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Web誌友会 板/2

1477復興G:2013/05/30(木) 00:48:13 ID:AB6RqYXc

>>1474 :ユタカ様。

ご要望により、(『私の日本憲法論』p.317〜319より)の(中略)部分およびその後のご文章を謹写掲示させて頂きます。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ラジオ・セットは60ワット位の電力で動くから60ワット位しかその番組に出て来ないかと言いますと、そうではなくてラジオ・セット自身は60ワットでも、それに波長の合う番組であったら、次から次へと無限に番組がラジオ・セットに実現して来るのであります。

 そのように、国内での国民の闘争精神の規模は、国家全体の規模ではなく、炭労とか日教組とか国鉄労組とかいう風に限られた規模のものでありましても、それら闘争精神の波長は「人間ラジオ・セット」となって、世界あらゆるところの闘争の波長を引寄せることになるのでありますから、吾々一部のものが平和の精神波動を起していましても、吾々一部のものの周囲には平和が実現するでしょうけれども、日本国全体としてはやはり戦争の起る可能性が現実としてはあるということになるのであります。

 闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、力のバランスによるより致し方がないのでありまして、それは心の力によって害虫を撃退しうる心境に達していない限りは、噴霧器と消毒薬とによって自己防衛する体制を整えて置かなければ、害虫が侵入し蔓延してからは、もう手遅れになるのであります。

 つまり平和な心の力を駆使し得ないで、闘争闘争で、常に心を闘争精神で満たしている限りは、力によって侵入者の力とバランスをとって置いてはじめて侵略を未然に防ぐことが出来るのであります。

     鏡子ちゃん事件

 嘗(かつ)て鏡子(きょうこ)ちゃん事件というのがありまして、鏡子ちゃんという小学校の女生徒が授業中便意を催して便所へ行って用便していたが扉をしめるのを忘れていた。其処へ或る青年がこれも用便を催して小学校の便所を借りるために来合せた。すると女の子の用便の姿を見て変な気を起して猥褻行為をしようとしたら鏡子ちゃんが声を立てようとしたので、声を立てきせまいとして咽喉部を押えてついに扼殺してしまったというのであります。ただ一枚の扉でも閉めてあれば、侵入の誘惑を感じないのであります。

 嘗て「原水爆時代に日本の再軍備なんか何の役にも立たない」と言って再軍備反対論がありましたが、日本の再軍備はこの便所一枚の扉に当るのでありまして、それを外から開いて侵入することは何でもありませんが、扉一枚あるがために侵入凌辱しようとする誘惑にかかる心を起させないこともできるのであります。

 その点で日本の再軍備は必要であります。この点に於いて日本が自衛隊と言う名に於いて再軍備しつつあるのは適当な処置だと思うのであります。

 しかし現行の日本国憲法そのままで名称だけ自衛隊で、再軍備をしつつあるのは、政府みずから、法秩序を破って、多数党の圧力で、強行している感があります。政府が法秩序を破って強行するなら国民も法秩序を破ってもよいではないか。力の対決だと言うことになり、最近のような、暴徒の国会乱入のような不祥事が起るのであります。

 その点から考えても、法秩序の維持の上からも、その成立根拠が法秩序によらない現行憲法を廃して明治憲法に復元すべきものと考えるのであります。

     一枚の扉に電流を通すのが安保条約

 しかし自衛隊という一枚の扉しかないのだと、奥を透かして見られてしまったのでは、その一枚の扉も殆ど何の効果も奏しないことになります。その一枚の扉の裏には電流が通じていて、それを無断で開いて侵入しようとすると電流に触れて感電死する恐れがあると言うことになると、そしてその事がハッキリ示されていますと、どんな暴漢でも便所の中へ侵入して少女を凌辱しようとは思わなくなります。少女を守るその便所のたった一枚の扉に当るのが日本のささやかな軍備であるとしますと、安保条約を改定してハッキリとアメリカに日本防衛の義務を負わせることにするのはその扉に電流を通じておいて無断侵入して日本と言う美しい少女を凌辱しようとしたらアメリカ軍という電流に感電して死の惧れがあるぞと言うことを公示するようなものであります。
<つづく>

1478復興G:2013/05/30(木) 00:48:52 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     日本は戦略的枢要の地位にある

 スイスやスウェーデンは中立であっても何処からも侵入されないではないかという反論もありますが、不幸にして、日本はスイスやスウェーデンと異って、戦略的に重要地点を占めております。そしてその重工業方面の発達と国民の工業生産能力とは、これを自分の陣営につけて自国の兵器廠としたら非常に自国の軍事力の増大ともなります。

 そういう点で日本は垂涎おく能わざる「美女」とも言う訳でありますから、戦略上たいして価値のないところの「スイスやスウェーデンが中立であってもソ連圏から侵略を受けないではないか」と言う反論は成立たぬと思うのであります。

 そのような点の専門的に詳しいことは次の先生方が話して下さると思うのでありますから私はここに述べないことに致しますが、平和をモットーとしなければならぬ宗教家が何故日米安保条約に賛成するかと言いますと、現在の日本人の最大公約数的精神は、平和精神ではなく、闘争精神でありますから、仏教的三界唯心の原理によりまして、その闘争精神は必ず、同波長によって戦争を引寄せる可能性がある。

 だから、そのように「心」によって戦争を起させないようにすることができない場合には、第二善として「力のバランス」によって、日本を侵略不可能ならしめなければなりませぬ。軍備も安保も不要だと云う論は理想論であって、現実には調和しないのであります。

 生長の家では人時処の三相応がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。軍備不要も安保不要も、現代と云う「時」に於いて、米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると云う「処」に於いて、まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と云う隣国を控えている現在に於いては、どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方がないと私は考えるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上で謹写は終わります。

 これをお読みになれば、

>>谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思う……<<

と書かれましたが、必ずしもそうではなく、谷口雅春先生は、憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」も必要、とおっしゃっているのですね。

ありがとうございます。

1479復興G:2013/05/30(木) 00:50:27 ID:AB6RqYXc

>>1476 :こんにちは様。

ありがとうございました。

合掌 拝

1480復興G:2013/05/30(木) 01:05:06 ID:AB6RqYXc

>>1478 訂正です。

× 憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」
      ↓
○ 憲法復元・再軍備・安保条約等による「力のバランス」

1481ユタカ:2013/05/30(木) 01:26:32 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま・・・

ありがとうございます。。。 申し訳ございませんでした。。。

じっくり読ませていただきます。。。。

1482ありがとう:2013/05/30(木) 01:29:19 ID:???
  
     『生長の家』誌 昭和20年11月号


 『汝等天地一切のものと和解せよ』 との信条に生活せる吾等が戦争を未然に防ぐことを得ざりしは

 吾等が単なる宗教活動に終始して政治力にまで発展せしめざりがたしためなり。


 是れ実に吾等の罪也。 吾等の罪は断じて贖わざるべからず。 

 その贖のために起って宗教的信念を政治運動に発展して救国のために新党を結成せんとす。

1483ありがとう:2013/05/30(木) 01:37:43 ID:???

 従来我等が主として採りたりし教化方針は、個別的個人個人に対して魂の救済、

 病気の神癒、苦難の解消等であったのであります。

 これ即ち 『単なる宗教運動に終始して其精神を政治力にまで発展せしめざりし』 原因にして

 かくして獲得されたる個別的個人個人誌友はやがて自己満足に到達して

 『宗教』と云う静的精神面に安眠を貪るに至り、生長の家をして国家全体を救い得ず、

 戦争惹起を防止し得なかったのであります。

1484ユタカ:2013/05/30(木) 01:42:06 ID:R1D4Jmeg
復興G様、ありがとうございました。 読ませていただいてハッキリスッキリ理解できました。

私が間違っていました、1480のそういう意味での「力のバランス」と言う意味でした。 と言う内容が明確にわかりました。

ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

1485こんにちは:2013/05/30(木) 01:42:58 ID:U01sy9Ns
>>1475 ユタカ様

そうですね。どうも早とちりしていたようです。

谷口雅春先生は、あくまで「心の法則」を述べていらっしゃいますね。
平和も混乱も心の現れであると。
そして、国家の平和や混乱は国民全員の心で決まるのだと。
これは実相のお話とは別次元ですね。

実相独在は永遠の真理ですが、現実の世界は心によって変わる、ということですね。
つまり、現象世界の話ですね。この谷口雅春先生のお話は。
まことに失礼いたしました。

とすると、国家救済のための政治運動は、あくまで現象上のことである、と受け取れます。
日本国内に悪を見て徹底批判していた谷口雅春先生もまた、現象上のことであると。
もちろんこの行動は深い愛ゆえですが、これは実相の話ではないのですね。

実相はどこまでもどこまでも澄み切っていて、日本の共産化の危機の真っ只中にあっても、平和そのものである。
日本の危機を叫ぶ谷口雅春先生は、どこにもいなかったのである。
ありがとうございます。

1486ありがとう:2013/05/30(木) 01:45:10 ID:???

 故にかくの如き旧態を打破して、真に政教一致、

 世界救済の悲願に出発せる生長の家立教の使命を成就せんが為には、

 従来の如き個別的個人誌友の獲得増加の方針よりも、

 団体的な一般民心の吸収、即ち社会輿論の獲得指導へ強力なる飛躍を決行すべきであります。

 これ即ち生長の家運動が直面せる時処相応の必至的展開でありまして、

 如何なる方途をも自由自在に駆使して世界救済の悲願を達成しなければならぬと確信するのであります。

1487ユタカ:2013/05/30(木) 01:48:37 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、

これで、こんにちはさまの仰っておられることも理解できました。

すべて、私の理解不足の発言でした と言うことが分かりました。 有難うございました。

1488こんにちは:2013/05/30(木) 01:52:44 ID:U01sy9Ns
>>1477
>>1478 復興G様

大変勉強になりました。
ありがとうございます。

1489ユタカ:2013/05/30(木) 01:54:10 ID:R1D4Jmeg
>>1485 こんにちはさま

すみません、中略の内容を復興G様が謹写して下さいまして、、、ようやっと、内容が理解できました。私の間違いでした。ごめんなさい。

こんにちはさまのご発言はそのままの内容をおっしゃっていました。きっと。「私の日本憲法論」を読まれたことがあるのでしょう・・・

私の早とちりです、すみませんでした。。。。

1490こんにちは:2013/05/30(木) 02:11:24 ID:U01sy9Ns
思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。
だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。
どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。
そして、現象はない。
それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。
今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。
皆様、ありがとうございました。

1491復興G:2013/05/30(木) 02:18:20 ID:AB6RqYXc

さて、谷口雅春先生は、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」
>>1456
ということで、戦後左翼革命の嵐のときには憲法復元・再軍備・安保条約等の傘も縕(さ)せとおっしゃり、唯物思想の左翼革命勢力を斬る壮絶な闘いをなさった。

その結果、革命の嵐は去ったのです。天皇国日本は守られたと言ってよいでしょう。

ベルリンの壁が崩壊し東西の冷戦時代は終わり、人類は新しいサイクルに入った。

谷口先生は、雨が降ったら傘を縕(さ)すが、「傘」ばかりに捉らわれるのではない、とおっしゃっています(>>1459)。
「時代に即して変わりながら終始一貫した真理を説くのが本当である」 と。(>>1427

