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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1トキ:2012/07/05(木) 10:52:30 ID:laCLyE9I
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため
に作成したスレッドです。
 生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。また
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管理人「トキ」 敬白

2さくら:2012/07/06(金) 00:07:12 ID:uSGRBL7.
いま見て気がつきましたが、
「生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3」
貴重な2000をさくらのどうでも良い書き込みが踏みまして、
すみません。

そして、このNO.4の、貴重な2を踏んでしまいまして、
どうも、申し訳ありません。

3Kジロウ:2012/07/06(金) 00:13:51 ID:VJun9unU
スターダスト様

生長の家(宗教)における
エーテル体は

肉体、零体があって、エーテル体があるという事だったと思います!


物理学に
光の媒体物質のエーテル体なら、初心者様が解説されている様に今の物理学では否定されてます!

4スターダスト:2012/07/06(金) 05:59:55 ID:uuNh/pjs

>>3 :Kジロウ:2012/07/06(金) 00:13:51 ID:VJun9unU

**********************************************
 さて順序として、この霊妙不可見なエーテルという存在について科学
者が最近の研究により結論をくだしたところを平易に紹介することにい
たします。第一、エーテルは絶対不可分に少しの間隙もなしに続いてい
るのであります。これをエーテルの連続性と申しまして物質には見られ
ない性質であります。
『生命の実相第一巻より』
**********************************************

光は光子としての性質と波形としての性質を持っていますが、波形は振
動する媒体が無ければ発生しないと思うのですが、それが宇宙に充満し
ているヒッグ粒子のことではないですか?
当時はヒッグ粒子が発見されていないのでエーテルといっていたのでは
ないですか?

5スターダスト:2012/07/06(金) 06:20:29 ID:uuNh/pjs
>>4の訂正
ヒッグ粒子→ヒッグス粒子

6トキ:2012/07/06(金) 09:42:01 ID:4E5gFaLo
ポスティング ジョイにこんな投稿がありました。
この投稿、どうなるのでしょうねえ。



「新編 生命の實相」を手にして思うこと

登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記 登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?
0

http://postingjoy.com/users/75110612171920/diary/show/106143

7トキ:2012/07/06(金) 09:56:03 ID:4E5gFaLo
 誰もお詫びをアワダさんに言わないみたいなので、ヒラ会員のトキが、生長の家教団の偉い人と学ぶ会の偉い人の
代わりにお詫びします。

 「申し訳ありません。私達の努力が足りないため、和解に至って居ません。」

 靖国見真会参加者様や山ちゃん1952様から、お叱りを受けていますが、懲りずに和解に精進いたします。

 ちなみに、和解=総裁援護ではありません。本流掲示板の皆様、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

9さくら:2012/07/06(金) 10:01:03 ID:uSGRBL7.
>>1964
Kジロウさま

まえに、「利己的な遺伝子」のこと、書いておられたのは、
Kジロウさまだったでしょうか・。

生物の生態で、一見いわゆる「利他的行為」に見える行為がありますが、この「利己的な遺伝子」的な視点で見てしまえば、
種の保存、という、結局は、「利己的目的」に説明できる、というようなことにもなってしまいますね、
Kジロウさまが書かれていた、ネズミの「自殺」の現象も、種の保存のプログラムなのかも知れません。
でも、この「種の保存」の進化の過程も、わたしには面白く感じられます。
「種の存続」のために、したたかにニッチを求めて進化する生物の遺伝子に組み込まれた生命力なども、やっぱりわたしは感動してしまいます。
あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。

といっても、人間の場合の利他行動には、遺伝子プログラム以上のものが存在しますから、
こういう分野は、宗教や哲学ですかね。
村上和雄先生が仰っている、人間の思考に影響を受けるという、遺伝子のON、OFFのシステムについても、科学的な解明がもっとなされたら、面白いですけど。

>人間の場合は、先進国では、長寿で安定しているので基本は『少子化』(産んでも2人ちょい)となってますが、
個体で考えると、栄養失調ぎみになると、攻撃性、性欲が増す様です!
かつて、アメリカで大停電が起きる等、不安要素があると、生理周期を無視した形で卵子の排卵する事もあるそうです!
最近だと、アメリカのテロ9・11事件の直後に結婚が増えました!


こうした現象は、遺伝子の複雑な計算式のプログラムの関係というより、ホルモンバランスや、心理学の方に、関係がありそうですね。

10さくら:2012/07/06(金) 10:02:05 ID:uSGRBL7.
>>1965>>1968
初心者さま

>イメージ的に考えて、質量とは「動くまいとする力」であるということがいえ
ませんかね?質量のあるものは、たしかに動きたがらないですよね。質量とは
動くまいとする力である。

ヒッグス粒子の説明をちょっとだけ聞いて、質量の正体は、初心者さまが書かれているように、動かなくさせられた状態のようですね。その「動かすまいとさせる働き」をするのが、ヒッグス粒子みたいです。ヒッグス粒子に反応する素粒子が、質量を持つということなのでしょうか。
ヒッグス粒子の正体がわかったことで、いままで理論でしか証明不可能だった物質の様々な法則が明らかになるのですか。
500年たっても証明されるかどうかわからないといわれてた超弦理論、(これが、超ひも理論のことですね?)の証明には、なにか前進するものがあるんですかね、?
そうだとしたら物理学者にとっては、悲願の実証だということですね。

・・物理学の基礎知識もないわたしにはまったくその意義がわかりませんが、
やっぱり、ただ単に、驚きたいのです、笑。

>脳や自然が高度な計算を瞬時におこなっているというのは、にわかには信じられ
ないことでしょうけども、脳も自然も宇宙ホログラムであることを考えれば、これ
も考えられないことではありませんね。脳や自然に高速計算力があるとすれば、
それは「本物の宇宙力」であると考えます。

初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。

>それとトキ様は、「ビッグバンがはじまって宇宙は収縮する」と語っておられますが、
ダークエネルギーの増大は宇宙定数の値を増大させますので、予想されるのは、
ビッグクラッシュではなくビッグリップ、つまりは陽子までもが、ダークエネルギー
によって生じた斥力によってバラバラに分解され、銀河はもとより、あらゆる
原子が、素粒子にまで分離されて、宇宙は無限の拡散をつづけることになる、
というシナリオですね。

先日書いた、東京大学国際高等研究所の村山斉教授も、いままで収縮していくと考えられていた宇宙の、ビッグリップ現象を、「天動説から地動説に変わって以来の大変革期に来ている」いうくらい、予想していた宇宙観を変えることだったと言っていたようでした。
そして、結局、何もわかっていなかったということがわかったということです。

たしかに、物理的な探求というのは、限界があり、これによって、どこにたどり着くかなんて、もしかしたら、霊的真相からみたら、たかが知れているのかも知れません。
それでも、こうした科学や物理の探究に於いても、人間が「叡智」の片鱗をみることは、無駄なことではないとわたしはかんじています。

11さくら:2012/07/06(金) 10:02:38 ID:uSGRBL7.
初心者さま

>信仰と科学の立ち位置については、まだ宿題だと思います。

トキ様がそう書いていただいて、安心しました。
物理や科学的な真理を探究する好奇心が、信仰心と矛盾して脅かすとは、
わたしは考えてはいないし、むしろ、真摯に歩み寄る姿勢も大切だと思っていたので、
宗教的には科学からの探求は危険だとトキ様が例に出していたのなら、こういう好奇心は迷惑かなとおもったので・。

>ミンデルは、「数式は変性意識状態である」といっていますね。数式をながめる
ときの科学者は、覚醒した変性意識状態にあり、常人ではとても見ることのでき
ないヴィジョンを見ているということですね。
ただ科学者には、そうしたヴィジョンを反証可能な形で語らなければならないと
いう制約が課せられていますね。宗教的ヴィジョンとの違いは、案外この程度で
あるのかもしれません。
したがって、ふつうの人々が科学的成果の説明を受けたときに、そこで語られて
いること以上のヴィジョンをふたたび覚醒させることは可能であり、それは各人
の自由な判断にまかせられているといえますね。

抽象概念というのは、頭脳知だけのように思われがちですけれど、
純化された思考は、リアリティがあるようですね。
数式などは、純粋思考の最たるものといえるかもしれないですね。
ある地球物理学者が、ビックバンを証明する数式をといて、わたしはビックバンをこの目で見て恐ろしかった・・と言ったというのを読みましたが、これは、ちょっと、素人には理解できないのですが・・
抽象概念のリアリティとは、バカに出来ないどころか、実現化にとって、やっぱり欠かせない能力だということは、わたしはおもっています。

>この宇宙に存在するすべての電子の電荷と質量はおなじだと考えられている
ようです。このことから、ノーベル物理学者ファインマンは、「電子は1個しかない」
と、ついに禁句を口走ってしまいました。言ったあとで、きっと「しまった!」と後悔
したことでしょう。でも言いたくて仕方がなかったんですね。

これは先ほどもいったように、物理学の基礎もないわたしなので、
なんのことだか、わかりません。
電子の電荷と質量が同じだと、なぜ、電子は一個しか存在しないといえるのでしょうか。
そして、電子が一つしか存在しないことの意味ってなんでしょうか。
同時に一つのものしか、ぞんざいしない。というのは、概念的には、哲学的で、宗教的真理に繋がることのようにも思えますが・・
物理的な真理においては、どんなことをしめしているのでしょう。

12さくら:2012/07/06(金) 10:19:11 ID:uSGRBL7.
注)
上記
>>1964Kジロウさま
>>1965>>1968初心者さま

これは、生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/3においての
ものです。

13初心者:2012/07/06(金) 10:40:13 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

「電子の電荷と質量がおなじ」というのは、電荷イコール質量というのではなく、
どの電子をとってみても、その電荷はおなじであり、どの電子もおなじ重さで
あると考えられている、ということですね。

考えてみればですよ、宇宙には数えきれない電子があるわけですから、たとえば
質量にしても、ある程度のバラつきはあってもよいはずですね。重いのもあれば、
軽いのもある。これがふつうの状態ではないか、ともいえますよね。

じっさいに「すべての電子の電荷と質量がおなじ」であるのかどうか、それは
わかりませんけども、仮におなじだとすればこれはどういうことなのだろう、
ということですよね。なぜどの電子もおなじ重さなのか。こういう疑問ですよね。

これはうろおぼえの話ですけど、マックスウェルの電磁方程式でしたか、なんで
あったか忘れましたが、ある方程式を解くと、「遅行波」と「先進波」のふたつの
波が答えとして出てくるようです。「遅行波」とは過去に向かって進む波ですね。
波が過去に向かって進む。こういうことです。

おそらく「遅行波」と関係があるとおもうのですが、ファインマンは、電子は
過去に向かって進むということをいっていましたね。もちろん、未来に向って
も進むということです。1個の電子が過去と未来を行ったり来たりしながら、
あちらこちらに姿をあらわしている。だから1個しかないはずの電子が、無数に
あるように見えているのだと、「なぜだろう?」と考えたファインマンは、こんな
答えを思い浮かべたようです。

15トキ:2012/07/06(金) 12:06:23 ID:4E5gFaLo
>>6 やっぱり、削除されてしまいました・・・・。

 あと、大聖典がオークションに出品されているとの連絡を頂戴しました。
 出品者は大阪らしいです。複雑な気持ちです。

http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w76362631

私はオークションはしませんが、教えてくれた人の話では、
安くて30万、普通は軽く100万円を越すとか。
以前は300万円というケースもあったみたいです。

16Kジロウ:2012/07/06(金) 13:14:50 ID:VJun9unU
>>4

スターダスト様


真空中(素粒子はあり)の光の速さは一定


ニュートン力学の例外で

マイケルソン・モーリーの実験結果を
アインシュタインが数式で、
エーテルは関係なく証明

光子自体が振動しているので波の性質もあります

ヒッグス粒子は質量があるので、ジャマになる事は、あっても光媒体になる事はないです!

今のところ、何かを媒体にしているとは、なってないと思います

17Kジロウ:2012/07/06(金) 13:25:25 ID:VJun9unU
>>9

さくら様
「利己的な遺伝子」書来ました

>あまりに精妙な自然のバランスをとっている自然計算力を思うと、どうしても人間の頭脳だけの計算力って、浅はかだな、と言う気がしてしまいますね。<

本当にそうですね


後、
物理学の概念(真理)は
誰がやっても、何処でやっても、いつやっても結果が同じ
(あるモノはある!ないモノはない)

ここには残念ながら、精神や心が入り込む余地はない様です!

トキ様は、この事を危惧されていると思われます!

