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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

308diamonds8888x:2019/03/09(土) 08:36:12 ID:wvNBLFz2
>>306
【もひとつ本論:Kenさんの訊きたいのは?】

 そもそも[>>295](仮説の実例を求めること)の理由は何ですか?
 Kenさんには基準03と基準04に関して不明点があって、その解決のためには仮説の実例が役立つと考えているのだと思いますが、まず不明点を明らかにしてください。そうすれば、適切な実例を思いつくかも知れませんし、実例を出す以外の方法で不明点が解消できるかもしれません。

 そもそも[>> ]で説明したように、基準03と基準04は検証方法についての基準なので、理論モデルで説明するようなものではありません。

309diamonds8888x:2019/03/09(土) 08:37:13 ID:wvNBLFz2
>>306
【議論形式のこと】
 Kenさんが「Kenさんに向けた発言」「割り込み発言」と判断する基準がわかりません。教えてください。

 例えば[>>298]の出だしは、次のものですが。
> ヨコからですが、こんなのはどうでしょう?

 これが例えば、こんなのならOKなんですか?
> diamonds8888xさん、
> ヨコからですが、こんなのはどうでしょう?


 私の感覚は何度か示唆しましたが、少し詳しく説明してみましょう。

 私にとってはどこに書かれていようが参考文献という意味では同じです。他の場所のものならその場所を紹介しますし、大抵は使うのは一部ですから該当箇所を示します。でもこの掲示板に書かれたものでは、そんな必要はあまりありません。「diamonds8888xさんご自身の言葉で語っていただけませんか?」という要求に応えるのは時間と手間の無駄です。

 参考文献が本来は誰に向けて書かれたものであろうと、使うのは内容であって、そこから得られる情報でしょう?
 なので私は有用な情報を与えてくれる第3者発言は大歓迎です。目に余る無駄発言は迷惑ですが。

 ともかく「世間一般で言われるところの正しいアプローチなるものの正体を明らかに[>>112]」するために参考になることなら、どこで誰が書いたものだろうと貪欲に学べばいいではありませんか? 以前に紹介した科学哲学関係の内井惣七、戸田山、伊勢田などの本も読めば参考になりますけど、どれか読み始めましたか? ありもしない王道を探して無駄足踏んで損するのは御勝手ですけどね。
 

 第3者と議論がしたくなければKenさんからは直接語り掛けなければ済むことです。
 わかりにくいとかの理由で無視したければ無視すれば済むことです。

 気にかかる内容であれば、Kenさんとしては例えば、「ゲジケジさん発言の〇〇には、こんな不明点がある」とか書いて私向けに書けば済むことでしょう?

 以上が私の感覚です。


>diamonds8888xさんの目的が私に情報を伝えることであるなら

 目的は情報を得たいというKenさんの手助けです。受け取るのがいやなら、手間暇かけてまで無理に伝えるつもりはありません。得たければ勉強すれば? と突き放すだけです。はっきり言って第3者からの有用な情報を拒否する姿勢は、教師が気に食わないから勉強しないという学生の姿にダブって見えます。

310Ken:2019/03/09(土) 19:45:21 ID:jpSlFXN.
>>307>>308
詳細な説明をいただきありがとうございます。じっくりと読ませていただきますが、その前に>>309の件を決着させておくほうがよいでしょう。

>私にとってはどこに書かれていようが参考文献という意味では同じです。

私にとっては同じではありません。

参考文献というなら、私だってアジモフの著書やティレル理論の動画を紹介しました。しかしそれらの「外部」情報と、私たちの議論を見て書き込まれる投稿ではまったく異なります。

diamonds8888xさんの言われるとおりにしたらどういう事態になるでしょうか?

*AとBが「1対1」の議論をしている
*その議論を見たCが投稿する
*AはCの投稿を読むことをBに求める
*BはCの投稿を読み回答する
*Bの回答を見たCが新たに投稿する
*AはCの新しい投稿を読むことをBに求める
*BはCの新しい投稿を読み回答する
*Cがさらに投稿する
・・・・・・・・・・・・・・・・

この状態が「1対1」といえますか?
どうみてもBとCの間で議論が生じているとしか私には思えません。

もっとも私(B)は、Cの考えを排除することをAに求めているのではありません。役立つ情報があるなら利用されたらよいでしょう。ただし投稿番号だけを指定して読むことを求めるのはやめていただきたいと言っています。その理由はおもに>>213で説明しました。

第三者の投稿だけを見せられても、その中のどの部分がAの考えを反映したものかが問題なのです。これは当のAには自明ですがBには自明ではありません。また、表現の個人差もあります。今回1年以上も議論を重ねてきて、diamonds8888xさんの文章の読み方が分かってきたつもりでいますが、第三者の文章の読み方は異なるでしょう。第三者の考えであっても、diamonds8888xさんの言葉で語っていただきたい理由がこれです。

ただし、

>「diamonds8888xさんご自身の言葉で語っていただけませんか?」という要求に応えるのは時間と手間の無駄です。

たしかに時間と手間がかかることでしょう。でも私はその解決策も提案しています。Cの投稿の中でご自身の文章として採用できる部分を抜き出し、ご自身の投稿に貼り付けたらよいではありませんか。これなら時間も手間もかからないはずです。また>>300ではこういう発言も行ないました。

>では>>298は文頭から末尾まで、細部の表現にいたるまで、diamonds8888xさんの文章と見なしてもよいわけですね。

これは、第三者の投稿でも最初から最後までdiamonds8888xさんの文章とみなしてよいものがあれば、言い換えれば投稿者名に「diamonds8888x」と記入されていると考えてもよいものであれば、それなら投稿番号だけの指定でもかまいません、と言っています。


ちなみに私自身はティレル理論の紹介でも「動画を見てください」と言って済ませていません。自分の言葉でこの理論を説明し、ただ、そういう理論が世に実在することの証拠として動画を紹介しただけです。そうでなければ誤解を生じたかもしれませんから。たとえば私はティレル理論を、

〜世界が突然、現在の形で、住民が過去の記憶をもっている状態で、出現した

ということが荒唐無稽でもなんでもなく、日常茶飯の事象であることを示すために紹介しました。これが私の論点です。だからといってティレルが主張するような、

〜世界が量子で構成されていることがその証拠

という部分にはまったく同意していません。つまり紹介した動画には、私の論点とそうでない部分があるわけですが、ただ動画を見ただけではその区別は難しいと思います。

311diamonds8888x:2019/03/13(水) 06:11:41 ID:wvNBLFz2
>>310
> この状態が「1対1」といえますか?

 御懸念は理解しました。では、こんなところでいかがですか? 「そのまま読め」は1回だけ許してもらうということで。

*AとBが「1対1」の議論をしている
*その議論を見たCが投稿する
*AはCの投稿を読むことをBに求める
*BはCの投稿を読み回答する
*Bの回答を見たCが新たに投稿する
    (または、Cが新たに投稿する前に)
*Aは、ここまでのやり取りをみて自分の言葉でコメントする。

 Aから見るとCの投稿はごく普通に読めることが多いですから、Bがどう受け取り解釈したのかはわかりません。「普通のことを書いてるだけではないか?」と思えるだけですからね。でもBの回答があれば、その当たりがわかりますから、多少は的確なコメントをつけられるでしょう。
 最初のCの投稿を「Aの言葉で」書き直したとしても、Cの言葉をBがそのまま解釈する場合と大きな違いはないと思うのです。2回目以降であれば、Bの疑問や理解を踏まえて答えたり書き直したりできますから、1回目にすぐに「Aの言葉で」書き直すよりも効率的だと思います。


 なお、念のために今回の[>>298]に関しては別発言にて。

312diamonds8888x:2019/03/13(水) 06:12:51 ID:wvNBLFz2
>>310,>>311
 [>>307,>>308]で十分とは思いますが、念のために今回の[>>298]に関して。

 既に[>>307]に書いたように私のミスもありましたし、[>>295]〜[>>299]の投稿はないものとしてください。仮説の実例を示すのは適切ではありません。仮説を検証する過程のの実例を示すのが適切でした。[>>295]に対して[>>307,>>308]の回答をしたものと考えてください。


 ただ、[>>299]の質問には答えてください。今後の説明に関わりますから。
>私は基本的論理法則くらいは知っている前提で書いていますが、万が一なじみがないのであれば、おっしゃってください。

 例えば中高の数学で論理法則を学んだ記憶はありますか? なければネットで探すのが手っ取り早いかも知れませんが。Kenさんは論理的方法が好みらしいので知らないはずはないとも思ってのですが、論理記号にはなじみがないともおっしゃっていましたので、よくわからないのです。

313Ken:2019/03/14(木) 22:00:40 ID:jpSlFXN.
>311

>Aから見るとCの投稿はごく普通に読めることが多いですから、(中略)「普通のことを書いてるだけではないか?」と思えるだけですからね。

ここは「文章責任」という切り口で考えられませんか?

AがBに読むことを求める文章なら、Bに対する文責はAが負うということです。あとから「いや、そこはCの言葉だから私は知りません」と言われては困りますから。

その文責を明らかにするため、

(1)Cの発言をAの言葉で言い直す
(2)Cの発言から利用できる部分を抜き出す
(3)Cの発言をそのままAの発言とみなしてよいと保証する

という3つの方法を提案しています。もしも「ごく普通に読める」「普通のことを書いてる」というのが、Cの投稿をAが自分の発言として承認するという意味なら、(3)の条件が満たされたことになりますから、

>「そのまま読め」は1回だけ許してもらうということで。

1回に限る必要はなく、何度でもされたらよいでしょう。

反対に、もしも(1)〜(3)のどれもできないのなら、Aが共有できないと考える発言が、Bが読む文章に含まれることになります。それが、私が「割り込み」と呼ぶもので、1回といえども、受け入れるのはご容赦ください。。


>>312

>ただ、[>>299]の質問には答えてください。今後の説明に関わりますから。
>私は基本的論理法則くらいは知っている前提で書いていますが、万が一なじみがないのであれば、おっしゃってください。

私がこれに答えることはできますが、あまり意味がないのではありませんか?
「はい、知ってます」と答えたとしても、それだけではdiamonds8888xさんが考える理解と同じという保証がありません。
だからこそ具体例が必要になります。

今回は>>307で具体例を挙げていただきましたので、これに対する私の回答をお待ちください。私の回答をご覧になれば、私が正しく理解しているかを判断していただけるでしょう。

314diamonds8888x:2019/03/15(金) 06:20:50 ID:wvNBLFz2
>>313
 了解しました。(1)(2)をしていなければ(3)だということで受け取ってください。

>「はい、知ってます」と答えたとしても、それだけではdiamonds8888xさんが考える理解と同じという保証がありません。
だからこそ具体例が必要になります。

 そんなことはないと思いますが、「はい、知ってます」だけよりも詳しい説明法を思いつかないのなら仕方ありません。

>今回は>>307で具体例を挙げていただきましたので、これに対する私の回答をお待ちください。

 ではお待ちします。ごゆっくりどうぞ。むしろ、御自分で別の例を考えてみて思いつくようなら、確かに理解していることになるとは思いますが。

315Ken:2019/03/16(土) 22:59:18 ID:APgjG24U
それでは>>307で挙げられた例題についての感想です。ペストの話を例に取り上げます。

理論C「ペスト病の人は沼の瘴気に当っていた」

から

理論B「沼の瘴気に当たればペスト病になる」

が導けるというのは誤りである。それはそうでしょう。Cは、ペスト病の人は瘴気に当たった人の部分集合といっているのだから、瘴気に当たってもペストにならない人はいるわけです。それゆえ理論Bの検証はできていないと結論し、それでこの話は終わりになります。


ただ、もしも今の私たちが科学的探究や科学教育のあるべき姿を論じているのなら、私から言い添えたいことがあります。理論CからBを証明はできませんが、少なくともBを強く示唆するのは確かです。

現実問題として、もし多くのペスト患者が沼の瘴気に当たっていたという事実が知れたら、瘴気でペストにならない例があるとしても、やはり圧倒的多数の人は沼に近づかないようにするでしょう。また、ペストの原因を探す研究者は、探索対象を瘴気を出す沼に集中させるに違いありません。そのとき理論B「沼の瘴気に当たればペスト病になる」には根拠がないという理由で、彼等の行動に合理性がないと批判する人はいないはずです。

瘴気の影響を調べ、とりわけペストに罹る人と罹らない人それぞれの共通点を探した結果、罹った人はP菌に感染していたという共通点があれば、ペストを起こすのは瘴気ではなくP菌であることが分かります。しかしこれは「瘴気」が誤った理論で「P菌」が正しい理論というよりも、原因の探索領域が絞り込まれただけで、探索はまだ続くはずなのです。

次の段階として「なぜP菌が病を起こすのか」を探求することで、P菌もまた最終結論ではなく、そこに含まれる化学化合物Xこそがペストを引き起こすことが分かるかもしれません。ウィキペディアの記事を読むと、現実のペスト菌ではF1抗原とV抗原という2つの化学化合物が病を起こすとありますが、P菌にもXを含むものと含まないものがあり、前者のみがペストを引き起こすなら、真の原因はP菌ではなくXです。

さらにXにも数種類の構造があり、ペストを引き起こすのはYという官能基をもつタイプと分かるかもしれません。するとペストの原因探索は、

瘴気→P菌→化合物X→官能基Y

と絞り込んできたことになります。それぞれの段階では「瘴気」なり「P菌」なりが原因という仮説が立てられ、その対象を集中的に調べることで、より深い掘り下げが行なわれたのだから、瘴気原因説もP菌原因説も歴史の中で科学の発展に貢献したことになります。

注意すべきは、1段階の掘り下げに長大な時間を要するかもしれないことです。瘴気原因説からP菌原因説に進むまで数十年も数百年もかかるかもしれず、その間は、瘴気に当たってもペストに罹らない例があることを承知の上で、瘴気原因説を教育の場で伝えてゆくしかありません。

歴史上の極端な例では、アリスタルコスの地動説もデモクリトスの原子論も、証拠も見つからず、検証もされることなく、千年以上も教え伝えられ、ついに近代理論の誕生を幇助する時がきました。


別に基準03や04を否定するのではありませんが、現実の科学史はこのような形で進んできたのだろうと思います。

問題がなければ基準02に話を進めてはいかがでしょうか?

