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Web誌友会 板/2

2170志恩:2013/06/30(日) 23:47:58 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

いらしたのね。よかった。
訊けさんが、司会として出て下さる時間帯が、少ないようなので、
訊けさんが来られないとき、ユタカ様のご都合のつくとき
復興G様のフォローを
おねがいできたら、ありがたいのだけれど、と思っていました。

トキ様は、全体を見て下さってますし、ahopeさまや、SAKURAさまも
いらっしゃるから、安心。。

2173a hope:2013/07/01(月) 10:01:01 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

訊け管理人さまがお忙しい中、司会を受けて下さりそうでうれしいです。
そして、ユタカさまが登場されてわたしもホッとしました。
また、志恩さまがいつもお話をまとめてくださるのでそれもいつもとてもありがたく感じています。


わたしは、昨日、やっと前回のweb誌友会と後夜祭の部分を拝読し終わりました。
本当に、レベルの高いお話ですごいな〜感動しています。
ここ、トキ掲示板のweb誌友会がこのレベルの高さを保てるのは、
やはり復興Gさまのご指導があるからなのではないかと感じています。


ですが、>>2169でユタカさまがおっしゃるように、
いつまでも復興Gさまにたよってばかりでもいけないような気もします。

それでも、わたし個人としては、web誌友会の始めに復興Gさまのご講話が聴きたいです。
今、復興Gさまが毎朝、榎 本 恵 吾先生の「『神癒の展開としての人類光明化運動』
 ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―」を、web誌友会参考文献板に謹写くださっています。
わたしも毎朝拝読していますが、実相独在を悟っていないわたしには、なかなかすんなり理解するのは難しい内容だと感じています。

たとえば昨日の「十一」の内容は、『運動の目標数』について書かれています。

実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、
総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、
実際のところはどうなのでしょうか?

そこで提案ですが、もし、次回web誌友会の前に復興Gさまがご講話をして頂けるのであれば、
この、榎本恵吾先生の御文章の解説のような形でしていただけるとわたしたちはとてもお勉強になると思いますが、
みなさまいかがでしょうか?
(わたしは別に「十一」の内容でなくてもいいと思っていますが・・・)

2174復興G:2013/07/01(月) 17:30:21 ID:AB6RqYXc

皆々様

第15回 web誌友会について活発なご意見、ありがとうございます。

結局、「訊け」管理人様が司会を引き受けて下さって、

開始日時は最初の予定通り
●7月12日(金)21:30より で

●終了日時を、15日(月・祝日)23:00とする。

ということで、よろしいわけですね。

それから、私は >>2137
>>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。

2175トキ:2013/07/01(月) 18:39:58 ID:aEgZVZqI
復興G様、

 ご多忙の中、ご指導を賜ります事を深く感謝申し上げます。

 この誌友会は、多くの信徒の貴重な指針になっています。
今回もよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2176ユタカ:2013/07/01(月) 21:41:40 ID:R1D4Jmeg

良かった、良かった。 a hopeさまのおかげです。

私も復興G様のご解説を楽しみにしております!!

全世界も注目だろーーなぁーーー!!

2177ユタカ:2013/07/01(月) 21:45:10 ID:R1D4Jmeg
すみません、いつもいつも志恩さまに大変お世話になります。いつも暖かく見守ってくださって感謝いたしております。

トキさま始め皆々様、本当に有難うございます。

これからもよろしくお願いいたします。

2178「訊け」管理人:2013/07/02(火) 06:52:49 ID:???

 やや余談です。復興Gさまご謹写文 ――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― ですが、今朝も感動しました。


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「生長の家は世界一の教えであるのに、なぜ、○○学会のように集まらないんですか?」

とお尋ねしたのである。幸いに満ちたよろこばしさの雰囲気の中に、尊師は

「今のうちにあのように集める練習をしておいて貰って、そのうちにこちらが話しに行くようになるのです」

 と言われたのであった。

全文ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/17

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2179a hope:2013/07/02(火) 08:31:09 ID:edEDolt2
>>2174 復興Gさま

>> >>「復興Gの講話」 というのは無しでよろしいのではないかと思います<<
と書いていましたが、a hope 様のご希望もありますので、
7月12日(金)の夕方までに、そのようなものを書き込ませて頂きます。 <<


ありがとうございます。合掌。


榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。、
そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。

わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
たとえば、「人類光明化運動発進の宣言」についても、それは方便的宣言であり、状況論であるとハッキリ書かれています。

これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。
毎朝の楽しみがまた一つ増えました。

また、復興Gさまのweb誌友会前の「ご講話」も本当に楽しみです。
復興Gさまのあたたかいご愛念に心より感謝します。 

合掌。

2180復興G:2013/07/04(木) 15:28:35 ID:AB6RqYXc

 「参考文献板」 <15> 『神癒の展開としての人類光明化運動』 十一 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/15
に、

>>運動の目標は数によって表現せられているが、それは 「吾が内に神が今ここに、そして天国は今ここにある」 という、宗教的個中の消息の雰囲気とはおのずと様相を異にしている…… << (抜粋)

 とありました。
 それについて a hope 様が >>2173

>>実際に、昨日は埼玉教区で総裁先生の講習会があったようですが、本流対策板でトンチンカンさまがその参加人数を投稿してくださっていますが、総裁先生ご自身が、とても数にこだわっている様子がうかがえます。
そして、学ぶ会さまの掲示板を拝見しましても『見真会』や『大会』の度にその参加人数を大きく公開されています。
確かに、参加人数が多ければ「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか? <<

 と、問いかけられました。

 それにお答えしたいと思うのですが、ちょうど、この問題に関係の深い一つの投書(手紙のコピー)を保存してあったのが、昔の資料を整理しているうちに偶然に出てきました。そのお手紙をご披露したいと思います。

 その投書は、十数年前――多分平成10年頃に出されたものと思われるのですが、日付けが記録してないので、明確ではありません。差出人は 「一地方講師」 としてあるだけで、お名前はわかりません。

 宛先は、「生長の家の本部並びに幹部の方々へ」となっていて、本部および全国各教区の教化部長などに送られたもののようです。それは便箋10枚に細かい字でぎっしり書かれている長文のお手紙(コピー)なのですが、一部省略、整理してご披露したいと思います。

     * * * * * * *

 合掌
 私は一地方講師として末席を汚すものでございます。

 最近、『生命の實相』第37・38巻を拝読整理する時間を得まして、整理しているうちに、素朴な疑問が様々に湧き上がってきまして、「12月27日」 のご文章
≪――いつまでも他の欠点を見ながら、それを言い現わすこともできないで、常にグジグジ心の中で思い煩っている者は、自分自身を切り虐(さいな)んでいる者であるとともに、相手からも見くびられて尊厳を失墜するものである。≫ とあるご文章に励まされ、勇気を持ってペンを取りました。
 その疑問とは、まず「数の運動」及び「美しき日本への想い」についてです。


<< 「量」 より 「質」 の運動を >>

(聖典より)
   「11月21日」――仕事ができるばかりが能ではない。長上に対する敬愛と従順とが失われたら価値の大半は失われる。仕事は量であり、敬虔と従順は質である。「質」が「量」より尊ばれるのは当然である。それを逆に「量」を「質」より尊んだのが赤の思想である。日本精神は「量」より「質」を尊ぶのである。

   『女性の幸福365章』p.376――愛するとは一体の自覚である。吾等はは父祖の生命から生まれ、父祖の生命を承け継ぐ。父祖との一体感から父祖が築き上げてきたこの日本国を愛するのである。愛国心とは父祖を愛する孝心につながるのである。

   「5月30日」――中心帰一理念こそ真統(ほんとう)の日本人の深い感動の根本となっている。楠木正成(くすのき まさしげ)の辞世の語 「七生(しちしょう)報国」 は 「七度(ななたび)生まれ変わって国の恩に報いること」 である。

   「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。

   「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。
(生長の家もその理念を失った時、弱体化するのではないでしょうか)
 日本を大いに復興しようと想うならば、日本の理念を復興しなければならない。

  * * (投書者が聖典より抜粋 一応ここまで) * *
<つづく>

2181復興G:2013/07/04(木) 15:29:36 ID:AB6RqYXc

<投書文のつづき>

 尊師谷口雅春先生には 「日本の天皇制は日本民族 いや全人類の最大遺産、最高芸術である」 と教えて頂きました。

 そのかけがえのない天皇制の存在意義を、私たち生長の家を継ぐ者が将来にかけても皆に伝えていかなかったら、果たしてどうなるでしょうか。日本民族からますます 「愛国心」 を失わしめ、先祖、親への誇りは持てず、その末裔である私たち自身の尊厳性を失墜せしめることになってしまいます。

 今よく言われます「国際化」という遠心力の土台たる求心力の 「愛国心」、先祖供養の心、親孝行、そして 「われ神の子なり」 の自覚を少なからず崩していくことになると思います。

(中略)
 今の現実は、入会して真剣に道を求めようとすると、教えの勉強を深く繙(ひもと)く事より、愛行重視に傾きすぎて、「数・数」 と 「数」 のお化けに振り回され、幻滅し、重い心を引きずりながら結局組織の兵隊になり、将棋の駒のように追い回されて身も心も磨り減っていく。「数」 で人を裁き、悲しくも一番大事な 「互いの実相を大切に拝み合う美風」 はかなり失くなってしまいました。

 全力で献身された方ほど、病気になって倒れたり、ノイローゼになって入院されたり、この喧噪を避けるため人知れず故郷に戻られたり、そして耐えられずに哀しみ怒りを内に秘めながら組織を離れていく人が、かなりの数に上っていると聞きます。昔は決してこうではなかったように思います。

 またそのように真剣に教えを求め殉じようとする人と、例えば頼まれた義理で遊び半分に講習会のみに出かける人の重みが、ただの“一人分”として同じであることに大きな疑問を感じます。

 本当は真に神の意志による組織であれば、すべての人の個性を尊重し、育んでいく。数を集められる個性も、他の素晴らしい個性も共に大切にされる世界であるはずです。

 そして 「数」 に追われるような形式的な中心帰一でなく、「尊師が御心とされた神の御意志、麗しき真なる中心帰一の秩序のもと、すべてを愛し、育み合う世界の実現」 こそ第一に優先されるべきではありますまいか。

 谷口雅春先生は、私たち誌友、そして全人類の悦びと幸せを真に願われ、勿体なくも、私たちを 「菩薩」 と拝まれました。その崇高なお姿に接し、私たちは常に襟を正さずにはいられませんでした。(中略)

 今は講習会の大量の券の他、数多くの行事出席のため、お金は湯水の如く半強制的に集められ、多くの誌友は苦しんでいます。その多額の浄財は運動のための資金として本当に必要なものなのでしょうか。

(聖典より)
   <「12月4日」――真の宗教は生を明らめ生きる道を明らかにし、人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。真の宗教とは決して教会や寺院で勝手に定めて、それを信者に強制する教条や規則ではないのである。その意味ではかえって職業宗教家より自由思想家、むしろ無宗教家といわれている人に、真の宗教を体得した人があるということができるのである。>

 現在の生長の家の指導者たる皆様方は、谷口雅春先生のこの御教えを敬愛し、「光明化運動を力強く推進して行かねば」 との使命感に燃えていらっしゃる点、心より素晴らしく有り難く思います。ただそれをあまり急ぎすぎて、残念ながら大事な点がちょっと忘れられているのではないかと、この一連の尊師の御言葉に接して感じました。
(後略)

     * * * * * * *

 以上で投書文の紹介をおわります。

 上記投書の手紙文が出てきたのは偶然ですが、偶然とは言えない何かがあるような気がしました。運動成果の 「数」 にこだわる問題を取り上げているときにちょうど、ひょっこり出てきたからです。

 投書は十数年前のことですが、今でも通ずるものがあるのではないかと思われます。

<つづく>

2182復興G:2013/07/04(木) 15:30:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 さて、去る6月30日、私は埼玉教区の講習会に一部参加しました。午前中は地元で誌友会があったのでこれに参加し、12時誌友会終了後すぐ西武新宿線の最寄り駅まで自転車を飛ばし、所沢のサブ会場「くすのきホール」に駆けつけましたら、午後1時前に到着できました。

 この講習会に誘われたのは、埼玉教区に住むある恩人からで、つぎのようなお手紙をもらっていました。

 「今年は<癸巳>まさに変革の年。新しい展開を目指して頑張りたく存じます。今年の埼玉教区最大のイヴェントは講習会でございます。1週間後の7月7日に生長の家本部の落慶式も控えており、大盛況の講習会に致したく存じ、先生にもその一端の担いをお願い致したく、講習会のご案内をさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。」

 ――というお手紙で、前回は1枚だったのが2枚の受講券と弁当券が送られていたのです。

 そういう幹部の方たちの熱意で、6月30日埼玉教区の講習会は前回比+410人(+5.42%)と伸びたようです。大成功おめでとうございます、と祝福申し上げましょう。

 ところで、>>2173 a hope 様のご質問

>>確かに、参加人数が多ければ 「素晴らしい内容だから人が集まったのだろう」 と、一般の人は感じるかもしれませんが、実際のところはどうなのでしょうか?<<

――について、率直にお答えすると、 “No” だと思います。「素晴らしい内容だから人が集まった」のでは[ない]ということです。

 私は、ほぼ断言できます――次回は、きっと減るでしょう、と。

 なぜなら、この講習会で総裁のご講話を聴いて救われた、大安心を得たという人は残念ながらほとんどいないと思われるからです。本当に悲しいことですが、それが私の率直な感想です。

 それは、本当に泣きたいぐらい悲しいことです。

 雅宣総裁には、この信徒の気持ちを分かってほしいです。

 ユタカ様は、

>>2121 の私の発言
>>しかし、新しく御教えに触れた方たちが、教団内で 『生命の實相』 も聖経 『甘露の法雨』 も買えないとなれば、由々しき問題です。
それなら 「学ぶ会」 に行けば良い、とは思いません。
なぜなら、真の 「生長の家」 は 「一つ」 であると信ずるからです。<<

というのを読んで、今まで教団から離れていたけれども、教団に復帰して愛行活動をすると決意されたようです。

 私は責任を感じています。ユタカさんが教団に復帰して本当に幸せになられるようでなければならない。私にもその責任があると感じているのです。

 時あたかも、機関誌『生長の家』の8月号(増頁特別号)が届きました。この全64頁のうち47頁を使って、「対称性の論理を学ぶ」という雅宣総裁の全国幹部研鑽会での講話をまとめた文章が掲載されています。

 これを読んで、果たして何人の人が宗教的、霊的向上などを得られるでしょうか。読んでも頭が痛くなるようなご利益(?)が得られるだけでしょう。魂が歓喜し救われるようなご文章ではありません。

 講習会での総裁の講話も、同様だと思いました。

 私は青年時代から60年以上、生長の家ひとすじに、少し大仰に言えば「命を賭けて」やってきて、こんにち80歳になりました。まだまだこれから自分の本当の人生が始まるのだ、という気持を持っています。しかし限られた今生の人生、一日も無駄に過ごしたくはありません。

<つづきますが、これから行事予定スケジュールが混み合っていますので、つぎはまた来週にお目にかかります。>

2183復興G:2013/07/04(木) 15:59:30 ID:AB6RqYXc

>>2180 訂正です。

× 「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。
            ↓
○ 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。

2184曳馬野:2013/07/05(金) 00:28:57 ID:vcOZ9g8c
   >>2180

「7月4日」――故人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。

七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか?  