18初心者:2012/07/06(金) 14:57:57 ID:TfQ0e6RA
ちょっとひと言わせて。

この掲示板で総裁先生の評判を落してるのはあたしなの。
そのあたしが、なんで総裁先生と同一人物でなけりゃならないのよ。

この掲示板で、「生命の實相を護れ!」の機運を盛り上げてるのは、あたしなの。
そのあたしが、なんで総裁だといわれなきゃなんないのよ。

あたしは、さくらちゃんと「しっぽり」したくてここに来たの。
なのに、あてつけがましい真似をされてカチンときたから、ちょっと暴れてみただけ。

あたしはさくらちゃんと「しっぽり」したいの。
邪魔だけはしないでね。

19初心者:2012/07/06(金) 15:09:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>初心者さまが本物の宇宙と言われているのは、わたしには、「叡智」とよばれるもののように受け取っています。
それは、自然科学にも物理的な真理にも、霊的な真相にも、古来人間が持っていた超能力にも、タオの思想や、合気道とかにも・・いろんな現れ方は別々ですけれど、それぞれの場でその片鱗を見せていた正体のことをいっているのかな、と。
それを、初心者さまは、簡単に、反証不可能な言い方ではいわない、という徹底した姿勢みたいなものを感じます。
・・確かに、言葉は色々知っていても、本当は、簡単には、言えないはずなんですよね、こういうことを。

あらゆる現象というのは、本物の宇宙による夢見、つまりはドリーミングによって
起きているとする考え方がありますが、すでに述べたように、ドリーミングには、
偉大な存在者の、たとえばこれを北米イディアンは「グレートスピリット」と呼んで
いるようですが、そうした存在者の叡智が含まれていると考えるのがふつうで
あるようです。

そうした叡智が、自然科学や物理学の分野にあらわれたとしても、なんの不思議で
もありませんね。合気道や能楽、茶の湯が重んじる身体の動作となってあらわれる
ということもありますね。

さくらちゃんがいっておられるように、このことを「超越項」をもちいずに語りたい
とする思いに、どうやらわたしは取りつかれているようでもありますね。

イメージの領域のフロンティアは際限もなく広がっていますが、そうしたイメージ
世界を「超越項」をもちいずして語ろうとすると、どうしても貧弱で貧相な言葉
づかいに終始してしまいます。

こうした「言葉づかい」をもってわたしの全思想と見なす人たちが、みずからの
豊かなイメージ世界と比較して、「初心者はなにもわかっていない」と決めつけて
おられるのが実情のようです。豊かなイメージ世界と、言葉によって語られた世界
とを比較することじたい、まったく意味のないことでありますね。

20初心者:2012/07/06(金) 17:36:35 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

宗教と科学の関係ということでいえば、宗教が科学を弾圧してきたという
歴史がありますね。そうした弾圧の歴史は今も続いていて、科学にたいして
厳しい見方をする宗教関係者が少なからずいるものです。この掲示板でも、
あたしのような主張をすれば、厳しい弾圧がまっています。

宗教が科学に脅威を感じてきた。これは事実でしょう。科学の発展によってみず
からの信仰が脅かされることを、宗教にかかわる人たちは極端におそれてきた
ということがいえるはずですからね。

しかしですね、今という時代は、宗教のそうした懸念がいよいよ現実のものに
なりつつある時代だということがいえそうなのです。ジジェクは、こうした事態を
「ポジティヴな知」という言葉で語ります。「純粋な信仰がポジティヴな知によって
脅かされている」。こうした表現で、宗教人が抱いてきた懸念がいよいよ現実の
ものになりつつある事態を、ジジェクはなぜか告発気味に語っているのですね。

ジジェクにとって「純粋な信仰」とは、無根拠の決断による信仰ですね。根拠は
ないがそれを信じる。これが、ジジェクのいう「純粋な信仰」です。「純粋な信仰」
とは、いってみれば「内なる良心の呼び声」にしたがうということでもあるようです。

このような意味で、「純粋な信仰」とは個人の心のありようでなければなら
ない、ということがいえそうです。「内なる良心の呼び声」が聞こえるのはその人
自身ですから、信仰は、どうしても個人の心のありようによってしか語られることは
ないといえます。

ですけども、「真理」はすでに、個人の心のありようでは語れない時代になって
きているということがいえるのですね。なぜなら「真理」は、今の時代、無根拠には
語りにくくなっているからなのです。なにごとにも根拠を求めたがる現代人の心性
は、「真理」にたいしても根拠を求めずにはおれなくなっているのですね。この意味
で、ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。

このあたりの事情を、たとえば現代仏教について、ジジェクはつぎのように
語っています。

○(現代の仏教)では、多くの科学者が「現代物理学の道(タオ)」のモチーフ
を振り回し、現実を揺れ動く出来事の非物質的な流動と見なす現代の科学は、
古代の仏教の存在論を確証したとされる。

このように、現代仏教においてさえも、現代科学の考え方に根拠を見いだすこと
でその思想の正しさと関連づけようとする傾向があるということを、ジジェクは
いっているのですね。

これは仏教にかぎっているわけではありませんが、ジジェクは、「彼らには、自分の
宗教と科学の最新の発見を合体させようとする傾向が見られる。彼らにとって
宗教的声明と科学的声明とは、ポジティヴな知の同じ側面に属している」といった
物言いで、現代宗教の一部に見られる「ポジティヴな知」を重んずる傾向を告発し
ようとしているのですね。

ジジェクのいう「ポジティヴな知」によって、現代人が、科学的声明にたいしてそう
であるように、宗教的声明にたいしても根拠を要求するようになってきたという
現実がありそうです。これこそが、宗教界がこれまでずっと怖れてきた事態なの
ですね。そうした事態が、すでに現実のものになったということです。

「ポジティヴな知」を標榜する現代人は、「真理」にたいして根拠を求め、それを
じかに知ろうと欲します。無根拠な決断による信仰によって信じられてきた「真理」
を、無価値なものとして否定しようとする傾向を持つようになります。「純粋な信仰
がポジティヴな知によって脅かされている」とするジジェクの見方は真実を語って
いるとおもわれます。

人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。

21初心者:2012/07/06(金) 17:56:42 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

宇宙がふたたび収縮へと転じて消滅する現象は、「ビッグクラッシュ」では
なく、「ビッグクランチ」と呼ばれているのかもしれません。記憶があいまいです。

22SAKURA:2012/07/06(金) 19:32:06 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ
>>6>>15拝読させていただきまして
こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■「 ポスティング ジョイ」に“投稿…”されています文章…拝読させて頂きました。
信者の“素直な言葉”と私も受け止めています…。
■■「 生 長 の 家 …大 調 和 !!」此の事から“始まり”が〜〜><
今回の“経過”は、余りにも“悲惨な出来事”です…。【分派…お家騒動】
そして、私も「トキ様」と同感の思いなのです…。

■■それにしても〜〜〜><
今回の【トキ様の投稿…】時間の“タイム制限??”ビックリ・マークで〜〜〜す。
一時間も??もたなかった様です〜〜〜〜〜ネ?やっぱり『奥殿…入り』

■話はブレイクしますが…
【ヤフ− オ−クション!!】拝見させて頂きました…。これもまた?“ビックリ・マ−ク”
言葉になりませんが〜〜〜><
そして、余談なのですが……
【FUKの「栄える会」…】に、ある時「古物商…」の方が会員になられまして??(現在も)
その方の“言葉…”から〜〜
■「年配の会員の方が、多く亡くなっているみたい??なのでしょうか〜〜〜??
生長の家の【書籍】【実相の掛け軸(自筆)】【古い機関紙…etc】沢山手元にあります〜〜〜ョ!
“二束三文”で〜〜〜売りますが〜〜〜??」
昭和初期のモノとか??かなり古いものの様で ><この“言葉”を〜〜
そうです〜〜〜ネ!2年以上前に聞きましたが…><

■■この頃思いますが〜〜〜【物…崇拝ではなく!】
やはり最後は…
【 真 理 −−>全ては心でつくる世界−−>人生は心で支配!】なのではないでしょうかと?
この事を、しっかり認識いたしませんと、
次なる世界【霊界…】にて??かしら〜〜〜ン!この様に思った次第ですが〜〜〜。

■ ■ 人間は永遠に“死”を見ない!自分は永遠の生き通しであるのである。 ■ ■
                            「雅春先生の言葉より」

                                      再合掌

23質問者:2012/07/06(金) 20:54:02 ID:/3nxKE2Q
初心者様

少し前2000になって書き込めなかったので、別のところに書き込みましたが、今、書き込めるように
なっていたので、別のところに書いたものを貼り付けます。


名前:質問者 投稿日: 2012/07/06(金) 06:17:06 ID:/3nxKE2Q
初心者様

初心者様が色々お教えくださっていた場所が2000になって書き込めませんでしたので、
この場所に書かせていただきます。

多面的視点で、日々新しい境地への努力に敬意を表している者です。

雅春先生の教えを手放した時、自由な世界に出られたお話はとても新鮮でした。

とすると招神歌も手放した方がよいのでしょうか? もっと今の時代にあったものが
あるのでしょうか? おたずねします。

24トキ:2012/07/06(金) 21:25:38 ID:T5rRaDQw
横レスお許し下さい。

>>23

 「招神歌」ですが、私が親しくしている講師の方で、霊眼が開けた人がいます。
その方の話では、神想観をしている人の回りに、たまにですが、浮遊霊などが取り巻いて
いるが、霊的な“バリア”があるため、神想観を実修している人に取り付けない光景を見る
そうです。なまじ霊的な力がある人が、自分の力を過信して瞑想をし、霊に取り憑かれて
悲惨な状況にあることもあり、「招神歌」は必須である、いうことです。
 
 病院や墓地の近くなど、“霊的”な雰囲気が悪い場所の近くで神想観をする場合は、特に
要注意だそうです。

 せっかくの対話を邪魔して、申し訳ありませんが、私もその講師の話には賛成していま
す。もちろん、時代の変化に伴い、変化させなければならない部分はありますが、「招神歌」
については、慎重な対応が必要だと思います。

合掌 ありがとうございます

25トキ:2012/07/06(金) 21:27:12 ID:T5rRaDQw
追伸です。

 「招神歌」を唱える事で、霊的な“バリア”がはられる(何か、アニメみたいですが)という事でした。

26SAKURA:2012/07/06(金) 21:38:16 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんにちは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――身体的用意――――

身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。

第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。

第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。

第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

                 <つづく>         再合掌


PS:

次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???

PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!

27SAKURA:2012/07/06(金) 22:07:47 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きでしたが……

■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。

此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。

                                    再合掌

28初心者:2012/07/06(金) 22:07:59 ID:TfQ0e6RA
質問者様

わたしは、ひと様から問いかけていただけるほどの偉い生き物ではありません。
たとえ回答できたとしても、信頼性を保証するものではありません。とりあえず
はお答えいたしますが、あまり信用はなさらないでください。

「我が業は我がなすにあらず」というのが『招神歌』ですね。わたしは唱える
ことはありませんが、これはタオイズムの「無為自然」につうずる考え方で
ありますので、ご自身にあっているとおもわれるのであれば、そして唱える
ことで何らかの実感が得られるのであれば、唱えられたほうがよいのかも
しれません。

ご存じかもしれませんが、わたしは生長の家の会員ではありません。『神想観』は
ずいぶん前にやめました。誌友会などにも参加することはありません。したがって
『招神歌』は長らく唱えたことがありません。わたし自身はこのようなありさまです。

今の時代にあっているものということでいえば、ミンデルの思想を学ぶ過程で、
あるべき心境には自然と近づいて行っているような気がいたします。ここでいう
あるべき心境とは、これを唯物的に語れば、アドレナリンやドーパミンに依存する
状態ではなくセロトニンに依存する状態ではないかと考えます。

人間の脳は麻薬依存体質から抜け出ることはできないともいわれているようです
ね。であれば、少しでも上質な麻薬に依存したほうがよいにきまっていると考える
次第です。セロトニンがどれほど上質であるかは、はっきりとは存じ上げておりま
せん。まだどうすればセロトニン依存体質が実現できるのか、それも存じ上げて
おりませんが、悟りの心境とセロトニンには密接なつながりがあるという気がして
なりません。

29SAKURA:2012/07/06(金) 22:11:51 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――精神的用意―――――

精神的用意としては、・・・・・

第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。

第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。

第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。

最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

                <つづく>                     再合掌

PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<

自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。

30さくら:2012/07/06(金) 22:46:39 ID:uSGRBL7.
初心者さま

さくらちゃん・・という言葉が、ほとんど、いじめに感じるくらい、
・・申し訳ないのですが、初心者さまのいうことの全てを、よく、理解ができていません、笑。見当違いのお返事なら、お許し下さい。

現代の宗教と科学の関係が、ジジェクが語るところによると、
「純粋な信仰が「ポジティヴな知」といわれる、根拠の明らかな真理によって脅かされている」状態であるということですね。

・・わたしにとっては、「純粋な信仰」とは、根拠のないものに従う、というより、
「内なる良心の呼び声」にしたがうという、こちらの方が、近い感覚です。
良心というのは、いざというときに普段の自分のそのままを反映する気がします。
普段、良心を麻痺させるような生活や考え方をすれば、良心はどんどん劣化しますし、
普段、良心に恥じない生活や考えをすれば、自分の意志にはあがなえないと思われるほど、強く働くことがあるとおもうのです。
どうしても、そうせざるを得ない、そんな感覚です。

わたしはですが・・信仰を持つことで、自分の意識がある偉大な精神性に繋がると、やはり信じていています。
良心でいえば、信仰を持つことで、普通の社会的良心(常識を守って人に迷惑をかけないなどの基本)から、
信仰の良心、(と自分では呼んでいるのですが)というものにそだっていくのではないか、と感じているんです。
この信仰の良心は、「根拠のない」自信を、わたしに与えてくれることがあります。
「根拠のない」ものの方が、時には強かったり、確かだったりすることが、明らかにあります。
・・これを言っても、たしかに何の根拠もありませんけれど。
でも、根拠がなんだ、っていうくらい、強く確かなことがあるので、仕方ありません、、。

>ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。

初心者さまは、先の発言で、反証不可能なことばでは語りたくない、と書かれていましたが、やはり、相当、「現代人の心性」におかされていますね、笑。

>人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。

たしかに、真理は変わらなくても、時代による、人類意識の変化は、宗教にとっても課題になり考えていくべき事だとおもいます。
このことに無関心な宗教団体では、社会に対しての貢献度が低くなって当然です。
結局は言葉だけ大きなことを言っても上滑りしてしまい、現実的な対応がなにも実現されない事になってしまいます。
それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。論理がいくら正しくつじつまがあっても、

>>24
>>28
横レスになってしまいますが、コリンウィルソンの本にも、悟りとセロトニンの関係が書いてありましたね。
わたしも自己流の瞑想は、危険だと思っています。前に経験があるので、実感していますし・・。
神想観は、他比べても、良心的で安全な瞑想法ですね。

あと、わたしは、自分に没頭する「動的な瞑想」と(自分では呼んでいます)いえるものも、同じように大切だと思っています。こうしたときは、自我の意識を超えて、物事が自然に上手く動いていくことがありますね。
あとで、なんでこんな事ができたのだろうと、びっくりしたりします。

・そういえば、自分の感覚でわかる、イメージできることを人の言葉を借りずに、
自分の思いを伝えようとすると、貧弱になるのはわかります、よく。

31さくら:2012/07/06(金) 23:06:02 ID:uSGRBL7.
上の文章は、途中で送ってしまってました、すみません。

>それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。
論理がいくら正しくつじつまがあっても、何もなしていないか、
結果が裏目にでることは、やはり、意識がずれている結果だと思います。
衰退していくのも、感覚がずれているという、当然の結果だとおもいます。

32Kジロウ:2012/07/06(金) 23:58:47 ID:VJun9unU
面白いサイトを発見しました!o(^-^)o

生長の家の御教や行と関わりがある事も、ちょいとズレている事もあります!