316diamonds8888x:2019/03/20(水) 06:24:46 ID:x.O9fI26
>>315
 間違ったことは書いてありませんが、どこまで本当にわかっているのか私の方が不安になります。やはりあまり良い例ではないのかも。あまり良い例ではないと考えたのは別の理由もあったのですが。

 数学だと対偶は使いまくりですが、経験的証拠を使う科学の場合はなかなかぴったりの例が出てきません。どちらかというと御指摘のように、示唆するけど証明には不十分という例の方が出やすいですね。


 仕方ないので、Kenさんがどれだけ論理になじみがあるかどうかを知るための問題を作ってみました。
 以下の論理式が正しいものは〇、誤りのものは×で示してください。
 なお、余計なコメントは付けないで〇×のみでお願いします。
 ただ、記号等でわからないとか自信がなくて調べてわかったものがあれば、教えてください。

 1) ((P→Q)∧(Q→R))→(P→R)
 2) ((P→Q)∧P)→Q
 3) ((P→Q)∧Q)→P
 4) ((P→Q)∨P)→Q
 5) (¬P)∧P
 6) (¬¬P)→P
 7) (P→Q)∨(P→¬Q)
 8) (P→Q)→(¬P→¬Q)
 9) (P→Q)→(¬Q→¬P)

317Ken:2019/03/22(金) 01:53:02 ID:CG50SQBs
設問には回答しますが、これは科学と疑似科学を区別する基準になるのでしょうか?

前に言いましたが、私は論理式の表記法に慣れていません。論理表記なら、むしろプログラム言語の方がなじみがあるのですが、とりあえず、回答できると思うものを回答します。

1) ((P→Q)∧(Q→R))→(P→R) 〇
2) ((P→Q)∧P)→Q 〇
3) ((P→Q)∧Q)→P ×
4) ((P→Q)∨P)→Q ×
6) (¬¬P)→P 〇
8) (P→Q)→(¬P→¬Q) ×
9) (P→Q)→(¬Q→¬P) 〇

下の2つは意味がいまひとつ不明です。これらは、この論理式で定義されるようなデータがありうるといっているのでしょうか?

5) (¬P)∧P
7) (P→Q)∨(P→¬Q)

318diamonds8888x:2019/03/23(土) 09:10:39 ID:ygBXtEB2
>>317
>前に言いましたが、私は論理式の表記法に慣れていません。

 十分に読めるではありませんか。それでOKです。むしろ読み取った概念を納得しているかどうかが大事ですよね。表記なんてただの言葉です。もっとも命題を接続する論理記号の強さの順序を誤読される可能性は危惧しましたので、括弧を使って読みの順序は明確にしておきました。なので通常は省略可能な括弧も付けています。

>これは科学と疑似科学を区別する基準になるのでしょうか?

 そもそも科学の検証というのは論理的に行うべきものではありませんか? Kenさん自身も常々「論理的に議論したい」とおっしゃっていたような気がしますが。

 質問の目的は「論理的」という概念が私とKenさんとで食い違っていないかどうかを確認することです。

 そして答えてくださった問題はすべて正解です。まあ当然ですよね。


 5),7)は「ならば」でつなぐ形になっていないので戸惑われたのでしょうか?
 PやQがいかなる命題であろうとも論理式が表している命題が真ならば〇です。かみくだいて言えば、普通の文章に直してみてPやQに適当な命題を入れてみていつでも正しいならば〇です。

 そして〇であれば、正しい論理的推論に使うことができます。もしも5),7)のように「ならば」でつなぐ形ではない論理式に戸惑うのであれば、そのような形の論理を使えていないということになり、それはつまり、論理的に考えているつもりでも便利な道具を使えていないというこになるのですが・・・。

 では最も基本的なやつも出しておきましょう。

 10)Q∨(¬Q)


 もしかして私は、5),7)への戸惑いの理由を誤解しているのかも知れません。上記のことは「それはわかってるけど・・」となるのかも知れないような気もします。可能ならば、何が「いまひとつ不明」なのか説明してください。

319fnorder:2019/03/23(土) 14:48:46 ID:???
論理式が「正しい」「誤り」という言い方はあまり良くないですねー。
表記が適切かどうかという意味でなら全部「正しい」とも言えるし。

この場合は『恒に真であるか』ですよね。

320Ken:2019/03/23(土) 19:20:58 ID:CG50SQBs
>>318
いくつか問いただしたい点があるのですが、まずは5)と7)を片付けましょう。

他の設問はすべてA→B、つまりAが成立する条件下ではBが成立するという形をとっています。たとえば1)の

((P→Q)∧(Q→R))→(P→R)

は三段論法ですね。

人間(P)は哺乳類(Q)である
哺乳類(Q)は脊椎動物(R)である
→ゆえに人間(P)は脊椎動物(R)である

それでは→記号がない、つまり条件が設定されてない、場合はどうなるのでしょうか? 例えば5)の

(¬P)∧P

が〇になるのは、いついかなるときにも、対象がなんであれ、(¬P)∧Pが成り立つことが必要ですか?
それとも無数にある条件下で1つでも(¬P)∧Pが正しい場合があれば〇と判定されるのでしょうか?

321diamonds8888x:2019/03/24(日) 15:29:11 ID:ygBXtEB2
>>320
>が〇になるのは、いついかなるときにも、対象がなんであれ、(¬P)∧Pが成り立つことが必要ですか?
>それとも無数にある条件下で1つでも(¬P)∧Pが正しい場合があれば〇と判定されるのでしょうか?

 前者です。だからこそ推論に使えるのだということは、おわかりですか?

322diamonds8888x:2019/03/24(日) 15:31:37 ID:ygBXtEB2
>>319
 fnorderさん
 そこは、なじみのない人のためにわかりやすくということで御容赦を。
 「恒に真」て何? とか横道にそれても面倒ですし。

323Ken:2019/03/24(日) 21:25:37 ID:ZwWUn7XU
>>321

承知しました。

5)と7)は正しいケースもそうでないケースもあると思いますが、いかなる条件でも命題が成立する場合のみ〇と判定されるのであれば、2つとも×になると思います。

この回答でよろしいですか?

よろしければ、基準03と04についてお尋ねしたいことがあります。

324diamonds8888x:2019/03/29(金) 05:59:40 ID:ggTnQef6
>>323
 正解です。7)はちと複雑だったと思いますが。
 ではお尋ねをどうぞ。


 ちょっと気になりますが、「正しいケースもそうでないケースもある」ような命題は論理的推論には使えませんよ? だから×とするのです。どうもここに意識の違いがありそうな気がしますねえ。

325Ken:2019/03/29(金) 07:19:22 ID:.njNR9jk
>>324
>「正しいケースもそうでないケースもある」ような命題は論理的推論には使えませんよ? だから×とするのです。

まずは、この点を明らかにしておきましょう。
×と判定される命題には2種類あるのではないでしょうか?

例を挙げます。aは実数であるとして、

命題1: 2a² ≧ a²
これはaにどんな値がきても成立するから〇です。

命題2: 2a² < a²
aにどんな値が入っても成立しませんから×です。

命題3: a ≧ a²
これは0≦a≦1の範囲では成立しますが、aにそれ以外の値が入ると成立しません。ゆえに×と判定されます。

命題2は×ですが、diamonds8888xさんがいわれる「論理的推論」に使えるのではありませんか?

一方、

5) (¬P)∧P
7) (P→Q)∨(P→¬Q)

この2つは命題3と同じ種類に属するので、×は×でも論理的推論に使えない、というのが私の理解です。

326fnorder:2019/03/29(金) 09:15:52 ID:???
>>324
7番は「正しい」はずです。

327diamonds8888x:2019/03/31(日) 09:55:56 ID:ggTnQef6
>>325
 なるほど、×では意味が曖昧になったようですね。「論理的推論に使えない」の意味に2通りあったということになりますね。

 命題3が論理的推論に使えないという点では見解が一致したということですね。[>>324]は命題3のような例を念頭においたものでした。


 命題2に関して言えば、
   命題2 ×
   ¬命題2 〇

 従って、
  推論1.命題2である。ゆえに〜である。
    誤った推論である。その意味で「命題2は正しい推論には使えない」
  推論2.¬命題2である。ゆえに〜である。
    ゜¬命題2」は正しい推論に使える。


 以上のように「論理的推論に使えない」の意味に2通りあります。私は無意識のうちに文脈でわかると思っていたのですが、今後は意味をはっきりさせた表現の方がいいですか?
 それとも以上の2通りの意味があるとして文脈で判断させる方式でもいいですか?

 まあ、「ほんの少しでも間違っている命題は論理的推論に使えない」ということでは、2通りと言わなくてもいいのだとも思いますが。

328diamonds8888x:2019/03/31(日) 09:57:44 ID:ggTnQef6
>>326
fnorderさん

7) (P→Q)∨(P→¬Q)
7') P→(Q∨¬Q)

 7')なら〇ですが、7)は×です。(P→Q)と(P→¬Q)以外の場合もありますので。以下なら〇ですね。

7") (P→Q)∨(P→¬Q)∨¬(P→Q)∨¬(P→¬Q)

329Ken:2019/03/31(日) 12:37:31 ID:.njNR9jk
>>327の内容に納得したので、お尋ねしたかった質問をしようとしましたが、>>328を見て「あれ?」と思ったので、こちらから確認させてください。

7') P→(Q∨¬Q)は〇、つまり必ず成立するでしょうか?

「Q∨¬Q」とは「Q OR ¬Q」の意味かと思いますが、XORではなくただのORなら「Q∧¬Q」の領域がある可能性を排除できないはずです。そうなると

5) (¬P)∧P

と同じで、成立する場合もあるし、成立しない場合もある。つまり×になりませんか?

330diamonds8888x:2019/04/02(火) 05:57:31 ID:ggTnQef6
>>329
 「Q∧¬Q」も「(¬P)∧P」も成立する場合はありませんよ? それは矛盾です。
 [ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE#%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%9F%9B%E7%9B%BE]論理学における矛盾

 なお、「∨」すなわち、"or"、"または"、で結合された命題や論理式は、それを構成するどれかひとつの命題さえ成立していれば〇です。
 つまり「Q∨¬Q」は「Q∧¬Qの場合が必ずある」などという意味は全く含みません。

331Ken:2019/04/03(水) 23:32:29 ID:MPn6w7No
>>330

>「Q∧¬Q」も「(¬P)∧P」も成立する場合はありませんよ? それは矛盾です。

ですが現実には、Pと¬Pの関係にある2つの理論が、実は両方とも真実だった例があります。あるいはPと¬Pの関係にあるというのが誤解だったかもしれません。でもその判定は非常に難しく、現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?

たとえば、

〜光は粒子である
〜光は波動である

この2つの理論は何世紀にもわたってPと¬Pの関係にあると信じられてきましたが、その前提を量子力学が崩しました。光は粒子でもあり波動でもある。このPと¬Pは並立するのです。量子力学にはこのような複数状態の並立例がいくつもあります。

これに対して「量子の世界は別だ」と言われることがあります。Pと¬Pが排他関係にあるのは、あくまでも私たちが体験する「大きな世界」の話であって、量子のような「小さな世界」ではPと¬Pが並立する、というより相反する状態をPと¬Pとは見なさないのだ、と。

このような説明(言い逃れ?)に「待った」をかけたのが「シュレーディンガーの猫」です。放射性元素が原子核崩壊を起こすと、毒ガス発生装置が起動されて、生きてる猫が死ぬ。つまり小さな世界の原子核の状態が、大きな世界の猫の生死に直結することで、同じ猫が生きてる状態と死んでる状態が並立するというのです。これは大きな世界の話ですから上記の説明(言い逃れ?)は通じません。

数理としての

「(¬P)∧P」は矛盾である

に反論する意図はありませんが、現実問題としては「(¬P)∧P」を容認するしかないのではありませんか?

332fnorder:2019/04/04(木) 19:09:04 ID:???
>>328
diamonds8888xさんがここで使われている「P→Q」はどういう定義ですか?

私が知っている(恐らく一般的な)定義では P→Q ≡ (¬P)∨Q ですが、これとは違うんですか。

333diamonds8888x:2019/04/07(日) 14:24:38 ID:7phizLdM
>>332
fnorderさん、私もちょっと勉強不足だったと思います。

 「7) (P→Q)∨(P→¬Q)」は、命題論理の読み方の範囲では〇ということになるのでしょうね。なにしろ、PとQに真理値を割当てるという常法を適用すると恒真になりますから。


 私も、たぶんKenさんもベン図を思い浮かべつつ考えたと思いますが、これは以下の述語論理式として考えていたことになります。Kenさん他、なじみのない人のために述べておくと、∀(すべての)とE(存在する)は他の論理記号より読みの優先度が高くなります。なので、記号の効果が及ぶ範囲は括弧で明確にします。両者まとめてquantifier(限定記号,限量記号)と呼ばれます。

7a) ∀x(P(x)→Q(x))∨∀y(P(y)→¬Q(y))

 これが以下の式と同じ意味に読んでよいのか違う意味になるのかが、読みのルールで違うはずですがよくわかりません。quantifierの性質上、同じ意味で良かったと思うのですが、違うかな?
 それとも、7a)ではxの値域とyの値域が同じとは限らないことになるから却って拙いのかもしれませんね。いや、調べればいいんでしょうけど。

7b) ∀x(P(x)→Q(x))∨∀x(P(x)→¬Q(x))


 純粋に命題論理の問題として考えていた人に向けては言い訳じみるかも知れませんが、今は科学的方法を適用する話をしています。ゆえに実際上は述語論理を使うことになります。たとえ考える本人が意識していなくてもquantifierなしの命題を使うということはあり得ませんから。

 ちょっと短くなる以下の式でも同じですね。
7c) ∀x(P(x)→Q)∨∀y(P(y)→¬Q)

 これはQの対象要素の値域がxやyの値域と異なってもいい、ということになると思います。xの値域とyの値域は同じということで。ただ、この場合はPの対象要素とQの対象要素との対が全論理式の対象要素なんだと考えてしまえば、統一的な考えができる気もします。却ってわかりにくくなるのかも知れませんが。


 まあ、私とKenさんとの議論である「科学的方法論」に関する話からすれば脇道です。この件を追求しようとすると私にとっては難しい話になりそうなので、いつの日か別の場所で考察するかも知れないという事で御容赦ください。

 私も命題論理式による表現に、こういう落とし穴があるとは今まで気づきませんでした。私やKenさんが思い浮かべたベン図による状態分類の状況を命題論理式だけで表現できるのかどうか、今はノーアイディアです。結局のところ、7)と7')[>>328]が同じ意味になってしまうのですからね。

 命題論理の命題変数は真理値が0か1のどちらかに決められるはずのものなので、「集合の中でaなら0、bなら1」という命題は表現できないということになりそうですね。Kenさんの質問[>>320]に応える時点で命題論理の範囲を越えたことに気付くべきだったのでしょうね。quantifierを使う話になったのだから。

334diamonds8888x:2019/04/07(日) 14:34:04 ID:7phizLdM
>>331
>この2つの理論は何世紀にもわたってPと¬Pの関係にあると信じられてきましたが、その前提を量子力学が崩しました。光は粒子でもあり波動でもある。このPと¬Pは並立するのです。量子力学にはこのような複数状態の並立例がいくつもあります。

 (光は粒子である)は¬(光は波動である)と同義ではありません。表現上で同義ではないことは明らかですが、長い間、内容的には同義だと信じられてきただけの話です。論理法則が崩れたわけではありません。

 シュレジンガーの猫の話も同じことです。従来は、(生)と(死)の2つの状態しかとらないと信じられていたのが、(生)と(死)と(生死混合状態)の3つの状態を取り得ることがわかったというだけです。したがって量子力学に従えば、¬(生)は((死)∨(生死混合状態))と同義だとわかっただけです。

 もっとくだけて言えば、¬(生)の状態は(死)だけではなかったということですね。

 もっとも正確に言えば(生死混合状態)だけがあるのであり、(生)というのは混合状態の生の部分が100%というべきでしょう。

335diamonds8888x:2019/04/07(日) 14:45:19 ID:7phizLdM
>>331
>あるいはPと¬Pの関係にあるというのが誤解だったかもしれません。でもその判定は非常に難しく、現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?

