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靖国問題について考える
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>>864
>実際の会話ではそうでしょうが、メモに記録する場合は別に問題にはならない
>と思いますけどね。陛下に見せて確認をとってるとかそういうわけでもない
>でしょうし、個人的な記録ですから。
しかしながら現実に前の方では「申す」と敬語を使っています。
これは上田さんの言われることと矛盾しますね?
そして、上田さんは「歴史的な発言だからしっかりとメモをした」と言われていますが、
そうなると当然この言葉にも敬語を残しますね。
これは上田さんの言われることと矛盾しますね?
主語が無い場合に会話の方向の考察
は重要ですが、それを「書き手の自由」で好き勝手に解釈は出来ませんよ。
しかも上田さんの言われていることは
「書き手の自由だ」→「だから敬語がなくてもおかしくない」
ということを言われていますが、
[日記、メモの書き方は自由である]は
「単に原則を言っているだけ」
で、その自由では具体的にどのような自由があるかは分かりません。
上田さんの示す方向なのか、それとも上田さんの示す方向とは180°違う方向
なのか。
だって自由ですから(笑)
つまり、上田さんの言う「書き手の自由だ」だけではそれは
「何も論拠を挙げていない」
と同じになるのですよ。
大体、そもそもメモ・日記の類だと言うことを踏まえて話をしているのですから、
それは言われなくても分かるのですよ(笑)
「では具体的にどのような自由を彼が選択したか?」
について考えないと意味が無いわけで、その点、上田さんは実例を無視して、
自分の解釈の都合の良いように
「矛盾があってもそれは自由」
と言われていますが、そのように「自由だ」論は私にも言えるわけで(私と上田さん
は同じ読み手同士の立場ですね)、そうなると相殺されますね。
単に原則論を繰り返しているだけでは駄目で、相手(私)がその原則論を踏まえて
具体的な話(実例を挙げる)に入っているのに、原則論に留まって
「自由だ=可能性がある」を繰り返すだけ
では駄目なのですよ。「確からしさ」から判断するのでしょう?上田さんは別のことで
以前「可能性が等価」という言葉を使われていますが、
それこそ「単に自由だ」というのなら360°の方向で自由があるわけで、それこそ
可能性は等価ですね。
長くなりましたが、
「敬語の一つが間違えていた」という次元ではなくて、「敬語が全くなされていない」
という話なので、過失ではなく、「=」以下が間接話法ではなくて、直接話法である点から
陛下に向けた言葉と言うのは解釈上無理があると言わざるを得ません。上田さんの言われる
ような解釈だと
何でも言えますから
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