。
人を思いやる心ではとても誠実だと思っています。
ただ、学会。顕正会。両団体は、過去にたくさんの陰謀や傷害事件等、宗教者としてのあるまじき姿があったにもかかわらず、
その事を隠蔽。若い世代には一切教えようとはしない姿勢は、納得できません。
過ちを認めて、このようなことを二度としないように、教えていく事も大切ではないかと感じております。
ここの掲示板の過去ログや、他のスレッドを見ていて、聞いたこともないような話がたくさん出てきます。
正しい信仰を貫く団体だからこそ、世間から後ろ指を刺されないような、
清廉潔白の団体でなければならないのではと思っています。

組織。団体は入れ物と思い、私自身の「信心」の心が一番大切なのかもしれませんが、
迷いがあり、どうして行くのが私自身の幸せに繋がるのかと考えております。

皆様のご意見・ご指導お願い致します。
(毎回、甘えてばかりで申しわけございません。)

「国立の戒壇」の話が出ていたので、読んでいたのですが、学会員の友達に聞いたら、
なに?それ、知らないとの回答。
「国立の戒壇」とは、顕正会独自の解釈で言ってる事なのか、それとも日蓮聖人が御書などで言われている事なのか、
優しく解説を頂けたらと思っております。

2228犀角独歩:2005/04/17(日) 14:04:51

> 国立戒壇

北山本門寺根源で捏造された謀書『日蓮一期弘法付嘱書』に「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という一節があります。

この一文を大石寺のことであると言って騒がれるようになったのが「国立戒壇」です。

この‘造語’を造ったのは田中智学ですが、顕正会は大石寺52代「日霑」であると主張しているようです。

創価学会は顕正会に先んじて、もちろん、国立戒壇を主張していました。
創価学会『折伏教典』(昭和26年11月15日発行/昭和27年7月20日再版)に「本門の戒壇に義の戒壇と事の戒壇とある。義の戒壇とは御本尊の在します場所を指す。事の戒壇とは国立の戒壇である」(P296)と明確に記されています。

参)http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18396234.html

昭和45年言論出版妨害事件を起こした創価学会は、「日蓮正宗の国教化」「国立戒壇」の二つの路線を改め、現在に至っています。新しい会員は、こんな史実は教えられないので知らないだけです。

2229ラキ:2005/04/17(日) 19:24:36
皆様。こんばんは。

犀角独歩さん。
今の心境は「驚き!」この一言に尽きます。
国立戒壇論の基礎の御書自体が「謀書」だったとは・・・
ここまで来ると、他宗・他団体の書籍等、一切読ませたくなくみんな謗法だからと、
隠蔽したくなるのか?〜と、思ってしまいます。
オフ会スレットにも、驚きがあり、横レス、感想みたいなのを書かせていただきました。
顕正会の主張している「国立戒壇」自体が、日蓮聖人の意思ではないという事になると思っても、
間違い、問題ではないでしょうか?
質問ばかりで何時も申しわけございません。
ついでにもう一つ甘えさせてください。(^^;

「田中智学」という方は、何者なのでしょうか?
あと一つお願いがあります。
2228のレスを一部印刷使用してもよろしいでしょうか?
国立戒壇からリンク上部分までです。(HN・ここのHPの事は伏せます)
今度、顕正会・学会員の知人などに、聞いてみたいと思っています。
物覚えが悪いので、書留とかないと忘れてしまうので。(^^;

2230パンナコッタ:2005/04/17(日) 21:14:04

>「田中智学」という方は、何者なのでしょうか?
国柱会の田中巴之助ですね。まめちしきとして、
『六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇にせむこと、亦可からずや。』の
記紀の一節から”八紘一宇”のスローガンを作り出し、戦局拡大を後押しした
人物。
富士門系では明治15年の横浜問答が有名ですね。

2231犀角独歩:2005/04/17(日) 22:01:09

ラキさん、こんばんは。

> 2228のレスを一部印刷使用

どうぞ、別段かまいません。

> …HN・ここのHPの事は伏せます

この必要はありません。むしろ、提示していただいてけっこうです。

ついでに、以下のページもご参考ください。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

> 田中智学

パンナコッタさんがお応えになっていますね。
この人もまた、敗戦後、歴史のなかから葬られた一人といえるかも知れません。戦前であれば、「日蓮」と言って、この名前を知らない人はいなかったでしょうから。

2232犀角独歩:2005/04/17(日) 22:31:57

2231の補足

> 顕正会の主張…「国立戒壇」…日蓮聖人の意思ではない

これは2段階、語るべきことがあります。
まず第一は、戒壇建立ということでいえば『三大秘法稟承事(さんだいひほうぼんじょうのこと)』という御書に「勅宣並びに
御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戎壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり」という一節があります。この書は真筆は現存していません。立正大学・伊藤瑞叡師は真筆説、正信会の山上耕道師は偽作説。わたしは後者の意見に賛成です。つまり、この書が偽書であると決定すれば間違いなく、蓮師は、戒壇建立を語っていないことになります。

なお、国立戒壇は先に記したとおり、田中智学師も言っています。しかし、富士方と違うのは一点。なかに入れる本尊が、学会・顕正会を含む石山系は、所謂「弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊」(いまの創価学会では三大法の大御本尊という)であると主張してきた点です。しかし、この本尊が戒壇本尊でもなければ、10月12日図示でもなく、まして、彫刻である以上、蓮師の作でもなく、いまの彫刻は、禅師授与漫荼羅を原本とし、臨模・作為して制作されたものであるとわたしは結論しています。

以上のような二重構造である点が留意されてしかるべきです。

2233犀角独歩:2005/04/17(日) 22:52:24

なお、戒壇については、わたしとはまったく意見を異にするものの、以下の真摯な研究もあります。

櫻川忠氏著『本門戒壇論』
http://sanity.at.infoseek.co.jp/

2234ラキ:2005/04/18(月) 02:33:39
皆様。深夜にこんばんはです。
パンナコッタさん。
>国柱会の田中巴之助
「国柱会」は初めて聞く名前です。(勉強不測で何時もお手間をおかけしてます。)

>犀角独歩さん。
2228掲示板の書き込みの使用許可ありがとうございます。
この疑問は、明確な証拠。回答が得られない場合、回答が出来る人にお会いしてても、
聞いてみたいです。
納得のできる証拠提示。回答がいただけない場合、そんないかがわしい団体に所属してる人とはお付き合いできない。
絶縁も覚悟の上で望みたいと思います。
仏道修行者としての誠意ある態度にそぐわないと、私は思っているので。

犀角独歩さんのリンク拝見させていただきました。
私のような、無知・無学の者にもわかりやすい、解説は貴重であり、また、知識の探求に役立ち、
感謝の言葉だけしか今は言えません。
本当に、わかりやすい回答、このような私にも自分で努力して調べろと、
キツイお叱りを受けてもいたし方がないのに、これこそ、仏法の実践者の慈悲の心!
私が抱いてる理想の姿です。
これからも、ちんぷんかんぷんな質問や、変な質問があるかもしれませんが、
ご指導の程宜しくお願い致します。

皆様に筆問があります。
初心者でもわかりやすい書籍又は、読んで参考になるような、お勧め書籍がありましたら、
教えて頂けるとありがたいです。
ネットで閲覧も可能なのですが、時間的制約がありまして、書籍なら、移動時間とか待ち時間など利用して、
時間の有効利用ができていいかと思ったしだいです。
現時点で購入できない書籍。高額書籍等ならあきらめて、
ネットから、印刷してでも読むようにしたいと思っております。

2235吉祥仙人:2005/04/18(月) 04:51:57
 素朴な疑問

 真筆が存在しなければ、すべて偽書なのでしょうか?

 日蓮大聖人の御真筆と鑑定されれば、疑いようの無いホンモノでしょうが
御真筆が無ければすべて偽書というのは、アリバイがないから有罪というのと
同じような気がします。
 創価学会が伝える(?)ところでは、大聖人御入滅後、五老僧が「ひらがなの
お手紙、消息文等は師匠の恥じ」と燃やしたりスキかえたりしたので、散逸して
しまったとのことです。

 釈尊が直筆で著した経典というものが、存在するでしょうか?
 キリストが書いた福音書というものが、存在するでしょうか?

