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靖国問題について考える
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賛否両論様々な意見のある、靖国参拝について、勉強したいです。
自分は神道は宗教というより、自然や先祖を敬う日本人の民族性に則った文化のような気がするのですが。
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>>802
双方の歩み寄りに見える分祠論を否定することによってかえって日本の参拝反対派の勢いを削ぐというのが分からないのでしょうね。相変わらず彼らの外交は拙い。「夷を以って夷を制す」中国は彼らの論理から見て明らかにそうであっても決してそういうことは言わないですから。
日本の参拝反対派の中の分祠論者は
「A級戦犯さえ外せば中韓は納得する」
としていたのが韓国のこれによって否定されてしまったわけで。
もし仮に新しい追悼施設を作っても今度はその追悼の在り方に文句を言うでしょう。平和への追悼がメインだったら「過ちに対する反省が無い」と。
韓国一般大衆は儒教的な思考で 日本の過ち=主人に対する不忠・反逆
のような認識なので絶えず韓国に忠誠を誓うが如く反省しないといけないのでしょう。
ちなみに普通の日本兵も彼らにとってはヤクザの手下くらいの認識しかないでしょうし、平和遺族会なんてのも
犯罪者の身内
くらいしか思ってないでしょうね。
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参考までに中国での調査。
こちらは政府の言っていることでは無く、一般の意識調査かつ「政治家」全般との事なので一概には比較できませんが。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6700/news/20060805i211.htm
日本側は、「政治家は参拝すべきではない」が18%だった。中国側は、「どんな状況でも参拝してはいけない」が51%で、「戦犯をはずせば参拝してもよい」は30%だった。
分祀しても3割の中国の国民は不満?
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>>804
戦犯がA級だけなのかB・C級だけなのか。
B・C級も含むと100人斬りも含めた冤罪戦犯も外せ ということになりますね。
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中共の御用新聞、人日報では
http://www.people.ne.jp/2006/08/11/jp20060811_62149.html
・・・・・靖国神社は中韓の人々の血で手を染めたA級、B級、C級の戦犯が祭られているだけでなく・・・・・
A級が済めば、次はBC級だと図らずも漏らしている訳で。
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>>806
次は
南京大虐殺の後に死んだ兵士(例:京都の20連隊)で訴追されなかった者を取り下げろ
と言うような形で 実質戦犯 と言うようなのを持ち出すでしょうね。
で、こういった抗議の度に 合祀取り下げ をしていくと
中国・韓国に靖国神社の合祀対象を決めてもらう
という今までよりも更に激しい構図が出来上がりますね(笑)。
ちなみに今回の参拝を肯定的に評価したのは60代以上の年配の人が多く、
次に多いのは20代以上の若い人だそうです。
年配の方は非戦闘員をも焼き殺し(アメリカ)、搾取・略奪の対象にした敵国(中国・ソ連)
の掲げる正義の欺瞞に気づいていて、若い人は中国韓国の抗議を冷静に
【外交カード】と看破したというところでしょうか。
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忘れさられないうちに張っておきます。
一応、靖国参拝8/15繋がりという事で。
http://www.sankei.co.jp/news/060818/sha078.htm
http://www.chosun.com/international/news/200608/200608170007.html
8/15に自民党の加藤紘一氏の家を放火した犯人は堀米正広(65歳)
大日本同胞社という右翼団体の所属組織員との事。
なぜか...
「大日本同胞社の所在地」(東京都新宿区歌舞伎町2-19-7の403号室)は
「朝鮮総連新宿新宿支部」(東京都新宿区歌舞伎町2-15-3)と隣接している。
両方ともたまたまコリアタウンにあるという事かな???
そしてなぜか「大日本同胞社」は収入支出0
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kanpo/shikin/20050930g00223/pdf/20050930g002230416.pdf
活動してないの??
「同胞」って日本人は使わない気がするが....使うなら「同志」とか...
考えすぎか....な.......
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>>798
大神さん、遅ればせながら…
>行幸としていなくて参拝としているのがガセとしているのが決定的だと思います。
>宮内庁関係者が、しかも侍従長が専門用語を、しかも陛下に謙譲語を使うのはおかしいですからね。
私はここ、不自然に感じないんですよね。私は天皇陛下本人が「行幸」という言葉を
使うだろうかと、そちらの方が不自然に感じます。徳川侍従長(侍従参与)の発言とする
ならば「行幸」とか「御親拝」と書かれているのが自然ですね。さらに徳川参与が
参拝しなくなった理由を述べる道理がありませんから、昭和天皇の言葉を富田氏に伝
えたのであれば「私」ではなく「陛下」もしくは「お上」と言うでしょう。「お上の
心だ」と。
「行幸」ではなく「参拝」が使われているからガセだ、と言う場合、発言者は徳川侍従長
ですらなく、メモそのものがでっち上げの捏造だということになります。徳川侍従長に
せよ富田長官にせよ、陛下に対して「参拝」という言葉は絶対に使わないはずですからね。
参拝という言葉が出ているからこそ、私は昭和天皇その人の言葉だと思うんですよね。
当然のことながら、陛下ご自身は自分のことを「現人神」とは考えていなかった。
神ではないことをご自分が一番よくわかっていたはずです。とすれば天皇のために戦い
死んで英霊となった以上は、護国の神ですから、昭和天皇自らへりくだって「参拝」
と述べる方が自然です。自らの行為を「行幸」もしくは「行く」と述べる場合、護国
の神よりも自分が神聖な存在である、現人神であるという自覚があったということです。
さすがに昭和天皇が自ら進んで「私は神である」と公言する光景は想像もつきません。
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>>809
>上田さん
こんばんは
>私は天皇陛下本人が「行幸」という言葉を使うだろうかと、そちらの方が不自然に感じます
確かにそれも言えなくもないですが、その場合はやはり「行く」という言葉を
使うでしょうね。謙譲語ではなくて。
>昭和天皇の言葉を富田氏に伝えたのであれば「私」ではなく「陛下」
>もしくは「お上」と言うでしょう。「お上の心だ」と。
と 、
>「行幸」ではなく「参拝」が使われているからガセだ、と言う場合、発言者は徳川侍従長
>ですらなく、メモそのものがでっち上げの捏造だということになります。
>徳川侍従長にせよ富田長官にせよ、陛下に対して「参拝」という言葉は絶対に使わない
>はずですからね。
これですが、陛下以外が主語なら
①主語が「私」
②行幸の代わりに「参拝」
だとすれば矛盾しませんね。
逆に 上田さんはあのメモから
主語が陛下だと言えますか?
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>上田さん
>参拝という言葉が出ているからこそ、私は昭和天皇その人の言葉だと思うんですよね。
>当然のことながら、陛下ご自身は自分のことを「現人神」とは考えていなかった。
>神ではないことをご自分が一番よくわかっていたはずです。とすれば天皇のために戦い
>死んで英霊となった以上は、護国の神ですから、昭和天皇自らへりくだって「参拝」
>と述べる方が自然です。自らの行為を「行幸」もしくは「行く」と述べる場合、護国
>の神よりも自分が神聖な存在である、現人神であるという自覚があったということです。
>さすがに昭和天皇が自ら進んで「私は神である」と公言する光景は想像もつきません。
別に「行く」とすれば良いのであって、何も参拝という言葉は使う必要は
ありません。
上田さん、「陛下は神ではない」と一般国民が認識しているからといって
「「参拝」ではなくて「行幸」とはけしからん。靖国の英霊よりも自分
の方を偉いと思っている」
なんてことを国民一般が思って光景は想像できません。
さらに陛下が自ら「行幸」を「参拝」に言い換えたというのも聞いたことがありません
(それとも今回だけの特別なんでしょうか?それはないですね)。
そうなると、別に参拝ではなくて行幸としたからとそれは「自分が神」と
思っているからではなくて、単に日本文化の伝統に従ったまででしょう。
戦後GHQが先帝陛下を訴追対象からかわす際のアメリカ国民への言い訳
としてキリスト教徒への改宗をせまりました。
それに対して陛下は
「キリスト教に対して敬意を表するに吝かではないが、朕は日本国天皇として
皇祖皇統の祀り主としての責務がある。決して改宗はせぬ」
と返したのでGHQが断念した経緯があります。
このような行動を取られた陛下が、崩御される直前に伝統の言葉を捨てるのでしょうかね?
そちらの光景の方が想像できません。もしこれを上田さんが否定するならば
「陛下が行幸ではなくて参拝という言葉を使っていた」
というのを示す必要があります。
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>上田さん
ところで、メモの検証の件はどうでしょうか?
前に私は書きましたが、>>809では触れておられないようですが・・・。
ご同意頂けましたかな?
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>>810
大神さん、どうも。
昭和天皇が「行く」ではなく「参拝」を使ったとしても不思議では
ないと私が述べたのは、靖国の英霊に対して陛下がどういう気持ちを
持っていたかを想像するからです。世間一般の人なら、「靖国に行く」
でもいいですが、昭和天皇にとっては靖国の英霊は特別な存在である
はずですよ。自分が下した大命に忠義を尽くし死んでいった者たちです
からね。昭和天皇のお人柄から言えば、「参拝」を使うだろうと。
>主語が陛下だと言えますか?
私の考えるところ、どう考えても陛下だと思いますね。4月28日付けの
メモの内容全体を考えるとそうなりますよ。参拝中止について述べた
部分の発言者が徳川参与だとすると、突然に徳川参与の参拝中止の話
が挿入されるのは不自然です。4月28日付けのメモが全て徳川参与の
発言だと確信できれば別ですけれどね。
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>>811
>このような行動を取られた陛下が、崩御される直前に伝統の言葉を捨てるのでしょうかね?
伝統の言葉とおっしゃいますが、それが皇室内の日常用語かと言うとそれは違う
でしょう。日常的に陛下や皇族が自ら「行幸」という言葉を使っていたとも思われ
ません。第三者が陛下への尊崇を込めて「行幸」または「行幸啓」と使うはずで
しょうから。それに行幸は主に各地の催しに出席する場合などに使われますよね。
神社に行かれるときには「御親拝」が専ら公式には使われます。ですからなおさら
「行幸」は似つかわしくないでしょう。
なお、靖国神社に参拝するという用語を日常陛下が使われていたかは知りません。
自ら「親拝」を使っていたかもわかりません。しかし陛下が靖国の英霊に対し
謙譲語となる「参拝」を使うはずがないという論には違和感を感じますね。
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>>812
筆跡や紙質等の物理的な検証作業についてはなんとも言えないですね。
私も専門家ではありませんから。内容面についてだけで言えば信憑性
はかなり高いという認識ですけどね。
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>>813
上田さんこんばんは
>靖国の英霊に対して陛下がどういう気持ちを持っていたかを想像するからです。
>世間一般の人なら、「靖国に行く」でもいいですが、昭和天皇にとっては靖国の
>英霊は特別な存在であるはずですよ。
>自分が下した大命に忠義を尽くし死んでいった者たちですからね。
>昭和天皇のお人柄から言えば、「参拝」を使うだろうと。
上田さんの言いたいことは分かりますが、ただ、それが
参拝という言葉を使うという根拠になりますか?
例えば昭和陛下は相手に対して「呼び捨て」をされました。
戦後において戦争終結に努力した米内光政に対してですら「米内」と。
上田さんの言うような陛下のお人なりからすればそれはありえないことでしょう。
「あっ、そう」にしてもそうですが。
靖国神社の英霊は特別な存在であるからと、だからとそれが即ち「参拝」
という言葉を使う根拠にはなりません。
心と言葉とは別物なので
逆に上田さんにお尋ねしたいのですが、
陛下は戦後からプライベートな時にはずっと
参拝という言葉を使っていたのですか?
ついでに言えば言葉は周りの影響を受けるので、周りが陛下の周りで「行幸」
という言葉を使えば当人も同じ言葉を使います。
さらに、古文を高校のときに勉強していれば分かりますが、謙譲語、丁寧語、
尊敬語、絶対敬語、自尊語など色々あるわけですが、今の陛下は別として
天皇陛下が謙譲語を使いますかね?
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さらに我々一般人はなるほど、神社の神様に対して立場は下です。
が、天皇陛下は伊勢神宮のような皇祖皇統の時代と関係のある神や、明治神宮
のような明治陛下を祀ったものに対するように、東郷神社や日光東照宮の神を
遇するのか。
少し考えればそうではないと言うのは分かりますね。
上田さんの言われることは
・陛下は人となりが良い
・陛下は靖国の英霊に対して特別な思い入れがある
を根拠にあげていますが、それは謙譲語を使うという根拠にしては弱いです。
別に行幸という言葉を使ってもそれに自尊を意識しないで、自然に出た言葉なら
上田さんが挙げられた二つの根拠に矛盾しないのですから。
もし本当に陛下が上田さんの言われる通りなら、そもそも行幸という言葉は
使いません。
公的な場合に謙譲語、プライベートな時は普通の言葉(「行く」)
なら分かりますが、
公的な場合に「行幸」、プライベートな時には謙譲語
では全く逆ですし、そもそも何のためにしているのか分かりません。
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>>813
>私の考えるところ、どう考えても陛下だと思いますね。4月28日付けの
>メモの内容全体を考えるとそうなりますよ。参拝中止について述べた
>部分の発言者が徳川参与だとすると、突然に徳川参与の参拝中止の話
>が挿入されるのは不自然です。4月28日付けのメモが全て徳川参与の
>発言だと確信できれば別ですけれどね。
とありますが、メモはどう書かれていたか見てみましょう
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html
「藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。」
とあります。藤尾氏の言葉であることを示すために「藤尾(文相)の発言」の
次の段に「=」が文頭に来ていますね。
これだと普通の頭で読めば主語は「藤尾氏」ですね。
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>>814
>伝統の言葉とおっしゃいますが、それが皇室内の日常用語かと言うとそれは違う
>でしょう。日常的に陛下や皇族が自ら「行幸」という言葉を使っていたとも思われ
>ません。第三者が陛下への尊崇を込めて「行幸」または「行幸啓」と使うはずで
>しょうから。それに行幸は主に各地の催しに出席する場合などに使われますよね。
>神社に行かれるときには「御親拝」が専ら公式には使われます。ですからなおさら
>「行幸」は似つかわしくないでしょう。
>なお、靖国神社に参拝するという用語を日常陛下が使われていたかは知りません。
>自ら「親拝」を使っていたかもわかりません。しかし陛下が靖国の英霊に対し
>謙譲語となる「参拝」を使うはずがないという論には違和感を感じますね。
「思われません」は感想ですから、根拠の方をお願いします。
例えば、 陛下が普段は謙譲語を使っていた
とか。
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>>815
>筆跡や紙質等の物理的な検証作業についてはなんとも言えないですね。
>私も専門家ではありませんから。内容面についてだけで言えば信憑性
>はかなり高いという認識ですけどね。
髪質や筆跡については上田さんには求めませんが
>>798
>他の各紙についてですが、は日経に抜かれたので慌てて掲載しています。日経以外は検証が一日しか出来なかった時点(日経の次の日に発行するなら)で単に日経の追随になっていますし、嘘や誤報だった場合は日経と同じ共犯になってしまいます。
>そうなると各紙はよほどのことがない限りは自らの誤りを認めることはしないでしょう。
>あと、他の各紙にはまともに検証していない、他の各紙は追随だったことの証拠として以下の点があげられます。次の日に各紙が発行していますが、新聞は朝日、読売、毎日、西日本などのローカル紙を含めればゆうに十を超えるのに
> メモは一つしかない
>それから各紙は物理的にも時間的にも検証していなかったと言えます。
>これを打ち消すには他の各紙が日経発行前に情報を掴んでいないといけませんが、それは日経が他紙を抜いている時点で否定されます。
>また上述のことから世紀のメモが出たのに続報が無いのは
>・日経以外=日経が公開しないから情報が無い
>・日経=世紀のメモはこれで用済み
>だからでしょう。
>ですからこう考えると「他の各紙も書いている」というのは余り意味がなく
>(追随なら単なる焼き直し)、
についてですが、これについては他の各紙も書いていても、「元は日経に
拠っている」というのには
ご同意頂けましたか?
ということなのですが・・・。
勿論、上田さんが
・他紙も事前に知っていて、検証する時間もあった。が、申し合わせたように
他紙にすっぱ抜かせた
と、主張されるなら別ですが。
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>上田さん
と、言いますか「藤尾(文相)の発言」については上田さんは触れていませんね。
富田メモは
前のページの「・外務次官」とかを見れば分かりますが、小見出しやタイトルの
内容に関しては上から下に書かれていますね。
それとも 藤尾(文相)の発言 だけは下から上なのでしょうか?
この文章の挿入ですが
「前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。」
ということで、「藤尾(文相)の発言」の挿入の範囲が「前にも」からの2行なら、
「藤尾(文章)の発言」の次に「=」という言葉はいりません。
「藤尾(文章)の発言」の挿入が文脈からは別のもので、そしてそれが前の2行だけに
かかっているのなら、次の
「=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。」
という形になっていますが、「=」という言葉は要りません。文章が普通の
状態に戻ったのならば殊更「=」という言葉を出す必要は無いからです。
つまり、上田さんは「藤尾(文章)の発言」が「下にかかっていない」と
言われるならば
・富田メモは「上から下」に読んでいく形式だが、「この部分だけが違っている」ことの説明
・文章が普通の状態に復したのに「=」が入ることの必要性
を示さなければなりません。で、出来ますか?