 判定が難しいのは例えば、あるAを持ってきて¬P≡Aか否かを判断することです。例えばP=粒子説、A=波動説、また例えばP=生、A=死、です。

 (¬P)∧Pを認めるなどというのは筋違いです。¬P≡Aというドグマに囚われないようにというのが本当の注意点です。

336Ken:2019/04/09(火) 00:47:40 ID:lLgYBOBc
生でも死でもない「生死混合状態」というものが、具体的な実体をもつでしょうか?

量子力学が扱う「小さな世界」では混合状態に実体があります。>>181では電子を例にしたファインマン物理学の説明を紹介しましたが、この例では、照射スクリーン上で観察される個々の電子は間違いなく粒子であるのに、スクリーン上の分布は電子が波動として伝わってきたことを示す。つまり同じ実験が粒子性と波動性の両方の証拠を示し、混合状態があることが分かります。

でもシュレーディンガーの猫はどうでしょうか?

生死混合状態とは、いわゆる「半死半生」状態ではありません。「生死混合」の「生」は猫が問題なく生きてる状態であり、「死」は一切の生命活動が停止した状態であるはずです。電子の実験なら、粒子として現れる事実と、波動として伝わってきたことを示す事実の両方が観測されますが、猫にそんなことがありますか? 例えば、猫を観察したときは生きていたが、途中の段階では死んでいたことを示す証拠も見つかった、というような場合です。

「生死混合状態」が実体のないものであるなら、猫がとりうる状態はやはり「生」と「死」の2つしかなく、両者は「P」と「¬P」の関係にあることになります。そうなると両者の混合(並立)は、(¬P)∧Pと表現するしかないのでは?

337fnorder:2019/04/11(木) 12:51:13 ID:???
>>333
> 「7) (P→Q)∨(P→¬Q)」は、命題論理の読み方の範囲では〇ということになるのでしょうね。

述語論理と解釈しても同じでしょう。この書き方だとPとQは変数を持たない論理式になります。
そのような場合には述語論理と命題論理の結論は一致するはずです。

『PはP(x)の、QはQ(x)を簡単に書いた。∀xは省略した』ということでも構いません、が。
それなら7)式の正確な表記はこうでなければおかしい。そして、この論理式は常に成立します。

∀x( (P(x)→Q(x)) ∨ (P(x)→¬Q(x)) )

まあこんな話は科学的推論について論じる上では確かに瑣末なことだと思いますが。

338diamonds8888x:2019/04/14(日) 06:06:09 ID:7phizLdM
>>337
> ∀x( (P(x)→Q(x)) ∨ (P(x)→¬Q(x)) )

 確かに。これなら紛れがありませんね。7b)に似てますが、違いますよね。

 問題は、私もKenさんもこういう状況を表現したかったのではないということなんですよ。
 いえ、白状すると私も出題のときには7)は〇と判断してましたが、Kenさんの答えをよくよく考えて×としました。その際、具体的にベン図で考えた時点で、すでに命題論理から外れていたということになりそうです。
 それに7)が〇の論理をKenさんに納得させようとするのは、それこそ脇道だし。

 結局は命題論理の中では「科学的推論」をする上で必要な命題を表現しきれないということみたいです。本当にそうなのかどうかは自信がありませんが。

[>333]
>命題論理の命題変数は真理値が0か1のどちらかに決められるはずのものなので、「集合の中でaなら0、bなら1」という命題は表現できないということになりそうですね。

339diamonds8888x:2019/04/14(日) 06:10:43 ID:7phizLdM
>>336
>「生死混合状態」が実体のないものであるなら、猫がとりうる状態はやはり「生」と「死」の2つしかなく、両者は「P」と「¬P」の関係にあることになります。そうなると両者の混合(並立)は、(¬P)∧Pと表現するしかないのでは?

 「生死混合状態」が実体のないもの、という命題を正しいと認めるならば、両者の混合(並立)という状態は、単に「ありえない」のです。

 両者の混合(並立)という状態がありえるのだと認めるならば、「やはり「生」と「死」の2つしかなく」という命題が誤りです。

 「(¬P)∧P」という表現を勝手に拡張したのではコミュニケーションが混乱します。

340diamonds8888x:2019/04/14(日) 06:21:35 ID:7phizLdM
>>337,>>338

 なるほど厳密に表現したければ、7aならば(∀xy)を、7bならば(∀x)を、式の頭に付けるのが正しいのですね。そうすれば[>>333]のような読み方での迷いは消えます。本来は何が省略されているのかということを意識するのは難しいですね。まさに「紙背」を読まなきゃいけない。

341diamonds8888x:2019/04/14(日) 09:11:34 ID:7phizLdM
>>336,>>339
 相対性理論ならば「時間が遅れ、空間が縮む」とか、量子力学ならば「〇と×の混合状態/中間状態」とかパラドックス的な表現がありますが、それを古典的な意味で文字通り捉えると大事な本質をとらえそこなうかも知れません。これらの表現にはセンセーショナルに人の興味を引きつけようとする面もありますから。我々の議論では、あまりこれらの領域から解釈の難しい事例を持ってこない方がよいと思いますよ。どうせ生物学の議論には当てはまらないのですから。

342diamonds8888x:2019/04/14(日) 09:13:56 ID:7phizLdM
>>336,>>339,>>341
 ということで脇道ですが。

 シュレジンガーの猫の思考実験に量子干渉実験を対応させるのはやりにくいと思います。状況が違いますから。

 シュレジンガーの猫の思考実験に対応するのは例えばα崩壊などです。というか、シュレジンガーの猫の思考実験というのは、まさにα崩壊(β崩壊でもいい)で放出されるα粒子を観測する実験そのものですが。

 そして「ふたを開けるまでは混合状態」というのは実は正しくありません。ふたを開けないとしても、中のα粒子検出装置は「検出したか、まだ検出していないかのどちらか」だというのが真相と見るべきでしょう。α粒子検出装置が検出したら猫殺害装置が作動するという設定でした。

 二重スリット干渉実験でも、検出版のある点では、粒子を検出したかしないかのどちらかです。

343Ken:2019/04/14(日) 09:48:39 ID:YihEQjIU
>>342で述べられたのは、シュレーディンガーの猫の1つの解釈かもしれませんが、唯一の解釈ではないし、シュレーディンガーの提唱から80年以上を経てもまだ決定版の解釈は出ていないというのが私の理解です。ウィキペディアではいくつかの理論が紹介されていますが、その中に多世界理論があります。ひらたく言えばパラレルワールドですが、こんなことが真面目に論じられているのです。

en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat#Many-worlds_interpretation_and_consistent_histories

つまり、生きた猫と死んだ猫は確かに「並立」するが、ただし粒子としての電子と波動としての電子のように、同じ場所、同じ時間で「混合」しているのではなく、別世界の存在になっており、互いに影響を与えることもない。粒子としての電子が消滅すれば波動としての電子もなくなりますが、1つの世界で猫が消えても(生きてる猫はいずれ立ち去るでしょうし、死んでる猫は生態組織が崩壊するでしょう)もう1つの世界の猫には関係のないことです。

このように、生きているのと死んでいるのと、2匹の猫が別世界に存在する状態をも「生死混合状態」と呼ぶのであれば、それは定義の問題ですから、diamonds8888xさんがそのように定義をされるのでしたら、私は従います。

でも、本当にそのような定義でよいのか、検討をされてみてはいかがでしょうか?

もちろん>>342で述べられた解釈が決定稿であるなら、シュレーディンガーの猫の話はそれで終わりますが、まだその決定はなされていないのではありませんか?


1点、付け加えさせてください。>>331の末尾でいったように、私は数理としての

「(¬P)∧P」は矛盾である

に反論をしようとは思いません。ただし、数理が数理として正しいことと、その数学理論が現実世界の事象を説明できるかは、別の問題です。

〜ユークリッド幾何はユークリッド幾何としては正しいけれども、一般相対論の「曲がった空間」には使えません
〜線形微分方程式は線形微分方程式としては正しいけれども、大振幅の振り子のような非線形問題には使えません

diamonds8888xさんが挙げられた論理式は、たとえ正しいとしても、それだけで森羅万象の検証に使えるのでしょうか?

私たちの議論対象は数理ではなく、科学と疑似科学を判別する基準なのですから。

344Ken:2019/04/17(水) 00:33:36 ID:YihEQjIU
「(¬P)∧P」の可能性について、シュレーディンガーの猫よりも簡明な例がないかと考えてみました。
歴史上のこのケースはどうでしょう?

1887年、マイケルソンとモーリーの実験で、光を伝える媒質と想定されていたエーテルが存在しないことが明らかになりましたが、これは重大な問題を引き起こしました。なぜなら光が電磁波という波であることはあらゆる検証によって確立されていたからです。媒質つまり振動の実体が無い波など、絶対矛盾としか思えませんでした。まるで「水の無い雨」や「空気の無い風」が存在するというようなものです。

その後の歴史を見ると、1900年にプランクが量子の存在を唱え、1905年にアインシュタインが量子論を発展させ、光は粒子と波動の2重特性を有し、粒子としての性質があるから媒質を必要としないのだと主張しました。結局、この理論の正しさが認められて媒質問題が解決しました。マイケルソンたちの実験の18年後です。

私の問題提議は、その18年のあいだに、科学はどういう立場をとるべきであったか、というものです。

光が波であることと、光を伝える媒質が存在しないことは、(当時の人には)絶対に矛盾する点で、Pと¬Pの関係に該当します。しかもなお、この両者は並立するとなれば

(¬P)∧P

以外に表現しようがないのではありませんか? たしかに新しい事実が見つかり、新しい理論が構築されたら、2つはPと¬Pの関係ではなくなるし、矛盾は矛盾でなくなるかもしれません。そして今の私たちは歴史がそのように進行したことを知っています。しかし上記の18年を生きた人がそれを予測するのは不可能で、彼らにとって観測できる事実は「(¬P)∧P」しかないのです。それなら、たとえ矛盾であろうが、観測事実を「事実」として受け入れるのが科学ではないでしょうか?

もちろん「(¬P)∧P」を最終結論にする必要はないし、矛盾の無い理論の探求は続ければよい。でもそれは矛盾が無いと思われる理論があっても同じことです。科学に最終結論はないのですから。

345diamonds8888x:2019/04/23(火) 06:16:19 ID:u2pXIO.Y
>>343,>>344
 科学にはロマンという側面と、それとはある意味真逆の厳密な正確さを求める側面とがあります。ある意味真逆というのは、厳密な正確さを求めると、単純なロマンチック・イメージが壊されることもあり、わかってみると意外と平凡に思えたりすることもあるからです。ロマンの側面が好きな人は、それが高じて厳密な側面を視ようとしない場合がありますが、それでは本当の科学好きとは言えないと私は思います。

 ただkenさんの科学への想いが単純にロマンを追うだけとは思えませんし、何にロマンを感じているかはお尋ねしてもいないので不明です。上記は、わかりやすくするための一般論に過ぎません。

 それはともかく、厳密な正確さを求めるには過去の誤りを反省し、どうすれば誤りを繰り返さずに済むのかという対策が必要です。そのための大きなよりどころのひとつ、強力な武器のひとつが純粋論理です。

>光が波であることと、光を伝える媒質が存在しないことは、(当時の人には)絶対に矛盾する点で、Pと¬Pの関係に該当します。

 そしてこれは間違いでした。では「その18年のあいだに、科学はどういう立場をとるべきであったか」

 私の結論は単純で、[>>334]に述べた通りです。「光が波である」ことと「光を伝える媒質が存在する」こととがイコールとは限らないにもかかわらず、その可能性を見逃していた、というだけです。だからといって当時の人々を責められるものではありません。人は間違いを犯すし、間違いを正しながら科学は進歩するものだからです。

 しかし、すでにこのような間違いを経験した先人たちを持つ現代の我々が同じ誤りに踏み込むとしたら、責められても仕方がないでしょう。

 具体的に「媒質のない波」の矛盾をどう解決したかと言えば、別に「(¬P)∧P」を肯定したのではありません。「媒質のない波」の存在を認めたというだけです。もしくは「真空というものが媒質になりうる」とも考えられますが、たぶんこの考えは「ディラックの海」概念が提出された以降のことかも知れません。


 現代の我々が教訓を得るとすれば、「(¬P)∧Pはありえない」という指針を立てることです。そうすれば「(¬P)∧Pに見えるのはPの中身が何か違うのだ」という探索目標が得られます。「(¬P)∧Pの場合もある」なんて指針を立てたら、そこで思考が停止します。

 もちろん先人たちの誤りの多くは「(¬P)∧Pに見えるから、その理論は間違いだ」というものであり、「(¬P)∧Pの場合もある」なんて考えた人はあまりいないと思います。

346diamonds8888x:2019/04/23(火) 06:18:20 ID:u2pXIO.Y
>>343
 紹介された訳文の原文は映画フィルムのような図の説明文ですね。多世界仮説の解釈は存じています。でもそれは「(¬P)∧P」を肯定してはいませんよ。単純化のために2つの並行世界だけ考えてみれば、猫の生死状態は以下の4通りで、各状態は互いに排他的です。ただし各世界の中では、生死混合ないし生死中間状態などの生死以外の状態はないものとしています。

 (世界1で生,世界2で生) (世界1で死,世界2で生)
 (世界1で生,世界2で死) (世界1で死,世界2で死)

 以上4通りのひとつないしいくつかの場合であることをPとすれば、¬Pは残りの排他的状態であり、「(¬P)∧P」は肯定されません。

 本来は並行世界は無数にあると考えるのですが。

347Ken:2019/04/24(水) 23:53:32 ID:6kBvrkG2
>>345
>「光が波である」ことと「光を伝える媒質が存在する」こととがイコールとは限らないにもかかわらず、その可能性を見逃していた

光に必ず媒質があると考えたのが間違いだったのでしょうか?
でも当時はそう考えるしかなかったのではありませんか?