 仏典・聖書。すべて偽書になるのでしょうか。

2236犀角独歩[TRACKBACK]:2005/04/18(月) 07:00:31

> 2235

そんな単純な話をしているのではありません。

たとえば、無作三身といった語彙は真跡ではまったく使用されていません。無作で1回のみです。「本覚」もそうです。久遠元初、自受用身といった語彙もそうです。真跡遺文ではまったく使用されていない語彙、また思想が頻繁にに使用されるような御書は、真跡であるとは考えがたいということです。この問題は既に過去に議論しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117251/r58

真跡・疑書・偽書の問題は信仰上の感情論とは無縁です。厳正な科学です。浅井要鱗師、山上耕道師の研究、また、正信会の苦心の作・御書システムでも少しは学んでみることです。

なお、聖書の問題、はこれまたよく研究されているところですか。それを当たればよいでしょう。
仏典の問題は初期仏典と言われるものでも、シャキャムニ滅100年後からの編纂、それまでのアーガマ(伝承)をまとめたものです。シャキャムニの言葉は混じっているかも知れません。名前を失念しましたが、とある学者が調べた結果、確実なものと考えられるのはわずか16句であったとのことです。法華経に至ってはシャキャムニ滅400年後に創作(一字三礼さんの言を借りれば編纂)されたものですから、これを直説ということはできるはずはありません。つまり、釈迦無尼仏の名前に仮託した物語と言うことでしょう。

2237パンナコッタ:2005/04/18(月) 12:54:41
>「国柱会」は初めて聞く名前です。
 
明治17年に創設された右翼主義の団体。設立当初は立正安国会。横浜問答の時は
蓮華会という名でしたね。 信者に石原莞爾、宮沢賢治(会ってはいないらしい)
が有名。 今でも江戸川区にあって、ググればHPもあるようですね。
ここから、本化妙宗連盟、立正教団なんかが分裂しています。

2238藤川一郎:2005/04/18(月) 14:53:30
>>2237
横レスですが、真の右翼の方に迷惑をかけるので訂正させてください。
国柱会は「天皇主義」ではありますが「右翼主義」では無いと思います。
どちらかと言えば覇権主義に近い思想です。
すなわち三国並びに全世界の覇権王として陛下を建てる思想です。
その流れを汲む石原将軍すらも右翼主義ではなく、覇権主義であったと思われます。
世界最終戦争論などを読むとそのように思わざるを得ません。
その証拠に石原将軍は奉天会議の席上、中心に題目旗を掲げ、愛親覚羅家の紋章と日本国旗を左右に掲げるという相対化を行っております。
これは右翼主義ではなく、天皇の御名を利用した日蓮主義であります。

2239パンナコッタ:2005/04/18(月) 18:49:52
>>2238
 ああ、大変失礼しました。 
確かに覇権主義という言い方の方がしっくりきますね。 
満州国の建国自体を右翼主義というのは変ですし。

2240ラキ:2005/04/19(火) 17:41:44
皆様。こんにちは。

パンナコッタさん
書店にて調べ物をしていましたら「国柱会」の事が載っていました。
とても偏った思想の怖い信徒団体と感じました。

ついでに、お数珠の事が載ってる本がありまして目を通していたのですが、
日蓮宗系で紹介されていましたが、左3房。右2房となっておりました。
また、お数珠を半ひねりする事も載っていたのですが、意味は書いておりませんでした。
石山系では、右3房。左2房。なのですが、時代の変化でいつの頃からか、
変ってしまったのか?と、些細な疑問がありますが、信仰に関係ない作法の質問て、
信心が大事と言われて、誰も教えてくれない。と言うより、知らないのが実情でごまかしてるのではと、
疑いを持っています。

些細な事ですが、ふと思い出した事があります。
仕事で行った先で(一緒に行った方は学会員)食べ物を出されたのですが、
そこの方が、稲荷信仰の信者だったので、先輩は手を付けずに私に食べてと言いました。
理由は、謗法をしてる人からの、施し?になるからとのことでした。
何でも謗法と言い、拒絶していたら、現代社会では生きていけないようなきがします。
極端な考えですが、衣食を考えると、作ってる方の宗教で謗法の人が作ってる物はとなります。
衣食は別問題と言うなら、購入したお金がお布施とかになるわけですから、
間接的にですが、謗法の手助けになるのではと、極端な考えがふと浮かんでしまいました。

明日親友の命日なので、お墓参りに行きたいと思っておりますが、
その折に、お経を唱えたいと思っているのですが、「謗法」と言う言葉が頭をよぎり、
日蓮聖人の仏法に背く行為になるのか、ならないのか、アドバイスを頂けたら幸いです。

2241犀角独歩:2005/04/19(火) 18:02:10
2240ラキさん:

> 些細な疑問…信仰に関係ない作法…知らないのが実情でごまかし

そのとおりでしょうね。

> 仕事…一緒に行った方は学会員)食べ物を出された…謗法…施し

所謂、謗施(ぼうせ)ということですが、これは坊さんの話です。
信者はそもそも布施を受ける資格が無いというのが富士方の考えです。
まあ、それは信者でも供養を受けられると言ったのが池田さんでした。
違う信仰をしている人から施しを受けてはいけないのであれば、池田さんが山のように受け取った勲章その他はどうなんでしょうかね。

> 何でも謗法…拒絶…現代社会では生きていけない

まったくそのとおりでしょうね。誰の計算だか忘れましたが、たとえば服1枚、加工食品1つにいったいどれだけの人が関係して自分の手元に届くかというものがありました。たしか60万人という答えであったと記憶します。

> 明日親友の命日…お墓参りに行きたい

大変に素晴らしい心がけですね。敬服します。

> お経を唱えたい…日蓮聖人の仏法に背く行為

蓮師は終生念仏を捨てなかった師・道善房を弔うために向師に『報恩抄』を携えさせ、墓参に生かせたのは夙に有名な話です。
わたし的な言い方をすれば、世間一般の儀礼に悖ることをするのは、謗法以前に人道に反することだと思います。

先の学会員の話も含めて言えば、それらは謗法ではなく、集団・指導者に誣いるためのマインド・コントロール以外の何ものでもないでしょう。

自分の思う最前の形で故人の冥福を祈ればそれでよろしいのではないでしょうか。

2242犀角独歩:2005/04/19(火) 18:04:51

【2241の訂正】

誤)墓参に生かせた
正)墓参に行かせた

誤)自分の思う最前の形
正)自分の思う最善の形

2243パンナコッタ:2005/04/19(火) 20:21:40
ラキさん。
学会の数珠が反対になったのは、昭和52年前後だったような気がします。御観念文が
変わったときだったような(うろ覚え、誰か指摘してください)。
正本堂建立時(昭和47年)は右二珠、左三珠でした。

2244犀角独歩:2005/04/19(火) 22:24:41

パンナコッタさん:

数珠の捻り、右左その根拠はよくわからないのですが、何より、両手中指に掛けるようになったのはいつ頃からでしょうかね。

以前、石山で興師所持の数珠というものを見たのですが(レプリカだと警備の法華講青年部員が言っていました)これはかなり大きなものでした。まず指の間に懸けられるような代物ではありませんでした。懸けられる所があるとすれば、親指と人差し指、もしくは手首。首のわけはないだろうと。

2245ラキ:2005/04/19(火) 22:39:12
皆様。2度目のこんばんはです。^^

犀角独歩さん。
心のもやもやが取れました。
ありがとうございます。
明日のお墓参りで、法華経を唱えてこようと思います。
(方便品。寿量品ですが(^^;))

追伸。
岩波文庫の法華経を購入しました。
御書はネットの方で見て、考え中ですが、真書、偽書の区別がされてるものが
いいかなと思っております。
御書の文を引用されて、話をされたとき、真書、偽書では意味が違ってくるのではと思いますので。

パンナコッタさん。
昭和52年頃までは、右2、左3だったのですね。
些細な事ではありますが、持ち方の変化はふに落ちない気がします。
お数珠の持ち方も、伝統にのっとり受け継がれてきたものと思うのですが、
それを変えるのは余ほどの事ではないかなって感じております。

ご観念文に付いて前に質問させていただきましたが、
学会の大分前の教本。正宗時代の石山版。決別した時の学会版。顕正会版と手に入れられました。
一番新しい学会版は、会館で購入して手に入れようと思っています。
こんだけ手に入れたのに学会の最新版が手元にないのは、
ご観念文の所に「池田氏」の名前が載ってるので、それを指摘されると思って、
提供をしてもらえませんでした。
見比べてみましたが、石山版のが一番いいなと、感じております。
顕正会版は、切ったり貼ったりしてるのが判りました。
学会版は、言葉も出ないぐらい、唖然!
省略しすぎ。現代風にすれば良い物ではないと実感しております。

2246パンナコッタ:2005/04/19(火) 23:40:13
数珠を中指に・・・。 うーん、いつからなんでしょうか。
髪にさせば五つの罪が消えたり、頸にかければ四つの罪が消え、手や肘に持てば
罪が消えるなんて話しもありますから、大昔から決まっていたわけでもないし。
捻りも含めてやはり使い勝手で、数珠も進化していったんじゃないでしょうか。

修験道系では平玉のデカいのを親指にかけていますね。

2247パンナコッタ:2005/04/19(火) 23:49:07
通常各宗派は大体親指に数珠を掛けますが、日蓮宗の祈願と真言宗が中指ですね。

現在の御祈念文の池田さんのところと言うのは、
 広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。
 創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と仰ぎ、その死身弘法の御徳
 に報恩感謝申し上げます。