その「終始一貫した真理」は、「すべての人間は神の子だ、神だ!」ということでしょう。

だから、ただ喜び、ただ拝み合って大調和の大和魂を発揚する。でなければ、日本の実相顕現も世界平和もあり得ないのではないか、というのがa hope様の問題提起ではなかったでしょうか。

1492復興G:2013/05/30(木) 02:21:21 ID:AB6RqYXc

>>1490 :こんにちは様

まったくその通りだと私も思います。

ありがとうございました。


ユタカ様、ありがとう様、皆々様

ありがとうございました。

おやすみなさい。

1493a hope:2013/05/30(木) 10:06:51 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

昨晩わたしは、こちらでの皆様のご投稿を拝見しなにかお返事を投稿しようかと思いましたが、
なぜか、思いとどまりました。

そして、今、この板でのみなさまのやり取りを拝見して、その素晴らしい内容に、魂を震わせています。
それまでの、内容と合わせて、引き続きじっくりお勉強させていただきます。


余談になるかもしれませんが、わたしが今感じていることは、
「現在の日本の若者には、昔のような闘争心はほとんどないよな〜」ということです。
山歩きがはやったり、神社等のパワースポット尋ねたりして、彼らはただひたすら心の平和を求めているように思えます。
もしかしたら、日本の若者の心の中に、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

この精神が発露(顕現)してきているのではないかとも思われます。


ですから、今こそ「生長の家の教え」の基本、『大調和の心=大和精神』を若者たちに伝道する時なのではないのかとわたしは思うのです。

でも、それにはやっぱり「生長の家」の大調和は不可欠なような気がします。
だって、今の若者は生意気ですから、必ず反論されると思いますよ。

「大調和? 大和精神? えっ? 何それ意味わかんないし・・・。
それで生長の家のおじさんとかおばさんは、それ、実行してるわけ?
自分ができないこと、人に押し付けないでよね。」

って、これ確かです。

1494a hope:2013/05/30(木) 10:10:43 ID:edEDolt2
>>1493訂正 
神社等のパワースポット尋ねたりして→神社等のパワースポット訪ねたりして

1495志恩:2013/05/30(木) 10:57:16 ID:.QY5jUA6
皆様の、大変深いお話に感動しています。
皆様、ありがとうございます。

今の日本は、大人も、青年たちも揃って「平和ボケ」してる人が多いと言われています。

上司や他人が、ひどいことをしたり、言ったりしても

「あらそったりしないことが、平和なのだ」と勘違いして、
それが【調和】なのだと勘違いして、

見ない、聞かない、反論しない、、そして、心を無にして、現象の悪に、唯々諾々と従う。

このような日本人が多数だと聞いています。

これは、調和でも、大和精神でもありません。

平和ボケして、
日本国全体に事なかれ主義が万延している姿なのです。これは、由々しきことです。

私の子供たちも、親戚のこどもたちも、今は、年令が、青年になっていますが、
生長の家の思想で育ったので、大和精神とは何なのか。
調和と妥協とは、正反対のことなのだ、、という事実なども、はっきりと認識している人間ばかりです。

いまの生長の家は、そのようなことは、教えなくなったので、
日本人の精神も、だんだん衰退していっているのではないでしょうか。

別の角度から言えば、
欧米諸国の教育は、幼い頃より、自分の考えをはっきりと相手に伝えたり、相手の
考えと自分の考えが異なる場合は、正々堂々と、激しく議論し合ったりしていますよね。

これは、一見
争っているようにみえますが、そうではないのです。互いの考えを、よりよく理解するための
健全な、プラス思考の行為なのです。

ですから、本流のみなさまがいろいろと、ご指摘され発言される行為を「調和に反する」と決めつけるのは
それこそ、時代遅れの考え方だと,私は思っております。

雅宣総裁も、教団も、自分たちだけで、決めたことを、有無も言わせず、断行されていますが、
これは、民主主義にも反しており、宗教道にも人間道にも反する横暴な行為だと思います。

裁判の結果が出たのですから、
私も、雅宣総裁の辞任と、上の参議、理事達の総辞任をして頂きたいと,信徒として強く
思っております。

そして、「神の子・人間」「日本国・実相顕現」とはなにかを

説かれ、宣布される様な 本来の教えを取り戻して頂きたいです.

若者にも、調和とは、みてみぬふりをすることではない、妥協することではない。
そして、大和精神とは、こういう素晴らしい精神なのだと、日本人としての誇りを
とりもどせるような、もともとの生長の家の教えが、蘇ったらいいなと,切望しているところです。

1496志恩:2013/05/30(木) 11:02:10 ID:.QY5jUA6
こんにちわ様が1490で、言われましたような、心で、発言できるよう
神様に祈りながら、今後も発言させて頂きます。
-----------------------------------------------------
1490 :こんにちは様:2013/05/30(木) 02:11:24 ID:U01sy9Ns

思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。

だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。

どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。
そして、現象はない。

それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。

今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。

皆様、ありがとうございました。

1497志恩:2013/05/30(木) 11:08:57 ID:.QY5jUA6
ahopeさまがいわれますように、
反面、パワースポットに行ったりするような、精神面に興味を抱く
若者が増えていることも事実ですよね。

1498a hope:2013/05/30(木) 11:17:17 ID:edEDolt2
>>1495>>1496志恩さま

<<皆様の、大変深いお話に感動しています。
皆様、ありがとうございます。>>

志恩さま、わたしも復興Gさまやこんにちはさまのご投稿内容には心から感動しています。
ところで志恩さまは指導者であられる復興Gさまのご投稿内容のどの部分に感動されましたか?
是非、具体的なご感想をお聞きしたいです。

わたしは、これから仕事に行きますが、夜、志恩さまのご感想を拝見するのを、
楽しみにしています。

1499志恩:2013/05/30(木) 12:08:32 ID:.QY5jUA6
a hope様

1つは、>>1463:復興様のa hope様宛てのご文章です。

その中で、
-------------------------------------------------------
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――というわけで、「雨が降ったら傘を(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
≪「心」が何ものにも捉われなかったら「剣」にとらわれず、
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う≫
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

と云うことをすることが、
>>雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた<<
ということにはならないのではないかと、私は思いますが、、、、、

-----------------------------------------------------------

ここが、感動したところです。

1500志恩:2013/05/30(木) 12:19:03 ID:.QY5jUA6
つぎは、>>1471 :復興G様のご文章の全体〜
雅春先生が、大変な危機感と使命感により、政治運動に踏み込まれた
お気持ちを、復興G様が分り易く語って下さってますので、私はとても感動しました。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

1471:復興G
>>1469 :こんにちは様。

ありがとうございます。

>>純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。
しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。
それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか? <<

――そう言えるかも知れませんね。

しかしそれは、「このままでは日本が滅びる。日本が滅んだら、地上に神の国をもたらすべき日本の使命が果たせない」という大変な危機感・使命感から、谷口雅春先生はそうせざるを得なかったのではないでしょうか。

そして、もし日本が当時、毛沢東中共や金日成北朝鮮を理想郷としていた“進歩的文化人”たちの煽動に踊らされ国家破壊勢力による共産革命が成就していたら、どうなっていたでしょうか。日本はソ連の衛星国、属国のようになり、東西両陣営の均衡でかろうじて避けられていた核戦争が勃発し人類は破滅の大混乱が起きたかも知れない。歴史に“if”(もし…)はないと言いますが……

もしそうなったら、当然、生長の家もなにもあったものではないでしょう。

戦後日本の左翼革命勢力の嵐がいかに圧倒的なものであったかを知らない、経験したことのない若い人たちには、それが実感できないかも知れません。

私は、サンフランシスコ講和条約が締結され日本がやっと独立を回復した昭和27年に高校を卒業して上京。その頃は日本共産党が暴力革命をめざして各地で暴虐行動をしており、学生運動は左翼革命勢力一色で猛烈激しかったし、知識人、大学教授なども“進歩的文化人”と称される左寄りの人たちが圧倒的で左翼運動を支援し、マスコミもほとんど左寄りで世論をミスリードしていた。このままでは日本はやがて革命は必至と思われるような状況だったのです。私はそれを身をもって肌で感じ経験してきました。

谷口雅春先生は、そのような中で、日本を唯物主義の革命から護るために、壮絶な戦いをなさった。それは、「唯神実相の宗教運動」からは外れたものだったと言えるかも知れません。しかし、真理宣布・人類救済、神の国実現のために、どうしてもやむを得ない、必要なことだったと、私は思います。

そのために左翼を斬ったので、「斬る者は斬られる」という法則により、生長の家が斬られているとしても、それはイエスが十字架にかけられたようなものかも知れません――と、私は思います。

1501志恩:2013/05/30(木) 12:35:25 ID:.QY5jUA6
その次は、1474:ユタカ様が、復興G様にお願いされた

>(中略)闘争精神がある中で、平和を得るにはどうすればよいかといいますと、
力のバランスによるより仕方がないのでありまして……<<
 (『私の日本憲法論』p.317〜319より)

上記の(中略)の所の文章はどんなことが書いてあるのか知りたいので、
中略 の内容を再度謹写をお願い出来ませんでしょうか?

というのは、力のバランスをどのようにしたら平和が保てるのかが抜けているように思い、
私には理解が出来ません。どうか、ご指導をよろしくお願いいたします。
------------------------------------------------------
について、

お答え下さいまして、
復興G様が謹写して下さいましたご文章と、復興G様のコメントに、感動しました。

>>1477;
>>1488;

長文なので全文の再掲は控えますが、最後のところだけ再掲させていただきます。
------------------------------------------
 生長の家では人時処の三相応がなければ、どんな「善」も善にならないと申しております。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
軍備不要も安保不要も、現代と云う「時」に於いて、
米ソ間対立の中間にある日本の戦略的重要地点であると云う「処」に於いて、
まだ弱国に対する侵略を止めそうにないソ連や中共と云う隣国を控えている現在に於いては、
どうしても日本はアメリカと手をつないで自国を衛るより仕方がないと私は考えるのであります。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

復興G様コメント

 これをお読みになれば、

>>谷口雅春先生は、平和の心を持てば大丈夫ですが、大多数は闘争の心を持っているから 
宗教によって平和な心をもった人が多くなれば、戦争などがなくなるといった意味の
「数の力のバランス」と言うお言葉ををおっしゃっていると思う……<<

と書かれましたが、必ずしもそうではなく、
谷口雅春先生は、憲法復・再軍備・安保条約等による「力のバランス」も必要、
とおっしゃっているのですね。

1502志恩:2013/05/30(木) 12:39:46 ID:.QY5jUA6
a hope様

最近のだけの感動したところをピックアップさせて頂きましたが、
復興G様がご指導下さる真理は、どれも教えて頂くばかりです。

その中で、わからない点や、納得いかない点は、質問させて頂いているのです。

1503志恩:2013/05/30(木) 12:49:28 ID:.QY5jUA6
1501:志恩、訂正あり

復興G様のご文章は、
>>1477
>>1478  でした。

1504志恩:2013/05/30(木) 15:45:31 ID:.QY5jUA6
どんなふうに感動したかと言えば、
「実相」は直視しつつも、
この世で、人時処の三相応の生き方、考え方をして、
祈りながら、行動することが大事。

そうでなければ、空念仏となり、
どんな「善」も善にならないと教えて頂いた事。

1505志恩:2013/05/30(木) 15:49:14 ID:.QY5jUA6
ahopeさまは、

復興Gさま、こんにちわ様、元本部職員D様、髪の子様、
ユタカ様、その他の皆様の書き込みの中で、どれに感動されましたか?

