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Web誌友会 板/2

1377「靖国見真会」参加者:2013/05/25(土) 12:19:14 ID:0PL7dBUs

「a hope」様へ

私も聞きたいことがあります。

》それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、わたしだけでしょうか?

「谷口雅春先生を学ぶ会」は「谷口雅春先生を学ぶ」誌を発刊しています。

それを読まれているのでしょうか?

「ユーチューブ動画」でも、「靖国見真会」や「愛国練成会」そして「全国大会」も配信もしています。

それをご覧なった上での見解でしょうか?

ぜひ、お答えいただけたら有り難いです。

1378復興G:2013/05/25(土) 13:46:29 ID:AB6RqYXc

>>1375>>1376 :志恩様。

>>……つまり、雅宣総裁だけでなく、本流の皆様も、
①自我を死にきらず、我で、運動されてるし、
②相手の非ばかり指摘して、雅宣総裁の実相と和解していない。
そこを、a hopeさんにつかれて、返す言葉も無い、とおっしゃったのでしょうか? <<

>>>>私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか! 悲しい! と思います。>>
という事は
本流の皆様も、野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争っているのだ、、とおっしゃっておられるのですか? <<

――そのように受けとっていただいて結構だと思います。

私は、“本流”様を責める気持はありません。

“本流”様には、“本流”様の使命があって、使命感に基づいて出現されているのだと思っています。
だから、ご奮闘には感謝し、教えられているところもあります。

しかし、過去には、
『「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名前だけで、その実は「谷口雅春先生を学ばない会」になっているのではないか。そのような似而非なる“学ぶ会”に、私が入るなどということは決してあり得ない』と、痛烈に批判したこともあります。

今は、そのような過去の状態から、「真剣に谷口雅春先生の教えを学び、谷口雅春先生のごとくに生きよう」という姿勢に変わって来ておられることを信じ、そのように祈っております。

>>いつの世でも、本物は必ず広がりますから、何も心配はいりません。ニセモノは長く続かず、本物は栄えるのです。それが真理でしょう。<<

と「こんにちは」様がおっしゃってる通り、“本流”様が本物を顕して行かれれば、ニセモノは長く続かず、本物は栄えるという法則の通りに、真理が実現して行くと信じ、真理に則ったご健闘を祈っています。

>> ≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか!<<

と書きました通り、それは私自身への戒めのお言葉であると思っています。

ありがとうございます。

1379志恩:2013/05/25(土) 15:04:29 ID:.QY5jUA6
復興G様


----------------------------------------------------------------------
私の質問〜
>>>>……つまり、雅宣総裁だけでなく、本流の皆様も、
�自我を死にきらず、我で、運動されてるし、
�相手の非ばかり指摘して、雅宣総裁の実相と和解していない。
そこを、a hopeさんにつかれて、返す言葉も無い、とおっしゃったのでしょうか? <<

>>>>私は上記『無門關解釋』の「はしがき」を拝読して、特に次のお言葉が痛く胸にしみます。
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
 ああ! このお言葉は、私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか! 悲しい! と思います。>>
という事は
本流の皆様も、野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争っているのだ、、とおっしゃっておられるのですか? <<
------------------------------------------------------------------------------------------------
復興G様のお答え〜

――そのように受けとっていただいて結構だと思います。
(中略)
過去には、
『「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名前だけで、その実は「谷口雅春先生を学ばない会」になっているのではないか。
そのような似而非なる“学ぶ会”に、私が入るなどということは決してあり得ない』と、痛烈に批判したこともあります。

今は、そのような過去の状態から、
「真剣に谷口雅春先生の教えを学び、谷口雅春先生のごとくに生きよう」という姿勢に変わって来ておられることを信じ、
そのように祈っております。

>>いつの世でも、本物は必ず広がりますから、何も心配はいりません。
ニセモノは長く続かず、本物は栄えるのです。それが真理でしょう。<<

と「こんにちは」様がおっしゃってる通り、
“本流”様が本物を顕して行かれれば、ニセモノは長く続かず、本物は栄えるという法則の通りに、
真理が実現して行くと信じ、真理に則ったご健闘を祈っています。(後略)<<
-----------------------------------------------------------------------------
という復興G様からのコメントを頂きました。早速のお返事をありがとうございます。

本流掲示板に書き込んでおられる方々は、全員が「学ぶ会」のお方ではないと伺っておりますし、

様々な、元々の教えに戻ってほしいと切望されている方々が書かれておられるそうです。

ですから、本流掲示板で書いていらっしゃる方々を総じて、

>>みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。

 >>

と、おっしゃるのは、私は、言い過ぎではないかと思います。

このたび、「学ぶ会の全国大会」へ参加しましたが、雅宣総裁や教団を批判する言葉は、どこにもありませんでした。

全国大会のユーチュ―ブを、全部、ご覧になられましたか?ご覧になられたら、理解して頂けると存じます。

でも、『学ぶ会』は、過去、批判を多くしていましたので、「学ぶ会」は、悪口ばかり言ってるという人達もおられるようですから、最近は、
方針を変えられたそうですし、
復興G様が、おっしゃておられる方向に、向かうのではないでしょうか。

私も、我が出ていないか、内なる神様の声を拝聴し、今後一層、内省しながら、発言させて頂きます。

1380a hope:2013/05/25(土) 18:46:04 ID:edEDolt2
>>1377「靖国見真会」参加者さま

わたしは、>>1299で、「靖国見真会」参加者さまのお名前を挙げさせていただいいて、

<<「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?>>

という質問をさせていただきました。
元本部職員Dさまからは、愛国心溢れる心のこもったお返事をいただきましたが、「靖国見真会」参加者さまからは、
何のお返事もいただいておりません。

それなのに、どうしてわたしが「靖国見真会」参加者さまの質問にお答えする必要があるのでしょうか?


みなさま、わたしは、今仕事から帰ってきました。
お腹のすかせた家族もおりますし、明日は早朝から出かける用事があり、準備があります。

ですから、志恩さまなどの質問には明日以降、お答えさせていただきたいと思います。
勝手を言いまして申し訳ありません。

1381志恩:2013/05/25(土) 19:38:39 ID:.QY5jUA6
「靖国見真会」参加者様
こちらの掲示板からで、失礼致します。
-----------------------------------------------------------------
>>1380:a hope様のコメントによりますと

>>:a hope様が、「靖国見真会」参加者様宛ての質問をしたのに、
「靖国見真会」参加者様は、それに対する回答を、まだされていない。
なのに、なぜ、私(a hope様)が、今回の「靖国見真会」参加者様からの私(a hope様)への
質問に答えなければ、いけないのか。

そのa hope様の質問とは、

<<「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまは、「天皇国實相顕現」のために現在どのような運動をされているのですか?
また、教団から信徒がそちらに流れて、そちらの「会」が大きくなられたら、その運動をどのように展開されるおつもりなのですか?>>

というものでした。そして、a hope様は、つづけて、
>>元本部職員Dさまからは、愛国心溢れる心のこもったお返事をいただきましたが、「靖国見真会」参加者さまからは、
何のお返事もいただいておりません。<<
---------------------------------------------------------------------------
と、申されてます。
実は、私は、それにつきましては、「靖国見真会」参加者様の代理で、
下記のようにa hope様にお答えしてございますが、
やはり、質問されたご本人様が、お答えくだされば、ありがたいと存じます。

よろしくお願い申し上げます。

そうすれば、a hope様が、そのあとに、「靖国見真会」参加者様からの>>1377のご質問に答ると言われております。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

1336 :志恩:2013/05/22(水) 23:26:13 ID:.QY5jUA6
a hope様

今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているかということですが、
伊勢練成会や講演会でそのことを宣布したり、雑誌に毎号かいて、啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に、全身全霊で気づいて頂くための、

そのような運動をされてますよ。

なにも運動とは、個別訪問したり、小旗を手に持って、昔のように行進することでは、ありませんから。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------

1382志恩:2013/05/25(土) 19:40:47 ID:.QY5jUA6
再掲させていただきます。

1377 :「靖国見真会」参加者:2013/05/25(土) 12:19:14 ID:0PL7dBUs

「a hope」様へ

私も聞きたいことがあります。

》それなのに、教団は左側に向かい、本流は右側に向かっていってしまっているように見えるのは、わたしだけでしょうか?

「谷口雅春先生を学ぶ会」は「谷口雅春先生を学ぶ」誌を発刊しています。

それを読まれているのでしょうか?

「ユーチューブ動画」でも、「靖国見真会」や「愛国練成会」そして「全国大会」も配信もしています。

それをご覧なった上での見解でしょうか?

ぜひ、お答えいただけたら有り難いです。

1383復興G:2013/05/25(土) 19:44:56 ID:AB6RqYXc

>>1379 :志恩様。

丁重なお返事、ありがとうございます。

私が
>>――そのように受けとっていただいて結構だと思います。<<

と書いたのは、
≪みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。≫
というお言葉は
>>私たち自身に投げかけられているお言葉ではないのか!<<

と、まず私自身に投げかけられているお言葉であると受け取り、そして他の信徒皆様の中にもそのように受けとって自戒して下さる方があればなおうれしい、というような気持を表現したのでした。

なにも
>>本流掲示板で書いていらっしゃる方々を総じて、
>>みんな野郎自大(夜郎自大)、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。>>
と、決めつけているわけではありません。

本流掲示板で書いていらっしゃる方々にも、たとえば伝統様のように、真摯に、謙虚に谷口雅春先生の御教えを学ぼうとしていらっしゃる方があることは存じており、ご尊敬も申し上げております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

1384志恩:2013/05/25(土) 20:41:47 ID:.QY5jUA6
復興G様

重ねて御丁寧なご返信を下さいまして、ありがとうございました。

合掌 礼拝

1385神の子さん:2013/05/25(土) 21:29:57 ID:zcruWQj2

>>1380

ahopeさん、「本部職員D様は自分の質問に答えたが、靖国見真会参加者様は自分の質問に答えてくれてないのに、なぜ私が靖国見真会参加者様の質問に答えなければならないのか」

という言い方は、酷すぎませんか?

あなたの素晴らしい神性に対し申し上げます。靖国見真会参加者様は、いつもこの掲示板を隅から隅まで読んでいらっしゃるとは限りませんよ。大変にお忙しい方だと拝察申し上げております。
ahopeさんが、掲げた質問をご存知ない可能性も、あるのではありませんか?

私もこの掲示板の全てを読んでいるわけではありませんが、あまりにahopeさんの発言に幼さを感じ、申し上げさせて頂きます。

1386神の子さん:2013/05/25(土) 21:56:35 ID:???
>>1380
学ぶ誌を読んでおられるか?
全国大会のYouTubeを見られたか?
その返事次第で靖国様のホープ様への返答があるのではないでしょうか?

1387a hope:2013/05/25(土) 22:05:51 ID:edEDolt2
>>1385 神の子さま

もし、神の子さまがおっしゃるように、「靖国見真会」参加者さまが、
このweb誌友会で話し合われていた、それまでの話の内容をまったく確認なさらずに、
わたしの今朝の>>1371 の発言だけをご覧になって質問されたのであったら、
自分の幼さを心からお詫び申し上げます。
神の子さまのご指摘に、心より感謝いたします。

ですが、>>1381>>1382で志恩さまがわたしの質問内容を再掲載してくださっていますから、
きっと「靖国見真会」参加者さまからのお返事をいただけるのではないかと期待しています。

「靖国見真会」参加者さま

お忙しくて申し訳ありませんが、もしお返事いただける時は、>>1293からのわたしの投稿内容を
確認してくださってからお返事いただけるとありがたいです。

生意気を言いまして申し訳ありませんが、わたしもとても忙しいのです。
今日、明日は、もうこれ以上の発言は控えさせていただきますが、お返事は後日必ずさせていただきます。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

1388神の子さん:2013/05/25(土) 22:39:50 ID:nYL5yFzs
>>1387

きっと、また靖国見真会参加者様もご覧下さるでしょう。
>>1386の神の子さんも、言われてますが、私もそのようにも思います。
もし、ahopeさんが、学ぶ会のyoutubeをご覧なられていなかったら、(おそらくご覧だと思いますが)お時間あるときに、ゆっくりご覧になってみてくださいね。

1389志恩:2013/05/26(日) 08:07:16 ID:.QY5jUA6


a hope様

あなたが、
「ご自分が学ぶ会は【日本国実相顕現運動】をどのように、やってるのか、そして、今後…、どのように
【日本国実相顕現運動】をやっていかれるのか。「靖国見真会」参加者さま、答えてください」
と質問されたことに対しまして、私も、うっかり、同調しましたが、

先に、私が、ahope様にお答えさせて頂いておりますが、
【学ぶ会】も「靖国見真会」参加者様も

前々から、掲示板やネット上で、
その事については、膨大な発言を、すでに発信済です。

ですから、それらの発信済みである、すでに回答済みである【事柄について】

ahope様は、まえもって、ご自分では学びもせず。相手を、呼びつけて、答えて下さいというのは、

大変横柄な態度であると、私は思い直しているところです。
--------------------------------------------------------------------------------------------
>>1335 :志恩 (簡略化して、再掲)
 ahope様

私は、「学ぶ会」・「心のかけはし」誌(ときみつる会)の誌友です。
「学ぶ会」と「ときみつる会」の誌友になってよかったことは、
もともとの生長の家の教えが、学べることです。

「日本国実相顕現・鎮護国家」についての特集が「学ぶ会」誌、今年の2月号に掲載されてました。
(今回は、そこからは 引用していませんけれど)

「心のかけはし」にも、元々の教えや、様々ないいお話が、満載です。

ahope様が、
なのに、ここの掲示板に来て教えてください。というのはどうでしょうね。
または、光明掲示板に貼ったとしましょう。
答えは。「学ぶ」誌にありますよ、と言われますよ。

神の子様が、いわれてましたが、教えて下さいと、呼び寄せるのは私も、
それは、ちょっと失礼に当たるかな、と思いました。

なぜなら、ネットで調べただけでも、靖国見真会参加者様はじめ
本流関係の方々は、今まで全力をあげて、掲示板などで、それらについての教えを
教えて下さっておられるからです。

ahope様は、「学ぶ会」誌、「心のかけはし」を購読して自ら学ばれたり、
ネットで調べて学ばれる事のほうが、相手に質問されることよりも先にされることだと思います。
----------------------------------------------------------------------
「学ぶ会」HP
http://manabukai.org/ここを、ご覧になれば、どのような運動をされてるか、おわかりになります。
「日本国実相顕現」運動のことも書いてあります。
---------------------------------------------------------------------------
上記にプラスしますが、私が、別の投稿文で書かせて頂きましたように、

>>今、「学ぶ会」や「ときみつる会」では、どのような運動をしているか、ですが、<<

講演会、練成会、雑誌、掲示板で、それを発信する事が、その運動を展開しているということに
なると思います。

「日本国実相顕現運動」とは、自分自身が、小宇宙であり、日本人である
「神の子・人間」「実相・日本」「実相・天皇」の真髄を、

頭だけでなく、全身全霊で気づいていただくこと、、
それを広く啓蒙する運動が、「日本国実相顕現運動」なのですから。


【学ぶ会】、また、【ときみつる会】も、されてます。

伊勢練成会や各種講演会で宣布したり、雑誌に毎号書いて啓蒙運動をされてるでは、
ありませんか。多くの方々に全身全霊で気づいて頂くための「日本国実相顕現運動」
を、このように熱心にされてます。

1390志恩:2013/05/26(日) 08:12:44 ID:.QY5jUA6
「学ぶ会」HPより

日本国実相顕現・鎮護国家・地上天国実現こそ生長の家の使命

『谷口雅春先生を学ぶ』平成25年2月号より転載
生長の家大神=住吉大神の使命を問い直す
http://manabukai.org/_userdata/chingo.pdf

1391「訊け」管理人:2013/05/26(日) 08:29:29 ID:???