「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。

「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか?

「秘められたる神示」p47、7行目に

「この聖戦に参加する者を常に護らん」とあり、

おなじp132、10行目に

「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」

同じくP133最終行に

「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」と書かれ
「自然流通の神示」に反する行為が戦争に繋がったと言われている。

生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか?雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか?

本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、
またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。

2185復興G:2013/07/05(金) 08:14:12 ID:AB6RqYXc

>>2184 :曳馬野様。

コメントのご投稿、ありがとうございます。

一つずつ、お答えさせていただきます。

≪ >>2180 「7月4日」――個人は滅しても国家理念は滅びない。国家理念のために没し切った個人の生命は永遠に滅びない。私は日本を 「久遠無窮」 の 「理念」 の体現として限りなく愛する。<<

七つの光明宣言の「二」に於いて個人の生命、魂の不死を説きながら、国家理念のためにと但し書きの付くのはどうしてでしょうか? ≫

――七つの光明宣言の「二」には、お説の通り

 「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」

 とあります。それと「7月4日」の引用文は、矛盾するでしょうか? 私は、矛盾しないと思いますが――

 投書子が引用された 『生命の實相』 第38巻の 「7月4日」 の項は、一部抜粋してあるのですが、その前後のご文章を拝読すると、これは素晴らしい真理のみことばであることがわかる思います。まず、それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

     七月二日

 本当の平和はわが心が神に結ばれたときのみに得られるのである。

 神さえあれば何も要らない。心に神を持つことは「すべて」を持つことである。神は「すべてのすべて」であるからである。
<つづく>

2186復興G:2013/07/05(金) 08:14:46 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     七月三日

 われらのすべての経験は、自分の内にある「神」を掘り出す作業である。どんなにそれが失敗したように見えようとも、どんなにそれが深刻であり、悲惨なように見えようとも、それが深刻であり、悲惨であればあるほど、われらの神に通ずる坑道は深く穿(うが)たれてゆきつつあるのである。

 深く深く掘り下げてゆくうちには、やがて広々とした世界に出る。そこは、もうなんの悲惨もない、常楽のみの世界なのである。

 どんな経験も、苦しい経験も、楽しい経験も、ただ、われわれは神に近づく掘り下げ方だとして喜ばねばならない。

     七月四日

 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。

 ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。

 ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。

 わたしは、日本を「久遠無窮」の「理念」の体現として愛したいのである。わたしは限りなく日本の国を愛する。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、今日は午前中から出かけなければならない予定行事がありますので、曳馬野様へのお答えの続きは、夜にさせて頂きます。ありがとうございます。

2187復興G:2013/07/05(金) 19:35:04 ID:AB6RqYXc

合掌
>>2186 のつづきです。

曳馬野様。

>>2180 投書子の 『生命の實相』 第38巻引用文は、前後を切り捨て縮約してあるために、少し誤解を招くような表現になっていましたが、>>2186の全文をお読みいただけば、最初の疑問は氷解されるように思いますが、いかがでしょうか。

「生命は不死」というのは、「肉体が死なない」ということでないのは自明のことです。肉体は死んでも生命は不死である、ということですね。

それで、38巻「7月4日」のところには、

≪ 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。
 ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。
 ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。≫

 とあって、個生命の不死を説くのにいろいろな説き方がある、ということを言われているのです。またある場合には霊界通信の記録をもって個生命の不死を説かれる場合もあるということでしょう。ですから、それは七つの光明宣言の「二」と何も矛盾しないと思います。


 次に、進みます。

≪ >>「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。<<
「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか? ≫

 これも、「7月8日」 のことろを抜粋でなく原文全文を謹写しますと――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

≪     七月八日

 ローマが滅亡したのは、理念または理想に対する献身的態度や、持久の精神、堅忍不抜の精神の衰頽したのによるのである。

 ものの尊さも、国の尊さも、今ある形の大きさによるのではない。

 理想――理念を失ったものは、すでに内容のない形骸ばかりのものになっているのだから、今はまだ生き生きしていようとも、それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはないのである。

 どんなに小さくとも生ける理念を内部に失わないものは、時期が来れば生長するほかはないのである。それは生命の種子であり、機会ごとに伸びるのだ。

 西欧文化は、偉大のように見えても、もう理念が失われている。日本も久遠無窮の理念が失われたとき弱体化するのである。理念が本当の「日本」であって、形はその影にすぎない。日本を大いに復興しようと思うならば、「日本」の理念を復興しなければならぬ。≫

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあるのであります。

 理念は滅びない。しかし、理念は目には見えませんから、現象世界ではその 「滅びない理念」 を忘れて、目に見えるものだけを追い求め、それに振り回されていることがある。そうすると、

 「それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはない」

 といことになる。
 そういう意味だと思います。

<つづきます>

2188復興G:2013/07/06(土) 09:44:20 ID:AB6RqYXc

< >>2187 のつづきです>

>>2184: 曳馬野様。

ご投稿まことにありがとうございます。

おかげさまで、神示講義『秘められたる神示』 を深く読みなおすことができ、その素晴らしさに深い感動を味わっております。うれしさ、ありがたさで一杯であります。ありがとうございます。

曳馬野様ご投稿に

≪ 「秘められたる神示」p.47、7行目に
「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり、
おなじp.132、10行目に
「あの戦争は聖戦だとか皇軍だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ」

同じくP133最終行に
「日本は大東亜共栄圏というのを造って経済ブロックをつくり、英米に対して対立的な経済的自給自足圏をつくろうとしたのである」 と書かれ
「自然流通の神示」 に反する行為が戦争に繋がったと言われている。

生長の家の神の教えに従うとはどうすることだったのでしょうか? 雅春先生は「皇軍必勝」と書き軍人に持たせました。
迷いの自壊作用であると知りながら勝つことのありえない戦争を応援したのでしょうか? ≫

 とありました。ありがとうございます。

 上記谷口雅春先生のご文章の断片を読みますと、まったく支離滅裂でとんでもない矛盾したことをおっしゃっているように感じられるかも知れません。

 しかし、私は 『秘められたる神示』 のご講義を改めて詳しく読み返し、一夜明けた朝、すーっと谷口雅春先生のおっしゃっている意味がわかった気がして、うれしくてたまりません。

 キーワードの一つは、たとえば 「ヒノモト」 という言葉です。これは、「霊(ひ)の本(もと)」すなわち対立者のない唯一者であり霊である。現象の国のことではない、ということですね。それは、たとえば 『秘められたる神示』 p.49に

≪「ヒノモトの軍(いくさ)」というのは「実相実現の内部的動力としてのヒカリの摂理の進軍」でありまして、形の上での物質の軍隊のことではないのであります。それが敵味方と対立する力でないのは、此の神示に「唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである」と示されているので明かであります。唯一者には対立はないのであります。「摂理としての内部的動力」が動き出すと、現象界には「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」があらわれて、その自壊作用を通して平和と光明とのみ充満する理想世界が実現するに至るのであります。≫

 とあります。

 また、<p.47、7行目に 「この聖戦に参加する者を常に護らん」 とあり……> とご指摘いただいたお言葉は、「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章の一節ですが、その前には、つぎのように書かれています。
<つづく>

2189復興G:2013/07/06(土) 09:45:05 ID:AB6RqYXc

<つづき――「昭和7年12月11日霊感」 とされているご文章>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。生命の実相に順(したが)いて生き、生命の実相に順いて善を行ずる。生命の実相は久遠常住の佛なるが故に生命の実相の発露するところおのずから善となり美となる。善も美も固定したものではない。戦いのうちにも善もあれば美もある。

 「怒りの内にも善もあれば美もある。戦いと怒りを否定する境地はなお初歩である。普通の怒りを否定し去ったのちに、尚実相が迷いを消すための戦いと怒りとのあることを知らねばならぬ。それは聖戦であり神の怒りである。神そのものが怒っているのではない。実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり、神の怒りとなり、天変地妖ともなれば階級争闘ともなるのである。迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――以上をしっかり拝読しますと、まず出発点が

 「久遠常住の佛に帰依(きえ)するのが生長の家家族の帰依である。久遠常住の佛とは自己の内にある。各自の生命の実相がそれである。」

 というところなのでありますね。つまり、肉体の自我を「なし」と否定し、霊なる普遍的な我れ、対立を超えた我れの自覚に立って、「実相が迷いの中を厳かに進軍するとき、その顕れが戦いとなり……」ということになる。

 それは、

 「迷いの方から言えば迷いの自壊作用であり、実相の方から言えば実相の勝利である。迷いは『虚』であり、実相は『実』なるが故に、唯勝つほかはないのである。汝らただ恐れず進み行け。汝らの前にわれ常に煙幕となりて蔽わん。汝らよ、戦いの時は来たのだ。此の聖戦に参加する者をわれ常に護らん。」

 とあるのであります。

 私はこれを拝読しまして、ハッと気がつきました。

 「現象あり」 の立場、現象の側から見れば、大東亜戦争も 「迷いと迷いとが相搏(う)って自壊するという形」 であり「侵略戦争」とも言える。

 しかし、「光一元」 の 「実相独在」 の側から言えば、それは光の進軍であり 「聖戦」 と言える。

 今も、私たちの生活はある意味 「聖戦」 でなければならない。――私は、そう思いました。

「霊魂進化の神示」 に

≪ 『神の子』 なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

 人間の運命とは 『神の子』 なる人間の実相が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くように 大体定められているのを言う。

 それは譬えば朝顔の種子(たね)の中には既に 『花』 の因子(たね)が包蔵されているが、それが現象界に 『花』 となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出し、蔓を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと言うように、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、或は幸福に恵まれ、或は虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。≫

 とありますが、これは人類全体の運命についても同様の経過を経て 「神の国」 の種子(理念、構図)が現象界に展開して行きつつあるのだと思われます。

<つづく>

2190復興G:2013/07/06(土) 09:45:41 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 その 「神の国」 の種子――「神の構図」 とは、すべての人類が互いに生命の兄弟姉妹として拝み合い生かし合う中心帰一大調和、無限感謝・無限生長の喜びの世界である。それで、

≪ 東洋の使命、その代表者としての日本国の使命は 「霊の使命」 であり、霊は分割し得べからざるものである。分割されたる世界を一つにまとめるのが日本の使命であります。

 西洋の分割精神に基く科学文明によって個々別々に分断されている国々を、現象はどのように個々別々に見えているにしても、実相に於ては 「みんな “神の子” であり、互いに兄弟である」 という霊的実相を知らしめるための戦いがヒノモトの戦いなのであります。

 大東亜戦争も現象としては明かに 「迷いと迷いとが相搏って自壊する戦い」 であったのに相違ありませんが、その底を流れている摂理としてのヒノモトの心には、「人類は霊的に互いに兄弟であるから有色人種と雖も、平等にその人権をみとめ、有色人種の国々を民族自決によって独立せしめなければならぬ」 という理想が動いていたのでありますから、それが戦争中に 「大東亜民族の解放のための戦い」 だというような標識も出て来たのであり、結果に於て大東亜民族諸国の独立という偉大なる業績を成し遂げたのであります。

 日本はその解放戦のために、ひとり十字架を背負って “侵略国” の汚名を着、且つ “敗戦” という磔けにかけられたのでありますが、「八紘一宇」 (世界は一つの家庭) という霊的理想は幾多の自壊作用をつづけつつ、だんだん世界全体の人々の心を動かしつつあり、……唯一つの中心を求める願いは、世界連邦・世界政府などの理想で徐々に形をあらわしつつあるのであります。≫

 と、『秘められたる神示』 p.51〜53には書かれています。

 その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。

 そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。

 ありがとうございます。

 では、今日のお仕事に行ってまいります。

2191曳馬野:2013/07/06(土) 18:10:55 ID:vcOZ9g8c
復興Gさんありがとうございます

その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。
そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。


色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。

真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか?

住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう?吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?


【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】

これが出来ている人がいるのでしょうか?

【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?

本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?