総裁が喜びそうなネタですが、総裁と逆の意見もあります


脳内麻薬の作り方
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://light.kakiko.com/sionta/MayakuSakusei.htm&client=ms-kddi-gws-jp&source=sg&q=%E8%84%B3%E5%86%85%E9%BA%BB%E8%96%AC%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E6%96%B9&guid=on

33初心者:2012/07/07(土) 00:04:16 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

ジジェクは、純粋な信仰を「事実にもとづかない信仰」といっていますね。
極悪非道ともいえる人間にも善性を見ようとする態度を、ジジェクは「純粋な
信仰」と呼んでいるようです。

アンネ・フランクの例をあげて、「彼女はナチスの堕落を目の当たりにして、
『不合理ゆえに我信ず』を地でいくように、どんなに堕落していようとも、
すべての人間の中には善性の神々しい火花があるという確信を書き綴っている」
と述べています。

「ポジティヴな知」が、こうした確信に意味や価値を見いだすことはありません。
どこまでも事実のなかに真理を見いだそうとします。本物の宇宙が事実であれば、
「ボジティヴな知」はそれに人生を賭けることができます。

問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。

ところでさきほど、マックスウェルの電磁方程式で、過去へと進む波を「遅行波」
と書きましたが、「先進波」が過去へと進む波であるようです。また「遅行波」は
「遅延波」とするのが正しいようです。うろおぼえの記憶で書いてしまいました。
申し訳ありません。どちらにしても、詳しいことはなにも存じ上げておりません。

それと、たとえ真理が不変であったにしても、人類意識が変化すれば、真理との
かかわり方がおのずと変わってくるというのは、たしかですね。いつまでもおなじ
やり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると
考えます。

34SAKURA:2012/07/07(土) 01:05:05 ID:j87evcVU
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――身体的用意――――

身体的用意で、
第一 に必要なことは、左右の均斉を保つことです。静座する場合でも、いすに座る場所でも
同じです。体格に故障のある人はなるべく、前もってその故障を除いておきます。

第二は、姿勢を直角に保つことです。すなわち胸と脚との屈折を九十度に保ちます。
椅子の場合には、膝の関節が九十度を保つようにします。従っていすは、
なるべく各自適当な高さのものを作るといいです。

第三は、 各部の連鎖を完全にすることです。一人で座る場合には、合掌が望ましいです。
また、物理現象を起こすべく、数人で円座を組織する場合には、各自の手をつなぎ、生気
の交流作用をさかんにするようにします。またいすを用いる場合には、ぜひ両足をそろえて
床につけ、足を組んではいけません。讃美歌を歌ったり、祝詞を皆でとなえたりするのも、
結局は各自の気分を整え、リラックスさせる意味があるのです。

第四は、自然呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとじること。ある一部の人たちは、
不自然な深呼吸を無理に行いますが、これは結果的に、あまりよくありません。何ごとも
自然の姿に従うことがいちばんです。また、ある人々は半眼を主張しますが、これも不自然
でよくありません。その他、こまかい点を言えばきりがありませんが、大体健全な常識で
判断して頂けばよいのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

                 <つづく>         再合掌


PS:

次は精神的用意に入って行きますが・・・どうでしょうか???

PPS:
「精神統一と方法」…これは現在「生長の家」での【神想観=瞑想】スタイルと…
似ていますかしら〜〜〜ン!そう言えば??「雅春先生」の言葉の中に…
この“スタイル”が、一番“邪霊…”・“悪霊…”が入りにくいとか?
おっしゃつていましたようなのですが…
従いまして…「精神統一…」のスタイル??多々ありますモノ〜〜ネ!
この事にての“アドバイス”は?「トキ様」頂けますと幸いなのですが〜〜〜!!

35SAKURA:2012/07/07(土) 01:12:42 ID:j87evcVU
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1797>>1804>>1805>>1861>>1880>>1912>>1945>>1956>>1959>>1987>>1995
投稿の続きでしたが……

■『新しくボ−ド』が変わりましたので???再度!!拝読されます方々に対しまして、
下記に■ URL ■で“クリック”して下されば、幸いに存じます…。

此の後〜〜〜■「精神的用意」に、文章投稿をさせて頂きます…。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1797
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1804
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1805
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1880
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1912
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1945
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1956
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1959
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1987
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1995

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:尚!前回の処にて「こんにちは」と記載しましたが…
「こんばんは…」に、此処で訂正させていた抱きます…。御了承の程、よろしくお願いいたします。

                                    再合掌

36SAKURA:2012/07/07(土) 01:19:52 ID:j87evcVU
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>34>>35投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――精神的用意―――――

精神的用意としては、・・・・・

第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。

第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。

第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだりしますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。

最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

                <つづく>                     再合掌

PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<

自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。

37観覧車:2012/07/07(土) 09:31:35 ID:???
アワダ様のPJでの書き込み、お二人のコメントもアップさせていただきます。

「新編 生命の實相」を手にして思うこと
登録日:2012/07/05 23:16 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記
登録者:アワダさん
新編 生命の実相をamazonで購入して、手元に届いた。新しい生命の実相。大きな活字。読みやすいように工夫が随処に見られ、編集された方々の愛情がよく分かる作りになっている。この愛のこもった本を見るにつけ思う。何故に社会事業団と原宿本部で裁判をしなければならないのか。何故に「大調和の神示」が聖経の最初に書かれているのに教団内部で醜い争いをしなければならないのか。誰の心の影だ。俺なのか?生長の家は決してもう全てを抱擁した教えとは言えなくなってしまった。「宗教家よ宗派争いをしてる場合ではない」と言っていたのに、内部で揉めまくり。教団の幹部達は信徒に対して恥ずかしくも申し訳なくもないのだろうか?どの書を読んでも相手の悪いところ矛盾しているところは指摘しても信徒に対する謝罪はない。普通なら「こんな裁判を起こして信徒の皆さんにご迷惑をおかけしています。」とか何とか言いそうなものだが、全く見当たらない。相手が悪いの一点張り。どの顔で明るく「ありがとうございます」と言っているのだろうか? どこで道を間違えたのか?道を間違った責任は誰がとるのか? 全く末法の世だ。 「谷口雅春を学ぶ会」にしろ「愛国 生長の家」にしろ掲示板を見てみろ! 罵詈雑言の雨あられだ。どこが「良い言葉」なのか? どこが「光明面」なのだ?
もう組織はお終いだろう。「組織」も「現象」で「ナイ」ものなのだ。裏を返せば、無いモノだから、現象的には何でもありだ。悲しい悟りだ。結局、救われるのは実相においてのみであり、現象では救われないのが結論なのか?

****************以下コメントです***************

●おばちゃんさん
2012/07/06 07:02 (GMT+09:00)
ありがとうございます。
私も昨年の暮に、毎月会費をお世話をしていただいている方より、
「今年いっぱいで、お世話を辞めさせていただきます。」
っと言って、長々と悪口を聞かされ、会費を持って帰りました。
困ったものだと思って、近所にいる知り合いに相談しましたら、
隣町にいるお姉さんを紹介していただいて、無事会費を納めることが
出来ました。こんなことって、他でもあると思います。
私は、たまたまいい方との出会いがありましたけど、
信徒の事は・・・・と思いました(*^_^*)


●団塊の元気さん
2012/07/05 23:29 (GMT+09:00)
かつての友が、悪態をついて出ていきました。でも、私は、それらの人をも、
神性を見ることで、行ってらっしゃい、と。

でも、話を聞くと、もはやシンリから反れて、我流に。
大聖師らをも、コテンパンに。これでは、本物とは言えず。
でも、このようなことは、親鸞聖人と法然の時代にも、誤解がありました。
シンリは不変。姿形に見えないだけに、誤解されやすい。


いつのときにも。とにかく、振り惑わされぬよう、祈り、神想観を続ける本物を。

****************コメント終わり***************


現教団を辞めていかれる方は、悪口を言わないほうがいいと思いました。

>かつての友が、悪態をついて出ていきました。
というコメントについて、シンリを知っておられるわりにはショッキングなお言葉だと思いました。

38初心者:2012/07/07(土) 12:16:36 ID:TfQ0e6RA
「神想観」は、シュタイナーのいうイマギナツィオンの行に似ているような
気がいたします。イマギナツィオンは、「神想観」と「進化した日時計主義」を
組み合わせたような行ともいえそうです(「日時計主義」じたいは無意味で
あると考えます。このことは、2、3年前にも、「初心者」のHNで、生長の家関連の
ブログか掲示板のどちらかに書き込んだことがあります)。

イマギナツィオンは、エーテル体に関係する行でもあるようです。エーテル体
は、通常は物質世界と結びついておりますので、物質的な体験にどうしても
引きつけられてしまうようです。物質世界に引きつけられてしまいがちなエーテル
体に霊的な体験をさせるというのがイマギナツィオンの目的ではないかと考えます。

イマギナツィオンの行を積み重ねることで、エーテル体が物質世界と結びつい
ていたときには体験できなかった、超現実的ともいえる霊的世界を、霊的自我が、
エーテル体の助けを借りて体験できるようになり、それまでとはちがった「第2の
現実」に目覚めるという現象が起きてくるようです。

ところがシュタイナーは、イマギナツィオンの行によって得られた霊的世界の体験
はすべて消し去らねばならないといっていますね。せっかく手にした体験をすべて
捨て去ったときに、霊的世界からの啓示がはじめて得られるということを、
シュタイナーはいっているようなのです。

イマギナツィオンを捨て去ることで得られる体験を、シュタイナーはインスピラツィ
オンと呼んでいるようです。シュタイナーによれば、インスピラツィオンとは、宇宙
意識を体験することでもあったといいます。宇宙意識の体験は、イマギナツィオン
の行を納め、それを解き放つことによって得られるというのがシュタイナーの
考え方であったようです。

イマギナツィオンとインスピラツィオンの体験を経て最終的に得られる体験、これを
シュタイナーは「宇宙自我との一体化の体験」と捉えていたようです。

ただここで問題となるのがアストラル体です。アストラル体は、その名のとおり、
はるか彼方の天体によってさえも影響を受けてしまうといわれるほどに、きわめて
不安定な存在なのですね。このアストラル体が、「宇宙自我との一体化」という
強烈な体験に耐えられるのかということが問題になってきます。耐えられなけ
れば、「プシコーゼ」とユングが呼んだ精神の異常を抱え込むことにもなりかね
ません。

こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。

「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。

39質問者:2012/07/07(土) 12:28:06 ID:/3nxKE2Q

初心者様

ご回答有難うございます。
今後はセロトニンについて勉強したいと思います。
有難うございました。

40観覧車:2012/07/07(土) 12:35:56 ID:???
本流宣言掲示板に霊界からのメッセージが届きましたね。

*********以下抜粋させていただきます*********

純子も白鳩総裁には相応しい魂の持ち主ではないのじゃ、
過去は無いといえども嘘つきで世間体や地位や体裁ばかりを
意識している幼き魂で霊界なぞさほど信じてはおらんぞ、

雅宣とは似たもの夫婦なのじゃ、
そんな幼い魂にこの宇宙の家(生長の家)を任せるわけには
いかぬのじゃ!!

四代目なぞ期待していては、もっと駄目の皮じゃ、
今以上に駄目になる可能性は高いであろう、

霊界の高級霊団は今誰を真総裁にしたら善いかを考えている、
名前が上っているいるのは、やはり身内だが・・・

雅宣の実姉長女佳代子の長男光靖とやらの名があがっているが、
今のところ一番青年会活動の経験もあり頭脳明晰で心身ともに
善しとされているでのう・・・

地上の生長の家の心ある幹部達の実相顕現と
真の生長の家奪還運動を起こされんことを期待し、
霊界から応援しているぞ、

*********抜粋終わり********

これを読むと、いつかは雅宣現総裁も純子現白鳩総裁も
生長の家からお引越しされることになりそうですね。
ちょっと安心しました。

41初心者:2012/07/07(土) 13:03:57 ID:TfQ0e6RA
「日時計主義」を無意味と考える理由。

「日時計主義」はたんなる「表象」の問題でしかありません。まったくの
無意味と考えます。

42Kジロウ:2012/07/07(土) 14:37:29 ID:VJun9unU
中国バレーボールチームが自国開催の為に、肉食が出来ずに敗退
実に考えさせられる
テーマです!


千日ブログ 〜雑学とニュース〜 ベジタリアンのアスリートの方が優秀説と中国バレーの敗退
http://1000nichi.blog73.fc2.com/?mode=m&no=1932&cr=94fc5deeaa26feaf78e2f43d6f7d58da


さて、かつての日本では、仏教の教えで

『殺生』を禁止しておりましたが

ウサギを1羽、2羽…と数え、鳥の仲間だから『殺生』はしてない

クジラは、海にいて、脚がないから魚の仲間

また、皇室においては伝統行事として、
『猪狩り』を続けておりました。(仏教の教えでは殺生)

又、猪肉を
『山クジラ』という方便表記にしておりました

人類は、馬や牛、猿の様に植物だけを食べて、動物性たんぱく質に替える腸内細菌はありません

(※例外として、アフリカ原住民で一部の種族にはあります)

自然と身体に必要な食べ物を選んでいるのだと思われます!