>>1390

 この論文ですが、一知半解と表するのが適当かと思います。恰も「世界平和」なる総裁用語を、なにか左翼
共産党のそれと同等に解釈しての、そんな論の進めかたがなされてあります。(初歩的読解ミスに該当)

 その他にも多々、疑問点があります。なお、必要ならば後日論拠を示します。



1392志恩:2013/05/26(日) 08:31:49 ID:.QY5jUA6
元大幹部でいたした
元本部職員D様が
>>1343:に、

元大幹部でいらして現在も現役の地方講師としてご活躍中の
復興G様が、
<<1352 ~ >>1356に、深く書いて下さってますので、
こちらの方も再度、お読みくださいませ。

では、なぜ、それらを全身全霊で気づくことが、必要かというならば、
気づいた人と、そうでない人との考え方の立ち位置が根本的に違いますから、

子どもの教育にしても、自分の生き方やものの見方が、
より良い方向へ、大転換されるということです。

1393志恩:2013/05/26(日) 08:50:28 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

私は、きついこと言うところがありますが、憎らしくて言うことは一切ありませんので
気にされないでくださいね。

a hope様の向上心の厚さには、教えられております。

私は、今、末端信徒の1人で、一誌友でしかありませんので、
私が、お願いしても、ahope様がお願いされても立場は同じなのです。
そこのところも、分ってくださいね。(笑)

お返事があったときは、それでいいし、なかったら、それでもいいし、と
気楽に まいりましょうよ。

1394志恩:2013/05/26(日) 10:33:06 ID:.QY5jUA6

みなさまへ

「鎮護国家」を「世界平和」にしてしまったことについて、どちらも同じだと言い張る人と議論しても
お互いに、平行線で、ストレス溜まるだけだと思います。

「世界平和」などというキャッチフレーズは、福島瑞穂も言ってます。

 他の様々な、宗教団体も、口を揃えて言ってます。

生長の家もまねして「世界平和」にしたので、生長の家教団は、独自性のない、骨抜きのクラゲみたいになって ぶにょ ぶにょの
教団になってしまいました。
--------------------------------------------------------------------------
ちえ袋より

「世界平和」って何? 平和平和って、うるさい日本人ってどうかと思います。「世界平和」...
matsukeihendrixさん

「世界平和」って何? 平和平和うるさい日本人ってどうかと思います。
口先だけで平和だの平等だの意味言う人に呆れます。



ベストアンサーに選ばれた回答
nao23_beck7さん

理想として「平和」を掲げるのも構わないと思いますが
日本人は「平和」の意味を取り違えてないでしょうか…「闘わない」=「平和」じゃないんです!!

それを勘違いし「平和」と声高に言うからおかしな話になる…他国に守ってもらう「平和」って何ですか?
自国の国土や国益や国民を自国で防衛できずして何が「平和」ですか?

先の大戦後にアメリカによってされた戦後教育で日本は骨抜きにされ大和民族の誇りを失いつつあります

…先の大戦で「日本が悪の帝國だった」「他国で虐殺」をしたとアメリカに洗脳され自虐的な歴史感を持ち親米ポチになり「平和」を叫ぶ…
それなのにアメリカが今現在でも他国と戦争する時は「あれは聖戦」といい「平和」という「理念」を捨てる…
そういう輩は「平和」=「闘わないこと」だと思っているんです…愚かですね…

…ソコには大和民族としての誇りなどありません…民族の誇りがないわけだから日本はもはや「亡国」です

------------------------------------------------------------------------------------
このちえ袋に書かれているように、
おかしいことを、おかしいと言う人が大調和の教えに反していると断じる事は、もしも、襲いかかられても、闘わない日本を平和と言ってるのと、同じです。

1395うのはな:2013/05/26(日) 17:09:57 ID:IMO2Sxqo
財団法人 世界聖典普及協会の著作権侵害に対する訴訟の経緯

    http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533

1396うのはな:2013/05/26(日) 17:11:03 ID:IMO2Sxqo
>1395,1396
 すみません、場所を間違いました。削除お願いします。

1397ユタカ:2013/05/27(月) 00:10:43 ID:R1D4Jmeg
こんばんわ。遅くなってしまいました〜〜〜。

生命の実相第3巻 3章4章を読みました、ざっと読んで、第3章は戦時中の体験談からの実証なんだけど・・・内容がよく読み取れません。
第4章はどこを読んでも感動です。繰り返し読みたい、現況の教団の事も、この生命の実相を読んでいれば、いかなる混乱の中にあっても、地上の天国建設途上の人生の敵弾に倒された犠牲者とはならないのであります。(P,95最後の行)
と言うところが、現教団の犠牲にならない秘訣になるのかな??って思いながら読みました。
この4章はみなさん、どこをよまれても、心が安心する光明真理満載です。

今週はみんなで第4章を読みませんか?? どこを読んでも励まされますし、私は戦争の言葉を裁判と変えて読んだら、安心しました。感想を書きたいです。
拝読後、感想を書こう!!

余談ですが・・
>>1317のトンチンカン』さんの中の光明の塔とご神像の画像には驚いた。

塔の扉についている生長の家の徽章(?)が半分から割れて2つに分断されている。教団の現在を象徴していると思ってしまった。
そして、ご神像様の顔もまつ毛が長く眉毛にまで届いて、まるで・・・ピエロ顔のようで滑稽な顔に見えるのは、私がオカシイのでしょうか???

ですが・・・どうしても・・・ご神像様がピエロ顔に見えてしまう・・・(ご神像さま、ごめんなさい。多分映像の関係で私にはそう見えてしまうのです。。。)

1398ユタカ:2013/05/27(月) 00:14:43 ID:R1D4Jmeg
上記の>>1317でなく
 
本流対策室の>>1317です。

1399ユタカ:2013/05/27(月) 00:18:18 ID:R1D4Jmeg
訂正

本流対策室板の>>1316 でした。 失礼いたしました。

トキさま、上記 NO.1398 の削除をお願いします。

1400ユタカ:2013/05/27(月) 00:19:47 ID:R1D4Jmeg
>>1316 出るか??

1401ユタカ:2013/05/27(月) 00:22:14 ID:R1D4Jmeg
別の板は表示されないんだ!!

ごめんなさい!!

1402ユタカ:2013/05/27(月) 00:23:47 ID:R1D4Jmeg

生長の家本部会館「光明の塔」とご神像 SEICHO-NO-IE
http://www.youtube.com/watch?v=YObgceIiMuU

1403志恩:2013/05/27(月) 08:30:04 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

生命の実相第3巻(P,95最後の行)、拝読してみました。第4章は、最初の方だけ拝読しました。
ユタカ様のいわれるように、心が安心する光明真理満載ですね。

>>1397:ユタカ様―「第4章はどこを読んでも感動です。繰り返し読みたい、
現況の教団の事も、この生命の実相を読んでいれば、いかなる混乱の中にあっても、
地上の天国建設途上の人生の敵弾に倒された犠牲者とはならないのであります。(P,95最後の行)

と言うところが、現教団の犠牲にならない秘訣になるのかな??って思いながら読みました。
この4章はみなさん、どこをよまれても、心が安心する光明真理満載です。」

ユタカ様、
ご神像の顔がピエロに見えるのは、この映像を写したときの「光線の加減」です。

私は先日「学ぶ会全国大会」の帰途、あのお懐かしいご神像の真下まで行ってお参りしてまいりました。
しみじみとした気持ちで、しばらくたたずみ、合掌礼拝し ご神像の聖霊に感謝の祈りを捧げてまいりました…。

このたびは、光明掲示板の方にも、こちらにも皆様、ご神像のことで、たくさんの書き込みがございますが、
私は、脱力感で、ことばが みあたりません。

それから、
ご神像の、眼の上、、まつげに見えるものは、「おでこ+まゆげ」から落ちてきたホコリではないでしょうか。
まるで、長いまつげに見えますが、あのようなものは、もともとはなかったと思います。

下に貼付した映像をご覧になると、わかりますが、向かって右側の髪の毛の下の部分にも、まつげみたいな ホコリが 
何本も つららのように、首のところに、垂れています。

ドアのところの生長の家の徽章が、まっぷたつに 割れている  というのは、見慣れていた場所でしたが、
まったく 気がつきませんでしたよ。ほんとですね…。

まるで、今を予言してるみたい!!
   http://www.youtube.com/watch?v=olnuCwtQYSw

勉強会されるのですか?
私は、出られるかどうか、今、あれこれと多忙ですので、わかりませんけれど、
閲覧だけかもしれませんけれど、学ばさせて頂きます。ありがとうございます。

1404a hope:2013/05/27(月) 08:58:36 ID:edEDolt2
>>1373 志恩さま


以下引用
ーーーーーーーーーーー
①教団は左側に向かい…
につきましては、
世間でも、すでにはっきりと認められておりますので、異議は、ありませんが、

②本流は、右へ向かって行っている…
と、捉えられたahope 様の根拠が、わかりません。

その根拠を、書いて下さいませんか?

ーーーーーーーーーーー

・右は、もともとの考え方を大切にする(保守)
・左は、新しい考え方を推進する考え方(改革)
・中道は、神の御心を生きようとする考え方(大和精神)


わたしは、このように、右・左・中道を理解しています。
ですからわたしはけっして教団のことも、学ぶ会さまやときみつる會さまのことも、
左翼団体であるとか、右翼団体であるとか思っていません。

ただ、どちらの団体さまも、実相よりも現象を多く見つめて運動をされているように感じています。
ですから、現象的に見てしまうと、わたしにはどうしても右寄りに見えてしまったり、左寄りに見えてしまったりするのです。
それが、根拠といえるかもしれません。

現象生活をしていく上では、各人の思想や考え方が保守的であったり、改革的であったりするの個性ですからしかたないと思いますし、
それを認めあっていくことが、本当の意味での多様性を認めるということなのではないかとも思っています。

たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、
それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね?
それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?

雅春先生は現象人間としてもとても偉大なお方だと思いますし、神に選ばれた魂のレベルのとても高いお方だと思い心から尊敬していまが、
雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。


ですが、「生長の家の真理」は不変ですから、雅春先生がいらっしゃらない今は、
わたしたち信徒は、本来の人類光明化運動を促進して、「人間神の子」「唯神実相」真理を人々に伝えるのはもちろんですが、
わたしたち信徒自身が「教えの基本」である「大調和の神示」の教え実行していかなければ、
「生長の家」とは言えないのではないでしょうか?


みなさま

わたしの発言に対する、間違いのご指摘、ご批判は喜んでお受けいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。

1405ユタカ:2013/05/27(月) 09:35:40 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

勉強会は自主的にして感想を一人で書いています、ア ホープさまはまだ疑問の追求の最中のようですので。

ご神像ですが、本部が大切にしていないから、持ち主の心を象徴しているようにも見えます。昔のご神像は白くて威厳のようなものを感じましたが、

今は、ないがしろにされているのでしょう・・・鼻先も真っ黒・・・ もっと大切にメンテナンスして維持すべきです。何よりも大切なご神像なのですから・・・・

1406a hope:2013/05/27(月) 09:46:20 ID:edEDolt2

あ、ユタカさま

ごめんなさい。

御神像、たしかにピエロに見えます。
わたしは、あのBGMのせいでもあるような気がします。

なんか、あの曲、サーカスのピエロ登場の時に流れてる音楽みたいな感じですよね。

1407ユタカ:2013/05/27(月) 09:54:42 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま、お帰り!

がんばって勉強していますね! 日本国実相顕現運動のことは分かりましたか?

>1404現象の事を沢山かいておられるようですが・・・いつまでも「無い」ものを相手に答えを出そうとしても無駄だとユタカは思います。a hopeさまの観の転換がひとまず必要でしょうが、自分で気がつかなければいけませんですね。
そして、そのない現象に丁寧に繰り返し、復興G様は何度も過去に回答を下さっているので私は感謝しています。

暗にスポットをあてているより光明をどんどん入れて、すっきりいろんなことが氷解した、ユタカです。

1408ユタカ:2013/05/27(月) 09:57:21 ID:R1D4Jmeg
>1406(笑)

返信ありがとうございます。

私も音楽が・・・サーカスがさびれた遊園地のように思いました。今日も私はあまり書き込めません・・ごめんなさい!!

1409a hope:2013/05/27(月) 10:06:57 ID:edEDolt2
>>1407ユタカさま

日本国実相顕現運動=人類光明化運動(七つの光明宣言の実行)とわたしは理解しています。
っていうか、それ以外考えられません。

現象はないのだから、相手や日本国の実相を見る「観の転換」そうですね!