今ここに生長の家誌の昭和18年五月号があります。法語というべきものとして生命新体制記というものが書かれ、そこに盤珪禅師のことを取り上げ生長の家と全く同じであると書かれています。
盤珪禅師の不生禅といわれるものは一切の念を浮かべないというものです。そして論文的なものとして「絶対無の日本武道」なるものが説かれ、その最初の文に

【『絶対無』の心境が日本精神であります。苟も心に一塵の『有』がありましても、その『有』に縛られて日本精神本来の自由自在が失われてしまうのであります。・・・・・・・・
斯うでなければならないと条件づけたときに、既に吾々は絶対自由の境地から一歩踏み外したと云うことになります。】と書かれています。その法語五月八日には

【「いさかひはげにやまびこのこだまかやわれしづまればむかふおとなし」これは心学の歌である。『和』と云うのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。
向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから、『和』が成立せぬのである。】と書かれています。

雅宣先生がどうだこうだという前に、原理主義者といわれる人達は雅春先生を信じるというのであれば、上の雅春先生の言われることを自分の信じる原理主義に則り実践することが
求められるのではありませんか。「復興G」のはんどるは復興を目指す爺さんの謂いでしょうか?実践しない信仰者に対して原理主義の称号は云い得てますね。

復興Gさんが榎本講師の文を紹介されていますが、「光のある内に」をなかなかのものと思い読んだことがあります。
しかしながら、ここに書かれているものを読むにつけ、上の二つの引用文の心境には隔たりがあると感じます。

『其の儘の真理』とは如何なるものとお考えですか?組織運動の中での其の儘の生き方とは?

私も時間の少ない生活をしていますので早いお返事は出来かねますが。

2192復興G:2013/07/06(土) 21:54:41 ID:AB6RqYXc

曳馬野様

あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。

>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。

私は明日は朝からずっと夜遅くまでスケジュールが入っていますので、明後日、月曜日以後にならないと投稿はできませんが……

2193ユタカ:2013/07/06(土) 22:14:26 ID:R1D4Jmeg
>2190 その 「神の国」 の実相顕現のためには、根本において 「物質なし、肉体無し。人間は霊である、神の子である、神である」 という自覚に目覚めなければならない。

 「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する。「霊」 の世界は 「一つ」 であるから、真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります。そのためには自我を死に切り、己れを無にする必要があります。対立のない「霊」の自覚に立っての「聖戦」を、今日も戦ってまいりたいと思います。それは、己れ自身との戦いであります。

 そういう自覚に立った時、曳馬野様ご投稿の、一見矛盾だらけのように取れる谷口雅春先生のご文章の真意がわかって、矛盾はないと、私は理会納得できました。


カァーー!! カァっコイイーー!!

復興ジャイアンツの御言葉には、神様が宿っていますね。。。。

本当に惚れ惚れします!!  

己との戦いとは全人類共通の課題でありますなぁ。。。


生命の実相第3巻第1章でユタカが線を引いた箇所。
○ (P、99後ろから4L)病気というものはゴムの袋に水をいれておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他のところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押さえてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸となるのです。

○ (P,105 5L)  ともかく物質治療医学は病を征服したかといいますと、医学が病を征服していない証拠に医学いよいよさかんにして色々の治療法や医薬が発見または創製せられるのに正比例して病気がますますさかんになっていることであります。もし物質治療医学が真に病気を根治しうるならば、医学の盛んになるにつれて病気がしだいに減ってゆくべきはずでありますのに、病気は減るどころかむしろ殖えているのであります。それなら物質医学は全然病気を直しえないか癒しえないかと言いますとそうではない。実際個々の病気そのものは物質医学の治療法で癒しえているのでありましてこの事実を否定するのは公平ではありません。

2194ユタカ:2013/07/06(土) 23:45:34 ID:R1D4Jmeg
○ (P,106 7L)「生長の家」では薬物治療法を「迷い」をもって「迷い」を制する治療法だというのであります。病は神が創造らないから本来無い。無いものをあると思うのが「迷い」である。物質は生命でないから治す力がない、治す力のない物質たる医薬に治す力があるように思う、だから『迷い』である。
この二つの「迷い」は、根本は一つの迷いーー「物質に生命あり」との迷いから出発したのでありまして、この一つの「元の迷い」から、人間は肉体と称する物質だと思う「迷い」ができたり、治す力は物質にあると思う「迷い」ができたりしたのであって、この二つの迷いの力が互いに衝突して中和したような状態になる、これが薬物治療その他の物質治療によって病気が一時消滅したように見える理由なのであります。しかし、これでは甲の迷いが乙の迷いによって中和しただけであって、「元の迷い」が真に消滅したのではない。だから中和していた二つの迷いの釣り合いの状態が
破れると、すぐ元の病気が再発して来るか、別の他の病気に姿をかえてあらわれて来るかするのであります。

○ (P120 3L) もっとも医薬もだんだん進歩しまして、ペニシリンのごとき副作用の少ないものも逐次発見されつつありますが、しかも、かかる薬剤ができれば、一時はきいても菌に抵抗力ができてやがてきかなくなります。 だから根本的には心を清めて病気を無くするのが第一であります。

○ (P、128 10L)大体、母体に胎児すなわち生命が宿るということは人工ではとうていできないことーーとうてい人間の計らいではできることではないのでありまして、「生命」のみ「生命」を生み、「生命」のみ「生命」を養い育てることができるのであります。神が母の体内に「生命」の種子を宿し給うたならば、神がそれを養い育て給うのは必然であります。栄養が必要ならば神が母の口より入る食物を通じて必ずそれを与え給う。栄養が胎児にとって必要なときにおいて、その母親の口より食物の入らないようにするような悪阻などを、神が創造り給うはずはないのであります。それだのにここに、人間にこの不自然な悪阻というものが起こるのは、それは人間が、自己の生命が調和の神よりきたれることを自覚せず、一切のものが一つの神(全体を一つの調和ある状態に支配する力)によって支配されていることを自覚せず、個々の生命は別々に勝手に相食み胎児は母の肉体を食し、黴菌も母の肉体を食し、そこに自己の肉体をあたかも「生命」と「生命」とが相食み相戦う戦場であるかのような迷える人間観を抱いているから、その迷いの人間観が客観化して悪阻ともなってくるのであります。

だからわたしはそのご婦人にこの迷いを破るために神想観をなし、「胎内に宿っている胎児は神が宿し給うたものであるから、この胎児の生命は神が養い給うのである。 だから神は必ずこの胎児の生命の生長に必要な栄養は母体の口を通じて与え給うのである。母体が衰弱してしまったならば、せっかくこの胎内に宿っている生命も生長の機会を失ってしまうのであるから、神はけっしてそんな不合理なことをなし給うはずはない。そんな不合理は神から来たのではない。自分の『迷い』が映像を映していたのである。自分は今『迷い』の念を去り、生命は神が養いたまうものであって自分の身を削って養うのではないという真理を知ったから、もう自分の胎内に子供が宿ったということについてなんの恐怖も感じもない。母体も胎児も神の愛深き無限の養い給う力に抱かれてなんの恐れもなく平和である」と心のうちに数回繰り返して黙念して神想観をなさるようになさいとということを手紙で返事を書いてあげたのであります。

すると、そのご婦人からは、私の手紙が到着した日から不思議に吐き気がとまって食物gsたべられるようになり、その付随的功徳としては今まで熱をだしていた別の幼児が、それと同時に解熱したので実に驚いているーーという意味の感謝状を送ってこられたのであります。

○ (P、133 6L) 憎みを放下せよ、病気は治る。憎みを放下しても治らないのは過去の憎みの波動が残っているからである。過去の憎しみの波動を消すにはその反対の波動を心に起こせ愛は憎みの精神波動を中和する。(智慧の言葉より)

2195ユタカ:2013/07/07(日) 00:28:17 ID:R1D4Jmeg
以下はユタカの妄想を書きます。

曳馬野様の 日本語の意味不明で難解さが 生長の家総裁さんと よく似ていますね。。なんだろう?「指導されていた思いが良いものであれば、」って???50年代って創始者先生がご存命の時代でしょ?意味ワカンナイよネーーーこの文。さらに指導方針に則った真理理解って・・・急に何??宇宙人か?こいつは??どこの惑星人だ??

もしかして、生長の家の総裁と友達?それともまさかの本人?と勘繰るほどだよ。でも、人生の時間がないってことは総裁だったら違うな。いや、もしかして、、、総裁は人知れずまさかの病気で『ガン』とかだったり・・・?? ブログに乗せない夕食は妻が血のしたたる牛肉を大量に料理していたのかもしれない。。。????

どう考えても病気・・・だが、それは有り得ない。残念だけど・・・ 

WEB誌友会にあわないですね。。削除してください。 はははのは。







酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・

2196ユタカ:2013/07/07(日) 00:34:49 ID:R1D4Jmeg
>真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

更に、もっとワカンナイーー。 詳しく書いてくれたらいいなぁ。。。でも、根本的に生長の家の教えの把握の仕方が自己流なとこがますます総裁そっくり!!!

はははのは。 これも削除してください。

2197ユタカ:2013/07/07(日) 14:47:37 ID:R1D4Jmeg
3巻第2章 ここは谷口先生と中畑さんと何人かの会話

○ (P、134 2L) 細胞は粘土、心は彫塑家、作品はわれらの肉体である。われらはすべて自己の肉体をいかようにでも作る権利をもった全能者である。ウエルズによれば、人体内の細胞の総数は一千兆以上ある。この驚くべき多数の細胞が「一糸乱れない支配」のもとにいろいろの分業に専心している。この「一糸乱れない支配」は誰がするのであるか、それはわれらの心がするのである。心を切り離すとき、細胞はもういろいろの分業をしなくなる。
一個の細胞を「人間」から切り離して人工培養をした実験によれば、心臓の細胞でも、腎臓の細胞でも、その他人体のどこの細胞でも、生きてはいるけれども、一列一帯に、どれが心臓の細胞だかいっこう区別のつかぬ類型的な働きしか営むことはできないのである。そうすると心臓の細胞が心臓特有の働きをし、腎臓の細胞が腎臓特有の働きをし、その他、人体各所の細胞がおのおの特有の働きをしているのは細胞自身の働きではなく、「我」の心の支配力を受けてのことであることがわかるのである。
わが心は全身の肉体細胞にいかなる働きをさせるかについて絶対の支配権をもっているのである。この心が支配権を捨てる時全身の細胞の働きが乱れる。これを病気というのである。

2198ユタカ:2013/07/07(日) 17:39:24 ID:R1D4Jmeg
○ (P,142 1L) ところが、神というものはそんなに自分の外にあるのではない、そんなに移り気で怒ったり愛したりしているものではない、 自分というものが神の子である、神の子であるから自分そのものがまた神である。他に神を求めるにおよばない、自分の内の神様を生かすようにすればよいものだという真理を悟るようになってからというものは、頼りにならぬ外の神様を頼りにしてその機嫌の良し悪しに従って、自分の運命がふらふら変化するというようなものではないと解ったから、ソトの神さまを恐れる必要がなくなった。自分のうちの神さまを生かすようにするだけで良い、この自分のうちの神さまと言うものはお供えのしようが悪いとか、お経やのりとのあげようが悪いとかで腹を立てたり復讐をしたりする我執をもった神ではない。どこまでも真ん円い円満完全な朗らかな神性であって、それはその神性をみとめさえすれば、その認めることによって、どれだけでも円満完全に顕れ出るものであることが確実であって、時々のご機嫌によってご利益を与えたり神罰与えたり、いろいろ変わるような不確かなものでないということが明瞭になってきた。
この不確かなものを信じていると心が動揺し恐怖するから、わたしでも恐怖心で病気になっていたが、 確実で不動な正しいものを信じるようになると病気が自然になくなった。

○ (P,143 5L_) 神と言うものは調和であり愛であるから、家のなかに不調和な精神的争いがあっては神というものは顕れぬーー

○ (P,148 7L) 下痢を起こしたまたは熱が出た時はその人の「生命」が迷いを外に駆逐し始めた証拠であります。すなわち迷いに対する真生命の勝利しつつあるシンボルであります。さらにこれを第二義的に申しますと、人間の健康が病気又は黴菌に打ち勝ちそれを駆逐し始めた実証であります。

○ (P,150 後ろ6L) 『生長の家』をお読みになると今まで自分の病気の回復を遅らせていたのは自分の暗い気持ちであったことをお悟りになり、生命の実相をお悟りになって根本から明るい気持ちになられたところが、五年間ゆき悩んでもてあましていられた肋骨カリエスが二、三ヶ月のうちに全治して、もうすぐあとから結婚問題まで持ち上がっている実例があります。

2199ユタカ:2013/07/07(日) 18:25:00 ID:R1D4Jmeg
○ (P,151 5L) それから、これは大阪で天理教の熱心な布教師をしていられる方の話でありますが、その息子さんが肺結核にかかって幾度も喀血せられた。「天理教の教えを真ぜよ、病気は治る」とお父さんが言われるけれども、そんな不合理な教えは信じられぬといってきかない。大阪のような都会では空気が悪いからというので北陸の海岸の親類の家に養生に帰っていられた。その時、その息子さんの姉の方が雑誌『生長の家』をもっていってあげられた。その方がお読みになると、人間の身体は神さまからの借り物だ、などという天理教は信ぜられないが、人間の身体は仮のもの、実相ではない仮現であるという「生長の家」の教えは合理的だから信じることができるといわれて、引き続き読んでいられるうちに、しだいに自己の生命の実相をお悟りになられて、健康がめきめき回復してきた。そのおとうさんである天理教の先生さんも大学を出られた立派な教育ある方でありますが、天理教を信じないと頑固に言い張った息子が信じることができると言う「生長の家」の教えというものはどんなものかとお知りになりたくなられて、試みに二冊送ってくれといってこられた。ちょうど手元にあった第二集第四号五号をおくってあげると『生長の家』を読むにしたがって、天理教の説かれた真の御教え、真の教祖のみ心というものが一回は一回ごとにハッキリ解るといって立て続けに十二回お読みになって、「これは真に神のことばである。神が書かせてお出でになる言葉だからこそ、こんなに味わいのつきないものがあるのだ」といわれた。一方息子さんのほうでは、『生長の家』をお読みになっているうちに真理が悟れて、天理教の教えに反抗している必要がなくなってきた。父が天理教を信じている、息子がどうしてもそれを信じないとがんばる、その頑張りがあった間は、父と息子の間に精神的葛藤があり、それが病気の治るのを妨げていたのでありますが、その息子さんの心のうちにがんばることも反抗することもいらない、天理教の中にも生きていれば、他の宗教の教えの中にも生きており、同時にまた自分のうちにも、父親の愛のうちにも生きている完全円満玲瓏珠のごとき「生命の実相」を味わわれるようになった時、今まで「天理教を信ぜよ」「信ぜぬ」で互いに和解ができていなかった父と子との間に和解が出来るようになられた。病気がずんずんよくなる、病気などはなんでもありませんが、病気の治ることよりも大切な家庭の中の和解がそこに成立した。
神の教えというものは愛の教え和合の教えであるべきですから、家族の一人が何教を信じたがために、父子互いに相争うようなことになる教えは、その教えそのものが本来いかに良くてもその教えを信じる人おのおのの理解に片寄りがあるからである、この片寄りがとれて、本当の神がわかり、自分の生命の本当の相というものが解ってくると、人間はその生命の実相において一帯であるからひとりでに和合せねばならなくなる。