そしてこれが出来ないのならば陛下の言葉だという論理的に不可能です。
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>例えば昭和陛下は相手に対して「呼び捨て」をされました。
>戦後において戦争終結に努力した米内光政に対してですら「米内」と。
天皇という地位から考えれば、それ以外は米内であっても「臣民」の一人
ですから、敬称はつけないでしょう。しかし死して護国の神となった英霊
はもはや生前の階級、身分の違いに関わらず「神」ですからね。天皇が
唯一謙譲語を使うとすれば人ならぬ神に対してでしょう。そこから考え
れば、天皇自ら「参拝」という言葉を使っても不自然ではないということ
ですよ。
戦前であれば「現人神」として絶対視された地位でしたが、戦後の天皇
はもはや神ではありえないし、十分な自覚を持っていたからこそ戦後の
皇室は親しみをもって国民に迎え入れられたわけですね。天皇が「参拝」
という謙譲語を使うことなどありえないという発想は、大日本帝国時代
の産物で、戦後の天皇陛下の人となりを理解する役には立たないと思い
ますね。ちなみに、園遊会などでは来賓の方々に対して陛下自ら敬語を
使ってますから、時代はやはり変わったのだと理解してます。
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>>821
「前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。」
この部分ですが、この会話が記録された当時は奥野発言が取り沙汰されて
いた時期ですね。これに絡めて「前にもあったがどうしたのだろう」という
ご感想を述べられた。そう私は理解しています。なお、「=」以下の部分
は富田長官が陛下に対して述べた部分でしょう。他のメモにも冨田長官が
発言した部分には「=」がつけられている例があります。
奥野発言を調べていただくと、参拝に関して陛下が発言した理由がわかり
ますよ。奥野国土庁長官が1988年4月22日に記者会見した際、靖国神社参拝
について「参拝が公人か私人かでいま問題になっているが、戦後43年たった
のだから、占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい。中国はいろいろ
誤解しているが、共産主義国家だから宗教への理解が少ない」などと述べた
ことが様々な批判を呼びました。それとの関連で靖国参拝中断の理由を
述べたとすれば、内容的にもしっかりつながるわけです。
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ちなみに、「前にも〜」の前にあった文章は何かと言うと、次の文章
でしたね。
「"嫌だ"と云ったのは 奥野国土相の靖国発言、中国への言及に
ひっかけて云った積りである」
このあたりからも、靖国参拝についての発言が、奥野国土庁長官の
靖国発言に関連してのものだったということが説明できます。また、
4月25日の記者会見で「嫌だ」という表現を使ったのは昭和天皇
その人でしたから、靖国中断の理由を述べた部分との前後関係から
判断すると陛下ご自身の言葉としか思えません。
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こんばんは上田さん
>>822は前の繰り返しですね。で、
実例として
陛下が参拝という言葉を使っていますか?
>>園遊会などでは来賓の方々に対して陛下自ら敬語を使ってますから、
>時代はやはり変わったのだと理解してます。
ちなみにその場合の敬語は丁寧語ではなくて謙譲語でしょうか?
しかし死して護国の神となった英霊
はもはや生前の階級、身分の違いに関わらず「神」ですからね。天皇が
唯一謙譲語を使うとすれば人ならぬ神に対してでしょう。そこから考え
れば、天皇自ら「参拝」という言葉を使っても不自然ではないということ
ですよ。
>戦前であれば「現人神」として絶対視された地位でしたが、戦後の天皇
>はもはや神ではありえないし、十分な自覚を持っていたからこそ戦後の
>皇室は親しみをもって国民に迎え入れられたわけですね。
と、上田さんは言われていますが、もしそうなら戦後において、公式に
陛下が行幸される時にはそもそも行幸という言葉を使いませんよね。
つまり、上田さんが言われていることは
【実際】に【公式】において【行幸という言葉を使っていた】
時点で否定されるのではないでしょうか。
「現人神ではないと自覚」して「戦後に振舞っていた」のなら
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>>823
>この部分ですが、この会話が記録された当時は奥野発言が取り沙汰されて
>いた時期ですね。
そうですね。取り沙汰されていた時期です。
気にしていたのは陛下だけとは言えませんね
が、まぁそれはおいて置いて次を見ますと
>これに絡めて「前にもあったがどうしたのだろう」という
>ご感想を述べられた。そう私は理解しています。
問題は誰かがですが、主語が陛下とは特定できません。
>なお、「=」以下の部分は富田長官が陛下に対して述べた部分でしょう。
富田長官が
陛下に対して敬語も無いタメ口
なんか使いますかね?上田さんは使うと思ってらっしゃるのでしょうか?
>他のメモにも冨田長官が発言した部分には「=」がつけられている例があります
それは 富田長官の発言だけ
なのでしょうか?我々は日常会話に対しては「○△×」という用に「」を用います。
で、富田メモの場合は=がそれに該当しているのではないでしょうか。
そして 富田氏本人の発言ではない ので特に 藤尾(文相)の発言
と書いているのではないでしょうか?
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>上田さん
上田さんが見落としている点ですが
(1)
「前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。」
と、言うように何故に藤尾(文相)の発言が
「下から上にかかっている」
のでしょうか?他のページを見ますと トピックなどは上から下
という形になっていますが。
(2) = についてですが
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
が、「単純な復古ではないとも」で終わっている根拠は何でしょうか?
何故に「続けて書いている」とは考えられないのでしょうか?
(3)上田さんの言われているように
「前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。」が藤尾氏の発言、
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
が富田氏の発言、
と藤尾氏と富田氏の言葉のバトンとして、次に誰かが書いていない場合に
「私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。」が藤尾氏の
言葉だとはなりませんか?
A(藤尾)「・・・」
=(富田)「・・・」
A(藤尾)「・・・」
という事に。特に但し書きが無い、そして富田氏が
敬語の無いタメ口をきいている
という点から考えてみると。
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>>808
仕古利人さん
大日本同胞社はほとんど活動していない幽霊団体ですね。
これは必ず上部組織がありますね。
あと住所を見ると確かに朝鮮総連と近いですね。
これから裁判が始まりますからおいおい分かっていきますね。
ただ、朝鮮人が右翼(似非右翼)になるとどちらかと言うと金儲けが目的
ですから(もちろん日本人による街宣右翼、似非右翼もそうですが)、
死んだら元も子も無いなとは思いますね。それとも売名のための鉄砲玉ですかね。
もし本当に純粋に憂国の念にかられているなら、
共産党=社民党>民主党>自民党の順番で殺意を抱くとは思いますが。
勿論、自民党の靖国参拝反対派を萎縮させてもって最大政党の自民党の
靖国反対派に打撃を与えるのが目的(靖国参拝反対派の議員だけで社民、共産の
総議員よりも多い)とも考えられますが。
いずれにしろ現段階では不明な点が多いですね。
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>>828
大神氏
この犯人についてマスコミが殆ど報道しないのも気になります。
なにか地雷があるのかも......
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マスコミ(と行政)では大体同和や朝鮮人はタブーですからね。
抗議(と言うより嫌がらせ)の電話が山のように来たり、何十人かで朝から晩まで押しかけて来たりして最後には
・謝罪
・差別意識撤廃のために教育用機関紙の購読 (本当の目的はこれ)
をさせるという非常にどうしようもない連中ですからね。
煩いからとりあえずは触れないでおくのもあるのかもしれません
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>>826
>富田長官が陛下に対して敬語も無いタメ口なんか使いますかね?
>上田さんは使うと思ってらっしゃるのでしょうか?
基本的に備忘録ですからね。発言の要点だけまとめるのが自然だと思い
ますよ。陛下のご下問に対してどう答えたかを簡単に書きとめておいた
だけではないかと。
>富田長官の発言だけなのでしょうか?我々は日常会話に対しては「○△×」
>という用に「」を用います。で、富田メモの場合は=がそれに該当している
>のではないでしょうか。
「=」のかぎかっこはあくまで表記上私がつけ加えたものですからね。富田
長官自身が述べた言葉の文頭に=がつく例が他にもあるということの指摘
でした。同じ4月28日のメモの中に「=②については記者も申しておりました」
という箇所がありますね。
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>>825
>陛下が参拝という言葉を使っていますか?
陛下が靖国参拝について公式に発言した記録を私は知りませんが、側近との
私的な会話の中であれば使ったとしても不自然ではない、ということです。
>ちなみにその場合の敬語は丁寧語ではなくて謙譲語でしょうか?
さて、私は園遊会に出席したことがないですからね。それでも少なからず
語られたお言葉が報道されたりしていますが、謙譲語も使ってますよ。公式
発言でも謙譲語はよく出てきますね。「思いを致す」なんかもそうです。
>もしそうなら戦後において、公式に陛下が行幸される時にはそもそも行幸
>という言葉を使いませんよね。
報道では見かけなくなりましたね。最近は「ご訪問」とか「ご視察」という
使い方をしているようです。侍従などの側近など皇室内ではまだ使っている
でしょうけど。
>「現人神ではないと自覚」して「戦後に振舞っていた」のなら
それは関係ないですよ。行幸というのは単に「天皇がお出かけになる」と
いう意味の皇室用語に過ぎませんから。それに天皇自身が使うことはない
でしょうね。側近や歓迎する側が使うことはあっても。
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>>827
>と、言うように何故に藤尾(文相)の発言が「下から上にかかっている」
>のでしょうか?他のページを見ますとトピックなどは上から下という形に
>なっていますが。
「下から上にかかっている」というのはあくまで大神さんの印象なのだ
ろうと思いますが、私にはその意味がよくわかりません。奥野発言に
関連した一連の文章として私は素直に捉えてますからね。=以下の
部分が富田長官の発言部分ということは既に書きました。
>「前にもあったが どうしたのだろう
> 中曽根の靖国参拝もあったが
> 藤尾(文相)の発言。」が藤尾氏の発言、
よくわからないのですが、なぜそこで「」内が藤尾氏の発言になるのでしょう。
富田長官の言上の際に文部大臣を既に辞職しているはずの藤尾氏が同席したと
いう客観的な根拠でもない限り、それはありえないと思いますが。
それと、藤尾氏がそもそも「松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の
心子知らずと思っている」という発言をどうやったらできるのかが不思議です
よね。ここで言う松平というのは松平慶民元宮内相のことですが、この方は
昭和天皇独白録の聞き取り役五人のうちの一人で、昭和天皇の側近中の側近
だった人です。昭和天皇の信任厚い側近だった人物の子である松平宮司が、
筑波宮司が止めていたA級戦犯合祀を早速にやってしまったことに対する
不信の念がここに感じ取れますね。こういうことも考慮するとやはり昭和
天皇その人の発言としか思えないんですよね。これを徳川参与の発言として
考えた場合、かつて上司であり大先輩でもあった松平慶民元宮内相のことを
呼び捨てにするというのも信じられません。
-
>>831
>上田さん
>基本的に備忘録ですからね。発言の要点だけまとめるのが自然だと思い
>ますよ。陛下のご下問に対してどう答えたかを簡単に書きとめておいた
>だけではないかと。
敬語表現で普通に謙譲語・丁寧語を使っても大して字数は増えません。
更に、問題の文は
喋った時の言葉
です。 ○○ではないかと言ったが・・
のように喋り言葉ではないのなら敬語が入っていないのは不自然では
ありませんが、残念ながらあくまで喋った時の言葉です。
更に実例を見て見ましょう
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html
日記の前のページですが、
「(2)については記者も【申しておりました】」
と言うように自分の喋り言葉、話し言葉の場合は【申しておりました】
と言うようにきちんと敬語表現を使っています。
それとも上田さんは富田長官は備忘録でも
気分次第で話し言葉の表現をコロコロ変えるのでしょうか?
>「=」のかぎかっこはあくまで表記上私がつけ加えたものですからね。富田
>長官自身が述べた言葉の文頭に=がつく例が他にもあるということの指摘
>でした。同じ4月28日のメモの中に「=②については記者も申しておりました」
>という箇所がありますね。
私は別に=に「」が付くとは言っていませんが・・・。
「=付く例が他にあるという指摘」でしたとありますが、上田さんの場合は
>>823
>なお、「=」以下の部分は富田長官が陛下に対して述べた部分でしょう。
>他のメモにも冨田長官が発言した部分には「=」がつけられている例があります
と言うように = は富田氏の発言
とされています。
「=は富田長官が陛下に対して述べた部分(富田専用)」と
「長官自身が述べた言葉に=が付く例が他にもある(発言の場合の一般的用法)」
では意味合いが違いますね。〜との場合もあるという可能性ではなくて、論理的に
お願いしますね。
で、一般的用法なら藤尾文相の発言の場合に=をつけるのは普通でしょう。
-
>>832
>陛下が靖国参拝について公式に発言した記録を私は知りませんが、側近との
>私的な会話の中であれば使ったとしても不自然ではない、ということです。
その根拠が実例ではなくて、
「お人柄」で「そうされるだろう」
では 根拠の無い仮定の積み重ね
と言わざるを得ないのではないでしょうか?
上田さんの言われるように「お人柄」で「配慮されている」のなら、それこそ
公式の言葉に使わのが当然ではないですか?でもそれはしていないのでしょう?
それに
普通は私的な言葉の時こそ敬語を外すのではないでしょうか?
「行く」という形で。
また、上田さんは>>831で
「備忘録だから富田長官は話し言葉の敬語を外した文を構成した」
と言われていますが、陛下の発言の時だけ話し言葉を忠実に残すのですか?
それはチグハグではないでしょうか?
>報道では見かけなくなりましたね。最近は「ご訪問」とか「ご視察」という
>使い方をしているようです。侍従などの側近など皇室内ではまだ使っている
>でしょうけど。
あの、問題はあくまで 【当時】 なんですけど・・・
>さて、私は園遊会に出席したことがないですからね。それでも少なからず
>語られたお言葉が報道されたりしていますが、謙譲語も使ってますよ。公式
>発言でも謙譲語はよく出てきますね。「思いを致す」なんかもそうです。
あの、「致す」は【丁寧語】でもあるのですが・・・
それに上田さんの言われる通りなら、
何故に「行く」にも 同じ謙譲語
である参拝を使わないのでしょうか?片方では使ってもう片方では使わない?
上田さんの言われる通りならそれこそ最初から使うはずでしょう?
>それは関係ないですよ。行幸というのは単に「天皇がお出かけになる」と
>いう意味の皇室用語に過ぎませんから。それに天皇自身が使うことはない
>でしょうね。側近や歓迎する側が使うことはあっても。
唯一自分に対して敬語を使えるのですが、それは置いておきます。
では何と言っていたのですか?
普通に「行く」ではないのですね?
-
>>833
>上田さん
>「下から上にかかっている」というのはあくまで大神さんの印象なのだ
>ろうと思いますが、私にはその意味がよくわかりません。
私の印象ではなくて、現に、実際に前のページの(1)とかに対しては
上から下にされているでしょう?
>奥野発言に関連した一連の文章として私は素直に捉えてますからね。
>=以下の部分が富田長官の発言部分ということは既に書きました。
ですからどうしてそう捉えられるのですか? 素直に捉えたら
「=」以下が 奥野文相の発言 になりますよ。
また、仮に=が富田氏の発言でも、
奥野文相の発言→「=」(富田氏の発言)→奥野文相の発言
になりますよ。何故なら場面転換したとか何も書かれていないのですから。
場面転換していないのなら、
奥野文相と富田氏の会話が続いているのではないでしょうか?
それともどこかに 陛下のお言葉
と書かれているのでしょうか?書かれていませんよね?
そうなると、奥野文相の言葉、富田氏の言葉、奥野文相の言葉と言う形で
言葉のリレーがあったのではないでしょうか?
-
>上田さん
例えば、雑誌のインタビューとか見てみたら分かりますよ。
「○○・・・」
―△×○□・・・
「△×◎・・」
というように、インタビューされる人(「」カギ括弧)の言葉、
次(―、ハイフンですね)がインタビューする人の言葉、そしてそれに
対してインタビューされる人の言葉(「」カギ括弧)の言葉
という形で見ますよね?間違えてもいきなり「何故か第三者が出てくる」なんて
あるのでしょうか。
例えば、日記の前のページを見ると「Pressの会見」という形で場所説明を
しています。そう言った説明が特に無くて
何の脈絡も無くいきなり陛下の言葉
ではおかしいのではないでしょうか?
ついでに
>それと、藤尾氏がそもそも「松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の
>心子知らずと思っている」という発言をどうやったらできるのかが不思議です
>よね。ここで言う松平というのは松平慶民元宮内相のことですが、この方は
>昭和天皇独白録の聞き取り役五人のうちの一人で、昭和天皇の側近中の側近
>だった人です。昭和天皇の信任厚い側近だった人物の子である松平宮司が、
>筑波宮司が止めていたA級戦犯合祀を早速にやってしまったことに対する
>不信の念がここに感じ取れますね。こういうことも考慮するとやはり昭和
>天皇その人の発言としか思えないんですよね。これを徳川参与の発言として
>考えた場合、かつて上司であり大先輩でもあった松平慶民元宮内相のことを
>呼び捨てにするというのも信じられません。
別に陛下以外の人間が言ってもおかしくないでしょう
それと、
>昭和天皇の信任厚い側近だった人物の子である松平宮司が、
>筑波宮司が止めていたA級戦犯合祀を早速にやってしまったことに対する
>不信の念がここに感じ取れますね
と、あって
>こういうことも考慮するとやはり昭和天皇その人の発言としか思えないんですよね。
と、ありますが、残念ながら
これは論理的におかしいですよ
昭和天皇の発言かを検証している時に、その検証の元ネタがこうだからこの
検証の元ネタは正しいと言うのは。
「Aという理論は正しい」とする時に、それを別のBというものから証明
するのではなくて、Aを使って証明しているようなものですよ。
中学や高校の数学で
「sin2θ=2sinθcosθを証明せよ」
という問題があった時に、 「2sinθcosθ=sin2θ」だから
じゃ何の証明にもなっていないでしょう?それと同じです
-
>上田さん
ところで、前にも書きましたが、
日経以外の他紙は物理的に検証不可能
(※一緒に検証して日経に抜け駆けを許したというなら別)
というのにはご同意頂けたのでしょうか?
もし、 「そうではない」
と言うのならその根拠を教えて頂けないでしょうか?
-
>>834
>それとも上田さんは富田長官は備忘録でも気分次第で話し言葉の表現を
>コロコロ変えるのでしょうか?