で 「池田」という名前は載っていませんね。
52年頃の学会版御観念文には「牧口」「戸田」の名前は載っていました。

潔癖性が度を超すと病的な強迫神経症となり、周りの物全てが汚らしいと思うよう
になりますが、ラキさんの先輩の方もそれに近い症状のようですね。
原因は、ゆがんだ教義を信じている事から来ているのは言うまでもありませんね。

2248犀角独歩:2005/04/20(水) 08:06:11

創価学会の観念文のことですが、ここにはまだ生きている池田さんの名前が載っているわけですか。

また「日蓮大聖人を末法のご本仏と仰ぎ、その教えを」というのであればまだしも、会長指導のみが名目に載るわけですか。なかなか興味深いですね。

2249犀角独歩:2005/04/20(水) 08:52:24

2245 ラキさん

御書に関して言えば、まず確実な真跡を通読することをお薦めします。
最適な書は

平成新修日蓮聖人遺文集 / 日蓮/[著] 米田淳雄/編
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=19471150

です。

御書編纂出版について、図でわかりやすく説明しているのは『図録 日蓮聖人の世界』です。真面目に研究している様が伝わります。(こんな調子で彫刻本尊の真偽もやってくれると有り難いと、いつも思っています)
http://www.fujimon.or.jp/tenran/zuroku.htm

2250ラキ:2005/04/20(水) 22:36:18
皆さん。こんばんは。

>創価学会初代、二代、三代の会長を広布の指導者と仰ぎ、その死身弘法の御徳
 に報恩感謝申し上げます。

ご観念文ですが、3代会長まで載っているのは、「みょうもんみょうり」のなす、
傲慢な態度?姿勢ではないかと、感じております。
広布の指導者と書かれているのですから、
亡き4代会長。現在の5代会長は一切無視は、おかしいと感じてます。
あと、ご観念文の省略の凄さは、目に余るものがあります。
現代風に省略すればいいものではなく、先師に対して礼儀を持って接するのに、
ご観念文の省略は、納得が出来ないと思うのは私の意見です。
長いと言っても、数文字。数秒の時間しか違わないのですから。

犀角独歩さん。
御書のお勧めリンクありがとうございます。
「平成新修日蓮聖人遺文集 」値段を見て少し戸惑いが(^^;
図書館で閲覧できればいいのですが、検索してもヒットしなかったので、
悩んでしまいました。
真書。偽書をネットで確認しながら、ネット御書を拝読して行き、
もっと研鑽が必要なら、自然と購入するきかいが来るのではと思っています。
「自分に本当に必要な物は、ご本尊様が与えてくれる境涯になる。」と、言われてますので。
↑学会の指導でよく言われてます。

御書について質問していたら、回答を頂きました。
>顕正会での御書の拝読の仕方を浅井先生がご指導してくれたのでお知らせしますね
『御書は拝読して心肝に染め 実際に身でもって体験すること』です
体験するすることにより御書の意味がわかります

体験と言われても、佐渡流罪は・・・無理そうですね(^^;
微妙に明確な答えではないのが、納得できません。
何を言いたいのかなって?・・・
できれば、解説していただきたく思います。
また、甘えてしまい申しわけございません。

追伸。
お墓参り、無事行って参りました。
霊園の方に聞いたら「日蓮宗の檀家」さんだという事なので、心置きなく、
勤行・小題ができました。
今度行くときは、塔婆をじさんしたいかなと、思っております。

2251愚鈍凡夫:2005/04/21(木) 03:59:15

「むむっ、早く目が覚めてしまった・・・・。そろそろ年寄り予備軍だろうか・・・・・。」 (;^_^A アセアセ…

ラキさんの探求心は素晴らしいですね。
御書の件ですが、経済的に少し余裕ができてから購入されてはどうでしょうか。焦ることはないと思います。
小生の場合は、ネットでダウンロードした創価学会版、日蓮正宗版、日蓮宗版を1御書1ファイルに切り離して、それぞれのフォルダに入れています。理由は、以前使っていたパソコンが相当遅かったものですから・・・(^^ゞ。
日蓮遺文集といった親フォルダにそれぞれのフォルダを登録して、検索ソフトで一気に検索を掛けるといった方法を使っています。この方法を使ってから、御書研鑽が捗るようになりました。

なお、追善法要について、蓮祖は寿量品の「自我偈」を重要視しています。

「例時には阿弥陀経を読み奉り候しが去年の春の末へ夏の始めより阿弥陀経を止めて一向に法華経の内自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候これ又偏に現当の御祈祷の為なり、」(「下山御消息」学会版P343)

「御姓名並びに御年を我とかかせ給いてわざとつかわせ大日月天に申しあぐべし、いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり、」(「可延定業書」学会版P986)

「彼の諷誦に云く「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云」(「法蓮抄」学会版P1047)

「此の御房は正月の内につかわして御はかにて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候、御とのの御かたみもなしなんとなげきて候へばとのをとどめをかれける事よろこび入つて候、」(「春の祝御書」学会版P1510)

「御菩提の御ために法華経一部自我偈数度題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。」(「上野殿母御前御返事」学会版P1568)

ご参考までに。

2252犀角独歩:2005/04/21(木) 05:30:21

ラキさん、おはようございます。
たしかに『平成新修日蓮聖人に文集』は高価ですね。
仮に他の御書全集なんかでしたら、ともかく、年次順に並んでいるのものを選び、冒頭の目録を見て真跡の所在を確認しながら読めばよいと思います。

>> 顕正会での御書の拝読の仕方

これは「井の中の蛙」でしょう。御書の拝し方は顕正会を見習うのではなく、蓮師にその姿勢を見るのが日蓮門下、興師に習うのが日興門下というものでしょう。皆、通じているのは「死身弘法」「其罪畢已」。朝晩、勤行をして折伏をして活動をするなんて簡単なものではありませんね。ちなみに蓮師の読経・勤行その他の修行に充てていた時間は1日8時間ぐらいであったろうといわれています。その他、所を追われ、傷を被り、弟子を殺され、流罪に遭う。仰るとおり佐渡流罪にも遭っています。高校生、集めて伏せ拝させて悦に入っている顕正会・浅井さんなどとは次元を異にしています。「大聖人の仰せのまま」にと蓮師・御書の権威を、自分を飾る姿を浅ましと思います。

墓参いいことをなさりましたね。まあ、塔婆の持ち込みは、わたしはあまり賛同しません。ラキさんが、特定の寺院の檀家であればそれも致し方ありませんが、やはり、墓地を所有管理する寺院にお願いするというのがTPOであるとわたしは思います。もっとも、わたしが墓参に行くときは塔婆は建てませんが。

2253ラキ:2005/04/21(木) 15:06:43
皆様。おはようございます。

愚鈍凡夫さん。
私もネット御書で、愚鈍凡夫さんみたく、ホルダーわけして研鑽しやすいように、
実践したいと思います。
>追善法要について
御書を通してのご指導ありがとうございます。
信・行・学の弱い私には、心強いご指導です。

犀角独歩さん。
年代順の御書でしたら「学会版の編年体」と言う、御書があるそうなので、
それなら、購入できる金額の範囲なので、検討したいと思います。
ただ、学会に貢献する形が問題なので、それが気分的にやかなって(^^;

お墓の件ですが、霊園の管理の方に聞いたのですが、檀家さん用と、
宗派が関係ない場所と二種類存在してると教えていただきました。
私自信は、特定の寺院の檀家ではないので、塔婆供養はやめときます。
気持ち第一ですよね。

意見と言うか、手助けをお願いします。(><)
顕正会の事はまだ、勉強中なので正しく質問・疑問をぶつけても、
ごまかされる心配があります(><)
犀角独歩さんがおっしゃってる御書の研鑽のあり方が、私も本来の姿だと思います。
キリスト教BBSで質問(法論?)をしていると、伝えたら、下記のような返事を頂きました。
ネット伝道で無差別に書き込みをして、私の知り合いのBBSにも書き込みがあり、
色々なHPで書き込みをしてる人だったので、かなり一部では有名な方だったので、
ググッてみたら、良く出入りしてるHPを見つけ、そこにて質問を全員に投げたのですが、
明確な回答は誰もしてくれません。

顕正会も学会も二枚舌!時のおおじて、言動が変るのは変だと思っています。
どんな質問。疑問に対して「仏法の実践・信心」で収めるのは、納得が出来ません。
蓮師の正しい言葉。修行のあり方をちゃんと示してくれれば、納得も出来るのでしょうが、
あいまいな、回答でごまかすのは、いやなのです。
ご観念文でも、石山版の古いのを使用すれば、正宗信徒を名乗っているのですから、
正当性、主張も納得できると思っているにもかかわらず、独自のご観念文のあり方には、
疑問しか残りません。
また、話が脱線しましたが(^^; 皆様のお知恵。アドバイスを頂けたらと思っております。