43 志恩:2012/07/07(土) 15:18:26 ID:.QY5jUA6
〜シュナイターの超感覚的認識に関する考察〜

シュナイターのことば

「イマギナツィオン」ー準備段階にあたり、意識を研ぎすますことにより心性(魂)の領域を知覚する「霊視的認識」をいう。

「インスピラツィオン」ー「悟りを開く」段階。

 そして、最高の段階が
「イントゥイツィオン」ー(霊的合一)。より高次の霊的(精神的)世界の本質を認識できるという。

このようにして得た、日常的の経験的世界の認識と異なる 「高次の霊的認」であり、そして、「超感覚的認識」は、本来の言葉で表現し得ない次元の内容であるが、
東洋の思想の無分節のゼロ・ポイントと対応すると考えることは不自然ではないと思われる。

 人は完全に高次の真理内容と1つにならねばならない。単にそれを知るだけでなく、飲んだり食べたりするのと、同じ生きた行為の中で、まったく自然に
 血肉化しなければならない。

 真理内容そのものが行となり、習慣となり、性向とならなければならない。
 その内容が、人間そのものとして表現され、身体の循環機能のように、人間の中を流れていなければならない。


このように、シュナイターは「超感覚的認識」を完全に内面化しなければならないという。
それは、超越的な意識の世界に隠遁(いんとん)するのではなく、むしろ、超越的な視座を保ちつつ、しかも同時に、世俗に生きることを説くものである。

44 志恩:2012/07/07(土) 15:20:23 ID:.QY5jUA6
×高次の霊的認
○高次の霊的認識

45 志恩:2012/07/07(土) 15:53:51 ID:.QY5jUA6
シュナイターは、1910.6.17に、オスロで語った。

〜「霊学」について〜

霊学とは、私たち自身の中で生きながら、しかも、私たちのためではなく、
すべての人のために生きること。そのことが、真の霊学的寛容なのです。


〜「現代科学と霊学」について〜

霊学は、普遍的な性格を持っている。
数学は、近代にいたって大変な進歩を遂げましたが、少なくとも、その精神のありように関しては、
古代以来変化していないのです。

近代科学は、ここ数十年の間、大発見をし続けてきました。そのことを霊学の光の下で見てみますと、
霊学の解釈は、それらの発見とぴったり一致していますが、今日まで構築されてきた科学理論は、数十年来知られるように
なった諸事実と一致していないことがわかるのです。

唯物論という一面的な観点から、繰り返して同じ誤謬がなされてきているのです。
私が強調したいのは、ここ数年間に物理・化学がなしとげた業績が示しているように、物質は、人間の単なる表象にすぎず、
実験の下では崩壊してしまう。

すべての運動、すべてのエネルギーを超えて、物理・化学は,今,物質が、その基礎に存する霊的作用に直面しつつある。
ということなのです。

今日の物理・化学の事実世界は、すでに霊的な基礎を求めるところまで来ているのです。

私が,今述べたような諸事実を示唆しようと思ったのは、科学理論とは別のところでも、外的感覚的な事実世界を霊的なものに
導き入れようとする必要が、いたるところにあらわれている、と、言いたかったからなのです。

とはいえ、現代の科学によって世界の全体像が提供されている限りは、そこからの一種の諦めをぬぐいさることはできません。

哲学の分野にも、この諦めを見ることができるのです。今日、アメリカのウィリアム・ジェームスやイギリスのF・C・シラーなどの
影響の下に、一つの注目すべき理論が通用しています。

それは、本来、諸事実が、霊を志向しているという事実から生じたものなのです。

46初心者:2012/07/07(土) 16:19:30 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

なぜみんな、それが「完全なる実相世界」でなければならないと決めつける
のだろう。なぜみんな、それが「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つと
と想定される本物の宇宙」であってはならないと考えるのだろう。

じっさいにも、多くの人たちが本物の宇宙について考えてきた。本物の宇宙とは
こんなものだろうと考えてきた。もちろん、その考えがちがっていることもある。
ちがっていれば直せばよい。それがどんなものであるかというのは、たしかに重要
な問題ではあっても、本当に重要なのは、本物の宇宙はまちがいなく存在すると
いう事実なのだから。

アラン・ワッツの『タブーの書』が戻ってきた。久しぶりにページを開いた。「孤独だと
か、宇宙のかりそめの過客であるというこの感情は、人に関するあらゆる科学の
あらゆる認識と完全に矛盾するものだ。わたしたちはこの世界に生まれ落ちた
のではない。私たちは、樹から木の葉が萌え出るように、そのなかから出てきた
のだ。大洋が波打つように、宇宙は生起する。どんな個人も、自然界全体のひとつ
の表現、全宇宙のユニークなふるまいだ」とワッツは熱っぽく語ってくれている。

訳者あとがきに、「(ワッツは)組織に属することを拒み、快楽を愛し、酒を飲み、
LSDで神秘体験を味わった」とある。一方にとどまるのではなく、闇と光のあいだ
を往来する。「イロニー」のこうした考え方を、ワッツは身をもって実践していた。

『タブーの書』が書かれたのは、1966年、フラワームーブメントの全盛期だそうだ。
フラワームーブメントといえば、スコット・マッケジーが『花のサンフランシスコ』で
歌った、あの世界だ。あたしは知らないけれども、ビートニクスよりも少し遅れて
やってきて、フラワージェネレーションと呼ばれるようになった若者たちが、「反戦」
を旗印に既存の価値観の破壊をはじめたあの時代に、『タブーの書』は書かれた。

あとがきには、「現代科学が明らかにしつつある、ひとつの全体の一部なのだ、
という宇宙像」とある。「木から葉が生じるように、私たちは宇宙から生じ、宇宙
と不可分に結びついている」とある。

「現代科学」といったところで、これはずいぶんと古い「現代科学」にはちがい
ない。なんといっても『タブーの書』は、フラワームーブメントの時代に書かれた
のだから。

それでもあとにつづく台詞がいい。「雨のしずくが海に落ちて雲となり、ふたたび
雨のしずくとなるように、あらわれては消えていく。そこにはとくに意味などない。
〈それ〉を楽しんでいる〈それ〉があるだけだ」。

ワッツはタオイストであったと記憶している。それがそれをなしているだけ。
たぶんこれが真実なのだ。

それからひと言。ワッツは「私たちが、今日知るに至った宇宙や、習ったことの
多くが卒業式の当日にはすでに時代遅れになってしまうほど激変してゆく
人間世界」と、現代という時代を楽しく揶揄してくれている。これは「変わらなく
てもいい」という話ではない。それがそれをなすにも、時代の作法があるって
ことだ。今の時代に、フラワームーブメントはけっして流行りはしないってことだ。

47初心者:2012/07/07(土) 21:28:11 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

コリン・ウィルソンは、『フランケンシュタインの城』で、「右脳の仕事は意味を伝える
ことなのだ」といってるんだけど、これはたしかに本当だろう。ウィルソンによれば、
右脳は、ほっておけば、際限もなく意味を供給しつづける。こうした事態を防ぐ
のが、左脳を中心にした治安維持部隊というのがウィルソンの考え方であるように
もおもえるのだけど、なんらかの理由で治安維持部隊の活動が弱まると、右脳から
の、とどまることを知らぬ意味の供給がはじまるってことを、ウィルソンは言って
るようにもおもえる。

こうした供給が限度を超えてなされることで、世界は意味に満たされ、あの、至高
体験をさえも突き抜けたとおもわれんばかりの、極上の世界へのトリップがはじま
り、日常生活とはしばしのおさらばとなる。ウィルソンが言うように、「すべての人が
右脳意識の状態で平安にその日暮らしを送ろうものなら、文明は崩壊する」に
きまってる。

文明の恩恵を享受したいのであれば、「右脳意識で平安にその日暮らしを送る」と
いう自然状態には、いまさら戻れないってこと。結論として、治安維持部隊の活動
はどうしても必要ってことになるんだけど、部隊の力があまりに強まってしまうと、
意味の供給が途絶えて人生から意味の感覚が消え去る。「人生は虚しい」ってこと
になる。

ではどうすればいいのだ、って話。このことについて、ウィルソンはなんて言って
るんだろう。治安維持部隊の活動を適正にたもてればいいのだろうけど、それが
できないから、人は「幸せいっぱい」か「人生は虚しい」のどちらかの世界に投げ
込まれる。

「心が開かれているときだけ世界は美しい」といった人がいる。たしかに、見なれた
風景を美しいと感じる瞬間はある。この瞬間は、たいていは、大きな悩みから解放
されたときにやってくる。

問題は、世界はなぜ美しく感じられたのかということだ。考えられる答えは、世界は
美しいということだ。ふだんはそうした世界を見ることはできないが、世界はある
がままに美しいのだ。そうした美しさを、特別な瞬間にだけ見ることができるって
ことだ。ウィルソンが問題にするのは、どうすれば、特別な瞬間にではなく、気が
向いたときに、いつでもどこでも、どんなときにでも、そうした美しき世界を見る
ことができるのかってこと。

右脳意識が優勢であれば、内なる世界はあまりにも美しく感じられる。世界が
美しくなければ、この美しき内的世界にくらべて、外の世界のなんと穢きことかと、
人はついつい厭世的な気分へと誘われてしまう。

ウィルソンが問題にしたのはこのことだ。内なる世界の美しさにばかりひたって
いると、人は外の世界の穢さに耐えられなくなる。このことをウィルソンは問題にした。

解決策はある。内も外も美しければよいということだ。外の世界を、気が向けば、
いつでもどこにいても美しいと感じられるのであれば、内なる世界の美しさに
人は耐えられる。

ウィルソンは、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」は、いつでもどこでも
実現できると考えていたはずだ。しかもウィルソンは、こうした事態を実現できる
のは、右脳ではなく左脳と考えていたふしがある。左脳がこの能力をはばまれる
のは、治安の維持をその他の部隊に左脳がまかせっきりにするからだとも、たぶん
このように考えていた。治安の維持を常時その支配下においておくという努力を
左脳が怠らずつづけるかぎりにおいて、左脳はその能力を開花させることが
できるとも、たぶんこのように考えていた。

左脳よ、覚醒せよ!

ウィルソンが望んでいたのは、おそらくこのことだ。左脳が覚醒したときに何が
起きるのか。左脳の覚醒は、「幸せいっぱい」と「人生は虚しい」のあいだをさま
よいつづける人類を、はたして救えるのか。左脳の覚醒という、人類にとって
前代未聞ともいえる大イベントを、たぶんウィルソンは企画している。

48SAKURA:2012/07/07(土) 22:40:38 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――精神的用意―――――

精神的用意としては、・・・・・

第一が 自我意識を全く受身におくことが大切で、これが精神統一の最重要ポイントです。
一部の人たちは、統一の実修の際、全くの無意識状態におちいりますが、その数は比較的
少ないのです。普通は、自我意識が奥の方に残存しますが、これはちっとも統一の
妨害にはなりません。ただここで最も大切なことは、その残存する意識を積極的に
働かせないことで、つまり自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。

第二に 必要なことは、自己の選んだ目標以外の雑念もうそうをできるだけ、はらいのける
ことです。雑念撃退の工夫は人によって異なりますが、どれが一番良いという事は言えません。
普通行われているところを幾つか列挙してみますと、ある単調な音(滝の音、時計のきざむ音など)に
溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集めること、経文や数学などを心のなかで
くりかえすこと、心眼にある目的物を描き出そうとつとめること、水晶体のようなものを凝視すること、
などです。

第三に必要なことは、静坐中一切の現象に対して、
冷静沈着を保つことです。静座中には、何らかの異常現象が起こりがちですが、初心者が最も
注意しなければならないのは、このときです。中には、極度の恐怖心におそわれたり、バカに
よろこび過ぎたり、有頂天になって大霊覚者を気取ったり、また凝視におそわれ非常に悩んだり
しますが、いずれもいけません。私たちは、あくまで冷静に私たちのからだを通じて起って
いる心霊現象の意義、性質、内容、価値などを、学問的に追究し、批判し、もしそれが自分
一人で解決つかなければ、これを知識経験のある先輩にたずねるなりして、万が一にも、
間違わないようにしなければなりません。

最初に、この必要な用意を欠いたために、生涯取り返しつかない誇大妄想家になったり、
精神病者になったりすることが世間には、どんなに多いことでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

                <つづく>                     再合掌

PS:
「トキ様」へ
■>…云々…自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのです。
この修行ができると、初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、
またここに初めて自己以外のある者(普通自分の守護霊、支配霊など)がそのからだを
しようして、いわゆる交霊現象を起しもするのです。<

自我意識…時と致しまして“雑念”が?否応なしに入り込んで来ます事も、多々ありますモノ?
現在「生長の家」での「お祈り…」を致します時…前準備としまして??
やはり“共通項…”がありますかしら〜〜〜ンと?思った次第なので〜〜〜す。

49さくら:2012/07/08(日) 00:31:45 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

・・えっと、
さくら、なにを答えたら、よいんですか、これ、笑。

先日、大好きな、バンドのライブに行ってきて、ずっと、あたまから、
その曲が離れないんです、
しかもですよ、そのバンドのメンバーの一人が、さくらのこと、覚えててくれて、
これがここのところ、思い出すたび舞い上がってしまい、・・
だから、初心者さまの言葉も、なかなか頭の中に、入ってこなくて、ごめんなさい、・・微笑。

つまり、さくらの名を使って、初心者さまが、言いたいことを言ってるのですね、笑。

ところで、初心者さまは、まず、「純粋な信仰」を軽視、あるいは軽蔑されておられるように感じられますが、違いますか。

わたしは、「ポジティヴな知」も尊重しますが、
それと共に、時には、それ以上に、「純粋な信仰」というものを、尊重しています。

>問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。

ただ、初心者さまがこのように書いておられることも、良く解ります。

純粋な信仰というものは、もっとも、真摯な姿勢を必要とするものだと思っていますし、ほんとうは、そう簡単に、言葉で語ろうとすることも出来ないものだとかんじます。
ただ、それは、反証不可能であっても、あがないようもない想いとして、あるということです。
でも、自分の中に確かにあるとわたしがいくら言葉を尽くして語ったとしても、
残念ながら、初心者さまとは、共有できませんね・・
信仰は、わたしと、神との間のこと、だからです。わたしの道はわたしが歩いたときだけ、出来るものですので。
初心者さまには、初心者さまが感じられる、真理の世界があるようです。

50さくら:2012/07/08(日) 00:32:29 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

>いつまでもおなじやり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると考えます。

初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?
>>38
>こうした状況を回避するには、アストラル体を宇宙自我の受け皿にふさわしい
状態に保っておく必要があるとシュタイナーは考えました。そのために必要とされ
たのが、女性原理としてのソフィアであったのです。アストラル体にソフィアの働きを
持たせる必要がある、シュタイナーはおそらくこのように考えたのでしょう。その
ための方法としてシュタイナーが勧めるのが「畏敬の行」と呼ばれるものです。
「畏敬の行」にかんしては、『超感覚的世界の認識をいかにして獲得するか』で詳し
く述べられていますが、残念ながら同書はいま手元になく、参照不可能な状況と
なっております。

人間に、ソフィアの働きを持たせるのは、「畏敬の行」とシュタイナーは言っているのですね。、やっぱりそうなのですね。
では、古来からの森が育んできた自然霊への信仰は、ソフィアの働きだったといえますか?
・・それにしても、まず、女性原理としてのソフィアの働きって、なんですか?

>「人間のレベルをはるかに超えた叡智を持つとと想定される本物の宇宙」

先日、訊け商業さまとのやりとりの中で、訊け商業さまから、「これは倉田百三の寂光論ではないか」という問いかけがあったとおもうのですが、わたしも、近いものを感じたのですが・・この辺はどうでしょう。

さくらにウィルソンを語ってくださるのは、
さくらに、内なる美しさと、外の世界を美しいと感じられる「至高体験」を
感じさせてくださるということですか、笑。

では、いじわるばかりしないで、笑、
もっと単純に、このことをさくらにも感じさせてください、。

初心者さまのコメントを読んでばかりで、ウィルソンの本が疎かになっております、微笑。

初心者さまのところは、今日は雨でしたか?
・・七夕って、毎年、雨ですね。

おやすみなさい。

51さくら:2012/07/08(日) 00:42:07 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

>初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?