メモをとるのに「こうでなければならない」という規則もないと思いますから、
基本的にはどう書こうが富田長官が自由に判断することだろうと思いますよ。
自分の発言と陛下の発言とをごっちゃに書いたら誤解のモトですから、何らか
の表記上の区別はあってしかるべきだし、それが富田長官の場合は「=」で区別
したんでしょう。
私たちはあくまでもメモの「読み手」であって「書き手」ではないですから、
「読み手」の都合で判断するより、「書き手」の側に立って考えたなら、
富田メモの内容ももっと理解しやすくなると思いますよ。
>「=は富田長官が陛下に対して述べた部分(富田専用)」と
>「長官自身が述べた言葉に=が付く例が他にもある(発言の場合
>の一般的用法)」では意味合いが違いますね。
意味合いが違うというより、前者は結論であって後者はその根拠ですからね。
「記者も申しておりました」という発言を富田長官の発言として考えるのは
不自然ではないでしょう。その文頭には「=」がついており、藤尾発言に
関連した部分の文頭にも「=」がつけられているならば、それを富田氏の発言
と推論するのは十分に論理的な解釈だと思いますよ。
むしろ陛下への言上の途中に藤尾文相の発言が突然に出てくる方が論理的に
説明不可能だと思いますが。なぜならその場に藤尾本人がいなくてはならない
からですね。文部大臣であれば内奏の関係でその場にいたということも可能性
としてありえますが、藤尾氏は既に辞任してますからね。また、=以下が
藤尾氏の発言箇所だとするなら、「奥野は藤尾と違うと思うが」と本人が発言
するというのは考えづらいですよ。ですから藤尾氏の発言である可能性は排除
してよいと私は考えますね。可能性はゼロではないにしても、限りなくゼロに
近いでしょうから。
-
>>835
>その根拠が実例ではなくて、「お人柄」で「そうされるだろう」
>では根拠の無い仮定の積み重ねと言わざるを得ないのではないでしょうか?
というか、それを言えば「天皇陛下は参拝という言葉を使うはずが無い」
というのも同じことになりますよ。私的な発言ならば「行く」と答える
はずだというのも同様です。私としては陛下が「参拝する」と使うのも
「行く」と使うのも、可能性としては等価だと思いますね。どちらも
不自然ではないですから。しかし、陛下が靖国神社の英霊に対して尊崇
の念を持っていたならば、「行く」とするより「参拝する」の方がより
自然であると私としては考えるわけです。
>「備忘録だから富田長官は話し言葉の敬語を外した文を構成した」
>と言われていますが、陛下の発言の時だけ話し言葉を忠実に残すのですか?
>それはチグハグではないでしょうか?
そうは思いませんね。相手が天皇陛下である場合、自分の発言よりも陛下の
ご発言の方が内容的に重いはずです。できるだけ正確に記そうとするのは
当然かと思いますよ。なんと言っても「歴史的な証言」の場に立ち会った
のなら、誰だってそうすると思いますが。
>あの、問題はあくまで【当時】なんですけど・・・
昭和天皇の在位中の話として考えても別に不都合はないと思いますが。
人間宣言をされ、各地をご訪問される過程で、昭和天皇は初めて一般
の国民とふれあった。大きな心境の変化があったでしょうね。戦後は
天皇はじめ側近も「開かれた皇室」を目指して国民との距離を縮めよう
と努力された。そうした中で「行幸」という言葉も公式には使われなく
なったのだろうと思いますね。
>あの、「致す」は【丁寧語】でもあるのですが・・・
「致す」は謙譲語ですよ。「致します」で謙譲語+丁寧語です。
何故に「行く」にも 同じ謙譲語
である参拝を使わないのでしょうか?片方では使ってもう片方では使わない?
>何故に「行く」にも同じ謙譲語である参拝を使わないのでしょうか?
>片方では使ってもう片方では使わない?
>上田さんの言われる通りならそれこそ最初から使うはずでしょう?
「行く」に対する謙譲語は「参る」です。より丁寧に「参ります」となる。
「参拝する」は神社に行くことになりますが、実際に富田メモにそう表現
した部分があるのでこういう議論になっているわけですよね。
私の記憶する中でも、また、公式の記録をいくつか調べてみても、昭和
天皇が直接的に靖国神社に関して発言した記録自体ほとんどないですね。
ただ、侍従長を務めていた入江相政氏の日記の中に「靖国神社の松平君
が『(皇太子さまが)御成年におなりになったのだから靖国神社に御参拝
になるべきだ』と言ってきた由。『そんなのほっとけば』といふ」という
部分がありますから、参拝と表現する場合もさほど珍しくなかったのだろう
と思います。
富田メモだけでなく、入江相政日記や徳川侍従長の回顧録とかからは皇室
と松平宮司との関係が極めて険悪であったことがうかがわれますね。私は
昭和天皇の参拝中断は合祀したこともさることながら、合祀した松平宮司
との関係悪化が大きな要因だったと考えています。
-
>>836
>私の印象ではなくて、現に、実際に前のページの(1)とかに対しては
>上から下にされているでしょう?
メモを書くときに下から上に向かって書く人はまずいませんからね。上から
下とか下から上とかにこだわる理由が私にはよくわからないと言うことです。
私は素直に話された内容の順に記録されていると考えてますけれども。
>素直に捉えたら「=」以下が 奥野文相の発言 になりますよ。
なんでですかね。それだと奥野国土庁長官がその場にいたという根拠が
必要になりますよ。素直に考えるなら、奥野氏自身が「奥野は藤尾とは
違うと思うが」と語るのはやはり不自然ですよ。奥野でも藤尾でもない
と考えるのが適切かと思いますが。
もう一度メモの最初から考えてみるとどうでしょうね。奥野発言に関わる
部分が出てきたのは記者会見で陛下が述べた「嫌だ」という言葉を説明
するにあたって「引っ掛けて言った積もりである」という部分からです。
一貫して記者会見の内容に関連して靖国神社のことについても述べられた
と考えるのが自然ですよ。
よくわからないのですが、どうして「場面転換」にこだわるのですか。
4.28のメモは富田長官が陛下に言上した際に交わされた会話の記録ですが
「場面転換」を読み手に意識させる必要があるとは思えません。小説の
類とは違いますからね。
-
>>837
>例えば、日記の前のページを見ると「Pressの会見」という形で
>場所説明をしています。そう言った説明が特に無くて何の脈絡も無く
>いきなり陛下の言葉ではおかしいのではないでしょうか?
4.28のメモで最初に公開されたのは4ページの部分でしたね。その前の部分
についても日経で公開されましたが、1ページ目はまず富田長官による
報告から始まっています。その1ページ目の冒頭には63.4.28 1117-115(吹上
と書かれており、日時・場所はここで明らかにされています。
「Pressの会見」部分はあくまでも会話の内容を整理する上でつけた
「見出し」のようなものと考えて差し支えないのではないでしょうか。
>別に陛下以外の人間が言ってもおかしくないでしょう
吹上御所での言上中のことですから、最も可能性が高いのはやはり昭和
天皇ですよ。むしろ昭和天皇以外の発言として考えると、かなり地位が
上の人物、少なくとも富田長官よりも立場が上の人物が同席していた
という推測しかできません。その人物を特定できない以上、現段階では
昭和天皇自身の発言と考えるのが合理的です。
>これは論理的におかしいですよ
>昭和天皇の発言かを検証している時に、その検証の元ネタがこうだからこの
>検証の元ネタは正しいと言うのは。
検証の元ネタがそもそも富田メモですよね。元ネタである富田メモ自体を
捏造と決め付けてしまったら、これまでの議論は何の意味ももちません。
それに、私は富田メモだけを検証の対象にしているわけではないですからね。
Aを正しいか否かと判断するには、他の周辺資料も考慮するのは当然です。
また、昭和天皇の参拝中断がA級戦犯合祀がきっかけだったというのは
何も富田メモが初めてではないですからね。入江相政日記や徳川侍従長
の回顧録などで間接的に明らかにはなっていたことでしたから、私とし
ては「やっぱりそうだったか」という印象でしかないんですよ。
ところで、私に対して富田メモにおける昭和天皇の発言が真正であること
の証明を求めるのでしたら、大神さんはそうではないことの証明を何に
よって行おうとするのでしょうか。否定に足る他の資料や証言の提示が
あれば私としても議論しやすいのですけれども。
-
>上田さん
>>839
>メモをとるのに「こうでなければならない」という規則もないと思いますから、
>基本的にはどう書こうが富田長官が自由に判断することだろうと思いますよ。
はい。で、その富田氏は
自分の言葉にきちんと敬語表現を
入れるという自由を選択
されています。それを尊重して解釈していくことにしていくより仕方ないですね。
上田さんは「自由」という言葉や、「○○されたとしてもおかしくない」という
のを実例という根拠ではなく、
あくまで可能性
で言われていますが、それですと
全ての可能性が言える
上に、しかも結果的に相殺されてしまいます。
で、私の場合は
・敬語表現(申す)を前のページで入れている
・公式に参拝という言葉を使っていない
という 実例を踏まえて言っている
ので、その点は失礼ながら「
上田さんの可能性とは違うのではないかな〜」
と愚考する次第です。
で、
>自分の発言と陛下の発言とをごっちゃに書いたら誤解のモトですから、何らか
>の表記上の区別はあってしかるべきだし、それが富田長官の場合は「=」で区別
>したんでしょう。
これが、やはり失礼ながら仕古利人さんの言われるように上田さんの「結論ありき」
ではないでしょうか。「=」という表現は他と区別するというのは分かります。
しかしながら、それが 陛下と自分の言葉を区別する
とまでは残念ながら導き出されません。
言えたとしても、「二人の人間の言葉を区別する」ではないでしょうか。
>私たちはあくまでもメモの「読み手」であって「書き手」ではないですから、
>「読み手」の都合で判断するより、「書き手」の側に立って考えたなら、
>富田メモの内容ももっと理解しやすくなると思いますよ。
はい、 「私たちは読み手であって書き手ではありません」
ですから実際に書かれていることから判断するしかないです。
それを「○○したとしておかしくない」を根拠も挙げずに述べられるのは
「自分を書き手と混同されているのではないのかな〜」と思います。
どうも上田さんは
・表記方法に前後に矛盾があってもそれは書く人間の自由
を挙げられていますが、そのように不安定なものですと史料価値として
書いていることの内容の正確性まで疑われてしまいます。
反論をかわすために、メモの正確性まで否定する
ことを言っても仕方ないのではと失礼ながら思ってしまいます。
-
>>839
>意味合いが違うというより、前者は結論であって後者はその根拠ですからね。
>「記者も申しておりました」という発言を富田長官の発言として考えるのは
>不自然ではないでしょう。
「可能性の列挙」と「結論」
は違いますよ。上田さんは私に最初は「結論」を言われましたが、それに対して
私が反論した際には指摘ということで「可能性の列挙」ということになっています。
論理的には残念ながらこれで
「自分の言っていることに前後に矛盾は無い」
というのは間違いでしょう。
>その文頭には「=」がついており、藤尾発言に関連した部分の文頭にも
>「=」がつけられているならば、それを富田氏の発言と推論するのは十分に
>論理的な解釈だと思いますよ。
では、これについては後述します。
>というか、それを言えば「天皇陛下は参拝という言葉を使うはずが無い」
>というのも同じことになりますよ。私的な発言ならば「行く」と答える
>はずだというのも同様です。
>私としては陛下が「参拝する」と使うのも「行く」と使うのも、可能性としては
>等価だと思いますね。どちらも
>不自然ではないですから。しかし、
一般人ですとそれは不自然ではないですが、それはあくまで公的な場合に
おいても参拝という言葉を使うからです。
で、やはりここでも 可能性で言われていますが
この二つの可能性を考えるに際して傾向と実例から考えてみましょう。
一般的に人間は私的な言葉の場合は堅苦しい敬語は外します。
私的な言葉であるのなら「今日は○○神社に行ってきた」と親しい人間に
話しかける場合において、「謙譲語を使わないから不敬だ」とは私的な
言葉では言いません。
また、陛下の場合は形式的には謙譲語を使わないのですから、謙譲語を
使わないからと不敬とはなりません。
言語空間が我々一般人とは違うのですから
そしてもし、敬意を表して謙譲語を使うのであれば公式の言葉にも使われるはずでは
ないでしょうか?
後ろの方で上田さんは「戦後は人間天皇として国民に触れ合って・・・」
と言われていますが、それなら尚更公式の時にこそ率先して謙譲語を使われる
はずでしょう。それがなくて、
「私的な時には使う」
では、失礼ながらご都合主義的な印象を拭えませんよ。
>陛下が靖国神社の英霊に対して尊崇の念を持っていたならば、「行く」とするより「参拝する」の方がより
>自然であると私としては考えるわけです。
ですが、これは 実際に公式に使っていない
ということの実例から否定されます。
-
>上田さん
>>840
>>>最近は「ご訪問」とか「ご視察」という
>>>使い方をしているようです。侍従などの側近など皇室内ではまだ使っている
>>>でしょうけど。
>>あの、問題はあくまで 【当時】 なんですけど・・・
に対して
>昭和天皇の在位中の話として考えても別に不都合はないと思いますが。
とありますが、
昭和天皇が御在位されていたのは
最近の話ではないでしょう?
>「致す」は謙譲語ですよ。「致します」で謙譲語+丁寧語です。
「致す」は「する」の謙譲語と丁寧語の両方がありますよ
>私の記憶する中でも、また、公式の記録をいくつか調べてみても、昭和
>天皇が直接的に靖国神社に関して発言した記録自体ほとんどないですね。
>ただ、侍従長を務めていた入江相政氏の日記の中に「靖国神社の松平君
>が『(皇太子さまが)御成年におなりになったのだから靖国神社に御参拝
>になるべきだ』と言ってきた由。『そんなのほっとけば』といふ」という
>部分がありますから、参拝と表現する場合もさほど珍しくなかったのだろう
>と思います。
敬語で天皇と皇太子は違いますよ
行幸は「皇后と皇太子」と「天皇」の両方を対象とした言葉ですか?
更にご参拝としたのは松平宮司の言葉で、しかも「言ってきた由」としているところを
見ると直聞きではなくて又聞きの方に思えますね。直聞きなら「と言った」
になるので。また、
>『(皇太子さまが)御成年におなりになったのだから靖国神社に御参拝になるべきだ』
とありますが「なるべきだ」とは乱暴な言葉ですね。
言葉をそのまま書き写したのなら「なされては」という言葉を使いますね。
また、松平宮司は来てもらう方なので
最低でも「お越し戴く」
となるべきでしょう。以上より、この言葉は第三者からの又聞きですね。
敬語表現がバラバラなのであまり参考にはなりません。
-
>>841
>もう一度メモの最初から考えてみるとどうでしょうね。奥野発言に関わる
>部分が出てきたのは記者会見で陛下が述べた「嫌だ」という言葉を説明
>するにあたって「引っ掛けて言った積もりである」という部分からです。
>一貫して記者会見の内容に関連して靖国神社のことについても述べられた
>と考えるのが自然ですよ。
それでしたら、藤尾氏の発言が出る必要はないですよね。プレスでのその場の
発言ではないですし、前の言葉とも関係ないですから。追加で入れるなら、
上田さんの言われる陛下の言葉の後に入れればいいですね。流れを切る必要は
ないわけで。
が、このように流れを切るような不自然な流れではない可能性としては、
「前にもあったが・・・それが私の心だ」までが
ひと繋がり(「・関連質問 関係者もおり・・・」まで)
なら矛盾しないのではないですか?
>よくわからないのですが、どうして「場面転換」にこだわるのですか。
>4.28のメモは富田長官が陛下に言上した際に交わされた会話の記録ですが
>「場面転換」を読み手に意識させる必要があるとは思えません。小説の
>類とは違いますからね。
でも現実に「外務省」とか「プレス」とか「どこの場所での話」か書いて
いますよね。読み手を意識していないくても書いていますよ。
-
>上田さん
>>841
>メモを書くときに下から上に向かって書く人はまずいませんからね。
はい、そうですね。ですから藤尾氏の発言ときたら
その発言内容はその後に書かれていますね。
と、この時点でもう終わりなのですが、
>上から下とか下から上とかにこだわる理由が私にはよくわからないと言うことです。
>私は素直に話された内容の順に記録されていると考えてますけれども。
とされているのが最初の行と矛盾されていますね。しかも
「普通はしない(=上田さんも認めている)」
という指摘を 「どっちにこだわる理由がよく分からない」
とされていますが、「普通はしない=おかしい」と言うのは決定的なことですよ。
>なんでですかね。それだと奥野国土庁長官がその場にいたという根拠が
>必要になりますよ。素直に考えるなら、奥野氏自身が「奥野は藤尾とは
>違うと思うが」と語るのはやはり不自然ですよ。
あのう、素直に考えると 「藤尾(文相)」の発言
とあるなら奥野氏ではなくて、藤尾氏ではないでしょうか(笑)?
で、前のプレスからいきなり藤尾氏が出ているのですが
これはプレスとは別の話でしょう
プレスに藤尾氏がしゃしゃり出てきたのでなければ(勿論、しゃしゃり
出るわけありませんね)。
状況的に考えてその場に居たという根拠が必要どころか、これは藤尾氏
と富田氏の時の話の時ですね(違うところの話)。
>奥野でも藤尾でもない
>と考えるのが適切かと思いますが。
で、上田さんは「=」が富田氏の言葉と言われているわけですね。藤尾氏が
と発言しているのはこの言葉だけなので、「私は」以下は富田氏とは違う
人の言葉なので問題ではありませんね。前に前述していますが。
「・・・」
―○○○
「・・・」
という説明をしましたが覚えていますか?
-
>上田さん
前後しますが
>>840
>「備忘録だから富田長官は話し言葉の敬語を外した文を構成した」
>と言われていますが、陛下の発言の時だけ話し言葉を忠実に残すのですか?
>それはチグハグではないでしょうか?
>そうは思いませんね。相手が天皇陛下である場合、自分の発言よりも陛下の
>ご発言の方が内容的に重いはずです。できるだけ正確に記そうとするのは
>当然かと思いますよ。なんと言っても「歴史的な証言」の場に立ち会った
>のなら、誰だってそうすると思いますが。
歴史的な証言と認識しているなら
陛下に対して敬語の無いタメ口
ではおかしいですよ(笑)。自分の言葉は関連した言葉なので敬語をそのまま残すはずでしょう?