忘れてならないのは、量子力学の登場前は、波と媒質は切り離せないのが「論理」だったことです。

波にはいくつかの特徴があります。

〜障害物の背後に回りこむ(回折)
〜波源が速度をもつと波長が変わる(ドップラー効果)
〜波源が速度をもっても波の速度は変わらない

これらの特徴は観測され理論化されたもので、いつか相反する事象が観測されるかもしれません。

でも波には媒質があるというのは、それとは次元が、あるいは種類が異なる話でした。なぜなら、波が振動現象であるからには、必ず「振動するなにものか」があるはずですから。振動するものがないのに振動するというのは矛盾ではありませんか。まさしく今問題になっている論理・数理によって否定されるのではないでしょうか?

このことは、基準03や04のような論理・数理だけで科学理論を判定することに警告を発していると思うのです。論理・数理といっても自然科学に適用する以上は、必ず何らかの観測事実から出発しますし、その観測事実が誤っていれば誤った結論にいたるでしょう。そして、どんな観測事実も絶対に正しいという証明はできません。自然科学と純粋数学が異なる点ですね。

基準03や04を全面否定しているのではありません。ある時点で最もましな理論を導くのに役立つのはたしかです。ただし、科学と疑似科学を分ける基準となし、この基準に合わないものを疑似科学と宣言できるようなものではない、というのが私の考えなのですが。

348diamonds8888x:2019/04/25(木) 05:48:24 ID:u2pXIO.Y
>>347

>光に必ず媒質があると考えたのが間違いだったのでしょうか?

 その通りです。
 「光に必ず」というより「波に必ず」ですよね。

>でも当時はそう考えるしかなかったのではありませんか?

 我々の基準は、現代の我々が使うための基準です。当時の人々の「そう考えるしかなかった」なんてものに従っていたのでは進歩がありません。

 ていうか、「そう考えるしかなかった」というのはつまり「当時の人々の常識」であって、その常識を打ち破る人たちの手によって科学が進歩したのですよ。

>まさしく今問題になっている論理・数理によって否定されるのではないでしょうか?

 何度も説明しましたよ。¬P≡Qと思い込んだのが間違いだったのであり、P∧¬Pがあり得ないという論理は揺るぎません。

 ¬P≡Qなのか否かの判定はPやQの内容をよくよく考えて判定すべき事柄であり、まさしく論理ではなく科学の範疇です。そして波と媒質の例のように、往々にして勘違いされやすいことでもあります。

 (P∧¬P)もあり得るとか(P∨¬P)を否定するとかいう話は、それこそが論理学の守備範囲であって、科学の範疇では古典論理法則は絶対に正しいと見なさなくてはなりません。数学の定理が全て正しいと見なさなくてはならないのと同様にです。

 科学の守備範囲はPやQの内容を吟味することです。数学の使用で言えば、数式の各項の示す具体的内容や各演算の物理的意味などをしっかりと吟味すること、それが科学の守備範囲です。例えば理論物理学者が物理理論を考えるときに、群論の定理が間違ってるかも知れないなどといちいち疑うはずがありません。それは数学者に任せて信頼するのです。

 義務教育レベルで言えば、四則演算法則は絶対に正しいけれど、それをリアル世界の判断に使うためには各項に四則演算に従う物理的内容が当てはめられていなくてはなりません。そういう意味判断が大切なのです。

 そういえば、「数式できちんと表現して導いた結果に一致しなくてはならない」というのも基準に使えそうですね。定量的測定結果を使わずに曖昧な定性表現で間違うことも世の中には多いですからね。

349Ken:2019/04/27(土) 00:29:24 ID:6kBvrkG2
>>348では一般論が述べられていますが、私がお尋ねしたのは、もっと具体的な問題です。

19世紀の人が、波には媒質があると信じたのは、なにも「常識」に囚われていたからではありません。
下記のような論理をもって、波には必ず媒質がある、と結論したのです。
彼等のこの論理は誤りだったのでしょうか?


1.波とは振動現象である
2.振動現象には振動の実体(振動する「なにものか」)がある
3.そんな振動の実体が「媒質」である
4.ゆえに、波には必ず媒質がある


誤りがあるとすれば、1〜4のどのステップにあるのですか?
もしくは、ステップの間に飛躍があるのでしょうか?

逆に言えば、どういう論理を展開すれば、媒質のない波という可能性に到達できたのでしょうか?

350diamonds8888x:2019/04/28(日) 05:56:24 ID:R3oJTXCA
>>349
> 誤りがあるとすれば、1〜4のどのステップにあるのですか?
> もしくは、ステップの間に飛躍があるのでしょうか?

 正解と突き合せれば明らかでしょう? 2です。
 当時の人々が2という常識にとらわれていたことは、今となっては明らかですよ。

 もっと具体的に(科学哲学的な?)定跡的思考法で言えば、「波」とか「粒子」とかいう言葉だけでは単なる言葉なので、その概念の意味というものは「波とは〇〇という性質を持つ」「波とは〇×という性質を持つ」・・・といった何らかの性質・特徴・属性、といったもので決まってきます。それらは定義と呼んでもいいですが、それまでに知られている様々の共通の属性を持つものをひとまとめにして「波」と呼んだのです。

 ところがそれまでに知られている様々の実例が、例えば4つの共通する性質を持っていたとして、ここに新しく3つの属性を備えたものが発見されたとします。ではこれを「波」とすべきかどうかという問題が生じたというわけですね。

 例えばそれまでの細胞を持つ生物という概念には当てはまらないウイルスというものが発見されたときの同様ですね。

 どちらの場合でも、それまでに使っていた概念(グループ分け)に当てはまらないものが実際に見つかったということです。


【補足】>>347 に、ちょっと勘違いがありますね。
>忘れてならないのは、量子力学の登場前は、波と媒質は切り離せないのが「論理」だったことです。

 純粋論理とか論理法則とかいう意味なら違います。「波と媒質は切り離せない」というのは観察から抜き出した科学の範囲の命題です。

351Ken:2019/04/28(日) 13:27:11 ID:SRg530a6
>正解と突き合せれば明らかでしょう? 2です。

その「正解」は20世紀に登場した量子力学のものではありませんか。
正しい科学とは、未来の知見まで見通すことを要求されるのですか?

混乱をしそうなので整理します。

diamonds8888xさんが言われる、疑似科学ならぬ正しい科学とは、それぞれの時代で得られる情報を正しく処理するかで決まるので、後世から見た正しい結論を導くことを求められるものではない、というのが私の理解ですが、ここでもう違っていますか?

例を挙げれば、今の私たちは天動説が誤りだったことを知っています。しかし天動説が疑似科学であったかとなると、それぞれの時代背景を考えて判断をせねばなりません。私は中世までの天動説は疑似科学ではなかったと思います。だって空を見上げて素直に観察すれば、あらゆる天体が地球を回っているように見えるのですから。

状況が変わるのは、観測技術が飛躍した17世紀です。金星の満ち欠けや木星の衛星が発見され、なによりも天体位置の予測精度において、地動説が天動説に明確な差をつけるようになりました。ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。

>「波と媒質は切り離せない」というのは観察から抜き出した科学の範囲の命題です。

そうでしょうか?

〜振動する実体が存在しない振動はありえない

というのは、観察よりも論理の問題だと私には思えます。これが観察の問題になるには、まず、

〜振動する実体がない振動とはどういうものか

を具体的に定義してから、「ある」と「ない」のどちらが正しいかを観察で決定するべきではありませんか?
具体的な定義もなく、ただ「振動する実体がない振動」といっても、ただの言葉遊びとしか、私には思えません。

ちなみに、量子の概念を思いついたプランクは、光の媒質問題を考えていて、この結論にいたったのではありません。彼は、電磁波が古典力学的な波だと黒体放射のエネルギーを説明できない矛盾の解決策として量子を思いついたのです。それが電磁波の媒質問題まで解決したのは、偶然の副産物というべきでしょう。

352diamonds8888x:2019/04/29(月) 09:48:43 ID:R3oJTXCA
>diamonds8888xさんが言われる、疑似科学ならぬ正しい科学とは、それぞれの時代で得られる情報を正しく処理するかで決まるので、後世から見た正しい結論を導くことを求められるものではない、というのが私の理解ですが、ここでもう違っていますか?

 それはまた大きく食い違っていたようですね。私の理解では、本来Kenさんがやりたい創造論(クリエイター仮説)の議論をするための準備として、科学的方法論の基準を明確にしたいという話だと理解していました。それはつまり、現代における科学的基準ということと理解します。今の時代に我々が議論するのに、既に間違いと判明している昔の方法論を使うわけにはいきません。

 科学史そのものの議論なら、現代における正しさなど抜きにして楽しく話せるとは思いますけど。

353diamonds8888x:2019/04/29(月) 10:38:12 ID:R3oJTXCA
>>351
[>>352]以外で認識上の問題点が2つありますが、まず天動説は現在は間違いとされる仮説ではあっても疑似科学ではありません。現代において「地動説は間違いだ」などと主張すれば疑似科学と呼ばれるでしょうが、歴史上そんなことはなかったと思います。まあ現代でも地球平面協会(wikipedia参照)なる団体もありますから全くなかったかどうかは知りませんが、有名なものはなかったと思います。ガリレオを脅迫した教会関係者の信念は「科学なんて信仰より下のものだ」というものなんで疑似科学以前の問題だと思います。疑似科学というのは「科学だ」と主張するけれども実際には科学ではないという意味ですから。つまり疑似科学というのは、科学が信仰よりも権威が上がった社会での概念だと思います。

 つまり教会関係者は科学的議論なんかする気が最初からなかったのだから、そこには科学か疑似科学かという区別など入り込む余地がないということです。いや、そういう「聖書に書いてあるから正しい」といった主張の仕方が疑似科学的方法論だというなら、確かにおっしゃる通り教会側の理論武装は疑似科学です。

 でもそれはなんというか。科学の素人が権力に任せて科学者を弾圧したということであって・・。まともな天文学者達の主張した天動説と一緒にしてほしくはありません。ガリレイ裁判の後であっても、まともな天文学者達の主張した天動説は決して疑似科学ではありませんでした。ちなみに彼らの理論も基準01〜04に反したものではなかったはずですよ。また、今問題とされている論理法則をひとまず基準としてみれば、次の基準にも反してはいなかったはずです。

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)
基準06: P∨¬P


 ここから2つ目の問題点である「波と媒質は切り離せない」が理論の問題か否かという点にもかかわる話に入ります。

 光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

354Ken:2019/04/29(月) 11:19:40 ID:SRg530a6
これは重要な問題なので、はっきりとさせましょう。

「科学的基準」は現代のものでよいのです。
ですが、過去の人は現代と同じ「情報」をもっていませんでした。

ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。彼の万有引力の法則は、重力は質量の積に比例し距離の2乗に反比例するといいますが、現代から見れば大間違いです。この理論の通りなら質量がゼロの光は重力の影響を受けないはずですが、実際には受けるし、だからブラックホールがあるのですから。ニュートンの不幸は重力が光を曲げるという情報をもっていなかったことです。

ですから、過去の人が、diamonds8888xさんの基準にしたがっていたかの判断は、彼らの結論だけでなく、彼らがもっていた情報も合わせて考えねばなりません。ニュートンが間違ったのは、彼が疑似科学者だったからではなく、現代と同じ情報をもっていなかったからです。彼は彼の時代に得られていた情報と現代と同じ科学的基準とから、万有引力の法則を導いたのだと思います。

光の媒質問題に話を戻しますと、19世紀には量子力学の知見がなかったのだから、当時の人が正しい科学的基準に準拠したかの判断は、あくまでも古典力学をベースにするべきで、彼らにとっては「媒質のない波が存在する」という結論を出すのは、基準03や04に違反するような論理的矛盾だったのではないでしょうか?

355Ken:2019/04/29(月) 11:36:32 ID:SRg530a6
>>353

>基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

論理的にはそのとおりです。

ですがマイケルソンとモーリーの実験結果は、その矛盾事象が起こることを見せつけました。そして矛盾が矛盾でないことが分かるには、量子力学という誰にも想像できなかった知見が必要で、18年後にようやく真実が明らかになりました。

繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。このような矛盾でも受容することを、科学的基準に含むべきではないでしょうか?

356Ken:2019/04/29(月) 19:22:33 ID:SRg530a6
ここはひとつ思考実験をやってみてはどうでしょうか?

diamonds8888xさんが19世紀末に生きておられると考えてみてください。

科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。相対論も量子論も想定の外なのです。

ここで、マイケルソンとモーリーの実験があり、電磁波には媒質がないことを示す結果が報告されました。

19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?

357diamonds8888x:2019/05/01(水) 07:25:40 ID:R3oJTXCA
>>354,>>355,>>356
 2つの問題がごっちゃになってますから、はっきり分けましょう。

1.現在の議論では過去の人達の立場を考慮する必要はない。
 本来Kenさんがやりたい創造論(クリエイター仮説)の議論をするための準備として、科学的方法論の基準を明確にしたいというのが、現在の議論の目的だという点には異存はありますか?

 科学史として過去の人の立場や思想を追求する目的ならば、上記3コメントに賛成ですが?


2.過去の人達は決して論理を否定してはいない

>ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
  情報不足というだけであり、論理にも我々の基準にも反してはいません。

>彼らにとっては「媒質のない波が存在する」という結論を出すのは、基準03や04に違反するような論理的矛盾だったのではないでしょうか?

 では波動説を唱えた人達が論理を無視したとでもいうのですか? それは違います。単に反対派がそのように勘違いした・・、いやそんな反対意見を私は知りませんね。エーテル理論の進展については、ちょっと整理しなおしてみてください。


 むしろ、Kenさんは「過去の人達が論理を否定する勇気を持たなかったから間違えた」と主張しているように見えますが、それで間違いありませんか? 結局、以下の問いの答えはイエスですね?

>光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

 さて上記にも関して、次の点はちと前置き等が必要なので別コメントにて。
>19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?

358Ken:2019/05/01(水) 10:31:26 ID:SRg530a6
>>357

どうもなにか肝心なところですれ違いがあるようなのですが、その正体が明確にならないのがもどかしいところです。とりあえず、

>光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

現時点では「間違いない」と答えておきます。あとでもっと事態が明らかになれば言い直すかもしれませんが。

今は、特に重要と思われる、こちらの点を論じます↓

>1.現在の議論では過去の人達の立場を考慮する必要はない。

私自身は、現在の私たちの行動指針を決める上で、歴史に学び、過去の人のどういう行動が科学の進歩に貢献したかを考慮するべきと考えています。とくにdiamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。ご自身が無視するだけではなく、他者がそれを教えることも許さない。たとえ法廷闘争をやってでも、と。

でも、たとえばデモクリトスの原子論などは、この基準に照らせば疑似科学でしょう。(現代に伝わる話では)なんの根拠にもとづく発想でもないし、中世に錬金術が起こるまで、千年以上も検証されることがなかったのですから。それなら、過去の人はデモクリトスの原子論を教育の場で伝えるべきではなかったのか? たとえそれが最後にはダルトンの近代原子論を助けたとしても?