1506ユタカ:2013/05/30(木) 15:56:53 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

復興G様 復興G様の大量投稿を有難うございます。むずかしくて・・・分からない箇所が多くてすみませんが質問させてください。
>私の説いた其の儘をそのままに信じて治るのは、馬場久さんでも三浦くにさんでも、この飯塚さんでも、まつたく同じことなのである。『自分を捨てなければならない』とか『まだ悟れない自分がある』とか、反対に『迷』の方をつかんでそれを浄化して『行かなければならない』とか、まるで『悪』や『不浄』をアルかの如く取り扱つたところに大なる自己不認識があつたのです。

 自分は観世音菩薩なのだ。反省すべき欠陥も既に無いのだ。浄むべき欠陥も既に無いのだ。そんなものははじめから神がつくらないから無いのだ。飯塚さんが癩病を治したやうに、眼に見える世界に、癩病のやうなクズレが見えてゐようとも、また誰かに悪の欠点が見えてゐようとも

 『そんなものは無いのだ、既に無いのですよ。本来好い人なのですよ』

 かう云ひ切りたい。そこに癩病が消えたやうに一切の悪が消滅する。

 それは自己礼拝が本当に完成しなければ他人礼拝も出来ない。他人は自身の反影であるからだ。

 わが妻よ、わが観世音菩薩よ。私は今貴女を観世音菩薩として拝むためにこの手紙を書くのである。今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――ああ、谷口雅春先生も、奥様に対して

「今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。」

と反省懺悔され、そして乾坤一擲、

「あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。」

という境地に立たれたのである。
ーーーーーーーーーーーーー

上記の観世音菩薩のことです、観世音菩薩さまは、私は衆生の心の姿になって衆生を済度すると教えて戴いたので、 自分の心が歪んでいると、その心を見せてくれるために、観世音菩薩様がわざと歪んで出てきて、『あなたはこんな姿ですよ、』と現れると教えていただいて、それに気づいて私の心の姿を現してくれてありがとうございます。と感謝して心を真釣り合わせていたのですが、
復興G様のこの文章の観世音菩薩様は完全円満な観世音菩薩様のようですが、これは、どういう意味なのか、分かりません。
完全円満なら観世音菩薩さまではないのでは??と思いながら、谷口先生が仰っているから、間違いないと思うのですが、なぜ?そうなるのか教えていただけませんでしょうか??

観世音菩薩さまは33身に身を変じて衆生を済度する菩薩さまと完全円満な観世音菩薩さまと2種類の神様になるのでしょうか??

分からないことだらけになりました。。。。。

1507ユタカ:2013/05/30(木) 15:59:55 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、

私は、今分からないことだらけに陥ってしまい、復興Gさまにお聞きしたいことばかりです。。。

感想を言える状態ではありませんのです・・・・ 生長の家って難しいのですね。。。

1508ユタカ:2013/05/30(木) 16:11:42 ID:R1D4Jmeg
私は久しぶりにトキさん板に来て、WEB誌友会板でお勉強を始めたのですが・・・・

相変わらず、、、スゴイ活況で、皆様が元気に積極的にご発言されて・・・圧倒されてしまいました。

皆さん、理解が早くて投稿量もメッチャ多くて早い!!  ユタカは全然ですよ==、皆さんより大幅に遅れてついていきますよーーー、よろしくお願いします。

1509復興G:2013/05/30(木) 17:41:58 ID:AB6RqYXc

>>1506 :ユタカ様。

ありがとうございます。

今夜は出かけなければならない予定行事があって、その準備もしなければならないので今詳しいことは書けませんが――

観世音菩薩は、「阿弥陀三尊」では阿弥陀如来(無量寿如来、尽十方無礙光如来とも称される)の「慈悲」をあらわす化身とされ、左脇侍として安置されている菩薩様。

「般若心経」の冒頭には「観自在菩薩」という名で出てくる。

『法華経』の中の「観世音菩薩普門品」(「観音経」といわれる)には、衆生がどんな危難に出遭っても観音(観世音菩薩)の力を念ずれば安全に護り救って下さると書かれています。

そういう菩薩様ですから、当然、完全円満な大慈悲そのものでいらっしゃるのが本来のお姿でしょう。

それが、やはり観音経に「三十三身に身を変じて衆生を済度される」ということも書かれています。

谷口雅春先生は、『あなたは自分で治せる』の第13章「『般若心経』講義」(『真仏教の把握』にも収録)に、

「観世音菩薩というのも、内部的意義からいうと、仏像ではなく、皆さん御自身が観世音菩薩であります。相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずる、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて衆生を済度なさる、これが観世音菩薩であります」(大意)と書かれています。

だから、観世音菩薩は本来完全円満ななのだけれども、自由自在にどんな姿にも顕れて衆生を済度される、と考えればよろしいのではないでしょうか。

あとは、また夜遅くか、明日に。

ありがとうございます。

1510復興G:2013/05/30(木) 17:50:57 ID:AB6RqYXc

あ、ひと言追加します。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫

と、谷口雅春先生は「般若心経講義」に書かれていました。

1511志恩:2013/05/30(木) 18:08:53 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

ユタカ様がいらして下さったおかげで、復興G様も、このように多く出て下さるように
なりました。すごくうれしく思っています。

そして、WEB誌友会前に、ユタカ様が、たびたび自主勉強会を開いて下さるので、
若手のahopeさんの発言も多くなり、いろいろな方々も参加されるようになり、ありがたく
思っております。

次回の 6/7(金)~6/8(土)開催のWEB誌友会は、
復興G様、トキ様、ご指導のもと、
ユタカ様 の相棒の、人気ものの 訊け管理人様 が司会をお引き受け下さいましたので、ますます皆様の
注目が集まりますでしょう。

裁判の結果も出ましたので、
大物の元本部職員様や,その他の大物らしき方々や珍しい方々も、いらしてくださって、発言して下さいますので、
すごいことになっております。

閲覧されている全国の皆様のよき啓蒙運動になっていると存じます。

ユタカ様が、復興G様に ポイントついた質問をしてくださるので、気がつかなかったことも
気がつかせていただけて、ラッキーです。ありがとうございます。

1512志恩:2013/05/30(木) 18:23:22 ID:.QY5jUA6
元本部職員様→元本部職員D様

1513志恩:2013/05/30(木) 18:40:04 ID:.QY5jUA6
 1510:復興G様ご指導の

>>≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると
自分が済度されるのであります。≫

と、谷口雅春先生は「般若心経講義」に書かれていました。>>

というところですが、

私の場合は、この真理が、わかりません。

以前に、復興G様に、私は、
それでは、北朝鮮の将軍さまのやることなすことも、拉致したことも私の責任で、
私の合わせ鏡なんでしょうか?
とお聞きしたことが、ございましたが、復興G様のお答えは、「そうだと思います。」だったと存じます。

ある政治家が、ワイロをもらって、悪い事をしたことも、私の責任でしょうか、私の合わせ鏡でしょうか、と
お聞きしたときも、「そうだと思います」と
おっしゃったような記憶がございますが、ここのところは、私は、納得がいかないところです。

私は、
すぐ目の前にいる家族のことは、自分の合わせ鏡だと,納得いきますが、世界中の人間のやることなすこと、
全て、自分の責任であり、合わせ鏡だとは、思えないのです。

1514志恩:2013/05/30(木) 19:08:33 ID:.QY5jUA6
つまり、あれでございましょうか。
復興G様は、雅宣総裁の姿は自分の姿だから、、、とおっしゃりたいのでしょうか?

1515志恩:2013/05/30(木) 19:12:00 ID:.QY5jUA6
自分の姿というより、われわれ一人ひとりの姿。
で、
雅宣総裁のすることなすことは、われわれの責任であるということを、
おっしゃりたいので、ございましょうか。

1516ユタカ:2013/05/30(木) 20:10:54 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

>「観世音菩薩というのも、内部的意義からいうと、仏像ではなく、皆さん御自身が観世音菩薩であります。相手の心の姿にしたがって三十三身に身を変ずる、ありとあらゆるどんな姿にでも顕れて衆生を済度なさる、これが観世音菩薩であります」(大意)と書かれています。

だから、観世音菩薩は本来完全円満ななのだけれども、自由自在にどんな姿にも顕れて衆生を済度される、と考えればよろしいのではないでしょうか。

========
復興G様、ありがとうございます。

急に蓮華日宝王地観がひらめき、聖光録を呼んでみました。
吾れ、今、五官の世界を去って、普く吾が全身を観ずるに、この身このまま観世音菩薩なり。
(と、心に誦え、自己を観世音菩薩だと見立てて神想観をするのであります。自己を観世音菩薩と何故観じても好いかと言うと、観世音菩薩は一定の形ある菩薩ではない。世の中の音を観じてその音の通りn現れ給う観自在の原理でありその観自在の原理は各人の腹中に各々豊かに備わっているからである。)
それから蓮華に乗る菩薩と観じていくので、やっぱり、完全円満な菩薩様でその菩薩様が33身に変じるのですね。。。

急に、迷ってしまいました。。。 分かりました、有難うございました。

1517ユタカ:2013/05/30(木) 20:24:08 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

応援を有難うございます。

観世音菩薩の北の将軍の事ですが、教義上はそうなるのではないですか・・・。

一応、何かを教えてくれているのではないでしょうか? それは、志恩さん個人だけでなく、政府や全国民と広い何か共通範囲ではないかな?と私は思いますが?ですが、どこかの大宗教家ならそういう大自覚があっても良いけど、主婦の志恩さんがそこまで思わなくても大丈夫ではないのですか?そこまで反省に至らなくても・・・・
と私は思います。。。

1518志恩:2013/05/30(木) 20:45:19 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

お言葉、ありがとうございます。
雅春先生や復興G様でいらっしゃると、そのぐらいの高尚な宗教的ご自覚があられるのでしょうけれど、

私は、どうしても、北朝鮮の将軍様の合わせ鏡には、なりたくないのです。
ワイロももらっている悪い政治家の合わせ鏡にもなりたくありません。

別の例をあげれば
例えば、どこかのイトーヨーカー堂へ買物いったとしましたら、ふと、みると、
どこかのおばさんが、万引きしている。見たくない現場を目撃してしまった。

そういう場合、それは、私の責任だとは、私には、
どうしても思えないのです。

それは、そのおばさんの、個人の責任であり、
そのおばさん個人の、あってはならない できごごろ じゃないでしょうか。

その様な,世界中の ことごとくの 他人の悪事まで、
いちいち私の責任にされましたら、私は身がいくつあっても足りない様な、重い気分に
なるのです。

私は,その意味では、全然、悟っていない人間だと思います。

1519ユタカ:2013/05/30(木) 21:32:35 ID:R1D4Jmeg
目撃して、通報をしなかったら、志恩さんは責任を感じてもいいかも知れませんが、その場合通報をしてあげるとまた運命が変わるのではないでしょうか?