それとも陛下に対して敬語の無い言葉遣いだったのでしょうか?
それを考えると お互い敬語の要らない者同士の会話
と考えるのが合理的ですね。
>4.28のメモで最初に公開されたのは4ページの部分でしたね。その前の部分
>についても日経で公開されましたが、1ページ目はまず富田長官による
>報告から始まっています。その1ページ目の冒頭には63.4.28 1117-115(吹上
>と書かれており、日時・場所はここで明らかにされています。
>「Pressの会見」部分はあくまでも会話の内容を整理する上でつけた
>「見出し」のようなものと考えて差し支えないのではないでしょうか。
それは分かりますが(と言うよりも、「このように見出しがある」と言っている
のは私は前から言っていますが)、だから
何故に何の脈略も無く陛下の言葉が入るんですか?
藤尾氏(文相)の発言から後には特に何も注意書き(陛下の言葉とか)書かれて
いないのですから。
>吹上御所での言上中のことですから、最も可能性が高いのはやはり昭和
>天皇ですよ。むしろ昭和天皇以外の発言として考えると、かなり地位が
>上の人物、少なくとも富田長官よりも立場が上の人物が同席していた
>という推測しかできません。その人物を特定できない以上、現段階では
>昭和天皇自身の発言と考えるのが合理的です。
残念ながら
吹上御所のプレスの時の話ではないですね
藤尾氏(文相)がその場でしゃしゃり出たのではないですから。
また、問題の言葉はその時の会見で出た言葉ではありません。
今回が史上初なのでしょう?
それとも、陛下が言われた言葉をプレスが無視したのでしょうか?
それとも、陛下は富田氏を呼んで耳打ちをされたのでしょうか?
ですから、 その場に居た時の発言ではありません。
それは「藤尾氏の言葉」というのが存在することより明らかですね。
別の時の言葉です。
また、前述ですが位の高い人に対してタメ口を使いません。
大体、そもそも何故に 位の高い人間の言葉
となるのでしょうか?別に位が高くなくていいですよ。
合理的に考えれば「=」を富田氏の言葉とすれば、
同レベル同士の会話
と考えるのが合理的でしょう。
-
>上田さん
あと、出来ましたら
次はこれ(>>838)に対する回答を
先ず最初にお願いします
[838 名前: 大神 投稿日: 2006/09/02(土) 05:15:51
>上田さん
ところで、前にも書きましたが、
日経以外の他紙は物理的に検証不可能
(※一緒に検証して日経に抜け駆けを許したというなら別)
というのにはご同意頂けたのでしょうか?
もし、 「そうではない」
と言うのならその根拠を教えて頂けないでしょうか? ]
と書きましたが、もし上田さんが書かれていたのを見落としていたのなら
申し訳ないので・・。
-
>上田さん
あと、出来ましたら
次はこれ(>>838)に対する回答を
先ず最初にお願いします
[838 名前: 大神 投稿日: 2006/09/02(土) 05:15:51
>上田さん
ところで、前にも書きましたが、
日経以外の他紙は物理的に検証不可能
(※一緒に検証して日経に抜け駆けを許したというなら別)
というのにはご同意頂けたのでしょうか?
もし、 「そうではない」
と言うのならその根拠を教えて頂けないでしょうか? ]
と書きましたが、もし上田さんが書かれていたのを見落としていたのなら
申し訳ないので・・。
-
済みません、二重投稿になりました(汗)。
勿論ご回答は一回だけで構いませんので宜しくお願いします。
-
あと
>>842
>検証の元ネタがそもそも富田メモですよね。元ネタである富田メモ自体を
>捏造と決め付けてしまったら、これまでの議論は何の意味ももちません。
私は何も「日経の捏造」とは言っていませんよ。
「上田さんの論理が間違えている」
と言っているのですよ。
>>833
>昭和天皇の信任厚い側近だった人物の子である松平宮司が、
>筑波宮司が止めていたA級戦犯合祀を早速にやってしまったことに対する
>不信の念がここに感じ取れますね。
「Aということの根拠がA」
は、「論理的におかしい」と。
登山に例えて言えば
命綱の両端を腰に巻いたら命綱にならないでしょう(笑)?
>それに、私は富田メモだけを検証の対象にしているわけではないですからね。
>Aを正しいか否かと判断するには、他の周辺資料も考慮するのは当然です。
当然ですが、>>833を見ると、上田さんはAが正しいと言うのを富田メモに
持ってきて、そしてその富田メモの正しさを富田メモに求めると言う論理的な
誤りをおかしていますよ。
>また、昭和天皇の参拝中断がA級戦犯合祀がきっかけだったというのは
>何も富田メモが初めてではないですからね。入江相政日記や徳川侍従長
>の回顧録などで間接的に明らかにはなっていたことでしたから、私とし
>ては「やっぱりそうだったか」という印象でしかないんですよ。
で、その徳川氏の長男が「父の言葉と同じだ」と言っているのが
富田メモなわけですよね?
>ところで、私に対して富田メモにおける昭和天皇の発言が真正であること
>の証明を求めるのでしたら、大神さんはそうではないことの証明を何に
>よって行おうとするのでしょうか。否定に足る他の資料や証言の提示が
>あれば私としても議論しやすいのですけれども。
何か勘違いされているようですが、
メモの真偽を論ずる以前に
メモに書かれている
・藤尾(文相)発言
・=を富田氏と仮定した場合に、富田氏のタメ口ぶり
・参拝などの言葉の表現
のこれらで陛下の言葉ではないと言えますよ。
特に、富田氏のメモは問題の文以外を見ると基本的に「要点書き」です。
が、何故か問題の言葉だけは「要点書き」ではなくてはっきりと書かれています。
「=」の言葉が問題の言葉に対応しているなら、上田さんの言われるような
「敬語を除いてあえて書いてみた」というのはおかしいでしょう。
「要点書き」の場合ですら普通に「申す」と敬語を入れているくらいですから。
このように 真偽以前の問題なのですよ
更に上田さんは、陛下の言葉と言うのを「昭和天皇の過去の言葉から・・」
という書き方をされていますが、失礼ながら
上田さんの論法だと
「A級戦犯のために靖国神社に参拝していない」
という言葉は
「全部陛下の言葉」
になりますよ?
他の人も言われていますが、それが上田さんの「先ず結論ありき」で問題だと
思います。
主語が不明な言葉で、直前に別の人の言葉(藤尾氏)が出ているので、
「陛下の言葉と名札が付いていない(※藤尾氏の場合は付いている)」
ということなので、これを「陛下の言葉だ」とは言えないでしょう。
で、周りの文の繋がりを見ると陛下の言葉ではないということですよ。
-
>>852
ついでに、真偽ですが、ブルーボールペンの劣化、紙の劣化はよく言われて
いますが(このために「日経は捏造している」と言われているのですが)、
前に上田さんに筆跡鑑定という形でこのように真偽の話をした場合、
上田さんは 「私には分かりません」
で回答を避けていましたよね?このように私が真偽論を述べた時には正面から
それに答えずに回答をしないでおいて、「真偽を問題にするならその根拠を出せ」
とさも私に
「根拠も無く捏造とでっち上げ」
と言うように>>842で、私に真偽の話を尋ねるのは「どうなのかな〜」と思います
が
如何でしょうか?
それとも上田さんが言う真偽が物理的な真偽ではなくて、発言を富田氏が
捏造と言う意味で言われているのなら、そもそも私は
「富田氏がでっち上げた」
とは言っていませんよ。私が言っているのはただ単に
「この言葉の主語は陛下だと齟齬が沢山ありますね(=よって陛下の言葉ではありませんね)」
と言っているだけですよ。
-
>>843
>・敬語表現(申す)を前のページで入れている
これだけでは=以下の部分が富田長官の発言ではないという根拠にはなり
えないですよ。敬語表現があるかないかだけでは判断できませんからね。
富田長官でなければ誰なのか、ということについて考えるなら、昭和天皇
を除外して考えるべきではないでしょう。それは同意できますか?
>・公式に参拝という言葉を使っていない
公式の発言だけが昭和天皇の発言全てではないという点にもご同意いただけ
ますか?そもそも富田メモは言上という公式には公開されない場での会話の
記録ですから、公式発言と比較して解釈するというのは現実的ではないの
ではないかと思うんですが、これについてはいかがですか?
>言えたとしても、「二人の人間の言葉を区別する」ではないでしょうか。
基本的に大神さんも昭和天皇の発言である可能性自体は否定されていない
のだろうと思いますが、その認識でよろしいでしょうか。「二人の言葉」
のうち一人が昭和天皇である可能性も含んでいると考えてよろしいですか?
>・表記方法に前後に矛盾があってもそれは書く人間の自由
>を挙げられていますが、そのように不安定なものですと史料価値として
>書いていることの内容の正確性まで疑われてしまいます。
メモや日記の表記方法にはそれを書いた当人の「癖」が反映されるのは
当然のことだと思います。それを「一般的な表記方法」から考察しても
無意味ではないかと私は考えるんですよね。書いた当人にとっては自明の
事柄でも読み手にとってそうであるとは限らない。直接天皇陛下と会話
した経験がないわけですからなおさらですよ。
私たちは富田メモの実物を検分したわけでもありませんから、立場的には
同じ位置におります。つまり推論を根拠としてしか議論できないという
ことです。その場合「確からしさ」の度合いでもってしか判断できない。
この点に関してはご同意願えますか?
いくつか同意点についてお聞きしましたが、議論するにあたっては
最低限互いの論点を共有する上で必要だと思うからです。それがないと
いつまでも議論がかみ合いませんので。
-
>>844
>上田さんは私に最初は「結論」を言われましたが、それに対して私が反論
>した際には指摘ということで「可能性の列挙」ということになっています。
私が「昭和天皇の発言である」としているのは、あくまでもそれが最も
可能性が高いからですよ。可能性の列挙とおっしゃいますが、当然ながら
私たちの議論は推論に基づく可能性の高さを比較検討するぐらいしかでき
ないわけですからね。4.28のメモの「私」が誰なのかという点について
可能性の程度で比較すると 昭和天皇>徳川参与>藤尾元文相>それ以外
という比較になるだろうと思います。誰が最も可能性が高いか、という
観点でしか私は結論が出せませんし、これは一貫してそうですよ。
>一般的に人間は私的な言葉の場合は堅苦しい敬語は外します。
>私的な言葉であるのなら「今日は○○神社に行ってきた」と親しい人間に
>話しかける場合において、「謙譲語を使わないから不敬だ」とは私的な
>言葉では言いません。
大神さん、それは一般化ではなくて単純化ではないかと思いますよ。私的
な間柄とは言え、年齢の差や地位の差というのがありますからね。敬語
表現はもちろんTPOによりますが、それは形式上どうかというより、心の
作用だと思いますね。むしろ私的な関係におかれた場合こそ相手を敬う
とかいたわる心が大切になってくるものだと思います。
>また、陛下の場合は形式的には謙譲語を使わないのですから、謙譲語を
>使わないからと不敬とはなりません。
不敬か不敬でないかが問題なのではありませんよ。公式においても
実際に陛下は謙譲語を使ってますからね。だからと言って私は普段
でも謙譲語を使うのだから「参拝」という言葉も使っているはずだ
とは申しません。少なくとも陛下の実際の言葉として使っている
記録については富田メモ以外に知りませんからね。
ところで大神さんは私が指摘した「致す」という表現は謙譲語と丁寧語の
両方あるとおっしゃいましたが、それは「致します」がそれにあたり
ます。「致す」とのみ表現するならそれは謙譲語ですよ。漢語辞典で一度
調べていただくとわかるかと思いますが、「致す」は「する」の謙譲語
です。
>実際に公式に使っていないということの実例から否定されます。
それでは「否定のための否定」ですよ。参拝という言葉を使う可能性
をゼロとすることはできないはずです。公式に使っていないというのは
否定のための理由付けとしては薄弱すぎますからね。
-
>上田さん
>>854
>>・敬語表現(申す)を前のページで入れている
>これだけでは=以下の部分が富田長官の発言ではないという根拠にはなり
>えないですよ。敬語表現があるかないかだけでは判断できませんからね。
誰もそんなことは言っていませんよ
「敬語があるから富田氏ではない」
なんて。私が言っているのは
「同じ人間なら片方で敬語を使っていて、別のところで敬語を使わないのはおかしい」
と言っているのですよ。pressの「要点書き」のようなところで「申す」と敬語を
入れて、
「しっかり書いているもう片方の方で敬語を書かない」
のは アベコベでしょう?
よって、=の話し相手は 敬語の要らない相手
だろうと言う至極当然なことですよ。
>富田長官でなければ誰なのか、ということについて考えるなら、昭和天皇
>を除外して考えるべきではないでしょう。それは同意できますか?
何故に除外できないのでしょうか?
>公式の発言だけが昭和天皇の発言全てではないという点にもご同意いただけ
>ますか?
でもそれが 謙譲語を使う理由にはなりません
>そもそも富田メモは言上という公式には公開されない場での会話の
>記録ですから、公式発言と比較して解釈するというのは現実的ではないの
>ではないかと思うんですが、これについてはいかがですか?
はい、これについては、上田さんの論拠である
「陛下は英霊に敬意を表して」
を否定しうる十分な根拠になります。その結果、上田さんは論拠が崩れた
ことになるのですが如何でしょうか?
更に、私と上田さんの議論とは関係なく、私的な言葉では「行く」で十分な
わけですし、実際に自分が普段使わない謙譲語を使うのは言語の頻度の可能性から
考えると、
「行く」と「参拝」は可能性は等価ではないですね
>基本的に大神さんも昭和天皇の発言である可能性自体は否定されていない
>のだろうと思いますが、その認識でよろしいでしょうか。「二人の言葉」
>のうち一人が昭和天皇である可能性も含んでいると考えてよろしいですか?
いいえ。違います。
私の書き込みを見ればお分かりになると思いますが、「藤尾氏」、「藤尾氏と富田氏」
と言うことで
陛下の言葉ではない
となっていますよ。
>メモや日記の表記方法にはそれを書いた当人の「癖」が反映されるのは
>当然のことだと思います。それを「一般的な表記方法」から考察しても
>無意味ではないかと私は考えるんですよね。書いた当人にとっては自明の
>事柄でも読み手にとってそうであるとは限らない。直接天皇陛下と会話
>した経験がないわけですからなおさらですよ。
>私たちは富田メモの実物を検分したわけでもありませんから、立場的には
>同じ位置におります。つまり推論を根拠としてしか議論できないという
>ことです。その場合「確からしさ」の度合いでもってしか判断できない。
>この点に関してはご同意願えますか?
「確からしさの根拠」を、
・私は実例
・上田さんは 「矛盾があっても書き手の自由」
でされているのには御同意頂けますか?
そして、実際に「実例」と「書き手の自由=〜あるかも知れない論(※単なる
可能性は相殺されます。根拠が必要です)」だと、
「実例」の方が「矛盾があっても書き手の自由論」よりも
確からしい
というのには 御同意頂けますか?
-
>>855
>私が「昭和天皇の発言である」としているのは、あくまでもそれが最も
>可能性が高いからですよ。可能性の列挙とおっしゃいますが、当然ながら
>私たちの議論は推論に基づく可能性の高さを比較検討するぐらいしかでき
>ないわけですからね。4.28のメモの「私」が誰なのかという点について
>可能性の程度で比較すると 昭和天皇>徳川参与>藤尾元文相>それ以外
>という比較になるだろうと思います。誰が最も可能性が高いか、という
>観点でしか私は結論が出せませんし、これは一貫してそうですよ。
むしろ陛下以外の方が
・敬語
・藤尾氏が出てくるというpressの場所から場面転換
の齟齬の問題が解決できますよ?
可能性、確からしさでは 「齟齬」が少ない方が
可能性は高いのではないでしょうか?
>大神さん、それは一般化ではなくて単純化ではないかと思いますよ。私的
>な間柄とは言え、年齢の差や地位の差というのがありますからね。
年齢の差、地位の差なら
尚のこと陛下が謙譲語を使わない方が合理的でしょう?
>敬語表現はもちろんTPOによりますが、それは形式上どうかというより、心の
>作用だと思いますね。むしろ私的な関係におかれた場合こそ相手を敬う
>とかいたわる心が大切になってくるものだと思います。
心のいたわり来るのなら
尚のこと 公式の場でも率先してしているはずでしょう?
と言うよりも、上田さんは
「謙譲語を使わないのなら陛下は国民に触れ合っていない、英霊の
ことを大事にしていない」と暗に聞こえるのは気のせいでしょうか?
「英霊を大事に思う」→「だから謙譲語を使う」
にはならないでしゅう。心の問題なら、尚のこと上田さんのように謙譲語に拘る方が
形式に拘っていませんか?
>少なくとも陛下の実際の言葉として使っている記録については富田メモ以外に知りませんからね。
上田さんは富田メモ以外は知らないのですか?
>ところで大神さんは私が指摘した「致す」という表現は謙譲語と丁寧語の
>両方あるとおっしゃいましたが、それは「致します」がそれにあたり
>ます。「致す」とのみ表現するならそれは謙譲語ですよ。漢語辞典で一度
>調べていただくとわかるかと思いますが、「致す」は「する」の謙譲語
>です。
googleで「致す 丁寧語」で検索してみて下さい。それと「致します」は
「致し+ます」で二つの言葉の合成ですよ。
>それでは「否定のための否定」ですよ。参拝という言葉を使う可能性
>をゼロとすることはできないはずです。公式に使っていないというのは
>否定のための理由付けとしては薄弱すぎますからね。
失礼ながら意味が分かりません
「公式で使っていない」
と言っているだけですが。そして、それを踏まえた上で
「心から敬意を表して謙譲語を使うのなら公式の時にも率先して使う」
と言っているのですが。これが薄弱ではない証拠に、宮内庁関係者も
「参拝」という謙譲語は馴染まないとされているのですから。
失礼ながら「否定のための否定」とか「理由が薄弱」とか、根拠を述べずに
単に言うだけですと、どうしても上滑りの印象を受けます(「私はそう思いました」とかも
そうですが)。
>参拝という言葉を使う可能性をゼロとすることはできないはずです。
実例が無いのならゼロでしょう。論理的に。
特に昭和天皇は既にお隠れになられているので、少なくとも生存している
人間のように「これから使う」という可能性もありません。
あるのは実例だけです。そしてその実例が無い。
-
あと、上田さん>>849も宜しくお願いします。
レスが多いと流れて見落としてしまいがちですが。
-
>>845
>昭和天皇が御在位されていたのは
>最近の話ではないでしょう?