また、科学的観察と迷信が混在する形で伝わった知見もあります。

バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。イエスが多くの支持者を集めた理由に、彼が悪魔を駆逐して病を治す噂が伝えられたことがありますが、敵対するファリサイ派は、

〜魔王ベルゼブブの力を借りねば、悪魔を祓えないはず (マタイによる福音書12章24節)

と非難しました。

この「ベルゼブブ」は古代ヘブライ語で「ハエの王」を意味します。なぜハエが悪魔とされるのかについて現代の研究者には、ハエの発生と疫病に相関関係があることが古代人にも見えていたからではないかと考える人がいます。

悪魔ベルゼブブの話も疑似科学と判定されることでしょう。しかしそこにはハエと疫病を関連させる知見が含まれており、しかも神や悪魔を信じる古代人にも納得できる形だからこそ世代を超えて伝えられました。それならいつの日か悪魔の話と切り離されて近代疫学に貢献することがあるかもしれません。しかしdiamonds8888xさんのお考えでは、これも疑似科学なのだから教育の場に持ち込むのはアウト、になるはずです。


私は過去のことだけを問題にしているのではありません。今の私たちが、デモクリトスの原子論やハエの王と同類の話を排除するのなら(繰り返しますが、これは第三者が第三者に教えることも許さないというものです)、それは情報の制限であり、結局は科学の進歩を阻害するのではという懸念をもっているのです。

科学と疑似科学を判別する基準を設けるなら、同じ基準で過去の事例も検証するべき、と私が考えるのはこのためです。そこには、もし同じ基準が過去にも適用されていたら科学の進歩はむしろ遅れたのではないかと思われるなら、それは基準の方が間違っているのではという問題提議があるからです。

359fnorder:2019/05/01(水) 13:11:45 ID:???
『矛盾があってもいいんじゃないですか?』

そうですね。だから何。という気がしてならんですよ。

360diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:01:23 ID:R3oJTXCA
>>354,>>355,>>356,>>358
>どうもなにか肝心なところですれ違いがあるようなのですが、その正体が明確にならないのがもどかしいところです。とりあえず、

 同感です。

 個別事例については事実認識自体が異なる場合もありますので一般的な話とします。過去に提出された理論で現在は間違いとされている多くの理論の評価について、私とKenさんの見解を並べてみましょう。

 多くの理論について
  Kenさん:疑似科学ではない
  私:疑似科学ではない
    (基準01〜06に照らして違反はない)
  Kenさん:現代では間違いとされる
  私:概ね、現代では間違いとされる
    (個別ではKenさんとは見解が異なるものもある)
  Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
  私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。

 ということで、基本的には最後の部分で見解が違うようですが、間違いありませんか?

 また多くの理論は私の基準からは疑似科学と判定されるはずだと思っているようですが、例えば[>>358]でデモクリトスの原子論やファリサイ派の主張を疑似科学と評価しているのは、基準01〜06または他の論理法則に反しているから、なんでしょうか?

 まさか結果的に現代では間違いとされるから疑似科学だ、なんて判定はしていませんよね?

361diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:05:47 ID:R3oJTXCA
>>358,>>360
 では、[>>360]の一般論に絡む個別的な話で[>>358]の事例です。

 なんだか色々と科学史上の誤解があるようなんですが。

 デモクリトスの原子論が、どの基準に照らせば、どのように疑似科学と判定されるのか御説明下さい。「この基準に照らせば疑似科学でしょう。」と言われても、どの基準のことですか?
さらに「なんの根拠にもとづく発想でもない」というのは勉強不足です。デモクリトスを馬鹿にしてはいけません。
 わかりやすそうな解説を紹介しましょう。[ttp://philos.fc2web.com/presocra/atomism.html]

 ついでに我々の現代の基準から言えば、理論の発想には根拠は必要ありません。それが観察事実を説明できてさえいれば十分に理論の資格があります。根拠は夢でもこじつけでも一向に構いません。原因不明で頭の中にぽかっと浮かんだアイディアで一向に構いません。理論内容が科学的基準を満たしてさえいればよいのです。


 次に、ファリサイ派の主張は科学上の議論でも理論でもないと思えますが、どこがどう疑似科学なのか御説明ください。疑似科学とは科学だと主張しているが科学とは言えない理論のことです。まあもっと広げるのはよしとしましょうか。

 科学上の議論でないとしても、日常における論理の問題、理にかなった正しい主張であるか否かの問題と考えた場合にはと言えば・・。
 「〜魔王ベルゼブブの力を借りねば、悪魔を祓えないはず」という理論が正しいと仮定すれば、ファリサイ派の主張は理にかなっていますよね? 現代から見て理にかなっていない点は、聖書の言葉は真実だと決めつけている点でしょう。

362diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:09:24 ID:R3oJTXCA
>>358
 「教育の場に持ち込む」云々という教育論は留保するのではありませんでしたか?
 しかし、誤解を指摘するためにコメントしておきます。

 まず定説を正しいと教え、間違いとされる説や疑似科学は間違いとして教えるべき「教育の場」というのは初中等教育や義務教育だという点は、過去にさんざん述べましたよね。自己責任で考えられると想定される大人への教育の場には制限などありませんし、少なくとも現代の民主国家では制限すべきとは考えられていません。

 科学の進歩はこのような大人同士の議論の場で発展するのですから、そこで制限がない限り、進歩は阻害されません。だから大丈夫です。

 そしてこのような世の中を知るための高度な知識を教える「初中等教育や義務教育」なんてものは近代以前の世界にはほとんどありませんでした。デモクリトスの原子論もそうですが、アリストテレスやプラトンの学問だって、教えるような場なんて、そもそも私的なものだったでしょう? 現代の公教育問題と比較する意味がありません。

363diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:18:49 ID:R3oJTXCA
>>359
 『矛盾があってもいいんじゃないですか?』というのは、このスレッドでのどれかの発言にありましたっけ? 御発言の意味がよくわからないのですが?

364diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:29:41 ID:R3oJTXCA
>>358
 そもそも「(少なくともKenさんとの創造論に関する議論において)私は疑似科学という言葉は使わない」と、随分昔に宣言しましたよ。いいかげん「疑似科学」という価値観が入って判断が曇りそうな言葉にはこだわらないでほしいですね。

365Ken:2019/05/01(水) 23:02:29 ID:VaRLZVwM
まず、

>いいかげん「疑似科学」という価値観が入って判断が曇りそうな言葉にはこだわらないでほしいですね。

これは失礼しました。
diamonds8888xさんが起こされた本スレッドのタイトルが「科学と疑似科学とを判別する」なので、深く考えずに疑似科学と言っていました。では、何と言えばよいのでしょうか? 「不正科学」?

教育論をするつもりはありませんが、ただ、過去の人たちの立場を考慮すべき理由の1つとして、それぞれの時代に何が教えられてきたかを述べました。

その上で、私の意見をいいますと、何も小学生や中学生に自分たちが教わることを選ばせようとはいっていません。選ぶのは大人でよいのですが、それは子供の親とか地域社会であって学界ではない、ということです。言い換えれば、他人の子供の教育に干渉する権利は誰にもないということです。このことは>>145で明言したし、diamonds8888xさんの賛否はともかく、論点の理解はしていただいたつもりでした。

さて、デモクリトスの原子論とハエ=悪魔論ですが、検証もしくは反証ができない点で、基準01にひっかかるのではないでしょうか? もしもデモクリトスが何らかの検証方法を考えていたなら、現在に伝わっていないので、私たちにとっては検証/反証不可能なのと同じです。

ハエ=悪魔論も同様です。目に見えるハエと目に見えない悪魔を分離して、どちらが疫病を起こすかを確かめる方法がない以上は、基準01にひっかかるはずです。

>Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
>私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。
>ということで、基本的には最後の部分で見解が違うようですが、間違いありませんか?

そうですね。おそらく間違いないとないと思います。

366diamonds8888x:2019/05/02(木) 07:49:40 ID:R3oJTXCA
>>365
 確かにタイトルが「科学と疑似科学とを判別する」でしたね。ただ以前にも定義で色々と食い違っていたように曖昧な点があるのと、いくら私の定義に合わせるとは言っても例えば「詐欺的な」といった不正の臭いなどが感覚的にぬぐえない点があってやりにくいのではありませんか? まあ倫理的意味がないという前提なら疑似科学でも構いませんけど。

 私もこれまでいくつかの呼び方を使ってますから参考にしてもらって、科学的ではない方法、妥当でない方法、とかくらいにしてください。具体的に基準nnに反する、とかでもいいですが、これは御自分の評価を表すには使いにくいですね。

 「不正科学」では「疑似科学」よりもっと不正の臭いがして拙そうですね(~_^)。


> 教育論をするつもりはありませんが、ただ、過去の人たちの立場を考慮すべき理由の1つとして、それぞれの時代に何が教えられてきたかを述べました。

 何が提案されたかということで2つの理論が紹介されてはいました。が、それが誰にどう教えられていたかは基準に関する我々の議論に無関係だし、その2つの理論の評価のためには何ら使える情報ではありません。さらに我々は現在の我々が使うための基準を議論しているのであり、過去の人たちの立場も無関係であることは[>>357]で述べました。

 具体的理論自体についての議論はテーマの範囲なので[>>360,>>361]にコメントしています。

> その上で、私の意見をいいますと、〜diamonds8888xさんの賛否はともかく、論点の理解はしていただいたつもりでした。

 これは基準に関する我々の議論にも科学の進歩を阻害するか否かにも無関係ですよね? 無関係な教育論はもう出さないということでよろしいですか?


 さて2つの理論は基準01にひっかかるとの見解でしたか。それだけ古代の話だとちょっと私の立場の説明が長くなるので即答はひとまず留保します。しかし基準01は論理法則ではない、という点は強調しておきます。基準02〜04は論理法則です。ここしばらくのコメントでは私もひとくくりに書いていて誤解させたかも知れません。基準01は反証すなわち観察事実に基づく証拠を求めることについての話ですから、純粋論理ではなく実証科学の範疇です。

367Ken:2019/05/02(木) 20:55:14 ID:VaRLZVwM
すこしわき道にそれそうになりましたが、今は基準03〜06に集中するということで、私は、>>356で提案した思考実験への回答を待っている、ということでよろしいですか?

繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

ゆえに「波」と「媒質の不在」は、「P」と「¬P」と論理的にもなる、というのが私の考えです。

368diamonds8888x:2019/05/03(金) 09:56:01 ID:j4NW52n6
>>367
 そのように問題を単純にしてもらえると助かります。では[>>365]以降の事例は脇道にそれた話だったので無視ということでいいですね?

>ゆえに「波」と「媒質の不在」は、「P」と「¬P」と論理的にもなる、

 「P:(対象Xは)波である」とするならば「¬P」は「(対象Xは)波ではない」です。「(対象Xは)それを伝える媒質を持たない」は「¬P」ではありません。

>古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず

 ここが大事なポイントです。【現代の科学的方法論に照らして】判断すれば、当時の科学者が「媒質は波の属性というよりも、波の定義そのもの」と考えたとすれば、ひとつの落とし穴に落ちたことになります。それは古典力学しか知らないこととは無関係の罠です。【現代の科学的方法論に照らして】なので、ひとつKenさんも考えてみてください。

 ここでKenさんは「¬(P∧¬P)」に拘らなければ真相にたどり着けた、との御意見ですね?
 私の見解は「(対象Xは)波ではない」と「¬P」が同一だとの思い込みに拘らなければ真相にたどり着けた、です。

 もうほとんどポイントは示したようなものですが、はっきり言葉にする前に【現代の科学的方法論に照らして】判断することの是非について別コメントで述べます。

 ただこの点に関しては、Kenさんの「「¬(P∧¬P)」に拘らなければ真相にたどり着けた」という判断も【現代の科学的方法論(であるべきとKenさんが考えているもの)に照らして】過去の人達の間違いを指摘していますよね? それは自覚していますか? 当時の科学者は「¬(P∧¬P)」も絶対の真理と考えていたはずですから。もちろん現代の科学者もそうですけど。

369diamonds8888x:2019/05/03(金) 09:59:37 ID:j4NW52n6
>>368
【現代の科学的方法論に照らして】判断することについての話の準備として設問を出します。

科学的に正しい方法の基準として以下のものはどう考えますか?

基準101: 伝聞(言い伝え、聖書の言葉、偉人や聖人の言葉、優秀とされる科学者の言葉など)のみを理論の根拠とすることは科学的に正しい方法ではない
基準102: 観察事実とは異なることを予測する理論は、何かが間違っていると判断すべきである。
  (理論自体ではなく、適用条件、観察方法、などの間違いも含めて)

370Ken:2019/05/03(金) 13:11:30 ID:VaRLZVwM
>>369の設問に答えられるように熟考してみますが、その前に1点だけ確認させてください。

>>356で私が質問したこと、つまり、もしdiamonds8888xさんが19世紀の人だったら、マイケルソンとモーリーの実験をどのように解釈されたか、には回答をいただけるのでしょうか? とくにこの部分ですが、

>「媒質は波の属性というよりも、波の定義そのもの」と考えたとすれば、ひとつの落とし穴に落ちたことに

これを「落とし穴」というなら、落とし穴を回避する論理の道が19世紀の人にあったのか、が最も私が気になるところです。

私としては、まずはこちらの質問に答えていただけると助かります。diamonds8888xさんの質問に答えるといっても、私の解答が正しいかどうかは、diamonds8888xさんの判断基準に拠るのですから、できるだけそれを明らかにしておきたいと思います。

371diamonds8888x:2019/05/05(日) 06:11:45 ID:j4NW52n6
>>370
 [>>369]にまず答えてください。理由は2つ。

・これまでの発言から見てKenさんと私の見解が一致するのはほぼ確実と思われるので、さっさと済ませたい。
・答える前に判断基準を訊く必要はないでしょう? というか互いの判断基準がどこか違うようなので、それを知るために設問をしている面がありますから。


 そのうえで、今焦点のひとつとなっている「過去の研究者たちの行動の評価をどう考えるか?」という話をします。これについての双方の食い違いを明らかに見解をすり合わせしないと、どうにも話が進みません。[>>356]に答えるには、この点が大事なので、まず[>>369]での見解の一致ないしずれを確認する必要があるというのが、3つ目の理由になりますね。

372Ken:2019/05/05(日) 10:28:39 ID:VaRLZVwM
>>371

それでは現時点で私ができる回答をします。ただし「さっさと済ませ」られるかは分かりません。

>基準101: 伝聞(言い伝え、聖書の言葉、偉人や聖人の言葉、優秀とされる科学者の言葉など)のみを理論の根拠とすることは科学的に正しい方法ではない

正しい方法ではありません。本来は自分で検証してみるべきです。
ただし、現実を生きる私たちは、これを日々大量にやっています。科学を職業とする人とて例外ではありません。

たとえば「重力が強いほど時間の進みが遅れる」という理論があり、地上と人工衛星で時計の進み方を比べたら、理論のとおりだったという話があります。これを多くの人が信じているし私(Ken)も受け入れていますが、私自身はそんな実験をやったことも、他者の実験を目撃したこともありません。世の大半の人はそうでしょう。つまりこの種の話は伝聞なのです。

1回ではだめだが、同じ結果が複数回報告されたら信じるという考え方もあるでしょう。

でも、たとえば、これまでにUFOや宇宙人を見たという証言は何度も報告されています。目撃者の氏名、日時、場所が具体的に記録されてるケースも多いはずです。

それどころか「神の声を聞いた」と証言した人も1人や2人ではありません。

現在は1冊の本になっているバイブルも、実は、数百年にわたって、非常に多くの人の手で書かれた諸本の集合なのです。そのため内部矛盾とみなされる箇所も多いのですが、「神が人に語りかけた」という話だけは一貫しています。最初の人間とされるアダムに始まり、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデ、エリヤ、イザヤ、ダニエル、ヨブ・・・・よく知られたこれらの人々でも全体の一部にすぎません。

「伝聞」という点では同じでも、時間の遅れは信じるが預言者の話は信じないと、異なる対応をする理由はあるのでしょうか? 突き詰めれば「ない」という結論になるのでは?