曖昧な聞き方でしたね。
ほんとうは、生長の家の活動は、どう変わった方がよいと思うのか、、
初心者さまのお考えをお聞きしたいと思いました。

ちなみに、わたしは、生政連の活動の復活には反対です。
政治活動が有志で独立してあるのはよいですが、生長の家として活動するのは、あり得ないと思っています。
これからの時代にはもうないだろうとは思いますが、望む声があるようなら、反対します。
かといって、環境問題偏狭な活動も、ありえませんが。

これから、さくらは、お風呂です・・
こんどこそ、おやすみなさい。

52SAKURA:2012/07/08(日) 04:53:20 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ                              
観覧者の皆様 へ

おはようございます…  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>26>>27>>48投稿の続きです…。

■第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法―――――

―――――― 精神統一の理論 ―――――

最後に、精神統一の基本的理論の重要なポイントだけを、簡単に説明してこの章を
終わろうと思います。私たちは、すでに、人類が自我表現の機関として肉体、幽体、霊体、本体の
四媒体をもっていることを知りました。同時にまた私たちは、人間の置かれている環境が物質界、
幽界、神界の四大領域に分かれていることも知りました。小宇宙である人間と、これをとりまく大宇宙
とが、このように同一組織で出来ている以上、もし私たちが適当な方法を論じさえすれば、相互の間に、
それぞれ交通感応もできるはずですから、精神統一のねらいも、結局のところその点にあるのです。

すなわち人間が、欲望に支配されている場合は、その肉体をもって物質界に通じ、
感情に支配される場合は、その幽体をもって幽界に通じ、
理性に支配される場合は、その霊体をもって霊界に通じ、
英知に支配される場合は、その本体をもって神界に通ずるので、
ちょうど無線電話の場合と同じで、大体パイプレーションの原理に基づくものであろうと考えられます。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
これに関して、物理学界の権威クルックス卿は、すでに今から三十余年も前(明治三十年)
こう喝破しています――――

『私の考えるところでは、光の原理の中に思想伝達現象の秘密があり、さらにこれを推しすすめること
によって、従来解けなかった心霊現象の秘密の多くを解決できる、有力なカギが見い出されるとおもいます。非常に高い振動律をもっと推定される思念の波は、おそらく霊媒の頭脳に進入して、その神経中枢が、
これらの光波を使用するのは、おそらく声帯がいろいろの音波を使用するのと同じに違いないでしょう。

……霊媒というのは、要するに異常に発達した発信用または受信用の神経中枢機関の保有者で、これは
天分もあるでしょうが、同時に不断の練習の結果、高律の振動に感じやすくなったものであろうと思います。とにかく、この仮説をもってすれば、心霊現象というものは物理学の法則といささかも食い違ったもの
でなく、この点わざわざ超自然的な、または神秘的な要素をもってきて、心霊現象の説明にこじつけたり
する必要はなくなるのです……。』

すでに述べました通り、以上は精神統一の根本原則に過ぎません。実際問題となれば、まだ数多くの
予備的知識が必要でしょうが、それらについては読者の皆さんが、ひと通り心霊事実に親しんでから、
改めて講述することにいたします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■■ 【第三章 霊媒の種類ならびに精神統一の理論と方法】
【霊媒の種類】 【精神統一の目標】 【身体的用意】 【精神的用意】…を
知りまして、近年の「霊媒師」を見分ける事が、出来るような感じです〜〜〜ネ!!

更に!【奥に入って〜〜】行きます…。そして「祈り方」も、よく似てますが〜〜〜??
勿論「雅春先生」自身も【生命の実相…】の中に、書かれていますが〜〜〜
此処に出入りされていた様ですから〜〜〜♫〜〜〜

■今の【生長の家…祈り方】は、「正しい祈り…」になりますから〜〜〜
正しい“理念”を持って…正しい“法則”を持つ事になりまして…
それは【神の叡智を受信…出来る!!】ように思えます…!!

そして「総裁雅宣先生」の後ろの【霊…】はやはり【神想観で実証…】ですので〜〜〜
勿論!「正しい神からの“メッセ−ジ”の様に~~~♫〜〜〜」に、思えますが〜〜〜 

PS:
トキ様へ
今回の【 祈 り 】について、どのように思われましたでしょうか〜〜〜???

                                      再合掌

53初心者:2012/07/08(日) 07:15:43 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>初心者さまは、時代とともに変わる宗教の形は、どのようにあるべきだと思いますか?

現代人の意識は、なにごとにたいしても根拠を求めるようになったということ
です。当然のごとく、真理にたいしても求めるようになりました。

こうした変化は、以前だと提示が困難であったことがらにたいしても、科学の
理論を借りて根拠らしきものが示せるようになったがゆえに起きたともいえます。

ニーチェは、認識以前の世界をカオスであると考えました。言語学も、ニーチェの
この考え方を踏襲して、人間がカオスに、言語の力を借りながら働きかけることで
コスモスをつくりだしていると考えます。コスモスとはつまり、混沌としたカオス的
世界に言語を作用させ、秩序をつくり出すことによって得られた世界ということ
になります。

問題は「カオスとはなにか」ということです。この問題が言語学者を悩ませてきま
した。カオスにしても、けっきょくは人間がつくりだしたのではないか。カオスじたい
も言語の働きなのではないか。こうしたことが、いろいろと考えられてきました。

カオスという考え方があっても、根拠が提示できなかったのですね。科学が発達し
てDブレーンが数学的に発見され、それがホログラムでありうるとする理論も登場
しました。

ホログラム映像を映し出す乾板は、干渉縞が描かれただけの、文字どおりのカオス
でしかありません。そこには秩序だった何者も存在してはいないのですね。カオス
をDブレーンと結びつけることで、言語学者たちを悩ませてきた「カオスとはなに
か」の問いかけに答えることができます。それは仮説でしかありませんが、まがり
なりにも、いくつかの問いかけにたいして、科学的な根拠を示しながら答えること
ができる時代になってきているのは間違いありません。

新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。

ちなみに、Dブレーンとカオスを結びつけようとしているのは、わたしの知るかぎ
りでは、今のところわたしだけです。

54初心者:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>ところで、初心者さまは、まず、「純粋な信仰」を軽視、あるいは軽蔑されておられるように感じられますが、違いますか。

「純粋な信仰」は「不合理ゆえに我信ず」と断言できる精神の形から生まれてくる
ものであるともいえます。この意味で、信仰とは純粋に個人的なものです。個人の
信仰を軽視するような真似は誰にもできないと考えます。

信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」
という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければなら
ないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。

55初心者:2012/07/08(日) 09:25:06 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>人間に、ソフィアの働きを持たせるのは、「畏敬の行」とシュタイナーは言っているのですね。、やっぱりそうなのですね。
では、古来からの森が育んできた自然霊への信仰は、ソフィアの働きだったといえますか?
・・それにしても、まず、女性原理としてのソフィアの働きって、なんですか?

「自然霊への信仰」は、シャーマニズムともいえそうですね。シャーマニズムは
数千年の歴史があるともいわれていますが、その信仰形態が発見されたのは
ごく最近のことであったようです。いちど発見されてみれば、世界中のあちら
こちらにそうした信仰形態が深く根をおろしているということがわかってきました。

「シャーマニズム」という言葉がつくられたことで、それまでどこにもあるとは
考えられていなかったシャーマニズムが、世界中のいたるところに出現してきた
のですね。「シャーマニズム」という言葉の作用で、カオスでしかなかった信仰形態
が、シャーマニズムという名のコスモスとして現象化したということです。

シャーマニズムの特徴は、それが「畏敬の行」そのものであるということです。
シャーマンは、なにをなすにも精霊にうかがいをたて、承認を得ようとしますね。
そうでないシャーマンもいるのかもしれませんが、たいていのシャーマンはそう
するでしょうね。これは、精霊にたいする畏敬の念がなければできないことです。

「ソフィアの働き」とはドリーミングであるともいえます。森には森のドリーミングが
あります。ドリーミングによって森はつくられているということですね。「自然霊
への信仰」は、この意味でドリーミングへの信仰であるともいえそうです。「自然霊
への信仰」は「ソフィアの働き」であるということがいえるのではないでしょうか。

「女性原理」とは、雅春先生が説いておられるように「受ける」という働きをいい
ますね。シュタイナーは、「受ける」という働きを、聖なる杯である「聖杯」という
言葉で語ります。「女性原理としてのソフィア」とは、シュタイナーの言葉でいえば、
「聖杯」ということになります。

ではなにを「受ける」のかといえば、宇宙意識を受けるということです。宇宙意識
を受け取ることで、宇宙と自分との一体化を図ろうということですね。受け取る
ためになにが必要かといえば、シュタイナーにとってそれはアストラル体を受け皿
にするということであったのですね。

アストラル体を「聖杯」へと変えること。これがシュタイナーにとっての「女性原理と
してのソフィア」の実現であると考えます。

56初心者:2012/07/08(日) 09:32:32 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>つまり、さくらの名を使って、初心者さまが、言いたいことを言ってるのですね、笑。

#55の書き込みを見てますと、たしかに初心者は、さくらちゃんの質問の意図を
無視して、自分の言いたいことだけを言っているようにも見えますね。

57初心者:2012/07/08(日) 10:01:38 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>初心者さまのところは、今日は雨でしたか?
・・七夕って、毎年、雨ですね。

七夕の7月7日とは、旧暦の7月7日のことですね。旧暦の7日の夜は、上弦の月と
呼ばれる半月の夜になります。聞くところによると、半月と天の川の明るさは
ほとんどおなじであるようです。そして旧暦の7月には、半月の位置が、ちょうど
天の川にかかって、月の明るさで天の川が消えるみたいですね。

天の川は消えても、彦星である、わし座のアルタイルと、織姫である琴座のベガ
は消えずに見えています。年に1度、旧暦の7月7日にふたりはめでたく出会える
ということですね。

こう見えてもわたしは、かつては天文少年であり、とある天文愛好グループに
属していて、月に1度の支部の例会にはかかさず参加していました。ですけども、
参加者はいつも男ばかり。たとえ七夕の夜でも、女子と出会うことはできません
でした〜。

58初心者:2012/07/08(日) 12:25:19 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>先日、訊け商業さまとのやりとりの中で、訊け商業さまから、「これは倉田百三の寂光論ではないか」という問いかけがあったとおもうのですが、わたしも、近いものを感じたのですが・・この辺はどうでしょう。

倉田百三氏が本物の宇宙について語っておられたのなら、「寂光」は本物の宇宙
ということになります。

倉田百三氏が語っておられたのが本物の宇宙であれば、雅春先生はそれを論破
なされたのであるから、本物の宇宙の問題は解決済み、との論法になるのでしょう
けれども、雅春先生が論破なされたというのはほんとうなのでしょうか。「超越項」
や「霊的直観」を持ち出さずに、論理だけで論破なされたのでしょうか。

あの論争で、雅春先生は「そのあたりの信仰」という言葉を使っておられたはず
です。倉田百三氏の「寂光」を信仰の問題とされたのですね。それが信仰であれ
ば、それなりの論破の仕方があるのでありましょうけども、これをわたしは、信仰
ではなく真理の追究と捉えておりますので、雅春先生がもしも反証不可能な
「超越項」や「霊的直観」を持ち出しておられたのであれば、論破は無効と考える
次第です。

59初心者:2012/07/08(日) 12:29:04 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

言葉とシャーマニズムの関係、ご理解はいただけましたでしょうか。

それがいつのことだかは知りませんが、シャーマニズムが発見されたのは、
シベリアにおいてだったとおもいます。シベリアに他とは異なる信仰形態が
あって、それが「シャーマニズム」と名づけられたのが事の発端であったと
おもいます。

いったん「シャーマニズム」という言葉ができあがると、世界のいたる場所で、
続々とシャーマニズムが見出されるようになります。それまでは、たんに「他とは
異なる信仰形態」と見なされていたものが、シャーマニズムと見なされるように
なったのですね。

以上のことから何がわかるかといえば、シャーマニズムとでもいうべき意味や概念
が最初にあって、これを「シャーマニズム」と名づけたのではない、ということで
す。シベリア以前には、シャーマニズムに相当するような意味や概念はどこにも
ありませんでした。だからこそ人々は、今日シャーマニズムと呼ばれている信仰
形態を、「他とは異なる信仰形態」というように、ほかとの「差異」でしか認識でき
ずにいたのです。

言葉以前に人間が認識できるのは「差異」だけです。この「差異」に名称をつける
ことで意味や概念の感覚があたえられ、人々はそれが何であるかを知ります。言葉
以前に、人はそれが何であるのかを知ることはできないのですね。言葉以前に
意味や概念があって、あとからそれに名称をつけたとする考え方は成り立たない
ということがわかります。

以上がソシュールの説明になるかと存じます。ソシュールの影響がいかに甚大で
あり、ロゴスを自明のものとして打ち立てられていたそれまでの思想や哲学が、
どれほどまでに壊滅的な打撃を受けたかということが、これでご理解いただけた
ものと考えます。

60 志恩:2012/07/08(日) 16:33:45 ID:.QY5jUA6
>>46:初心者様が、
アラン・ワッツ著「タブーの書」が返って来たと書かれていたので、
アランワッツに、ついて調べてみました。

彼は、若い頃、飲んだくれだったし、迷いの中にいたが、牧師になったが、すぐに辞職したが、思想の追求には怠らなかった。
彼は、初心者様が言われる様に、
タオピストであり、人間と自然とを同一に考える老荘思想のタオイズムを西洋に広めた禅思想の先駆けの人だった。
かれは、16才にして『the spirit of zen』(禅の精神)を出版している。

彼の動画も観ました。自然も宇宙も自分自身だと、彼は動画の中で話していました。

それは、雅春先生が、
「自然も宇宙も自分と同じいのちであり、同じいのちに生かされている存在である。
自然も光であり、自分も光であるとお説き下さった思想と、同じではないか」と、私には、思えてなりません。
下記は、アランワッツの言葉が、入っていましたので、貼りました。

http://blog.goo.ne.jp/eunice14/e/c611668f7080746ff3bdfb7a6481e953

61 志恩:2012/07/08(日) 18:04:18 ID:.QY5jUA6
〜左脳、右脳についての幾つかの意見〜

コリンウイルソンの意見も、含まれていました。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1103/hirameki-cyokkann-unou.htm

62観覧車:2012/07/08(日) 19:13:02 ID:???