>法論をするのはやめましょう 相手がわからない(見えない)状態はダメです
失礼&慈悲の想いがではなく楽しむだけでは法を下げる行為になります
また顕正会での正しき信心を身につけていないのに人のことを悪く言うのもどうかと思います
頭ではなく 自身が仏法を実践してほしいです 相手のことはその次です

☆甘えてばかりのラキでした。

2254三学無縁:2005/04/21(木) 22:18:46
>ラキさん
はじめまして、三学無縁と申します。
学会版の編年体御書は現在絶版になっているようですが、書店の店頭などには残っているかもしれません。
古本屋などでは千円から二千円ていどで売られています。
まあ、学会版の御書はほとんど利益のない出版のようですから、「学会に貢献」とまではいかないでしょう。
あとは、正宗の寺院で「平成新編日蓮大聖人御書」を購入して真筆とそれに準ずるものを読むというのもひとつの方法です。
ただし、正宗版も学会版と同様に誤字誤植誤読がありますから注意が必要です。

2255犀角独歩:2005/04/22(金) 10:13:44

ラキさん:

> 「学会版の編年体」と言う、御書

三学無縁さんのご指摘のとおりです。

> 塔婆…気持ち第一ですよね。

そう思います。

> どんな質問。疑問に対して「仏法の実践・信心」で収める

これは操作側と被操作側では意味が異なりますね。
操作(集団・指導者)は、周囲が熱狂することで、自己矛盾も過ちも気付けない状態になっています。この人間にとって、応えも質問もありません。あるのは「自分は正しい」
それに対して、被操作側は、そもそも自分の頭で考えることを放棄させられていることに気付いていません。集団・指導者の打ち出しが絶対に正しい、それは自分の体験から言える、と、こうなっています。
彼らにとって、質疑応答はただ一つ、信じることが正しく・疑うことは悪である、です。ハッサン師は、
「思想コントロールの内容は、メンバーに徹底的な教え込みをして、そのグループの教えと新しい言語体系に身につけさせ、また自分の心を『集中した』状態に保つため思考停止の技術を使えるようにすることである。良いメンバーであるためには、その人は自己自身の思考過程まで操作することを学ばなければならない」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P118)
「教義は、あらゆる問題と状況についてのあらゆる疑問に答えるものだと主張する。個々のメンバーは、自分で考える必要はない。教義が彼にかわって考えてくれるのだから」(同)
と言います。しかし、一見信者達は、思考停止どころか一所懸命に考えているように見えます。ところが実際は、彼らは集団指導者の教えのように一所懸命に考えているだけで、自分で考えることが停止しているのです。「自分にとって何をするのが最善のことか、自分よりも自分以外の人のほうがよく知っていると信じるようになると、その人は本当に危険である」(同 P348)と注意を促します。決定的な指摘は
「マインド・コントロールの正否は、その人の中に新しい人格を作りあげることにかかっているので、カルトの教義は、きまって、あなたは自分自身を信じてはならないと要求する。教義が、思想と感 情と行動のすべてを決める『マスター・プログラム』となる。それは完全で絶対的な真理そのもの なので、教義のどんな欠陥も、信者自身が不完全だからそう見えるのだとされる。信者は、たとい 本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる」(同 P148)

ということです。つまり、彼らは信仰上の信念を語っているように見えながら、実は単に集団・指導者の言うことを自分の個人的体験を根拠として信じ、自分で考えることを放棄させられているわけです。ここでの議論は、やはり、意味はありません。あるのは、その人がどうしてそのように考えるようになったのかという構造を理解させることです。ここでは佛教、キリスト教と言った区別は関係ありません。

2258犀角独歩:2005/04/22(金) 10:18:48
―2255からつづく―

>> 法論をするのはやめ…法を下げる行為

法を下げるなんてことは、まるでないわけです。わたしはこの信仰をやっていると主張する人は別段、法の何も代表していません。
野球で、巨人軍ファンが犯罪を犯したら、巨人軍を下げることにならないのと一緒です。こうして、恰も、一人の人間が法そのものと直接かかわっているような錯覚を与えて、行われていることはただの真理と行動の操作以上の意味はありません。静岡県立大学の西田先生は
『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)のなかで
「何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ」(P227)
と批判精神こそ、健全な心であることを指摘しています。

> 顕正会での正しき信心

顕正会の正しい信心が、本当の意味での正しい信心ではなければ、こんな考えはナンセンス…、というより害悪でしょう。プラス×マイナスはマイナスにしかなりません。そもそも顕正会に正しい信心はないわけです。

> 頭ではなく 自身が仏法を実践…相手のことはその次

この考えはそもそも菩薩を説明する「自未度先度他」という根本精神にも採ります。また、頭で考えることを学といい、一念といい、一心といいます。一切はここからはじまり、ここに帰結します。考えることを放棄させ、会の方針どおりに動くことだけを主張することを精神の隷属、奴隷化ということです。また、言われる仏法の実践が、本来の意味での仏法の実践ではなく、単に会に都合のよいように会員を動かすことに付けられた便利な名称であるという仕組みを理解する必要があります。

以上、ラキさんに申し上げたというのではなく、わたしならば、以上のように応えるというプロトタイプを示してみました。

2259ラキ:2005/04/22(金) 11:54:47
皆様。おはようございます。

三学無縁さん。はじめまして^^
古書店で御書探してみます。

>ただし、正宗版も学会版と同様に誤字誤植誤読がありますから注意が必要です。
これは初耳と言うより、驚きです!編纂に時間を掛けて、正しく作られた物と聞いておりましたが、
これでは、大聖人さまも嘆いておられるのかと、悲しい気持ちです。

犀角独歩さん。
判りやすい、ご指導ありがとうございます。m(__)m
ここの掲示板では、気軽に疑問・質問が出来て、皆様が回答をしてくれて、
疑問・質問の追及?知りたい気持ちが満たされるのに、
組織に入ってる人に質問をしると、実践第一!考えるのは後みたいな感じには、
変と思っていましたし、逆に質問するのが疑い?信仰心のなさみたいに思えてくる、
感覚も覚えたりもしました。
犀角独歩さんのおかげで、私自身の信念。知りたい気持ち。
疑問などは、全部ぶつけていこうと思います。

追伸。
> 顕正会での正しき信心
「顕正会での正しき信心てなに?」と求めたら、日蓮大聖人の仏法を正しく実践していく事と、
回答が来ました。
そして「私が思う大聖人様の正しき信心とは何ですか?」との問いに対して、
私は「信・行・学」御書を拝読して学び、実践して、行動をする事だと、思うといいました。
難しい事は判らないのですが、御書は私達の「教科書」みたいな、学ぶための大切な書物だと思っています。
御書の勉強もしないで「日蓮大聖人のお心がわかるのか?との思いです」
信心を実践していけば「大聖人のお心が判る」との言葉には、納得できなく、
御書に書かれてることは、大切な事だと私は思っています。
私なりの考えですが、ご意見・ご指導のほど宜しくお願いします。
当分、顕正会の人達とお話しするきかいが多くなるので、気持ち的に私の考えはと、
不安になることもしばしばなので、少し自信がないのが本音です。

2260犀角独歩:2005/04/23(土) 01:39:38

ラキさん:

> 疑問などは、全部ぶつけていこう

どうぞ。100%、変化球、剛速球、なんでもOKです。
わたしは最後の最後まで、議論から逃げません。お付き合いしますよ。
ただし、その結論が、信仰者ご本人にとって、まことに受け入れがたいものになった場合、ご自身の頭で考えるところまでは責任は持てません。しかし、ラキさんは、そんな操作下ではないと思います。

> 信心を実践していけば「大聖人のお心が判る」

そんなこと、わかるわけがありません。
蚊に刺された人間が、瀕死の重傷者の症状とは隔絶する如くです。
1+1が2だとわかっても、相対性理論がわからない差異です。
ひとこと言えば、信心をしてしまったればこそ、わからなくなったことがたくさんあるという認識を信者は自覚すべきなのです。

> 不安になる

そんな必要はありません。あくびをしていてもできる範囲のことですから。

2261ラキ:2005/04/23(土) 10:16:15
皆様。おはようございます。

犀角独歩さん。
いつも判りやすい回答・ご指導ありがとうございます。m(__)m

2260のレスで自信がもてました。
学会の人には、学会批判に近いような微妙な質問でも、ごまかし逃げる癖があり、
話にならないほど、ダメな組織と確信しております。
会合優先の信心ておかしいとも、聞いたことがありました。
会合する暇があるならば、部員さんの家を周って対話をして行くのが、
実践(行)をしていく行いの一部ではないかといいましたが、
会合も大切な信心と言われて、普段の部員さん訪問は時間がなくて・・・
それて、自分に対してのいい訳であり、魔に負けてる証拠では?と、あきれてしまいました。

顕正会の方は、今、書籍等を読んで勉強しております。
正しい信心を主張してるわりには、物理的襲撃事件等、仏法実践者の姿とは思えない行動が、
言葉の真実味をなくす行為だと感じました。
ただ、途中までしか書籍を読んでませんが、多分、都合の悪い歴史は一切書かれていないでしょうし、
また、知らない人が大半ではと思います。

