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靖国問題について考える
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>>839
>意味合いが違うというより、前者は結論であって後者はその根拠ですからね。
>「記者も申しておりました」という発言を富田長官の発言として考えるのは
>不自然ではないでしょう。
「可能性の列挙」と「結論」
は違いますよ。上田さんは私に最初は「結論」を言われましたが、それに対して
私が反論した際には指摘ということで「可能性の列挙」ということになっています。
論理的には残念ながらこれで
「自分の言っていることに前後に矛盾は無い」
というのは間違いでしょう。
>その文頭には「=」がついており、藤尾発言に関連した部分の文頭にも
>「=」がつけられているならば、それを富田氏の発言と推論するのは十分に
>論理的な解釈だと思いますよ。
では、これについては後述します。
>というか、それを言えば「天皇陛下は参拝という言葉を使うはずが無い」
>というのも同じことになりますよ。私的な発言ならば「行く」と答える
>はずだというのも同様です。
>私としては陛下が「参拝する」と使うのも「行く」と使うのも、可能性としては
>等価だと思いますね。どちらも
>不自然ではないですから。しかし、
一般人ですとそれは不自然ではないですが、それはあくまで公的な場合に
おいても参拝という言葉を使うからです。
で、やはりここでも 可能性で言われていますが
この二つの可能性を考えるに際して傾向と実例から考えてみましょう。
一般的に人間は私的な言葉の場合は堅苦しい敬語は外します。
私的な言葉であるのなら「今日は○○神社に行ってきた」と親しい人間に
話しかける場合において、「謙譲語を使わないから不敬だ」とは私的な
言葉では言いません。
また、陛下の場合は形式的には謙譲語を使わないのですから、謙譲語を
使わないからと不敬とはなりません。
言語空間が我々一般人とは違うのですから
そしてもし、敬意を表して謙譲語を使うのであれば公式の言葉にも使われるはずでは
ないでしょうか?
後ろの方で上田さんは「戦後は人間天皇として国民に触れ合って・・・」
と言われていますが、それなら尚更公式の時にこそ率先して謙譲語を使われる
はずでしょう。それがなくて、
「私的な時には使う」
では、失礼ながらご都合主義的な印象を拭えませんよ。
>陛下が靖国神社の英霊に対して尊崇の念を持っていたならば、「行く」とするより「参拝する」の方がより
>自然であると私としては考えるわけです。
ですが、これは 実際に公式に使っていない
ということの実例から否定されます。
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