今上天皇に対してであっても、報道における表記上の取り扱いはさほど
変わらないと思いますけどね。宮内庁の発表資料等では依然として行幸・
行幸啓という言葉を使用しています。
>行幸は「皇后と皇太子」と「天皇」の両方を対象とした言葉ですか?
行幸については、天皇陛下のみの場合に使います。皇后・皇太子の場合は
「行啓」となります。天皇皇后両陛下の場合「行幸啓」です。しかし通常
神社等への参拝に「行幸」は使いませんよ。
ちなみに、天皇陛下の参拝は「御親拝」、皇太子の場合は「御参拝」です。
天皇陛下にしても皇太子であった時代も当然あるので、「参拝」という言葉
については特に違和感なく使っていたと考えられます。ついでに、伊勢神宮
に行く場合には「御親謁」ですね。
-
>>846
>それでしたら、藤尾氏の発言が出る必要はないですよね。プレスでのその場の
>発言ではないですし、前の言葉とも関係ないですから。
藤尾発言に言及する必要があったのかと言うと、それについて述べられた
のは昭和天皇でしょうからね。奥野発言に絡んで「前にもあったね」と回想
されたわけでしょう。それに対して富田長官が「奥野と藤尾は違うと思うが」
と自身の考えを言上したとすればつじつまは合う気がしますね。それを受けて
更に「私は或るとき…」と昭和天皇の参拝中断に関する発言につながっていく
と私は受け止めました。
基本的に4.28の富田メモは1ページから4ページまで一続きとして理解した
方が無理がないと思ってますが。言上の最中に話し手が複数入れ替わる
というのは逆に考えづらいですしね。
>でも現実に「外務省」とか「プレス」とか「どこの場所での話」か書いて
>いますよね。読み手を意識していないくても書いていますよ。
メモというのは記憶が混乱しないように整理するためですからね。
それは別に「場面転換」を意味しないと思いますが。書き手である
富田長官自身にとって意味があればいいわけで。
-
>>859
>上田さん
>今上天皇に対してであっても、報道における表記上の取り扱いはさほど
>変わらないと思いますけどね。宮内庁の発表資料等では依然として行幸・
>行幸啓という言葉を使用しています。
「思いますけどね」では
単なる当て推量
なので困ります・・。
取り合えず、上田さんの言う最近は88年ではないのは分かりました。
行幸については、天皇陛下のみの場合に使います。皇后・皇太子の場合は
「行啓」となります。天皇皇后両陛下の場合「行幸啓」です。しかし通常
神社等への参拝に「行幸」は使いませんよ。
>ちなみに、天皇陛下の参拝は「御親拝」、皇太子の場合は「御参拝」です。
はい、ですから私が陛下は参拝という言葉を使わないということに、
対して木戸日記を持ってこられて、「使う」と示されたのは間違いだと
言うことに御同意頂けたと思います。
>天皇陛下にしても皇太子であった時代も当然あるので、「参拝」という言葉
>については特に違和感なく使っていたと考えられます。
昭和天皇が皇太子のときは1925年
なので 時代的に見て違和感がありますね
それとも上田さんは
終戦20年前の皇室
で
敬語を正しく使わなかった
とお考えなのでしょうか?
>ついでに、伊勢神宮に行く場合には「御親謁」ですね。
これはgoogleで得られた知識でしょうか。実は私もそのページを見まして(笑)
それにしてもgoogleは本当に役に立ちますね。
-
>>860
>藤尾発言に言及する必要があったのかと言うと、それについて述べられた
>のは昭和天皇でしょうからね。
「藤尾氏(文相)発言」
であって、奥野氏の言葉ではないですよ。どうも上田さんは藤尾氏と奥野氏
を混同しているような気がしますが。
>奥野発言に絡んで「前にもあったね」と回想
>されたわけでしょう。それに対して富田長官が「奥野と藤尾は違うと思うが」
>と自身の考えを言上したとすればつじつまは合う気がしますね。それを受けて
>更に「私は或るとき…」と昭和天皇の参拝中断に関する発言につながっていく
>と私は受け止めました
あれ、上田さんは 「=」は富田氏の言葉
だったのではないのですか?
>基本的に4.28の富田メモは1ページから4ページまで一続きとして理解した
>方が無理がないと思ってますが。言上の最中に話し手が複数入れ替わる
>というのは逆に考えづらいですしね。
そうすると、 藤尾氏はそのpressに居たのですか?
そっちの方が無理がありますよ。4.28の日付は何もpress用ではないでしょう。
4月28日は単に日付ですから、別件で書いても日付が同じというのは普通に
ありますよ。上田さんは業務連絡簿とか書いたことがありませんか?
>メモというのは記憶が混乱しないように整理するためですからね。
>それは別に「場面転換」を意味しないと思いますが。書き手である
>富田長官自身にとって意味があればいいわけで。
ですから、 その記憶の混同をしないため
ついでに
>>860
>しかし通常神社等への参拝に「行幸」は使いませんよ。
>ちなみに、天皇陛下の参拝は「御親拝」、皇太子の場合は「御参拝」です。
と、ありますが一般人やマスコミ等の間違った敬語は別として
>宮内庁の発表資料等では依然として行幸・行幸啓という言葉を使用しています。
という形で上田さんも宮内庁はどういう言葉を使われるか御同意頂けました。
で、 その宮内庁
、
しかも20年前の宮内庁
なのでしょう?
ならば参拝という言葉を使わないのは上田さんが挙げられた点からも
御同意頂けると思います。
一般人が業界用語を間違えるのは分かりますが、業界人が業界用語を間違え
とは奇異に感じるのが普通でしょう。
-
>>847
>ですから藤尾氏の発言ときたら
>その発言内容はその後に書かれていますね。
そこがたぶん私との認識の違いなんですよ。「藤尾(文相の発言」とあるから
その後の文相は藤尾氏の発言だという理解の仕方を私はしていませんから。
それだと文相を辞任したはずの藤尾氏がその場にいないと成立しません
からね。
>これはプレスとは別の話でしょう
プレス、つまり25日の記者会見に関連してのことですよ。
>あのう、素直に考えると「藤尾(文相)」の発言とあるなら
>奥野氏ではなくて、藤尾氏ではないでしょうか(笑)?
「藤尾(文相)の発言」を部分的に切り取るとそういう解釈もできる
でしょうけれども、藤尾発言については奥野発言に絡んで「前にもあったね」
という回想の中から出てきたことですからね。「前にもあったね〜藤尾(文相)
の発言」と全体として読むとわかりやすいと思いますよ。
藤尾発言を調べてみるとわかりますが、「私は〜」以下の発言と整合しません。
問題になった藤尾発言は歴史教科書問題に関しての発言で、靖国参拝問題とは
違いますからね。
>「・・・」
>―○○○
>「・・・」
>という説明をしましたが覚えていますか?
というか、そもそも富田長官は雑誌の記者とかじゃありませんからね。
記者出身であればその経験を生かしたメモの付け方をするでしょうけど。
あまり参考にはならないのではないですか?
-
>>848
>歴史的な証言と認識しているなら陛下に対して敬語の無いタメ口
>ではおかしいですよ(笑)。
実際の会話ではそうでしょうが、メモに記録する場合は別に問題にはならない
と思いますけどね。陛下に見せて確認をとってるとかそういうわけでもない
でしょうし、個人的な記録ですから。
>何故に何の脈略も無く陛下の言葉が入るんですか?
>藤尾氏(文相)の発言から後には特に何も注意書き(陛下の言葉とか)書かれて
>いないのですから。
脈絡はありますよ。奥野国土庁長官に関連して靖国神社について語ったと
いう脈絡がきちんとありますからね。順番に考察していきましょうか。
戦争の感想を問われ
嫌な気持を表現したが
それは後で云いたい
そして戦後国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
"嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである
まずここまでは陛下ご自身の発言と見て問題ないと思います。次に
前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言。
これも陛下の発言と見ていいでしょう。(文相)の部分は富田長官が記入した
のだろうと思いますが、藤尾発言の中身についてまでは触れられていません。
「どうしたのだろう」の部分は富田長官にとっては「御下問」にあたります
から「奥野は藤尾と違うと思う」という=以下の内容で答えたと見るのが
私は自然だと感じます。御下問を受けて答えない、というのは考えづらい
ですからね。それから「私は或る時〜」という靖国参拝中断の理由について
述べる部分へと続き、最後に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」まで
が記者会見に関連して陛下が述べられた部分ということになります。
富田長官がわざわざ誰の発言かの注意書きをつけなかったのは、それが
富田長官にとって間違えようの無い自明のことだったからでしょう。
>それとも、陛下が言われた言葉をプレスが無視したのでしょうか?
>それとも、陛下は富田氏を呼んで耳打ちをされたのでしょうか?
メモの3ページ目に「pressの会見」とあったからと言って、それが記者会見の
席上での発言記録であるとは限りませんよ。実際に記者会見があったのは25日
で28日ではありません。そのときの会見の内容は29日の天皇誕生日に報道され
ています。これは既に了解済みの事実ではないかと思ってましたが。
>合理的に考えれば「=」を富田氏の言葉とすれば、同レベル同士の会話
>と考えるのが合理的でしょう
既に述べてある通り、それが実際の会話の場合であればですよ。メモ書き
の内容でそこまでの臨場感、精密さを要求する必要があるのか、私には
よくわかりませんけどね。
-
>>849
>あと、出来ましたら次はこれ(>>838)に対する回答を
>先ず最初にお願いします
ありゃ、済みません。順番にコメントを書いてたもので、最初ではなく
最後になっちゃいましたね。
>日経以外の他紙は物理的に検証不可能というのにはご同意頂けたのでしょうか?
現段階で不可能とまでは言えないと思いますけどね。検証したいから日記・手帳
を貸して欲しいと日経に頼むかどうかはあくまで他の新聞社の判断ですから。
日経としては頼まれれば富田氏の遺族に了解を得て判断するでしょう。既に報道
された以上、隠し立てする必要もないでしょうし。それに、日記や手帳の所有権
そのものは依然として富田氏のご遺族にあると思いますからね。
-
>>852
>当然ですが、>>833を見ると、上田さんはAが正しいと言うのを富田メモに
>持ってきて、そしてその富田メモの正しさを富田メモに求めると言う論理的な
>誤りをおかしていますよ。
私は既に入江相政日記や徳川侍従長の回顧録も含めての検証だということを
述べていたはずですよ。富田メモが正しいかどうかは周辺資料の検討も必要だ
と述べているはずです。
>・藤尾(文相)発言
>・=を富田氏と仮定した場合に、富田氏のタメ口ぶり
>・参拝などの言葉の表現
>のこれらで陛下の言葉ではないと言えますよ。
それが根拠だとすれば弱すぎるでしょう。それについては私もしつこく(笑)反論
してますから、とりあえず再反論を待つことにしましょう。ついでに昭和天皇
でないとすれば、では誰なのか、推測で構いませんのでおっしゃってください。
>上田さんの論法だと「A級戦犯のために靖国神社に参拝していない」
>という言葉は「全部陛下の言葉」になりますよ?
はい。私は昭和天皇の言葉である可能性が最も高いと認識してますからね。
もちろん別の人物の発言である可能性もあるでしょうが、議論する上では
最も可能性の高い方を考慮するのが合理的だと思ってますからね。
>主語が不明な言葉で、直前に別の人の言葉(藤尾氏)が出ているので、
>「陛下の言葉と名札が付いていない(※藤尾氏の場合は付いている)」
>ということなので、これを「陛下の言葉だ」とは言えないでしょう。
主語が不明だと言うのは読み手にとってそうである、ということで、書き手
にとっては書くまでもない自明のことだったからでしょう。陛下への言上の
際に書かれたメモであることを考慮すれば主語が不明であっても類推する
ことは可能ですからね。
逆に「藤尾の発言」とあるからそれ以下は藤尾氏の発言だ、と考えてしまう
とその根拠が全く不明です。それこそあなたの言うように『「Aということの
根拠がA」は、「論理的におかしい」』ってことになりませんか。藤尾発言
だとするならそれを補強する根拠なり他の資料を提示して考察すべきだと思う
のですけれど。
>周りの文の繋がりを見ると陛下の言葉ではないということですよ。
私は周りの文とのつながりを見るからこそ陛下の言葉だと認識してるん
ですけどね(笑)。
-
>>853
ようやくラストですね。
>前に上田さんに筆跡鑑定という形でこのように真偽の話をした場合、
>上田さんは「私には分かりません」で回答を避けていましたよね?
回答を避けるも何も、私は筆跡鑑定の専門家でも、インクの経年変化
について言及できるほどの知識もありませんから、「わかりません」
としか答えようがないですよ。無理に答えたら嘘になりますし。
まして実物を実際に確認できるわけでもないですからね。
>私が言っているのはただ単に「この言葉の主語は陛下だと齟齬が沢山あり
>ますね(=よって陛下の言葉ではありませんね)」と言っているだけですよ。
齟齬と考えるか齟齬と考えないか、ここを今まで議論したのだと思っており
ますけどね。誰しも自分ひとりの視点だけで判断しようとすれば過ちも多く
なりますから、不特定多数で議論しあうということは、より確かな判断を
得るためには必要なことです。
-
>>861
>はい、ですから私が陛下は参拝という言葉を使わないということに、
>対して木戸日記を持ってこられて、「使う」と示されたのは間違いだと
>言うことに御同意頂けたと思います。
木戸日記ではなくて入江相政日記です。入江侍従長の場合は在任中から皇室
内部の話をエッセイにして出版されたりして、他の侍従長よりも積極的に皇室
情報を提供していた方でした。一度機会があれば読んでみてください。
>昭和天皇が皇太子のときは1925年
>なので時代的に見て違和感がありますね
それは私たちが「公式の場での天皇陛下」をしか知らないからでしょう。
宮中で親しく会話するなんて経験ができるのは本当に限られた人だけ
ですからね。そういう中で陛下自ら「親拝」という言葉を使うかと言うと
疑問です。皇太子時代に使っていた「参拝」をそのまま用いるだろうと
思いますよ。私はこの点に関してあえて疑問を持つ必要を感じてません。
実際に陛下自ら「親拝する」と発言した記録があれば別ですけどね。
-
>>862
>「藤尾氏(文相)発言」
>であって、奥野氏の言葉ではないですよ。どうも上田さんは藤尾氏と奥野氏
>を混同しているような気がしますが。
藤尾発言への言及が出たのは奥野発言に関連して「前にもあったね」と述べた
ことによるものです。既に述べたことですから繰り返しませんが、あとに
続く靖国神社についての発言と、辞任の原因になった藤尾発言とは整合しない
ですよ。一度藤尾発言の内容について調べてみてください。
>そうすると、藤尾氏はそのpressに居たのですか?
根本的な部分で勘違いがあるように思うんですが。記者会見があったのは25日
ですよ。私が考えるところ、藤尾氏がその場に同席し靖国参拝中断の理由を
語るというのは昭和天皇の発言とするよりはるかに信憑性が低いと考えて
いますね。
>ならば参拝という言葉を使わないのは上田さんが挙げられた点からも
>御同意頂けると思います。
行幸・行幸啓は宮内庁発表などでは今でも使いますよ。しかし神社への
参拝の場合には使わないということを何度も申しました。参拝の場合は
天皇陛下の場合は「御親拝」、皇太子の場合は「御参拝」です。これは
一般的な用例ですからね。
-
>>856
済みません。コメントが抜けてました。
>私が言っているのは「同じ人間なら片方で敬語を使っていて、別のところで敬語
>を使わないのはおかしい」と言っているのですよ。pressの「要点書き」のような
>ところで「申す」と敬語を入れて、「しっかり書いているもう片方の方で敬語を書
>かない」のはアベコベでしょう?
どうも私はどうしてそこまでこだわるのかがわからないんですよね。「記者も
申しておりました」というのはそのままで極めて簡潔ですから、そのまま書いた
としても不自然じゃないですよ。長文になるようなら要点だけ記して敬語表現
を省くというのも合理的だと思いますし。陛下に見せて確認するとかなら、もっと
詳細に書き込んだでしょうけれどね。
>何故に除外できないのでしょうか?
手帳ではなく日記の方の4月28日の該当する時間帯に「言上」と書かれている
以上、昭和天皇を会話の相手から除外するのは無理がありますからね。これは
日経新聞の追加記事で明らかにされてますけど。
>でもそれが謙譲語を使う理由にはなりません
謙譲語を使う可能性自体が否定されるわけじゃないでしょう。現に謙譲語も
使用されてますしね。
>「陛下は英霊に敬意を表して」を否定しうる十分な根拠になります。その結果、
>上田さんは論拠が崩れたことになるのですが如何でしょうか
昭和天皇が「英霊に対し経緯を持っていない」ということが常識的に理解
されているとは私には思えませんので、論拠が崩れたとは思いませんね。
公式での発言においても戦没者への慰霊、敬意を欠いているなどという
事実は聞いたことがありませんよ。公式の発言に記録されているものは
そのまま信用して構いませんが、公式発言にないからと言って全否定して
しまうというのは考え方としておかしいと言うことですよ。
>更に、私と上田さんの議論とは関係なく、私的な言葉では「行く」で十分な
>わけですし、実際に自分が普段使わない謙譲語を使うのは言語の頻度の可能性から
>考えると、
どうして「普段使わない」と決め付けてしまうのかが私には理解できないのですよね。
それが言えるのは普段から付き従っている侍従や皇室ご家族にしか言えないことだと
思いますよ。私は可能性として類推するわけですが、それは皇室用語でも皇太子に対して
「御参拝」という言葉を使うという事実に即しているわけです。それとも「絶対に使わない」
という確信があってのことなんですか?