2200トキ:2013/07/07(日) 18:36:29 ID:Zbzuk5S2
 曳馬野様のご真意は不明ですが、50年代の指導が良ければ、という事で、少し感想を申しあげます。

 生長の家の歴史を調べると分かる事ですが、生長の家も全く挫折なく、順調に伸びて来た訳ではなくて、やはり
いろいろと挫折もあり、障害も乗り越えて、今日まで来たのです。先達はその時に、全力で祈り、動かれて、運動
をされてきました。今日、ここまで伸びて来たのは、これは疑いもなく、先達の功績です。これは、素直に認めま
す。

 それで、今、生長の家の運動がおかしくなって来ているのは、いろいろな背景はありますが、その最大の責任は、
先達ではなくて、今、現代に生きている生長の家の信徒の吾々でしょう。それを無視して、先達に責任を転嫁する
のは、やはりよくないと思います。

 私の縁者の「一白鳩会員」が話しているのは、

 『確かに、マサノブさんは問題だが、あの人は、自分は、あれが正しいと思い込んでやっているのですから、
仕方がありません。問題は、周囲の側近や幹部です。マサノブさんの指導が間違っているのを知りながら、
こびへつらい、信徒に間違った指導をしています。これは、ある意味、マサノブさんよりも、はるかにタチが
悪いです。本当の生長の家の信徒なら、無理はしなくてもいいから、出来る事をすべきです。ただし、争いは
反対です。」
(総裁、ならびに本部の皆様、暴言をごめんなさい。高齢者ですから、止めても聞かないのです。)

 と言っています。

 『他の作と不作をとうな。自分の作と不作を問え」

という禅宗の精神が大事かと思います。

 (すみません、考えがまとまらないまま、書きました。)

2201曳馬野:2013/07/08(月) 05:46:49 ID:vcOZ9g8c
2184での投稿
「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」

2191での投稿
「色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。」

あなたのご投稿は、何をおっしゃりたいのか、さっぱりわかりません。

>>色々言われたご意見は、私が50年代に生長の家を指導されていた思いが良いものであれば、違う生長の家になっていたでしょうと云った、指導方針に則った真理理解のご意見だと思います。
真理の実践者が多くいたのであれば住吉本宮は建立される必要がなかったのではありませんか? 住吉本宮を建立されたとき雅春先生は何と言われたでしょう? 吾ら為す術を知らずと言われませんでしたか?<<

まず上記の意味が分かりませんので、わかりやすくご説明下さい。

【・・・・・自覚に目覚めなければならない・・・・・・・真の 「ヒノモト」 (霊の本) に立てば、対立していた者も自ずから 「一つ」 に結ばれるからであります】

これが出来ている人がいるのでしょうか?

【「現象あり」 と認めれば、必ず対立抗争の世界が展開する】、この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?

本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか?

と私は問いかけました。あなたの信念となっているこれらの真理を其の儘に実践できている人がいるのでしょうか?真理を実践すれば結果は現れものですよね。あなたの云われた真理が実践されているのであれば、雅宣先生が如何なる人であれ、実践者の心の影として、本流、八ヶ岳教団などという対立は現れないわけです。

2202曳馬野:2013/07/08(月) 05:47:52 ID:vcOZ9g8c
真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。真理は正しい真理は正しいとばかり言っているのみで実践が伴わない人を指して原理主義なる言葉が発生したものでしょう。

「本流といわれる人々は何に回帰しようというのでしょうか?50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。」

との私の意見は、真理の実践あるのみとの指導が40年代後半から徹底されず、自己満足型になっていったとの意味です。宇治別格本山のホームページの歴史の第二章に、親不孝者三人の体験談が載せられています。徹底した実相直視の体験談であります。雅宣先生がという前に先生の実相を徹底的に見、己の心の迷いを取り去るべきでしょう。それが出来ているうえであなたが言われた日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっていると云うのですか?私はそうは思いません。雅宣先生がどうあれ実相を観て頭を下げていられる人間でありたいです。

周りの人々の実相を観ること能わず、体験の出ない運動になったがゆえに、入龍宮を観念で済ます人が増えたから、我らのみにては力足らず、かくなるうえは竜宮住吉の大神のお出ましを願うほかなしとして、竜宮住吉本宮の建立に至ったものだと思います。

勿論トキさんが言われるように今の自分の影ととらえなければいけません。それは第一で先達の責任であるというつもりはありません。ですから違った生長の家になっていたことでしょうと云ったのです。私が問題とするのは、本流回帰、復興の意味するものが観念論の真理回帰なのか、本来の実践真理への回帰なのかということです。

原理主義種でなく実践主義者であれというのが私の意見です。

2203曳馬野:2013/07/08(月) 05:56:13 ID:vcOZ9g8c
ユタカさん

>>酔っ払って、妄想しながらひとりごと・・・・

色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから

2204復興G:2013/07/08(月) 07:09:55 ID:AB6RqYXc

>>2201>>2202 :曳馬野さん

>>真理は正しくとも実践されなければ絵に描いた餅です。……原理主義種(者?)でなく実践主義者であれというのが私の意見です。 <<

――ならば、あなたもまずそれを実践してください。

>>50年代に生長の家を指導した人たち、またその下で青年会を指導した人たちの指導が良いものであれば、もっと違う生長の家が出来ていたことでしょう。<<

>>この原理を正しく理解実践できる人が八ヶ岳教団とか原宿教団とかという名称で人を指差すでしょうか?
 本流と称する人達の中に一人でも居られるのでしょうか? <<

などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。

2205復興G:2013/07/08(月) 07:29:40 ID:AB6RqYXc

 私は、

>>日の本の霊的進軍として、大東亜戦争と同じ意味合いで本流なる分派活動が起こっている<<

 とは思っていませんし、言ってもいません。「真の生長の家は、<一つ>でなければならない」 とのみ言い続けています。

 ただ、お互いに他を言うばかりではいけない、それは曳馬野さん、あなたも同じ穴の狢になってるのではないですか、と申し上げたのです。

2206復興G:2013/07/08(月) 07:37:32 ID:AB6RqYXc

>>2200 :トキ様

>>「他の作と不作を問うな。自分の作と不作を問え」

という禅宗の精神が大事かと思います。<<

――まさに、そこですね。ありがとうございます。

2207復興G:2013/07/08(月) 11:21:40 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、『生命の實相』 の熱心なお勉強、ありがとうございます。

じっくり拝読して、コメントを書きますので、しばらくお待ち下さい。

土日はとてもハードスケジュールだったので(八ヶ岳本部の落慶式に行ったわけではありません。ネット中継も見ていません)、プライベートな雑用もたまってますので、少し時間を下さい。

ありがとうございます。

2208トキ:2013/07/08(月) 16:11:02 ID:rbsR5MnM
>>2206

 ご丁寧なコメント、恐縮いたします。ありがとうございます。

毎日、榎本先生のご文章を拝読しています。現在の状況について、答えがあるような印象を
持っています。

 今後とも、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2209ユタカ:2013/07/08(月) 20:22:50 ID:R1D4Jmeg
復興G様

ユタカのは抜書きで、何のコメントもしていません。 ただの抜書きです。

ご心配なさいませんようお願い申し上げます。

2210ユタカ:2013/07/08(月) 20:45:05 ID:R1D4Jmeg
曳馬野様

>色々言う前に酒がまずい幼子になってくださいね、幼子の如くならずンば神の国に入ること能わず、ですから

あ、そ。 じゃ、幼子のごとくに、ハッキリ言うけど・・・

>>2204 >>などと現在の状況を他人事のように、すべて他に責任転嫁するようなことを言っていたら、自分自身がその “原理主義者” になっているのではありませんか? 実践せよというなら、まず自分自身が実践しましょう。<<

上記の内容をよく読もう。復興G様に言われた同じ内容をカルト友達にも教えてやんな! カルト友達=同じ思想のあの人だよ。 真理の自己流解釈者講習会でみんなで笑いをこらえるのが大変なのだ。。。(迷いはレストランのメニューからくるんだろ・・・(笑))

ついでに幼子のよう悪いこというけど・・ 北杜市で誰か亡くなったの? 葬式が森の事務所であったって??

田舎の貧乏な小学校の体育館で何かしてたけど・・・ よく見なかったんだけど、、土葬にした??

チラ見で、解らないけど、脇に積み上げている大きい石で土砂崩れが心配な場所に見えたよ。 

それから・・ご神像の説明に。『生命の実相第1巻の巻頭』と言えず、聖書から・・・なんて言っちゃう所が痛いね、自分で失っといて。。


どう?まずい幼子ってこれでいい???

2211志恩:2013/07/09(火) 00:24:57 ID:.QY5jUA6
曳馬というのは、いわゆる、馬を引く....馬を後退させるという意味で、
戦いに負けた、という意味だとネットに載っていましたが、

そのようなハンドルネームにされたのは、シャレでしょうか?
それとも、偶然でしょうか?

2212志恩:2013/07/09(火) 00:29:58 ID:.QY5jUA6
別板で、「うなぎ専門店」の名だと、書いておられる人もおられました。
こちらの方かも。

3992 名前:神の子様 投稿日: 2013/07/08(月) 23:23:10
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<曳馬野> (ひくまの) ・・・ 「うなぎ専門店」

http://r.gnavi.co.jp/n974200/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「曳馬野」と名乗る人を見受けますが、この人は「鰻」が大好きなのでしょうか?
「ノーミート」をしているのだが、それで「鰻」に目が向くという人なのでしょうか?

2213神の子さん:2013/07/09(火) 01:32:53 ID:hEDgi/S2
10 :名無しさん@3周年[]投稿日:2011/02/21(月) 19:31:00.77 ID:le4nTp+5[1/4回]
イスラエルカルトの幕屋
http://zioneocon.blogspot.com/2004/02/75-japanese-march-in-support-of-israel.html
幕屋は日本会議に入ってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

幕屋は「つくる会」にエージェントを送り込み支配してるが
「つくる会」の副会長で明星大学教授の高橋史朗という者がある。
高橋史朗:元・反憲学連(生長の家系)活動家。扶桑社発行の『新しい歴史教科書』の監修者。
高橋史朗は生長の家の信者だが、主張内容が統一協会と完全に一致してることで有名でもある
統一協会のフロント組織「東西南北統一運動国民連合」の教職員向けの会合で講師を務め、
国際勝共連合制作のビデオ「性教育過激派の狙い」に出演するなど、統一協会とは切っても切れない関係。

統一協会、幕屋、生長の家、つくる会はズブズブの密接な関係があり
この全部について主張内容が日本会議と全く同じ、公式に(表向きに)発表してる部分だけでも
幕屋、生長と日本会議に二つも入ってる。

簡単に関係をまとめると、以下のようになる
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/topic/2005/0812-2.gif

ということらしい

2214山本富士子:2013/07/09(火) 05:24:43 ID:RgtAnGTI
昔、大昔、生長の家の集会で高橋さんの話を
聞いたことがありました。その中に情報収集のため
統一教会(勝共連合??だったか)の学生の集会(合宿??)
に参加したときの体験談を聞いたことが思い出されました。
アメリカに留学中、雅春先生の没収された神示を発見したりと
熱心な生長の家信徒だとばかり、思っていました。

2215復興G:2013/07/09(火) 15:05:46 ID:AB6RqYXc

合掌
皆さま ありがとうございます。

「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います。

第15回web誌友会は、『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213) をテキストとして、

今週の金曜日 7月12日(金)夜21:30から 来週
         15日(火・<海の日>で休日)夜23:00まで

「訊け」管理人様の司会で行われることになっているわけですね。

そしてその前に 「復興Gの講話」 がほしいというご要望がありますので、それにお応えすべく只今準備勉強中であります。

真理学習の意欲満々であるユタカ様が、すでに

>>2193
>>2194
>>2197
>>2198
>>2199

に、テキストの中で特に 「線を引いた箇所」 を謹写掲示してくださっています。それはだいたい私も特に注目していたところと一致しており、共感、感謝しています。

それで上記ユタカ様の投稿をはじめ『生命の實相』「光明篇上」 に関連して思うことを私の方から申し上げ、皆さまのから忌憚のないご意見・ご質問など積極的なご投稿を期待します。

明日、10日(水)あたりから私の投稿を始めたいと思っております。乞うご期待!

