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靖国問題について考える
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>上田さん
>>839
>メモをとるのに「こうでなければならない」という規則もないと思いますから、
>基本的にはどう書こうが富田長官が自由に判断することだろうと思いますよ。
はい。で、その富田氏は
自分の言葉にきちんと敬語表現を
入れるという自由を選択
されています。それを尊重して解釈していくことにしていくより仕方ないですね。
上田さんは「自由」という言葉や、「○○されたとしてもおかしくない」という
のを実例という根拠ではなく、
あくまで可能性
で言われていますが、それですと
全ての可能性が言える
上に、しかも結果的に相殺されてしまいます。
で、私の場合は
・敬語表現(申す)を前のページで入れている
・公式に参拝という言葉を使っていない
という 実例を踏まえて言っている
ので、その点は失礼ながら「
上田さんの可能性とは違うのではないかな〜」
と愚考する次第です。
で、
>自分の発言と陛下の発言とをごっちゃに書いたら誤解のモトですから、何らか
>の表記上の区別はあってしかるべきだし、それが富田長官の場合は「=」で区別
>したんでしょう。
これが、やはり失礼ながら仕古利人さんの言われるように上田さんの「結論ありき」
ではないでしょうか。「=」という表現は他と区別するというのは分かります。
しかしながら、それが 陛下と自分の言葉を区別する
とまでは残念ながら導き出されません。
言えたとしても、「二人の人間の言葉を区別する」ではないでしょうか。
>私たちはあくまでもメモの「読み手」であって「書き手」ではないですから、
>「読み手」の都合で判断するより、「書き手」の側に立って考えたなら、
>富田メモの内容ももっと理解しやすくなると思いますよ。
はい、 「私たちは読み手であって書き手ではありません」
ですから実際に書かれていることから判断するしかないです。
それを「○○したとしておかしくない」を根拠も挙げずに述べられるのは
「自分を書き手と混同されているのではないのかな〜」と思います。
どうも上田さんは
・表記方法に前後に矛盾があってもそれは書く人間の自由
を挙げられていますが、そのように不安定なものですと史料価値として
書いていることの内容の正確性まで疑われてしまいます。
反論をかわすために、メモの正確性まで否定する
ことを言っても仕方ないのではと失礼ながら思ってしまいます。
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