>私の書き込みを見ればお分かりになると思いますが、「藤尾氏」、
>「藤尾氏と富田氏」と言うことで陛下の言葉ではないとなっていますよ。
いや、それだけ確認できれば私としては議論は終わったと言えます。
大神さんはいわゆる「藤尾発言説」の方を確からしいと考えているという
ことですね。それでは私と意見がかみ合わないはずです。
-
>>857
>可能性、確からしさでは「齟齬」が少ない方が
>可能性は高いのではないでしょうか?
残念ながら大神さんが「齟齬だ」と感じていることを、私は「齟齬だ」とは
感じていないんですよね。これはどこまで言っても主観の相違になっちゃいますが。
むしろ藤尾発言説だとすると、ずっと多くの齟齬が出てきますよ。富田長官と藤尾
元文部大臣との会話であったなら日記に書かれた「言上」の意味がわからなくなる
し、4ページ目だけが他のページと関連がないものと考えると、最後にある
「関連質問関係者もおり批判になるの意」がどうしてまた出てくるのかも
わからなくなりますよね。
>年齢の差、地位の差なら尚のこと陛下が謙譲語を使わない方が合理的でしょう?
「参拝」という言葉は靖国神社の英霊に対してへりくだることを意味するので
あって、富田長官にへりくだっているわけではないでしょう。
>「謙譲語を使わないのなら陛下は国民に触れ合っていない、英霊の
>ことを大事にしていない」と暗に聞こえるのは気のせいでしょうか?
気のせいです。そもそも私は「行く」という言葉でも「参拝」という言葉でも、
陛下が使うとすればどちらであっても不自然ではないということですから。
「行く」を使わず「参拝」と使ったとしても、それも不自然ではない。最初
からそう言ってますよ。「参拝」という言葉を使う方がむしろ陛下らしいと
私は思いますからね。
>googleで「致す 丁寧語」で検索してみて下さい。それと「致します」は
>「致し+ます」で二つの言葉の合成ですよ。
ええと。検索してみましたが、私の理解とほぼ同じみたいですよ。それとも
私の確認した大修館書店の「漢語林」が間違ってるんですかね。「致す」を
丁寧語として分類しているケースってどこで知りました?
>と言っているのですが。これが薄弱ではない証拠に、宮内庁関係者も
>「参拝」という謙譲語は馴染まないとされているのですから。
宮内庁関係者ったって、陛下の側仕え以外はまずわからないはずですよ。
その宮内庁にしても皇太子には「御参拝」と使うわけですからね。
>「心から敬意を表して謙譲語を使うのなら公式の時にも率先して使う」
とは言っても天皇陛下が靖国神社それ自体について公式に発言した記録
がほとんどないですからね。「参拝」を使った公式の記録もなければ
自ら「親拝」を使った記録もなく、ましてや「行く」と述べた記録も
ありません。要するに本当の近習以外は推測するぐらいしかできないと。
このあたりが富田メモについて議論する場合に悩ましい部分です。
-
>上田さん
おはようございます
>>863
>そこがたぶん私との認識の違いなんですよ。「藤尾(文相の発言」とあるから
>その後の文相は藤尾氏の発言だという理解の仕方を私はしていませんから。
>それだと文相を辞任したはずの藤尾氏がその場にいないと成立しませんからね。
それは余りにも 都合が良すぎますよ(笑)
何も書かれていないならまだしも、はっきりと「藤尾(文相)の発言」と
書かれているのを無視してる点が、上田さんは
「まず結論ありき」
ですね。
上田さんは後の方で「齟齬と感じない」と言われていますが、齟齬を
感じないのなら無視する必要は無いでしょう。
「藤尾(文相)の発言」とある以上、その後ろの文、最低でもその前の文
でないと意味がありません。
それとも上田さんはメモに、何の脈絡も無く他人の言葉のメモに「○○の発言」
と書くのですか(笑)?
さすがにそんな馬鹿なことをする人間はいないですから
(上田さんの言う「書き手の自由」というのにも限界がある)
単に上田さんの解釈を捨てれば済むことでしょう
>プレス、つまり25日の記者会見に関連してのことですよ。
つまり、 28日のメモに三日前ののことを書いた
ということですね。でしたら、藤尾氏がその場に居たかどうかなんて問題になりませんね(笑)
>「藤尾(文相)の発言」を部分的に切り取るとそういう解釈もできる
>でしょうけれども、藤尾発言については奥野発言に絡んで「前にもあったね」
>という回想の中から出てきたことですからね。「前にもあったね〜藤尾(文相)
>の発言」と全体として読むとわかりやすいと思いますよ。
矛盾しているところ(「藤尾(文相)の発言」)を無視しての
継ぎ接ぎは意味がありません
それなら何とでも言えますから
無理に一連のものと考える必要はありません。
富田氏が4月28日に4月25日のことを思い出して書いている以上、
関連したことを書いた、そしてpressの場に居なかった藤尾氏の言葉が出ている
のですから。
>藤尾発言を調べてみるとわかりますが、「私は〜」以下の発言と整合しません。
>問題になった藤尾発言は歴史教科書問題に関しての発言で、靖国参拝問題とは
>違いますからね。
それならそもそもメモの前の紙と整合しないでしょう
戦争の感想→奥野氏の言葉が嫌のつながりは分かります。
が、それから後は単に奥野繋がりで、教科書問題から靖国問題まで話が移っています。
-
>>864
>実際の会話ではそうでしょうが、メモに記録する場合は別に問題にはならない
>と思いますけどね。陛下に見せて確認をとってるとかそういうわけでもない
>でしょうし、個人的な記録ですから。
しかしながら現実に前の方では「申す」と敬語を使っています。
これは上田さんの言われることと矛盾しますね?
そして、上田さんは「歴史的な発言だからしっかりとメモをした」と言われていますが、
そうなると当然この言葉にも敬語を残しますね。
これは上田さんの言われることと矛盾しますね?
主語が無い場合に会話の方向の考察
は重要ですが、それを「書き手の自由」で好き勝手に解釈は出来ませんよ。
しかも上田さんの言われていることは
「書き手の自由だ」→「だから敬語がなくてもおかしくない」
ということを言われていますが、
[日記、メモの書き方は自由である]は
「単に原則を言っているだけ」
で、その自由では具体的にどのような自由があるかは分かりません。
上田さんの示す方向なのか、それとも上田さんの示す方向とは180°違う方向
なのか。
だって自由ですから(笑)
つまり、上田さんの言う「書き手の自由だ」だけではそれは
「何も論拠を挙げていない」
と同じになるのですよ。
大体、そもそもメモ・日記の類だと言うことを踏まえて話をしているのですから、
それは言われなくても分かるのですよ(笑)
「では具体的にどのような自由を彼が選択したか?」
について考えないと意味が無いわけで、その点、上田さんは実例を無視して、
自分の解釈の都合の良いように
「矛盾があってもそれは自由」
と言われていますが、そのように「自由だ」論は私にも言えるわけで(私と上田さん
は同じ読み手同士の立場ですね)、そうなると相殺されますね。
単に原則論を繰り返しているだけでは駄目で、相手(私)がその原則論を踏まえて
具体的な話(実例を挙げる)に入っているのに、原則論に留まって
「自由だ=可能性がある」を繰り返すだけ
では駄目なのですよ。「確からしさ」から判断するのでしょう?上田さんは別のことで
以前「可能性が等価」という言葉を使われていますが、
それこそ「単に自由だ」というのなら360°の方向で自由があるわけで、それこそ
可能性は等価ですね。
長くなりましたが、
「敬語の一つが間違えていた」という次元ではなくて、「敬語が全くなされていない」
という話なので、過失ではなく、「=」以下が間接話法ではなくて、直接話法である点から
陛下に向けた言葉と言うのは解釈上無理があると言わざるを得ません。上田さんの言われる
ような解釈だと
何でも言えますから
-
前後しますが
>>863
>というか、そもそも富田長官は雑誌の記者とかじゃありませんからね。
>記者出身であればその経験を生かしたメモの付け方をするでしょうけど。
>あまり参考にはならないのではないですか?
インタビューと書いたのは、「私が上田さんに分かりやすくするため」に描いたものですので誤解のなきように。
二人の発言ならば、それを区別するために片方に何らかの符号(「=」)を入れたりすることはあるでしょうという至極単純なことですよ。
それとも上田さんはそれまで否定されますか?
>>864
>前にあったね どうしたのだろう
>中曽根の靖国参拝もあったか
>藤尾(文相)の発言。
>これも陛下の発言と見ていいでしょう。(文相)の部分は富田長官が記入した
>のだろうと思いますが、藤尾発言の中身についてまでは触れられていません。
これも前述のとおり
余りにもご都合主義です
藤尾氏(文相)の発言と書いておきながら、それは関係ない、とりあえず書いただけとは
言えません。
そのように何の脈絡も無く書くようなものなら、上田さんの言うような[「私」が陛下]とも言えなくなります。
>富田長官がわざわざ誰の発言かの注意書きをつけなかったのは、それが
>富田長官にとって間違えようの無い自明のことだったからでしょう。
ですから特に何も書いていなければ、それは藤尾氏の発言となります。文章的に。
さらに、言っている内容から徳川侍従長の言葉とも言われています。
>既に述べてある通り、それが実際の会話の場合であればですよ。メモ書き
>の内容でそこまでの臨場感、精密さを要求する必要があるのか、私には
>よくわかりませんけどね
これについては前述です。
上田さんの言う「書き手の自由だ」論は余りにもご都合主義です。
-
>>865
>現段階で不可能とまでは言えないと思いますけどね。検証したいから日記・手帳
>を貸して欲しいと日経に頼むかどうかはあくまで他の新聞社の判断ですから。
残念ながらこれは私の質問の回答になっていません。
日経が発表してから、その次の日までに他の各紙が発表するまでの
十数時間の間に各紙が検証できるか
という物理的な問題であって、日経に頼むかどうかの話ではないので。
>日経としては頼まれれば富田氏の遺族に了解を得て判断するでしょう。既に報道
>された以上、隠し立てする必要もないでしょうし。それに、日記や手帳の所有権
>そのものは依然として富田氏のご遺族にあると思いますからね
残念ながらこれは私の質問の回答になっていませんね。というか
・十数時間の間に各紙が検証することは物理的に不可能
・前もって各紙も知っていたのなら日経に各紙申し合わせで「日経に一番乗り」にさせたのか
というのが私の質問です。失礼ながら関係ない回答に話を逸らしたり、不可知論とはあまり感心しませんね。
と言うことで、 再度質問します。
-
>>866
>私は既に入江相政日記や徳川侍従長の回顧録も含めての検証だということを
>述べていたはずですよ。富田メモが正しいかどうかは周辺資料の検討も必要だ
>と述べているはずです。
それは私が上田さんの言っていることが論理的におかしい(立証の際に、立証すべきこ
とを根拠にしている)と指摘してからですので、失礼ながら出し遅れた証文のように言
うのは間違いでしょう。
>それが根拠だとすれば弱すぎるでしょう。それについては私もしつこく(笑)反論
>してますから、とりあえず再反論を待つことにしましょう。ついでに昭和天皇
>でないとすれば、では誰なのか、推測で構いませんのでおっしゃってください。
「弱すぎる」というだけで、余り反論になっていません(笑
・「藤尾氏の発言」は何の脈絡も無く書いただけ。
・敬語表現は「書き手の自由だ」
は余りにもご都合主義でしょう。と言うよりも、たった一枚の紙の解釈で、これだけ
二つも矛盾点が出る解釈には意味が無いでしょう。
>はい。私は昭和天皇の言葉である可能性が最も高いと認識してますからね。
それは単なる先入観です
>もちろん別の人物の発言である可能性もあるでしょうが、議論する上では
>最も可能性の高い方を考慮するのが合理的だと思ってますからね。
前述していますが、先入観に基づいて可能性を高くしても仕方ありません
>主語が不明だと言うのは読み手にとってそうである、ということで、書き手
>にとっては書くまでもない自明のことだったからでしょう。
ここまでは良いのですが、
>逆に「藤尾の発言」とあるからそれ以下は藤尾氏の発言だ、と考えてしまう
>とその根拠が全く不明です。それこそあなたの言うように『「Aということの
>根拠がA」は、「論理的におかしい」』ってことになりませんか。藤尾発言
>だとするならそれを補強する根拠なり他の資料を提示して考察すべきだと思う
>のですけれど。
先ず、私は 「藤尾氏の発言の根拠を藤尾氏の発言があるから」 ということ
はしていませんよ。「藤尾氏の発言」というのを、「藤尾氏の発言と書いているから」
持ってきているのであって。
上田さんの場合とは違いますので誤解の無きように。
で、根拠を「藤尾氏の発言」という点をあげていますが。
そして、上田さんのそれに対する反論を、
「意味無く書いただけというのはご都合主義でしょう」
と反論しています。上田さんの再反論をお待ちしています。
>私は周りの文とのつながりを見るからこそ陛下の言葉だと認識してるん
>ですけどね(笑)。
その認識が間違いではないでしょうか?
繰り返しになりますが、無理に「同じ人、同じ状況、続けての発言」と「一連のもの」
として結びつけるために、
・言葉の方向
・はっきりと藤尾氏の発言と書かれた
をそれぞれ無視するご都合主義と言わざるを得ない論理でしょう。
-
>>867
>回答を避けるも何も、私は筆跡鑑定の専門家でも、インクの経年変化
>について言及できるほどの知識もありませんから、「わかりません」
>としか答えようがないですよ。無理に答えたら嘘になりますし。
>まして実物を実際に確認できるわけでもないですからね。
と言うことを私も思ったので、私は上田さんに「上田さんにそこまでは求めません」と
言いました。それなのに、私にメモの真偽の根拠を求めるのは言っていることはおかしいでしょうということです。
>齟齬と考えるか齟齬と考えないか、ここを今まで議論したのだと思っており
>ますけどね。誰しも自分ひとりの視点だけで判断しようとすれば過ちも多く
>なりますから、不特定多数で議論しあうということは、より確かな判断を
>得るためには必要なことです。
沢山の人と議論をするのは良いと思います。で、齟齬という根拠に対する上田さんの反論
が反論になっていないのは前述ですね
-
>>868
>木戸日記ではなくて入江相政日記です。入江侍従長の場合は在任中から皇室
>内部の話をエッセイにして出版されたりして、他の侍従長よりも積極的に皇室
>情報を提供していた方でした。一度機会があれば読んでみてください。
入江日記でしたね。機会があれば読んでみようと思います。
>それは私たちが「公式の場での天皇陛下」をしか知らないからでしょう。
>宮中で親しく会話するなんて経験ができるのは本当に限られた人だけ
>ですからね。そういう中で陛下自ら「親拝」という言葉を使うかと言うと
>疑問です。皇太子時代に使っていた「参拝」をそのまま用いるだろうと
>思いますよ。私はこの点に関してあえて疑問を持つ必要を感じてません。
>実際に陛下自ら「親拝する」と発言した記録があれば別ですけどね。
「だろうと思いますよ」は単なる推測です
>藤尾発言への言及が出たのは奥野発言に関連して「前にもあったね」と述べた
>ことによるものです。既に述べたことですから繰り返しませんが、あとに
>続く靖国神社についての発言と、辞任の原因になった藤尾発言とは整合しない
>ですよ。一度藤尾発言の内容について調べてみてください。
何か勘違いされているようですが、上田さんが藤尾氏と奥野氏とを混同されていたことに
対してのレスですよ?
失礼ながら後になって「私の真意はこうだった」
のように「出し遅れた証文」をしないで、単に混同していたと言われた方が良いと愚考します。
>根本的な部分で勘違いがあるように思うんですが。記者会見があったのは25日
>ですよ。私が考えるところ、藤尾氏がその場に同席し靖国参拝中断の理由を
>語るというのは昭和天皇の発言とするよりはるかに信憑性が低いと考えて
>いますね。
前述していますが、つまり3日後になって書いているのですね?
>行幸・行幸啓は宮内庁発表などでは今でも使いますよ。しかし神社への
>参拝の場合には使わないということを何度も申しました。参拝の場合は
>天皇陛下の場合は「御親拝」、皇太子の場合は「御参拝」です。これは
>一般的な用例ですからね。
それは途中から変わっているのですね。
前からそうではありません
靖国神社に最初に行った時は御幸になっていますよ。
-
>>870
>どうも私はどうしてそこまでこだわるのかがわからないんですよね。「記者も
>申しておりました」というのはそのままで極めて簡潔ですから、そのまま書いた
>としても不自然じゃないですよ。長文になるようなら要点だけ記して敬語表現
>を省くというのも合理的だと思いますし。陛下に見せて確認するとかなら、もっと
>詳細に書き込んだでしょうけれどね。
これも単なる推量です。
>手帳ではなく日記の方の4月28日の該当する時間帯に「言上」と書かれている
>以上、昭和天皇を会話の相手から除外するのは無理がありますからね。これは
>日経新聞の追加記事で明らかにされてますけど。
富田氏が仕事で拝謁するのは当然です。が、それからメモがその言上のちょうどその時に該当するかは別物ですよ。言われなくとも分かると思いますが。
>謙譲語を使う可能性自体が否定されるわけじゃないでしょう。現に謙譲語も
>使用されてますしね。
プライベートで謙譲語がさらに必要ではない時に、使っているのですか?
前に上田さんは
陛下の私的な言葉は富田メモしか知らない
と言われていましたが違うのですか?
>昭和天皇が「英霊に対し経緯を持っていない」ということが常識的に理解
>されているとは私には思えませんので、論拠が崩れたとは思いませんね。
>公式での発言においても戦没者への慰霊、敬意を欠いているなどという
>事実は聞いたことがありませんよ。公式の発言に記録されているものは
>そのまま信用して構いませんが、公式発言にないからと言って全否定して
>しまうというのは考え方としておかしいと言うことですよ。
>「致す」を丁寧語として分類しているケースってどこで知りました?