日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!
ユタカさま、素晴らしいご指導をありがとうございます。

感謝 合掌

1410志恩:2013/05/27(月) 11:46:28 ID:.QY5jUA6
ahope様

若さというのは、いいものですね。
分っているつもりでいた漠然としたことも、質問されますと、考え直す機会があたえられ、
それを具体的に表現(発言)するにはどうしたらよいか、試行錯誤することが、できますから。

私も、昼は多忙なので、じっくりとは書き込み出来ませんけれど、、

>>1409:a hope様〜

「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!」

ということは、ちがうのではないでしょうか。

例えば、「人間の実相は、肉体ではなく、物質でもないのですから、ご飯など必要なんて
ないんですよね!」という捉え方と、同意語だと思います。

別の例を挙げれば

北朝鮮が日本に向けて、ミサイルを撃ってきても、中国が尖閣諸島を略奪しても、
実相の日本は、
完全円満で、実相は、なにも犯されず、何も奪われず、日本人はだれ1人、実相では傷つくことは
ないのですから、現象の運動や防備など、何もする必要なんてないんですよね!」

ということと、同じだと思うのです。

われわれは、実相を表現する舞台として、この現象世界を与えられております。
だから、現象世界は、表現の場なのです。

われわれは、この現象世界という舞台に於いて、おのおのが主人公を演じ生きているのですから、
人生が よりよく健全の方向へむかうように、

現象の「善」「悪」を、しっかりと見極め、的確な判断を下し、日本国も民心も崩壊しないよう、
護るべきものは、互いに力を合わせて護り、心ある方々と共に啓蒙運動をすすめる事……

これは、動けない人は、、たとえ、掲示板上の発言でもいいですから、
拡散していかなければならないことだと思っております。

1411ユタカ:2013/05/27(月) 11:57:46 ID:R1D4Jmeg

日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!<

なんでそうなるの?(笑)  いつも極端から極端に飛んで行きますね(笑}

1412ユタカ:2013/05/27(月) 11:59:37 ID:R1D4Jmeg
あ、志恩さま、ご登場ありがとうございます。

あとで、じっくり読ませていただきまーーーす!!!

1413志恩:2013/05/27(月) 11:59:44 ID:.QY5jUA6
ahope様

1404:につきましては、私は昼は多忙で、これ以上,書けません。
夜にお返事を、と思っております。

この中のahope様のコメントの1つ〜

「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

これにつきまして、ユタカ様なら、どのようにお答えになられるかしら。

雅宣総裁は、雅春先生が説かれた教えを、現代風にアレンジして、説いておられると思われますか。

また、生長の家の教えが【大調和】だから、、、とおっしゃることも、まえまえから、このことを論じられてまいりましたが、

どなたか、お答え下さるお方がいらっしゃいましたら、よろしくおねがいします。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/1404

1414髪の子様:2013/05/27(月) 12:28:59 ID:H8pVL9Ic
ahopeさん、私が知らないことが、ありましたので教えて下さい。
雅春先生が、「真理を伝える方便を時代背景の変化とともに、変えなければいけない」と書かれているご著書を、教えていただけますか?

それと「靖国見真会」参加者様が言われてますが、学ぶ会のyoutubeをご覧になったり、学ぶ誌を読まれてますか?

1415髪の子様:2013/05/27(月) 12:46:29 ID:bAijypnk

>>日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、 現象の運動をする必要なんてないんですよね!>>

は、私も違うように思います。理由は、志恩様が述べていらっしゃることと同じ意見です。

>>1404

>>たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、 それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね? それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?>>

雅春先生ご自身の個人的な感情で、愛国運動をなされたのではないと、私は考えます。
ある古いパンフレットのなかに、生政連での政治運動におけるパンフレットですが、雅春先生は「この運動は住吉大神のお働きである」と、記されたお言葉がございます。パンフレットがいま、手元にないので、すみません。

1416ユタカ:2013/05/27(月) 17:54:14 ID:R1D4Jmeg
>>1413 志恩さま

>「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

上記のご文章はどの本に書かれていますか? 谷口雅春先生の沢山ある本の中からユタカが抜粋するなら・・・

わたしはかって『神 真理を告げ給う』と題する本を著した。それは私の名を冠してはあるが、決して私のほんではなかった。
それは神が私の2度目の海外巡錫の講話の内容につき暁方の夢うつつの如き心境において”真理をかく語れ”と導き給うた内容であった。私はそれを筆記したのではない。ただ、神が繰り返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して文章に表現したのであった。
従って、文中にある”わたし”は”神”御自身のことであり、私谷口のことではない。
神が谷口を通して告げ給う真理の精髄をひたすら中實に文章に再現したものである。ーー略ーー
(実相と現象はしがき)より

@生命の実相第1巻やあちらこちらに、谷口開祖先生が神様のラッパとなって『神様の言葉』を取り次いで下さっていらっしゃることが書かれています。

そこで、a hopeさまの冒頭の言葉で「雅春先生ご自身が・・・・」と始まったとこらから、もう「違う」ように思いました。

そして、最初に学んだ、七つの灯台の点灯者が住吉大神、生長の家の神様と言うことなので、同じ神様が、昔も今もずーーーーーと人類を捨てずにずーーーと傍にいて、真理を語ってくれている事が、WEB誌友会の最初の時の勉強でしたから、
神様はその時代、土地に合わせた言語で自由自在に、人智を遥かに超えた偉大なる神様の御業によって時代時代に宗教教祖や碩学や大哲の中に宿って衆生を導いて下さるために書いたり解いたりをこれからも今までと同じようになさることだと、私はそのように感じ取りましたし、この本ご本の中にもそのように書かれておりますゆえ、続きはお読みください。

もっと具体的にせよ と言うことであれば、あとで謹写いたします。

1417髪の子様:2013/05/27(月) 18:12:11 ID:M8Og9jzQ
>>1416

ユタカさんのご説明、ありがとうございました。
よくわかりました。聖典を拝読します。

1418ユタカ:2013/05/27(月) 19:13:07 ID:R1D4Jmeg
実相と現象 はしがき  の続き

昭和四十七年春のアメリカ、カナダ、メキシコの講習旅行の折であった。
『生命の実相』が五十年前に刊行されたとき、聖書型の黒革の表紙には、「生長の家聖典」とのみ記して、著書名はださなかった。表紙の平(ひら)とか扉には、いつの頃からか名が出るようになったが、携帯版の前まで、背文字は一貫して「生長の家聖典」であった。神が私をパイプとして書かしめた聖なる典籍との畏れ(おそ)慎みであった。
『神 真理を告げ給う』の冒頭には、次のごとくに述べられている。
「”わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いてきた。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基づいて思案をし、既に人生の意義を知ることがが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路(うろ)チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、”聖なる求め”を放棄している人もある。そのような人たちに”私は”今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こう」とおもうのである。
更に次の節には、
「・・・・・・それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に”わたし”は宿って、人々を導くために”わたし”は書いたり、説いたりしてきたのである。
真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳髄細胞から生産されて来るものでもなく、實にそれらの人々に宿っている”わたし”がそれを説いているのである・・・・。」

「しかし”本当の教祖”と言うべき”真理の啓示者”は””実相世界”にある”神”のみである。イエスキリストも『師というべきものは、唯、ひとり天の父のみである』といっているし、谷口雅春も、”自分は教祖ではない。實相世界に生長の家本部はある”といっているのである。

この ”わたし” は勿論いうまでもなく神である。

このような文章ーーー神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些か(いささ)の悔いることなく儘し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。  そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが悦びの波紋が見渡す限り広がる様を、心眼に拝するのである。

本著作集も第4巻となり、いよいよ佳境に入った感がある。生命の實相哲学の骨格をなす唯神實相論の霊々妙々の極意を、極めて平明に、話言葉を以て表現してある。先の海外巡錫の時よりも若い時代の著述が多いが、もとより谷口の脳髄智、谷口の力(にんべんに両)で構えて説いたものではない。

いずれもその折々に 最も相応しい神々の指導助言の賜物である。 万般の奇跡が続出するのも、故なしとしない。

諸賢が本書に親しまれることにより、”聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代わり切に切に望むものである。 

    以上 實相と現象 はしがきより 謹写


時代、時代に 現れて来られるのは、神様のご意思であって、谷口先生を通して書いたり説いたりして下さっておられるので、新しい時代には、また神様がそのようになさる事と想像できませんか?

運動に関しても、生著の家は神意を実現し宇宙を救済する運動で(小は一木一草から国家救済を経て全人類を救済する)あるから、その真髄が「相互礼拝」であるとしたらそれに向かって階段を上っていくと景色が自然に変わるというように目的は変わらないが状況は変化しそれに対応するための変化はあると思う。目的は変わらずの前提である。



以上、ここまで、志恩さま、 間違えていたら教えてください。

1419ユタカ:2013/05/27(月) 20:12:24 ID:R1D4Jmeg
【大調和】については、<実相>は円満完全なので、実相円満完全の立場に自分が立って、実相円満完全な観方をして、生長の家の全体を観れたなら、

すでに大調和している!と思えると思います。心の眼で大調和と観るには信仰の深さが必要なので、吾々に真剣さを要求している神様が、神の子様たちに、「面」をかぶせていろいろな役割りを演じさせておられるだけかも?? 

それだから、復興G様が総裁は吾々の信仰を本物にするための観世音菩薩さまであります。と教えてくださっておられると思いますが・・・・

1420a hope:2013/05/27(月) 21:38:32 ID:edEDolt2
みなさま ありがとうございます。 合掌

>>1410志恩さま 

<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、
現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
ということは、ちがうのではないでしょうか。>>

わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。

真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。

それに、現象に現れた「悪」と見えることも、見方を変えればすべて「善」である、とわたしはここでお勉強させていただきました。


>>1411ユタカさま

<<なんでそうなるの?(笑)  いつも極端から極端に飛んで行きますね(笑} >>

わたしって、いつも極端から極端に飛んでいますか?
「おねえちゃん、ぶっ飛んでるね〜!」みたいなこと、独身時代はよく言われてましたが・・・やっぱりですか・・・(笑)。
でも、本来の生長の家の『実相独在』って、すっごくぶっ飛んだ、極端な真理だとわたしは思ってます。

1421a hope:2013/05/27(月) 21:40:06 ID:edEDolt2

>>1411髪の子さん

わたしは、実はそこのところははっきりしていないので、
<<雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?>>
という質問形式にさせていただきました。
どこかで、そのような文章を拝読したよう気がしていますが、自分で勝手にそう思い込んでいる可能性も大です。
ですが、ユタカさまも謹写してくださっていますが、雅春先生が、「自分は神の言葉を伝えるラッパである」」とおっしゃっていることは確かですよね。

わたしがそれらしい文章で手元にあるのは、「菩薩は何を為すべきか」P662行目から謹写させていただきます。

『・・・だから、「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」と云う教えの通過する系列のうち、その総裁でも、
現在の総裁たる私が死んだら生長の家がダメになるであろうと考えるのは間違いであります。
私が死んでも、私は一種のパイプでありスピーカーに過ぎないから、又次ぎに私に嗣いでスピーカーとなる総裁と云うのが出来まして、
その人が私と同じような役目につき、一層新型の素晴らしい良質のスピーカーになって、私よりも上手に教えを宣べつたえ教化の体制を整備すると云うことになるのでありますから、
そのことについては心配はいらないのであります。
既に清超先生が私に劣らず教化の力を発揮しておられまして、今後ついに私を凌駕するよおうになることは必然であります。』です。

<<それと「靖国見真会」参加者様が言われてますが、学ぶ会のyoutubeをご覧になったり、学ぶ誌を読まれてますか?>>

この質問には、お答えする必要はないと思っています。
教団、本流に関する、左・右・中道に関するわたしの見解は既に、>>1404でお答えしました。


>>1415髪の子さん 

>>たとえば、雅春先生も、戦後、現象を扱った運動をされたようですが、 それは「日本国のためなら生長の家教団がつぶれてもいい」というご覚悟の上にされたのですよね?
それは日本人としての雅春先生ご自身の愛国心からされたことだったのではないでしょうか?>>

どうしてわたしが、そう思ったかというと、雅春先生の代表的な愛国書である「私の日本憲法論」のタイトルが、「私の・・・」となっていて、
そらには、「生長の家の真理」はたくさん書かれているとは思いますが、その内容を論じているのは、現象人間の雅春先生のような気がするからです。
だって、わざわざタイトルに「私の・・・」ってつけてあるますしね。
だから、それらの愛国書と云われるものは、雅春先生が神さまのラッパになって書かれたものではなくて、
戦後の日本や日本人をを守るための雅春先生ご自身の愛国心と、その時代に「生長の家の教え(真理)」を守るためにあえて現象を見て書かれた御文章なのではないかと思うのです。
だからわたしは、それは素晴らしい愛国書だと思いますが、神さまのお言葉を伝えた聖典であるとは思っていません。
同じく、雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、
そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。
ですが、そこに、「住吉大神」の神意が働いていたかといわれればそれはそうなのだと思います。

以上は、すべて、わたしの個人的見解ですが・・・。

1422a hope:2013/05/27(月) 21:41:09 ID:edEDolt2
>>1416ユタカさま

誤解があったようなので、訂正させていただきます。

「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけない」とおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」
  ↓
「雅春先生ご自身が、「神さまからの真理の言葉をを伝える方便は、時代によって変えていかなければいけないとおっしゃているのではないですか?
現象人間の雅春先生が、現象に働きかけてしてきた運動と言うものは、時代背景が変われば変えていかなければいけないのだと思います。」

という意味です。言葉が足りず申し訳ありませんでした。

<<谷口開祖先生が神様のラッパとなって『神様の言葉』を取り次いで下さっていらっしゃることが書かれています。>>

そのことは、わたしは十分理解しているつもりです。
ですが、これからユタカさまの謹写してくださった御文章をゆっくり拝読して、今一度考えます。

感謝 合掌。

1423a hope:2013/05/27(月) 22:27:55 ID:edEDolt2
>>1421の住吉大神の神意の「神意」の意味は、計らい、計画という意味です。
神のコトバ(御心)とは、違う意味です。

1424:2013/05/27(月) 22:47:02 ID:LehQ563U

 ahope様

 >>1421

 謹写をありがとうございました。

 「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」に関してですが、私が勉強させて戴いていたご文章が、「本流宣言掲示板」にございます。

 ときみつる会の宮澤先生が、こころのかけはし誌に書かれたご文章を掲載をしてくださっておられる方がおられますので、参考までに次に、本流掲示板より転載させていただきます。

 ご参考になさってください。

1425髪の子:2013/05/27(月) 22:52:02 ID:LehQ563U

 < 「ときみつる会」宮澤潔先生の講演の抜粋 >

(「心のかけはし」第100号記念誌より (10328)
日時:2012年06月16日 (土) 17時19分
名前:さにわ


 「こころの旅路」という御本をテキストにいたします。
 御存じのように、雅春先生はいつも1ヶ月のうちの半分以上とかを地方御巡錫で、長途の旅をなさって御講演されていたわけです。この御本は、その旅先から御自宅の谷口輝子先生、ならびに恵美子先生に宛てて書かれた手紙と、逆におうちから雅春先生に宛てた手紙の中から、恵美子先生が抜粋・編集されたものです。
..........