昨日、御書探しを古本屋さん巡りで探していたのですが、探すと見つからないな〜
て数時間歩き周り、ふと、お寺で購入した御書なら、顕正会の人も、間違った編纂とかいいわけが出来なくて、
いいかな?と思い、足を伸ばしたら、御書は本山でしか購入できないと言われました。
求める人に提供できないのて、変と思いつつ、教本だけ購入してまいりました。
ご観念文や勤行の作法は一切変化がなく、日蓮大聖人の仏法を正しく実践してると、
豪語する信徒団体は、基本の勤行自体独自な物に変化させてるのは・・・
納得が出来ないので、再度追求したいと思います。

2262犀角独歩:2005/04/23(土) 10:24:33

ラキさん、ご健闘をお祈り申し上げます。

2263パンナコッタ:2005/04/23(土) 13:47:50
顕正会の正しい信心についてはよく解らないので、参考として以前載った記事を見てみると、

『興味深いのは、地震学の権威、石橋克彦さん(神戸大教授)の見解を引用し、科学的な装いをこらして
巨大地震の到来を主張しているが、国立戒壇が実現され「日本は金剛不壊の仏国」となれば、なぜ地震が
やってこなくなるか、大陸プレートの動きがどうして止まるのか、まるで説明がされていないことだ。
それは北朝鮮の侵略についてもそうで、なぜ日本の国教が「顕正会」となれば、金正日の心が清らかになり、
核やミサイルの開発をやめるのか。説明はまるでない。』
『功徳を信じない相手に対しては、地震、北朝鮮など日本滅亡のシナリオを具体的に話し、不安感を煽る。』
『籠の中の小鳥ゆえに、新聞やテレビのニュース番組は見ようとしない。そればかりか、浅井は日蓮の基本
文献である「御書」の学習さえ勧めようとしないから、日蓮を本仏と崇めたてながら、
日蓮さえ理解出来ていない。籠の中で聞くのは、浅井流の独自解釈が入った日蓮の教えだけである。』
  カルトの正体   顕正会ー仏教ラディカリズムの嵐 米本和広 より抜粋・引用

2264パンナコッタ:2005/04/23(土) 13:48:29
 続き
『信心すれば功徳が得られ、信心が薄ければ罰が当たる。折伏すればするほど福運が付くし、宿命転換ができる。
そればかりか一刻でも早く顕正会会員を一千万人にしなければ、日本は滅んでしまう。
 ここに見られるのは、カルト特有の見事なまでの白か黒かの二元論である。功徳か罰かと問われれば、
功徳を取るのは当然だ。』
『人生を変えることが出来るかもしれない宿命転換とか福運とか言われると、ついつい引き込まれてしまう。
いちど入信すれば、目標を同じくする仲間たちがいる。一つの目標に向かって集団で動く。そんな経験は
なかったから、新鮮に映り、仲間との連帯意識のもと、勧誘活動に励んでいく。
 自分の存在や人間関係にリアリティが感じられない悲しい時代なのだ。顕正会はそんな時代の徒花といってよい。』
   カルトの正体   顕正会ー仏教ラディカリズムの嵐 米本和広 より抜粋・引用

2265犀角独歩:2005/04/24(日) 01:21:14

パンナコッタさん、米本氏の顕正会理解が正確はどうかは別として、蒙古と北朝鮮、決定的に違っていることがありますね。蓮師の考えでは、日本の国主が(法華経を持たないという意味で)悪王なので、「隣国の聖人に仰せつけ」て、日本を治罰するというのが蓮師の他国侵逼難観ですね。

もし、北朝鮮が攻めてくるとすれば、この「仏法の方程式」(笑)から言うと、金正日は聖人ということになります。

パッチワークな言説はこうして矛盾を来していくものなのですね。

2266ラキ:2005/04/24(日) 22:11:31
皆さん。こんばんは。
勤行に付いての明確な回答は得られませんでした。
何故、5座3座が1座長行のみになったのか、知らないみたいです。
正宗の教本を見せて、ご観念文の部分も聞きましたが、なぜ変化したのかも不明です。
大聖人の仏法を正しく受け継いでると自負するなら、5座3座の勤行。ご観念文の変更は、
疑問の出しかありません。
(妙信講時代は、石山版の経文を使用していたのは事実なのですし)

御書についてですが、浅井氏の御書講義で勉強してるので、特に研鑽は必要ないとの事でした。
御書拝読しても、文上の意味しかわからない、それどころか、文上の理解さえも出来ない。(読めない)
との意見でした。
学者が書いた物とかは、信心がない研究なので、大聖人のお心はわからないと。
私が感じるのは、正しい解釈は重要ですが、読む人の心の捉え方で、意味はわからなくても、
なんとなく判れば、いいのではないかと思うしだいです。
いつか、御書の意味がわかる時が来ると思っているからです。
色々な階層の信徒にお手紙を出されていますが、自分に当てはまるお手紙だけの拝読は、
偏ってしまうから、全体を通し拝読して何かつかめるものがあればそれでいいのではと、感じます。

一つ驚いた事があります。
ビデオセミナーで、浅井氏がお題目をいきなり唱えたのですが、多分最初にお題目の三唱をするのは、
毎回だと思われます。
そこで、参加してる人がいきなり、画面に向かいお題目三唱をしたのが、
「何故?画面に向かって、浅井氏が映ってるだけなのに、合唱してお題目を唱えるのか?と思いました。」
そのことに付いて質問をしたら、何か意味があったけど忘れてしまった。
意味があるにせよ、ご本尊が目の前にあり、そちらに向き直って、お題目を唱えるのが筋ではないかといったのですが、
いきなりお題目を唱えるので、向き直るのは難しいからと・・・
最初にお題目三唱をするのがわかっているのなら、ご本尊に最初は向かって、
お題目三唱が済んでから向きを変えればいいのでは?聞きましたが、
浅井氏に合唱して唱えてるわけではなく、内徳信仰の時とおなじで、ご本尊を思いご本尊に祈ってるのて、
目の前に「ご本尊があるのに!」無視してる印象、感じはぬぐいされませんでした。

浅井氏のビデオセミナーでの講義?見たいなのは、何を言いたいのか、理解不能!
今月中に目標下種の達成を目指しているて事しか理解できず、御書の引用とかも
サッパリ、???て感じです。
御書講義の本を読みましたが、最初の御書解説で、わからん!なにか違う気がする。
と思い、読むのを断念。
ここまで、私に途中挫折させた書籍はほとんどないのに、読む価値?もない思いで、
同じ御書講義なら「学会版」の御書講義のほうが読みやすさ。解説の丁寧さでは、
上だと感じました。

追伸。
「折伏経典」学会版。昭和26年11月18日 初版発行の昭和43年9月16日
改訂29版を借りる事が出来ました。
編集者。創価学会教学部
発行者 森田一哉

2267藤川一郎:2005/04/25(月) 11:36:31
>>2266
「御書についてですが、浅井氏の御書講義で勉強してるので、特に研鑽は必要ないとの事でした。」
それは変ですね!浅井氏への師敵対ですね。浅井氏自体が2度も御書発刊の発表をしております。

「御書全集は広宣流布の為に絶対必要」(顕正新聞 昭和60年2月25日号)
「御書全集編纂始まる」(顕正新聞 昭和60年4月25日号)
「御書全集、数年以内完結」(顕正新聞 昭和60年5月15日・25日合併号)

また平成7年にも浅井氏は
「顕正会版の御書全集を発刊する。広宣流布には絶対に必要。」
と述べられてますね。しかもこの時の発表では「御書全てに浅井氏の講義を付ける」
「上中下巻からなる全3巻とし、2年で1巻を発刊する」

これもどうなってるのですかね?

2268ラキ:2005/04/25(月) 11:53:01
皆様。おはようございます。

藤川一郎さん。はじめまして。
昭和60年に御書全集の発刊を表明してるのですね。
表明から20年経った現在でも、発刊はされていないとは・・・
「有言実行」であるべきなのに、嘘?〜〜〜建前だけ?〜〜〜〜
20年も編纂には掛からないのに、10年前にも表明してるんですね。
これは確認して、真相を究明したいと思います。
貴重な情報提供ありがとうございました。m(__)m

2269藤川一郎:2005/04/25(月) 13:03:47
実は、御書全集などはできの良さを気にしなければ、いくらでも速く出来るんですよね。
今まで既に出ている全集等を底本にすればよいのですから!
しかしながら浅井氏は全てに講義を付けるなど出来もしないことを発表するために、自身の首を絞めている訳です。
もっとも最初から、御書発刊など本気でないのかも知れませんが!

