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靖国問題について考える

884上田 勝:2006/09/03(日) 18:55:59
>>872

大神さん、こんにちは。今日もよろしく。

>何も書かれていないならまだしも、はっきりと「藤尾(文相)の発言」と
>書かれているのを無視してる点が、上田さんは「まず結論ありき」ですね。

というか、文中に「藤尾(文相)の発言」とあるからと言って、「私は〜」以下
の発言が藤尾元文相の発言であり、4.28のメモは富田長官が藤尾氏と会見した
ときのものである、というような短絡的な考えは持っていないということです。
なんで文相を辞任した藤尾氏が吹上御所にいるのかと。多くの疑問が湧きますよ。

>それとも上田さんはメモに、何の脈絡も無く他人の言葉のメモに「○○の発言」
>と書くのですか(笑)?

もう何度も述べてるんですけどね。すなわち「前にもあったね」という部分
をどうして無視されるのかそこがよくわからないんですが、「前にもあったね
〜藤尾(文相)の発言」とここまでを一区切りとして理解しないとおかしい
でしょうと。それを不自然に感じないとすると、自分に都合のよい部分しか
読んでいないということになります。

奥野国土庁長官の靖国発言と、藤尾元文相の教科書問題発言との間に共通して
言えることは、「中国への言及」です。それに対して昭和天皇は記者会見で
「嫌な気持ち」と述べ、その意味するところを奥野の発言にひっかけたと
メモによれば語っていますね。

さて、もう一つの言及が「中曽根の靖国参拝」ですが、この参拝に関しては
中国から厳しい批判が出ました。これも共通する部分です。奥野発言、藤尾
発言、中曽根の参拝、この三つに共通するキーワードが中国です。ここまで
はわかりますか?

そして「私は〜」以下の発言部分に入りますが、ここには語られていません
けれども、前後の関係で解釈すると、A級戦犯合祀について陛下がもっとも
心を砕いていたのは周辺国に対する配慮だと考えることができます。それは
中曽根元首相が二度目の靖国参拝を中止した際に、富田長官から中曽根の
もとに、「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった。よくやった、
そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」という昭和
天皇の言葉が伝えられたエピソードからもうかがわれます。

A級戦犯合祀に陛下が反対であったとする理由はいくつか考えられますが、
1)戦前からの合祀基準に照らして戦犯合祀に納得できなかった
2)周辺国からの反発を危惧した
こうしたことが陛下の気持ちの中にあったのではないかと推測できます。
そういうお気持ちのもとで、徳川侍従長を通じて戦犯合祀に対して
意向を伝えた。筑波宮司はきちんと対応したが、松平宮司は就任後すぐに
合祀に踏み切ってしまった。そのことを「親の心子知らず」という表現
で不快感を示された。この参拝中止の一番の理由が「周辺国への配慮」に
あると考えれば、一連の記述は脈絡がとれるわけです。藤尾発言については
文中のどこにも藤尾氏が述べた問題発言の中身については一切触れられて
いないし、そもそも藤尾氏の辞任理由はA級戦犯合祀に反対したためではあり
ません。第一、藤尾元文相が靖国参拝を中止した理由を述べるという根拠が
全く不明です。

>矛盾しているところ(「藤尾(文相)の発言」)を無視しての
>継ぎ接ぎは意味がありませんそれなら何とでも言えますから
>無理に一連のものと考える必要はありません。

大神さんはそもそも「脈絡」ということを深く考察してはいないでしょう。
「藤尾(文相)の発言」とあるから藤尾氏の発言だ、と述べているに過ぎません。
前後の脈絡を考えている形跡も感じられません。メモが会話された内容の順序に
従って書かれているのならば、その順序に従って読み解くのが道理でしょう。
「前にもあったね」の部分をどうして無視しようとされるのか、私には理解でき
ませんよ。前後関係を明確にする重要な文言ではありませんか。

さて、すぐ出かけるのでここまでとします。帰ってから続きを書きますね。




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