思わず、雨が降ったら傘をさすって頭に浮かびました・・・

1520goro:2013/05/30(木) 23:46:09 ID:8BFF/5aQ

志恩様

御無沙汰していました。
もう二度と醜い争いを引き起こしたくないと思い、書き込みを自粛していましたが、
本日8時前に本部へ参り、最後の御神像を目に焼き付けようと
見て参りましたので報告しようと思い、出て参りました。

学ぶ会の方々でしょうか、40人ほどの人たちが8時前から聖経読誦されていました。
足場が組まれ、黄色の毛布らしきものに、御顔、光背、左腕、胸部と包まれました。
この間5時間くらいでしたが、残念ながら所用のため午後1時頃帰途につきました。
クレ−ン車に吊り下げられトラックに積み込まれる様子は「光明掲示板」に詳しく出ています。
本部に依る御神像動座の儀式は何もなく、イキナリ作業が始まって本当に痛ましい光景でした。

復興G様のお説の通り全ての出来事は自分の心の顕れであるという事は正論でしょうが、
凄まじい「覚悟」と完全なる「一切者の自覚」が必要でありますから、簡単に言える言葉ではないような気がします。

 落語家「4代目 柳亭痴楽」の、
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、彼女の鼻が低いのも、み〜んな痴楽が悪いのよ」で、
笑い飛ばせるような気楽な話ではありませんので、口に出すことは恐ろしいです。

 最近「シルバーバーチの霊言」を読んでいますが、以下紹介します。

 知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。
 知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。
 尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。
 最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

 わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。
 知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。
 そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上に
 もたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。

志恩さまは正直で裏表のない真っ直ぐな人ですから、応援しています。
書き込みはしなくても時々掲示板を覗き志恩さまの意見を見ては心底納得しています。

1521ユタカ:2013/05/31(金) 00:45:00 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま みなさま

>>1454 a hopeさまの質問で沢庵和尚とのつながりがよく分かりません。

この沢庵和尚で復興G様が何を伝えたかったのかが、分かりません。。。

みなさま、復興Gさまが忙しそうなので、分かる方がいらっしゃいましたら、ユタカにご教授ください。。。。

志恩さま、横切ってすみません。。。。。

1522ユタカ:2013/05/31(金) 01:00:50 ID:R1D4Jmeg
何度読んでも、むずかしい。 禅問答と實生活は別であるが、生活に禅が入ってくると實生活がつらつら上手くいく??

ってもーーーーどうしたらいいのだろうか?? 読み方が間違えているのかな???

1523神の子さん:2013/05/31(金) 01:19:53 ID:nYL5yFzs

昔、私はスマートだから、雨と雨の間を歩けるのよと、意気込んでいました。
沢庵禅師は、ずぶ濡れの中、神想観をされていたのですね。
「禅」を「神」、「禅の生活」を「神の子の生活」と置き換えて読んでみました。

1524神の子さん:2013/05/31(金) 01:35:57 ID:SgzkpbKc

「お腹がすけば、ご飯を食べなさい。ミサイルがどこやらから、飛んで来るならば、適切に対処できる手段や情報を仕入れなさい。その実際生活の中で、神を観じ神の子の生活を生きる時に、自ずから光輝く神の世界が展開する」

ということかと、勝手に個人的な解釈をしていました。

1525神の子さん:2013/05/31(金) 02:15:21 ID:VYVSpdT.

>>1459のご文章を拝読して思うのは

「お腹がすいた」しかし「実相独在だから食べずに生きられる」は、対立であり、実相独在という言葉に引っ掛かって、いくらでも腹を空かせずにいる方法はあるのに、「実相独在」という言葉に引っ掛かって、自由自在を失ってしまった…そこに、実相独在なる展開はない。実相独在とはいえ、腹がすいてしまうんだ

「お腹がすいた」ならば「適切にご飯を食べよう」は調和であるということではないかと、思いました。
復興G様の、>>1459も大変勉強になりました。

1526髪の子:2013/05/31(金) 02:35:42 ID:xOsRIjpM
すみません。上の3つは髪の子です。
現象処理の中に、神の御心の展開あるのですね。現象はない。しかし
この現象生活の中で、神を観じることで、魂=霊が磨かれて、神=善=禅=全が展開し、実相顕現していきますものね。

1527こんにちは:2013/05/31(金) 05:09:59 ID:WncVVViE
>>1521
>>1522 ユタカ様
復興G様がお答えになるのが一番間違いないと思いますが、私なりに解釈いたしました。

>>1420でのa hope様のお話
<<「日本国の実相はすでに完全円満なんですから、何もわたしたち信徒がそれを顕現させるために、現象の運動をする必要なんてないんですよね!」
わたしは、生長の家の『実相独在』とは、そういう事だと思っています。
真に『実相独在』を信じ切れば、ご飯を食べなくても生きられるだろうし、ミサイルもそれると思います。
だって、そういう奇蹟の数々のお話が「生命の實相」に山ほど紹介されていますし、それが、真の「生長の家の教え」なんだと思います。>>

これは、実相独在を生活に生きるという立場からのご発言であります。言い換えれば、絶対善の生活であります。
しかし、このご発言には「立場」へのこだわりがあります。

これについて、谷口雅春先生は、
「……絶対善の生活をしようと思ったならば、すべての「立場」を捨てなければならない。「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」にならなければならない。」
(『新版 真理』第3巻 p.262)
と、復興Gさまは引用してご指導くださいました。

谷口雅春先生はその具体的なお話として、「沢庵禅師と柳生但馬守」のエピソードを用いて説明しています。

>>1455「・・・雨にも少しも濡れないでこの庭を歩くことが出来ますか」

この沢庵禅師の問答に対して、
1. 柳生但馬守は、剣の技術で雨に濡れず歩こうとした。
2. 沢庵禅師は、実相独在の立場から雨に濡れていないことを示した。
3. 谷口雅春先生は、構える心なしにスラスラと何事も運ぶ「当り前の生活」を示された。

谷口雅春先生は、沢庵禅師の答えについてこう述べています。
「一応、禅の問答ではそれでよいとしましても、日常生活の上では、「雨に濡れないで歩いて見よ」と云われて、雨に着物や肉体が現に濡れていながら、「濡れないでいる」と頑張ることは無理で、これでは、吾々の日常生活が成立ちません。」
(『新版 真理』第3巻)

そしてさらに、こう喝破されています。
「実相人間は病まないものだ」とわかりましても、現に肉体に病気をあらわしておりましたら、その悟りは、生悟りでありまして、「人間は病まない」と云う自覚が、形にあらわれるほど強く深くなっていないと云うことになります。」
(同書。以下の引用も同じ)

沢庵禅師のお話は、実相が生活に生きていない生悟りだということですね。
それでは、実相が生活に生きるとはどういうことか?
谷口雅春先生曰く
「雨が降ったら傘を縕(さ)す」

奇跡でも何でもない。当たり前です。
「弾丸の雨の中に立っていても平気だ」ということが、実相の生活ということではない。
沢庵禅師のように実相(永遠に弾に当たらぬ私)にこだわると、実際には弾丸に当たって死ぬことになるでしょう。
(つづく)

1528こんにちは:2013/05/31(金) 05:11:02 ID:WncVVViE
(つづき)
これを、谷口雅春先生はこう説明されています。
『「生長の家の生活」と云うのは当り前の生活を当り前にすることなのであります。』
『雨に濡れていながら、「実相の人間は濡れていないのじゃ」と頑張って見たりするのが、「禅の生活」ではないのであります。』
禅の生活とは、実相独在を生きることでしょう。

『「禅」と云うものが、実際生活の中に入り込んで来ますと、実際生活が何の矛盾も摩擦もなく、構える心なしにスラスラと何事も運ぶようになるのであります。』
つまり、構える心がなくなる。
『「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」になる』ということでしょう。
実相という立場をも捨てよ、と。

谷口雅春先生は、
『「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。』とおっしゃいます。
本当に実相独在に立てば、実相と自分が完全にひとつだから、もはや実相はどこにもない。
自分のそのままの生活が、何でもない暮らしが、そのまま実相なのであります。
「これが実相、これが実相」と握り締めることが無くなり、自然体になる、ということでしょう。

これを、>>1458『平常の心が其のまま「道」である』と説明されています。

さらに、>>1459『「構える心」は「対立の心」である』として、実相独在にこだわる心と、あらゆる立場を捨て去った心について説明されています。
立場を捨て去った心のことを、「これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。」とも説明されています。

これらの説明をふまえて、
>>1463『というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。』
『雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた、ということにはならないのではないかと、私は思います』
という復興G様のご指導につながるのだと思います。

要は、「当たり前の判断をして生活しなさい、それが実相を生きることですよ」ということですね。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら布団に入る。
盗人がウロウロしていれば鍵をかける。
それが禅の生活である。

思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。
そういうことなのではないでしょうか?

余談ですが、これは「総裁への中心帰一とは何か」にも通じるお話ですね。

私自身、自分でじっくりと解釈してみて、初めて理解できました。ユタカ様のおかげです。
ありがとうございました。
復興G様のご指導は素晴らしいですね。

1529志恩:2013/05/31(金) 06:07:03 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

>>1519 :ユタカ:2013/05/30(木) 21:32:35
目撃して、通報をしなかったら、志恩さんは責任を感じてもいいかも知れませんが、
その場合通報をしてあげるとまた運命が変わるのではないでしょうか?
思わず、雨が降ったら傘をさすって頭に浮かびました・・・ <<

それは大部前のことでした。忘れもしません
実際に私が体験したことなんです。
隣町にあるイトーヨーカ堂の2階の服売り場での出来事。
その日は、2階売り場は がら空きで 客が4、5人しか居なかった。

そのとき、私が店内を歩いて行くと、あるところで、どこかのおばさんが、
ご自分の大きな手提げ布袋に、
何着も服を詰め込んでいる現場を目撃しました。
それが、手慣れた感じで平気な顔してやってるの。きっと常習犯だったのかもしれません。

辺りを見回すと店員は、そこの位置から かなり離れたキャシュコーナーに
若い店員でしたが、2人居ました。
もちろん、私は、急いでそこへ行き「あのおばさんが…いま…」と、通報しました。

ところが、驚いたことに、その2人の店員は、私が通報したのにもかかわらず、
(その犯人のおばさんが、まだ2階の店内に居るにもかかわらず、)
聞かなかったふりをして、なにもしなかったのです。
そんな煩わしい事に、自分達は関わりたくない という感じでした。

私は、どちらかというと正義感の強い人間なものですから、
万引きの現場を目撃したことよりも、
店員が2人揃って、私の通報を 無視して聞かなかったことにした、
その信じられない態度の方が、一層 ショックを感じまして、
いまだに鮮明にそのときのことを覚えているのです。