そういう点が、上田さんは「謙譲語を使わないと陛下は英霊に敬意を払っていない
に無理に持っていく」と私に言われるのですよ。
私は 「英霊に敬意を払っていない」
なんて言っていませんよ。ただ、
謙譲語を使う=英霊に敬意を払う
は別物と言っているのですよ。で、ここまで言えば誤解も解けるでしょうから、
今度はきちんとしたレスをお願いします。
-
>どうして「普段使わない」と決め付けてしまうのかが私には理解できないのですよね。
>それが言えるのは普段から付き従っている侍従や皇室ご家族にしか言えないことだと
>思いますよ。私は可能性として類推するわけですが、それは皇室用語でも皇太子に対して
>「御参拝」という言葉を使うという事実に即しているわけです。それとも「絶対に使わな>い」という確信があってのことなんですか?
こっちの方が上田さんにも分かるでしょうので、とりあえず上田さんの矛盾点を挙げておきます。
・上田さんは陛下の場合は御親拝という言葉を使うといわれていました
・上田さんは陛下は「参拝」という言葉を皇太子時代に慣れ親しんだ
と言っています。が、1988年の時には皇太子時代よりも在位時代の方が長いので
慣れ親しんだという点からも参拝という言葉を使うことはありません。
このように上田さんは、片方で言っていることともう片方で言っていることとが
矛盾しています。さらに、「行く」と「参拝」が可能性が等価と言っておきながら、
「英霊に敬意を表して使う」と言われていますが、英霊に敬意を表するのと、参拝という
言葉を使うのは別です。
それに、上田さんの挙げた慣れ親しんだというのなら、行幸、さらに御親拝が周りの使う
言葉であり、また、プライベートな言葉であるのなら「行く」の方が当然でしょう。
>いや、それだけ確認できれば私としては議論は終わったと言えます。
>大神さんはいわゆる「藤尾発言説」の方を確からしいと考えているという
>ことですね。それでは私と意見がかみ合わないはずです。
失礼ながら、これは少しわざとらしいですね。普通に書いていれば私が陛下が言ったの
ではないと言っているのは分かると思いますよ。
>残念ながら大神さんが「齟齬だ」と感じていることを、私は「齟齬だ」とは
>感じていないんですよね。これはどこまで言っても主観の相違になっちゃいますが。
>むしろ藤尾発言説だとすると、ずっと多くの齟齬が出てきますよ。富田長官と藤尾
>元文部大臣との会話であったなら日記に書かれた「言上」の意味がわからなくなる
>し、4ページ目だけが他のページと関連がないものと考えると、最後にある
>「関連質問関係者もおり批判になるの意」がどうしてまた出てくるのかも
>わからなくなりますよね。
前述のとおりです。それに無理に結び付けようとするからチグハグになるだけです。
「関連質問 関係者もおり批判になるの意」については前のページが①とかなのに「・」
なのは気になりますね。4/28(4)が問題のページですが、pressは4/28(3)ではないのでしょうかね?そういうのを避けるために日経新聞は公開するべきですね。で、富田氏のご子息は公開を望んでいますが、日経は弁護士に預けていますね。
-
>ええと。検索してみましたが、私の理解とほぼ同じみたいですよ。それとも
>私の確認した大修館書店の「漢語林」が間違ってるんですかね。
はい、そうです。
よく間違えられますけど。
ちなみに「ほぼ」と入れたのは検索した際に先頭に「致すは丁寧語の意味もある」
とあるからですね。
>「致す」を丁寧語として分類しているケースってどこで知りました?
そうですね、いつかは忘れましたが、おそらく上田さんは「致します」を一つの
丁寧語と勘違いされているようですが、前述のとおり「致し」+「ます」であって、
「致します」という一つの動詞ではありません。ちなみに謙譲語+「ます」で丁寧語に
なるんですかね?上田さんは外でそういう使い方をされているのですか?
>宮内庁関係者ったって、陛下の側仕え以外はまずわからないはずですよ。
それも当て推量です。お願いしますから、当て推量で言わないで下さい。
>その宮内庁にしても皇太子には「御参拝」と使うわけですからね。
前述のとおりです
-
とりあえずこれで全部書いたと思います。
取り合えず上田さんの再反論が必要と思われる点を示しておきます
・藤尾(文相)の発言 という箇所の存在
(単に何の脈絡も無く書いただと、それこそ全てに対して何とでも言えますね)
・敬語の不存在による「=」の発言の方向
(書き手の自由だ論は無理ですね)
について、不可知論、「私は齟齬(大した問題)とは思わない」
以外でお願いします。
これを克服しないと、「都合の悪いところは単に切り捨てた」
ご都合主義
になってしまいますので。
もっとも、一番の根本的なところは「私」を「陛下に解釈する方」が無理
な点ですが。日経新聞は。断定するに足る根拠がありません。無い以上は
それだけで言えないわけで、
しかも藤尾文相の発言
なんて入ると余計に分からなくなります。そしてそれを理解しているから
日経新聞も「藤尾文相の発言」という文字を外した文を掲載しているの
でしょう。
-
あと、繰り返しになりますが>>849の件お願いしますね。
他紙の記事の検証に関わる大事な問題ですので。単に追随しただけなのか。
・日経の次の日に他紙が報じたが、十数時間の間に他紙が検証することは物理的に可能か
・各紙が前もって知っていたが、日経に特ダネをわざと与えてあげたのか
宜しくお願いします
-
>>872
大神さん、こんにちは。今日もよろしく。
>何も書かれていないならまだしも、はっきりと「藤尾(文相)の発言」と
>書かれているのを無視してる点が、上田さんは「まず結論ありき」ですね。
というか、文中に「藤尾(文相)の発言」とあるからと言って、「私は〜」以下
の発言が藤尾元文相の発言であり、4.28のメモは富田長官が藤尾氏と会見した
ときのものである、というような短絡的な考えは持っていないということです。
なんで文相を辞任した藤尾氏が吹上御所にいるのかと。多くの疑問が湧きますよ。
>それとも上田さんはメモに、何の脈絡も無く他人の言葉のメモに「○○の発言」
>と書くのですか(笑)?
もう何度も述べてるんですけどね。すなわち「前にもあったね」という部分
をどうして無視されるのかそこがよくわからないんですが、「前にもあったね
〜藤尾(文相)の発言」とここまでを一区切りとして理解しないとおかしい
でしょうと。それを不自然に感じないとすると、自分に都合のよい部分しか
読んでいないということになります。
奥野国土庁長官の靖国発言と、藤尾元文相の教科書問題発言との間に共通して
言えることは、「中国への言及」です。それに対して昭和天皇は記者会見で
「嫌な気持ち」と述べ、その意味するところを奥野の発言にひっかけたと
メモによれば語っていますね。
さて、もう一つの言及が「中曽根の靖国参拝」ですが、この参拝に関しては
中国から厳しい批判が出ました。これも共通する部分です。奥野発言、藤尾
発言、中曽根の参拝、この三つに共通するキーワードが中国です。ここまで
はわかりますか?
そして「私は〜」以下の発言部分に入りますが、ここには語られていません
けれども、前後の関係で解釈すると、A級戦犯合祀について陛下がもっとも
心を砕いていたのは周辺国に対する配慮だと考えることができます。それは
中曽根元首相が二度目の靖国参拝を中止した際に、富田長官から中曽根の
もとに、「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった。よくやった、
そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」という昭和
天皇の言葉が伝えられたエピソードからもうかがわれます。
A級戦犯合祀に陛下が反対であったとする理由はいくつか考えられますが、
1)戦前からの合祀基準に照らして戦犯合祀に納得できなかった
2)周辺国からの反発を危惧した
こうしたことが陛下の気持ちの中にあったのではないかと推測できます。
そういうお気持ちのもとで、徳川侍従長を通じて戦犯合祀に対して
意向を伝えた。筑波宮司はきちんと対応したが、松平宮司は就任後すぐに
合祀に踏み切ってしまった。そのことを「親の心子知らず」という表現
で不快感を示された。この参拝中止の一番の理由が「周辺国への配慮」に
あると考えれば、一連の記述は脈絡がとれるわけです。藤尾発言については
文中のどこにも藤尾氏が述べた問題発言の中身については一切触れられて
いないし、そもそも藤尾氏の辞任理由はA級戦犯合祀に反対したためではあり
ません。第一、藤尾元文相が靖国参拝を中止した理由を述べるという根拠が
全く不明です。
>矛盾しているところ(「藤尾(文相)の発言」)を無視しての
>継ぎ接ぎは意味がありませんそれなら何とでも言えますから
>無理に一連のものと考える必要はありません。
大神さんはそもそも「脈絡」ということを深く考察してはいないでしょう。
「藤尾(文相)の発言」とあるから藤尾氏の発言だ、と述べているに過ぎません。
前後の脈絡を考えている形跡も感じられません。メモが会話された内容の順序に
従って書かれているのならば、その順序に従って読み解くのが道理でしょう。
「前にもあったね」の部分をどうして無視しようとされるのか、私には理解でき
ませんよ。前後関係を明確にする重要な文言ではありませんか。
さて、すぐ出かけるのでここまでとします。帰ってから続きを書きますね。
-
>上田さん
新村出編 広辞苑 第五版 (岩波書店)
に
「致す」については丁寧語、謙譲語、尊大語でありました。
-
>>884
>上田さん
こんばんは。明日からは週末なので多分そんなには書けなくなると思います。
なるべくすぐにレスをするようにしますが。
>というか、文中に「藤尾(文相)の発言」とあるからと言って、「私は〜」以下
>の発言が藤尾元文相の発言であり、4.28のメモは富田長官が藤尾氏と会見した
>ときのものである、というような短絡的な考えは持っていないということです。
>なんで文相を辞任した藤尾氏が吹上御所にいるのかと。多くの疑問が湧きますよ。
藤尾氏(文相)発言とある以上、無視するわけにはいかなく、そして
その場で書いたのではなくて思い出して書いたのだろうということです。
例えば、上田さんは「前にもあったがどうしたのだろう」は前のページ
の文調に比べれば違いがあるのはお分かりになられると思います。
ちなみにメモはその場で書いたのではないのは明らかですね。
>もう何度も述べてるんですけどね。すなわち「前にもあったね」という部分
>をどうして無視されるのかそこがよくわからないんですが、「前にもあったね
>〜藤尾(文相)の発言」とここまでを一区切りとして理解しないとおかしい
>でしょうと。それを不自然に感じないとすると、自分に都合のよい部分しか
>読んでいないということになります。
上述のとおり、文調が違いますし、同じ陛下の言葉なら藤尾氏(文相)発言
と入れる必要はありません。
無視しているのではなく、きちんと考えたら、
・文調の変化(特にこれは前の紙との違いは明白です)
・藤尾氏(文相)の発言
・「=」において敬語の方向
の全てを考えると別のことについて書いているのでしょう。
前後しますが
>大神さんはそもそも「脈絡」ということを深く考察してはいないでしょう。
>「藤尾(文相)の発言」とあるから藤尾氏の発言だ、と述べているに過ぎません。
>前後の脈絡を考えている形跡も感じられません。メモが会話された内容の順序に
>従って書かれているのならば、その順序に従って読み解くのが道理でしょう。
>「前にもあったね」の部分をどうして無視しようとされるのか、私には理解でき
>ませんよ。前後関係を明確にする重要な文言ではありませんか。
これも上述のとおりです。別に無視はしておりませんよ。
逆に
「脈絡」:(前と文調が変わっている。大体、そもそも前の語調から考えたら
「どうしたのだろう」ではなくて「どうしたのか」のような語調に
なるはずでしょう?)
をしっかり考えていますよ。
-
>奥野国土庁長官の靖国発言と、藤尾元文相の教科書問題発言との間に共通して
>言えることは、「中国への言及」です。それに対して昭和天皇は記者会見で
>「嫌な気持ち」と述べ、その意味するところを奥野の発言にひっかけたと
>メモによれば語っていますね。
>さて、もう一つの言及が「中曽根の靖国参拝」ですが、この参拝に関しては
>中国から厳しい批判が出ました。これも共通する部分です。奥野発言、藤尾
>発言、中曽根の参拝、この三つに共通するキーワードが中国です。ここまで
>はわかりますか?
確かに三人に中国の問題があるというのは共通ではあります。が、それはそれ
以上でもそれ以下でもありません。何故なら、中国には触れていないでしょう?
内閣の閣僚が同時期に一つの国と関係があったのは別に珍しいことではないでしょう。
特に戦後日本は中米ソと絶えず関係がありますから。
それにそもそも上田さんの言われるように、中国についての発言ならばそれについて
何かしら言及があるはずでしょう?でもそれは一文字も無い。
残念ながらこれもあまり意味がありません。
>そして「私は〜」以下の発言部分に入りますが、ここには語られていません
>けれども、前後の関係で解釈すると、A級戦犯合祀について陛下がもっとも
>心を砕いていたのは周辺国に対する配慮だと考えることができます。それは
>中曽根元首相が二度目の靖国参拝を中止した際に、富田長官から中曽根の
>もとに、「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった。よくやった、
>そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」という昭和
>天皇の言葉が伝えられたエピソードからもうかがわれます。
先ずは、
・「という「伝言」」があった。
・対立が嫌と合祀が嫌は別物
・A級合祀には陛下に対して以前からお伺いがあった。反対は無かった。
ということで前からその話は疑問が持たれている話でしたね。
そして何よりも昭和天皇は田中内閣を崩壊させて以来政治的な動きは極力
控えていました。そんな昭和天皇がわざわざ現職の総理大臣に政治的な
メッセージを伝えるか?
そもそもそのような積極性を持たれているのならば、そしてそれがA級合祀
だからならば、これまで沈黙していることの方が説明がつきません。
当の昔に何かを言っていますし、現職総理大臣にメッセージを託す以前に、
最初から反対をしています。宮中用語の御不満=激怒とまではいかないでしょうがね。
それと、上田さんは話をメモ外に拡散しましたから私も少し外れますが
(私は収拾を考えてあえて話を拡散しませんでしたが)、そもそもA級の中に陛下が
嫌いな人間は誰か。近衛が敷いたレールの上で開戦以外に他に道がなかったが、
私利私欲のためではなく真面目に戦争指導に励み、天皇に類が及ばないように偽証まで
した東条、ソ連の横槍で急に戦犯になった人もあれば、単に要路にいただけの人間も
居れば、特務機関長という何故にA級に該当するか理由が分からない人もいます。
そして更にA級合祀後も、表立った動きはしていませんが勅使を出されたり幣帛料の
下賜もあります。
-
>A級戦犯合祀に陛下が反対であったとする理由はいくつか考えられますが、
>1)戦前からの合祀基準に照らして戦犯合祀に納得できなかった
これは戦後の基準ではA級戦犯に限って基準が違うというのは抽出するこ
とはできませんから除外して良いでしょう。BC級、戦病死、行方不明に関しても、
軍属、民間人に関しても戦前の基準に照らせば合祀対象にはなりません。
特にBC級に至っては陛下のお嫌いだった山下大将他も居るわけですから。
合祀基準はA級に限って問題にするものではありません。
>2)周辺国からの反発を危惧した
>こうしたことが陛下の気持ちの中にあったのではないかと推測できます。
また、推測なんですね。まぁ、それはいいですが陛下が行幸されなかったのは
上述と同じように自分の動きが政治的なものになるのを避けるためだろうとは私も
思いますよ。ただ、その場合は主に国内がメインでしょうが。米国も韓国もソ連も
どこも反対しておらず、反対していたのは中国くらいでした。しかも中国の反対も
現在とはトーンが違います。
>そういうお気持ちのもとで、徳川侍従長を通じて戦犯合祀に対して
>意向を伝えた。筑波宮司はきちんと対応したが、松平宮司は就任後すぐに
>合祀に踏み切ってしまった。そのことを「親の心子知らず」という表現
>で不快感を示された。この参拝中止の一番の理由が「周辺国への配慮」に
>あると考えれば、
>一連の記述は脈絡がとれるわけです。
前述の通り、二つ(と文調変化の脈絡)を無視して継ぎ接ぎをしたのでは意味
がありません。
>藤尾発言については文中のどこにも藤尾氏が述べた問題発言の中身について
>は一切触れられていないし、
藤尾発言については前述の通りです。それと辞任理由と関係ないとは
その通りなので一体何を言わんとしているかはわかりませんが・・・。
無理に関連付けようとしないでいいと思いますし、それが合わないというのは
それは単に上田さんの関連付けが間違えているのではないでしょうか?
>そもそも藤尾氏の辞任理由はA級戦犯合祀に反対したためではありません。
>第一、藤尾元文相が靖国参拝を中止した理由を述べるという根拠が全く不明です。
個人的な参拝をしていないということで別に不明ではありませんね。
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888をゲットしました。
ついでに調べて分かったことを書きます。
昭和天皇はA級が合祀されている護国神社への御幸はされていないようです。
ただし、幣帛料の下賜はあります。 ちなみに私の家には福岡県護国神社が
ありますが、平成の御代におかれても陛下からの下賜はあります。
それを考えると、 A級が居るから嫌
なのではなくて、
騒がれるのが嫌
ということではないかと思いますが如何でしょうか?