つい四日前、観世音菩薩讃歌を読んで感動しておられた方が、
感動も覚めやらぬうちに次のような不安をいだかれた投稿をされています。
今の教えが間違っていることに早く目覚めてほしいです。


***************以下PostingJoyより転載****************

ベジタリアンについて考える
登録日:2012/07/08 12:15 (GMT+09:00) / カテゴリ:ノーミート料理
登録者:さらささん

今回は、ノーミート料理のご紹介では無く。

ベジタリアンについて考えている事を少し吐き出させていただきたいと思います。
個人的にノーミート(ベジ)については、否定もしませんし肯定もしません。
人様に「お母さんノーミートにしましょう」とは勧めません。
理由は簡単、環境問題=ノーミートだけでは社会生活上支障が多すぎるからです。
主人がアレルギーな上に、虚弱体質で。
色々な食事療法を、試して彷徨いました。
現在、命の危険があるほどのアレルギーは完治し。
体質も、改善され痩せすぎている以外は(笑)
何も問題が無い状態です。

ハッキリ言います、ベジでは治りませんでした。
マクロビもやりましたが、悪くなる一方でした。
しかも、マクロビを厳密にやればやるほど太っていくという
一般的な常識と反対も体験しています。
(決して、マクロビを否定するわけでは無いです。
体質に合わなかったということですね。それぞれの体質に合う方法で良いと思います。)

我が家では、別の食事法を指導していただき私の化学物質過敏症と
主人の重度の蕎麦アレルギーが完治です。
極端な事をすれば、まだ日本では出る釘は打たれます。
ベジをしていたときも、マクロビの時もお付き合いはほぼ無理でした。
そりゃ、人様とお付き合いするときは緩めるという方は思想上の
問題で実行されている方ですから大丈夫でしょうけれど。

健康上の理由で、体質改善をしているので1つも食事法を外さず。
厳密に行う場合、外食は一切不可能です。
人様との会食は無理だと思った方が無難でしょう。

1人だけ食べない、残すではその場の空気をダメにします。
そして、お酒が入れば興味本位で総攻撃に遭います。

大人であっても、普通の会社員なら良いですが。
警察や、自衛隊、海上保安官、消防官など。
集団生活で、同じ食事を取る必要がある職業の方は食事法は無理でしょう。
また、営業職の方でお得意様と会食などが多い方は。
相手方の気分を害する可能性もあると思います。
あまり、食事に固執した場合。

宗教的な理由で・・・と話した場合、どうでしょう。
若い方は納得されるかも知れませんが、年配の方は難しいでしょう。
「結局の所、偏食の言い訳」くらいにしか思われないかと。←経験上。
それが切っ掛けで、話しは弾み・・・良い商談に進む可能性もありますが。
逆の可能性もありますね、多分無難に済ませようとすれば全ての
食べ物に箸を付けることになると思います。

敬けんな信者であれば、これだけでも罪悪感を感じたり。
凹む理由にもなりかねないと思うのですが。
この点、まだ自分の中で合点が行かない部分です。

***************(中略)****************

あと、環境問題でというのは理解できるのですが。
雅春先生の食物について書かれた書物には、甘い物についても
色々と書かれていますが・・・最近は、糖に対する中毒といえそうなほど
糖が無いとダメな方がいらっしゃいますよね。
誰も、どんな食事も否定しない。
否定することで、争いが産まれるという意味ではノーミートを主張しません。
やりたい方がやれば良い。
ただ、ノーミートの素晴らしさを伝える事は素晴らしい事だと思います。
その辺り、押しの強さを前面に出してしまわないよう。
拒絶されないように、柔らかくやっていきたいと思っております。

***************以上転載おわり****************

63愛国本流より:2012/07/08(日) 21:21:50 ID:???

> 雅宣氏は逆にこのようにした 投稿者:事情通
ああ紅の血は燃ゆる 様。反応して注意喚起していただき心から感謝いたします。

 雅宣氏がご兄弟にお金をあたえたというデマ・憶測に対して、
事実に基づいた反論をしておきたいと思います。

「宮澤 潔先生の場合」
宮澤先生は慶応義塾大学出身でその英語力は雅春先生の認められるものであったそうです。実際、北米出版局長時代は多くの人達を英語で個人指導されて特に非日系人の集まりではカリスマ的な存在になられていました。そんな時に雅宣氏の講演会が北米で開かれ(雅宣氏は手直しされた英語原稿を棒読み講演する程度)、その原稿を後に英文神誌に全文掲載するように指示しました。
しかし、当時の出版責任者であった宮澤先生は「全文掲載すると雅春先生の文章を減らすことになる」と反対。連載も内容が論文なので「小冊子」にして単独で頒布することを提案されました。
 すると雅宣氏は激怒。当時の国際部長に「彼を私の見えるところからはずしなさい」と指示。苦慮した国際部長でしたが当時オーストラリアで宮澤先生を熱望していた講師達があり、オーストラリアの責任者としての移動を提案。受理されました。
その後の宮澤講師の活躍はめざましく、何も無い場所から牧場を整備され、作業小屋を手直ししながらついには道場を作られて練成会を開催するに至られました。池を掘り、木を植林し、畑を作り、動物を飼育してこられました。ほとんどがご家族と奉仕の人達で行われました。その評判は日本やアメリカにも伝わり、そこからの練成参加者も現れたほどでした。ところが・・・ある日突然の人事異動が雅宣氏の指示で決定され、それは福岡ゆには道場の担当講師という役職のない人事でありました。その決定を受けて宮澤先生は本部に電話して、雅宣副総裁にその理由を尋ねようとしたところ雅宣氏より居留守を使われた上で秘書から
「あなたと話し合う必要はなにもないと申されておられます」との伝言を聞き、そこまでされるのならばと辞意を固められました。その事実をオーストラリア生長の家幹事会に発表されると、幹事全員が猛烈に反発。そして日本本部との包括関係を切り独立することを幹事全員の議決により決定することになったのが、「オーストラリア生長の家」独立事件であります。そしてそこから延々と裁判が続きましたが、雅宣氏の指示で宮澤講師の本部職員依願退職を懲戒免職に切り替えて、不当な弾圧により退職金を払わない決定がなされました。
 これに対して、宮澤先生は不当解雇として提訴され、判決は宮澤先生の提訴どおり懲戒解雇による退職金不払いは違法と判決が下されました。
 ココにおきましても、宮澤先生に対する雅宣氏の態度と姿勢は冷酷非道であり、また独立宣言を無効とする裁判をその後延々と続け、5億以上の弁護士費用を使って宮澤先生を追い詰めようとしました。(教団側が勝訴すれば裁判費用は当然宮澤先生側が支払うことになるので宮澤先生を完全に破産させる意図もここから想像できます)
 この裁判は結局教団側が不利になる判決が予想されるために和解なり、結局雅宣氏の宮澤先生排撃に信徒の浄財が無駄に5億以上(弁護士費用として)払われることになったわけです。

 この雅宣氏が宮澤先生にお金を配るというトンチはどこから来るのでしょうか。まさに、事実を知らない部外者の作り話だということがハッキリすると思います。<


こう言う事実を知っておられる元幹部の方の投稿を希望します。

私の周囲の白鳩さん達、お孫さまにそのようなことが有るはずがないと言ってますからね。

総裁のありのままの姿を知って、そこから出発です。

64トキ:2012/07/08(日) 22:20:54 ID:j1MBwo4U
>>63

 ご投稿、ありがとうございました。他の掲示板なので自重しておりましたが、ご紹介下さり感謝申し上げます。

 教団内部にいるので、いろいろな噂を聞きます。しかし、谷口雅宣先生が、ご兄弟をお金で工作をしたとは、聞いた
事がありません。だいいち、普通に考えたら、事実無根であると断言できます。

 正直、教団側のお金については、よくない噂も聞きます。本流掲示板の投稿者は残念がるだろうけど
あえて書いておりません。(かかないだけで、知ってはいますよ〜(笑))

 そんな事を書いても、意味がないからです。

 ましてや、宮澤先生ご夫妻については、清廉な姿勢で、教団側の人間からも尊敬を集めています。そんな人の
誹謗中傷など、もっての他であると思います。

 この誹謗中傷を書いた人が、生長の家ではない可能性は高いと思っています。

 残念なことです。

65さくら:2012/07/09(月) 00:29:37 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

>新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。

現代人の意識の変化に対応した宗教も変化が必要であるということは、
わたしも同感です。
宗教には、信仰の核となる、変わらないものは確かにありますが、
意識の変化の対応が必要でしょう。
これは、いま世界的な仏教やキリスト教でも、対応をしている事だと思います。
宗教として、現代の問題にどう向き合っていくか、何が出来るか、ということを
たえず、敏感に考えていくことは大切です、これを感じ取る、肌感覚のようなものが必要だと思っています。とらわれがあれば、方向性を間違えますね。
この点の論理では、雅宣総裁は評価は出来ると思いますが、
でも、その活動では、宗教組織としては失敗をしたということですね。

生長の家の「真理の城塞」にひきこもる状態とは、
初心者さまは、具体的にどんなことを指しておられますか?

66さくら:2012/07/09(月) 00:30:35 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

>ちなみに、Dブレーンとカオスを結びつけようとしているのは、わたしの知るかぎ
りでは、今のところわたしだけです。

初心者さまは、宇宙のホログラムやDブレーンを通して、「カオス」(これが、初心者さまが示している本物のうちゅう、なのでしょうか)を説明し、理解しようとしておられるのですね。

わたしは先日も書いたように、物理学にはまったく、疎くて、初心者さまがいう、カオスとか、本物のうちゅうというようなものを、自然科学的なものや有機的なものに感じることの方に、興味があるのかも知れません。
たとえば、粘菌の生物的な不可思議な生態を研究して、密教的なマンダラをつかって生命観宇宙観を説明しようとした、南方熊楠に興味がありますね。
ちなみに、南方マンダラには、宇宙観を顕したものが書いてあるのですが、それが、脳の構造に似ているのが面白いです。
南方熊楠の生命観は、すごくダイナミミックで、西洋的な分類的生物学を遙かに超越して東洋的な思想との融合を果たして、独自の世界観を見出しているのですね。
この方は、初心者さまがいっている、ほんもののうちゅう的なものを縦横無尽な才能で把握されていた、まれな人物なのではないでしょうか。

植物学者でもあった昭和天皇は、こんな歌を残されています。

「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

昭和天皇にもふかく愛された、学者でした。

67さくら:2012/07/09(月) 00:31:19 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

熊楠は、日本最初のエコロジスト、と言われているんですが、自然の生態系の全体性を心身から、実感していて、森を守ることを訴えたんですよね。
生態学的にももちろんですが、熊楠は心霊的にも実感していたのではないかとかんじられます。神社合一に反対運動を起こしたのも、森がダメになれば、日本人の大切な信仰心を奪われるようなおもいだったのではないでしょうか。

精霊にたいする畏敬の念、これは、信仰の原点のようだとおもいます。
空海の思想も、仏教の密教的な世界と、神道的自然への畏敬的な信仰が融合させたのは、
日本の「森」が育んだことが大きいですね。

前にお話しされていた、「ソフィア」とは、女性原理の、受けるという働きをする、それは、宇宙意識を受けるということなのですか。
なぜ、アストラル体がこの宇宙意識を受け入れる、聖杯になりうるのでしょうね・・。
これが人間と宇宙をつなげる秘密なのかな・・?

シュタイナーはなんと説明しているのですか?

68さくら:2012/07/09(月) 00:33:06 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

七夕って、天体的に、本当に天の河が消えて、
星があらわれる意味があったのですね・・
それを美しい物語にして伝えられているって、すてきです。
七夕の日はいつも雨だし、なぜか、さくらには寂しい想いが多かったような気がしますが、笑、これからは、初心者さまが書いて下さった話を、思い出すことにいたします。
天体少年だった初心者さまは、きっと、ロマンティックな心をお持ちだったのでしょうね。
夜空のうちゅうを見ていて、・・そのうちに本物のうちゅうの探求に目覚めたわけですか?
・・シュタイナーの言葉の理解は、また。

さくらから、曲のプレゼント。
http://youtu.be/j7CDb610Bg0

眠くて、くらくらする・・おやすみなさい。

69 志恩:2012/07/09(月) 00:34:33 ID:.QY5jUA6
トキさま

雅宣総裁先生のご兄弟に関する事で、とんでもないガセネタの、ありえない悪い情報を流した人がいて、
私も、すごくむかついておりましたが、

早速に、幾つもの 正しい情報が流れたので、安堵しました。

トキ様も、誹謗中傷だ、もってのほかだと、おっしゃってくださったので、ガセネタに必殺で、
とどめをさしました。とてもうれしく存じました。

今夜は、おもわず、トキ様が、藤田まことに見えました。(笑)

70さくら訂正。:2012/07/09(月) 00:37:21 ID:vxm3Yqkc
・・シュタイナーの言葉の理解

・・ソシュール、
の間違え、

71Kジロウ:2012/07/09(月) 01:39:56 ID:VJun9unU
>>57
初心者様
横スレ失礼
>彦星である、わし座のアルタイルと、織姫である琴座のベガ
は消えずに見えています。年に1度、旧暦の7月7日にふたりはめでたく出会える
ということですね。

こう見えてもわたしは、かつては天文少年であり、とある天文愛好グループに
属していて、月に1度の支部の例会にはかかさず参加していました。ですけども、
参加者はいつも男ばかり。たとえ七夕の夜でも、女子と出会うことはできません
でした〜。<


彦星と織り姫は恋人同士ではありません


夫婦なのです


今どきの言葉なら、単身赴任で年に1度家族と逢えるという事になるでしょうか


恋人ならば、年に1度しか逢えないはつづきませんが、夫婦ならソレでもいいという事なんでしょう!