合掌 ありがとうございます。

2216復興G:2013/07/09(火) 15:09:33 ID:AB6RqYXc
誤記訂正です。

× 『生命の實相』 「光明篇上」
              ↓
○ 『生命の實相』 「生命篇上」

2217トキ:2013/07/09(火) 15:30:10 ID:Bz/1TirE
 復興G様、ご多忙の中、ご指導を賜り、深く感謝申し上げます。
よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2218うのはな:2013/07/09(火) 17:42:21 ID:ZF4EvkZA
> 名前:復興G 投稿日: 2013/07/09(火) 15:05:46 ID:AB6RqYXc
合掌
皆さま ありがとうございます。

「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 暑中お見舞い申し上げます。
 復興G様が第一義の『生命の實相』を学ぶことを、、、と申されますと
 ものすごい説得力と威厳を感じますね。
 
 それでは聖歌斉唱 『宇宙荘厳の歌』

 参加しませんが、いつもありがとうございます(笑)

2219復興G:2013/07/09(火) 21:00:01 ID:AB6RqYXc

うのはな様

うのはな様からそのような祝福激励とお褒めをいただけるとはうれしい、光栄です。

がんばります。

感謝合掌

2220山本富士子:2013/07/10(水) 06:02:30 ID:RgtAnGTI
復興G様
いつもご指導ありがとうございます。

うのはな様
聖歌 すばらしいアイデァですね!。
ブログ誌友会に、よりいっそう宗教的雰囲気が漂います。
合掌ありがとうございます。

2221a hope:2013/07/10(水) 08:14:15 ID:edEDolt2
みなさま

おはようございます。
先週末から、忙しくしていてゆっくり掲示板を拝見する時間がありませんでした。
そんななかでも、自分自身の信仰姿勢をこれからどうしていったらいいのかと、
わたしなりにいろいろ考えたりしていました。
「唯神實相」「現象なし」の「生長の家の教え」は、宇宙最高の真理だと思っています。

では、まことにその信仰姿勢を貫き通すとはどういうことなのでしょうか?
実際には、ひどい現象がそこにあるのに、その現実に目をつぶって実相の光明面だけを見つめ、
現象の暗黒面とは適当に折り合いをつけて生きていくということでしょうか?


「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は、現象人間の過ちが表現された二元論の長編詩です。
たしか、雅宣先生ご自身も、「あれは長編詩で聖経にかわるものではない」とおっしゃっているはずです。
雅宣先生が、ご自分の頭で考えられて真理を伝える方便としてお書きになったものだと感じています。

それなのにいつの間にか「お経」になって宇治別格本山などの練成会でも読誦され始めてしまったようです。
いったいどなたが、そのようなことを決められたのですか?
雅宣先生ご自身からのご命令なのですか?

「唯神実相」を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、
あのような二元論の長編詩を「お経」として練成会などで読誦してしまったら、
せっかく真理を知って「唯神実相」に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。
とても危険なことだと感じています。

わたしは、あの長編詩を「お経」として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、
みなさまは、どう思われますか?

2222a hope:2013/07/10(水) 10:14:51 ID:edEDolt2
>>2221のわたしの問題提起はこのweb誌友板での>>2180〜の復興Gさまや曳馬野さま、ユタカさまトキさまなどの
やり取りを拝見していて感じたことですがすでに一連のお話は終わっているようですね(笑)


>>2215で復興Gさまが
<<
「web誌友会板」 で第一義の 『生命の實相』 を学ぶことを、粛々と実行してまいりたいと思います。
第15回web誌友会は、『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213) をテキストとして、
今週の金曜日 7月12日(金)夜21:30から 来週
         15日(火・<海の日>で休日)夜23:00まで
「訊け」管理人様の司会で行われることになっているわけですね。
そしてその前に 「復興Gの講話」 がほしいというご要望がありますので、それにお応えすべく只今準備勉強中であります。>>

とあるのを見落としていました。
すみませんでした。
このわたしの問題提起ですが、信仰/体験板の方に貼らせていただきます。
みなさま、そちらのほうでご意見をお聞かせください。

2223復興G:2013/07/10(水) 23:40:10 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

お約束していました 『生命の實相』 第3巻 「生命篇」 をテキストにしての 「講話」 ――遅くなりましたが、始めさせていただきましょう。

第3巻の 「生命篇」 はまた、非常に素晴らしい、真理の根本が詳しく説かれているところですね。

私は非常に感銘深く、法悦をもって読み返し、勉強させていただいています。

まず、ユタカ様が >>2193>>2194 で抜粋謹写してくださいましたが、第1章の最初のところ――

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   第一章 はたして物質的治療は病気を征服しえたか

 あらゆる病気と不幸とは、「心の迷い」の別名――否むしろ「心の迷い」が形にあらわれたものでありますから、「心の迷い」を消滅させずにいて、一つの病気を、対症療法的に、その症候に対して施術なり薬物なりで攻撃してゆきますと、一時その症候は消えて癒ってしまったかのごとき外観をしめしますけれども、それは真に治ったのではなく、しばらく「心の迷い」が姿をくらましたのでありますから、やがてまた同じ病気が再発してくるか、異なる病気(たいてい、いっそう重大なる病気)に姿をかえて現われてくるのであります。

 一般周知の実例をあげますと、痔瘻を手術すると、肺結核が急に進行しておうおう死期を早める事実があり、皮膚病を治すと、内攻するといって腎臓病を起こす事実もあります。わたしの知っている例にも胃病が治ると痔を起こし、痔が軽快すると胃が悪くなる人があります。

 病気というものはゴムの袋に水を入れておいて、一方を押すと、そこはへこむかわりに他のところがふくれるのと同じで、われわれの心の袋の中に「迷い」の水を入れておくかぎり、押えてへこましておいても、必ずどこかで、その「迷い」が頭をもたげてきて病気となり不幸となるのであります。(p.99)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあります。

 それに続いて、天然痘を予防するために種痘を行うと結核に罹りやすくなるとか、結核予防のためにBCGを接種すると副作用の危険が大きいとか、これが書かれた当時さわがれた問題が取りあげられていますが、今なら iPS細胞を使っての治療法、再生医療なども同じことであろうと考えられます。

 「人間は神の子、本来病なし」 の真理から外れてiPS治療などをすると、今度は癌が増える、というようなことが起こって来るであろうと予測されるのであります。

 根本真理は、「病気は本来ない、それは迷いの映像(かげ)に過ぎない」 ということであります。それを 「あり」 として小手先の膏薬張りのようなことをしても、それは病気を他のところへ移転させるだけになると思われるのであります。

 真理は、次に書かれていることです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     病気は非実在 (p.190〜 )

 神のみ実在であり給い、神は生命でありますから生命のみ実在であり、「生命の虚」は換言すれば非実在でなければならない、したがって生命の虚なるところの病気は非実在でなければならないのであります。

 実在するということはそこに神があるということであります。神がなければそこになに物も存在しえない。いやしくもわれわれ自身が存在するならば、その存在するものは神である、その存在するわれわれは神である、神以外になに物かが存在するという二元論は、神に対する一大不敬の論であります。 (中略)

 このようにわれわれは、「人間は神である」という。人間が神であるといっても、心霊学者のいうような明神であるとか、水神であるとかそういう個別的な神霊――したがって相対的な存在であるところの個々別々の霊のことをいうのではない、神と交通するといえば、そういう個々別々な霊魂と交通することだと思うようにして、人間は宇宙最高の神、絶対的な円満完全な神とは感応交通できるものでないと誤解されやすいようにしたのは、霊媒を使って研究する近代心霊学の一大蹉跌(さてつ)であります。

 絶対的な、唯一完全なる神は、それが絶対的であるがゆえに、われわれの内に遍満し、われわれはその神の内に存在を有し、われわれはこの神に対して心を開くと神の生命の流れが、現実世界に流れ込んで来る。
(p.190〜191)
<つづきます>

2224復興G:2013/07/11(木) 01:05:37 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 去る6月27日の新聞で、

 「厚生労働省の審査委員会は26日、理化学研究所などが申請していたiPS細胞を使う臨床研究計画を承認した。目の難病になった患者が対象で、2014年夏をメドにiPS細胞を使った発の治療が国内で始まる」

 と報道されました。

 それで6月30日埼玉教区の講習会の時、「生長の家式に考えると、この問題はどう考えたらよろしいでしょうか」という質問も出されました。

 総裁のお答えは、要約すれば「人間中心主義、人間至上主義は間違っている。生長の家は“天地一切のものと和解せよ”という教えだから、他の動物を犠牲にして人間を治療するようなことをしてはならない」ということだったと思います。しかし、このたび厚労省で承認したiPS治療は、動物を犠牲にするものではないようです。

 それはともかくとして、『生命の實相』 第3巻に照らして考えれば、答え方は違うと思います。

≪ あらゆる病気と不幸とは、「心の迷い」の別名――否むしろ「心の迷い」が形にあらわれたものでありますから、「心の迷い」を消滅させずにいて、一つの病気を、対症療法的に、その症候に対して施術なり薬物なりで攻撃してゆきますと、一時その症候は消えて癒ってしまったかのごとき外観をしめしますけれども、それは真に治ったのではなく、しばらく「心の迷い」が姿をくらましたのでありますから、やがてまた同じ病気が再発してくるか、異なる病気(たいてい、いっそう重大なる病気)に姿をかえて現われてくるのであります。≫

 だから、もっと根本の問題、精神的な問題を考えるべきだ、ということになるのではないでしょうか。

 また、「人間至上主義は間違っている」 と雅宣総裁はよく言われますが、それが「生長の家の教え」でしょうか?

 生長の家では、肉体は人間ではない、天地一切のものと調和の関係にある霊なる神なるもの、至上者が真の人間であると教えられてきました。たとえば「本来生、不滅の神示」には

≪物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。(中略)病なきを『人間』と言い、死なきを『人間』と言う。

 釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。(中略)

 真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄(じょう)』にして不浄ではない。≫

 そして「至上者の自覚の神示」には

≪ 人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。

 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫

 とありました。

<つづく>

2225復興G:2013/07/11(木) 01:40:14 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

そして、このたびの 『生命の實相』 第3巻にも

≪ 実在するということはそこに神があるということであります。神がなければそこになに物も存在しえない。いやしくもわれわれ自身が存在するならば、その存在するものは神である、その存在するわれわれは神である、神以外になに物かが存在するという二元論は、神に対する一大不敬の論であります。 (中略)

 このようにわれわれは、「人間は神である」という。人間が神であるといっても、心霊学者のいうような明神であるとか、水神であるとかそういう個別的な神霊――したがって相対的な存在であるところの個々別々の霊のことをいうのではない……(中略)

 絶対的な、唯一完全なる神は、それが絶対的であるがゆえに、われわれの内に遍満し、われわれはその神の内に存在を有し、われわれはこの神に対して心を開くと神の生命の流れが、現実世界に流れ込んで来る。……≫

 とあるのであります。

 ですからこの 「真の人間至上主義」 に立ち還れば、自然との大調和が実現し、「自然と共に伸びる運動」もできるのだと、私は思います。

 「人間は神の子」 「実相独在」 の光を失えば、それはもう生長の家とは似ても似つかぬものと言わねばなりますまい。

 ところで、>>2221 :a hope様のご投稿

>> 「大自然讃歌」 や 「観世音菩薩讃歌」 は、現象人間の過ちが表現された二元論の長編詩です。
たしか、雅宣先生ご自身も、「あれは長編詩で聖経にかわるものではない」 とおっしゃっているはずです。
雅宣先生が、ご自分の頭で考えられて真理を伝える方便としてお書きになったものだと感じています。
それなのにいつの間にか 「お経」 になって宇治別格本山などの練成会でも読誦され始めてしまったようです。
いったいどなたが、そのようなことを決められたのですか?
雅宣先生ご自身からのご命令なのですか?<<

――について。

>>2127で私は次のように書いています。

>> >>2120:志恩様。
>>詩だといいながら、経本として出版し、「毎日 読誦するように」、雅宣総裁が、全組織に総裁として命じておられます。<<

というのは、おそらく総裁は「私が命じたことはない」とおっしゃるでしょう。おそらくその通りで、総裁が「毎日読誦するように」と命じられたことはないと思います。

しかし、参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。すなわち「生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動 “自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5ヵ年計画第2年度・第3年度 運動のポイント」
(平成24年1月24日 拡大最高首脳者会決定)に

≪1.平和・環境・資源の問題解決への貢献
(4)世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。≫
とあります。

これは、総裁の承認がなければ「決定」にはなりませんから、結局 志恩様のおっしゃってるような結果になっていると言えましょう。
そういう運動が進められている中で、教団組織に所属しながら
「私は『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行いません」
というのは、とても勇気の要ることです。<<

と。すでに 「拡大最高首脳者会決定」 として運動方針書に書かれて、それに従って運動が行われているのです。
<つづきます>

2226復興G:2013/07/11(木) 02:11:35 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

>>2221 :a hope様 つづき

>> 「唯神実相」 を悟らせることで衆生を悟りに導くのが生長の家の使命なのに、あのような二元論の長編詩を 「お経」 として練成会などで読誦してしまったら、せっかく真理を知って 「唯神実相」 に目覚めた信徒の魂を以前よりもさらに深く迷わせていまいます。とても危険なことだと感じています。

 わたしは、あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思いますが、みなさまは、どう思われますか? <<

 あの長編詩について、私は>>2119

>>『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。
それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。それは、総裁が

≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫

と、「唐松模様」に書かれている通りであります。

そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――
聖経『甘露の法雨』には

   万物はこれ神の心、
   万物はこれ神のコトバ、
   すべてはこれ霊、
   すべてはこれ心、
   物質にて成るもの一つもなし。
   物質はただ心の影、
   影を見て実在と見るものはこれ迷。
   汝ら心して迷に捉わるること勿れ。

   神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
   善のみ唯一の力、
   善のみ唯一の生命、
   善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。

と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。<<

 と書いています。

 これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)

 そのような、作者ご自身が「聖経に替わるものではない」と言われたものを、「聖経に替わるもの」のように、

「世界の幹部・信徒は、日常の聖経読誦に加え、『大自然讃歌』ならびに『観世音菩薩讃歌』の読誦を行い、神・自然・人間の大調和の実現を祈る。」

という運動方針書を作った教団幹部の責任、それを承認した総裁の責任は重大であると思います。

で、私は 「ニセ経」 は読みません、と言っていますが、

<あの長編詩を 「お経」 として読誦することを即刻中止すべきだと思います>

と言っても、何か重大なきっかけになるような事件でも起こらない限り、「即刻中止」ということは難しいでしょうね。

2227復興G:2013/07/11(木) 07:48:50 ID:AB6RqYXc

>>2226 のつづきです。

では、どうすればよいか。

ユタカさんは、>>2122
>>『現象なし』 『無我』= ハイ!! 有難うございます。
以上が私の内なる答えです。<<

と書かれました。

>>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<<

とも。

>>2132
>>現象は無い、自分も無い。
何がある?! 実相がある。 じゃ、現実をどう生きていけばいいの?
『 ハイ 有難うございます。 拝 有難うございます。』だよ。
『生長の家』は始めなく終わりなく、永遠にイキイキ生きて生きとおして『あり』続ける実相さ。 不滅、不滅。 本来生、不滅、清浄真無垢なり。

 聖経 真理の吟唱
天地一切と和解する祈り
われ今、ここに、神の子として新生し、神に感謝し奉る。 神は普遍的存在にましますのである。
一切を包容し、一切のものの周囲に、また一切のものの内にましまして、一切のものを渾然と一つに融和していたまうのである。
それゆえに、私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。
それゆえに、私は、天地一切のものと融和し、天地一切のものとの調和の関係にあり、わが働きは、他の天地一切のものを生かす働きとなり、また天地一切のものの動きは、また我を生かす動きとなるのである。
すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
現象の世界に 如何なる 対立の 関係 があろうとも、 それは 妄想の顕す ところであり、 
妄想 (大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など)は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、 私は それ (新経) を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。
妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 (裁判・新経) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。
心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<


――ユタカさんの、これは、すごい! 面白い!