陛下は75年以来は行幸されていないのは事実ですから、故意に行かれ
なかったのは当然言えます。ただ、それが「どのような理由か」ですが。
「政治的な効果が出るから」なのか、「A級が居るから」、「他の理由」なのか。
それと、話は変わりますが、問題の文ですが、上田さんの言われるように
「御親拝」ならば、
「私が親拝しなかったのは・・・」
の方になりませんか?あえて自分も周りも使わない言葉を使うことは無いですから。
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>>889
>私の家には福岡県護国神社
当然ながら、「私の家の周りには」です。
よく行きました。
ちなみに自衛官時代にも制服で行きましたし、現在別の公務員として
行政職についていますが。公務員が行くのは政教分離に反するのかな
と思いながら(笑)
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靖国神社:朝鮮戦争で殉職海保職員の「合祀」拒否
朝鮮戦争で掃海作業中に殉職した元海上保安庁職員の遺族が、靖国神社に「戦死者」として合祀(ごうし)するよう求めたのに対し、同神社が拒否していたことが分かった。神社は遺族への回答書で、合祀範囲を「大東亜戦争まで。朝鮮戦争は基準外」と明示した。
遺族は、大阪市浪速区の会社役員、中谷藤市さん(79)。1950年10月、弟の坂太郎さん(当時21歳)が米軍の極秘要請を受け、掃海艇で北朝鮮の元山(ウォンサン)沖に出動。機雷に触れて死亡した。事故後、米軍と海保は「瀬戸内海での作業中に殉職したことにしてほしい」と求めたという。現行憲法に抵触する疑いが濃いためで、中谷さんは事故記録を照会したが、「記録はない」と回答された。
その後、除籍謄本に海保の報告として死亡日時と場所が記載されていることが分かり、中谷さんは今年2月、靖国神社に合祀を求める申請書を提出。8月25日付の神社の回答書では「その時代ごとの基準で国が戦没者と認め、名前が判明した方をお祀(まつ)りしてきた。朝鮮戦争は現在のところ基準外となるから、合祀できない」と結論付けていた。
中谷さんは「弟は戦死したのだから祀られて当然。合祀を願い続けてきた。義憤を禁じえない。再考してほしい」と、要請を続ける考えだ。【田辺一城】
毎日新聞 2006年9月3日 20時39分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060904k0000m040081000c.html
これはどうかと思うなぁ
自分は合祀すべきであると思う。
また、この見解からは今後自衛官に戦死者がでた場合も合祀しないという事になる。
神社の存在理由に反しないか?
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>>891
剣恒光さん、こんにちは。
八甲田山で遭難死した青森第五連隊の犠牲者も靖国には祀られていませんね。陸軍
は合祀の意見書を上奏しましたが、戦死ではないため玉石混交となり英霊の威徳を
汚すなどの理由で裁可が下りなかったとか。戦後に入って合祀基準が公務死にも拡大
されたことから改めて遺族から合祀嘆願が出されましたが、靖国神社から拒否されて
いますね。
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>>873
>しかしながら現実に前の方では「申す」と敬語を使っています。
>これは上田さんの言われることと矛盾しますね?
矛盾はしてませんよ。「申しました」の部分はそれだけで十分簡潔だからそのまま
表記しても不自然ではないでしょうと述べております。敬語表現を含んだまま記すか
省いて簡潔に記すか、厳密に規則性を要求することでもないと思いますよ。メモの
書き手が判断することですからね。
>そして、上田さんは「歴史的な発言だからしっかりとメモをした」と言われていますが、
>そうなると当然この言葉にも敬語を残しますね。
どうして当然なのでしょうね。陛下と富田長官以外の第三者が書き残したメモであれば、
両者の発言を敬語表現も含めて記録するかもしれませんが、このメモは富田長官が書いた
ものです。意識の上では主従関係にあるわけですから、主である陛下の発言は可能な限り
言葉どおりに記し、自らの発言は簡潔に記録するでしょう。
大神さんはメモの表記上の規則性にこだわってらっしゃいますが、そもそも「表記上の規則」
というのを意識してメモをとる人などいないでしょう。メモの内容こそが書き手にとって
重要なのですから。ここで重要なのは自分の発言部分の文頭に「=」を付けて区別して
いることであり、敬語表現を含めるか否かはさほど重要な論点ではないということです。
あまりそこにこだわりすぎると逆に誤った解釈を導きやすくなるでしょう。
>「敬語の一つが間違えていた」という次元ではなくて、「敬語が全くなされていない」
>という話なので、
そう極端に考えずに、常識的に考えればいいだけのことだと思いますけどね。
4.28のメモだけでなく他の日付のメモや日記の表記なども参考にしないと。
「敬語表現がないから冨田氏の発言ではない」などという理屈を採用してしまった
ら、富田長官と陛下だけでなく、陛下に「タメ口をきくことのできる地位の人物」
が別にいた、という話になっちゃいます。それって現実的な解釈ですか?
-
>>874
>二人の発言ならば、それを区別するために片方に何らかの符号(「=」)を入れたりすることはあるでしょうという至極単純なことですよ。
>それとも上田さんはそれまで否定されますか?
それを指摘したのは私なんですけどね。お忘れですか。>>839
>藤尾氏(文相)の発言と書いておきながら、それは関係ない、とりあえず
>書いただけとは言えません。
だったら「前にもあったね」と述べたのは一体誰なんですか。まさか藤尾元文相が
その場にいて、奥野発言に関連して「前にもあったね〜」などと発言するのですか。
そもそも藤尾氏の発言がそこに出てくること自体、脈絡がないでしょう。その矛盾
をあなたはこれまで一度も説明していませんが、そろそろ述べていただけませんか。
今のところあなたの論法というのは、昭和天皇の発言である可能性を否定した上で
消去法的に誰の発言かを適当に推測しているだけでしょう。最初は徳川侍従長の
発言ではないかと考えていたようにも見えましたが、現在はどうも藤尾氏の発言だ
と結論付けているように感じられますが。
>上田さんの言う「書き手の自由だ」論は余りにもご都合主義です
というか、メモの書き手の側に立って読もうとしないと、メモの中身を正確に理解
できないのは当然でしょう。書き手にとって理解しやすい記述の仕方をするはずです
からね。それに対して読み手の都合で自由に判断しちゃったら、こっちの方が問題
ですよ。「敬語を使わないのはおかしい」というのはあくまで読み手の主観の問題
ですからね。
-
>>875
>十数時間の間に各紙が検証することは物理的に不可能
日経報道の翌日に掲載しようとすれば実物を確認の上写真をとって日経記者に取材し
記事を書くぐらいしかできないでしょうね。しかし他社がその気になればその後も
検証報道を続けることも可能です。そうするかしないかはあくまで新聞社の判断ですよ。
>前もって各紙も知っていたのなら日経に各紙申し合わせで「日経に一番乗り」にさせたのか
申し合わせたわけではないでしょう。遺族から日記等を入手したのは日経記者です。当然ながら
日経記者が最初のスクープを書く権利がありますよ。他社が富田メモに関して独自の記事を書こう
とすれば、遺族の許可を得た上で日経に了解をとるのが常識でしょうね。日経新聞社が富田メモの
所有権を取得したということになると話は別ですけど。
-
>>876
>それは私が上田さんの言っていることが論理的におかしい(立証の際に、立証すべきこ
>とを根拠にしている)と指摘してからですので、失礼ながら出し遅れた証文のように言
>うのは間違いでしょう。
入江日記や徳川侍従長の回顧録とも照らし合わせて検証する必要があるというのは、わざわざ
言わなくても当たり前のことだろうと思うんですけどね。別に後出ししたわけじゃ
ないですよ。そもそも富田メモだけしか読まずに「私」が昭和天皇か否かなんて議論
できるはずがないじゃないですか。
>・ 「藤尾氏の発言」は何の脈絡も無く書いただけ。
>・ 敬語表現は「書き手の自由だ」
>は余りにもご都合主義でしょう。と言うよりも、たった一枚の紙の解釈で、これだけ
>二つも矛盾点が出る解釈には意味が無いでしょう。
それはあなたが読み間違えてるんですよ。まず「富田(文相)の発言」の文言にはきちんと脈絡が
ありますよ。「前にもあったね どうしたのだろう」に関連しているからです。あなたは意図的
なのかどうかわかりませんが、「前にもあったね」の部分を考慮せず、脈絡のないものとして
決め付けてしまっています。敬語表現の有無に関しては既に述べた通りです。
>先ず、私は 「藤尾氏の発言の根拠を藤尾氏の発言があるから」 ということ
>はしていませんよ。「藤尾氏の発言」というのを、「藤尾氏の発言と書いているから」
>持ってきているのであって。
だからといって「私」が藤尾元文相だということにはなりませんよ。そのためには
靖国神社への参拝をA級戦犯合祀以降中断したと藤尾氏が発言したことを合理的に
説明するための推論が必要です。例えば過去の取材等で実際に藤尾氏がそのような
発言をしていたなどの合理的な説明ですね。今のところあなたはそれについて何も
語っていません。
それと、大神さんは実際に藤尾氏が文相辞任のきっかけになった発言を調べてみましたか。
「藤尾(文相)の発言」の後に続く「私は或るとき〜」以下の内容とは全く違いますよ。
そうしたことを調べた上で、「私」が藤尾元文相のことだとあなたが認識した根拠を
述べてください。私の反論はそれからですよ。
-
>>877
>それなのに、私にメモの真偽の根拠を求めるのは言っていることはおかしいで
>しょうということです。
私はあなたに、富田メモ事態の真贋について科学的に証明せよと述べたことはありません。
私が質問したのは次のことです。
>>842
>ところで、私に対して富田メモにおける昭和天皇の発言が真正であること
>の証明を求めるのでしたら、大神さんはそうではないことの証明を何に
>よって行おうとするのでしょうか。
とこのように述べたのです。筆跡鑑定しろと述べたわけではないですよ。「私」
が昭和天皇ではないことの証明を何によって行うのかと尋ねたのです。
-
>>878
>「だろうと思いますよ」は単なる推測です
私たちはお互いに推測を論拠として議論しているのではありませんか。確実な
証拠を提示して議論できるとすれば、それができるのは既に亡き昭和天皇と富田
長官しかおりませんからね。ですからより「確からしい」推測をもとに議論しよう
としている。それを否定してしまうとあなたも何も言えなくなりますよ。
>何か勘違いされているようですが、上田さんが藤尾氏と奥野氏とを混同されていたことに
>対してのレスですよ?
勘違いされているのは大神さんだと思いますよ。藤尾氏と奥野氏を私は混同などして
おりませんからね。もうお忘れなのかもしれませんが、あなたは>>836でこう述べて
います。
>素直に捉えたら「=」以下が 奥野文相の発言 になりますよ。
>また、仮に=が富田氏の発言でも、
>奥野文相の発言→「=」(富田氏の発言)→奥野文相の発言
>になりますよ。何故なら場面転換したとか何も書かれていないのですから。
あなたは最初、
>「前にもあったが どうしたのだろう
> 中曽根の靖国参拝もあったが
> 藤尾(文相)の発言。」が藤尾氏の発言、
と述べていたんですよ。
大神さんは主に4ページの部分だけを材料として議論されていますが、当然
ながら3ページ目との関連で考えなくては誤解のもとです。3ページ目の最後
にある「“嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっか
けて云った積りである」の部分から「前にあったね〜」と内容的には続いて
いるのです。しかし大神さんは「脈絡がない」の一点貼りですよね。
既にあなたも以前の発言で、4.28のメモが書かれた当時、奥野発言が問題視されて
いた時期であることを認めていたはずです。どうして問題視されたかと言えば、奥野
発言が歴史認識について国内のみならず海外、特に中国の批判を受けたからですね。
藤尾発言も同様ですよ。この二つの間にはきちんと脈絡があるんです。
>前述していますが、つまり3日後になって書いているのですね?
25日の3日後、つまり28日に「言上」したというのは日記のスケジュールにも記載
されています。つまり3日前の記者会見の内容を記録したのではなく、28日に行われ
た言上の際に、3日前の記者会見の様子についても会話の中で触れられたのだという
ことです。単に25日の記者会見での会話を3日後の28日に書いたものだと考えると、
「“嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った
積りである」という話がどうして出てくるのかということになります。
>それは途中から変わっているのですね。
>前からそうではありません
>靖国神社に最初に行った時は御幸になっていますよ。
違いますよ。行幸の読み方の問題です。古語表現では行幸の読みは「みゆき」です。
それを漢字にしたのが「御幸」で、行幸と同じ意味です。古くは上皇の場合は「御幸」、
天皇の場合を「行幸」と区別しました。
靖国神社の神社年表では全て「行幸」になっていますが、正しくは「御親拝」です。
-
>>879
>これも単なる推量です。
推量には違いないですが、常識的に考えればそうなりますよ。残念ながら文頭に
「=」のついた箇所が他にもあるかどうか、他のメモの実物の画像があればもう
少しはっきりするんですけどね。
>富田氏が仕事で拝謁するのは当然です。が、それからメモがその言上のちょうど
>その時に該当するかは別物ですよ。言われなくとも分かると思いますが。
8月3日の日経新聞で報道されてますので、図書館などで調べればわかると
思いますが、富田長官の手帳の当日のスケジュールにはこうあります。
28(木) 10:00-11:00 外務次官 11:00-12:00 (言上) 15:30-16:30 皇太子
メモの1ページ目の冒頭にあった時間は11時17分から11時53分になってます。
>プライベートで謙譲語がさらに必要ではない時に、使っているのですか?
私は陛下がプライベートでどういう会話をしていたかなど知りませんよ。
公式の場で謙譲語を使うこともあった、という話をしたんですから。
>そういう点が、上田さんは「謙譲語を使わないと陛下は英霊に敬意を払っていない
>に無理に持っていく」と私に言われるのですよ。
そういう解釈をするからおかしくなるんでしょう。私は「英霊に対して参拝を使わな
くてはならない」と言っているのではありません。英霊に対しへりくだって参拝という
言葉を使ったとしてもそれは不自然ではないと述べているんです。どこをどう読んだら
「謙譲語を使わないと陛下は英霊に敬意を払っていない」なんて解釈になるのですか。
小学生相手の議論なら、そういう短絡的な反応を示す場合もあるでしょうけど。
-
>>880
>・ 上田さんは陛下の場合は御親拝という言葉を使うといわれていました
>・ 上田さんは陛下は「参拝」という言葉を皇太子時代に慣れ親しんだ
>と言っています。が、1988年の時には皇太子時代よりも在位時代の方が長いので
>慣れ親しんだという点からも参拝という言葉を使うことはありません。
あなたは勘違いされてますよ。陛下自身が「親拝」という言葉を使ったかどうかは
私は知りませんし、実際に使ったとする発言の記録があるのかも知りません。「親拝」
は天皇が神社等に詣でる場合に「一般的に」使われる言葉で、使うとすれば陛下以外
の人間です。要するに陛下自身が「参拝する」と言っても、報道記事では「御親拝される」
として表現される類のものです。
あなたが私の論を否定するためには、少なくとも天皇に践祚されてから天皇自身が
公式に「親拝」という言葉を使っているということを客観的に証明する必要があり
ます。それができないならば、天皇になってからも、私的には「参拝」という言葉を
使用していた可能性を否定できません。
>このように上田さんは、片方で言っていることともう片方で言っていることとが
>矛盾しています。さらに、「行く」と「参拝」が可能性が等価と言っておきながら、
>「英霊に敬意を表して使う」と言われていますが、英霊に敬意を表するのと、参拝という
>言葉を使うのは別です。
どうもあなたは私の発言を歪ませて別の意味にしちゃってますよね。「行く」と述べる可能性
もあるし「参拝」と述べる可能性もある。「行く」というのは神社に限らず幅広く使える言葉
ですが、目的地が神社である場合、「行く」よりも「参拝」を使用する方がなお自然であると
私は言っているんですよ。
靖国の英霊は護国の神です。護国というのは、「国体護持」をも含んだ意味がある。
つまり靖国の英霊は国のみならず天皇陛下をもお守りしているわけです。その靖国の
英霊に対して「参拝」ではなく「行く」という言葉を使うはずだと、大神さんは考えて
いるわけですよね。
それでは視点を変えて考えて見ましょうか。伊勢神宮に詣でる場合、天皇は「行く」を使う
でしょうか。それとも「参拝」を使うでしょうか。まさか自ら「御親謁する」とは
言わないだろうと思いますが、「行く」と「参拝」のどちらを使うと思いますか?
伊勢神宮に対し、「参拝」を使うとして、これは自然なことだと私は感じます。ならば
靖国神社にも「参拝」という言葉を使うことも「ありえる」でしょう。いかがですか?
>普通に書いていれば私が陛下が言ったのではないと言っているのは分かると思いますよ。
ええと。陛下ではなく藤尾氏の発言だ、と大神さんが考えておられるとばかり思って
いたんですが違うんですか?では「私」が陛下でないとしたら、誰なんでしょうね。
推測でかまいませんので教えてください。
>4/28(4)が問題のページですが、pressは4/28(3)ではないのでしょうかね?
それなら詳細にメモをつける習慣のある富田長官が、スケジュールや日記に
書かないはずがないと思いますけどね。3ページ目で記者会見での発言について
述べた部分と、天皇誕生日である4月29日に報道された内容とは一致してます。
そして4月29日に報道された記事は4月25日に陛下から直接取材したものである
ことは既に証明済みの事実で、これに関しては疑いようがありません。
-
>>881
>よく間違えられますけど
いいえ。一般的に「致す」というのは「する」の謙譲語と認識されています。
>おそらく上田さんは「致します」を一つの丁寧語と勘違いされているようですが、
>前述のとおり「致し」+「ます」であって、「致します」という一つの動詞では
>ありません。ちなみに謙譲語+「ます」で丁寧語になるんですかね?
謙譲語である「致す」に丁寧語の「ます」をつけて丁寧語として使われる場合が
あるということですよ。活用方法の違いです。
-
>>882
>これを克服しないと、「都合の悪いところは単に切り捨てた」
>ご都合主義になってしまいますので。
私としては「前にあったね」の文言を切り捨てて理解されているあなたの方こそ
ご都合主義的ではないかと思うんですけどね。まあこの点についてはさんざん
述べましたので、一応お考えに入れておいていただくだけで結構です。
>しかも藤尾文相の発言なんて入ると余計に分からなくなります。そしてそれを理解
>しているから日経新聞も「藤尾文相の発言」という文字を外した文を掲載しているの
>でしょう。
それは穿ちすぎだと思いますよ。さすがに靖国参拝中断に関する発言が、昭和天皇
ではなく藤尾元文相の発言だなどと解釈する人がいるとは思わなかったのだろうと
思いますね。
ちなみに、富田長官と陛下の会話が記録されたメモは他にも数多くありますが、
「私の発言」「陛下の発言」と全て注意書きのようなものはないみたいですね。
日経に連載された記事には(富田)(天皇)と注釈がついてますが、これは日経側
でつけたもののようですから。富田長官にとつては陛下との会話かどうかなど
自明のことであったはずですから、注釈がつくかつかないかはあまり大きな問題
ではなさそうです。
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