72スターダスト:2012/07/09(月) 06:09:14 ID:uuNh/pjs

>>65 :さくら:2012/07/09(月) 00:29:37 ID:vxm3Yqkc
>>初心者さま

>>新しい宗教は、その成否はともかくとして、以前は不可能であったことがらにたい
>>しても根拠が提示できるようになった時代に対応する必要があると考えます。
>>科学を怖れ、「宗教的世界観と科学的世界観はちがう」と言っているだけでは
>>なにも生まれないということです。生長の家も、「真理の城塞」にひきこもるのでは
>>なく、時代の変化に正面から向き合うべきではないかと考えます。


生長の家の真理はそういうものではありません。

科学者はこの世界の現象を研究し信じています。
それを科学的な法則を真理と考えています。
そして、それを証拠としています。

しかし、仏教・キリスト教・生長の家などの宗教は、『この世は実在す
る世界ではなく。あなたの夢だ。』と言っているのです。

夢の中の現象を調べても何も出てきませんよ。
夢の中の物質や現象は『心の映像であり、物質もなく、現象も有りませ
んよ。』と言っているのです。

夢の世の中を現実だと思って、物理的に科学的に考えるから、病気の本
当の原因も、事故の本当の原因も災害の本当の原因も分からないので、
不幸の充満している夢になっているのです。

『この世は夢の世界である。』これが真理なのです。
真理は原理なので、閉塞することはありません。


科学者は科学的な証拠を求めますが、それなら『この世が夢ではない』
という証拠を発見する必要があるのです。

73スターダスト:2012/07/09(月) 06:19:47 ID:uuNh/pjs

>>72 のつづき。

>>科学者はこの世界の現象を研究し信じています。
>>それを科学的な法則を真理と考えています。
>>そして、それを証拠としています。


こういう考えを仏教では『無明(無知)』といっています。
この無知によって、人間はこの世に生まれる。といいます。
生まれると言うより、この世の夢がはじまると言うことです。
つまり『無明縁起』です。

では人間界の夢を造る無明とは何か。
**************************************
■無明(無知)とは

①前世について知らない。後世について知らない。前世と後世との関係
を知らない。
②また、「空」を知らないから、自分の実体を知らない。外界の実体も
知らない。
③業(ごう)というものを知らない。報を知らない。業報を知らない。
④仏(如来)を知らない。法則(真理)を知らない。その法則を教える
人(法師)を知らない。
⑤苦しみの世界の中に於いて、苦しみを認識しない。
⑥苦しみの原因を知らない。したがって、苦しみの解消法を知らない。
⑦現象の原因を知らず、原因と結果の関係を知らない。
⑧本当の善悪を知らず、本当の有罪無罪を知らない。
⑨煩悩の有無を知らない。
⑩誰が勝っている人か、誰が劣っている人かも知らない。
⑪汚れも清浄も、善悪の分別も十二因縁の法則も皆ことごとく知らない。
五官と心によって真実を知覚していない。真実を求めようとせず、見よ
うともせず、永久に無知の闇に覆われている。これが無明である。
(阿含経より)
**************************************

これらを知らないことが『唯物論者の無知』ということです。

74初心者:2012/07/09(月) 08:33:54 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

曲のプレゼント、ありがとう。

天体観測ということでいえば、中学生のときに使っていたのが、ビクセンと
いうメーカーの口径6センチの屈折式天体望遠鏡でした。焦点距離は、たしか
900ミリだったような。赤道儀はついてなかったので、星の日周運動を
追うことはできませんでした。

天体写真も撮っていましたが、カメラを望遠鏡につなげるアダプターは、
さすがに市販のものはなく、なじみのカメラ店の特注品でした。でもね、
カメラはミラーアップできる機種ではなく、さすがにマウントと呼ばれる部材も
脆弱ですので、たとえレリーズを用いて慎重にシャッターを押したとしても、
100倍を超える倍率では、撮れたのはブレブレの写真ばかりでした。マニアックな
話になりますが、使っていたフィルムは、コダックのハイスピードエクタクロームと
いうリバーサルフィルムか、モノクロの高感度フィルムでした(このあたり、マニア
を気取って自慢げに語る者がおります。おろかなあたしは、風景写真やスナップ
写真にも、ハイスピードエクタクロームを無意味に用いておりました)。

ビクセンのつぎに使ったアストロ光学製の反射式望遠鏡には、ちゃんと赤道儀が
ついていましたよ。でもね、色気づいたあたしは、男だけの世界にはさすがに
嫌気がさして、じきに足を洗いました。

75初心者:2012/07/09(月) 08:35:20 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

>生長の家の「真理の城塞」にひきこもる状態とは、
初心者さまは、具体的にどんなことを指しておられますか?

現状がすべてを物語っているようにおもわれます。

>初心者さまは、宇宙のホログラムやDブレーンを通して、「カオス」(これが、初心者さまが示している本物のうちゅう、なのでしょうか)を説明し、理解しようとしておられるのですね。

真理といっても、最終的には「実感」だとおもいます。それがいかにリアルに実感
されるかが、問題になるとおもいます。実感のない真理をいくら語っても、そのこと
に意味はないと考えます。ただし、カオスが本物の宇宙のすべてということでは
ないでしょうね。言語以前の世界は人間にとってカオスでしかない、というのは
いえるかもしれません。

>熊楠は、日本最初のエコロジスト、と言われているんですが、自然の生態系の全体性を心身から、実感していて、森を守ることを訴えたんですよね。
生態学的にももちろんですが、熊楠は心霊的にも実感していたのではないかとかんじられます。

南方熊楠という人は、面白いことをいっていたようですね。幽霊のようなものが
見えていたようですが、それが本物の幽霊か幻覚であるかを見分ける方法として、
自分の向きを変えてみるということをいっていたようです。

本物の幽霊であれば、向きを変えても、幽霊はおなじ場所に立っている。それが
幻覚であれば、向きを変えても、幽霊はつねに自分の正面に立っている。こんな
ようなことを、公衆浴場などで長談義しながら真剣に語っていたといいますから、
たしかに見えていたのでしょうね。

植物や粘菌の研究は、自身の天才ぶりを持て余していた熊楠にとって精神安定剤
の役割を果たしていたようですね。森がなければ生きてはゆけぬ人であったようです。

76初心者:2012/07/09(月) 08:36:32 ID:TfQ0e6RA
Kジロウ様

夫婦だったのですか。それは知りませんでした。純情な天文少年に
とって、すべての女子は「異星人」でしかありませんでした。

77初心者:2012/07/09(月) 08:43:01 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

「唯物論者の無知」といわれるのであれば、こちらで語られるのも
結構でありますが、それよりも、大学や研究機関に乗り込んで、
科学者たちと直談判なされたほうがよいのではないでしょうか。
救われるべきは、この世界が夢であることに同意しているわたしよりも、
夢を現実と信じてうたがおうともしない研究者たちなのですから。

身近なところでいえば、人間を物質体としてのみ見る医学は「唯物論者の
無知」の代表格のようなものでありましょう。わたしは滅多に病院にいく
ことはありませんが、やむを得ず通院した場合でも、さすがに直談判は
いたしませんが、医師のいうことも聞きません。

わたしがあまりにいうことを聞かないものですから、とある大病院では「あなた
のような患者ははじめてだ。もう来ないでくれ」といわれたことがあります。むろん
医師の指導にしたがって通院はやめました。スターダスト様は、たとえ病院にいか
れたとしても、まさか医師の言いなりになっておられるということはありませんよね。

スターダスト様のことですから、どのような身体的不都合が生じようとも、
それを夢のなかの出来事として、平然としておられることでしょう。そもそも
身体症状という夢をご覧になることもないのでしょう。

唯物論を否定するにあたっては、それなりの覚悟が必要と考えます。現実問題と
して、ときに覚悟がゆらぐこともありますが。

78スターダスト:2012/07/09(月) 09:21:11 ID:uuNh/pjs

>>77 :初心者

>>身近なところでいえば、人間を物質体としてのみ見る医学は「唯物論者の
>>無知」の代表格のようなものでありましょう。わたしは滅多に病院にいく
>>ことはありませんが、やむを得ず通院した場合でも、さすがに直談判は
>>いたしませんが、医師のいうことも聞きません。

>>わたしがあまりにいうことを聞かないものですから、とある大病院では「あなた
>>のような患者ははじめてだ。もう来ないでくれ」といわれたことがあります。むろん
>>医師の指導にしたがって通院はやめました。スターダスト様は、たとえ病院にいか
>>れたとしても、まさか医師の言いなりになっておられるということはありませんよね。


そうではありません。
『唯物論者の無知』というのは私が言っているのではなく、仏陀の言葉
です。前にもいいましたが、私自身が科学に反対しているわけではあり
ません。ただ、科学は限定された真理であるということです。

次のイエスキリストの言葉に注目して下さい。
**********************************************
『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、
疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけ
でなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言っても、
そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何で
も与えられます。』(新約聖書)
**********************************************
このイエスキリストの言葉のように、『信じて疑わなければ』必ず、願
いは叶うのです。なぜなら、この世界が夢の世界だからです。

これを病気に置き換えてみましょう。『病気は治ると信じるだけで直る
でしょう。』もちろん『信じて疑わなければ』の話です。

しかし、私たち人間は『病気は医師が治す』と『信じて疑わない』ので、
医師の指導で病気は治るのです。もちろん私自身も例外ではないので、
医師の診断に従います。つまり、病人は病気になった夢を見、医師に治
してもらった夢を見ているに過ぎないのです。『つまり、この世は夢で
ある。』これが生長の家・仏教・キリスト教の真理の真髄なのです。

**********************************************
汝ら感覚にてみとむる物質を
實在となすこと勿れ。
物質はものの實質に非ず、
生命に非ず、
眞理にあらず、
物質そのものには知性なく
感覚なし。
物質は畢竟『無』にしてそれ自身の性質あることなし。
これに性質を與ふるものは『心』にほかならず。
『心』に健康を思へば健康を生じ、
『心』に病を思へば病を生ず。
**********************************************
この『甘露の法雨』のあるように、『心』に健康を思って健康を生じさ
せることができないので『医師の指示に従っていれば健康になる』とい
う過程を通して、『健康を思い』を実現して病気を治していると言うこ
とです。


『つまり、医師が病気を治すのではなく、医師が病気を治してくれると
いう信念が病気を治すのです。』

79スターダスト:2012/07/09(月) 09:39:02 ID:uuNh/pjs

仏陀は『人間がこの世に生まれるのは無知』だといいました。
だから『十二因縁』という仏教の法則の最初に『無明(無知)』がある
のです。無知とは唯物論者のことです。

もちろん、この世に生まれた者は『無知』です。もちろん、私も含みま
す。もし、私自身が無知でなければこの世に生まれることはないのです。


しかし、この世に生まれてきた以上、智慧を求めて、死後には再びこの
地上世界に生まれないようにしなければなりません。
『この世で修行して智慧を獲得し再び地上に生まれることがないように
永遠の寿命である天界に生まれなさい』これが仏教・キリスト教の目的
なのです。

『この世界は夢の世界である。』これが真理であり法則なので、夢の中
の物質を調べても意味はないということです。すべて病気の原因は戒め
を守らないことで起きるのです。だからイエスキリストは次のようにい
っているのです。
**********************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
(新約聖書)
**********************************************
病気はこの戒めを守らないことによって起きているのです。

80初心者:2012/07/09(月) 10:07:33 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

>夢の中の現象を調べても何も出てきませんよ。
夢の中の物質や現象は『心の映像であり、物質もなく、現象も有りませ
んよ。』と言っているのです。

>『唯物論者の無知』というのは私が言っているのではなく、仏陀の言葉
です。前にもいいましたが、私自身が科学に反対しているわけではあり
ません。ただ、科学は限定された真理であるということです。

この二つの発言は、同一人物による発言と考えてよいのでしょうか。

81初心者:2012/07/09(月) 10:16:33 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様は断定口調で語られますので、対抗上、こちらも断定的に
語る必要が出てまいりますが、そうすると本流掲示板でなんやかんやと
騒がれてしまいます。結果として総裁先生に迷惑がおよぶことになります。

断定口調にたいして、非断定的に対抗するのは容易ではありません。

82スターダスト:2012/07/09(月) 10:47:08 ID:uuNh/pjs

>>80 :初心者:2012/07/09(月) 10:07:33 ID:TfQ0e6RA
>>この二つの発言は、同一人物による発言と考えてよいのでしょうか。


矛盾していると思われるのですか?少しも矛盾していませんよ。

ある人がいいました。
自動車は科学者が一生懸命に発明したものである。
あなたは、現象を否定しているが、自動車を使わないのか?

私はいいました。遠くに行くのに、便利な方法はないのか。という、祈
りが神に通じて、自動車は出現したのであると考えていますよ。科学者
のように自動車の構造は知らないが、運転はできますよ。と。

もし、私が唯物論を超越できれば、イエスキリストのように、引力を超
越して、水の上を歩き、嵐を『黙れ静まれ』の一言で静めることができ
るでしょうね。これができない人はすべて唯物論を信じているのです。
もちろん私を含めてね。

『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』


分かりにくかったら、本当の夢について考えてみて下さい。

あるときこんな夢を見た『ライオンに追いかけられていた。その時、運
良くハンターの車に乗せてもらって助かった』
このとき、この車は誰が発明したのか。構造はどうなっているかについ
て考えても仕方がないでしょう。そこにハンターの車はあったのだから、
ただ、本当は夢だからライオンも無く、車もなく、ハンターもいなかっ
たのです。もし、この夢の中の物理的な現象を超越した人がいたら、『ラ
イオンよ消えよ』と言うだけで消えてしまうのです。これが唯物論を超
越したイエスキリストなのです。

83初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

あまり深く考えるのはよしましょう。

>『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』

まったく理解はできておりませんが、ホログラフィック理論の提唱者である
マルダセナは、重力の法則によって物が落下するように見えるのは、2次元
ホログラムがそのような映像を映し出すからだ、といったようなことを述べ
ていたようにおもいます。

「引力の法則」にしても、その他の法則にしても、科学は宗教よりもさらに先へと
進んでいるのかもしれませんね。

2次元ホログラムがどのような映像でもつくり出せるのであれば、人が水の上を
歩いているように見える映像も、嵐が鎮まるように見える映像も、山が海へと移動
するがごとく見える映像も、それなりの臨場感でつくり出すことができるという
ことでしょうね。宗教がいっているのは、このことだとおもいます。

ただし、ひも理論では「重力子」にあたるものを想定しているようです。通常、ひも
は、両端が切れていて、Dブレーンに固定されるか、Dブレーン上の移動を余儀なく
されているようです。「重力子」にあたるひもは、両端がつながっていて輪ゴムの
ようになっているので、Dブレーンに固定されることなく、あちらの世界もこちらの
世界も自由に移動できると考えられているようです。

以上のひも理論の考え方と、マルダセナの説にどのような整合性があるのか、
それはまったくわかりません。

84さくら:2012/07/09(月) 11:29:54 ID:vxm3Yqkc
>>72
スターダストさま

ありがとうございます。
スターダストさまが、引用されているご文章には、わたしは、意義はありませんが、
ただ、先日よりスターダストさまのお考えと、異なることがあると思われます。
科学や物理的法則が、原罪だ、と称されていたことなどもそうです。
わたしは、罪があるとすれば、科学や物理の法則自体ではなく、そのとらえ方が、罪を生むのだとかんじております。
いわゆる左脳自我の増大によって、この法則の全体性が捕らえられなくなったことの方が、問題だということです。
科学の法則も、宇宙の叡智の一側面とは、いえないでしょうか。その法則に添うことによって、見えない叡智に「リアリティ」を感じるものがあると、おもいます。
スターダストさまが、「夢」だと引用される部分については、意味は把握しておりますが、
だからこそ、この夢を生きるのに、リアリティを求めること自体を否定することではないともかんじています。これは、生きる実感に大切なことと捉えています。
科学の法則を、宗教的世界観と対立するものだと、単純に二元論的にはだけ言えないのではないかともおもっています。