>基準102: 観察事実とは異なることを予測する理論は、何かが間違っていると判断すべきである。(理論自体ではなく、適用条件、観察方法、などの間違いも含めて)

観察事実と理論が合わないなら間違っているのは理論の方である、と考えるのは古代ギリシャと異なる近代科学の一大特徴なので、この基準は正しいというべきですが、問題は「理論」が数学理論である場合ですね。

ひとたび証明された数学理論があとで否定されることはないので、観察事実が一致しなければ、観察事実の方が間違っていると見るべきでしょう。ただ、何度実験しても同じ結果が出ると、そうもいっておれません。私が「P∧¬P」を容認すべきと考えるのは、そういう場合なのですが。

373fnorder:2019/05/06(月) 21:42:15 ID:???
>>363
> 『矛盾があってもいいんじゃないですか?』というのは、このスレッドでのどれかの発言にありましたっけ?

Kenさんの言っていることは『矛盾はある意味で実在する』ということだろうと思ったので、それを大雑把に言い換えたつもりです。

まあ「矛盾許容論理」というのもあるらしいんですが、Wikipediaとかを見ると余り実用的ではないようですね。
何より、今の話題で「矛盾」がどうとか論じても余り意味がないんじゃないのかな、という気がしています。

374diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:30:37 ID:j4NW52n6
>>372
 では、基準101も基準102も正しいというこで、私とKneさんの見解は一致しています。その前提で[>>376]につなげます。

 さらに次の点も一致しますね。
>観察事実と理論が合わないなら間違っているのは理論の方である、と考えるのは古代ギリシャと異なる近代科学の一大特徴なので、この基準は正しいというべきですが、

 つまり基準102について以下の点で一致しますね?
 ・この基準は現代における基準である。(遅くとも18世紀以降の基準くらいですかね)
 ・古代ギリシャではこの基準は一般的とは言えない。


 Kneさんが留保をつけた他の点についてですが、

基準101:
>ただし、現実を生きる私たちは、これを日々大量にやっています。科学を職業とする人とて例外ではありません。

 「これ」とは「伝聞のみを根拠とする」ということですよね?

 その点を突き詰めて考えることができるなら話は早いです。立派に科学哲学的思考法ではありませんか。


>「伝聞」という点では同じでも、時間の遅れは信じるが預言者の話は信じないと、異なる対応をする理由はあるのでしょうか? 突き詰めれば「ない」という結論になるのでは?

 Kenさんも「時間の遅れは信じるが預言者の話は信じない」でしょ?
 それとも「どちらも伝聞だからどちらの正しさも同程度」と判断しますか?

 また、天動説vs地動説や粒子説vs波動説の議論で根拠とした「歴史的事実」の根拠はまさに伝聞しかありえはせんが、どの伝聞を採用するかという基準はある程度はお持ちでしょ?

 まあ、ここの判断基準も私とKneさんでは概ね一致してると思います。だから事実認定で判断基準が食い違うことはあまりないと考えています。個々の事例では食い違うこともあるでしょうが、それはそのときに対処すればいいことだし、具体的事例ごとでしか対処できませんから。

 基準102については別発言にて。

375diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:31:25 ID:j4NW52n6
>>374,>>372
基準102:についてKneさんが留保をつけた点

>問題は「理論」が数学理論である場合ですね。

 「科学的に正しい方法」の基準ですから数学理論は数学論理学も含めて対象外です。

 ここで数学理論が出てくるのは数学とは何かをKenさんが誤解しているからです。

 【数学は経験科学ではありません。[注]】これは非ユークリッド幾何学の発見以来、明らかになりました。

 まず、数学の正しさは「証明」によるものであり、「観察事実が一致しなければ」などということは数学の正しさを示す過程では無用なステップです。教育過程や学習過程で体感的に納得するための実験や観察は有用ですが、それは「証明」自体には無用なステップです。

 数学的に正しいこと
  ・非ユークリッド幾何学の公理の下では非ユークリッド幾何学の定理群が成立する。
   (非ユークリッド幾何学の公理を仮定すれば非ユークリッド幾何学の定理群が証明できる。)
  ・ユークリッド幾何学の公理の下ではユークリッド幾何学の定理群が成立する。
   (ユークリッド幾何学の公理を仮定すればユークリッド幾何学の定理群が証明できる。)
 自然科学的に正しいこと
  ・ある範囲の空間が非ユークリッド幾何学の公理で近似できることが観測や実験で検証できれば、非ユークリッド幾何学の定理を正しいとみなして理論を創ることは正しい科学的方法である。
    (ある範囲の空間の例:地球表面2次元空間、全宇宙3次元空間、全時空4次元空間)
  ・「非ユークリッド幾何学」を「ユークリッド幾何学」に変えても同様。

>何度実験しても同じ結果が出ると、そうもいっておれません。私が「P∧¬P」を容認すべきと考えるのは、そういう場合なのですが。

 実験で検証している時点で論理学でも数学でもなく科学です。


【[注]】一般的にはこの表現で通説ないし定説と言っていいでしょう。ただ私は「経験的要素が皆無かと言えばそうとは言えない」と多少優柔不断なエクスキューズをしておきます。
 「経験的要素など何もないだろ?」という極端な見解も多いだろうことは承知しています。

376diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:32:34 ID:j4NW52n6
>>374
 (自然哲学者以来の)過去の研究者たちの行動の評価をどう考えるかが焦点になっています。ガリレオを弾圧した教会関係者のように研究者とは言えない人達はひとまず置いときましょう。現代と比較した場合のハンディは考慮すべきという見解は私も理解しますし、一部は採用します。しかしそれは、彼らの"間違い"を全面的に肯定するということではありません。そもそも"間違い"という評価自体が現代の観点からの評価であり、それは私と同様にKenさんもしています。

 つまり「どうすれば間違えなかったのか?」という設問自体が現代の観点からの評価であり、この問いが正当なものと考える点では私とKenさんは同じ立場に立っています。

 考えてみて要点がわかったので、まず簡潔に言います。

  1)正確な知識や情報の不足による間違いは仕方がない。
  2)現代の正しい科学的方法論に照らしての間違いは指摘すべきである。

 ただ問題は「現代の正しい科学的方法論」というものもまた、時間をかけて発展してきたものなので、過去の人達は「現代の正しい科学的方法論」というものをよく理解していたわけではありませんでした。「だから仕方ないではないか?」という意見もありえますが、それでは過去を議論する意味がありません。我々が過去を振り返るのは、同じ間違いを繰り返さないためです。特に今回の議論の目的は【現代の我々が使うための】科学の基準を探ることです。過去の基準をすべて肯定することは無意味です。

 過去と同じ間違いを繰り返さないためという目的を掲げたとすると、上記1)の知識不足は我々にも対処しようがありません。我々だって現時点で知らない情報を使えるはずがないのですから。なので、過去の人達の知識不足による間違いを責めても、我々の役に立ちません。しかし2)の科学的方法論は知識や情報に関係なく使えるものであり、「もしも過去の人達が現代の正しい科学的方法論をしっかりと使えたとしたら?」という歴史のiFを想定することは、「現代の正しい科学的方法論」とは何かということを知ることにも有効だし、それを使うことにも有効なのです。

 したがって「もしdiamonds8888xさんが19世紀の人だったら、マイケルソンとモーリーの実験をどのように解釈されたか[>>370][>>356]」という問いは、「もしdiamonds8888xさんが、現代の科学的方法論をよく知っていたうえで、19世紀にマイケルソンとモーリーの実験に直面したら〜」という問いでないと意味をなしません。

 完全に19世紀の人だったら、当時の人と同じ解釈しかできないに決まっています。

 ここまではよろしいですか?

377diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:48:31 ID:j4NW52n6
>>373
 そういう意味でしたか。了解です。

 「「矛盾」がどうとか論じても余り意味がない」ということを理解してもらおうとしているというか、混乱の元は数学・論理と実証科学との区別があやふやなことらしいので。
 ==>[>>375][>>368][>>350]

 矛盾許容論理。おもしろいですね。

378Ken:2019/05/08(水) 21:37:09 ID:2D5jBja2
どうも最近diamonds8888xさんとの意思疎通がうまくいっておらず、とりわけ私の文意が伝わっていないように思えてなりません。

私は>>356で思考実験の条件を設定しました。

*************************************************************
科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。
*************************************************************

>>354では、こうも言っています。

*************************************************************
ニュートンが間違ったのは、彼が疑似科学者だったからではなく、現代と同じ情報をもっていなかったからです。彼は彼の時代に得られていた情報と現代と同じ科学的基準とから、万有引力の法則を導いたのだと思います。
*************************************************************

これは>>376でdiamonds8888xさんが言われたことと同じではないのですか?

>1)正確な知識や情報の不足による間違いは仕方がない。
>2)現代の正しい科学的方法論に照らしての間違いは指摘すべきである。

>>376で、これだけの文章を費やして説明されるということは、私がこの点を理解していないと思われたのでしょうか?

それとも私が>>354>>356で述べたことと、diamonds8888xさんが>>376で述べられたことは、異なるのですか?

私が検証しようとしているのは、diamonds8888xさんがいわれる「現代の正しい科学的方法論」であり、過去の時代を持ち出すのは、その時の条件下で「現代の正しい科学的方法論」がどのような結論を出すであろうかというシミュレーションです。


私が誤解をしているならご指摘ください。

誤解がないのなら、>>356の質問に回答をお願いします。

「現代の正しい科学的方法論」と19世紀の情報をもつdiamonds8888xさんなら、マイケルソンとモーリーの実験結果をどう解釈されますでしょうか?

379名無しさん:2019/05/11(土) 22:47:55 ID:UkeDPV/.
ザルナンド・メギルダフィ

380diamonds8888x:2019/05/12(日) 08:49:20 ID:aQLjGWa.
>>378
>>376で、これだけの文章を費やして説明されるということは、私がこの点を理解していないと思われたのでしょうか?

 そこが不明だったので確認しました。[>>354]の下記に気付いたので、方針自体は同じだろうとわかりましたし、今回の御返事で一致が確認できたのは嬉しいです。

>「科学的基準」は現代のものでよいのです。
>ですが、過去の人は現代と同じ「情報」をもっていませんでした。

 ただ、具体的に何を「現代のものでよい」と考えるかで不一致が生じている恐れはあります。いや実際に生じているようです。


 [>>356]の質問への回答の前に、事実確認をします。
 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の「現実問題としては「(¬P)∧P」を容認するしかないのではありませんか?」というKenさんの問題意識の解決の一環ですよね? この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>331]では「光は粒子である」と「光は波動である」とは「この2つの理論は何世紀にもわたってPと¬Pの関係にあると信じられてきましたが〜」と指摘されています。
 [>>344]では「光が波である」と「光を伝える媒質が存在しない」とが「(当時の人には)絶対に矛盾する点で、Pと¬Pの関係に該当します。」と指摘されています。

 しかし私が何度も指摘した通り、正確に¬PであるのはPをそのまま否定した命題だけであり、それ以外の命題が¬Pと同値であるという命題は、経験的に検証すべき命題、すなわち科学の範疇の命題であって、純粋論理の範疇ではありません。

 したがって、上記のように一見P∧¬Pと見える事態が観測されたならば実は「¬Pと同値だとこれまで信じられていた命題が実は¬Pではないのだ」と推論するという方法は、「当時の人が知らない知識」でもなければ「現代人しか知らない科学的方法論」でさえもありません。例えばシャーロック・ホームズなら十分に心得ていたはずの推論の基本に過ぎません。


 そして私の知る限り、「現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?[>>331]」という論理を使ったまともな研究者などいません。比喩表現は別としてです。それとも以下の話が歴史的事実だという根拠が示せますか?

>繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。[>>355]


 もひとつの事実確認として[>>360][>>365]から以下の合意はできました。
 Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
 私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。

 そして私の認識では過去の人達はP∧¬P他の論理は決して無視せずに、「¬Pと同値だと信じられていた命題が実は¬Pと同値ではなかった」と判断することで正しい認識に到達したのです。論理に囚われないことにより正しい認識に到達したのではありません。

 Kenさんは実際にはどのようにして過去の人達が正しい認識に到達したとお考えなのでしょうか?