<<私の姿が、白髪の老翁の姿に見えたとか、キリストの姿に見えたとか、云ふ人が度々あるけれども、その話は誌友会の席で私自身もすることがあるけれども、私自身それを宗教的幻覚として話しているだけで、自分自身が塩椎神様で、自分自身がキリスト自身であるとは自分にも信じないアルモノがあったのです。>>
..........

<<この大なる不覚は、自己の自覚がまだ三百六十度回転し得ず、人には「人間肉体にあらず」と説きながら、依然として「人間は肉体なり」と思ってゐる要素があった。>>
..........

<<百尺竿頭進一歩して、われ塩椎の神なり、世を救ふために出でたるなりの自覚が、自分自身にも乏しきが故に自己礼拝が出来なかった。>>
..........

<<従って自己さへも拝めないが故に、自分の妻を真の意味に於て拝むことが出来なかった。>>

<<私は素直に自分の妻が、貴女が、観世音菩薩であることを信じねばならないのである。>>

<<それは、本質に於て仏性に於て―と云ふやうな抽象的な意味や、哲学的意味に於てではなく、もっと具体的な意味に於て、我が妻は観世音菩薩が世を救はんがために肉身を仮に示現してあらはれてゐ給ふのである。>>

<<そして私は塩椎神そのものが世を救はんがために仮に肉身を示現してゐるのである。>>


と書かれたのですね。塩椎神というのは住吉大神と一緒ですから、御自分は塩椎神すなわち住吉大神、すなわち生長の家の神様そのものが、世を救わんがために、仮に肉体の身体を現しているのであるとの御自覚が書かれてあるのです。 これが、先生が人には仰らなかったところの、本当の奥深い、先生のお考えではないかと私は思うのです。


 「ときみつる会」では「神―開祖―御教え」を三位一体といいますが、私たちは、「開祖」であるところの谷口雅春先生は、神様のお言葉を受けた人間、神様のようなお方ではあっても、神様そのものではなくて、神様に近い優れたお人だと思っている面もありました。ところがこのお手紙には この「開祖」というのはすなわち塩椎神様であるという真義が書かれているのです。ここにおいて「神―開祖―御教え」が、三位一体であるということの、正しい意味がはっきりするのです。

(つづく)

1426髪の子:2013/05/27(月) 22:54:10 ID:LehQ563U

 先生はこれが人に読まれるなどその時は思いもされなかったでしょうから、宣伝するためでもない、自分を偉く見せるためでもない、御本心なのですね。先生が生前にこれを仰りたければ、幾らでも御自分の御本の中で示されたはずです。しかし仰っていない。だから、公には仰りたくないけれども、御自身ではそう本当に感じられたのですね。このことは、先生がもはや肉体をお持ちにならなくなってから後の世において、大変大事なことと思います。
..........

 宇宙の大神の真理を地上の人間に伝えるためには、その中間に人格的な面を備えられた神様が必要であり、それが生長の家大神であるわけですね。そして生長の家大神とはすなわち住吉大神であり塩椎神であるわけです。 しかしその生長の家大神、住吉大神、塩椎神といえども、直接に人間の言葉を語られたり書かれたりはなさいません。そこで、神のお言葉を人に伝えるためには、その神様が仮に人間の姿を現すことが必要であり、それを神様の化身というのです。


その化身として現れられたのが開祖・谷口雅春先生であるのです。つまり、開祖が人間の姿形をしてこの地上に肉体を現しておられたのは、ほんの仮の姿にすぎなかったのであって、開祖の御本質、御本体は生長の家の大神、住吉大神、塩椎神であるということです。 これから開祖の御教えが、何百年あるいは何千年経とうとまっすぐ伝わっていくためには、この深遠にして神聖なる「神―開祖―御教え」という三位一体を深く理解し、この三位一体に帰依するという純粋な信仰の姿勢が、極めて重要なのです。


なぜなら、この三位一体への正しい信仰が確立されていれば、「神―総裁・副総裁―御教え」などという、宗教的にあり得ない奇妙な、方向の間違った「中心帰一強制論」などに惑わされることはありません。あるいは、もしいつの世にか野心家が出てきて「開祖は昔の人でもう古い。これからは私がその代わりを務める」などと言うことがあっても、そんなことは妄言にすぎない、とすぐ分かりますから、迷いの森へさまよい行く虞(おそれ)はないでしょう。開祖・谷口雅春先生は塩椎神の化身でいらっしゃるのだから他のどんな人間もその位置に置き換ることなど絶対にできないのです。
..........

<<今や乾坤は一転する。>>

<<天地は新たに生まれ、自己は新たに生まれたのである。自己の眼の鱗は落ち、天の岩戸は開かれたのである。我が妻は光定君そのほかが、その霊覚で見たるが如くそのままに観世音菩薩なのである。そして私自身は多くの誌友が見たるが如く塩椎神そのものである。>>

(転載終り)

  さにわ様、無断にて転載させて戴きました。お許しを願います。
  合掌。

1427復興G:2013/05/27(月) 23:28:25 ID:AB6RqYXc

 ユタカさん、活発な、熱心なお勉強、ありがとうございます。
 私も、よいお勉強をさせて頂いています。

 それで、私も、ちょっと書かせてもらいたいと思います。

 ユタカ様が >>1416>>1418 に掲示してくださった『實相と現象』の「はしがき」に

>>神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些か(いささ)の悔いることなく尽し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。……<<

とあるようなお言葉を拝読しますと、谷口雅春先生は、常に己を無にして神の御心をあらわしたいと、ある意味では壮絶な戦いをなさって来られたと拝察されます。

ですから a hope 様が、髪の子さんにおっしゃっている 

≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

という投稿文には、ちょっとびっくりしました。

>>「雅春先生ご自身が現象世界に真理を伝える方便は、時代によって変えていかなければいけない」とおっしゃているのではないですか?<<

 ということについては、『叡智の断片』に、次のようなお言葉があります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     宗教家の現代的使命
 宗教が一切衆生を救済し得るためには時代応現の姿がなければならないのである。
(『新版 叡智の断片』p.84)
       ○
 終戦前とその後とで、説き方が変って来なければならないのはそれは現象的合理の方面であって「真理」そのものは終戦前も後も同じことである。

 現象を取り扱った言論や人間の頭脳的思索は、やがて時代に適合しなくなるものが出来るのは当然である。しかし神の啓示によるところの真理は超時代的なものである。雨がふるときに傘をさせと教えても、天気になったら、傘をさすなと教えるのは当然である。現象を取り扱うときには、時代を超えることは出来ないし、環境を超えることは出来ない。時処相応のことを説くのである。時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。
       ○
 「あの時は、傘をさせと教え、今は傘をさすなと教えるのは、前後矛盾である。先生は矛盾している」と言うのは間違いである。
(『新版 叡智の断片』p.199〜p.200)

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記のご文章で、
「時代に即して変りながら終始一貫した真理を説くのが本当である。」
というところが、骨子であると思います。
その「終始一貫した真理」、「神の御心」とは何か。――
<つづく>

1428復興G:2013/05/27(月) 23:29:08 ID:AB6RqYXc

<つづき>
「終始一貫した真理」、「神の御心」とは何か。――それは、

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。
「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、
キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。
(『聖なる理想・国家・国民』15頁)と書かれています。

この「日本国」とは、現象の日本ではなく、大和の理念なる実相の日本国であり、
「大和の国の神示」においては「大日本世界国(ひかりあまねきせかいのくに)」
と表現されているものであります。

そして『叡智の断片』においては

『「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし」
前後際断の「今即久遠」にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。』

と書かれているところの「真の日本」であります。

そして「久遠天上理想国実現の神示」に

「イエス・キリストも『み心の天に成るが如く地にも成らせ給え』と祈ったが、
実相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となっているのである。

……形の世界が心の世界の影であることが解り、実相世界が久遠常住の世界であると言うことが判れば久遠皇統連綿と言うことは実相世界の久遠常住性が最も迷いの念なしに形に顕れたのが日本国だと言うことが解るのである。

……生滅常なき現実世界が変じて久遠実相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国がひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。……」

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 上記最後のご文章は「神示」であって、「谷口雅春先生個人のお考え」ではありません。ですから、
≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

と a hope様が書かれたのを読みますと、愛国運動はすべて神さまの御心の運動ではなかったというようにもとれるので、それは違うと、私は思います。具体的な現象運動においては神の御心を外れた行き過ぎなどもあったかも知れませんが……。
「生長の家の真理」は「宇宙の真理」であると、私は思っています。
<つづく>

1429ユタカ:2013/05/27(月) 23:53:44 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

a hopeさまは、志恩様や復興G様や皆さんのおっしゃていることをもう少し良く読んでから自論を展開ください。

実相独在とは、ミサイル・・ご飯・・・←こういう書き方が誤解させるのでは?

実相は大生命の世界で物質の世界の事を言っていないからそれで正解だと思いますが・・・・
やはり、実相と現象が混同しているみたいです。

話は変わって・・・
>時代によって「神様のスピーカー」が一層新型の良質の素晴らしいスピーカーに・・・・

と言うところですが、現在の雅宣総裁は神様のスピーカーにはなっていません。これは本人が自分の書いたものを聖典と呼ぶなとおっしゃっています。

繰り返しになりますが、神様が時代の宗教家・大哲と現れて法を説くと書かれてあるのですから、

現在の雅宣総裁がスピーカーとして機能していないということは、開祖先生の教えがまだ新型スピーカーによって放送されていないどころか、放送を止めてしまわれたので、各種団体が原宿教団にかわって放送しているのですから、

今現在の新しいスピーカーは学ぶ会・ときみつる会の講話、また、雅春先生の教えを忠実に説く諸先生方といえましょう。

1430ユタカ:2013/05/28(火) 00:15:02 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
>上記最後のご文章は「神示」であって、「谷口雅春先生個人のお考え」ではありません。ですから、
≪雅春先生がされた愛国運動も、それは神さまの御心の運動ではなくて、戦後の日本や日本人を唯物論の左翼思想から守るため、そして「生長の家の真理」を貫くためにされた運動だったのではないかと思います。≫

と a hope様が書かれたのを読みますと、愛国運動はすべて神さまの御心の運動ではなかったというようにもとれるので、それは違うと、私は思います。具体的な現象運動においては神の御心を外れた行き過ぎなどもあったかも知れませんが……。
「生長の家の真理」は「宇宙の真理」であると、私は思っています。
<つづく>


これと、その上の文章もとても明確で分かりやすくて、読んでいてますますスッキリハッキリしてきて嬉しくなってしまいました!!
ありがとうございます、感謝します。

1431髪の子様:2013/05/28(火) 00:21:56 ID:8l/CYASM
ahopeさんへ。

「私の日本憲法論」お持ちなのですね。私は、手元になくて、光明掲示板でコスモス様のご愛念の謹写を拝読させて貰っています。
「私の日本憲法論」の一番最初の、雅春先生のご文章の序文のところに、この御本がどういう御本であるか、雅春先生がお書き下さっておられます。

1432復興G:2013/05/28(火) 00:29:50 ID:AB6RqYXc

a hope様。

>>本来の生長の家の『実相独在』って、すっごくぶっ飛んだ、極端な真理だとわたしは思ってます。<<
>>1420

そうですね。

ユタカさんの呼びかけで今回の自主勉強会のテキストになっている『生命の實相』第3巻第4章、私も拝読精読しなおしています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 われわれの想念が、神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。

 「正念」の反対に神の造り給わない事物――病気、災難等、一切の不完全を、完全なる愛の神はけっして造り給わないのでありますが、このような神の造り給わない事物をわれわれが念(おも)うことは、神の真創造を「離れて」空想をありもしない事物に自由に飛ばすことでありますからそういう念を「妄念(もうねん)」とか転倒(てんどう)の念とかいい、そのような「転倒(さかさま)の念」をもって生活することを神から離れて生活すると仮にいうのであります。

 現実世界はわれわれの「念」の合作によって成る一大化城(幻の世界)であって、「念」というものを活動写真のフィルムにたとえますと、現実世界はスクリーンに映っている映画の世界であります。ふつうの人は、この現実世界を影絵の世界であるとは思わず、実在の世界に不幸や病気が起こってくると思い、影絵に膏薬を当てるような治療をしたり、改造したり、不幸から逃げ出したりしようとするのでありますが、これは本末を転倒した話なのであります。(テキストp.75〜76)

 本当の神はその人が実相世界の造り主なる「本当の神」を知り、つくられたるままの実相の「本当の自分」を知り、「本当の神」と「本当の自分」との間が完全な愛と知恵とによって結ばれていることを悟りえた時にのみ、「内から」催してくる英知となり、「内から」催してくる慈愛深き保護となってあらわれ給うのであります。それは実に、的と鉄砲とを正しくねらい合わすごとく、本当の神と、自分の心とを正しく照準するときに自然に「内から」さし込んでくる神の英知の光であります。この光が正しくさし込めぱそれが神の導きでありまして、現象世界は「映(うつ)し世」であり「影の世界」でありますから、自然に現象世界のわれわれの一挙手一投足に調和ある状態が現ずる、これを一挙手一投足日常生活ことごとくが神に導かれるというのであります。(テキストp.87)

 (テキストp.93〜より) 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。社会は、日本は、いま、一歩一歩絶大の危機を孕みつつ墜落して行く。社会はどこまで墜落して行くか、日本はどこまで墜落するか。(注・これは昭和六年頃の文章である)盲目的に墜落するも改造するも危険である! ここに神の摂理として人生の燈台が出現した! それが生長の家であります。
 平和の中で病気に罹らず、戦乱の巷にいて砲弾に当たらず、かくしてみずから傷つかず同時に周囲を光明化する道を生長の家は指示しているのであります。

 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。
<つづく>

1433復興G:2013/05/28(火) 00:30:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。

 我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。

 心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。組織が浄まらなければ、心が浄まらないというのは、「戦場にあって砲弾にあたらないことはむずかしい」というに等しい。それは実例でも解るとおり、むずかしいと思う者にだけむずかしいのである。心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります。

 戦場に出ても弾丸にあたらないで敵を克服しえて、根本平和を招来しうるにこしたことはない。地上天国の建設にもできるだけ敵弾の犠牲者にならない方がよいのであります。そのためにまず、神の子たる自己の心の力を信ずる――そしてこれを実証しつつあるのが「生長の家」であります。すでに病気を征服し、戦争には砲弾雨注の間にあってあたらぬことを実証し、経済組織の欠陥の真っただ中にあっても、その欠陥の弾丸をくぐりぬけうることを立証した。すべての人間がこの生長の家の説く真理を悟るとき、人生には、たれも人生の弾丸にあたる者がなくなる、すなわち少しも犠牲なしに地上天国になるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――上記のテキスト謹写文で、