2270犀角独歩:2005/04/25(月) 22:14:11

横レス、失礼します。
藤川さん、顕正会・浅井さんの御書出版に関する発言、よく整理されていて、参考になりました。有り難うございました。

2271ラキ:2005/04/26(火) 22:44:22
皆さん。こんばんは。

ふと、些細な疑問が浮かんだのですが、
広宣流布(仏法?)に使った金銭は、戻ってくると聞きますが、何を根拠に言ってるのか、
疑問に思いました。
御書などにそのような記載文があるのでしょうか?・・・

追伸。
今日図書館で「平成新修日蓮聖人遺文集 」と「 図録日蓮聖人の世界 」を
読んできました。
ついでに「田中氏」の本も見かけたので少し読んできましたが、大聖人の仏法を、
受け止める側で、思想・考えが違ってくるのかな〜との思いでした。
大聖人のお心。真実はどこにあるのだろ〜私に理解できる時が来るのかな?
と、考えてしまいました。
真実を知りたい思いでいっぱいです。
やはり、真書を読んで考えるのが一番なのでしょうか?

2272犀角独歩:2005/04/27(水) 11:18:21

2271 ラキさん

> 広宣流布(仏法?)に使った金銭は、戻ってくる

もし、そんなことを言い、供養を募る者があれば、よほど、仏教の流れを知らない素人か、詐欺師でしょう。

何故ならば、供養は、元来、喜捨と言われ、何ら見返りを期待することなく、「喜んで捨てる」ものであるとされてきたからです。

2273ラキ:2005/04/27(水) 20:51:21
皆様。こんばんは。

犀角独歩さん。
>供養は、元来、喜捨と言われ、何ら見返りを期待することなく、
「喜んで捨てる」ものであるとされてきたからです。

初めて知りました。
ご供養は気持ちで、額ではないとは言われていましたが、ご供養した物は、
福運となり自分に戻ってくると聞いておりました。(学会では、増えて戻ってくると)

顕正会でも、広宣流布の活動に使ったお金や、年に1度の募金などのお金は、
使った分だけ戻ってくると言っております。
結局両団体は、広宣流布を名目に、折伏をすれば福運が付く!
書籍配布のお金も自前で行いますが、福運!福運が増えるとの甘い言葉で、
信者獲得、書籍販売で設けるために嘘を言ってる事になるのですね。

体験発表や新聞の発表など、ただの偶然だった事なのでしょうか?
今まで、信じて自分が困ったとき、助けてもらえると信じてご供養していたのって、
意味がないのですね!(><)
真実を知って、少し落ち込んでしまいました。
もっと研鑽したいと思います。

2274愚鈍凡夫:2005/04/27(水) 22:52:27

横レス失礼します。

「オイオイ。二日酔いは直ったんかぁ。変なこと書き込んだら出入り禁止になるでぇ!!」(by 外野席)
★☆★凸(--メ)(--メ(--メ)凸★☆★キングギドラ怒りぃ〜!

会員に良い事があれば御利益と言って、更なるご奉公を奨励し、悪いことがあったらあっで「魔が競ってるねん。成長するチャンスやで」なんて、変な激励をし、これまた更なるご奉公を強要されます。結局は、「会のため、○○先生のため」に奉公することが広宣流布であり、日蓮大聖人に連なる者の使命であると、「悲しい自己満足」を奨励されるのです。
教団にとっては、タダで汗を流してくれる会員が多ければ多いほど潤うわけですから、会員がどう転ぼうと、教団の利益になればそれで良しということでしょう。

2275ラキ:2005/05/03(火) 22:14:42
「ごりんじゅうのさい、日蓮むかん(へ?)そうろう」
御書検索で調べましたがヒットしなくて、「日蓮」で検索しても、類似するような
御金言がありませんでした。
歴代上人の御文などで、このような言葉が記載されたものとかあるのでしょうか?
類似してる御金言又は、御文を知ってる方がいましたら、教えて頂けないでしょうか?
お願い致します。m(__)m

2276ラキ:2005/05/03(火) 22:19:29
もう一つ忘れてました。
「けいていしょ」なる御書か歴代上人の著書?は、存在してるのでしょうか?

2277問答迷人:2005/05/03(火) 22:42:15

>けいていしょ

兄弟抄のことではありませんか

2278愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 23:39:22

>>2275:ラキさん、どうもです。

> 「ごりんじゅうのさい、日蓮むかん(へ?)そうろう」

次の文の事ではないでしょうか。

「相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。」(「上野殿御返事」学会版P1558)

2279ラキ:2005/05/04(水) 00:47:32
問答迷人さん。愚鈍凡夫さん。
回答ありがとうございます。m(__)m

質問に回答を頂きましたが、知りたかった理由は、
身元が判明する可能性があるので、今回はご容赦の程お願い致します。m(__)m

調べたのですが、解釈をどう受け止めていいか、迷ってます。
勤行の話をしていて、1座は蓮師の言われた作法ではなく、
また、歴代上人も勤行に付いての御文で述べられていますが、
その事を、相手に話したら、経文の文から。
「一心欲見沸 不自惜身命」ではないかと言われました。
言った本人は現代訳の意味は知らないで使用したので、調べたのですが、
「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」 
この意味から私が思うのは、信心(信じる心)が大切で、身命を惜しまない「行」(折伏)が
大切だと、言いたかったのかとも考えております。
だから、この意味では、五座三座の勤行が1座で良いのか理解できません。
蓮師のお心に叶う意味で述べたのかも知れませんが、何かアドバイスでも頂けたら、幸いです。
今は、学びたい・学べる喜びで嬉しいです。^^
信・行がないとダメ!て言われましたが、私は、前にも述べましたが、
やはり、学びたい気持ちの方が大きいです。
それでは、御書拝読してまいります。

2280愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 01:21:31

ラキさん、どうもです。
蓮祖遺文における「不自惜身命」の使用例は、写本にのみあります。
「教機時国鈔」、「松野殿御返事(建治二年十二月)」、「義浄房御書」
勤行に結びつけて言う場合、「義浄房御書」を依文としていると思われます。次の文がそれです。

「寿量品の自我偈に云く「一心欲見仏不自惜身命」云云。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。秘すべし、秘すべし。」(義浄房御書)

しかし、この書は偽書の疑い濃厚なので、蓮祖の御心とは言えません。また、内容から言って勤行とは関係ないですけどね。

五座三座というのは、本来場所を変えて行われてきた勤行の名残です。したがって、必要以上に拘る必要はないと思います。だから観念文も含めて、勤行に関してはラキさんが納得できる形のものを採用されてはどうですか。
以前、犀角独歩さんが仰ってましたが、蓮祖は方便品・寿量品ともに長行であったと思われます。ご参考までに。

2281ラキ:2005/05/04(水) 02:32:52
愚鈍凡夫様。
毎回、丁重な回答ありがとうございます。m(__)m
御書拝読してふと、現代訳とか御書講義の一番信頼がおける書籍とかあったら、
いいな〜と思ってしまいました。(^^;

今、法華経(岩波書店)方便品を見てみましたが・・・・
方便品の長行て本当に長い〜長行と思い、ビックリしました。(^^;
私は五座三座の習慣がありましたので、1座だと何か違和感があり、
ここの掲示板を拝見させて頂く様になり、蓮師がどのように勤行をしていたのかと思い、
前にも質問をさせていただいたしだいです。
私は、三座が一番大好きです。(五座だと足がしびれるので(^^;)
ご観念文は、初座、ニ座、三座、五座が好きです。
四座の某・・・の御観念文も好きです。
広宣流布は?とお叱りを受けるかも知れませんが、
正宗系団体の「広宣流布」の名目で、言葉が汚いですが「金集め」の名目な気がして、
好きにはなれないです。

勤行の作法に付いては吹っ切れました。
色々ご指導してくれた皆様。ありがとうございました。m(__)m

追伸。
方便品・寿量品の長行を一度実践してみたい思いです。
(カナ振らないと読めないのに、無謀な決意?(^^;)

2282ラキ:2005/05/04(水) 02:48:13
度々変な疑問浮かんでしまい(i ゜__ ゜)タラー…  
御書全集が最初に発刊された(作られた)のは「戸田」氏の時と聴いた記憶があります。
そうすると、それまでの御書全集と纏められた物がなくて、
御書研鑽をどうして行っていたのか?と思ってしまいました。

(つぶやき)
今現在は、御書全集と纏められた書籍があり、
石山。学会は独自の御書があります。
顕正会の浅井くんは、どこの御書使ってるのかな?・・・
まさか!学会版御書て落ちは無いですよね?(;^□^)あはは…

2283パンナコッタ:2005/05/04(水) 11:21:48
学会版御書の元は、平楽寺書店版ですけど。

2284ラキ:2005/05/04(水) 23:54:25
パンナコッタ様。
ご回答ありがとうございます。m(__)m

ググッて見ましたが「平楽寺書店」は歴史がある書店だと、驚きがありました。


皆様へ。
電子空間の放浪をしていて、ふと思った疑問です。
(外国語を使用すると、どこかの教団に謗法〜!と言われそうで。笑)