いうまでもありませんが、私はたえず神様と共にあり、私は万引き、大嫌いな人間なので、
万引きは一度も したことはありません。

1530志恩:2013/05/31(金) 06:45:31 ID:.QY5jUA6
goro様

最近、お見えにならないので、どうしておられるかしら…と、
時折、思い出しておりました。

まあ!!goroさま、
昨日は、ご神像のところまで、わざわざいらして下さったのですね。
ありがとうございました。よく、いらして下さいました。
ご報告、心から感謝申し上げます。光明掲示板の方も閲覧させて頂きました。

goro様のコメント〜

>>本日(注:昨日になる)8時前に本部へ参り、最後の御神像を目に焼き付けようと
見て参りましたので報告しようと思い、出て参りました。

学ぶ会の方々でしょうか、40人ほどの人たちが8時前から聖経読誦されていました。
足場が組まれ、黄色の毛布らしきものに、御顔、光背、左腕、胸部と包まれました。
この間5時間くらいでしたが、残念ながら所用のため午後1時頃帰途につきました。
クレ−ン車に吊り下げられトラックに積み込まれる様子は「光明掲示板」に詳しく出ています。
本部に依る御神像動座の儀式は何もなく、イキナリ作業が始まって本当に痛ましい光景でした。<<

私は、本部のご神像は、昔、本部に奉職していたこともありますので、
特別に思い入れが深いので、脱力感でいまはなにも言いたくないのですけれど、
学ぶ会の方々ですか、40人も集まられて、聖経読誦されたということは、唯一の救いのような有り難い
気持ちにさせて頂いております。合掌

つづけて〜
>>復興G様のお説の通り全ての出来事は自分の心の顕れであるという事は正論でしょうが、
凄まじい「覚悟」と完全なる「一切者の自覚」が必要でありますから、簡単に言える言葉ではないような気がします。

 落語家「4代目 柳亭痴楽」の、
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、彼女の鼻が低いのも、み〜んな痴楽が悪いのよ」で、
笑い飛ばせるような気楽な話ではありませんので、口に出すことは恐ろしいです。」<<

そして、goro様は、 最近「シルバーバーチの霊言」を読んでいらっしゃるそうで、
内容 のご紹介もありがとうございます。

シルバーバーチの著書は、私もだいすきなので、読んでおりますが、
フレッシュな気持ちになれますね。

 goro様が引用されたシルバーバーチの言葉〜

 >>知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。
 知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。
 尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。
 最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

 わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。
 知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。
 そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上に
 もたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。<<

私へのあたたかなお言葉も感謝いたします。
ここへ出られれば,意見の食い違いで論議することもありますけれど、
懲りずに また、是非、書き込んで下さいませね。

1531ユタカ:2013/05/31(金) 06:54:03 ID:R1D4Jmeg
こんにちはさま、ありがとうございます、おはようございます。

ありがとうございます、長いため息が出て、ホーーーっと脱力して、大安心の心境になったのと同時にもっと真理を知りたいとも意欲もでました!!

私は今まで、実相は『善』と絶対の善と固定して考え、そこから離れずにいようと自力で力んでいました、神想観後など、実際自分の行動が神と一体になっているのかすごく不安があり、神想観の時は神の子、眼を開けたら神の子ではない自分もいるかも・・・の不安の世界でしたが、こんにちはさまの復興Gさまのご指導のご解説によって

そのままでいいのだ!!! と分かったら、今までの自分はなんだったのか?? 実相も捨てよ!!! でいいんだ!!! わぁ〜〜〜〜〜楽になったぁ〜〜〜!!! 有難うございます!!! と嬉しくなり、安心できたのでとても楽になりました!! 感謝、感謝、感激でありがとうございます。

復興Gさまの伝えたい大事なことが良く分かって、これから、安心して生活できそうです。

もう一度、原文とこんにちはさまのご解説をじっくり読んで、済度勉強します。

こんにちはさま、私は、とても安心できましたし、眼が開けた気分です。 本当にありがとうございました。

そして、深く深く先へ先へとお導き下さる復興Gさま、本当にありがとうございました。 トキ様のおかげです、本当にありがとうございます。

みなさま、本当にありがとうございます。。。 感謝、合掌 これからもよろしくおねがいします。

今日から、私は本当の神の子だ!!

1532志恩:2013/05/31(金) 07:13:15 ID:.QY5jUA6
ユタカ様がおっしゃるように、
私もこんにちわ様が,復興G様のご文章を分り易く解説して下さったので、
「そのままでいいのだ!」という事を,分らせて頂きまして、
心にやすらぎがひろがり、楽な気持ちになれました。

復興G様、こんにちわ様、ユタカ様、ありがとうございます。

1533神の子さん:2013/05/31(金) 09:34:29 ID:R1D4Jmeg
最近は、裁判のことで、皆様のご発言が活発になり、それで、公案のようなみんなで考えて意見をいうのもよさそうなご意見の文章を転載します。
みなさまで、今話し合うのにちょうど、良いような気がしますが、如何でしょうか??

>>本流対策室/5
1417 :髪の子:2013/05/31(金) 03:11:32 ID:mFi83bdA
Web誌友会板では、ユタカ様のご発言や皆さまのご発言に勉強させて貰ってありがとうございます。
Web誌友会板に続いて投稿すると、話がそれますので、こちらに以下投稿させてもらいます。

Web誌友会板で聖典を拝読させてもらいながら、一連の教団と社会事業団の裁判のことが、頭を横切りました。

社会事業団は、著作権料を支払われなかった為に、適切な手段で教団や教文社サイドに交渉してきました。このことは、対立ではなく調和の行動だと思います。

しかし教団サイドはその交渉に対し、満足な対処がなく、裁判となったわけです。

「実相完全円満だから争いはいけない」という言葉や、「和解だ」という感情に引っ掛かかり、調和なる裁判という手段を選ばなかったならば、対立感情剥き出し状態で、何一つ進展しなかったのではないでしょうか。
「実相独在だから、ただ祈っていればいいんだ。相手は自分の鏡だ」は、実相独在の言葉にとらわれ引っ掛かった、対立感情ではないでしょうか。

もちろん祈りも大切です。しかしそこに調和なる行動が伴わない祈りは、虚しいものと化します。

今回の社会事業団勝訴の結果は、現象において裁判という調和なる手段をとり、常に神の御心を観じ展開なされた結果でもあるな〜と思いました。

裁判=争い=対立と勘違いする方もいらっしゃるでしょうが、裁判=調和の手段であることを、復興G様の謹写のご文章の中に感じました。


と、あります。。  私、ユタカはそのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいてすっきりしていたのが、また、分からなくなりかけました。

皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか?? よろしければ、ご発言を自由になさってください。

ただし、私は初心者なので、みなさんのご意見をまとめる能力はありませんがよろしくおねがいいたします。

1534a hope:2013/05/31(金) 09:49:15 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

ものすごい勢いで真理のお勉強が続いていて、みなさまのご投稿内容の一つ一つがとても深い内容なので、
あまり焦らずに自分の中ですぐに答えを出してしまわないように、しっかり精読していこうと思っています。


今朝、まだベッドの中でウトウトしているときに、自分が中学生の時に歌った歌を思い出していました。
それは、「勇気ひとつを友にして」という歌で、それはギリシャ神話に出てくるイカロスという青年が、
閉じ込められた塔から脱出するために鳥の羽を蝋でつなぎ固め、脱出に成功するのですが、父親のアドバイスを忘れ(聞かず?)、
高く飛び過ぎてしまったため、結局は、墜落死してしまったという内容の神話を歌にしたものです。

http://www.youtube.com/watch?v=Mcb4lK8RGLs

最後の歌詞は「僕らは強く生きていく、勇気ひとつを友にして」で終わっていて、その愚かなイカロスの行為を讃えているようにも感じます。
ですが、わたしは、当時その歌を歌ったり聴いたりするたびに、とても切なくむなしい気持ちになっていました。

偽物の翼では本当に飛べたことにはならないのに、イカロスは自分が本当に飛べるようになったと錯覚したのだと思います。
だから、墜落してしまった。

もしかしたら「実相の悟りというのも、そういうものなのではないのかかな〜」なんて感じました。
谷口雅春先生は、「真にに実相独在を悟られていた」だから、何物にもこだわらず、神の御心と一つになることができたのではないか・・・。

そんなことを、ウトウトと考えていました。

引き続き、web誌友会の内容をお勉強していきます。
みなさまの、素晴らしい投稿内容に感動しています。

感謝 合掌

1535ユタカ:2013/05/31(金) 09:53:14 ID:R1D4Jmeg
1533はユタカです。

髪の子さん、勉強の材料になりそうなので、勝手にご文章を転載いたしましたがどうか、ご許可ください。

神様からの公案のような気がして・・・・

1536復興G:2013/05/31(金) 14:05:14 ID:AB6RqYXc

皆様

ありがとうございます。

私は昨夜は出かけておりまして、帰って来たらもう眠くなってどうしようもなく、寝てしまいました。

今日、PCを開いて見たら、何と素晴らしい!

ユタカ様の素直な真剣なご質問に、こんにちは様が誠心誠意、的確なお答えをしてくださっており、goro様、志恩様、神の子(髪の子)様などの活発なご投稿もあったりして充実した研鑽がなされていることに、とても感動しております。

ユタカ様、こんにちは様、皆々様、本当にありがとうございます。ただ感謝でいっぱいであります。

>>1516 :ユタカ様。

「自分が観世音菩薩である」ということから「蓮華日宝王地観」がひらめいたというのは、すばらしい!

私も、蓮華日宝王地観が大好きで、毎日もっぱらこの神想観をしていた時がありました。それを思い出して、今朝は「蓮華日宝王地観」の神想観をしました。

そして、「われ観世音菩薩」と念ずるときに、「われ」とは、肉体の自分はないのだから、この掲示板上に投稿してくださっている皆様はみな自分であると思い、皆様が観世音菩薩であり、皆様に大日輪の霊気が、大日輪の智慧が、愛が、生命が流れ入る、流れ入る……と念じさせて頂きました。

谷口雅春先生は『詳説神想観』で、次のようにご教示くださっています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     蓮華日宝王地観

 蓮華日宝王地(れんげにっぽうおうち)とは、これは「華厳経(けごんぎょう)」に書いてある言葉でありまして、釈尊の仰せられるには、この世界すなわち宇宙は蓮華蔵(れんげぞう)世界であって、内に蓮華の理念を蔵し、それが展開する世界だというのであります。

 蓮華の花を御覧になりますと、花弁があらゆる方角に展開し、その中心座に、ハチスといって蜂の「巣」のような子房(しぼう)があるのであります。これは中心座に巣(統、スの言葉――五十音を統一すればスの一音となる)があって、そこから現象のハナビラが八方に展開していることを象徴している。

 その中心になるスの世界は金剛(こんごう)の日の宝地(ほうち)であって、破壊し得ないという意味が「蓮華日宝王地」であります。これが実相の世界であります。
 その実相世界を観ずるのが「蓮華日宝王地観」であります。

 まず瞑目合掌して、「吾れ今五官の世界を去って、吾が身を観ずるに、吾が身はこのまま観世音菩薩なり、吾れ観世音菩薩、五蘊皆空(ごうんかいくう)と照見(しょうけん=智慧の光で照らして見る)す。」こういうふうに唱えて、そして、自分自身が観世音菩薩であって、その自分が深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみた)(=神想観)を行ずるつもりになり、