≪現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

≪世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。≫

≪神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わしてのみこの世界は本当に地上天国となるのであります。我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

 ――といったところは、これからの私たちのあり方をはっきりと指し示されていると思います。
 人間が生命の実相を悟らなければ、いくら組織が変わっても、「人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります」と書かれているのであります。

 皆様! ここが大切なところだと、私は思います。
<つづく>

1434復興G:2013/05/28(火) 00:31:18 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「念仏称えはじめれば人を審判(さば)きはじめ」、宗団に内紛絶えず、分裂反噬(はんぜい)これ事とするはすべてみずからのみを尊んで神の子すべてを尊ばぬからである。まず、教団の内紛をやめよ。また宗教家よ、他の宗派と対立して争うな。宗教は和である。「剣(つるぎ)をとるものは剣によって亡びる」のである。「人を審判(さば)くものは、またみずからも審判かれん。」審判く者の満つる世界を地獄という。地獄には閻魔王(えんまおう)と鬼ばかりがいるのである。赦すものの満つる世界を極楽という。極楽には阿弥陀如来や観世音菩薩のみが住んでいるのである。

 されば「人間は神の子なり」と悟ることは、自分のみが「神の子」であると悟ることではない。「人々ことごとく神の子である」と悟り、協心同和して神様の顕現にましますあらゆる人間を礼拝することである。世界大平和は、帰一と協和と包容とより生ずるのである。楽園復活は帰一と協和と包容とのないところには生まれない。

近来「日本的」なる語がおびただしく用いられるに到って、「日本的ならざる」いっさいのものを排斥せんとするがごとき主張が所々方々に聞こえるけれども、これほど日本的ならざることはないのである。日本的とは、大和的であることである。いっさいと調和していっさいを包容することこそ本当に日本的なのである。われらは在来の小島的観念にたてこもる我執を放たなければならない。仏教よし、キリスト教よし、回教よし、すべてその教えの神髄にさかのぼるときすべて真理は「一つ」なのである。宗教は「一つ」であり、人間は一つである。すべての人間は神の子であるのである。
(『生命の實相』第33巻41〜42頁より謹写)

 合掌 ありがとうございます。

1435志恩:2013/05/28(火) 00:39:01 ID:.QY5jUA6
大変遅くなりました。ahope様の質問に対して、
ユタカ様、髪の子様、適切なご回答をして下さって、ありがとうございます。私も教えて頂いております。

>>1429:ユタカ様がおっしゃって下さった通りを,私もahope様の発言に、同じ様な感じて抱いております。

ahope様は、書いても よく読んで下さっていません。ですから、私は、書く気力が持てなくなっております。

ユタカ様がご指摘のahope様のお言葉

>>真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。<<

ということですが、いくら「実相独在」を信じ切っていても、
生まれてから死ぬまで、例えば100年間、いっさい飲まず食わずで生きられるとは、到底思えません。
a hope様、出来ると思われたら、今後、是非、実行されてみてください。

ミサイルのことも同様です。悪はないとは、実相のことで、中国や北朝鮮のように、腹黒い国家は実在しているのですから、国防は大事です。
a hope様の考え方ですと、自衛隊も警察も要らないことになります。

もともとの教えを時代の変化により、変えていいというのは、教えの神随の部分ではなく、例え話を現代風にアレンジして話すのは、変えてもいいでしょう。
しかし、
雅宣総裁は、森のオフィスの落慶式(7/7)では、「甘露の法雨」の読誦をやめて、ご自分のお経を読むということが、光明掲示板に載っているでは、ありませんか!

時代に合わせて変化するというのは、もともとのお経や、雅春先生の著書を亡きものに、することではありません。
「調和する」とは、そのような暴挙に対して、こびへつらうことでも、ありません。

なんでもかんでも、自分の色を相手のいいなりの色に変えて、どうするんですか。それは、調和とは、いいません。

実相は礼拝するけれど、やってはいけないことをされた場合は、毅然として、ノーと言い、拒否しなければいけないと思います。

元々の生長の家の教えは、国家の実相顕現もそうですが、一人ひとりの救済を基本としていました。
それが、今は、一人ひとりの救済運動はなくなり、自然を愛する運動に変わってしまいました。

生長の家の真理の言葉によって、心が救われる方が大勢いらっしゃいました。
その内面の救いが、具体的な人生をも幸福に導いてきました。

宗教には、内面的な救済のみを目指すものもありますが、生長の家は、内面的にも 人生上にも 救いをもたらしてきました。
病める者は健康となり、貧しき者は富める者となり、家庭不和は解消されました。
もともとの生長の家の真理の言葉には、これだけの救いの力があるのです。

真理の言葉は、一人ひとりの心の内に、人生の上に、天国を実現します。
それを多くの人に広げていきましょう!というのが、昔の布教活動だったのです。


生長の家は、人類救済の教えとして誕生しました。
ですから、その根幹には人類への深い愛情、慈悲心が流れています。

三代目の雅宣総裁は、四無量心を説かれて、自然を愛することだと言われますが、
雅春先生は、人類や国家を、そして世界を、愛されたのです。
人間神の子とは、単なる真理ではなく、人類救済の真理なのです。
人類の不幸への同悲の心なしには、人間神の子の教えはありえません。

「人間は素晴らしい神の子である!」という喜びも、人類への同悲の心も、人類への深い愛情ゆえなのでした。

1436志恩:2013/05/28(火) 00:42:37 ID:.QY5jUA6
復興G様の書き込みを拝見しないで、1435を書き込みました。
復興G様、ご指導、ありがとうございます。

1437ユタカ:2013/05/28(火) 00:51:43 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

素晴らしいまとめの御言葉を頂きまして、誠に有難うございました。勉強会とa hopeさまへの回答をまとめてくださいましたことで、改めて、生長の家の御教えに忠実に心の照準をあわせて生きていくことが地上天国を建設することということを学びました。

神様の御心が現れた素晴らしい実りある勉強会の締めとなりましたことを感謝いたします。

1438髪の子様:2013/05/28(火) 01:08:54 ID:GpLjp1XI
飛び入りで発言をさせてもらいましたが、復興G先生のご指導や、皆様のご指導に勉強になりました。
ありがとうございました。

1439志恩:2013/05/28(火) 01:13:40 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>1434:
>>「念仏称えはじめれば人を審判(さば)きはじめ」、宗団に内紛絶えず、分裂反噬(はんぜい)これ事とするはすべてみずからのみを尊んで神の子すべてを尊ばぬからである。
まず、教団の内紛をやめよ。また宗教家よ、他の宗派と対立して争うな。宗教は和である。「剣(つるぎ)をとるものは剣によって亡びる」のである。「人を審判(さば)くものは、またみずからも審判かれん。」
審判く者の満つる世界を地獄という。地獄には閻魔王(えんまおう)と鬼ばかりがいるのである。赦すものの満つる世界を極楽という。極楽には阿弥陀如来や観世音菩薩のみが住んでいるのである。>>

ここだけ拝読しますと、
雅宣総裁を批判する人を、復興G様がおっしゃるように、人をさばいている人というふうに、受け取れますが、
他の、ところでは、虚説にとは、和解は出来ぬ。妥協と和解とは、別物であると、虚説と和解してはならぬと、説かれていますが。。。

1440ユタカ:2013/05/28(火) 01:16:12 ID:R1D4Jmeg
すみません、終了のような書き方をしてしまいました。

続けて書かれるかたはどうぞ!!

1441志恩:2013/05/28(火) 01:21:47 ID:.QY5jUA6
行動も言葉だと思うのです。
「甘露の法雨」をはずされても、なにをしても、おかしいと言うなと、おっしゃるのでしょうか?

雅宣さんは、言葉では、さばきませんが、行動で、さばきを表現されていると思います。

それらも、全部、おかしいと言うことは、いけないことなのでしょうか?

1442志恩:2013/05/28(火) 01:26:06 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

夜、遅いので、復興G様はお休みになられたと思います。
明日、お返事下さるでしょう。

いろいろ、ありがとうございます。
おやすみなさい。

1443rei:2013/05/28(火) 07:52:39 ID:S8XW4Pco
合掌
ありがとうございます。
復興Gさま
素晴らしいご指導に感謝もうしあげます。
末端信徒の現実を知って頂きたく書き込みを致します。
私は平成4年入信の者です。
幸せな家庭生活を目指して入信した者ですが熱心に活動もしてきました。
愛国運動については、a hopeさまと全く同じ思いを持っていました。
愛国書の数々は古参信徒の方から頂いていたのにもかかわらず読んでいませんでした。
現在、教団に残っているご本でも、愛国に関しての部分は読んでいるのに心に届いていませんでした。
なぜかと言われれば、現教団が重版保留にしているのには理由があるのだろうと漠然と思っておりました。
今は読まない方がいいのだろうと自分で判断してしまっていました。
「日本国の実相顕現ってなにそれ?」
と、本当に思っておりました。
現総裁への中心帰一をブロック研修会で毎年言われ続けられました。
人につくのではいけない、総裁副総裁を通じてあらわれる生長の家の大神についていきなさいと、
教区の白鳩会では言われ続けられました。
マインドコントロールされていたのだと思います。
私にとって、これまでの時間は必要だったのかどうかわかりませんが、今、目が覚めて行くのを感じています。
a hopeさま、志恩さま、ユタカさま。
そして復興Gさま。
心より感謝申し上げます。
再拝

1444トキ:2013/05/28(火) 10:01:23 ID:4MLkYzvs
 復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございます。

 確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。
ただ、現役の会員は、どうしても運動に走り過ぎて、真理についての研鑽が疎かになる傾向があります。
(これは、自分の反省です)

 その意味で、復興G様のご指導は、多くの現役の会員さんに有益だと信じます。

 深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1445志恩:2013/05/28(火) 10:15:09 ID:.QY5jUA6
rei様

ご投稿、大変うれしく思いました。

生長の家は、三代目になってから、すっかり様変わりしてしまいました。

7/7の森のオフィスの落慶式には、「甘露の法雨」読誦は、されません。削除されました。
その聖経は、除け者にされ、代わりに三代目が、頭脳を絞ってつくった、例の2つのお経が読誦されるそうです。

この手法で、もともとのお経も、聖典も、狡猾なやり方で、闇に消されて行っているのが、現実です。

われわれ信徒は、「悪を見るな」「観の転換をせよ」「実相独在」だ、、という教えを教えて頂きまして、行じてきましたから、
おかしいことを、おかしいということは、よほど、教えと人類への「愛」がないと、発言できないことなのです。

三代目の眼にあまる行状に、こころを痛め、全国のこころある皆様が、立ち上がられ、おかしいことをおかしいと言い続けている。

本来の生長の家の教えを、この世から消してはならないからです。

過去のことだけでしたら、本流だって、このように言い続けなくて済むわけです。

しかし、実際は、あり得ない様な、ひどいことを教団は、今もなお、つぎつぎと、やり続けているのですから、
本流側も、それらにつきましても、
おかしいことは、おかしいと、言いたく無くても、言いつづけ、今もなお言わざるを得ないのです。

それをですよ。ひどい行状をやり続けているほうが、とんでもない人達なのに、それについて、批判している人達を、
人をさばいている、とか、大調和の教えに反しているとか、おっしゃる方々もおられて、
私は、「なにそれ!!」「事なかれ主義じゃん」と、愕然とした気持ちに襲われるのです。

1446志恩:2013/05/28(火) 10:22:28 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生をお慕いする掲示板より転載
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[83] なぜ、昔の生長の家は、あのように輝く存在だったか。

志恩 - 2013年01月16日 (水) 05時37分

管理人様

凋落した大企業の会社について調べてみました。

アップルは、ジョブズ氏が再建しました。

日産は、ゴーン氏が再建しました。

JALは、稲盛氏が再建しました。

彼らは、どのように凋落した会社を、V字回復させたのでしょうか?

凋落した大企業の特徴は、
決まって、「事なかれ主義」が、蔓延していたそうなのです。

その

「事なかれ主義を排し、原理原則に戻し」

彼らは、凋落した どの大企業も、再建したことを知りました。
未だ凋落中の、ソニーもそのようですが、

生長の家教団全体も「事なかれ主義」が横行しています。
教団は、上から下まで、唯々諾々と従っています。

なぜ、昔の生長の家は、あのように輝く存在だったのでしょう。

それは、
創始者・谷口雅春先生の説かれた教えの(真理)理念がすばらしかったこと。
そして、その(真理)理念を創始者ご自身が
一介の信徒の志を持ち、謙虚に生涯、実践されたことに尽きると思います。

生長の家本来の、生長の家スピリットは、時代を問わず,今でも通用すると,私は
強く感じております。

生長の家も凋落しました。
生長の家再建を可能にするには、本来の教えに、原点回帰することが、必須なことだということが、
皆様の間で、わかってまいりました。

その時代に合ったニーズが必要だという声もありますが、
それは、人間一人一人を考えれば、昔と同じ、ニーズではないでしょうか。
つまり、人間が、
宗教に求めていることとは、個人救済と、我が国に誇りを持てる人間になりたいということ。
これが、基本だと思います。

生長の家には、幸いにも、他宗教にはない、世界最高の教えが説かれているのです。

この本来の教えを、個人個人が生きるための支えとし、心の柱とすれば、

生長の家の再建は、日本国の再建,世界の再建に貢献し、それこそ
世界平和に繋がると確信しております。

教えのことだけでなく、組織のことを考えても、「今の教え」には、自由闊達さも愉快な気風も凋落しています。

「自由闊達さが失われた、正義が通用しない組織になった場合は、
 日本社会に於ける世間の一般常識では、 組織の長の撤退が 最良の選択肢」だといわれています。

しかし、
今の生長の家教団は、それが通用しません。というか、通用しないように、
雅宣総裁が、ご自分の総裁の座を守るために、辞めさせられないような組織に、規約を強引に改悪したそうです。

誠にも,恐ろしい事です。

雅宣総裁擁護派のかたがたは、生長の家の教えを、
すぐに 個人 対 個人 の問題解決法に
結びつけて、こう言われます。

「全ての問題解決の鍵は、「天地一切のものに感謝する」これしかないのである。
「すべて自分に責任があり、己の魂を磨かんとするためですから、感謝しかないのである」

ゆえに、雅宣総裁が、言行不一致をしようが、あこぎなことを続けようが、彼を批判するな、
ただただ、彼に、感謝しかないのである…というぐあいに、持って行くのが常です。

この教えの捉え方は、感謝とは、
最初に持つべき、心構えであり、そこからが、行動のスタートであるべきですのに。

そこのところで、自己満足してしまって、自他にブレーキをかけ、終わってしまうから、
生長の家教団全体に、「事なかれ主義」が蔓延してしまい、凋落が止まらないのだと思います。

それは、美味しい料理のレシピを知ったら、その時点で満足してしまい、
実際にレシピ通り、
料理を作らない人と同じです。 つづく

1447志恩:2013/05/28(火) 10:24:42 ID:.QY5jUA6
つづき〜

大企業のソニーの会社も、何代目かに取締役が代わってから凋落中ですが、
ソニー関係の本を読みますと
ソニーの会社でも、取締役と、その取り巻きだけは、今でも破格の役員報酬を
得ているそうです。

赤字を出し続けていて、リストラも続けているのに。
技術革新もガラパゴス化しているのに。

そして、優秀な人材が、会社を辞めてしまったので、頼りになる人材が居ないため、外部のコンサルタントの意見ばかりを
頼りにしているということも、凋落に歯止めがかからない理由の1つにあげられています。

それでは、社員は、やる気をなくすでしょう。
社員は、上の人の命令に唯々諾々と従っているだけだそうです。

今の生長の家教団に、似ていませんか?