古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。

○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)

2228ユタカ:2013/07/11(木) 14:13:32 ID:R1D4Jmeg
天地一切と和解する祈り

>>2227は 下記二重カッコ((  )) に注意してお読み下さい。 そうでないと、普通の祈りではない事に気づかないからです。


>妄想 ((大自然讃歌、観世音菩薩讃歌など))は 『やがて 消えるべき 運命 にあるのであるから、 私は それ ((新経)) を恐れることもないし、 それに愕くこともないのである。


妖雲べきべきと空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空があるのと同じように、如何に暗澹たる状態たる状態 ((裁判・新経))) が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。


心を動ずることがないから、最も適切なる知恵が泉の如く湧き出て暗を消してしまう処置ができるのである。<<

2229復興G:2013/07/11(木) 15:36:15 ID:AB6RqYXc

>>2228 :ユタカさま

そうでした。(( ))の中は、谷口雅春先生の「天地一切と和解する祈り」に載っている言葉ではなくて、

ユタカさんが、そういう気持で祈っている、ということですね。

よくわかりました。 ありがとうございます。

2230復興G:2013/07/11(木) 15:38:05 ID:AB6RqYXc

 さて、今回のテキスト 『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 で、私が特に感銘深く魂に響いたのは、まず第3章のp.161〜164に、トルストイの思想について その遺稿 『人生の道』 から引用され、それが「生長の家」 の説くところとほとんど同じ思想に到達していたということは実に驚嘆に値する、と書かれているところです。

 それは、私自身高校時代に魂が目覚める体験をしたり、学生時代に現実の悩みの中で切なる魂の求めからトルストイの 『人生読本』 というのを読んだとき 「これだ!」 と驚嘆にも似た歓喜の思いを持ったことを思い出させてくださったからです。
 で、まずはそのあたりのところを謹写させて頂きます。(p.161〜 )

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 先日、ちょっと、神戸へ出たついでに書店へ寄ってみましたが、その時トルストイの遣稿の中から発見された『人生の道』という稿本の翻訳が見つかったので買って来ました。開いてみると「生長の家」の説くところとほとんど同じ思想にトルストイが到達していたということは実に驚嘆に値すると思うのであります。ちょっと御参考にその一節を読んでみます。

 「神が永遠不滅であるように、その陰影(かげなる目に見えるこの世界も永遠である。がしかしながら、目に見えるこの世界は要するに彼の陰影(かげ)にすぎない。真に存在するのは目に見えぬ悠久の力、すなわち神のみである。」(同書29ぺージ)

 「われわれはしばしば、われわれが手によって触知することのできる物のみが存在するのだというふうに考える。が、その正反対で、われわれの見たり聞いたり、触れたりすることのできないものだけが、すなわちわれわれが各自の『私』と呼んでいるもの、自己の霊と呼んでいるものだけが、真実に存在するのである。」(同書48ページ)

 「もしもわれわれが自己の周囲に目睹(もくと)するすべての物象を、無限無窮のこの世界を、自分が眺めたとおりのものと思うなら、われわれは大いに誤っているのである。われわれが、形体を有するすべての物象を知っているのは、そういう認識に到達させる視覚、聴覚、触覚を持っている結果にほかならない。もしもそれらの感覚が異(ちが)ったものであったら、この世界全体が別個のものになったであろう。したがってわれわれは、われわれの望んでいるこの外的世界がいかなるものかを、ほんとには知っていないのだ。知りえないのだ。われわれの正確に完全に知っているのは、ひとりわれらの霊のみである。」(同書45ページ)

 これによってみましても、教会宗教に反対して『キリスト教学批判』を書き教会から破門されながらも、「原始キリスト教に帰れ」と絶叫したトルストイの宇宙観がいかに「生長の家」の所説と一致しているかということがわかるのであります。つまり教会キリスト教(すなわち後世、人間が理知ででっちあげたキリスト教)でなしに、原始キリスト教――本当のキリスト教は、五官に見える世界は存在しないということを説いていたということになります。なんの教えでも真実の教え、深い教えは同じ真理に到達するのであります。トルストイはまた別のところでこんなことをいっています。

 「鉄は石より固い。石は木より、木は水より、而して水は空気より固い。しかしながら触れることのできないもの、見たり聞いたりすることのできないものが、なによりも一番固いのである。これのみが過去、現在、未来を通じて厳存し、永遠に滅することが無いのである。ではそれは一体なんであるか? すなわち人間の内なる霊である。」(同書49ページ)

 この「人間の内なる霊」という一句の「内」という言葉にわれわれは捉われてはならないのであります。「内」といっても、肉体は実在しないという前提がありますので、「肉体の内」という意味ではむろんないのであります。言いあらわしようがないので「内」といっていますが、「外」に対する「内」ではない、むしろ「虚(きょ)」に対する「実(じつ)」、「仮(け)」に対する「真(しん)」、「現(あらわれ)」に対する「実(ほんもの)」というような意味の「内」であります。

 この「内なる霊」すなわち「真物(ほんもの)の自分」こそ一等固いものであるというのがトルストイの思想であって、「生長の家」の説くところに一致しているのであります。
「生長の家」では常に「真物の自分」というものは、金剛不壊(こんごうふえ)の実相身であって、刀仗(とうじょう)もなおこれを傷つけることができない、全世界の重荷もなおこの金剛不壊の実相身を圧重することができないというふうに説かれているのであります。
<つづく>

2231復興G:2013/07/11(木) 15:40:15 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この「本当の自分」の金剛不壊の実相が解ってきたら、人間は本当の自由を得るのであります。全世界のいかなる者にも自分が害しよう、傷つけよう、と思っても害することも傷つけることもできない、鎖で縛って自由を奪ってやろうと思っても、縛りきれない自由自在なものが「本当の自分」であるということがわかってくると、もうなにも恐れるところがなくなるのであります。トルストイはこの遺稿に次のように書いています。

 「吾人は肉体によって生くるに非ず、霊によって生くるのである。もしも吾人がこの事実を知って、自己の生命を肉体でなく霊に托するならば、吾人は鎖に縛られても、鉄の扉の中にいましめられても、なおかつ厳として自由である。」(同書67ぺージ)

 このようにわれわれは自分自身というものを物質であると思わず、「本当の自分」というものを「金剛不壊」の霊的実体であるということを自覚することになると、形の上では縛られていても、実際において縛られていない自由自在な状態が実現するのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――トルストイの思想に関してのご文章は、だいたい以上です。

 振り返ってみますと、私は、高校2年の終わり頃まで、「自分は肉体である。目に見えるものが、本当にあるものだ」と信じていました。

 ところが私はその唯一頼りとする体が弱くて、小さい時から病気がち。高校2年を終えた春休みのある日、下腹部の激痛で七転八倒し病院に運ばれました。盲腸から炎症が拡がり腹膜炎で大腸は癒着状態ということでした。私はこれで「死ぬ」と思いました。

 ところが死ななかったのです。

 父が、生長の家に触れていて、聖経『甘露の法雨』を私の枕元に置き、祈ってくれているようでした。

 やがて痛みがとれて熱もおさまり、一旦退院ということになりました。

 自宅に帰って静養していたある日、突然に私は、自分と世界が一変しました。

 それは、クリスチャンだった祖母――すでに亡くなってから14年ほどたっていた――の導きだったような気がします。

 自分が、肉体の自覚から生命・霊なる自覚へと突然に転換してしまったのです。そして世界が、苦しい不自由な世界から、光り輝く自由に満ちた世界へと、一変してしまったのです!

 ――そんなことを言っても、そのときの私の魂が歓喜した体験は、おそらくおわかりいただけないでしょうね。それは、不思議な光燿の体験でした。そのときから、私の実人生は始まったようなものでした。

 何事にも消極的で事なかれ主義みたいだった自分が、一変して積極的な自分になりました。

 「当たって砕けろ!」 と、意欲的に行動するうに変わりました。

 「人生、何があっても魂が経験を積んで生長するチャンスだ。魂は、伸びるしかないのだ! 人生は、よろこびばかりだ!」

 と思えるのでした。

 テキストのp.170に、次のようにありました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   自分は無形の存在だと解れば自由になれる

 人間は 「肉体」 ではない、有形のものではない、無形のものだということが悟れるまでは、肉体という物質的な制限に心が捉えられていますから、本当に心が自由になれないのであります。心が自由になれないから、本当ののびのびした安らかな心境になれないのであります。

 これに反して、「人間」 は無形のものだ、「本当の自分」 というものは無形のものだ、ということがわかってきますと、心全体が 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 のように自由な境地になれるのであります。行雲流水といいますが、まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。

 この真理がわかったとき人間は本当に安らかな心境になり、この安らかな心境を実生活に顕わしたときには、それがそのままで 「生長の家の生き方」 になるのであります。だから 「生長の家の生き方」 というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。

2232復興G:2013/07/11(木) 16:08:22 ID:AB6RqYXc

 あと、テキストp.173からの 「罪を他に帰するは自分を木偶人形にすること」 というところの前後も、私たちが生長の家の生き方をする上で、とても大切な指針のお言葉であると感じさせて頂きました。それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 人間の実相(ほんとのすがた)は神の子であって、本来無形のものである。無形であるから、何物にも縛られない自由自在なものである、金剛不壊(こんごうふえ)の霊的実在であるということを自覚しないからであります。このいかにしても害しようのない、金剛不壊の自分自身でありながら、その「本当の実相」というものを悟らず、他(ひと)とか物とか事件とかが自分を害したと思う、害したと思うと腹が立つ、腹が立つとそこによくない精神波動を起こす、類は類を招(よ)び、自分のよくない精神波動は、宇宙に漂っているよくない精神波動を招び寄せて、ついにその精神波動が形に化して病気を具体的に起こすことになるのであります。

     罪を他に帰するは自分を木偶(でく)人形にすること

 この「生長の家」の生活を始めない以前のわたし、つまり金剛不壊の自分の「生命」の実相を自覚しない以前のわたしは、絶えずこの悪い精神波動を起こしていましたので、不断に身体も悪く、心も不快だったのであります。

 今から考えてみますと、今でもまだ本当に善くなってはいませんが、わたしほど悪い人間は少なかったかもしれないのです。ちょっと胃腸が悪いと、「お昼にあんなおかずを食べさせたからだ」といって小言をいう。「おかずが半煮えであったから、そのために野菜の繊維素が不消化だったのだ」などという。つまり、人間というものを宇宙の主宰者である神の子であるとは考えずに、一片の野菜の繊維よりも弱いものだと考えていましたので戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、自分に対して与えられるものに警戒していなければならなかったのであります。

 そんな弱い信念しかもっていないのでありますから「心」の顕現(あらわれ)である身体(からだ)が善くなるはずがないのであります、インキ壺をひっくり返してでも、これは自分が不注意であったのだ、自分が自己の円満完全な本性の自覚が足りなかったためにこんな失錯をしたのだとは考えずに、「お前がこんな所ヘインキ壺を置いておくものだからインキがひっくりかえったのだ」などという。あるいは「お前が呼んでも返事をしないものだから、手をあげる拍子に袖がひっかかって机からインキ壺が落ちたのだ」などという。終いにはこれは自分が悪いのではない、親がわたしの性格をこういうふうに生んだのだなどとまで思ったりする、始末にいけないわたしだったのです。

 何事が起こっても悪いことはみんな他(ひと)のせいにし、みな他(ひと)に責任を負わしてしまって、自分だけは責任のがれをしようと思う。

 こんな卑怯な虫のよい心は、ちょっと考えると、悪いところを他(ひと)にばかりなすり付けて自分は善い所ばかり独占するのだから、大変得になる心の持ち方であるかのように思われますけれども、けっしてそうではない。
<つづく>

2233復興G:2013/07/11(木) 16:12:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 聖典の第一巻で 「他(ひと)を生かせ自分も生きる」 という題で説明したことがありますように他を罪する心は自分を罪することになるのであります。他を心で斬るものは自分も他から斬られる――これが心の法則であります。

 寝られないと他(ひと)のせいにする、胃腸が悪いと他のせいにする、不幸があると他のせいにする――こういう心は、自分というものが全然他の人または他の物の傀儡(かいらい)であって、土偶(でく)人形のようなものだと考えていると同様である。

 土偶人形というものは少しも自主独立な選択力がない。右を向かせれば右を向き、左を向かせれば左を向く、手を上げるのもインキをひっくりかえすのも自分の力ではない。だからわたしがインキをひっくり返してもわたしが悪いのではないという弁解も成り立つ。この土偶人形と同じように自分自身にはなんの力もないものだ他動的にのみ支配されているものだ、とわたしは「生長の家」の心の持ち方になるまでの長い期間、「わたし自身」を考えていたのであります。