 五蘊皆空(五蘊――「蘊(うん)」というのは“かさなる”という意味の字。“波動”という意味もあります。五蘊というのは、この「波動」が重なって色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)のモヤモヤのかさなりができているのを言うのであります。「色」とは波によって現われている形象、つまり物質。「受」はこれを感受する五官、「想」は心の想い、「行」は意志によって行ずる働き、「識」はこれらの心の働きを統一する統一意識です。)――物質も心も、ありとあらゆるものが無いと観ずるのであります。

 それには「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見す、物質はない、物質はない、物質はない、肉体はない、肉体はない」と、心に繰返し唱えまして、その次には「心もない、心もない、心もない」とずーっと念ずるのです。そして、物質も肉体も心もなんにもなくなった実感を喚(よ)び起して、その次に虚空(こくう)中に「宇宙大の大日輪(だいにちりん)」が浮んでいる光景をじっと心に思い浮べるのです。
<つづく>

1537復興G:2013/05/31(金) 14:06:13 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 「宇宙大の大日輪」――日輪というのは太陽ですが、肉眼で見る太陽は現象でありますが、太陽の実相は虚空に満ちている「大生命体」であります。それを観ずるのであります。目の裡(うち)に、宇宙大の大日輪が充ち満ちておる光景を心に描き、その中央部に千葉(せんよう=千の花びら)の蓮(はちす)の花が浮んでおり、それが蓮華(れんげ)の台座となって、その上に観世音菩薩が坐っている光景を心に描いてじっと観ずるのであります。

 蓮華の台座の上に坐したまう観世音菩薩を心の眼に思い浮べて、そしてじっとそれをみつめまして、その観世音菩薩が、自分にじっと近接(ちかづ)いてきて、自分と一体になった感じを起すのです。そして我れ観世音菩薩なり、とこう観ずるわけであります。

 これを観ずる場合に、以上のような光景の観世音菩薩像を一間半ばかり距(はな)れた位置に掛けてそれを眼を半眼にひらいて見詰めながら精神統一に入り、やがて眼をとじてその観世音菩薩と一体になった感じを起されるのもよろしいのです。
 宇治市の生長の家練成道場の「祈りの間」には、有留弘泰(ありとめひろやす)氏の筆になる、大日輪中の蓮華の台座に坐したまう観世音菩薩像が掛けてありますが、あの前に正坐して、しばらくジッと観世音菩薩像を眺め、じっとみつめながら、その観世音菩薩は自分であって、自分自身が観世音菩薩であると観ずるのです。

 大日輪の霊気が自分に流れ入って、自分を生かしつつあるのであるとこう観じまして、静かに息を吸いながら「大日輪に生かされている、生かされている」と繰返して、

 「我れ大日輪の智慧なり、我れ大日輪の愛なり、我れ大日輪の生命なり、一切のもの我れに備わり、意(こころ)に従って集り来たり、用足りて自(おのず)から去る」と念ずるのであります。これは「般若心経」の観世音菩薩が深般若波羅蜜多の行法において、五蘊皆空と観ぜられたやり方を、近代化して、「蓮華日宝王地観」という神想観としてここに説明してあるのであります。

 次の如くお念じ下さい。

 『吾れ、今、五官の世界を去って、普(あまね)く吾が全身を観ずるに、この身このまま観世音菩薩なり。』

 こう念じて自分の全身が観世音菩薩であると観じます。

 自分を観世音菩薩と何故観じてもよいかと言うと、観世音は一定の形ある菩薩ではない。世の中の音を観じてその音の通りに現われ給う観自在の原理であり、その観自在の原理は各人におのおの豊かに備わっているからであります。

  『吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見し、一切の苦厄を度す。
  物質はない、物質はない、物質はない……
  肉体はない、肉体はない、肉体はない……
  心もない、心もない、心もない……』

 じっとこう何回でも繰返して五蘊上に浮ぶ迷妄世界をすべて否定し去ります。物質も、肉体も、心も、そしてかく観ずる心も、ことごとく空(くう)じ去った世界に入ってしまって、

 『虚空中に宇宙大の大日輪浮ぶ。光明遍照実相世界ここなり』

 と念じて、見渡すかぎり明るい大日輪が宇宙一杯に充満している有様を観じ、そしてその大日輪中に千葉(せんよう)の蓮華が開いて浮んでいる有様をじっと観じて、

 『ここ蓮華蔵世界なり』

 と念じてその蓮華の台座の上に観世音菩薩坐し給う有様を見詰めて、

 『この菩薩は自分自身なり』

 と観じ、静かなる呼吸と共に、

 『大日輪の智慧吾れに流れ入る、流れ入る……
  大日輪の愛吾れに流れ入る、流れ入る……
  大日輪の生命吾れに流れ入る、流れ入る……
  吾れ大日輪の智慧なり。吾れ大日輪の愛なり。吾れ大日輪の生命なり。
  一切のもの吾れに備わり、意(こころ)に随(したが)って集り来たり、用足りて自から去る』

 と繰返し念じつつ自分が観世音菩薩で大日輪中に浮んでおり、大日輪の智慧、愛、生命が自分に流れ入る様を観ずるのであります。
<つづく>

1538復興G:2013/05/31(金) 14:07:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
       ○

「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度す。
物質はない、物質はない、物質はない……
肉体はない、肉体はない、肉体はない……
心もない、心もない、心もない……」

 と念ずる意味について、谷口雅春先生は『真佛教の把握』というご著書の「『般若心経』講義」の中で、次のようにご教示くださっています。

 ≪五蘊皆空と照見すれば「一切の苦厄を度(ど)す」ことができるのです。一切即ちすべての苦しみや災難をみな度(たす)けることができるというわけであります。

 そんなことで何故救かるかというと、「物質がある」と思ったり「心がある」と思って居ったならば、我々はそれにひっかかって、一切の苦厄からまぬがれることが出来ないからであります。「物質はない、肉体はない」という大真理を直観の智慧によって照らして見た時に、はじめて、一切の苦しみ悩みというものが、根拠のない妄想の上に築かれたものに過ぎないということがわかって、それから解放され、救われると、こういうことになるのであります。≫

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、私は昨夜どこへ行っていたかというと、私の住んでいる地域の合唱団の練習に行っていたんです。

 そこで歌ってきた合唱曲の一つに、「ひとつの朝」というのがありました。この歌のことは、以前にも書いたことがあると思って調べてみましたら、ありました。昨年11月に、web誌友会板(1)の #1611〜に書いていました。

 大分前のことなので、もう一度その歌詞を貼付けさせていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     「ひ と つ の 朝」

            片岡 輝 作詞
            平吉 毅州 作曲

  今 目の前に ひとつの朝
  まぶしい光の 洪水に
  世界が 世界が しずまないうちに
  さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう
  あのノア達のように 旅立とう

  たとえば 涙に 別れること
  たとえば 勇気と 知り合うこと
  たとえば 愛を 語ること
  時には 孤独と 向き合うこと
  旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い

  今 目の前に ひとつの海
  逆巻く怒濤の 洪水に
  船が 船が くだけないうちに
  さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
  あの鳥達のように 飛び立とう

  はばたけ 明日(あした)へ まだ見ぬ 大地へ
  新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
  生きる喜びを 生きる喜びを
  広がる 自由を求めて
  広がる 自由を求めて

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

上記の歌の中に、「(ノアの)方舟(はこぶね)に乗って旅立とう」という詞が出てきますが、ノアの方舟のことは『生命の實相』第11巻万教帰一篇のp.117〜119に、次のように書かれています。

≪ノアの方舟(はこぶね)とは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」は空であり「A」は阿字であり大日如来の本体であります。諸法は空である。「空」であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真教えが「ノアの方舟」であります。すなわち「生長の家」の教えはちょうどこの「ノアの方舟」に当たるのであります。≫

と。
<つづく>

1539復興G:2013/05/31(金) 14:07:51 ID:AB6RqYXc

<つづき>
だから、

「さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう あのノアたちのように 旅立とう」

というのは、生長の家の説く大乗の真理の教えの船に乗って、大調和の世界へ旅立とう、ということなんだと思い、嬉しくなって、腹の底から湧き出る声で歌って来たのでありました。

「今、 目の前に ひとつの朝」 が来ている。

「物質はない。肉体はない。現象に引っかかって悩む心もない。ただあるのは神のみこころのみ。」

として、

  はばたけ 明日(あした)へ まだ見ぬ 大地へ
  ……
  広がる 自由を求めて
  広がる 自由を求めて!

その「自由」とは、時空を超えた真の自由、「神の子」の自由である。

「汝は真理を知らざるべからず。真理は汝に自由を得さすべし」

とイエスが言った自由。

「縛られていても自由自在」と「智慧の言葉」にある自由。

円融無礙(えんゆうむげ)、雨が降ったら傘を縕(さ)す。「剣」にとらわれず、「坐禅」にとらわれず、ありとあらゆる「全体一つ」のなかから最も適当なものを自由自在に選び出して来て、それを使う自由。

「妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができる」
 (真理の吟唱「天地一切と和解する祈り」)

広がる自由を求め、真の自由を駆使して、

新しい大地へ、
はばたけ 明日(あした)へ!

ありがとうございます。

1540復興G:2013/05/31(金) 14:33:58 ID:AB6RqYXc

>>1533>>1535 :ユタカ様。

ありがとうございます。

また、時宜に適った、よき問題提起をしてくださって、本当にありがとうございます。

私の>>1536>>1539 投稿は、ユタカさんの上記問題提起文を見ないで書いていました。

これからじっくり拝読して、お答えしたいと思います。

まだ昼食も食べていないので、しばらくお時間をください。

1541復興G:2013/05/31(金) 14:51:07 ID:AB6RqYXc

>>1534 :a hope 様

イカロスの歌、まるで私のために歌われているようですね。

(YouTube 見ました(聴きました))

1542復興G:2013/05/31(金) 16:27:51 ID:AB6RqYXc

>>1533>>1535 :ユタカ様。

ありがとうございます。

>>私、ユタカはそのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいてすっきりしていたのが、また、分からなくなりかけました。 皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか??<<

よい質問を出して下さいましたね。

私がお答えするよりも、まずは広く皆様のお考えをお聞きする方がよろしいかと思いますが、ちょっとユタカ様に質問します。

「そのままでいい!!とこんにちは様から先ほど教えていただいて……」

というのは、>>1490でこんにちは様が

>>思うに、谷口雅春先生は、現象上のアレコレにとらわれていなかったのでしょうね。だから、思いっきり日本の危機を叫ぶことができたんだと思います。どんなに悪と対峙しているように見えようとも、実相は円満完全である。そして、現象はない。それがハッキリ分かっていらっしゃったから、「日本の悪と対峙するのは迷いではないか?」というツマラヌこだわりから解放されていたのでしょうね。
今の私は、実相を悟ったがゆえの自由さを、伸びやかさを、政治運動する谷口雅春先生から感じます。<<