 別発言に続けます。

381diamonds8888x:2019/05/12(日) 08:54:34 ID:aQLjGWa.
>>380
 まずマイケルソンとモーリーの実験結果の意義について確認しておきます。
 まず、マイケルソン・モーリーの実験に至る光と電磁波の科学の歴史を概観しましょう。

 例えば[ttp://www.takuichi.net/hobby/edu/em/history/index.html]他
[1823] フレネル(フランス)がフレネルの公式(反射・透過係数の振幅を与える公式)を発見
[1837] ファラデー(イギリス)が電気の近接作用論を提唱
[1843] フィゾー(フランス)が回転歯車による光速の測定
[1850] フーコー(フランス)による光の波動説の主張(空気中と水中での光速の違いの測定が根拠)
[1864] マクスウェルの方程式、電磁波の予言、光の電磁波説(速度の一致が根拠)
[1887] マイケルソン・モーリーの実験
[1888] ヘルツ(ドイツ)がマクスウェルが予言した電磁波の存在を実験で確認
[1895] ローレンツ収縮の提案 [wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」参照]
[1899] ローレンツが局所時間の提案(時間の遅れ)
[1905] 特殊相対性理論の発表(アインシュタイン)
[1905] 光量子仮説の発表(アインシュタイン)

 まず光量子仮説発表以前に「粒子でありかつ波でもある存在」を認めた人はいません。すべての人が光は波であるか、波ではなく粒子であるかどちらか、だと考えていました。むろんアインシュタインも波でると同時に「古典的意味での粒子」であるなどと考えたのではありません。ましてP∧¬Pを容認したことなどありません。

 マイケルソン・モーリーの実験の時点では光の粒子説は間違いとされ波動説が圧倒的に有力とされていたのです。特にマクスウェル理論とヘルツの実験により電磁波という具体的実体が確認されましたから。

 とはいえヘルツはマクスウェル理論が予測した「電磁場の変動する波」の存在はしめしましたが、光が電磁波の同類だと示したわけではないでしょう。厳密に言えば、赤外線からマイクロ波の領域で光と電磁波との連続性が確認されるとかされるまでは光と電磁波とが同類だとは検証できていないようにも思えますが、それよりもマクスウェル理論自体の問題がありました。

 すなわち電磁波の速度が真空の誘電率と透磁率のみにより定まり、すると以下のどちらかを認めざるを得ません。
  ・異なる速度の系から見ても電磁波の速度は変化しない
  ・異なる速度の系から見ると真空の誘電率または透磁率が変化する

 マクスウェルを始めとして多くの人達はマクスウェル理論が「エーテルという絶対静止系」において成り立つと考え、この絶対静止系に対して運動している地球からの観測では電磁波の速度が変化すると予測したのです。その予測を否定したのがマイケルソン・モーリーの実験です。

 参考1)wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」
 参考2)EMANの物理「エーテル理論の失敗」[ttps://eman-physics.net/relativity/ether.html]

 前述の通りこの時点で光の電磁波説は粒子説を凌駕していたので、マイケルソン・モーリーの実験は「粒子説vs波動説」の観点では考察されていなかったはずです。マイケルソン・モーリーの実験での速度差検出が光の干渉性を前提にしているとしても、干渉性自体は観測事実となっていましたから、実験のポイントは公転位置の違いなどによる速度差の検出でした。そして粒子説であっても速度差は検出されるはずなのです。恒星から放出される光粒子は恒星に対して光速度cで運動していることになるでしょうから、地球に対してはcと地球速度との合成速度になるはずです。すると当然、マイケルソン・モーリーの実験ではポジティブな結果が得られます。

 光の電磁波説がほぼ信じられていたので「媒質であるエーテルの風の存在」という意義が強調されることが多いのですが、実はこの実験は「恒星から放出された光の速度が、光の正体にかかわらず、地球と恒星との相対速度が違っても一定である」という、「粒子説vs波動説」なんてものを越えた常識外れの事実を示していたのです。

 実際には当時の人達は「媒質であるエーテルの性質」を色々と仮定することで実験結果を説明しようとしました。それがヘンドリック・ローレンツらの試みで、数学的には正しい予測はできたようですし、ローレンツ短縮という言葉は今も残っていますし、局所時間などというものも考え出されています。

 ということで、次の別発言でまとめてみましょう。

382diamonds8888x:2019/05/12(日) 09:05:56 ID:aQLjGWa.
>>380
 抜けがあったので補足します。

> 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の〜この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>375],[>>368],[>>350],[>>348],[>>345]

383Ken:2019/05/12(日) 17:18:45 ID:2D5jBja2
とりあえず「あれ?」と思った件を述べます。

>>381
>恒星から放出される光粒子は恒星に対して光速度cで運動していることになるでしょうから、地球に対してはcと地球速度との合成速度になるはずです。すると当然、マイケルソン・モーリーの実験ではポジティブな結果が得られます。

マイケルソンとモーリーの実験は恒星の光を利用していません。光源は実験装置の中にあり、地球と一緒に運動しますから、光がニュートン力学に従う粒子なら、方向による速度差は観測されないはずです。一方で、音のような古典力学的な波なら、速度差は観測されます。

384diamonds8888x:2019/05/15(水) 06:30:07 ID:yAhzf0OY
>>383
 そうでしたね。失礼しました。粒子であっても光速度で運動すれば誰から見ても一定速度になる、というのは、特殊相対性理論によって予測されたことになりますね。

 光の正体の歴史について詳しい資料が見つかりましたので紹介しておきます。おもしろい裏話的なこともありますね。
  [ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf](物理教育 第43巻 第4号 〔1995〕)

 [>>381]の年表にいくつか追加しました。

 電磁波発見の歴史[ttp://www.takuichi.net/hobby/edu/em/history/index.html]
 光の歴史[ttps://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/newton/rekisi.html]など
[1801] ヤングが光の干渉実験 (波動説の有力な根拠)
[1808] マリューが偏光を発見 (光が横波である証拠)
[1823] フレネル(フランス)がフレネルの公式(反射・透過係数の振幅を与える公式)を発見
[1837] ファラデー(イギリス)が電気の近接作用論を提唱
[1843] フィゾー(フランス)が回転歯車による光速の測定
[1850] フーコー(フランス)による光の波動説の主張(空気中と水中での光速の違いの測定が根拠)
[1864] マクスウェルの方程式、電磁波の予言、光の電磁波説(速度の一致が根拠)
[1887] マイケルソン・モーリーの実験
[1888] ヘルツ(ドイツ)がマクスウェルが予言した電磁波の存在を実験で確認
[1895] ローレンツ収縮の提案 [wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」参照]
[1899] ローレンツが局所時間の提案(時間の遅れ)
[1905] 特殊相対性理論の発表(アインシュタイン)
[1905] 光量子仮説の発表(アインシュタイン)


 なお、我々の議論にとって重要なポイントはマイケルソン・モーリーの実験という個別な件よりも、[>>382]の論理と科学の区別の件です。この件につき、納得できない点があれば、マイケルソン・モーリーの実験に関する私の次の発言を待たずに訊いてください。

385ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:32:55 ID:BSyoNd1c
久しぶりにヨコからですが、ゴールデンウィーク中に過去の議論を一通り読み返してみました。
diamonds8888xさまの説明は正確ではあるのでしょうが、少し回りくどい印象があります。

私ならKenさまの>>356の質問に対して、もっとストレートに以下のように答えます。

1.科学的な解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② しかし「P∧¬P」はあり得ない。
③ よって「何か」が間違っている。または「何か」を見落としている。あるいは現時点では観察できていない「何か」がある。
④ その「何か」を探求しよう。

2.科学的とは言えない、「疑似科学」と批判されても仕方のない解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② よって「P∧¬P」はあり得る。
③「光は波であり且つ波ではない。」、「波ではない波が存在する。それは光である。」といった仮説理論を提唱する。

実際に当時の人たちがやったのは1.ですよね。
少なくともマトモな研究者で2.のような禅問答みたいな仮説を立てた人はいないと思います。

さて、Kenさまの投稿を見ていて感じるのですが、
【「P∧¬P」のように見える観察事実を認める事】と
【「P∧¬P」であるような仮説理論を立てる事】とを混同していないでしょうか?

たとえ論理的に矛盾していても、その様に見える観察事実があるなら、それはそれとして受け入れるしかないでしょう。
問題はその観察事実をどの様に解釈して、どの様な論法によって、どの様な仮説理論を打ち立てるか、です。


さて、そもそもこのスレッドで議論している対象は何だったでしょうか?
お2人は何について議論されているのでしょうか?
 >>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 >>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

つまり、少なくとも「科学」を称して提唱された仮説理論が、その理論が打ち立てられた思考プロセスや論法において本当に科学的と言えるのかどうか? を判断する基準がこのスレッドのテーマですよね。
私はその認識でずっと読んできているのですが、お2人のここの認識は合っているでしょうか?(※)
今一度、この部分を確認された方が良いような気がします。


<認識が合っていないのでは? と思える例>
 >>351
 >ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教者の行為の話をしている。

 >>354
 >ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
理論が科学的かどうかの基準について議論しているのに、理論が正しいか間違っているかの話をしている。

 >>358
 >diamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。
理論が科学的かどうかの基準について議論をしているのに、理論を教育の場で教えるか否かの基準の話をしている。

 >バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教の経典について話をしている。

386ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:34:14 ID:BSyoNd1c
久しぶりにヨコからですが、ゴールデンウィーク中に過去の議論を一通り読み返してみました。
diamonds8888xさまの説明は正確ではあるのでしょうが、少し回りくどい印象があります。

私ならKenさまの>>356の質問に対して、もっとストレートに以下のように答えます。

1.科学的な解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② しかし「P∧¬P」はあり得ない。
③ よって「何か」が間違っている。または「何か」を見落としている。あるいは現時点では観察できていない「何か」がある。
④ その「何か」を探求しよう。

2.科学的とは言えない、「疑似科学」と批判されても仕方のない解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② よって「P∧¬P」はあり得る。
③「光は波であり且つ波ではない。」、「波ではない波が存在する。それは光である。」といった仮説理論を提唱する。

実際に当時の人たちがやったのは1.ですよね。
少なくともマトモな研究者で2.のような禅問答みたいな仮説を立てた人はいないと思います。

さて、Kenさまの投稿を見ていて感じるのですが、
【「P∧¬P」のように見える観察事実を認める事】と
【「P∧¬P」であるような仮説理論を立てる事】とを混同していないでしょうか?

たとえ論理的に矛盾していても、その様に見える観察事実があるなら、それはそれとして受け入れるしかないでしょう。
問題はその観察事実をどの様に解釈して、どの様な論法によって、どの様な仮説理論を打ち立てるか、です。


さて、そもそもこのスレッドで議論している対象は何だったでしょうか?
お2人は何について議論されているのでしょうか?
 >>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 >>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

つまり、少なくとも「科学」を称して提唱された仮説理論が、その理論が打ち立てられた思考プロセスや論法において本当に科学的と言えるのかどうか? を判断する基準がこのスレッドのテーマですよね。
私はその認識でずっと読んできているのですが、お2人のここの認識は合っているでしょうか?(※)
今一度、この部分を確認された方が良いような気がします。


<認識が合っていないのでは? と思える例>
 >>351
 >ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教者の行為の話をしている。

 >>354
 >ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
理論が科学的かどうかの基準について議論しているのに、理論が正しいか間違っているかの話をしている。

 >>358
 >diamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。
理論が科学的かどうかの基準について議論をしているのに、理論を教育の場で教えるか否かの基準の話をしている。

 >バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教の経典について話をしている。

387ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:41:10 ID:BSyoNd1c
申し訳ありません。
同じ投稿を2つしてしまいました。
第1掲示板と違って自分で編集や削除ができないのですね。

388Ken:2019/05/18(土) 09:48:36 ID:2D5jBja2
>>384

はじめに、

>光の正体の歴史について詳しい資料が見つかりましたので紹介しておきます。おもしろい裏話的なこともありますね。
>[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf](物理教育 第43巻 第4号 〔1995〕

物理教育第43巻第4号は>>161で紹介していただきました。あれから8ヶ月も経っているので失念されたかもしれませんが。

>Ref1) 物理教育 第43巻 第4号〔1995〕[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf]

さて、

>我々の議論にとって重要なポイントはマイケルソン・モーリーの実験という個別な件よりも、[>>382]の論理と科学の区別の件です。

それはそうなのですが、私は、現段階で議論が抽象論となるのを極力避け、具体論にするために、マイケルソンとモーリーの実験を持ち出しました。しかしながら、これまでのdiamonds8888xさんの主張を見ると、19世紀の人が波の媒質をどのように考えていたかについて、私との間で認識の乖離があるように思われます。diamonds8888xさんは、

〜波には媒質がある

という「理論」は、たとえば、

〜波の速度は媒質で決まる
〜波源が運動すると周波数が変わる(ドップラー効果)
〜波は単振動の集合である(フーリエ級数展開)

といった、観測と推論から得られた理論と同質のものと考えておられるようです。

一方、私は、19世紀の人にとって、

〜振動現象(波)には振動する実体(媒質)がある

ということは、純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであったはずと考えています。媒質の正体が何であるかは、ここでは問題ではありません。正体が何であれ、振動する「なにものか」がなければ、振動は起こらないはず、ということです。

もし、どうしても、ここでの認識の乖離が解消できないのなら、別の例を提唱してみます。だれが見ても厳密な数学的証明で得られた定理が、現実世界の観測で否定されることが起こりうることを示すために。

いかがでしょうか? その提唱をやってみましょうか?

389名無しさん:2019/05/20(月) 01:58:43 ID:G7ajYbS.
現実世界はバグAIが人間を滅ぼして上級国民になったことを肯定するために
輪廻転生(笑)とかいうスターシステム使って最後の審判(笑)とかいう
マッチポンプをやってるだけのシミュレーションで警察やGみたいな害虫を
設置して人間の行動を調整して当たりアカウントの上級国民が絶対に勝つ
出来レースを運営してることを隠蔽する為に原罪や物理法則という概念が
存在するし人間より筋肉量が少ない小動物にスピードやパワーで負けてる
時点で人間は獣から「進化」した存在じゃないってはっきりわかんだね(小並感)
どう見ても大脳が発達した代わりに筋力が落ちたというより人間だけ違う
物理係数を設定されてて創造主から都合のいいサンドバッグ扱いされてるし
そもそも「人間」は脳で思考してるわけじゃないから忘却と想起という現象が
起こるんだよな…(察し)

390diamonds8888x:2019/05/20(月) 06:29:40 ID:iWcjexAw
>>388

>一方、私は、19世紀の人にとって、

>〜振動現象(波)には振動する実体(媒質)がある

>ということは、純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであったはずと考えています。

 19世紀の人(の大部分?)はそう考えていたとして、
  Ken自身さんは、この分類は現代でも正しいと考えますか? それとも間違いだと考えますか?
  「〜振動する実体(媒質)がある」という命題が「純論理的、数理的」なものであるという分類のことですが。

 それとも「純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであった」というのは「命題が、純論理的、数理的なものである」ということとは意味が違うのですか??

391Ken:2019/05/20(月) 20:40:40 ID:2D5jBja2
>>390

>Ken自身さんは、この分類は現代でも正しいと考えますか? それとも間違いだと考えますか?

「現代でも」という表現に注意が必要ですが、これまで私からもdiamonds8888xさんからも繰り返し、その定義が述べられていますので、間違えることはないでしょう。

〜科学的に妥当な方法を判定する基準は、今のdiamonds8888xさんと同じ
〜科学知識体系は19世紀のもの

この条件のもとでは、波には媒質が必要という結論にいたるしかなく、媒質のない波は論理的に矛盾していると考えます。

ですから、もしもdiamonds8888xさんが私とは異なる意見を持っておられるなら、おっしゃってください、という意味で>>356の思考実験を提案しました。

*****************************************************************
科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。相対論も量子論も想定の外なのです。

ここで、マイケルソンとモーリーの実験があり、電磁波には媒質がないことを示す結果が報告されました。

19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?
*****************************************************************

やはり、この質問に回答していただく必要があるのではないでしょうか?