そういうソニーの場合でも、
和解派、並びに 雅宣総裁擁護派の皆様の 口ぐせ のように

ソニーの社員は、ソニーの社長に、唯々諾々と従い

ソニーの会社が、凋落したのは、
社員である己の責任だと思い、ただ ただ 社長 に感謝していれば、ソニーは 再建できるでしょうか。

いいえ、

[ 再建は、心で感謝しているだけでは、足りません。]

[ それと共に、神に導かれた知恵ある 行動 が大切なんです。]


発言も行動の1つです。
どうぞ、いままで沈黙されていらしたお方、

あなたさまも発言に、是非参加してくださいませんか。
よろしくお願いします。

今,心ある人達が、立ち上がらなければならない時だと思います。

1448志恩:2013/05/28(火) 10:31:34 ID:.QY5jUA6
トキ様

私は、大幹部でいらっしゃる
復興G様、トキ様が、ご指導下さってますことに、心から有り難く感謝申し上げております。

私は復興G様、トキ様を敬愛させて頂いております。

しかし、納得いかないところや、疑問に思うところがありました場合は、
その点のみを、正直に発言させて頂いております。

閲覧者の皆様の多くも、疑問に思われる点だと存じますので、
よろしかったら、私の疑問について、
トキ様、教えてくださいませ。

1449志恩:2013/05/28(火) 10:37:44 ID:.QY5jUA6
>>1444:トキ様

「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」

ということは、

一人ひとりの救済運動その他はやめて、大自然を愛する運動、環境問題運動専門に
変えたことへの

トキ様の評価だと、閲覧者の皆様は、受け取られると思います。

1450神の子さん:2013/05/28(火) 12:16:06 ID:xpQcypaw

トキさんの
「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」のご発言。
何年か前の、雅宣総裁のご指導の講習会で、雅宣総裁から直接同じ言葉を聞きました。

1451トキ:2013/05/28(火) 12:30:43 ID:4MLkYzvs
>>1449

 先ず、私は、大幹部ではなくて、ヒラの会員です。(苦笑)

 現象に応じて運動を変えるのは必要ですが、結果がともわない場合、当然、正しい方針ではないという
事ですから、再度、検討する必要があります。

 ですから、私は、再度、検討する必要があると思っています。

合掌 ありがとうございます

1452こんにちは:2013/05/28(火) 14:49:13 ID:iDTg5M7c
>>1451 トキ様

私は、教団とも学ぶ会とも距離をとって独自の活動を続ける「ときみつる会」が、最良の選択をしていると考えています。
トキ様は、どうお考えなのでしょうか?
「ときみつる会」のような道でも、トキ様とは相容れないのでしょうか?

1453トキ:2013/05/28(火) 17:05:20 ID:4MLkYzvs
>>1452

 「ときみつる会」の宮澤潔先生ご夫妻は立派な方だと聞いています。主張には政治的な部分もあるような
印象はありますが、独自のお立場で頑張っておられるのも素晴らしいと思います。

 私自身は教団に残っているので、お立場は違いますが、個人的には頑張って欲しいと思います。

合掌 ありがとうございます

1454復興G:2013/05/28(火) 20:33:31 ID:AB6RqYXc

皆々様。
昨夜までのweb誌友会自主勉強会をもう一度ふりかえって思うこと、補足資料などを書かせて頂きます。

「現象は、ない」。「実相独在」。――実在するのは完全円満なる神のみ。だから、ただ喜び、感謝あるのみ。
喜び、感謝すれば、喜び、感謝すべきものがますます大きく現れてくる――というのが生長の家の教えでありますね。

<生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば、大生命の癒力(なおすちから)が働いて神癒(メタフィジカル・ヒーリング)となります――『生命の實相』第1巻>

それで、>>1420でa hope様が
<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。
真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。>>

と書かれていました。
それで、浮かんできたのは、『新版 真理』第3巻第20章の、沢庵禅師と柳生但馬守の話です。以下に、その前の頁から謹写掲示させて頂きます。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(『新版 真理』第3巻 p.262)
 ……絶対善の生活をしようと思ったならば、すべての「立場」を捨てなければならない。「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」にならなければならない。この「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。だから慧能(えのう)は、明上座(みょうじょうざ)に真理を教えて下さいと云われたときに、

「善をも思わず、悪をも思わず、ギリギリの正念場に立った時、もう人間知恵でどうすることも出来ぬとき、その時、人間考えを完全に捨てる一刹那が来ることがある。その時だ、その時だ、お前の本来の面目――人間知恵を超えたそのままの人間の本当のすがたがわかる!」

 と云ったのであります。道元禅師も「正法眼蔵、生死巻(しょうじのまき)」に「ただ我身をも心をも放ち忘れて仏の家になげいれて、仏の方よりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをも入れず、こころをもついやさずして生死(しょうじ)をはなれ仏となる」と教えられているのであります。

「善をも思わず、悪をも思わず」とは、要するに我(が)の立場――「自分」と云う片寄った物の考え方――がなくなって、「仏の方(かた)からおこなわれる」から、生活が仏ばかりになるのであります。生活が仏ばかりの生き方になれば、融通自在行きづまることがない、これが禅の生活であります。(p.262)
<つづく>

1455復興G:2013/05/28(火) 20:34:17 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

   第二十章 当り前が当り前の生活

     沢庵禅師と柳生但馬守

 あるとき沢庵(たくあん)禅師と柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)とが禅の極意、剣の極意について談合(はなしあ)っていました。折柄(おりから)はげしく驟雨(にわかあめ)が降って来ました。

 沢庵禅師はそのとき柳生但馬守にむかって、
「そなたの剣の極意をもって、この篠(しの)つくような雨にも少しも濡れないでこの庭を歩くことが出来ますか。」と云いました。
「できると思います。」

 但馬守は立上ると、袴(はかま)の股立(ももだち)高くからげ、刀のさげ緒をもって甲斐甲斐しく襷(たすき)を十字にかけ、剣をぬいて篠つく雨の中におどり出ました。

 雨がざんざと降りしきる中を但馬守は丁々発止と、その雨を斬り払い、撥(は)ねとばして広いお庭をひとまわり廻りましたが、さすがに少しも濡れないのであります。

「いかがでござる。この通り剣の極意はこの降りしきる雨さえも、このように斬り払うことが出来るのです」と但馬守は座敷に帰って来ると、その濡れていない自分の着物などを振り返りながら、自慢そうに云いました。

 すると、沢庵禅師は、但馬守の着物を上から下へ、下から上ヘズッと眺め渡しておりましたが、袂(たもと)の裾に一滴、雨の雫(しずく)がかかっているのを見つけまして、

「但馬守どの、此処が濡れておりまするぞ。」と云いました。そして、

「拙衲(それがし)が、ひとつ雨に濡れないで此の庭へ出てみましょう。」

 こう云って沢庵禅師は外に出ますと、雨はいよいよざんざ降りしきります。禅師は大きな庭石の上に静かに坐って、坐禅しまして実にやすらかな表情(かおつき)で眼をつぶっていました。雨が降るのも、心の眼には見えないと云うような様子です。

 しばらく其処に坐っておりましたが、やがて沢庵禅師は立上って座敷へ帰ってまいりました。見れば全身濡れ鼠になって、着物からはぽたぽた雫が垂れております。それなのに沢庵禅師は悠然として、

「どうじゃ、少しも濡れていまいがな。」と申しました。

 何だか狐につままれたような話ではありませんか。しかし、沢庵禅師が「どうじゃ、濡れていまいがな」と云われたのは、「実相」のことなのであります。人間の「実相」は水に沈んでも溺れず、火に投ぜられても焼けず、金剛不壊(こんごうふえ)のものだと云うのであります。びしょびしょに濡れて、ぽたぽた雫が落ちているのは、「現象」のことなのであります。

     「実相」とは何? 「現象」とは何?

 ここで実相と現象との話をしなければ、はじめての方には一寸(ちょっと)わかりにくいかと思われるのであります。

 「人間は永遠に死なない」と云います。これは、実相すなわち実の相(すがた)のことを云うのでありまして、肉眼に見える「肉体」は死ぬのであります。この肉眼に現れて見える象(かたち)を「現象」と云うのであります。

 みなさんが三日月を見て、それを美人の眉のように「細い」と云います。しかし細く三日月に見える時にもお月様は「まんまるい」のであります。肉眼に見える方は、「現象」でありまして、常に変らず「まんまるい」と云う本当の相の方を「実相」と云うのであります。

 お月様は十五夜のときに一等まんまるく見え、その翌日から少しずつ欠けて来まして、しまいには全然見えなくなります。そのだんだん欠けたように現れて見える姿が現象でありますが、本当は、お月様は決して茶碗がかけるようには欠けるものではありません。どんなに欠けたように見えているときも、実は欠けないで「まんまるい」のです。この「まんまるい」のがお月様の実在の相(すがた)であって「実相」なのです。
<つづく>

1456復興G:2013/05/28(火) 20:35:18 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

 お月様が全然見えなくなって真の闇になりましても、お月様は死んで此の世にいなくなったのではなく、いつまでも、やはり同じまるい相(すがた)で此の世にいるのです。いつまでも続いて消えないそのものの本当の相(すがた)――実の相――を「実相」と云うのです。

 人間にも現象の相と、実相とがあります。人間の現象の相は、雨が降れば濡れ、斬れば血が出、年がゆけば皺がより、力がなくなり、老いぼれて死んでしまうのです。しかし「実相の人間」は老いず、病まず、死せず、「永遠の存在」なのであります。禅宗の坊さんたちが坐禅を組んでじっと心の眼でみつめるのは、この永遠に死なない、永遠に完全な人間の「実相」(即ち本当の相)を心で見つめるのです。

 沢庵禅師は雨が篠つくように降る中に庭園の大石の上に坐って、人間の実相をじっと見つめておられましたら、どんなにざんざ降る雨で着物や肉体がぬれていましても、「本当の相」の人間は濡れていないことを見られたのです。水に濡れず火に焼けないのが人間の実相だからであります。沢庵禅師の、「どうじゃ、濡れていまいがの」とおっしゃったのも、こう云う意味から云うと間違ではありません。

     日常生活と禅の生活

 一応、禅の問答ではそれでよいとしましても、日常生活の上では、「雨に濡れないで歩いて見よ」と云われて、雨に着物や肉体が現に濡れていながら、「濡れないでいる」と頑張ることは無理で、これでは、吾々の日常生活が成立ちません。「濡れないで歩いて見よ」と云われたら、実際に、現実にも濡れないで歩けなければなりません。ここに日常生活を裏附ける宗教と云うものが必要となるのであります。禅の生(なま)悟りではいけないと云うことになるのであります。「実相人間は病まないものだ」とわかりましても、現に肉体に病気をあらわしておりましたら、その悟りは、生悟りでありまして、「人間は病まない」と云う自覚が、形にあらわれるほど強く深くなっていないと云うことになります。

     雨が降ったら傘を縕(さ)す

 「それでは、この雨の降る庭園を濡れないで歩いて見よと、お前自身が人から云われたらお前はどうするか」とわたしにたずねる人がありましたら、私はどうするかと云いますと「すみませんが、一寸(ちょっと)傘をお貸し下さい」と云って傘を借りて、それを縕(さ)して庭園をあるいて来て、

「どうじゃ、この通り濡れていないじゃろう。」と云います。

「なんじゃ、そんなことなら誰でもする。そんなことは当り前じゃ。そんなことが生長の家か」

 と皆さんはお笑いになるかも知れません。

 そうです。「生長の家の生活」と云うのは当り前の生活を当り前にすることなのであります。

 禅宗の『無門関』と云う本の第十九則に「平常心是れ道(どう)」と云うのがあります。「平常心」と云うのは「平生(へいぜい)の心」です。平生の生活そのままの心が道にかなうと云う意味であります。当り前が当り前の生活がすらすらと行われるのが本当の「禅の生活」だと云う意味であります。

 傘があるのに、剣を揮(ふる)って雨を斬りはらって濡れないとか、実際、雨に濡れていながら、「実相の人間は濡れていないのじゃ」と頑張って見たりするのが、「禅の生活」ではないのであります。「禅」と云うものが、実際生活の中に入り込んで来ますと、実際生活が何の矛盾も摩擦もなく、構える心なしにスラスラと何事も運ぶようになるのであります。
<つづく>

1457ユタカ:2013/05/28(火) 20:35:51 ID:R1D4Jmeg
トキさま

トキ様は。現在の運動方針の再検討をして欲しいと思っていらっしゃるのですね。

トキ様が教団に残る理由をぜひ聞かせてください。 真理の講話などは教団で出来るのですか?