と書かれたところを、ユタカ様は
>> そのままでいい!! とこんにちは様から教えていただいた <<

と受けとられたのでしょうと思いましたが、それで間違いないでしょうか? ユタカ様。

1543ユタカ:2013/05/31(金) 16:43:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま おかえりなさい。 みなさんにいろいろ教えていただいていました。

私のそのままでいいとわかったのは1490にもつうじるのですね。。。よく分かりました。
あと、分からないのは、総裁の中心帰一に通じるとあったことです。 どうして総裁への中心帰一に通じるのでしょうか?
もしかして、、、ユタカは分かっていないのかも・・・・ と思いました。下記に、こんにちはさまから教えていただいた『そのままでよい』の内容はここだ!!と思ったところを貼り付けます。

>つまり、構える心がなくなる。
『「善」という立場すらも捨てて、「そのまま」になる』ということでしょう。
実相という立場をも捨てよ、と。

谷口雅春先生は、
『「そのまま」は、もう善悪の立場を超えて、絶対と「一つ」になっているのであります。』とおっしゃいます。
本当に実相独在に立てば、実相と自分が完全にひとつだから、もはや実相はどこにもない。
自分のそのままの生活が、何でもない暮らしが、そのまま実相なのであります。
「これが実相、これが実相」と握り締めることが無くなり、自然体になる、ということでしょう。

これを、>>1458『平常の心が其のまま「道」である』と説明されています。

さらに、>>1459『「構える心」は「対立の心」である』として、実相独在にこだわる心と、あらゆる立場を捨て去った心について説明されています。
立場を捨て去った心のことを、「これを円融無礙(えんゆうむげ)と云います。」とも説明されています。

これらの説明をふまえて、
>>1463『というわけで、「雨が降ったら傘を縕(さ)す」ように、闘争精神がある中で平和を得るには、「力のバランス」という傘をさす。』
『雅春先生は、現象の悪を認め、「生長の家の教え」から外れることをされた、ということにはならないのではないかと、私は思います』
という復興G様のご指導につながるのだと思います。

要は、「当たり前の判断をして生活しなさい、それが実相を生きることですよ」ということですね。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら布団に入る。
盗人がウロウロしていれば鍵をかける。
それが禅の生活である。

思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。

なので>>1542のそのままでよい と分かったと 復興G様に言われて今理解しました。(ジャンジャン)はい、眼覚めました!という心境です。

1544ユタカ:2013/05/31(金) 16:46:17 ID:R1D4Jmeg
総裁への中心帰一は全く分かりません。

そのままでいわれたことを受けて実行せよ。ということですか???

1545ユタカ:2013/05/31(金) 16:56:10 ID:R1D4Jmeg
遅くなりましたが、復興G様、観世音菩薩様の御解説を有難うございました。

夜中にゆっくり読ませていただきます、詳説なところがうれしいです。ありがとうございました。

1546髪の子:2013/05/31(金) 17:14:07 ID:tfaOOElA
>>1535ユタカ様
お気になさらないで下さい。転載くださりありがとうございます。私の投稿により、皆様の学びが深まるならば、嬉しく思います。
皆様のおかげで、大変勉強になっております。
いま時間ございませんから、また参ります。

1547ユタカ:2013/05/31(金) 17:57:06 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

復興Gさまは沢庵和尚のお話が(つづき)となっていたので、まだ、伝えたいことあるのではないかと思いますので、そのようでしたらお願いいたします。
そのままのこころ のつづきで 髪の子さまの解説も兼ねるのでは?と想像いたしました。

あ、それから、復興Gさまがお帰りになったので そのままがわかった! というのは、復興Gさまの掲載の文の内容が少しだけ分かった!に訂正いたします。全部分かっていないことに分かったからです。。。

1548ユタカ:2013/05/31(金) 18:12:22 ID:R1D4Jmeg
髪の子さま

お許しをありがとうございます。ここでは真理の勉強が出来てありがたいです。

髪の子さんのご発言、おもしろいですねーー。髪の子さんの「そのままの心」と谷口雅春先生の「そのままのこころ」と一致するのかな?どうかな?と思って転載してみて、みんなで話ができたらおもしろいかなと思いました。

1549ユタカ:2013/05/31(金) 18:14:42 ID:R1D4Jmeg
トキ様。

トキ様の大事なWEB板をユタカがかき混ぜてすみません。。グチャグチャだから、復興G様の言葉を保存したかったのですよね、すみません。。。。

1550トキ:2013/05/31(金) 18:49:54 ID:2/B5w8I6
>>1549

ユタカ様

 いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 いえいえ、ここは信徒みんなの場所ですから、気にされないで下さい。神様も御照覧でしょう。
トキは単なる管理人に過ぎませんし、どんどんご利用下さい。

 それよりも、信仰の根幹にかかわる貴重なご投稿をして下さり、
心から感謝申し上げます。復興G様もおよろこびのご様子ですし、その調子で頑張って下さい。
 
 応援しています。

合掌 ありがとうございます

1551復興G:2013/05/31(金) 20:26:50 ID:AB6RqYXc

ユタカ様

質問を発しておいて、しばらくパソコンから離れ、別の仕事に没頭していました。ごめんなさい。

ユタカさんが
>>こんにちはさまから教えていただいた『そのままでよい』の内容はここだ!!と思ったところ<<

は、>>1528だったのですね。

わかりました。

出所の番号を教えて頂ければ、ああ、そうだったかとすぐにわかります。

「本当に実相独在に立てば……」と こんには 様がおっしゃるのは、
「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ」

だから「そのままでよい」ということになるのかなと、私は受けとっていました。

ところで、その >>1528の後の方に、

>>余談ですが、これは「総裁への中心帰一とは何か」にも通じるお話ですね。
私自身、自分でじっくりと解釈してみて、初めて理解できました。<<

と、こんにちは 様は書かれている。ユタカさんは、ここが

>>全く分かりません。<< ( >>1544

なのですね。

こんにちは 様がそう思われたのはなぜか、くわしい経緯は私にもよくわかりませんが、ただ私は、一般的に、上記のように

「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ。」

というところに立って行動すればよいので、必ずしも
「総裁には無条件にハイと中心歸一しなければならない」
と縛られるようなことではない。

かと言って、「そのままの心」は、すべてを本来神として拝む心だと思いますから、
「雅宣総裁は大悪人である」などとと決めつけて、融通がきかなくなってしまうことでもない。

まさに、「そのままの心」は「そのままの心」で、自由自在な自発の心である、と私は思っています。

こんにちは 様が、

>>思うに、感謝も、愛も、礼拝も、無限力も、生かし合いも、健康も、人間の当たり前の姿の一面相です。
しかし、一面相にこだわると、それはもう実相じゃない。
実相は、どんな姿も立場も超えて自由自在である。
それは当たり前を生きることである。
そういうことなのではないでしょうか?<<

>>1528でおっしゃっている通りですね。

いかがでしょうか。
ありがとうございます。

1552志恩:2013/05/31(金) 20:55:26 ID:.QY5jUA6
復興Gさま、いつもご指導を有り難く存じております。

そのままについてですけれど、
私は、実相は、大悪人ではなくても、やることが、大悪人の行為をした場合は、
その行為について、「悪いことをしましたね」と素直にいうことが、そのままの心を生きる
ことだと思います。

ahope様が、谷口雅春先生著「人生読本」の謹写をして下さってますが、

本日、私、「人生読本」を繰っていましたら77頁~78頁にかけて

「気取るな、そのままが一番よい」

という題のご文章が載っていました。以下,ご紹介させて頂きます。
---------------------------------------------------
【 気どるな、そのままが一番よい】

「無邪気といったら、どんなことだといいますと、気どらぬことです。

自分の そのまま を出すことです。

写真によく映りたいと思って固くなると、変な顔に映るでしょう。

知らぬ間にパッと写されると、かえって柔らかい優しい顔に映っているでしょう。

あの固くなるのが、素直でないのです。固くならない そのままが、無邪気でで素直なのです。

人間は「神の子」ですから、そのまま が一等よいのです。

無邪気で素直であれば、目の色から顔のかたち、動作、技芸、ものおぼえまでよくなるのです。

 そのままを、なんのこだわりもなく出すとき、

われわれの「内にある最も佳(よ)きもの」が、すらすら出るのです。

皆さん、そのままになりましょうね。

素直になりましょうね。

こだわりの無い心になりましょうね。

-----------------------------------------------------------

1555神の子さん:2013/05/31(金) 21:03:06 ID:???
山ちゃん1952様ブログより

2013年05月30日

自覚と決意がないものは言えない。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫

この言葉は大変重い言葉です。そう軽々と人に諭すように言う言葉ではありません。

余程の自覚ができない限り難しいです。

こういうことを「大見得切って」いう人がいますが、それならばそれを貴方はどのようにして自覚し、行動されていますか?

そういうふうに返答された場合、答えられますか?

一切責任は我にアリなどというが、そういうこと言う人ほど「何もしない人」が多い。

それは実行が伴わないからである。私など自慢じゃないが、物欲あり、食欲あり、欲の塊である。そんな人が言っても、誰も信用してもらえない。(笑)

「嗚呼、こんな日本になって、申し訳ない」と自覚しているが、何も行動も伴わない。なにもしない。それならば、誰も思うことが出来ます。

そういうのは一切が自分の責任だと自覚できていない証拠であります。

「谷口雅宣」先生がこうなったのも「私の責任」だ。なんて「ちゃんちゃら」可笑しい。

それならば、「生長の家」の正常化まで親身を投げ出して、たとえ生長の家を辞任しても、学ぶ会に入信して、その間違いに生涯をかけられますか?

そんなこと出来ないで、常に自分を安定した椅子に座り、「私も一度は言った」んだが。

たった一度のことを鼻にかけてしゃべっているに過ぎないのです。それで「私の責任」などとよく言えたものである。

そんな「軽い」一切は我の責任などと言えない。

≪衆生の中には「自分自身」も含まれていまして、自分の前にあらわれる人々の姿を自分の心の姿だと観ずると自分が済度されるのであります。≫とは

覚悟というのが必要なのであります。

そうした覚悟のない済度は佛も応えてもらえないです。それほどに強い自覚が必要であります。

1556復興G:2013/05/31(金) 21:03:36 ID:AB6RqYXc

>>1551の追伸です。

私は、
「総裁が変わらなければ幸せになれない」

と思い込むのは、総裁の奴隷になることだと思います。

テキスト『生命の實相』第3巻第4章94頁に

≪ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

とありますが、この「経済組織」というのを「生長の家の教団組織」と置き換えても同じことではないかと思いますが、いかがでしょうか。

≪心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります≫
(同書94〜95頁)

とも書かれています。

今こそ正念場であります。

「正念場」とは、
≪神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。≫
 (同上書76頁)

≪“正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。≫
 (『真佛教の把握』50頁)

――こういう谷口雅春先生の御教えを真剣に学び、生活に実行するのが、本当に「谷口雅春先生を学ぶ」ということではないでしょうか。

ありがとうございます。

1557ユタカ:2013/05/31(金) 21:08:25 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

まだ、ゆっくり読めていませんが、こんにちはさまの出所は>>1527 >>1528です。

また、のちほど・・・

1558神の子さん:2013/05/31(金) 21:24:10 ID:???
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。
ていうか、
総裁は、変わらないと思いますので、
復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、
本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。
いつも、ありがとうございます。
================================
以下、
ひとりごと板にWEB誌友会板関係の書き込みがございましたので、転載させて頂きます。