 そういう弱い自覚を持っていたから、わたしはしじゅう「他から害される」という強迫観念をもっていた。そして毎日「他(ひと)がこうだからわたしはこんな目に会った」とつぶやいていたものであります。人を恨む、その癖自分は同情されたい。その間じゅうわたしは神経衰弱で、不眠症になったり胃がつかえたり、下痢したり、震災に会ったり、泥坊に二度もはいられたりしていました。

 が、人間というものはそんな他から支配されるような土偶人形ではない、自主独立的な神の子である、自分の肉体、自分の運命、自分の境遇は、自分で自由自在に変化させうるものであるという真理をさとってからは、だんだんわたしのつぶやきも減ってきました。

 こうして自己の神性の自覚ができまして、つぶやきが減ってきますと、わたしの身体(からだ)も健康となり、以前にはずいぶん虚弱だったわたしが、会社生活の片手間にでも雑誌の執筆編集から、他人の病気相談にいたるまで、二重三重の激務に従事できるようになってきましたし、境遇もだんだん善くなりつつあるのであります。

 他(ひと)の陥るおとしあなを造っておけば自分もまたおとしあなに落ちるという意味で、昔から 「他(ひと)を呪わば穴二つ」 という諺がありますが、この 「呪う」 ということは本当は言葉で悪くいうことでありますから、「つぶやく」 ということも要するに 「呪い」 にほかならないのであります。だからこの 「他を呪わば穴二つ」 という諺は 「つぶやくものにはつぶやくような不幸が来る」 ということに言い換えることもできるのであります。

2234復興G:2013/07/11(木) 16:27:35 ID:AB6RqYXc

 上記を読んで、私は 「谷口雅春先生でも、お悟りになる前は、何でもひとのせいにするようなことがあられたのか!」 と、ちょっとびっくりするとともに、安心しました。先生でもそうだったんだ、と。

 「罪を他に帰するは自分を木偶(でく)人形にすること」

 ――その逆に、何でも 「自分の責任」 として引き受けられる者こそ、イエス・キリストや天皇陛下のように、偉大な業を成し遂げられるものとなるのだと思いました。

 ありがとうございます。

2235ユタカ:2013/07/11(木) 16:57:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、a hopeさま 志恩さま、皆様

明日の開会の時間までぎりぎりか、間に合わないか? のどちらかで帰宅します。

ですので、遅刻して参加します、皆さんのご予定はいかがですか?


a hopeさまは開会のお祈りを引き続きできますでしょうか? よろしくお願いいたします。

2236a hope:2013/07/11(木) 23:10:15 ID:edEDolt2
みなさま こんばんは

>>2225復興Gさま わたしの問題提起へのお返事をありがとうございます。 
そうでしたね。
復興Gさまは、以前、志恩さま宛にその件に関してはお答えくださっていたのでした。

たしか、聖経『甘露の法雨』や『天使の言葉』などは、それを読む人が、病気が治ったり、生活苦から解放されたりと、
たくさんの奇蹟が起ったから、長編詩から聖経と呼ばれるようになったのですよね。

一方、『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』は奇蹟も何も起こっていないのに、
むしろ、信徒の魂を迷わし不幸にする偽経なのに、
<<参議・理事などが、これは「新しいお経」として毎日読むように仕向けようと、運動方針書にも記載するようにした。>>
ことによって、新経本となり信徒に強制的に読誦させているのですよね。

本当におかしな話だと思います。【経】を辞書検索してみると(大辞泉より)

―――――――――――――――
きょう〔キヤウ〕【経】

1 《(梵) straの訳。音写は修多羅》仏や聖者の言行や教えを文章にまとめたもの。
2 仏教以外の、宗教や学芸の根本となる書物。聖典。「五―」

―――――――――――――――


とありました。
【聖】という字がつかなくても、すでに【経】をつけてしまった時点で、それは神聖なものでなければいけないのだと思います。
ご兄弟とも和解されていない雅宣先生が神や仏の言葉のラッパになれるわけがありません。


復興Gさまはハッキリ【偽経】であるとおっしゃっていますが、わたしはそのことを生長の家の全信徒に知らしめる必要があると思います。
わたし達は、実相(人間)には和解しなければいけませんが、妄想(虚説)には決して和解してはいけないのではありませんでしたっけ?

たとえば、ユタカさまや復興Gさまは
『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(妄想・虚説・誤れる見解)だとはっきりわかっているわけですから、

>>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<<

ということが可能なのかもしれません。

ですが、それれが偽経だと知らず真面目に読誦している多くの信徒のことはどうするのですか?
今現在もたくさんの人々が病気や生活苦、人間関係等で苦しみ魂の救いを求めています。
そのような人々に「真の教え」を伝えて、信徒を真理に導くのが講師方々のお役目なのではないのですか?
(ユタカさまが講師かどうかは知りませんが・・・)

わたしは、もっともっと積極的に『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(虚説)である事を
アピールしなければいけないような気がしてきましたよ。

それは決して、雅宣先生ご自身を批判することにも、実相を礼拝しないことにもなりませんよね?
(つづく)

2237a hope:2013/07/11(木) 23:10:45 ID:edEDolt2
以下、「生長の家本流宣言掲示板」の宣言より引用させていただきます。

―――――――――――――――
……さらに例をあげてみれば、ここに放蕩息子がいるとします。放蕩息子といえども人間でありますから、実相は放蕩息子ではないのであります。放蕩息子にあらわれているのは仮相すなわちウソのスガタであります。


それでその息子に和解する場合を考えてみますと、「放蕩息子よ、よう放蕩してくれた。わしはお前の放蕩を喜ぶぞ」というように仮相(=仮の姿)に和解していたのでは、仮相はますますのさばって大きくあらわれて来るのであります。


……よく富豪の甘い親をもった家庭に始末におえない道楽息子があることがあります。これは道楽息子という仮相を排撃することをしないで、仮相に和解してしまったからであります。


仮相に和解してしまったら仮相があらわれる。それではいけない。それで「生長の家」の聖経『甘露の法雨』には、「仮相に対しては実相をもって、相対せよ」「非実在に対しては実在をもって相対せよ」と書いてあるのであります。


……われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまきれてしまうのであります。だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。


「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。「誤れる見解」は実相の世界にはない。それは「虚説」すなわち「無い説」でありますから、われわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。虚説に和解したら自分の完全なる実相が昧(くら)まされ、完全なる実相が昧まされたならば、その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。


……虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。また虚説を容(い)れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちいであります。虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。


……虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す……。どうかみなさんも虚説(=ないもの)に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、人間に対しては、その表面の包み(=罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(=その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。


要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大のまこと誡命(=いましめ)は、「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。
(『生命の實相』第14巻「倫理篇」)

――――――――――――――――――


わたしは、『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』こそ、わたしたちが決して許してはいけない虚説(誤れる見解)であると思います。
そして、雅宣先生(人)に対してはどこまでも実相を見て許さないといけないのだと思います。

>>2230〜の復興Gさまの御文章は未読ですが、取り合えず投稿させていただきます。)

2238a hope:2013/07/11(木) 23:29:16 ID:edEDolt2
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第15回web誌友会予告

日時 7月12日(金)21:30から15日(月)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>2235ユタカさま

<<a hopeさまは開会のお祈りを引き続きできますでしょうか? >>

ハイ 喜んで!

明晩、9時くらいになりましたら、準備祈願のお祈りの言葉(ユタカさま作)を貼らせていただき、
いつものように、「真理の吟唱」より祈りの言葉を謹写させていただきます。

「訊け」管理人さま、今回も司会楽しみにしています。
無理のないように、楽しんで司会をしてくださいね!

2239志恩:2013/07/12(金) 03:52:34 ID:.QY5jUA6
WEB誌友会

いよいよ今夜からスタートですね。
とてもたのしみにしています。

復興G様、たくさんの貴重な資料のご謹写と、すばらしいご講話、
誠に、ありがとうございます。拝読しました。

いつもご指導、感謝申し上げております。

トキ様のコメント、
a hope様の疑問、ユタカ様の書き込みも、読まさせて頂いております。

SAKURA様は、お一人だけ、強力な 雅宣さん擁護派でいらっしゃいますが、

私は、雅宣さんが頭で考えて、作り出したお経は、どうしても読めません。
私には波動が、合いませんので、どうしても読めません。

上の人に、読めと言われないで済んでいるのは、
今は私は、組織に属していないからですが、よかったです。^^

人それぞれに、自分が合う生き方を、自然体で生きるのが、幸せな生き方だと思っております。

私は、連休なので、来客がありますし、主婦なので昼間は、多忙ですし、
しゃべりすぎるところが、ありますので、
なるべく出しゃばらず、たま〜に発言するように、心がけたいと考えております。

司会の訊けさん、司会をお引き受け下さって、ありがとうございます。

ご閲覧下さってる皆様、本流の皆様も、傍流の皆様も、

世界へ向けてのWEB誌友会ですので、よろしかったら、15日の夜まで

ございますので、ご参加下さいませ。

2240「訊け」管理人:2013/07/12(金) 08:28:35 ID:???

>>2239

 こんな文章を読むと、なんで「ムカツク」んだろう。

 司会はムリかもしれません。





2241「訊け」管理人:2013/07/12(金) 08:30:24 ID:???

 いやもうホント、私を信用してくださった復興Gさま、すみません。

 でも自分、もう、どーしても許せんです。この、思春期をコジらせた妄想老人のお相手は。メンドウです。コイツら甘えてきってやがる。

 ・・・・・いや現在、ムカツイてムカツイて、仕方ない状況です。とても司会は務まらぬと思います。志恩さんや童子さん、これらホンリュウの方々がバカに見えて仕方がない状況です。「偉そうにしやがって、コンチクショー」な状態と云う意味です。ですんでたぶん、皆さんにご迷惑をおかけすると思うのです。

 いや、もう、ホント・・・・「なんで貴重な時間を使って」「こんなバカどものご機嫌を、取らなきゃイカンのか。」そんなセリフを「平気で公言出来る気分」です。・・・そんな事に時間を使うよりは、他の生産的なことに投下したいですよ、自分のエネルギーをね。(高校生に勉強を教えたり、野球部の応援に行ったり。あるいは、近所のクソがきに野球を教えたり・・・・ですね) 

 ・・・・榎本惠吾先生に申し訳ないので、私は司会を降りたいです。いや、どーしても「自分ダケが正しく」「他が間違っている」と思えます。無反省です。そして、ホンリュウの卑劣さ下品さに、嫌気が差して来ております。和解派のクセに、です。そして現状は、一部老人に対して「偉そうにしやがって、コンチクショー」な状態でして、とても司会は務まらぬと思います。「榎本先生のご命日だ、自戒せよ」てな作法が、とても小賢しく思える現在です。「はっきり、言ってやれ」てな気分なのです。とても司会は務まらぬと思います。




2242a hope:2013/07/12(金) 08:56:02 ID:edEDolt2
「訊け」管理人さま

このweb誌友会の司会が出来ないことへの、言い訳はいらないのではないのでしょうか?
わたしは、今回は司会なしでいいのではないかと思います。

2243復興G:2013/07/12(金) 09:45:08 ID:AB6RqYXc


>>2242 :a hope:2013/07/12(金) 08:56:02 ID:edEDolt2
「訊け」管理人さま

わたしは、今回は司会なしでいいのではないかと思います。<<

――私も同感です。 よろしくお願いします。 ありがとうございます。

2244「訊け」管理人:2013/07/12(金) 10:00:05 ID:???


 ありがとうございます。

 当日でのドタキャンになりますが、その点はお詫び致します。




2246復興G:2013/07/12(金) 12:42:54 ID:AB6RqYXc

>>2244 :「訊け」管理人殿

司会者としてでなく、参加者として自由発言で参加されることを期待します。

2247神の子さん:2013/07/12(金) 12:51:40 ID:U0BvKudI
>>2240
訊けさんがそうおっしゃるように、「訊け」と見ただけでムカつく人も多々ありましょう

2248志恩:2013/07/12(金) 13:26:58 ID:.QY5jUA6
訊けさん

あれあれ、司会、ドタキャンされたのですね。残念です。
あなたはね、本流だと思うと、噛み付いて噛み付いて、

それだから、反論して 振り払ったら、
今度は、私や童子さまにむかついて、むかついて、
私や童子さまのせいで、やる気なくした、という具合に、司会をドタキャンしてしまって、
まるで、こどもみたい!!