1458復興G:2013/05/28(火) 20:36:17 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

     平常の心が其のまま「道」である

 この『無門関』第十九則の「平常心是れ道」と云う公案のところにこんな事が書いてあります。趙州(じょうしゅう)と云う坊さんが、師の南泉(なんぜん)と云う和尚さんに、

「如何なるか是れ道(どう)」と問うたと云うことが書いてあります。「道」と云うのは人間の踏み行なうべき道徳――人間の当然心掛けねばならぬ、根本の心構えのもとになるものです。「何が人間に最も大切な根本の心構えか」ときいたのです。

 そうすると、南泉和尚が、

 「平常心是れ道」と答えたのです。「あたり前の心をもつことが、そのままで是れが道じゃ、これが根本の心掛けじゃ。」と云うような意味であります。

「では振反(ふりかえ)って、その当り前の心を持つように趣向(しゅこう)しなければなりませんか。」と趙州はたずねました。

「いやいや、趣向しようと思って、心を構えると反って逆効果になる。」

 と南泉和尚は答えたのであります。

 「趣向する」と云うのは、「趣向をこらす」などと使われる語でありまして、ある目的に向かって心を趣かせて、色々工夫することであります。「今日はお客様が来るから、ひとつ趣向をこらして御馳走をしようじゃないか」と一所懸命御馳走をしてお客様に差出すと、生憎、お客様はお茶漬が欲しかったのに――と云うようなことがあります。これが「向かわんと擬(ぎ)すれば即ち乖(そむ)く」で、逆効果になるのであります。

 「擬す」と云うのは、カマキリと云う虫がありますね、あれの眼の前に指でももって行くと、たちまち、その鎌のようになった手で、身構えします。これが「擬す」であります。身構えするから面白いと云うわけで、子供が捉えて見世物にし、いたずらをし、ついに弄(なぶ)り殺しにしてしまうと云う事にもなります。趣向するから可(い)けないのです。

     細川侯と宮本武蔵

 宮本武蔵が嘗(かつ)て、細川侯の客分となっていたとき、細川の殿様が、宮本武蔵に、

「わしの前でひとつ絵をかいて見せてくれ。お前は絵もなかなか上手じゃと云うことじゃ。」と仰せられました。

 そこで宮本武蔵は、殿様の前で毛筆を揮(ふる)って絵を描いて見せたのですが、上手に書こうと思うほど旨(うま)くかけないので、さすがの宮本武蔵も、身体中(からだじゅう)に冷汗が流れたと云います。

 宮本武蔵は自分の邸に帰って来て、夜眠ろうと思って寝床に入りましたが、昼のうちに細川の殿様の前で上手に絵がかけなかったことを思出すと、口惜しくてどうしても眠れません。

 「自分は剣をとったら、天下無敵であるのに、どうして剣よりも軽い筆をもって、その筆が自由自在に動かないのであろうか」
 と、夜っぴて考えたのであります。そして夜明前になって武蔵は、

 「上手に書こうと、構える心を起したから却って逆効果になったのである」と気がついたのであります。こうして宮本武蔵は「無構えの構え」と云う彼一流の剣法を案出したのであります。
<つづく>

1459復興G:2013/05/28(火) 20:37:07 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

     「構える心」は「対立の心」である

 ところで、「上手に書こう」と思うと、どうして上手に書けないかと云いますと、「構える心」を起すからでありますが、「構える心」を起しますと、何故上手に書けないかと云うと心の中に対立が出来るからであります。

 対立と云うと、「向き合って立つ」と云う意味でありまして、無心に全体が「一つ」に融合(とけあ)って、「自然そのままの動き」で動かないからであります。「細川侯が見ているから上手に書こう」と思う事は、「見られている者」と「見るもの」とが分かれていますし、「描く自分」と「描かれる絵」とが分かれていて一体になっていないのであります。

 禅と云うものは、「全」であり、「全一」であって、全体が分裂せずに、「一つ」になって円融自在に動くのでなければならないのであります。

 昔から馬に乗るのに上手な有様を形容しまして、「鞍上(あんじょう)人なく、鞍下(あんか)馬なく」と云いますが、鞍(くら)の上に人が乗っていながら馬と人とがわかれていないので一体になっているから人がないのも同じであり、鞍の下に馬がおりながらでも、人と馬とが一体になっているから、馬がまるで無いようだと云う意味であります。こんな状態こそ「禅」が「生活」に実現したときの相(すがた)だと云い得られるのであります。

 そこで、沢庵禅師が庭石の上に正坐して、ざんざと降る雨に濡れながら「どうじゃ、濡れていまいがな」と云われたのは、「雨」を「坐禅」の力で濡れないで見せようと構える心を起しているから、現実には雨に濡れたのであります。

 それは、そういう「雨を坐禅で濡れないで見せよう」というような問題を出すところに、その問題の出し方に、既に、「雨」と「坐禅」との対立があり、「坐禅」と云うものに心が引っかかってしまって、それ以外の方法に、いくらも雨に濡れないでいられる方法がありながら、それ以外の方法をとることが出来ない。自分が自分でつくった自分の条件にしばられて「自由自在」を失ったのであります。だからそれは「禅」(全)ではない、全力が出ていないのであります。だから「人間の実相は水に濡れず、火に焼けず」と云ってもやはり現象的には濡れているのであります。

 それと同じく、柳生但馬守が、剣で雨を斬り払ったその熟練は素晴しいのでありますが、熟練と云うものは「術」であって、「道」ではないのであります。「術」と云うのは相手に相対して如何に工夫すべきかと趣向して得た熟練でありますが、「剣術」が「剣道」となり、「術」が「道」になりますと、もう対立がなくなるのであります。

 対立が無くなると「全一(ぜんいつ)」になります。そして、全体一つの円滑な働きがあらわれてまいります。雨が降っているのを剣で斬り払う必要はない。必要に応じて、「全体一つ」の中から、その目的にとって一番必要なものが出て来、一番必要な働きが出て来るのであります。

 これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。剣者は剣にとらわれるから、雨を払うにも剣でなければならぬと、自分の自由自在性を縛ってしまうのであります。そこで私なら傘を貸して貰って傘を縕(さ)して雨に濡れないようにすると云ったのは、「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使うと云うことを云ったのであります。決して「傘」ばかりに捉われて云ったのではないのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――以上は、『新版 真理』第3巻第20章の謹写文でありました。
<つづく>

1460a hope:2013/05/28(火) 21:40:25 ID:edEDolt2
>>1424 >>1425 >>1426 >>1431 髪さま 髪の子さま

ときみつる會の宮澤先生が、「こころのかけはし誌」に書かれたご文章を紹介してくださりありがとうございます。
紹介してくだった、雅春先生のお話を拝見しましても、間違いなく雅春先生は住吉大神の化身、つまり現人神であられたのだろうと思います。


ですが、わたしは宇宙創造の神(第一義の神)の御心は人類光明化でありその御心の表れが、
「人間神の子・唯神実相」の真理を人々に知らしめる人類光明化運動であり、数々の聖典なのだと思っています。

ですから、愛国運動であっても天皇国日本の実相の素晴らしさや日本建国のお話(古事記)等を口頭や文章で人々に知らしめるような形の運動でしたら、、
それは日本人一人ひとりの神の子の自覚に直接つながるので、人類光明化運動とイコールになるのではないかと思います。

ですが、それが、現象を扱う運動(たとえば、政治運動、現憲法の反対運動等・・・)になってしまうと、
そのことによっては人々の心には神の子の自覚が生まれませんから、人類光明化運動とは言えないのではないかと思います。

(これは同じく、それは環境保護運動についても言えると思います。
人間と自然の調和した実相世界の素晴らしさを人々に伝えるような運動であったら人類光明化につながるでしょうが、
原発反対等の現象の運動になってしまうと、そのことによっては人々の心に神の子の自覚は生まれませんから、
人類光明化運動とは言えないのではないかと思います。)


そこで、わたしが疑問に思うのは、「現象や悪を認める」のは、虚説であるとハッキリおっしゃっている雅春先生が、
戦後の混乱期にどうして現象を見て、現象の悪に対応された運動をされたのだろうかということです。


同じく、現人神であったキリストは、最後まで現象の悪を認めず、「肉体なし」「生き通しの生命」の真理を証明するために、
自らの意志で十字架にかけられたのに、どうして雅春先生は現象の悪を認め、それにに抗議するような運動をされたのでしょか・・・?

雅春先生は、「生長の家の教え」から外れることをしてまで、その愛国心から日本と日本人を守ろうとされた。
もしかしたら、それが、住吉大神の宇宙浄化お働きでもあったのかなあ・・・と、今漠然と感じています。

―――――――――――

「私の日本憲法論」序文

生長の家総裁 谷口雅春


この『私の憲法論』は、敗戦による占領憲法の出現以来、将来の日本及び日本人の運命を思って深憂に堪えず、如何なる立場に立ってこの憲法を批判し、
民族本来の正しい憲法を創出すべきかを三十有余年に亘って叫びつづけた戦いの記録(ドキュメント)である。
私が時に応じ折にふれて諸種の雑誌や単行本に書き綴って訴えて来た論文や随想等を我らの同志同憂の諸君が時間をかけて精読し、
これを分類して秩序をととのえ、周到に採録編纂されたものである。
このような同志があってこそ本書が完璧なものとなり得たわけで、その熱意と深切と精力とが本書の完成となったものである。
読者はこれらの同志愛と深甚の感謝を表すために編纂者の序文を併載させて頂くことにした。
その熱誠な同志諸賢の姓名は編纂者の序文の中に書いていただく筈である。

昭和五十五年 三月一日

――――――――――

以上、謹写さていただきました。 合掌。

1461a hope:2013/05/28(火) 21:41:09 ID:edEDolt2
みなさま 

昨晩遅くから、今まで、復興Gさま、ユタカさま、志恩さま、reiさま、トキさま、こんにちはさま等のたくさんの書き込みがあり、
その中には、わたしの投稿文に関してのご指導であったり、わたし宛のものもありますのでお返事させていただきたいのですが、
今夜は、髪の子さまへのお返事だけで精一杯です。

失礼のないように、みなさまの投稿を精読させていただいた後、私宛のものには、後日お返事させていただきます。

みなさまのご指導に、心より感謝しています。合掌。

1462髪の子様:2013/05/28(火) 22:42:29 ID:nYL5yFzs

>>1460

ahope様、お忙しい中お返事をありがとうございます。
思うところ多々ございますが、私がahopeさんのご発言に、コメントさせてもらうと、ahopeさんが他の方へなかなかお返事出来ません。ahopeさんもお忙しいでしょうから、1点のみ私の思いを述べます。

>>ですが、それが、現象を扱う運動(たとえば、政治運動、現憲法の反対運動等・・・)になってしまう と、 そのことによっては人々の心には神の子の自覚が生まれませんから、人類光明化運動とは言えないのでは ないかと思います。>>

に関してですが、いま現在の日本は第二次世界大戦が終了されておらず、日本は占領憲法のままであることを念頭においていただきたいと思います。

天皇国日本を取り戻す為の運動であるわけです。
天皇国日本を取り戻す為の運動ということは、日本人と日本の領土を護る現象の運動ではありません。宇宙の真理、宇宙の秩序をなくさない為の運動であると思うのです。

人類光明化運動は、日本国実相顕現運動です。
雅春先生は、現象の悪に対応する運動をされていたのでは決してないと思います。
世界人類の神の子の實相顕現運動であったと思います。
日本国が占領憲法下にあるということは、日本国の實相のみならず、世界各国の實相が顕現されていないということだと、個人的に思います。

1463復興G:2013/05/28(火) 23:19:57 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

>>1460 髪の子さまへのレスとして書かれたご文章で、
>>わたしが疑問に思うのは、「現象や悪を認める」のは、虚説であるとハッキリおっしゃっている雅春先生が、戦後の混乱期にどうして現象を見て、現象の悪に対応された運動をされたのだろうかということです。
同じく、現人神であったキリストは、最後まで現象の悪を認めず、「肉体なし」「生き通しの生命」の真理を証明するために、自らの意志で十字架にかけられたのに、どうして雅春先生は現象の悪を認め、それにに抗議するような運動をされたのでしょか・・・?
雅春先生は、「生長の家の教え」から外れることをしてまで、その愛国心から日本と日本人を守ろうとされた。<<

というところですが、それに対するヒントが、>>1456
「雨が降ったら傘を縕(さ)す」というご文章にあると思います。

また、『私の日本憲法論』ではp.317〜319に

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

>>宗教的立場から云えば軍備は不要

 こう言う純粋な宗教的立場から申しますと、敵を予想しての軍備と言うものも不要である。況んや一国だけの軍備では足らぬからアメリカと共同防衛するための「安保条約」も「安保条約の改定」も不要だと言うことになるのであります。

 心によって敵が敵でなくなるのだから数百数千億円をかけてロッキード飛行機を二百機とか三百機とか防衛のために常備しておかなければならないなどと考えるのは凡そ不要なものに国民の租税をつぎ込んで浪費すると言う譏(そし)りをまぬかれないのであります。

 私は宗教家でありますから、そんな軍用飛行機も要らぬ、安保条約も要らぬ、心を調えることによって無敵平和の状態を現出することができると言いたいのであります。

 そうです、「心」さえ本当に整えることができれば、身辺に起るところの事件は、自分の「心」の投影でありますから、自分の周囲に平和が実現するのであります。

 しかし一国の運命はその国民大多数の心の反映でありますから、一人や二人や百人や千人や……或いは生長の家の信徒だけが平和の心になっていましても、日本国民の精神の大多数が「闘争精神」に満たされていたのでは、その国民全体の身辺に闘争を引寄せることになるのであります。

 遠藤義雄さんもただひたすら南支の死刑囚獄舎で心を清め、もっぱら神想観三昧でいたときには蚊も南京虫も食わなかったけれども、日本へ帰って来て、闘争精神の満ちた世界で浮世の仕事をするようになったら現在は蚊にくわれるともその著書に書いておられます。宗教的理想論から言いますと、実相の世界――実在の世界――には闘争もない、戦争もない、微生物との闘いもないから病気もない。だから唯、その実相完全な世界のみを見つめておればよいと言う訳でありますけれども、国民全体がそのような心境にならない限り国家の運命もそのように平和にはならない。

 外界を平和にするには内界を平和にしなければならない。ユネスコでも「戦争は先ず心の中に起る」と言っています。ところが現に日本国民は議会でも闘争闘争で明け暮れている。最近では暴徒が議会に乱入したような不祥事件を発生しております。

 産業会社が労使双方に分裂して闘争精神を燃やしていない会社は稀だと言うことになってまいっています。人間の心はラジオ受信機のようなものでありまして、闘争の精神波動を起せば「闘争」を引寄せて具象化することになるのであります。

 (中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。

≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫

と云うことをすることが、
>>雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた<<
ということにはならないのではないかと、私は思いますが、いかがでしょうか。