【ひとりごと板】

3679 :rei:2013/05/30(木) 07:56:52

トキさま
おはようございます。

悲しみと喜びが一気に押し寄せて複雑な今日この頃です。
裁判結果、予期していても、信徒にとってこれほど悲しいことはありませんね。
ネットに流れていたことが本当だったのだと、確認出来てしまう一日でした。

web誌友会の可能性の素晴らしさは特筆すべきではありませんか?
講師も自宅にいらっしゃるので自分の書庫から好きな本を引っ張り出して来て
自由自在に誰の制約も受けずに講義出来る。
人目を気にせずに質問も出来る。
全国の知恵、情報が集まって来て、真面目に答えて下さる方がおられる。

独立してもいいのでは、と思えるほど素晴らしいです。
掲示板を運営して下さってるトキさまに心から感謝しております。

合掌
==============================

3683 :トキ:2013/05/31(金) 21:08:20
>>3679

rei様

 今は大変ですが、これで良くなるしかないと本気で思っています。

 私も在籍年数は長いですが、活動をしている私自身、教団の運営のあり方には疑問を感じる事が
多々ありました。これは、今の総裁が就任する前からそうでした。

 が、一度、こういう事があったら、みんな、本気で反省をすると思います。

 ミクロの視点では、こういう騒動は恥ずかしい事ですが、マクロの視点では、良い事だと
思っています。

合掌 ありがとうございます

1559トキ:2013/05/31(金) 21:25:09 ID:2/B5w8I6
>>1555

 どうも山ちゃん1952様の御文章は私はよく趣旨が理解ができないのですが、あえて、私見を申しあげます。

 吉田松陰先生は、松下村塾を開き、29歳で亡くなるまで後進のご指導に当たられました。吉田先生のお考えは
当時の幕府からしたら大変な危険思想ですが、先生御自身は温厚で、親切丁寧に若い人達の指導に当たられたよう
です。(まあ、このあたりは、山ちゃん1952様の得意分野ですが)

 吉田先生は、倒幕の計画は立てられましたが、実行の以前に捕らえられ未遂に終わっています。ですから、実行
という面では結果は遺されませんでした。それよりも、多数の若い人を指導され、その薫陶を受けた若者が後年、
明治維新をなした事を考えると、松下村塾でのご指導こそが、吉田松陰先生の最大の功績かと思います。

 一部の人達が総裁の打倒を唱えたり、裁判をする事については、私はコメントを避けますが、こういう混迷の
時期に、復興G様などの先達の方々が、正しい谷口雅春先生の教えを吾々後輩にご指導をされることは、私は
松下村塾でのご指導に匹敵する偉大なご功績であると、考えております。

 以上はトキの感想です。

合掌 ありがとうございます

1560志恩:2013/05/31(金) 21:28:12 ID:.QY5jUA6
1558:志恩です。

1561志恩:2013/05/31(金) 21:41:07 ID:.QY5jUA6
トキ様

教えていただきながら、
人それぞれの考え方が、ございますから、意見を発表し合って、
また、それにご意見や反論がありましたら、発表し合うので、
切磋琢磨して、魂の進化が得られるのだと存じます。

私は、未熟者ですので、わからないことや、そうとは思えないことは、
復興G様やトキ様の胸をお借りして、正直に書き込ませて頂いております。

不愉快に思われた場合は、遠慮なくお叱りください。

1562復興G:2013/05/31(金) 22:33:32 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今回ユタカ様の提唱で自主勉強会をされたテキストの終わりの方を、もう一度おさらいしましょう。

≪……世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。

神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。

我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。

心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

  (『生命の實相』第3巻 94頁より)

ありがとうございます。

1563トキ:2013/05/31(金) 22:35:40 ID:2/B5w8I6
復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございます。

この誌友会は多くの信徒さんにとって、貴重な学びの場です。
個人としても、信徒の一人としても、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1564トキ:2013/05/31(金) 22:36:22 ID:2/B5w8I6
志恩 様

 私もまだまだ未熟です。だから、素晴らしいと勝手に思っています。
こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1565復興G:2013/05/31(金) 23:03:47 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

トキ様が、組織板<1477>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1477

に書かれた「生長の家教団の理事、参議の先生方へ」という訴えのご文章に、

心からの賛意を表します。

ありがとうございます。

1566志恩:2013/05/31(金) 23:32:17 ID:.QY5jUA6
トキ様

私も復興G様のご指導に感謝致しております。

復興G様 謹写〜
>>神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。
我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、
多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。
心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。≫

  (『生命の實相』第3巻 94頁より)<<

この謹写につきましてのことですが、
これは、教団も、本流も、…われわれも、この精神で、、ということだと存じます。

しかし、もしも、これが、
我欲や見当違いで、、ということが、本流のみを批判されるものでありましたら、
それは、それこそ、見当違いだと、私は思います。

1567期待!!:2013/05/31(金) 23:39:03 ID:kMrMC83s
ホームページ作成
有り難うございました。
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1568志恩:2013/05/31(金) 23:42:26 ID:.QY5jUA6
トキ様の組織板>>1477:のご文章、拝見しました。
大変すばらしいご文章だと、私も賛同させて頂きました。

1569こんにちは:2013/06/01(土) 00:07:07 ID:ZOvWhJ3.
ユタカ様

お返事が遅くなり申し訳ありません。

総裁への中心帰一に通じるという私の発言の主旨は、復興G様のおっしゃる通りです。
昨今、中心帰一に対する硬直した発言が見受けられますので、自由自在なる心からの発露が本当の中心帰一であると申し上げたかったのです。

なお、谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、究極的なお話であると思います。
ですから、ある意味では簡単なことではないかもしれません。
しかし、真理を研鑽する中で無限に生長しつつあることを素直によろこぶ心は「そのまま」であると思います。

1572こんにちは:2013/06/01(土) 00:35:14 ID:ZOvWhJ3.
>>1534 a hope様

イカロスの歌、聴かせていただきました。
私なりの解釈で申し上げれば、沢庵禅師のような態度こそがイカロスであると思います。
生活化しない生悟り(=ニセの翼)で舞い上がったが、ずぶ濡れになってしまったということです。

谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、ある意味ではとても遠い彼方にあるように思えます。
しかし、実相の分からない者が素直に「分かりません」と言うこともまた、「そのまま」「当たり前」であると思うんです。
実相を生きることは、ある意味では遠い彼方にありますが、ある意味ではすぐそばにあるとも言えるのではないでしょうか?

私は、谷口雅春先生のお話を解釈しながら、「自分の偽らざる本心こそが実相なんだな」と思いました。
一見、実相のように見えなくても、本当は実相からの発露であるというか、そんな感じです。
あまり頓着せずに、自分の思う道を思いっきり生きるのがいいんじゃないかなあ、と。

でも、これは私の個人的意見です。
谷口雅春先生なら、どうおっしゃるのかなあ?

1573ユタカ:2013/06/01(土) 07:40:40 ID:R1D4Jmeg
みなさま、ありがとうございます。

ゆっくり考えながら読ませていただきます。 しばし沈黙します・・・

1574a hope:2013/06/01(土) 07:57:56 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

みなさまのペースに、だいぶ遅れてついて行っている a hopeですから、話がずれていたり、
すでにご指導してくださっている内容だったら、ごめんなさい。

>>153で3ユタカさまが、
<<皆さんは、『そのままでいい』をどのように考えますか??>>
と質問してくださっています。
自分なりに考えてみました。


(『そのままのでいい』 a hopeの見解)

実相は完全円満で傷つくことはないのだから、現象生活では自分の思うままに、何を言っても何をしてもいいというのは、
「我の心」であって、「そのままの心」ではなく、『そのままでいい』ということにはならないように思います。
『そのままでいい』というのは、『神の心のままでいい』ということなのだと思うのです。


神の子として神の御心に近づこうとする心、神の子の自覚を悟ろうとする誰もが本来持っている信仰心(向上心)ではないかと思います。

神の心=大和精神=愛

生長の家の「愛」は「自他一体の自覚」であるとここで教わりました。
目の前に現れた相手の姿は、自分の心を映した観世音菩薩さまであると思って、礼拝しそこから学ぼうとする心。

そんな心かな〜なんて思います。

わたしは、相手を「神の子」として尊重する気持ち(思いやりの心)が少しもないまま、
自分の我の心を出して何かを言ったり行動したりすることが、『そのままでいい』ということにはならないと思います。


志恩さまが、>>1410で、
<<われわれは、実相を表現する舞台として、この現象世界を与えられております。
だから、現象世界は、表現の場なのです。>>
と、ご指導してくださっています。

わたしも、まさにこの現象世界は、「神の心」を表現させるために、御親である神さまが、
わたしたち神の子に与えて下さった「最高の舞台」なんだと思います。


『そのままでいい』=『神の心のままでいい』ということになると思います。

わたしたち生長の家信徒は、その心に近づくために、聖典・聖経を拝読したり、神想観をしたり、愛行をするのだと思っていましたが、
違うのでしょうか?

1575a hope:2013/06/01(土) 07:58:48 ID:edEDolt2
>>1572こんにちはさま

ご指導ありがとうございます。
<<沢庵禅師のような態度こそがイカロスであると思います。>>
わたしも、「イカロスの翼」のことは、沢庵禅師のことを考えていて浮かんできました。

<<谷口雅春先生のおっしゃる「そのまま」「当たり前」は、ある意味ではとても遠い彼方にあるように思えます。
しかし、実相の分からない者が素直に「分かりません」と言うこともまた、「そのまま」「当たり前」であると思うんです。>>

わたしは、困ったことに、この性格上、「分かりません」のままで済ませられないのです(笑)

でも、すべての答えは、聖典「生命の實相」に書いてあると確信しています。
それに、このトキ掲示板で、復興Gさまや始め、トキさま、こんにちはさまなどの大先輩からご指導が受けられるのですから、
今は大安心の心境です。
わたしは、本当に幸せです。

みなさま、ありがとうございます。 合掌。

1576髪の子:2013/06/01(土) 08:16:40 ID:0ZjosHJM

皆様ありがとうございます。
皆様の意見を聞かせてもらいながら、大変勉強になります。
感想を述べさせてもらいます。

生長の家は「ねばならない」をとく教えだと言われます。
確か、雅春先生はどこかのご著書で、真理にさえもひっかかるなというお言葉を拝見した記憶ございます。

「ねばならない」は「生きるぞ」と力み込んでいるように思います。
「ねばならない」の気持ちから解放される時「生かされている」の心境に思います。しかし雅春先生は「真理」としてお説き下さったときには、ねばならないの表現はあった気もします。

「宇宙の大生命の生きる力に任せて生かされよう…。朝が来たらご飯を食べよう。人前でおならをしたら、謝ろう。人間死なしというけど、やはり亡くなってその人に会えないのは寂しいよ」など、そういう自然に発する思いや、自らの行動も、そのままの心なのかな…。
もし、そこで間違いというか、秩序に反する事があれば、必ず修正の機会が来るようにも思います。


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