諸天の中に、日本古来の神が含まれていますが「天照大神」「八幡菩薩」
何故「神道」の神が含まれたのだろうと、感じております。

(ここから、つぶやきです。)
昔は「神道」=「宗教」みたいな、概念がなかったのか?
「神道=心道=真道」と、文字ではなく、音読説で考えたのですが、
「しんどう=心の道」「しんどう=真っ直ぐな道」的な、考えがあったのかな?とも、感じております。
これでは、答えになってない・・・
自分で書いていて、私てやはりおバカすぎです。(><)

2285パンナコッタ:2005/05/05(木) 00:57:20
ラキさん。ここでは”さん”付けですよ。 !(^^)!
平楽寺書店の建物、なかなかいいでしょ。
神道に関しては「本地垂迹」「神本仏迹」を含め愚鈍凡夫さんが「信仰は役に立つか」のスレで
指摘していますので、そちらを参考にしてください。

2286愚鈍凡夫:2005/05/05(木) 03:29:47

> 自分で書いていて、私てやはりおバカすぎです。(><)

いや〜っ、それを言わないでください。小生のHNなんかは、そのものですから。 σ(^◇^;)
何せ、私生活でもボケまくっているもんで・・・・・。 (^_^;)
まぁ、そんなことで、このHN、気に入ってますけどね。 (;^_^A アセアセ…

「小生ってMだろうか・・・・・。結構、自虐的。」(by 独り言) (○ ̄ 〜  ̄○;)ウーン・・・

2287パンナコッタ:2005/05/05(木) 12:16:06

愚鈍凡夫さん。
>「小生ってMだろうか・・・・・」って、
宗教において、絶対のモノに対する服従は、みんな”マゾ”ですよ。(^o^)

2288犀角独歩:2005/05/05(木) 14:19:56

>2287

これは箴言ですね。

2289犀角独歩:2005/05/05(木) 16:46:14

突然、思い出しましたが、パンナコッタさんが記した箴言を裏付けるのがE・フロムの『自由からの逃走』でした。この中でサディズム、マゾヒズムを説明要素として、たしか採り入れていたと記憶します。30年前に読んだ本なので、記憶が曖昧ですが。

2290パンナコッタ:2005/05/05(木) 17:26:03
ああ、下品でしたね。失礼しました。<(_ _)>

しかし、宗教は精神的快楽を与えるシステムの一つであり、信者にはそれによる受け身の部分
がある事は事実ですし、それをM的と表現してもそんなに外れてはいないと思いますが。

2291犀角独歩:2005/05/05(木) 18:05:16

いや、わたしは「下品」などと言っておりませんよ。
また、フロム自身、マゾヒズム語を使って説明していましたから。

2292パンナコッタ:2005/05/05(木) 20:47:40

いやぁ、2287の文は下品だと書いた本人が思っているので。(^^ゞ

渇仰した信仰でひれ伏す信者の姿とは、「精神的マゾヒズムの極致」だと思いますが。

2293ラキ:2005/05/05(木) 22:28:33
皆様。こんばんは。

パンナコッタ様。
スレッド情報ありがとうございます。m(__)m
早速、閲覧したいと思います。

>ラキさん。ここでは”さん”付けですよ。
お心使いありがとうございます。^^
調べ物をしていて、ネット御書を拝読していて、ふと思ったのです。
「様。氏。さん」て?・・・
いつも、皆様の知識の深さに尊敬をしております。
ここの板では、教えてもらう立場なので、
私の思いでは「様」が一番ふさわしい、気持ちなので、ここの板では、このままにさせてください。
他の板では「さん」とお呼びさせていただきます。


愚鈍凡夫様。
>いや〜っ、それを言わないでください。小生のHNなんかは、そのものですから。 σ(^◇^;)
私自身、変な事に興味が行くみたいで、それで、オバかと言うことで(^^;

本日、お寺に参詣に行って来たのですが、また、変な事(疑問)が浮かんでしまい、
困ったちゃんでしかたがないです。(^^;

(恒例のつぶやき?汗)
仏具の「蝋燭立て。おしきみ容れ」の、取っての部分が、象の鼻の形をしてるのは何故?
そして、御香を焚いてる丸い形の御香の「蓋の部分の上の彫刻」これって、
「獅子?シーザー?」みたいな、動物が乗ってるのって、何でかなって?・・・
あと、ご本尊の安置されている「台座?戒壇?」の下の部分にも、「獅子」みたいな
彫刻が彫られているのて?と変なことばかりに、目が行ってしまいました。
インド仏教の影響?名残?・・・
天道説の「地」を支えてる、意味かな?とも・・・
もっと、オバかな発想は、ご本尊に「南無天台大師。南無妙楽大師」が居るのは、
何故だろうと?・・・・
私て(i ゜__ ゜)タラー…

2294パンナコッタ:2005/05/05(木) 23:33:18
ラキさん。お気持ちは大変解るのですが、ここの板のルールと言う事であくまでも
さん付けでお願いします。 管理人さんに怒られちゃいますよ。

象の鼻とかってそうゆうのは見ないと誰も解んないですよ。ただ普通は植物の蔦とかの
意匠だと思うんですがねぇ。

シーザーってカエサル? 沖縄のシーサーの事ですよね。この辺は獅子像とか狛犬でクグって
みてください。また狛犬は三遊亭円丈さんが大家なのでその方面にも検索をかけるといいでしょう。
ちなみに円丈さんが寄進した狛犬の尻尾は、かぜ(扇子)なんですよ。

天台大師は大抵勧進されていますが、妙楽大師は割と珍しいですね。妙楽大師の勧進については、
蓮祖の、著作・曼陀羅の真偽について で法則性が指摘されていましたのでそれを参考に。

2295ラキ:2005/05/06(金) 02:43:38
拝読終わりました。(目がちらついてます。(^^;)

パンナコッタさん。
>ここの板のルールと言う事であくまでもさん付けでお願いします。
了解いたしました。

仏具の疑問もなんとなくわかりました。
「象の鼻のような取っ手」ガネーシャの鼻を意味してるのではと?
そして、彫刻は諸天なのではないかと、私は思いました。

妙楽大師の回答ありがとうございます。m(__)m
後日、拝見させていただきます。

追伸。
管理人さんへ。
掲示板のルール違反をしていまい、大変申し訳ございませんでした。m(__)m

2296管理者:2005/05/06(金) 06:42:53

ラキさん

>掲示板のルール違反をしていまい、大変申し訳ございませんでした。m(__)m

ご協力を感謝いたします。どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

2297パンナコッタ:2005/05/06(金) 12:34:26
ガネーシャってインドの土着神でしょ。日本では聖天や歓喜天になっていますし、
古代のナウマンゾウとかは別にして日本に象がいたのは徳川吉宗が見せ物にした
ぐらいですし、ヒンズー寺院にでも行かない限り直接は関係ないかと思いますが。
ただ、その仏器の制作者がヒントにした可能性はあるかもしれません。

2298ラキ:2005/05/06(金) 14:21:33
みなさん。こんにちは。

管理人さん。
ありがとうございます。こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。


パンナコッタさん。
>ガネーシャってインドの土着神でしょ。日本では聖天や歓喜天になっていますし

「ガネーシャ=歓喜天」だから、仏具に使用しても問題がない。
諸天の仲間だからと思ったのです。
諸天なら、彫刻に使用しても問題がない、そのように感じております。
仏具が信仰の対象ではないので、謗法にはならないと、浅井系団体の方は言っていましたが、
何でも謗法と厳格に言ってるのに、変なとこでは柔軟なのが、ハァ〜〜
とため息が出ます。

追伸。
暖かい季節になってきたので、「蓮師ゆかりの地」散歩でもしたいと、思ってるのですが、
お勧めがあれば、参考にしたいので教えていただけないでしょうか?
鎌倉をメインに考えております。
蓮師ゆかりの地ツアーとかあったら、素敵かな〜とも、思う今日この頃。
ここのHPで主催とかなら、色々な話が聞けて、観光ツアーのガイドさんの説明より、
有意義なお話が聞けて楽しい思い出が、できるのではとも思っています。

2299パンナコッタ:2005/05/08(日) 00:41:03
ネットやムック本などに鎌倉の散策ガイドがあるので、それを参考にゆかりのルートを
たててみるのも面白いと思いますよ。
又蓮祖とは直接関係ないですけど、平家物語に出てくる主馬盛久頸坐なんてのありますが
龍口の法難を考えてみるのにいい所だと思いますよ。

2300犀角独歩:2005/05/08(日) 00:50:37

蓮師、ゆかりの地で鎌倉。まあ、そうでしょうね。
蓮師入滅の地に住む、わたしからすれば、こっちのほうがいろいろありますよ、と呼び込みの一つもしたくなりますが、まあ、似合わないのでやめておきます。

2301ラキ:2005/05/08(日) 02:47:17
パンナコッタさん。
日帰りなので、欲張ってたくさん周りたいと思って、以前に調べた事があるのですが、
1日で回りきれるかと思い、お聞きさせていただきました。
再度計画を練って、周りたいと思います。
草案から龍ノ口までの歩みとか・・・