 まだまだ書きたいことはありますが、今夜はここまでにさせて頂きます。

 おやすみなさい。

1464あさひ:2013/05/29(水) 00:19:56 ID:/3nxKE2Q

復興G様

生長の家の生き字引的存在の復興G様ですね。

>――というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。

≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫<

本当に同感させられます。

生き字引的存在として、よろしくご指導ください。

                合掌

1465髪の子:2013/05/29(水) 06:44:39 ID:KOSU3uSo
復興G先生
素晴らしいご指導ありがとうございます。
まだまだ、私は聖典拝読足りません。

ahopeさん、私の>>1462は個人の感想に過ぎませんから、私へのレスは不要です。それより、あなたの疑問を復興G先生に尋ねられたり、他の方への発言にお使い下さい。

1466a hope:2013/05/29(水) 09:32:58 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

髪の子さま 復興Gさまお返事、ご指導をありがとうございます。

わたしも、生長の家の愛国心や過去の歴史については、つい最近興味をもってお勉強し始めたばかりですから、
わたしの疑問や発言は、それらを熟知されている先輩方にはさぞ、未熟に感じられご不満もたくさんあられると拝察しています。。

ですが、>>1443でわたしの先輩であるreiさまも、<<愛国運動については、a hopeさまと全く同じ思いを持っていました。>>と発言してくださっています。

教団でも本流でも、わたしたちのような末端信徒(reiさまの発言より引用させていただきます)の感じている疑問に、
しっかりと対応してくださらないと、信徒みなさんの不審は募るばかりだと思います。

毎回のことながら、復興Gさまはわたしの生意気な質問にも誠心誠意こめてお答えしてくださって、本当にうれしく、心より感謝しています。
そして、その復興Gさまのお気持ちに答えるために、これからも自分の気持ちに正直に感じたことを発言させていただきたいと思います。

感謝 合掌。

1467神の子さん:2013/05/29(水) 11:42:20 ID:???
生長の家の人類主義は、普遍なる神性が、特殊なる日本国土に、特殊なる日本民族として顕現したことに、 『天』 の御意志をみとめ、普遍的神性による人類兄弟観を失わざると共に、普遍者の特殊的顕現として吾らが日本国土に日本人として生れたる光栄と使命とを充分に自覚し、日本人としてこの国土に誕生したることを悦び、日本民族の特殊性と、二千六百年来吾らの祖先が築き上げて来たる日本民族及び国家の伝統を尊び、その特殊性と深遠宏大なる伝統を護持し、 『特殊』 を抹殺することなくして普遍を生き、日本国家と日本民族のその特殊性ある発達を遂げることこそが、同時に人類社会に新たなる価値を加えるものであることを信じ、 『天地八紘は人類兄弟の家庭なり』 との世界国家モデルとしての神武建国の理想を宣揚実現するために尽すことが日本民族としての使命であると信ずるのである。


 生長の家人はこの方向にむかって地上天国建設のために実際運動を起すべきであって、決して、自分一個の病気が治ったらそれでよいとか、家庭が調和して経済状態が楽になったからそれでよいとかいう風に、個人だけの福祉の上に晏如(あんじょ)してあぐらをかいていてはならないである。

 実際生長の家の真理を悟れば、病気は治る、家庭も調和する、経済状態も豊かになる、台風にも洪水にも‘めげぬ’不死身無限の内在の神性を自覚し得る。 しかしながら、その自覚を他に及ぼすことがなければ、折角生長の家で受けた恩沢(おかげ)もただ利己主義満足の道具になったに過ぎないのである。


 今や、地球一周期の終りが近づき、遊星人がどの人を救うべきか監視している時代だと言われている時代である。 それゆえに私たちは、この生長の家の説く真理をただ利己心満足の資料にするだけであってはならないのである。 講演会、座談会、街頭宣伝、民族意識を通しての人類光明化運動としての国旗掲揚運動、日の丸行進、気の毒な人たちのため及び光明化運動のための慰問及び募金、天災救援及び光明拠点建設のための作業奉仕活動、マスコミの左右いずれへもの偏向を是正するための批判活動及び投書活動等々 ・・・・・ 私たちの為すべき仕事は山積みしているのである。


               谷口雅春師  『生長の家』誌 35年1月号より

1468ユタカ:2013/05/29(水) 13:43:45 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
みなさん、本当にご親切な神の子様ばかりです。

真理のお導きの講話と多種類の貴重な資料やご意見を書き込んでくださいまして有難うございます。

すべての皆様が神の子さまであって、特に、新人さんは皆さんの愛を引き出し、読者すべての皆さんの信仰の深化を導く観世音菩薩様のように思います。ありがとうございます。

また、新人さんも、教えの先達の皆様にはいろいろの信仰の段階の方が沢山の意見を自由に述べますので、たとえば、それが生長の家創始者谷口雅春先生のお説き下さる真理と違う事であれば、大先達が訂正なさいますから、それもとても大切な勉強の一つになりますから、ゆっくり、じっくり、焦らず、また様々なご発言をして下さる方のご愛念にさらに、さらに感謝して、お勉強してゆきましょう。

よろしくお願いいたします。

1469こんにちは:2013/05/29(水) 16:26:31 ID:BhT8NxPg
>>1463 復興G様

谷口雅春先生のご文章の抜粋ありがとうございます。

しかしこのご文章は、谷口雅春先生自らが、「純粋な宗教的立場」だけではどうにもならないことがある、と言っているように思います。
純粋な宗教的立場とは、もちろん、実相独在に立つということでしょう。
ですから、谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。
その意味で、a hope様のおっしゃることは、あながち間違いであるとばかりは言えないのではないでしょうか?

生長の家教団が、政治運動によって傷ついたのは、間違いのない事実です。
お金のことや倫理的なことなど、政治に関わることによって様々な問題が生じたことは、私などよりも復興G様の方がよくご存知でしょう。
これは、単なる現象上の問題として片付けることは、できないと思います。
なぜなら、純粋な宗教運動に徹していれば、このような問題は生じなかったからです。

純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。
しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。
それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか?

抜粋されたご文章は、そのことを谷口雅春先生ご自身が認めていらっしゃるように思うのです。

言い換えれば、国家的問題への取り組みは、「現象処理」という色彩を強く持たざるを得ない、ということです。
実相独在とは別の立場による運動になる、ということです。
違いますでしょうか?

1471復興G:2013/05/29(水) 21:43:51 ID:AB6RqYXc

>>1469 :こんにちは様。

ありがとうございます。

>>純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか? <<

――そう言えるかも知れませんね。

しかしそれは、「このままでは日本が滅びる。日本が滅んだら、地上に神の国をもたらすべき日本の使命が果たせない」という大変な危機感・使命感から、谷口雅春先生はそうせざるを得なかったのではないでしょうか。

そして、もし日本が当時、毛沢東中共や金日成北朝鮮を理想郷としていた“進歩的文化人”たちの煽動に踊らされ国家破壊勢力による共産革命が成就していたら、どうなっていたでしょうか。日本はソ連の衛星国、属国のようになり、東西両陣営の均衡でかろうじて避けられていた核戦争が勃発し人類は破滅の大混乱が起きたかも知れない。歴史に“if”(もし…)はないと言いますが……

もしそうなったら、当然、生長の家もなにもあったものではないでしょう。

戦後日本の左翼革命勢力の嵐がいかに圧倒的なものであったかを知らない、経験したことのない若い人たちには、それが実感できないかも知れません。

私は、サンフランシスコ講和条約が締結され日本がやっと独立を回復した昭和27年に高校を卒業して上京。その頃は日本共産党が暴力革命をめざして各地で暴虐行動をしており、学生運動は左翼革命勢力一色で猛烈激しかったし、知識人、大学教授なども“進歩的文化人”と称される左寄りの人たちが圧倒的で左翼運動を支援し、マスコミもほとんど左寄りで世論をミスリードしていた。このままでは日本はやがて革命は必至と思われるような状況だったのです。私はそれを身をもって肌で感じ経験してきました。

谷口雅春先生は、そのような中で、日本を唯物主義の革命から護るために、壮絶な戦いをなさった。それは、「唯神実相の宗教運動」からは外れたものだったと言えるかも知れません。しかし、真理宣布・人類救済、神の国実現のために、どうしてもやむを得ない、必要なことだったと、私は思います。

そのために左翼を斬ったので、「斬る者は斬られる」という法則により、生長の家が斬られているとしても、それはイエスが十字架にかけられたようなものかも知れません――と、私は思います。

1472復興G:2013/05/29(水) 22:44:55 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

髪の子様が>>1426に「心のかけはし」誌から転載してくださったご文章を拝読して感じたことを書かせて頂きます。

<<今や乾坤は一転する。……我が妻は光定君その他が、その霊覚で見たるが如くそのままに観世音菩薩なのである。そして私自身は多くの誌友が見たるが如く塩椎神そのものである。>>(谷口雅春先生のお手紙、『こころの旅路』<谷口恵美子編著>より)

私はこのご本を書庫から出してきて拝読しなおし、谷口雅春先生を雲の彼方にいらっしゃる遠い存在ではなく、身近なお方として敬愛の念を深めました。

 上記は、昭和十七年一月三十日付けで、谷口雅春先生がご巡講先の長崎から東京にいらっしゃる輝子奥様へ送られたお手紙なのですね。その、上掲のご文章の続きには、次のように書かれています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 白鳩大会が終つてから、白鳩の幹部婦人達十五名ばかりが挨拶に来た。癩病を二人治したと云ふ飯塚さんの話をきく。どうして治したかと云ふと

『癩病なんて無いんですよ。心の悩みも無いんですよ。既にもう無いのですよ。無いものをアルと思つてゐるだけですよ。明日はもうスベスベの顔になつてゐますよ。』

――ただそれだけである。驚くべき信念ではないか。

 私の説いた其の儘をそのままに信じて治るのは、馬場久さんでも三浦くにさんでも、この飯塚さんでも、まつたく同じことなのである。『自分を捨てなければならない』とか『まだ悟れない自分がある』とか、反対に『迷』の方をつかんでそれを浄化して『行かなければならない』とか、まるで『悪』や『不浄』をアルかの如く取り扱つたところに大なる自己不認識があつたのです。

 自分は観世音菩薩なのだ。反省すべき欠陥も既に無いのだ。浄むべき欠陥も既に無いのだ。そんなものははじめから神がつくらないから無いのだ。飯塚さんが癩病を治したやうに、眼に見える世界に、癩病のやうなクズレが見えてゐようとも、また誰かに悪の欠点が見えてゐようとも

 『そんなものは無いのだ、既に無いのですよ。本来好い人なのですよ』

 かう云ひ切りたい。そこに癩病が消えたやうに一切の悪が消滅する。

 それは自己礼拝が本当に完成しなければ他人礼拝も出来ない。他人は自身の反影であるからだ。

 わが妻よ、わが観世音菩薩よ。私は今貴女を観世音菩薩として拝むためにこの手紙を書くのである。今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――ああ、谷口雅春先生も、奥様に対して

「今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。」

と反省懺悔され、そして乾坤一擲、

「あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。」

という境地に立たれたのである。

――そのことに、私はとても親近感、と言ってはたいへん失礼ですが、先生も、われわれ凡人と、まったくかけ離れた特別な神様というわけではないのだ、と思いました。
<つづく>

1473復興G:2013/05/29(水) 22:45:59 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 谷口雅春先生は、塩槌神の化身である。

 だから、われわれは谷口雅春先生を唯一絶対の神として拝み、谷口雅春先生を通さなければ救われない――ともし考えておられる方があったとしたら、谷口雅春先生はお嘆きになるでしょう。

 『生命の實相』第13巻「倫理篇」《第2章 第一の神性隠蔽》の中に、次のように記されています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     宗教争いは偶像崇拝より起こる

 (前略) 人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互いに信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。

……つまり、すべての争いの第一の萌芽は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

 キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 谷口雅春先生は、「皆さんが谷口雅春である。皆さんが住吉大神の全心全霊である」とおっしゃいました。

 そして「至上者の自覚の神示」には、

≪本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫

とありますから、谷口雅春先生が

「皆さんが谷口雅春である。皆さんが住吉大神の全心全霊である」

とおっしゃったら、

「ハイ、ありがとうございます。」

というのが謙遜なすがたであり、

「そんなことはありません。私はまだまだ修行中の身で、谷口雅春先生とは月とすっぽん、天地の差があります」

などと言ったら傲慢ということになります。

また、『実相と現象』には

≪マタイ伝の二十二章で、イエスは
 「『なんじ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべし』これは大にして第一の誡命(いましめ)なり」といっているのであります。それでここに「主なる神」とありますから、人間の方は僕で、主人であるところの神様を愛するのであるかというと、そういう意味ではないのです。「汝、イエスの神を愛すべし。」とはいっておられないのです。すべての人間には、自己の内に神が宿っているということをイエスは認めて、「汝の内に宿っている汝の主なる神を愛すべし。」と、このように言っておられるのです。≫(抜粋)

と、書かれているのです。

同書「はしがき」の結びには

≪諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め”を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。≫

 と書かれています。それを実行する者が、谷口雅春先生の真の弟子ということになるでしょう。

1474ユタカ:2013/05/29(水) 23:03:58 ID:R1D4Jmeg
復興G様
いつも沢山の謹写をありがとうございます。

>(中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

復興Gさま、申し訳ありませんが、
上記の(中略)の所の文章はどんなことが書いてあるのか知りたいので、中略 の内容を再度謹写をお願い出来ませんでしょうか?

というのは、力のバランスをどのようにしたら平和が保てるのかが抜けているように思い、私には理解が出来ません。どうか、ご指導をよろしくお願いいたします。

1475ユタカ:2013/05/29(水) 23:20:51 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>>1469 :こんにちは:2013/05/29(水) 16:26:31 ID:BhT8NxPg
>>1463 復興G様

谷口雅春先生のご文章の抜粋ありがとうございます。

しかしこのご文章は、谷口雅春先生自らが、「純粋な宗教的立場」だけではどうにもならないことがある、と言っているように思います。
純粋な宗教的立場とは、もちろん、実相独在に立つということでしょう。
ですから、谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。

>谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。

>>1463復興G様の謹写文には こんにちはさまの 上記にあたる文章はない と思えるのですが・・・

谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思うので、

こんにちはさまの 上記のご発言は全く当てはまらないことのように思いましたがいかがでしょうか??

1476こんにちは:2013/05/29(水) 23:44:09 ID:U01sy9Ns
>>1471 復興G様

お答えありがとうございました。
復興G様のおっしゃるとおりだと思います。
当時の谷口雅春先生の運動には、キリストのはりつけにも似た犠牲的な愛を感じます。
痛々しくも切実な、あまりに切実な愛であると思います。


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