いつもの威勢のいい訊けさんは、どこへ行ったのかしら。

くじけずに生きて行って下さい。

司会はやめられても、
発言は、されることを、復興G様同様に希望します。

2249志恩:2013/07/12(金) 15:07:50 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ


WEB誌友会参考資料板より

>>4:復興G様

元生長の家本部講師 榎本恵吾先生(故人)の書かれた論文
『神癒の展開としての人類光明化運動―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―』 というのがあります。
53字×19行×1000頁 すなわち約100万字にもなる膨大な量のご文章です。

これは、榎本先生が宇治別格本山の神癒祈願部長をされていたとき、平成10年から11年(1998.7.1〜1999.11.29)に、毎日「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」で神想観・神癒祈願をされたあと、
この論文を書かれたのだということです。論文といっても頭で考えた論文ではなく、祈りからほとばしり出た、内なる神の声と言ってもよいものでしょう。
これは、平成10年大晦日の12月31日にも、11年元日の1月1日にも、1日も休みなく書かれております。

榎本先生はパソコンは使われず手書きで書かれる。
それを職員がパソコンで打ち込み、プリントアウトしたものを、当時本部に設けられていた「光明化運動・21世紀を考える検討委員会」宛に送っておられたそうです。

検討委員会では、教化部長・本部役職者・本部講師の人たちから「提言書」を募集していたのですが、
「優秀提言の選考と褒賞」の対象としては平成10年6月末で締め切ったので、7月以降に提出された榎本先生の論文は選考の対象とはならなかったようですが、これを読んだ担当者は、非常な感銘を受けたと漏れ承っています。

今、私はそれを保存されていたのをいただき読み返してみて、実に「今」――行き詰まり・分裂状態を呈している(と思われる)生長の家の運動を根本から考え直すために
、用意されていた光明化運動論ではないかと、深い感銘を覚えます。略<<


このように、今回の参考資料は、

訊けさんも、尊敬してやまない榎本恵吾先生のご文章を、復興G様が、謹写下さっています。

ですから、私よりも、訊けさんが、参加される方が、大事なのです。

で、訊けさんが、大嫌いな、私が居て、「志恩」という字を見ただけでムカつくのでしたら、
私が、欠席します。

いいですね、訊けさん、
私が、欠席しますから、訊けさんは、出て下さい。

訊けさんは、今は、まだ相変わらず、ヤンチャですが、
若いお方で、将来の生長の家にとりましても、日本や世界にとりましても、
重要な役割を果たすお方だと、思っておりますので、

時間のゆるすときに、ご参加ください。
榎本恵吾先生も、天国からいらして、参加されると存じますので、
よろしくね。

2250志恩:2013/07/12(金) 15:23:40 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

上記の投稿文は、あなたがいつも勘ぐる、「私が好感度を上げるために」
いっているのでは、ありません。私は、そのような小賢しいことをする人間では
ありません。

私のせいで、司会を降りた様な言われ方をして、
ひどく心外に思うところがあり、それも含めて、私の方が、
今回、欠席することにしたのです。

誌友会が終わったあとに、感想を述べさせていただくことは、
あるかもしれませんが、それにつきましては、ご容赦下さい.

2251復興G:2013/07/12(金) 18:15:27 ID:AB6RqYXc

皆々様。

ありがとうございます。

本日夜21:30から始まる第15回web誌友会の前に復興Gの講話を、というご希望があり、いろいろ書いて勉強しておりましたが、まとまりのないまま、お約束の 「夕方までに」 という時間が来てしまいました。それで、まとめは誌友会後にさせていただくことにいたします。ご了承下さい。

合掌

2252トキ:2013/07/12(金) 18:27:52 ID:77yRiluA
復興G様、では、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2253神の子さん:2013/07/12(金) 20:13:33 ID:63Scxhoo

2247 名前:神の子さん 投稿日: 2013/07/12(金) 12:51:40 ID:U0BvKudI>>2240
訊けさんがそうおっしゃるように、「訊け」と見ただけでムカつく人も多々ありましょう

2254トキ:2013/07/12(金) 20:31:14 ID:77yRiluA
 誌友会の前ですから、不規則発言はおしまいでお願いします。

合掌 ありがとうございます

2255a hope:2013/07/12(金) 20:58:28 ID:edEDolt2
第15回web誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

2256a hope:2013/07/12(金) 21:05:20 ID:edEDolt2
つづきまして、聖経「続 真理の吟唱」より『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』を謹写させていただきます。


『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』

ほんとうの愛は人間の外面の美を愛する愛ではないのである。
本当の愛は〝神を愛する愛〝である。
神はすべての人の生命(いのち)の中に宿ってい給うのである。
その各々(おのおの)の人間の生命の中に宿っていられる神を愛するのが本当の愛であり、
それによって、神を愛することと人を愛することが、食いちがうことなく、
ひとつにぴったり重なり合うことになるのである。

もし人間が人間の表層のみを愛し、皮膚の美を愛し、筋肉の美を愛し、
体力の逞ましさを愛し、或いはまた知能のすぐれたるを愛するならば、
それは人間の現象面のみを愛するのであるから、現象は無常であって常に遷(うつ)り易(かわ)るものであり、
常に萎び、衰え、消えてゆくものであるから、その愛を末遠く永遠に持続することが出来ないで、
その愛を中断して消えてしまうか、愛する対象が萎び衰えほろび行く姿を見て、
愛が却って悲嘆に変わってしまうことになるのである。
このように人間の表情や外面のみを愛する愛は、その愛を最後まで完(まっと)うすることができないのである。

これに反して、神を愛する愛は、神より出でて神に還るのである。
神は無限であり、神の愛も無限であるから、神を愛する愛を以て人間に内在する神性を愛し、
仏性を礼讃するならば、その愛は消えることなく衰えることなく、彼もわたしの神性を愛し、
われも彼の神性を愛し、神性と神性とが互いに還流して、
神の普遍的な愛の本源よりさらに大いなる愛の流れを汲むことが可能となり、
雨期の雨がひろく地上を霑(うるお)す如く、空気があらゆる空間に隙間なく瀰漫(びまん)するが如く、
この世界は神の愛、人間の愛、万ず生ける物の愛が充ち満ちていることは勿論、
山川、草木、国土、鉱物も植物も如何なる微生物も、ことごとく、その実相たる神性仏性を顕わし、
万物互いに生かし合い、扶(たす)け合いて、まことに地上到る処に天国浄土が実現するに至るのである。

われは今、神の愛にこころ満たされ、すべての人々の実相円満完全のすがたを敬し、拝するのである。

愛は今まで埋没していた内在の神性が具有するすべての美と徳とを顕在の世界にまで招き出だす力であるから、
「神があらわるれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」
と聖経『甘露の法雨』に示し給えるが如く、今より後、歎く者無く、悲しむ者なく、憂える者なく、
祝福の霊波は慈雨の如く天界より降り濺(そそ)ぎて、すべての生物神を讃え、
すべての人々の病いは癒やされ、暗黒は消え、すべてのものに霊光かがやき、
十方世界光明遍照の実相世界を現実に今見るのである。

かくして神を愛する愛がすべてのものを貫いてこれを霑(うるお)すとき、
いたるところに龍宮無限の宝庫は開かれ、今ここに天国浄土が実現するのである。
この真理を知らしめ給いし神に感謝し奉る。
ありがとうございます。

2257ユタカ:2013/07/12(金) 21:08:04 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。 ユタカ到着しています。

2258a hope:2013/07/12(金) 21:18:21 ID:edEDolt2

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第15回web誌友会予告

日時 7月12日(金)21:30から15日(月)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第3巻 「生命篇上」 (p.97〜p.213)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


もう、15分ほどで、第15回web誌友会の開会です。

復興Gさま、ご講話のまとめをどうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさまもありがとうございます。
とても心強いです。

今回も自分自身の魂の向上のため、精一杯お勉強させていただき、
そして、心を空しくして素直な気持ちで発言していきたいと思います。

みなさま、どうそよろしくお願いいたします。

2259復興G:2013/07/12(金) 21:20:12 ID:AB6RqYXc

a hope さま

<<第15回web誌友会開会「準備祈願」としての祈り>>
そして
<<聖経「続 真理の吟唱」より『神の愛 万物を霑(うるお)す祈り』>>

素晴らしい祈りの言葉で、浄められました。

ありがとうございました。



ユタカさま

お帰りなさい。

よろしくお願いします。

2260復興G:2013/07/12(金) 21:35:38 ID:AB6RqYXc

>>2258 :a hope様

>>復興Gさま、ご講話のまとめをどうぞよろしくお願いいたします。<<

これは、>>2251
>>本日夜21:30から始まる第15回web誌友会の前に復興Gの講話を、というご希望があり、いろいろ書いて勉強しておりましたが、まとまりのないまま、お約束の 「夕方までに」 という時間が来てしまいました。それで、まとめは誌友会後にさせていただくことにいたします。ご了承下さい。<<

と書いておりました。

いろいろリアル世界で予期せぬハプニングもありまして、時間的に難しくなったので、「講話のまとめ」はないままで誌友会に入って頂きたいと思います。

もし、皆さまからのご発言がなければ、また私の投稿をさせて頂きましょう。

ありがとうございます。

2261ユタカ:2013/07/12(金) 21:50:09 ID:R1D4Jmeg
ユタカは今、復興G様の講話を読んで、ちょっと怖くなりました。。。

暗い悪い言葉が呪いと言うことはわかりますが、つぶやきも『呪い』に谷口先生は分類されておられます。。。

私達はもっと、もっと、実相独在を勉強して自ら大光明をはなったら、全ても光って見えてくるのでしょうか?

まだ、自分の周囲に対して何か、暗いところが見えるのは、自分の内なる神が輝いていないと言うことなのですね?

実相独在、光明一元に自分が立ったときには新経『大自然や観世音』はどうみえるのかなぁ????

と思いました。

2262a hope:2013/07/12(金) 21:52:01 ID:edEDolt2
>>2260復興Gさま

読み間違いをして申し訳ありませんでした。
今回は、わたしもここのところ色々と忙しくしていて、
web誌友会参考文献板の榎本先生の御文章も、まだ全部拝読し終わっていないです。

ですが今回は期間が長いので、じっくり自分のペースで参加していきたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

2263ユタカ:2013/07/12(金) 22:06:40 ID:R1D4Jmeg
無形とは『素直』に生きるということに繋がっていくのでしょうか?

>自分は無形の存在だと解れば自由になれる

 人間は 「肉体」 ではない、有形のものではない、無形のものだということが悟れるまでは、肉体という物質的な制限に心が捉えられていますから、本当に心が自由になれないのであります。心が自由になれないから、本当ののびのびした安らかな心境になれないのであります。

 これに反して、「人間」 は無形のものだ、「本当の自分」 というものは無形のものだ、ということがわかってきますと、心全体が 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 のように自由な境地になれるのであります。行雲流水といいますが、まだ雲でも水でも形がありますから、風とか、岸とかいうものに支配されるのでありますが、「自分」 というものが、本当に無形の存在であるということがわかってきますと、もう何物にも支配されない自由自在な心境にでられるのであります。

 この真理がわかったとき人間は本当に安らかな心境になり、この安らかな心境を実生活に顕わしたときには、それがそのままで 「生長の家の生き方」 になるのであります。だから 「生長の家の生き方」 というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。


生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。

2264復興G:2013/07/12(金) 22:15:22 ID:AB6RqYXc

>>2236>>2237 の a hope様 投稿の問題提起は、とてもとても考えさせられる大問題です。

新経は、ニセ経(似せ経、偽経)だと思う。
a hope 様は

>>ユタカさまや復興Gさまは
『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が【偽経】(妄想・虚説・誤れる見解)だとはっきりわかっているわけですから、

>教化部長 「新経を読んでください。」
ユタカ 「ハイ、ありがとうございます。」
 (行事終了後、「聖経」をあげる)<

ということが可能なのかもしれません。

ですが、それれが偽経だと知らず真面目に読誦している多くの信徒のことはどうするのですか?

今現在もたくさんの人々が病気や生活苦、人間関係等で苦しみ魂の救いを求めています。

そのような人々に「真の教え」を伝えて、信徒を真理に導くのが講師方々のお役目なのではないのですか?<<

ユタカさまは、>>2261

>>暗い悪い言葉が呪いと言うことはわかりますが、つぶやきも『呪い』に谷口先生は分類されておられます。。。
私達はもっと、もっと、実相独在を勉強して自ら大光明をはなったら、全ても光って見えてくるのでしょうか?
まだ、自分の周囲に対して何か、暗いところが見えるのは、自分の内なる神が輝いていないと言うことなのですね?

実相独在、光明一元に自分が立ったときには新経『大自然や観世音』はどうみえるのかなぁ????<<

――さあ、この公案にどう応えるか?

2265復興G:2013/07/12(金) 22:20:30 ID:AB6RqYXc

>>2263 :ユタカ様

ありがとうございます!

そう、どんな問題にも正解がある!

>>生命の実相を熟読して考察する事は、なんと、嬉しい、有難いことでしょうとおもいます。<<

本当に、そうです!

2266ユタカ:2013/07/12(金) 22:24:57 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

開会のお祈りと真理の吟唱の謹写をありがとうございました。

真理の吟唱を読ませていただくと、安心します、このような世界ばかりが観れるような「自分に」なりたい!!

2267ユタカ:2013/07/12(金) 22:35:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>そう、どんな問題にも正解がある!


本当ですか!! 嬉しい!!  このWEB誌友会でとりあげられている問題のすべてに正解があるのですね!!!

勉強するのが嬉しい楽しい有難〜〜い! ワクワクどきどきです!!

今自分は、あのお方に感謝しております。。。。 (誰かに石を投げられるかも?! ですが・・・)

2268ユタカ:2013/07/12(金) 22:37:49 ID:R1D4Jmeg

復興Gさまとユタカしかいない気がする・・・(笑)

2269トキ:2013/07/12(金) 22:47:07 ID:77yRiluA
 この経本の問題は難しいと思います。

違法拘束命令、という言葉を聞いた事があります。組織の上司の命令が、違法なものであった場合、この
命令に従うべきか、どうか、という事があります。この問題が議論になったのは、昭和の始めに起こった
二・二六事件でした。あのとき、反乱軍の将校が勝手に天皇陛下の軍隊に命令を出し、その命令に従い
反乱軍の兵隊さんは、陛下の股肱を殺害したのです。この兵隊さんの行動は、上官の命令を忠実に守った
という点だは忠義を尽くしたかもしれませんが、上官の命令が明らかにおかしいのですから、その意味で
は不忠であったと言えます。それ以来、法律の世界でも、この問題は大きなテーマになったと聞きました。

 先日、亡くなられた東京電力の福島第2発電所の吉田昌郎所長(当時)は、大震災のときに、東電本社
が「首相の了解が得られていない」として海水注入の中止を命じたのに対し、吉田氏はこの指示を無視して
注水を継続し被害の拡大を防いだ、とされています.

 もちろん、現場の人間が、勝手な判断を連発したら、組織は崩壊してしまいます。だから、そう簡単に
『命令違反」をしても良いとは思いません。しかし、明らかに指導部が間違った場合、その命令に従う
事が、倫理的に正当化できるか、という事は難しい事です。私自身は、本流復活派の考え方は支持しません。
が、教団指導部は、いくつかの点で間違っています。要は、原則として組織の命令には従うべきですが、
間違った指導に従う事は、それが間違いだと気がついた以上は、従わない事が義務になるのかもしれません。


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