犀角独歩さん。
池上も行きたいと思っております。
学会に居た頃は謗法の地は、行くべきではないと言われていました。
正宗では参詣は問題ないと、述べられているので、堂々と参詣したいと思ってます。
是非、呼び込みしてくださいませ。^^
呼び込みついでに、ツアーでも開催してガイドでもしていただければ、と甘い考えを心で思っていたりします。(^^;
あ!必見!蓮師ゆかりの地ガイドブックなんてあったらいいな〜と、独り言(^^;

追伸。
私は関東に生息しておりますので、千葉〜富士までなら回ることが可能なので、
色々たずねてみたい思いです。

2302愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 06:31:08

むむっ、関東に生息とな・・・。ひょっとして新手のカラスかも。 ( ̄Д ̄;;
石原さんに言ってやろう。

2303犀角独歩:2005/05/08(日) 08:56:48

ラキさん

> ツアーでも開催してガイド

わたしにツアーコンダクターをやれと(笑)

とはいうものの、このようなことは過去に何度かやりました。
いちばん、最初は問答さんとでしたか。西山、東光寺、北山、天母山、興師の寓居、本門寺建立の予定地と言われる場所、真の浅間神社のご神体といった場所を地元の、日蓮宗僧侶の方に案内してもらったものでした。

2度目は、身延から西山、油野を抜けて、石山、北山へと、現役顕正会員を含む、数名で周りました。わたしも含めて、石山に久方に入ると、俄に興奮があり、感嘆の声を挙げながら客殿前に至ると、法華講婦人部とおぼしき人から不審尋問を受ける一幕もありました。個人的には、わたしは身延の宗廟・草庵跡、あの地は好きです。

3度目は鎌倉へ。しかし、これはひどい渋滞で、道路の混雑、空腹ばかりが思い出に残るところとなりました。

あと、関西でも問答さんを筆頭に、古刹寺院を尋ねるツアオフをやりました。

しかし、こうして、思い返してみると、そんな参加者の方々は、みな「卒業」していかれました。それはそれでよかったことでしょう。

なお、東京オフ会の開催は、池上本門寺に隣接する区の施設を使っています。そんなことから、境内を皆で散策することはよくあります。少し足を延ばせば、蓮師が多摩川を渡ったという矢口渡(やぐちのわたし)、足を洗ったという伝説が残る洗足池など、いくつか史跡は、この周辺にはあります。

そんなツアオフがご希望でしたら、しばらく開催していないので、企画してもいいですよ。その際は、ラキさんが開催者側として労を惜しまないでください(笑)

2304パンナコッタ:2005/05/08(日) 10:40:09
先のオフ会の前にちょっと時間があったので、独歩さん、三学さん、彰往さんと、本門寺の
境内を見て歩きましたが、やはり”フィールドワーク”をするのであればこのような少人数
の方がよいでしょうね。

寺庭婦人の紫蘭さんのHPに駆け足道中の記事(宗報に載ったらしい)があったと思いますので
それも参考にしてみては、いかがでしょうか。

2305犀角独歩:2005/05/08(日) 11:06:47

パンナコッタさん、どうも。

この前はずいぶんと駆け足の散策でした(笑)
本堂は一尊四士でしたね。わたしは座像であったのが印象に残っています。

2306パンナコッタ:2005/05/08(日) 20:21:06
ひたちさん、はじめまして。
>学会の青年部は正宗の板本尊が偽作であるという前提のもとに各地で論を展開していますが、

えっ、これって部単位ぐらいで既に示し合わせているものですか?
第三文明四月号には、「御本尊不敬の日顕に相承なし」という記事がでていて、だいぶ先の事と
思っていたものですから。

2308ラキ:2005/05/08(日) 21:13:11
愚鈍凡夫さん。
新手のカラスて・・・TT
せめて新種にしてください〜(^^;
カラスとは「正宗系団体の代表」の方々と同じになってしまいますぅ〜

犀角独歩さん。

>わたしにツアーコンダクターをやれと
色んなお話が聞けると思っただけで、わくわくしてしまうので、お願いしたいです。
楽しそうな、ツアーが今まであったんですね。
参加したかったです(><)

>そんなツアオフがご希望でしたら、しばらく開催していないので、企画してもいいですよ。
その際は、ラキさんが開催者側として労を惜しまないでください(笑)
かよわい私に人力車を引けと?・・・(笑)
私がお手伝いできる事て?・・・迷子防止の旗持つぐらいですか?(^^:

パンナコッタさん。
>寺庭婦人の紫蘭さんのHPに駆け足道中の記事
参考にさせていただきます。
書店で鎌倉の観光ガイドを見てきたのですが、「ゆかりの地」リストを先に作らないと、
どこを周っていいのか、悩んでしまいました。(^^:

追伸。
ここは、気持ちが和みます。
御書を読み、教学を学びたいと法華講関係者の方とお話したのですが、
御書を読むのはかまわないけど「正しい解釈」が出来るのは「日顕さん」
だけだと言われました。
自分なりの解釈では、間違った解釈をしてしまうからだそうです。
それよりも、信・行に励みましょう・・・て、なにか、疑問に思ってしまいます。
目から知識を入れるのではなく、耳で聞き、信心でて、折伏行を行うには、基礎教学は必要だと思ってますし、
矛盾点を指摘される恐れのある、教学は後回しで”信心”が根本を強調するのは、(o¬ω¬)----☆ぁ ゃι ぃ
て思っちゃいます。
真面目な?石山系団体の方が見たら、激怒しそうな、聖書や他団体の書籍をいっぱい持ってる私て・・・
地獄行きの直通専用エレベータに乗ってるのかな?(笑)

2309れん:2005/05/08(日) 21:21:58
学会青年部…板本尊偽作…論を展開…

私のネット上の知り合いのさる学会員さんから、法華講員と学会員の対論している板を教えてもらいまして、その板を見ましたが、確かに、その板に投稿している学会員は石山の彫刻本尊・二箇相承・各種相伝書を後世の偽作として論を展開してましたね。ただその内容そのものは、こちらの板で過去数年間にわたり論じられてきたことの焼直しのレベルだと言えます。

2310犀角独歩:2005/05/08(日) 21:29:01

ラキさん、それでは企画しましょうか。

身延までの遠出は、ちょっと、地元を離れられない事情がありまして、わたしは今のところ参加できませんが、東京周辺、鎌倉ぐらいならば、同行できます。

当掲示板責任者の皆さん、また、三学無縁さんと相談してみます。

2311犀角独歩:2005/05/08(日) 21:31:10

れんさん、情報、有り難うございます。

2312パンナコッタ:2005/05/08(日) 22:30:52
れんさん、
どこの板かは大体見当が付きましたのでおっしゃる指摘を理解しました。ありがとうございます。

若手二十代の学会員は、殆ど御開扉を受けた事がない世代になり抵抗がないのでしょうが、その上の
世代はしがらみがあると思いますので公式的には、まだまだといった所ですか。
学生・青年部向けの第三文明の記事にはしっかり
『要するに「宗旨の根幹」として、最も大切にすべき大御本尊を、鑑定家気取りで「偽物」と断じて
いるのである。これ以上の謗法はない。』 
  第三文明四月号 青年が学ぶ正義と真実 御本尊不敬の日顕に相承なし より引用

うーん、過渡期と考えればいいのかな。

2313ラキ:2005/05/09(月) 01:47:45
犀角独歩さん。
企画検討ありがとうございます。
私個人の意見ですが、東京周辺でかまいません。
石山以外行った事がないので(^^;
もう、嬉しくてドキドキしています。(気が早いですね・汗)

「本尊と曼荼羅」スレッド299のリンク拝見させていただきました。
指摘事実を見つめて、画面を見ながらうなずくばかりです。
犀角独歩さんの指摘を私も感じる疑問。矛盾と石山系団体に話しても「信心」の一言で、
言いくるめて、明確には誰も答えてくれないだろうと感じております。

2314犀角独歩:2005/05/09(月) 10:09:51

ラキさんが感じている疑問、そして、周囲の対応。
かつてわたし(達)が歩んできた道と同じです。
半歩、先を行くわたしはラキさんの心境と慟哭がよくわかります。

まあ、ツアオフに行けば、鬱積した気分も晴れるでしょう。

2315藤川一郎:2005/05/09(月) 10:36:25
>>2314
かつて、鎌倉へのオフ会にて鶴岡八幡宮前で「八幡大菩薩は真の神か?」と自動車の中で大音声(?)
で叫び顰蹙を買った参加者がいたそうですが(爆)!
そのような一口ギャグ位は許される会にしてください(ははは)!

2316藤川一郎:2005/05/09(月) 10:38:32
(つづき)
もっとも同じ人物は、身延にて千年杉に「700年ぶりだな」と言って顰蹙を買ったこともあったそうですが?


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