たとえば、先に挙げた南方熊楠は、生物学について、西欧のシステム論的な分類学に収まることをしませんでした。生命に現れるありのままの不可思議な現象、熊楠独自の生命観で捉えています。それは、マンダラ、という仏教の密議に通じるような、哲学にまで体系づけたようなのですね。
熊楠は、既存の生命システム的な論理で捉えることの出来ない生命観を、ニルヴィーナマンダラ、としてアジア的な哲学を折り込み、それは、大日如来の人知で捉えることの出来ない不可思議な働きを、表現されていると語っているようです。
一観察者としての主体客体や、生命と死、右脳的把握と左脳的把握、こちらの世界とあちらの世界・・・熊楠は、そういう境さえも、縦横無尽に行き来できるような、特異な魂の持ち主だったとは思いますが・・
やはり、科学や物理も分類学の枠を越えて、生命の全体的な把握を目指すことがあればと感じます。
科学的アプローチが、必ずしも宗教的な真理にたどり着くものではないと思っておりますし、お互いに、利用するような方向にあっては、たいへん危険があり避けるべきですが、
純粋な探求心による、歩み寄りの姿勢は、わたしは大切と考えております。

85さくら:2012/07/09(月) 11:30:29 ID:vxm3Yqkc
>>71
Kジロウさま

ありがとうございます。
・・そうか、恋人ではなく、夫婦ですね。
ほんと、恋人なら、耐えられないけれど、
夫婦なら、この距離感は、快適なのでしょう、笑。

・・つまり、遠距離恋愛の女子、がんばれ!・・です。笑。(さくらもがんばれ!笑)

86さくら:2012/07/09(月) 11:32:15 ID:vxm3Yqkc
初心者さま

初心者さまは、望遠鏡のこと詳しいのですね。
さくらは、天体観測はしないのですが、バードウォッチングに目覚めそうなんですよ。
先日、すごく楽しくて、そのための双眼鏡を買いたいとおもっているのです。
オススメされたのは、ビクセンやニコンということですが、
スワロフスキーで出してるのは、おしゃれでよいな、って思ったんですよね、
でも、観察初心者には高い・・。
野鳥の会のおじさまと親しくなって、買ってもらおうかな、笑。
やっぱりさくらは、自然観察系が好きです。

87スターダスト:2012/07/09(月) 11:46:09 ID:uuNh/pjs
>>84 :さくら:2012/07/09(月) 11:29:54 ID:vxm3Yqkc
>>純粋な探求心による、歩み寄りの姿勢は、わたしは大切と考えております。

それは無理でしょう。唯物論と唯心論は考え方がまったく逆だからです。

唯物論者曰く『人間は脳によって思考します。』
唯心論者曰く『脳も幻であって存在しません。右脳左脳は心によって造られているのです。』

このように考え方がまったく正反対なのです。

88スターダスト:2012/07/09(月) 11:52:03 ID:uuNh/pjs
>>83 :初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA

>>「引力の法則」にしても、その他の法則にしても、科学は宗教よりもさらに先へと
>>進んでいるのかもしれませんね。


そうではなく、宗教が無明により限定された法則が科学なのです。
だから宗教の法則である真理を破ることはできませんが、イエスキリス
トのように科学の法則は破ることができるのです。
『水の上を歩く』『嵐を一喝で静める』などです。

『だから引力の法則は真実の法則ではなく、真理ではないというわけです。』

89スターダスト:2012/07/09(月) 11:56:29 ID:uuNh/pjs

人間は死んだら霊界に行きます。行くというより目を覚ますといった方
が正しいでしょう。つまり、この地上世界は霊界で見ている夢なのです。
深く自然科学や唯物論に囚われていた者は霊界では苦痛を伴うのです。

この文章は他の掲示板に投稿したものですが、参考になればと思います。

**********************************************
■他生に初めて入ってくる際は、個々のものの記憶は、そこから派生し
てくる誇りと共に、苦痛を与える。

誰でもその者が身体の生命の中で得た自然的な気質を他生へ携えて行き、
かくて広般な記憶をもっていてそのことを誇り、そのことを見せびらか
そうと願っている者らはその記憶をもって行くのである。このようにふ
くれ上がったこの記憶は外にくっついている、いわば、固いたこのよう
なものであって、時の経過につれて柔らかくされなくてはならないので
ある。しかし、その間それは、恰も頭の皮膚がむしり取られているかの
ように、頭に苦痛を引き起こすのである。
**********************************************
他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たないのです。

90さくら:2012/07/09(月) 12:09:31 ID:vxm3Yqkc
>>87
スターダストさま

そうですか、
スターダストさまにかかってしまうと、
ダライラマ14世の科学者との熱心な対話の取り組みも、
無駄なことになってしまいますね・。
無理だ、と考えている宗教観があっても、これは、仕方ありません。
自分の世界観を崩されることは、たいへん不快なことですから。
たいへんなのは、よく理解しています。

ただ、引用の箇所は、ご丁寧にありがとうございます。
所々の、引用の文には、ご賛同いたしておりますよ。

ところで、
>>82
ある人がいいました。
自動車は科学者が一生懸命に発明したものである。
あなたは、現象を否定しているが、自動車を使わないのか?

私はいいました。遠くに行くのに、便利な方法はないのか。という、祈
りが神に通じて、自動車は出現したのであると考えていますよ。科学者
のように自動車の構造は知らないが、運転はできますよ。と。

もし、私が唯物論を超越できれば、イエスキリストのように、引力を超
越して、水の上を歩き、嵐を『黙れ静まれ』の一言で静めることができ
るでしょうね。これができない人はすべて唯物論を信じているのです。
もちろん私を含めてね。

この世界観も、わたしには興味深かったです、笑。
わたしは、引力の法則を超越して水の上を歩きたいなどとは思わずに、
ただ、科学の進歩にも感謝して自動車に乗ることも、信仰だと思っていたので、
・・水の上を歩けないものがすべて「唯物論」信仰だ、とは、思っておりませんでした。

ありがとうございました。拝

91初心者:2012/07/09(月) 12:21:25 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

>それは無理でしょう。唯物論と唯心論は考え方がまったく逆だからです。
唯物論者曰く『人間は脳によって思考します。』
唯心論者曰く『脳も幻であって存在しません。右脳左脳は心によって造られているのです。』

そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
いっていますよ。

なにが「無理」で、なにが「逆だ」といっておられるのでしょう。

>そうではなく、宗教が無明により限定された法則が科学なのです。
だから宗教の法則である真理を破ることはできませんが、イエスキリス
トのように科学の法則は破ることができるのです。
『水の上を歩く』『嵐を一喝で静める』などです。

ですから、「水の上を歩く」や「嵐が鎮まる」は科学で説明できる、といっている
のですよ。説明されてしまったにもかかわらず(あくまでも可能性ですが)、
いまだに科学を「無明」といっておられるのであれば、それは時代錯誤です。

>他生とは死後の世界つまり霊界のことです。
霊界つまり目覚めた世界では科学などは何の役にも立たないのです。

あの世とこの世とでは用いられるアルゴリズムが異なっているだけなのかも
しれませんよ。なぜ科学が役立たないと言いきれるのでしょう。

92スターダスト:2012/07/09(月) 12:33:34 ID:uuNh/pjs
>>90 :さくら:2012/07/09(月) 12:09:31 ID:vxm3Yqkc

>>そうですか、
>>スターダストさまにかかってしまうと、
>>ダライラマ14世の科学者との熱心な対話の取り組みも、
>>無駄なことになってしまいますね・。
>>無理だ、と考えている宗教観があっても、これは、仕方ありません。
>>自分の世界観を崩されることは、たいへん不快なことですから。
>>たいへんなのは、よく理解しています。

これは、自分の世界観を述べているのではありません。
生長の家の世界観を述べているのです。もし、この世界観に反対の人が
いれば、生長の家の真理を理解しているとは思われません。
ダライラマも本当の仏教を理解しているとは思えません。仏教やキリス
ト教を本当の意味で理解しているのは『生命の実相』だと思います。

93さくら:2012/07/09(月) 12:44:10 ID:JYWNcP6c
>ダライラマも本当の仏教を理解しているとは思えません。

…!

あの…、
スターダストさま…もうこれ以上、さくらは、
あなたの世界観を、邪魔しません。
引用の箇所は、勉強になり感謝しております。
科学や物理を探求するものは、みな唯物者として迷ってるの者だと、
哀れんで祈ってください、

ありがとうございます。拝

94さくら訂正:2012/07/09(月) 12:45:28 ID:JYWNcP6c
唯物者→唯物論者

95スターダスト:2012/07/09(月) 13:02:03 ID:uuNh/pjs
>>91 :初心者:2012/07/09(月) 12:21:25 ID:TfQ0e6RA

>>そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
>>カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
>>いっていますよ。

>>なにが「無理」で、なにが「逆だ」といっておられるのでしょう。


唯物論者=物質有り、現象有り、人有り。
唯心論=物質無し、現象無し、人無し。

このように考え方が『逆』なのです。
無いものを有ると考えることが『無理』なのです。


>>そうでしょうか。「脳のホログラフィー理論」の提唱者である大脳科学者、
>>カール・プリブラムは、思考するのは宇宙全体であって、脳も心もない、と
>>いっていますよ。

霊界・天界・神を宇宙というなら、正しい見解です。しかし、この現象
の宇宙は夢であり、存在しません。ただし、その場合宇宙そのものが心
です。こころが無ければ考えることはできません。しかし、脳も心も無
いという人が大脳科学者ととはどういう意味ですか?大脳は無いので
は?

96スターダスト:2012/07/09(月) 13:04:23 ID:uuNh/pjs
>>あの…、
>>スターダストさま…もうこれ以上、さくらは、
>>あなたの世界観を、邪魔しません。
>>引用の箇所は、勉強になり感謝しております。
>>科学や物理を探求するものは、みな唯物者として迷ってるの者だと、
>>哀れんで祈ってください、


だから、私の世界観ではなく、生長の家・仏教・キリスト教の世界観だ
と言っているのです。

97スターダスト:2012/07/09(月) 13:13:21 ID:uuNh/pjs

**********************************************
無明はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。
眞相を知らざるを迷と云ふ。
快苦は本来物質の内に在らざるに、
物質の内に快苦ありとなして、
或は之を追ひ求め、
或は之より逃げまどふ、
かかる顛倒妄想を迷と云ふ。
生命は本来物質のうちにあらざるに
物質の内に生命ありとなす妄想を迷と云ふ。
本来物質は心の内にあり。
心は物質の主にして、
物質の性質形態はことごと心の造るところなるにもかかはらず、
心をもつて物質に支配さるるものと誤信し
物質の変化に従つて
憂苦し懊悩し、
われとわが生命の圓満完全なる實相を悟ることを得ざるを迷と云ふ。
迷は眞實の反對なるが故に無明なり。
(甘露の法雨)
**********************************************
つまり、こういうことです。

98初心者:2012/07/09(月) 13:44:46 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

>唯物論者=物質有り、現象有り、人有り。
唯心論=物質無し、現象無し、人無し。

ですから、現代物理学は「物質あり」、「現象あり」とは考えていません。

もういちど言いますよ。現代物理学は「物質あり」、「現象あり」とは考えて
いません。

「物質なし」、「現象なし」を反証可能な形で語っているのが現代物理学
なのです。

>霊界・天界・神を宇宙というなら、正しい見解です。しかし、この現象
の宇宙は夢であり、存在しません。ただし、その場合宇宙そのものが心
です。こころが無ければ考えることはできません。しかし、脳も心も無
いという人が大脳科学者ととはどういう意味ですか?大脳は無いので
は?

このような問いかけじたいが、あなたのいう唯物論的思考なのですよ。
従来の唯物論的思考では、プリブラムは理解できません。自分で自分を
見る。宇宙とはそういうシステムなのですよ。脳は、宇宙が自分で自分を
見るためのシステムに組み込まれています。

人間の脳がDブレーンを発見したのではありません。DブレーンがDブレーン
を発見したのです。それがそれを発見したのです。

すべての科学者は唯物論者である。したがって、唯物論者である科学者が
「脳も心もない」と発言することはあり得ないと、あなたはこのように考えて
おられるのですね。この考え方じたいがすでに時代遅れなのですよ。

99スターダスト:2012/07/09(月) 14:00:12 ID:uuNh/pjs

>>98 :初心者:2012/07/09(月) 13:44:46 ID:TfQ0e6RA

物質無しと言うのはそういう意味の物質無しではないのです。
物質はエネルギーだとか物質は振動だから無いというような意味では無いのです。

この世は夢だといっているのです。
だからいくら夢の中を分析しても意味はなく、夢の世界から目覚めた世界を見ることは不可能なのです。


>>このような問いかけじたいが、あなたのいう唯物論的思考なのですよ。
>>従来の唯物論的思考では、プリブラムは理解できません。自分で自分を
>>見る。宇宙とはそういうシステムなのですよ。脳は、宇宙が自分で自分を
>>見るためのシステムに組み込まれています。

だから、脳は夢の産物だから無いといっているのです。だから脳には何も組み込むことはできないのです。

100スターダスト:2012/07/09(月) 14:25:03 ID:uuNh/pjs

イエスキリストは数々の科学を否定する奇跡を行いました。

空中から6000人分のパンを取りだし、物質不滅の法則を否定した。
盲目を治し、中風を治し医学を否定した。
水の上を歩いて万有引力の法則を否定した。
嵐を一喝で静め、気象学を否定した。
イチジクの木を一言で枯らして、生物学を否定した。
水を葡萄酒に変えて、化学を否定した。

これは、物理的な科学の法則は真実(真理)ではないということを意味
しているのです。つまり、夢の世界は何でも有りの世界なのです。

我々人間は唯物論の法則を信じて疑わないために、空中からパンを取り
出せないのです。そこでパンの取り合いがはじまり、それが戦争の基本
的な原理です。だから、『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸は人間の
唯物論から起きているのです。

101初心者:2012/07/09(月) 14:53:37 ID:TfQ0e6RA
スターダスト様

>物質無しと言うのはそういう意味の物質無しではないのです。
物質はエネルギーだとか物質は振動だから無いというような意味では無いのです。

物質が、エネルギーに形を変え、振動や粒子として観測されることがあるにして
も、その正体は映像です。映像だからこそ、さまざまな形をとることができるのです。

>だから、脳は夢の産物だから無いといっているのです。だから脳には何も組み込むことはできないのです。

ですから、「脳はない」といっております。脳は、夢のなかで夢見られることで
夢見ているのです。以上です。


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