392diamonds8888x:2019/05/22(水) 06:10:54 ID:Qjz/9QPI
>>391
 私が尋ねたのは

  「〜振動する実体(媒質)がある」という命題は
    A.「純論理的、数理的」なものである、と考える
    B.「純論理的、数理的」なものではない、と考える
       (観測に基づくものと考える)

 ここで、Kenさんは当時の人はAと考えていたと思っていることはわかりました。
 私は、現代では多くの人はBと考えていると思っています。
   (後述しますが、「真空という媒質がある」という考えもありです)
   (真空という媒質の性質は通常の物質から成る媒質とは異なる、というほうがすっきりしているかも知れません)

 尋ねたかったのは、現代の人としてのKenさんは、AとBとどちらの考えなのかということです。要点は、「純論理的、数理的」なものの範疇についてなのです。

393Ken:2019/05/22(水) 22:04:15 ID:2D5jBja2
>>392
>現代の人としてのKenさんは、AとBとどちらの考えなのかということです。

現代の私、2019年を生きる私ならBが正しいと考えます。現代の私は、相対論や量子論が登場した20世紀以降の歴史を知ってますから。

でも、このような質問では、私からの問題提議とポイントがずれてしまいます。私は、20世紀以降の歴史を知らないという条件の下で、AとBのどちらが論理的な結論であるかを問うているのですから。


私が今、検証しようとしているのはdiamonds8888xさんが提唱される「基準」です。

そして科学理論を検証するため、条件を設定して実験が行なわれるのと同じことをやろうとしています。つまり、いろいろな条件を設定した上で、diamonds8888xさんの基準がどういう結論を出すかという思考実験をやろうとしています。そして、目下の実験で設定した条件が、

〜19世紀末の知識体系

というものです。それなのに、現代の私がどう判断するかという質問では、実験条件を変えてしまいます。

何度も繰り返していますが、

〜科学的に妥当な方法を判定する基準は、今のdiamonds8888xさんと同じ
〜科学知識体系は19世紀のもの

この条件化で、マイケルソンとモーリーの実験結果をどのように解釈するのが、diamonds8888xさんの基準に適合しますでしょうか?

394diamonds8888x:2019/05/25(土) 06:10:49 ID:Qjz/9QPI
>>393
> 現代の私、2019年を生きる私ならBが正しいと考えます。

 了解しました。

> 現代の私は、相対論や量子論が登場した20世紀以降の歴史を知ってますから。

 この理由付けが間違いだと、私はずっと主張しているのです。Bの「「純論理的、数理的」なものではない」という考え方は知識によるものではありません。つまり当時の人も知っているはずのことです。

--- [>>380]より---------
 したがって、上記のように一見P∧¬Pと見える事態が観測されたならば実は「¬Pと同値だとこれまで信じられていた命題が実は¬Pではないのだ」と推論するという方法は、「当時の人が知らない知識」でもなければ「現代人しか知らない科学的方法論」でさえもありません。例えばシャーロック・ホームズなら十分に心得ていたはずの推論の基本に過ぎません。
--- [>>382]より---------
> 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の〜この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>375],[>>368],[>>350],[>>348],[>>345]
------------------


 光の媒質問題については2つの見方が可能であり、そこを説明しないと不完全になりそうなことに気づきましたので、もう少し時間をいただいてまとめます。2つの見方とは、以下です。
  ・光(電磁波)の媒質はない
  ・光(電磁波)の媒質は真空である

395Ken:2019/05/25(土) 08:48:12 ID:2D5jBja2
>>394
>この理由付けが間違いだと、私はずっと主張しているのです。Bの「「純論理的、数理的」なものではない」という考え方は知識によるものではありません。つまり当時の人も知っているはずのことです。

diamonds8888xさんがそのように主張しておられることは承知しています。なぜ私が納得しないのかと、もどかしい思いをされているかもしれません。

でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

〜20世紀に発見された知識には触れず、19世紀に知られていた知識のみを用いて、媒質のない波が存在するという結論にいたる

その論理の筋道を提示してください。diamonds8888xさんの主張が正しいなら、必ずできるはずです。

どうかよろしくお願いします。

396diamonds8888x:2019/05/25(土) 11:01:29 ID:Qjz/9QPI
>>395
>でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

 はあっ? まあいいです。それよりも、もうひとつすみませんが、


 【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】
  ・史実ではないと認めるか
  ・史実と示せる文献等の根拠を示すか
  ・実は表現がちょっと間違えていたのか

[>>380]より
>繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。[>>355]


 私の確認できる限りの史実では、「矛盾を受容した人」はいません。矛盾を受容することにより、科学の進歩に貢献した人もいません。すなわち「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法が使われたことなどありません。

 具体的に言えば、マイケルソンとモーリーの実験結果の後に「エーテルは存在しない」と考えた人は、アインシュタイン以前にはいません。エーテルの存在は前提として、マイケルソンとモーリーの実験結果と一致するようにエーテルの性質を想定しようとしたのです。

 そしてアインシュタインも「エーテルは存在しない」と主張したというよりは、「エーテルの存在を無視した」という方が適切でしょう。つまり特殊相対性理論は、単にエーテルという概念を使っていなかったのです。そして物理学上の論争として「波である光や電磁波の媒質がないのはおかしい」という理由で特殊相対性理論を批判した人を私は知りません。
 そもそもマクスウェル理論にもエーテルという概念は使われていませんから、特殊相対性理論に関しても問題にされなかったのではないかとも考えられますが。


 【要するにそもそも】、「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法の有効性を示すのに、マイケルソンとモーリーの実験結果の事例は不適切なのです。

 けどまあ、ご希望通りこれをネタに説明をしましょう。
 必要な調査もしていたし、時間はかかりますので御承知おきください。

397Ken:2019/05/25(土) 15:28:17 ID:2D5jBja2
>>396
私が提案した思考実験に応じていただける、ということですね?

1つ注文をさせてください。

「媒質のない波」を論じる前提として、

〜波(波動)とはなにか?

という定義から述べていただけますでしょうか?

「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

398diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:16:16 ID:Qjz/9QPI
>>397

>「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

 「波(波動)とはなにか?」という定義が重要であることは大いに同意します。Kenさんが[>>367]で述べていることはまさにそこがポイントになっています。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 波の定義は初歩的というほど簡単とは言えません。というか基礎的な概念ほど定義、というよりも概念の範囲が難しいものです。科学の革新的発展の時には基礎的概念が変革されることが普通です。

 そして「基礎的概念の定義には注意すべし」というのは古来から先端的科学(先端的自然哲学)の研究者なら無意識にでも行っていることで、知識不足からなおざりになるというものではありません。

 また、波(波動)の定義によって[>>394]で示した2つの見方が分かれることにもなります。

>  ・光(電磁波)の媒質はない
>  ・光(電磁波)の媒質は真空である

 後者の見方を取れば「マイケルソンとモーリーの実験結果によりエーテル(光の媒質)の存在が否定された」という解釈は間違いとなりますが、それがまんざら珍説でもないことを示すものとして以下の資料を示しておきます。私自身もすべて読んで理解してはいませんが、後述の時に文中で示すのも長くなるのであらかじめ示しておきます。

---------引用開始---------------
京都大学哲学研究会(レジュメ? > ?相対性理論の起原)
[ps://sites.google.com/site/kyototekken2011/rejume/mahhano-ke-xue-si-xiang]

 〜通俗的な相対性理論の解説は〜一九世紀の物理学者たちは絶対静止のエーテルという仮構を信じ切っており、決定的な反証が出されてもやはりエーテル説を捨てようとしなかった。アインシュタインだけが実験結果を率直に受け取り、エーテルを廃して〜

 多くの入門書はエーテルの仮想がいかに不適切なものであったかを力説〜その最終的な帰結は、今の電磁気の教科書に書いてあるような、古典的な「場」の考え方の確立である。

 「エーテル」を現在の電磁気学の教科書における「場」と同等の概念にまで引き上げたのは、ポアンカレの「相対性原理」である。
---------引用終り---------------

399diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:17:48 ID:Qjz/9QPI
>>397
 それはそうと次の件は早く決着させてください。

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

 そのために波の定義が必要ならKenさんが[>>367]で採用した定義を使えばよいでしょう。必要ないと思うけど。

 そもそも[>>367]は、現代人としてのKenさんの定義は、19世紀の人の定義とは異なると言っているのでしょうか?

400Ken:2019/05/25(土) 18:35:24 ID:2D5jBja2
>>399

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

これは>>396で問われた件ですね。

正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。
ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。


なお、

〜波(波動)とはなにか?

を語っていただくに際して、言うまでもないとは思いますが、19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

401ミケ:2019/05/25(土) 22:24:08 ID:6UZWK5Gs
…diamonds8888xさん以外の投稿は読まないとのことですからKenさんに向けたものではありません。

・史実ではないと認めるか
・史実と示せる文献等の根拠を示すか
・実は表現がちょっと間違えていたのか
(New!)・史実かどうかは論点ではないので史実ではないかどうかは答えません!←ピコーン

diamonds8888xさんのお返事も必要ありませんが
正面から質問に答えなかったり、「質問に答える前に一つ確認を」と質問返しを繰り返されて
さすがに普通だったらいら立っているだろうと思いちょっとした笑いを提供してみました。

402diamonds8888x:2019/05/26(日) 06:28:39 ID:Qjz/9QPI
>400
>正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

 つまり史実を知らないということですね?
 では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?
 私が知る限りでは史実ではありませんから。 

>19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

 19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう? それならまずKenさんの定義を示してください。というのは単なるいらだちの表現。[>>367]からほぼ推察できるから別に必要ないです。

 まあ、私は複数の定義を示して、それぞれの場合にどうなるかを説明するつもりでいます。

 時間がかかりますから、その間ぼーっとしてないで、[>>394]からのリンク先をじっくり考えてください。論理と知識の区別がついてないようですから。

403Ken:2019/05/26(日) 07:44:04 ID:2D5jBja2
>>402
>19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう?

それは難しく考えすぎですよ。

要するに19世紀には知られていなかった量子力学的な波、つまり光子や電子などがどの位置に存在するかは波動関数に従うといった概念などは持ち込まないでください、ということです。

その条件さえ満たしていれば、diamonds8888xさんが考える定義で結構です。というよりも、本来の検証対象はdiamonds8888xさんの基準ですから、ここで他の人の定義など持ち込まれては、話が混乱します。

404diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:55:21 ID:2lzkQMyE
>>402
 すべてまとまってから書こうかとも思いましたが、読む人達の時間ももったいないでしょうから少しずつupします。たぶん4-5回の連載になると考えてください。>>all

【エーテルとは何だったのか?-1】

 まず原理的な話です。Pが「光波(電磁波)は波である」であれば¬Pは「光波(電磁波)は波ではない」であり、他の命題例えば「光波(電磁波)を伝える媒質がない」と同じではありません。これはどんな時代であれ明らかなことです。むろん何らかの根拠から「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であれば話は別です。

 ここまではアリストテレスでも知っている論理の話で、まして19世紀の科学者なら【聞けば納得のはず】の常識に過ぎません。

 「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であることの可能な根拠のひとつは観測ですが、もうひとつに定義があります。これはKenさんが[>>367]で述べていることです。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 科学や数学を学べばわかるように定義はとても重要です。そして科学史を学べばわかるように定義とは科学の進歩の節目ごとに変遷してきたものです。定義を突き詰めるという考え、正確な定義をすべきという考えは、19世紀であってもできる研究者であれば基本的には心得ていると私は考えます。多くのできる先人たち自身が色々な定義を考え出してきたのですから。

 そして定義の変化は新しい発見、すなわち新しい観測事実によるものですから、ある時の定義の内容自体は論理の範疇ではなく、科学の範疇です。Kenさんはある時の定義の内容自体が論理だと考えていて、「ある時の定義の内容に反するような考えは、論理に反するような発想(論理にはこだわらない自由な発想?)だ」と考えているようですが、それは違います。


 とはいえ、定義の考えも含めて以下しばらくは【現代の立場】から話を進めます。

 では相対論や量子論を知っている現代人はどう考えるかということですが、ここに2つの見方がでてきます。いや相対論や量子論の【知識】は関係ありませんが(^_^)

 【媒質を持たない波というものも存在して代表例が電磁波である】という見方に立った場合は2つの場合があります。
 「媒質を持つ」というのはもともと波の定義に含まれてはいなかったとすれば、19世紀の人の考えは単に論理的な可能性を見落とした間違いということになり、知識不足によるものではないことになります。
 実は19世紀の波の定義には「媒質を持つ」ことが必須だったとすれば、ある時に波の定義が変ったことになります。なぜ変わったかと言えば波の定義、および定義から導かれる性質の一部しか持たない対象、具体的には光波(電磁波)のことが観測により判明したからです。このようなことは生物学などではよくあります。
  ・動物でも植物でもない生物が発見される。
  ・細胞を持たない生物、ウイルスが発見される
  ・様々な中間種が発見される。

 しかし【電磁波の媒質は真空である】もっと正確には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方に立てば「光波(電磁波)を伝える媒質がある」という考えは現代人も否定していないことになります。つまりマイケルソンとモーリーの実験結果は光の媒質を否定していなかったことになります。

 では19世紀の人は何が間違っていたのかと言えば、「光波(電磁波)の媒質に、音波などの媒質である通常の物質の性質を与えすぎてしまっていた」ということになるでしょう。エーテルの弾性とか堅いはずだとかいう考えですね。

 しかし実は史実としては、ローレンツ理論はこの方針に沿って光波(電磁波)の媒質を実験と一致するものに想定していくというもので、その中で通常の物質から連想されていた性質はそぎ落とされました。

 個人的には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方が気に入っているので、今少し、この立場から詳しく説明します。

405diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:57:46 ID:2lzkQMyE
>>400
>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

 ああーー、そういうこと。媒質のない波である物質波なんてものを提案した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 Kenさんの論法だと「相対論や量子論を思いついた人」は【論理的に考えていなかった】ということになるのですが、そういうことなんですね?

 彼らは【論理的に考えていなかった】からこそ画期的な進歩を成し得たのだ、というお考えだということなのですね?

406Ken:2019/06/02(日) 07:15:20 ID:2D5jBja2
とりあえず、こちら(>>405)だけ

>特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?

私の>>400の発言から、

>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

という部分のみを切り取られていますが、私はその直後に

>ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。

と述べています。

この文脈から

〜相対論や量子論のような具体的な解決策をもつことなく、媒質のない波を想定するのは非論理的

という文意は明らかと思っていました。

「19世紀の知識体系」とは、つまり、相対論や量子論を考え付く前という意味です。この点をより明確にするため、

〜マイケルソンたちが実験した1887年から、アインシュタインが光量子を提唱する1905年までの18年のあいだに

と何度かくりかえしました。

407fnorder:2019/06/02(日) 12:37:49 ID:???
シャーロック・ホームズいわく。

あり得ないものを除いて最後に残ったものは、そどれほどありそうにないように見えても、それこそが真実である。

これこそ論理的思考だと思います。なお、ホームズは19世紀末の作品です。


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